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はてなキーワード: 橋の下とは

2019-07-14

大嫌いな父親が亡くなった

父親が亡くなってから、早いもので二ヶ月が経った。肺癌が主な原因だった。

私は父親が嫌いだった。昔ながらの亭主関白な夫と言えばわかりやすいだろうか。母を召使いのように扱い、母がいなければ娘の私を扱き使う父親だった。

例えば夕飯時、口を開けば「早く箸を持ってこい」「飲み物を持ってこい」と偉そうに命令した。反発すれば怒鳴り散らし、机を叩くなどして威嚇する。その影響で私は人が(特に男性が)怒っていたり怒鳴っていたりすると、身が竦むほど恐ろしさを感じるようになったぐらいだ。

父親典型的クレーマーでもあった。理髪店自分の気に入らないヘアカットにされた時は、相手が泣くまで怒鳴りつけたそうだ。同じことを他の店でもしている。本人が武勇伝のように語っていた。相手に落ち度があるのはさておき、そこまで怒る必要断じてないし、店員にどんなトラウマを植え付けたのか考えるだけで忍びない。

そんな父親ではあったが、小さい頃は私を目に入れても痛くない程に可愛がっていたようだ。記憶は薄れているが、確かに可愛く思っていたのは事実だろう。しかし私はその愛情に、思春期らしい気持ちの悪さを感じていたことを覚えている。今思えば、それは都合の良い人形を可愛がるようなものだったからではないだろうか。

小学生ぐらいの記憶を引っ張り出してくると、休みの日に父親が家にいたことは稀だった。一人もしくは母とパチンコへ行くことが多かったからだ。いたとしても日がな一日ゴロゴロと寝転がっているだけで、家族で出かけるようなことはなかった。泊まり旅行など、温泉に一度行ったきりだ。

今や定番であり行ったことがないというだけで子供に惨めな思いをさせるというディズニーランドなど、その頃の私には想像もつかない世界だった。ある程度成長するとディズニーランドに言ったことがないのは少数派だとわかり、私は友人と話を合わせたくて「行ったことがある」と何年間も嘘をつき続けた。

子供を可愛がる」というのは、子供の遊びに付き合い、行きたいところへ連れていき、一緒に経験を積み重ねることではないだろうか。父親からはそういった愛情をもらうことはなかった。

私には兄がいる。私とは違い、高校大学も両親の期待以上のところへ進んだ、彼らにとって自慢の息子だ。父が兄に対して怒ったのは、小さい頃以外だと私が知る限り大学留年危機に瀕した時だけだ。また、兄を小間使いのように扱ったこともない。

そもそも兄は私の四つ上で、中学の時は部活や塾で朝早く夜遅く高校の時は遊び回ってほとんど家におらず、私が中学生の時にはもう家を出ていたため記憶が薄い。仲は悪くないが、まるで他人のように感じる。

そんな兄と私はよく比べられた。よくある話だ。優秀で友人も多くクラスの人気者な兄とは違い、私は特に秀でておらず人見知りも激しく友人は少ない。父にとって私は「理想の娘」ではなかっただろう。よく冗談で「お前は橋の下で拾った」と言われたものだ。私は、先に生まれただけで両親の良いところを全部持っていった兄が憎らしく恨めしく、そして何より羨ましかった。この頃の私は成績にしろ資格を取るにしろ両親が喜ぶだろうと思って行動していた。その成果である様々な賞状がうちには飾ってあり、父はよく自慢していたようだった。

私にとって父は畏怖の対象でもあり、自分を認めて欲しい存在でもあったのだ。

社会人になってからの数年間も、私は実家にいた。勤め先が実家のすぐ近くであったこともあるが、精神的に自立していなかったからだ。

その頃父との関係冷戦状態で、口を開けば互いに怒鳴り合うこととなった。私は他人からは怒ることなどない穏やかな人間に見られていたが、それは人見知りを拗らせた内弁慶からであり、家ではとても口が悪く我儘だった。

父は二言目には喧嘩腰に「なにぃ!?」と眉を吊り上げた。それに恐れをなして怯む自分を気付かれたくなくて、いつも怒鳴り返していた。

家を出てからほとんど実家に帰っていない。父と口を利きたくなかったし、母とも何を話せばいいのかわからなくなっていた。

その内に私が結婚し、父が定年前に退職して数年後、肺癌が発覚した。他の病気まで併発していた。当たり前だった。あまりにも酷い生活だったのだから

今まで何年…いや何十年と、私は両親に煙草を止めるよう苦言を呈してきた。それに加えて父は甘いジュースが好きで、見るからに不健康な体型だったが運動はしなかった。そして、職場でほぼ強制的に受けさせられる健康診断も逃げ続けた。恐らく何か見つかるのが怖かったのだろう。

退職から発熱したり咳が続くことが多くなり、具合の悪さにとうとう病院へ行った時にはもう手遅れだ。他の病気のせいで放射線治療はできず、低血圧のため手術もできないと言われた。

それでも父はめげずに抗がん剤治療を始めた。この辺りのことを考えると気が滅入るので省くが、とにかく辛く過酷な日々であっただろう。

担当医に「今夜が山でしょう」と言われた日から二日ほど過ぎた。付き添い人である母と兄はゲッソリとしていた。父は夜中の決まった時間にパッと目を覚まし、叫び暴れるのだと言う。「痛い」「苦しい」「殺してくれ」と。

モルヒネの量を増やしたため、父は最早会話ができなかった。たまに独り言を呟いたり、かと思えば急に会話に入ってきたりしていた。

私が最後に父を見たのは亡くなる三日前だ。まるで死を待つように、ただベッドに座ってぼうっとした目で息をしている父の姿に、私は何故か涙が込み上げて部屋から逃げ出した。それ以上見ていることができなかった。

寝れなくて辛いから付き添いを代わってくれと兄に頼まれたが、今の姿ですら見ていられないのに暴れ出す姿を見たら更に正気でいられるはずもなく、断るしかなかった。兄はこのことを恐らく恨んでいるだろう。

父はその後、壮絶な苦しみからようやく解放された。

から電話を受けて夜中に病院へ向かった。道中、ずっと涙が止まらなかった。

父のことが大嫌いだった。父そっくりなせいで私は不細工だし、すぐ怒鳴りつけるし、母や私を扱き使うし、我儘で自分勝手で金遣いも荒く、不貞を働いたこともある最低な人だ。何度となく「死ねばいいのに」と思った。

それなのに何故、涙が出るのだろう。何故、苦しんで死んだのだと思うと辛いのだろう。何故、遺品である携帯タブレットから父の痕跡を辿っては苦しくなるのだろう。

今もまだ、父を思い出すと胸が詰まったような気持ちに苛まれる。

葬式が済めばすっかり日常に戻れるぐらい父に対して思い入れがないというのに、ふとした時に見てもいない死に際を思って胸が詰まるのだ。

きっと父は長生きしても人に迷惑をかける老人になったであろうから、早くに亡くなって良かったのだと思っている。

生きていたら、やはり何度となく「死んでくれないかな」と思っただろう。

今日、もう稼働しなくなった家族全員のグループLINEがふと目に入った。入院中の父が母へ毎日のように「あれ買ってこい」「早く来い」とそこに送っていた。そのやり取りを見て、どうしようもなく誰かに吐き出したくなった。

この複雑で纏まらない気持ちを、ここに書き捨てていく。

2019-05-02

anond:20190502154632

ありがとうございます

思えばいままでの環境、どこへ行っても周りが優秀・勤勉でした。

足を引っ張っている、場不相応だという自覚もあります

ただ、私にとって相応な所とはどこでしょうか?


ライン工バイトしたことがあります

そこの人たちは皆正確で迅速な仕事をやっていました。みんな人間的にも良い人で私を気遣ってくれました。

それがお世辞だとか建前としても、それはそれめ私より人間ができている人でした。


橋の下で、ホームレスの人と桜を見ながら語らったこともあります

彼らの人生を聞いていると、落後者とは思えない、到底橋の下にいるべきでない人の良さが見えてきました。

その深い目には、一種悟りのような境地が見えていました。

私なんかにも優しくしてくれましたし、励ましてくれたりして。

自分バカらしく、そしてクズさが如実に実感できて恥ずかしくて泣きました。


上の二つは例えですが、そういった人々と比べても私は、自分クズで不相応だと思うのです。

そして彼らにも迷惑をかけてしまう、クズ中のクズだと思っているのです。


なので、環境を変えても無駄だと思う以上、私がなんとかして変わるしかないのかなと。

諦観半分でそう思っています

2019-04-08

いやしくも藝大院生程の人間銭湯絵師なんかになるかと

銭湯絵師とか看板絵師というのは絵の仕事では底辺です。

職業差別ですって?

職業に貴賎はないけどアートには上下があるし芸術とは差別を前提にするものなんです。

あのへんの仕事絵描きとしては底辺中の底辺です。技能的にね。


まず看板絵師という仕事が昔はあって

映画なんかの看板を描いてたんですよね。

スチール写真からリアル風に模写する力があればやれました。

アカデミック教育を受けてない人がやる仕事です。

はっきり言いますが藝大出た人がやるような仕事ではないです。

花魁橋の下の夜鷹ぐらいの差があります


銭湯絵師というのは更に下等で、

看板絵師のような描写力すら必要が無い、

銭湯タイルに絵の具を定着させる為の独自ノウハウぐらいはあったでしょうが

絵としては下の下の下、イラストレーターですらやりません。

左官のおじさんがなんとなく仕上げにあそびで描いてたとかじゃないんですか?


そして技能ノウハウも大して積み上げられないまま銭湯というもののほうが消えようとしてるので

銭湯絵師というジャンル職人としての技能や道を獲得するということはありませんでした。

今居る「最後銭湯絵師」とかいう人もたまたま最後に残っちゃって持ち上げられて有頂天なだけで

職人としての矜持や使命感なんかありませんから、先にいた熱心な志願者より後から来た売名目的のコネ女を受け入れて先にいたのを追い出しちゃう

それぐらいにはぐにゃぐにゃしたただの爺さんなんです。


から

容姿だけで勝負出来ない素材のアイドル志望者が温泉巡りというキャラ立てをして銭湯絵師弟子入りする」

というは見事な自己プロデュースでありナイスニッチ堀りなんですが、

「藝大院生なのに銭湯絵師弟子入りする」

というのは聞いた瞬間変だなと思うんですよ。分かる人なら。

ありえない。

私は藝大卒どころか藝大に入れた人というだけで尊敬します。

藝大というのはそういう所なんです。

大変な努力と才能とそれに見合うだけの自負や矜持を持った人たちなんです。

5浪6浪も当たり前な恐ろしい世界が藝大受験なんです。

タマビになら悠々と受かる小才を持った若き日の私も「恐ろしいからここまで行かなくていい」と引き返したんです。


そんな藝大生という人達が、銭湯絵師になんかに弟子入りするかっ!

あの話は最初から違和感で一杯でした。

ただ極度に目立ちたがりのメンヘラ女で売名の為に何でもやるっていうことでならあるいは?と。

でもそうじゃなかったですね。

パクリ騒動からこっちのあの作品群、あれは単純に下手です。藝大に受かるレベルじゃない。

ムサタマですら怪しい(最近は志願者へってレベル下がってるとは聞くけど…)。



まり何が言いたいかというと

あの人の藝大院生って別の大学からロンダリングとかでしょ。

藝大院にそういうシステムがあるかしらないですが、あの下手さは藝大生の水準に達してないのは断言できる。

道理銭湯絵師なんかに弟子入りするわけだ。

その程度の実力しかなかったんだあの人。


わかりますか?

大野左紀子先生とかをもっと尊敬しろってこった。

(ただ不遜ながら、近年映画コラムとかで描いてる生首はイラストとして微妙だとは思います…)

2019-03-08

anond:20190308212150

一応生活保護施設の金は払ってる。

から私たち兄弟はもうお金心配はしなくていいんだ。

> さっきもいったけど橋の下ダンボールくるまって寝る浮浪者になりたいんかって叱れ

れいうと「おれは仏教徒から最終的には浮浪者になってもいいんだ」とかいうの。

病院で倒れた時には助けてくれって泣いたくせに。

本当に先のことがわからないんバカなんだと思う

2019-01-20

将来橋の下に行くことになっても友達でいような

幾年か前に、昔馴染みの親友とそんな話をした。

きっかけは景気の冷え込みだとか、新しいプロジェクトをやってるとかだったか

とにかく、酒の席での馬鹿話の一部だったと思う。

まあ一瞬「何言ってんだ、縁起でもねぇ」と思ったけど二つ返事で応と返したよ。

最高の親友だったからな。


なんでこんな話を思い出したかっていうと、今日そいつが夢に出てきたからだ。

あいつが、あの頃の姿で出てきて「俺たち、友達からな」と言うがはやいか崩れてく夢。

驚いて飛び起きたけど、そんなことも話したっけなくらいの印象だった。


そこから少しして連絡が来た。

飛び降りだってよ。自殺の名所高架橋から

あいつのことだから心配かけたくない想いか相談にも来なかったんだろうが。

ただただ茫然として、だけれど妙にあいつの言葉が頭の中にこべりついてぐるぐる回り続けている。

2019-01-16

anond:20190116213713

橋の下で寝ないで済むようシェルターを整備する

そもそもホームレスになる前に家を失わないで済むよう支援する

煽りでなく良くしようという気持ちがあるならば「生活困窮者自立支援制度」を広める

はい論破

離職中で、住まいがない、又は住まいを失うおそれがある。

 離職後2年以内で65歳未満の住居を失うおそれのある方などに、就職に向けた活動をすることなどを条件に、一定期間家賃相当額を支給する住居確保給付金制度を利用することができます

入居費用やその後の生活費も借りたい

離職中であり、住まいの確保をしたい。入居費用つなぎ資金、その後の生活費も借りたい。

臨時特例つなぎ資金

住居のない離職者への給付金、貸付金までの当面の生活費10万円以内の必要額を貸し付けます

総合支援資金住宅入居費)

住居を失った離職者が住宅支援給付を利用する場合の、住居の入居にかかる初期費用(40万円以内の必要額)を貸し付けます

※住居確保給付金申請者のみ対象

総合支援資金生活支援費)

失業や減収で生計の維持が困難となった世帯に対し、再就職までの間の生活資金を貸し付けます

1か月当たり、単身15万円、複数20万円以内の必要額(原則3か月)。

総合支援資金(一時生活再建費)

生活を再建するために一時的必要かつ日常生活費で賄うことが困難である費用を貸し付けます

限度額:60万円

生活支援費又は住居確保給付金申請者のみ対象

債務の借り換えは対象外。

仕事はあるけど家がない

外部サイトリンク 新規ウィンドウで開きます。TOKYチャレンジネット

住まいを失い、インターネットカフェ漫画喫茶などで寝泊りしながら不安定就労従事している方や離職者の方をサポートする相談窓口です。住居がないことによる生活不安相談から住宅確保に向けてのサポートさらあなたに適した仕事についての就労相談まで総合的な相談を行っております東京都内に直近6ヶ月以上生活している方が対象となります

http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/smph/seikatsu/seikatsu_kyoju_shuro/sumai.html

2019-01-12

anond:20190112015215

そんな悪いことする子はうちの子じゃありませんのバリエーションだろ

お前も子育てするようになったら言うよ

まあ、お前にはまずパートナー橋の下で拾ってこなきゃいけなそうだがな

2019-01-09

anond:20190109143702

昔は色んな所にネタとして書いてたから、多分デジャヴじゃないと思いますよ。

まぁパクられてるのかもしれないし。俺がオリジナルだと言ってもこんなところなので意味はないですけど。

余談ですが、今をときめくNGTがある新潟信濃川河川敷やすらぎ堤)の橋の下です。笑

2018-12-30

anond:20181230184218

見た目だけで金のあるなしって分からないような。明らかに持っていない人は、世間から相手にされてない感じだよね。ダンボールの上で生活している人。橋の下ブルーシートで雨風を防ぐ人。

2018-09-22

今日多々良川(朝)

雨上がりの晴れ

水位中くらい

焦げ茶のカモ1

多分メス

メスのカモの種類を見分けるスキルがほしい

遠くに目をやった後、何もいないなと思って橋の下の方を見ると泳いでた

2018-08-29

今日多々良川(夜)

水位低い

アオサギ1~2

ギャーだかア゛ーだか言いながら皮の真ん中、橋の下近くにちょうど降りてきた

なんか夜のほうが活発ね

2018-08-12

幼子と夏

道の真ん中でこちらを睨む巨大バッタ

轢かれて押花みたいになった巨大蛾

蜘蛛の巣でブブブと羽音を立てるセミ

橋の下を悠然と泳ぐ魚影

三歩歩いては歩がとまる

お前は生き物全部興味持つマンかよ

2018-07-29

anond:20180726114740

こんばんは、ゴイサギです。淋しいとき、私は少しないています

それはいつ現れますか。私のそれは自分と向き合うことでやってきます。月夜、水面にはこちらを覗き込むもう一人の私が現れ、すると魚を追うのも忘れて、魔法にかけられたごとく見つめ合ってしまます。もうひとりの自分が、私の様子を確かめに来てくれたようで安堵します。水が少し温んだ気がします。

水面の自分が小首を傾げ、順調?と問いかます。順調です。魚は美味しく、コロニー安全で、ホシゴイと呼ばれる子供も2羽育てていますマズロー的にはやがて自己実現の段階です。そうですが、このまま自己を実現して良いのでしょうか?幼い頃、将来は月まで飛んでいき、星粒を集めて暮らすと信じていました。けれど今、こうして小さな橋の下にじっとしています。ねぐらと餌場を行き来するだけで、この翼で月まで行けるか試してもいません。私は、私でいられていますか?濡れた瞳の自分が、向こうの世界から見つめています

風が吹き、水面はモザイクタイルのようにバラバラに散ります。胸元がはたはたと波打ち、嘴がゆるみます自分がいなくなり、私はまたひとりになってしまいました。かわりに強烈な淋しさがやってきて、しばらく動くことができません。こんな話は誰にも言えません。そもそも誰にもわからないことです。

しかし、もはや、帰るべき場所があります。冷えた泥を蹴って飛び立つ瞬間、大きな声でないてみました。それはうめき声に聞こえたか、掛け声として響いたか。暗い夜を突き抜けてむこうの自分に届くように願いました。順調、すべて順調です。

「鳴く」と「泣く」は同じでしょうか?ふとした事で胸がつまり、その気持ちが体を膨らませ、えも知れない音が自分から溢れ出る。大人になっても律せないこの衝動を、私は「なく」とよんでいます。なき声が、やがて明るい朝を連れ、漂う淋しさも、ここにいない自分も、ここにいる私も、全てを慈しむ力を与えてくれますように。

2018-06-20

秘伝、ブリッジオナニーの全て

俺が小学生ときだった

よく遊びに行っていた橋の下に、白髪混じりのヒゲをはやしたおじさんがよく釣りをしていた

服装釣り人がよく着てるような海に突き落としたらよく浮かびそうなボロボロライフジャケットに、ジーパンだった

いつ見てもその格好だった

俺たち悪ガキ達は、最初はそのおっさんがいることで橋の下で遊ぶことが何故か悪いような気になっていたが

数回遊んでおっさんがなんの害もないことがわかるといないものかのように扱った

その日

┌(_Д_┌ )┐

2018-05-22

今日多々良川

晴れ

水位低い

暑い

アオサギ

橋の下近くにいた

足立ちで立ち止まって、もう片方の足でアゴの下をかいていた

足立ちといえばフラミンゴイメージあるけどそりゃ他の鳥もやるよな

なんとなく目からウロコだった

甲羅干しの亀9

人気ブロックの上、∴の形で2匹の上に1匹がのっかってた

先にいる亀の上にのっかってる亀をよく見かけるけど、

下の亀は亀ができてるなあと思う

振り落とすくらいしてもよさそうなのに

2018-04-10

今日多々良川

晴れ

水位低い

寒いけど日のある部分はあったか

移動中はできるだけ日陰にいたくなってきた

カモなし

コサギ

橋の下で首伸ばしてじっと立ってた

よくみたら冠毛があった

調べたら夏羽になると冠毛が生えるらしい

一足早く夏を感じて衣替えしたコサギだった

でも夏になるとイケメンになるってよくわかんないな

夏が繁殖期だからメスにアピールするときに使うとか?

甲羅干しの亀8

少ない(5,6くらいか)と思ったけど数えたら8いた

亀はぱっと見て思ったよりいる

最近家のまわりでクマバチがホバリングしててこわい

何か見定めてるみたいな感じだけど何を探してるんだろう・・・

2018-02-20

久し振りに山谷に行った。

銀座線浅草駅でおりて浅草演芸場ひとつ小話を聞いてからのんびり北へ向かうとちょうどよい時間帯になっていた。

ボランティアに行っていた頃から数えれば、もう二十年程になっている。風景は変わっていない様でいて、やっぱり変わっていると感じた。

山谷に行く事になったのは連絡を受けたからだった。

ボランティアでお世話になったおっちゃんが半年程前に亡くなっていた、と伝え聞いたからだ。

あの頃にお世話になっていたメンバーにその話をしたところ、線香のひとつでもあげようとなったのだ。

集合場所に行くと、先に何人かが線香を上げていた。

おっちゃんはホームレスだった。

時折移動はしていたが、大体の場所はこの橋の下と決まっていた。

ちょうど寒気がきつい時だったので、驚く程寒かったが、ちょうどよく風が通らないようになっていて、なるほど橋の上よりはマシだった。

何度か缶ビールを持ってみんなでここで飲んだ話をしていると、誰かが「じゃあ、今日ひとつ飲むか」と言い出した。

だが、流石に寒かったし、新しくできた保育園マンションが近くにあったので、迷惑かもしれないと思い、浅草飲み屋へと移動した。

色々な話をした。

おっちゃん、今だったら事案だったよな」と誰かが言った。

かに公園で水行を行っていたりしたから、まぁ、ダメだったろう。

全裸日光浴をしていたこと持った。まあ、まずいだろう。

一人で歩いている子どもに、「迷子か?」と声を掛けていたが、まぁ、警察案件だったろう。

実際、当時でも何度か警察に注意されていた。

炊き出し責任者の人も、やんわりと止めていたが、そういった行為のいくつかは結局やめることはなかった。

面白いおっちゃんだったよなぁ」と誰かが言って、みんなが頷いたけれども。

今の、みんなの、本当のところはどうだったのだろう。

「そろそろお開きにするか」と誰かが言って、机を片付け始めると、初老メンバーが「ちょっと待ってな」といってポケットからスマホを取り出した。

電源を入れて、起動画面にする。Xiというロゴが光った。

「何、毎回電源落としてるの?」「電池がもったいなかろうが」などと笑いながら言い合った。

立ち上がった後、スマホに向かって「もう帰ります」と言って、また電源を落とした。

「こうしておくと、俺がどうしたか音声が届くんだと。息子が設定してくれた」と笑った。

「いい世の中になったよナァ。これなら息子の嫁に世話かけずに別居できるんだから、マッタクありがたいよ」と笑った。

店の前で一本締めをして、手を挙げてみんな帰って行った。

スマホおっちゃんは、北へと帰って行った。

2018-02-19

今日多々良川

くもり

から雨らしい

涼しい

久しぶりにマスク軍手なしにしたくらい(でも指先はちょっと冷えた

水位低い(カモが歩けるくらい

サギカメなし

カモ9羽

橋の下に3、橋の下から少し離れたところに4

歩きながら下つついてエサ探してた

亀池に2

もぐりながらブロック根本をエサさがしてた

亀がいないのが気になる

金曜もいなかったし

今日いない理由は昨日の夜雨がふったから?

2018-01-06

成人式明日に控えて

成人式明日に控えて、この20年を軽く振り返ろうと思う。

特定が怖いので所々フェイクとかを交えるのでたまに嘘が入ったりするけど、ある程度はきちんとしたことを書こうとは思う。

僕は田舎町で育った。ド田舎ではないがそこそこの田舎、町にコンビニが一件しか無かったり、8時には終電が出ていったりしてしまうくらいの田舎

同級生100人くらいいるけど、明日成人式で会うと言われても「クソほどどうでもいい」って感じしかしない。

大学に入ってわかったことの一つとして「田舎では勉強する環境を選べず、周りとの競争を全く感じず生きている」というのがある。

小中と勉強はできた。しか生粋変人田舎特有の異質は排除されるというバイアスによってのけ者にされてた。

近所に住んでいて、幼稚園の頃に仲良く話していた女の子とは小学一年の時にからかわれたのが原因で、その子が話しかけてくることがなくなった。

新任の教師が3日で辞めるような中学しか町になく、それしか選択がなかったのでそこに通った。

こんなクソみてぇな地元を出たいと思って進学校を目指して勉強をしていたが、DQN教科書を破かれたり、前日に受験票を燃やされたりして精神はズタボロ、高校受験は見事に失敗。結局地元バカ高校入学した。偏差値は40もない。

高校になって他の地区人間が出てきたり、適当に話を会わせて一人で勉強してたので、とくに苦労もなくその道だと名の知れた国立大入学できた。

大学に入って分かったことが、やはり都会は何もかも田舎とは違った。

学校を選ぶことができる、友人を選ぶことができる。他人干渉されることが少ない。

当たり前かどうか分からないけど、これが都会ではごくごく普通のことだということをうらやましかった。

学校では休み時間勉強したり読書したりすると叩かれたり、物を隠されたりした。授業はDQNたちが妨害するせいできちんと授業が執り行われたことの方が珍しい。このような雰囲気ではまともに勉強する人も無くなってくる。

家は家で、田舎特有高校至上主義地元名門の高校以外は頭の固いジジイババアがこれでもかというほどこき下ろす田舎はどこの大学よりも、どこの高校かというのですべてが決まる、悪習しか残っていない土地だった。

父親母親もそこの出身だった。

高校受験はそこしか許されず。勉強をされられた。

勉強のために職員室に通ったり、図書館に行ったりもした。けれどもやはりいじめられたストレスに負けた。学年一桁には入っていたけど、世間的に見たらただのバカだった。親に受けさせられた統一テストも全国では真ん中より上くらい。これで学年一桁を取れるような地元に嫌気が差した。

結局受験前日の受験票を燃やされたので全てが終わった。(当日再交付はされたけどメンタルはズタボロ。ほぼ白紙)

なんとか入れた高校で、今までいじめて来たヤツらを見返すために必死になって勉強して、胸を張るとは言えないが一般では普通大学には入れた。

大学に入って2年だが、刺激的な生活連続だった。地元にはないような店がいっぱいあったし、何よりも友人と話が通じた。ろくに友人もいないような人間で、話が通じるような友人に出会たことに感謝の念しかない。学力人間を作るというのも間違いではないと思った。

間違っても型落ちのクラウンマークII下品にシャコタンにして、バカみたいに低音を効かせたサウンドで夜中に走り回っては橋の下タバコを吸ったり、たかだか数人が集まった写真ゴリゴリに盛って「地元最強卍」とかバカやってるやつらはいない。

そんなやつらをSNSで見てると反吐が出る。地元に残ってなにが最強だ。ロクに勉強もせず、ただ昔はヤンチャだったアピールをしてイキがっているだけなのに。

なぜそのような人たちの方が人生謳歌しているのかが分からない。そういう人間に蔑まれ。いつか勝ってやると思ってた人間地元には居場所がない。

全てが狂ってるんじゃないだろうか。地元も、世間も、あいつらも。

ただムカムカするだけ、成人式は出るだけ出て。家に帰ってすぐ大学に帰ろうと思っている。

[]2018/01/06

昼寝中に見た夢

なんかすごくきつい強制労働みたいなところに行っている

場所南浦和

ちょっと広めの自動車修理工場みたいなところ

そこで働かないといけない

やることは、からっぽの炊飯器のフタをあけて釜の中にシャベルを突き刺すこと

それなりに力がいる

逃げることにした

逃げるときに捕まって服がびりびりにやぶれる

捕まえた人は、逃げる人間シャツの一部さえあればいいらしく、やぶれたシャツの破片を持って橋の下の川に落ちていった

逃げながら後ろ振り返ったけど、追いかけてくる人は確かにいなかった

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