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はてなキーワード: 芥川龍之介とは

2018-06-27

anond:20180627235246

屠殺される牛だって悲惨ものさ。


でも、そんなことばっかり考えていたら

芥川龍之介みたいに自殺ちゃうぜ。

2018-06-21

二次創作が悪いというけど

中島敦とか芥川龍之介二次創作作家とか非難されない

なぜなのか

他に権利者がいないように見える、当時はファンが多かったので許容、批判する原作ファンが少数派

なんかオープンアクセス財の悲劇と絡めて色々書けそう

から……情報は独占することが難しいから容易にオープンアクセス財になってしま

すると法律によって権利規定してやらなければならない

みたいな?

2018-06-04

anond:20180604223609

まあ、ぶっちゃけ古典よりも、いまのラノベの方が一億倍面白やろ..

芥川龍之介にしても、シェークスピアにしても...


それでも古典かにブランドがある。

ワイらは本当の価値を見抜くことができないんや。


理解されないのは、しんどいと思うんごね..

2018-02-14

性欲はあるけど恋愛感情が分からない

昨日から急にどこかにカテゴライズされないと!という不安に襲われているのでだらだらと調べているんだけど、

性欲はあるけど恋愛感情が(分から)ない人のことは何て言うんだろう?

わたしは人が好きで、

この好きってのはなんていうかな……うまく言えないけど、人のかわいそうなところとか人間臭いところとかを見ると同情したり胸がぎゅっとなって

あ~好き!!!!!!!!!ってなる

と、同時に人にひどいことをしたい衝動がずっとだらだらと渦巻いていて、

このひどいことっていうのは自分じゃうまく言えないんだけど

例えば暴力だったり、言葉で傷つけたり、性的なことを一方的にしたり

そのあとに抱きしめてごめんねごめんねって言いながら甘やかしてあげて

それからまたひどいことをしたい

こういう支配欲とか加虐欲、暴力衝動が性欲に絡まって複雑に肥大した感情性別年齢問わず、もう言ってしまえば「人」というジャンル(人以外も対象ではあるけどややこしくなるから今回はナシで)に抱いている

多分、幼い頃から

わたしはずっとこの性欲のようなもの恋愛感情だと思い込んでいて、

だって芥川龍之介も「恋愛はただ性欲の詩的表現をうけたものである」って書いてるらしいし(前後の分脈を知らずにこの言葉だけを受け取るのはダメかもしれないけど)

でもこれってもしかして恋じゃないな……って少し前に気付いた

気付いたというか、そういう話を唯一するクラスメイト男子にそう言われて、あっそうかも……と納得した

性欲と性交欲を分けなきゃダメってよく聞くし、

わたしは性欲はあるけど性交欲は全くない

わたしの性欲は一方的で、必ずしも直接的な性が絡んでるわけでもなくて、なんというか……子どもの癇癪がそのまま大人になってちょっとめんどくさいオプションが付いて残りました、みたいな?

まとめるのが下手過ぎて自分が嫌になってきた……

恋愛はしてみたい……でもセックスしたくないし人前で何かを曝したくない

それに恋愛感情がほんとによくわかんない

人を支配したいって恋愛感情なの?

仮に恋愛感情だとしてもそれを不特定多数に持ってる時点で何もできなくない?

アセクじゃないんだよね……アセクって性欲ないんだよね……?

恋愛感情がないのがアロマンティックらしいけど

性欲ある人間がアロマンティックって言っていいのかな?ていうかアロマンティックって性的指向じゃないもんな

う~~~んダメ!!!!!!!!!

馬鹿なこと考えてないで勉強してくれ受験生

2018-02-06

小説一部の人しか書けないか否か

初めてはてな匿名ダイアリーを書くので読みにくいかもしれませんが、ご容赦を。

最近よく見聞きする言説の一つが「小説は誰にでも書けるわけじゃない」という物です。私自身の感覚としてそれって本当かな、というものがありこんな文章を書きます

私は小説を書きます

上手くはないですし、評価をされていると言うこともありません。

感想もあまりほとんどもらいませんし、もらっても批評未満の意見が多いです。

たまにもらう感想で心がほっこりし、自分欲求を満たすために小説を書いています

そんな人が思うのは「小説ってやっぱり誰にでも書けるよね」です。

卑下しているわけではありませんし、貶め炎上することが目的でもありません。

ですがどうしても「誰にでも書けるよ」と思ってしまうのです。

ある人は毎日空想します。そして「あ、これは面白いな」と思えば140文字でも500文字でも1000文字でも書きます

もっと言うなら、ノートの端に「○○が●●と△△する。きっとかわいい」などと書きます

ここまでで察しのいい人は「そういうことか」と解ってもらえるかもしれません。そうでない方にも、解ってもらいたいので私は続きを書きます

私が言いたいのは「どんなに短文でも、どんなに体裁が整っていなくても、一文、単語の羅列であってもそれは小説だよ」ということです。

空想をして、ひいては感じたことを何かに書き付けたその時、人は小説家になるのです。

多くの人は「小説って書けないよ」と言います。でもその「小説」は川端康成だったり芥川龍之介だったり清少納言だったりする、後の世であろうと通用する作品を指して言っているのだと思います

もしくは、自分の心に残っている作品を指しているのだと思います

素晴らしいことです。

でも、それだけが小説でしょうか?

他人の心には残らないかもしれないけど、自分の心には色濃く残る文章って誰しも持っているのだと思います

それは単純に「夕日がきれいだった」「おいしかった」でいいのです。

その裏にある、自分がその時感じた心の動きを思い出せるなら、小説なんて「○○が●●と△△する。きっとかわいい」でいいのだと思います

人は「それは小説じゃない、ただの感想」と言うかもしれません。

ですが私は、ただ自然と「おいしかった」と書くことは、心のままに「かわいい」「格好いい」と書くことは、それだけで小説家になる行為のものなのだと思います

絵に関しても詳しくはありませんが、同じなのかもしれないな、とも思います

ここからはすこしだけ踏み込みます

誰かが何かを書いた時、絶対馬鹿にしてはいけないと思います

それは委縮してしまうからです。

委縮してしまうと色々なことを考えても、表現することが出来なくなってしまうからです。

ですが、明らかに間違っているのだとしたら「間違っているよ」と言うことはあるかもしれません。

ここでも、やっぱり馬鹿にすることは駄目だと思います

間違いは正すべきものです。そして、馬鹿にしてはいけないものでもあるのです。


よくわからない人向け、もしくは私の文章が下手だった場合の、要点を書いておきます

ジャンル場所わず世に小説はいっぱいあるよ、それを指して「小説が書けない」は違うと思うよ。

他人の心を動かすだけが小説じゃないと思うよ。

自分の心を動かしたものを残すのも小説だよ。

その時の文章はどんなに稚拙でも構わないよ。

どんな者でも馬鹿にだけはしちゃだめだよ。

小説一部の人しか書けないか否か

初めてはてな匿名ダイアリーを書くので読みにくいかもしれませんが、ご容赦を。

最近よく見聞きする言説の一つが「小説は誰にでも書けるわけじゃない」という物です。私自身の感覚としてそれって本当かな、というものがありこんな文章を書きます

私は小説を書きます

上手くはないですし、評価をされていると言うこともありません。

感想もあまりほとんどもらいませんし、もらっても批評未満の意見が多いです。

たまにもらう感想で心がほっこりし、自分欲求を満たすために小説を書いています

そんな人が思うのは「小説ってやっぱり誰にでも書けるよね」です。

卑下しているわけではありませんし、貶め炎上することが目的でもありません。

ですがどうしても「誰にでも書けるよ」と思ってしまうのです。

ある人は毎日空想します。そして「あ、これは面白いな」と思えば140文字でも500文字でも1000文字でも書きます

もっと言うなら、ノートの端に「○○が●●と△△する。きっとかわいい」などと書きます

ここまでで察しのいい人は「そういうことか」と解ってもらえるかもしれません。そうでない方にも、解ってもらいたいので私は続きを書きます

私が言いたいのは「どんなに短文でも、どんなに体裁が整っていなくても、一文、単語の羅列であってもそれは小説だよ」ということです。

空想をして、ひいては感じたことを何かに書き付けたその時、人は小説家になるのです。

多くの人は「小説って書けないよ」と言います。でもその「小説」は川端康成だったり芥川龍之介だったり清少納言だったりする、後の世であろうと通用する作品を指して言っているのだと思います

もしくは、自分の心に残っている作品を指しているのだと思います

素晴らしいことです。

でも、それだけが小説でしょうか?

他人の心には残らないかもしれないけど、自分の心には色濃く残る文章って誰しも持っているのだと思います

それは単純に「夕日がきれいだった」「おいしかった」でいいのです。

その裏にある、自分がその時感じた心の動きを思い出せるなら、小説なんて「○○が●●と△△する。きっとかわいい」でいいのだと思います

人は「それは小説じゃない、ただの感想」と言うかもしれません。

ですが私は、ただ自然と「おいしかった」と書くことは、心のままに「かわいい」「格好いい」と書くことは、それだけで小説家になる行為のものなのだと思います

絵に関しても詳しくはありませんが、同じなのかもしれないな、とも思います

ここからはすこしだけ踏み込みます

誰かが何かを書いた時、絶対馬鹿にしてはいけないと思います

それは委縮してしまうからです。

委縮してしまうと色々なことを考えても、表現することが出来なくなってしまうからです。

ですが、明らかに間違っているのだとしたら「間違っているよ」と言うことはあるかもしれません。

ここでも、やっぱり馬鹿にすることは駄目だと思います

間違いは正すべきものです。そして、馬鹿にしてはいけないものでもあるのです。


よくわからない人向け、もしくは私の文章が下手だった場合の、要点を書いておきます

ジャンル場所わず世に小説はいっぱいあるよ、それを指して「小説が書けない」は違うと思うよ。

他人の心を動かすだけが小説じゃないと思うよ。

自分の心を動かしたものを残すのも小説だよ。

その時の文章はどんなに稚拙でも構わないよ。

どんな者でも馬鹿にだけはしちゃだめだよ。

2018-01-06

anond:20180106010422

読み取りだけじゃなく筆者の主張方法の特徴は?とかこの展開の仕方でどんな効果が生まれている?起承転結で分けるとしたらどう分ける?そもそもこれは起承転結なのか?みたいなのも出てまっせ

なるほど。

論理の展開させ方は見るんだ。

でも、今は皆、結論から話せって言うんだ。

世知辛いね。はっ、なぜか芥川龍之介の『トロッコ』が脳内を横切ってい……

2017-12-21

金さん銀さんって

芥川龍之介と同い年なのか……

[]羅生門効果

ひとつ事件についての関係者たちの証言がそれぞれ異なる心理効果のこと。黒澤明監督映画羅生門』に由来する。

その映画羅生門』は、芥川龍之介の同名小説羅生門』よりは、同じく芥川の『藪の中』を原作としており、同じ意味で「(真実は)藪の中」などとも言う。

2017-12-01

小説を読まずに文章力アップさせたい

文章能力をアップしたい。

ここやネット投稿したとき文章自体についてのコメントではなくて本文内容そのものコメントがもらいたい。

とりあえず本を読もうと思った。そしてそれは20年くらい続けている。

私は年間100冊~300冊は本を読んでいるが内訳はだいたいアイドル写真集だ。

本を読めば文章がうまくなったり、頭良くなったりするんじゃなかったのか?

100冊の内訳は

70~90冊が写真集

残りの30~10冊が「入門○○」的なもの

小説は5年に1冊くらい

文章が下手な人は小説を高確率で読んでいないのか?

ちなみに上手に文章を書く方法的な本は過去に20冊くらいは読んでいるつもり。(年1冊程度)

小説を読みたくない理由は、話自体に全く興味が持てないから。

ここ最近で読む気になった小説は以下で団地妻メイドの話くらいしか全部読めていない

宗教経典ストーリー仕立てになってたか小説にしておく)

団地妻の話

メイドの出てくる話

IQ86(とても読みやすくて三分の一くらいは読んだが全く続きが気にならずに読む気になれない)

ノルウェーの森(上に同じ)

サルトルの本(哲学書らしいが小説仕立てになっていて全く面白く感じなかった)

私はどうして小説を読み進められないのだろう

他の本(写真集折り紙の本)は難なく読破してきた。

面白い小説を知らないからというアドバイスが欲しい気もするが、これだけは読んでおけという小説ドラマアニメ・・・

なぜか全く見続けられない。

我慢してみることはできるがアイドル折り紙の本を読んでいるようなわくわく楽しいなという新鮮な感覚には至れずその結果二度と見るかというループにはまってしま現在に至る。

小説好きな人芥川龍之介が好きで興味があってマニアなのか?だから読み終わるのか?

それとも文章を読むのが好きすぎて文章だったら誰の書いた文章でもいいのか?

全く知らない言語で書かれた同じ量の一冊を一字一句眺めている方が楽かもしれない。

2017-10-10

映画アウトレイジ 最終章』が公開されたので映画羅生門』の豆知識を書く。

なんでアウトレイジ羅生門かっていうと、羅生門アメリカリメイクタイトルアウトレイジからだ。これ豆な。

羅生門原作って、芥川龍之介の『羅生門』じゃなくて同じく芥川の『藪の中』、これも豆。

2017-09-11

anond:20170911181638

あれのコッテリは山口貴由作家性だし、コンセプト的にも「古典の小話から話を膨らませる」というものなんだから、それを指して「漫画が」という主語を使うのはなあ。やってることは芥川龍之介中島敦に近いでしょ。

2017-09-02

https://anond.hatelabo.jp/20170901232952

芥川龍之介文章青空文庫で読める

芥川龍之介 大正十二年九月一日の大震に際して

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3762_27361.html

 

 

朝鮮人虐殺否定派は、芥川龍之介文章から皮肉を読み取れず、「芥川菊池寛に嘘つきと言われたか自殺した」という説を立てている。

それについて関東大震災朝鮮人虐殺研究本「9月東京路上で」を出した著者が批判している。先行して書かれたブログ記事で読める。

 

9月東京路上で: 【いわんや殺戮を喜ぶなどは  文学者の見た朝鮮人虐殺芥川龍之介

http://tokyo1923-2013.blogspot.jp/2013/09/blog-post_29.html

 

関東大震災時の朝鮮人虐殺 -- 芥川龍之介には執着するが志賀直哉無視する朝鮮人虐殺否定本 - 読む・考える・書く

http://vergil.hateblo.jp/entry/2015/03/29/204525

2017-09-01

芥川龍之介文豪たちが記録した関東大震災朝鮮人虐殺

[PDF]関東大震災文豪 - 成蹊大学図書館の展示から -

http://repository.seikei.ac.jp/dspace/bitstream/10928/526/1/kokubun-47_56-86.pdf

 

ブコメ経由で知った論文だが、あまり目立ってなかったので引用しておく。「関東大震災朝鮮人虐殺」とは別に朝鮮人けが殺害されたわけではなくて、「朝鮮人と間違われる」などして多くの日本人中国人殺害されていることは覚えておきたい。

 

芥川龍之介

僕は善良なる市民であるしかし僕の所見によれば、菊池寛はこの資格に乏しい。…菊池雑談を交換してゐた。…その内に僕は大火の原因は○○○○○○○○さうだと云つた。すると菊池は眉を挙げながら、「嘘だよ、君」と一喝した。…しかし次手にもう一度、何でも○○○○はボルシェヴィツキの手先ださうだと云つた。菊池は今度も眉を挙げると、「嘘さ、君、そんなことは」と叱りつけた。…

 再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものボルシェヴィツキと○○○○との陰謀存在を信ずるものである。もし萬一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬものである。けれども野蛮なる菊池寛は信じもしなければ信じる真似もしない。これは完全に善良なる市民資格放棄したと見るべきである。善良なる市民たると同時に勇敢なる自警団の一員たる僕は菊池の為に惜まざるを得ない。

(〇〇は言論統制時代伏字にされた「不逞朝鮮人」などの言葉。これはデマに踊らされた「善良なる市民」への芥川龍之介ならではの皮肉文章

 

菊池寛

 ××を持つて、合言葉を使ふなどと云ふことは、大正の世にあるまじき事と思つてゐたが、震災後四五日の間は、私も××を手にして、合言葉を使つて、警戒に当つた。

 

広津和郎

 あの震災に関聯して、今思い出しても日本人として堪らない気持ちのするのは、各地に起った例の鮮人騒ぎである。…とにかく鮮人に対して、あの時日本人の行ったことは、これは何とも弁解のしようのない野蛮至極のものであった。ああ云う場合、この国の人間には、野蛮人の血が流れているのではないかという気がする。…

朝鮮人が来ますと言われて)私は、

「そんな莫迦な話があるものか。鮮人地震予知していたわけではあるまいし、何処で勢揃いし、何処からやって来るというのだ。…そんなことは絶対に考えられないよ。僕はこれから寝るから、ほんとうに鮮人が来たら起こしてくれ。」…と云って、人々を安心させるために、畳の上にひっくり返ったら、実際に眠ってしまった。

寺田寅彦

 井戸に毒を入れるとか、爆弾を投げるとかさまざまな浮説が聞こえてくる。こんな場末の町へまでも荒らして歩くためには一体何千キロ毒薬、何万キロ爆弾が入るであろうか、そういう目の子勘定だけからでもじぶんにはその話は信ぜられなかった。

 

佐多稲子

ラララ、と聞こえる高い叫び声は朝鮮語らしく聞こえる。竹刀でも激しく打ち合うような音も聞こえる。朝鮮人がこの大動乱に乗じて暴動を起こしたという筋書を疑う力もないから、空地の周囲の叫び声や、打ち合うもの音を、朝鮮人との戦いなのだ、と私は思っていた。…

 私はこのときのことをおもい出すたびに、同じ長屋で親しくしていたひとりのおかみさんの言った言葉を同時におもい出す。…長屋のものが半壊のわが家のまわりに寄り合ったとき、ひとりが自分のゆうべの恐ろしかった経験を話し出した。話し手彼女は、一晩中朝鮮人に追いかけられて逃げて歩いた、というのだ。それを聞いたとき興行師のおかみさんは、利口にその話を訂正した。彼女はこう言ったのである朝鮮人暴動を起こしたなんていったって、ここは日本土地なんだから朝鮮人よりも日本人の数の方が多いにきまっている。

朝鮮人に追いかけられたとおもっていたのは、追われる朝鮮人のその前方にあんたがいたのだ。逃げて走る朝鮮人の前を、あんたは自分が追われるとおもって走っていたにすぎない、と。

 私はこの訂正を聞いたとき、強いショックでうなずき、かねてのこの人への尊敬をいっそう強くした。…貧しい興行師のこの妻のような怜悧で正しい判断は、あの当時住民の多くは持ち得なかった。政府の流した蜚語は、大地震という自然の脅威におののいている住民の、異常な神経を煽った。

 

志賀直哉

 東京では朝鮮人が暴れ廻つてゐるといふやうな噂を聞く。が自分は信じなかつた。

 松井田で、警官二三人に弥次馬十人余りで一人の朝鮮人を追ひかけるのを見た。

 「殺した」直ぐ引返して来た一人が車窓の下でこんなにいつたが、余りに簡単すぎた。今もそれは半信半疑だ。…

丁度自分の前で、自転車で来た若者と刺子を着た若者とが落ち合ひ、二人は友達らしく立話を始めた。…

「―鮮人が裏へ廻つたてんで、直ぐ日本刀を持つて追ひかけると、それが鮮人でねえんだ」…「然しかう云ふ時でもなけりやあ、人間は殺せねえと思つたから、到頭やつちやつたよ」二人は笑つてゐる。

 

江口

汽車内で足を踏んだ踏まないの騒ぎが始まって)

 喧嘩はしばらく続いていた。すると在郷軍人らしい方が、…突然座席へ突っ立ち上がった。

諸君、こいつは鮮人だぞ。太い奴だ。こんな所へもぐり込んでやがって」…

「おら鮮人だねえ。鮮人だねえ」

 …時どき脅えきったその男の声が聞こえた。しか相手がおろおろすればするほど、みんなの疑いを増し興奮を烈しくするばかりだった。(その男は次の駅で引きずりおろされ)物凄いほど鉄拳の雨を浴びた。

「おい。そんな事よせ。よせ日本人だ。日本人だ。」

私は思わずから首を出してこう叫んだ。側にいた二三の人もやはり同じようなことを怒鳴った。…こうして人の雪崩にもまれながら改札口の彼方にきえて行ったその日本人の後姿をいまだに忘れる事はできない。私には、一箇月ほどたった後に埼玉県下に於ける虐殺事件公表された時、あの男も一緒に殺されたとしか思えなかった。そして無防御の少数者を多数の武器と力で得々として虐殺した勇敢にして忠実なる「大和魂」に対して、否、それまでにしなければ承知のできないほど無条件に興奮したがる「大和魂」に対して、心から侮蔑憎悪とを感じないわけにいかなかった。ことに、その蒙昧と卑劣と無節制とに対して。

 

山田耕作の話

 急いで東京へ帰らうとして、先ず護身用のピストルを買つた。それを何かに包んで、ルツクザツクの奥深く納めた。…

 甲府を出てからのことであつた。

 車中に興奮のあまり気の変になつた学生があつた。

 学生の目には、車中の誰も彼もが○○に見えた。学生は車中の総ての人に荷物検査を迫つた。

 耕作君の袋の中にはピストルがある。…若し、それを見られたら、自分は殺されると思つた。

 耕作君は終に立ち上がつて演説した。(荷物検査をするなら陸軍出張所に行くように説得し、みんなの賛成を得る。)

 耕作君はほつとした。

「実際、もうお終ひかと思つた」と、耕作君は幾度も言つた。

 

関東大震災下で起きた亀戸事件殺害された平沢計七の匿名追悼文

震災の2日後に平沢警察連行され、その翌日、著者が石油と薪を運ぶ巡査と会った時の回想)

石油と薪を積んで何処へ行くのです。」

「殺した人間を焼きに行くのだよ。」…

「昨夜は人殺し徹夜までさせられちゃった。三百二十人も殺した。外国人亀戸管内に視察に来るので、今日急いで焼いてしまうのだよ。」

「皆鮮人ですか。」

「いや、中には七八人社会主義者はいっているよ。」

(そこで、著者はその死体のある場所を教えてもらい、そこへ向かう。)

そこに二三百の鮮人支那人らしい死骸が投げ出されていた。

 自分は一眼見てその凄惨な有様に度肝をぬかれてしまった。自分の目はどす黒い血の色や、灰色の死人の顔を見て、一時にくらむような気がした。涙が出て仕方がなかった。…

 その時私はいつも平沢君のはいていた一足の靴が寂しそうに地上にころげているのを見た。

 

宮地嘉六(警察火事場泥棒容疑で連行された)

「全体どういふ理由自分はこんな目に…あんまり幸福ありすたからだらうか…然し自分生活はそれほど幸福ではなかつた筈である…」

(同房の男は好きなもの一つ食べずに貯めこんだお金火事場泥棒と間違えられて取り上げられてしまった。)

「あゝ口惜しい…。ほんとに好きなドラ焼き一つ喰はず辛抱したんだ。浅草から逃げて来る時も五銭の西瓜一切喰べるのをこらへて来たんだ。あゝ口惜しい…」彼はわんわん泣き叫んだ。

(そして、取り調べのないまま 4 日目を迎える。)

 四日目の昼めしには梅干の代りに蒟蒻一切を得た。その蒟蒻一切はまぐろ

刺身のやうだつた。噫天意 !!

2017-08-26

恋愛セックス

もうだいぶ前のことだが、18歳のときにはじめて彼氏ができた。

それなりに楽しいお付き合いが続き、一か月くらい経った頃セックスをした。

処女だったが傷みもあまり無く、血も出ないしあまりにアッサリしていたので、

処女喪失ってこんなもん?なんかもっと大変なんじゃないの?と拍子抜けした。

その後も週一くらいの頻度で会っていて、会えば大体セックスした。

 

一年くらい経った頃、私は勉強自分のやりたいことに夢中だった。

その頃相手も忙しくなりはじめており、どんどん会う機会は減っていった。

そして私は相手のことを全然考えなくなり、自分から連絡することは無くなり、

相手からくるメール電話もすこし面倒になっていった。

この状況だけを見れば、会う頻度が減って気持ちが離れてしまった、という感じだが、

この時点で私は相手のことを特に好きではなかった。

厳密に言うと、最初から相手のことを好きではなかった。

それに気づいたのは、ある日相手からメールが来た時だった。

休みの日に会おうという誘いの文面を見て、私はこう思った。

セックスするのが面倒臭い

思った後、すぐハッとした。

自分彼氏をただ、"セックスする人"と認識していたことに、この時気づいた。

混乱した。

いつからそう思っていたのか?

好きだから付き合っていたのではなかったか

セックスするために付き合っていたのか?

もしかして私は、セックスしてみたくてあの人と付き合ったのか?

あの人に恋していた私は、恋する女を演じていたのか?

 

自分でも認めたくない事実だが、私はセックスしてみたかった。

セックスするには相手必要だった。

適当な人とするわけにはいかないという謎の自制心があった。

なんやかんやあって彼氏ができた。

初めてセックスして、好奇心のまま何回もして、そして飽きた。

学業趣味活動おもしろくなってきた、セックスよりおもしろい。

じゃあ彼氏はもういらない。

それだけのこと。

男は性欲で、女は感情物事を考えるなどとよく言われるが、

私は当時、完全に性欲で動いていた。

その彼氏と別れた後は誰とも付き合っていない。

誰かに好意を抱いても、セックスしたいだけかもと思うと踏み込むことができない。

 

恋愛は性欲の詩的表現である……みたいなことを芥川龍之介が何かで言っていた。

もしそうだとしたら、あれも一応恋愛だったのか、いや違う、いやでも、わからない。

恋愛ってなんだ。今もわからない。

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