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2019-12-21

ヒロアカの2作目の映画をみた雑多な感想

まず注意いただきたい。

この日記には、以下の人には向かない。

以上気をつけて欲しい。

私は厳しい言葉を使ったりしてしまうと思う。

そもそも推考をしていないただのゲロなので気分が悪くなったらそっとタブを閉じて欲しい。そこら辺は自衛してくれ。

率直な感想

この映画、まさしく「ドラゴンボール」じゃない?

みんな思ったでしょ。

いや別にから悪いってことではないんだけど、安易気持ち問題で強くなるっていうのを連発しすぎじゃないか?(少年週刊誌のバトルものにありがちだが)

ちがうんだ、それは別にいいんだ、私も歳だしそういったことには慣れている。だが今回私が言及したいのはどうして心理描写曖昧なまま強くなるんだ? 共感できない部分が多々あったということだ。

少し応援されたからと元気になったりしすぎだろうと、いい加減そんなゲームじゃないんだからと、せっかくのボンズ屈指のバトルシーンで映画に入り込んでいた自分が急に覚めてしまったりして非常に残念。

まあ、それもいいだろう。どうせファンタジーだ。

しかし、ヒロアカ原作に関してはファンタジーでも確かにそこにキャラクターたちが生きていて、それがリアルに、まるで自分がその世界で生きているような引力のような没入感が素敵であり、だからずぼらな私も1ファンとして単行本アニメ映画を欠かさず見ているのだろう。

キャラ大事にし、そのキャラの迷いやこういうこと考えていてこういうことに重きを置いていて、ストーリ進行時には蚊帳の外にいるときちゃんと外でモブやってたりする、といったリアルな感じがいいのだ。

たぶんこれは、心理描写のために一時戦闘を中断させたりする、漫画ならではの表現なのかもしれない。映像テンポだ。リズムが全てだ。わかる。わかるんだ。でもそこを上手に見せれなくてはヒロアカには、いったい何が残るんだ?

関西の血が騒ぐ、キャラ周りを語りつつツッコませてくれ

    • スライス...思ったより強かったが、結構あっさり逝った。ナインと恋仲なのかなとかいろいろ予想したけど、全くなにも語れなくてあっ、モブかぁと思ってしまった。

    • キメラ...強すぎて良い。共闘には向かないが雄英生複数相手にしても全く引けを取らないどころか凌駕するほどの強さが大変魅力的だった。でも爪甘くない? しっかり倒した方が凍らずに済んだんじゃない? そういえば川に落とされた後葉巻吸ってたけど、湿気をも飛ばすほどの火炎で葉巻に火をつけたのかな。葉巻燃えカスにならないそれ? ちょっと気になっちゃってその前後記憶がない。
      ところで障子くんに「お前もいじめられたタチだろうな」のようなことを呟いていたこともあり、ヴィラン側で唯一過去が察せられたキャラだった。キメラだもんなぁ、一般には気持ち悪がられるよ。最終形態ゴジラみたいでカッコよかったけどなあ。

    • マミー...強そうな能力だし扱い次第でもっと残虐なことできただろうと思うが、製作陣がR-*をつけたくなかったのかなとかいろいろ考えた末のすぐ捕まって退場なのかな。ざんねん、私は好きだぞ。ただ捕まった後も一花咲かせて欲しかった。 というか捕まった後に避難民連れて大移動してたけど、捕まってからずっと避難所のボイラー室に放置だったのかな。。雄英生それでいいのか。ほんとうにそれでよかったのか。
      これは完全に願望なんだけどヴィラン側の共闘が見たかった。(そしたらば雄英生半分くらい退場してしまいそうな危うさはあるだろうが)

    • ナイン...君、本映画で最重要人物だけど、映画内での語り少ないし匂わせばっかりだったが、ヒロアカで楽しみにしていることの一つの「その気持ちちょっとわかる」が少なすぎる。「行きづらい世の中を、弱肉強食の〜」みたいな話、もう少し掘り下げてください。もう少し、戦いの間に主張してください。デクくんあたりが「その気持ちわかります!」って知ったかするあたりも見たかった。
      匂わせしかなかったせいで個性の通り、ほんとうに台風の人かなって(空を操るらしいけど)
      そういえば、8つの能力を奪えるみたいな話だったけど、結局いくつあったんだろうか?ここら辺がパンフレットや先着入場特典にも詳しい記載がなくて困ったものだった(眠いから見落としているだけなのかもしれないが)
    1. 見えないバリア
    2. 風圧
    3. 空遊咬鮫獣(くうゆうこうこうじゅう)サメラ  ←これだけパンフ記載あった、青い龍
    4. 細胞活性化 A細胞(パパの能力
    5. 個性の力を見る能力
    6. 空き(細胞活性化 B用)
    7. 空き(デクの個性を吸おうとした)

    とまぁ、いろいろと「おや?」と思う点はあるものの、実際の脚本文句はない。

    だがラスト、テメェはダメだ。

    個性譲渡別に良い。そもそもデクもそんなこと言ってた(うろおぼえだが)

    バトル

    めっちゃドラゴンボール。すっごいドラゴンボール。髪の毛そんなとげとげにならんでもいいやん。いやいやそんな規模の攻撃受けてふつうそうじゃん、まじ鉄人じゃん。っていうのがほんと何度も出てくる。4日目のカレーの気分だ。「え、また?!」なのだ

    特になにが嫌って言うとだ、個性遺伝した後のバトルだ。爆轟がすぐフルカウルを使えることや100%っぽい力が使えたこともそれ全て含めてワンフォーオール奇跡って言いたいのかい・・?それは、あまりに投げやりすぎないかい? ヒロアカって、”なんでも個性のせいにしてしまおう”っていうのがなくて、“個性を持ってるからこそこういう悩みがあってそれをどう解決して行こうか向き合う”みたいな葛藤と成長を描く作品なんじゃなかったのかな?

    余談だが、私は海外グロやバトルもの映画でよくある、音楽だけで効果音なしのバトルシーンが大嫌いだ。

    馬鹿の一つ覚えと言うと言葉の悪さが際立ってしまうが、まあその表現方法はあまりに使い古されてしまった。

    なのでラストバトルの音楽だけですごいバトルを見せられた時、冷めてしまった。映画館でやるんだ。もっと音響意識して、音速を超えた一撃みたいな表現でも面白かったんじゃないかとか思う。 パッと思い返すのが映画 幼女戦記だが、常にバトルしてて、音があちこちから聴こえてきて自分もその場にいるという臨場感がほんとうに素晴らしい映画だった。

    それを、こういってはなんだが1曲に全ての感情を背負わせるのは重荷すぎたのではないだろうか。

    私は、そこで完全に映画からリアル世界に戻ってきてしまった。

    (ただこの映画に限っては、ボンズの全力のバトル映像のおかげでまだ見入ることができた。本当に動画がいい。ほんとコマ送りで見たい。ガンダムAKIRA攻殻機動隊なんかをよくコマ送りで見た口だ)

    そもそもやりたい要素を入れすぎてそれをまとめきれなくなったのではないか

    少し話が脱線したが、豚カツカレーマーボー天津飯みたいになってしまった可能性はあるか?

    起承転結で、転結はかなりテンポよく進めるのがスタンダードだが、それにしても端折りすぎたように感じた。

    見せ場のバトルはほんと多彩に入っていてこれはもう大満足で言うことなしなんだがちょくちょく強敵との対峙で勝てない描写をとことんやりたいが為にどうしてもワンパターンキャラパワーアップ違和感を覚えてしまって、没入感の減少を感じた。

    映画を見る時、私はその世界にいるモブになる。

    映画だけでなく、どんなアニメも、漫画も、ゲームも、小説も。 その世界に、私が存在できるかどうかでその作品を好きになるかどうかが決まる。

    本作に関してはラストに行くにつれ、私はこの映画世界と融合できなかった。非常に残念だ。

    私は、今作でヒロアカ製作陣に何かお偉いさんからのお達しがあったのではないかとか深く勘繰ったりしたほど様変わりを感じた。

    とにかく派手に、とにかく意外性を、とにかく話題性のあるものを! みたいな思いを感じてしまった。

    もちろん商業作品なのでそういったことを意識して作るのは当たり前だし、別に反対もしない。だが作品を生かしてくれ。頼む。

    ここら辺の違和感の解のようなものは、パンフレットを読んでいて考えたのだが、先生監督脚本の皆が口を揃えて「1作目を超えたかった」と言っていた。(1作目はほんとうに良かった。作品を通して”ヒロアカ”していたし、オールマイトの過去描写共闘原作の延長として受け止めることができた)

    大変受けた1作目の後の2作目、3作目と作っていく際にやはり重荷になったんだろうか

    パンフレットの対談インタビューを読んで、堀越先生原作ラストで使うネタ候補の一つ「ワンフォーオール譲渡」を提供し、制作側もそれに飛びついたような発言がうかがえた(個人の感想だよ)

    やっぱり人間が作っているんだなぁと実感したし、これから応援を続けたい。

    いろいろ言ったけど素晴らしい映画だった。はやくblue-rayが欲しい。

    (なんだ急に媚びうるのか?)と思った皆様、違うんだ、聞いてくれ。

    その作品感想って好きなところ・嫌なところが入り乱れた上で成されるものじゃないか

    映像

    もう間違いないやつだ。ボンズファンにとっては言うことなしすぎて、逆にボンズ色強めな印象で、純粋なヒロアカファン大丈夫か?とか思ったが、そもそもアニメ体育祭やらUSJやらワンフォーオール戦でアニメ視聴者調教済みだった。

    何度でも見れる。ほんとうによく動くし、戦闘表現パターンがすごい。これは良い。ほんとうに良い。

    ちなみに私が一番好きなヒロアカアニメシーンは体育祭の轟vsデクの回だ。あの回を見た後そっと忘年のザムドを見に行った(私のボンズ意識して見た初めての作品だ。デビューハガレンだ)

    本作を見た後、一番印象に残ったのが雲やなんかの描写なんだが、すまない語彙力がなくて伝えられない。だがみんなの心にも残ってるでしょ?私は今すごくひそねとまそたんが見たい。映画に何度も行く余裕がないので、今作の空の映像を思い出すべくnetflixひそねとまそたんを見たい

    1-A

    最高だ。原作アニメでは活躍の少なくなりがちな1-Aのみんなが余すことな活躍する。各々の連携委員長の指示なんかも見れてほんとうに良い。

    キャラへの愛がほんとうに感じられたし、この人たちはこういう動きをするのか、と私の記憶の中の1-Aの皆に命が宿ったようだった。

    尾白くんはやっぱり弱い印象を持って残念だったが、いつもの8割マシで戦っていた。たぶん。 (私は尾白くんを推している)

    青山くん、瀬呂くんなんかもしっっっかりと活躍をしていて、ファン歓喜だ。次回は砂藤くんにも頑張ってもらいたい。

    (この活躍というのがちゃんと戦っていて大変興奮もので、本作で印象深いバトルの一つだ。といっても本作は常に戦っているのでどこからどこまでを一戦と見るかは謎だが)

    (無理やりな理由で少し違和感を覚えたが)大人排除した上での各々のヒーロ像というものがしっかりと見て取れて本作はほんとうに原作の延長線にあるもののように感じた。

    最後最後セリフ

    「君はヒーローになれる」

    ありがとな、デク。デクだからこそ、出るセリフだよなぁ。

    最後

    僕のヒーロアカデミア The Movie ヒーローズ:ライジング絶対見てくれよな。

    こんなに楽しい戦いがたくさんの映画はオラ初めてだ。 わくわくすっぞ!

    2019-12-17

    ご飯よ!」

    PM2:00

    2体の母による、「ご飯よ!」の声で私は起床した。

    今日の超朝御飯はなんだろう、ご飯だろうか、パンだろうか、それとも超操縦メカ MG(※1)だろうか。期待で左胸を膨らませる。

    眠いまなこを1秒間に約30回程擦り、まるで東尋坊から人生のゴールを目指し旅立つ人々のように、ダイニング(※2)の椅子に勢いよく腰掛る。

    いわば、10歳の自分との対峙時間だ。

    「もう、まだ眠いの?」

    ...

    誰だこいつは...?

    自分脳内タウンワークを隅々まで探索。ヒット無し。すかさず同じ棚にある脳内たのめーるに手を伸ばし、かぼちゃを2ダース発注

    「何寝ぼけてんの、今日学校でしょ?」

    !!!???

    !!!!!!!???????

    !?!?!?!?

    !!!!!!

    大袈裟に驚いたは良いものの、別に今日学校じゃあないし、なんなら体育の日だ。愚かな国民以外は身体を休めることが認められている。

    ここで、3秒の沈黙。喉が焼けそうだ。

    ピカルの定理見た?」

    フラッシュバック2010年代中学生の会話。誰かの思い出のゴミ捨て場。令和に彷徨ゴミ捨て場

    ここは、令和3年の日本












    (※1)...友達がよくやってたゲーム

    (※2)..筆者の家には無い

    2019-12-14

    追記】見た目でされた差別が忘れられない

    見た目でされた差別が忘れられない

    10年以上前のことが未だに忘れられない。

    社会人2年目、理系研究職。

    職場女性は少なく男性ばかりで、真面目・静かな人が多かったと思う。

    はいわゆる喪女だったけど、会社には見た目や性別差別する人が少なくて、居心地の良い平穏場所だった。

    仕事の実績で評価される社会人っていいな、と思った。

    しかし次の年に小動物系の見た目で、ふんわりした子が新卒で入ってきた。

    初日に皆でランチしましょう、となった時

    先輩の男性がその子と話す時に、凄く緊張しているのが分かった。

    可愛い子と話せてテンパってるって感じだ。

    言葉は噛んでるし、気を使おうとしてから回ってる。

    私とか、男性とかの初対面はそんな事なかったじゃん。


    なんだか凄くショックを受けてしまった。

    結局、見た目で差別(態度をかえる)されるのかーって。

    悪意のある差別なら、まだ良かったよ。

    相手が幼稚なんだと自分に言い聞かせてスルーできるから

    だけどさ、そうじゃないんだよね。

    まずそんなことする人じゃないっていうのもあるけど、無意識でやってるんだよね。

    可愛い子と対峙しちゃった、ドキドキする、どうしよう、って。

    初対面なんだから、恋してるとかでもないだろう。

    私がその先輩に恋してるってことも無い(念のため)

    チヤホヤして欲しいって訳じゃないんだ。

    無理だってことも分かってはいるが、せめて会社では平等に接してほしかった。

    アラフォーとなった今では、目の前で同じことが起きてもショックは受けないと思う。

    まぁ若いなーと思うのもあるけど、マネージャーになって人を評価する立場になってからは、自分他人をあまり比べずに生きていけるようになったから。

    年々辛くなっていって、ジェンダー生き方などの本を読んで勉強したというのもある。

    結婚もしたけど、それでも10年以上前のショックが未だに心の傷として残っていて忘れられない。

    これ以外にも、男性に見た目で差別された思い出はあって、心に残り続けているのだけど、無意識の行動だった分、一番強烈で忘れられない。

    死ぬまで覚えてるのかな。

    追記

    こんなに反応もらえると思ってなかったので、少しだけ追記

    見た目で態度変えられた事が、社会人になって初めてなんて書いてないよ。

    小学生の頃からずっと感じてたよ。

    もっとからさまで直接的な事は沢山あった。

    そういうのって悪意があるし、学校は色んな民度の人が集まってしま場所から耐えるしかないなーと思ってたんだよ。

    笑って耐えたけど、全部覚えてるよ。

    それなりに勉強頑張って、そういう差別がなさそうな職場を探したよ(それが職場選びの全てではないが)

    見た目よりも仕事の実績!な環境はいれてさ、やっと人間扱いされたと思ったんだよ。

    会社の中、特定部署、その中の少人数のチーム。

    この中なら、仕事中は全員人間でいられると思った。

    だけどさ、その女性がきて男性が態度を変えてから男性」と「女性」に分かれてしまった。

    たここでも「女性」をやらないと駄目なのか、という絶望の話をしたかっただけ。

    プライベートじゃなくて「仕事中」くらいは「人間」やりたいよって!

    まだ若かったから「女性から降りられなかったんだよね。

    誰が悪いとかではなく、ショックを受けてしまった事実いつまでも残っているという事。

    可能なら、この心の傷を癒やす方法が知りたいよ。

    結婚したと書いたのは、結婚してもこの傷は癒えなかったということが言いたかった)

    あと、差別っていうのは確かに言い過ぎだったかもね。

    積もり積もったものがあったせいかも。

    コメ見たら意外と気にならない?人が多いんだね。

    そんなもんなのか。

    2019-11-18

    anond:20191116094829

    安倍さん総理大臣やってることについては、面倒な国民等に対峙する矢面となる、嫌な役回り総理大臣よりは、なんとか委員長くらいの方が期待と待遇バランスが優れていることに多くの政治家が気付いてること、とりあえず家柄を理由にしておけば、国民含めよくも悪くも大体の人は納得することなど選出理由になってる気もする

    ぼんちゃん自分の確たる意思やそれを実現する才覚などあるわけもないだろうし、見たくないほどひどいルックスではないし、発声する操り人形は彼には適材適所かと。

    低能先生を論じるための教養①「正当性多数決

    世の中、正しい人のほうが多数派だ。

    翻って、マイノリティは誤っている場合が多い。

    から自分が正しく生きようとするなら、多数派意見を受け入れて従うのがいい。それが一番確実かつシンプル生き方となる。

    これは生き方道徳観だけではなく、世の中すべて、「えっ?そんなことも?」と思われそうなことにも通用する。

    簡単な例を挙げると、

    • 1+1=2なのは、みんながそう考えるから正しい。
    • 2×3と3×2が同じなのも、みんながそう考えるから正しい。(学校教育では異なると言われても、大多数はそう思わないので誤り)

    多くの人が誤っていることなんて、ごくわずかで、しかも軽微。せいぜい日本語の誤用程度で、わずかだからこそ話題になる。


    今回の低能先生の件には複数意見があってモヤモヤするが、上記を踏まえるとスッキリハラ落ちできるはずだ。やってみたい。

    暴力がいけないのは、誰もそれが正しいとは思わないから。そのみんなの常識が明文化されたのが法律で、その法律に従って社会機能している。法律は正しい人間を育成するための教科書にもなる。

    個人攻撃罵倒が罪にならないのは、みんなやっていることだから。正しいことは罪になりようがない。名誉毀損侮辱が罪にならないのは、誰も訴えないことだから。誤っていることは誰もやらない。

    低能先生したこと罵倒暴力だ。前者はみんなやっている、だから何年でも続けることができた。後者は誰もやらない、だから誤りで、罪になり、許されない。

    低能先生対峙したユーザーしたことは、サービス運営者への通報だ。これはみんなやったことで、正しい。多ければ多いほど正しいと言える。

    警察への通報は誰もやっていない。だから罵倒のみで警察沙汰にするのは誤りだった。実際、公判でも罵倒問題になっていない。被害者遺族でさえ「言論の自由」を挙げており、処刑対象あくま暴力(と、それに付随する銃刀法違反建造物侵入)だ。

    以上は「詭弁」だろうか。

    しかし「多数派は正しい」という一点で実際に説明ができたことを見落とさないでほしい。

    乳幼児スナイパーによる標的拘束術

    この数日間に渡り乳幼児スナイパーのプロでなおかつ大人で常在戦場な俺の闘いの記録を記してきたが、とりあえず本稿にてて一区切りとさせて頂く。読んでくれてありがとう。またいつか何事も無かったかのように始めるかもしれないがそのときよろしく

    この業界、標的への攻撃に関するさまざまなノウハウを持っている同業者は多いが、標的を確保拘束する際のノウハウを持たない者も多くいる。もちろん自身子供がいる、近親者に子供がいる場合はこの限りではないが、そのいずれにも該当しない独り者の同業者はいざその事態に直面したときにたじろいでしまうことが多いと聞く。

    なので常在戦場大人のスナイパーとして、そんな同業者たちに対して標的の確保拘束に関する技術を記しておくので、その事態に備えていただきたい。なお俺もそんな事態に直面したことはないのだが。

    まず左腕。ここは肘打ちの形に曲げる。ブロック塀くらいなら粉砕できる必殺のエルボーだ。肩の高さで構えてゆっくりと降ろして脇をしめる。瞬間的な破壊力は勿論だが長時間に渡る荷重、負荷に耐えうる筋力を身に付けておくことが望ましい。日頃から瓦割りなどで鍛錬を積んでおいて欲しい。

    次に右腕。これは手のひらを上にして空手の貫手を作る。ベニヤ板くらいなら貫ける必殺の貫手だ。実戦の貫手と違う所は親指を曲げずにまっすぐにする所である。日頃から指立て伏せボルダリングなどで鍛錬を積んでおいて欲しい。

    型についてだが、まず左腕をエルボーの体勢にしてゆっくりと脇をしめたら、右腕の貫手をそっとその下にしのばせる。イメージとしては敵と対峙したさい、肘打ちでフェイントをかけ、肘の下にしのばせた必殺の貫手で仕留めるつもりで構える。この場合、左腕だけで拘束することはお勧めできない。不測の事態で腕をすり抜けて標的が落ち、そこをジャッカルされてしま可能性があるからだ。必ず右の貫手をエルボーの下にしのばせること。

    そうして標的の赤ん坊の後頭部をまず左のエルボーの内側に乗せる。正確には首が座ってない場合が多いので、首と後頭部の間だ。そして右の貫手の上に標的のお尻を乗せる。このとき指は添える程度にしておく必要がある。標的が拘束中にぐずり始めたら、日頃から指立てで鍛え上げた四本の指で標的の背中ポンポンリズミカルに刺激することで「お前は逃げられないのだ」と静かに威嚇することができる。日頃から指の鍛錬を要するのはこれが理由である

    以上のプロセスと心構えでもって標的の捕獲拘束に成功したあかつきには、至近距離での視線、あるいはこの世の最期のような表情でもって、哀れな標的を心ゆくまで恐怖のどん底に突き落とすことが可能となるだろう。

    たこメソッドだが、基礎的な鍛錬はともかく実際に負荷をかけるより実戦的なトレーニングの場が少ない。そんな場合スーパーの米売り場がお勧めである。「さてこの米の産地はどこかな?ほう新潟県魚沼産だと?しか無洗米か」という顔をしながら5キロ程度の米袋を今言った型で持つことで、周囲の目を欺きながら実戦的なトレーニング可能である。ただしポンポンまではしない方が良い。

    以上が俺から同業者に対して共有した標的の確保拘束術である。これを読んだ同業者諸、君も明日からレッツエルボーだ。

    2019-11-16

    そして「愛情」という名の甘やかな「支配」について

    理解の出来ない他者」としての親、そして「愛情」という名の甘やかな「支配」について

     他者論という観点から見れば、「誰にも否定されない絶対的な真理」を作り出すことは不可能である。一方で「他者」は、単に真理への到達を妨害する忌むべき存在というわけではなく、「私」を自己完結孤独から救い出す、「無限可能性」でもある。いかなる哲学科学数学を作り出しても、必ずその外部から「違う」と叫び叩き潰してくる、理解不能で残酷な「他者」が現れる。「他者」が現れるからこそ、自己自己完 結して停滞することなく、無限に問いかけ続けることができる。

     レヴィナスによると、「他者」は「理解されえない、言い換えれば包括されることが不可能ものである」とされ、「所有を、私のさまざまな権能を拒む」とされている。すなわち「他者」は、「私」(自己)の内面を切り崩し、空にし、「私」として安住することを辞めさせ、「私」を超えたものを求めざるを得なくさせる。

    ――エマニュエル・レヴィナス「他者論」

     最後に、くり返しになってしまうがまとめておこう。他者はいつでも私にとっては「理解きぬ不気味な存在」でありえる。その不気味さが同じチームのなかで突然浮かび上がることがあるし、理解という手法でそれを解決することはできない。むしろ、その「理解できなさ」こそが、一種の救いなのだ他人の心に踏み込んでいったり、他人自分を同じ存在だと思ってしまったりすると、正常な距離は失われることになってしまう。

     だから、互いに「理解できない不気味な他者」として関わり、そしてそれゆえに「共にいる」こと。わたしたちはそうした関係に満足しているべきだし、そうした関係にこそ価値がある。

    ――ティッシュ専用ゴミ箱2 「女児向けアニメで描かれる「他者の理解できなさ」について。あるいは、女児向けアニメは家族の問題とどのように向き合ってきたか。-『プリティーリズム』『プリパラ』を一例にして」

     友田は、折々に「ブライアン氏」が「真空」、すなわち、独りの状態になる必要があると言及していることに着目しました。対するセラピストは、その度に、中立または否定的に、これに応じていますセラピスト理論上は、非指示的であり続けましたが、一般西欧セラピストと同様、孤独状態もしくは真空状態治療効果について非常に熱心だったわけではないようです。

     友田の見解では、「人間というものの真の飛躍もしくは成長は、完全に一人ぼっちであるときに生起する。個人の飛躍もしくは成長を確かなものにするのは、何らかの人間関係においてか、もしくは現実の世の中においてである。がしかし、真の成長がおこるのは、現実人間関係においてでもなければ現実の世の中においてでもない」

     友田はさらに、「このことはまた、禅の真理である。(中略)カウンセリングに関して言えば、ロジャーズ派の技術の真義は、それらの技術がクライエントを援けて完全に一人ぼっちである状態になるようにすることである。」と続けます

    ―中略―

     母性的尽力的配慮相手を甘やかしたり、子ども扱いするものですし、父性的訓育的配慮相手支配したり、奴隷化するものしかないわけです。第三自我形成期(第三反抗期)を超えてレベルⅢの人格に到達することは、本人にとっても周りの人々にとっても、大変難しい困難なことでもあります

    ――新しい科学194「レベルⅢへの到達方法(続き)」

     若者たちは産まれなおすのだ。

     理不尽強制としてこの世に生を受けた幼子は、若者となり、己の意志でもう一度生誕を決意する。

     自分が何者であるかを胸に刻み、望んでこの世界に生まれた二度目の赤子として自分自身人生を歩み出すのだ。それは神聖なる契約であり、人はそうして連なってきた。それが人をいままで繋いできた。

     にゃん太はそれを守るためならば、我が身を灰にしても構わないと思った。ロンダークがそれを知ってくれるのならば、どんなことでもしてやりたいと思った。

    ――橙乃ままれ「ログ・ホライズン(Route43)」



    世界、つまり親による絶対的かつ暴力的侮辱によって、人は育っていく

    愛情という名の「自己犠牲」、それと表裏一体の過干渉という、そのさらに裏にある「自己憐憫・自己満足」は人を根腐れさせる

    人は「干渉」に依って生まれ、生かされ、育てられる

    それは、人に限らず、それは「環境」とも「世界」とも呼ばれる

    あなたと私は違う

    あなた世界ではないし、世界あなたではない

    からあなた世界からの期待に応えなくても良いし、応えても善い


    そして、世界というのは幻想に過ぎない

    あなたの両の目が見て、耳で聞いて、触れ、脳内で像を結んだものけが世界」に過ぎない

    それ故に、あなたが何と対峙するかすらもあなた自身問題である



    いわゆる「毒親」と呼ばれる他者から支配の話である

    @Gesu_Masuda

    2019-11-10

    普段どれだけまともで真面目なことを論考していても、テコンダー朴ネタを印籠のように持ち出した時点で全ての信用が崩壊するからすげーわ。

    今まで味方だと思ってても一瞬で認識が敵に変わるもんな。

    萌え絵ヘイトをぶつけたり、「おまえら強者からいくら侮辱してもヘイトにはならないぞ」とか嘯いたり、そういう連中にどれだけはらわたが煮えくり返っていても、テコンダー朴ネタを目にした途端全部吹っ飛ぶもんな。

    「第1話からずっと追いかけてきたラスボスと遂に対峙したと思ったら、ぽっと出の『真のラスボス』が現れてわけもわからず戦いが始まる」感ある。

    2019-11-08

    anond:20191107140353

    ダンオバノンという脚本家の卵が、ジョンカーペンターと一緒に「トムとジェリー」を宇宙人人間に置き換えたようなお馬鹿映画を作ったり、

    ホドロフスキーが構想を膨らませていたDUNEの製作を手伝ったりした経験から、着想を得て原案ができたのが「エイリアン」。

    元々の草案は「宇宙船の中でH.R.ギーガーデザイン宇宙人人間が戦う映画とか面白そうじゃないっすか?」というそれ以上でもそれ以下でもないSFアクションだった。

    しかももっと遡れば舞台米空軍の大型爆撃機人間対峙する相手グレムリンだったらしい。

    その原案を買い取って20世紀FOX製作を持ちかけたのが、ウォルターヒルというアクション映画界の重鎮率いる「ブランディワインプロダクションズ」という会社

    この会社スターウォーズのヒットを受けて「エイリアン」の制作に乗り出す。

    元々ジェンダー無頓着だったオバノンの原案に手を加えて女性クルー主人公になるようにしたのはこの時で、その手を加えたのはウォルターヒル

    ウォリアーズ」「ストリートオブファイヤー」等、ごりごりのホモソーシャル社会を熱く描き切ることに定評があるウォルターヒルが、どのような意図で「エイリアン」の登場人物を固めていったのかは未だによくわからない。

    追記

    ダンオバノンは脚本家志望じゃなくて監督志望のSFX(特効)クリエイターだったね。

    エイリアンもオバノン自身監督するつもりで企画したらしいが、企画がどんどん改変された上に、しまいには20世紀FOXスタジオから締め出されてしまったんだよな。創造主なのに。

    ジャンプとか週刊誌とか

    なにを言いたいのかさっぱりわからなくなってしまったので、ただ書き散らかした文章になってます。ごめんなさい。

    ジャンプについて

    週刊ジャンプ女性が配属されたことはない(はず)。週刊ジャンプ編集部バイトほとんど入れていなくて、ほかの部署ならアルバイトさんに作業してもらう

    作家さんへの発送作業とかも自分たちでやる(前に聞いたときは)。

    ダイバーシティとは程遠い状況ではあるけど、女性にめちゃくちゃ受ける作品は定期的に生まれているので問題視していないのでは。

    逆に+に女性が配属されたのがホントなら驚き。もともとジャンプから派生した部署だし。

    でも、WEBアプリ、という媒体特性必要と思ったのかもしれない。

    あと、ジャンプといえば純血主義新卒の時にほかの部署に配属された人がジャンプに異動することは基本的になかった。

    鳥嶋さんみたいに、一回出てまた戻る、とかはあるけど。基本出ていくだけ。

    女性を虐げる表現があること

    これは確かにある。ラッキースケベ、覗き、いろいろと女性性を搾取している、と取れる表現

    読まなければよい、という反論はできるが、ほかの作品目当てで読んでも目に入る可能性はある。

    そこは賛同する。

    週刊誌という媒体漫画家さんとの向き合い方

    編集者創作者ではないけど、その周辺で創作の手伝いをする立場

    で、基本的には創作者は生活ほとんどを割いて作品を生み出す。

    それに対峙する編集者がなかなか適正な労働時間で帰りますんで、とは言えないよね。

    もちろん荒木先生とか秋本先生とか、きっちりしている方はいるけど、例外からこそよく取り上げられるわけで。

    少なくとも、集英社に限らず、自分で生み出せない立場創作者の都合を優先しないと思われる人間は、採用されないよね。

    時代錯誤だけど、創作個人依存して成立していることの多い日本では、しばらくは変わらないかと。

    ただ、上にも書いたけど+に女性がいるなら、本誌に女性が配属される日も近いかもしれない、かもね。

    2019-10-31

    anond:20191030201112

    水に流してもらいやすい死に方とそうでない死に方はあるよーだ。私見では、

      X:大きなものに向かって死ぬか否か

      Y:あっさり死ぬか否か

    の二軸くらいが評価ポイントではないかと思う。自分より大きな存在と向き合って、あっさりと死ぬ(殺される)人間は同情され、罪も流されやすい。インスタ映えならぬ「死に栄え」だ。一方で、矮小存在と向き合って、生きぎたなく死ぬ(殺される)人間はむしろ怒りを買い、罪が見逃されにくい。死に栄えしないというわけだ。

    たとえば源平の頃で言うと、頼朝とそれが差し向けた大軍対峙しあっさり打たれた義経は「判官びいき」でずっと持ち上げられる典型的な前者の例だが、戦力的には優位だったのに頼朝軍に敗戦し逃げまどい最後は泥田にはまって切腹することにも失敗した木曽義仲後者典型で、あんまり評判よろしくない。人間的には、なんか義仲の方がいい人っぽいのに。

    あるいは戦国で言えば、さんざん無茶苦茶をやった織田信長典型的パワハラ上司だが、最後大軍に攻められあっさり死んだ(つまり前者)ってことで、なんかいい人だったような語られ方をされやすい。逆に、その被害者だったが、天下を握れる立場に近づきながらも敗戦し逃げまどって最後は土民に討たれて死んだ明智光秀は、すごい有能で常識人だったみたいなのに、「三日天下」といつまでたっても嘲笑対象となっており、後者典型である


    したがって、アベくんが死んで水に流されるかどうかは、今彼のやってることが極悪非道であるかはたまた救国の英雄であるかには全くかかわらず、単に「死に際が栄えるかどうか」によるんじゃないかな。たとえば彼のせいで日本が今後勝ち目のない戦争突入した時、最前線で真っ先に華々しく散ったりしたら、「まぁ、馬鹿だけどしゃーねーか。馬鹿だけど。」くらいの扱いで済むと思うが、彼のせいで追い詰められた一狂人に腹を刺され、さりとてすぐには死なずうだうだとして半年後くらいに最期を迎えたら、歴史上は刺した方が英雄扱いになるんじゃないかな。

    普段音楽を聴かないやつがPARADEをまじめに聴いた

    普段音楽を聴かないけど去年キャッチコピーにひかれてHey! Say! JUMPSENSE or LOVEを買った。

    でもアルバム全部を聴いても感覚で繋がってるのか愛で繋がってるのかわからんかった。

    一年経って新アルバムが出るというのを知ったのでリベンジしたくなった。

    テーマがはっきりしてるっぽいか音楽初心者でもわかるだろうと思ってまじめに聴いた。

    以下思ったことを吐き出す。

    歌詞カードは見ていない。曲を耳で聴いただけ。タイトルは読んだ。

    • ファンファーレ
      • 急に落ち着いた。ピアノ。おっと明るくなった。
      • 夏??夏なのか??夜明からいきなり夏??
      • 素晴らしい世界って言ってるからから抜けたってことでいいのか?
      • 僕らってのは前の曲と同じで君と僕ってことのようだ。
      • 君に恋をしている僕の夏みたいなかんじ。僕って自分JUMP
      • 夏とかリゾートなかんじ。
      • また「きっかけ」が出てきた。
      • 寂しくて泣いていた時に出会ったのか?
      • 恋だと気づいて思いはまだ伝わっていないようだ。
    • はな壱もんめ
      • なんか急に秋祭りみたいになってきたぞ。ちょっと怖い。
      • 鳥居とかせっせせーのよいよいよい!的な。怖い。帰れないじゃんこれ。鬼太郎かよとうりゃんせかよ。
      • 関ジャニが歌いそう。
      • やっぱり君をさらいたいのか。
      • これは君と僕なのか。
      • ぐーぐるりすと??あ、To Doリスト?なんか急に現代っぽくなったな。わからん
      • 君に誘惑されてるかんじ?
      • 立場は君の方が有利っぽいな。
      • 君をさらって現実に帰ってくるかんじ?
      • お祭りグループでいったかんじなのか?
      • さらいたいのに「またね」って言ってる。押し切れなかったかんじ?
      • 踏み出せなくてもだもだしているんだろうか。
    • 愛だけがすべて
      • えっ?ラテンラテン??なんで急に??
      • またありふれている日常なのか。
      • 扉はまだ開いていない。何かまた求めてるのか。
      • ここまでは恋の話だったけどこっからは愛の話?
      • ちょっと辛い状況なのを励ましているかんじ?
      • どこからでも駆けつけてくれるんだ。愛によってなのかな。
      • これも一人称二人称が出てこないな。Youはあるけど。
      • IはLoveneedしているから愛は手に入れてないんだな。了解した。
    • Lucky-Unlucky
      • また夏っぽい。太陽と光がまぶしそうなイントロ。混乱。
      • 息を吹き返したことにしておこう。
      • 普通世界なのかな・・・
      • きっかけ」また出てきたー。きっかますなあ。
      • 色々とうまくいってないかんじなんだ。
      • なんか見つかったのか。よかった。
      • 見つかったのにEmpty Heart??なんで??まだ完全に見つかってないから心は空っぽなの?
      • 前のがゾンビから空っぽの心にまだ何も入ってないの?
      • 二番でもEmpty Heartって言ってるように聞こえるからこれから心を満たそうとしてるのか。
      • 思い通りにいかないことを楽しめるようになったのか。よかった。
      • 色々起きたことを受け入れられるようになってきたのかな?
      • 「君」が出てきてないってことはこれは僕オンリーの歌なのか?
    • Love Equation
      • ポップな感じが続いてるー。曲が可愛いな。
      • また素直になれないのか!いーかげんにしとけよー。大変だからさ。
      • 君のことばかりで振り回されて大変だな。
      • しかし前向きだ。いいかんじだ。
      • 夏っぽいなー。
      • やっぱり思いがかなってないのか。頑張れよ。
      • 自分気持ちを強く主張するようになったな。よかったなー。
      • ベタ惚れかよ。
      • 突っ走る覚悟を決めたんだな。よかったな。獣になって突っ走るのかな。
      • 現実四苦八苦・・・常に現実が厳しいんだな君らの世界は。大変だな。
      • 曲展開がレトロでよかったわ。
      • なんかこっから見守る立場になってしまった気がする。
    • アイノユウヒ
    • パレードが始まる
      • ん?なんかOPに戻ったかんじだな。
      • スタジアムなかんじ。すげーフィナーレ感。鐘なってるよ!
      • えっ駆け引きとか雨とか落ちたー!!!辛いの!?!?最後だよこれ!?!?泣くなよおい!!
      • あー!Trust meつったきがする!よかった!
      • おおー!君を連れてくって言い出した!前向き!
      • 曲展開がCOSMICに似てる。
      • New worldに来たのか!二人で来たんだね。よかった!
      • 扉が開いて新しい世界に連れていきたいってなったんだ。
      • なのに終わり方!!終わり方が唐突!!!
    • パレードは終わらない
      • オーケストラ!!
      • EDっぽーい。スタッフロール流れてきたー。
      • 曲いいなー。
      • あっやっぱ一人で進むんだ。大変だなーいつも一人で。歌う人は八人もいるのに。
      • 曲いいなー。展開すげーいいなー。
      • 何かを求めるスタンスは変わらないけれど前向き感すげえ。
      • なんかセリフ入ってきたけど一人だけ「僕」側の人間がいるな。分かってるとかそういう答えをするやつ。
      • ということは一人だけ僕であと七人が支えてくれる人達ってこと?
      • 「僕ら」って誰と誰だ・・・僕と支えてくれる人達
      • 最後Believe yourselfか!がんばれよ!
      • ・・・あれ、隙間空いてなんか変なのが始まったぞ・・・
      • 赤飯??二十日??なんだよくわかんない。何歌ってんだ?
      • あ、発芽!!!
      • ニッポンの男女??愛でろ?芽出ろ?かわいくてごめんね??
      • めめめめめっつって終わったぞ。おまこれどうしたらいい??
      • ぽかーん。

    2019-10-30

    NHKに負けた

    20代一人暮らし始めた当時

    2ちゃんだったかブログだったか、はたまたまとめだったか一人暮らしライフハックを探していて「NHK撃退法」を見かけた。

    そこには、いかNHKが腐敗しているか公平じゃないか中立じゃないか、横柄かがたくさん書かれており、若さ故間に受けてとても憤りを覚えた。

    「クソだ!終わっている!」「こんなクソに金を払うなんて!」「潰れればいいのに!」

    そう思ってテンプレにあるいくつかの撃退方で訪問員を撃退していった。

    こういうことがロックパンクで反骨精神なんだと思った。

    時には狂人を演じたり、時にはああいえばこういうで屁理屈こねて倫理武装した気になった。

    時には集金人のおじさんを諭そうとしたことさえあった。

    録音するぞ、録画するぞ警察呼ぶぞと凄んだこともある。

    一通りやりつくして気づいたのは「この熱量でこの人たちと対峙しても本丸はかわらない」

    いつしか手軽に「テレビないんで」か「お引き取りください」の一言で終わらすことにした。

    それでも芯の部分は確実に強いものだった。

    時間は流れて結婚した

    配偶者にも同じ価値観でいてもらいたかったので説明して、理解してもらって憤怒してくれて同じ気持ち我が家訪問員 断固反対になった。

    配偶者はもっぱら「留守番の者なので」で撃退していた。

    夫婦反体制精神を分かつことができてよかった。

    やがて子供が生まれ

    うちはわけあって実家家族支援を受けれない妻と夫の2オペ育児だ。

    実際は一人は平日日中フルタイム仕事にでているので1.5のリソースになる。

    日中一人で子育てをしている時に響くピンポン」この出来事子育て経験している者ならどれほどのストレス共感したくれるだろう。

    せっかく寝かしつけたところでチャイムが鳴ったら最悪なもので、なのでチャイムは消していた。

    ところがその日はチャイムで出ないことがわかるとアイツはあろうことかドアをドンドンと直接叩いて叫んできた。

    「すみませーーーん!!!ますかーーー!!」

    柴1「ギャンギャン!!(威嚇)」

    柴2「キャンキャン!!(恐怖)」

    猫1「ワオーーー(通知)」

    猫2「・・・・・(爆睡)」

    その大合唱を聞いた赤子は当然

    「ギャーーーーーーー!!!

    その出来事パニックになってしまってとっさに玄関口に出てしまったら最後

    訪問員はチャンスとばかりに全回答YESになるような巧みな営業トークで畳みかけてきた。

    後ろで大騒ぎするワンニャンズと、ドアを殴られたことに理解が追いつかない、YESの積み重ねでうっかり契約しますか?に回答してしまいそう

    パニックと恐怖で「家主がいないので」と言ってドアを閉めるのが精一杯だった。

    そこからマイナス感情だけだった

    アイツは恐怖を植え付けきた

    自宅を知られている

    犬猫赤子がいることも知られている

    逆恨みしてイタズラや放火されても特定できないか

    そもそもご近所さんで払っていないのはうちだけじゃないだろうか

    払わないことが少数派で異端なんじゃないだろうか

    そして細く弱くなった心はとても簡単に音も立てずに折れた。

    配偶者出来事と心境を話したら、「きっとこの先おかあさんと一緒をみるしいいタイミングなのかな」ということだった。

    こうして環境事象とが重なっただけでいとも簡単に信念が折れてしまった。

    本当に無様でみっともなくてダサいし恥ずかしい。

    今でも納得していないことはクソ多いし、ぶっ壊してほしいと思っている。

    けど我が家は負けてしまった。

    2019-10-21

    対人ゲームに向いていない。

    対人ゲームが苦手だ。勝つのは嬉しい、負けるのは悔しい、だから負けた原因を考える。

    ブログ動画テクニック対策を調べ、練習し、実戦に出る。

    当たるのは自分より知識があり、自分より操作が落ち着いて上手な相手

    当然ぼろきれのように負ける、食らいつけている感覚すらない。精神が削られる。

    それでも、と再び実戦に出る。当たったのは自分より知識がなく、操作がおぼつかない相手

    当然苦労せず勝てる、相手に負ける想像すらできない。いつもの動きでいつものように勝てるだけ。

    これの繰り返し。自分と実力が拮抗し、鎬を削れるような相手と当たれるのは1ヵ月に1~2回。

    上達の壁が見えていても、それを乗り越える方法が分からない。

    と、こういう壁にぶち当たったり、自分と同じ実力者を求めると、必ず「そういうコミュニティに入ってみたら?」といった文章だ。

    対人ゲーム基本的コミュニティ重視の文化だと思う。

    大きなコミュニティでも、小さなコミュニティでも、そこに入ってさえしまえば自分より上手い人、自分より下手な人、自分と同じ人がいる。

    その人たちと対戦し、今の対戦のよかったところ、悪かったところ、ここを直せるかも、こうしたらいい、などと話し合う。

    それも重い雰囲気ではなく、軽く、あくまで談笑するように。ただ、それによって実力は上がっていく。

    私にはそれが出来ない。人と話すのが苦手だ、コミュニケーション全般が苦手だ。

    から一人で壁を乗り越えようとする、でも、それはすごく難しい。

    画面の向こうにいるのが人間なのも対人ゲームの特徴だ。

    さっきまで勝てていた行動が、急に通用しなくなる。すると、脳がパニックになる。

    「これなら勝てていたのに」が通用しなくなる。同じ人でも、違うキャラで。同じキャラでも、違う人で。

    覚えていないとダメなことが沢山増える。私は覚えるのが苦手だ、要領が悪いのだろう。精神が削られる。

    やがて、全く勝てなくなり、時に煽られ、時に操作ミスをし、覚えられず、他人とのコミュニケーションもできず、苦しみだけが増えていく、精神が削られる。

    最近は、対人ゲームをやらなくなった。

    AI相手ゲームをやるようにしている。「強い」と言われる敵と対峙したときも、「こうしたらどうだろう」、試行の積み重ねが自分の実力になっていくのが分かりやすくて、とても楽しい

    最初はボロ負けしていたのも、段々と拮抗していき、やがて超えられる。それは相手が変わらないから。相手の強さが変わらないから。

    コミュニケーションなんてなくても、自分の力だけで乗り越えられる壁。それがとても心地いい。

    この前、ふと昔やっていた対人ゲームに触れた。

    人がいるか心配だったが、思っていたより数はいるらしく、すぐにマッチングした。

    対戦、何もかも忘れてしまっていたのか、全く歯が立たない。でも、思い出せばいけるかもしれない。

    敗北画面で「再戦」のボタンを押す、相手からの再戦希望はなかった。

    それでよかった。これが最後の一戦だ。もう対人ゲームをやることはないだろう。

    何故なら私は、対人ゲームに向いていない人間から

    2019-10-12

    親愛なるあなたへ

    不快に思う」

    はい

    でもあなた快楽を与えるために芸術が有るわけではないことは知っててほしい。

    芸術あなたに与えるのは世界は広いってことだ。

    世界には快も不快もあるってことだ。

    「私はこの作品が嫌いだ」

    わかるわかる、俺も別にきじゃない

    なんで嫌いなんだろう。

    俺は、政治的な色(意図じゃない)が濃いと拒否反応が出るみたい。

    そういう見方は良くないと思うから、もう少しフラットに見られるといいなって思ってる。

    津田大介が嫌いだ」

    だよねー。

    俺も津田大介は好きじゃない、見た目が。

    金髪豚野郎な感じが苦手。

    見た目で嫌いなやつっているよね。

    思想が苦手?まあ分かるよ。

    反日だ」

    んー、まあ良し。

    あなたがソレをどう思うかはあなた勝手だ。

    でも、できればレッテル貼りなんかせずに真摯に向き合ったほうがあなたの為かもね。

    作品と向かった上で、嫌いだ、はとても良い。

    その作品対峙して考えるというプロセスを経ているのはとても素晴らしい。

    あなたの好きな、敬愛するそのモチーフを注意深く観察してみよう。

    説明書きは難解だけどしっかり読んでみよう。

    俺も全然理解できないことが多いけど、キーワードはその文章の中に入っていたりするからそれらを自分の中で組み立ててみたりね。

    「だから税金を使うべきではない」

    それは違う。

    あなたに、誰かに危害を加えない限り、国が表現制限してはいけないし、国は表現を最大限尊重しないといけない。

    たとえあなたがソレを嫌いでも、反日でも、あなたの収めた税金は、表現としてあなたの前に現れて、あなたが考えるチャンスを提供することに使われている。

    気に入らないか排除してしまうとあなた世界は広がらない。

    見たくないものを見ず、見たいものだけを見ているときっとあなたは足元をすくわれる。

    自分が金を払っているんだから自分の気に入る物だけ見せろ、とやるとあなたバランスを失う。

    気に入らないか排除するんじゃなくて、気に入らないもの世界には存在することを認めることだ。

    もちろん、あなた危害が及ばない限りは。

    ---

    具体的に言うと、

    世界には、自分自身天皇を重ねちゃうアレな人がいる。

    世界には、天皇写真を使って作品を作れるくらいには、天皇存在をポップに捉えている人がいる。

    あなた常識からは考えられないことだと思うけど、世の中にはそういう人がいる。

    でも、多分だけどその人はあなた自身バット振り回して直接攻撃なんてしない。

    あなたの心を傷つける?

    ホラー映画みたいなものだ。

    レザーフェイス若者の首を掻っ切ってちょっとビックリするかもしれないけど、あなたの首は大丈夫

    ホラー映画を見て怖かったからこんなもの映画と認めない、なんて可笑しいでしょう?

    表現あなたを殴りつけることはない。

    それはただの暴漢からすぐ通報しよう。

    彼らは日本人を、日本攻撃する?

    アーティストにそんな力はない。

    そんな権力を持っている人が作品を利用しだしたら気をつけたほうが良いかもしれない。

    でも多分津田大介にそんな力はない。

    安倍晋三が利用しだしたら注意したほうが良いかもね(もちろん偏見

    彼らは日本人を、日本を貶めている?

    そんな表現で貶められやしないから自信を持って。

    仮に、あなた日本人から尊敬したり罵ったりするような人がいたら、差別主義のケがあるから無視した方がいい。

    ということで、きっと明日明後日もずっとずっと、彼らはあなたの気に入らない作品を作るだろうけど、あなたの起きて飯食ってクソして寝る平穏な日々はとりあえず続く。

    もしよければ、時々彼らや彼らの作品についてあなた脳みそをひっくり返して見直してみてほしい。

    あなたが朝起きてぼーっとしてる時や、昼休憩中や、酒のんで酔っ払ってる時に、ふと彼らを1ミリだけ信じてみようと思ったら、彼らのやっていることを理解できるかもしれない。

    そうすると見える世界が大きく変わるかもしれない。

    変わらないかもしれない。

    芸術とかアートとか美術とかってそういうものだと俺は信じている。

    2019-10-06

    コンピュータ人格障害退職エントリ

    近年,人格障害者の関係していると思われる事例をネットで見かけることが多くなってきた.例えば

    また一見すると分かりにくいが以下の比較的有名なプロジェクトにも人格障害者の関わっている痕跡を読み取ることができる

    gentoo linuxの昔のドキュメント(もう残っていないらしくリンクを見つけることはできなかった)には,gentoo linux前身となったFreeBSDベースになっているプロジェクトが,人格問題のある人が開発に関わった結果,頓挫した話が記載されていた.

    このドキュメント人格障害という言葉一般に知られるようになる前に書かれていたため,人格障害について明確に記述されてはいないが,どう見ても人格障害者の関わった事例であった.おそらく人格障害について広く知られるようになってから削除されたのではないか想像する.

    人格障害とnon-BPDとは?

    ここで人格障害について知らない人のために解説をしよう.人格障害という言葉が広く一般に知られるになったのは,この本が原因ではないかと思う

    Stop Walking on Eggshells) Paul T. Mason , Randi

    Kreger (2006)]

    この本(以下ではSWEと呼ぶ)は医者ではなく人格障害者と日常生活で関わってしまって苦労した著者が,なんとか苦痛に満ちた生活の原因を探すため調べた情報がわかりやす記述されており,専門知識がなくても豊富な役立つ情報を学ぶことができる名著である.この本が出版される以前に,小さな町の本屋人格障害に関する本が目立つ場所に平済みされていた記憶はないため,おそらくこの本がブレークスルーであったと自分想像する.SWE人格障害について知らない人が最初に学ぶ入門書としてもとても良い本なので,多くの人にぜひ一度読んでみて欲しい本である

    SWEでは(境界性)人格障害(BPD: Borderline Personality Disorder)の様々な定義が紹介されているが,ここでは以下の定義を紹介する.

    Borderline Personality Disorder)と呼ぶ

    自分の手足は動かしすぎると疲労するが,他人疲労自分は感じないので,疲労なく無限に動かし続けられる自分の手足=他人 となっているので周辺の人間はとても苦痛を感じることとなる.近年話題になる長時間労働問題の原因はこれではないか自分は考えている.BPDの本人は日常生活に何の苦痛も感じないが,周辺で「手足」となっている人はとても苦痛を感じることとなる.この周辺の人はnon-BPDと呼ばれる.SWE特に重要な点はnon-BPDという言葉一般にわかやす解説し紹介した点にあると思う.

    non-BPDはBPDについて調べる重要検索キーワードにもなっている.BPD本人は何の苦痛も感じないためネット上に書き込みをするのはnon-BPDの人達である

    non-BPDで検索するともっと具体的で生々しい事例をいくつも見つけることができる.

    BPDよりもよく知られた人格障害サイコパスというものがあるが,ネット上のサイコパスという単語本来意味からかなり外れたある種のバズワードとなっており,サイコパスという単語ネット検索しても実生活で役立つ情報を見つけることは難しい.

    コンピュータ人格障害

    以下のBPDの定義を思いだしてみよう

    疲労なく無限に動かすことができる便利な道具として最も良く知られたものコンピュータロボット)だろう.つまり他人コンピュータ認識しているのがBPDであると言っても良い.これが多くの長時間労働問題の原因と考えられる.ここで以下の面白い話題を紹介しよう.

    人間=獣と違う論理的もの から 人間コンピュータと違う感情的もの

    への変化は,Windows95が発売された1995年から2010年ぐらいまでに少しずつ起きたように思う.これは,この(長い)時期に放送されていたSF映画であるスタートレックスターゲイトを見るとわかる.

    これについては後で詳しく解説する.とにかくコンピュータ人間認知にとても大きな変化をもたらした. https://trends.google.com/trends/explore?date=all&geo=US&q=BPD:title=google

    trandでBPDを検索してみると] 2004年から2012の間に倍になっている.上昇は緩やかな単調増加で減ることはほぼない.これは他人からコンピュータとして扱われる人が毎年増えてきていることを示している.

    BPDの本人がBPDについて検索することはない.本人は自分普通常識人認識しているかであるSWEなどの人格障害について解説する本では,人格障害者の多くは自分普通の人と認識していることが述べられている).

    検索するのは被害者であるnon-BPDの人達である

    SWEではBPDの原因の1つとして幼児期の過剰な甘やかしを挙げている.幼児が泣いて両親がすぐに何かしてしまうと,泣けば自動的に世話してくれる自分の手足の延長として他人認識してしまう,というものである

    この状態のまま大人になると他人自分の世話をするのが普通という認識が固定される.大人場合は泣いたりできないので,かわりに嘘や脅しで他人を(手足として)操作するようになる.嘘つきというのは人格障害の肝となっている.

    人格障害者の見分け方として嘘を誤魔化すためにさらに嘘をつくのは人格障害である,とSWEなどの人格障害について解説する多くの本では述べている.ちょっとした嘘なら誰でもつくが,さらに嘘を重ねるのが人格障害の特徴である

    本人は当然と思っている「他人自分の世話をする」状況を維持するために「普通のこと」=嘘や脅しを日常的に行うため,周辺の人間苦痛を感じることとなる.本人にとっては当然の普通のことをしているだけなので普通日常的に嘘や脅しをするのである

    この時,コンピュータロボット)という本当に自分の手足の延長になってしまう道具という概念存在していると,さらに悪い状況が生まれると私は考える.エクセル関数機能プログラミング言語について少しでも知識があるならば最悪である

    仮にwindows95がなかった(誰でもコンピュータが安く買える)1995年より昔はnon-BPD(コンピュータとして扱われる人)は少なかったとして,しかし,そのはるかから存在していた人格障害としてサイコパス(BPDと行動はよく似ているが内的心理状態は違うらしい)がある.サイコパスについて解説している(おそらく一番読まれている)本である

    https://www.amazon.co.jp/dp/4794219296:title=- 良心をもたない人たち , Martha Staut

    (2012)]

    には,エスキモーにはサイコパスを殺してしまう慣習(クンランゲタ)があったことが述べられている.現代に置き換えるなら長時間労働で殺されるぐらいなら殺してしまおうという感じだろうか.そのため昔は,人格障害者は(殺されてしまうので)少なかったと解説されている.しか現代ではnon-BPD(コンピュータとして扱われる人)は増えている.

    BPDやサイコパスなどの人格障害について解説する本のほぼ全てでは,人格障害からは「逃げろ」というアドバイスをしている.不運にもなんらかの人格障害者が隣に引っ越してきたら,自分引っ越して逃げるしかないし,

    職場にいた場合は辞めるしかない.ただしサイコパスの事例では辞めた後も嘘の責任追及などで追い込まれる事例も紹介されているので,安心はできない.先に紹介したgentoo linuxの事例では,FreeBSDベースプロジェクトをうまくデコイとして使うことでなんとか逃げ切ったようだ(うまく逃げ切ったから今のgentoo linuxがある). 自分想像するにgentoo linuxFreeBSDと同じ「再攻撃」を受けたはずであるが,うまく乗り切っているようだ.non-BPDの多くの人達は「人格障害者と一度かかわるとある種の直感が鋭くなる」と言っている.直感で事前に危険を察知して予防できるようになるそうだ.最初に述べたlibavやsystemdに人格障害の関わりがあるという根拠も実は私の直感であってうまく説明できない.ただ,オープンソース人格障害の両方の知識があるならば,みんな同じ判断を下すだろうと思う.SWEも「良心をもたない人たち 」でも直感重要性について述べている.

    BPDやサイコパスなどの人格障害について一般向けに解説する本の多くは事例の紹介が中心になっている.人格障害者本人が普通と思っている状況を維持するためにつく嘘や様々な行動は,工夫が凝らされており完全犯罪に近い.

    普通は思いつかない工夫に満ちた方法が使われるため単純に類型化できないのもあり,個別の事例を紹介するしかいからだと思われる.とはいえgoogle trandの傾向からわかるように,BPDについて知っている人は増加傾向にある.

    人格障害とみなされない(見破られない)ためにさらに巧妙な手段が近年は必要となってきている.ここでも人格障害を見破るために重要となるのは直感である.ここで直感というのは具体的には「良心をもたない人たち

    」では「何かが変」と感じたら騙されている可能性が高いと言っている.

    ただ直感でかたずけられてしまっては.なかなか気が付けない人も多いと思うため,ここでは近年巧妙になった人格障害者の手口について自分の気が付いた範囲で述べていこうと思う.

    (と思ったけど気力切れ)

    先に紹介した有名なオープンソースプロジェクトについて解説しよう

    (と思ったけど気力切れ)

    SF映画人格障害

    ハッカー画家人格障害

    日本における人格障害者との対峙方法

    2019-10-04

    anond:20191004151921

    真面目な話、「何でもできるAI(未学習)」で学習した結果「女の子の悦ぶことをする」みたいな最適解として「女の子をしばきたおす」みたいなのを出力する様になったAI

    果たして「そのAIを発案した人が捌かれるべきか」「そう学習させた中間的な人間が悪いのか」「実はドM雌豚と対峙した状況下では正しい」

    のかどうなんって話なんや

    金品を受け取るのが悪いのか、金品を贈るのが悪いのかみたいな。

    2019-09-09

    生協ウィンナー

    あ、これ腰まで浸かる?そう、腰まで浸かるんだ。この人たちのうち何割かは今はもう死んでるんでしょうね。そしてそのほとんどが自分死ぬなんて想像もしてなかったんでしょうね。そういうもんでしょう。手がワカメになってますよ。比喩ではないです。はい。あ、そういうやつ。そういうのアリなんだ。なんでもありです。逆になんでもありです。わーいい景色。まだバブルの余韻が残っていた平成の初期の頃の話です。お父さんとお母さんと自分と2つ下の妹と1日目は車で4時間かけて隣の隣の隣の県の観光ホテルに行って、2日目の朝。ホテルの朝食を食べて、10時くらいに車に乗って、お昼はワニを食べに行こうと高速に入ったら、無いんです。紋章が。エーデルワイス家の者に代々継承される腕の紋章が無くなっていて、そしたらお父さんが車を降りろと。お前はエーデルワイス家の者ではないと。さすがにそれは話が違うと思いましたね。逆に。どうしても納得がいかないので生協(コープです)に行って、赤いウィンナーを探したんですけど、それが置いてないんですね。赤いウィンナー。着色料とかそういうのが生協的にあんまりよくないみたいです。だからキッズコーナーで再放送仮面ライダーブラックを見る羽目になった訳ですが、当時の缶ジュースは110円になったばかりの頃で、缶のサイズも今と比べて一回り小さいんですよね。缶コーヒーをもう少し縦長にしたような缶にコーラが入ってる感じ。だから夕方になるまで待って、駐車場に鳥が出来るだけ待機する時間を確保したんですけど、それが不味かったのか、私兵団が城の周りを包囲していると連絡があったんです。焦りましたよ。宰相からそういう話は聞いてませんでしたからね。レベル2以下のゴブリン儀式スペルで除去するとして、それ以外のユニットは直接戦闘によって対峙しなきゃならない訳です。こちらも無傷ではすまされません。ただ幸いだったのは、相手ほとんどが飛行持ちだったところで、対空のスペルを多く積んでいたので暗くなる頃には大体ケリはついていました。ホテルに帰り着いたのは22時ごろで、家族はみんな夕食を済ませていたので自分だけルームサービスをとって貰いました。生存権だけは保証されてるわけです。寝るときは地べた。ベッドは使わせて貰えません。体が痛くて3日目は思うように疲れが取れませんでした。帰る時もトランクで、それはそれは辛かったです。歩いて帰るよりはマシと思うようにしてました。

    2019-09-08

    月ノ美兎百物語配信は何が凄かったのか、あるいはVTuberと「魂」の話

    簡単なあらすじ】

    8/31百物語前編。にじさんじの有名VTuber月ノ美兎」と「本間ひまわり」が多くのVTuberコラボしながら百物語配信を行う

    9/1、百物語後編。ラスト一般女性の「魂」が美兎に入り込み、声および人格が別人に変化するという演出を行う

    以降、月ノ美兎TwitterおよびNoteも別人の口調・雰囲気となる一方で、本物の美兎が別アカウントから救難ツイートを行う

    9/5、雑談枠。中身が別人の美兎の雑談で始まるが、途中で本物の魂が放送ジャック。他ライバーリスナーの力を借りて「月ノ美兎」を取り返す。ついでに3D化のお披露目。

    【何が凄かったのか】

    エンタメとしてももちろん面白かった。他のVTuberとの絡みであったり、YouTubeTwitterNoteといった様々なWebメディアにまたがる仕掛けであったり、リスナーを巻き込んで考察させたり。

    まさに今の時代ネットコンテンツって感じで、VTuberしかできない、いや、月ノ美兎しかできない作品になっていたと思う。

    しかしそれよりももっと凄いのが、今丁度この時期に上記をやったということである

    これは、「魂」に絡む話だ。VTuberの外側と中身、そのどちらがキャラクターアイデンティティたりうるのかと言った問題だ。

    2019年度上半期、VTuber界隈はこの手の話題に向き合わされ続ける羽目になった。

    6月の、ゲームプロジェクトサイレント声優交代騒動

    5月8月の、キズナアイ、魂分裂騒動

    どちらもややこしい話題なので詳細は他の記事を追ってほしいが、両方とも炎上の核は一致している。

    すなわち、

    運営側VTuber声優を単なる(アニメ等と同じ)声優と捉えているが、声優本人およびリスナーにとっては遙かにそれ以上の意味を有していた」

    ということだ。

    ここは結構VTuberを本当に追っている人でないと伝わりにくい部分で、ドラえもん声優を変更することとVTuber声優を変更することを同じように見ている人も多い。

    そんな人にとっては、上のゲームプロジェクト騒動なんかは、どうしてそこまで炎上したのか皆目わからなかったかもしれない。

    そういった齟齬もあって、VTuber概念を決定づけるもの声優なのか。3Dモデルなのか。設定と脚本なのか。そういう議論をせざるを得なくなってしまった。

    月ノ美兎百物語配信は、このあたりの話にひとつの回答を突き付けたと言う点で、VTuber史に残る放送になったと思う。

    【入れ替わり演出顛末と、月ノ美兎の提出した回答】

    月ノ美兎の「魂」は、自らの身体を外れたことにより月ノ美兎としての人格が薄れ、記憶曖昧になっていった。

    代わりに、身体に入った別人の方が、魂が定着するにつれてこれまでの月ノ美兎記憶すら獲得していった。

    (これが単なる脚本上の演出とはどうしても思えない。上述の声優交代騒動を思い出してしまうようにできている)

    この入れ替わり演出は、本物の魂が「リスナーからイメージをもとに月ノ美兎を再構築し、偽物と対峙する」という流れで決着する。

    そして偽物に対し月ノ美兎の「噂」をぶつけることでイメージダウンを図り、身体を手放させるのだ。

    かなりギャグテイストで描かれていたが、月ノ美兎はここにVTuberの「魂」についての重要な主張を込めたんだと思う。

    まりVTuberとは「共通幻想なのだと。

    運営声優と、他のVTuberたちと、そしてリスナーとの間で醸成されていった、巨大な共通イメージこそが月ノ美兎の核なのだと言っているのだ。

    たとえば動画内で、記憶を失った月ノ美兎が、自身公式プロフィールを読み上げてもピンとこない。という場面があった。

    当たり前だ。月ノ美兎は既にプロフィール通りに配信していない。洗濯機とかミミズとかクソ雑魚とか、そういうエピソードがもはや彼女再構成してしまった。

    ゲーム部もキズナアイもそれは同じで、ファンに彼らの印象を尋ねたとして、公式プロフィール通りに答える人はただ一人もいないだろう。

    それはアニメともYoutuberとも違う現象で、だからこそVTuber声優交代はアニメ声優交代とは全くの違う事象になってしまうのだ。

    多くの人が、色々な場所で例の百物語配信を褒め、「ひとつの回答を突き付けた」とか書いているが、その「回答」の中身を誰も書こうとしないので、こうしてここに書いてみた次第である

    追記

    ムカデやんけ……。ミミズってなんや……。

    俺の中で「キングダム」が完結した

    俺はずっとマンガキングダム」を歴史スペクタクルマンガだと思っていたが、違った。

    キングダムヤンキーマンガなのだ

    地元都道府県、そして全国の高校のやべーやつらと戦って、全国制覇を目指す。キングダムフォーマットはそれだ。

    からオリキャラ史実キャラわず量産型やばいやつが途切れることなく出てくる。「秦六将」とか「三大天」とか「魏火竜」とかは「〇〇高校四天王」みたいな感じだし。

    と言うわけで自分の中で整理はついた。

    それと同時に、寝る前とかに妄想してた「俺のキングダム」が先日無事始皇帝が死に、次世代英雄たちが顔見せして終わったので、俺の中のキングダムをここに書いて残しておきたい。

    いやー、項燕は強敵でしたね…。

    主な舞台は3つ

    キングダムにはストーリーの軸となる舞台が3つある。

    この3つだ。

    この3つを経糸に、キャラクターを緯糸にしてストーリーが紡がれていく。歴史スペクタクルとしては標準的な形だ。

    そして、主人公の信はこの3つの舞台全てにかかわっているという、まさに主人公らしい立ち位置にいる。

    そして、それぞれの舞台で魅力的な人物が多数いるので、何をどうやっても面白くならないわけがないのがキングダムの魅力だ。

    史実を見るだけでもやばいやつらがそれぞれにひしめいている。

    それを一つずつ解決して、信と政がどんどん力をつけていく。この3つの舞台を上手く使えば、「有名人=とりあえずめっちゃ強い」というヤンキーマンガ文法から脱することも容易だ。

    キングダムは非常に優れたフォーマットマンガと言えよう。

    ヤンキーマンガ揶揄しているわけではなく、歴史を描くのにヤンキーマンガスタイルは合わない、と言うことだ。

    さらに、3つの舞台それぞれにラスボスとなる人物存在することも非常に大きい。

    以下、それぞれの舞台登場人物ラスボスを見ていこう。

    ドロドロの王家の内情、暗殺劇が楽しめる宮中

    原版の「キングダム」でもこの宮中編は極めて面白い。特に弟の2度の反乱のストーリーは素晴らしい。弟君には生きてほしかったぞ…!壁さんはそんなに…。

    後宮のドロドロとした問題が、回りまわって政治問題となり、そして戦争に至るという、ある意味で「全ての元凶であることもポイントだ。

    そして、そのど真ん中に秦王・政がいるわけで、のちの始皇帝となる彼の胸中にもスポットライトが当たる。ともすれば闇に飲まれる政を救うのが信であり、テンであり、向ちゃんちゃんである

    特に信は様々な事件後宮に切り込んだことのある人物なので、後宮と言う閉鎖された環境を大きく振り回す役目も持っている。

    そして、政治戦場という表舞台には出てこない、もう見た目からしてヤバい奴らが出てこれるのもこの宮中編だ。

    うぉおおおお!角力剛拳

    ベルセルクバーキラカ編がめっちゃ面白かったように、キングダム宮中編も面白いのだ。ここぞとばかりに妖術!仙術!奇々怪々!な人外もの共演が魅力だ。

    そして、この宮中編で出会ったキョウカイと戦場編、そして政治編を共にしていくという、まさに「裏から舞台に、闇から光にぐいぐい引っ張り上げていく」信というキャラの魅力も存分に楽しめる。

    テンは軍師としてではなく、この後宮における諜報活動をメインの舞台にして、趙高と対決しつつ、対外的には山の民との折衝を、内に対しては暗殺者たちの警戒を、そして信が戦場に行っている間の領地経営などをすれば、「テンにしかできないこと」によって信や政をサポートできる。

    そして、この宮中編のラスボスはやはりコイツしかいない。

    荊軻である

    キングダム世界の最強の暗殺者として描写される荊軻は、政、信、テン、キョウカイと物理的に対決することができる貴重な存在だし、中国史上最も有名な暗殺者(だと思う)で、しか人格高潔。また「傍若無人」の語源にもなった男として(語源結構いい意味)、知名度エピソード的にも隙がない。

    理想のためには己の手を汚す、歴史汚名を残しても構わないという政に向かって、「そうはいってもお前がやっていることは中華全土の民を苦しめる行為である」と喝破できる暗殺者。荊軻こそ宮中ラスボス

    ここに至り、政や信はルァァ!ではなく、筋として、現実的な回答としての「善い国」を目指さねばならなくなる。そして、史実では成功したとは言えない始皇帝の各種改革の意義も、きちんと読者に提示することができよう。

    荊軻とキョウカイの戦いはワレブシンなどとは格の違う激戦が展開される。

    闇を心に宿す聖王である政と、光を心に宿す暗殺者の荊軻という対比もいい。

    荊軻がどのような最期を迎えても、読者に強烈な印象を持たせられるはずだ。

    また、結局のところ最後最後まで残る秦国最悪の毒である趙高のヤバさも存分に描くことができる。趙高荊軻の対比も面白いかもしれない。人格最悪の宦官と、人格最良の暗殺者とかね。ベタかもしれないけど。

    外交領土経営が楽しめる政治

    主人公がどんどん成り上がっていく、となれば、それはもうアメリカンドリーム世界なので面白くないわけがない。

    クッソボロい小屋から始まって、村、町、郡、県、そして国政にもさんかする秦国重要人物になっていく様は、政の目線から見ても面白ものになる。

    政が初めて信に褒美を手渡したシーンは名シーンだ。家で待ってるテンもかわいい

    最初のうちは昌文君の後ろにくっついて国政や外交見学するわけだが、そこにキョウカイも連れて行ったりしたのは面白かったな。

    賓客として訪れる各国の重要人物との縁もできるし、そこから戦場対峙するギャップもいい。

    しかし何より楽しいのはやはり領土経営だろう。

    テンちゃんには後宮での諜報活動の傍ら、こちらに注力していただいて、戦場ストレスを抱えるよりこちらでほのぼのと領地経営をしていただきたい。たまにキョウカイが飯を食いに来るとか。

    そのうち王騎の城をもらえることになったりとかね。

    秦は法治主義がかなり浸透してるので、その法治主義の利点、欠点商鞅の件みたいな)をひきつつ、では信はどういう国を理想とするのか、政はそのためにどういう王でなければならないかが描き出される。

    領地経営を通じて、信は大きく成長し、その経験戦場でも生かされることになるだろう。

    なぜ法治国家であった秦が強かったのか。他国との違いは何か、かかすことのできないストーリーになるだろう。

    ラスボスはいろいろと考えられる。外交面では斉王だろうが、「国家運営」と言うところまで話が広がれば、丞相・李斯とどういう関係になるかが問題になるだろう。

    また、後宮編ともリンクするが、政の二人の息子の問題が大きくクローズアップされる。

    政は長男をどう思っているのか?それがキーポイントとなる。

    信は王子にどうかかわるのか。

    そしてここでは蒙恬も大きな役目を果たす。

    蒙恬は知略、政治にも優れたイケメンで、最終的に政の長男を奉じて最後まで行動(史記では批判されているが)し、悲劇的な最期を遂げることになるのだが、そこに至る伏線を張り巡らすにはちょうどいいだろう。

    この政治編のサブ主人公蒙恬と言える。李斯趙高に対抗するにはどうするか、王子をどう教育するか。

    個人的に、政の長男扶蘇に「おじさん」と呼ばれてめっちゃなつかれる蒙恬が見たい。

    しろ扶蘇女の子でもいいぞ。女の子から継承から廃された、とかね。

    蒙恬はテンちゃんとくっついてもいい。むしろそれだけの材料は十分にある。

    宮中編がトリガーとすれば、政治編は撃鉄と言うことになるだろうか。

    そして、全ての決着をつける弾丸となる戦場編に舞台は移動する。

    武将の華・戦場

    ドンドンドン

    誰が至強か!?

    ドンドンドン

    誰が至強か!?

    ドンドンドン!!

     汗 明 ! 

    大体このノリでOKだ。文官だった汗明さんがこんな至強に。それがキングダム戦場である

    宮中編、政治編とはまたベクトルの違った奇人変人ステージとなるこの戦場編では信には思う存分ルァァしてもらって、キョウカイにはスヒンしてもらえばそれでいいと思う。

    ここに関してはさほど言うことはない。みんなが思っているような戦場を思い描いてくれればOKだ。

    ただ、ぶっちゃけもうちょっと項翼の格は上げてほしいし、何なら戦国最強の項一族とか捏造して項翼のみならず項翔とか項離とか項飛とか「項+飛翔系」の量産型をそろえてもいいかもしれない。ダメか。

    それはともかく、李牧さんには政治編でも活躍してもらえるので、戦場での出番はここ一番まで取っておいてもらって、部下のニンジャマスクには退場していただければそれでいいような気がする。ニンジャマスクはなる早でキョウカイに切り捨ててもらえるとありがたい。

    この戦場編でのサブ主人公は王賁と言うことになるだろうか。

    ベジータのようないいライバル関係になってほしいところ。

    上手く描写すれば王賁とキョウカイがいい雰囲気になる寸前のところくらいまで言っても受け入れられると思うんだよね。

    ラスボスは当然のごとく項燕。

    カリンさんは政治編でも頑張ってもらえばいいので、やはりラスボスはこのオッサンだろう。

    後の覇王項羽のおじいちゃんなので、ぶっちゃけもう項羽として描いてもいいんじゃないって感じはする。歳の問題はあるが。

    そして、重要なことは次である

    キングダム最大の懸念

    「信、イキリ散らした挙句の大惨敗問題

    である。みんな心配しているだろう。

    でも、これは、割と簡単解決する。

    というのも、信が楚に20万(だっけ)で攻め入った時、蒙恬も一緒にいるのだ。

    蒙恬=知将+イケメンなので、蒙恬がいたのにそんな無様なことにはならんだろと言う予測がつく。

    そして、歴史作品の魅力と言えば、「なぜその人物はそんなことをしたのか」に上手い理由をつけるのが醍醐味

    ならば、簡単に「なぜイキリ散らしたのか」に理由がつけられる。

    それは、

    楚を、項燕を倒すためには二段攻撃必要だったか

    OKだ!

    楚は国土がでかい長江もある。ゆえに他国からまり侵略を受けていないので、楚の内部の城郭がどうなっているのか、兵士はどれくらいいるのかが全く分からない。

    なので、だれかが犠牲になってでも強行偵察&戦力を評価をしなければならない。今秦国が動かせるのは80万しかない。いきなり80万で出て行っても、翻弄されて撃破される可能性がある。

    ならば、秦王の最も信頼の厚い将軍である信がその「潰れ役」を買って出て、次なる勝利布石とする!

    みたいなことを信の口から言わせれば、信がこれまで経験してきたことで説得力もあるし、王翦ら歴戦の将軍も納得し、一目置かれるだろう。

    そうならば、「泥臭いもこなせる」楽華隊を率い、信の親友である蒙恬がついてきてくれることにも全く違和感がない。

    王賁もこのころまでにギスギスをやめて、劇場版ジャイアンみたいな感じで送りだしてくれるだろう。

    で、決死の強行偵察であることを悟らせないために(朝廷にもスパイ入ってるだろうし)、公的にも、歴史的にも、「信とかい若い将軍がイキって20万で楚を攻める」という体にしておく。

    「天下の大将軍になる」という目標の信が、「政の目指す国のために、名誉を捨てる」という、劇的な変化を見られるのだ。

    そんな内情を、何となく兵士たちは察したときキングダム冒頭の「李信将軍!」とついていくのだろう。熱い話である

    李信一族

    歴史を見ると、李信一族は「優秀だが報われない」一族であることがわかる。

    李信の子である将軍・李広は武勇を誇るも功績を認められる憤死

    その李広の孫である李陵は「あいつは寝返った」と勘違いされ、不名誉を着ることになった。

    しか一族は決して衰退することな繁栄しのちの世にまで子孫を繋いでいる。

    まり、「報われない一族でありながらも、きちんと評価してくれている人がいる」という一族でもある。

    その筆頭が、史記を書いた司馬遷だ。先の李陵を弁護したため宮刑を受けてしまった司馬遷は、「自殺よりも歴史書だ!」と熱い情熱を燃やし、史記を書きとおした。

    キングダム李信史記、これが一つにつながるのである

    さらに、詩仙・李白李信一族の子孫なのである

    李白始皇帝について詠んだ詩があるという話は聞いているんだが、それはまだ確認できていないが、ラストシーン李白に詩を読ませるところでしめてもいいかもしれない。

    誰のための大将軍なのか

    結局のところ、信が大将軍を目指して走ってきたのは、漂との約束があるからだ。

    最初はただの功名心で始まった大将軍の道が、様々な出会いと別れで肉付けされていく。これがキングダムの一番の幹である

    そこで、自分の夢を命を預けられる親友、政にであい、道を同じくする。

    そして、「政の目指す国を作るための剣になる」ことに目標がほんの少しスライドするのである。その道の先に、名誉を捨てて理想のために戦うという、信の本来の姿が浮かび上がってくる。

    李信大敗後、だれも責任を追及しないし、処刑もされないし、子孫は漢の時代からそのあとにも反映している。

    それは史書には残せずとも、当時の人は本当のことを知っていたということにできる。

    王賁あたりに「信、お前がナンバーワンだ」と言ってもらおう。

    エンディング

    キングダムがさわやかに終わる可能はどのくらいあるのだろうか。

    かなり難しい気はする。

    まぁ焚書坑儒については、ある程度行ける。

    焚書で焼いたのは、各国の歴史書と、法律の本だ。あと儒教経典

    これは当時の世相を考えれば、何とか理解できるような気がする。というのも、ぶっちゃけ中華史上初の統一国家を作る、となれば、強引にでも意思統一しなければならない。

    そのために、「俺らの祖先は秦にころされたんだぜ」というような本は廃さねばならなかったろうし、儒教経典については、はっきり言って法治国家儒教邪魔なので、致し方ないといえる。

    なんせ、儒教は「徳のある君主統治するなら、法律など不要」「法律なんてものを作ったら、その法律の穴を利用しようとする小物ばかりになってしまう」というものなので。

    その代わり、農業書や実用書は焼かれずに奨励されたというしね。

    あくまでも実利、実学法治思想での近代的な国家運営を目指した、が、それは時代が早すぎた。という感じなのか。

    あるいは、「今理解されずともよい。後世に理想を見せるための建国なのだ」と言わせるか。事実、これ以降の中華大陸は「統一しなければならない」という意識がかなり強まった気はする。そして宋の時代中華思想が完成するわけで。

    ボス

    キングダム世界には裏ボス豊富だ。

    まず趙高。いうまでもなく裏ボスだ。李斯も裏ボス風味ではある。

    そして、裏ボスとしての説得力最高の人物がいる。史上最高の軍師張良だ。

    なんとこの張良史書デビューしたのは始皇帝暗殺だ。始皇帝の乗る車にハンマーを投げ込ませるというエクストリーム暗殺未遂を起こしており、そこで追われる身となってセンプク。その最中軍学を学び、史上最高の軍師誕生するわけだが、

    この経歴&女性のような容姿&仙術修行趣味から考えると…

    暗殺者系の最上位の裏ボスになりうる!

    仙術!妖術!暗殺術!キョウカイ以上の美貌!恐るべき頭脳

    割と裏ボスにぴったりなんではないだろうか。

    しろ張良始皇帝暗殺しちゃってもいいかもしれん。病気でなくなるよりは劇的だろうし。

    後は妖術師徐福だな!

    格はだいぶ落ちるが!

    まぁいいか

    最後

    余命少ない俺には、生きている間にキングダム完結が見られないのでこんなことを書きました。

    俺の代わりに最終回まで見届けてほしい。

    2019-09-06

    anond:20190906151433

    言ってることは正論だし、まともな人なんだと思う。

    他の政治家とかメディアとかからしたら、理論武装して対峙するもの破壊するエネルギーもあるから、正面から戦えないんで遠くからバッシングとか、イメージ戦略に終始するしかない感じに見える。

    2019-09-04

    anond:20190903164415

    お前だってはじめて対峙する “エモノ” と “いのち” の “かけあい”を するとき、無口で体を屈め後を追うように静かにその “状況” に付き随う事になると思うゼ?

    聖性を帯びる京都アニメーション作品

    9月1日さいたまスーパーアリーナでのアニメロサマーライブに、シークレットで登場したのは、放課後ティータイムだった。

    他のアクトとは段違いに会場が揺れた。

    もちろん、それまでのアクトも多いに盛り上がっていたが、やはり放課後ティータイムの生み出した「熱狂」はその持つ意味も含めて特別だった。

    長い時を経ての、そして京都アニメーションのあの事件が起きた後での、放課後ティータイムとしてのライブ

    キャスト達は壇上にそれについて言及することはない。ただ、全力で素晴らしいライブ披露しただけ。それでも観る側はそこに特別意味見出ししまう。

    これからも、京都アニメーション作品作品に付随するものを観る時に、事件のことを100%脳裏から消して対峙することは難しいだろう。

    京都アニメーション自体や関わる表現者の方は、それを好まないだろう。今後生み出される作品は、そんな記憶とは切り離して純粋に楽しんで欲しいという思いで作られるだろう。

    ただ、かつて数々の宗教でその信仰を強めてきたのは(結果として)多くの「殉教」だったように、痛ましい事件によって京都アニメーション作品は、ある種の「聖性」を帯びることになってしまったように思う。

    作り手が望まずとも、観客は勝手にその意味づけをしてしまう。

    __________________________________________________________

    京都アニメーション作品の1ファンとしては、時を巻き戻して事件を無かったことにできるなら、どれほど良いだろうと思う。ただ、それが不可能な以上、これから作品応援し続けるしかない。

    失われた命は戻らないし、負傷者の方の傷が癒えること、スタジオが完全に立ち直ること、には長い時間必要だろう。その長い時間、ずっと応援し続け、願わくば「聖性」などと思うことなく、また純粋作品のみを楽しめる日がくることを。

    2019-09-03

    インスタやめたら頭がよくなった

    1ヶ月程前にインスタをやめた。

    やめてみて、結論から言うと弊害はなく、むしろメリットばかり感じている。

    そのメリットについて書く前に、少々長くなるがやめた経緯について語る。

    きっかけはキラキラした世界に嫌気がさしたかである

    学生夏休み。かくいう私も3週間という短い夏休みを得た矢先であった。

    インスタのストーリーに流れてくる大量のリア充リア充リア充

    友人と遊びに行きました、飲み会、サマフェス、海、山、ドライブデート部活遠征帰省しました、旅行です等々...

    よくもまあ毎日それだけ投稿するものがあるもんだと思う反面、自分実家のベッドで寝ころびながら

    友人のそればかりをスクロールしては眺め、スクロールしては眺め、を繰り返しているうちに気分が沈んだ。

    夏休みに入る前から若干気分障害じみた気配はあったが、それが休暇を境にどっと来てしまい、

    皆が外の世界でわいわいキャッキャ遊んでいる時間に私は過眠をかまし目が覚めても傾眠

    親にその自堕落を指摘されればブチ切れ物を壊し、暴言を吐き、ひとしきり暴れて泣くという行為を繰り返していた。

    それでもやめられなかったのは人の輪から外れそうで怖かったかである

    大学に行っても「ねえ、昨日の○○のインスタ見たー?」という会話がほとんどで

    休み時間がくればインスタを開きその話題でひとしきり盛り上がるのであった。

    今や同学年のほとんどはTwitterでもFacebookでもなく、インスタで繋がっており、なんならLINEを超えちゃうんじゃね?という感じだった。

    から尚更怖かったのである

    辞めることで他人を知れないことが怖かった。

    今思うとインスタでしか繋がりのないような人間がどこで何をしていようが私の人生には全く徳も損もないのに、その時は繋がりを切ることが怖かったのである

    その繋がりに固執しつつ、他人の楽しそうな様子を見て気分を滅入らせ、どんどん自分を嫌いになっていた頃であった。

    ある投稿きっかけで私はインスタをやめた。

    多分これ、好きな子いる人には分かると思うんだけど好きな子投稿って無駄に細部まで見てしまことない?

    料理写真の対面に皿が写ってるとか、他人を伺わせる内容が書いてあるとか。

    あるいは自分の知らない人をタグ付けしているとか。

    実は私も好きな子投稿めちゃくちゃ見る奴だったんだけど。

    なんなら怪しいと思った女の投稿まで全部監視してる系の女だったんだけど。

    7月の終わりに好きな子投稿した料理投稿にさ、「○○ちゃんとの合作」みたいなの書いてあって

    「#合宿」みたいなのが書いてあったわけ。

    それでもう5月くらいかマークしてた女がタグ付けしてあったからその女の投稿にとんだら

    同じ料理写真投稿にあげてて

    「泊めてくれてありがとう」みたいなのが書いてあったわけ。

    んでストーリー見返したら(ストーリーって足跡つけずに見られる方法あるからそれ使ってたんだけど)

    好きな人のベッドに寝転がって間接照明で遊んでるっていう投稿がでてきたわけ。

    てめー、24時間で消えるからって付き合ってもない男の家に上がり込んだ投稿するとかどういう精神

    それ「私やっちゃいましたよナマステー」って言ってるようなもんじゃね?

    ああナマステ―はそいつらが作ってたのがカレーからなんだけど。

    って思いながら即トイレで吐いた(ストレス胃炎も起こしていた時期だったので簡単に吐いた)

    それでひとしきり泣いた後、自分が圧倒的にダメになっていっていることに気づき

    「インスタをやめたら人生好転するのか?」という記事を2時間近く読み漁り、

    どこの誰が書いたかからない記事背中を押される形で私はインスタを消した。

    やめて2,3日は他人の行動が伺えないことが怖かったけれど、1週間も経てばどうでもよくなった。

    あれだけ執着していた好きな人の動向伺いもできなくなってしまったけど、それは2週間くらいで「まあいっか」と思えるようになった。

    3週間経過したこから勉強する内容や人との会話が以前よりも頭に残るようになっていることに気づいた。

    思えば人と話している時も、勉強している時もインスタで見てしまった内容について考えて気分が塞いだり、今何してるんだろうって気になって

    しょっちゅうインスタを開いたりしていた気がする。

    要するに現実世界に対する集中力がなかった。

    あとは、お父さんに言われたんだけど、結局人間の脳もスマホパケットと一緒で、

    動画データ量が多いから、1日に人間記憶できる容量を圧迫してしま

    ゴミみたいなストーリー映像ばかり残ってしまうのではないか、と。

    (この理論だとYouTubeやネッフリでみている動画も容量食っていることになるがそれは認めたくないなあ)

    からその容量が解放された分、記憶力が向上しているのではないか、と。

    まあ記憶必要仕事試験がない人には関係ない話かもしれないけど

    近いうちに大きな試験を受けることになる私にとってはとても助かることであった。

    あとは精神的に安定したかな。

    現実世界楽しいこと、綺麗なこと、些細なことにスマホカメラじゃなく自分の眼を向けられるようになったって感じる。

    だって「いいな」って思ったことを誰にも表現する術がない。

    でも逆に言えば、「いいな」って思ったことは誰にも評価されない。自分の「いいな」で完結できる。

    ちなみに私がインスタをやめたことなんて誰も気づいていなくて、

    「○○のインスタ見たー?」とか言ってきた友達数人に「もうやめちゃったんだ」と伝えて全員が知らなかったレベルなので

    まあそんなもんです。やっててもやめてても気づかれないんですよ。

    自分が「いいな」って思ったストーリー適当に流されて、投稿適当に「いいね」押されてるに過ぎないんですよ。

    押してるくせにどこ行ったか覚えてない奴なんて山ほどいるし。

    友達も減ってないし、相手は変わらないだろうけど私はその人達に全力を注げるようになった。

    だって喋りながらインスタ眺めることがなくなったんだもん。対峙しているその人との時間がすべて。

    そんなわけで。タイトルはインスタをやめたら頭が良くなったっていう一面しか紹介できていないけど

    実際はすごくいいことがたくさんありました。

    何よりも自分が好きになれました。

    そういえば。好きな子のことはまだ好きです。ここでは話ずれちゃうからしないけど、この記事だけじゃどう見てもクズ野郎ですが

    どうしようもなかった私をたくさん助けてくれた人です。

    でもその人は今インスタで毎日自分の作った料理投稿するのに必死で、少しかわいそうだな、と思います

    そんなことに執着している時間を使って、私はもっと賢くなって、綺麗になってやろうと思います

    最後に。インスタ辞めたってお母さんに言った時の言葉で締めようと思う。

    「インスタ?最近若いのものなんて全然分からんけど、ゴミと一緒やろ?

    ゴミゴミ、捨てて正解。はよ勉強し。」

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