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はてなキーワード: 傾眠とは

2023-07-04

意識障害

鬱、までは至っていないと思うが、メンタルボロボロになった。精神疾患の既往歴があるとはいえ、我ながらクソザコメンタルである

現在働いているところは採用面接時に精神疾患のことを話しておらず、とはいえメンタルボロクソである以上は話さなければと思い、上司や先輩に相談した。結果、いろいろと配慮してくれている。腫れ物扱いな気がしないこともない。

何度か早退はしつつも休まず出勤している。しかし症状は悪化の一途を辿る一方で、ここ最近意識を保てなくなってきた。傍から見れば居眠りをしているが、ぬるい職場なので放っておいてくれている。罪悪感がヤバい


ところで意識が保てないって、よくよく考えなくてもヤバいのでは?という事実にようやく思い至り、いろいろ調べてみた。

重度の鬱だと寝たきりになり全く動けなくなる、という症状がある。昏迷と言うらしい。昏迷意識障害の程度を表す語で、昏迷より軽い症状には亜昏迷傾眠という語が使われる。

意識が保てない、とは書いたが、意識自体はハッキリしている。寝てないし眠くない。声をかけられたり電話が鳴った時、反応はできる。見えているし聞こえているし匂いも分かる。その間の記憶ちゃんとある。ただ、動けない。目を閉じて完全な無になっている。脳に一切の思考放棄させている。誰かからの声掛けに反応した後はまた動かなくなる。このような自身の症状は傾眠表現するのが近いような気がした。

しかしこれらの語で検索しても認知症の症状が主要なのか、なかなか若者メンタルヘルスに関連した検索結果が得られない。自身の症状に名前をつけたいだけなのでピッタリのものが見つからなくても問題は無いが、なんか、モヤモヤする。


さっさと病院行けって言われそうだけど、もう薬飲みたくないし、CBDを吸入しまくったら意識障害に陥らずに働けることが分かったし、何よりお賃金が欲しい。遅刻とか欠勤とか分かりやす迷惑かけるようにならない限り働く。

2023-03-08

ADHDの診察を受けに行った話⑦/ストラテラ開始9日目

【前回の話↓】

https://anond.hatelabo.jp/20230227200322

 ストラテラ(40mg)を飲み始めて9日間が経ちました。

 「眠気が出る人が多いから夕食後に飲んでね」と言われたものの、いつも以上に思考があちこち飛び散りなかなか眠れず、4時頃目が覚めること3日。4日目からは朝食後に飲むことに。

 そしたら日中眠い……ので7日目から夕食後に戻すも、また4時頃目が覚める。ので9日目からまた朝に戻しました。

 いかにも落ち着きがないけれど、「薬のせいで睡眠時間が確保できなくて眠い」よりは「睡眠時間は確保したものの薬のせいで眠い」の方がマシかと思い。傾眠と不眠が両方副作用としてあるの不思議

 吐き気頭痛、食欲減退など、その他思い当たる副作用特になし。

 血圧を上げ、食欲を下げ、覚醒させるノルアドレナリン。これを補助する薬を飲むことになったのが、低血圧でよく食べよく眠る人間なのは納得ですね。

 効くのに2週間以上かかるということで、今のところ特に効果は感じず。いつも通り会議すっぽかしたり物置き忘れたり食べ物こぼしたり言っちゃいけないこと言ったり……「寝る前の妄想がなくなる」とかいうけどそんな気配もなし。

 今日心療内科へ行き、10日目からは80mgに増量する予定……だったのに、「眠い」と言ったらもう2週間40mgのままで行くことに。

 2週間ぐらいでぼちぼち、二ヶ月ぐらいでようやく効いてくるらしいけどはたして。

2022-03-31

修了しました

どうしてこんなことになったんだろう。ここ数年で何度も思ったことだ。

これは奇妙な巡り合わせで出会った私にそっくりの友人が大学卒業時に書いた文章の書き出しである。この鏡合わせの彼が書いた文章を何度も自分事のように反芻してきた私は今年大学院を出る。修了という立場に際して、私も少し自分語りをしてみようと思う。他人自分語りなど興味の無いという方もたくさんいるだろうから、そういう方はこの時点で引き返してほしい。思うままに書き殴っているので読みづらいし長いと思うが、それに我慢できる人だけ読んでもらえればと思う。

・生い立ち

私はごく普通環境で育ったと思っている。地方在住で金持ちでも貧乏でもない家で、両親は優しくて、友達もいた。小中学生のころの自分一言でいうと優等生気質だった。学校勉強はそこまで苦にしなかったし、危ないこともしなかった。先生の言うことには従っていたし、学級委員を務めたりするタイプ人間だった。強いて言えば両親が少し頑固だったくらいだ。

小学校では初めに陸上クラブに入った。運動は苦手かつ嫌いだったし、何よりブラスバンドのようなクラブがありそちらに入りたかった。父が無理にでも私を陸上クラブに入れたのは運動の楽しさを知ってほしかったのだと思っている。運動神経のいい父にしてみれば運動は娯楽だったのかもしれないが、運動神経が壊滅的な私にとっては純粋身体能力を問われる陸上は苦しかった。そのため5年生からブラスバンドやらせてくれと懇願した。タダで許してくれるはずもないので中学では運動部に入ると交換条件を付けた。5年生から始めたトランペットは本当に楽しくて練習した。6年生の途中からは1stトランペットを担うこともできた。

中学では周りの部員吹奏楽部に行くのを横目に約束通り運動部に入った。誤解のないように言っておくと別に部活動自体は楽しかった。ただ音楽から聞こえてくる音を聞くたびに自分もこの中にいたらどうだったろうと思うことは度々あった。中学では同学年内でいじめもあって、被害者ではなかったものの学年中を巻き込みつつも教師黙殺しているそれに優等生気取りの私は心を痛めたものだった。その頃の私はもっぱら公正世界仮説(当時この言葉は知らなかったが)の敬虔信者であり、親や先生にほめられている優等生自分はいつか報われるし、逆にいじめなんぞ加担している人間はその人間からどこかで破綻すると思っていた。

 高校は少し離れた進学校に入った。近隣の学校に行く人が多かったが、いじめの件もあり彼らと距離を置きたい気持ちも大きかった。流石にレベルの高い授業でもあったが、モラル教養を持った人が多く非常に楽しい生活を送った。高校部活軽音部と兼任しようかなと考えていたが、他方の顧問専任希望するような言い方をしたので諦めた。別に悪い人ではないと思うが、他人に機嫌を取らせるタイプ人間だった。高校では成績をぐんぐん落とした。周囲のレベルの高さもそうだが、私には2点の欠陥が見え始めていた。1つは努力中学生まであまり勉学に苦労しなかった私は勉強に労力をかける癖がなかったし。加えて苦手な運動は一向にできなかったし、好きな人アプローチしても付き合えなかったし、理論武装して親に頼み込んだことも結局許されなかったり、努力してできた経験と言えば自転車の補助輪を外すときくらいのものであったように思う。努力の数と成功体験の数なんて鶏と卵かもしれないが、努力をした経験もおそらく人よりは少なく、努力が実った経験もっと少ない人間だったように思う。もう1つは先天的能力限界である。これまでの自分は「丁寧に教えてもらえば理解ができる」という能力を有していたと思っている。中学生までの自分が苦労しなかったのもこれが原因だと思っている。しか高校3年生になると少しそれに陰りが見えているのを人知れず自覚していた。周囲の人間には見えていないようで、親や先生は褒めてくれるし、同級生から勉強ができるという認識をされていた。

 3年生になると嫌でも受験を考えなければならなくなる。私はどこに行って何をするのだろう。勉強は好きではない。高校では文芸部の本に部外から投稿してすごく評判が良かったし、文化祭の劇の脚本演出担当して最優秀賞を取れた。そのあたりの活動は楽しかったしクリエイティブなことがしたいかな、あと音楽。それとなく親に専門学校の打診してみたけど、4年制大学に行けといわれた。「いい大学に行けばいい企業に行けるからね」と言われてきていたし、親心としてはそんなもんだよねと理解した。自分としてもレールを外れることに恐怖はあったし、レールに従うことで周りと同じように大学に行って、就職して、結婚して子供を作って、今の家族のような生活が送れるならそれでいいと思っていたのでじゃあ普通大学に行くねとなった。

 問題になるのは何がやりたいかである。私がやりたいことって何だったんだろう。結局見つからなかった。そこで親がアドバイスをくれた。

「まだやりたいことが見つかっていないなら、ここに行けばいいんじゃない?」

親が指し示した大学は、入学時に専攻を決めなくてよいという特殊制度もつ大学だった。みなさん名前ぐらいはご存じの都内大学である。幸か不幸か、私にはそこを目指せるだけの能力はあった。

長くなったが、これが地獄の幕開けである

大学という場所

1浪しなんとか2年目で合格して大学1年目。はじめに学んだ格言がある。

大学では勉強サークル恋愛バイトのうち2つしかできない」

勉強は好きではないので、サークルバイトをやるんだろう、恋愛もあるのかななどと入学後の私は胸を躍らせていた。憧れのバンドサークルにも入った。周りは経験者なので食らいつこうと頑張った。大学から帰って仮眠を取り深夜の安いパック料金で明け方までスタジオ個人練、シャワーを浴びて大学へ。その生活をしていたら資金ショートした。親にバイト禁止されていたため練習交流のためのお金が足りず、実力もつかず人脈もできずにフェードアウトした。

 大学の授業はひどく不親切であった。大学レベルも相まって何をやっているのか理解できなかった。高校の時に疑問を持っていた内容が解決されるかと期待していたが、それらは大体1,2回目の講義解決してしまものか、もしくは深くがっつり専攻しないと理解できないようなもののどちらかで、学ぶモチベーションにはつながらなかった。教える側も教科書も「説明してはいる」「書いてはある」という感じで、高校までのようにわかやすくとはいかなかったから、「丁寧に教えてもらえば理解できる」タイプの私では太刀打ちできなかった。つまらないし時間無駄に思えて次第に講義休みがちになった。

 それでも、とりあえず大学を出れば何とかなると思っていた。ここで耐えている自分はきっと報われると思っていた。好きなもの大学で見つかればいいし、そうでなかったら高校までの勉強ができるから教師になればいい。これが1年目の私であった。

崩壊

 初めてショックを受けたのは成人式のことだった。新成人代表として何人かの陽キャ集団が壇上にあがった。式の前後に彼らと会ったがある人はバツが悪そうに私から目をそらし、ある人は肩を組んで話しかけてきた。どちらもいい気はしなかった。彼らはいじめの関係者である。なんで彼らの方が人生謳歌しているんだろうか。その時にふと思った。「結局彼らは世渡りがうまかったんだ」と。くだらない正義なんて捨ててその場で空気を読んで得なほうに回るっていうのが正解で、黙殺していた奴らもそうだったんだ、なんて自分は愚かだったのかと。そう考えてみると社会に明確な悪役はいなくて、したがって明確な正義存在しない。正義道徳立脚した自尊心のなんと脆いことかと思い知らされた。

 そして、もう一つ。親や教師というのもまた所詮人間だとこの年になって気づいた。この中の何人かが数年のうちに教師になって、親になる。はっきり言って話の通じない人だっているが、そんな人も年さえ取ればいつかは親や教師になりうる。だから黙殺した教師も、話の出来ない親もおかしくはない。じゃあ私が優等生してきた、私が正しさの根拠としてきたものは何だったんだろう。優等生であることを数字で示してくれるものは成績くらいしかない。世渡りが下手で運動などの技能も持たず、それでも私が公正世界仮説を信じてこれたのは、案外「勉強ができること」に依存していたのかもしれない。勉強しかできないやつだけど勉強ができるから何とかなる、そんな風に自分無能さを騙して生きていたのかもしれない。

 さらに拠り所の勉学さえ崩れ落ちた。留年が確定したのだ。受験でも足を引っ張った物理がとことん苦手で何も理解できなかった。2年目は学費負担を減らすべくバイトをさせてもらった。サークル活動事実上全部やめ、バイト勉強の日々が始まった。バイト先は学生が割と多かったため、みんなと仲良くなれた半面、繁忙期が重なった。私は試験前はむしろシフトが増加し、結果的に致命的な必修単位だけ落としてしまった。2留である。親に電話して事情説明した。単位くらい取れとストレートに怒られるかと思った。代わってあげる優しさを評価しつつもやりすぎだと注意されるかもとも思った。

あんた人にいいように使われてるだけでしょうが

人にやさしく優等生してきた自分生き方への批判自分が仲良くしている人たちへの非難ダブルパンチで頭に血が上った。怒りで何も言葉が出ずに何秒か無言の後電話を切って、壁を殴った。

数日すると気分が落ち込んできた。親はそれを「単位を落としたから」と解釈したようであるが、全く違う。私は他の人が当たり前のようにサークルバイト恋愛を掛け持ちして進級している中で、バイトしながら進級できなかった。私は当たり前のことすら満足にできない無能であると、薄々感じていた自分無能が隠せなくなってしまったのである

 3年目は再びバイト禁止した。クラスでの試験対策仕事もやり、その科目の勉強をしなければいけない状況を作った。サークルとしては冒頭の彼の紹介で新しいサークルに入った。サークルでできた友人とは本当に仲が良く、勉強を助けてもらったり、サークル関係なしに遊んだ大学での生活の基盤になった。助けてもらえる人も増え、自分学習するようになり、この年の上半期では単位の取得ができた。しかし、私が感じていたことは決してポジティブなことではなかった。私がこの年の経験でわかったことは「お前はやればできるが、環境サポートがあって自分勉強してもちゃんとできるのは2単位」ということである。私は2年で70単位以上取得する想定のカリキュラムを、半年で2単位しか取れない脳みそでやっている。無能すぎてもはや卒業が無理なのではないかと思った。

公正世界仮説評価軸としてきた大人たちへの信頼、自身の実力への評価の3つが音を立てて崩れて、この時私は確かに一度死んでしまった。このことに気づく前の自分に戻れなくなってしまった。中学いじめがらみで「死にたいけど死ぬ勇気もない」って言ったときに「死ぬのなんて勇気って言わねえ」って怒鳴りつけてくれた友人がいた。

・専攻決定

4年目にして2年生。この年は諸々の事情クラスから孤立した。喧嘩別れのようなものである。私としても仲良くする気はなかったので1人でどこまでできるかやってみようと思った。結果は惨敗だった。単位取得こそぎりぎりできたものの私はこの大学では人に寄生しないとやっていけないと気づかされた。

そして、4年前に選択先延ばしにしたツケの返済期限が来ていた。専攻の決定である。結局4年間でやりたいことは見つからなかった。勉強面白くないし、勉強以外の何かを思い切って始める余裕もなかった。教員になろうかとも思ったが、それもかなわないと思った。教職卒業単位には含まれないため、追加でいくつも講義を取る必要がある。通常のカリキュラムすらまともにできない私にそれは無理だろう。ちなみに私と同じく成績の芳しくなかった冒頭の彼は教職を志して単位を取得しに行ったが、弊学では満足に教職まで取り切れなかった。教職を目指した世界線の私もきっとこんなものだろうと思ってしまった。

理系科目はわからなかったので、唯一興味がわいた心理学を専攻しようと思った。しかし、成績が足りなくて進むことが絶望的だった。ここで初めて間違いに気が付いた。この大学システムは何をやりたいか不明瞭な人間を救済するシステムではなく、やりたいことや才能が複数ある人間選択肢を与えるシステムなのだと。私などがこの大学には来てはいけなかったんだと激しく後悔した。

このシステムでは通常、成績が足りなければ次の年に再挑戦することができる。しかし、私は4年目であったがために在学年限が迫っており、この年で専攻を決定しなければならなかった。そのため、当時人気の低かった化学を選んだ。化学は苦手で高校化学すらわからないが「とりあえず大学を出れば何とかなる」のであれば、と苦渋の選択をした。

実験異変

5年目、3年生。1限からの授業と週3回の実験があり、9時-18時のような生活になる。実験には予習とレポートがあるため、実際の拘束時間はこれより長い。何とか4月を乗り切ったところで、レポートを1つ残してしまった。GWに入ってレポートをやらなければと思って毎日机に向かおうとした。いや、向かったこともあった。だが、ペンを持っても何も書けない。そのまま時間が過ぎてごはん時になり席を外してご飯を食べる。そんな日が続いてGWの最終日、床にへたり込んで泣いた。書かなきゃいけないと思いつつも1文字も書けなかった。

 3年生の必修は実験だけだったので、他の単位犠牲にしてでも取ろうと考えた。1時間だけ講義を休んで...その1時間を何も書けずに終えた。これを繰り返してほぼ全ての講義を欠席した。次第にいろいろおかしくなっていった。頭痛もちでもないのに頭が痛みだした。文字が読めなくなり、教科書はおろかネットニュースくらいの簡単文章でも字が滑るようになった。1日にできることがゴミ出しと洗濯くらいになり、起きて寝る以外に食事、入浴、ソシャゲの周回くらいしかしてない生活になった。

 溜まりに溜まったレポート夏休み前に呼び出しを食らったことで、無理やり夏休みを使って消化した。歯を食いしばりながら全部消化したことは覚えているが、歯を食いしばればできたことがなぜここまでできなかったのかこの時は疑問だった。

 4年生になり、大学院へ進学することになったが、大学院の手続き入試勉強、足りなかった単位試験勉強などでタスクが溜まった瞬間、この症状は再発した。友人の勧めを受けて学生相談所に通うことになった。

能力環境

学生相談所のカウンセラーはいい人だった。いろいろお話をして気持ちは和らいだ。専門的なこととしてはWAISの検査を受けた。結果は処理速度だけが異様にへこんでいる格好になった。別に数値は低くないので大丈夫と言われたが、「問題の有無は環境によって決まりませんか?能力の高い人が集まる環境ではそれなりの能力要求されますよね?」という質問には満足のいく回答は得られなかった。

 親にも何度か愚痴を言ったことがある。そのたびに「あなた世間一般には優秀だから大丈夫」と返されるのである。何が大丈夫なんだろうか。”今の環境”が辛いと言っているのに”世間一般”という別の集団を持ち出して何の救いになるんだろうか。これ自体も言ってみたことがあるが「なんでそんなこと言うの」と言わんばかりの困惑した顔をするだけだったのでやめた。別に親以外でも同様のことを言う人はいる。世間一般評価邪魔をして、まともに助けを求めることすらままならない。内部の人間から見て無能で、外部の人間から見て有能な私は、共感を得られる対象がとても限られていて苦しかった。大学ブランドという呪いにかけられて苦しかった。

 やりたいことをやれていればよかったのだろうか。サークル作曲体験させてもらう機会があった。でも続かなかった。結局忙しいとかいろいろ言ってインプットから逃げている自分がいる。クリエイターにはなれなかっただろうなと思った。好きなことも頑張れない自分に「自分が勉学を頑張れなかったのは勉強が嫌いだからじゃない、努力が嫌いなんだ」という事実を突きつけられてまた悲しくなった。あれほどに信じてきた公正世界仮説は「お前が苦しいのはお前が間違ってきたからだ」と自分に牙をむき始めていた。

・進学と私

大学院へ進学することにした私だが、実は私は望んでいなかった。学部時代夜遅くまで研究に勤しむ先輩たちを見ていて「私にこれは無理だ」と実感していたかである研究への熱意はおろか、化学への意欲も知識もないのである。ただでさえ病む人が多く出る大学院という環境にこんな人間が行くのは自殺行為に他ならない。そのため、私は就職を強く希望した。しかし、親にそれを伝えると「今のお前に就職はできない」と言われた。就活を終えた今だから言えるが、これは正しかったように思う。議論は「就職はできないから進学しろ」「院でやっていけないか就職させろ」の平行線で、就職も進学もろくにできない無能をぼこぼこにリンチするだけで生産性はなく、結局「とりあえず進学はするがいつでも辞めてよい」という落としどころになった。

 私は院試に落ちるのが最適解だと思った。学力もないので真面目に受けても受からないだろう。院試を受けたけど落ちましたというのが親にも研究室にも一番角が立たない。しかし、筆記試験が思ったより点数が低かったのか通ってしまった。面接をすっぽかすことも考えたが、会場に研究室の先生方がいるかもしれないことを考えると気が引けた。面接では辞退の意思を伝えるつもりだった。面接官と私だけの秘密である。私は院試を受けて落ちたのだと周りに言えばよい。

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2021-06-28

100才だろうが、寝たきりだろうが、不調があれば身体を治したいだろ?

風邪薬便秘薬なんて普通に飲むだろ?

 

なのに、高齢から、寝たきりだから、内出血が怖いから、

意識があることが良く分からいから、入院したらXXは摘応になりません?

医師家族同意もなしに勝手に止めた、それが致命傷だ

 

障害者であっても傾眠傾向であっても、まだ十分に意思のある患者を、意思がないと断じ

脳梗塞防止薬の処方を止め、再発を齎す?

便秘緩和剤をあたえず、排便させずにおく?

誤嚥が怖くて、無呼吸症の苦しみを緩和する治療器具を外す?

 

医療業界常識とは恐ろしいものだな

2019-09-03

インスタやめたら頭がよくなった

1ヶ月程前にインスタをやめた。

やめてみて、結論から言うと弊害はなく、むしろメリットばかり感じている。

そのメリットについて書く前に、少々長くなるがやめた経緯について語る。

きっかけはキラキラした世界に嫌気がさしたかである

学生夏休み。かくいう私も3週間という短い夏休みを得た矢先であった。

インスタのストーリーに流れてくる大量のリア充リア充リア充

友人と遊びに行きました、飲み会、サマフェス、海、山、ドライブデート部活遠征帰省しました、旅行です等々...

よくもまあ毎日それだけ投稿するものがあるもんだと思う反面、自分実家のベッドで寝ころびながら

友人のそればかりをスクロールしては眺め、スクロールしては眺め、を繰り返しているうちに気分が沈んだ。

夏休みに入る前から若干気分障害じみた気配はあったが、それが休暇を境にどっと来てしまい、

皆が外の世界でわいわいキャッキャ遊んでいる時間に私は過眠をかまし目が覚めても傾眠

親にその自堕落を指摘されればブチ切れ物を壊し、暴言を吐き、ひとしきり暴れて泣くという行為を繰り返していた。

それでもやめられなかったのは人の輪から外れそうで怖かったかである

大学に行っても「ねえ、昨日の○○のインスタ見たー?」という会話がほとんどで

休み時間がくればインスタを開きその話題でひとしきり盛り上がるのであった。

今や同学年のほとんどはTwitterでもFacebookでもなく、インスタで繋がっており、なんならLINEを超えちゃうんじゃね?という感じだった。

から尚更怖かったのである

辞めることで他人を知れないことが怖かった。

今思うとインスタでしか繋がりのないような人間がどこで何をしていようが私の人生には全く徳も損もないのに、その時は繋がりを切ることが怖かったのである

その繋がりに固執しつつ、他人の楽しそうな様子を見て気分を滅入らせ、どんどん自分を嫌いになっていた頃であった。

ある投稿きっかけで私はインスタをやめた。

多分これ、好きな子いる人には分かると思うんだけど好きな子投稿って無駄に細部まで見てしまことない?

料理写真の対面に皿が写ってるとか、他人を伺わせる内容が書いてあるとか。

あるいは自分の知らない人をタグ付けしているとか。

実は私も好きな子投稿めちゃくちゃ見る奴だったんだけど。

なんなら怪しいと思った女の投稿まで全部監視してる系の女だったんだけど。

7月の終わりに好きな子投稿した料理投稿にさ、「○○ちゃんとの合作」みたいなの書いてあって

「#合宿」みたいなのが書いてあったわけ。

それでもう5月くらいかマークしてた女がタグ付けしてあったからその女の投稿にとんだら

同じ料理写真投稿にあげてて

「泊めてくれてありがとう」みたいなのが書いてあったわけ。

んでストーリー見返したら(ストーリーって足跡つけずに見られる方法あるからそれ使ってたんだけど)

好きな人のベッドに寝転がって間接照明で遊んでるっていう投稿がでてきたわけ。

てめー、24時間で消えるからって付き合ってもない男の家に上がり込んだ投稿するとかどういう精神

それ「私やっちゃいましたよナマステー」って言ってるようなもんじゃね?

ああナマステ―はそいつらが作ってたのがカレーからなんだけど。

って思いながら即トイレで吐いた(ストレス胃炎も起こしていた時期だったので簡単に吐いた)

それでひとしきり泣いた後、自分が圧倒的にダメになっていっていることに気づき

「インスタをやめたら人生好転するのか?」という記事を2時間近く読み漁り、

どこの誰が書いたかからない記事背中を押される形で私はインスタを消した。

やめて2,3日は他人の行動が伺えないことが怖かったけれど、1週間も経てばどうでもよくなった。

あれだけ執着していた好きな人の動向伺いもできなくなってしまったけど、それは2週間くらいで「まあいっか」と思えるようになった。

3週間経過したこから勉強する内容や人との会話が以前よりも頭に残るようになっていることに気づいた。

思えば人と話している時も、勉強している時もインスタで見てしまった内容について考えて気分が塞いだり、今何してるんだろうって気になって

しょっちゅうインスタを開いたりしていた気がする。

要するに現実世界に対する集中力がなかった。

あとは、お父さんに言われたんだけど、結局人間の脳もスマホパケットと一緒で、

動画データ量が多いから、1日に人間記憶できる容量を圧迫してしま

ゴミみたいなストーリー映像ばかり残ってしまうのではないか、と。

(この理論だとYouTubeやネッフリでみている動画も容量食っていることになるがそれは認めたくないなあ)

からその容量が解放された分、記憶力が向上しているのではないか、と。

まあ記憶必要仕事試験がない人には関係ない話かもしれないけど

近いうちに大きな試験を受けることになる私にとってはとても助かることであった。

あとは精神的に安定したかな。

現実世界楽しいこと、綺麗なこと、些細なことにスマホカメラじゃなく自分の眼を向けられるようになったって感じる。

だって「いいな」って思ったことを誰にも表現する術がない。

でも逆に言えば、「いいな」って思ったことは誰にも評価されない。自分の「いいな」で完結できる。

ちなみに私がインスタをやめたことなんて誰も気づいていなくて、

「○○のインスタ見たー?」とか言ってきた友達数人に「もうやめちゃったんだ」と伝えて全員が知らなかったレベルなので

まあそんなもんです。やっててもやめてても気づかれないんですよ。

自分が「いいな」って思ったストーリー適当に流されて、投稿適当に「いいね」押されてるに過ぎないんですよ。

押してるくせにどこ行ったか覚えてない奴なんて山ほどいるし。

友達も減ってないし、相手は変わらないだろうけど私はその人達に全力を注げるようになった。

だって喋りながらインスタ眺めることがなくなったんだもん。対峙しているその人との時間がすべて。

そんなわけで。タイトルはインスタをやめたら頭が良くなったっていう一面しか紹介できていないけど

実際はすごくいいことがたくさんありました。

何よりも自分が好きになれました。

そういえば。好きな子のことはまだ好きです。ここでは話ずれちゃうからしないけど、この記事だけじゃどう見てもクズ野郎ですが

どうしようもなかった私をたくさん助けてくれた人です。

でもその人は今インスタで毎日自分の作った料理投稿するのに必死で、少しかわいそうだな、と思います

そんなことに執着している時間を使って、私はもっと賢くなって、綺麗になってやろうと思います

最後に。インスタ辞めたってお母さんに言った時の言葉で締めようと思う。

「インスタ?最近若いのものなんて全然分からんけど、ゴミと一緒やろ?

ゴミゴミ、捨てて正解。はよ勉強し。」

2019-06-04

anond:20190604024727

飲み始めが特に辛いってこともあるから何とも言えないな

ストラテラだったら自分は飲み慣れたらほとんど副作用なくなったよ、不快感とか食欲減退とかじゃなく傾眠だったけど

2019-03-19

anond:20190319163432

https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=10093

部分抜粋だけど。食後じゃなかったらまた別原因かなぁ

「食後の傾眠・だるさの原因は?【多くは食事性低血圧による】」

食事性低血圧定義は確定されてはいませんが,

食事摂取後1時間以内に平均血圧が20mmHg以上低下,

食事摂取後2時間以内に収縮期血圧が20mmHg以上低下,

収縮期血圧が食前100mmHg以上あった場合に90mmHg以下になる,のどれかに該当する場合を陽性としています3)。

しかし,健康者に起こる眠気のように,これらの基準以下でも軽い症状が出ることもあります

食事性低血圧は,自律神経不全,パーキンソン病アルツハイマー病,脳血管障害などの神経疾患だけでなく,高血圧糖尿病透析,そして高齢などにより起こることも報告されています




食べると眠くなるのはなぜ?脳科学でわかる食と睡眠メカニズム

https://www.dtod.ne.jp/omoshiro/article30.php

やっぱり 👻のせいかな。

2019-01-09

うつ症状の整理

抑うつ一般的に知られる症状

 精神症状

  抑うつ気分

  不安・焦り

  遠くへ行きたい・消えてしまいたい

  興味または喜びの喪失

  意欲の低下・億劫

  自分を責める

  会話や本の内容が入ってこない

 身体症状

  睡眠障害

  食欲の変動

  疲労感・倦怠感

  動悸・息苦しさ・口が乾く

私の場合

 発症時期と変遷

  F32.0(.14 中旬) F32.1(.16 1) F32.2(.17 7救急搬送以降)F32.3 (意識レベル低下により主観記憶上に明確な時期の認識存在しない)IDC-10 2016

 自覚(あるいは過去主観記憶からあったであろう)症状 おおよそ時系列

  微小妄想 病感あり

  醜形妄想 病感あり

  離人症 病感あり

  希死念慮

  集中力低下 自覚症状の発現は遅い

  精神運動遅滞 psychomotor retardation 自覚症状の発現は遅い(暗記テストの点数の変遷により推測)

   短期記憶力の(.16 7~ 有意な)低下

      ex.記事項が覚えられない 何をしようとしていたかからない、掲示物の内容を記憶できず何度も見直すなど日常生活に支障

   計算速度、精度の低下、不能

   英文の内容把握速度、精度の低下、不能

   読解、読字速度の低下、不能

   会話の内容が把握できない

  罪業妄想 some idea of guilt and worthlessness  病感なし

  意欲低下 eduction of energy, and decrease in activity 病感なし より早くから存在した可能性大

  睡眠障害 3〜5時間睡眠

  自殺念慮行為 Suicidal thoughts and acts 意識喪失二回 三回だったか

  一時的な興奮 agitation

  嗜眠 傾眠 somnolence lethargy

  うつ昏迷 stupor

治療、休養が遅れた理由(多分)

 てんさい(笑)なので意欲低下や精神運動遅滞を隠すことができた(教授などで認知症発症が遅く進行が早いのと同じ)

 親が昏迷とか睡眠障害精神運動遅滞を発症している本人に受診等の判断をさせた(させようとした)

  が当然無理

 朝方の(一般例と同じく朝方が一番ひどい)昏迷・嗜眠・傾眠状態ときに散々に学校にいけと怒鳴られ身体暴力も受けた

 本人に治す気がない(セルフネグレクトの気がある)

  キツめの破滅願望がある?

 

どうすべきか

 やす

 卒業資格は今年度は諦める

そのた

 搬送自殺行為によるものではない

現状

 現状家事くらいはできるようになったが、そのため社会復帰して卒業資格取ってこいとの圧がつよい 

 しにたい

EDIT 一部見やす

2018-04-11

パチスロ依存症】夜まで働けばスロを打たずに済む

制作会社バイトで入っている。

病気理解もあり、昨日は熱で休む。

今日は出勤日だったが傾眠頭痛に悩まされながらタクシーを配車して、会社についたら15時過ぎ(12時定時)。

定時は19時上がり。でも今日ちょっと違って21時過ぎぐらいまで残っていた。

休んでいた分、やることはあったし、なにより帰りたくなかったのが一番にあった。

会社帰る際に「(会社の)新スタジオ寄ってく?」と話になり、先輩社員2人についていき見学

現場には出れないにしてもとりあえずシステムがどうなってるかを実地で確認

帰ってみたら終バスで、これを書いている時点で0時を回っている。

明日休みの予定を急遽出勤に変更。

ディレクターにチェック入れてもらってその後音入れ。

駅についたら22:40、スロ屋なんて行けるわけがない。

それを考えると「あれ、これ長く働いたほうがよくね?」とか思い始めてる。

とりあえず疲れたからPCつけながら寝なくて済みそう。

…朝早く目が覚める割にきっつい。

2017-11-16

anond:20171115183427

こんにちは

初日から余計強く出ちゃったのかも、ということで、様子見しながら服用しています

夕食後にうとうとと寝てしまって、とりあえず1時位に飲んでおいたら朝まで効いてたので、りりかちゃんすごい…っょぃ…ってなりました。

寝不足とは縁遠いので、単に眩暈みたいです。仕事中の傾眠だけは避けたい…!

結構こだわってらっしゃるのですね…!いいなぁ。

カフェインとるとしゃっきりしますよね。朝は確かにいいのかも。(ただし私の朝に、優雅コーヒーを嗜む余裕はありません…寝るの大好き…)

緑茶は、ちゃんと湯冷ましてから淹れるとカフェインがあまり出ない&テアニンリラックス効果あり)が出るのでおすすめです!高いお茶だと、これが緑茶なの?!って位甘いお茶ができます^^

ちょっと時間がかかりますが、水出しもおいしいです。夏向けかも知れませんが…。

生活の木楽しいですよね!ハーブコーディアルだけじゃなくて、ティーバッグとかもあれこれ飲んでました。

私のハーブコーディアルデビューは、ソーンクロフトというメーカーのもので、エルダーフラワーが好きなのですが(多分生活の木にもありますね)、お試しならミニボトルの3本セットがおすすめです。

https://www.amazon.co.jp/dp/B01N1IJ08J/ref=asc_df_B01N1IJ08J2251518/?tag=jpgo-22&creative=9339&creativeASIN=B01N1IJ08J&linkCode=df0&hvadid=204359291950&hvpos=1o1&hvnetw=g&hvrand=17782218045934027012&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=c&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009435&hvtargid=pla-340280541297

↑なんか包装が可愛くなっている…!久々に私も注文しちゃおうかなぁ。コムブッカは初めて見たけど何物なんだろう…

2016-04-20

http://anond.hatelabo.jp/20160420212410

酸化マグネシウムは下剤に使われるけれど、

アントラキニン系下剤と違って大腸が真っ黒になる大腸メラノーシスを引き起こさないと言われてます

ただ、高マグネシウム血症を引き起こすことがあるので要注意です。

悪心・嘔吐、口渇、血圧低下、徐脈、皮膚潮紅、筋力低下、傾眠等が高マグネシウム血症の初期症状なので、きをつけて。

 
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