はてなキーワード: 対峙とは
美しいもの,輝かしいもの,完璧なもの,こうした理想的な,最上級の存在に,心の奥底で物足りなさを感じたことはありませんか?
だって考えてみてください.
完成したパズルを眺めるよりも,欠けたパズルを埋める方が楽しいのですから……
さてさて,ここでは存在の「キャラクター性」について考えていきたいと思います.
尊敬や愛情など,好意の形は多種多様です.それら全てを包含しましょう.
ただ今回については,恋というとてもシンプルな言葉でそれらを置き換えることを許してください.
さあ始めましょう.
その想いは,本物ですか?
あなたが今,誰かに魅了されているとしたら,その最も大きな理由は「人間らしさ」にあることでしょう.
この「人間らしさ」という表現を,筆者は不完全さとして解釈します.
例えばドラマやアニメのような作品ではについて見てみると,多くの場合,注目するそのキャラクターの美しい部分や輝かしい部分にスポットライトを当てています.
夢物語です.
光の当たる部分しか映らないそれは,ただ美しいだけの何かに過ぎません.
だから作品の中では,暗い過去や後ろめたいものを見せつけます.時には不快なくらいに.
「美しさ」と対をなす「醜さ」こそが,人物の不完全さであり,キャラクターを味付ける最高のスパイスです.
聖人たりえる存在への好意は「恋慕」と言うよりは「憧憬」に近く,あなたが同類の聖人でない限り,その隣に立つことを,いつかあなた自身が拒むからです.
初めのうちは,問題など生じません.
あなたは自分にはない相手の美しさを素直に受け入れ,憧れ,そして惹かれる.ただそれだけの自然な営みです.
しかしながら,人の心は厄介なもので,恋愛感情における憧れは,単体では長続きしません.
過ごす時間,存在する空間,共有するものが増えるほど,あなたと想い人は存在として重なり,そして残酷にもその差異を明らかにします.
心の距離を近づけようとすればするほど,想う相手はあなたの鏡となり,あなたの美しさ,そして醜さを浮き彫りにします.
あなたがどう想おうと.想い人がどう想おうと.
あなたが相手を想うほど,あなたは相手の美しさを知り,そして自らの醜さと対峙しなければなりません.
これは人が人を愛するために避けられない呪いです.
古くから知られるように,醜さを持たない人は稀です.
あらゆる宗教の経典で取り上げられる程度には,ありきたりなものなのでしょう.
否,醜さを持たない人を「人」と呼ぶことそのものが不適であるかもしれません.
自らの醜さを自覚した人は,次の行動として,それを相殺するために相手の醜さを探します.
だって,私たちは愚かで,美しさを比べるよりも,醜さを比べる方が楽ですから.
裏を返せば,「自らの醜さを相手に示すという行為は,信頼の究極的な表現の一つ」と捉えることができるかもしれません.
優しくされたとき,笑ってくれたとき,ただ隣にいてくれたとき……
でも,その想いが加速する瞬間は決まっています.
あなたの中に芽生えたその想いは皮肉にも,相手の「醜さ」を知ることで育ちます.
意図的か否かを問わず,「醜さ」を出会って初期の段階で見せられたとき,好意を得ているのではないかと感じてしまう,勘違いです.
例え事故的であったとしても.
本来追うべき順番を間違えているとも気付かずに.
さあ考えてみてください.
その想いは本物ですか?
それとも,自分の誤解に騙されていませんか?
残念ながら「醜さ」もまた,長続きするようなものではありません.
置き土産として,これについての2通りの解釈を提示しておこうと思います.
もし時間の経過とともに,あなたの想いが薄れるようなことがあれば……いえ,ないことを祈るばかりです.
魅力としての「醜さ」の一線を越えてしまえば,それはスパイスでも何でもありません.
ただの味付けに失敗した出来損ないの料理です.
欲をはじめとするあらゆる醜さは,それ単体では何ら加点要素となりません.
裏を返せば,伸びしろばかりとも言えますが,果たして成長を待てる人はいるでしょうか.
先の章で,「醜さ」をあたかも良いもののように誤解なさらないことを希います.
まあもっとも,長い時間自らの醜さを隠し通せる人なんて,そう多くはないでしょうが.
反対に,あなたの想う人がどんどん理想的になる,というシナリオも考えられます.
あなたの求めていたものがもし「醜さ」に起源するものだとしたら,きっとその想いは冷めることでしょう.
知らずのうちに,孤独感,劣等感が増し,好意が薄れていく……そうなるかもしれません.
しかしここで悪い人は一人もいません.
全員が善処し,そして不幸になるだけです.
これまでなんとなく読んでなかった「ONE PIECE」が無料になってるっていうんで、読み始めてみて感じた違和感を書く。
戦闘や冒険がメインのストーリーは、パラメータを脳内で考えながら読む癖がある。
状況を見ながら、このキャラの強さはこのくらいのはず、という数値を想定しパラメータに変動がありそうな要素があるたびにその数値を修正していく。
登場人物が多いストーリーほど、こうやって全体像を掴むんだけども、ONE PIECEの場合、どうもこのパラメータ設定がうまくいかないのだ。
たとえば、いまのところウソップに最も感情移入して読んでいる。何者でもなく、物理的な強さも持たず、逃げてばかりだが自分を偽りながらなんとか誇りを保って生きているみたいなところに共感するものがあるからだ。
だからウソップが時々活躍するたびに、「いやいや、お前そんな強くないだろ」と思ってしまう。対峙する敵に想定されるパラメータと比べてウソップはずっとずっと低いはず、というシーンがある。
ストーリーに変化を持たせるため、パラメータを超える力を発揮するシーンが必要、というのはわかる。故郷を守るためとか、大事な人との約束とかそういうのが絡む戦いがそうだ。
そういうパラメータを超えられる説明があるシーンはいいのだけど、ONE PIECEはそうでない場面もたびたび出てきてもやっとする。ウソップそんな強くないだろ、と同じくらい、ルフィや敵キャラに対して「お前そんな弱かったっけ」とかもある。
パラメータが変動する要素がその都度描かれている。死にかけて復活したら強くなる設定とか、潜在能力を引き出してくれる存在とか、他人の力を吸収できるとか、そういうやつだ。
パラメータを数値化するスカウターも、理解をさらに精緻にしてくれた。
ONE PIECEは物語としては面白いし感動する部分もあるんだけど、この違和感を持ったまま読み進められるだろうか。みんなどう解釈してるの?
※まだ全然途中(グランドラインで巨人たちの島を出た後、ナミが病気になるあたり)なので、このあといろいろ説明がつく描写があるのかもしれない、とは思ってる。
「古典は本当に必要なのか」と今訊かれたら、どう答えるだろうか。(この問いを「高校で必修科目にするべきか」に矮小化して競うのはズルいなあ)
例えば、今『幸福な監視国家・中国』を読んでいるが、これを読むとどうも中国政府が作ろうとしているのは、ある意味で儒教の理想社会なのではないかと思う(明天子としての国家主席)。
社会信用システム、個人の信用を数値化し、数値が低いと各種サービスが受けられなくなる。法と刑罰で縛るのではなく緩やかな制裁、不便さ生きづらさを与えることで自発的な服従を引き出す(馴致)。「修身斉家治国平天下」をIT技術の力を駆使して実現しようとしている、ように俺には見える。
儒教とは民主主義とは異質な、いわば統治者の統治者による統治者のための政治哲学。人には身分があるという前提の上で、礼儀正しく他人に優しくしましょうねという思想。現在の中国政府が目指す路線もそれで読み解ける部分が大きいのではないか(少なくとも内政に関しては)。
すなわち、支配する中国共産党と支配される中国国民という大前提の上で、高い教養と徳を兼ね備えた選ばれた君子ならぬ党執行部が、民草ならぬ国民を善導し仁政を施す、こういうイメージ。「天網恢恢疎にして漏らさず」というが、その天網を技術の力で人為的に構築しようとしている。その結果生まれた(生まれつつある)「監視国家」では、人々の暮らしは便利になりマナーも向上し犯罪も減ってきた。そもそもの大前提に疑問を感じないのであれば、それなりに暮らしやすい社会なのかもしれない。
「自由で平等な個人からなる市民社会」を唯一絶対の価値とする西洋近代から見れば、今の中国社会はディストピアにしか見えないだろう。だから人権とか環境とか、相手にとって響かない言葉を批判材料に持ち出してしまう。全く噛み合ってないのだ。
しかし、「君子が民草を善導する儒教社会」を念頭に置いて見るなら、(好悪は別として)それなりに理解できる。したがって噛み合った対話が可能となるし、上手な付き合い方も見つけられるのではないか。
以上のような推論が正しいのかは措くとしても、こういう考察ができるのは俺が漢文を読めるからだ。
勿論四書五経を精読した訳ではないが、要点はかいつまんで把握していて、必要があれば誰かに訳してもらわずとも自分で読めるからだ。
もしある人が中国や中国経済に関心を持っていても(あるいはビジネス上持たざるを得なくなっても)、彼が漢文を全く読めなければどうか。影響力のある著名人が「修身斉家治国平天下を連想させる」と指摘するまでそれに気づくことはできないだろう。また、仮にそれを聞いても出典である『大学』を読めなければ指摘の真意を理解できず、したがってその当否も自分では判断できないことになる。
つまり漢文の素養がある人は、ない人に比べてより早く、より多くの可能性を想定することができる。したがって対象への理解の程度もより深くなる可能性が高い。その知見をビジネスに生かすこともできるだろう。
要するに古典というのは、今起きていること、起こりつつあることを理解するうえで役立つ枠組みを我々に提供しているのではないか。
というより話は逆で、理解の枠組みとして多く参照された作品が結果古典として残っているのではないか。たくさん引用された論文がそれだけ権威を持つように。
「高校の授業が古文漢文の真価を学生に伝えられているか」は大いに疑問だし、厳しく問い直されるべきだと思う。が「古典は本当に必要なのか」と問われれば、俺は躊躇なく是と答える。
現在、そしてこの先しばらく国際社会に大きな影響を与える中国という巨大な異文化と対峙した時、日本には他国にない大きなアドバンテージがある。漢字の読み書きができる、そして中国文化を受容し改変してきた伝統がある。このアドバンテージをむざむざ捨ててしまうのは愚かしいと言わざるを得ない。
この主張だと「では日本の古典は勉強しなくていいのか?」という反論が想定されるが、それについてはまた機会を改めて考えよう。
我々も国民、更には人類の一員である以上、未知の病原菌と戦うのであれば喜んで協力しよう。
だが、いうまでもなく雄図と無謀はイコールではない。周到な準備が欠かせないが、まずこの戦いの戦略上の目的が奈辺にあるかをうかがいたいと思う。
コロナウイルスと対峙し、戦った姿勢だけ見せてよしとするのか。
それともコロナウイルスに壊滅的打撃を与え、世界から根絶するまで戦いをやめないのか。
そもそも作戦自体が今季の流行シーズンを乗り切るだけなのか、今夏も含め今後数年・数十年続ける長期的なものなのか。
世界中で10万の罹患者を出して、封じ込めに失敗してることは明らかなわけでしょ。
何年も前のSARSやMERSでさえまだクスリないのに早々特効薬ができるともおもえない。
着地点をどこにもってくるの?
断っておくけど、もともとイラついたらイラついたって言えるし、憂鬱だったら憂欝って言えてたし、億劫だった億劫とことばにできていた。でも、今の気持ちについて上手く形容ができない。
その日は苦手な大叔父が参加するので不参加の予定だったけど、諸事情で出席しなくてはいけなくなり、大叔父と対峙した。
この時はもう嫌で嫌でし方がなく、酌をしたり自慢を聞いたり(大叔父一家上げ、その他下げの比較の話題)して、クソほどこの大叔父に消えてほしいと思っていた。大病を患ってくれ、とか、大けがしてくれ、とか、そういう事を考えて凌いでいた。間違いなくストレスだった。
友達に話を聞いてもらったり、同意を得れば回復するだろうと思って、事情を話して話を聞いてもらったりしたけれど、一向に回復しない。
回復しない、と書いたけれど、一週間経った今、少し気持ちに変化が出てきている。これがどういう感情なのかが説明できない。
大叔父の事はわりとどうでもよくなってきていて、この後も存在を感知しなければいいや、くらいまでは思えるようになってきた。
不眠が続いている。
寝付けなくなり、眠りが浅くなった所為で寝付いても夜中に4-6回目が覚める。
じゃあ昼間眠いのかといわれると、そんなこともない。けれど、集中力が続かなくなり、深度も浅くなっているように感じている。仕事が進まない。
食欲に波がでてきた。
朝から菓子パン・総菜パン・昼はパスタとなんか肉、夜は2人前みたいな日もあれば、今日みたいに朝食べず、昼も食べる気が起こらず、このままだと夜も食べない、みたいな日も。波は不定。
本調子ではないことは、仕事の進捗や内容を振り返ると自覚できている。
家にいても落ち着かず、あれこれと考えてやらなきゃいけないタスクが漏れているのではとTodoリストを確認してやる事を整理しても、結局何もしない。
落ち着かない、と書いたけど、そわそわしているのとはちょっと違う。なんかもっと、ぐっと丸くてかたくて小さいものが胸の真ん中にある感じ。パチンコ玉みたいな小ささの、重い玉。
食欲が暴走しているときは、性欲も暴走気味だし、一方で今みたいなときは、いつも嬉しい恋人からの連絡になんの感動も抱けない。
こういう状況が嫌で、元通りになりたいんだけど、どこに根本の原因があって、今自分はどういう状況で、どうしたらいいかがわからない。
わいはおかしくないと思うぞ。
そもそもJCOの事故でも水戸ナンバーで放射能がうつるとか言ってた民度よ、俺たち。
まさにTEINOU!
東日本大震災では、AERAだかが「放射能が来る!」つって煽っていましたが、
原発が爆発して、拡散したヤベェ奴も結局ごく限られた地域にって感じだった。
だからあーいえおーいえ俺、入江もとい、IAEAや国際的な評価もよく頑張ったよね、できることやったよねみたいな評価になった。
日本国内では原発事故も散々杜撰だと言われてきたけど、今回のクルーズ船はあまりに杜撰すぎて比べるのも失礼なくらいだと思う。
前者はトップはクソオブクソ(東電の首脳)だったけど、現場の責任者は日頃それに対峙していた専門集団。
後者はトップがクソオブクソ(橋龍の息子か?よく知らん)で、現場の責任者も誰だかわからない。というか医療に当たっているのに船長がーとか言っているのなんなの?って外野は思う。
放射能については、言っちゃなんだが枝野が散々言っていたように「直ちに影響はない」なのである。
いじめがどうとか、ばい菌とかいうニュースが出てきているが、正直まぁそら思われますわぁと。災害医療として派遣された医療従事者がきっちり2週間休み、その後に検査を受けるような体制が必要なのでは?と素人でも思うようなことをやってないのが、俺たちの厚労省なのだ。呼び出しておいて、それをやらない。医療の分野を残念ながら笑ってはいけない厚労省が管轄しているのである。内閣府にできてなんでお前らにできひんねんて新喜劇ばりに倒れたくなったがな。
災害派遣行ってきまーすつって、帰ってきて早々出勤してきたら職場の同僚たちがその同僚に対して「えっお前なんで出勤してんだよ!」ってなるのは当然ではないかと思うし、病院トップにしたって患者ファーストになればこそ「ちょまてよ」となるはずである。
つまり、派遣された医療従事者が休む体制をきちんと整えなかった厚労省がどうしようもないということだ。
それが本邦である。
「ふん、流れの……しかも首輪つきか。あっちの集いで最もマシだったのが貴様か」
対戦相手らしきネコが、こちらに聴こえるような大きさでそう呟く。
仲間達は少し怪訝な顔をしていたが、俺は歯牙にもかけない。
どうせ戦いとなれば、牙は存分に使うことになる。
「代表者、前へ」
俺は恐れも淀みもなく、いつも歩くように前に進んだ。
けれど今この瞬間、俺は何よりも身軽なように思えた。
「逃げるなら今のうちだぞ?」
そしてほぼ同時のタイミングで、お互いに睨み合う。
この時点で、既に戦いは始まっていた。
開始の号令など存在しない。
「すぐには逃げてくれるなよ?」
目を合わせただけで、すごい威圧感だ。
ケンカ慣れしていない俺は、この時点で目を逸らしたくてたまらない。
俺より少しでかいくらいだと思っていたが、至近距離で見ると予想以上だ。
覆われた剛毛が際立っており、実際以上に大きく見える。
こんなことなら、俺も数日前のブラッシングは拒否しておくべきだったか。
普段の俺なら、この時点で面倒くさくなって退散していただろう。
だが、その程度の有利不利は想定の範囲内。
こんなことで悄気てはいられない。
「ほう、嫌々やらされたと思ったが……最低限の根性はあるようだな」
いよいよ、というところまで近づいた。
それは同時に、互いの前足が届く距離であることを意味していた。
「シャーッ」
相手は鋭い牙を見せると、まるで蛇のような声を発した。
一度、蛇と対峙したことがあるけれど、迫力はこっちのほうが上かもしれない。
体が縮み上がりそうだが、ここで怯んだら負けだ。
目も逸らしちゃいけない。
むしろ俺も顔を近づけて、威嚇してやるんだ。
「フーッ!」
少しでも自分の体が大きく見えるように立つと、俺は全力で音を発した。
傍から見てどうだったかは知らないが、気持ちでは負けていないつもりだ。
そして少なくとも、相手にはその気概が十分すぎるほどに伝わったらしい。
「……そうこなっくちゃな!」
相手がそう言った瞬間、俺の視界がグラりと揺れるのを感じた。
正字正かな遣いクラスタの用いる言葉がバーチャルすぎて半笑いになる。
本人は格好つけている、あるいは意義があってそうしていると思っているのだろうが、例えるなら日本語の文法がおかしい人が一生懸命頑張ってるみたいに見える。
A時代(明治と大正末だとだいぶ違う。昭和戦前が一番イメージしやすいだろう。江戸時代でも鎌倉時代でもいい)で異なるし、
B書かれる媒体(新聞なのか随筆なのか、個人の日記なのか)で異なる
今でもそうでしょう。
1999年頃の、ギリギリまだ怪しい雑誌に怪しいライターがひしめいていた時代のあの文章。思い出して欲しい。
ちょっとカタカナ混ぜたり、トカ? ゲーム批評のガップ獅子丸みたいな文章。今だいぶ雰囲気変わったでしょう。
逆にいうと、今風の? 切込隊長やよっぴ〜みたいな文章も、ネットで見られる時代の象徴的な文章としてのちに振り返られるかもしれない。
20年でだいぶ違う。
そして、これらの文章はビジネス文章や国会の答弁、ニコニコ動画のコメントなんかとはまた質的にことなる。
当然、歴史のどこかの時期にもこうした現象は発生していて、ほとんどの正字正かな遣いクラスタはその事態に対応できていない。いつどこの文章か定めていない。
自分の、なんとなく知っている文字や用語だけを用いてネットに書き込んでいる。
本人たちは別に自分で用語を選んでいるんだからいいだろ、という認識のようだ。それは別に選択だからいい。正字正かな遣いクラスタをやるのはなんらも問題ではない。
だが、その用語の選択はとても格好が悪い、あるいは選択のセンスが低いということだ。何回も言うけど、任意で日本語のあるバージョンを選択すること自体は別に問題ではない。選び方のセンスがダメ。全くダメ。
新しいジャンルならセンスも何もないのだが、日本語の表現なんていういつもいろんな人間が手を染めてきた分野だから、やってることの格好の悪さが際立つということだ。
例えるなら小学校高学年くらいの時に50音にそれぞれ謎の記号をつけて、オリジナル暗号を書いていた人はいるのではないだろうか。
正字正かな遣いクラスタのやっていることはこれに近い。大人のオリジナル暗号やってるみたいな。
周りの人は「大人」だから読めるし付き合ってやってる。これくらいの格好の悪さ。格好の悪さの格調が低い。
さてどうすればいいのか。私案。
ネットに書く時には様々な制約がある。異体字や縦書き、横書きの制約。「つんぼ」とか差別的な意味合いが深まった表現とどう対峙するか。
俺だったら明治〜大正時代の行政文書、あるいは室町時代の日記あたりで挑戦してみたい。
相当原典にあたり言葉に詳しくならないとならない。「正字正かな」を用いると言うことはそういうことが必要だと思う。
要するに、正字正かな遣いクラスタは、言語や用語にこだわっているように見えて、実態のところ非常に個人的で恣意的な操作をしている。
このアンバランスが最高に格好悪いということ。
これの続きです。今度こそ本当に終わります。
ここまで、割と分かりやすい例を挙げてきたつもりだが、最後に俺自身も分類が困難な例を挙げていこうと思う。自分で言うのはアレなんだけど、たぶんこの辺が本領発揮と言えるかもしれない。
間違って1のときにフライングしてしまったけど、これです。謎の生命体に飲み込まれて忽然と姿を消してしまうという異常なシチュエーションが、日常の風景の中で行われているアンバランスさが良い。
これのどこ?と思われると思うが、パソコンから雑誌を出し、雑誌から携帯電話を出すという非現実的な行動を一連の流れで平然と行っているところに趣を感じてしまう。これは俺の性癖の特徴を良く表しているかもしれない。
貞子はテレビから出てきてくれるよって言われそうだけど、あれは怖いからヤダ。
これもまたどの辺?となってしまうかもしれないが、マスト君という現実にはいないキャラクターと対峙し、さも当たり前のようにマスト君の内部に入り込んでいるところが良い。こういうのに反応してしまうあたりが俺自身の性癖を説明することを難しくしている。
日常の中で突然、女性がガラスにあられもない姿でベチャッと貼り付いてしまう非日常さが良い。
ふーん、エッチじゃんと思われると思うが、そこではない。みっちり詰まって隙間のないグレープフルーツから立体的な女性が現れるというところが良い。2Dだった女性が一瞬で膨らんで3Dになっているのだろうか。そう考えるともしかしたらこれは変形の一種と言えるかもしれない。
これも上と同様のパターンかもしれない。0:04〜0:05の瞬間に2Dのリア・ディゾンが3Dになって飛び出してくる瞬間がいい。もちろんそのあと増殖してるのもいい。
ごめんね。おちょくってると思われても仕方ないよね。
いやこれならきっと分かってくれる方はいると思う。これは全然女性自身への特殊効果とかないんだけど
凛とした女性が突然の出来事に戸惑って、髪が乱れてしまっているところにエロスを感じる。すまない。ただの俺の好みでしかない。この場を利用して何ぶっこんでんだと怒られても何も反論できない。でもきっとこういうのに反応してしまう瞬間は誰しもあるんじゃないかと思う。(見苦しい開き直り)
こう振り返ると俺は日常の中に突如飛び込む非日常に弱いんだなと感じる。
ところでほんとに全く話は変わってしまうがこの際なのでぶっちゃけると、実はこんな記事を書いたことがある。
自分の性癖を掴みきれてない俺がいるが、映画のマスクの主人公が女性だったらなというのは未だに夢見ている。主人公じゃなくても、キャメロン・ディアスがほんの数分でもマスクをかぶって、ぺちゃんこになったり目ん玉飛び出したりとかアゴ外したりとかしてくれたらなと思ってたが、まあないよね。突き詰めていくと、これも変形とか変身と同じカテゴリーなのかもしれない。目ん玉飛び出すというとトータルリコール(これで2回目)にそんなシーンがあったけどあれは生々しすぎて気持ち悪くてあかん。ぺちゃんこになるのも、今のところマリオカートでピーチ姫がドッスンにぺちゃんこにされるところで止まってる。
でも探してみるとこんなことやってる人もいるようだ。世の中は広い。https://youtu.be/GylCP5_QC2I
そんなことを考えていたらこんなのが出てきた。
(これの0:20〜)※閲覧注意
こんなきれいな人がこんな役回りさせられちゃうというのが俺としてはたまらんのだが、案の定YouTubeのコメント欄には「キモい」「女の子がかわいそう」という言葉が飛び交っていた。しかし中には「これは誰かのフェチになるかも」というコメントもあって心臓止まりかけた。
記事ではなんとか情報を得ようと必死に画像を貼っているが、的外れではないものの無理してる感は否めない。なんせ漫画やアニメだからね…が、ディクシーのはいいなと未だに思う。ディクシーというと昔読んだ4コママンガで、ディクシーがクモに変身していく過程をギャグでリアルに描写している漫画に興奮してしまったこともあった。実写にこだわりがないあたり、思春期の節操のなさの名残りを感じる。
突き詰めると、俺は漫画やアニメでしかできないようなことを実写でするというところにフェティシズムを感じてしまうのかもしれない。今までこんなものに反応するなんて俺はヤバイ奴なんじゃないかと思うことは度々あったが、今回記事に起こさせていただいたことで自らを振り返ることができた気がする。
ここまで無駄な話に散々付き合っていただきありがとうございました。今まで友達にも話したことがありませんでした。おそらくここでも理解されないでしょうが、本望です。あまりにディープすぎて引かれそうなのは避けましたがほぼ語り尽くしました。ありがとうございました。それではまたどこかで。
(完)
オタクはポリコレのせいでコンテンツがつまらなくなっていると思い込んでいるフシがある。
だがオタクの感性の赴くまま好きにやらせてうまくいくだろうか?甚だ疑問である。
フェミ(のような道徳にうるさい人々)がいるからこの程度で済んでいるのではないか?
オタク文化に終わって欲しいなら、もうオタクには何も進言すべきじゃない。
そうすればオタクの感性は内輪のマウントで過激化し勝手に先鋭化の道に進む。
先鋭化に歯止めがかかるのは皮肉にもフェミのような勢力が苦情を言うためだろう。
オタクに対して何も言わなければオタク文化は勝手に自滅していくのである。
下手に意見を述べるから、それが反映されて感性がより戻されてしまう。
フェミがオタクに苦情を言うことでオタクの勢力が衰えることはない。
いや、それどころか現状ではオタク文化の延命に協力してすらいる。
例えばオタク(消費者)はクリエイター(創作者)にご意見を述べたがる。
だがフェミの苦情などを引き合いに出して「それはまずいですよ」と断られるのである。
考えようによってはフェミの苦情はクリエイターを守る盾にされているのだ。
足りないところは勉強します!ということだったし、面接やメールのやり取りも普通だったので、入社後に新人と同等か、それ以上の指導が必要だとは思ってもみなかった。
能力不足だけなら、心の底で「できなくて困ったな」と思うだけでよかったんだけど、ひょんなことから、成果物の中に公序良俗に反する行為が発見され、困ったなーで済まされなくなった。
聞き取りした結果、「できない」事実に集中してしまい、善悪の判断がつかなくなって、その苦痛から抜け出すために、容易に公序良俗に反する行為を行なってしまう人だということがわかった。
かなりヤバイ心理の持ち主だし、これを許したら、将来大ごとに発展する可能性が十分考えられる。
そこで、本人に通告することにした。
入社以降の指導の結果、将来的にも高度な仕事を担当できるまでは成長できないと判断し、それが心理的な負担になりそうだと考えた事。
今回の事件の発端になった心理状態を本人と確認した上で、心理的に負担になる仕事を取り除くことを決めた事。
…すなわち、客観的に見て負担になっている、本人が希望する仕事の担当を全て外し、アシスタント業務に仕事が変更になるという説明をした。
アシスタントになるので、今後の査定で給与は下がる可能性もある。
本人は、ここまでの話に発展すると思ってなかったんだろう。
「将来的に希望する仕事を担当できる可能性はありますか?」って聞いてきたけど、仕事のレベルが低いだけじゃなく、善悪判断がガバガバで信用を失った結果なのだ。将来においても、担当できる可能性は絶対にない。
それを聞いて「考えてみます」という話になったので、こちらからは「退職」の2文字を出さずに済んだ。
正直、チーム内の負担が大きくなりすぎて、特に直接指導していた役職者のストレスは酷い物だった。
このまま、こちらがやせ我慢すると崩壊しかねないところだったのだが、卑怯なことを平気でする人間だとわかったので、通告することにした。
でも、いい気分はしない。
希望する仕事が担当できない、将来も暗い…とはっきり言われてしまったら、絶望以外の何者でもない。
しかし、今回の事件の場合、公序良俗に反する行動に移る前にできたことがいっぱいあったのだ。
何度も指導していたし、相談せず勝手に進めて失敗したときでさえ、怒りをぐっと我慢して、本人に合わせた相談の仕方ができるように工夫した。
だから、自分勝手に作り出した苦痛から逃れるためなら、善悪判断もやめてしまう卑怯さにがっかりしたし、怒りも沸いた。
それに、今回の事件が判明した時、直接指導していた役職者に対しての謝罪がひとこともないことも、さらに怒りを増幅させた。
指導していた役職者も知らなかった事とはいえ、その責任は免れないからだ。
今まで何があっても厳しい口調で問い詰めた事はなかったんだが、流石に今回はダメだった。
仕事ができない奴も嫌いだよ。でも、最も嫌いなのは、卑怯な真似を平気でできる人間だ。
自分は、そう言う奴だけはどうしても許せない。仕事できない奴の方が1億倍マシ。
世の中的に「不当に戦力外通告された、退職勧奨を受けた」って話が多いと思うんだ。
でも、それだけじゃないよ。
通告する方もパワーがいる。
悩みの種だった部下だったとしても、やっぱり気分の良い話じゃない。
あー…なんか疲れた。
コメントは全部読んだ。
ずるいけど、答えられるところだけ追記する。
公序良俗っていうと範囲がでかいと思うんだが、今回の話は損害賠償請求事案だ。
幸いにも、損害賠償請求される前に気づいたので、会社が賠償するところまでは至らなかった。
ただ、決して「幸い」な問題ではない。
自分は課を預かる管理職で、自分の上に部長、直下には非管理職の役職者が数名と、その下にヒラ社員が複数名いる。
通告された社員を「ヒラくん」と呼ぶけれど、かなり早い段階で、指導役の非管理職が精神的に参ってしまっていることに気がついた。
ひどい時だと、1時間に1回、相談したいと声をかけてくるのだ。
また、相談の内容は「1時間前に回答した内容をもう一度尋ねる」とか「相談から雑談に話が移り、ちょっと長すぎ」という、もうちょっとどうにかならんかね?という内容だった。
しかし、これほど頻度が多いのに、一番重要な「スケジュールが遅れそうなので、時間が欲しい」の相談は一切ない。
こちらが尋ねた事で、うまく進んでいないことがわかる時もあった。
ヒラくんが、うまく進んでいないことを認識していない時もあったし、認識している時もあった。
そういうわけで、「相談のタイミングと内容がうまくない」ということが問題になり、ヒラくんにも聞き取りをした。
曰く「焦ってパニックを起こすと、他のことが考えられなくなる」ということだった。
自分で落ち着く術を見つけろよ…って話なんだが、方法を見つけられないようだったのでアドバイスした。
「焦ってきたら、心がざわざわしてくるよね?そうしたら、落ち着けるような行動をしよう。お茶を入れるとか、席を離れるとか…人によってやり方は違うから、まずは、それを見つけよう」
心の落ち着け方は人それぞれで、「はてブ見たら落ち着く」って人もいると思うんだよ。
やり方を押し付けるとうまくいかないので、これをヒントに本人に見つけてもらうことにした。
で、その後、この話を1〜3ヶ月に一度くらいすることになった。それだけ「うまくいかない」ことが多かった。
その理由を聞き取るたびに「焦ってしまった」という言葉が返ってくるからだ。
あまりにも改善されないので、ヒラくん本人が「焦り」の正体をわかっていないのでは?という考えになった。
そう言う時は、対話で言語化するのが重要なので、その部分を掘り下げて質問すればいい。
ヒラくんの焦りの原因は「今まで仕事ができない事はなかった。それなのに、この会社では仕事ができない。難しいことを言われているわけではないのに。仕事ができるようになりたい」ということだとわかった。
前職の働きぶりは、どうあっても確認しようがない。
本人がそう言うなら、仕事は正常に回っているという認識だったのだろう。
ヒラくんの問題は、仕事がうまく回せていない=仕事ができないという事実に直面し、その一点に集中してしまうという事だった。
そして、集中するあまり、なんとしても切り抜けたいという欲望につながる。
その結果、「してはいけない」と認識していた物事に対するハードルが消失し、軽々とその一線を超えてしまうのだ。
自分は「無理な時は逃げてもいい」と考えている。
勝負事というのは、勝たなければ意味がないし、勝てないのなら一旦撤退するのも作戦だ。
ただ、欲しい物を手に入れるには、対峙しないわけにはいかないので、準備万端再戦するのが最善とも思っている。
ヒラくんは逃げた。
でも、逃げるためにした事は、他人を欺き、他人が得られるはずだった報酬を奪ったことに他ならない。
「できない」という事実に目を瞑り、他人のものを奪ってでも「できた」ように見せかけようとする。
仕事ができない方が1億倍マシ。というか、比較するするのも嫌なくらいだ。
人を欺く会社員はいくらでもいるよ…っていう人もいるかもしれない。実際にそう言う人は存在する。
ただ、自分は、そう言う人間にはなりたくないし、それを許す人間にもなりたくないと思って社会人生活を続けてきた。
けれど、自分のズルさを隠すような、耳障りの良い言動や行動を繰り出すような真似はしない。
今回の件は、仕事の進め方がうまくない、スキルが向上しないだけなら、ここまで進む話じゃなかった。
それまでは「ヒラくんができる仕事を作るように」と宥める側に回っていた部長も、「そこまで仕事ができないのか…」と決断した。
損害賠償には至らなかったけど、やったことは重大だし、その要因も重大だ。
「焦ったら、善悪の判断ができなくなる」というのは、仕事において非常に危険な特性である。
また、信用を失っており、指導役が仕事を与えることができない。
ヒラくんは、この会社に在籍して、いつか指導役のように活躍ができることを夢見ていた。
しかし、指導役は「そこまで到達できない。どんなに時間をかけようとも、指導役がついていなければ、会社の求めるクオリティに達しない」と判断した。
正直、それは事実だと思う。
かつては直接指導をしていたのでわかるが、本人がどんなに頑張っても、スキルの向上が見込めないことがある。
それは環境もあるし、適性がないからでもあるし、要因はひとつではない。
ヒラくんが抱える問題故に、そういう部分もあったと思う。
本人から、思ったことを口にしてトラブルになることが多く、その経験から言いたいことを言えなくなったと告白されたことがある。
学生時代、無意識に不用意な言葉を口にして、他人から反感を買っていたらしいのだ。
ただ、ヒラくんには「不用意な言葉」を口にした覚えはなく、周囲から指摘されて詰められて、「身に覚えはないが、なぜか自分が悪いことになっている」と認識したらしい。
何を言っても「言い訳するな!」と恫喝されるので、いつの間にか言いたいことが言えなくなったとのことだった。
ただ、言いたいことが言えない=大切な報告ができない、というのは違うと思うのだ。
同じ環境ならそうなのかもしれないが、少なくとも学生時代のヒラくんが経験した環境と今は違う。
頻繁に声をかけても返答してくれるし、「そんなことも知らないのか」という反応をすることもない。
どんな物事にも、まずは理由を尋ねられ、それを「言い訳するな」と否定されることもない。
それがわかっていながら、「言いたいことが言えないんです」と言われても、どうすりゃいいのか…って話だ。
ここまでの決断をするのに、時間もかけたし、こちらができる改善策を探ってもいた。
ただ、残念なことに、うちの会社ではこれが精一杯で、これ以上のフォローはできない。
今回、こちらから「退職」という2文字を使わなかったのは、退職勧奨となった時に、転職活動のバックアップや解雇予告手当てなど、退職する側への心遣いを一切できない状態だったからだ。
ずるいのは確かだけど、できもしないことを「できるかも」とは言いたくない。
自分も従業員の身なので、役職権限でできることなんて多くない。
だから、相手の希望を増幅するような「耳に優しい言葉」だけは吐かない。
人間なんで、自分勝手で生意気な言動にはムッとくるし、仕事ができないよりは仕事ができる方を優遇したりする。
でも、自分が一番忌み嫌っているのは、仕事ができない事ではない。
仕事ができない自分を認識したくなくて、卑怯な真似をすることが大嫌いなのだ。
「お前はできない」ってストレートに言うわけだし。
前に出てるのは私だが、この意見は部長や指導役の総意でもある。
中には辛辣な意見もあるから、真実だとしても「そこまで言わなくても…」っていう部分もある。
ただ、ぼかすとわからなくなるので、ヒラくんには、なぜそういう結論になったのか?という説明を交えて、ストレートに話した。
私の小学生までの夢は、子供が2人いる幸せな家庭を作ることだった。
でもいつからか、自分の遺伝子を残したくない、と思うようになった。
私は不細工に生まれた。そのことに、思春期に初めて気が付いた。正直びっくりした。
私って不細工だったんだ。
お姉さんになったら、あゆみたいになれるのかな、なんて子供の頃は考えていた。
でもなれなかった。その頃13歳になった私は、綺麗なお姉さん達みたいに鼻は高くならないし、目はぼてっとした一重のままだ。
「ブス」と、直接的に言われることは年に1度くらい、遠回しに言われることはよくあった。
(今この二文字を打ったら動悸がしたので驚いた。やっぱりすごい言葉だな。)
直接的に言ってくるのはほとんどが初対面の男子、間接的に言ってくるのは大人達(男女関係なくおじさんおばさん)だった。
「お母さん(美人)に似てないね」と言われるたびに「そーなんだ」とあほ面で答えていたけど、何を言いたいのか段々と分かるようになっていた。
しまいには母までも、「美人だからって幸せになれるわけじゃないからね。」と謎のフォローを入れてきた。
それでも中学生までは、素直な子供時代の私が残っていたので、友達は多かったし、男子とも喋れば仲良くなれた。
入学式で見かけてほんのりといいな、と思った男子に、すれちがう瞬間「あ、ブスだ」とはっきり言われた。
隣にいた男は「ギャハハ、ひでーな」と笑っていた。
今考えてもクソ男だけど、思春期の柔い心は簡単に壊される。その瞬間から私は呪いにかかった。
高校生活の3年間毎日「なんでこんな顔で生まれてきたんだろう」と考えていた。
性格もどんどん暗くなっていった。同じ中学だった同級生に「おまえ暗くなったな」と言われたので、外から見ても分かるほどに変わったんだろう。
「男子が怖い」
授業で手を上げなくなった。部活には入らなかった。中学の同窓会に出なくなった。大学は女子大を選んだ。
高校卒業のタイミングで、自分の顔に耐えられなくなって整形をした。
大規模なレベルは親が許してくれなかったので、大嫌いだった一重を二重に"治した"。これは自分にとっては治療だった。
美人でなくていい、普通の顔になりたい。もはや自分は人間ではないと思っていた。早く人間になりたーい。
手術は成功した。とはいえ他の要素は変わらないので相変わらず不細工だ。
でも、鋭い目から二重のタレ目に変わると人当たりがよく見えるようで、他人からの第一印象が良くなったのを感じた。
素直に喋れる機会が増えて、表情が変わっていった。
容姿で優遇されることはないけど、からかわれることもほぼなくなった。
もし整形など考えられない時代に生まれていたら、生きていけなかったと思う。
それからはだんだんと男性とも(敵意がないと認識できれば)喋れるようになり、バイトができるようになり、彼氏もできた。
そこから就職して現在28歳。大変良い人とご縁があり今度結婚することになった。
そして自分が不細工だと気がついてからずーーーっと頭のどこかにあった懸念と真剣に対峙しなければいけなくなった。
子供は欲しい、でも産むのが怖い。
自分に似て欲しくないのだ。
見た目は手術で変えられても、遺伝子は好きには変えられないので、産んでも本人が可哀想だ。
もし男親が超絶イケメンでも、確率は50:50だ。どこかに自分のパーツは入るだろう。整形前の顔で好きなパーツは一つもない。そして旦那さんは不細工なほうである。(ごめん。でもめちゃくちゃ善い男です。)
自分が思春期に経験した思いは強烈で、たとえ顔が変わってもあらゆる行動がトラウマに左右される。そんな思いはさせたくない。
呪いはまだ続いていたんだ。
顔を変えて結婚したとしても、お前は一生幸せにはなれないのだ。不細工は罪なのだ。
(整形をしていることは夫には申告済みです。)
みんなはどう覚悟したんだろう。
年号が一回りするけど、まだまだ時効に出来ないから、記憶の整理のために増田に残します。
長文注意。
それそこ2000年代半ば、大学卒業して就職もできず、派遣社員だけでは食べていくのが精一杯で、週末はキャンギャルまがいのバイトを入れて糊口をしのいでいました。
その中でも、大手家電販売店にいるメーカーのロゴの入ったカワイめの服を着た売り子?までいかない、質問したら「詳しい人呼んできますね!」って逃げられるアレをやっていたときの話です。
ちなみに、当時はあのちょっと恥ずかしいコスチュームをきるだけで、普通のロゴパーカー派遣の1.5~2倍の時給でした。今は知らない。
フロア担当の偉い人に神妙な顔でバックヤードに呼び出されました。
勤務中の態度が悪いとか、休憩が長いとかでお叱りを受けるのかな?と思って、ヒヤヒヤしながら休憩室に行くと、フロアでたまに見る怖い顔したお客さんもならんでて「?」が深まる。
どうやらその方は私服警備の人だったらしく、となりにいたおばちゃん顔の人も併せて「何にも買わないのに、何してる人なんだろう」と訝しがっていたことを反省しました。
話を聞くと、ミニスカで店頭に出ている女の子たちを盗撮していた輩を捕まえたと。
念のため動画を確認して欲しいとのことで、テレビに映し出される私のパンツ。
覆面警備のおばちゃんが「気持ち悪かったら、すぐに止めるからね」とそばにいてくれました。
間違いなくそのダサパンツは自分のもので、他にも被害者がいると言うことで、今後どうするかは追って連絡するとのこと。
派遣元に連絡するから、今日は帰って良い。作業時間は最期までいたことにして付けておくと言われ、その日はラッキーくらいに思ってドーナツ食べて帰りました。
その後しばらく週末の現場に入ることはなかったのですが、1ヶ月ほどあとにその店舗の偉いさんからの連絡で、加害者とその親御が直接誤って示談にして欲しいとのこと。
そこでやっとことの怖さに気づいて(遅い)、面会するなら立会人として当時の彼氏に同席してもらう旨伝えました。
店舗のバックヤードに行くと、自分より少し年上の男性とその母親らしき女性が憔悴したかおで座っていました。
棒読みみたいな「すいませんでした」と言った男性に被り気味で、母親の人が念仏のように言い訳をつづけました。
問題を抱えた兄弟がいるため、この子には手をかけられなかった。
聞き分けのよい良い子なんです。
ストレスでこんなことしでかしたんです。
は?知らんがな。
メンタル弱ってたら、見知らぬ女の子のパンツを無許可で撮影してシコって許されるんか?
ハンディカム買えるくらいの財力あるなら、他にも解消法あるやろ?
何より何で笑ってんねん!!
なんだか得体の知れない恐怖で固まってしまった私の代わりに、概ね上記と変わらないことを彼氏が代弁してくれたことが救いでした。
強面の私服警備員さんとおばちゃん警備員さんが、加害者と母親の人の両方に「それは言い訳にはならない。やったことは犯罪だ」と言ってくださったことが救いでした。
なによりも虚ろな顔でずっと謝罪の言葉と息子さんの罵倒をしている母親の人が怖くて、怒りたいのと逃げ出したいのがごっちゃになっていました。
警察に突き出して事件にするか、誓約書と示談金を貰って今回は不問に処すかどっちにする?容赦はしなくて良いよ、ときかれて、当時めちゃくちゃお金がなかったので示談金をえらびました。
彼氏と二人でお腹いっぱいの焼き肉と、その後1ヶ月ちょっとましな食生活が出来る程度の金額でした。
その後、店舗に入るの女子スタッフはミニスカでなくてもOKになりました。
私は半年ほど務めた後、まともな給料の出る正社員になり、週末の店舗のバイトを辞めました。
いい年の大人になった今でも、あのバックヤードで盗撮犯と対峙して、まともに反論できる自信はありません。
そこにいたのは、私の隣で手を握ってくれていた彼氏と同じ男性ですが、得体の知れない何かでした。
その隣で念仏のように言い訳を呟いていた母親の人も、私と同じ女性のはずなのに、同じ何かだとは思いたくなかったです。
加害者が悪い、育てた親が悪い、加害者を取り巻く環境が悪い、と言ってしまえば簡単です。
干支が一周して、私は盗撮犯より年上になり、母親の人に近づいてきました。
何か一つ掛け違いが起これば、あの母と息子みたいになりかねないという事を、あの件にあったこの時期になると思い出すので、厄落としに増田に残してみました。