「第二新卒」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 第二新卒とは

2021-05-16

まりに爽やかな同期

Y:文章を書くのは好きな文系出身。うっかり第二新卒大企業で働くことになった。

  片付けや家事が大の苦手。この日記の筆者。

Mくん:Yの同期で工学系の院卒。国家資格複数持つエリート

    Yと研修で同じグループになり、仲良くなった。基本的ヘラヘラしている。

ーーー

今日見たものは本当に口外しないでね…」Yは憂鬱だった。

今日は部屋に同期のMくんがやってくる日だった。

ボーナスも入るし、そろそろ家具を新調したいなぁ。在宅で残業するのに今の椅子だとちょっと辛いし…)

数日前、Yは在宅勤務での残業が辛くなってAmazonで新しい椅子を探していた。

「在宅勤務におすすめ」と書いてある特集ページを見ていると、今の部屋の雰囲気似合いそうなゲーミングチェアを見つけた。

(ゲーミングチェアって黒地に赤とか、やたら光るやつとか中二病イメージがあったけど、レザー調のもあるんだ。

このベージュのなら部屋の雰囲気に合いそう)

少々値段は張ったが、レビュー評価もよかったのでYはベージュのゲーミングチェアの購入ボタンを押した。

その恐ろしさも知らずに…。

届いたのは、予想を超える大きさのダンボールだった。

玄関に入れるのがやっとのことで、洗濯機でも入っていそうな大きさだった。

ダンボール解体作業だけでも息が切れてしまった。

やっとの思いで出したパーツを床に並べ、手順書を開いて組み立てに着手する。

まず椅子の下部から組み立てることになっていた。

キャスターを土台に入れ、ガス圧調整レバー差し込み、その上にカバーをかける…はずだった。

(あれ、キャスターが土台に入らない…)

色々な角度から嵌め込もうとするが駄目だった。

キャスターの根元についているリング状の金具が邪魔しているようにも見えたが、

手順書に書いていないことをしたら余計面倒なことになりそうだった。

10近くある組み立て行程のうち、1で頓挫してしまった。

(だめだ…)

その日は疲れてしまったので組み立てを諦め、同期のMくんに愚痴を言った。

「ゲーミングチェアを買ったのに組み立てれなくて詰んだ」、と。

ただの愚痴を言うはずが「じゃあ手伝おうか」と予想外の提案を受け、心臓が飛び跳ねた。

こんなことってあるのだろうか?

戸惑いの中、Yは脳内会議を開く。

そもそもMくんを部屋にあげてもいいのだろうか?

このまま組み立てられずにいるのも嫌だけど、わざわざMくんに来てもうのも悪い。

自分の部屋を晒すのも恥ずかしい。

そもそもちょっと気になる男性を部屋に上げていいものだっけ?

男性を部屋に入れるのって何年振りだっけ…?

そもそも部屋に入れていいものだっけ?

でもせっかく提案してくれてるし断るのも変か…?)

「うーん、じゃあお言葉に甘えて…!」

ぐるぐると考えたが(考えても仕方がない)と思い切り、

Mくんに組み立てをお願いした。

そして冒頭部分に戻る。Mくんが部屋に来る当日だ。

不用品は捨てたし、シンクも磨いたし、洗面所も隅まで磨いた…)

できる事は全部やったが、それでもYは不安だった。

プレゼン前よりも緊張していた。

今日見たものは口外しないでね…本当に汚ない部屋だから

Mくんに対して差し当たってできることは、自分の部屋に対するイメージを下げておくことだった。

あらかじめ部屋の綺麗さのイメージを下げておくことで、現実ギャップを減らす作戦だ。

めっちゃ気にするじゃん」

「それもう、気が気じゃないよ…

家事できないのバレるし家具の組み立てもできないの恥ずかしいし」

緊張の中、部屋の鍵を回す。

ガチャリと音が鳴って扉を開ける。

Mくんに入ってもらうと、さっと靴を脱いで揃え、手前の洗面所に向かった。

(ここまで誘導の通りだ)

Mくんが手を洗う。

汚部屋って言ってたけど、ここまで汚いとか特にないんだけど…?」

「いや、生活感がバレるのが恥ずかしいんだってば」

キッチン不用品ほとんど処分したので、がらんとしている。

シンク下に食器とかしまってるの?」

「いや、このスペースにある分だけ」

「確かに一人暮らしだとこれくらいでいいかも。今度引っ越すから参考になる〜」

そうして奥の部屋。

「え、別に汚部屋じゃないじゃん!カーテンベッドカバーの色とか揃ってるし

あ!このガラスモニター置くやつ?おしゃん〜」

「あ〜その辺はごちゃごちゃしてるし見んといて!!!

とっさに大きな声を出してしまった。

(Mくんと密室ってだけで緊張するのに…自分のだらしない所まで見られたら死んでしまう!!)

はいはい、これを組み立てればいいのね」床に散乱したパーツを見てMくんが言う。

渡した手順書をふむふむと読んで「え、ここで躓いてたの?」と少し驚かれる。

「すいやせん…」

「あ〜これ、角度とか、力の入れ方がちょっと独特なんだよね」

Yがしみじみと謝っている間、Mくんはしれっと土台に4つのキャスター全てをはめ込んだ。

「え、早くない…?神?教祖って呼んでもいい?」

教祖になるつもりはないな〜」ヘラヘラ笑いながら、Mくんはやすやすと組み立てていく。

またたく間に椅子らしい形が出来上がってきた。

「このパーツと背もたれを繋ぐ時、ちょっと床傷つけそうだからベッド借りてもいい?」

「え?う…うん」

自分のゲーミングチェア組み立てる時もベッド使ってて」

ベッドを使うことに異存はないが、Mくんがベッドにいると思うと、ドキドキする。

変な緊張をしているYをよそに、Mくんは「作業者」として完璧だった。

手順書を読み上げ、パーツや作業内容に誤りがないか一点一点確認する。

可動域を調べ動作確認をするMくんの手つきが滑らかで、綺麗だった。

「大きい方の六角レンチとって〜」

はい先生!」Mくんの手つきに見とれていると、指示が飛んで来た。

「あ〜、確かにこれ、女の子一人だと難しいな」

背もたれの部分だけでも結構な大きさだったので、片手で支えながら座席部分と組み合わせるのはかなりしんどそうだった。

Yが背もたれの部分を持ち、応援する。

「あ、助かる」

「うん…」Mくんとの距離が近くなると当然ながらMくんの香りがする。なんとなく安心する香りだった。

柔軟剤香りかな?いい匂い。あと首筋きれいだなー)Yはぼんやり見とれてしまった。

「あー、来週の構築作業もこんな感じなんだろうなぁ」組み立て作業中のMくんが仕事の話を投げてきて、急に現実に引き戻された。

Mくんの「聖域」を邪魔できるはずもなく、ただ作業を見守っていた。

座席と背もたれを接合し、土台にはめ込む。

それにフットレスト、アームレスト、各種クッションをつけて、ゲーミングチェアが完成した。

できたてほやほやのゲーミングチェアに座ってYが「わーい」とはしゃいでいると、Mくんがぐるぐると回して来る。

あかん三半規管がやられるって」

「この椅子本当にいいな〜持って帰ってもいい?」

結構なお値段でしたからね…いや駅まで運ぶの無理でしょ」

「じゃあ作業費3万もらうわ」

「そこを同期割でなんとか」

「1万5千円になりますね」

「いや高いわ!冗談を一通り言うと「よし、じゃあ撤収する!」とMくんが言った。

「来週引越しだよね?荷造りとかお手伝いします…」とYは申し出た。

「うーん、来週はちょっとスケジュール的に難しいんだよね。夜勤だし」

「そっかあ。じゃあ今度なんか奢らせて!」とYはぼんやりした提案しかできなかった。

(こんなんじゃ社交辞令みたいじゃないか)いつものことながら、

YはMくんと会うと、いつも言いたいことを言いそびれる気がする。

Mくんと駅まで他愛のない話をしながら歩く。

「またなんか組み立て必要だったら呼んで」へらりと笑ってMくんは言う。

「まじか、本当に助かる…」

じゃあ、と言ってMくんは改札まで向かう。

じゃあね、と言ってYはくるりと方向を換える。

Yは少し歩いて振り返ると、Mくんが階段を降りようとしていた。

後ろ姿まで颯爽としている。

天然記念物レッドリスト、あるいは人間国宝

そんな言葉が思い浮かぶ爽やかさだった。

2021-05-11

今のお願いごとはなんですか

神社に行くたび祈ることが年々とっ散らかってるのに気づいちゃう

昔は高校合格しますように!とか彼氏欲しい〜とか就職活動がうまくいきますように……とか割と祈ることは絞れた

今は仕事ができるようになりたい………いやいやそれより第二新卒のうちに転職した方がいいのか………とか痩せたい健康……いやそれより好きなものいっぱい食べたい…………とか結婚しなきゃ………でも今はまだちょっと…………そもそも今の彼氏と別れて婚活すべきかどうなのかでもなあ…………とかお金欲しいとか引っ越したいなーとか交通安全とか猫飼いたいとか旅行に行きたいとか煩悩無限に湧いてきてしま

まあそういうのを自分で決めてお願い事は一つに絞ってそれに向かって努力しなさいってことなんだろうね神頼みって

2021-05-05

もう5月なのに

なんでランドセルCMいっぱいやってるのだろう。

熱いひとが羽つけて踊ってるやつとか

こまっしゃくれた子が偉そうなやつとか

第二新卒なのか?

いま流行りの弱者一年生の救済処置なのか?

2021-04-24

anond:20210423234432

さっさとやめて第二新卒枠で転職したほうがいい。なんなら研修も3ヶ月あるんじゃ終える必要ない。

仕事が嫌だとかは慣れるかもしれないが、自分能力と課せられる業務内容のギャップで不満を抱いたら無理。

自分能力を見誤ってたら悲惨だけど、そしたらまたSIer入ればええわ😅

anond:20210423234432

研修オンラインじゃないの?SIerなのに。

第二新卒狙うか、転職できるスキルが身につくまで待つかだよね。

うちも大手子会社で、研修中に現れる偉い人全員が親会社からの出向or兼務or転籍萎えたけど、

増田と同じように福利厚生コンプライアンスホワイトオブホワイトなのと人はまともだから

これから頑張ってスキルつけて転職狙うかーと思ってる。

2021-04-18

anond:20210113134805

就職氷河期に対しての施策はいろいろとあったと思うんだけれど、大して功を奏しなかったというのがワイの認識

試用期間中賃金自治体が持つからとりあえず雇ってもらうチャレンジ雇用みたいな制度とか第二新卒採用とかあったと思う。

でも、雇用の調整弁をいくらでも開け閉めできる派遣労働者という果実を手にしてしまった企業にはそんなにリスクを伴う制度は受け入れられなかった。

若者雇用拡充のためにニューディール政策みたいな手段もとれたと思うけれど、国の借金問題が声高に叫ばれるようになり、緊縮財政が当たり前になってそれもなくなった。

その一方で男女共同参画により、若者たちは分断されたから集まって暴動を起こすみたいなことはしにくくなったね。

男女共同参画が生み出したものパワーカップル相対的貧困層。氷河期世代でも親の代よりもずっと稼いでいる人もいれば、親のすねをかじらないと生活できない人までいる。かつては収入の多い男性専業主婦というペアリング普通だったので、世帯収入に今ほどの格差はなかった。貧乏夫婦でも共働き世帯収入を上げられたからね。今は、パワーカップル貧乏夫婦を金で殴ってくる。ものの値段が需要供給で決まる以上、不動産などパワーカップルが値段をつり上げ、そうでない層は買えなくなった。若者共闘できるはずもない。

2021-04-15

anond:20210415103732

マジレスすると、既卒第二新卒の人なんかゴロゴロいるか大丈夫

既卒対応してくれるエージェント見つけて、対策とか企業紹介してもらいつつ(エージェントだけだと求人が限られてしまうので)自分でも求人探してみよう。

エージェントアドバイザーにもよるので複数登録して自分に合う人を見つけてね。

面接もコツさえ掴めば問題ない。

自分価値を低く見積もったら悪循環だよ。

新卒で失敗してもめちゃくちゃ会社戦略になってる人たくさん知ってる。

大丈夫から、落ち着いて頑張ってね。

人材業界の者より。

2021-04-11

anond:20210411000436

大変厳しい物言いではあるが、新卒就活内定がなかった、紹介してもらって非常勤職員として働いた、それが「コピーを取ったり簡単な打ち込みをしたり、来客にお茶を出したりするような仕事だった」という時点で、ずっと問題を先送りにしていたように思える。その結果が「転職も考えたが、スキルがなかった」わけで、コピーお茶出しを続けていたらそりゃそうなる。どうすればよかったかというと非常勤職員最初の数年の時点で簿記でもなんでも資格を取得して、第二新卒あらためて就職すべきだった。スキルがなくても常に転職活動アンテナを貼るべきだった。もちろん、転職市場の状況が良くなかったから、それまでの仕事内容が次に活かせるようなものじゃないから、といったどうにもならない点があったことは同情する。だからこそ早めに危機感を持ってあがくべきだった。「私は公務員だったのに」というタイトルがその危機感や正しい立場理解してなかったことの証左だなと思う。さて、過ぎたことはしょうがないので今の中小企業契約社員営業事務という状況からさらにどう動くか。契約終了となる前にじっくり考えてみて欲しい。チャンスは自分で探さないといけない。

2021-04-02

RE: 新社会人になれなかった者による戯言

https://anond.hatelabo.jp/20210401174952

から10年前自分もこの増田と同じく新社会人になれないまま卒業した。

そのためこの記事を読んで当時のことを思いだした。

共感したこと:

地獄要素は書ききれないほどあるが大まかに分けると3つだ。配慮の無い人事との面接家族への引け目、友人との比較

これは本当に共感する。自分もこの3つがとにかくきつかった。

配慮の無い人事については一発芸は無かったが、その質問をして意味あるの?というのは山程あった。

あと地味にキツい質問が「なぜこの時期まで就活をしているのか、説明して」というのがあって、いやこっちが知りたいと常に思っていた。

自分が振られた理由企業によってケースバイケースだし、仮にあっても正直に言うのも微妙。どういう回答が欲しいのかよく分からなかったしそれを見極めるのがあなた仕事ではと思った。

家族への引け目もきつかった。当時、卒業後に姉が結婚式をしたり祖母が亡くなったりして親族一同と会う機会があって気まずかった。微妙に気遣ってくれるのがまた心苦しくていたたまれなくなった。

家族も気遣ってくれるのが伝わってきて、それに対しての申し訳無さもあった。ただ、両親もアドバイスをくれたが両親が新卒の時と時代が違いすぎて参考にならなかった。

友人との比較もあった。友達就活が終わり悠々と卒業旅行をしているのを聞いた時は羨ましさ半分、どうせ一緒に行っても純粋に楽しめなさそうだなとも思った。

また友人の新社会人生活愚痴も聞きたくなかった。こっちはそもそもそのスタートラインにすら立って無いのだがと思っていた。またそうやって友人と比較して卑屈になっていく自分も嫌いになって落ち込んだ。

さてその後自分がどうなったのかというも書いていく。

ただし、これはアドバイスではない。参考にしたいところだけ取り入れればいい。

■ 志望企業について

増田と同じように100社にぐらいは自分もそのぐらい受けたと思う。というよりもそのレベルになるとどこの会社を受けたのか覚えていない。

ただ、既卒になってやめたのは受けたくない企業は受けないようにしたこと。恐らく増田もそうだが普通に考えて100社も行きたい企業はない。

かに志望度が低い企業を落ちても精神的なダメージは少ないが、結局ダメージは0ではないし、時間交通費無駄であるので闇雲に受けるのはやめた。

また世の中には新卒至上主義業界企業存在する。残念だがこれらの業界企業既卒になった段階で受かる確率が低くなるのでこれらは受けるだけ不毛になるので調べられるなら調べといた方が良かった。

アルバイトについて

既卒になってまず実感するのは社会との繋がりが希薄になった。今まで学生ですと答えていたが、既卒ですというのもなんか変な気がする。

そのため、面接以外にも普通大人と喋る機会はあった方が良いと思う。何かしらアルバイトをして社会との繋がりは残しておいた方が良いし、少しでも金銭面で家族への依存がなくなるだけで気は楽になった。

あと自分は近所でアルバイトをしていたが、振り返ってみると出来るなら興味がある業界アルバイトをした方が良かった。

正直今の時代アルバイト正社員かという経験の有無よりも、「何ができるか」ということの方が重要になってきている。だから自分は〜が出来るという具体的な引き出しは増やしていくことの方が正社員経験有りますよりも有利。

たぶん採用からすると業界経験第二新卒採用するよりも、業界経験有りの若いアルバイトの子採用すると思う。アルバイトからそのまま正社員登用が無難だけど、それよりも経験ちゃんと積めるアルバイト先を見つける方が優先度は自分なら高いかな。

面接について

相手企業のペースに合わせるのではなく、自分のペースに巻き込むようにして面接をする。増田もそうだが自分もわりとマイペース人間だった。

から相手企業に合わせて自分を作り変えるというのがそもそも向いていないし苦痛を感じる。もちろん訓練によっては改善できるのかもしれないが、そもそも不得意なことを頑張っても費用対効果が薄い。

自分マイペースに話してダメなら、それはその企業と縁が無かっただけだし、むしろ自分違和感を感じれば辞退してもいいと思う。

もちろん言うは易く行うは難しではあるが自信に繋がるので重要である。コツは相手の話をよく聞き、友達感覚で話す(多少敬語が崩れていても問題はない)

ただし、注意としては正直過ぎる必要もない。別に言う必要のないことは言わなくても良かった。分かりやすく言うと自分メリットにならないことは喋る必要はない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そんなこんなで自分はその後就職して今は独立して仕事している。

結局自分会社所属して仕事するというのが合わなかったから、当時の面接官の見る目は結果的に正しかったのかもしれない。

でも、傲慢だが就職した後は抜群の結果を残しいたのでやはり見る目がなかったのかもしれない。

新卒就職するのも全てではないし、企業所属して仕事するのも別に全てではないし、タイミングもそれぞれ。

どんなときでも、思いこんだものと違うやり方はあるし、違う価値観があるよ。

2021-03-01

2.5流の大学を出て大手企業に入った自分を許せないでいる

数年前に四年制大学卒業した。名を佛教大学という。

いわゆる中堅大といわれるところだ。平均偏差値は45くらい。滑り止めで入った学生が大半を占める。私もその一人だ。

大学4年間のことはあまり覚えていない。アルバイトサークル活動であっという間に過ぎていった。

記憶がない。本当に記憶がない…自分は何をしていたっけ? そこまで無為には過ごしてはいないはずなんだけど、私の記憶水槽の中には、講義中にボーっと過ごしていたこと、学食でいつも一人ご飯を食べていたこと、飲み会のノリについていけずにちびちびと酎ハイを啜っていたこと――大した思い出は詰まっていない。

こんな自分だけど、景気がよかったおかげか、いわゆる大手企業入社できた。この業界では一流とされている。

会社名を出したとすると、「いい大学を出ていない人でも社風がマッチすれば内定が取れそう」といったイメージを持たれることだろう。

私自身を殺したい。

子どもの頃は、絶望とか、虚無とか、疎外感とか、そういったものを感じたことはなかった。アニメドラマに出てくる人達がそういう状態になっていても、自分には関係がないと確信していた。

大学回生の秋になって始めた就職活動で思い知ることになった。通っていた大学レベルの低さを。

志望していた企業説明会すら受けられない。どれだけ気合いを入れてエントリーシートを書いても、通過率は2割に満たない。大手企業に至っては、今の会社以外すべて門前払いだった。

うすうす分かっていた。

学際サークル所属していたが、大学名で見事に序列ができる。特に、異性なんかは、私が大学名を出した途端に空気が変わる。嘗められている感じ――こいつはイケそうと思われている感じ――頭が弱そうと思われている感じ――とにかく、私が大学名を名乗ると、話相手だった人間の態度が変わる。心が変わる。私に対して変わる。

どうして私はあの時、浪人選択しなかったんだろう。どうしても行きたい大学があったのに。

あと少し頭の回転が速くて、あと少し努力ができて、あと少しだけ運がよければ合格できた。だったら浪人した方がよかったのに。

もうこんな年になるのに、あの当時の夢を見る。夢の中の私は、浪人を選んでいる。それで、もっともっと勉強して、第一志望の大学どころか、さらに上の国立大学合格して、それでも第一志望の私立大学を選ぶのだ。

朝になって目が覚めて、これが夢だとわかって、通勤中に夢じゃなければよかったのにと思い、勤務中に昔の自分を思い出しては嫌悪を感じ、過去自分に鞭を打つ。

こんな苦しい思いはしたくない。どうすればいいのだろう。



もう少しだけ聞いてほしい。もっと話せば、気持ちの整理がつく気がする。

まらなくないように配慮する。増田に書いてはいけないことを書くかもしれない。でも、それはフェイクなのでセーフということにしてほしいんだ。そういうことにしておいてほしい。頼む……

エピソードひとつ挙げる。私がまだ入社1年目で、転職エージェント見習いだった頃、先輩から課題が振られた。私ともう一人の同期の男子に。

その先輩は、事業所内でも実力のある若手だった。今では私の直属の上司だ。当時は、新人だった私のサポーターとして色々教えてくれていた。

課題というのは、転職希望リスト履歴書職務経歴書+参考資料)の並び替えだった。何十枚ものクリアファイルの一つ一つに、転職したい人の情報が挟んである

「お前ら2人で勝負な。これを並び替えといて。ルールは任せる。変な並びになってても、そのとおりに使うから。元に戻したりしない。その代わり、変なの作ってきたら今後のことは考える」

先輩が椅子腰かけていた。その目の前で、私と、同期の子が一緒に並んで話を聞いていた。先輩の指示を聞いていくうちに、どんどん不安になっていった。

昼ごはんの時のコーヒーが喉に絡んだ。いま話をしたら、変な声になるんだろうなと思うと、先輩の顔を見ることができなかった。スカートの上の方を握りしめて、離して、握って離してを繰り返していた。

納期は設定しない。ゆっくりやれ。でも、勝負からな」

勝負なんてしたくなかった。負けるに決まっていると思っていた。

「彼」は、私の同期だったけど、私とはレベルが違った。関西にある一流の私立大学を出ていた。浪人留年もしていない。そのうえもちろん、新卒入社だ。

私が行きたかった大学だった。それも法学部。私は1日に10時間以上もの勉強半年以上も続けて、模試で一番判定がよかった政策学部を受けたものの、合格点まであと30点も足りなかった。

でも、その彼は、高校3年生の夏頃まで、週に何度も同級生麻雀をしていたという。子どもの頃からサッカーをしていて、イケメンで、背が高くて、空気が読めて、……私よりも頭がいい。

4日後、私たちは小会議室に呼ばれた。

部屋の中央に長細い机がふたつ重なっていた。その上に、個人情報の詰まったクリアファイルの山が置いてある。私がまとめたのと、彼のだ。

彼は緊張している様子だった。いつもはニコニコしているのに。

「こいつの見てみ」

こいつ、とは私のことだ。彼は私が整頓したグループを手に持つと、指先で丁寧に捲っていった。

「お前も」

先輩から、「彼」が並び替えをしたクリアファイルの山をもらった。

……整然としていた。業界職種、特技、資格学歴――様々なカテゴリがきめ細かく揃っていて、一周する頃には、誰がどの辺りにいたのか大体思い出せた。

私は「彼」の方を見た。彼も、視線と体をこちらに向けた。

「参りました!」

芸人みたいなリアクションを取りながら、彼は私に頭を下げた。おどけた様子だった。

「俺のより〇〇ちゃんの方が絶対いい」「俺にはこの視点はなかった」「営業所全体で共有しよう」

そう言って私のことを誉めそやすけど、上っ面だった。こいつは私のことを馬鹿にしている。

「頑張ったな。こんなの作れるなんて、感動してしまった。お前はすごい」

声の方に体を向けると、先輩が、笑顔とも苦笑とも取れない顔つきで長机に肘を置いていた。

「そうでしょ!〇〇ちゃんスゴイって思いました」

彼の言葉は嘘だ。この場をごまかすためだけにしゃべっている。その証拠に、ネクタイの首元を撫でるように触れている。

「でもな。今回は、〇〇の勝ちとは言い難い。というのも……」

ほら、やっぱり。

もうロクに覚えてないけど、仕事の速度、コストパフォーマンスという言葉が出てきたのは覚えている。彼は、これを1日で仕上げてきたらしい。私は3日かかっている。だから、私の方が質がいいのは認めるけど、私の勝ちとは言い切れないって。

先輩は、彼と同じ大学だった。同じ部活か、同じゼミか忘れたけど、とにかく繋がりがあった。だからだと思った。彼のメンツを潰さないように配慮した。

先輩は、「彼」の顔を立てた。私がどれだけいい物を作ろうと、彼と同じ日数で完成させようと、彼がどれだけよくない物を作ろうと、『私が勝てない』という結果は決まっていた。

先輩は、私よりも彼の方が大事で、だから私をダシに使ったのだ。

しかった。涙が出そうになった。手と指でごまかした。

彼は、小会議室から出てすぐ、ディナーに誘ってきた。「ご飯行こうよ」と言われた。「泣かんでもいいじゃん。俺が負けたんやし」とも。

行きたくなかった。彼は私を馬鹿にしている。そんな相手食事はできない。

彼だけじゃない。私だって私を馬鹿にしている。私は頭がよくないし、子どもの頃から自分意思を実行する力に欠けている。

甘えたい私に負けて、自分自分に誤った道を導き続けてきた。だから、こんなに情けない今がある。周りにイジメられて弱くなったんじゃなくて、私が私と一緒に弱くなっていった。

これから自由にはなれないだろう。私が、私自身と気が合わないからだ。私が、私自身を恥じて顔を赤くするからだ。

私が先輩に提出したリストは、ある一つだけのルールに従っていた。

転職できる可能性順だ。社内にある過去転職データを基に全員をランク付けして、数か月以内に転職できそうな人はAランクほとんど可能性がなくて放置が望ましい人はCランク、それ以外はBランクにした。

クリアファイルの中の転職希望者は、その全員が20代後半までだった。

なのでこの場合優先順位は、①学歴、②社会人経験特に新卒で入った会社)、③希望する業界職種企業名になる。

学歴というのは、社会人として死ぬまで一生ついて回るものだ。転職エージェントとして一人前になって何年も経つけど、いまだに実感する。

②も大事だ。どんなレベル会社に籍を置いていたのか気にする企業は多い。その人が第二新卒だったらなおさらだ。有名な会社だと、欲しいスキルを身に付けているか予測やすいこともある。

③は、そこまで重視しなかった。本人が望んだ会社でも成功しないことはあるし、逆に志望していない会社でも、受けてみたら案外よかったということもある。

この時、私が見た転職希望者の中に、佛教大学卒業生がいた。

詳しく書くわけにはいかないけど、いわゆる高望みだった。小売業界で働いていて、とある電子機器メーカーを志望していた。それも一流の。

結果は目に見えていた。その電子機器メーカーの干飯スキルと本人のそれがぜんぜんマッチしていない。いわゆる論外だった。

その人の書類を2、3分ほど読んで、Cランクの一番下のあたりに入れた。そうせざるを得なかった。切ない気持ちになった。



今こうして自分の想いを整理してみると、母校への恨み辛みの感情は確かにある。

『嘘』を吐かれたからだ。

講義とか、就職関係行事などで、大学先生事務職から、「うちの卒業生はすごい!」という話を聞かされたり、アピールされたりすることがあった。

とある文学部先生が言うには、数十年前に国家公務員一種試験合格して法務省採用された人がいたらしい。後にも先にも、佛教大学卒業してキャリア官僚になったのはその人だけということだ。根が真面目で、卒業必要単位をすべて取っても、まだ大学に通っていたらしい。

とある社会学部の先輩が言っていた。(当時から数えて)数年前に、伊藤忠商事内定した人がいると。その人は、とにかく忙しい人で、講義にはあまり出席せずに水商売仕事に明け暮れていたらしい。それでも単位を順調に取得して、教職課程最難関の講義ではチーム全員で百点満点を取って、大学学園祭ではパヒュームダンスを踊ってウケを取って、とにかく活動的な人だったらしい。

私が在学中、社会人の先輩を囲んで話を聞く懇談会があった。就職活動中だった私は当然参加した。その会場には、いろんな会社の人や大学院生やNPOの人が来てくれていた。基本的に先輩方をちやほやして、実りのある話を聞く会だったのだけど、中でも別格だったのが、とある学校先生だった。

見た目は40代前半くらいだったけど、教育学部先生から熱烈な歓迎を受けていた。熱烈とかを超えて、もはや神扱いだった。懇談会が進む中で、その人が教師として実績を上げたことで、地元教育委員会に赴任して、〇〇教育(※よく覚えていない。社会教育とか生涯教育だった気がする)の分野で課長職にあるとのことだった。

相応に高齢で、そのうえ高い地位にある大学先生が、どうしてはるか下の人を神扱いするのだろう。当時の私には不思議光景だった。でも、とにかく、この会場にいる卒業生の人達がすごいことが伝わってきた。

すべて『嘘』であるとわかったのが就職活動の結果だった。学生が六千人もいれば、凄い人は必ずいる。ただそれだけのことだった。私は、私が才の足りない人間であることを理解できないだけだった。

大学について思うことがある。社会人になってそれなりの年月が経つけど、今いる会社の人に比べると、常識のない人、精神的に幼い人、人格おかしい人が多かった。

常識のない人

健康のために週3で通っていたトレーニングルームは、体育会部活支配していた。彼らは、50キロ以上ものバーベルを両手で上下させて1セットを終えると、上空からマットに投げ捨てていた。凄まじい音がするうえに、危険まりない。その横では、ベンチプレスをしている後輩の体をイタズラで小突く先輩がいた。一応、社会人利用者も同じ室内にいるのだが、誰も注意することはない。ほかに危険行為をしていた。

精神的に幼い人

講義中によくある光景だった。隣にいる人が先生に当てられるのだけど、その人は答えない。ノートを見ると、ちゃんと取っているように思える。答えだって書いてある。でも、こういう人は答えない。わかっていても、わかっていなくても、だんまりを貫くのだ。いわゆる、「大学生になってはいけない人」だった。行動が大人レベルに達していない。大学生は大人でないにしても、ひどすぎる。

人格おかしい人

私が在学中に、野球部の人が後輩に当たり屋強要して逮捕された。その人は、上に書いたトレーニングルーム危険なことをしていたうちの一人だ。柔道部の部室からは、たまに悲鳴や怒号が響いていた。ある土曜日の昼に中を覗いたところ、中で女子部員がされていた。すぐそばには、先輩に殴られたと思しき男子部員が長椅子そばで震えていた。

すぐに1階に走って行って、警備員の人に事情説明した。彼らが2階に上がっていったところで、心臓が痛くなって、気分が悪くなって、吐き気がしてトイレに行った。事の顛末も知りたくなかった。トイレから出ると、まっすぐに家に帰った。

大学卒業するまでの私は、一流とか、一流に準ずるとか、そういう組織所属したことはなかった。

大学だけでなく、中学高校もそうだ。当時、私が住んでいた地方都市では名門と呼ばれる高校に入ったものの、大人になってから、その名声がまやかしであると知った。

数年前のことだ。中高一貫校であったその学校が――中学卒業とともに別の高校に行く生徒を卒業式に参加させない慣行があったことがわかり、教育委員会から是正指導を受けていたことを知った。最近では、英語教師が、校内での英検試験実施後に、問題をすべてコピーして持ち帰っていたことが新聞沙汰になった。

高校だけじゃない。中学もそうだ。都市部の端っこにある、いわゆる貧困地区で育った私が、校内暴力その他の犯罪行為に塗れた母校に誇りを持てないのは当然だった。年に一度は田舎に帰るけど、あの学校が今はどうなっているのか、見に行ったことは一度もない。



このあたりで最後にする。自分の想いばかり書いてしまって申し訳ない。

学歴コンプレックスに打ち勝ちたいと思っていた。自分が何者でもない感じを拭いたかった。

私は運がよかった。中堅大学から大手企業に入ることができた。誰もが一流である認識するであろう組織の一員になれた。でも、拭えないんだ。ぜんぜん。

飲み会などで「大学どこ?」って聞かれる度に、嘘を答えたい気持ち抗うことになる。実際に、嘘をついたこともある。

嘘をついたら、その時は楽になったけど、後で罪悪感が浮かんでくる。自分自分を許せない気持ちになる。

どうして、あの時の私はもっと努力をしなかったのか? どうして、あの時の私は浪人を選ばなかったのか? どうして、あの時の私は第一志望の大学に行けなかったのか?

何が正しいのか。頭ではわかっているし、心でもわかっている。

シロクマ先生ほか、有名なブロガー記事を読んでいて感じることがある。今の社会を生き抜くにあたって大切なのは自分自身を愛せることだ。そのためには、ありとあらゆる活動に手を出して、得意な分野、自分にとっての「たましいの仕事」を見つけて、自分を作り続けていく。それを繰り返すうちに、自分を愛することができる自我生まれる。

私にはできない。社会からどんなに認められても、自分を愛することができない。

今の私の転職エージェントとしての実績は、先ほど述べた「先輩」よりも上だ。数字でいえば、先輩の現役時代と比べて1.3倍以上の開きがある。営業所の若手の中では、私が一番多く給料をもらっている。部下も4人いる。みんな可愛い。私を慕ってくれる。最近、「彼」もできた。

満たされない。いつ、どんな時でも、高校時代努力が足りなかった自分を許せない。おそらく、死ぬまで過去自分を許せないんだと思う。

最近は、それでもいいかと思っている。思えば、この気持ちに向き合うことで私は成長してきたのかもしれない。

だったら、この、昔の自分が許せない気持ち感謝すべきなのかもしれない。むしろ、持ち続けるべきなのかもしれない。

ここまで聞いてくれた人、ありがとう

公共の場愚痴をこぼしてごめん。

涙が止まらないんだ。

昔の私に、いつか伝えてみたいことがある。

「諦めないでくれてありがとう」って。

anond:20210228021045

子猫にばかり応募してて、婚活でいうなら30代のおじさん(かつ親と同居)で20代女性にばかりアプローチしたり、就活新卒第二新卒優遇採用に応募したりするようなもん。

保護猫で困ってるから譲ってくれるだろうと思ってるんだろうけど、子猫はそれでも人気が高くて

その割に体力と時間のある遊び相手必要だし、まだ健康状態も安定していないかケア力も求められる。

婚活就活なら4件くらいで不満言ってたら笑われるでしょ。

理不尽に思うかもしれないけど、この人はそこそこ断られる理由も納得してはいるみたいだし

自分が年齢や条件で切られることを不満に思うなら

同じ保護猫でも、保護猫カフェとか通って人柄を知ってもらったうえで

生活リズムの合いそうな落ち着いた年齢のいった成猫を迎えるのが良いと思う。

2021-02-08

とある女がプログラミングに救われた話

駄文なので最初にまとめておくと、知識ゼロ異業種から転職して何とかエンジニアとしての人生を始めました、という話。経歴がショボすぎて誰かの道標にすらならないだろうけど書き残しておく。実名で書く勇気はないので増田にて失礼。

・芽生え

PCを初めて触ったのは4歳の頃。

父が仕事で使うと言って、ThinkPadを買ってきた。

黒くてごついボディが幼心にぐっときたのを覚えている。この記憶があったためか、初めて自分で購入したPCThinkPadだった。


・小〜中学生

我が家インターネット開通。深夜に親が寝てからこっそり2chニコニコ動画を見ていた。PS2ドラクエ8をやってグラフィックに感動する。まだプログラミングという言葉は知らない。母親ヒステリー父親の拳骨に耐える日々だった。

高校生

地元高校に進学。友人とホムペ(死語)を作成html/CSS文字の色か変えられたりアニメーションをつけられることに気付く。この頃もまだプログラミングに目覚めない。プログラム理系の人がやるお仕事なんでしょ?という雑な認識であった。

大学

もちろん文系学部に進学。人の視線が怖かったので前を向いて歩けず会話もままならなかったが、制服可愛いという理由だけでお洒落カフェバイトを始める。私は阿呆だが、この阿呆さないしは無鉄砲さでエンジニアになったと言っても過言ではない。

・そして無職

新卒入社した会社を3ヶ月で退職。支えてくれる彼くんとかもいなかったので実家でお通夜してた。鬱も発症して薬漬けになった。対面で人と話すことが難しいため、テキストベース仕事ができる職を探し始める。ここでやっとプログラミング出会う。

・独学期間

何にせよ無職から時間は腐るほどある。ヨドバシでカモ丸出しの顔をしてThinkPadを買い、Java簡単アルゴリズム実装することから始めた。フィボナッチ数列を生成するとかクイックソート実装するとか。あと5日ぐらいかけてServlet/JSPMySQLTODOリストを作った。

ポートフォリオ作成期間

2ヶ月ほどJavaをやった頃、無謀にも機械学習に手を出し始める。本を一冊買って隅々まで読み込んだ。この頃から鬱が寛解し始める。プログラミングに夢中になって、1日12時間以上はPCの前に座ってひたすらコードを書いていた。不思議と疲れはなかった。ゲーム用に買ったデスクトップPCにそこそこ良いGPUがついていることが判明したので、Tensorflowモデルもどきを作り、AI(笑)を組み込んだポートフォリオwebアプリを3ヶ月かけて作成した。サンプルコードを超える範囲ドキュメントを読む、適宜技術書知識を補うなどしてなんとかオリジナルと言えるコードをひねり出すこともこの頃覚えたと思う。なお肝心のモデルチューニングは一切していないわ当然精度も悪いわでその筋の人が見たら鼻で笑うレベルであるが、一人でアプリケーションを作り切ることができたのは大いに自信に繋がった。

求職活動

ポートフォリオを持って5社ほど受け、うち1社の小さな受託企業内定を貰い、無事職にありつくことができた。文系経験第二新卒を雇う勇気を出してくれた会社には感謝しかない。

それから現在

会社規模が小さいからか、個人裁量が大きく、設計から実装テストまで何でも任せてもらえた。良き上司に恵まれ、主にUnityスマホアプリの開発を担当し、技術の奥深さ面白さに触れさせてもらった。自身実装担当したアプリが世に出ていくことの喜びみたいなものも味わえた。この会社は昨年度退職し、現在は500人規模の自社開発系企業iOSアプリエンジニアをやっている。スキルは未熟だし対人恐怖的なものも治ってはいないけど、私はプログラミングが好きで、エンジニアとして骨を埋めたいとか身の程知らずにも思っている。

ご覧の通り、私は幼い頃からプログラミングに触れたりモノづくりをしていたわけではない。むしろ目覚めは遅い方である。そういう人でも興味があるなら、ITエンジニア目指してもいいんじゃないか、そうであってくれ、という気持ちで書いた。読んでくれてありがとうプログラミングはいいぞ。

2021-02-06

転職活動始めたけどうまくいかない

新卒で入った会社1月で辞めて転職活動始めたけどなかなかうまくいかない。

転職サイトに登録するとエージェントからガンガンスカウトが来るから面談してみても、後で求人票送りますね〜っていってフェードアウトされたりする。

職務経歴書の作り方が全然なってなかったことをちゃんと指摘してくれるエージェントがいて、やっとまとも(だと思われる)のが1パターン作れたけど、メチャクチャ時間かかった…自己PR考えるだけで何時間かかったんだろ。

大げさでなく5時間くらいかかった。たった3、4行なのに。

2年も働いてない、大した実績もない第二新卒市場価値は高くないことを実感しつつある。当たり前なんだけどね。しかも異職種チャレンジしてるから余計大変。

でもまぁ、老舗企業営業行く時はスカート履いてった方がいいよ!とか、

女性がずっと営業続けるのは大変だよね〜、看護婦かになった方がいいよ!とか言われるの無理だったから辞めたのは正解だし、

休日出勤して平日も残業しながら転職活動するの自分には絶対無理だったからしゃーないな。

頑張ろう。

2021-01-17

エンドロールのその先

自分の整理のために記録として書いています

長いし、読む価値は無いので、読んでからガッカリしたとしても自己責任でお願いします。




子供の頃からなんとなく漠然と、自分人生は二十歳で終わると思っていた。

高校受験学校見学で魅力的な学校を見つけ、どうしても入りたくて、頑張った。

憧れた高校入学して、そのあと何をしたらいいのか分からなくなった。

受験が、入学が、私のゴールだった。

高校生活は何をすればいいのかわからなくて、とりあえず「それっぽい」ことをして終わった。

憧れた高校生活は、ほとんど何もせず、ただ好きな制服を着て、かっこいい校舎を彷徨くだけだった。

それで満足していたし、それ以上はなかった。

大学は行きたくなかった。

やりたい事はほぼなくて、勉強もできないし、将来の目標も無いから、行く意味が分からなかった。

小学生の頃の昼休み友達に「絵が上手いか漫画家になればいいじゃん」と言われた。

その時からなんとなく漠然と、自分漫画家になるんだ、と思っていたし、漫画家になるなら専門学校の方がいいと思っていた。

あとは、当時見た3D映画がかっこよくて、そういうのを作る人になりたいと漠然と思って、そういう専門学校も考えていた。

結局、絶対大学じゃなきゃダメだという両親に説得され、漫画3Dも学べる大学に入った。

入学から半年後、学部全体説明会で、学長に言われた。

「お前ら今すぐ全員大学辞めて専門学校行け」

新設の学部だったし、入試説明会や案内には、漫画アニメ…それこそ専門学校のようなラインナップが書かれていて、親が許さず専門学校ではなくこちらにきた、という人が私以外にも大勢いた。8割はそうだったと思う。

実際、入学前に散々確認した3Dモデリングに関する知識のある講師は、入学後には存在しなかった。

かろうじて漫画講義はあったが、ただのオタクおじさんが自分ロリ趣味を語って聞かせるだけで、そこに学べるもの(例えば、そのロリの魅力、なぜいいのか、どういうところがファンの心を掴むポイントなのか、などを話されればまだしも、ただ「かわいい」としか話されなかった)は無かった。

これは、このままここにいても意味がない。このままじゃ無駄時間を過ごしすぎる。

だって私の人生はあと数年で終わってしまうのだから

二十歳まで残り2年、アルバイトを頑張って、大学在学中に夜間の漫画専門学校に通った。

ぶっちゃけ漫画専門学校に通わなくても描ける。

それでも学校に行ったのは、私自身がそうしないと一作も描けない人間だったからだ。

まり、この時点で気づくべきだった。

私に漫画は向いてない。

専門学校では初めこそ有意義時間を過ごせた。

話の組み立て方、起承転結コマ割り…

授業は週一、1年間。必死で稼いだバイト代ほとんどを注ぎ込んだ。最大限に有効活用して作品作りに役立てようと息巻いていた。

入学特典として、時間外でも個別相談作品を見てもらえたので、入学2ヶ月後、早速初めてのネームを見てもらった。

ストーリーも何もかもボロボロで、とても酷いネームだったと思う。

それでも、丁寧に指導してもらえて、学ぶことがたくさんあって嬉しかった。

教えてもらった事を活かすために、早速新しいものを描いて、2週間後にまた持っていった。

あなたネームは長いし、見るのに時間がかかるからなぁ。僕、家が郊外で遠いし、嫁が家で待ってるから

今思うと、先生だってそりゃ家庭があるし、仕方ない話だ。

それ以来、週一の授業も休みがちになり、半年をこえた頃には専門学校は行かなくなった。

自分でなんとかしなきゃ。

とにかく、まずは一作。

そうして、専門学校卒業前に1人で作品を完成させ、初めての持ち込みに行った。

せっかく描いたし、なるべくたくさんの意見を聞いて次に活かしたい。

5個の編集部に持ち込みに行った。

うち2箇所で、二度と漫画を描くなと言われた。

そんなバカな、誇張が過ぎると思うでしょ?一箇所はあくまでやんわり、自分担当作家と私との違いを長々と話した上で、向いてないと思うと言われた。

もう一箇所は誇張無しでハッキリと、「二度と描くな」だった。

そりゃ、最初から傑作が描けるとは思わなかった。

まして、今回は誰にも見せてなかった。ダメ出しも覚悟の上だ。

でも、2度目を描くことも許されないとは思わなかった。

帰り道の足取りは重かった。

初めての単身上京、知らない街。

憧れた新宿から半蔵門まで歩いた。

足を止めたら消えてなくなる気がしたから。

そんな作品だが、一応残りの2箇所では名刺をもらった。

うち一つは、みんなの憧れで厳しいと言われる場所で、なんならそここそ絶対無理だと思っていた場所だ。持ち込み予約の電話時点で扱いが悪かったし、当日も約束時間に行って、30分待たされて、待ってる間他の人が酷評されているのが聞こえて、怖くて途中で帰ろうかと思っていた。

でも、そこの編集者が1番優しくて、また見せてほしいと言われた。

社交辞令かもしれなかったけど、それが嬉しかった。

でも結局、編集部名前が凄すぎて恐れ多いし、なにより田舎者自分はそう簡単に持ち込みに行けないので、もう1箇所の名刺をくれた人にネームを送るようになった。

結果から話すと、うまく行かなかった。

私の実力と、担当さんの期待値が合わなかった。

その頃には大学卒業の年になり、最後の思い出のつもりで卒業制作を別の編集部投稿した。

ついでに、同じ雑誌イラスト賞にも応募した。

持ち込みの時にも行った編集部だが、持ち込みの反応はかなり悪かったし、きっと今回もダメだと思っていたが、卒業旅行中の魚市場で受賞の連絡を貰った。

カニを見ながら泣いた。嬉しかった。

漠然と、自分漫画家になる、と思っていたから、就活はしていなかった。

元々していたアルバイトフルタイムにして、漫画を描いていた。

しかバイトハードすぎて漫画を描く時間はなかった。休憩時間事務所トーン貼りしたりしてた。

鬱になった。

正確には鬱になったのは卒業制作中、同じゼミの子と比べられるプレッシャー作品ができない焦り、バイトの繁忙期が重なってパンクした。

ある日突然、プツンと何かが切れるような感覚があって、それ以降、目の前で話しかけられても、音声として認識できても言葉として理解できなかった。

話を聞いているのに、聞き取れない。理解できない。

当時の店長相談して、接客から裏方作業に切り替えてなんとか過ごしていたが、色々あって結局辞めた。

元々2年で辞めるつもりだったし、漫画バイトもうまく行かなくて、就活を考えた。2年以内ならまだ第二新卒枠がある。

何社か受けて、履歴書を見て笑われたこともあった。

それでも雇ってくれるという会社があった。絵を描ける技術を買ってくれて、新しく雇用形態も増やして、漫画の夢を追いながらうちで働けるようにサポートしてくれる、と。

すごく嬉しかったが、断った。

私は、言葉呪いが効きやすタイプだ。

そして特に、親の言葉は。

雇ってくれるという会社は、夜の街に近かったし、それに隣接するお店も取引先になっていた。

両親はそれが心配だったらしい。

「周りの人に、そんなとこで働いてるって言えるの?」

私は働いた事がないから分からないけど、親が言うならそうなのかも、と思ってしまって、断った。

今思えば、あの時あの会社で働いていたのが、1番幸せ分岐だったのかもしれない。

面接をしては落ち、を繰り返している間にふと、どうせ働くなら漫画に近い場所の方がいいのでは?と、アシスタント先を探すことにした。

当時はまだアナログが主流で、どこも都内で通いの募集ばかり。田舎者自分には不可能だった。

そんななか、本当に偶然、地元募集を見つけた。

から自転車で行ける場所、未経験者可、自分にとっては最高の条件。

早速応募して、面接

そこで初めて、現役の漫画家さんと話した。

採用になり、週に四日、6時間勤務。

作家さんの仕事場はフルデジで、ワンルーム作家さんと私用のPCと液タブが、それぞれ壁を向いて設置されていた。他は何も無い。

お互いにコミュ障で、会話はあまり弾まなかった。それでも、ネームを見てもらったり、トーンの貼り方をなんとなく教わったりした(基本的には「いい感じにして」の指示だったので、ほとんどは独学だった)。

その作家さんは漫画業界の闇に触れすぎて疲れていたので、ほとんど話し相手役割だったが(そもそも週刊と月刊の2本連載をほぼ1人で描く狂人だった)、私にとっては貴重な話がたくさん聞けた。

あと、その話を聞いてて、「漫画家なんてなるもんじゃないのかもしれないな」、とも思った。(作家さんが毎日のように辞めたいと言っていたから。そもそも異常な執筆量を1人でこなしてたし、そりゃ辞めたくもなるわな、と今は思う。)

そこで1年半すごし、作家さんの連載の終了と共に辞めた。

その頃は、何度か原稿を送って、1番小さい賞を何度か取っていた。しか担当さんとはうまくいかないし、原稿送っても「悪くは無いけどよくもない」しか言われず、何をどうしていいかからない状態だった。

そしてふと、自分は今まで一度も漫画を楽しく描いた事がないことに気づいた。

展開が、目線誘導が、読者の盛り上がりが…

初めて描いた時から、そんな事を気にしてばかりで、自分自身が楽しく漫画を描いたことがなかった。

アシスタントも無くなり、名実ともに無職になり、再度就活を始めた。

相変わらず履歴書を笑われて、嘘つきな採用担当意味不明な事を言われながら、最後自分の好きなものを描いてみようと思った。

何を描いても、誰にも何も言われない。

好きなように、楽しく。

結果的にやっぱり「読者の目が〜」とか「起承転結が〜」とかを気にしてしまい、完全には楽しくなかったけど、それでも、今までで1番気楽に描けた。

せっかく描いたし、SNSにあげてみた。

今まで私の漫画学校先生と、編集部の人くらいしかたことがないし、反応をもらえた事はない。

いいねが1万件ついた。

びっくりした。

たった一晩で想像もしない人数が見てくれた。感想コメントもいっぱいついた。

しかった。

それから就職が決まるまでの間…と、少しずつ好きな作品を描いた。

編集部酷評だったけど、SNSコメントは優しかった。

これで漫画最後にしようと思っていたのに、やっぱり描きたくなった。

SNSにあげた漫画を、編集部に送ってみた。

ジャンルが違うので、今までのところではなく新しい編集部だ。

ほとんど返事はなかったが、1箇所だけ返ってきた。

そしてそこで、いきなり連載になった。

今までもらった事ない反応が続いて、ある種のハイ状態だった事もあり、その連載もうまくやれる気がしていた。

電子のみの連載だったが、書籍化もできる自信がなぜかあった。

そして実際単行本も出した。

これだけ聞くと、SNSで人気出て連載、書籍化、すごく順調っぽい。

当時の自分もそう思っていた。

でも実際は違う。

話数が増えて、人気もちょっとずつ出て、物語ちょっと複雑な内容を追加した。

すると担当から言われた。

エロがあればいいから、余計な事はしないで」

私が描いていたのは、エロ系の漫画だった。

とはいえ、ただエロシーンが続くだけでは読者も飽きるし面白くない。何より話が続けられない。

そして元々少年漫画が描きたかった私は、エロだけを描くのは本意では無い。

今までは「いつか人気が出れば複雑な話も描けるから」と言われて頑張っていたが、その「いつか」が来ない。

担当にはっきりと、「絵がそこそこ描ければ話なんてどうでもいいから」と言われ、自分から打ち切りを申し出た。

今でも配信サイトコメント欄には続きを望む声が書かれていて、非常に申し訳ない。

描けなかった。

今度こそ、きちんと、話で勝負できるように。

単行本と、新作のネームを持って持ち込みに行った。

連載の経験もあるし、単行本も出てる。今までとは違う。採用にならなくても、作品を良くする話をしてもらえるはず。

「よくこれで本が出ましたね」

持っていったネーム単行本も、今までのどの持ち込みよりも酷い評価だった。

曲がりなりにも約2年、頑張って描いていたのはなんどったのか。

当たり前といえばそうかもしれない

過去に2社で連載をしたが、その二つ共が作品の打ち合わせはほぼ無かった。

一社に関しては一応ネームチェックがあり、エロの量だけ指示された。

もう一社に関しては、企画段階で一度だけ電話があり、メールの内容の復唱だけして終わった。以降は何を送っても「いいですね!」何も良くない。こっちが頑張って、相談しても特に取りあわれず、返事は全て「いいですね!」

1人で何度もネーム再考して、完成原稿を期日までに送る。

一応お金をもらっていたけど、やってる事はSNS投稿漫画と同じ。

商業作品の魅せ方のノウハウはもちろん無く、作品作りの才能がない自分には、自分だけの力で読者を惹きつける漫画を描くことはできなかった。

3度目の、「もう漫画やめよう」が来た。

悔しいけど、やっぱり自分には描けない。

でも、今日まで頑張った事を無駄にするのも惜しい。

また、「最後」と言う名目で、好きな漫画を描いて本にした。

作画配信したりしたおかげで、完成前から応援の声は多かった。

そして初めて、オリジナル同人誌完売した。

その漫画は、内容にアラは感じていたが、今までで1番楽しく描けた。

初めて感想差し入れもたくさんもらえた。

その作品を持って出張編集部に行って、そこでも2社声がかかった。

あの時がたぶん、私の漫画人生ピークだった。

その後、持ち込んだ漫画を元に読み切りを描き、運良く掲載

SNS時代ファンの皆様の応援もあり、連載化が決まった。

描けなかった。

私の中でイメージするキャラは持ち込みの時から変わっていない。けれど、いくらネームを描き直しても、担当さんからキャラブレ、別人になってるという指摘をされた。

だんだん自分でもそのキャラがどんな子なのかわからなくなった。

しばらく練り直して、やはり変わらなくて。

諦めて別の話を描くことにした。

そこからは真っ暗闇だった。

どんな話を描いても、中身が全部同じと言われる。

当然だ。「好きなもの」を描いてるから

下手に考えるより、自分の好きなものを好きなように描いて、それを膨らませる。

そう言う方法で描いた方がうまくいくタイプなのは自覚していたから、そのように描いていたつもりだ。

結局実力も追いついていなかったし、描きたいものも分からなくなってダメだった。

そんな事が2年近く続いた。

別の編集部の人に、考えている途中のネームを見せたこともある。

足りないのは実力じゃなくて話の一番の見せ所だ。あとちょっとでうまくいきそうだし是非頑張って。

それは、私が初めての持ち込みの時からずっと言われている事だった。

初持ち込みから10年。

結局自分は、10年経っても何も変わらなかった。

そろそろ30になる。

二十歳で死ぬと思っていたのに、10年もロスタイムを生きてしまった。

友達は1人もいない。比喩表現ではなく、本当に誰もいない。

小学時代、一番仲が良かった子に、ある日突然いじめられた。

一番仲がいいと自分では思ってたし、昨日まで仲良く遊んでたのに。

転校して、中学時代もそうだった。

突然クラス男子からいじめに遭い、それを一番仲が良い友達相談していた。

男子を使ったいじめの首謀者がその子だと気づいた時は目の前が真っ白になった。

「そう言う事するなら、あなたとはもう友達じゃいられない」

はっきりと意思表示をした。思い直してくれることに期待した。

別にいいし」

友達を作るのが怖くなった。

どんなに仲良くなっても、弱みを握られるだけだ。

お陰で高校の2年間はクラスで1人で過ごした。

ある程度損得が考えられる生徒が多かったから、いじめにはならなかった。

触れてはいけない、祟り神みたいな扱いだった。

3年でようやくできた友達は、卒業と同時に「私たち高校の間だけの友達じゃん」と言われた。

友達って難しいな。

中学時代、好きな男の子にはペットボトルを投げられた。

親には言えなかった。

高校時代、好きな子相談を親にした事があった。

友達に言うとまたいじめられるかもしれない。親なら相談に乗ってもらえるだろう。

あんなこ辞めときな。大学生になったら彼氏できるから!」

大学時代バイトと専門、学部女子が圧倒的に多い。

そのまま卒業した。

「いつかいい人が現れるから

そう言われ続けて卒業した。

卒業した瞬間、「いつになったら彼氏できるの」に変わった。

友達の作り方も分からないのに、彼氏ができるわけない。

一応婚活とか街コンには何度か行った。

まずは友達が欲しかった。

何人か連絡先を交換して話したりした。

仲良くなった人もいる。

その頃の私はマニキュアを塗るのが楽しかった。

ちょうどアシスタントを始めた頃で、それまでバイトの都合で服装制限があったし、オシャレはほぼした事がなかった。

ネイルと言うにはお粗末だが、100均の安いマニキュアを買ってなんとなく色をつけて喜んでいた。

100均のマニキュアを使った事がある人なら分かると思うが、乾くのが早い代わりに、木工用ボンドみたいにペロッと剥がす事ができたりする。

オシャレに無頓着な私はそれが何となく楽しくて、塗った後しばらくたって剥がれたマニキュアをめくったりもしていた。

ある日、LINEのやりとりで仲良くなった1人に食事に誘われた。

趣味の話とかゲームとか、そう言う楽しい話をしていた、異性で初めてできた友達感覚だった。

自分の指先が、剥がし掛けのマニキュアボロボロなのを完全に忘れて食事に行った。

かい合った個室のテーブルで、その爪に気づいたその人に、「ネイルやってるの?見せて」と手を握られた。

そして、ボロボロの爪を見られた。

「オシャレだね」

怖くなった。

ボロボロハゲ公園遊具ペンキみたいな指先を綺麗と言ったのだ。

しかも、気持ち悪い笑顔を貼り付けて、視線は全く手を見ていなかった。

メガネの奥の瞳と視線があって、二度と会わないことを決めた。

男女でただの友達になれるのは大学まで、そのあと仲良くなれるのは下心のある人だけらしい。

それがたまらなく怖かった。

その後も何度か友達までの付き合いの人はいたが、例えばふとした瞬間肩を触られたり、手を握られたり。

そう言うのが怖くて続かなかった。

そのままもうすぐ30だ。

家を出る能力がないので実家暮らし毎日両親…特に母に怯えて生きている。

「家にいるんだから家事しなさい」「他の人は外に働きに出てるんだから

少ないながらに在宅でアシスタントはしている。

両親の中で、外に通勤していない、在宅労働は「仕事」ではないらしい。

本当は拘束時間が長い職場だが、家事があるため作家さんに頼んで短くしてもらっている。

当然、その分給料は減る。

給料が少ないから、その分早く自分原稿で稼げるために作品作りに励む。焦る。

それでもようやく希望が見えてきて、前向きに色々挑戦できそうになってきた。

真夜中に叩き起こされ、いつ結婚するのかと叱責された。

完全に寝ていたので、はじめ何を言われているのか分からなかった。

真っ暗な部屋の中で、Permalink | 記事への反応(1) | 16:44

2021-01-08

anond:20210107184445

SES手取り18は入る会社間違えたとしか……まあ入りたてなのかもだけど

うちもSESで未経験歓迎な会社だけど、第二新卒とかでも最低限額面20スタートで、研修終わったら手当て2万と残業代フル支給

手取り18台の時期はわりとすぐ終わるわね、研修期間込みで半年経てば昇給もするし

2021-01-07

SES会社の金でプログラミングスクール行った

新卒で働いてたブラック企業を1年半で辞めて、入ったのがSES会社だった。第二新卒的な枠になるのかな、たぶん。

いくつか転職にあたって似たようなSES会社面接受けたけど、唯一入った会社けが、「入社後にプログラミングスクールに入れる」ってのがあった。給料普通に出た上で、スクール代は会社負担って。

他のところだと普通に有償だったり、3ヶ月研修ってことで無給でスクールに通う形式だったり、あとは一番驚いたのは「昼間は携帯電話会社カウンター業務、空き時間勉強して土曜にスクールに通う」って形式のやつ。「有料のプログラミングスクールだってたくさんあるので、皆そこで勉強してから就職したりするもんなんですよ」みたいな感じで言われたりもした。そんなもんなのか、とも思って不勉強なもんですみませんとか言った記憶がある。

でもまあ運良く会社負担スクールに入れてくれる会社に入れたので、世の中いろんなSES会社があるんだなってのはわかった。

から調べてみたら、スクールの料金は3ヶ月で40万くらいだった。

んでまあ、スクールで基礎から教えてもらった。午前中に解説聞いて、午後は課題やって、内容に対してフィードバックもらってってサイクル。

1ヶ月半で資格(言語資格のやつ)取ったりした。計3ヶ月勉強して、そっからSESなので現場派遣された感じ。

現場に出たらほぼ新卒みたいな扱いで、ソース調査作業とかしつつ設計書渡されてそれに沿って開発してテストしてって感じで少しずつ経験積んで行った感じ。参画したプロジェクトは高稼働だけどまあ新人ちゃんと育ててくれる感じのところだったのがよかったんだと思うけどね。

まあなんだろう、web系のエンジニアかになりたい人にはたぶん向いてないかな、というのはある。自分基本的意識は低いし、とりあえず最初の1年くらいは新卒に毛が生えたようなくらいの月給でもまあいいやって感じだったので成り立ってるところはあった。

2年で基本給は5万くらい上がって、あとは残業代フル支給なのでそれなりに見られる収入にはなったね。

SESの仕組みがクソなのはそうだと思うけど、意識低く適当に働くにはちょうどいいよ。

年末年始ソース書いてないので、上位層の人達からは怒りを買うだろうけどさ。

基本的仕事としてやってるだけなので……。仕事ツールたまたまプログラミングってだけで。

まあ年収400万くらいなら第二新卒あたりから2年くらいで到達できたりするので、まあなんかとにかくブラック企業から抜け出したくて、なおかつそれなりの仕事でいいよって人にはオススメ

数年前の話なので今だとスクールリモートになってたりして全然環境が違うと思うのでアレだけれど、まあなんだろう、SESに入る時もちゃん複数検討して研修の感じとか給料出る出ないとか聞かないとなんだろうな。

ただまあ今は新人プロジェクトに入りにくい(リモートワークとかだとOJTしにくいし)し、採用は絞ってるだろうからちょっと厳しいかもな。

2020-12-20

新卒採用をやめようかと思っている

社員数300程度の企業採用担当。細々と続けていた新卒採用を今後見合わせようかと考えている。

第一に挙げられる理由は、ここ数年新卒の3年離職率が高止まりしてること。うちはビジネスモデルが堅固で、よく言えばマッタリ、悪く言えば保守的アグレッシブさに欠ける社風。決してブラックではないが、他にやりたいことが見つかったと辞めてく若手が多い。それ自体分からんでもないが、育成コストばかりかかって割に合わない。

第二に挙げられるのは、第二新卒中途採用20代半ば〜後半の社員がとてもよく働くこと。他所で一通り揉まれてきているだけあって、新卒ほどにら育成コストがかからない。キャリア展望新卒よりはしっかりきてるし、ミスマッチによる離職も聞いている限りでは少ない。

他社人事や人事系企業と話してても、最近は同様の考えの中小〜準大手企業が増えてきているみたい。そらそうだなと思いつつ、うちみたいな企業フリーライダーって言うんだろうなと思った。

2020-11-20

デスマーチの歩き方

努力不足でSESしか行けなかったというツイート話題になっていますね。

件の人に限らず、スクール卒業者が就職できないやら、採用したけど使えなかったとかという話をよく聞くので、そんな悲しいミスマッチを減らし、この業界を目指す人が希望と勝算をもってチャレンジできるようになることを願って思っていることを書いてみようと思いました。

簡単自己紹介

業界に入って十数年、メガベンチャーで働きGAFA関連企業から1X00万円のオファーを貰うくらいのスキル経験はある。もちろん開発のスペシャリストとして。

学生時代メンタルをやり10年程通院。

多浪してFラン大学に入り四年間通うが卒業できず中退

フリーペーパーで未経験歓迎SE求人をみて応募。

新宿雑居ビルオフィスのある中国人経営するSES会社からキャリアスタート最初会社雇用保険も払ってなかった。

紆余曲折あり現在に至る。

想定読者

新卒または第二新卒文系または数学が苦手、プログラミング経験者でスクールサロンに入ってプログラミングを身につけて働きたいと思ってるひと。

理系プログラミング得意な人は、学生ならインターン、働いてる人はなんでも良いかスクリプト業務改善すれば実務経験になり、そこからならどうとでもなるのでこの記事は参考にする必要なし。

プログラミングは誰にでも身につけられるか?

たこラクダ理論というものがあります。(https://ameblo.jp/bradnine/entry-11911830387.html)

要約すると、出来る人と出来ない人がいて、何が要因なのかわかっていないし、出来ない人への教え方も確立していないとのことです。

学び始めてすぐに判断を下す必要はないですが、スクールカリキュラムを終える頃には周りとの成長スピードの差で自然理解できるかと思います

しかし、もし適正がなかったとしても悲観するのはまだ早いです。

プラグラミングの適性がない人にもこの業界にはポジションがある。QA、PdM、PjMUIデザイナーUXデザイナーカスタマーサクセス営業採用、などなどいろいろあります

なにはともあれ3割くらいは可能性があって外れても選択肢があるんですからポジティブに受け止めましょう。

あなたは凡人か天才か?

エンジニア生産性の差は10倍や100倍にもなると言う話は聞いたこことがあるかと思います底辺天才を比べた極端な話だと思いますよね?実はこれありふれた話です。超有名ベンチャーで難しい採用試験を潜り抜けて即戦力採用された人たちの中でも100倍の差があることもあります。それも瞬間風速的な話ではなく、年間の変更コード行数を計測してそうなります10倍の差はもっとありふれた話です。

さてここまではプラス面だけの話ですが、マイナス面も考える必要があります

あなたが無事現場に入ってわからないことを教えてもらう必要があるとします。面倒見のいい先輩がなんでも聞いて良いよと言ってくれたので、質問をして、3時間先輩の時間を使ってしまいました。先輩は100倍エンジニアだったとすると、その3時間あなたの二ヶ月分の作業量が消し飛んだ計算になりますあなたはそれに見合った成長をして恩返しできますか?

ちなみにそれくらい能力差があっても給与はあまりかわりません。良くて倍くらい。同じ給与ってこともまぁよくある話で、多重下請の現場では逆転してることも珍しくはありません。

底辺生存戦略

そろそろ本題に近づいてきました。

ここまでの話を踏まえてどうするべきだと思いますか?

特別なことでも難しいことでもなく、いたってシンプルです。それは「足を引っ張らない」ことです。大抵の現場では初心者に毛が生えたような人にアウトプットを期待していません。ある程度の教育期間をとった後で普通の人の半分でもアウトプットを出してくれたら恩の字です。

あなた天才でなければ、まずは自分アウトプットを出すのは一旦諦めてください。先輩の時間を増やしましょう。例えば動作確認や他チームやステイクホルダーへの連絡、文書作成など、100倍エンジニアでも生産性が変わらない業務を肩代わりして先輩が開発にかけられる正味時間を増やしましょう。これが現段階では正しいチームワークです。100倍エンジニア時間を奪って質問するくらいなら、10倍の時間をかけて一人で調べた方が、10生産性が高くなります。聞くとしても調べた上での答え合わせと間違っていた時のヒントだけにしましょう。個人学習効率をだけみてもそっちのほうが効率いいです。理解できない人には独学大全がオススメです。

ろくに動作確認をしていない可読性の低いコードをプルリクに出して、レビュワーになった100倍エンジニア仕様確認したりローカル動作確認したり、あまつさえバグを見つけてしまうなど、最悪です。

初心者から間違えてもしょうがないというのは正論です。しかし、プロジェクト時間コスト考慮すれば逆の結論になりますあなたアウトプットが数倍早くなろうが遅くなろうがプロジェクトには影響がないのです。学習時間リスク考慮してそういうふうにタスクを組んでいます。数倍時間をかけて慎重にやって良く、マイナスを生まない事を考えれば、初心者こそ絶対バグを出してはいけないという結論になります。0は無理でもそういう気持ちでやりましょう。

ここまでは現場に入ってからの話でした。皆さんは現場に入る方法を知りたいと思いますが、もう少し辛抱してください。敵を知り己を知れば百戦危うからずの故事もあります。もう少し敵を知ってから戦術を立てましょう。

デスマーチ

デスマーチと呼ばれているものには2種類あります。一つは定義通りのデスマーチ (https://ja.m.wikipedia.org/wiki/デスマーチ )。もう一つはデスマーチ要件を満たさないが、関係者能力不足によってデスマーチ様相を呈しているもの。実は前者はとても希少で、世の中のきついプロジェクトというのはほとんど後者だと考えてください。

様々な点で両者は異なります

真のデスマーチほとんどの場合技術的な問題ではなく政治的問題で発生します。そのため予算は潤沢ではないが常識的にはあり、技術は枯れてリスクが少なく確かな効果確認されているもの採用されていることが多いです。工学的なアプローチ生産性を向上する仕組みなどが取り入れられていることもあります管理プロセス機能しておりコンプライアンス違反も少ない傾向があります政治的理由プロジェクトが延長されている都合で、PMプロジェクトを終わらせたいと思っていても、予算がある限り新しい要件が発生しつづけて終わらないという状況も発生しえますこちらのタイプに参加するメリットとしては、よく管理運営されたプロジェクト体験できる点、ドキュメントがしっかりしている点、低スキルの人が参加することを考慮して仕組み化されているのでキャッチアップにかかる時間が低いなどがあります

なんちゃってデスマーチ技術力や要件定義能力集団合意形成能力などの不足によって起こりますPMステイクホルダー赤字を垂れ流すプロジェクトを早く終わらせたいと思っているので多少納期が伸びても必ず終わりますプロジェクトを終わらせるための提案であれば下から意見でも柔軟に対応してくれることもあります。新しい技術と古い技術が混在していたり、新しい技術採用しているのに使いこなしていないこともありますCI/CD自動テストが無い又は不十分な現場も多いです。こちらのメリットとしてはスタンダートが低いのでキャッチアップ戦力になれるまでの時間が短かったり、小さな労力で大きな生産性改善ができ職務経歴書に書ける良いエピソードが作りやすいといったことが挙げられます

また両者には人の出入りが激しいという共通点があります。そのためドキュメントの有無にかかわらず新しい人が参加し、教育環境構築を行いタスクを振って実務を行うという、一連の受入業務現場担当者が慣れています。またこれは両者それぞれのところで触れましたが、理由はそれぞれ違いますキャッチアップして戦力になるまでの時間は小さいという共通点があります

デスマーチでは残業が多いと思われていますが、新人は戦力として期待していないので残業する必要はないです。マネージャーからすると、無駄残業代は払いたくないし事故って仕事を増やすリスクも嫌なので、1秒たりとも残業してほしくありません。早く帰ってリフレッシュするなり自習するなりしてプロジェクトリスクを減らしてください。

そのため、デスマーチに入って残業というのは底辺層にとってはほとんどの場合杞憂です。テスト要員としてでも残業を頼まれたら戦力に数えられている事を喜んでも良いと思います

翻って比較対照としてみなさんに人気のあるWeb企業を考えてみましょう。GoogleNetflixとまではいかなくても、ほとんどの会社ではそれらを模倣しています共通点としてはだいたい自走・自律できることが求められます。辞める人は少ないので比較的受け入れ体制は整っていないケースが多いです。企業によってスキルレベルピンキリですが、周りとのスキル差が大きくなるのでキャッチアップにかかる労力と時間は大きくなります開発プロセスは整えられているため、あなたが工夫して改善できる余地は少ないです。

ここであなた採用する立場になったと想像してください。「最新の技術スタックで言われた作業をやっていました。ついていくのがやっとで自分で工夫した点は特にないです。勉強はがんばりました」という人と、「技術スタックが古かったのですがXXを導入してXXをXX程改善できました」という人がいたとして、どちらが戦力になりそうでしょう?どちらを採用したいですか?

まとめ

ここまで書いたことを理解して謙虚面接を受ければそう悪い結果にはならないと思います

残業は大したリスクではありません。

現場技術レベルが高い現場を望んでもメリットは無いので、少しでも自分が成果を出しやす環境を探しましょう。

面接ではチームのアウトプットを高めるために最大限努力するという姿勢を見せましょう。

2020-10-29

新卒が欲しい理由

結局、中途は洗脳しづいからでしょ。

転職斡旋する企業は稼ぎを増やすために早期退職者を「第二新卒」だのともてはやし利用しようとするが、

要は受け入れる側からすれば中途のおっさんなんかは「君のような勘のいいガキは嫌いだよ」ってこった。

2020-09-29

anond:20200929104822

切れたので分けました

・このように私は研究職向いていないのではないか就活は①にすべきでは?と思うのだが、ただ、両親や教授就職課のお兄さんは、このまま理系就職した方がいいよって言うんです。

・母は、私がさっき挙げた研究職向いていないと思う要素のほとんどは、別に他の職種でも必要能力なのだから別にあなたはどの職種も向いていないのよ。そもそも働くのが向いていないのよ、でも就職しなきゃいけないの、と言うの。

・私は高学歴なのか?まあ一般にはそうなのだろうな。学歴足切りはされない学歴だとは思う。そりゃ東大とか偏差値的に上はいるけどね。

この大学に行きたくても入れない人は沢山いるんだよ、は色んな人に言われた。

就活を始めてインターンとかで他の学生所属を聞いて、エッ、優秀な化学系の大学って日本全国にめちゃくちゃあるじゃん!私その中じゃめちゃくちゃちっぽけじゃん!マジムリ!と思った記憶はある。狭い研究室の中で井の中の蛙をやれていた頃は幸せだったなぁ、とも当時思った。

まあ私の大学も、そのめちゃくちゃある優秀な化学系の大学ひとつではあるのだろう。

理系就職しないとしてじゃあどこに行きたいの?特に希望無いんでしょ?とも母に言われた。それはそう。大卒平均(できたらうちの大学卒業生無難金額くらい)は稼ぎたい、とはふわっと希望している。化学系の研究開発以外で何の業界があるのかどんな職種があるのかもよく知らない。知らない幸せがあるとM1の時は思っていた(就活視野を広げない言い訳とも言う)。あーあと敢えて言えば文系就職としてもいわゆる人気な業種は怖い。知り合いにいないのでよく知らないが、金融とか商社とかコンサルとかその辺ね。

就職課の人に言わせれば自己分析が足りないのだろうな。自己分析自己PR全然かけなくて1月かに発狂しながら作った。

・あれかしら、本当に退学しないまでも、第二新卒就職するつもりで少し就活するのはありだと思うの。下を知るべきかしら。

そういえば大学受験で病んだのも下を知らなかったのはあるかもな、と思っている。ハナクソほじってても入れそうな大学なんてひとつも知らなかった、高校の知り合いで、私がハナクソほじってても入れそうな大学に入っている人をかけらも知らなかった。

3年生の時に、今の学力そのままで受験になったとして入れそうな大学はどこですかと聞いたとき怒って教えてくれなかった塾の先生は少し恨んでいる。逆恨みだが。

高校受験別に病まなかったのは、私がまだ世間を知らずにぽやぽやしていたか理想が上がらなかったのが大きいと思うが、下を十分知っていたのもあるのかもしれない。楽に入れる滑り止めが沢山あったのもある。

んーただ受験就活を同様に考えるのは危険かなぁ

嗚呼やだやだ忘れてた「大学受験もっと勉強すればよかったな病」を思い出しちゃった

でもね、しょーじき大学受験ちっとも勉強しなかったし、浪人生ときセンター前2週間くらいしかまともに勉強しなかった記憶あるけど、それでもうっかりそこそこの大学に滑り込んでしまったじゃん。それが悪い意味成功体験にはなってると思う。あの時なんとかなったんだから今回もなんとかなるんじゃね?みたいな。

・院進学はほぼ即決で決めたが、就活したくないから、文系就職絶対病むから、院進をすればきっと就活楽勝だろう、は理由の半分くらいであった。もう半分は、内部進学します!と言わないと教授研究室に入れてくれなさそうだったのと、実験レポートは好きだったのはある。

この手の、結論先延ばしにしたいというモラトリアム思考でここまで来てしまう、勉強はできる人ってありがちだと思うのよね。ほら見た?ちょっと前に私が書いた理想キャリアプランもさ、結論先延ばしにしていると思わない?

・これ思いつきなんだけど、自信が無いのって有機化学ができないと思っているからかな?もう一度勉強したら自信がつくかしら?院試もう一度解いてみる?失くしたと思うから誰かから借りてやらなければならない。

あーでもこれは躁による無謀な思いつきな気がする。怖いな。

・というか今絶対躁入っているのよね、どうしよう、自己管理ができない。昨日の夜も興奮して眠れなくてこの追記を書いていたら筆が滑って朝になってしまった。

トラバ返信でもしたように、やる気が出るときと出ないとき乖離が激しくて、私は勝手に躁鬱のケがあると思っているのですが、頑張れる時期は馬鹿みたいに頑張れて徹夜休日実験早出残業も厭わないでできるのですが、できない時期は御覧のとおり引きこもる、というかんじで、高校時代から苦しんでいる。

一時期ラミクタールに手を出したが、就活で不利になるかな、というのと、平日ラボを休んで病院に行くのが嫌だったのと、お前のそれは薬じゃなおんねーよと友人に言われて2週間でやめた。

・今までの文章を読んでいただけたら分かるかと思いますが、私はどうにも理屈っぽくて、特に自己を語ると理屈っぽくなり、行動に移すまでにものすごく腰が重いという悪い癖があります。あまりよくない性格だろうなと思うので、改善出来たらいいのにな、とは思っています。やらない理由を探すのが得意で困ってしまます

この理屈っぽさを研究でも生かせればよかったのでしょうが、残念ながらあまり生きることはなく、見切り発車で実験をかけて失敗することが多いです。

それから自分選択責任を取るのが怖くて、つい逃げの言葉を使いがちなのもよくないと思っています。うっかり、とりあえず、などの副詞をよく使いますが、責任を逃れたい意識がにじみ出る言葉だな、と思って本当はあまり使いたくありません。

それから、私は自罰的で自己批判的である、との評価は人からよく貰います。そのこと自体はそんなに悪いことだと思わないで生きてきましたが、自己PRがかけらも書けないのが本気で困っています

それからもしかして謙遜と私の自己批判は違うのでは…?」みたいな思いが少しあります

・私はこれまで相談室のようなサービスを使うのにものすごく罪悪感があって、いや、今でもあるのですが、まあこんな状態なら使う権利があるだろう、と思って使うことにします。コロナ渦で登校する学生が激減して空きは多いそうです。

・いや、罪悪感と言うより、敢えて露悪的に書けば、「手のかからないいい子でいたかった」という話だと思う。これはB4になったばかりの時にめちゃくちゃ思って病んだが、もう教授迷惑をかけることは気にしないことにした。

本気でだらだら書いてしまいました。これだから女の話はつまらないと言われるのです。

と言うことで就職課に相談に行こうと思います

たすけて、いけるんじゃない?と思うときと「もうだめだおしまいだ」と思うときが交互に訪れている。

大学院生引きこもり追記

【2/29 11追記

https://anond.hatelabo.jp/20200928113830

トラバへたくそでごめんなさい)

皆さま沢山コメントをくださって有難いです。トラバブクマひとつひとつ読みました。

アドバイスもとてもありがたいです。経験談や、色々なサイトへのリンクありがとうございます。読んで参考にします。

「俺もそんなんだった」が一番救われる言葉でした。これで救われてはいけないのかもしれませんが。

こう見るとはてなってやはり高学歴が多いのだな、少なくとも一定はいるのだな、と実感しますね。

慣例に倣い、この日記印刷して学生相談室に持っていく予定です。

はいつも優しい増田の皆様に救われています。実はB4の時も似たように、かけらもない進捗報告を発表するのが嫌すぎて逃げたしたときにも、増田で弱音を吐いたら優しく励ましてくれてどうにか復帰しました。あの時は3日で済んだんだよなぁ。

(つまりその時の失敗を全然生かせずにまた同じ轍を踏んでいるということでもある。成長していない。)

めちゃくちゃ赤裸々に書いたか特定されたらどうしよう。まあそれでもいいかラボ人間はてなぁがいないことを信じて色々書きます

めちゃくちゃ長くなっちゃったので冗長文章ですが見たい方は暇つぶしにどうぞ。自分思考の整理も兼ねて書きます

1:現状報告、2:ブコメ返信、3:愚痴、の構成でお送りしたいと思いますはてな記法が分かっていればよかったんですけど、すみませんすべてベタ打ちで…、申し訳ないです…見出しの付け方分からない…

1:現状報告

昨日(9/28)、教授相談し、同期にお叱りをくらい、とりあえず復帰することにしました。

最初10月からの予定でしたが、意外と必要な窓口業務が多いのと、せっかくなら平日に買い物や病院通いがしたいのと、あと10/1って内定式なので他のM2いなくて寂しいので、来週からにしてくださいとお願いしました。

交渉した!頑張った!(自分自分を小さいことで褒めていくスタイル

それでも月曜日に無理そうならさらに数日後でもいいですかってお願いするんだぞ!出来たら金曜の昼とかに、最低でも日曜の夜には言うんだぞ!

私は「交渉」というスキルを手に入れるんだぞ!私が壊滅的に持っていないものだぞ!

さて、卒業や進路についてですが、事務や両親とも相談して、いくつかの選択肢で迷っている状態です。

・まず今年度の卒業不可能だと言われました。ラボに行っていないため前期分の卒業研究単位を落としており、これはどうあがいても今年取らせるつもりはないようです。

留年して早くて21年の秋、もしくは22年の春になら卒業できるそうです。どちらにするかは多分私の意思で決められます。が、単位関係で今年中には決め打つ必要があるようです。

6月(通学再開時)に復帰してくれれば全然大丈夫だったのに、とめちゃくちゃ言われました。そこはそうだったな、家出して逃げるのではなくちゃんラボに行けばよかったと思います

電話メール手紙まで先生から頂いていたのに、全て無視していました。ご心配とご迷惑をかけて申し訳なかったです。

今後の選択肢ですが、まず就活について

①専攻を生かした業種・職種

②全く専攻に関係ない業種・職種

のうちどうするか決めあぐねています。また、研究生活の選択肢として、

A : これから半年研究し、21年の春に中退する(つまり大卒第二新卒として就職する。この場合就活必然的に②になる)(もしくは今中退してもいいですが、就職情報が手に入るので就職先を決めるまでは在籍したいです。)

B : これから1年研究し、21年の秋に卒業し、半年空けたあと、22年の春に就職する

C : これから1年半研究し、22年の春に卒業し、22年の春に就職する

D : (あまり視野に入れていないが一応)今年半年休学し、21年の春から1年研究して、22年の春に卒業し、22年の春に就職する

(ただ、さら半年行かないでその後復帰できるん?という疑問は大きいからあまり選びたくない。ここから半年就活に集中できるのが大きなメリットとはいえ私は就活に集中なんてことをできる人材とは思えない。)(あと休学の書類9月中だからもし休学するなら超急いでしなくてはならない)

E : (これも一応書いておく、Dだと今年一部の学内サービスが使えないので)制度上はCと同じにして、これから半年研究室は休むという形を取り、Dと同様に21年の春から1年研究して、22年の春に卒業し、22年の春に就職する

のいずれかがあります

先生おすすめはおそらくC、親のおすすめもC、私の現状の希望はB、同期の友人のおすすめはAといったかんじになっています

ちなみに家の経済的に金の問題は多分無いです。出世払いで返せばいいと言ってくださいました。

焦って決めなくてもいいとは思うので、できたら来週頭くらいを目途に方向性を決めたい。

どれがいいのだろうか。


2:ブコメ返信

目についたものだけですがブコメ返信的なものします。引用方法が分からなかったのでコピペベタ打ちで…すみません

どのコメントも有難く読ませてもらっています真剣で暖かな言葉ありがとうございます

・沢山の「自分もそう」的なコメント

思ったよりいっぱいいて少し安心しました。優しい言葉をかけてくださって嬉しいです。

・進路に関するアドバイス

めちゃくちゃ有難いです。身近な人のアドバイスも有難いですが、やはり偏るので、関係ない人から感想も参考になります

cad-san zou3dazou 発声練習

B4の頃少し読んでいました。いいブログですよね。また改めて読もうかなと思います

・kokojp 勉強は出来るんだろうからいざとなったら地方公務員試験でも受けるといい。M2までの経歴があればなんとかなるよ

なるほど、それはいいですね。すごく前向きに検討したい。学部時代から興味はあって、去年はそんな暇ない、でやらなかったのですが、今年は説明会くらい行ってみてもいいかもしれない。

・urashimasan ええかっこしいは扱いに困る。

誠に申し訳ない。めちゃくちゃ気にしている。どうしたら治るか分からない。この無駄に高いプライドはどう崩せばいいのか。

・augsUK yoppu7 雑誌会=研究室のゼミ論文レビューみたいなもの

雑誌会はゼミひとつで、学生適当論文を1つ選んでその内容を紹介するやつです。うちの研究室ではそう呼んでいませんが、雑誌会の方が伝わるかと思って使用しました。説明しておけば良かったですね。論文内で使用した反応全ての反応機構選択性を書く必要があって、手抜きかつ難しくないものなら1週間ちょいくらいで仕上げられますが、やろうと思えばめちゃくちゃ手間をかけられます学生の優秀さを比較するのに割と強く使われる会です。

mbr大学教員としては「毎年のようにドロップアウトする学生が続出している」なら、増田よりも教員問題があると見なすよ。増田が引きこもってる時にラボの人じゃなく親が引っ張り出す時点でそれは違うって叫びたい

そう、毎年のようにドロップアウトする学生が続出していたんですよ。偶然かおしなべて女子だったから次は私だってめっちゃ言われてて、事実そうなってしまたから本当にウケる。いつか先輩に会うことがあったら笑ってもらおう。

私としてはドロップアウトする学生それぞれの生来の基質もありますし、就活とかの進路の要因も大きいですし、学生同士の人間関係的な要因もありますし、そもそも有機化学研究室は拘束時間が長く体力的にキツめ、というのも大きいと思うので、教授責任はそこまで無いとは感じますが、内部にいるのでよくわかりません。少なくとも私は今の教授はい教授だと思います

先生も「自分のせいかな」と思ってはいると思うんですよね、それが申し訳ない。

一応言っておくと誓ってセクハラは無いです。セクハラヤバい他の教授エピソードは友人から山ほど聞いています

・kinaco68 ここまで的確に言語化できて偉い。 M2の時って漠然とした焦燥感があるよね

的確と感じましたか理解やすかったのなら少し嬉しいです。今回は自分でも珍しく的確に書けたなと思います普段の私の文章もっと取っ散らかっていてかつポエミーで読みにくいです。

・mshota 大丈夫大丈夫自分が何か間違ったことを言ったりやったりして恥をかくのが嫌なんだよね。

もう本当にその通りです。この無駄プライドの高さをどうにかしたいです。

最近自覚したよくないクセのひとつに、怒られているときに「そうなんですよ」と返事をしがちなのがあります。つまり私はそれが悪いことだと分かっていますアピールであり、つまり自分の心を守る言動な訳なので、素直に「はい」と言える素直さが欲しいです。

トラバ

あなたは頭がいいし、なおかつ(自分が思ってるより)周囲からも愛される人なのではないだろうか?

可能なかぎり最善を尽くすべし。

レベル落とすのは後からでもできるのよ。

何故かこれが一番泣けました。幸運にも周りの人には恵まれています。皆さん優しくていい人です。情けないとともに有難いです。

トラバ

参考になるか不明だけど昔の自分日記おいとく https://anond.hatelabo.jp/20140306080333

とても共感しました。比較的似ているタイプだと思います最初馬鹿みたいに張り切れるところが特に。私はこの基質は躁鬱のケなのではないか自己診断しています

そういえば、B4M1の時、私躁だなーと思っていて、妹にこのままじゃ鬱になるよと言われていたのを思い出しました。まあ修士卒業までの3年くらいは持ってくれるっしょ!と思ってゴリ押ししていたのですが、今年の年明けくらいから躁が終わったな、と感じていました。就活ときこそ躁でいて欲しかったです。無駄な万能感が欲しかったです。

・tarume ここすき "引きこもっていた期間の行動や心理については、父が音読してくれたこブログほとんど同じである。どのブログだろう。探せなかった。"

このサイトでした。父に教えてもらいました。せっかくなので特に共感した箇所を引用します。

https://note.com/kazuaki3280/n/n95ea3a34bc06

引用

今思い返しても何も思い出せません。虚無です。とにかく毎日、何かを考える事が怖くて、スマホを手に取りゲーム漫画動画、あるいは据え置き機でのゲームを、ひたすらしていました。最新のゼルダをやったのは確かこの時期でした。コンテンツが途切れると自分の現状に向き合わなければならず、その十字架に耐えられるほど強くなかった僕は、ひたすら絶える事なくスマホを握っていました。罪悪感を、周囲に対する劣等感を、将来への不安を、膨れ上がった負の感情全てを、ひたすらに薄めて薄めて一日をやり過ごしていました。スマホの画面を見ていない時間が、そこで顔を出す現実孤独が怖くて仕方がなかった。弱さに向き合うことすらできない弱さに絶望し、ただひたすら感情を失ってゆっくり腐っていきました。辛いことも楽しいこともほとんどありませんでした。布団に入って目をつむると静寂の中不要思考ばかりが空転するので、寝落ちするまで毎日眠りませんでした。生活リズム崩壊し、朝7時に寝て夕方16時におき、夜22時に一日一回の食事を摂っていました。

引用ここまで)

かい箇所は異なりますが概ね同じ感じでした。当時の私の心情を代弁しているかの如く同じ気持ちでした。「コンテンツが途切れると自分の中の現状と向き合わなければならず」「膨れ上がった負の感情全てを、ひたすらに薄めて薄めて一日をやり過ごしていました」あたりが本当に共感できます

ちなみに私るる鯖の人狼ログとかでした。増田めっちゃ見ました。


3:愚痴

ここからは進路を決めるにあたっての不安とか懸念事項とかをつらつら書きます

本気でめっちゃ長いだらだらした半分自己分析なので、本当暇な人だけ読んでね。キャリアカウンセラーに話す内容の下書きのつもりだからね!推敲していないしマジで口語の垂れ流しなので読みにくいよ。後から文句を言わないでね。



就活について、私は研究職に向いているのか?…向いていないんじゃないかM1の時からそう思っていたが、まあいけるやろでだましだまし就活をしていた。でもやはり向いていないんじゃないかだって現状研究生活を投げ出したし、そんなにできるほうかと言えば別にできるほうでないのは事実だし。コミュ力無いし。大学院ぽっちの研究を投げ出すようなら企業での研究なんて無理ではないか???

・あとおそらく世間は狭いのだから、私の大学での悪行は広まるのではないか?? 予約してすっぽかした説明会とか、予約をすっぽかした面接とか、予約したにも関わらずすっぽかした面接とか大量にある。把握すらしてない。そんなとこ来年のこのこと申し込めなくない???

ぶっちゃけM11月から研究のやる気本当に無かったじゃん。行くだけ行ってほぼ何もしないみたいな日結構あったじゃん。研究の成果がちっとも出なかったのもあるし、就活発狂していたのもあるし、先生からそろそろ自分方向性とか色々考えてみればみたいな雰囲気を感じたので考えてみたけど全然うまくいかない感じとか、プライド無駄に高いか他人にあまりものを聞けないか研究が行き詰まる感じとか(特にここが大きな問題)、後輩の研究指導が本当にできなくて比較的放り投げるか無駄な助言をするかしかしなかったのとか、その辺めっちゃあったじゃん。

・その辺を横目で見ていたから、同期の友人に「お前研究職向いていないと思うよ、事務職とかがいいと思う」とか言われるのよ。言われて図星過ぎて恥ずかしくて往来でブチキレちゃった。申し訳ない。

研究生活とはあまり関係ない私的生活の話だが、似たような恥ずかしい思いをしたときにすぐブチキレちゃうのをどうにかしたいがやり方が分からない。そのために妹とは口を開けば喧嘩ばかりしてしまう。そういえば研究室でもしょっちゅう廊下でこっそり紙を破ってキレ散らかしていた。ラボでも支障出てんじゃん。困る。)

・同期の友人が進路にAを勧めるのは、私の「プライド無駄に高いか他人にあまりものを聞けないか研究が行き詰まる感じ」を見てるから来年オレがいなくなった後がつらいんじゃないの、という心配が一番大きいんじゃないかと思うのね。来年と言わず就職後もきついと思うし。

事実色んな人とのそれなりのコミュニケーション業務を、あいつにおんぶにだっこ研究生活を乗り切ってきた面は大きい。

先生に、「自分は本当は退学したいが親に説得されたからやる」では君のモチベーションが続くかは心配、と言われた。それはその通り。

・というか研究室に戻って実験やる気出してやれると思う?正直昔過ぎてどんな思いでやっていたかとかあんまり思い出せないし、今は「まあ行けんじゃね?」と思っているけど、それは半年前の研究マジでイヤさを忘れているだけかもしれない。

そういえば2月くらいとかgoogleで「しんどい」と打って検索してはよく分からないキュレーションサイトを見る、とか、実験も文献を読むのも就活もやりたくなさすぎてケムステ(化学ポータルサイトのしょうもない記事コアタイム中に読み漁ったりしてたじゃん。何なら一時期はてぶしてたわ。思い出した。やはり私に研究生活は荷が重いのではないか

・あれかな、肩慣らしに少し研究やってみて、ダメそうかどうか判断する、のもありなのだろうか。

だちょうテーマ変えるか、の段階だったら、どのテーマでやるかから決めなくちゃいけないのだけど。

ちなみにこれはこの日記がこんなにブコメつく前に書いていた研究目標文章

https://anond.hatelabo.jp/20200928200744

M1の時に描いていた理想キャリアプランは、いわゆる「中堅」と言われる、社員への面倒見がよさそうな企業の、技術総合職就職して、できたら研修を長―くやってその後配属を決めるくれるような企業で、研修をして、研究職に配属されて(まあここから違う職種でもいい)、そこで1-3年くらい研究をやったら「あ、向いてないな」と私なり企業なりが思うかもしれないから、技術営業だか知財だか管理部門だか窓際部署かに異動するかもしくは転職して、後は適宜向いてそうな仕事をする、といったプランだった。

「中堅」にした理由に大きな理由は無いです。そういう企業が多い印象だったから。正直小さめの企業まで見ないうちに就活を投げだしたのもある。

・できることな理系就職をしたいと感情で思ってはいるが、これは、いわゆる「せっかくこれまでかけてきた投資無駄にしたくない」気持ちコンコルド効果、と言うらしい)が8割を占めていると思うのよね。だからそこを差っ引けば私は別に理系就職したくないのかもしれない。

だってぶっちゃけ増えてる増えてるとは言うが女子社員少ないしさ。普通に生きづらいと思ったこ大学で感じないことも無かったじゃん?


切れたので分けます

https://anond.hatelabo.jp/20200929111352

2020-07-17

anond:20200717174601

今は第二新卒って救済がある時点でかなりヌルいんじゃないか

2020-06-04

発達障害じゃないけど前職のブラック企業で心を病んで社会復帰した社員」がだいたいこんな感じ

発達障害やグレーゾーンの人の適職って?

私は混合型診断済みです。 一通り解説と自分の対処方なんか書いてく。でも..

すげえマジレスするとこれは発達障害ではなく複雑性PTSDの症状なので専門医に診せた方がいい

複雑性PTSD - Wikipedia

行列推理問題

短期記憶問題

●嘘をつく問題

テンパる問題

うん、なんか新入社員の人だいたいこんな感じだわ。 

本人発達障害ではないらしいけどブラック企業で働いてて後天的適応障害&躁鬱(双極性障害)になったって言ってた。

入社直後はものすごいテンション高くてペラペラペラペラしゃべりまくってたんだけど

だんだん調子のいいことを言ってる割に仕事できないって扱いになってきて周りからの反応も冷たくなってきてる。

気の毒だとは思うけど私もこの女性の面倒自分で見ろって言われたら全力で拒否する。そのくらい厄介。

第二新卒デビュー」に失敗したような感じでなんで社長はこんなやつやとっちゃったの?ってすごい困ってる。

コロナで在宅勤務の間もほんとにひどかった。

愚痴りだしたらきりがないけどとりあえずこういう子いるよっていうことで。

2020-05-24

テレビ番組制作で働こうか迷っている

今、知り合いのつてでテレビ局制作下請け業務ADやらないかって話があってそれを引き受けるかどうか迷ってる。

大学在学時に精神病んだり多重債務が膨らんだことで卒業してすぐ実家に戻って2年くらいニートしてた。

ニートって言ってもぼちぼち家業の手伝いして、とりあえず利息をなんとかするために日雇い派遣に行って、

グループセラピーに顔出したり、町おこしやってる地元NPOボランティアしたりなんやかんやしてたけどどこにも属してなかったかニートニートだ。

同じ面子毎日顔を合わせていると不安でたまらなくなるから月に二日が限界だった派遣も、2年経つごろには週4~5で3つぐらいの現場をローテーションできるくらいには回復した。

そのころになってようやくとりあえずどこでもいいから腰を据えようと考えられるようになって週3のコンビニバイトと週2のホテル清掃を掛け持ちを始めた。

1年前にコンビニの時給が上がってからは週4にシフトを増やしてもらってそっち一本に専念して今もやってる。もうかれこれ4年になる。

そんな自分にもWebデザイナーになるという夢があった。

当時はやっていたテキストサイトなりに影響を受けてhtml自分で書いてみたのが最初で、

それからお遊びで自分サイトCSSで装飾をしたりCGIプログラムを書いてみたりしてた。それも高校生になるころにはやらなくなったけど。

それでもずっとWeb周りの情報は集めていて、はてな情報収集のためにブックマークを使い始めたのがきっかけだった。

2年のニート間中に、ようやく落ち着いて勉強をできるようになったので、

ドットインストールJavascriptPHPPythonRuby基本的な書き方をさらったのち、ちょくちょく自主制作をやるようになった。

いってもPHPPythonWordPressとC4DのXpressoくらいでしか使ってない。Rubyは一回TwitterBOTとミニゲーム作ったあとなんか好きになれなくて弄らなくなった。

ももともとWebに憧れがあったからかサイト制作Javascriptを使うということは結構長く続けられた。

通ってた大学メディア関係学部イラレフォトショもそれなりに使ってたからそんなつまずくこともなく、ちまちまポートフォリオ制作したサイト溜めてた。

あと関係ないけど図書館Java参考書借りてきて写経したり、XCodeSwiftに挑戦したりしたけどアプリあんま興味なくていつの間にかやらなくなった。

それもサーバー代が払えなくなったりHDDがおしゃかになって全部なくなったんだけどね。ここ最近PCも持ってなかったし。

なんとか最近になって惨めな田舎生活から飛び出すだけのお金が貯まって、定職につくことまでようやく考えられるようになって

ちょっと遅くなったけどだめもとでまた一から頑張ろう、まずはポートフォリオまとめていこう」と思ってた矢先にコロナショックで世の中おかしくなりだした。

自分不安でたまらなくて、コンビニバイトをしていることから小売業求人に応募しつつ、Web制作や、大学時代の経験から映像制作募集に片っ端から応募した。

ADの誘いを受けたのはこの流れで、受けた企業採用担当でない社員の方から別の企業を紹介されてそういう話になった。

履歴書も見たしもう一度会ったらもう内定を出すと言われている。

からさまに怪しいと自分も思う。放送業界ハードさは周知の通りであるしか自分にはトラウマがある。

大学卒業直後に第二新卒での就職を目指して3か月だけ就活をしていた時期がある。

そのときに「テレビ制作やってる部署中途採用してあげるから一か月後に荷物まとめて東京に出てきて」と言われ結局自分はそれを蹴った。

当時はほぼ無収入なのに借金の返済に月6万かける生活不安が大きかったのと、

クライアント代理店から依頼された案件企画から制作までじっくり取り組んでいきたかったので放送業界はやや不本意だったかである

でも今になればあのとき飛び込んでいれば違った未来があっただろうと後悔する気持ちがある。

少なくとも今のようにぼんくらとして馬鹿にされ近所から白眼視されながら惨めに孤独に片田舎生活するようなことはなかったのではないだろうか。

今の自分映画悪人」の妻夫木の役どころや「レズ風俗」の永田カビみたいなもんである

現在はその企業以外に2社映像制作会社(放送関係ではない)の面接選考が進んでいてそれも自分を迷わせる原因だったりする。

最近はてブ話題からいろいろ考えてしまうんだけど、現実逃避するように誰に見せるわけでもないポートフォリオサイト休日に作り続けてる。

こうやってずっとPhotoshopコードの書かれたエディターと格闘していられたらいいのに。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん