Y:文章を書くのは好きな文系出身。うっかり第二新卒で大企業で働くことになった。
Mくん:Yの同期で工学系の院卒。国家資格を複数持つエリート。
Yと研修で同じグループになり、仲良くなった。基本的にヘラヘラしている。
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今日は部屋に同期のMくんがやってくる日だった。
*
(ボーナスも入るし、そろそろ家具を新調したいなぁ。在宅で残業するのに今の椅子だとちょっと辛いし…)
数日前、Yは在宅勤務での残業が辛くなってAmazonで新しい椅子を探していた。
「在宅勤務におすすめ」と書いてある特集ページを見ていると、今の部屋の雰囲気似合いそうなゲーミングチェアを見つけた。
(ゲーミングチェアって黒地に赤とか、やたら光るやつとか中二病のイメージがあったけど、レザー調のもあるんだ。
少々値段は張ったが、レビューの評価もよかったのでYはベージュのゲーミングチェアの購入ボタンを押した。
その恐ろしさも知らずに…。
*
届いたのは、予想を超える大きさのダンボールだった。
玄関に入れるのがやっとのことで、洗濯機でも入っていそうな大きさだった。
やっとの思いで出したパーツを床に並べ、手順書を開いて組み立てに着手する。
キャスターを土台に入れ、ガス圧調整レバーを差し込み、その上にカバーをかける…はずだった。
(あれ、キャスターが土台に入らない…)
色々な角度から嵌め込もうとするが駄目だった。
キャスターの根元についているリング状の金具が邪魔しているようにも見えたが、
手順書に書いていないことをしたら余計面倒なことになりそうだった。
(だめだ…)
その日は疲れてしまったので組み立てを諦め、同期のMくんに愚痴を言った。
「ゲーミングチェアを買ったのに組み立てれなくて詰んだ」、と。
ただの愚痴を言うはずが「じゃあ手伝おうか」と予想外の提案を受け、心臓が飛び跳ねた。
こんなことってあるのだろうか?
(そもそもMくんを部屋にあげてもいいのだろうか?
このまま組み立てられずにいるのも嫌だけど、わざわざMくんに来てもうのも悪い。
男性を部屋に入れるのって何年振りだっけ…?
でもせっかく提案してくれてるし断るのも変か…?)
「うーん、じゃあお言葉に甘えて…!」
ぐるぐると考えたが(考えても仕方がない)と思い切り、
Mくんに組み立てをお願いした。
*
そして冒頭部分に戻る。Mくんが部屋に来る当日だ。
(不用品は捨てたし、シンクも磨いたし、洗面所も隅まで磨いた…)
できる事は全部やったが、それでもYは不安だった。
プレゼン前よりも緊張していた。
Mくんに対して差し当たってできることは、自分の部屋に対するイメージを下げておくことだった。
あらかじめ部屋の綺麗さのイメージを下げておくことで、現実のギャップを減らす作戦だ。
「めっちゃ気にするじゃん」
「それもう、気が気じゃないよ…
家事できないのバレるし家具の組み立てもできないの恥ずかしいし」
緊張の中、部屋の鍵を回す。
ガチャリと音が鳴って扉を開ける。
Mくんに入ってもらうと、さっと靴を脱いで揃え、手前の洗面所に向かった。
(ここまで誘導の通りだ)
Mくんが手を洗う。
「汚部屋って言ってたけど、ここまで汚いとか特にないんだけど…?」
「いや、このスペースにある分だけ」
「確かに一人暮らしだとこれくらいでいいかも。今度引っ越すから参考になる〜」
そうして奥の部屋。
「え、別に汚部屋じゃないじゃん!カーテンとベッドカバーの色とか揃ってるし
とっさに大きな声を出してしまった。
(Mくんと密室ってだけで緊張するのに…自分のだらしない所まで見られたら死んでしまう!!)
「はいはい、これを組み立てればいいのね」床に散乱したパーツを見てMくんが言う。
渡した手順書をふむふむと読んで「え、ここで躓いてたの?」と少し驚かれる。
「すいやせん…」
Yがしみじみと謝っている間、Mくんはしれっと土台に4つのキャスター全てをはめ込んだ。
「え、早くない…?神?教祖って呼んでもいい?」
「教祖になるつもりはないな〜」ヘラヘラ笑いながら、Mくんはやすやすと組み立てていく。
またたく間に椅子らしい形が出来上がってきた。
「このパーツと背もたれを繋ぐ時、ちょっと床傷つけそうだからベッド借りてもいい?」
「え?う…うん」
ベッドを使うことに異存はないが、Mくんがベッドにいると思うと、ドキドキする。
変な緊張をしているYをよそに、Mくんは「作業者」として完璧だった。
手順書を読み上げ、パーツや作業内容に誤りがないか一点一点確認する。
可動域を調べ動作確認をするMくんの手つきが滑らかで、綺麗だった。
「はい先生!」Mくんの手つきに見とれていると、指示が飛んで来た。
背もたれの部分だけでも結構な大きさだったので、片手で支えながら座席部分と組み合わせるのはかなりしんどそうだった。
Yが背もたれの部分を持ち、応援する。
「あ、助かる」
「うん…」Mくんとの距離が近くなると当然ながらMくんの香りがする。なんとなく安心する香りだった。
(柔軟剤の香りかな?いい匂い。あと首筋きれいだなー)Yはぼんやり見とれてしまった。
「あー、来週の構築作業もこんな感じなんだろうなぁ」組み立て作業中のMくんが仕事の話を投げてきて、急に現実に引き戻された。
Mくんの「聖域」を邪魔できるはずもなく、ただ作業を見守っていた。
*
座席と背もたれを接合し、土台にはめ込む。
それにフットレスト、アームレスト、各種クッションをつけて、ゲーミングチェアが完成した。
できたてほやほやのゲーミングチェアに座ってYが「わーい」とはしゃいでいると、Mくんがぐるぐると回して来る。
「この椅子本当にいいな〜持って帰ってもいい?」
「じゃあ作業費3万もらうわ」
「そこを同期割でなんとか」
「1万5千円になりますね」
「いや高いわ!」冗談を一通り言うと「よし、じゃあ撤収する!」とMくんが言った。
「来週引越しだよね?荷造りとかお手伝いします…」とYは申し出た。
「うーん、来週はちょっとスケジュール的に難しいんだよね。夜勤だし」
「そっかあ。じゃあ今度なんか奢らせて!」とYはぼんやりした提案しかできなかった。
(こんなんじゃ社交辞令みたいじゃないか)いつものことながら、
YはMくんと会うと、いつも言いたいことを言いそびれる気がする。
*
Mくんと駅まで他愛のない話をしながら歩く。
「またなんか組み立て必要だったら呼んで」へらりと笑ってMくんは言う。
「まじか、本当に助かる…」
じゃあ、と言ってMくんは改札まで向かう。
じゃあね、と言ってYはくるりと方向を換える。
Yは少し歩いて振り返ると、Mくんが階段を降りようとしていた。
後ろ姿まで颯爽としている。