はてなキーワード: だちょうとは
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
食べ物に関する話題が中心で、「台湾まぜパンチョ」や「しゃぶしゃぶ温野菜」の体験談が共有され、雷の話も少し出ました。また、洗濯機が壊れたため、コインランドリーに行く必要がある話題もあり、手洗い方法や台風情報が話題になりました。
秋の訪れを感じ、季節の変わり目が話題に。過去の治療や美肌ケアについての話、ウーバーやセブンの宅配サービスの意見交換、ゲリラ豪雨の影響についても話されました。
サンフランシスコの商店街や「ラピュタ」の「バルス」に関連する話題、またeSIMや子供の成長についての驚きが共有されました。
台風の影響による新幹線運行停止や、大雨による交通への影響が話題に。サウナや宿泊施設に関する話、そして経費精算や勤怠の完了についての業務連絡も行われました。
宇多田ヒカルのライブ、吉野家のだちょう丼、Ingressの世界大会についての話題が出ており、台風の進路や影響も共有されました。
メンタルヘルスやリモートワークが話題になり、宇多田ヒカルのライブの予定や、花火、食べ物の話題も出ました。台風や座布団ネタも話題になり、再結成についての喜びが共有されました。
洗剤の種類や使い方、台風の影響、洗濯機の機能についての意見交換が行われ、公務員のメンタルヘルス問題も話題に上がりました。
猫が甘えて動けないという日常のエピソードから、洗濯機の買い替えについての話、公務員のメンタルヘルスに関する問題についての話がありました。
この要約から、チャットの主な話題が日常の出来事や季節の変化、食べ物、天候の影響、そしてメンタルヘルスに関連していることがわかります。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
だけど最近変な声が頭の中で聞こえるようになったの。
最初は無視していたんだけど最近ひどくなっちゃって。今日もこうやって声が私に話しかけてくるの。
『ユウキちゃん。ボクの声聞こえてる?ねえねえお話ししようよ』
『あー、もううるさい!なんで私があんたなんかと話さないといけないわけ!?︎』
『そう怒らないで。落ち着いて』
『怒ってないわよ!』
『ほら深呼吸して?』
『どうだい少し落ち着いたかい?』
『えぇまぁ』
『それは良かった』
『それで何の用かしら?』
『そんなつれない事言わないで仲良くしましょうよ』
『嫌よ。大体あなた誰よ』
『そうだね自己紹介がまだだったね。ボクの名前はポイピーだよ』
『失礼だな君は。これはれっきとした名前だよ』
『そうなんだ。ごめんなさい。で、そのポイピーさんは何の御用ですか?』
『うん。君にお願いがあってきたんだよ』
『はい?今なんて言ったのかしら?』
『裸になって水泳の授業に出てほしいと言ったんだよ』
『意味がわかんないんですけど。そもそもなんで私がそんなことしなくちゃいけないのよ』
『頭の中で響いている声に意味なんてないでしょ』
『うっ、確かに。でもどうして私の考えてること分かるのよ』
『なんだかよくわからないわね』
『だろうね。いいかいユウキちゃん。これから言うことを良く聞いて欲しい』
『わかったわ』
『どういうこと?』
『そして何も着ないで、全裸でプール授業に出るんだ』『だからなんでよ!』
『ちょ待って……行っちゃったみたいね』
次の日になりました。いつものように朝起きて学校に行きます。教室に入るとみんな元気ですね。楽しそうです。そんな中私だけが暗い顔をしています。
挨拶をするとクラスメイト達は笑顔で返してくれます。良い人達ばかりです。
昨日の声のことが気になりました。
疑問を持ちながら着替えようとしました。その時です。
「え?!本当に水着忘れてる!」
私は驚きました。なぜなら今朝も昨日の夜もちゃんと水着を忘れないように確認していたのです。
だから頭の中の声『ポイピー』のお願いどおりに現実が進んでることに驚いています。
私は焦りました。このままでは下着姿のままプールに入らなければいけません。そうなった場合いろんな意味で大変なことになります。
なので急いで更衣室を出てプールサイドへ向かいました。途中で何人かの生徒と出会いましたが無視して走りました。幸いにも誰にも会わずにたどり着くことができました。
安心した瞬間、気がついたのです。
(嘘!私全裸になってる!)
血の気が一気に引きました。気が付かない無意識のうちに私は生まれたままの姿になっていたのです。
誰かに見られる前に早く戻らないと大変です。しかしどうやって戻るんでしょう?周りを見渡しても誰もいないようです。もしこのまま時間が経ってしまったら……。
そう思うだけで震えてきました。
その時後ろから声をかけられました。
「あらユウキさんこんなところで何をしているのかしら?」
振り返るとそこには担任教師のミケ先生がいました。彼女は25歳独身で男性からの人気が高い方です。
ちなみに巨乳です。
「あの実は……」
事情を説明するため近づこうとした時足下に水滴が落ちていることに気がつきました。
その正体は汗ではありません。
その事実に気づいた途端顔が熱くなりました。
「そうなんです。どうしようと思ってたところなんですよ〜」
平静を装いながら答えました。
「それは困ったわね。そうだちょうどいい機会だし全裸で水泳の授業をしてみましょうか」
突然の提案に戸惑いました。
「えっとどういうことですかね?」
「つまり、ユウキさんは今日全裸で水泳の授業を受けるのよ。もちろん水着なんて持ってきていないわよね」
当たり前のことを言われました。
「はい。持っていません」
「それなら決まりね」
授業開始に合わせてプールサイドに生徒が集まってきました。
他の生徒達に体をジロジロ見られてるような気がしますが気にしないでください。
私は全裸のままで泳ぎました。途中何人もの男性生徒が見に来ていましたが、恥ずかしくて直視できませんでした。
授業が終わると同時に男子達が寄って来ました。
「おい裸女。お前最高だな」
「そうだぜ俺達も仲間に入れてくれよ」
口々に言いたい放題言ってます。
「ちょっとあなたたち離れなさい。ユウキさんは私と一緒に保健室に行くわよ。そこでゆっくりお話ししましょうね」
助け舟を出してくれたのはミケ先生でした。
「はい。わかりました。すぐ行きますね。でも話ってなんですか?」
「そんなの決まってるじゃない。ユウキさんの体のことよ。とりあえずは風邪ひかないようにしてあげるわね」
そういうと私をお姫様抱っこして歩き始めました。
全裸のまま。
保健室に着くとベッドの上に寝かせてくれました。
(うう。みんなに裸を見られた。もう終わりだ。私の人生完全に終わった)
「まだ他の生徒と顔合わせるのは気まずいでしょう。ここでしばらく休んでいきなさい」
ずきん。と頭に鋭い痛みが走り。頭の中で声が響きます。
『やあユウキちゃん。約束を守ってくれてありがとう!ボクはとっても嬉しいよ!』
『うるさい!黙れ!あんたのせいで私の人生ぐちゃぐちゃになったんだからね!責任取りなさいよね』
『責任なんてとらないよ。全裸でプール授業に出たのは、ボクじゃなくてユウキちゃん本人なんだよ、ボクは君にお願いをしただけ』
『忘れたのは事実だよ。そして全裸でプールに入ったことも全部君のやったことだ。だからボクは悪くない』
『私が……全裸でプールに入って……変態じゃん……。これからどうすれば良いの?』
『なーに君は今日から毎日プールの授業には全裸で出る変態ってことになったんだ。明日からもよろしく頼むよ』
(うぅ、いやだよぉ)
明日から全裸でプール授業を受けることを考えると頭の中が絶望で明たされ思わず涙が溢れ出ました。
『泣いちゃってかわいいねユウキちゃん。もっとボクのお願いを聞いてほしんだけど』
『今度はユウキちゃんにこの学校の女子全員のパンツを集めてもらいたいんだよねぇ〜。もちろん全裸でさぁ〜』
『嫌だ!』
『そう?でもユウキちゃんは優しいから、きっとやってくれると思うよ』
(うっ……。こいつの思い通りに動かされるのだけは絶対にイヤだ。だけど他に方法がない)
そう言うとポイピーと名乗る声は聞こえなくなりました。
結局私は明日も、いやらしい目で見られることを覚悟の上で、水着なしで水泳の授業に出ることになりました。
その後、学校中の女子から睨まれるようになりました。なぜなら全裸で学校中の女子生徒にパンツをくださいとお願いして回ったからでした。
私は涙ながらに、全裸で土下座してお願いする姿を多くの人に見られました。当然のことですが誰も私の願いを聞き入れてくれる人はいませんでした。
今日も校門の前で出会う女子一人一人にパンツを下さいと全裸でお願いしているところです。
誰かに声をかけられました。
「はい。なんですか?」
振り返るとそこには同じクラスの美希さんがいました。
「実は昨日、あなたの机の中に下着を入れっぱなしにしていたのを思い出したので持ってきたんですけど」
どうやら彼女は自分の脱ぎたてのパンティーを差し出しているようです。
私は嬉しさでいっぱいになりました。
美希さんの脱ぎたてのパンティーを抱くとその暖かさ、彼女の心の暖かさに触れた気になって、涙が止まりませんでした。
美希さんが去って行くと、私はもらったばかりのパンティーを履きました。
美希さんのおかげで私は久々に全裸女から、パンツ女に戻れた気がしました。
その様子を見ていた他の女子たちも恐る恐る私の元にやってきて脱ぎたてのパンティーを渡してくれました。
「私のもあげます」
「私も」
「みんな本当にありがとう」
すると一人の男子生徒が近づいてきて言いました。
「お前たちなにをやってるんだ。もうすぐ朝のホームルームが始まるぞ」
そう言って私を怒鳴りつけたのは同じクラスのリーダー的存在である田端信吾君でした。
「えっとこれはその……」
「おい返事くらいしろよ。なんとか言えよ!」
そう言うと彼は私のお尻を蹴り上げました。
「痛っ!ごめんなさい!」
私は思わずみんなからもらったパンティーをその場にぶちまけて、地面に這いつくばるようにして謝りました。
「服なんて着ないくせに何パンティーなんかもらってんだよ。変態」
そういうと彼の取り巻きたちが私を見下ろして笑っていました。
「パンツ返して欲しかったら全裸で俺の靴舐めろよ変態女。ほら早くやれ」
そう言われても恥ずかしくてその場で固まっていると再び彼に蹴飛ばされました。
「うぅ、わかりました。パンツ返してください」
女子たちが恥ずかしい思いを振り切ってまで私にくれたパンティー。
それを踏み躙るような行為をさせられ、悔しさと惨めさで胸が張り裂けそうになる。
「こんな大勢いる前でパンツをくれだぁ?この変態女!いい加減にしろよ!」
そう言うと彼はまた私の背中を踏みつけてきた。
「うっ、ぐぅ、うぁ、うわーん」
「あぁ、こいつ泣いたぜ」
「全裸でパンティーくれって、変態みたいなことするから悪いんだよ」
そう言うと信吾君は、散らばったパンティを踏みつけ始めました。
「やめてぇ」
「そんなにパンティが好きなら返してやらぁほれ!」
「いや!やめて!」
私は男子たちに歯がいじめされ、無理やり口の中にパンティーを入れられてしまいました。
屈辱的な扱いを受けてもなお、私は涙ながらにパンティーをしゃぶることをやめることができませんでした。
「ふっ、そんなに夢中でしゃぶりやがって。やっぱり変態だな。ははは」
「うぅ、パンツおいしい。でもなんでパンツ食べてるんだろう私。なんでパンツのことしか考えられないんだろう。なんでパンツを食べないと生きていけないんだろう。なんで、なんで、なんで」
私がそう呟いていると、周りにいた人たちが近寄ってきて、
気がつくつ美希さんをはじめとする、数人の女子が私の周りに集まってきていました。
「そんな!裸女は私一人で十分だよ!みんなをこんな目に合わせるわけにはいかないよ。だから離れて」
「だってみんなユウキちゃんのことが好きなんだもん。大好きなんだもん。愛してるんだよ。だからね、辛い時は助け合うんだよ。友達でしょ?」
そう言うと私を抱きしめてくれました。
私は嬉しくて涙が出てきました。
「ほら、制服なんか脱いじゃえ」
みんなは重い思いに服をぬいで全裸になりました。
「みんな本当にありがとう」
そう感謝の言葉をいう私の目からはずっと涙が止まりませんでした。
高校卒業後即入隊してずっと営内だったので、実家の母の手料理より自衛隊のメシを食べた回数の方が多いかもしれない。
思い出深いマズかったメシをつらつらと書いていく。
当初メニューの誤植ではないか(よくあった)と考え、とんこつラーメンを楽しみにしていたのだが
場末のサービスエリアで食べるようなしょうゆラーメンに、わりとデカいとんかつがスープをたっぷりとすいこんで
しっとりと鎮座していた。
カラッとした揚げ物が好きな自分にはラーメンスープに浸ったとんかつは辛かった。
この某巨大駐屯地の食堂は天井がめちゃくちゃ高くて、天井ででハトやスズメが数羽いつも飛んでいた。
今思えば衛生的にどうなの、という感じだが当時は誰も何とも思っていなかった。
今はもうありません。
② しつこく喰わされた「うなぎ」
これは多分何年か前TVで話題になった、とんでもない衛生管理の中パックされた中国製の輸入うなぎだと思う。
本当にまずかった。週2くらいで食わされいた。
多分とんでもなく安く仕入れていたのだろう。
これは一度だけ出た。ただただ硬かった。
でも当時は本当に日本米が無かったから、メシが出るだけありがたかったです。
⑤ひたすら薄い「味噌汁」
平成初期の減塩ブームにのっとり、うっすらと味噌色のお湯がよく出された。
いつも自由に使用できた卓上ふりかけが撤去されたときは本当に泣きたくなった。
どんなマズイおかずでもふりかけさえあれば、メシが食べられたので。
しかし、時代が進むにつれ肉体労働時の塩分接種の重要さが浸透したのか
味はまともになっていった。
風の強い日に外で食べる缶飯は、砂が入ってジャリジャリして嫌だなあ、とか
そういう小さいことはたくさんあったけど、今思い出すのは
一緒に食べた先輩、同期、後輩と楽しくメシを食べたことだけです。
イヤだったメシの思い出がこれしかないということは、大概美味しく食べていたんだろうなあ。
https://anond.hatelabo.jp/20200928113830
皆さま沢山コメントをくださって有難いです。トラバもブクマもひとつひとつ読みました。
アドバイスもとてもありがたいです。経験談や、色々なサイトへのリンクもありがとうございます。読んで参考にします。
「俺もそんなんだった」が一番救われる言葉でした。これで救われてはいけないのかもしれませんが。
こう見るとはてなってやはり高学歴が多いのだな、少なくとも一定数はいるのだな、と実感しますね。
慣例に倣い、この日記を印刷して学生相談室に持っていく予定です。
私はいつも優しい増田の皆様に救われています。実はB4の時も似たように、かけらもない進捗報告を発表するのが嫌すぎて逃げたしたときにも、増田で弱音を吐いたら優しく励ましてくれてどうにか復帰しました。あの時は3日で済んだんだよなぁ。
(つまりその時の失敗を全然生かせずにまた同じ轍を踏んでいるということでもある。成長していない。)
めちゃくちゃ赤裸々に書いたから特定されたらどうしよう。まあそれでもいいか。ラボの人間にはてなぁがいないことを信じて色々書きます。
めちゃくちゃ長くなっちゃったので冗長な文章ですが見たい方は暇つぶしにどうぞ。自分の思考の整理も兼ねて書きます。
1:現状報告、2:ブコメ返信、3:愚痴、の構成でお送りしたいと思います。はてな記法が分かっていればよかったんですけど、すみませんすべてベタ打ちで…、申し訳ないです…見出しの付け方分からない…
1:現状報告
昨日(9/28)、教授に相談し、同期にお叱りをくらい、とりあえず復帰することにしました。
最初10月頭からの予定でしたが、意外と必要な窓口業務が多いのと、せっかくなら平日に買い物や病院通いがしたいのと、あと10/1って内定式なので他のM2いなくて寂しいので、来週からにしてくださいとお願いしました。
私交渉した!頑張った!(自分で自分を小さいことで褒めていくスタイル)
それでも月曜日に無理そうならさらに数日後でもいいですかってお願いするんだぞ!出来たら金曜の昼とかに、最低でも日曜の夜には言うんだぞ!
私は「交渉」というスキルを手に入れるんだぞ!私が壊滅的に持っていないものだぞ!
さて、卒業や進路についてですが、事務や両親とも相談して、いくつかの選択肢で迷っている状態です。
・まず今年度の卒業は不可能だと言われました。ラボに行っていないため前期分の卒業研究の単位を落としており、これはどうあがいても今年取らせるつもりはないようです。
・留年して早くて21年の秋、もしくは22年の春になら卒業できるそうです。どちらにするかは多分私の意思で決められます。が、単位の関係で今年中には決め打つ必要があるようです。
・6月(通学再開時)に復帰してくれれば全然大丈夫だったのに、とめちゃくちゃ言われました。そこはそうだったな、家出して逃げるのではなくちゃんとラボに行けばよかったと思います。
電話もメールも手紙まで先生から頂いていたのに、全て無視していました。ご心配とご迷惑をかけて申し訳なかったです。
①専攻を生かした業種・職種
のうちどうするか決めあぐねています。また、研究生活の選択肢として、
A : これから半年研究し、21年の春に中退する(つまり大卒の第二新卒として就職する。この場合就活は必然的に②になる)(もしくは今中退してもいいですが、就職情報が手に入るので就職先を決めるまでは在籍したいです。)
B : これから1年研究し、21年の秋に卒業し、半年空けたあと、22年の春に就職する
C : これから1年半研究し、22年の春に卒業し、22年の春に就職する
D : (あまり視野に入れていないが一応)今年半年休学し、21年の春から1年研究して、22年の春に卒業し、22年の春に就職する
(ただ、さらに半年行かないでその後復帰できるん?という疑問は大きいからあまり選びたくない。ここから半年は就活に集中できるのが大きなメリット、とはいえ私は就活に集中なんてことをできる人材とは思えない。)(あと休学の書類は9月中だからもし休学するなら超急いでしなくてはならない)
E : (これも一応書いておく、Dだと今年一部の学内サービスが使えないので)制度上はCと同じにして、これから半年は研究室は休むという形を取り、Dと同様に21年の春から1年研究して、22年の春に卒業し、22年の春に就職する
のいずれかがあります。
先生のおすすめはおそらくC、親のおすすめもC、私の現状の希望はB、同期の友人のおすすめはAといったかんじになっています。
ちなみに家の経済的に金の問題は多分無いです。出世払いで返せばいいと言ってくださいました。
焦って決めなくてもいいとは思うので、できたら来週頭くらいを目途に方向性を決めたい。
どれがいいのだろうか。
2:ブコメ返信
目についたものだけですがブコメ返信的なものをします。引用の方法が分からなかったのでコピペベタ打ちで…すみません…
どのコメントも有難く読ませてもらっています。真剣で暖かな言葉をありがとうございます。
思ったよりいっぱいいて少し安心しました。優しい言葉をかけてくださって嬉しいです。
・進路に関するアドバイス
めちゃくちゃ有難いです。身近な人のアドバイスも有難いですが、やはり偏るので、関係ない人からの感想も参考になります。
B4の頃少し読んでいました。いいブログですよね。また改めて読もうかなと思います。
・kokojp 勉強は出来るんだろうからいざとなったら地方公務員試験でも受けるといい。M2までの経歴があればなんとかなるよ
なるほど、それはいいですね。すごく前向きに検討したい。学部時代から興味はあって、去年はそんな暇ない、でやらなかったのですが、今年は説明会くらい行ってみてもいいかもしれない。
誠に申し訳ない。めちゃくちゃ気にしている。どうしたら治るか分からない。この無駄に高いプライドはどう崩せばいいのか。
・augsUK yoppu7 雑誌会=研究室のゼミ、論文レビューみたいなもの
雑誌会はゼミのひとつで、学生が適当な論文を1つ選んでその内容を紹介するやつです。うちの研究室ではそう呼んでいませんが、雑誌会の方が伝わるかと思って使用しました。説明しておけば良かったですね。論文内で使用した反応全ての反応機構や選択性を書く必要があって、手抜きかつ難しくないものなら1週間ちょいくらいで仕上げられますが、やろうと思えばめちゃくちゃ手間をかけられます。学生の優秀さを比較するのに割と強く使われる会です。
・mbr 一大学教員としては「毎年のようにドロップアウトする学生が続出している」なら、増田よりも教員に問題があると見なすよ。増田が引きこもってる時にラボの人じゃなく親が引っ張り出す時点でそれは違うって叫びたい
そう、毎年のようにドロップアウトする学生が続出していたんですよ。偶然かおしなべて女子だったから次は私だってめっちゃ言われてて、事実そうなってしまったから本当にウケる。いつか先輩に会うことがあったら笑ってもらおう。
私としてはドロップアウトする学生それぞれの生来の基質もありますし、就活とかの進路の要因も大きいですし、学生同士の人間関係的な要因もありますし、そもそも有機化学の研究室は拘束時間が長く体力的にキツめ、というのも大きいと思うので、教授の責任はそこまで無いとは感じますが、内部にいるのでよくわかりません。少なくとも私は今の教授はいい教授だと思います。
先生も「自分のせいかな」と思ってはいると思うんですよね、それが申し訳ない。
一応言っておくと誓ってセクハラは無いです。セクハラがヤバい他の教授のエピソードは友人から山ほど聞いています。
・kinaco68 ここまで的確に言語化できて偉い。 M2の時って漠然とした焦燥感があるよね
的確と感じましたか。理解しやすかったのなら少し嬉しいです。今回は自分でも珍しく的確に書けたなと思います。普段の私の文章はもっと取っ散らかっていてかつポエミーで読みにくいです。
・mshota 大丈夫大丈夫。自分が何か間違ったことを言ったりやったりして恥をかくのが嫌なんだよね。
もう本当にその通りです。この無駄なプライドの高さをどうにかしたいです。
最近自覚したよくないクセのひとつに、怒られているときに「そうなんですよ」と返事をしがちなのがあります。つまり私はそれが悪いことだと分かっていますよアピールであり、つまり自分の心を守る言動な訳なので、素直に「はい」と言える素直さが欲しいです。
・トラバ
あなたは頭がいいし、なおかつ(自分が思ってるより)周囲からも愛される人なのではないだろうか?
可能なかぎり最善を尽くすべし。
何故かこれが一番泣けました。幸運にも周りの人には恵まれています。皆さん優しくていい人です。情けないとともに有難いです。
・トラバ
参考になるか不明だけど昔の自分の日記おいとく https://anond.hatelabo.jp/20140306080333
とても共感しました。比較的似ているタイプだと思います。最初は馬鹿みたいに張り切れるところが特に。私はこの基質は躁鬱のケなのではないかと自己診断しています。
そういえば、B4~M1の時、私躁だなーと思っていて、妹にこのままじゃ鬱になるよと言われていたのを思い出しました。まあ修士卒業までの3年くらいは持ってくれるっしょ!と思ってゴリ押ししていたのですが、今年の年明けくらいから躁が終わったな、と感じていました。就活のときこそ躁でいて欲しかったです。無駄な万能感が欲しかったです。
・tarume ここすき "引きこもっていた期間の行動や心理については、父が音読してくれたこのブログとほとんど同じである。どのブログだろう。探せなかった。"
このサイトでした。父に教えてもらいました。せっかくなので特に共感した箇所を引用します。
https://note.com/kazuaki3280/n/n95ea3a34bc06
(引用)
今思い返しても何も思い出せません。虚無です。とにかく毎日、何かを考える事が怖くて、スマホを手に取りゲームや漫画や動画、あるいは据え置き機でのゲームを、ひたすらしていました。最新のゼルダをやったのは確かこの時期でした。コンテンツが途切れると自分の現状に向き合わなければならず、その十字架に耐えられるほど強くなかった僕は、ひたすら絶える事なくスマホを握っていました。罪悪感を、周囲に対する劣等感を、将来への不安を、膨れ上がった負の感情全てを、ひたすらに薄めて薄めて一日をやり過ごしていました。スマホの画面を見ていない時間が、そこで顔を出す現実と孤独が怖くて仕方がなかった。弱さに向き合うことすらできない弱さに絶望し、ただひたすら感情を失ってゆっくり腐っていきました。辛いことも楽しいこともほとんどありませんでした。布団に入って目をつむると静寂の中不要な思考ばかりが空転するので、寝落ちするまで毎日眠りませんでした。生活リズムは崩壊し、朝7時に寝て夕方16時におき、夜22時に一日一回の食事を摂っていました。
(引用ここまで)
細かい箇所は異なりますが概ね同じ感じでした。当時の私の心情を代弁しているかの如く同じ気持ちでした。「コンテンツが途切れると自分の中の現状と向き合わなければならず」「膨れ上がった負の感情全てを、ひたすらに薄めて薄めて一日をやり過ごしていました」あたりが本当に共感できます。
ちなみに私るる鯖の人狼ログとかでした。増田もめっちゃ見ました。
3:愚痴
ここからは進路を決めるにあたっての不安とか懸念事項とかをつらつら書きます。
本気でめっちゃ長いだらだらした半分自己分析なので、本当暇な人だけ読んでね。キャリアカウンセラーに話す内容の下書きのつもりだからね!推敲していないしマジで口語の垂れ流しなので読みにくいよ。後から文句を言わないでね。
・就活について、私は研究職に向いているのか?…向いていないんじゃないか?M1の時からそう思っていたが、まあいけるやろでだましだまし就活をしていた。でもやはり向いていないんじゃないか?だって現状研究室生活を投げ出したし、そんなにできるほうかと言えば別にできるほうでないのは事実だし。コミュ力無いし。大学院ぽっちの研究を投げ出すようなら企業での研究なんて無理ではないか???
・あとおそらく世間は狭いのだから、私の大学での悪行は広まるのではないか?? 予約してすっぽかした説明会とか、予約をすっぽかした面接とか、予約したにも関わらずすっぽかした面接とか大量にある。把握すらしてない。そんなとこ来年のこのこと申し込めなくない???
・ぶっちゃけM1の1月から研究のやる気本当に無かったじゃん。行くだけ行ってほぼ何もしないみたいな日結構あったじゃん。研究の成果がちっとも出なかったのもあるし、就活で発狂していたのもあるし、先生からそろそろ自分で方向性とか色々考えてみればみたいな雰囲気を感じたので考えてみたけど全然うまくいかない感じとか、プライドが無駄に高いから他人にあまりものを聞けないから研究が行き詰まる感じとか(特にここが大きな問題)、後輩の研究指導が本当にできなくて比較的放り投げるか無駄な助言をするかしかしなかったのとか、その辺めっちゃあったじゃん。
・その辺を横目で見ていたから、同期の友人に「お前研究職向いていないと思うよ、事務職とかがいいと思う」とか言われるのよ。言われて図星過ぎて恥ずかしくて往来でブチキレちゃった。申し訳ない。
(研究生活とはあまり関係ない私的な生活の話だが、似たような恥ずかしい思いをしたときにすぐブチキレちゃうのをどうにかしたいがやり方が分からない。そのために妹とは口を開けば喧嘩ばかりしてしまう。そういえば研究室でもしょっちゅう廊下でこっそり紙を破ってキレ散らかしていた。ラボでも支障出てんじゃん。困る。)
・同期の友人が進路にAを勧めるのは、私の「プライドが無駄に高いから他人にあまりものを聞けないから研究が行き詰まる感じ」を見てるから、来年オレがいなくなった後がつらいんじゃないの、という心配が一番大きいんじゃないかと思うのね。来年と言わず就職後もきついと思うし。
事実色んな人とのそれなりのコミュニケーションや業務を、あいつにおんぶにだっこで研究室生活を乗り切ってきた面は大きい。
・先生に、「自分は本当は退学したいが親に説得されたからやる」では君のモチベーションが続くかは心配、と言われた。それはその通り。
・というか研究室に戻って実験やる気出してやれると思う?正直昔過ぎてどんな思いでやっていたかとかあんまり思い出せないし、今は「まあ行けんじゃね?」と思っているけど、それは半年前の研究のマジでイヤさを忘れているだけかもしれない。
そういえば2月くらいとかgoogleで「しんどい」と打って検索してはよく分からないキュレーションサイトを見る、とか、実験も文献を読むのも就活もやりたくなさすぎてケムステ(化学系ポータルサイト)のしょうもない記事をコアタイム中に読み漁ったりしてたじゃん。何なら一時期はてぶしてたわ。思い出した。やはり私に研究室生活は荷が重いのではないか?
・あれかな、肩慣らしに少し研究やってみて、ダメそうかどうか判断する、のもありなのだろうか。
ただちょうどテーマ変えるか、の段階だったら、どのテーマでやるかから決めなくちゃいけないのだけど。
ちなみにこれはこの日記がこんなにブコメつく前に書いていた研究の目標の文章
https://anond.hatelabo.jp/20200928200744
・M1の時に描いていた理想のキャリアプランは、いわゆる「中堅」と言われる、社員への面倒見がよさそうな企業の、技術系総合職に就職して、できたら研修を長―くやってその後配属を決めるくれるような企業で、研修をして、研究職に配属されて(まあここから違う職種でもいい)、そこで1-3年くらい研究をやったら「あ、向いてないな」と私なり企業なりが思うかもしれないから、技術営業だか知財だか管理部門だか窓際部署だかに異動するかもしくは転職して、後は適宜向いてそうな仕事をする、といったプランだった。
「中堅」にした理由に大きな理由は無いです。そういう企業が多い印象だったから。正直小さめの企業まで見ないうちに就活を投げだしたのもある。
・できることなら理系就職をしたいと感情で思ってはいるが、これは、いわゆる「せっかくこれまでかけてきた投資を無駄にしたくない」気持ち(コンコルド効果、と言うらしい)が8割を占めていると思うのよね。だからそこを差っ引けば私は別に理系就職したくないのかもしれない。
・だってぶっちゃけ増えてる増えてるとは言うが女子社員少ないしさ。普通に生きづらいと思ったこと大学で感じないことも無かったじゃん?
切れたので分けます。
10連休だ。車で家族を実家へ送らなければならない。月1運転するかしないかの俺にとって、運転は楽しみであり、怖さもある。
元々ペーパードライバーだったが、会社の事情で3年ほど前から営業車をたまに運転するようになった。
だから慣れていないわけではない。
ただちょうど、煽り運転が話題になった頃だ。ドラレコをつける人が増え始めた。
そして最近では高齢者による事故。これはもうこちらでは防ぎようがない。
かくゆう自分も10連休に向けて、体力0になるくらい仕事を詰めている。そして休む間も無く、すぐだ。土曜の朝から車で実家でGO!だ。
アキレス腱が少し前から、痛い。調べるとアキレス腱が切れる前兆らしい。
不安だ。
車が不安だ。
寺々 てらでら
寺の下 てらのした
寺ノ下 てらのした
寺一 てらいち
寺下 てらした
寺世 てらよ
寺中 てらなか
寺主 じしゅ
寺久 てらく
寺久保 てらくぼ
寺井 てらい
寺井和 てらいわ
寺倉 てらくら
寺側 てらがわ、てらそば
寺僧 じそう
寺元 てらもと
寺光 てらみつ
寺内 てらうち
寺分 てらぶん
寺前 てらまえ
寺務 じむ
寺十 じつなし
寺升 てらます
寺南 てらみなみ
寺原 てらはら、てらばる
寺口 てらぐち
寺台 てらだい
寺号 じごう
寺司 てらじ
寺園 てらその
寺地 てらち
寺地町 てらぢちょう
寺坂 てらさか
寺坪 てらつぼ
寺垣 てらがき
寺垣内 てらがいと
寺埜 てらの
寺域 じいき
寺埼 てらさき
寺堀 てらぼり
寺堂 てらどう
寺塚 てらつか
寺塩 てらしお
寺境 じけい
寺奥 てらおく
寺子 てらこ
寺子屋 てらこや
寺宝 じほう
寺家 じけ
寺家村 じけむら
寺家町 じけちょう
寺寺 てらでら
寺小屋 てらこや
寺小路 てらこうじ
寺尻 てらじり
寺尾 てらお
寺尾中 てらおなか
寺尾台 てらおだい
寺居 てらい
寺屋 てらや
寺屋敷 てらやしき
寺山 てらやま
寺岡 てらおか
寺岬 てらさき
寺峰 てらみね
寺島町 てらじまちょう
寺崎 てらさき
寺嵜 てらざき
寺嶋 てらしま
寺嶌 てらしま
寺川 てらかわ
寺師 てらし
寺平 てらたいら
寺広 てらひろ
寺床 てらとこ
寺庭 てらにわ
寺廣 てらひろ
寺延 てらのべ、てらのぶ
寺廻 てらまわり
寺後 てらうしろ
寺志 てらし
寺戸 てらと
寺戸町 てらどちょう
寺所 てらどこ
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寺神 てらかど
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寺邊 てらべ
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寺野下 てらのした
寺門 じもん、てらかど
寺阪 てらさか
寺院 じいん
寺館 てらたち
前からわかってはいた。母親の仕掛けてくるあれこれに翻弄されて心を病みながらもそれを認められずに生きてきて、去年の夏やっと病名がついた。ほっとしたというよりも恐怖だった。
医者がずいぶん前からかかっていたようだと言った時正直やっぱりなと思うのと同時に安堵した。よく頑張って普通の生活を送ってきましたね、ともいわれた。考えてみれば心を病みながらも大学入試を乗り越え、大学を卒業しようとしているのだから心の病にかかってるとは言い難いのかもしれない。自分ではよくわからない。ただ、母親の存在が自分の毒になっているということがはっきりしたことだけが嬉しかった。
考えてみれば、母親とはまともな会話をしたことがない。いつも物の置き方や歩き方、扉の締め方で機嫌を伺っていた。突然スイッチが入るのだ。それは例えば、あのころはまだ小さかった妹が粗相をしたとか、皿を割ったとか、あるいは父親がへまをしたとかそういう負の原因の矛先が自分に向いていることもあった。たとえば運動会で一番になれなかったとか、マラソン大会で後ろの方を走ってたとか、勉強しているとかそういう自分に原因のある場合もあった。あるいは表情が変わらないとか、びくびくして隠れてばかりいるとかそういう環境による原因から来た自分の状態を責められることもあった。時には鍋が焦げ付いたからとか買ってきたものを間違えたからとか庭の植木の剪定がうまくいかなかったからとかそういう母親のミスが原因でスイッチが入ることもあった。いつどこでどういう風にスイッチが入るかはわからなかった。とにかく機嫌が悪ければ、自分に矛先が向いた。うまくことが収まらなければ、ちまちまとためているお小遣いを没収されたり、教科書などの学用品を捨てられたり、あるいは着の身着のままで追い出されたりもした。折檻も受けた。いまだに残っている傷跡もある。でも一番きつかったのは給食費や修学旅行費などの学費を出さないと言われることだった。それが一番弱った。
スイッチが入っていなければ普通の、ごく普通の家庭だったと思う。大学にまで行ってるのだから、と人は言うからおそらくは幸せだと考えなければならないんだろう。感謝しなければならないんだろう。そうずっと思ってきた。
学費のことはよく言われた。困らせようとしているのはある程度大きくなったらわかっていたが、しかし実際困った。中学を卒業してしまえば、金を出さない働けと言われてしまうとそうするほかなかった。そうしなければならないんだろうと何度か学校をやめようとしたこともあるが、そのたびに誰かに止められた。先生だったり友達だったり、恋人だったり。お金を出してあげるからと言ってもらったこともある。金を出さないという脅し文句は一番卑怯で最も子供に言ってはいけないことなんだから自分が悪いと思う必要はないと諭してくれた人もいた。その中で毒親という言葉を知り自分の母親がそうであるということも理解した。
よく考えてみれば、何を言っても言い訳になるようになっている。うまいこところころと人の発言を自分の思う通りに解釈してそれを掲げて人を糾弾するのが得意な人だ。自分が悪いような気がしてしまう。誰かを責めるためなら直前にいったことと180度逆のことも恥ずかしげなく言える人だ。しかしそれはうまくコーティングされて、それが正しいような気がしてしまう。そういう能力に関しては長けている人だ。生きてきた年数分うまいのだろう。
去年の夏ごろ、父親が病気になった。体に多少不自由が残っているが、自分で身の回りのことはできる。思うように動けないせいかややひがみっぽいことを言うことが増えたが、命に別条はない。父親も被害者のようなものだった。昔はそうでもなかったような気がするのだが、最近は呆けたような顔をすることが増えた。長年人格を否定され罵声を浴びせられ続けるとあんな空虚な顔になるのだろうと思う。その父親を母親は親の敵のように嫌っている。いや、母親が親に恩など感じているわけがないし自分でもそう言っているのだから、犬猿の仲とでも言えばよいのか。物心ついた時には母親が父親をいつものやり方で責め立てているのが日常の風景だった。
正月、正直実家に戻る気にはなれなかった。卒論もあるし、家に帰ったらそれどころではなくなるのはわかっていたのだ。でも帰らなければまたうるさいということもわかっていた。最大限の妥協をして年末の数日実家に帰り年が明けてすぐ下宿先に戻ろうと思っていた。でもやっぱりそうは問屋がおろさなかった。
愚痴を聞くだけなら、かまわなかったのだ。病人を抱えていればそれなりにたまってくるものはあるだろうということは簡単に予想できるから、それを聞くのはやぶさかではないと思っていた。忙しくてあまり帰らず申し訳ないとも思っていた。夏はちょうど私自身も心を病んでいてどん底にいたのであまり父親の病気には関わらなかった。関われなかった。それでもできる限りのことはしようといろいろしたのだ。しかし、それが足りなかったらしい。まずその不満からだった。母親は自分のしゃべっていることでどんどん興奮していくたちなのでなだめながら聞いていたが、でもやっぱり駄目だった。父親に向けられなくなった分こちらに向かってくるエネルギーがすさまじかった。私は疲弊した。そんな私を好きなように攻め立て、あらゆる事実を捻じ曲げ、母親は私を糾弾した。薬をいつもより多めに飲んでもそれでも駄目だった。気分が落ち込んでいくのは止められなかった。そんな私に母親はあんたの性格が悪いから病気になるんだといった。薬を飲むのをやめろと言った。医者なんか信用するなと言った。そして、その医者はあんたの好みなのかと聞いて嗤った。それでもおさまらなかったらしく、離婚してやると喚いた。離婚して父親の面倒を押しつけてやるといった。離婚したら結婚も難しくなるあんたはみかけもたいしてよくないし、と言った。父親の面倒をみたら仕事にも支障がでるだろうねと笑った。親が離婚していてさらにその親の介護をしているあんたは嫁にいけないよと言った。仕事にも集中できないから貧しい暮らしになるに違いないと言った。そういいながら笑った。ずっと私は正座し黙っていた。10時間。ひどい正月だった。卒論は進まなかった。たぶん留年すればいいとでも思っているのだろう。そういう人だ。留年したら就職は難しくなるから、これからも矛先を向け続けることができるし、そして逃げ出せなくなるとわかってやっているのだ。わかっていた。だから黙っていた。もう何度死んでくれたらいいのにと思ったかわからない。頭の中でぐるぐるとどうやって殺してやろうかと考えていた。そう考えるだけでずいぶん楽だった。どうやって苦しめてやろうかと考えていた。静かな気持ちになれた。
母親は私を捨ててやるとよく言った。母親は私を不幸にできることを信じて疑わなかった。子供のころはそうだった。しかし、いつまでもそうではないのだ。私は卒業し、就職したら母親を捨てるだろう。徐々に不自然でないくらいゆっくりと捨てるだろう。性急になってはいけない、勘付いて何もかも元の木阿弥になってしまう。母親は困らせればすがりついてくると思っている。またいつもの手を使って絡め取ろうとしてくるに違いない。だが、私は捨てるのだ。なにもかも。親もきょうだいも何もかも捨てて過去は断ち切るのだ。まともな生活を普通の人間関係を、得てもいいといろんな人が言った。幸せになっていいんだとたくさんの人が言った。母親が私を評したのとまるで逆のことをいつも他人から言われる。居場所を奪わない人がいる。失敗したら許してくれる人がいる。泣き言を言っても聞いて慰めてくれる人がいる。怒りを向けてもそれを受け止めてくれる人がいる。私のことを思い、傷つかないように言葉を選んで忠告をしてくれる人がいる。世の中にはそういう人がいてそういう人たちにたくさん助けられてきた。普通の、ごく当たり前のこと、そういう幸せを私に与え、私が差し出すものを受け入れてくれる人がいることを私は知っている。ふつうになりたい。いつも切望している。
追記:
わわわ、ありがとうございます。がんばって逃げます。
icloud 幸せになってほしい。あまり大きな声でいえないけど、計画がうまくいくといいな・・ ・・・・・ところでうちの母もこのような感じ(ここまでではない)のだけど・・・病院につれていってみるかな・・
残念ですが毒親本人はおそらく病院に連れて行ってもせいぜい境界線人格障害と診断?される程度じゃないかと思います。それだったら距離を置いてしまうのがよいのでは。程度によりますが少し距離を置いた方がうまくいったり環境を変えることで寛解することもあるらしいです。
お母様が毒親に苦しめられているということだとしても病院は病気になってる人しか助けられないので病名はつけてくれるかもしれませんが原因が取り除かれないことには…。穏やかな日々が来るといいですね。がんばりましょう。
私が飲んでるのはデパスじゃなくてリーマスなんですよね…正真正銘メンヘラです。はぁ。でもたぶんきっと本当に必要なのは、薬じゃなくて簡単になくならない信頼関係なんじゃないかと思うのです。たとえば私は無自覚に誰かを傷つけたり怒らせたりすることはあるわけだけれども、そういう状況になった時にあぁ生活すべてがめちゃくちゃになるこれで何もかも終わりだっていう絶望感にとらわれなくてもよい、という思えることが本当は必要なんです。そういう信頼関係が築ける相手がいることが必要なんです。対立しても怒らせても、ちゃんといいたいことは言って嫌だと思うことは伝えて、そういうことができる関係というのが。
母親は自分の存在を確かめるために、自分が必要な人間だと思われているということを確認したいがために私を使ってきたわけで、私はあくまでも母親の自尊心を確保するための道具だった。必要な道具だったからそこにおいていただけなんですよ。私じゃなくてもよかった。ただちょうどよかっただけで、そのために手入れもしたんだろうし金もかけたから手放すのは嫌なんでしょう。でももし代わりになる道具がでてきて私が必要なくなれば簡単に捨てるだろうってことを私は知ってる。
道具が持ち主を愛さなきゃいけないんでしょうか。しなくてもいいですよね。理解すらしなくていいと思う。泣かせてもエグいとすら最近は思わないです。やりこめることはできる(そのあと包丁が出てきたりとか面倒なことになるので避けることが多いですが)。だって私は道具だし。都合のよいように使えなかったから泣いてるだけでただの子供なんです。あの人は私にとって脅威ではない。ただの面倒な子供で、縁を切ってしまいたい。でもあの面倒な子供は生きてきた年数分だけ聡く狡賢いやり方を知って、攻撃力は半端ないし、私も痛いのは嫌だし職や住まいや恋人を奪われるのは嫌なので空気のように消えていくしかないんだと思います。中途半端はよくない。やるなら徹底的に消息を絶たないと、たぶんいろんな意味で殺されるから。