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2020-04-07

全部コロナのせいにしたい

就活が上手くいってない。

上手くいかない理由は大体わかってる。

ろくに就活対策もせず、やりたい仕事、好きな企業ばかり追ってるのがいけない。

エントリーシート時間をかけられず、結局ぎりぎりに対して見直しもしていない文章を送ってるのがいけない。

そもそも働く意欲も、頑張らなくちゃという焦燥感もないのがいけない。

でもコロナのせいにしたい。

合同説明会は軒並み中止したし、友達とも相談できないし、大学キャリアセンターは閉まるし、OB訪問もあまりできていない。

これまで頑張ってこなかったやつが上手くいかないのは当たり前なんだけど、何かしらにイライラをぶつけたい。

コロナのせい、って言ったら就職浪人になってもなんとかならないかな。多分ならないだろうけど。

2020-03-01

大学受験を終えたばかりの増田

まずはお疲れ様でした。

もう合格発表済みの人も、発表待ちの人もいると思うけれど、この増田プラスになるのであれば幸いです。

※この時点でもう一年頑張ると決めてる人はスルーしてくれ!

1. 「受験」という価値観に染まっているのであればさっさと卒業しよう

受験なんてしょせん入口通過儀礼に過ぎないんだから、終わったらさっさと脱皮しましょう。

週刊朝日サンデー毎日合格ランキングハァハァ言ってるオッサンをたまに見るけど、あん中年になってはいけない(戒め)

もちろん自分目標を設定してそこに至るまでのプロセスを追求したり、自発的に机に向かう習慣を身に付けられるといった点はプラス効能だとは思う。

2. 読書習慣は身につけておこう(若いうちに)

ダルビッシュ本田圭佑のような現役アスリートですら、引退後を見据えてビジネス書を読んでいるのは有名な話である

もし仮に君の周りに誰もメンター役となる存在を見つけられなかったとしても、読書なら時間場所を選ばず可能だ。

勝間和代はこのように著している。

なぜ読書をする事で本質にたどり着きやすくなるのか?

(勝間和代効率10倍アップする新・知的生産術 - 自分グーグル化する方法』、ダイヤモンド社)

最近だとKindleオーディオブックも充実しているので、わざわざ分厚いハードカバーを持ち歩かなくとも良い。

ただ佐伯泰英のように人気作家でもほとんど電子書籍化されていないケースも多いので、そこはあらかじめ調べておこう。

自分の専門だの関係なく、出来るだけ脳味噌の柔らかいうちに読書を習慣レベルに落とし込んでおけば、その知識の蓄積が後々役に立つかもしれない。少なくとも就活エントリーシートで「好きな本・作家」の欄は埋められる。

年配者のよく言う「若いうちにもう少し本を読んでおけばよかった」となってからでは遅いのである

3. 海外に行って来よう(できるだけ若いうちに!)

前述の通り、読書自分視野価値観を広げる手助けになってくれるだろう。

ただ読書というのは一般じわじわ効いてくる場合が多い。即効性を期待してはいけない。ではたかだか数日で劇的にライフハックを起こすにはどうしたら良いか

とりあえず、海外旅行に行って現地の人と異文化交流でもして来ることをお勧めする。それもできるだけ若いうちにだ。

理由としては30歳を過ぎると自分人格というものは9割方固定化してしまうだろうし、何より社会人になったり家庭を持つようになると生活仕事家族中心となりがちで、まとまった休みを取るのが難しくなるからだ。

金銭面を理由に躊躇する人もいるだろうが、韓国台湾だったら時期によってはLCC沖縄よりも安く行けるだろうし(その分日本から距離的に近すぎるので日本語が通じてしまうのはある意味ネック)、

数万や数十万程度なんて半年バイトでもすれば稼げるだろう。加えて君はどうせ数年後社会人になるのだから(修士博士志望の人は例外)、1020代のうちにお金で買えない人生経験を得られると思えば実に安いものである

自分場合学生時代インドに1か月滞在したのだが、現地民と出会う中で良くも悪くも「豊かな国のツーリスト」にしか思われていないんだなあ、と痛感する毎日だった(もちろん出会ったインド人が全員、という訳ではなかったけれど)。

この経験は今でもプラスになっているし、日本にいる限りは味わえなかった感覚なのだろう。

以上、参考程度に。

よく学び、よく遊び、実りある学生生活を!

2019-11-22

anond:20191122141251

ガキが吠えてろよw

お前みたいなカスエントリーシートはおろか説明会すら予約出来ねーはずだが

2019-10-25

数年前に卒業したHAL東京の話

こんな記事話題になっていた。

暇だからゲーム専門学校時代を振り返る - 昆布がないと開発できない。 http://donnpema6.hatenablog.com/entry/2019/10/23/004918

HAL東京は私の母校でもある。読んでいてとても懐かしくなった。

この記事を書かれた方と同じように自分卒業して思う事や学生時代を振り返ってみたくなったので書く。駄文ですが入学検討している高校生、在学中の方にこれからの参考になればと思う。

まずは私の情報について。

高校卒業上京HAL東京

学科ゲーム制作学科

現在大手ITにてモバイルゲームエンジニア(Unityメイン)

まず私はゲーム業界志望で入学してゲーム業界就職したパターン人間である

HAL東京ゲーム学科なんだからゲーム業界に行くのは当然ではと思われる方もいるかもしれないが残念ながら半数近く、またはそれ以上の人数がゲーム以外の業界に行く。

入学してから卒業までを簡単に紹介しよう

1年目

・冒頭で紹介した記事にもあった通り、HAL東京では前期・後期に別れて授業を行う。1年目は基礎を学ぶ。

・この基礎だが、プログラミング以外にもデザインコンピュータサイエンスなども行う。これは1年目の後期に改めて学科選択の機会があるからだ。実際にプログラミングやってみて自分に合ってないと考えた人はデザイン学科にも行けるというわけだ(最も、最初希望とは違う学科に入ってちゃんとその業界就職した人を私は知らない)

プログラミングの授業ではC言語を学ぶ。私は高校時代プログラミングなんて一切やっていなかったので初めて触れたのがCだった。printfHelloWorldしたりscanfでメモリ領域ぶっ壊したりしつつもプログラミングの基礎を学ぶ。 IDEVisualStudioだった。

コンピュータサイエンス系の授業では、基本情報技術者試験合格を目指し皆勉強する。HAL東京では基本情報技術者試験を取得していない場合、この授業が卒業まで続く。就職において資格を見る会社一定数いるのでこのカリキュラムは良いと思う。取得している場合Android開発やコンシューマゲーム機での開発授業などが選択できるようになっている。私は初の試験で無事合格したが卒業時でも取れてない人は一定数いた。馬鹿なんじゃないのか。

・1年目の後期から学科に別れた授業+コンピュータサイエンス系の授業といった感じで進む。

C言語コンソール文字を表示させてゲームを作るというのを1年目はやる。独自ライブラリが渡される。

文字だけで表現するのにこの時点で出来るやつと出来ない奴がはっきりとわかる。 優秀な人間自分でバックバッファ概念を構築したり、滑らかなアニメーションなどを実装している。凄い。当然彼らは誰もが知っているような大手ゲーム会社に今はいるはずだ。

・1年目の最後学内での制作物の展示イベントがある。そこで作ったゲームを展示するのだ。ここで出来ていない人はおそらく翌年には退学している。私は完成はしたものの拙い出来だった。反面、負けてられないなとは思った。

2年目

・2年目からDirectX使用した本格的なゲーム開発の授業がスタートする。またそれと並行してコンシューマゲーム開発の授業が始まる。私の世代ではNintendoWiiだった。

C言語の授業もC++の授業になり、クラス化などについて学ぶ。

コンシューマ開発の授業は基本的情報がない中やる。渡されるのはWii関数リファレンスの本だけ。あとは授業で教官から教えられつつ実装していく。

DirectXでは9を使用していた。Xライブラリのようなものは一切使わず、直でDirectXを触る。描画の仕組みなども学べるのでこの授業はとてもよかった。確か前期は2Dゲーム、後期は3Dゲームだった気がする。それぞれ個人開発で1本づつ作る。私はこの時に作った3Dゲーム結構面白く出来て自信がついた。

・2年目の後期ではWiiの開発でチーム制作を行う。チームは勝手に決められるが基本的に優秀な人がリーダーになる。チームによっては崩壊しているチームやギスギスしているところもあり、プログラミングできる人と出来ない人の差が露骨に出る。何人かはここで脱落し、退学する。

3年目

・3年目ではいよいよ就活に向けた準備とインターンが始まる

DirectXの授業は継続しておりCで作ってたものからC++で作るようになる。ここらあたりからかなり複雑なアルゴリズム(地面の起伏に応じた高度計算や正確な当たり判定の実装など)も学ぶ。

DirectXとは違うものとして、OpenGLの授業も始まった。OpenGLDirectXマルチプラットフォームを目指してゲームの開発を行う。またネットワークを使ったゲームOpenGLで開発したりもする。この授業では基本的自分で調べて進めていく。調べる力をつける。今思うと一番エンジニアとして大切なことが学べる授業だったと思う。

・先ほど書いた、基本情報合格していると選択授業でAndroidプログラミングなどもできる。

就活に備えたビジネスマナーなどの授業も始まる。その日はスーツを着て通学する。私はこの時点でスーツ着て働くのは論外だと強く感じるようになった。

・3年生のビッグイベントとして10月にインターンがある。これはHALゲーム会社IT企業に依頼する形で生徒を会社インターンとして参加させるというものである。当然ながらこれも出席率などに問題がある場合は参加できない。

インターンは1ヶ月間あり、ゲーム会社にいく人もいればデバッグ会社にいく人、IT企業にいく人様々である。どこにいくかは教官が決める。私はゲーム会社だったがかなり勉強にはなったしゲーム会社で働く雰囲気というものを知れたのでよかったかなと思う。

・3年後半からDirectX就職作品を作り始める。就職作品はいわゆる企業の人に見せる作品の事である。これは完全に個人で作るので人によって完成度はかなり違ってくる。中には商業作品のようなクオリティのものを完成させる人も出てくる。実力社会である

4年目

・4年目は卒業制作展と就職活動、産学連携の三つがメインとなる。

・私は4年になる頃には就活終わっていたのだが基本的に全てにおいて就活を優先する様になる。内定出るまではスーツで通学など、それ意味あるのか?

HALには学内企業説明会というシステムがあり、様々な会社が来校し企業説明特別選考の案内をしてくれる(任意参加だが就活中の人は実質強制参加である

・4年中盤くらいにはもうほとんどの人が就活を終えているが一部の終えていない人たちは延々と説明会に参加してはエントリーシートを書いていた。大変だなぁ。このくらいの時期になるともう学内企業説明会ゲーム会社はほぼ無い。自分で動け。

産学連携卒業制作ではチームを組み制作するのだが使用するグラフィックライブラリなどに指定はなく、プラットフォーム自由となる。そのため、DirectXOpenGLを学んでいても大抵のチームはUnityやUnrealEngineを使うことになる。

・4年目後半は卒業制作展にひたすら取り組む、この制作はとても私の中にも印象に残っている。正直楽しかった。好き勝手にみんなで面白ものを作れる。

さて、ここまで1〜4年の流れをざっくりと書いた。

次にHALについてよく聞く話、課題が多いという話にもついて触れておこう。

HAL東京では課題がまぁまぁな数が出る。

1科目年間20くらいは少なくとも出てる気がする。(規模はまちまちだが)

この課題だが課題一定数達成(承認という)していないと科目留年となってしまう。とはいえ教官自分がわかるまでサポートしてくれるので主体的に動けば落とすことは無いだろう。(私は4年間で1度も落とさなかった)

また出席率も見られる。確か80%切ったらアウトだった。

毎日しっかり通学して、出された課題をしっかりこなせれば基本的に力はつく様になっていたと思う。就活失敗していた人はハッキリ言ってこれが出来てない人が多かったイメージがある。

また授業は1コマ90分で最大1日5コマある

そのため1回休むだけで内容についていけなくなる恐れがある。しっかり授業は受けよう。

次に私の就活についても触れておこうと思う。

私は3年の中旬くらいから早く就活を終わらせたいと思っていた。また、コンシューマ業界は色々と魅力はあるが第一給料が安いところが多いし働く環境として良いとも思えない面が多かったので最初仕事モバイルゲーム業界がいいなと思っていた。

そのため早い段階で逆求人サイト登録したり、1on1面談イベント勉強会などにも参加する様になった。

個人的に今思うのが3年の中旬くらいの時期から動き出せたのが一番良かったなと思っている。勉強会などで大学生で同じ様にゲーム業界目指している人たちとも多く会ったりしているうちに、自分結構出来る方の人間なんだなと思う様になる。

正直HAL東京カリキュラムは異常で、普通にゲーム作りたいという人はOpenGLDirectXもやらない。直でそれらが扱える様になっているHAL生は業界的に結構貴重な人材になりうると思う。

描画の仕組みをわかった上でゲームエンジン使うのとそうじゃ無いのとでは全然違うんだなとこの時気づいた。HALの基礎から教える理念はとても大切だった。

私は趣味で別でDirectXゲーム作ってたりもしてたので、それを企業の人に見せたりもしていた。何かしら物を作りきるという経験を何回も積んでいるHAL生の評価は高い。(ちゃんと授業出てれば1本は作りきれるはず)

何社か逆求人で声がかかり、そのうち一番気になっていた会社と話しているうちにどんどん選考が進み、特に苦戦せずに2月くらいには内定が出ていた。私の就活はかなりあっさりと終わった。

モバイルゲーム業界IT業界は今かなり盛り上がってるのもあり年収もかなり良く、この結果にはかなり満足している。

最後に、私がHAL東京入学して良かったかどうか、という点について触れてこの駄文を終わらせようと思う。

結論から言うと私は入学して良かった。

もともと、ゲームは作りたいと思っていたが、何から始めたらいいのかわからなかった。

そんな中、専門学校で学ぶことで0→1が出来る様になったのはやはり大きかったと思う。

一度作り方を学べばあとはそこからどんどん自分から学んでいけた。

逆に、そう言う学び方が出来ない人はやめておいた方が良いと思う。

HAL東京在学中ずっと思っていたのが、学生間のレベルの差がとても激しいのだ。 無能か出来る奴のどっちかになるのだ。

自分積極的に学んでいける!出来る奴に絶対なってやる!と言うくらいの気合いがないとダメだと思う。

入学時にプログラミング経験がある人も一定数いるのだが卒業する頃には自分の方が書ける様になっていたし、結局のところ本人の努力次第である。決して入ればゲーム業界にいけるとか、そんな甘い話はない。

生半可な気持ち入学するのは出来る人たちの迷惑になるとハッキリ言っておこう。チーム制作の足手まといになってしまうだけである

自分自身が出来る奴になれればこんなに楽しい環境は無い。とても優秀な仲間と切磋琢磨できるのだから

2019-09-17

anond:20190917115900

そーなん? 大会エントリーシートに「お前はプロちゃうねんから優勝しても10万円がせいぜいやで」とか書いてあったってこと?

ならここまで揉めんと思うんやが。

2019-09-01

からっぽ

学校主催ちょっとした企画イベントがあって、そのエントリーシートを書いている。諸事情でほぼ確実に私のシートは通るのだが、そのシートに参加動機の記入欄があって困っている。

わたし動機はただ部活動サークル友達との交流、いろいろなアニメゲームなどなどの昔や今の楽しいお話をたくさんしてくれる彼にわたしもなにかたのしいおはなしがしたかっただけ。ずーっとひきこもりぼっちをしていたわたしにはなにもないので、わたしも彼にいろいろなおはなしがしたくてイベントに参加しようとしただけ。ほかに理由がおもいあたらない。

2019-08-27

毒親と疎遠にしていたら義親がキレてきた

私の親は毒親だと思う。といっても、猛毒まではいってないと思うけど。

実家山陰。両親は有名大卒と地方国立大卒で、当時としてはかなりの高学歴夫婦。父親家業を継いでいて、母は一応専業主婦。だけどその実態父親はおそらくはアルコール依存症だったし、母親は同居生活で、舅姑、彼女が嫁ぐ前は小姑からもかなり激しくいびられていたらしい。しかもこの母、家事の才能がまるでなしで片付けが全くできず、料理も決してうまいとはいえなかった。そんな中で育った兄と私。兄にとって両親がどうだったかは知らないけど、私はしばしば親、特に母親と衝突していた。

親は、私を親のお眼鏡に叶う偏差値大学に進学させた後は地元名家見合いで嫁がせるつもりで育てていた。自分もそうするものだと思っていたけども、気づいたら全く違う人生になっていた。

中学のころだったと思う。朝食を食べて、兄が牛乳食卓放置していた(それさえも私は知らなかったのだけど)。帰宅してそれを見つけた母が激しく私たちをなじった。兄は黙って聞いていたけど、無関係の事まで持ち出して咎のないはずの私まで罵倒し始めたので、我慢できず言い返した。その後黙って家を出てしばらく友人宅にいたのだけど、迷惑もかけられないので帰宅した。その後もまあ激しく怒られたのだけど、あまりにひどい罵倒の数々に「子供人権はないのか」と言ったのだ。その時に言われたのが「かわいげがない」「お前は親に誤らせるのか」という言葉後者はこの後も時々言われてそのたびにとても不快になった。この騒ぎがどう収束したのかは記憶にない。

高校の頃。思いつきで志望校を変更しようかと思った。元々の志望校よりも距離は離れるけど、偏差値は上がるし、最終的に届かなくても元の志望校に戻せばいいや、目標を変えて偏差値が上がれば結果としては受験はいい影響のはず、という割と軽い気持ち父親に言ったら母に相談しろと言われる。母に言うと途端にものすごく不機嫌になり「お前にあんな難しい大学行けるわけがない」「そんな遠いところの大学は許さない」かくして志望校変更は1日で元に戻さざるを得なかった。まあその程度の気持ちではあったのだけど、あの時に態度とひどい言葉はよく覚えている。

大学に進学。電車を乗り継いで半日ほどかかるところだった。最初は4人部屋、4畳半を二人ずつで使う昔ながらの寮に入った。私はゲームが好きだったのだけど、高校までの間は勉強理由としてほとんどやらせてもらえず(こっそりやってたけどね…)テレビを持っていなくて全くプレイできなかった。なので入学最初GW駅前中古ソフト屋で買ったソフトを持ち帰ってプレイするのを楽しみにしていたのである。そして実家で夢中になってゲームしていて、親への対応なおざりだったのだろう。夜に一人でリビングゲームしていたら既に激怒の完成形になっている母が「ゲームしに来たんだったら帰れ!!」と怒鳴りつけるわけです。その前にゲームそろそろやめなとか話をしようとかいろいろあると思うんだが、最初から怒りMaxで来られるのでこちらも穏やかではいられず。お土産に買ってきた菓子ゴミ箱突っ込み、翌朝父親に帰る旨を伝えたら短気は起こすなと説得される。菓子祖母の手でゴミ箱からサルベージされていた。

バイトを始める。そこで彼氏ができた。顔だけはい底辺高校フリーター契約社員かな)だった。この男も毒親育ちのモラハラ男で、こんなダメなお前を理解し更生させてやるのは俺だけだぞみたい態度で接してくるわけですね。ただ、「何かできそうな、やりそうな雰囲気」はものすごくある人だった。終始アンチこの彼氏だった私の友達もこの点は認めてたから。数年付き合ってる事は黙ってたけど、母親彼氏の事を話したんですね。3年生の終わり頃だったか父親には言わないでと。「付き合うって具体的には何をするの。手をつないで歩いてとかか」「え、それはまあ」「それ以上もか」「え、まあ」というような会話があったことは覚えている。そして翌日即父親バラされて実家大嵐です。「もうお前の学費は払わない。男に払ってもらえ」と、できるわけがないことを言ってくる。しかもその品のない言い方が。結局別れたことにして大学卒業したけど、勝手合い鍵を持ち出した父親が私の部屋に侵入していたことがあった。ドアを開けたら酔っ払った父親がいるんですよ…。この時もすぐに喧嘩になって、絶対に追ってこれないところに逃げるべく、私は大学に塀を乗り越えて侵入し、女子寮友達に頼んでかくまってもらった。翌日合鍵を渡してあった友達に頼んで父親がいない事を確認してもらってから帰宅した。テーブルの上には自律した行動をという紙が置いてあったが、アル依の父親にそのままお返ししたい。

他にも無茶な話が一つある。母親の友人は、友達旅行などに行ったときに一緒に娘さんの部屋に泊まるのだという。娘さんは自分友達の家などに泊まって、部屋は母とその友に使わせるのだとか。…という事を話されて、まあ自分もそのようにしたかったのかなと思ったけど空気読めないふりをしてふーん、で返したので実現しなかった。今思えば、親はともかくなんで知らないオバサンを自分がいない部屋に泊めなきゃいかんのか、絶対やだな、としか…。確かに家賃を払ってるのは親だけど、それが普通感覚なのかな。私は嫌だけど。

とにかくこのころの私は親から離れるとこんなにも自由楽しいのか!と気付き、実家にはろくに連絡もせず好きなことをしていた。でも親からしたら「糸の切れた凧」だったようです。嫌な表現しますね。私は耳があまりよくないこともあってか電話が嫌いなのだが、時々父親から「そろそろ母親が不機嫌だから電話してくれ」という連絡があった。で、嫌々電話していたのだけど、なんというか情けない話ですね。なぜ話したい人の方から電話してこないのか。母の日も「他の人たちは何をもらったとか楽しそうに言ってるけどうちにはなにもない、惨め」と愚痴ってくるのです。若い頃は逆に反発して意地でも送ってなかったけど、そのうちリスク回避だとネットで頼んで送るようにしてたな…正直気持ちは入ってなかった。ただのリスク回避

大学自分で選んだところだったけれど、言わば学歴厨の親だったので、勉強ができなくてはクズであるという空気の中で育った。私も兄も同程度の出来だったのでお互いコンプレックスは持たなかったと思うけど、これで仕上がりに差があったらどうなっていたのか、考えると恐ろしい。そして入学後に目的を見失い、勉強が全く面白くなくて本気で中退を考えていた。けど、親には相談しなかった。相談する相手じゃなかったのだ、もう既に。新たなやりたいことを探すパッションもないまま、4回生必死単位を取ってどうにか卒業の見込みが立った。後に書くけど就職も決まってしまったので必死だった。

そして卒業式の前日のこと。親は袴を持ってきて着付けをすると言ってくれたので、お願いすることに。前日の予定は聞かされてなかったのだが、私は友達から当時超入手困難な某ブランドファミリーセールチケットをもらっていて、楽しみにしていた。昼過ぎ電話がかかってきて、何時に着くから食事を一緒にと。でも私はセールに行く気だったので、それは無理だよ~と軽く返事をしたらそれで点火、激怒。親がわざわざ行くのに予定を空けておかないとは何事かと言われた。じゃあ予定先に言っとけよ電話できるだろ…とは思ったものの、ブチ切れた母はとにかく家に行くから外出するなとガチャ切り。家に来たけど、私は鍵を開けなかった。非常に惨めな気持ちになったそうです。もうスーツで行く気で、父親電話したら父がなんとか説得などしたらしく、翌朝着付けに来いと言われたのでホテルの部屋で着せてもらって卒業式に出た。けど、大学卒業式はもう思い出したくもないものになった。正直あまり記憶がない。父曰く、私の大事行事台無ししたことで落ち込んでいたらしいけども。

就職。親は地元に戻して、数年経ったらそこそこの家と見合い結婚させる気だったようだけど、まだあのクソ彼氏と付き合っていたので、地元に帰る気はゼロ。親の勧めでコネのある地元企業も受けたけど、猛烈やる気のないエントリーシートを出したせいか、超氷河期のせいかコネパワー発動前に落ちたのでよかった笑。しかし超氷河期、まあ落ちる落ちる。どうしようかと思っていたら何をどう間違えたのか某上場企業内定をもらってしまい、親も賛成せざるを得ない。あの会社就職って言うと自慢できる程度の知名度だったし、満足はしてたみたい。でもやっぱり実家に心は向かなくて、同期に「実家に帰らなさすぎじゃない?」とは言われたけど。

時々帰る実家は私の居場所がなかった。精神的にではなくて物理的に。田舎で、部屋が10以上ある巨大な家なのだけど、その8割程が母親荷物で埋まっていた。片付けもせず、壊れた電気も直さずに暗い部屋でネットパズルゲームをやっている母の後姿を見たときは正直ぞっとした。彼女と話しても、父親への不満、祖母悪口、私への恨みなどを延々聞かされた。楽しくはなかったけど、他に言える人がいないから…とずっと我慢して聞いていた。大学の頃の私への恨みは本当に不愉快だったし言い分もあったけど、黙っていた。一言でも言い返したら余計面倒なことになると分かってたから。

クソ彼氏とはずっと付き合ってたけど、クソ彼氏があまりにも将来への見通しがなくおれはいつかビッグになるという夢想ばかりしているので愛想を尽かして別れた。2年ほどしてから社内で彼氏ができて、その人と結婚することになる。彼氏ちゃん大卒で同じ上場企業だったので、反対されるかと思ったけど大丈夫だった。というか、クソ彼氏がひどかったか相対的評価が上がっていたのかもしれない。ちなみにクソ彼氏、未だにビッグにはなってないみたいです。

出産。娘誕生妊娠中に不幸があってショックを受けており、それもあってかあっさり産後鬱に。里帰りはせず、自宅に義母と実母が交代で来てくれた。義母家事の達人、まさにプロ主婦といった人で、産後の実子のケア経験もあるせいか本当に頼りになった。一方の実母は、朝私が洗濯をしている横で新聞ゆっくり読み、私が作った料理をなぜかクソマズアレンジし、挙句地元の人が近所のイベントに出店しているから行ってきていいかと。会場はかなり遠く、言ったら3時間は帰れない。折しもインフルエンザ流行っている季節で、私はいいけど帰宅したらすぐに風呂に入ってくれと頼んだのだが、ばい菌扱いされたと感じたようですね。母親がいない間に夫が会社から帰ってきたけど、私の顔が引きつっているのを見てまずいと思ったみたい。ばい菌扱いもショックだったみたいで、3日いる予定が2日で帰ってくれた。その時はほっとしたんだけど…しばらく経ってからメールが来た。なぜなんの連絡もよこさない、寂しすぎると。仕方なく電話したけど、孫が生まれて喜びでいっぱいの時期のはずなのに面倒見に行けば(見てないだろ)迷惑そうにされ、産後鬱から直接連絡せず夫を通せと言われ(の割にメールしてきたな)、疎外されて惨めであると。そして生き生きと夫の悪口を言い始めた。夫からしたら身内の不幸があってこれ以上誰かを失いたくなかったわけで、私を守ろうとしてたんですけども。産後鬱状態の娘に夫の悪口を言うとか本当に神経がわからない…。この時はなし崩しに仲直りした形になったけど、お宮参りとお食い初めに呼んだら父親泥酔して夫を蔑む発言をして、夫の私の両親への心象は地に落ちた。この時は駅で寝転がって運ぶこともできず大変だったらしいです。まあ、アル依だからな…。

それでも程々の距離を取りつつ、私が気を使うなどして表面上は親しくしていたのだけど、1年前に会ったときのことだった。

私は遺伝性病気を抱えていて、毎日目薬を差さなくてはいけない。この目薬、肌についたもの放置しておくと肌が荒れることがあるので、ウェットティッシュおしぼりで早めに拭くと荒れなくて済む。また、目の形が少し変わる副作用もある。肌荒れはなんとかなっても、目の形はどうしようもない、でも病気よりはマシだから…と点眼を続けていた。

その頃、母は目の手術を受けており、目薬の点眼をしていた。点眼後に使えと清浄綿を渡されていた。私と同じ病気の人も使っていると聞き、私のためにと買ってきたそうだ。だけど、自分の目は手術したわけでもなく傷もないので感染症リスクは低く、そこまでのもの必要ない。主治医ウェットティッシュで十分と言っていた…が、一応お礼を言って受け取った。そんな時に娘のアレルギーが発生して、目がパンパンに腫れてしまった。これこそ敏感な状態で、清浄綿を使うのはとても良いし、個装されているか携帯にも良い、すごくこの子向きだねと母に言ったら突然イラつき始めて「それはあんたのために買ったものなんだけど。高いっていうけど、そんなもの(楽しみにしていた入手困難だった化粧品)を買うお金があるならこれくらいお金出せるでしょう」困惑しながら、実際自分の今の状態にここまでのもの必要ないと副作用説明をしたのだが、そこで「もうこれ以上この話はしたくない!」ときつく言われて終わった。実はこの数日前に受けた検査の結果が今一つで、でも一度の結果で落ち込むものではないと自分を励まし前向きになろうとしていた時に病気の事で怒られるというのはとてもショックだった。その後私は一言も喋らず、というか喋る事ができず、飲まず食わずになってしまったのだが、親は怒っていると思っていたのかもしれない。実際はショックで何もできなかっただけだが。

翌朝、相変わらず不機嫌そうに一言も口をきかない母親。これはさすがに…と自分が折れようと思って「病気の事に口を出すのは一切やめてほしい」と言った。すると待っていましたとばかりに「謝れというのか。そもそも謝るようなことなんて何も起きてなかったと思うけど、親に誤らせようというのか。まあ謝るけど、すみませんでした(棒読み)」。これでもうさすがに我慢限界がきて、病気に事では自殺するほど悩んだこともあったのに、なぜこんな体に生んだ、謝るとかそういう問題じゃないと泣きながら訴え、過呼吸寸前までなっていたのだけど、母親はそんなの知らなかったと何度か言ってからテレビを見るために椅子に戻り、父親はオバサンがそんなに泣くものではないと手を振り払った。それでもうこんな思いをするのは嫌だと荷物を纏め、予定より何日も早く家に戻った。途中「せっかくの帰省をつまらないものにしてごめん」というメールが来ていたけど、そんなレベルの事じゃない。つまらないもの、そんなことじゃない。私が死にそうな思いで、でも死なずに努力していた、そのことを踏みにじったんだよ。SNSはすべて即ブロックしたけど、LINEだけは解除しておいて通知オフ、未読スルーにしておいた。

それに気づいたのはメールが来てから数週間経った頃だった。「連絡が一切なくて寂しいです」と、あれだけのことをしておいて普通メールが来ていた。彼女の中ではその程度の事だったのかな…でもこれを見た瞬間にどうしようもない嫌悪感吐き気がこみ上げてきて、LINEブロックした。もう解除するつもりはない。

一度兄から夏の帰省について連絡がきたけどそっちには戻らないとだけ返しておいた。返事は未読スルーだった。わざとなのかなんなのかわからないけど、あの兄がそういうことを聞いてくるのはなんだか怪しいと思っている。裏で誰かが動いたのかもしれないけど、どうでもいい。

母が義母に連絡したようだ。「娘と連絡が取れない」「心あたりはないのだけど(これはびっくりした。ボケたのか?)」と。義母積極的に介入するのはまずいと思って、そういう連絡があったことと、私に少しだけ事情を聞くだけに留めてくれた。あまりどちらにも余計な事は言わないようにするとも。だけど義父はそうじゃなかったようで、外面のとてもいい母親のそこだけを見て、あんな立派な人ともめるのは子供の方がおかしいに違いない、家事もおろそかだし、育児についても…と勝手に色々と不満を溜め込んでいたようだ。

まずは昼間にスマホをいじっていて子供相手がおろそかになったのが不満だったらしいが、それは夫の同僚の奥さんで、赴任先についてきて生活不安な人の相談に乗っていたのである。早く現地で私も頼りにしている人に繋ぎたいと思ったし、水や食べ物については一刻も早く不安を解消してあげたかたから。自分引っ越して鬱になったから、もうそんな人を増やしたくなかった。そしてその夜、台所の片づけを手伝い、一日やかまし子供相手をしていたところから気が抜けて、子供アレルギーについて携帯で調べていた。子供に片付けしなよと声をかけていたけど、昼間の事もあってそれが気に入らなかったのだろう。名前呼び捨てにされ「スマホを見ながら怒鳴るだけで子供が育つか!!」と怒鳴られた。反論もせず気にしてない風を装いはしたけど、突然怒鳴るというのが実は非常にショックだったのだ。中学の時に暴力的ものを含むいじめ経験があるので…。

その後はおとなしくしていたのだけど、食事中に子供質問に答えていたのを「そんなことを食事中に話していては食べられないだろうが」チクチクと注意されていた。そして最終的に夫もいる場面で「食事の時にぐちゃぐちゃと喋るのが大嫌いなんだ!」と怒鳴られ、その後に私に向かって「大体親をないがしろにしてそんなことでいいと思っているのか!」と全く無関係説教を始めた。最初に怒鳴られた時点でもう夫が怒鳴り返していて私は無言だったのだけど、親の事についてはこちらもさすがに黙っていられず、泣きながらだったけど「何を言われたかも知らないのにそんなことを言わないでほしい」と言った。が、それ以上は夫に引きずられて移動させられたので言えず。

その後、数時間二人で話をしていたようだけど、夫の感触としては「元々子世帯のやり方に内心不満を溜め込んでいたところに親ともめていると聞いて勝手に不満を溜めたのだろう」「あなたの親は心当たりがないと言っているようだから一方的こちらが悪いと思い込んでいる」「かなり話したけど、性格上納得はしていないと思う」との事だった。家事がおろそかといっても、彼は自分の妻の家事能力の素晴らしさが当然のもので、それがいかに恵まれていることか気付いていないのだ。私が地味にやっている細かいところの掃除については全く気付いていないだろうしね。ゴミ出しのタイミングとかも…。大体片づけが~というなら、毎日湯呑を飲んだ後放置して去っていくのはどうなんでしょうか笑。夫に食事の時無言だったのか聞いたけどそんなことはなかったそうです。私が質問に答えるのも知識のひけらかしって陰口言ってたけど、実はひけらかしというなら舅の方が余程そういう話をしてるんですよ。私はどんな話でも知識を深めるのはいいことと考えているので、ひけらかしなんて思わずいつも素直に聞いていたけど。

私は、別に状況を理解して味方になってほしいとは全く思っていない。理解だってしてくれなくてもいいのだ。ただ口出しをしてほしくない。そういうことは嫌いな人だと思っていたのに、まさかこんな形で口を挟んでくるとは思っていなかった。話の中で夫にお前が仲介してどうこうすべきではとも言ったようだけど、それは私が全く望んでいないことだし、毒親と無理に和解させようとして離婚する夫婦もいるくらいなのに、そうなってほしかったのだろうか。私への悪口漏れ聞こえてきたし、本当に不快。それに同じことをしたのが娘婿だったらきっと言っていなかったと思う。女と見てそういう態度に出られた事にも非常に不快感がある。突然怒鳴るのも何なんですかね。そんな人と楽しく付き合いたいと思う人がいると思うのかな。あいにく私はそこまでのMではない。

そもそも私の親が保身のためにか嘘を言ったのがクソだし、事情ほとんど知らないのにイメージだけで口を挟み、突然怒鳴ってくる舅もクソ。あんな人だと思っていなかった。

正直私は二度と会いたくないんだけど、義母がそれはやめてほしい…との事なので義母のためにもう少し努力はするつもりだけど、同じことがまた起きたらもう我慢できないなとは思っている。夫が壁になる意思があるからいいけども、これで無理に付き合いを強制する人だったら離婚するだろうな。そうさせたかったというなら目論見通りなのだけど。

とにかく最初に義親に嘘をついた親が本当最低だな。これ以上義親を使って探ろうとするならこちらにも考えがある。

2019-08-24

夏休み終わる前に死にたい人〜〜

増田学生がいるわけねえかって感じで自分に酔った文章書くね ごめんね

わたしは今年で22歳になる。こんな歳まで生きるつもりじゃなかった。そもそも大学生になるまでに生きているイメージがつかなかったのに、来年から新社会人なんてもっと想像できない。

小学生とき中学生とき高校生とき、死のうと思ったことは何度もあったのに、できないまま生き続けている。早く死ななければいけないと思いながらも生き続けている。

死にたいきみの参考にならないかもしれないけど読んでほしいな。

はじめに死のうとしたきっかけは小学生の時のいじめだった。

わたし学校は30人6クラスと人数が多く、毎年クラス替えをするごとにほぼクラスメイトが入れ替わった。だがわたしクラス替えをするたびにいじめターゲットになった。男女問わず首謀者やその取り巻きは変わっているにも関わらず、である

いじめられる方にも問題がある」というのはよく聞くが、わたしいじめられた原因はなんだったのだろう。

片親だから?ブスだから?一人で本を読んでたから?絵で褒められることが多かったから?

いじめっ子たちから聞いた理由はこんなとこだが、まあとにかくわたしはいじめられた。

ゴミを頭からぶっかけられたり、複数人に体を押さえつけられて殴られたり蹴られたり、お金をせびられたり、ピンポンダッシュされたり、プール時間で溺れさせられたり、防具なしの野球キャッチャーという的にもされた。

毎年バリエーションかにいじめられたものである

わたしはふと気付いた。

わたしはもうだめなんじゃないか?」

もうわたしはいじめられる前の自分ではない。

「オドオドして気持ち悪い」今のわたしはいじめられても仕方ないのではないかわたしはもう一生この卑屈な精神と向き合って生きていかなければいけないのか?

「なんで傷をつけられた側が人よりも努力してコンプレックスを克服して『まともな人間』にならなければいけないのだろう」と思った。なろうと思って頑張ってもまた笑われるのに。

もう疲れた。死のう。

と思い立ち9階のベランダの柵をまたいだ。

腕だけで支えている状態で下を見下ろすと、マンション看板が遠くにあった。このまま落ちるとあの辺りでぶつかった身体が真っ二つになったりするんだろうか。楽になれる。もう頑張ることなんてしなくてもいい。死のう。死んで楽になるのだ。

そう思ったが母の顔が出てきた。

いつもわたしの話を聞き、時には先生電話もしてくれた母。わたしを抱きしめて泣いてくれた母。

今は死ねないと思った。

しかしまた「死にたい発作」がでるたびに、わたしベランダの柵を乗り越えた。

その度に母を思って踏みとどまった。

死ぬこともできない出来損ないだと思って悲しかった。

中学生になった。

ここでも小さな嫌がらせいじめがあった。

だがあまり覚えていない。この頃からカウンセリング病院で薬をもらっていたからだ。

一度先生が「我慢できない時に飲みなさい」といった薬を5回分一気に飲んで1日寝続けていたこともあった。なんだかすべて薄ぼんやりとしている。

この頃から全身をあざができるまで殴るようになった。昔からささくれを深くめくって地の肉?がみえたり、壁に頭をぶつけることはあったのだが、リストカットは親にバレるからしなかった。これ以上悲しませたくはなかった。

どうにかしないといけないとは思いつつ、部活の先輩に相談すると「普通リスカじゃない?大したことないよ」といわれた

殴りつけたりかきむしったりするのは自傷行為じゃないとのお墨付きいただきそれからは腕にできた皮膚炎を2年以上血が出るまでかきむしって5cm×5cmのかさぶたを作ったりしていた。辛い時に、それが全部血になって痛くてヒリヒリするまでやるとスッキリするからだ。

死にたい発作」もあったが母を思いやめていた。

三年生のときは楽しかったのでよく覚えている。

高校は離れた場所に一人で行くことにした。

高校はとても楽しかった。

だがまたわたしがひとりのけものにされる出来事があった。またここでもわたしはこうなのかと思った。やっぱりわたし問題があるからいけないのだと再確認し、首を吊ろうとおもった。

家族旅行が控えていたため、旅行に行ってから死のうと思った。

旅館で寝る時に幸せすぎて少し泣いた。

さて、家では一般的首吊りができる場所がないため、非定型とよばれる高さがなくてもできる首吊りをしようとした。だがなかなか失神にはいたらず、二時間ほどトライしたが諦めた。

この時初めて親に死のうとしたことがバレた。

信じられないと殴られたし怒鳴られた。泣きながら抱きしめられた。

母がわたしに怒鳴ったり手をあげる時はわたしが死のうとしたり自分を傷つけた時だけなのだ

アルバイトをはじめてやはりわたしはどこに行っても一定わたしを嫌う人がいることを知った。

それでもわたしかばってくれる人もたくさんいることを知った。

学校ではたくさんの友達ができた。

わたし幸せだった。

20歳までには死ぬ漠然と思っていたからだ。

なぜかは分からないが、死ぬと思っていた。

いずれわたし自殺成功するだろうと楽観視していたし、生きている自分が何より想像できなかった。

から大学進学に伴い奨学金申請をするときは渋った。死ぬつもりなのに、母や姉が保証人なら死ねないではないかと思った。

そうして大学へ進学した。

大学では特に嫌な思い出はない。

足を殴ってあざを作るのもよほどのことがない限りだったし、このころから親は「下の階に響くからやめなさい」というだけだった。それに対してわたしが泣くと「何を言ってもやめないからそういうしかない」だそうだ。母はもうわたしを慰めず、わたしの暗い話は聞きたくないようだった。

就職活動が始まってわたしは頻繁に非定型で首を吊ろうとしてすぐ諦めるということをしていた。

ハイパーベンチレーションで失神する練習もしたが上手くできず、「死ぬ練習」をがんばっているわたしがとても滑稽に思えて爆笑してしまたこともあった。

なので失神という経験がないわたしはどうすれば失神できるのかわからず、ただ苦しい思いをするためだけに首を吊ろうとしていた。

耳が遠くなって目がボーーッとする感覚になると「危ない危ない」と輪っかから首を外すのだ。

お金を返さねばならないという漠然とした目標があるからである

家をでたいというわたしを親は反対した。不安なのだろう。わたしだって不安だ。友達にも「いつか死んでそう」といわれたのである

いつ死ぬかはわからないが何かを誤って死ねたらいいのになあとは思っているからだ。

就活では様々な出版社エントリーした。大体エントリーシートは通るものの、筆記や面接で落とされた。最終面接まで残れたのは一社だけ。そこも落とされた。

もうわたしは破れかぶれになっていて、もうほんとうに死ぬしかないと思った。ほんとうに価値がない人間なんだ。

それを聞いて母はずっと怒っていた。

「また次頑張るしかないでしょ!なに泣いてるの!」

このごろは自分を殴りつけても笑えるだけでなにもスッキリしない。「かまってちゃん」を演じているだけなんだとおもった。もうリストカットしよう。

部屋に戻ってリストカットをしようと刃を手首に押し当てた。鈍い痛みばかりで一向に切れない。ミミズ腫れみたいな線がいくつもできただけだった。

「ばかみたい」

と呟いた時母が部屋に入ってきた。

見られたのである

母は怒鳴り、殴り、また無気力になった。

「こんなもので血まみれになってお母さん置いて一人でいっちゃうの?」

嫌いになってくれたらいいのに、と思った。

母は後日話した際、「どうすれば助けてあげられるのか分からない」といった。わたしだってからない。

わたしは昔の面影が全くないほど明るいし、初対面の人とだって話せるようになったし、メイクも服も人並みになった。

ただ時々こうやって全部だめな気がして落ち込んで死にたくなってしまうだけなのだ

そんなときわたし就活相談に乗ってくれていた人から紹介したい会社があるといわれた。

そこでは今までの面接とは違った面接だった。

わたし人格フォーカスを当てたもので、いじめのことも話さないといけないほどだった。

「そんなにいじめられるって何か原因があるのかと思ったけど、本当に周りの人達が変だったんだね」

この言葉に泣きそうになってしまった。

そこの会社内定をもらった。

わたしの部屋のカッター没収されているため、ハサミの持ち手で腕や足を殴りつけている。いつかこの癖も治せるようになりたいし、自分もっと愛したい。わたしはまだ苦しさや死にたさを持ち続けているけど、少しずつマシになっているんだって分かってる。今のわたしの「死にたい発作」はお遊びみたいなもんなのだから

大人がよく「今辛くても大人なれば大丈夫」なんてよくいうけど、今どうしても辛いきみには残酷な話だよね。

わたし大人になってもまだ自分大人になったことを信じ切れてないよ。

から離れて本当に死んじゃうかもしれないけど、わたし一人暮らしをして働いてこれからも生きていくんだなあと思っているよ。死にたい癖にウケるよね。

こんなに死にたいと思ってても死ねないやつがいるのかと絶望するかもしれないけど、自殺する境界線てほんとにちょっとしたことだよ。

わたしはお母さんが強いブレーキになっただけで、もしかしたらきみもそういうブレーキがあるのかもしれないし、またないのかもしれない。

ただ、死のうとしてもなんとなく何故か生きてる大人もいるんだなって思ってくれたら嬉しいな。

別に無理して生きなくていいし、無理して死ななくてもいいと思うよ。

お互い生き延びれたらいいね

2019-08-23

許してくれ

ちゃんと合説とか説明会には行ってるしエントリーシートも出してるんだ

働く意思はあるけど働くことを認めてもらえないだけなんだ

許してくれ

2019-07-26

就活がわからない

都内大学に通っている3年だ。

お世辞にも賢いとは言えないが全国的知名度はある大学に通っている。

自分の学年はいわゆる21卒と呼ばれる。

経団連が21卒から就活ルール撤廃と言ってくれたおかげで企業たちはあからさまにインターンから採用活動を始めている。

政府就活ルールを維持と言おうが形式しかならない。罰則がなければ守るはずもない。当たり前だ。

就活イベントとして一番最初に来るものインターンがある。

建前は企業オフィスで実際に業務体験して入社後にミスマッチしないようにしましょうと言うものだ。

そんなお客様扱いで全部がわかるはずはない。かといって本当に社員扱いしても学生は逃げてしまうだろう。

実際には優秀な学生の囲い込みが目的から企業からすればお客様扱いでいいのかもしれない。

ほとんどの就活生が行くと言うインターンには様々なタイプがある。

1日完結型もあれば5日間オフィスに机をもらって通うものもある。

ベンチャー外資では1ヶ月通い詰めるものもあるしまばらに3日間来てくださいなんて言うのもある。

インターンに行くまでもいくつか乗り越えなければならないものがある。

抽選や先着順でいけるものもあるが有名な企業になればなるほどエントリーシート(通称ES)なんてものを書かされる。

何がしたいか学生時代力を入れたことは何か、どのようなことがインターン中に活かせるか、強みは…なんて自己肯定感のない人間には地獄質問だらけだ。

それを通り抜けてもWebテスト受験させられたりグループディスカッションをやらされたり、面接があったりなんて就活本番さながらだったりする。

大学3年生で就活本番じゃないのに本番と同じ重さだ。

けがからない。

大学勉強しようとしても企業は平気で平日にインターンを設定してくる。

そのくせに大学での勉強をしっかり行っている学生が欲しいなんて頭のネジがすっ飛んで行ったとしか思えない発言だ。

就活ルール撤廃はただ期間を伸ばしただけだと思う。

前倒しで始まるなら終わりも早く迎えて欲しい。

12月くらいに内定が欲しい。

永久雇用はないと言ってみたり、経団連も何がしたいのかわからない。

ここまできたら願いはただ一つ。

早く訳のわからないビジネスの食い物にされている就活を終えてのんびりしたい。

2019-07-15

陰キャ神様

世間話題から何周も遅れて、今更"金野火織の金色提言"を聞き、曲コメを読んだ

涙が溢れて止まらなかった

少し落ち着いてこれを書いている今も、思い出すと涙腺が緩んでくる

ゲーセンに通い始めたのは中学2年生の時、一番価値の無い存在だった時分だ

音ゲーマーは行きつけのゲーセンを"ホーム"と呼ぶ

あの時の自分にとって、ホームゲームセンター文字通り"HOME"だった

わかりやす虐待は受けていないものの、我が家では性的虐待匂いに怯え、

心の拠り所とした音ゲーのことは徹底的に否定された

学校親友はいたけれど、その親友には(自分相互ブロックの)別の親友がいた

ミジンコの方が自分より価値がある、そう思っていた

TECHNORCH氏のように、ゲームセンターに長時間居座れたわけじゃない

行動をGPS監視されていたから、それをかいくぐってプレイできたのは、せいぜい2,3クレが限界だった

それだけで十分だった

今は絶賛就活中(就活も周回遅れだな)で、エントリーシートを何枚も何枚も書いている

趣味欄にはウケの良さそうな、ギリギリ嘘じゃないものを書く

音ゲー、とはとてもじゃないが書けない

堂々と胸を張って書けることじゃない

それが当然だと思っていたし、惨めだと認識してすらいなかった

でも今、こうやって突きつけられて、涙が止まらない

「私の青春ゲームです」その一言で、中学生の自分高校生自分大学に入ってから自分、そして音ゲーエントリーシートに書けない自分が、全て救われた気がした

DJ TECHNORCH陰キャ神様だ。

感情がぐちゃぐちゃで支離滅裂かもしれないけど、これだけははっきりと言える。

2019-07-03

就活自殺するか悩んでいます

自己紹介します。都内のどこかの大学文系学部20卒です。1年間浪人をしています実家暮らしです。サークルも人並みにして、人並みに生きてきました。

インターンには行けず、19年の2月就職活動を始めました。

今まで60社以上にエントリーし、そのほぼ全てで1次面接の時点で不合格とされました。

エントリーシートと適性検査は通過します。どんなものを書けばいいか考えられるし、提出前に訂正することだってできるから、まだ救いはあります。でも、面接はそうはいきません。

会って1時間も話していない人間不要と言われる。時間交通費無駄になるし、その分だけ授業を休んで来ている。その結果が、全て無駄になる。企業パンフレットという、見ても憎しみしかさない紙切れだけが手元に残る。

自己分析企業研究もして、それでも面接という場が苦手というだけで仕事活躍し得ない人間だと断定される。あまり苦痛だ。

大学生「就活自殺」7年で200人超/社会人からの声「就活けが人生じゃない」

https://jobrass.com/magazine/self_analysis/17454/

就活けが人生ではない、スタートラインだ、たしかにそうだと思います人間80年生きるから20代前半なんて、通過点に過ぎない。理屈の上ではそうです。でもこれは、無事に内定を取れたから言えることだと思います。通過できたからこそ、通過点だと思えるんです。

スタートラインならば、それにすら立てない人間が、どうして明るい未来想像できましょうか。通過点で挫折した人間にとっては、これが終着点です。

心は疲れ果て、様々なもの犠牲にした末に残ったものも少なく、浪人しているので親は就職留年を許してくれず、大きな閉塞感に包まれ状態です。

エントリーシートを書いて、出して、出せるものもない状態で、受けた面接は翌日に返事が来るという噂なのに音沙汰なく、「無敵の人」という単語が、まさに将来の己を指すような絶望感に襲われます

その中で、就活を終わらせる手段として自殺という手段が頭をよぎっています

この国では、人間死ねば死亡届を出し、葬式をしなければなりません。葬式には大きなお金がかかります。おそらく、自分の1年分の学費は賄えるでしょう。

まれしまった時点で、人間死ぬことにすら負担を伴ってしまます

から自殺するよりは就留した方が良い。理屈ではわかっています

しかし、大量にエントリーしなければはらないような就職活動の狂った世界に、ついていけないという思いがあります

第一志望じゃないと嫌!というくせに、他の企業選考状況は聞くんですね。落ちたって言ったら、落とされるようなダメなところがあるって思いませんか?もしそう思うなら、そんなことは聞くべきじゃない。他で内定を取る人なら良いんじゃあないんですよ、就活マッチングという建前とは真っ向から反してませんか?それは能力を見てるだけだと思うのは、私だけですか?

人柄を重視する割には、面接官の人柄なんて全く伝わってきませんよね。某大手証券なんて、この面接をくぐり抜けた人が犯罪やって逮捕されてます。それこそ、 人柄がいかにアテにならないかということを雄弁に物語っているのではありませんか?どうして、こんな辛い思いをして人生に悩む人を大量に出して、多くの人を祈って、敵を作って、企業もこんなことを続けていいことなんてないはずです。何がいけなかったのかわからないまま敗北を重ねるなんて無意味な積み重ねをして成長しろというのは、あまりに怠慢だと思います自分で考えたって、当の面接官が判断するんだから、どうして落としたかなんて面接官にしかからないはずです。だから就活からすれば自分想像しか敗因を語れないし、それを通して成長するには、あまりに非効率的です。それで進路に関わる決断をしなければならないのは、あまりに酷で、無意味な営みだと思います。それでいて、面接をする側は特に何とも思わずに日々を暮らしています。少なくとも、面接によって処分されるとか、職がなくなるということはよっぽどのことがなければ起こりません。就活生は、すぐに来年のことがわからなくなるというのに。企業学生が対等に選び合うというなら、そんな差は存在しないはずです。本当は企業に選ばれるだけの存在にすぎないことは自明です。

せめて、企業もどうして落とすのかを明確にすることを法で義務化してほしい。己の判断責任を持ってほしい。企業無責任すぎませんか。

就活に疑問しかなくて、でもお金を稼いで家族を養えるような人間になるにはそれに従う他に自分には道がなくて、それがあまりに不甲斐ない。

それに、この世の全てが憎いのです。

面接で上手く話せない自分馬鹿げた判断基準で一方的自分を無価値とした上で、何の痛みも感じない面接官。このような大きな痛みを強いる制度を、己の利益のために作り上げた就活産業。先に就活を終えた友人。

どこまでが自分が抱いてよい正当な怒りなのか、自分でも判断がつかなくなってきました。

友人は、就活死ぬなんて馬鹿らしいといいますが、そう思うなら、持っている内定をくれませんか?自分と同じように、面接で先の見えない苦しみを感じても、同じことが言えますか?

今、死にたいと思っている己がどこまで続くかわかりません。己に向いた殺意が、自分憎悪を向ける他の誰かに向かうとしたら。そうなる前に死んでしまうのが良いでしょう。

死んでほしくないというのであれば、内定をください。せめて、自分が死んだとして、その後に、このような狂気連鎖を止めてください。

大手中小もいろんな業界を見て、どれも祈られました。神様みたいですね。神様だったらいいのに。就活みたいな人の誠意もクソもない儀式、全部罰して裁いて祟ってなくしてやりたい。

もう自分には希望も気力もありません。本当に止まると終わりだから、それを否定するために惰性と虚勢でエントリーして、面接に行っているだけ。それで祈られたら、自分絶望が伝わってきたのかなって想像して、それでもどうしようもないから、余計に気分が沈んで、空虚な蟻地獄の中にいるようです。

いつ電車に飛び込むかもわからないので、家にいるうち、生きているうちに書いておきたいと思って書きました。

どうか人々が無駄な苦しみを味わうことのない世界になりますように。

生きている皆様の幸せを、心よりお祈り申し上げます

20卒無内定

2019-05-17

転職おもしろブコメおじさんをアピールしたら落とされた

※この増田フィクションです

エントリーシート自己PRとしてはてなでのスター率を書いておいたのね

事前にこれはウケたなってプコメピックアップしておいて

案の定食いついてくれたのでポートフォリオ見せたら大ウケ

そのまま面接も和やかに進んでめちゃくちゃ手ごたえがあったんだけど

さっき通知が来て不合格だった

手書きメモが一枚入ってて

業務時間中にはてなをするのはやめましょう』

だって

2019-03-22

ネットがおっかない昨今でも大丈夫絶対成功オフ会マニュアル

まず前提として世の中にはたくさんの人種がいる。

ブラジル人ポルトガル人美人、照れ屋、ヒカキン

このような多様性の中で価値観の相違が決定的なところで起こった場合に起こるのが争いだ。

これを防ぐための完璧オフ会理論作成した。是非参考にしてほしい。

エントリーシートを記入してもらう。

半値、始めた時期、今までどのような立ち位置で振る舞ったか

そしてオフ会志望理由を8字以内でまとめてもらう。

ここで行っていることが事実かどうかを中心に精査する。

②一次面接

エントリーシートの中で的確とこちらが判断したものに関して面接をする。

面接会場はお互いの都合の良い場所カフェ

当日はこちらで用意したターバンを頭に巻いてもらい、プライバシーの点は安心してもらう。

ここでは、オフ会志望理由に加え

自分がそのオフ会を通じて現在はてな内の立ち位置をどうしたいと思っているのか 

また、その変化に関して期限を設けているかなどを中心に評価させていただく。

通過率は5%。

二次面接

二次面接は至極簡単で、その人の苗字を言ってもらう。

そこで言えなかったり、本人確認書類を見せてもらい嘘だった場合オフ会参加を断念してもらう ここでは3人に1人が病院に行く。

③合同合宿

ある程度の価値観を共有したという仲間を10人ほど集め、山梨契約している別荘で三日間

自由はてなの中で書き込みをしてもらう。

お互いの生身を晒しながらネットでどこまでコミュニケーションを活発にできるかをここで評価する。

④最終面接

オフ会スケジュールを大まかに公開し、自分がその中でどのような役割を果たすか 最終的な確認をする。

ここでは私に5分のプレゼンテーションをしてもらう。

お題はYouTuber未来

ネットでは話題が決まることはまずない。

そのような中でどこまで自分の含蓄を発揮できるか。

ここを見させてもらう。

最終面接では5人に15人が落ちる難関な面接である。 

オフ会参加決定

その場で印鑑を押してもらえばオフ会参加が決定する。

オフ会参加が決定すると、

ワークシート(自分の抱える課題、それをどう解決するかを4000字で提出)

健康診断

東京マラソン出場

これらを求める。

健康でなければオフ会で楽しめるはずもなく、かと言ってみんなの歩みについていけないほど貧弱では話にならない。

勝って兜の緒をしめよ。

オフ会参加者にはここを一番頑張ってもらう。

もちろん、少しでも不備があればオフ会中止も厭わない。

以上のステップを踏めば驚くほど簡単安全な人とオフ会を出来るだろう。

2019-03-11

就活って難しい

3月入ってから2週間も経っていませんが、すでに第1志望会社に落ちました。とても辛いです

どうせもう縁が無いだろうからぶっちゃけると某アイドルゲームを作ってるB社です。

割と前から就職したいと思っていて、インターンシップにも参加して、早期応募で採用面接等を受けました。

1次面接からずっと「この会社とは何かズレてる気がする。人はめっちゃいいけど、なんか違う。」って心のどこかで感じてたんですよね。

ただ、まあ割と楽に最終の役員面接まで行けたので上手く行くと思ってました。

はい、最終で落とされました。この会社は割と早くに連絡をしてくるので1週間近く経ってる時点で怪しいとは感じていました。

お祈りメールを受け取ったときもそこまで落ち込みませんでしたね。割と自分的には鬱になるのでは?ぐらいに考えていたのですが、あっさり受け入れました。

で、その会社第1志望ですでに選考を受けていることは親に伝えていましたから、結果を報告しました。

すると「ちょっとゆっくりしてから探したらいい。最悪、院に行ってもいいから。」と言われました。

正直、お祈りメールを受けたショックよりこの親の優しさに泣きそうになりました。

よく考えると僕が何かの選考で落ちるって相当久々なんですよね。

僕は中学受験しましたが、その学校には割とすんなり入ることが出来ましたし、大学もあまり苦労せずに入ることが出来ました。

多分、そういう事情を知っているからこそ優しくしてくれるんだと思っています

親って大切にしないといけないですね。昔、迷惑を相当かけたので本当に申し訳なく感じます

ただ、実を言うとB社を受ける前に某白猫とか黒猫とかが付くゲームを作っているC社も受けて落ちてます

ただ、ここは第1志望では無いですし、元々インターンシップに応募して落としたにも関わらず新卒採用受けてくれとかいう謎なことを言ってきたので試しに受けたという感じなので、ほぼほぼノーカンです。


さて、ここからが本題です。第1志望最初に受けて、ここが通れば他の選考を受ける必要が無いと考えていたので、落ちた後のことを何も考えていません。

自分が行きたいのはゲーム業界のはずです。「はず」なんです。

なのですが、本当にこれでいいのか迷っています

今までの人生を振り返った時にゲームをそこまでやってきたかと言われたら、やってないとはっきり言えるレベルでやってません。

苦手なんですよね、ゲームプレイするのが。

ゲーム自体は好きなんですけど、自分プレイするのがとても苦手です。誰かがプレイしているのを見たり、自分ゲームを作ってみる分には結構面白いと感じるのですが。

ただ、今までゲームをそんなたくさん作ってきたかと言われてると、これも作ってないとはっきり言えます

基本的アイデア力が無いので、「こういうゲームがあると面白いかも」みたいなのが全然思いつきません。ただ、他人意見を聞いてそれにアドバイスみたいな感じで意見を出すのは割と得意だったりします。

さて、こんな僕にゲーム業界ゲームを作ることが出来るのでしょうか?もっとゲームが好きで昔から色んなゲームプレイしてきたっていう方のほうが向いてると自分では思います

でも、他に興味がある業界がありません。自分で作ってきたものには、機械学習を用いた画像認識Webアプリケーションなどがありますけど、これを仕事にしたいとは全く思っていません。

自分は飽きやすいので興味が無いことを始めたとしてもすぐにやる気が無くなります。多分、半年ももたないと思っています

からこそ、少しでも興味のあるゲーム業界を目指しているのですが、現実はとても厳しいものです。

自分がやりたいことも割とここ数年の間にコロコロ変わっているので、ゲーム業界就職したとしても5年10年後には多分違うことをやりたいと思っている気がするのですが。


あと、もう1つ悩んでいることがあります。勤務地です。

B社を志望していたときは「絶対東京がいい」みたいなことを考えていたのですが、落ちてから冷静に考えると「別に東京じゃなくてもよくない?」ってなってきています

正直、東京はたまに行く分には楽しいのですが、住むかってなるとなんか違う気がします。

ただ、イベントとか趣味関係(B社の某アイドルゲームですw)を考えると東京近郊に住んだほうが楽なんですよね。

今は実家の近くである大阪を中心に会社を探していますあんまりないんですけどね。

いっそのこと全然違う場所就職するのも面白いと考えています。例えば、金沢にあるD社とかはエントリーを考えていたりします。

どこで就職しても難易度はあまり変わらないとは思いますけど、東京よりかはちょっと離れた場所のほうが楽なのかなとかは思ったりします。


さて、ここまで色々書いてきましたが、多分殆どの人が「こいつ、文章書くの下手くそだな」って思っていると思います自分でも思っているぐらいですからw

文章力が無いとエントリーシート書くのもなかなか辛いんですよね。

てか、自己PRとか志望動機とかってどうやって皆さんひねり出しているんですかね。正直、第1志望以外はほぼ適当に見つけた会社なので、志望動機なんて書けないんですよ。

エントリーシートを書いていると自分が今までどれだけ何もせずに人生を過ごしてきたかがよく分かります


結局、自分がやりたいことを見つけることが出来ず、特にこれと言って特別なことをしてこなかった人には就活というのはとても辛いものということを少し実感しました。

就活なんてまだ始まったばかりなのに何言ってんだ、こいつ」と言われるかもしれません。ですが、第1志望をすでに落ちている身としては今後の就活なんて消化試合みたいなものです。やる気なんて全く出ません。

親に言われた通り、院に進むのも手だとは思っているのですが、今の研究室でやっていることを院に進んでまでやりたいか?ってなるとやりたくないです。

研究室も割と適当に選びましたからね。正直、結構後悔していたりします。ゲーム開発に全く関係の無いことですし。


新卒採用なんて人生で1度しか経験出来ないことなので、色々飛び込むのもありなんですかね...

2019-03-06

就活生に告ぐ》大学ジャーナリスト戯言なんてあてにするな

なんか大学ジャーナリストが、就活生の不安をムダに煽っている。どうせ自分の飯のタネ必死にこさえているのだろう。

https://news.yahoo.co.jp/byline/ishiwatarireiji/20190227-00116339/

あくまでも一般論であるが、就活に関するコラムで、作家ライターが書いたものを当てにするべきではない。

読むべきものは、日々現場採用に携わっている人か、少なくとも会社で働いている人が書いているものに限る。

なぜ大学ジャーナリストが、自分に「学生エントリーシート」を評価できるスキルがあると思いこんでいるのか理解に苦しむ。

就活生のエントリーシートがしょぼすぎる!」なんて煽ってるのは、自分Yahoo!個人アクセスに応じて原稿料をもらうためだ。就活生のことを本気で考えているわけではない。

特にこの人は、自分では就活に失敗しているし、会社でロクに働いたこともないし、なにしろ採用に携わったことがない。でも、態度のデカさだけでここまでやってきた。

まあ、自力で生き延びるようとしている人は、他人からとやかく言われる筋合いはない。ただ、弱いものを騙して生き延びようとする存在は、放置すべきではないだろう。

滑稽なのは「問:学生時代に頑張ったことは何ですか?(400字以内)」について、図々しく添削例を披露していることだ。

はっきりいうが、添削したものと元のものとでは、大した違いがない。元のもので通らなければ、添削のものでも通らない。

就活というのは、そんな片手間の手練手管で突破できるものではないのだ。なめてはいけない。

何が悪いのかというと、ネタの選定だ。ジャーナリストであっても編集者であっても、共通する認識がある。それは「ネタが8割」ということだ。9割、いや、すべてと言ってもいいかもしれない。

から添削で真っ先に指摘すべきは「私が大学時代に頑張ったことは委員会活動」では、ネタとしてまったく弱いということだ。

弱いネタしかないときは、どうするのか。

1つ目の対策は「強いネタ差し替える」ことだ。4年間を見渡し、本当に自分が力を入れたことを率直に振り返るしかない。

そのときに「学業バイト」という凡庸ものしか出てこなくても、落胆する必要はない。それは事実からだ。事実であれば、いかにも取ってつけたような「委員会活動」よりも、ずっと説得力がある。

できれば「学業」と「バイト」の中に、なにか興味をひいたものがあれば、その部分にズームインすればいい。

2つ目の対策は「弱いネタを組み合わせる」ことだ。弱いネタ1本で押し切ろうとしても、無理が出る。

だって、実際に委員会活動にばっかり力を入れたわけじゃないだろ? そんなもん、4年間の学生生活に使った全エネルギーの中で、3%にも満たないはずだ。

実務に携わらない作家ライターは、就活突破するための作り話で何とかなる、と勘違いしている。就活は、そんなに肩肘張って臨むものではないのと同時に、そんな風になめて臨むべきでもない。彼らは、そのさじ加減を理解していない。

から普通に、こう書けばいいのだ。

学生時代に力を入れたことは、学業が6割、バイトが4割くらいです。学業は専門のマーケティング勉強面白くなって、関係する選択科目も受講しました。ゼミ社会心理学の○○○○先生のところに入りました。大学に入って初めて知ったことが多く、まだまだ勉強が足りないと感じているので、これからもいろんな本を読んでいきたいです。バイト飲食接客運送などもやりましたが、自分に一番合っているのは家庭教師かなと思いました。できない子を伸ばすためには、時には辛抱強く待つ必要があると知ったのが一番学んだことです。あと、印象に残っているのは、1年と2年のとき体育会委員になってテニス講習会担当したことです。2年のときには副委員長になったのですが、参加者を増やすために募集期間を延長したり、プロ選手を呼んでメニューの魅力を高めたりして、前の年の1.5倍の参加者を集めたときには達成感がありました。」(393字)

かいところは勝手推敲すればいいけど、これが普通大学生の4年間なのではないのか。別に海外事件に巻き込まれたりしなくていい。悪いけど、そんな話はいくらでも聞きますから、もう飽きてます

そんなことが聞きたいのではない。こういった普通の話を聞きながら、この中で引っかかりがあれば、面接担当者が質問するので、そこでリアルな内情を打ち明ければいいのだ。

「なるほど。プロ選手を呼んだんだね」

「ええ。実はそのプロ選手というのが、○○さんで…」

「へえ、どうやってお願いしたの?」

みたいな話は、後でやればいい。

あ、もう晩酌時間だ。あとは君らに頼んだぞ。高名な大学ジャーナリストと、普通サラリーマンおっさん。どっちの方が信用できると思う?

2019-03-05

anond:20190303053447

ありがとうございます

やっぱり、今のバイト先にそのまま就職する事が現実的なように思えて来ました。

人手が足りないようなので、事情説明して給与を上げてもらえればと考えています

一応、他の企業エントリーシートを書いたり、SPIプログラムテストをやってみたり、web面談を設けてもらい、話をしたのですが、自分は恵まれ環境に就く事は難しそうです。

それならせめて自分を知っている所に行くほうがいいんじゃないかと...

転職はいずれあると思いますが、それまでに専門的な知識をつけるようにします。在学中にそれができなかった自分が何を言っているのかという感じですが

2019-03-04

エントリーシート書くのすっごい楽しくて、どこ受けても私ならぜんぶ受かるような気がしていて、わくわくしながら結果を待って、ようやく届いた最初の合否は否だった。とりあえず全画面表示でフリクリを観て、寒さに震えながらタバコを吸って、おかし思考が起こらないようにする。3mgくらいで美味しいタバコ教えてください。今吸ってるのはチェブランコ

ここまで運で生きてきた人間から、それを実力だと勘違いしたい浅ましい人間から、なんかそんな気持ちになってしまう。私ならいけるっしょみたいな。全然いけなかったのめっちゃうける。私はこんな感じでいろんな企業自信満々で受けてあっさり落ちてなんだかなあみたいな人生送るのかな。無能のくせしてプライドだけは高いんだから困っちゃうね。一社落ちただけっていうか、落ちたのも本選考じゃなくて前哨戦インターンみたいなやつだし、それだけでこんな気持ちなっちゃうのかわいそう。やりたい仕事いっぱいあるし、私ぜったい優秀に働くんだけど、とかそういうふうに考えちゃうのかわいそう。謙遜って言葉知ってる?就活謙遜してもしょうがないんだけどさ。私こんなに優秀です!!!!って言わないと受からないんだろうけど、そういうスタンスでいって落ちたときしんどいじゃん。今まさにそれ。嘘ついても良いことないしそんなに器用じゃないか本音でいくけど、否定されたときしんどいじゃん。どういう心の持ち方したらいいのか全然わかんない。なんだかんだなるようにしかならないんだろうけど。やるしかないんだけど。心を守りながらがんばるしかいからがんばる。最善を尽くしてもだめなときってだめだからさ、とりあえずやることしか私にはできない。ありがとうフリクリチェブランコ

2019-02-07

anond:20190207162041

エントリーシート社会的認知されていないWebサービス名前を書いたら、世間知らず/コミュニケーションが取れないというロジックがよくわからないのですが、もう少し詳しく説明していただけますか?

知られていないサービス名前が出てきたら、どういうサービスで、なんのために使っているのか、というような質問につながるのが当たり前の会話だと思うのですが。

もしかして自分エントリーシート質問意図勘違いしているのでしょうか。

2019-02-03

anond:20190202200308

プロゲーマーウメハラって人いるんだけど

この人、自分名前漢字で書けない

でも、格ゲーめっちゃ強い。

要するにプロってこういうこと。そのラーメン屋の店主も

ラーメンパラメータ全振りでそれ以外はガン無視なんだろうね。

ウメハラの一番凄いところは、格ゲー以外の全てを捨てていること

格ゲー完全特化型とでも言えばいいのかな、それが根底にあるんだよな

俺が好きなウメ名言にこういうのがある

  (格ゲーで強くなる秘訣は何ですか?と聞かれて)

  「格ゲー以外でいかに弱くなるか、ってことじゃないかな」

人間能力の総量ってのは決まってて、みんなそれを色々な事に割り振って使ってる

から格ゲーやりこんでるやつでも、実はそこに充てられてる能力は10%くらいに過ぎない

ウメハラはその残りの90%をいかに減らすかって理論なんだよな

他の事に使う90%を削って削って削って削って、格ゲー100%の状態に持っていく

それができたのが世界中ウメハラただ一人だった、だから頂点に立った、それだけの話

その代わりウメハラは捨ててしまった他の全ての事は全然できない

格ゲー関係ない知識は少しも頭に入ってないし、自分名前さえ漢字で書けない

ウメハラ大会エントリーシートはいつもひらがなで「うめはら だいご」って書いてある

でも俺はその7文字ひらがなが最高にカッコイイと思う

立派な漢字名前を書いてる他のどの参加者にも、ウメ昇竜拳は負けないのだから

2019-01-15

今更そごう記事について思うこと

書いていてめちゃくちゃ今更かよ、もう二週間も経ったよって思ってしまったけど、書いちゃったから上げる。

パイを投げられている広告女性差別的外れがこないだ話題になったけれど、この一年でこういった女性差別もの見方が随分変わった気がする。

女性差別について、前なら、ひどいなあ21世紀になってもまだこんなひどいことが横行しているのかという気持ちだった。でも今だと日本だもんなそんなもんだろうなっていう気持ちになる。

あの広告をつくった人間がどういう気持ちでつくったのかは知らない。でも私にどんな文才があったとしてもあの広告にはたどりつかないだろう。

きっかけは就職活動だ。私は就職活動で初めて自分差別される側の人間だということを知った。

多分そういう女の子は少なくないんじゃないかと思う。

家庭内差別されたことは一度もなかった。成績の良し悪しについて性別理由文句を言われることもなかった。大学に行くことも反対されたことがなかった。祖母も喜んでくれた。

学生のうちでもそういう差別を見たことがなかった(単に私が気がつかなかっただけなのかもしれないけれど)。大学だって私の学科は男女比が半数だったのもあって肩身の狭い思いをしたこともなく、所属サークルの今の代の長は女の子だ。

ちょうど昨年まで運よく痴漢にもあったことがなかった。(よくよく考えれば高校下り電車に乗る関係痴漢ができるほど混んでなかったし、大学では田舎住みだった関係で朝は基本的に座ることができたのが大きかったのだと思う)故に私にとって女子差別とは過去のものという印象が強かった。

でも就職活動が始まるようになってそんなことないんだっていうことを有り有りと認識させられた。

説明会に行けば、女性の働き方というものがわざわざパワポで一枚使って表示させられる。育休から復帰する女性の人数ですと出される。女性社員の育休からの復帰率はわかったけどじゃあ男の人は育休とるの?って何度も思った。(これに関しては男性差別でもあると思う)

面接を受ければ、結婚後はどうしていきたい?出産後も働く?みたいなことを聞かれる。知るかよ、結婚するかもわかんねえよ、出産したいかわからんわ。

男の子であればこんなしょうもないこと聞かれないんだろう。男性社員だって育休とってがっつり子育てに関わりたい人だっているのかもしれないのに。

会社によっては、もっとからさまだった。エントリーシート通過後に説明会開催の企業では、私が希望した部署そもそも男性社員しかいないということを私は説明会で初めて知った。今年女性を取る気があったのかはしらない。でも、それを知った時点で私は何を考えたらいいのかわからなくなった。今となっては落ちてよかったなと思うけど。「重いものを運ぶことが多いから今のところ男性社員しかいないですね」みたいなことを言っていた。じゃあそれをどうしてエントリーシート書かせる時点で明記しておかないの?っていう気持ちでいっぱいだった。私の他にも女の子は何人もいたけれど彼女たちは何を思っていたんだろう。

最終面接直後に、「うちは女性社員が少ない会社だし、あなたを取るかはこれから会議にかけてから決めます。しばらく時間をください」って言った企業もあった。私が女だから会議にかけないといけないのかと愕然とした。面接説明会内では確かに女性は少ないという話はあった。別に私自身はそんなことあまり気にしないし、大丈夫ですと何度も言ってきた。

でも、私の性別が男だったらこんなこと言われないんだろうなって思ったらものすごく悔しかった。結局私がこの企業からOKもらえたのかはわからない。ここの結果を待つより先に他の企業内定をもらって、ここには断りを出してしまたから。

日本という国は私にとって生き辛い部分が少なからずあるのだ、ということを突きつけられたのが2018年だった。(ついでに就活中に初めて痴漢にあった。クソみたいな社会だなって余計に思った)

2018年の一月の私ならめちゃくちゃ文才があったらあの広告をつくったかもしれない。でも今の私には絶対に作れない。

だって、「わたしは、私。」、ということを訴えてもどうしようもないのだから面接という場において、「あなたという人物が見たいです、ありのままを見せてください」なんて言う面接官は多い。私も何度も見てきた。つまりわたしは、私。」を発揮する場所みたいなもんだろう。でも、その場で私はお前は女だからちょっと結果待っててよ。会議かけるわって言われたのだ。

たとえ仮に、「私は私です。女というレッテル判断しないでください」って最終面接後に会議しますっていった面接官に言ったところで何が変わるのだろうか?きっとその人は困った顔をしながらも、「そういう訳にはいかないから」としか言わないのだろう。

だって時代の中心は男なのだから。あの面接官は私の気持ちなんてちっともわからなかったはずだ。だってわかっていたら、「あなた女の子から会議にかけます」なんて絶対に言わない。あの面接官は自分社会の中心であるであるから、こんなことが言えたのだろう。私がその言葉にどのくらい深く傷つけられたのかなんて絶対に知らないのだ。

一人ひとりがつくればいい、という無責任さ、それが男の人が女に思う気持ちみたいなものだろう。仕事?いいけど家事もおろそかにしないでね、みたいなそれに近い。

女がパイを投げられる時代を終わらせるには、男が必要なのだ白人黒人が手を取り合って黒人差別に立ち上がるように、男と女が共に協力する世界必要だ。

あの広告をつくったひとにはそのことから目をそらさないでいて欲しいと切に思う。

2018-12-28

生きるのが辛い

もうすぐ2018年も終わり。

自分は今、関東から田舎帰省している大学生大学駅弁理系

今はほとんど荷物のない自分の部屋で死にたい気持ちと涙が出てきています

来年3月卒業しなければいけないのですが就職決まっていません。

内定がないんです。

理由吃音です。うまく話せないのです。

自分吃音を隠さずにどもっていいとも価値観で生きてきました。

これは間違いのようです。

子どものころ吃音のある学生大人交流する学校イベント??があって。

そこに参加しているスタッフさん、吃音を持った大人がこんな仕事をしているよ。

職場カミングアウトしているから堂々とどもりなさいって話していたけどこれはウソだったんだろうな。

履歴書面接吃音のことを堂々とカミングアウトしたけど相手にされなかった。

エントリーシートの段階で貴意に添えない結果が42社、運良く面接まで行けたところは5社。

ただ、自分の話し方がどうもダメだったらしい。

ある企業では帰り際に障害者枠で再度応募してくれないかとも耳打ちされた。できる限り早く連絡してくれということだった。

その時の自分はこんな心の狭い企業なんてこっちから願い下げだと思っていた。

でも今になって考えればこれは助け舟だったのかもしれない。

結局11月ころに大学学生支援室・キャリア支援室に相談したけど後の祭りだった。

なぜもっと早く相談してくれなかったのか。どうして吃音があること障害があることを堂々と

カミングアウトしてしまったのか。今の雇用情勢について解説があって自分がやっていたことは

全部裏目に出ていたことがわかった。吃音発達障害から精神障害者手帳を持つ方法もあると教えてもらえた。

就活開始時に精神障害者手帳を持って一般枠と障害枠両方で就活する

選択肢があったことも教えてもらえた。というかそうやって内定もらった同じ学部の人がいるということもわかった。

その人は東証一部上場企業障害者枠で内定もらったそうだ。大学側も入学当初から相談してくれていれば

可能な限り最大限の支援をすることもできたそうで拍子抜けだった。

自分がこれから精神障害者手帳をもらって就職活動しても半年の待機時間があるため障害者枠での応募はできない。

大学から留年したらどうかと言われているがそれはできない。

自分家族は母しかいない。留年できるほどの金の蓄えはない。

今の学費だって半分は自分バイトして穴埋めした。

悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。

所詮この世はウソや見栄や本音と建前なんだ。

吃音があっても問題ないって大丈夫だって就職はできるよって言っていた大学生大人の話を真に受けて信じてしまった自分馬鹿だった。

もう死にたい人生馬鹿らしい。

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