はてなキーワード: エントリーシートとは
こないだ内定が出たんだけど、金曜日に人事から連絡があって、「あなたのエントリーシートの内容が嘘だと連絡が入っている。本当ならば内定を辞退してくれないか。今後によっては内定の取り消しもありうる」と言われた。
確かに嘘をついていた。学際サークルで活動してたんだが、実績でいうと10だったものを2000~3000くらいにまで盛ってた。
同じ会社の内定者に、その学際サークルの人がいて、「嘘つくな」って注意されて、それで反論して、多分そいつが人事に連絡したんだろうな。
ずっと入りたかった会社なんだ。それで海外に渡って、インドネシアの石油化学コンビナートとかの事業開発に携わりたかった。それが目標だった。
俺の大学は大したことないんだけど、その会社の内定取ったの俺が一番の最初で、学生課の人も喜んでくれた。両親もそうだし、友達もそうだし、相談に乗ってくれたネットメンターの人も喜んでいた。
偏差値低い大学だったけど、TOEICはすごく頑張って、700点以上も取った。俺の大学では上位5本の指に入る成績だ。ガクチカとして自慢できるのはこれしかない。
はてな匿名ダイアリーにしてきた貢献といえば、自分よりも年上の人の考えが知りたくて、1回生の時からたくさん言及でコメントを打って話をしてきた。それくらいだ。あとはブクマ数0~3のクソ記事を量産したくらいだ。
あんまり貢献はできてないけど、今回ばかりは助けてください。自分で考えたけどダメでした。お願いします。
同日追記
長文の人、返信ありがとうございます。ほかの方も。
いや、ちゃんと就活なりなんなりをロクにやらなかったせいなのもあるけども。
元々理系脳では全くなかった。小学校のテストで算数はよく再テストになってたし。
高校受験の際市内でも割合レベルの高い学校も合格できると塾の先生から言われた。
でも当時家庭の事情もあって確実に公立校に合格したかったからレベルを下げて中の下くらいの高校を受験し、無事入学した。
思えばこの頃から努力や挑戦から逃げる癖や他人の目を気にする癖が付いてしまっていたのかもしれない。
そしたら学年2位の成績を取ることができた。もちろん苦手だった理系科目もだ。
当時僕は自動車とか飛行機に興味を持っていた。まあエー○コンバットとかグラ○ツーリスモの影響もあるし、中学の時離れていたミ○四駆を再開したってのもあった。
ちょうどテストの成績も良く天狗になっていた僕は自動車の開発に携わる人間になると三者面談で豪語した。
ただ決めたからには色々リサーチしておくべきだったのだが当時の僕は大学行けばまあなんとかなんやろみたいな感じでのらりくらり過ごしていた。
高校2年、数学系の成績が悪くなる。とは言っても充分上位にはいたので特に問題視はされず、教師からは是非この成績活かして推薦で大学に進んではと意見をもらっていた。
ここでその道に進むとはどういうことなのか、というのをきちんと理解していなかったのがダメなところだった。
高校2年の冬辺りから音楽ゲームの影響で音楽(電子音楽)ハマりだす。
コレが後々いろんな出会いを生み出すことになるし結果的に今の状態を生み出すきっかけになる。
推薦入試で県内の中堅私大に合格した。もちろんオープンキャンパスにも足を運んだ上で決めた。ただ今思えばここで「県内で近いし大学生になれるならココでいーや」みたいな気持ちがあったのも事実かもしれない。
推薦が決まった後はまあそれなりに真面目に授業を受けつつ、友人が音楽製作始めていて僕も興味あるしやってみるかとiPhoneでいじくり始めた。
そしたらまあ思いの外楽しかった。ただ今思えばココでちゃんと音楽の勉強とか自分でしておけばよかったと後悔している。
前期はまあそれなりに突破した。後期基礎科目なのにも関わらずいまいちついて行けず二つ単位を落とし、物理の授業はほぼお情けで合格と言ったところだった。
この時点で専門科目よりも教養とか英語とかの授業の方が楽しいと感じていた。今思えばこの気持ちに正直になっていればと思う。
世間は大学生らしいことができないだのなんだので騒いでいたが、僕は電車に乗らんでいいし色々ラクできるしええやんみたいな気持ちになっていた。
というかこの時点でもう自動車開発とかの気持ちはなくなっていた。この頃に音楽製作によりハマりだして色々買い揃える。ただ基礎からの努力を怠っていて色々不便を感じることもある。(この基礎からの努力を怠る悪癖は後々牙を剥く)
オンライン授業のせいにするわけではないが、大して理解せずともまあ単位は取得できた。できてしまった。
しかし、メールとか掲示板とか見ないバカだった僕は就職ガイダンスにロクに参加しなかった。というか気づいてなかった。意識クソ低い系の学生だった僕はインターンとか意識高い系のすることやろとか思っていた。今考えるとアホ極まりない。
というか今考えると意識的にシャットアウトしてたかもしれない。
同時にもう大学の授業に面白みを感じてなかったが、真面目系クズな僕は超低空飛行ながらも単位を取り続ける。
ここいらで自分の考えていたモノ作りはある種芸術的な方向であったと気づくべきだったかもしれない。
というか大学生になるべき人間ではなかったことにさっさと気づくべきだった。
もうこの頃には自動車の開発とかには全く興味がなくなっていた。研究室の配属希望を出すが、自己PRの解釈を間違えてクソみたいなことを書いたら第六希望くらいの大して興味もない研究室に配属される。
秋辺りからポツポツと1dayインターンとか行き始める。ちなみに自己分析だのspi対策だのES雛形作成だの全くしていない。
機械科だから機械の仕事をすべきみたいな考えでその辺りの会社を見ていた。
特に企業研究とかしていなかった。バカだ。この時点で音楽のが楽しくなってそっち方面で何かできたらと考え始める。
そうこうしてる内にまあちょっと音楽関係でいいことがあったりとか実験がクソ忙しく(実際にはレポートとか課題とか先延ばしにしまくってたクズ)なって就活から遠ざかる。
というかオンラインのガイダンスも後でまとめて受ければいいやで先延ばしにしてそのまま忘れるんだが。
合同説明会とかにも行き出す。今更かよ。合同説明会に行き、通路を通っただけでウチどうですかどうですかと声をかけられて、顔を覚えられたりして恐怖を感じ、トイレに逃げたりした。
3月、エントリーが本格化してくる時期。ようやくエントリーシートなどに取り掛かり始める。が、ここで最悪のつまづきをする。エントリーシートが全く書けない。そもそも将来のビジョンって自分にあるのか。学生時代何を頑張ってきたのか。自分は何をしたいのか。何者なのか。急激にどうにもならなくなってくる。今思えばうつ病に両足突っ込んでいた。ロクに寝れなくなった。食欲もなくなり、ゼリーをかろうじて胃に流し込む日々。
コレもすべて大学生活、もっと言えば高校生から自身の適性やキャリアプランを考えなかったツケなのだが。
こんな就活のしの字も分からない自分に誰かを頼る資格もないと考えひたすら内側で自問自答する日々。
就活の助けになるだろうと登録したエージェントからはメールや電話爆撃で電話に出るのも怖くなる。
このままじゃもうニートまっしぐらだ。周りに自身の、周りからいい子だと言われ続けた自分がこうなってしまうなんて。このままじゃ大学の名前にも傷が付く。
そんな気持ちで一杯になった自分は急に自殺しようと自室の窓から飛び降りた。まあ直前で怖くなってしがみついたおかげで打撲と派手な擦り傷で済んだのだが。まあしばらくは上手く歩けなくなった。
この頃はロクに思考も出来てなかった。よく嘔吐もした。体重も落ちた。
昔からその場の楽ばかり選び、他人からいい子で見られる為に生きてきたことに気づく。真面目系クズだ。
そんな中、企業の方との面談が入る。そこでなぜこの大学に、この学科に入ったのですかと聞かれる。
そこでクソみたいな思考の僕は焦点の合わない目でこう答えた。
クソみたいな考えだ。
そんな最中母親からこう提案される。音楽に興味があったなら卒業後に専門学校への進学も視野に入れてはどうかと。
昔(特に高校生)の僕はストレート大卒ではないといけないという考えに囚われていた。周り道した人と出会わなかったのもあるが。
作曲を仕事にするのは難しいが、音響のこととかなら視野に入るのではないかというアドバイスも貰った。ちょっとその気になりつつ、それがある種就活からの逃げではないかと罪の意識に囚われ、いまいち吹っ切れない。
この頃は理由もなく突然泣き出したりとかもよくあった。
そんな状態で4年生卒業研究が始まる。もうこの時点で単位は卒業研究以外すべて取り切っていた。
まるで興味のない分野、そもそも興味が薄れていた専攻、そしてこのような精神状態。決まったテーマも希望のテーマから外れた。
研究室で昨年の論文に向き合う。が、何も知識がない、というか応用することが全くできなかった(数学は公式を暗記して解くモノと思っていた)僕はもう何も理解することができなくなっていた。周りはどんどん前に進んでいるのに自分はどうして何もできないんだという気持ちになり、ますます自身を追い詰める。
研究室に行っても全く集中出来ず、じっとしていられなくなって席をよく立ったり、昔からの癖であった消しゴムとペンの戦いごっこが辞められなかったり、高校数学の知識が抜け落ちてたりしていた。というかどのように卒論を進めて行けばいいのか、という計画もできない。とはいえ研究室には行かなければという気持ちで毎朝嘔吐したりしていたがなんとか向かっていた。
5月、半ば辺りから徐々に食欲とかは回復していった。とはいえ、集中力散漫なままだし頭の中にずっとラップがかけられている感覚は抜けないし、風呂に入る気力もなかったり、帰宅すれば即寝落ちみたいな日々が続くのだが。研究報告のパワポもロクに仕上げられず、自身を殴ったりした。
そんな中共同研究者が失踪した。後で卒業研究2年目の先輩に聞いたのだが去年も1人失踪したらしいしなんなら所属学生全員卒論落とす可能性もあったとかなんだとか。
自身のテーマに関係する部分の勉強会に参加した。しかし、教授の言ってることがまるで分からない。どうにもならない。卒論は書けるのか。
こんにちは、トンボ鉛筆の佐藤です。改めて地震の方は大丈夫でしたか?
このメールを配信した中には、被災されている方が多数いると思います。
直接的な力にはなれないですが、私自身、都内から自宅のある埼玉まで徒歩で8時間かけて帰宅して、実際の東北の方に比べる程のものではないですが被災の怖さを感じました。
さて、先日は咄嗟のメールだったので、返信しなくても大丈夫ですからね。
会社は大丈夫です。揺れは大きかったですが、今のところ大きな事故・怪我の連絡は入っていないです。
本当は週明けに全員に送ろうと思っていたメールです。
こんなことくらいしか出来ませんが、履歴書とESをお送りします。
ただ、非常に厳しい条件をつけさせていただきます。
その条件とは1点だけです。
書類選考を希望される方は、添付の専用履歴書とエントリーシートをご確認いただき、3月15日(火)消印有効でその2枚をセットにし、下記までご郵送ください。
直前に説明会へ予約が出来た場合は、ひとまず書類持参でお越しください。
自分で考えてみてください。
皆様にも言いたいこと、不満があるのは重々承知していました。
全部ではありませんが、私も様々な心の奥にある声を見て・聞いています。
面接官は自分のエントリーシートを見て、公立高校出身だと分かると、
俺は正直に「割と荒れた学校でした、所謂不良も多かったです」と答えた。
面接官はその後も出身校がどのくらい荒れていたのか、(○○さんは)どう過ごしていたかを尋ねてきた。
本当の事だったけど(一応現役で早慶に進学している)
そう言った瞬間、面接官の表情は一変した。
「君はそんな環境から一流大学に進んだのだから優秀なのは分かる。
だがしかぁし、会社で働くには協調性が必要だ。空気を読めない者に社会人は勤まらない。君はどう思っているんだ」
強い剣幕で面接官に問い詰められた。
自分は萎縮してしまったし、険悪な雰囲気のまま面接は終わった。
後で知人に「何が悪かったのか?」と愚痴った所、こう答えられた。
「荒れていた学校でちゃんと勉強していたと自称する、意志の強さアピールは、
「また、出身高校の偏差値に似合わない、抜け駆けするように一流大学に進学した人間は、
自分の業績を上げるためなら場の空気を乱すような社会人であると捉えられる。
学年で一人だけ一流大学に進学したような(君みたいな)人間は、蛇蝎のごとく嫌われるだろう」
地方の荒れた学校で、孤立しながらも勉強して一流大学に進学し、
やっと就職出来た会社がコロナの経営悪化で大幅に経営縮小、からのリストラ。
再チャレンジしたかったけど、この調子で全く転職先が決まらない。
貯金は底を尽き始めている。
苦しい……
そもそも確認ミスにより日本国籍の人を他の国籍と決めつけて一方的にキャンセルしたのは非常に失礼であり、不適切な対応だ。
だが、外国籍の人を断っている理由だけを見ると、就労ビザの実情を知っている者から見れば割と納得のいくものである。
Twitterで「外国人の店員いっぱいいるじゃん」「外国人差別だ」と言ってる人がいたので、匿名ダイアリーを使ってみたかったこともあり、知っていることを書いてみようと思う。
留学生(留学ビザを持っている人)はアルバイトをすることができる。
留学ビザは、かなりアバウトにいうと学校が申請して外国人学生に渡すものだと思っていい。
アルバイトは就労時間や一部の職種(風俗業など)に就いてはいけないといった制限はあるが、ほぼ日本人のアルバイトと同じように働ける。
※留学ビザ以外にも定住者や配偶者ビザなど、アルバイトできる資格はいくつかある。
就労ビザは企業が申請して外国人従業員に渡すものだ。慣れてない企業だとかなり手間がかかる上に、就労ビザの条件は厳しく、専門学校や大学で学んだ分野と関連性がない職種にはビザが出ない。
割と簡単に取れる『特定技能』というビザもあり、こちらは飲食店に就職することができるが、総合職や人事などには就けない。レストランでホールやキッチンなどをするのが主な業務となる。
店舗にいる外国人店員のほとんどが留学生アルバイトか特定技能ビザでの社員だと思う。
そして総合職などに就職する場合は『技術・人文知識・国際業務』という就労ビザが必要になるが、前述の通り大学等で関連のある分野を学んでいる必要がある。
だが総合職や人事に関連する専攻に当てはまる分野とは何か?と考えるとかなり限られてくる。(というかほぼないと個人的に思っている)
昔は、表向きは通訳として雇い実際はキッチンをさせているというゆるい時代もあったのだが、最近は厳しくなってきて少しでも専攻分野と仕事内容が違うことが判明するとビザが取り消されることもある。
つまり吉野家がインタビューで述べた「技術・人文知識・国際業務ビザの取得は非常に困難であり、内定取り消しをせざるを得なくなったことが一定程度ございました」というのは事実だと思うし、
「ビザの取得をできず内定を取り消された方の心象を慮るあまり、外国籍の方は新卒の会社説明会のご応募をいただいても参加をやむなくお断りしておりました」についても
『心象を慮るあまり』は綺麗事という印象を受けるが、せっかくエントリーシートや履歴書を作成して提出してから断られるよりは最初から断ってくれたほうがいいという志望者もいるだろう。
ちなみに就労ビザが出なかった事例として「留学ビザでアルバイトしていた時期に時間制限を超えて働いていた」というものもある。
企業側が職種や専攻などいくら気をつけても、思いがけない理由でビザが出ない可能性があるのだ。
そして、吉野家だけでなく他の企業でも同じ理由で外国籍の人を避けるケースは多い。
わざわざ手間を増やして取得できないかもしれない就労ビザを申請するより、日本人を雇ったほうが早いからだ。
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これらは差別と言えばそうなのかもしれない。
しかし、仮に全く同じ条件の人間が二人いたとして、片方が同じ国籍でもう片方が外国籍だったらどちらと結婚したいか。
対話能力や文化・価値観の違いによるトラブルが少なそうなのは?
繰り返しになるが、今回の吉野家の件で論点になっているのは「確認ミスにより国籍を勝手に決めつけて不適切な対応をした」ことである。
こんにちは、トンボ鉛筆の佐藤です。改めて地震の方は大丈夫でしたか?
このメールを配信した中には、被災されている方が多数いると思います。
直接的な力にはなれないですが、私自身、都内から自宅のある埼玉まで徒歩で8時間かけて帰宅して、実際の東北の方に比べる程のものではないですが被災の怖さを感じました。
さて、先日は咄嗟のメールだったので、返信しなくても大丈夫ですからね。
会社は大丈夫です。揺れは大きかったですが、今のところ大きな事故・怪我の連絡は入っていないです。
本当は週明けに全員に送ろうと思っていたメールです。
こんなことくらいしか出来ませんが、履歴書とESをお送りします。
ただ、非常に厳しい条件をつけさせていただきます。
その条件とは1点だけです。
書類選考を希望される方は、添付の専用履歴書とエントリーシートをご確認いただき、3月15日(火)消印有効でその2枚をセットにし、下記までご郵送ください。
直前に説明会へ予約が出来た場合は、ひとまず書類持参でお越しください。
自分で考えてみてください。
皆様にも言いたいこと、不満があるのは重々承知していました。
全部ではありませんが、私も様々な心の奥にある声を見て・聞いています。
コミュニケーションって対面での会話だけじゃなく、文字でのやりとりもあるやろ。
ホワイトカラーの仕事をしていると正確な読解とお客様に好感を持ってもらうための文章力が求められるシーンが結構ある。
作品を通じて四年間作者とのコミュニケーションを学んだ君の専門性を応用できる仕事は色んな会社にもあると思うよ。
君が活用するであろうリクナビやマイナビの各社紹介文も、自社に好感をもってもらおうと思って誰かが書いたものだし、
エントリーシートも良い人を取ろうと思って一生懸命精読する人がいる。
社内や社外とのやり取りはメールが一定割合を締めているし、slackやTeamsのようなビジネスチャットツールも普及している。
文字が「ちゃんと」読めて書けるって日々の業務の品質に関わるから馬鹿にできないのよ。
その年いちばん面接回数が多い人事担当者より、リクナビの紹介文の方が就活生に訴求した回数が多いことは直感でわかるやろ。
ブログをやっている会社も多いけど、大抵の会社の記事より君の書いた増田のほうが読まれた回数が多そうなことも……
付け焼き刃で劣化陽キャみたいなことをやる前に、文章とはなにか、文学部での勉強は本当に仕事の役に立たないのかをちゃんと突き詰めるほうが先じゃないかな。
就活ストレスがある状態で苦手な対人コミュニケーション方向にパワーを割くとメンタルに修復不可能なダメージを受けるタイプに見えておっちゃんは心配なのよ。
メンタル的に結構ギリギリな気がして、夜中に起き出してこんな記事を書き始める程度にはね。
おっちゃんの時代には、対人コミュニケーションが苦手なのに応募書類を盛って、
飛び込み営業職とかフルーツの路上販売とかに採用されて病んじゃった子がそこそこいたけどそういう仕事がやりたいわけじゃないやろ。
今在籍している職員の社会的属性と査定状況の突き合わせをベースとして、入庁後に活躍できそうな要素、逆に活躍できない可能性がある要素について、各面接室のリーダーに共有していた。
また、受験者の内定受諾関係の統計から、実際に内定を受けてくれる可能性についても情報を与えている。私がK市の職員台帳(驚くほど何でも載っている……)のエクセルを弄りまわして統計分析にかけた結果、導き出したものだ。
このチェックリストに該当すると、面接官の主観的要素において面接結果に作用することになる。その一部を示そう。□がポジティブで、■をネガティブとしている。()内は備考。
以下のリストには、面接試験の最中に情報を得にくいものもあるが、2次試験で配布する指定用紙に記入欄を設けることでほとんどカバーできる。
【ポジティブチェックの例】
□ 男性であり、結婚している(必ず優秀というわけではないが問題職員になりにくい)
□ ひとつの組織で3年以上働いたことがある(入庁後に早期離職しない)
□ 出身校(小中高)の2つ以上がK市内にある(地元への愛着がある)
【ネガティブチェックの例】
■ 女性で子どもがいる(公務よりも子どもを優先する者が多い。入庁1年目での産休や育休など)
■ 男性であり、30才以上で親と同居(子どものような性格や行動をする人間が多い)
■ 他市町や民間企業の残り玉がある(内定受諾率が有意に低い)
■ 入庁後にK市に住む意思や予定がない(〃)
※1…あくまで面接官への情報提供である。面接試験は100%採点表に基づいて実施される。
※2…病気や障害、家庭環境など、本人の生き方と関係ない要素はどれだけ査定と相関関係が強かろうが情報提供はしていない。一応付言しておく。
第3章の終わりに、「とはいえ、内定を取るための裏技もあるんでしょう!?」と気になっている読者に、何点かの特別事項を示して結びとする。いわゆるコネというやつだ。
ここでは、合法的なコネ(採用試験の前に自分をアピールする方法)について2つの観点により説明する。非合法なやり方は示さない。
これが一番手っ取り早いうえに、やる気をアピールできる。ここでは、あなたが学生もしくは若年層だとする。
官公庁はあまりインターンシップをやらないし、やったとしても狭き門だ。しかし、一般向けのイベントであれば、ちょっとのやる気で意欲を示すことが可能だ。〇〇美術展や〇〇スポーツ大会、〇〇コンペなど、誰でもエントリーできる行事に参加してみるのだ。何年も参加していれば、幹部クラスの職員に顔や名前を覚えてもらえる。
ここでは3つ、前例を示す。
①.
K市の美術展で中学生の頃から入賞し、高校生の時には全国レベルの賞をもらった子がいた。その子の面接官を務めたのは、当時の美術展の所管課において責任者を勤めていた人物だった。その子は3種類の面接試験を危うげなくパスし、内定を獲得した。面接官いわく、「エントリーシートを見た時点で入庁してほしい」と感じていたとのこと。
②.
成人式の新成人代表で祝いの詞を述べた子。その子は、K市の広報誌の募集を読んで新成人代表への挑戦の意を表した。祝いの詞を自分で考え、成人式のステージで発表を行った。その子は、翌年採用試験を受けたが、残念ながら不合格だった。おそらくだが、祝いの詞の最後に、「将来はK市の職員になりたいです!」と言ってしまったため、自意識過剰であると捉えられた可能性がある。惜しいパターンだ。
③.
子ども議会で将来のK市についての政策提言をまとめた子。当時は中学3年生だった。それが大学を卒業する段になって、K市へのUターン就職を決意し、採用試験を受けた。その子が政策提言を発表した時に議場にいた職員らが、面接を受けた時には上級の職へと昇進していた。そのうち1人が、当日記の序盤で登場した副市長だった。その子は最終面接で最高の評点を与えられ、晴れて主席内定者となった。ただ残念なことに、その子は内定を辞退した。その人に内定を出した時の副市長の嬉しそうな顔と、また反対に落胆した顔は今でも忘れられない。
これが広義のコネだ。一般の人が想像しやすい形だろう。人事への働きかけができる人間に自分を推薦し、点数を底上げしてもらうのだ。これは、ある程度選ばれた人しか使うことができない。
ところで、世間的には極端なイメージでもって、こうしたコネ(縁故)が語られることが多い。まずは、昭和から平成初期までに行われていた伝統的なコネ採用について説明する。
(以下、説明)
昭和の時代にこうした採用が行われていたのは、公務員業界が人手不足だったからだ。K市の昭和60年頃の採用試験倍率は、2.5倍程度である。最低でも10倍はほしいところだ。あまりに倍率が低すぎてロクな人材がやってこない。そんな状況の中、冒頭で述べたA夫さんのような人が多く採用されていた。
当時の地方公務員(特に市役所)は、『民間企業で稼ぐ力や意欲のない、覇気のない人間がなるもの』とされていた。今でこそ、上場企業の平均年収≒地方公共団体の平均年収という関係が成り立っているが、当時は上場企業の方が明らかに高かった。私の記憶では、当時は年収ベースで1~2割程度は上場企業が上回っていた。え、なに? 私の年齢? フミコフミオ氏と同じ年だ……。一応、家内もいる。社会福祉協議会に勤めていて、ひたむきな性格の優しい人だ。
話を戻そう。そんな状況だったので、昭和時代の幹部職員は、役場内の優れた職員の子どもや、地元有力者の子弟や、町内会長の紹介など、使える手はすべて使って優秀な人材を確保しようとした。コネ採用は当時も違法行為だったけれども、時代が許していた。
それがバブル崩壊の数年後を機に、公務員人気が高まるにつれて違法行為の様相が強くなった。コネ採用が判明した一部の自治体は、首長などの幹部職員が引退や検察起訴に追い込まれるようになった。K市においては、1995年頃を境として、それまでとは比べ物にならないレベルの人材(一流大卒や民間経験5年以上など)を採用できるようになった。
(説明終わり)
とあるAさんが、いま在住している自治体の職員になりたくて、かつ上の条件を満たしている(親が優れた職員である、地元有力者に知り合いがいるなど。以下まとめて『有力者』とする)のであれば、以下の手順を満たすことで、法を犯すことなく自分をアピールできる。
[ステップ1]
Aさんが『有力者』に対し、自分を市の幹部に紹介してもらえないか尋ねてみる。
[ステップ2]
Aさん側の『有力者』が、採用試験の責任者(または特別職)と会談する。「あの人とこういう繋がりの〇〇さんという人が、今度採用試験を受けます」と連絡する。相手方は、「ほう、そうなんですね」と反応する。これでステップ2は終わりだ。
※これ以上は発言するべきではない。例えば選挙に出たい人がいたとして、告示期間前であれば、「〇〇選に出馬します!」と宣言するだけなら公職選挙法的にセーフとされているだろう。それに似ている。
[ステップ3]
ここからは時と場合による。文書に残さない形で協議を重ねることもあるし、協議自体が行われないこともある。なんというか、こういう形の行為というのは「空気感」である。
コネ採用を行ってはならない――という考えは、幹部職員や特別職の間でも共通見解である。ここまでリスクとリターンが嚙み合わない行為はない。表沙汰になった時点で、どんなに偉い人間でも職を辞さねばならない。検察への起訴もセットだ。
後は、Aさんが筆記試験で足切りにならない程度の点数を取ればよい。採用試験の責任者がAさんに配慮してかせずか、そういう結果になるように面接試験のセッティングを行う。以上だ。
身も蓋もないことを言う。地元有力者の子弟は、こんなことをしなくても普通に採用される。当人の能力や人格レベルが素で高いことが多いし、事前情報がなくてもわかるのだ。外見に、苗字と出身地、その他履歴書の内容だけで「あの〇〇さんの子どもか血縁者だな」と。苗字が珍しいことが多い。
市役所の採用試験であれば、能力よりも人格や人柄を見る。私が面接官を行っていた〇年間において、最終合格者の筆記試験最低点は35/100だ。35点しか取れなくても、一次試験の面接で5段階中の4がつけば無条件で二次試験に到達できる。理論上は0点でも通過可能だ。さすがに二次試験で落ちるだろうが……。少なくとも、K市の採用試験はそういうルールで運用していた。
ちなみに、35点の子は笑った顔が素敵だった。話し方はふんわりとしていて、それでいて長すぎず短すぎず、話の内容も伝わりやすかった。こちらの質問の意図も理解している。性格適性検査の結果も正直者と出ていた(あれは信用できる。統計学の力は偉大だ)。市長も、副市長も、かくいう私も、あの笑顔にノックアウトされてしまった口だ。今思い出してもあれはずるい。
知り合いの大学生の男の子が来年から就活するとのことで、無性にアドバイスしたくなった。
自分が新卒時に失敗したから、反面教師にしてほしいんだよなぁ…。
なんと4社も経験していて、今は地方でひっそりしがない自営業をしている。
30代後半で年収が400万円弱なので、同世代と比べたら全く稼いでない方だと思う。
それは、そもそも自分に合う仕事や会社がわかっていなかったからだと思う。
なのに、どこも全く合わなかった。
どこもよく社風や経営方針などを調べず、「内定取れたからここでいっか」という感じで決めてしまった。
これが大きな間違いだった。
新卒時に入ったのはインターネット広告の会社で、就活仲間が受けていて「何となく面白そう」というだけで選んだ。
入社して、ゴリゴリの営業会社だということと、突然出社しなくなる人が多いブラック企業だと知ってめちゃくちゃ後悔した。
もちろんすぐに辞めた。
ただ、結果を出していたのと第二新卒扱いだったこともあり、幸い転職先はすぐに見つかった。
ここが地元で人気の優良企業だったのだが、配属されたのが新設の部署だったため全く社内にノウハウがなかった。
基本的に新入社員に丸投げするスタイルで、上司は指示もしない。
誰とも仕事の話ができない。
上司がたまたま異動で来ただけの人で勉強中という感じだったので、むしろ教えることばかりだった。
こういった状況だと知らずに入って、めちゃくちゃ後悔した。
ただ、前職と違ってブラック企業ではなかったので非常に辞めづらかった。
にもかかわらず、段々辛くなってしまった。
数年働いてから辞めたのだが、もちろんわたしのように合わないから辞める人はほとんどいなかったので、当時はめちゃくちゃ自分を責めた。
働いてみて、自分は広告もマーケティングもそれほど好きじゃないことに気付いた。
新卒時に自己分析をもっとしていれば、絶対にこんなことにはならなかったと思っている。
こんなこと就活のプロからしたら当たり前なのかもしれないけど、まずはちゃんと自分の長所・短所・向き・不向きを知ること。
このふたつがめちゃくちゃ大事。
就活も同じ。
どれだけ時間をかけて自分を知り、業界や企業を知り、対策するかで決まると思う。
新卒時にインターネット系の人気企業を手あたり次第受けていたのは、本当に時間の無駄だった。
なぜ本当に自分のやりたい仕事が何か、それはどんな内容でその仕事は本当に自分に向いていそうかどうか調べなかったのか。
当時の自分をぶん殴ってやりたい。
SPIもまともに勉強しないで適当にエントリーシート書いて面接受けてたら、そりゃ二十社近く落ちるわって話だ。
プロのアドバイスを求めたり、就活本を徹底的に読んだり、もっと本気で対策すればよかった。
超ホワイト企業を辞めた後、あまりに暇だったのでWebメディアで好きなことを書いていたら、運営企業から誘われて入社することになった。
インターネット系ではあるものの、メディアの運営は未経験だった。
これがたまたま向いていたようで、かなり社内外で評価され、結果も出せた。
辞めた後に見たクチコミサイトにはちゃんと「この会社はワンマンなので気を付けて」「部署によって全然文化が違うので要注意」などと書かれていたので、事前に確認しておけばよかったとめちゃくちゃ後悔した。
4社経験して、もう会社勤めは懲り懲りだと思い、自営業を選ぶことにした。
一人で気ままに仕事したい。
向いている仕事なんてやってみないとわからないけど、本当に好きでやりたい仕事なら続けられる。
新卒時は、これがわかっていなかった。
会社の知名度や人気度、給料の高さ、「興味がある」程度で就活するとわたしみたいに後悔するかもよ、と言いたい。
合わない会社に入ってもすぐに辞めることになるので、第一志望だろうが落ちた会社は本当に入らなくてよかったと思った方がいい。
単に自分と合わなかっただけなのだから、落ち込む必要は全くない。
もちろん、自分の好きな仕事イコール向いている仕事ではないかもしれない。
大体どんな仕事も、失敗したら原因を探って対策を練ればどうにかなる。
PDCA回せばいいだけ。
ただ、その仕事が本当に好きじゃないと、そこまで頑張ろうと思えない。
Webメディアの仕事でやっと頑張れたので、これから就活する人はしっかり自分と向き合って、プロに頼って、本を読んで勉強して、対策してほしいと思う。
①中学受験
もう後がないと言う試験でゾーンに入り奇跡的に難関進学校へ合格。
鉛筆の音ふくめ周りの音が一切しなくなった。
存在をわすれていた4000字×2本のレポートをゼロから10時間で書いた。飲まず食わずで気づいたら夜だった。
当時の先生が鬼のように怖く、一音でもミスれないという状況。極度の緊張状態で頭が真っ白になりそうだったが過集中に入って気がついたら弾き終わっていた。
優勝したが先生が怖すぎてやめた。
④就活
どうしてギリギリにならないとやれないのか流石に鬱になりそうだった。エントリーシートは全会社通ったが面接でほぼ全て落ちた。
⑤卒論
計画性とかあるわけないんだよなぁ
⑥単位
193単位取らなくてはならなかった。
過集中だけは自信があったのでまあやれるだろうと思い教務課の反対を押し切って履修した。
2週間で13本くらいレポートを書く羽目になったが過集中を使えば楽だった。
⑦マフラー
冬休みの課題だったがコツコツ編むなど無理だったので、10時間ほど飲まず食わずで編み続けて完成させた。
業界内では暗黙の了解なのだが今年はかなり目に付くようになったので書いておく。
今全国で都道府県大会が行われている「吹奏楽コンクール」。小学生から社会人(一般部門)の団体まで悲喜こもごもの様相が繰り広げられているが、今年はその大人達が集う「一般部門」のとある傾向が一気に悪化している。
吹奏楽コンクールははアマチュアの大会なので「職業音楽家」、いわゆるプロの人は演奏側としては参加できない規定があるが(可能なのは指揮者としてのみ)、一般部門ではその職業音楽家の人が隠れて参加することがある。
目的は、正規団員の数と質が足りない団体がそれを補うためである。
このような「偽アマチュア奏者」として出てくる職業音楽家は、音大や芸大を出たものの音楽の仕事に恵まれない層である。プロのオーケストラや吹奏楽団に所属している人が出てくることはなく(出てきたらバレてしまうため)、時折そのようなプロ集団にエキストラで参加できるかどうかのレベルの人がコンクールにも「エキストラ」として参加してくることがある。もちろん音楽の仕事だけでは飯が食えないので、彼らの多くはコンビニバイトとかとセットで食い扶持を稼いでいる。
コロナ禍の影響で、一般部門の団体の多くが人数減という状況になっている。理由は、一般部門の団体の正規団員は医療従事者やエッセンシャルワーカーの割合がかなり高く、課外活動の自粛を未だに強いられている人が多いこと。またその様子を見てる他の団員も結構な割合で活動から離れてしまうことの2つ。
もちろん新規メンバー募集も強くかけているが、「いつも一緒にいる人以外との交流を自粛」が言われているいま、コンクールに出るために必要な人数を揃えるのは至難の業。
そうなると、必然的に「売れない職業音楽家」を集めてコンクールに出ようという動きになる。少ない正規団員から1人あたり数万円以上の出場費を徴収し、売れない職業音楽家達へのギャラを用意して、彼らをエキストラとして招聘してコンクールに出る。もちろんバレたら失格なので、表向きは正規団員の体である。コンクールに出るためにはメンバーの現在の勤務先をエントリーシートに記入して提出する必要があるが、そのような職業音楽家は上述の通りほぼ間違いなく何らのバイトを掛け持ちしているので、そのバイト先の企業名を書けば吹奏楽連盟側のチェックは通ってしまう。
今年のコンクールの一般部門はそこまでやって出場を果たしている団体が結構ある。中には10人以上の職業音楽家を集めてきた団体もいる。
吹奏楽コンクールはアマチュアの大会ではあるが、このように社会人(一般)部門は、「売れない職業音楽家」のセイフティネットのような側面もあることは知っておいて欲しい。
自殺未遂をした去年の今頃。
はてなでそのことを綴ったら社会人はもっと辛くなるぞと言われていたのを知った昨日。
希望していた職種と全く別の所へ応募しまくり落ちまくるという奇行を繰り返した結果、就活へのエネルギーは完全に消えた。
滑り止めのような、そう出ないような企業がひとつあるが、そこのエントリーシートをまだ書いていない。
就活をしたくない、テストをしたくない、試験に出たくない、社会人になんてなりたくない、早く死にたい、誰もこの気持ちをわかってくれない。
毎日そんなことを考えながら、56分発の電車に乗り込んで扉が閉まるのを見守っている。
先生も先生なりに苦労をしてきた人なのだろうけど、どうも馬が合わないというやつなのだろうか。
心から尊敬できることはあっても、一年経った今も終ぞ人間として好きになれることは無かった。
なぜ先生を好きになれないかという理由を思いつく限りあげてみた。
・私に去年「もうやめろお前、向いてないよ」と言ってきたから
・肩を殴られたから
・妻子持ちだから
・私のことを何も知らないくせに就活の相談中「生きづらいよな」とか突然言ってきたから
・私が祖父をなくしたり、大好きな先生と会えなくなって悲しんでいることを突いてくるから
大卒とか妻子持ちはまぁもう嫉妬だが、特に最後の2つがでかいんじゃないかと思う。
時期的にも記憶に新しいし。
私の気持ちを知れる人はいない。なぜなら人間は全員自分のことで精一杯だから。
私は昔暇だった時期に人の気持ちを分かろうとして不眠症に至るまで憂鬱になったことがある。
そうなって欲しくないから人は私の気持ちをわからなくていいのだ。
だがわかったふりをしないでほしい。
「お前の気持ちはわからない、世間はお前の気持ちなんてどうでもいいんだから」の方がまだマシである。
なぜわかったふりをしないでほしいのか。
私の気持ちを理解しているといったくせに私の気持ちを少しでも考慮したらナンセンスになるであろう行いや言動をしてくるから。
結局わかるなんて嘘だから。
そしてそれに騙されてしまう自分と、理解を示そうとする人間に勝手に乗っかろうとする自分を見てしまうから。
人はよく自分を認めましょう、認めないから鬱になるのですとか言うけど認めたくないに決まっている。
騙される可哀想な私、わかってくれたくせにと暴れる私は気持ち悪くて仕方ない。
これも学生の戯言なので、もう「社会人はもっと辛くなるぞ」とかは言っていただかなくて結構です。
逆に聞くけど、以下の知識があったらどれぐらいもらえるわけ?東京23区で。
- IP/FE/AP/SG 持ち。運転免許アリ。Toefl iBT 60、Toeic 830(ともに権利切れ)。学歴は都内私立大学を中退。
- Ruby on Rails が好き。Ruby の資格(Silver/Gold)アリ。
- TypeScript で Next と React を書く。もちろん JavaScript は ES2020 あたりまでは説明可能。
- AWS, GCP, Azure といったパブリック・クラウドは趣味で触れており、CDN, DNS, WAF, S3 については勝手を知っていて、Terraform と Kubernetes でサービスを運営中。
- Android と iOS の知識は、7年前だけどアップデート中。
- RDB は PostgreSQL が好きで、MySQL も経験ある。
- NoSQL (Kafka, Elasticsearch, Redis)は使った経験ある。
- Python や PHP や Java は必要があれば書ける。
- C は避けたいが、書けないことはない。
- 今年中に Rust をかけるようになりたいと思っている。
- エディタは emacs。マシーンは Arch Linux + mac 。バージョン管理にGit で、GitHub を使っている。ブラウザは FireFox。シェルは Fish で、ターミナルシュミレーターは Alacritty。ときどき VS Code を使う。
- Docker については、docker compose はマスターしたよ。Kubernetes も kubectl あたりまでは使いこなせる。好きなコンテナのOS は Alpine Linux。
- 深層学習といったのは自分は理解できなかった。というか、人間の振る舞いが数学的に解決できるという発想自体が嫌い。
- HTML/CSS/SVG はプログラマーとしては、なんとかできる。デザインの方面だと、できない。パクリサイトで良いなら、可能だけど。