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はてなキーワード: 英語教師とは

2020-09-10

カタカナ英語に対するトラウマ(逆)

自分中高生の時、外部から呼ばれた特殊立場のもの凄く怖い男の英語教師がいて、誰かが照れ隠しでカタカナ発音しようものなら

「それかっこいいと思ってるのあなただけですから、早く大人になった方がいいですよ」

「そういう青臭いのいいので、普通に読んでください」

とかみんなの前で冷たくあしらわれて教室が凍り付くという恐怖体験させられて、十数年経った今でも思い出すと心が痛い

しろ是が非でも英語っぽい発音でしゃべらなきゃみたいな同調圧力があったから、カタカナでしゃべらないといけない同調圧力まとめを見て正直ちょっと羨ましい

2020-07-14

anond:20200714192928

学校授業だけじゃ、文面での意思疎通はできても会話ができないだろ

日本人英語教師は(当たり外れもあるが)ネイティブ発音からは遠いし

たまに来るALTの授業だけじゃ、英語を聞き取れるようにならない

発音の方も、生徒がネイティブに近づけようとすると、からかわれる謎の文化があるし

2020-07-02

anond:20200702234147

学年主任体育教師が神

理数系教員ナード扱い

英語教師担当生徒の受験成績の犬

校長はいつも寝てる

教頭は脂っこくて熱く語るけど何言ってんのかさっぱり分からん

全体的に先生はみんな機械ITオンチ

きみのとこもこんな感じ?

プログラミングスクールなんかに通わない方がいい理由

教材のレベルが低い

ほとんどのプログラミングスクールの何万円もする教材よりも、市販の数千円の参考書や、公式チュートリアル無料)の方がはるかに質が高いです。既にプログラミングができる人の参考書としてだけではなく、初学者入門書としても、後者の方が適切です。

率直に言って、これだけ良質な情報がどこにいても手に入る時代に、独学でプログラミング習得できない人は、もう諦めた方がいいと思いますプログラミングなんて別に生きる上で必要スキルじゃないのですから包丁持ったことすらない人が、何十万も払って料理習いたいと思うのかって話です。

講師レベルが低い

これが最大の理由です。

まず現実的に、ちゃんプログラミングができる人は、プログラミングスクール講師になんかなりません。少なくともこの日記を書いている時点では。

レベルが低いというのは、実務上の話をしているのではなく、本当に素人に毛が生えた程度ということです。彼らのほとんどには、コンピュータサイエンスに関する体系的な知識がありませんし、そもそも基礎的な言語仕様すら把握していません。

これは「文字列整数に変換する関数名前がToInt()だったかParseInt()だったか覚えていない」などということではありません。そんなものは調べればいいわけです。彼らはもっと基礎的なこと、たとえば「浮動小数点数には誤差がある」とか、そういうレベルのことを理解していないのです。

から彼らの「講義」は、間違いだらけであるか、言ってること自体は正しくても著しくピントがずれたものばかりです。昨日今日プログラミングを覚えたばかりの人と大して変わらない知識で、動くコード自己流に解釈しているだけなのですから、当然そうなります。喩えるなら、中学英語教師中学英語知識しかないようなものです。彼らはその範囲で「プログラミングを覚えるコツ」を編み出しています

2020-06-28

anond:20200628011615

高校外人英語教師採用してるとこだったけど

在学中に英検準一級くらいとれてた、それでいきなりうけたトイック400点前後相当。

読み取り問題文だけ満点にしあげれば取れる点数(周りの同時受験者が相当基準高くなければ)なので増田としては普通くらいでは。

 

そこから英会話教室通って920点いけるようになった

英会話教室でおそわったのは日本人教師だったんだけど

「当然あるはずの言葉を聞き取る」姿勢とか学習姿勢を主におしえてくれた

あとその日本人本人や友人をスカウトして家庭教師にして

4~5人でTOEIC向けのランチ勉強会した。一回4000円を1000円ずつくらい払う感じ。

それで600点くらいいった

 

そこから家庭教師の都合がつかなくなって(元ねた教師さん産休に入って同僚紹介してくれるどころじゃなくなった)

amazon.comアメリカamazon)で3000円の基礎っぽい問題集2つくらいやった

make不定詞をとるか動名詞をとるかとかそんなやつでブラッシュアップ+CD模試

最終的に仲間内だけでやってたけど920点とれた

洋書の非英語話者向けのTOEIC問題集、

紙はわら半紙日本よりずっと粗悪だけど

余計なことが全く書いてなくていい

 

途中でアメリカディズニーランドいったけど聞き取るほうは万全だけど言うほうは全然あかんかったw

日本人

2020-05-20

anond:20200520215300

帰国子女が流ちょうに教科書を読むと英語教師が率先して笑いものにする日本で何を真面目こいてんだ

2020-04-22

anond:20200422085424

むかしか

同級生「や~いw優等生w」の国だし

流ちょうに英語を読んだらゲラゲラ笑う国民性だろ

カタカナ発言しないと英語教師が切れる国

2020-03-25

anond:20200325225126

持ってないけど教員免許なんて放送大学で取れるんでしょ?

それに英語教師TOEIC平均700とからしいけど、俺は945だし英検1級も持ってる

流石にTOEIC700英語教師<TOEIC945、英検1級持ちの銀行マンだろ</p>

2020-01-18

スーパー寿司屋外国人男性がいた

それ自体は微笑ましいと思うが

香水くさかった

寿司台無し

日本に2年、英語教師らしい

毎週土曜に来るとか

いやもう、自分の月一の寿司ランチで出くわさないことを祈るばかりだな

2019-09-24

大学英語教師英語学生添削してみた

私は教師というものが嫌いだ。偉そうに上から目線で色々言ってきやがる。だから今日は私が教師に色々言ってやる。

ということで、とある英語教師文章添削した。英語教師なので、当然文法完璧であろう。なので文法よりも、英語としての読みやすさ、伝わりやすさ、自然さを重視した。

先に先生英語、直後に拙訳を記す。

In politics, there are so many issues, sometimes boring.

In politics, there are many issues, some (of which are) boring.

解説:

① soは純粋不要。くどい

② sometimesの使い方が唐突で不自然。前の流れを受けてつなぐ文章のほうが読みやすく聞きやすい。話し言葉ならカッコの中は省略可。

In tackling such a big-scale issue such as climate change, what we can do is to tackle the issues properly.


In tackling big-scale issues such as climate change, what we should do is to take these issues seriously.

解説:

文法的には正しいが、とにかく不自然英語典型。くどい感じ。

① suchがくどい。不自然なので片方を省く。

文脈を踏まえると、canよりshouldが適切。

③ tackleがくどい。英語では同じ語を同じ文章で2度使うことはあまりしない。

However, to solve the environment issues together is sometimes fun, cool and appealing or so-called "sexy" , so we should solve our issues together.

However, solving environmental issues together can be fun, cool, and "sexy"- so we should go ahead solving our issues together.

解説:

① to solveよりin solvingのほうが自然基本的ネイティブは一文一文を短くする。

② the environment issuesなんて言い回し絶対しない。言い換えるべき。

別にsexyそのままで大丈夫。もちろん先生の指摘も理解できるが、書き言葉ではなく会話の場なので、砕けた表現も許される(そもそも海外メディアもこの語句自体問題視していない)

そもそもこのso-called 「先生」は、「gonna」を「しなければなりません」、と訳してますが、それは「gotta」やろ。

ちなみにこれね。

http://blog.livedoor.jp/bihatsuon/archives/9474636.html

こんな文章しかかけない先生に学ぶ青学学生不憫である

2019-09-08

anond:20190907213107

もっかい読みたい思い出したマンガ で、

週刊少年誌の連載の1シーンだったのだが、

海外(たぶんアメリカから赴任の白人金髪妙齢女性英語教師の2回目以降の登場回で、

「フゥ~ニホンの夏、暑過ぎマス~」

巨乳肩に放り上げた格好で、主人公ハーレム要員その?がいちゃついてる保健室へ来て、

二人が脳内

『しょ、しょってるわ~~!』と驚愕する場面があった。

(ちなみにその巨乳英語教師はシッカロールを借りてはたいて普通に退場する)

・・・どなたかタイトル覚えておられませんでしょうか?(´・ω・`)

2019-08-30

anond:20190830105127

2019-08-27

■”聲の形”を見て思うこと

私は小学校の時にいじめ主犯格になった事がある。

最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。

昨日何度目かの視聴をした。

かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。

なんというか、人間記憶主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。

ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体あやふやになる。

少しぼかして書いていることもある。

***********

私は小学生の時に学級カーストトップグループにいた。

クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。

何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。

喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我しょっちゅうしていた。

自分小学校教員であれば面倒を見たくない存在だった。

私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。

そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。

男の子女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲーム好きな人ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。

カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。

小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。

5年生のクラスメンバーには1年生の時から友達も3年生から友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。

登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。

いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)

私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。

初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。

とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動のものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。

当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。

また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプ女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。

要するにやりたい放題のガキ大将キャラだった。

クラス替えをして、全然知らない、普段かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。

多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人対応をできるわけがない。

しかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。

幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。

後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくま個人間の諍いであった。

私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。

給食時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分牛乳を配膳した。

大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。

当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。

1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。

周囲が異変に気付き始める。

「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初きっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているかこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名命名した。キャッチーあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。

しばらくしてクラス人間が真似をし始めた。地獄の始まりである

子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪判断がつかないまま真似をする。

「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。

「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。

かくしてYさんはスケープコートへと転がり落ちた。

当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティ破滅に向かう。場面場面でお調子キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団いじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。

「〇〇菌」

誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめ様相と化した。

ランダムペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。

愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。

今日今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。

しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやか小学校時代をぶち壊した。

わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキル相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。

勿論「つもり」が許されるいじめなど存在しない。

私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。

これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気ムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。

6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。

高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。

他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪問題顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラス学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。

Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。

ある時、昼休みだったか総合」の時間割だったか時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。

あなたいじめをしているでしょう」という直球だった。

私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。

私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。

その日の放課後ホームルームで学級裁判が起きた。

まずは「このクラスいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。

なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。

全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。

「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。

いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。

「手から離れた問題雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。

私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやす戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。

かに無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。

「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。

「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。

醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生カーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。

本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやか生活台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。

学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラス黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。

その後、地元公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。

自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。

私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。

大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。

私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。

それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。

中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。

それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。

私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。

入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。

どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。

兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。

私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校出身者は次々とA小学校出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。

A小学校の時に明るかった人間クラスカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。

そこからは影に徹してひたすら勉強ばかりした。

私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめ被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分黒歴史を見るようだった。

小学校時代猿山大将として過ごし、学級裁判だんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。

高校に入ってからしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。

自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。

大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。

アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。

過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。

私は27歳になった。

人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。

職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。

人に言われたことは言ってくれたことだと思えるようになった。

でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。

これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)

二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔しかならないからだ。

いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。

私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまり勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。

Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊けが目的人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。

でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。

精神成熟していないコミュティ悲劇だ。教員のせいにすることもできない。

とんでもないくだらない理由いじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。

イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。

***********

今日小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。

その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された自分も同

2019-08-27

"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていた

こういうのとか、友達100人できるかな?は呪詛だし

今や、相手セクシュアリティを尋ねないのがマナーになったように

フレンズ言葉狩りされるべき

面接出身地を聞かれたら労働局へオート通報するように

友達いる?wwwwとか煽ってくる英語教師カジュアル懲戒免職すべき

聲の形”を見て思うこと

私は小学校の時にいじめ主犯格になった事がある。

最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。

昨日何度目かの視聴をした。

かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。

なんというか、人間記憶主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。

ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体あやふやになる。

少しぼかして書いていることもある。

***********

私は小学生の時に学級カーストトップグループにいた。

クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。

何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。

喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我しょっちゅうしていた。

自分小学校教員であれば面倒を見たくない存在だった。

私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。

そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。

男の子女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲーム好きな人ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。

カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。

小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。

5年生のクラスメンバーには1年生の時から友達も3年生から友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。

登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。

いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)

私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。

初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。

とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動のものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。

当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。

また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプ女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。

要するにやりたい放題のガキ大将キャラだった。

クラス替えをして、全然知らない、普段かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。

多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人対応をできるわけがない。

しかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。

幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。

後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくま個人間の諍いであった。

私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。

給食時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分牛乳を配膳した。

大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。

当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。

1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。

周囲が異変に気付き始める。

「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初きっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているかこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名命名した。キャッチーあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。

しばらくしてクラス人間が真似をし始めた。地獄の始まりである

子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪判断がつかないまま真似をする。

「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。

「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。

かくしてYさんはスケープコートへと転がり落ちた。

当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティ破滅に向かう。場面場面でお調子キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団いじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。

「〇〇菌」

誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめ様相と化した。

ランダムペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。

愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。

今日今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。

しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやか小学校時代をぶち壊した。

わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキル相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。

勿論「つもり」が許されるいじめなど存在しない。

私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。

これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気ムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。

6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。

高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。

他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪問題顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラス学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。

Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。

ある時、昼休みだったか総合」の時間割だったか時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。

あなたいじめをしているでしょう」という直球だった。

私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。

私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。

その日の放課後ホームルームで学級裁判が起きた。

まずは「このクラスいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。

なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。

全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。

「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。

いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。

「手から離れた問題雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。

私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやす戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。

かに無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。

「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。

「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。

醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生カーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。

本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやか生活台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。

学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラス黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。

その後、地元公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。

自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。

私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。

大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。

私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。

それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。

中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。

それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。

私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。

入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。

どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。

兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。

私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校出身者は次々とA小学校出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。

A小学校の時に明るかった人間クラスカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。

そこからは影に徹してひたすら勉強ばかりした。

私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめ被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分黒歴史を見るようだった。

小学校時代猿山大将として過ごし、学級裁判だんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。

高校に入ってからしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。

自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。

大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。

アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。

過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。

私は27歳になった。

人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。

職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。

人に言われたことは言ってくれたことだと思えるようになった。

でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。

これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)

二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔しかならないからだ。

いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。

私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまり勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。

Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊けが目的人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。

でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。

精神成熟していないコミュティ悲劇だ。教員のせいにすることもできない。

とんでもないくだらない理由いじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。

イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。

***********

今日小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。

その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された Permalink | 記事への反応(7) | 00:41

2019-07-01

突然ジャズピアノを弾きだした先生が居た

赴任してきた先生が、数か月たったある日学年集会自分の半生を話し始めた。

最後の締めくくりとして、大人になってから数年でピアノを覚えたという話をしながら突然ピアノの前に立った。

その教室にはピアノがあったのだ。まるで彼がここでピアノを弾くことを待ち望んでいたかのように。

ざわつく周囲の生徒たちは心配の声をこっそりあげていた。

なにせ数年だ。数年でピアノ?うまくなるわけがない。

そんな期待を裏切り彼が引き出したのは綾戸智恵バリに形になったフリージャズピアノだった。

歓声が起きる。彼はそこそこイケメン…とまではいかないが、清潔感がある見た目だった。

女子生徒たちはきっとあの瞬間彼に堕ちたのだろう。

弾き終った彼の顔は、素晴らしく爽やかでやりきった感があった。

独学でピアノを弾きだして数年。きっと学年が揃うほどの大勢の前で演奏することなど初めてだったに違いない。

拍手は鳴りやまなかった。みんな彼を凄いと言った。

30分。授業を先延ばししての、特別コンサートだった。


数年後、彼の年齢を越えた。彼は二十代半ばだった。

一体彼はなんだったのだろう。

あの時何を言いたかったんだろう。

そう、彼のリサイタルが終わった日の教室でもみんなでその話をした。「あの先生、何がしたかったんだろう」と。

高校生とはゲスい生き物で、最近きたイケメン英語教師話題性を持っていかれてるから自分認知してほしかったのではないかという憶測が広まった。

話のあらすじは結構よく覚えていて感動的だったはずなのに、いまいちジャズピアノで印象が掻き消えたきがしてならない。

あと学生時間ってすごく早くて卒業するころに彼がジャズピアノ披露したってこと、ほぼみんな忘れていたのではないか

彼は学年担当でも副担任でもないただの教科担当教師だったから。

ついでに言うとなんかもっといろいろ話し合わないといけないことがあった気がする。

その場では流されたが、「え、それ今このタイミングでする?」というのが多分当時の生徒たちの反応だ。

色んな人が居るんだなぁとしか受け取れなかった。それこそが大切だ、というならそうかもしれない

しかし、タイミングが…タイミングが悪かったのだ…。

…なぜ増田がそのことをよく覚えているのかというと、増田音楽をしていたからで彼は練習する部室によく顔を見せていたかである

別に顧問でもなんでもないし、彼はピアノ独学なので、きっちりやってきているこちらとしては話は全く合わなかった。

今ふと、その彼のことを思い出した。

うん…あのときのやり切った顔。今思い出しても困惑だ。

別に悪い記憶でもないのだが、良い記憶にも消化できないでいる。

心の中は虚無…いや、そんな悪いものでも無いか…。いうなれば、わびさびに満ちていると言ったところか。勿論誤用である

2019-06-20

中学のちょいブス英語教師

今考えたらめっちゃタイプだわ。地味めな顔で小柄な割に乳はでかく、性格は楽観的でよく笑う。

当時の俺はあのドスケベなお姉ちゃんに全くそそられなかったというのが悔やまれ

2019-06-19

anond:20181223184149

中高で習った英文法が、大人になってから英語力の基礎になって役に立っているのは間違いない。

ただ中高だけでも6年も時間かけるのに、コストパフォーマンスが悪すぎる。

英語教師の人事問題が一番ネックだと思う。

若い教師外国人ティーチャーの方が、生徒から見たパフォーマンスが高いに決まってるけど、年功序列組合での地位が高い方が偉そうにしてパワハラかまし支配するからな。

英語教師にも試験受けさせて、受からない奴は生徒の前に出れないようにすればいいのに。

2019-06-13

カードキャプターさくらで楽しく学ぼう香港デモ

もう第二の天安門事件になってる香港デモ

でもよくよく考えてみてほしい。

天安門事件1989年香港返還が97年ということは、この件について20代はよくよく知らない可能性が高いのだ!

増田こないだ再放送にかこつけて10の子CCさくらを語ったんだ。

じゃあね、小狼くんって中国人キャラですよね。あの当時だったから人気で今じゃ考えられないですよね~ってね。

増田「ほえぇぇぇ」って言ったよね。

そうだ、今の子には小狼くんって中国人キャラなんだ!!ってね!

でも増田も正直リアタイ当時子供からからなくもないんだけどね。香港は確かに中国として知るし。

そんなあなたCCさくらで「香港近代史」の触りの触りを説明するよ!詳しいことは後で調べてね!

みんな李小狼くんを知っているかな?

そうだね。木之本桜ロリコンを増産した一方で多くのショタコンを生んだオタク女子元凶とも言われてるね。

昨今CCさくらイベントでは丹下桜が喋れば客がはにゃ~んくまいもとこが喋れば失神者が出るんだよ。

そんな小狼くん。香港からロウカードを探しに来た転校生だったっていうのは覚えているかな?

劇場版1ではさくらたちが香港旅行を当てて、小狼くんの家に行くというストーリーがあったよね。

CCさくらって連載が開始されたのは1996年6月なんだ。

から小狼くんはこの時点では「イギリス植民地下の香港に住む金持ち少年」なんだよね。

植民地と呼ぶといいイメージまりないけど、香港イギリス関係は密接だから中国と違って自由尊重されてきたし、そこで発展してきた文化などは日本人から見たらとても魅力的なものがあるんだよね。

イギリス…ん?そういえばCCさくらイギリスって密接な関係を持っていたよね。

そうだね!すべての元凶クロウ・リード出身地だね!クロウさんは中国人イギリス人のハーフってことになってたね。

小狼はその親戚…

(こうやって書くと小狼の家はお金持ちだし、裏で『華僑』が絡んでる設定だとは思ってるけど…明確には示されてないから置いとこうね)

小狼香港設定はこうやって設定が組まれものだって分かるね。

さらクリアカード編では英語ペラペラ喋る小狼も描かれてるよ。イギリス文化を持っているからこその描写だと分かるね。

英語教師免許を持つくまいもとこボイスでぜひアニメ見てね。

97年に香港返還として香港中国になるのと共に、香港自体独立した自治権を与えられたんだ。

それでも中国の影響力は大きくて、今こういうことになってるね。香港人は猛反発をしてきたけど、大国圧力に負けそうになっている。

街並みもどんどん変わっていったんだけど、偶然にも返還直前を取材して描いたのが、さっき出した劇場版1なんだよね。

CCさくらといえばセル画の終わりを飾る莫大な予算がかけられたアニメとしても有名なんだけど、

劇場版作画凄さもあって、返還前の香港を描いた資料アニメとしても価値があるんだ。

言葉では言いにくいけどあの当時の雰囲気はもう今の香港にはないと思うな。

香港中国じゃないの?って思ってるそこのオタクは一度考えてみてほしい。

小狼くんが、イギリス文化を持った香港人という設定が良いか、ただの中国人という設定が良いか

キャラクター…というよりも人間個人アイデンティティがどれだけ大切か。

設定という二次元を通して、香港人(そして台湾人など)が必死になる理由を知るきっかけになれば良いと思うし

少なくとも増田にとってCCさくらは、そのことについて少しでも考えるきっかけの作品です。

ちなみに小狼って名前、向こうの文化だとDQNネームだよ!

2019-05-19

外国人英語教師って、やっぱり本国の役立たずが中世ジャップランドでイキっている感じなん? 

2019-03-10

英語教師TOEIC平均700代ってマジ?

ワイニートでも860点やで?

ひょっとしてワイ英語教師になってJKとファック出来るんか?

そうなら本気出すで?

2019-02-04

同感ですな anond:20190204233759

また、会社スクショ貼り付け業務しかさせてくれなかったので何も技術を覚えられなかった、ということを言う人がいる。

一体どういう精神構造をしているのだろう。

アルファベットがわからない英語教師バットという単語を聞いたことがない野球選手楽器を触ったことがないミュージシャン志望。

何で例えても狂っとるとしか思えない。

存在邪悪

とはいえ死ぬ必要はないけどな

ネット民の「エンジニア教育しない社会企業が悪」という思想存在を感じるのだが

私はすべて独学で身につけたので、これが納得行かない。

漫画家で例えるとこうだ。

漫画家になりたいです。漫画読んだことないです。絵を描いたことないです。雇ってください。」

ゴミだなと思うがゴミ存在理解はできる。

業務外で絵を練習したくない。会社が金だして研修しろ勉強しろというなら家での勉強時間にも給料出せ。ペンタブ持ってないしフォトショ持ってないか勉強できない。買えってんなら会社プレゼントしろ。」

→わからない。エンジニアバイトか何かと間違えてるのか?

また、会社スクショ貼り付け業務しかさせてくれなかったので何も技術を覚えられなかった、ということを言う人がいる。

これもわからない。漫画家で例えると「漫画を書く授業がなかったから一度も書けなかった。漫画を書く能力が身につかなかったのは学校が悪い。」ということだろうか。

一体どういう精神構造をしているのだろう。

アルファベットがわからない英語教師バットという単語を聞いたことがない野球選手楽器を触ったことがないミュージシャン志望。

何で例えても狂っとるとしか思えない。

存在邪悪だ。死んで消えて欲しい。

2018-12-23

日本天皇帝王学教育の失敗が米国人英語教師に正された話

昨日のTBS報道特集で現天皇子供の頃に教わっていた米国人女性英語教師の話を特集していたのだけど、その人が語ったこととして、「皇太子(現天皇)が親類が入院していると話してきたから『お見舞いに行かなくていいの?』と言ったら『侍従が行けと言ってないから(行かない)』と答えてショックを受けた。だから『そういうことは侍従が決めることでなくあなた本人が決めることです。お見舞いに行きたい気持ちがあるなら行くべきです』と進言した」というエピソードを紹介していた。その後、マッカーサーと現天皇との面会に立ち会った時、自ら進んで質問を投げかける姿を見て、成長を実感したとのことだった。

今日NHK天皇特番でもラテ欄にこの米国人教師のことっぽい文言があったから、同じエピソード流すかもね

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