はてなキーワード: 副詞とは
そう。here と同じような副詞としての用法で I'm home 「ただいま」と言ったのに、home をわざと house の意味で解釈して I'm home を I am a house「私は家だ」と(無理やり)解釈して、Hi! home 「やあ、家さん」と返したという、小学校低学年が喜びそうなやつねw
あ、でもよく考えたら、home に a がついてないから、I'm home を I'm a house の意味で取るのは厳密には無理だわ。これ、もっと正確に言うと、 I'm home 「ただいま」と言ったのを I'm Home 「私はホーム(という名前)です」と取って Hi, Home 「やあ、ホームさん」と返したと考えると a が無いところまで辻褄が合うわ。 (まあ、そんな細かいことはこの際どーでもええんやけどw)
※せっかくなのでいろんな言語の「残業」をGoogle翻訳で調べてみました。原文のあとに続きます。
「イタリア人は細かい時間はあまり気にしない。家に招かれたときはむしろ約束の時間より遅れていくのが普通。唯一必ず守るのは終業時間」
と語られていて笑った。
ところでイタリア語で「残業」はなんというんだろうとGoogle翻訳にかけたところ、
「laboro straordinario」
と出た。laboroは英語で言うlabor(労働)だが、straordinarioはextraordinaryに当たり、「臨時の、特別の」という意味らしい。
イタリア語では、残業は「臨時の労働」なのだ。「残っている仕事」ではなく、「特別に行う仕事」なのだ。
ちなみにstraordinarioには「異常な」という意味もある…
言葉が人の行動に及ぼしている影響は、思っているより大きいんじゃないだろうか。
明日から私も「今日は1時間臨時で特別に労働します」と言ってみたい。
Google翻訳+αで素人が訳しただけなので、ツッコミあればお願いします。
言語 | 表現 | 直訳 |
---|---|---|
日本語 | 残業 | 残っている仕事 |
イタリア語 | laboro straordinario | 臨時の/特別な労働 |
英語 | overtime | 超過勤務 |
ドイツ語 | Überstunden | 超過勤務 |
フランス語 | heures supplémentaires | 超過勤務 |
中国語 | 加班 | 勤務時間を増やす |
韓国語 | 야근 | 夜勤 |
韓国語以外はみな時間を表す言葉が入っていて、仕事ではなく時間に重きを置いているのが印象的だ(イタリア語にも、副詞的に用いる「col tempo(時間を超過して)」という残業の表現がある)。
韓国語では一般的に야근(「夜勤」の漢字からの言葉)を夜勤でない日勤の残業の意味で使うらしい。잔업(「残業」の漢字からの言葉)も使うこともあるが、主に生産職などノルマがある仕事での言葉らしい。
なるほど、明確なノルマもないのに「残業」はおかしいのか(納得)。
日本語にも「時間外労働」などの言葉もあるので、不健全さが際立つ「残業」よりも、そちらを使っていこうと思った。一体何の外なんだ未だ労働時間の中だぞとは言いたいが。
副詞としての「一番」は熟語である。「ビールが一番好き」「こういう日はビールが一番」などには、漢数字を使うべきだ。
助数詞として「番」が添えられる場合、たとえばバッターの打順などであれば算用数字の「1番」でかまわない。
このふたつの簡単な見分け方は、数字の部分を他の数に置き換えても意味が通るかどうか。
たとえば、「ビールが2番好き」と言うことはない。
数字を含む熟語に算用数字を混ぜる誤用が近年増えている。というか、テレビにテロップが多用されるようになった頃から多い。
中でも「1番」は誤用の目立つ言葉の筆頭だったのだが、とうとうNHKまでこの誤用を平気で電波に乗せるようになってしまった。同じ日の同じニュース番組内で「第3者」という誤用もやらかしていたので、この日のテロップ係がかなり意識低い系だったものと思われる。「第三者」も「二人称」などと同じくそれじたいがひとつの熟語であるので、算用数字を使ってはいけない。
そのうち「1石2鳥」、「3寒4温」、「5臓6腑」、「7転8倒」、「8面6臂」、「10人10色」、「50歩100歩」、「議論100出」、「1000軍10000馬」などの表現もテレビで見られるようになっていくだろう。「2人3脚」はすでに広く使われていそうだ。
(追記)
ありがとう、助かる。
どっか落としてるだろうとは思ってたが、仕事終わりに自分の文章なんかマトモに読めねえんだよな。
句点イレル。同じ現場だった70過ぎの爺さん校正者もよくやらかしてた。俺もあの歳まで働くんだろうか。元気してるだろうか。
「一番最後」はママで。副詞的用法だと「ぶっちぎり」みたいなニュアンスを感じるから、おっしゃる通り強調表現の範囲内として個人的には違和感ないかな。もちろん要指摘事項だが。
“?”の後ろに文章が続けばスペースあり、後ろが “」”の記号ならスペースなし、“これはいったい何年前の学説なんだ?って” と促音でもスペースなし、が校正ルールってことかなーと思いながら読んだ。
だいたいそう。最後の場合はスペース入れる表記ルールも多いけど、俺は一文としてつながりがあるならアキなしの方が好き。
校正って、文章の体裁を整えるだけじゃなくて、内容のチェックも求められるじゃん。
そこまで求めるのかって思うわ。
この前もゲームの歴史みたいな本が、事実と違うって炎上して回収騒ぎになって、校正は何をしてるんだって出版社が文句言われてたけど、こそまで調べられるなら著者に書かせないで出版社が自分で書くだろっていつも思うわ。
文章の体裁を整えるのは校正で、事実関係の確認や内容に踏み込んだ指摘をするのが校閲であり、それぞれ別の仕事である……ってのは大昔の話。
写植がなくなり、ネットが普及した今じゃどっちもやるのが当たり前になった。
校正しろって言われても最低限の事実確認はするし、校閲しろって言われても行頭二分アキ折り返し天ツキー、だ。
現代じゃ校正も校閲も業務自体はラクになったんだろうが、そのぶん求められることが増えた。どっちの方がマシなんだろうな。
ゲームの歴史も、あんだけミスがありゃ業界素人の校正者でも1個や2個ぐらいは事実との齟齬を見つけてたかもな。でも「校閲は何をしているのか」って増田にも書かれてるように、校閲者のひと声で進行がストップするなんてまずありえない。
「じゃあAIでいいじゃん」ってブコメがあったが、全くその通りだと思うぜ。
(本文)
なんか一瞬だけ校正が話題になったらしいがな、あんなんロクな仕事じゃねえ。
俺はこの業界に入った直後の飲み会で「この仕事、20年くらいで頭おかしくなって失踪しちゃう人多いから気をつけてね」って笑いながら言われたぞ。
俺はあと何年もつんだろうな。もう壊れてるかもな。
だいたい、どこのどいつがしょーもない誤字脱字を見つけられて感謝するんだ。
「いやいや、自分は感謝している」ってか? 嘘つけ、とんちんかんな指摘が来たら逆上してSNSにアップするんだろどうせ。指摘がとんちんかんかどうかも出版社や著者によって変わってくるんだからな、まったくやってられねえ。
ある案件で鉛筆を入れれば烈火のごとく怒られ、ある案件では鉛筆を入れなかったことにねちねち詰められた。
あの時の判断はどっちも間違ってなかったって、俺は今でも思ってるけどな。
一番クソなのは表記統一だな。あんなの気にする奴なんかいるか?
「つながる」だろーと「繋がる」だろーと、混在してようがどっちでもいいだろ。
一文中の漢字と仮名のバランスガーとかそんな高尚なもんじゃなく、単純に気にして読んでる奴なんて誰もいねえんだよ。
「繋」は俗字だから直せだと? うるせーな、てめえは校正者か?
今どき「繫」を使ってるメディアなんかねえだろ、たぶん。
著者をキレさせて、読者にそっぽを向いて、出版の奴らしか気にしないようなエセルールを厳守して満足してるわけだ。
ダーシや3点リーダがひとつだろうとふたつだろうと、どうでもいいんだよ。
誤脱拾わせるのなんてWordにでも任せとけ。
「非常に複雑な判断が求められるからAIには無理」とか言う奴も多いから聞かせてもらうけどよ、人間の脳みそって本当にAIより出来がいいのか?
俺にはとてもそうとは思えねえ。あと5年か10年もすりゃ余裕で超えるだろ。
うさんくせえアフィ記事の段落ひとつをまるまるコピペして、ちょろっと表現変えただけでファクトチェックは全部ぶん投げるクソライター。
専門分野より先に日本語を学べってレベルで主述関係がメチャクチャで、挙げ句の果てに自分とこの専門用語さえ間違えてるクソ学者。
そんなものにセコセコ鉛筆入れてるこの仕事も、ロクなもんじゃないに決まってる。
AIはファクトチェックができないって? なるほど、どうなんだろうな。
だが、専門家でもない俺らのファクトチェックなんざ、たかが知れてるだろ。
どうせパソコンかたかたやって、ネットのマトモっぽいサイト見つけて「うーん……これはたぶん公式!」って適当な認定して、そこから情報がきちんとコピペされてるかチラッと見る……やっぱもう5年か10年もありゃ、普通にAIでもできそうじゃねえか?
「××駅から徒歩10分!」とか書いといて、GoogleMap見たら30分はかかりやがる。
俺ら御用達のコトバンクだって、これはいったい何年前の学説なんだ?ってのがザラにあるじゃねえか。
だが校正ってのはとにかく時間がねえ。出版ルートにおける一番最後、要するに下水道だ。
著者がなかなか書きやがらねえ。編集がなかなか回してこねえ。そのくせ締め切りは動かねえ。ならどうするか? 校正の時間を削るんだよ。
つまり一番どうでもいい工程なんだってことは、出版業界の共通認識なんだろ?
ブルシット・ジョブよりタチが悪い。
若者の台詞なのに「これはら抜き! い抜き!」とか鉛筆入れてる初校を見ると「バカかテメェは?」とか言いたくなるんだよ。
そんときばかしは著者に同情するな。「あの校正者をクビにしろ!」とかクレーム電話の1本や2本入れるかもしれねえ。
仕方ねえから初校にフィードバックすると、すげえ不満そうな顔されんだよな。
正しい日本語ってなんだ? それは著者の表現したいものより大切なのか?
著者の頭の中にある世界を、誤字脱字なんか余計なノイズなしに、そのまま100%伝えるんだって。
気づけば俺は、「十年と一〇年で表記がユレてます」なんてクソどうでもいいことばかり憧れの作家に抜かしてるわけだ。
でも仕方ねえじゃねえか。
木っ葉校正者の地位なんてカスみたいなもんだから、身を守るには野暮な指摘を入れるしかねえんだよ。
「私はちゃんとここに気付いてますけど、あえてママにしているんですよね?」ってアピールをしとくんだ。
誰だって入れたくねえよ、こんな鉛筆。でもそうしなきゃ、いつ契約を切られるか分かりやしねえ。
正直な話、俺は小説より漫画が好きだからよ、いつもジャンプのことを考えてるんだ。
暗殺教室知ってるか。あれに有名な誤字があるんだ。
「転んだ」が「殺んだ」になってるってやつな。
俺は今でも、あの41話をチェックした人のことを思っている。
そんなクソ盛り上がるシーンなんだから、松井先生もそりゃお得意の言葉遊びをするだろうさ。
俺がもし「(念)この『殺んだ』は『転んだ』の誤表記ではありませんね?」なんてお伺いを立ててる奴を見かけたら、もう絶叫しちまうよ。
当たり前だろ。マジで冷めるから鉛筆だろうと死んでも入れるなよ、そんな指摘。
ところがどうだ、実際はマジの誤植で、編集部からお詫びまで出た。
いったいどうするのが正しかったんだろうな。
やっぱり指摘をしとけば、防げるミスだったんだろうよ。
でもな、答えを知っちまった今でも、俺はやっぱり「殺んだ」をスルーするのが一番だと思うんだ。
たとえ校正者として間違った態度だとしても。
「私はあなたとあなたの作品を信頼しています。だからこの表現には何も指摘を入れません」
そういう仕事をしてえよな。
ただまあ、もう一つだけ欲を言えば、俺が恐縮しながら入れた鉛筆が、作品の世界をちょっとだけ広げることにつなげられたなら……。
いいや、それは下心がありすぎだ。何様だよ、お前は。
だから俺は明日も結局、ホームページ代わりにインスタを使ってるオシャレ飯屋に悪態をついたり、聞いたこともねえ企業が前株なのか後株なのかを必死こいて調べたり、シャーペンの先っぽで一字一字ゲラの文字をぷちぷち押さえたりするだけなんだ。
誰にも求められてない仕事のためにな。
ああ、クソッタレ。
https://anond.hatelabo.jp/20230715174621
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230715174621
相手が不快に感じるとか、こういう印象を受けるというのはおいといて、文法的にどこがどうまずいかを私の日本語知識だと理解しきれないので誰か頼む。
Togetterやブコメを見るとざっくりと「なるほどは相手を敬う意味がない」「なるほど+ですねは文として成立していない・俗用の日本語である」「ですねは同意を求める意味であるので失礼にあたる or 意味が通らない」というのが主な理由として挙げられているように見える。
主な疑問や考えは以下。
・「なるほど」という副詞(もしくは感嘆詞の場合でも)に助動詞です+終助詞ね が続くのは本当に日本語文法的におかしいか。おかしいなら、なぜおかしいか。
・「ですね」は別に同意を求める意味ばかりではないと思うが、例えば意味の一つである自分の感動を伝えるという意図でもやはり失礼にあたるか。(繰り返すが文法的に。受け取り方や印象の話は一旦しないで)
どんなパターンを見ても、女性ライバーのファンが、男性ライバーに取られることはあっても、その逆は、一度も見たことがないからだ。
男は、率先して、女性視聴者の求めに応じて、マッチョイズムを盾に、力をふるう奴がいるから、そもそも、女性ファンは、女との絡みを求める需要がないのかもしれない。
女は女しか居ないと、ただただ、なあなあで、好きな事するだけだから、男が介入して、男性目線を持ち込む需要が生まれるのだろう。
だから、女性アイドルのバラエティに、お笑い芸人みたいなのが呼ばれるわけだろう。
そして、そのために、お笑い芸人の方を面白い、男がいる方が面白い、男がいないと面白くない、女はつまらない、女なんていらない、と視聴者の心情が変化していく結果、この手のコンテンツは破壊されるわけだ。
要するに、まとめブログに良くいる、ゴミ屑どもみたいになるわけだ。
実際は、男タレントが、男目線を意図的に持ち込んでただけで、男が居るから面白くなるわけではないのだが、イメージと印象だけでしか考えられないタイプの奴は、ただ男の姿がないと面白くないかのように思い込むのかもしれない。(まあ、ただのホモか腐女子の可能性の方が高いが)
男が居たところで、そいつが男目線を持ち込めないなら、何一つ面白くはならない。
結果的に、女の方は、同性同士で、本当に安心して、より百合になるけど、男は、何か目的あって企んでもない限り、内心では、他の男皆ぶっ殺したいくらい不満が溜まってるから、ホモ営業なんてしようものなら、本気で嫌悪感しかなくなる
そこにホモを植え付けようものなら、一番危険なリョナホモと化し、男娼で出世したタレントなんかを殺したりする。
テレビのタレントは、ファンの女を、食い荒らしヤリ捨てしまくり、自分たちだけは、偽善たらたらで批判してきた、男のエゴと攻撃性とホモソーシャルを、裏で全開にしてるから、ああいうキモいことが出来るわけだ。
要するに、自分たちこそ、同じことされたら、秒でブチギレまくって、宮崎勉が聖人に思えるようなことを平気でするようになることを、一般人男性に一方的にやって、少しでも躓いたら排除、みたいにやってるわけだろう。
今や、連中の方こそ、彼らが選別してきた一般人より、はるかに攻撃的な遺伝子を有しているのではないか。
だから、彼らの工作で、彼らだけが子作りしまくってる国では、彼らが一般人に孕ませた子供が、彼らの工作により、危険な殺人鬼と化して、事件を起こしまくっているのではないか。
なぜなら、彼らは彼らだけで、その血の純潔を守ってきたわけだから、一般人に孕ませた私生児は、ただの忌子であり、ただの他人であり、何ならただの邪魔者だろうからだ。
少し血が入ってるだけでああなるなら、彼ら自体が、どれほど不安定な存在か。
それが、連中の言いなりに、男性差別をバラまきまくった国の末路だ。
結局のところ、女性配信者にとって、男と絡むメリットは何もない。
その時だけは盛り上がっても、ただ、視聴者をとられ、しかも、相手の女のファンからは、嫉妬されて憎まれるだけ。
それで人気が出た男の視聴者は、硬派ぶったりしても、所詮、男が女にセクハラするのを見て面白がってただけの連中だから、他に毒牙にかける女が常に供給され続けないと、どんどん不満がたまる。
お笑い芸人しかでない動画を見ても、糞ほども面白くないし、視聴者の方も、底辺の中の底辺を煮詰めて、最悪にしたような屑しかいないのと同じである。
結局、男目線を持ち込んでるから面白いだけなのだから、男が作る美少女コンテンツの方が面白くなるはずだが、そっちの方は、ホモ豚ゴミ屑工作員どもによってモラハラ弾圧、「男の作る美少女キャラは、中身おっさんでキモいー! ちゃんと女を描けてないー!」で、男目線を持ち込みづらくさせられるのだ。
当然、そうしたことをするメリットがあるのは、女と良く絡むあいつらしかいない。
そりゃ連中は、上手いことそういう、人を罵倒する工作なんてさせたら、有能だろう。
それが、連中が、低俗なド突き漫才や、ヒップホップなどという、ただ人を罵るだけの、有害なヘイト拡散コンテンツを広めた理由だから。
それが下火になると見るや、女性中心の箱なども作り、人気の女性配信者の囲い込みを始め、わざとつまらなくなるように誘導しつつ、しかも、それによって、男オタから搾取した金で、男オタのためには何一つならないイケメンコンテンツを作らせて、男オタを怒らせ、女性配信者にスパチャし難くしようとしている。
これら、少しでもイケメンコンテンツを作っている企業に、金を払ってはならない。
どうせ、誰も金を払わなくなって、儲からなくなっても、というか、そうなればそうなるほど、連中の金で、人を集めるために、面白いコンテンツを作らざるを得なくなるからだ。
逆に、金なんて払えば最後、もうそのレベルで満足するのかと、成長は止まり、同じことを繰り返し、飽きられたら、わざとレベルを落として、元のレベルに戻すだけで、金を払えと脅されるだけである。
ただ、連中は、他の創作者にも、似たようなアイデアを植え付け、まともに創作するモチベーションを奪うので、結局似たような事になる。
金のためだけでなく志を持ち、リアルの女の誘惑にも負けないような創作者にしか、金を払ってはいけない。
そうした創作者は、儲けた金を、純粋に創作のために使うだろう。
結局、金のために作ってるだけの連中は、儲けを大きくするために、ユーザーを騙すようなことを繰り返すだけで、よい作品を作ろうとは、端から思ってないのだ。
他の女性ライバーから、人気を奪って成長したライバーの人気は、女性ライバーと絡み続けることでしか維持できない。
まあ、視聴者は、最底辺のバカ餓鬼だから、最初は、どんなにつまらなくなっても気付かない。
段々、女っ気がなくなるうちに、不満がたまるが、自分が硬派ぶって女イラネームーブをしてたせいで、何が不満なのか、目を逸らし続け、まとめブログに居るような、最低の屑どもが量産される。
硬派ぶってかっこつけたがる奴に限って、何かあると直ぐセクハラ、隙があればレイプするような、自制心のない、ケダモノ同然のサカり犬が多いのは、そういう連中が、マスゴミによって大量生産されているからだ。
マスゴミの連中は、最も最悪なタイプのセクハラレイプ魔の集まりだが、自分たちだけ女を独占して、さも、マシな方だと見せかける。
もちろん、女を奪えば、宮崎勉など、ただの餓鬼にしか見えないような行為を行いだす。
実際、マスゴミの最底辺に居る連中の性犯罪率は、統計的に、他のどんな集団より高いことが分かっている。
昔から、映画やマスゴミの底辺スタッフは、何かあると、女優を犯そうとするケダモノだと知られていた。(博士の異常な愛情や、007カジノロワイヤルの脚本家、テリイ・サザーンによる、『ブルー・ムーヴィー』という、ハリウッドの暴露小説に詳しい)
マスゴミに居るだけで、他の職業より、はるかに女っ気があるはずだが、露骨な性の格差を体験することによって、憎悪の虜になっているのだ。
マスゴミの権力の中心にいる連中は、女優もグルーピーもやりたい放題だから、表面上理性的にふるまえるだけで、その本性は、ケダモノの中のケダモノであり、最も最悪なゲスである。
こうした連中に尻を振るクソ女は、最も性悪な毒婦であり、その罪によって、当然の報いとしてヤリ捨てられ、中古となり、ゴミのように捨てられたところを、同情しようものなら、正に、文字通り、その毒牙にかかる。
マスゴミが、女向けの殺人サスペンスを大量生産している理由を、そうした偽善者の、残飯食いのゴキブリどもは、殺されてから思い知ることになる。(元ジャニーズの追っかけ女と結婚した、紀州のドンファンのように)
もちろん、マスゴミ権力者は、こうした女たちを、ヤルだけヤルだけで、その手料理を、口にするような立場には、絶対にしない。
権力者たちが、テレビなんか、全く見ない女としか結婚しない理由が、ここにある。
ちょうど、麻薬の売人が、麻薬中毒者を、絶対に信用しないのと同じように。
そう、ちょっと強力な洗剤を使って、ちょっと(この副詞は、往々にして、凄くの言い替えである)洗い残すだけでも、簡単に、足がつかない犯行が可能になる。
そうして、旦那を毒殺した毒婦も、権力者の都合が良い時に、殺されるのである。
連中にとって、好きなように犯して捨て、邪魔者を殺させ、しかも、都合が良い時に、コロナなど、ありもしないパンデミックを捏造するために、いつでも殺せる女を手に出来て、一石二鳥にも三鳥にもなるわけだ。
非常に百合的な箱を持ち、それが人気の女性ライバーの場合、男性ライバーと接しても、被害が少なくて済む場合がある。
それは、百合の箱推しのファンは、まず、男性ライバーの映る動画を見ないということと、見ても、そもそも、男性ライバーに需要を感じないからである。
なぜなら、男性ライバーとの絡みに魅力を感じるのは、女性が、女性だけで居る時に、セクシャリティが薄く、男性ライバーと絡み、性的な雰囲気にならないと、女性としての魅力が出ないからであり、女性同士で絡んで、百合になれば、男性と絡む必要がなく、セクシャルになるからだ。
これは、人間に、最も近い霊長類であるボノボの研究で分かっていることだが、メスが、メス同士で性行為を行うと、オスが興奮するが、実は、その逆はあまりないのである。
特に、そうした行為を見ることを好むオスは、まだ、特定のメスの相手を持たない、若いオスが多いらしい。
ボノボにおける、オス同士の同性愛行為は、主に、尻を向け合っておしくら饅頭をする程度である一方、メス同士の濃密な性行為は、実は、自然の本能に根付いているようなのである。
おそらく、自然界においては、メス同士の同性愛行為を見ることによって、オスの性的抑圧を解消していたのであり、それさえ満たされず、強い欲求不満に陥った結果が、セクハラやレイプや、その他の憎悪的な異常性愛など、極端な行為に、オスを走らせる原因なのである。
どんなパターンを見ても、女性ライバーのファンが、男性ライバーに取られることはあっても、その逆は、一度も見たことがないからだ。
男は、率先して、女性視聴者の求めに応じて、マッチョイズムを盾に、力をふるう奴がいるから、そもそも、女性ファンは、女との絡みを求める需要がないのかもしれない。
女は女しか居ないと、ただただ、なあなあで、好きな事するだけだから、男が介入して、男性目線を持ち込む需要が生まれるのだろう。
だから、女性アイドルのバラエティに、お笑い芸人みたいなのが呼ばれるわけだろう。
そして、そのために、お笑い芸人の方を面白い、男がいる方が面白い、男がいないと面白くない、女はつまらない、女なんていらない、と視聴者の心情が変化していく結果、この手のコンテンツは破壊されるわけだ。
要するに、まとめブログに良くいる、ゴミ屑どもみたいになるわけだ。
実際は、男タレントが、男目線を意図的に持ち込んでただけで、男が居るから面白くなるわけではないのだが、イメージと印象だけでしか考えられないタイプの奴は、ただ男の姿がないと面白くないかのように思い込むのかもしれない。(まあ、ただのホモか腐女子の可能性の方が高いが)
男が居たところで、そいつが男目線を持ち込めないなら、何一つ面白くはならない。
結果的に、女の方は、同性同士で、本当に安心して、より百合になるけど、男は、何か目的あって企んでもない限り、内心では、他の男皆ぶっ殺したいくらい不満が溜まってるから、ホモ営業なんてしようものなら、本気で嫌悪感しかなくなる
そこにホモを植え付けようものなら、一番危険なリョナホモと化し、男娼で出世したタレントなんかを殺したりする。
テレビのタレントは、ファンの女を、食い荒らしヤリ捨てしまくり、自分たちだけは、偽善たらたらで批判してきた、男のエゴと攻撃性とホモソーシャルを、裏で全開にしてるから、ああいうキモいことが出来るわけだ。
要するに、自分たちこそ、同じことされたら、秒でブチギレまくって、宮崎勉が聖人に思えるようなことを平気でするようになることを、一般人男性に一方的にやって、少しでも躓いたら排除、みたいにやってるわけだろう。
今や、連中の方こそ、彼らが選別してきた一般人より、はるかに攻撃的な遺伝子を有しているのではないか。
だから、彼らの工作で、彼らだけが子作りしまくってる国では、彼らが一般人に孕ませた子供が、彼らの工作により、危険な殺人鬼と化して、事件を起こしまくっているのではないか。
なぜなら、彼らは彼らだけで、その血の純潔を守ってきたわけだから、一般人に孕ませた私生児は、ただの忌子であり、ただの他人であり、何ならただの邪魔者だろうからだ。
少し血が入ってるだけでああなるなら、彼ら自体が、どれほど不安定な存在か。
それが、連中の言いなりに、男性差別をバラまきまくった国の末路だ。
結局のところ、女性配信者にとって、男と絡むメリットは何もない。
その時だけは盛り上がっても、ただ、視聴者をとられ、しかも、相手の女のファンからは、嫉妬されて憎まれるだけ。
それで人気が出た男の視聴者は、硬派ぶったりしても、所詮、男が女にセクハラするのを見て面白がってただけの連中だから、他に毒牙にかける女が常に供給され続けないと、どんどん不満がたまる。
お笑い芸人しかでない動画を見ても、糞ほども面白くないし、視聴者の方も、底辺の中の底辺を煮詰めて、最悪にしたような屑しかいないのと同じである。
結局、男目線を持ち込んでるから面白いだけなのだから、男が作る美少女コンテンツの方が面白くなるはずだが、そっちの方は、ホモ豚ゴミ屑工作員どもによってモラハラ弾圧、「男の作る美少女キャラは、中身おっさんでキモいー! ちゃんと女を描けてないー!」で、男目線を持ち込みづらくさせられるのだ。
当然、そうしたことをするメリットがあるのは、女と良く絡むあいつらしかいない。
そりゃ連中は、上手いことそういう、人を罵倒する工作なんてさせたら、有能だろう。
それが、連中が、低俗なド突き漫才や、ヒップホップなどという、ただ人を罵るだけの、有害なヘイト拡散コンテンツを広めた理由だから。
それが下火になると見るや、女性中心の箱なども作り、人気の女性配信者の囲い込みを始め、わざとつまらなくなるように誘導しつつ、しかも、それによって、男オタから搾取した金で、男オタのためには何一つならないイケメンコンテンツを作らせて、男オタを怒らせ、女性配信者にスパチャし難くしようとしている。
これら、少しでもイケメンコンテンツを作っている企業に、金を払ってはならない。
どうせ、誰も金を払わなくなって、儲からなくなっても、というか、そうなればそうなるほど、連中の金で、人を集めるために、面白いコンテンツを作らざるを得なくなるからだ。
逆に、金なんて払えば最後、もうそのレベルで満足するのかと、成長は止まり、同じことを繰り返し、飽きられたら、わざとレベルを落として、元のレベルに戻すだけで、金を払えと脅されるだけである。
ただ、連中は、他の創作者にも、似たようなアイデアを植え付け、まともに創作するモチベーションを奪うので、結局似たような事になる。
金のためだけでなく志を持ち、リアルの女の誘惑にも負けないような創作者にしか、金を払ってはいけない。
そうした創作者は、儲けた金を、純粋に創作のために使うだろう。
結局、金のために作ってるだけの連中は、儲けを大きくするために、ユーザーを騙すようなことを繰り返すだけで、よい作品を作ろうとは、端から思ってないのだ。
他の女性ライバーから、人気を奪って成長したライバーの人気は、女性ライバーと絡み続けることでしか維持できない。
まあ、視聴者は、最底辺のバカ餓鬼だから、最初は、どんなにつまらなくなっても気付かない。
段々、女っ気がなくなるうちに、不満がたまるが、自分が硬派ぶって女イラネームーブをしてたせいで、何が不満なのか、目を逸らし続け、まとめブログに居るような、最低の屑どもが量産される。
硬派ぶってかっこつけたがる奴に限って、何かあると直ぐセクハラ、隙があればレイプするような、自制心のない、ケダモノ同然のサカり犬が多いのは、そういう連中が、マスゴミによって大量生産されているからだ。
マスゴミの連中は、最も最悪なタイプのセクハラレイプ魔の集まりだが、自分たちだけ女を独占して、さも、マシな方だと見せかける。
もちろん、女を奪えば、宮崎勉など、ただの餓鬼にしか見えないような行為を行いだす。
実際、マスゴミの最底辺に居る連中の性犯罪率は、統計的に、他のどんな集団より高いことが分かっている。
昔から、映画やマスゴミの底辺スタッフは、何かあると、女優を犯そうとするケダモノだと知られていた。(博士の異常な愛情や、007カジノロワイヤルの脚本家、テリイ・サザーンによる、『ブルー・ムーヴィー』という、ハリウッドの暴露小説に詳しい)
マスゴミに居るだけで、他の職業より、はるかに女っ気があるはずだが、露骨な性の格差を体験することによって、憎悪の虜になっているのだ。
マスゴミの権力の中心にいる連中は、女優もグルーピーもやりたい放題だから、表面上理性的にふるまえるだけで、その本性は、ケダモノの中のケダモノであり、最も最悪なゲスである。
こうした連中に尻を振るクソ女は、最も性悪な毒婦であり、その罪によって、当然の報いとしてヤリ捨てられ、中古となり、ゴミのように捨てられたところを、同情しようものなら、正に、文字通り、その毒牙にかかる。
マスゴミが、女向けの殺人サスペンスを大量生産している理由を、そうした偽善者の、残飯食いのゴキブリどもは、殺されてから思い知ることになる。(元ジャニーズの追っかけ女と結婚した、紀州のドンファンのように)
もちろん、マスゴミ権力者は、こうした女たちを、ヤルだけヤルだけで、その手料理を、口にするような立場には、絶対にしない。
権力者たちが、テレビなんか、全く見ない女としか結婚しない理由が、ここにある。
ちょうど、麻薬の売人が、麻薬中毒者を、絶対に信用しないのと同じように。
そう、ちょっと強力な洗剤を使って、ちょっと(この副詞は、往々にして、凄くの言い替えである)洗い残すだけでも、簡単に、足がつかない犯行が可能になる。
そうして、旦那を毒殺した毒婦も、権力者の都合が良い時に、殺されるのである。
連中にとって、好きなように犯して捨て、邪魔者を殺させ、しかも、都合が良い時に、コロナなど、ありもしないパンデミックを捏造するために、いつでも殺せる女を手に出来て、一石二鳥にも三鳥にもなるわけだ。
非常に百合的な箱を持ち、それが人気の女性ライバーの場合、男性ライバーと接しても、被害が少なくて済む場合がある。
それは、百合の箱推しのファンは、まず、男性ライバーの映る動画を見ないということと、見ても、そもそも、男性ライバーに需要を感じないからである。
なぜなら、男性ライバーとの絡みに魅力を感じるのは、女性が、女性だけで居る時に、セクシャリティが薄く、男性ライバーと絡み、性的な雰囲気にならないと、女性としての魅力が出ないからであり、女性同士で絡んで、百合になれば、男性と絡む必要がなく、セクシャルになるからだ。
これは、人間に、最も近い霊長類であるボノボの研究で分かっていることだが、メスが、メス同士で性行為を行うと、オスが興奮するが、実は、その逆はあまりないのである。
特に、そうした行為を見ることを好むオスは、まだ、特定のメスの相手を持たない、若いオスが多いらしい。
ボノボにおける、オス同士の同性愛行為は、主に、尻を向け合っておしくら饅頭をする程度である一方、メス同士の濃密な性行為は、実は、自然の本能に根付いているようなのである。
おそらく、自然界においては、メス同士の同性愛行為を見ることによって、オスの性的抑圧を解消していたのであり、それさえ満たされず、強い欲求不満に陥った結果が、セクハラやレイプや、その他の憎悪的な異常性愛など、極端な行為に、オスを走らせる原因なのである。
なぜ長さで表すのだろう
いや、今自分は自然にこの場合のミリはミリメートルのことだと思ったが、単にミリとだけ言った場合長さとは限らないのか
ミリメートル (mm、粍) を指して単に「ミリ」とだけ言うことが多い。転じて、「1ミリも(〜ない/ぬ)」という形の、否定文脈で使われる程度副詞が用いられている[1][2]。
単にミリと言った場合、たいていはミリメートルって感覚はwikipediaに書かれる程度には多数派のようだ
この種の表現として古くは「一文にもならない」「一糸もまとわず」「一抹の不安」などがある。一文は貨幣の単位、一糸は細い一本の糸、一抹はひとはけ、ひとなすりの意味。
(2ページ目)いまや国会議員も多用 「1ミリも…ない」の語源と意味|日刊ゲンダイDIGITAL
古くからある表現の現代的バリエーションのひとつではあるということか
2つめは,コロケーションで「譲らない」「進まない」との結びつきが強いことである。これは「一歩も譲らない」「一歩も進まない」という従来の表現から移行であると考えられる。
なるほどなあ