はてなキーワード: 当たり屋とは
写真加工アプリで自分の顔を加工したおっさんが売名キチガイ女に絡まれてて可哀想wwwww
仮にアプリが「既存の女性の顔を学習してた」的な反AIが喜びそうな汚点があったとしても
(それも現時点では未定。つか有名人でもない特定個人を過学習はせんでしょ)
そう説明してるのにキチガイ女はフォロワーファンネル飛ばして「最悪」「気持ち悪い」「これは私の顔です」
他人の写真を使う心理、よくわかりません。と女性特有の決めつけ
おっさんはちゃんと説明してるのに、キチガイ女は反AI並に話が通じず、それは「私です」と。
(お前…おっさんだったんか…?)
ハッスルおちんぽ騎士団のアドバイスで、他人の写真に削除申請まで送り出す。
女は謝罪も訂正もせずに逃亡…なら良かったんだけど、普通に納得してない模様。
どんな馬鹿げた話でも訴えられたら対応しなきゃいけない今の社会、大変だねぇ。
未だに「なんの目的なんだか…」と言ってる模様。
※これはフィクションです。
同人とSNSと口は災いの元って話。余談はマジでただの個人的な愚痴。
日も経ったのでチラ裏こと増田で雑まとめ。ROMワイはヲチ気質があるのでAのきたねえ花火待ち。
前提条件:主人公のキャラメイクが出来るゲームの二次。規模はたぶん小さい。
先日、わざわざ「嫌い」シチュを公言+多方面に微喧嘩売った人(以下A)がいた。
界隈小さいのでこのシチュ作ってるって時点で数名しかいない。微喧嘩の方はみんなやんわりスルー。生きてる相互結構いそうなんだけど無風。
「嫌い」シチュで作ってて、直撃というか狙って言われたとしか見えない人(以下B)が色々あっておこに進化。ROMワイ的にも、怒るよなーの所感。
なお、Aの発言時AとBは相互。AからBをフォローしに行った(見てた)。
Aはフォローする前からBの作品に文句言ってたらしい。この辺りは追えてない。
「嫌い」は構わないけど、家族とか全然被らないコミュニティで言えば事故んないのにね?
そんな家族いない?友達もいない?職場も愚痴すら聞いてくれない労役砂漠?
じゃあ金払ってカウンターつきの飲み屋で管巻いt、それも迷惑だな。増田で吐きな。
ほんとはこんな注意を親にも周りにもされてこなかったカワイソAたそでうまい酒飲みたいからもっと花火あげて、が本音。
結構デカい範囲の嫌いも言ってたんでこの事故は起こるべくして起きた。記憶と合わせても、その都度界隈にやんわり空リプ反対運動起きてたはず。
インプレ回ってるのに一切誰も反応してなくて草。元々フォロワー数の割に反応少ないし自分から行かなきゃ交流もなさそう。
なんで?ヲチ的には嬉しいけど訳分からん。一切無風なのに火種になりかねないもの残してどうすんだろ。
無風なうちに早く消した方がいいと思うんだけど、もしかしてきたねえ花火飛ばしたい?お空飛びたいの?
・Bにロング謝罪文送付したらしい。
謝罪文は普通そこまでロングにならないので、自己弁護でかさ増しするという謝罪の意味がないうましかムーブが考えられる。
読みてえwwけどBが晒す気配なし。うまい酒飲めそうなのにな。Bそういうとこまともなんだよね。
なんでだよ。これほんと訳分からん。垢分けとかしないの…?もしかしてこれからもドンドン揉めて花火飛ばしたいのカナ?!
他人に向けてない発言と他人が読むかもしれないって配慮した発言は両立すると思うし、愚痴垢じゃねえんだから両立させないか?
・BにブロられてるはずなのにBの発言引っ張ってきて被害者ムーブするA。
「見に行った自分が悪いケド…」って、当たり屋が何言ってんだ?新手のMなのか??
わざわざブロック掻い潜って被害者ぶったのにこっちも無風。草。
余談:Bが筆折んなくて良かったね
Aはイラストhtr(htr=ヲタ語で下手くそ、の意味)。小学生の落書きをPCに取り込んでバケツ塗りした的なの想像しといて。
なんか周りにおだてられたのかこの前SS書いてたけど下手すぎてそっ閉じした。htrのエロって日本語書いてあるのに脳が理解を拒絶すんのな…。
(ROM的に嬉しい)作品がないという意味ではほぼROMと同じだが、本人の名誉のためにhtrと呼ぼう。
Bは、ジャンル小さすぎてよく分からんけどROMからすれば普通の短編書き。少なくともhtrではない。
今回Bが筆折んなかったし、界隈が年齢層高めだからか焼けてないけど、前ジャンルだったら同じ小規模ジャンルでも裏でDMもくり回りまくってたかもなー。
htrイラストもhtrSSも無いのと一緒だからhtrなんていてもいなくてもROMと変わんねーくらいの感覚だけど、生産者減るとROMとしちゃ困るんだよね。
htrは折るほどの筆もねえから居座りがちだし、早いとこきたねえ花火になって実害出す前に消えるかジャンル移るかしてほしいけど無理だよなー。
愚痴垢作ればいいのに作んないのは、無駄に10年選手のアカウントで生死不明の3桁フォロワーがいるから反応期待してなのかね。ってゲスパー。
実際嫌いをわざわざ言っちゃあ現実無風なんだから痰壺に隔離したって同じだろ。と思えない客観性のなさがうましかだから仕方ないね。ちゃんちゃん。
https://www.fnn.jp/articles/-/709665?display=full
渋谷スクランブル交差点に黄色信号で侵入したバス側面に、青信号の横断歩道を渡っていた歩きスマホの外国人女性がぶつかり道路に投げ出された瞬間が撮影され拡散されている。
Xを見ると女性が馬鹿女当たり屋等とバッシングされ、バス運転手が同情されているコメントが多数のようだ。
あんなでかい上に人通りも多い交差点に黄色信号で突っ込む方が無謀では?
黄色信号は急ブレーキになる等のやむない場合だけは通っていいだけで止まれって意味だし、横断歩道は歩行者優先なのに歩行者の横断を遮って歩行者が止まるのに期待して突っ込むのも違法だし、バスもかなり悪いようにしか見えないのだが不思議だ。
当たり屋の変形事例知らんの?
本当にお前は、お前らは頭が悪いよな。
あるいは、そのフリなのか?
搾取の問題としてより深刻なのはさ、「貧乳」が「貧乳」として愛でられてるところだろ? それが搾取って言いたいんだろ?
毎回毎回その視点がないんだよ。お前らは。ただただ男を馬鹿にして気持ちよくなってるだけ。
高身長じゃないチビ短足で不細工な君にも価値がある!可愛い!かっこいい!興奮する!
そういう「マイナスを良きものとし、ネタにし、作品として消費される」描写じゃないと、ミラーリングにはなりません。
でも、そうなると男は文句を言うか?=その描写に嫌悪感を抱くか?
答えは違うよね。なんでかな。
むしろ上記のように「高身長じゃないチビ短足で不細工な君にも価値がある!可愛い!かっこいい!興奮する!」なんて言われたら気持ちよく摂取されちゃうよね。
注意:ここで言う「オタク」は表現の自由戦士とかポリコレリベラルとか一切関係なく、漫画や映画に必要以上に入れ籠んでる、SNSに常駐するすべてのコメントイナゴのことである。
https://twitter.com/investorz_mita/status/1785504430030475277
自分にはまったくもってよくある誇張した漫画表現以上のものは何も見られず、また誰かを侮辱しているわけでもないので、何をどう炎上させる必要があるのか一切わからないが、これに対しX上のオタクコミュニティが親を殺されたような勢いで群がっている。
このリプライ、リポスト群を見ると、「オタク」(繰り返すが、エロ表現とかポリコレとか以前に、漫画や映画に必要以上に入れ籠むオタクすべて)がどうして普通の人に醜悪で気持ち悪くて有害な存在と感じられるのか、その悪いところがすべて凝縮されている。
以下ではそのポイントをいくつか挙げるので、人間的におかしいオタクをやめたいオタクは読むと良い。
この漫画の中では、別に「映画を損切りしない奴はバカ」とか言ってるわけではない。ただ、「映画を損切りする奴は投資にも向いている」と言っているだけである。「投資に向いていない」(それだって、作中に出来なかった部員がいるように、完全な落第扱いでもない)と評価されたからと言って、なぜ人格否定されたように怒る必要があるのか? オタクのこういう時折爆発する当たり屋的劣等感は、ちょっと常人の理解の域を超えている病気である。
コメントを見ているとわかるが、この異常な拒否反応の裏には「投資家」という、漫画のパターンとしては冷酷な悪役と見なされがちな属性に対する先入観に基づく全否定が根源にあるように見られる。「投資家は冷酷だ」「投資家は他人をバカにしている」「投資家は豊かな人間生活を否定している」という偏見に基づいて、作品を普通に読めば読み取れるキャラクターの人間性をまったく読み取らずに、何か妄想上の「悪の論理」を勝手に見いだして「どんな無理ないちゃもんをつけても良いもの」という扱いをしている。敬意を持つなんて建前すらない。
作中に「ぼくの見た奴は面白かったから」という理由で、映画を「損切り」出来なかったことを正当化している部員がいる。これ、普通の読解力で普通に読めば、作者のエクスキューズである。「これは彼らの遊びに過ぎないよ。『つまらない映画』なんて単純な評価はできないし、彼ら自身もそれほど信じてるわけじゃないよ」という意味を込めてなければ、作家はこんなセリフを書かない。しかし、これすらも、号泣暴走グルグルパンチと化したオタクには「作家自身も気づいてない矛盾を俺が指摘してやる」といういちゃもんのつけどころになる。こういうのに絡まれたときの面倒臭さは、増田も覚えがある。
そもそも、これは漫画、物語である。極端なキャラクター設定をして、極端な立場からものを言わせることでテーマを浮き彫りにするというのは、シナリオづくりの最も基本的なスタイルである。差別的な思想を語るわけでもなく、ただ「映画を損切り出来る奴は投資に向いている」という程度の思想をもって極端なことをするキャラクターぐらいを肯定的に描いただけで否定されるのならば、「漫画は面白ければ良い」だって「男なら戦え」だって「命を食べて生きる」だって、普通は極端であえて日常の中で主張はしないようなテーマである。これらのオタクは、そもそも漫画の表現手法そのものを全否定している。
結局のところ「オタク」には、創作に敬意を持っているからこそオタクであるという建前どおりの存在は少ない。少なくとも、SNS等で声の大きい奴らほど、そんなところからは全然遠い。奴らにとって本当に大事なのは「自分」(劣等感を抱えて何かにすがりたい自分)なのである。漫画や映画という創作物は、奴らにとっては道具に過ぎない。自分の劣等感をすがって誤摩化して糊塗するための道具だ。だからこそ、自分の劣情が発揮された瞬間に、創作物や表現者に対する最低限の敬意すらゴミのように捨ててしまう。作品を好きなように切り取りして読んで、書いてあることをねじ曲げ、ごくごく当たり前のデフォルメ手法すらもあっさりなかったことにして見せる。
オタクと言うのは、漫画や映像という他人の創作物を身勝手に援用して、自分の劣等感、攻撃性を解放したいだけの、要するにフーリガンなのである。
前
https://anond.hatelabo.jp/20240502193038
学生時代は、健康づくりのために、鹿渓館(学生棟)という建物の地下2階にある【トレーニングルーム】に通っていた。授業が終わった後に、週に三度くらいかな。
ここでは、体育会部活の支配(?)が圧倒的だった。柔道とか空手とか陸上とかラグビーとかウェイトリフティングはもちろん、数多くの部活がトレーニングルームを使用していた。めちゃ狭かった思い出がある。
自分のように体育会でない者は、ひたすらにベンチプレスの順番を待つしかなかった。でも、なかなか空かないんだよな。ベンチプレス。あとは、体育会の利用者が優先という空気があったし、実際そっちの方があるべき姿だと思っていた。
ただ、自分の番が周ってきて、ベンチ台でバーベルとか持ち上げたりするじゃん。その時にさ、ガーーーンッ!! という大きい音がするのだ。見れば、隣のスペースでアップライト気味に胸~頭上にバーベルを上げていた柔道部の人が、バーベルを放り投げるようにして床に落とすのだ。
あれは、マジでびびったわ。重さが50kg以上もある物体を放り上げるだけの筋力が俺にもあれば、驚かずに済んだのかもしれない。
結局、夕方以降にトレーニングルームを使うのはやめて、早朝にトレーニングする派に転向したんだっけ。朝だったらベンチプレスも、腹筋台も、エアロバイクも、大型鏡の前も空いている。
確か、カブトムシその他の甲虫類が、クヌギやコナラの樹液を深夜に吸うのって、スズメバチを回避してるんだよな。日中にスズメバチとやり合うと甲虫側がボロ負けするので、彼らは仕方がなく時間帯を変えて樹液を吸うのだ。俺もその仲間だった。正体は甲虫類である。
ただやはり、体育会の人たちはバックグラウンドが違うこともあって、正直無理なことがあった。特に野球部や柔道部といった上意下達のイメージがある部活は、当時の自分からするとヤベーことばかりしていた。
夕方以降にキャンパスから下宿に帰ろうとする時、北側キャンパスの中庭付近で、体育会の人たちがバイオレンスなことをしていた。例えば、誰かのTシャツの胸あたりを両手で掴んで、ブンブン振り回していた。後は、後輩にエレベーターかトイレの前のタイル貼りのところで、床オナをさせていた。あれは振りだったと信じたい。通りすがりの人は普通にスルーしていた。
基本的に、体育会の人達はやりたい放題だった。2024年現在と比べれば、あの頃の世界は「実績があれば何でもよかろう」の世界だった。実際、彼らはある程度の実績を出している。
例えば、先ほどの鹿渓館の中にある部室棟について、2階とか3階の日当たり良好なスペースは体育会が占めていた。部室の出入口は中がいつでも見えるように、目線の高さの0.5㎡ほどがガラス張りになっているのだが、彼らはそれすら張り紙で覆い隠していた。たまに、男性や女性の怒声や、うめき声や、金切り声が聞こえていた。一体、中で何が行われていたのだろうか……。
ちなみに、【文化系部活】は地下1~2階に生息していた。ジメジメとした暗い空間である。そこで毎日の部活動をしていた。最新の大学キャンパスを見る限りは、おそらく今でも其処に彼ら彼女らは生きているのだろう。
まあ、でもこの頃って、だいたい20才くらいだったからだろうか。なんでも楽しかった記憶がある。
大学の構内だと、学食でごく稀にだけど、同じゼミの人と一緒にご飯を食べることがあった。京都の山間部にフィールドワークに行く関係で、事前に同じチームで親睦を深めるのだ。半強制のイベントだったけど、ああいう体験って、あの時分じゃないとできない。
大学近くでも、例えば喫茶店がふたつあったんだけど、社会福祉のカフェの方に割と行っていた記憶がある。お値段が安いからだけじゃなくて、なんか、どんな人でも受け入れるというか。そういう感覚がよかった。
教授が言うには、昔は大学に接している市道の上に、お昼時にたくさんの屋台が出店していたらしい。むかし、食中毒みたいな事件があってからは締め出しにあったみたいだけど、人生で一度は観てみたかったな。
大学の構外だと、ちょっと北の方にはおいしいラーメン屋とか、南の方にはカフェとか、中華料理のお店とか、いろいろあったな。文芸サークルの皆でよく利用していた。
今はどうか知らないが、大学の授業の出席確認に際しては、出席カードを提出する形式だった。時代の先を行っている大学だと、学生証をピッとやれば出席したことになるらしい。
どうでもいいけど、今って授業は15回中10回以上出ないと単位をもらえないらしい。厳しいんだな。あと、年間に取得できる上限単位は42らしい。ちょっと少なすぎるよ。俺の時だと、大学3回生の前期終了時点で最低110単位は取っていたはずだ。
さて、あれは大教室での授業の時だったか。秋だったと思う。佛大の若き学生がこの日記を見ている可能性はほぼゼロかと思うが、5号館の101という大きい教室(余談だが同志社の講義室に似てる)で、中国明朝の歴史の授業中だった。当時の日記によると、倭寇とか康熙帝とか足利義満とか、そのあたりの絡みがある回だったとある。もちろん全く覚えていない。
授業が始まると、出席カードが前の席から回ってくるのかな~と思いきや、一番前の人が一番後ろの席まで配り切る形式だった。自分が出席カードを受け取ると、すぐ後ろには野球部と思しき人達がいた。彼らは、「すんません、出席カード追加で5枚くれる?」と発言していた。
出席カードを配ってる人が「すいませんね~」と言って去ろうとすると、「おいお前、待てやコラ!!」と野球部の人達が彼に絡み始めた。出席カードを配ってる彼も引かず、収まる気配がなかった。
これはいかん、と思って俺は、「ちょっと、ちょっと~」と騒いでいた。やがて中年ほどの先生がやってきて、彼らをひと睨みすると、何事もなかったように騒ぎは収まった。
上記のニュースは私が入学する前の出来事だが、大学の体育会というのは、どこもこんな感じだろうと思う。佛大野球部も、京滋リーグという枠ではほぼ無敵だった。その線でいくと、日本大学もそういう感じだったのだろう。結果だけは出していた。
結果を出しているうちはいいのだが、佛教大学だって、やりすぎるといずれは日本大学や福山大学のように、不祥事(大麻とか)>実績となってしまい、とんでもない結末を迎える。
https://www.bukkyo-u.ac.jp/news/info/20240213-26933.html
上記のように、今でも事件はあるといえばあるが、こういうのはいいよ。間違った人材(臨時雇いの研究者)を雇ってしまったんだろう。大学側はいわば騙されてしまったわけだ。次から気を付ければいい。
ただ、卒業生の一人としては、学生という本質的な存在についてはキッチリと管理して、自分のように不愉快な思いをする学生を無くしてほしいと感じている。
不満ばかりを書いてる気がする。
大学生活、楽しいことはいっぱいあった。例えば部活がそうだ。文芸部(サークル)である。
文章を書くのが好きだった。それこそ子どもの時分から。中学でも高校でも、そういう系の部活がよかったけど、運に恵まれなかった。大学生になって、ようやく文字で作品を創造する喜びを得ることができた。
あとは、学園祭だ。その名も鷹稜祭(おうりょうさい)というイベントなのだが、年に一度の楽しみだった。一度だけ実行委員になったことがある。みんなで何かひとつのものを作る、といったら大げさだけど、最初は何をしたらいいか全くわからない……という段階から、次第にステップを踏んでいって、尻上がりにイベントづくりが面白くなっていく。
最初の一歩を踏み出すのが早ければ早いほど、ドンドンと楽しくハイになっていって、最終日を迎える頃には、自らがイベントと一体になっている。自分と仕事がひとつになっていく感覚。
こういう感覚は、仕事はもちろん、趣味の活動にだってある。精神的な意味で、自分とナニカが溶け合ってひとつになっている感覚である。そのナニカは、人によって違う。パートナーや仲間だったり、参加してる社会そのものだったり、取り組んでいる事柄だったり、特定の空間だったりもする。
ひとつ、少なくともひとつ、大学に進学してよかったと思えるのは――これまでの人生で一番、没頭できるものを見つけられたことだ。これだけで大学に進んでよかったって、そう思える。
あとは、アニメがそうだな。それまでのアニメって、安っぽい作画が多かった。特に、子ども向けアニメはそうだ。ポケモンはまだいいけど、デジモンとかはひどいものだった。この頃から、なぜかはわからないが綺麗な作画が増えていった。
どのアニメかは忘れたけど、女の子がドンパチやる系の朝のアニメで、必殺技のダンスのバンクがあったのだ。サンバを踊ってたんだけど、最後に「ウー!マンボ」ってやるんだよな。「サンバなのかマンボなのかどっちなんだよwwwwww」と、当時は大笑いした記憶がある。
え、そんなものが面白いのかって? 当時はまだ20代前半である。箸が転んでも面白い年頃なのだ。
次
どうやらガチで怒ってる人もいるらしい。
ジャンルごとバカにされてる感もあるから怒るのもわからんではないけど、「双方がネタだと分かった上で敵味方に別れて喧嘩してる風のコントをする」のを「プロレス」と言わずに何と言えばいいんだ?
プロレスマニア自身も「ベビーフェイスとヒールは本当に心の底から憎しみあっている!」とは思ってないだろうし、「プロレスの決着は選手同士が真剣に勝利を求めた結果だ!」とも思ってないだろ?
別に素人が喧嘩風コントを「プロレス」って言っても構わないだろうに、いちいち「プロレス」発言した奴に突っかかって「訂正しろ!」とか言ってくる奴が側から見てて鬱陶しい。
どう考えてもこの先、世間で喧嘩風コント=「プロレス」という図式が覆ることはなさそうだし、それより「プロレス」という単語が世間から忘れ去られる方が早そうだから、もうその辺の言い方で当たり屋みたいに因縁つけるのはやめてもらえないだろうか。