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はてなキーワード: 女流とは

2020-09-21

anond:20200920164453

義太夫

若い女の子がやる義太夫明治時代大人気だったらしい。熱狂する書生さんグループがいくつもあって社会的問題になったり、今のアイドルみたいな感じ。歌舞伎ジャニーズ、娘義太夫=48とか坂道とか?

ということで、当時の芸能という面では覇権を取ってたといってもいいと思う。

それが現代では、かつてすごく人気があったということ自体が忘れ去られてるので、忘れ去られ度は高い。

今も女流義太夫の会は開かれてるらしいけど、文化保存みたいなものであって、そもそも10代の美少女がやるわけじゃないから娯楽としての娘義太夫は完全に滅んだと思う。

2020-09-12

anond:20200911131435

Mリーグはじまって女流プロをおおっぴらに叩けなくなったダサい雀荘おじさんの熱いマウント欲を一身に受けるVかわいそう

2020-09-11

anond:20200911174526

それはよく言われるけど、別に女流に限らずとも全体の数が少ないので…

女性プロ棋士が生まれない理由女流棋士という低みも原因じゃない?

女流棋士という職はプロ棋士と比べると圧倒的に弱くても女流棋士の枠組みに入れてしまう。

プロ棋士

奨励会三段~6級 三段で1,2位でプロ棋士

研修会A~G ここのB2女流2級を名乗れるライン

さすがに2級では大したことないが、1級ならプロ棋士の隣でTVに出てアシスタントする盤上解説仕事があったりとプロと並んで仕事もできるし女流って枠の中ではプロ対局にも困らない

死ぬ気で強くならなくてもプロになれて仕事ができてしま環境死ぬ気で強くならないとプロにすらなれない男とシノギを削って強くなろうって気力のある人は人口以上に少なくなると思うよ

2020-08-26

第45期囲碁名人戦第一

Twitterフォロワー村長8000人で芝野名人4000人ということから察するに、はてな村の半分くらいの規模を誇る囲碁通信です。

https://anond.hatelabo.jp/20200824205956

前回、ゴシップとクソニュースけが目的だったのではなかったのにもかかわらず、書いているうちに名人戦はどうでもいいやと忘れてしまたことを謝罪しなければなりません。本来ならば

明日明後日囲碁名人戦!一日目の裏番組がAbemaでの竜王戦挑決?所詮タイトルも持ってない羽生を誰が観るか!こちらの史上最年少名人しばのvs国民栄誉賞ゆうたは日本囲碁最高峰ゴールデンカード将棋連盟おわったな!

などと炎上覚悟宣伝すべきであるところ、誠に申し訳ございませんでした。

そんな放送の録画をはこちらのURLで見ることが出来ます

https://www.youtube.com/watch?v=sBle346Hp0I

ホテル椿山荘で盛大に開催している割には2020年にまるで北朝鮮からサッカー中継の画質、実はダイオウグソクムシ放送ではないかと疑うほどに動きがなく、大盤解説は1日2回朝日新聞チャンネルで!という最高品質に酔いしれる。

「もう悪いことは言わないか幽玄の間は諦めろ、みんな野狐で打ってますよ」という民の怒りの声が聞こえないのか、素人Youtuber以下の装備で数時間に一回の解説に懸命な平田と孫の姿に号泣必死。この感動大長編に「一緒にイゴ泣きしません?」のキメ台詞を加えれば気になる人とのデートムービーにもってこいだ。

まりの低視聴者からニコニコとアベマに叩き出されたことを開き直り、全力で後ろに向かって突っ走った結果がこれである。ついに日本棋院は同時視聴者数が5000人を余裕で下回る偉業を達成し二流どころか三流のYoutuber組織恐竜進化を遂げた。三大タイトル戦ですら本田翼に比べ三十分の一以下であることを踏まえると、日本棋院がジオン棋院に改名する日は近い。

ちなみに放送最初から最後まで視聴するとクンダリニーシャクティ覚醒させるのに非常に有効なことを皆様はご存知でしたか山城宏が禅語を毎日ツイートしている真の理由チャクラを開くためだということが理解できます

やたらハイペースに進んだ1日目に井山挑戦者が大きなリードを奪ったところで「そういや井山vs虎丸というと今までも碁の内容は……」という考えが頭をかすめたが、2日目の虎丸名人決死の猛追で最終盤のヨセ勝負へ……わずかに届かず。と終盤になるにつれエキサイティングだった名人第一局。碁の内容が良ければ流行るなら、世は空前の囲碁ブームであるのだが。

おしらせだけ

https://www.youtube.com/watch?v=FqSP57kR7eU

https://www.youtube.com/watch?v=3jxVk2Gs-JY

2020-08-09

anond:20200809092913

はい‐しゅつ【輩出】 の解説

[名](スル)すぐれた人物が続いて世に出ること。また、人材を多く送り出すこと。「逸材が輩出した時代」「各界に人材を輩出している名門校

「幾多の女流を―して近代的特色のある写生句をうむに到った」〈杉田久女・大正女流俳句近代的特色〉

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%BC%A9%E5%87%BA/

ジャンプなんか読んでいる暇があったら国語勉強しろ

anond:20200808201522

90年代に「のら」っていうマンガ作品があってな、女流作家だけど青年誌掲載されてたやつらしいのだが、公園で寝泊りしてた若い女性がヤられたあとっぽいのを通りかかった青年発見するのだが、当の女性(フツーにキレイかわいい)はあっけらかんとしていて、慣れっこになっている描写があって、ワイは二、三回ほど手にしたことあるけど読むのがキツくて、いつもすぐにそっ閉じしてブクオフの棚に戻してたやで...

2020-07-27

anond:20200726200159

これが文章だろ

(あのクソオブクソお気持ち発表文タレ流し女流作家(笑)どもは爪の垢もらってこいや

2020-06-29

香川愛生さんも可愛い

藤井七段の棋聖戦第2局の聞き手 山根ことみ女流二段 が かわいい話題のようだ。

にわかファンつべこべ言っててムカつくので「かわいい」「強く美しい」な女流棋士と「だいしゅき」をここに書き留める。

かわいいの筆頭は香川愛生女流三段だ。これが絶対だ。過去に触れてはいけないところも魅力だ。

竹俣紅さんも可愛かった。ただ棋士感がなく萌えなかったな。辞めちゃったし。

中村桃子女流初段も可愛い

この3名(現役2名)は顔面偏差値が別格。

強く美しいのは

加藤桃子女流3段 と 西山朋佳奨励会3段

加藤桃子女流3段は男勝りな感じの棋風でとてもかっこいい。ゴリゴリ居飛車党。ラオウ

西山朋佳奨励会3段は柳のようにしなやかな印象。柔軟な振り飛車党。トキ

西山3段はもう少しで女流プロじゃなく本当のプロに成れそうなほど強い。(女性ではまだ0人)

特に女性女性らしい将棋で強いって感じがしていい。

どちらも一手指す毎に悶絶出来る。

でも一番だいしゅきなのは貞升南女流初段。なんかもうたまんない。

2020-06-25

女性は体力も知力も男性に劣っているよね

体力差があるのは異論のないところ

じゃあ頭の良さに差はあるのか?だけども

名大学の入学者はどこも男性の方が多い

最高峰頭脳結集する棋士に関しても、将棋女性棋士存在しない

女流トップ棋士ですら、奨励会から4段にはなれなかった

ノーベル賞受賞者男性ばかり


これは、教育の差、競技人口の差、文化的歴史的背景と言ってしまえばそれでもいいのかもしれない

一応もっともらしい説明になる

社会男女差別があって、女性が機会に恵まれない、それさえ平等になればトップの男女比率は半々になるはず、、、、、

本当かな?

本当にそんなので、何百人の男に1人の女も混じれなくなるのかな?

トップブトップというか、人類が到達できる最高峰って、やっぱり男性しかたどり着けない領域なんじゃないかな?

もちろん、年に1人の毎年いるレベルトップ、くらいのレベルには女性普通にたどり着くし、一般男性じゃ太刀打ちできない女性もめちゃくちゃいっぱいいるのは当たり前

体力ですらそうで、ほとんどの男がいくら頑張っても、福島千里より速く走れないし、浜口京子ケンカで勝てない

高校の成績学年トップ女子、というのも全然珍しくない

一般人レベルで、個体を比べる時に先入観で男女差があると思ってはいけないのは当然


でもなんだろう

人類史上の、トップ頭脳500選、とかやったとき、そこに入れるのはキュリー夫人だけじゃないのかなって思う

芸術家とか、そういう文化的情緒方面で優れた女性がいるのは、それもまた当然として

本当に、思考力と発想力、課題解決能力を基本とした、頭の良さだけの話で、最高到達点にはやっぱり男女差があるんじゃないのかな?

2020-04-20

anond:20200420122951

 将棋場合だと、女流棋士勉強会に参加させてもらえないという話。イベントなどで薄給でこき使われがちだったり、仕事掛け持ちで生活費を捻出しなければならないので、勉強時間が不足しがちとか。そんな訳でいつまでも女流は全体的に弱く、弱いという事実が一層「女に将棋を教えても無駄だ」という偏見が強化されていっている。

 女性棋士女流棋士そもそも別物で、女流プロ棋士よりも入段基準が低いというし。女性棋士男性と同じ基準で選ばれる。

 一方で囲碁場合プロ世界では男女の待遇差がないらしく、女性棋士でも男性棋士と互角に渡り合っている棋士はちょくちょくいる。

 シェ・イーミン、仲邑菫(まだ子供だけど)、ヘイ・ジャァジャアなど、見た目と実力かね揃えている広告塔にうってつけ人材もいるし、あの藤沢秀行の孫、藤沢里菜もいる。女だからって冷遇するのは勿体ないんじゃないか、たぶん。

 ただ、子供囲碁を取り巻く環境あんまり変わっていないというか、女児に不利だなと見ていて思う。女の子でも、強い子は強い、大会ベスト4の一人くらいは女子がいる感じ。だが、保護者意識としては「女の子勝負事なんて……」っていうのがまだ根強い。仲邑菫効果女児の入門は増えたように見えるが、やはり高学年になると、男の子は碁キチでも暖かい目で放置されるが、女の子は進路選択を突き付けられて碁にかまけてはいられないように見える。

 ……という現実を見ると、強い女性棋士は出てくるものの一部の特別存在みたいに思われちゃって、プロ棋士の半分が女性には当分ならないんじゃないかと思う。

 ただ、プロなっちゃえば露骨差別される訳ではなさそうなので、女だから弱いということはないだろう。

2020-03-13

anond:20200313225504

プロ棋士に男女の区別が無いように、プロスポーツ選手も男女の区別をなくせばいいと思う。ファンスポンサー女性優遇したいのなら、女流スポーツ選手枠を作ればいい。それでもMtF(男性から女性への性転換)のスポーツ選手女性として出場する問題解決できないけど…。

2020-02-27

anond:20200226183247

しかにそうだ

なにしろ今回は新人5人と対局して勝ち越したわけだが

プロになったばかりの新人プロ全体でいうと平均して中くらいの棋力があるはず

まりもっと弱いロートル棋士はいくらでもいる

そういう人たちはアマトップ女流トップとやると3割-4割くらいしか勝てない

それなのにそういう人たちは対局がつく限り対局料が出る

ある意味規制にまもられている

これは他のゲームチェスEスポーツじゃありえない

囲碁にしても将棋ほど守られているわけではない

まあそれが理由トップ中のトップでも賞金対局料が1億行くか行かないかくらいで囲碁の半分、チェスの2/3くらいになっている

日本では将棋のが囲碁より全然人気あるのにそうなっている

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

2019-12-18

津原泰水に絡む伊東麻紀から見る議論の悪い見本

要約

津原泰水発言に関しちゃ「女流文学」という言葉が今ではあんまり推奨されない言葉なのも相まってちょっと雑語りなのでは? でも伊東麻紀は津原泰水男性であることを以て勝手女性蔑視の話に紐付けているのが最悪。

経緯

津原泰水がこう呟いた。

少女漫画女流小説が、政治を直接的には描いてこなかったというのも、一因のような気がする。そこ、完全に座席が空いている。

https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1206719227022860288

で、それに対して伊東麻紀が津原泰水作品には女性蔑視的な部分があるという言及をして、色々と揉めている。

あんまり言いたくはないんだけど、この方もうっすら女性蔑視が漂ってるんだよね。作品を読んでいてもそれは感じる。いや、本当にあんまり言いたくはないんだけど。

https://twitter.com/ItohMaki/status/1207045087860887554

揉めてる様子は各位Twitterを見てくれ。

解説

この話のポイントは、発言者の経歴とかを度外視して「字面から推測できそうな意図」だけ読み取ってしまうと意味が全く変わってしまうというところ。

まず、津原泰水は「女性作家」の話をしていない。津原泰水自身津原やすみ名義で少女小説を書いているのだ。しかも2−3作ではなく、30冊近くに登るはず。つまり、「少女小説を書く男性作家である津原泰水は、「少女小説」の書き手女性限定されないことを誰よりも知っているのだ。その意味で、「少女漫画」「女流文学」の書き手女性であるとは限らないことも理解している(実際、他ユーザーとの女流文学に関するやりとりの中で紀貫之を例にあげている)。

更には、この発言自体過去の話を話題にしている。女流文学というものがある一定範囲で許容されてきた歴史存在することは(残念ながら)事実である。ついでに言えば、元発言自体ジェンダーギャップ自体批判する文脈である。その点を見過ごし、「女流文学」という言葉を使ったことだけを以てして、津原泰水発言女性蔑視的なものだと読み解くのは、解釈の飛躍である。「女流文学」というものはたしか存在「した」し、津原泰水現在の話には一言も触れてない。むしろ津原泰水さんの立場から見た場合に、上記発言は半ば自戒反省意図の方が大きい筈であるもっとも、「少女漫画」「女流文学」「少女小説」全部違うものであり、少女小説書き手であれば少女漫画女流文学を語れるのかというとそれも少し違う気がするので、増田自身津原泰水のこの発言をうかつだと思うし、正直雑語りだと思いますよ。

それはそれとして、伊東麻紀はどのようにこの件に絡んでいるか

まず、引用RTにて「作品から女性蔑視が読み取れる」という話をはじめ、やりとりの中で「女流作家という言葉を使う時点で女性蔑視」と津原を批判する。また、「津原やすみ」名義の作品を読んだことがない上に「読む気もない」と述べており、津原泰水が「女流文学」という過去ジャンルの話をしていたことに気づき脱力」する。

女流ですか。その表現自体男性よりはワンランク下というニュアンスが含まれてるんですがわかりませんか。女流と呼ぶなという女性作家は少なくないと思いますが。もうその時点で女性蔑視なんですよ。

https://twitter.com/ItohMaki/status/1207176254643793922

津原泰水名義の作品なら読みましたよ。それだけではご不満ですか。わざわざ古本少女小説を買って読め、と。お断りします

https://twitter.com/ItohMaki/status/1207172161422557185

やっとわかったような気がします。「少女漫画」や「レディコミ」と同じように「女流文学」というジャンルがあって、作家性別にかかわらず、そのジャンルに参入することは可能であるという認識だったわけですね。あまりにもズレがありすぎて、これ以上会話できるとは思えません

https://twitter.com/ItohMaki/status/1207187821678583808

はあ、ものすごく脱力。結局、最初から最後まで噛み合わない話をしてたわけだ。

https://twitter.com/ItohMaki/status/1207191049891762176

ここでのポイントは、「津原泰水女性作家責任をおしつけている」という前提で伊東麻紀が話を進めていることだ。津原泰水は一貫して「少女漫画」「女流文学」の話しかしていない。概ねの傾向として女流文学と呼ばれるもの殆ど女性作家によるものなので近いようにも見えるが、津原泰水の経歴を考えるとそこを同一視することはまず有り得ない。仮にあったとして、津原泰水発言は半ば自省や自戒を含むと読める。この、カテゴリの話を女性の話に飛躍させている、そこに解釈の飛躍がある。誰も、そんなことは一言も言っていないのである。むしろ文学において書き手性別作品作風とは関係がないこと、そういう垣根は超えられることを実践してきたのが津原泰水なのである

ここから得られる教訓はいくつもあるんだけれども、確実に言えるのは伊東麻紀は「言ってないことを勝手に読み取る悪い見本」ということだ。書き手男性であること、自分少女小説に嫌な思い出があること、女流文学というカテゴリに対して批判的な態度をとっていること、そういった先入観が、津原泰水に対する潜在的拒否反応を生んでいる。その前提からスタートするため、津原泰水発言から悪意を勝手に読み取っているのである。たとえば、やりとりの途中で津原泰水本人から少女小説を書いていたか女性気持ちはわかる」と津原泰水が言ってもいないことを勝手に読み取り、本人から問いただされている。

少女小説を書いていたか女性気持ちはわかるし、女性蔑視もしていないというのは思い上がりですよ。性差別社会構造のものに組み込まれているものです。誰もそこから完全に自由ではありません。女性である私自身でさえ、女性蔑視無意識内面化してしまっている部分はあるでしょう。

https://twitter.com/ItohMaki/status/1207173245478174720

少女小説を書いていたか女性気持ちはわかる」というのは誰の言葉

https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1207174096586342401

ひとと議論口論をする上で、この「相手の言ってないことを読み取らない」力はものすごく大事能力なんだけれど、残念ながら知識豊富さや政治スタンスの正しさと相関性がない。「何を言ってるのか」、ひいては「何を言ってないのか」を読み取らないと、会話は全くかみあわなくなる。相手言動から可能な限り意図を(できる限りフラットに、つまり悪意をできるだけ排除して)推測しようとする力は、最低限相手に対するリスペクトがないとできない。「コミュニケーションをとる相手に対して、少なくとも最初のうちは表面上だけでも最低限のリスペクトをとる(たとえば津原泰水最初伊東麻紀に敬語で話しかけている)」という、人間社会生活を送る上で多かれ少なかれ求められることができない人は男女関係なくたくさんいるんだなぁ、という悲しい気持ちが心に無限にわいてくるのである。本当に悲しい。

みんなも気をつけてね。具体的には、これを読んで「だからフェミニストは駄目なんだ」と言おうした人たちも危険信号からね。

2019-11-16

anond:20191116191344

社会的影響力なんか乏しい1人の小物フェミや小物女流作家

を回せばより強い仲間意識ができそう

anond:20191115212306

ホモソーシャルとヤリサーの親和性について補足すると

「同じ女を皆でヤって仲間意識共犯意識)を補強する」という

グロテスクきわまる心性というもの存在する

社会的影響力なんか乏しい1人の小物フェミや小物女流作家

皆で集まって叩いて楽しく盛り上がってる俺らのことだ♪

いうまでないことだが、こーいう

「1人をスケープゴートにして皆で楽しく結束」は女性にもある

直接暴力によらない分もっと生理的には陰湿場合もあるかも知れない

ただ、男の場合はたまに、暴力であることが男らしくて良いこと

みたいな価値観問題をこじらせている

2019-05-30

女子(e)スポーツ選手容姿差別されやす理由

理由は2つあると思う

1つ目はスポーツにおいて女子スポーツというのは男子スポーツの「劣化版」として見られるから

勘違いしないで欲しいけど女性男性と比べ人間として劣っているというわけじゃない

ただ、身体的な強さでは平均的に男性が優位であることを否定する人間はいないと思う

サッカーバレーのように(男子比較し)フィジカル制限があることにより戦略性が高まり面白くなるスポーツもあるけれど

そこに面白さを感じるためにはある程度目が肥えている必要があるので、大半の素人にとっては男子スポーツの方が派手で面白

オリンピックパラリンピック関係に近いかもしれない

そしてこれは環境的な問題なのか、身体的な問題なのかはわからないが、将棋囲碁等のマインドスポーツに関しても「女流」とつくと格段にレベルが落ちる

なので特にそのスポーツに対して知識経験があるわけではない一般大衆があえて「女子スポーツ」を観るときは、その実力以上の(容姿などの)付加価値を求めてる場合が多い

なぜなら単純に強いプレイヤーを見たければ男子スポーツを観ればいいだけなのだから

もう一つは「嫉妬」だ

他のスポーツと違い男女混合で競い合うゲーマー界隈には「姫ブ」なんて言葉がある

ブーストの略でLoLなどのチームプレイ前提のゲームでよく上がる言葉

「本人には大した実力はないのにオタサーの姫のように女慣れしてない(ゲームが上手い)男オタクを囲って勝ち上がっていく行為」のことだ

まり自分より弱いくせにちょっと見た目がいいとか声がかわいいってだけで勝ち上がれてズルい」ということだ

実際に明らかに姫ブで勝ち上がってる人間もいるにはいるが

今までそれなりの実力を発揮してきたプレイヤー容姿や声が表に出た途端

「どうせこいつも姫ブだろ」と批判されることが結構ある

ちなみにこういった批判男性からもあるのだが、(自分が女だからかもしれないが、少なくとも自分観測範囲では)女性から批判の方が多い

他にもいろいろあるけれどe-Sportsにおいて女子プレイヤー容姿言及される理由基本的にはこの2つだろう

ちなみに男子プレイヤーについては理由は異なり

男性ホモソーシャル体育会系ノリ(軽い肉体的、精神暴力は「かわいがり」の範疇のような価値観)が根源にあると思われる

2019-05-24

anond:20190524101019

見た目から開放されて腕前だけで評価されるようになったら、女流騎士は全滅

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