「格言」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 格言とは

2021-05-06

anond:20210506203448

はてなを捨てよ、街にでよう、っていう格言もあるからたぶんお遍路とか熊野詣でとか伊勢参りかに行くのではないか

一部はスラド帰りするかも

2021-04-22

そもそもピッチャーが投球をしなければいいんじゃない

絶対に打たれないよな

 

雉も鳴かずば撃たれまい、の格言の通り

2021-04-18

anond:20210418135950

https://anond.hatelabo.jp/20210411161722コピペ

本人なのか別人なのかは知らないが

空気読めてなさすぎだし、指摘されてるけどスレ違いどころか板違い

マルチポストも5chでは嫌われるし(ってかどこでも嫌われるだろ)

半年ROMれという懐かしの格言を言いたくなる

2021-04-17

anond:20210417075423

君には「買いは家まで売りは命まで」とか「中央銀行には逆らうな」という投資格言を贈りたい

2021-04-06

anond:20210406173521

横だが、「ブスでも収入があれば十分付き合える」っていう想定をしてみよう、って言ってんだから、そこで否定してどうする。


「稼がなきゃいけないプレッシャー逆差別だ」っていう主張をするなら、

 「女性にメインで稼いでもらうのもあり」

 「収入が一番のポイントであって、それ以外は重要じゃない」

っていう世の中にしたいってことだよね。

その方が男性としてもラクに生きれるようになると思うけどね。

オレにヒモ気質があるってだけじゃなくて。

「外見は関係ない、生活力で選びたい」っていう判断で選んでる人がいま女性にいるように、それと同じ視点で選べばいいだけだよね。

そもそも結婚相手を外見で選んだら後で後悔する」っていうのは、すでにたくさん格言がある話だし。

極端なヒモの例で言えば、やっぱり外見より生活力だしね。


←これらの話は全て「自分が選ばれるに値する」、っていうのはクリアした上での話だけど。

2021-04-04

シンエヴァに出てくる妊婦が怖い

人類滅びかけて今後どうなるかわからん世界に、子供産んじゃうのか 委員長もすごい 格言製造しまくるし最強

最後の一人にならないと人間て途絶えないんだな 畏怖の念を抱く

やっぱり、ここで自分達が死んだら人類終わりや、なにも残らねえってなると、真面目に協力して頑張ろうとなり、ホワイトな村が出来上がるんだろうか…

あのおばちゃん達は妖精かなにかか??

と序盤ポカーンとしちゃって、途中まであんまり話入って来なかったけど

ミサトさんのおかげでなんとかついていけた

おめでとうミサトさんありがとうミサトさん

2021-03-30

anond:20210330110547

からから 「○年ROMってろ!」 って格言があるんだよ

オリコウニナッタネw

2021-03-27

「なぜ会社新人は"下積み"をするのか?」を理解しないのは損である

新人は下積みから」やら「石の上にも三年」やらと色々と新人がつまらない雑務をしたりすることへ色々な言い回し格言があるけれど、新人はこれらの言葉を一旦忘れるべきだ。
もちろん様々な言い回し格言には過去世代の積み重ねがあって示唆に富むものではあるのだけれど、ぶっちゃけお前ら新人がこれを真の意味理解するには人生経験が足りなすぎる。
少なくとも「いま会話している相手の背後にはそれまでの人生経験がある」ことを畏敬の念をもって想像できるレベルにまで至らないと示唆理解することは難しいだろう。なぜなら格言言い回し他人過去経験からまれいるからだ。お前ら新人には言い回し格言理解する過去が足りないのだ。
物理的に生きてる年数が短く過去が少ないのだから理解することを諦め一旦小難しい言葉は全て忘れてしまえ。これは物理的な問題であって仕方ないこと。

そもそもアレだ、この"下積み"とかっていう言葉選択が物凄く悪い。これでは勘違いが生まれしまう。どういう勘違いかと言えば「会社(上司や先輩などを含む)は新人を成長させるために下積みを経験させてくれている」という勘違いだ。

ハッキリ言うぞ?会社は金払ってるのだからそんなわけねぇだろ。

即戦力に使える新人のほうが会社上司も先輩も喜ぶのは間違いないんだ。使える新人のほうが上司や先輩は他の仕事へ集中できるのだから新人を受け入れる職場が一番最初気にしているのは新人が使えるのか使えないかだ
新人がより成長する素地があるかないかなんて使えるか使えないか判断したあと考えること。成長する素地をまず最初判断して欲しいなら学生に戻れば良い。新人新人が求められることへ応えなければならないんだ。
さて、ここまで長々と陰鬱になりそうなことを語ったが新人へ対して「新人が求められること」とは何か?を書かなければならないだろう。

それは「上司や先輩が雑務に追われてより重要仕事を処理する時間が消費してしまうのを防ぐこと」である

人生の諸先輩方は思い出して欲しい。これまでの「使えると感じた新人」のことを。その新人雑務に関して覚えが速くミスが少なく安心して任せられたはずだ。下らなく面倒な日々の雑務をこなしてくれる新人例外くそ職場で使える新人として記憶されているだろう。
"下積み"などという言葉新人が求められている本来の期待を霞ませてしまうので使うべきではないのではなかろうか。

新人が務めるべきは「職場時間節約である

からこそアナタ職場では簡単でそこまで重要ではない雑務をまず与えるのではないか?その雑務の中で職場いろは経験させていくのではないか
新人は知るべき。君が与えられたその雑務を処理することで職場時間節約され上司や先輩の仕事量は減って君は凄く役立っていることを。雑務に役立つことこそ先ず君が気付くべき評価基準であり仕事をこなしているという実感なのだ
から考えろ、どう動けば上司や先輩の時間節約できるのかを、何を知れば上司や先輩の時間節約できるのかを、どこまで成長すれば上司や先輩の時間節約できるのかを。

君たちがすべき"下積み"とは「職場時間節約なのだ

2021-03-23

自分がかつて大好きだったガンダムを大嫌いになった理由

自分にはかつて好きだったアニメがある。

機動戦士ガンダムだ。

8歳の頃に親が持っていたDVDを見てからどはまりプラモデルお小遣いで買い等身大ガンダム立像に連れていって貰った事もある。

成長し社会人になってもその想いは変わらずガンダムゲームをやり込みスーパーロボット大戦にはまりその経由でバンダイチャンネル配信されているガンダム以外の富野アニメにも手を出すほどはまっていた。

つい、この間までは。

シンエヴァンゲリオンという映画が公開された。

公開の際エヴァンゲリオンに興味の無い自分何となく暇潰しでネットツイッターの反応を見ていた。

エヴァスーパーロボット大戦経由で知ってはいても特に惹かれるものが無かったのでスルーしていたのだ。

しかエヴァンゲリオン監督オタクが嫌いだという文言を目にしショックを受けた自分は真偽を確かめるためネットの海を漁りそこで目にしてしまったのだ。

自分の大好きな富野監督オタクアニメ否定差別し容赦ない罵倒を浴びせている様を。

オタクアニメに誇りを持ち自己肯定感の高かった自分にとってそれは耐えがたいものだった。

あれだけ素晴らしい作品を作れる監督自身アニメ子供大人に隠れて見る物だ、大人になったら忘れろ等と言ったのは本当に悲しかったし許しがたかった。

昔の発言だと言うのはわかっているしこの発言がいつの発言かは定かでは無いが今やアニメ大人向けの作品が主流になっており親が子供と一緒に見る二世代に渡るコンテンツになっている。

この発言論破するのはとても簡単だ。

それでも自分の大好きなアニメ監督自分人生全否定されたと言うのは本当に許しがたかった。

それに何より腹立たしく腸が煮えくり返ったのは富野監督オタク人生の辛さを全く理解していない事だ。

富野監督に限らず庵野監督宮崎監督等著名な監督はみなオタク現実を見ろ、外に出ろという無責任メッセージを発する。

富野監督道徳を学べ、格言を読めと言いはなった。

だがオタクには現実を見ようにもその現実地獄しかなくたまたま理解のある妻に出会った庵野監督と違い現実に楽しみが一つもないのである

自分のような小中といじめられて不登校アニメけが生き甲斐アニメしか楽しみがなく通信制高校卒で工場低賃金で働いてる独身実家暮らしアニメオタクに面と向かって小説見て絵画見ろ、アニメ卒業しろなんて言えるのだろうか、彼らは?

断言するが彼らがアニメ依存しなくて済むのは地位も女も持ってるからである

努力しても努力しても努力しても現実地獄しかない人間も世の中にはいるのである

それを理解していない人間に偉そうに我が物顔で説教されたのが悔しくて悔しくて仕方なかったのだ。

かつて自分容姿を変えコミュニケーション力を付けようとして努力していたことがあった。

何度も挫折したがその度に努力して努力して努力していた。

しか姿勢を直す努力を5回して5回とも挫折

ファッションを直す努力をするもショッピングモールを歩く人々の服装を見て惨めになり他人からどう見られているかが怖くなり義務感に押し潰されそうになってノイローゼになりそうになった。

クラス職場に溶け込み他人と会話しようとする努力をしようとするたび爪弾きにされ却ってトラブルを起こし余計に環境を悪くし排除された。

こんな経験富野監督にあるのだろうか?

人生で唯一の生き甲斐を、楽しみを全否定され取り上げられ全く興味の無い文化押し付けられる苦しさを富野監督理解しているのだろうか?

好きでもない全く楽しくない美術を見せられ格言を読まされる気持ち理解できないのだろうか?

はっきりいってやっていることは自分思考好きな物を興味の無い他人押し付ける悪いオタクと同じである

それから自分富野アニメを、ガンダムを見られなくなった。

以前はどんなに楽しめていたアニメゲーム富野監督オタク叩き発言を思い出してしまい全く楽しめなくなった。

あんなに好きだったガンダムを見るのも嫌になった。

プラモデルフリマアプリ処分ゲームは押し入れにしまい視界に入らなくした。

恐らくもう二度とガンダムに触れることはないだろう。

それでもアニメを見るのをやめることは絶対にないがいつ富野監督のように自分の大好きなクリエイター自分の事を裏切るのか怖くて仕方がなくなり疑心暗鬼に陥ってしまった。

今でも本音を言うとまた元のようにガンダムが見たい。

素直にガンダムを楽しみたい。

だがそれは叶わぬ想いなのだ

機動戦士ガンダム視聴者リスペクトがない最悪の監督が作った作品だと知ってしまったのだから

2021-03-11

Twitter で当時の TL (( 正確には現在の follow なので異なる )) を表示する方法が流れてきた。

filter:follows since:2011-03-11_14:46:18_JST until:2011-03-11_14:55:00_JST

これで検索する。津波タイミングのものもあったがちょっと貼るのも無理。日時を変更すると色々見られる。

さしたる被害も無かったのにすげーきつい。知人を亡くした方や、まして現場の人などをや。

色々、書きたいことがあって書き始めたけれど、増田といえどパブリック場所で書く責任を持てない。思い出さない方が良いものを思い出す必要は無い。

何回も何回も別の話を書いては消して、結局何も書けない。あまりにもそのものすぎる。このアーカイブ性は未来の人々のためにはとても大切なものだと思う。

防災技術とか、意識とかは、伝聞のほかは格言や習慣に息づいている。今は、当時そのものみたいなものが、 Web 上に確かにある。その意味価値は、これから生きていく人たちが作る。

だめだ、また消したいけれど一旦けりをつけたい。何かを書かずにはいられなかった。

10 年、まだあまりにも生々しく、傷が露出している。 1955 年のことを亡き父や祖母に聞いてみたかった。今はあるから、良いかいかは分からないがあるから、良くするものとしてあって欲しい。

2021-03-08

anond:20210308113729

議論に勝ち負けを求めている時点で、既に二流なので、格言としてちょっと弱いな。

2021-03-05

anond:20210305013812

漫画人物発言をナニ格言みたいに語ってるんだろ

実在する偉人英雄格言だって大抵いい加減なものなのに

2021-02-28

自分友達がいない5の理由

タイトル通り、自分には友人と呼べる間柄の人物はいません。

今年で34になりますが、友達がいないメリットデメリットを挙げていけば同じくらいの理由存在するのでは?と考えたことがきっかけで、どうにかしてこの話を誰かに聞いていただきたくここに記させていただきます


1.性格が悪い

まずこれに尽きます。妬んだり卑屈になったりという「他人自分を比べる」行為が顔に出るか否か。私は感情がすぐ顔に出てしまうので、喜怒哀楽はもちろんですが他人幸せそうな姿を見て、口では喜んでも目は決して笑っていないと家族から指摘を受けました。

感情を隠そうとしない、隠すことを放棄しているのは性格の歪みだとも伺っております


2.自分の話で会話をしない

話し上手は聞き上手という格言はご存知だと思いますが、つまり他人自分認知における会話という作業を苦手としています

自分一方的に話すことはあっても、そこに対するリプライへの反応がものすごく面倒くさいのです。趣味で音声配信をしていますが、基本的に誰からも返事が来ないことを前提に喋っています。聴者はほしいと思ったこともありますが、自己満足の一環を超えることはないでしょう。


3.気を許すと気が弛れる

親しき仲にも礼儀あり、礼節を欠かせばあっという間に破綻するのが人間関係というものです。これまで、(こちらの一方的思い込みで)仲良くなった人はいましたが、私の気が緩んでしまうと上記性格の悪さが出てしまうゆえに、大体嫌われてしまいました。基本的他人と合わせるのは得意ではありません、ノリの悪さにも定評がありますし、何せ頭も悪いのでそういう部分を見抜かれてしまうのでしょう。


4.他人の不幸を願ってしま

似たような話になりますが、私は他人自分比較して、他人の方が幸せであることを思い知るとその人物根底で憎むようになります

「なぜこの人が優遇されて自分冷遇されるのか」と考えて最終的にその人を嫌いになり、表面だけの付き合いをする事で人畜無害そうな印象だけを残して相手記憶から消えるように努めています相手がどのような努力をしていようが構いません、自尊心を傷付けられたというこちらの勝手な卑屈さが相手への憎悪を膨らませているだけなのです。


5.好かれたくて尽くしてウザがられる

典型的な見返りが欲しいクソメンヘラ、というのはいつの時代にもいます。そして現代自分です。相手に好かれたい、良い印象を持たれたい、そんな単純な動機です。実際構われたくない性格の方もいらっしゃると分かるのに、自分が嫌われることを恐れてついついやりすぎてしまます。先日は「鬱陶しい、邪魔、ほっといてほしい」という言葉を同僚から頂きました。会社では見事に村八分です。誰からも話しかけてもらいません。挨拶をしても無視されます

多分あとはこちから仕事を辞めるのを待たれている状態です。


最後

5個程度では済まないほど、自分という存在害悪さを書き連ねました。

これ以上はまた別の媒体でここでのフェイクを解きながら書いてみようかと思います。気が向いたら。

こんなクズゴミ価値のない人間ですが生きていたいというエゴがあります幸せになりたい、なんて滑稽なことを願いながら。


3/1 追記

見てない間に色々な意見出ていてびっくりしてます普段反応皆無のエントリばかり書いてるから耐性がなく、意見を読みながら納得したり腑に落ちなかったりしています

たとえこの場の中でも、友達になろうと言っていただけたのはとても嬉しいです。ありがとうございます

2021-02-22

anond:20210222152251

「入る前に面倒と思うことはあるが

入った後に後悔したことはない」

風呂格言だ 私からのはなむけとして覚えて置きたまへ

2021-02-21

anond:20210221163616

お前人の話なーんもよんでないだろ

その時代の女は男みたいに働くと周りから女性格言われたりするから離婚できなかっただけだよ

だってつぼねって悪い意味言葉が残ってるだろ

2021-02-08

anond:20210208205156

流石この世の格言を全て言ったとされるゲーテさん

2021-01-23

X日後に死ぬ

◎前置き

X日後に死ぬことが分かっているとしたら、僕は残された日々をどう過ごすだろうか。

いくつかの仮定を置いたうえで思いついたことを書き連ねてみる。

・X日後に死ぬことは確実であり、僕はその事実を受け入れている

 この前提がなければ、僕は何とか生き延びる手段を探すだけで、残りの時間を使い切ってしまうかもしれない。

死ぬのは僕だけである仮定しよう。

 何か災害天変地異で多くの人が死ぬわけではないということだ。僕以外の人々や環境は、僕の死以外は何一つ変わらず日々が続く。そのため、他の人を救うために時間を費やす必要もない。

 この2つの前提を置くことで、僕は残りの時間純粋自分が満足するためだけに使うと想定する。

◎1日後に死ぬ

 平日なら、仕事を休まなくてはならない。仮に大事仕事があったとしても、何かと理由をつけて休むだろう。残念ながら、僕にとって今の仕事は、24時間しか残されていない状況で時間を割くには及ばない。事情説明して別れを惜しむほど、会社の面々とは親しくない。みな僕の死を知ったら驚くだろうと思いながら、事務的部長有休申請を行うまでだ。

 明日死ぬと思って毎日を生きよう、そんな格言を聞いたことがある。そう思うことで、本当に望むことに取り組むことができるという意味だそうだ。しかし、本当に1日しか残っていないとしたら?できることはあまりに少ない。選択肢はとてつもなく刹那的になってしまいそうだ。僕には好きな友人や家族はいるが、特別日々を一緒に過ごす類のパートナーはいない。仮に恋人や妻がいれば、最後の1日を普通に過ごして見送ってもらうだけで終わるかもしれない。だが、そんな相手はいない以上、個人的に満足に過ごす方法を考える必要がある。

 僕はきっと24時間を一人で過ごすだろう。もうすぐ死ぬことが分かったうえで、友人を呼びつけて一緒に過ごしてもらう気まずさには耐えられそうにない。両親との関係は悪くないが、この状況では会うには気が引ける。そんなことができる距離感相手なんて、それこそ恋人か妻か子供ぐらいしかいないのではないか。残念ながらそんな相手はいない。誰かに電話くらいはするかもしれない。でも、友人には普段電話などしないので、何か問題ごとでもあるのかと勘繰られてしまいそうだ。何かの用事にかこつけて、母親の声でも聞ければそれで十分だろう。

 最後の1日を刹那的快楽のために使うか、何か意味のあることに使うか、悩むところだ。刹那的快楽を得るならば、とにかく美味しいものを食べるとか、綺麗な景色を見るとか、性欲を満たすとか、そんな過ごし方になるだろう。できるなら最後食事は美味しいものが食べたい、でも一人で食べるなら何でも一緒に感じてしまう気もする。そもそも残り時間を考えれば、栄養にもならない食事時間と労力を割くのはもったいない食事に限らず、もう何も思い残すことがないと思えるほどの快楽なんてあるのだろうか?どんなに刹那的快楽を満たしたとしても、最期の1分1秒には、どこか虚しい気持ちになってしまうのでは?

 そうだとしたら、死ぬ瞬間に満たされた気分になる1日の使い方とはなんだろうか。やはり「善いことをした」「この世界に良い影響を残した」と思うことで、自らの人生肯定できるようになることではないか。残念ながら、僕が仮にこの文章を書いている今この瞬間に死ぬとして、僕は何かこの世界のために役に立ったのかと問われると、自信をもってイエスとは言えない。たいして他人迷惑をかけずに生きているという自負はある。しかし、周囲との干渉が少ない故、特別人助けをしているわけでもない。仕事だって給料に見合う働きを提供するだけの等価交換で、社会に対してプラスを与えている気はしない。そんな認識を塗り替えるようなことが、24時間で成し遂げられるだろうか?

 一つ、すぐに取り組めそうで最も「自分が」やる意義がありそうなことは、近しい友人たちに手紙を書くことだ。僕は29歳で、同年代の友人たちの多くは、若くして死ぬということに実感がないと思う。僕自身もそんな実感はない。そんな友人たちに向けて、身近にいる人間として、心を込めたメッセージを残せば、きっと彼らは限られた生を実感して、より有意義に過ごしてくれるのではないか。そう思いながら昇天するのは悪くない気がする。

 一応、死因は自殺ではないことが皆に分かるように手配しておきたい。僕の世代の死因に占める割合自殺が多いはずなので、事情を知らない人には勘違いされる可能性もある。僕自身はこの際どう思われても構わないが、勘違いのせいで周りの人が嫌な思いをしてしま事態は避けたい。

◎1か月後に死ぬ

 1か月は新しいことを始めるには短いが、1か月はちょっと長い。休まず有意義に使い切ろうとしたら息が詰まりそうだ。それでも、1日でも労働に費やすのは惜しいと思ってしまう。やっぱり仕事は無理やり辞めるしかない。お金必要でないのなら、働かないに越したことはない。そもそも現状で何故僕は、嫌だと感じている労働に多くの時間を割いているのだろうか。

 別にかに命令されるわけでもなく、僕は自分意志一挙一動選択してきたはずだ。その積み重ねで生きてきたはずなのに、何故不本意な結果となっているのだろうか。僕は必要に駆られて働いているのであって、労働から精神的な充実を得られると期待するのが筋違いなのかもしれない。とはいえ身の回りを見渡してみれば、仕事を楽しんでいる人はそれなりにいる。今の職場就職した理由に思いをはせると、僕は仕事の内容や会社の状況について多くの誤解をしていた。さらに言えば、自らが求めているものもよく理解できていなかった。分からないものが多すぎたので、正しい選択ができていなかったのだ。そして、今も自分が求めているものはよくわからない。

 1か月もあるのなら、できるだけ面倒を残さないように、いろいろな手続きを済ませておきたい。仕事を辞めて、部屋を片付けて、もろもろのサービスを解約しておけば、あとに残された人も困らない。ついでに恥ずかしい日記処分しておこう。あと、年に1度ぐらいしか帰省はしていなかったが、顔ぐらいは見せておこうと思う。

 口座に200万円はある。これを一体何に使えばいいだろう?1週間で使い切るとすれば、なかなかの贅沢ができる。どうせならぱーっと使ってしまいたい。僕の貯金社会に影響を与えるには雀の涙すぎるし、このお金寄付するほどの聖人ではない。それに、個人的に残してあげたい相手がいるわけでもない。しいて言えば、会社勤めをしながらイラストレーターの夢を追う弟にはちょっと残してあげてもいいだろう。全部残すと重たいし、あぶく銭は彼のためにもならないかもしれない。残高を気にせずに、旅行したり、いいものを食べたりして、残った分は弟に渡すくらいでちょうどいいかもしれない。

 僕はかねてから死ぬ前に一度バンジージャンプに挑戦してみたいと思っていたが、1か月のうちの半日ほどを費やすに値するほどではなさそうだ。リストに入れるべき項目は、手紙を書くよりは重要でなくて、バンジージャンプよりは重要なことにしよう。残り1か月があるなら、無理を言ってでも友人たちに会って、直接思うことを伝えることができる。

 そういえば、残り24時間しかない場合を考えているときは、お金のことには思い至らなかった。僕にとってお金は最優先事項ではないのかもしれない。ある程度長い期間生きるとして、なくてはならないものであって、それ以上のものではないのだろう。少なくとも、残されたお金の使い道を考えながら死にたくないとは思う。

◎1年後に死ぬ

 1年残っているなら、少しはきれい仕事を辞めてもいいかもしれない。2週間ぐらいは引き継ぎに費やしてもいいし、そのほうが残りの1年間をすっきりした気持ちで過ごせるだろう。残りの期間で仕事関係者に出くわす可能性が上がるので、あまり気まずい思いをせずに済ませたい。これくらいの長さがあると、「将来のために今は多少我慢をする」といった発想が生じてくる。

 きっと、仕事を辞めた理由を誰もに聞かれるに違いない。親しい人たちには正直に話すほうが良さそうだ。残り1週間ならともかく、1年間あれば段階的に別れを受け入れることができる。何度か会ったとしても、そう重苦しい雰囲気にならずに済みそうだ。でも、どうやって伝えたらいいのか分からないし、伝える瞬間の気まずさに耐えられなさそうだ。Twitterにでも書き込もうか。

 貯金を取り崩すだけでも、何とかやりくりして生きていけるだろう。まず、会社に行かなくていいなら、家賃はできる限り節約しよう。決して余裕があるわけではないので、計画を立てて、慎重にお金を使っていくことになるだろう。食事だってそんなに贅沢はできない。それでも、僕にとってはお金よりも時間のほうが大切であって、贅沢をするためにより長く働こうという発想にはならない。

 1年もあるならば、全く新しいことを始めたとしても、何かを成し遂げられる気がする。果たして僕は特別に何か成し遂げたいことがあるのか?と考え始める。そして、今までの日常の延長線上でしか考えられないことに気づく。思うに僕は無趣味なのだ無趣味な故、急に働かなくてよくなったら、何をして過ごしたらいいのかわからなくなる。働きながらだって休みはあったけれども、寝て体力を回復したり、家事をしたり、友達遊んだり、ランニングしたり、漫画アニメをダラダラと見たりしていたらあっという間に時が過ぎた。漫画アニメを見るのは好きだが、あと1年で死ぬとしてずっとそれに時間を費やしたいとはあまり思いつかない。それはリラックスを兼ねた娯楽であり、積極的に取り組んでいるというよりは、消去法的な時間の過ごし方だった。

 もともと、人生を捧げられるような対象が欲しいと思っていた。しかし、そんなものは見つからず、とにかく生活のために労働し、疲労と惰性で考え事をするのもままならず、暇な時間ができたら途方に暮れる有り様だ。そんな対象がなくても、愛すべき人がいて、その人と過ごすだけで楽しく満ち足りた日々になるなら、それまた幸福だ。しかし、1年しか残されていないのが分かっていながら、新しく親密な関係相手を探すのは残酷めいている。残される相手のことを考えると、残り1年で愛すべきことを見つけるなんてハナから期待すべきでない。

 愛する人もいないし、やりたいこともない。そんな自分の現状は不甲斐ないが、ないものはないので仕方ない。とにかく何がしたいのか考えてみよう。かといって急に机に向かって考え始めたからといって、何か思いつくわけではない。12か月もあるのだから、1か月ぐらいは思い切って、考えるために時間を使ったっていいではないか。いったん、何もかも放り出して、どこか海沿いの旅館にでもこもって何をしたらいいか考えることにしよう。それ以上のことは今は思いつかない。

10年後に死ぬ

 10年間生きるならば、すぐに仕事を辞めるわけにはいかない。自分がやりたいこととは別に生活費を稼いでいくということを主軸に据える必要がある。仕事をどうすべきか、という問題に正面から向き合わなくてはならない。この問題については、大きく二つの方向性を考えることができる。一つは、多忙でもハードでも、とにかく給料の高い仕事転職してお金を稼いで、一日でも早く仕事を辞めようとすること。もう一つは、仕事をしている時間無駄と感じずに済むくらい、意義のあるものにすることだ。残念ながら、現状の仕事はどちらにも当てはまらず、ただ金を稼ぐため、辞めて履歴書に傷をつけないために惰性でぶら下がっている状態だ。よって、残り10年間を前提とするならば、すぐにでも転職活動をして、より有意義時間を過ごせるようにしたい。

 例えばかなり無理をして、3-5年間ハード場所で働いて、残りは働かずに暮らせるのなら、悪くはない。この選択肢は、どう転んでも仕事をすることは苦痛なので、とにかく短期間で済ませるという考え方に基づく。貴重な10年間のうち多くの時間を割くに値するような労働はあるのだろうか?そんなものが見つかりさえするのなら、すぐにでも飛びつきたい。そもそも、そんな仕事があれば、残り10年とか関係なくやってみるべきなのではないか

 10年あれば、適当理由をつけて別れることを前提に、恋人を作ってもそこまで罪深くはないだろう。すべてを語るような深い関係にはならないかもしれないが、一人で過ごすよりは日々に彩りが生まれそうだ。それとも、ふとした瞬間に虚しい気持ちになるだろうか?

◎30年後に死ぬ

 10年ではなしえず、30年かけてしかできないものというのはそう多くはないはずだ。仮に僕が職人か何かで、同じことを一筋やり続けるのであれば、その時間の差は歴然となって現れるのだろうか。そんなことを考えると、今すぐ何かの道に入門して、極めてみたいものだという気持ちが湧くが、僕は飽きやす人間であることをすぐに思い出す。僕はタイムマシンがあればすぐに30年後に行って、知識経験の蓄積による果実を得たいと思う怠惰人間だ。その蓄積の過程自体を楽しみ、こなしていくことができるなら、とっくに僕は何かを身に着けているはずなのだ

 残念ながら職人道を極めることはできなさそうだが、それでも少なくとも2つほどは新たな可能性が思いつく。まず、結婚して子どもを育てることが選択肢に入る、30年あれば、子どもが成人するまで面倒をみることができる。そして、家を買うかどうかも真剣検討する必要がある。

 僕は子どもが欲しいのだろうか?正直、残りの人生の期間について考えなければ、そんなことをまじめに自分に問う機会もなかった気がする。具体的に結婚するような相手ができて初めて、欲しいかどうかを考えればよいと思ったのだ。しかし、成人するまでは面倒を見ておきたいという条件を付ければ、残された時間結構短い。相手ができたとして、すぐに子どもができるかどうかだってからないのだから、30年のうちの最初の5年くらいで、一連の仕込みを済ませておく必要があるだろう。そのような前提を置くと、恋愛結婚は残り時間から逆算したうえで、極めて計画的で無駄のないプロセスで行う必要がある。そう考えると窮屈に思えてきたが、女性であれば出産できる年齢が限られている故、同じような考えを持つのだろうか。一通り考えを巡らせたところで、そもそも子どもが欲しいかどうかすら分からないことに気づく。別に、残りの30年を考えたうえでそれが最優先事項というわけでは無ければ、窮屈な思いをしてまで計画的に「仕込み」を行っていく理由もない。

 30年もあると考えると、途端に今すぐには現状を変えなくても良いかという思いが芽生えてくる。僕は現状の生活に満足しているわけではない。それなのに、変えなくてよいと思うのはなぜだろうか?変化にはきっかけとエネルギー必要なのかもしれない。そこそこのストレス孤独があるにせよ、安定しており、ある種の均衡状態となっている僕の生活を変えるには、何らかの外的なショックが必要なのだろう。

◎53年後に死ぬ

 今29歳の僕は、52年後に日本人平均余命といわれる81歳になる。すなわち、52年後くらいに死ぬという前提は蓋然性が高く、それをもとに人生計画を立てることはひとつ筋が通っている。しかし、正直なところ、年老い自分がどう過ごすかなんて、今から計画を立てるのは馬鹿げている。そこに至るまでの不確定要素が多すぎる。

 とはいえ、一つ考えるに値することは、日本にずっと住み続ける前提で人生を考えるか?ということだ。何せ、この時期までに日本人口は2-3割くらい減る推計になっている。今だって社会保険料と所得税消費税が大きな負担になっているが、今後ますますその負担が増えることは間違いない。5-10年先の未来だけ気にすればよいのなら、別に自分にとっての影響は大きくない。でも、より長い期間を考えると、例えばまともに医療が受けられなくなったり、預金没収されたりするリスクだってあるかもしれない。少なくとも、今現在高齢者が受け取っているのと同等の価値年金をもらうことは全く期待できない。

 僕は家族や友人たちがたくさん住んでいて、最高のアニメ漫画を生み出す日本が大好きなので、できることな日本に住み続けたい。しかし、生活があまりに苦しくなるようなら、泣く泣く国を離れるというのは、世界中のどこにでもある話だ。かといって今すぐに海外移住することが賢明というわけではない。とにかく英語くらいはできるようになっておき、いざとなればよその国でも食べていけるような能力は身に着けておく、それくらいの「投資」は残り53年くらい生きるなら、多少今を犠牲にしてでもやっておいたら老後の安心に繋がるかと思う。

あとがき

 現在僕は、感染症が広がり外に出られない状況で、友人と会う機会も減り、社会とのつながりが徐々に切れていく感覚を味わっている。もともと、仕事に追われて、生活のために生きているような感覚を覚えていたが、そこから抜け出すことを難しく感じていた。一日中家で仕事をして、終わっても何もしたいと思えることがない。あまり空虚自分生活一種絶望を感じている。

 そんな中いつものようにTwitter目的もなく眺めて時間をつぶしていると、「友人は少なくていい、3か月後に死ぬとしたら一緒に過ごしたいと思えるような相手さえいれば十分」というような記事にたどり着いた。そこから着想を得てふと自分生活を振り返ってみると、3か月後に自分死ぬのならやらないであろうことであふれていた。短い間に自分死ぬことを考え出すと、僕は気が楽になった。これは僕自身にとってのセラピーになった。ある種のミニマリズム断捨離に近い感覚で、「3か月後に死ぬのであれば不要」と思えることを生活から切り捨ててみる。例えば僕はいつか読んでおこうと思っていた大量の本をその基準に従って捨てた。すると、僕の人生は前よりも少し方向性が定まったように感じたのだ。

 とはいえ、それと同時に、自分空虚さを改めて実感するきっかけにもなった。自分寿命の想定をどんどん伸ばしていくほどに、可能性は広がっていくはずなのにやってみたいと思うことが思いつかないのだ。まるで、遠方ほど霧が濃くなっていくような感覚だ。この問題は僕が、「いつかは役に立つだろう」と思われる仕事資格勉強時間を費やしがちだったことと関係があるかもしれない。その時々に自らの欲求に耳を研ぎ澄ませてこないできたら、欲求をとらえることができなくなってしまっていた。

 平均寿命から想定して、老後の安心や家庭を持つ可能性なども考慮した貯金やらライフプランとやらをある程度は考えなくてはならない。それでも、僕のようなタイプ人間は、3か月後に死ぬというぐらい過激な想定をしてでも、素直に最もやりたいと思えるようなことを考えていくべきでは、というのが今のところの結論だ。

 僕の文章は思いつきを並べただけでまとまりのないものになってしまったが、もっと多くの人にこの思考実験をやってもらって、その結果を読んでみたいと思う。ぜひこれを読んだあなたも試しに3か月後に死ぬとしたら何をするか考えて、記事を上げてみてほしい。

2021-01-10

生きるに値しない命だと自覚してるので死ぬ権利をください

無能には生きる権利が無い。

何かを始めようとすれば「ダメな奴は何をやってもダメ」と出鼻をくじかれ、じゃあ迷惑かけたくないんで何もしませんと言えば「逃げるな」「努力しろ」「甘えてる」、でしたら頑張ってやります、でも失敗しましたとなると「初めからやるな」「お前は引っ込んでろ」「努力が足りない」「そもそも努力してない」、仮になんとかやり遂げても「当たり前」「みんな出来てる」「そんなことで褒めてもらえると思うな」「下手くそ

結局社会無能に消えてほしいと思っている。同じく無能社会から消えたいと思っている。双方の意見合致してるはずなのに、無能は消えることも出来ず毎日社会の足を引っ張り続け、社会毎日無能迷惑を被る。ここで言う社会が受けている迷惑仕事場でのミスや脛齧りの引きこもりだけではなく、電車人身事故投身自〇の巻き込み事故など〇殺が引き起こす二次被害も含む。

自分無能社会に要らないと確信し、社会から消えようとも今現在日本では自主的死ぬ時まで社会迷惑をかけなくてはいけない。おまけに自〇未遂病院送りになると治療費は全額自己負担となるらしい。

そこで私が提案したいのが⑴安楽死合法化希望制の人権剥奪⑶1と2で発生した死体有効活用だ。

まず⑴の安楽死合法化。これは何度もネット上で議論になったり、これをマニフェストとして掲げる政党も現れるくらい広まった提案だ。まあ最近だとTwitter自称反出生主義者が自分の気に入らない他ユーザーを叩くための免罪符にして暴れ回るので話が拗れて訳が分からなくなっているのだが、こういうネットチンピラを一掃するにも安楽死は是非実装されるべきだと思う。(かと言って合法化された所でコイツらが大人しく安楽死するとはあまり思えないが)話が逸れました。無能の話を続けます。家庭から学校から職場から社会から爪弾きにされた無能を救ってくれる制度はありません。そして自主的死ぬ死体蹴りされます。これじゃあどっちも損です。じゃあ自由合法的死ね制度を作りましょう。これでwinwinです。でもそんなことしたら日本から人が居なくなる?これは完全に主観ですが人口は減っても大して損害はないと思います。あるSF小説であった話で、死後の世界を映すモニターが開発され、そこに映された天国の様子や死別した愛する人を観て多くの人々が自ら命を絶っていく。でも一部の人は拭いきれない死への恐怖から生き続け、ひたすら死体の処理をし続ける、という内容でした。この話をどう捉えるかは人それぞれでしょうが私はこう捉えました。「死にたい奴らは勝手に死んで生きたいor死ねない奴らは勝手に生きろ」と。私はこの物語世界は凄く理想的だと思います。ただこの話だと死ぬ方法苦痛を伴うものしか描写されてなかったのが少し残念ですね。かなり昔の作品なのだからでしょうか…。現実安楽死合法化すればいわゆる自認のある弱者は淘汰され、人生お気楽有能ラッキーマン根性論信者が生き残る「理想社会」が生まれますね!そこでもカーストは生まれるだろうけど私みたいな底辺には知ったこっちゃありません。だって死んでるし。それに私らが受けた迫害なんかよりずっとマシだろうし。

⑵の希望制の人権剥奪は私の勘違いから思いついたことです。死刑=殺人合法化=人権剥奪だとつい最近まで思い込んでました。馬鹿なので。でも不思議な話ですよね、法の下で人の生死を決められるのに自由な自〇は許されない。そもそも死刑確定しても何年間も国民税金で生かして死刑にするときもあれこれ手順を踏まなきゃいけない。馬鹿らしいですよね?生きる価値がないと公式に認められた人間血税でしばらく生かすなんて矛盾してますよね?それこそ某番組の雑ドッキリみたいに死刑確定したら即執行すればいいんですよ。罪人に死を覚悟する時間を与えるだけ無駄です。また通り魔がよく口にする動機で「死刑になりたかたからやった」、これは単なる建前かもしれませんがもし1%でも諸事情により自〇出来なかったか犯罪するしかなかったと考えてたら、是非人権を剥奪してあげてほしいと思うんですよね。

⑶は上の話の続きになりますけど、⑴のように自主的に命を絶つときにただ埋葬するのではなく、臓器移植など生きたいけど生き残れる可能性が低い方々のために役に立たせる方法希望できるようになると良いと思うんですよね。また⑵のように死刑囚は人権剥奪し今まで倫理問題で出来なかった実験被験者になってもらったり、死後も標本か何かにしてこれから科学の発展に活用した方が遥かに明るい未来が待ってると思うんですけどねえ。

あるスポーツ選手はこう言いました。

努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」

あるアーティストはこう言いました。

「不遇を社会のせいにして、いつか大きな何かに無償の愛で救ってもらえると夢見てる負け犬どもが多過ぎる。いい加減目を覚ませよ。まだ間に合うから

でもそれって成功たからこう言えるんですよね?努力が結ばれたからこう言えるんですよね?才能があったからこう言えるんですよね?周りの環境が恵まれたからこう言えるんですよね?

天才とは1%のひらめきと99%の努力である」という有名な格言がありますが、これ裏を返せば1%のひらめきを生み出す才能が無ければそこでおしまいなんです。どんなに努力しても結局天賦の才能には勝てないんです。これ、ごく普通の人でも99%の努力しても1%の才能には到底及ばないのに、生まれ持っての無能となると99%努力してもやっとスタートラインかその手前なんです。それを「努力と呼べない」「社会のせいにしてる」なんて言われたらもう死ぬしかないですよね。じゃあ120%の努力しろよとも思いますがそうして燃え尽きた無能を私は何人も見てきました。

ここで散々無能と呼んできた人の種類を詳細に伝えます無能とは「発達障害」「精神障害」「知的障害」「サイコパス」そして「やる気のない人間」です。ちなみにわたし知的サイコパス以外全部当てはまります。このように書き連ねると今までの文章からして私のことを植松信者だと思われそうですが断じて違います

優生学という考えがあります。簡潔に説明すれば劣った人間を減らし、優れた人間だけ生かして生み出そうというものです。世の中にはこの簡潔な説明文を見ただけで発狂し噛みついてくる人がいますが、それは植松事件や旧優生保護法、そしてナチスのT4作戦を想起させるからだと思います。これらは優生学に基づいた犯罪政策であったか非難されていますが「『同意を得てない』人間に『有無を言わさず』優生思想に基づく方法理不尽に命を奪ったり手術をした」という面にもっと注目してほしいんですよね。優生学自体を頭ごなしに否定するのははっきり言って思考停止してます。少し前某ミュージシャンの「お化け遺伝子発言による炎上騒動がありましたが、これに反する意見としてナチス政策と同じだ!と主張する人が多く見られましたが、ちょっとズレてるな〜と思いました。ミュージシャンの主張は「優れた才能を持つ人達(=お化け遺伝子保持者)を国がプロジェクトとして集め、その天才同士での結婚相手を決めるという、なんだか某アイドルが入信した統〇教会を思い出させる失笑モノの意見(もっと言えば結婚=子作りという旧時代の考え丸出しの発想がさら大衆失笑非難を浴びた)でしたが、要するに彼の主張は「積極的優生政策」であり、一方ナチスが行ったので有名なのは前述のT4作戦ホロコーストなど「既に産まれしまっている劣った人間を抹消する」方なので、お化け遺伝子ナチスと同じだ!と批判するのはあまり噛み合ってません。(一応ナチスも党の基準での「優れた人種」の女性ナチス親衛隊の男性結婚させた事例があるので間違いではありませんが、例のミュージシャンのリプ欄でT4作戦のことを挙げ反論している方が多く見られたので敢えてこう述べさせていただきました)

それから記憶に新しいやまゆり事件。これに関しては事件のものより植松ダブスタっぷり、思考の浅はかさを指摘していきたい。「ケーキの切れない非行少年たち」という一昨年くらいにヒットした本がある。この本の内容をかなり要約すると「いわゆる非行少年と呼ばれるような少年院にいる子供達は軽度知的障害を抱えてるケースが多く、これを解決するにはある訓練が必要だ」となる。つまり知的障害があるから物事の良し悪しが分からないため罪を犯すのだ。そして植松学生時代未成年飲酒喫煙さら暴行事件や薬物乱用など起こした罪の数々を見れば典型的な「非行少年である。ここで植松思想及び主張を思い出してみる。「意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会不要存在であるため、重度障害者安楽死させれば世界平和につながる」ケーキの切れない(略)と植松前科、そしてこの主義主張、こうしてみると「軽度知的障害者が重度の障害者攻撃している」という事が分かる。植松正式に軽度知的障害と診断された訳ではないが、過去軽犯罪を繰り返しその後件の事件引き起こしたとなれば、立派なダブルスタンダードである。むしろ犯罪者は軽度知的障害者に多いとなると介護必要なくらいの重度障害者と比べてどちらが社会に不必要かは言うまでもない。

最後に旧優生保護法について。私の正直な意見を言うと、この制度多少の改良を経て復活させてほしい。遺伝性障害を持つ人が子供を持とうというのははっきり言って傲慢だ。だからと言って強制的不妊手術を全員受けろとまでは言わないけど、発達障害精神障害知的障害を持ってて自分の面倒すらまともにみれないのに、同じ障害を持つかもしれない子供を育てられるのか?無理だろ。子供が生まれれば自分は変われる?幸せになれる?人生バラ色になる?寝言は寝て言え。子供はお前らを幸せに導くラッキーアイテムじゃあないんだよ。これは健常者にも言えることだが、子供を作る動機として挙げられるもので、子供のためを思ったものほとんどと言っていいほど存在しないのだ。「なんとなく欲しいと思った」「子育てがしてみたい」「夫婦間の中が悪いか仲裁役として」「とにかく楽しそうだから」「将来介護してもらうため」こんな感じである。(私はなんとなくで産み落とされました)せめて建前でも「子供にも幸せ人生を送ってもらいたいから」とか言えないのか。結局親というもの最初から自分第一なのだ確証も無いのに何故か五体満足でオツムもまともな子供が生まれると信じて止まないのだ。そして実際出生前検査ダウン症など先天性の障害が見つかれば中絶決断する親もいて、産まれても泣き声がうるさい言うことを聞かないなど予測可能なことで子供危害を加え最悪殺害する親なんてのも後を立たない。さらもっと視野を広げれば、人生なんて苦難の連続と散々言い伝えられているのに、それを経験しているはずなのに、ウエディングハイの延長で人ひとりの人生強制スタートさせてしまう身勝手さと計画性の無さ、非常に軽蔑させられる。また優生保護法強制不妊手術を受けさせられた方のインタビュー記事ネットにあったので読んでみましたときのことです。その方は精神障害を抱えており、自分子供がいたなら人生は間違いなく幸せだったと仰ってました。いやー反吐が出る。子供幸せを運ぶ天使か何かと思ってないか?こういう考えしか出来ないか自分人生不幸だと思い込んで優生保護法八つ当たりしてないか?まあいいや、少なくともこの方の子供となる不幸な人間存在せずに済んだので良かったとしよう。

私は発達障害精神障害を抱えているので絶対子供は欲しくないし、もしこの先異性と体を重ねることになるとしても避妊失敗が怖くてとても出来ません。もし優生保護法がまだ現役で強制的不妊手術します!費用は国が負担します!なんて言われたらきっと狂喜乱舞するでしょう。

まあ要するに何でも希望制にすれば良いんですよ。死ぬにも手術するにも人権捨てるのも。夫婦別姓も同性婚もしたい人だけやればいい。どうしてそんな簡単なことが出来てないんだ。多様性って何だ。あっ、でも子作りだけは免許制にしてほしいな。子育てって車の運転以上に知識技量・適性が問われるはずなのに。おかしいよね、世界

どうせほとんど誰にも見てもらえずネットの海に沈む日記から最後に好きな歌の歌詞載せて終わろ。

普通結婚して子供を何人か授かって それ以外は幸せとは誰も信じないようなこんな街で”

anond:20210109235927

ダメ議論」という本に、「任意の状況に当てはまる格言存在する」という話が書いてあるから読んでみるといいと思うよ。

2020-12-31

amazonプライム広告で?ってなったこ

 ようつべ動画観てたらamazonプライム広告が流れてきた。reゼロとかsaoとか進撃とかいろんなアニメ映像と共に「誰かを好きになることを諦めないで」とか「絶望さえしなければどんな状況でもなんとかなる」とかいろんな格言っぽいのが読まれる。その中で「おいおいw」って思うのがあった。それは「まっすぐに頑張ることはそんなにかっこ悪いことじゃない」だった。そんなに。つまり、まっすぐに頑張ることは凄くかっこ悪いことではないのだが、少しかっこ悪いことなのかよ。そんなのを格言っぽく言うなよ。それじゃ努力することがかっこ悪いみたいじゃないか。おそらくこの言葉考えた奴にそこまで深い意図はないのだろう。でも、もう少し考えろよと思わずにいられなかった

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん