はてなキーワード: 召使いとは
頭が高い 朕のちんちん 控えおろう
夏井「これは本当に良い句で。素直に読むとね、皇帝なのかな?王様なのかな?大国の権力者が、側近なのか、それとも参賀に詰め掛けた国民に対する勅言なのか。とにかく下々の者たちを集めて、自らの権威を誇示している。それも、これは男性器を誇示しているように思われる。やはり限界まで充血して屹立し、どくんどくんと脈打っているのか。それとも、平常の状態のものをぶらんと無造作に揺らしているのか。いずれにしても、どういう状況なのかな?どっちなのかな?って読者が想像する余地があるのね。ここに豊かさがある」
夏井「音の面から見ても、朕とちんちんで韻を踏んでいる。ちんちんはそもそもちんが重なっているので、ちんちんちんでトリプルちんなのね。これがまた妙味を醸している。すこしコミカルな感じがしますでしょ?状況からしても、どこかユーモラスな空気がある。その意味で行くとこれによって「朕のちんちん」はもしかしたら「控えおろう」なんて言うような立派なものじゃないんじゃないかと、そうも思えてくる。とっても慎ましやかで、それでもこう「ひかえおろう」とやることで、いわば人間宣言じゃないですけども、民に寄り添う権力者の姿を象徴しているのかなと…」
梅沢「いやぁ、そうかなあ?」
浜田「もう、今度は何?」
梅沢「だってよ、そんな王様だか帝だか知らないけど、居るか?みんなにちんちん見せて「控えおろう」って。どんな愚王でもそんなことやらないと俺は思うんだけどな」
梅沢「やるとしたらね、狂ってるよこのちんちん野郎はさ。でも君主が狂ってたらさ、普通止めるよな家来が。いや王様、直接顔を出してはお命を狙われますとか言って、表に出さないと思うんだよ。でも言ってる。「頭が高い 朕のちんちん 控えおろう」って言ってる」
浜田「まあ、そうですねえ」
梅沢「ってことはよ、狂ってるけど、誰にも止められない。そういう状況での発言なんじゃねぇかこれは。でも王様にプライバシーなんてないよ。風呂だって、便所だって、必ずお世話係がいるんだから。しかもそういう召使いがいちいちちんちんに控えてたら仕事にならない。だからやっぱり、寝床だろうなと。眠るまでは楽師か何かがいたりするかも知れないけど、眠っちまったらベッドにまでは誰も入ってこない。入ってくるとしたらお妃か側室か……でももう王様は狂ってるから、女どもも寄り付かなくなってるんだよ。これは、早朝だろうな。朝早く目覚めて。うーんいい朝だな今日も国民のために頑張ろうとか、そういうふうにはならないよな。こいつの心は狂気に蝕まれちまってんだから。ああ今日も殺されずに目覚めることができたと、そう思うわけ。誰も信じられないんだから、もう。殺すとかもうこの王はだめだとか、ずっと幻聴も聞こえるから、目に見える全ての人間を憎み、蔑んでいるわけ。実際皆がひれ伏すんだけど、この日朝早く目覚めて、ふと下に目をやると、傅かない者が居る。頭を下げない奴が居る。まあ、朝勃ちだよな。もう錯乱してるから。ちんちんが、むくりと、ぎんぎんに立ち上がってるのを見て、何だこいつは。なぜ朕の前にあってひれ伏さぬかと。激昂したのかな、それとも恐れのままにした発言だったのか。たぶん誰かが耳にしていたんだろうね。本当のプライバシーなんてないんだから君主に。もうこいつは駄目だと、その家来は思っただろうよ。そんで王様も、かすかに残っている理性で、誰かが自分の言葉を聞いていて、そう思っていることを察している。それがまた幻聴になり、狂気を強めて心に食い込んでく。そういう悲しい一句なんじゃないかと。俺はそう思うよ」
夏井「(涙を流しながら)……俳句っていうのは人それぞれ、いろんな受け取り方、解釈があっていいと思うんです。でもね、解釈するのと、こじつけるのは違うの。私は人間というものに、希望を持ちたかった。でもそのせいで盲目になっていたのです。お見事です梅沢さん。心を鎮めれば、今ではたしかに聞こえてきます。朕のちんちんが泣いているのが」
朝露、陽 砦 濡らしぬる つとめて
遠くの稜線から朝日が昇り始める早朝(つとめて)、朝露がお城の城壁に雫を作っている。白い陽光が差し込んで、きらきらとそれが輝く。でも遠からず、朝露は陽の光に熱せられて乾いて消えてしまうだろう、朕のこの治世と同じように……という辞世の句であると同時に、朝、布団の中で一人で(陽・砦)孤独に目覚める、そうして朝勃ちの先走り汁でぬるぬると夜具を濡らすという、君主としてではない、このちんちんさんの人間の部分を表現する。このようにして、魂の平穏を祈りましょう」
← そのへんはマックス・ヴェーバーあたりが論じている通りかと。人によっては「資本主義はプロテスタンティズムの放蕩息子」と言ったりする。けだし名言かと。
ちなみに、新約聖書には、カネを預かったのに増やさずに大事にタンス預金していて主人に叱られる召使いの寓話をキリストが弟子たちに語る場面がある。
← こちらもまた、社会主義や共産主義の萌芽にはキリスト教があることを考えればさほど不思議ではないかも知れない。「キリスト教的社会主義」とか「キリスト教的共産主義」などという言葉もあるし、初期のキリスト教信者たちは正に共産主義的コミューンを作っていたようだ。
ちなみに第46代内閣総理大臣となった社会党の片山哲は熱心なクリスチャンだったし、マッカーサーも彼が総理に就任したことを歓迎していた。今でも日本のキリスト教界は左派的な空気が強いように思う。
なお、ガチガチの唯物論的無神論的共産主義については、これを「プロテスタンティズムの鬼子」などと評する向きもある。
「処女航海(maiden voyage)」「処女作(maiden work)」といった言葉に苦言を呈するフェミの方々が現れると、決まって「『船』や『ペン』が女性名詞だから『処女』が付くだけなのにそんなことも知らないのか」と得意げに反論をする人たちが出てくるのだが、はたしてこの「女性名詞説」は本当に正しいのだろうか。
Etymology
From Middle English mayden, meiden, from Old English mæġden (“maiden, virgin, girl, maid, servant”), diminutive of mæġþ, mæġeþ (“maiden, virgin, girl, woman, wife”) via diminutive suffix -en, from Proto-West Germanic magaþ, from Proto-Germanic magaþs (“maid, virgin”). Equivalent to maid + -en.
中世英語の「mayden」「meiden」は、古英語「mæġden」(「未婚の若い女性」「処女」「少女」「女中」「召使い」)に由来し、それは「mæġþ」「mæġeþ」に指小語尾「-en」がついた指小辞であり、それは西ゲルマン祖語の「magaþ」に由来し、さらにはゲルマン祖語の「magaþs」にまで遡る。「maid + -en」に相当する。
maiden (adj.)
c. 1300, "virgin, unmarried," from maiden (n.). The figurative sense of "new, fresh, untried; first" (as in maiden voyage) is by 1550s. In horse-racing (1760) it denotes young horses that have never run before.
13世紀。「処女の」「未婚の」。maiden(名詞)から。1550年代には「新しい・新鮮な・試されていない・最初の」という比喩的な意味(「処女航海」のように)で使われるようになった。競馬では(1760年)一度も走ったことのない若い馬を表す。
つまり、古英語(5世紀から12世紀ごろ)からあった「maiden(処女)」という名詞が、13世紀ごろに「maiden(処女の)」という形容詞としても使われるようになり、さらに1550年代になって比喩的に「maiden(最初の)」といった意味の形容詞としても使われるようになった、ということだ。
そして、古英語のころにはあった男性名詞・女性名詞の区別が、中世英語(11世紀から15世紀ごろ)では失われていることから考えると、1550年代に生まれた「『最初の』という意味の形容詞maiden」が女性名詞にしか使えなかったとは考えにくいだろう。
当たり前の話だが、同じ意味の単語でも、それが男性名詞か女性名詞かは、言語によってバラバラである。英語「ship」と独語「schiff」は共にゲルマン祖語に由来するようだが、どちらも中性名詞である。仏語「navire」と伊語「nave」はどちらも羅語「navis」に由来しているのだろうが、ラテン語とイタリア語では女性名詞なのに、フランス語では男性名詞となっている。
女性名詞説の人たちはしばしば「『船』はラテン語で女性名詞だったから」などと言うのだが、仮に英語の「maiden」が女性名詞に付くとしても、なぜ古英語などではなく、いきなりラテン語が基準になるのだろうか。「maidenは女性名詞に付く」という結論ありきで、「船」を女性名詞とする言語を探してきているだけではないのか。
女性名詞説の「処女作は『ペン』が女性名詞だから」というのもおかしな話で、普通に考えれば「作品」や「本」が女性名詞かどうかを考えるべきだろうに、なぜ「ペン」を持ち出してくるのかといえば、ラテン語で「ペン」が女性名詞だったことを探してきたからだろう。
女性名詞説の人たちがもうひとつ頼みとするのが「英語でも船をsheと呼ぶ」ということである。つまり「船をsheと呼ぶのは船が女性名詞だったことの名残である」というのである。
これについては以下のページに詳しい。
これは古英語にあった文法性とは無関係です.乗り物や国名を女性代名詞で受ける英語の慣習は中英語期以降に発生した比較的新しい「擬人性」というべきものであり,古英語にあった「文法性」とは直接的な関係はありません.そもそも「船」を表わす古英語 scip (= ship) は女性名詞ではなく中性名詞でしたし,bāt (= boat) にしても男性名詞でした.古英語期の後に続く中英語期の文化的・文学的な伝統に基づく,新たな種類のジェンダー付与といってよいでしょう.
「OED によると船を受ける代名詞としての she の初例は1375年である」らしいが、最初にも述べたとおり、英語に男性名詞・女性名詞の区別が残っていたのは古英語(5世紀から12世紀ごろ)までである。また、これも先述のとおりだが「古英語 scip (= ship) は女性名詞ではなく中性名詞」というのだから、女性名詞説の人たちの主張はまったくの誤りということになるだろう。
1. 英語の「maiden」は、そのあとを受ける名詞が男性名詞か女性名詞かに関係なく、「新しい」「最初の」という意味の形容詞として使われている。
2. その「新しい」「最初の」という形容詞としての用法が生まれたのは、英語から男性名詞・女性名詞の区別が失われた後のことである。
親のほうが子供じゃん
仕事が忙しくてすぐ返事できなかったり水筒忘れたのはあなたの都合だし
出来ないからしょうがなく"やってあげてる"は子供を無能扱いして優越感に浸りたいただの自己満足だし
自分が自己満足で先回りして"やってあげてた"くせに本来本人がやらなきゃならない事の責任まで押し付けられてとか召使いみたいに責められる筋合いはないとか被害者ぶりすぎ
上履きならともかくたかが水筒で…とかグチグチ言ってるのもダサい
どうすべきってまず謝れよ
過保護。面倒見過ぎ。事実召使いに思われてるので良くない。自分の行動は自分で責任取らなきゃいけないこと考えさせた方がいい。そもそも増田は自分と娘しか見えてないけど、娘が他所でその態度、つまり「他人は自分のために何かするもの」「人の優しさに感謝せず、当然のものと思う」という態度でいたら良くないと思いません? 親御さんはどういう教育してるんですかねぇって言われるよ。
娘ちゃんもやればできるんだし、親離れ子離れ頑張れ。
「まだ小さいから親の助けが必要だろうと思って」ってのは親のエゴ。
やってあげてたのが過保護で異常だよ。
小学校1年生なんてほとんどよその家庭のことなんか知らないんだから親がやってくれるならそれが当たり前のことなんだな思ってるよ。
まだ小さいから親の助けが必要だろうと思って、学校の支度は主に自分がやっていた。
そうしたら一昨日の朝に水筒を持たせるのを忘れた。ずっと仕事が忙しくて頭がいっぱいだったので。
そうしたら一昨日に学童から帰ってくるなり「今日水筒持たせてくれるの忘れたでしょ!」と声をかけられた。
その日の仕事(在宅勤務をしている)が忙しくさえなかったら「ああうっかりしてた、ごめんね!」で済むところだったのだと思うが、溜まった仕事と家事で立て込んでいてすぐに返事ができなかった。
そうしたら「水筒持たせてくれなかったせいで、3時間目も4時間目も学童でも喉が渇いて大変で、学童でお茶をもらって飲んだんだから」と恨み言を聞かされた。
「なんで〇〇ちゃんができないからしょうがなくやってあげてるだけの事に文句言われなきゃいけないの!」と、もう何もかも嫌になって娘に吐き捨てた。
そこから最低限のこと(朝夕食の支度と洗い物、体操着等の洗濯、洗ったものを袋に入れてポールハンガーにかけておく、宿題の丸つけ)しかやってない。宿題や風呂や歯磨きについて声かけをするのもやめた。
そうしたら昨日も今日も自分で支度をして自分で出ていった(今朝は連絡帳ファイルを机に置きっぱなしにして水筒を忘れて行こうとしたので忘れている旨だけ伝えた)。昨日も今日も家を出る時間が大幅に遅くて遅刻をしているんじゃないかと思うが、ちゃんと叱られたらいいと思う。
でも大体はちゃんとできていた。使ってきたランチョンマットを洗濯機に入れて替えのマットと取り替えるのも、宿題も、風呂も、歯磨きも、言われずにちゃんとやっていた。
本人は多分「親のせいで喉が渇いて辛い思いをしたのに、なんで怒られなきゃいけないのか」と思っているのだろう。
自分としても「なんで本来子供本人がやらなきゃならない事の責任まで押し付けられて文句を言われなきゃならないんだ」と思っている。
子供がやろうとしてできなかった事に文句を言ったことはない。「なんで忘れ物したの」「なんでテストで全部正解できなかったの」なんて一度も言ったことはない。そういう叱り方は好きではないからだ。「ああうっかり忘れちゃったね」「ああ間違えちゃったんだね」でいつもすませている。「なんで水筒を持たせてくれなかったの。そのせいであれもこれも本当に辛かったんだから!」と、ご主人様の支度を怠った召使いみたいに責められる筋合いはない。まして上履きや体操着と違って授業に支障を及ぼさない、熱中症の心配もない涼しいこの時期の水筒なんてものひとつで。
今日も娘が帰ってきた時にどうすべきなのか考えている。
小学生の頃読んだ。
子どもを望んでる王妃が、魔女ととりひきをし、子をさずかる果物を2つもらう。
ちゃんと皮を剥いて食べように言われたけれど、1つは皮を剥いて、もう1つはそのまま食べてしまった。
妹姫は金のスプーンをくわえてうまれてきた天使のような少女。姉姫はブスで髪ボサボサでボロをまとい、ヤギを乗り回して木のスプーンをふりまわし、召使いも寄せ付けない。
ただなぜか双子同士はすこぶる仲が良い。
このヤバい方の姫がめっぽう強く、木のスプーンを武器にどっかの国を救う。
ところが結婚パレードの最中に、ヤバい姫が絶世の美女に変身。王子は大喜び。国民も熱狂。
妹姫は「私には姉様の本当の姿がずっとみえていたわ」
エンド
すまん、自分がピュアすぎるだけなんだが、ネットの恋愛談義が盛り上がると
女を「金払ってうまいことおだてると高級オナホになってくれる肉塊」と思ってる男どもと
男を「いいタイミングでマンコを差し出すとATMになる召使い」と思ってる女どもがゾロゾロ湧いてきて
こんな奴らが世間のマジョリティでかつ如何にもまともですみたいな顔して生活してると思うとなんか面白いなと思ってしまう。
自分は別にオナホあるんだから生きてる人間を射精のためだけに使わんでええやろと思うし、同じく生きてる人間を金吐きマシーンにしてまで幸せになろうとも思わんのだけど
表題みたいなことをネットで表明すると世間知らずのサンドバッグ扱いされるの、なんというかその、よく考えてみたら何とも思わんけど。これまで通り高性能ATMと高性能オナホ同士で殴り合っててほしいかもしれない。
タイトルで10割なので読まなくてもいいけれど感情のやり場がないのでここに置いていく。
生きた時代(まだ生きてるけど)の価値観によるものも大きいのかもしれないけれど、だからと言って周囲の人間に迷惑をかけていいわけでもない。
幼少の頃、私から見た祖父は几帳面で割と優しい印象だったと思う。
ご飯前に手を拭かなかったり、脱いだ靴を揃えなかったり、開けた戸を閉めなかったりすると怒られた。買い物について行くとよく本や塗り絵を買ってくれた。このお陰で読書の習慣がついたのでそれには感謝している。
成績は悪く無かったし褒められる自信はあったけど、それでも「もう少しだな」と言われた。祖父は結構努力して公務員になったらしいので、そう言われても仕方ないのかなと思っていた。
まだ年若く、同居もしていなかったので家族や親戚周りの内情をよく知らなかった。おそらくは両親や祖母が負の側面を見せないよう配慮してくれていたのだと思う。
私が30に差し掛かった数年前、祖母が亡くなった。祖母は施設に入らずに祖父が面倒を見ていた。足も悪く認知症も患っていたが祖父が施設に入れることを渋り、自分が面倒を見ると言ったらしい。その頃祖父は少し耳が遠くなっていたが、祖母のために筋トレグッズを自作したりしていたのを見て、仲が良いんだなと思っていた。母が祖父母宅へと通ったりヘルパーさんの助けを得たりしていたようだが祖母は目に見えて弱り、いつの間にかほぼ寝たきりになり、そして亡くなった。
私達家族が葬儀の手配などに奔走するなか、祖父は何もしなかった。霊安室での対面の際も特に言葉をかけることもなく、最低限のことだけ終えてその場を後にした。祖父は補聴器をつける気すらないので決まった事項を説明してから難癖をつけ始める。葬儀はどこだ、いくらかかるのか、この人を呼ばなくてはならない…。この人は年長者として監督してるつもりなのだと思った。働いているつもりの無能という言葉がぴったり当てはまる。
聞けば過去に親戚の葬儀の準備に頼まれてもいないのに口を出し、やんわりと拒否された後激昂して葬儀を欠席したらしい。当時私も参列していた筈だが子供だったので記憶になかった。
気に入らないことがあれば激昂して怒鳴り散らし、物を投げようとする。祖母や母に対して行っていたらしい。身の回りのことも祖母が全てやっていたため、祖父に生活能力は全く無かった。
昔の価値観で言えばよくいる親父なのかもしれない。だが、私はあんなに献身的な祖母に愛は無かったのかと愕然とした。泣かなかったし、何も言わないし。
結局体面なのだ。外面は良く、お人好しだと周りから言われていた。自分より格下の相手(年下や女性)に怒鳴り散らせば意見が通ると思っている。自分は公務員だったから、年長者だからといったゴミみたいなプライドが根底にあるのだ。祖父本人の激情家な性格と年功序列、男尊女卑の時代が合わさってこんなモンスターが生まれてしまったのだと思っている。
墓参りなども、祖父の視界に入らない所でやった事は「していない事」として扱われる。手を合わせるのも、水をかけるのも、やっていないとみなされ激昂する。手を合わせにきてくれた親戚や周囲の方に申し訳ないと思う。
隣人トラブルもままあり、その度に両親が謝罪に回っている。あわや障害沙汰になりかけた時もあったらしい。それもこれも、自分が組長をしていたというプライドからくる上から目線が元凶だろう。
祖父にとって祖母も母もただの召使いでしかない。葬儀の際に1番奔走した母に感謝の一言も無かった。恐らく自分はちゃんとした生活を送れているという自負があるため絶対に施設には入らないだろう。しかし家族にも手に負えず、両親の愚痴は絶えない。加齢による認知機能の低下も一因ではあるのだろうが、本人が生きてきた価値観や気性に依るところが大きいと感じる。
そんな祖父に怒りを覚えるが、この人は歳を取って疎まれて逝ってしまうのだと思うと何とも言えない気分になる。少なくとも私にとっては私の人格形成に関わった人であり、祖父が本を買い与えてくれなければ今の私はないと思っている。正直両親の愚痴を聞くのも心苦しい。
祖父のモンスター化を止められなかった我々の責任なので甘んじてこの状況を受け入れるしかないのだろうけど、割り切れない感情に苛まれている。