はてなキーワード: 3月とは
『文學界』2021年3月号の新人小説月評に関して、評者の荒木優太氏が「末尾が勝手に削除された」とTwitterに訂正願いを投稿、ほどなくして『文學界』公式アカウントも反論のツイートをした。
【訂正のお願い】今日発売の『文學界』3月号に寄稿した新人小説月評の末尾が編集部によって勝手に削除されました(左:本誌、右:最終ゲラ)。消された「岸政彦『大阪の西は全部海』(新潮)に関しては、そういうのは川上未映子に任せておけばいいでしょ、と思った。」の一文を追記してください。 pic.twitter.com/EeFtgele6Z— 荒木優太 (@arishima_takeo) February 5, 2021
文學界3月号「新人小説月評」の筆者・荒木優太氏が、編集部に月評の内容を編集段階で勝手に削除されたとしてTwitterで抗議していますが、編集部の認識はまったく異なります。ここに経緯を記し、荒木氏の投稿に反論します。— 文學界 (@Bungakukai) February 5, 2021
のちに荒木氏は『マガジン航』で「削除から考える文芸時評の倫理」と題する文章を発表し、背景を説明した。
https://magazine-k.jp/2021/02/06/ethics-in-literary-criticism/
最初に荒木氏の①【訂正のお願い】ツイートは2月5日19時半前、②『文學界』の反論ツイートは同日9時過ぎ、その後30分と間をおかず、荒木氏は「とりあえず」との留保付きで③追加説明のツイートを行なっている。
言及ありがとうございます。詳しくは長文にて説明しますが、とりあえず、①「批評の言葉」かどうかを編集部が判断するのがお門違いであり、私はメールにて「岸さんの箇所は現状ママでよろしくお願いします」という指示をちゃんと提出しています。— 荒木優太 (@arishima_takeo) February 5, 2021
では「削除」に至った経緯について、両者の主張を見てみよう。と言っても、経緯の主張については対立するところはない。
2. 『文學界』が「批評としてあまりに乱暴すぎるのでもう少し丁寧に書くか、それでなければ削除してほしい旨申し入れ」る。
3. 荒木氏が「では、末尾に『全体的におもしろくなかったです。』と付け加えてください」と伝える。
4. 『文學界』が「改稿していただけないのであればその3行は削除します」と申し入れる。
5. 荒木氏が「『お好きになさるとよいでしょう』、ただし『その事実をSNS等で吹聴する』」と返答する。
7. 「勝手に削除された」と荒木氏がTwitterで吹聴する。
以上である。
さて、ここからが本題である。『文學界』のツイートは一貫して、「勝手に削除された」という「認識」をめぐるものである。
先ほどの経緯を「削除」の一点に絞って書き直してみよう。
1. (略)
2. 『文學界』が「削除してほしい」旨申し入れる。
3. (略)
5. 荒木氏が「お好きになさるとよいでしょう」と返答する。
7. (略)
『文學界』の立場としては、まず削除してほしいと提案し、聞き入れられない(どころか批評たりえない(と彼らが判断する)改稿を提示された)ので削除を宣言し、荒木氏が認めたので実際に削除した=「勝手に削除したわけではない」、ということになる。すなわちここでの「勝手に削除する」は、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とする」ことを指す。
荒木氏の立場としては、編集部の意向で、B「最終的な確認なく削除された」=「勝手に削除された」ということになる。
「勝手に削除してもよいという合意」の上で削除が行われた場合、それは「勝手に削除された」と表現できるのか?
一見して難問だが、前件と後件の「勝手に削除」は、指しうる範囲が異なる。Aの意味は「合意」とそもそも相容れないため、前件ではBのみを指しうる。一方で後件は問いの形式なのでAとB両方指しうる。しかし命題「〜場合、それは『勝手に削除された』」が真となるのは両件ともBを指す場合のみである。
では荒木氏のツイートと時系列に話を戻すと、最初の「勝手に削除された」という荒木氏の言葉は、ここでは後件に相当する。しかし前件はそもそも提示されていないために、AとB、どちらを意味するとも解釈できる状態である。それに対して『文學界』の経緯説明は前件を説明するものであり、ここでようやくBの意味での解釈のみが妥当であることがわかるようになる。
言い直すと、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とされた」と荒木氏が主張しているように読めるため、そこに出てくる表現「勝手に削除された」は、B「最終的な確認なく削除された」のみを指しうるのだと、『文學界』は反論したのである。
これを踏まえると、「Bでしか解釈できないはずの表現を、Aとも解釈できる状態で公にした」荒木氏側には、『文學界』から反論されるだけの落ち度があると言えるだろう。
私には物理的に手出しできないのだから「お好きになさるとよいでしょう」と言うほかないではないですか。私の意志をちゃんと理解した上で、削除を強行するのは編集権の濫用だと思います。— 荒木優太 (@arishima_takeo) February 5, 2021
「物理的に手出しできない」という不均衡な関係ゆえに形式上同意せざるを得なかっただけで、本来的には一切了解していない、すなわち前件自体が間違っているのだから、Aと解釈すべきである、という主張である。なるほど、物理的に手を出せないのは明らかに真である。だが、「ならば同意せざるを得ない」と即座に結論づけられるのか。これは言わば「抗拒不能」を争うもので、論理から法の領域に踏み込んでしまうだろう。
ここで可能性として生まれるのは、「6. 『削除されなかった』状態で刊行された」パターンである。ではなぜそうならなかったのか。『文學界』側が「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」という論理的な抗拒不能に陥っていた場合である。
本論では『文學界』側にこの主張が成り立つかを『マガジン航』に掲載された「削除から考える文芸時評の倫理」から考えてみよう。
荒木氏は「削除されなかった」場合に作家が反応を示した場合を想定して、こう書いている。
そもそも、作家から「反応」があったからといって、なんだというのか。怒りたければ怒ればいいし、月評に不満なSF作家・樋口恭介がしたとおりウェブに反論文を書いてもいい。場合によっては私はそれで反省するだろうし、或いはやはり自分の正しさを確認するだけに終わるかもしれないが、その過程のなかで新たに発見できるものもあるだろう。
ちょうど1年前の『文學界』新人小説月評に対し、作家の樋口恭介氏が反論した例(https://note.com/kyosukehiguchi/n/n54a493f4d4f4)を挙げ、自身の評言に対しても同様に振る舞えばよいではないかと述べている。
樋口氏の件では反論に遭った両評者とも、作品内容にある程度触れ、自らの解釈をある程度開陳した上で否定的な評価を下している。よって樋口氏は両者の解釈がそもそも成り立たないことを説得的に示し、古谷氏から不適切であったと謝罪・撤回を得ることに成功している。非常に健全な批評的やりとりだった。
ところが荒木氏の問題の3行には解釈がない。解釈が提示されていないのであれば、樋口氏のように「それは誤読だ」と反論することもできないだろう。荒木氏自らが提示したこの事例との比較から、「反論の余地を与えない表現は批評たりえない、単なる悪口である」という論理が――「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」――容易に導かれる。
荒木氏は「文学作品は作者による産物であると同時に、読者がもつ解釈格子次第でいかようにも姿を変えるものだ」とも述べている。なるほど、その解釈格子を通して得られた感動は「読者が固有の仕方で編み出した創造物」であるという論も含めて同意する。ところが荒木氏は続けて、「読者に伝えたいのは、私のもっているつまらなさや無感動も、いくぶんか自己に責任をもつところの私自身にとっての大切な創造物であるということだ」と述べる。結論はこうだ。
私の最大の、というより唯一の武器は、面白いものには面白いといい、つまらないものにはつまらない、という、正直であることのほかない。
荒木氏の論理では創造物なのは「(無)感動」である。解釈そのものはそれを生み出すためのフィルターである。そして荒木氏が月評に書こうとしたのは「全体的におもしろくなかったです。」の一言、すなわち「感動」である。
だが、樋口氏の事例との比較で明らかなように、批評文に求められるのは、評者の感動=感想などではなく、それを生み出すにいたったフィルターであるところの解釈である。解釈には確かに属人的な部分もあるが、ある程度規範的な部分もあり、さもなくば書き手自身からの反論も成り立たず、「過剰解釈」が氾濫する。なるべくその規範的な解釈をもって評価を下すのが評者の使命であろう。評者個人の正直な感想など、正直言って全く興味がない。文芸誌を買ってまで読書感想文を読みたくなどない。
月評の制限字数がわずかであるため十分に論が展開できないというのならば理解できる。ところが『マガジン航』には多少なり岸作の解釈が載るのかと思えば、ここでもやはり「簡単な紹介と個人的所感」にとどまる。「個人的所感」などどうでもよい。
解釈ができないのであれば、あるいはするまでもないと思ったのであれば、端的に書かなければよいだけの話であり、結果として「勝手に削除された」のは理の当然であろう。
ある意味で当事者となった川上未映子氏はこうツイートしている。
これは余談。批評の主体は愛や敬意、と言う人がいるが、必ずしもそうではない。それを必須条件にしたものは読み物としては心地よいが批評ではない。批評の主体は、テキストと論理と緊張感。対象作品の書き手の思いや反応や背景など気にする必要は一切ない。ちなみに小林秀雄は批評家ではなく評論家— 川上未映子 Mieko Kawakami (@mieko_kawakami) February 6, 2021
テキストも論理もなく書かれた感想に怒りで反応する皮相な「緊張感」だけが漂う場を、批評とは呼ぶまい。
まず公平性を期すためあえて本論執筆者自身の考えを明確にすれば、「『文學界』編集部の削除対応は、抗議ツイートまで含めて手続き上問題はないが、合理的ではなかった」というものです。
仮に削除せずに全文ママで掲載し、岸・川上両氏から編集部に対して抗議が来た場合、やりとりの履歴はあるのですから「改稿あるいは削除を提案したが聞き入れられなかった」と説明すればよいでしょう。改稿・削除を要求した理由が両氏への忖度だけなのであれば――「裏工作して保身に走る編集者」なのであれば、交渉をした時点ですでに保身は成立すると言えます。
あるいはもし仮に改稿・削除提案が荒木氏自身の体面を守るためというお節介だったとしても、誌面から削除したところで荒木氏自身がSNSで当該の評言を公開することは避けられないわけです。
それでもなお最終的に削除の決断をした。非合理的でしょう。「批評を載せるのだ」という編集部としての決意表明のようなものを感じます(これは解釈を経て創造した感想です)。
無論、コメントでいただいたように、「そもそも読者は批評を求めていない(批評を求めていない読者もいる)」可能性はあります。誌面にどのようなものを載せるか決めるのはまさしく編集の作業なので、この場合問題は「作者が作りたいものと受容者が求めているものが違う」ことです。
ただし荒木氏自身も批評を書こうとしているので(「「批評の言葉」かどうかを編集部が判断するのがお門違いであり」と主張している以上)、問題の3行を読んで「読者は批評を求めていないのだから問題ない」として荒木氏を擁護しようとすると、逆に氏を裏切ることになります。
よって、時評の存在意義や読者の需要はコメントでいただいたように「別の話」なわけですが、それはそれで議論されるべき問題なので取り上げました。
最後に、本論文末の「緊張感」は、わざと誤読のように用いています。コメントでおっしゃる通り、「テキストへの真摯さ」が本来の緊張感ですが、テキスト・論理がないので当然この本来の緊張感も不在です。それとは別の、感情的な応酬という緊張感しかないのだ、と表現するために括弧付きで「緊張感」としました。最後までお読みくださりありがとうございます。
私は都内でWEB制作しているフリーランスなんだけど、コロナの影響で得意先のほとんどが広告予算や外注費を抑えるようになってしまったため仕事が激減。今年度の売上は4分の1まで下がってしまった。。
とりあえず、年金と健康保険は一部免除してもらえたものの、昨年度は売り上げが良かったこともあって税金がバカ高く、100万円の持続型給付金は、健康保険料、事業税、都民税など税金の支払いだけで全て消えてしまった。それでもまだ都民税1期分が残っている状態だ。
この残りを1月末に入ってくる売上金で支払う予定だったのに、急きょ、得意先の都合で入金を3月末にしてほしいと相談されてしまった。。貯金はそろそろ底をつき始めているし、外注先への支払いもあるのでかなり痛い。。
とりあえず税金の支払い猶予を相談するべく区役所へ電話したら、支払い猶予は期日前に申請しないといけないらしく時すでにおすしだが、3月中旬までなら延滞金がかからず待ってもらえるとのことで少しホッとした。だけど、あてにしていた入金は3月末。今ギリギリの状態で急な支出が発生でもしたら、その都民税をちゃんと支払えるのかだんだん心配になってきた。。何より事業をやっていて手元にお金が無いのは相当リスキーで、にっちもさっちも行かなくなる状況だけは避けたい。借金にはなってしまうけど、厚労省から緊急小口貸付金を頼ることにした。
ん?わたし今、税金を支払うために国から借金しようとしてる..?
この状況おかしくない..?
確かに持続型給付金はかなりありがたかったけど、全て税金の支払いで消えていったし、んでもってこの受給した100万は今年度の収入にカウントされるから、またこれから税金取られるんだよね。来年度も復活していなくて売上が下がれば、税金を払うためにさらに借金するかもしれないってことか。。コロナが落ち着く保障はどこにも無いし、得意先の経済状況だって良くなる気がしない。それを考えると無限に借金と税金に追われる気がして、いったいこれから私は何のために働いていけばいいのだろうと急に虚しくなってきた。。
そもそも税金って昨年度の所得をベースにするから、これまでは税金高いなぁと思いながらも普通に売上は保てていたし支払えてたから問題なかったけど、コロナの影響で売上が下がっているつーのに、事業税とか都民税なんて一切減免してくれず支払えってのは無理ゲーでしょ。。
あと、私なんてまだマシな方で、これで廃業や倒産に追い込まれている人もいるんだろうなと思うと、今回ばかりはさすがに、税金取るなら粗利補償ぐらいはするべきだと思った。でなかったら最低限、税金免除。欧米ではずっと補償がもらえている話とか聞くと心底羨ましいし、日本人で損した気分にすらなってくる。
あぁ、、何か働くの馬鹿らしくなってきた。どうせ景気はよくならないだろうし国は金出さないし。もう働きたくない。。はてなでもこういう状況に近い人っているのかな。。
だいぶ前になるが、21卒としての就活を終えた。
意外に就活の顛末を主観で書いた記事が無いなと感じていたので、今の就活こんなんやったで、というのを記録がてら共有したい。
もちろん、量産型(地方)文系大学生とはいえサンプル数1であり、むしろ大いに偏った人間な気もするので、そんなんじゃねーよという突っ込みや質問もたくさんほしい。
この時期自分は『就活はリクルート・マイナビ等の企業群が作り上げた虚構であり、滅ぼすべき邪悪』という思想を持っており、大枠は就活終了まで変わらず過ごすことになる。(就活を理由に4年生の初恋の相手に振られたことが切っ掛けかもしれないが、元から割とこういう思想をしていた)
それでも部活の先輩から「インターンは一応行っといたほうがええで」とのお言葉をいただき、一応就活らしい行動を始めることにする。
インターンは、企業名で検索して出てきた新卒採用ページからそのまま応募するか、リクナビ・マイナビ系のサイトに飛ばされてそこから応募する、という形がほとんど。
少し調べると、都心の学生は意識高く給料が出るようなインターンに参加し半年くらい切磋琢磨しているらしい。だが、田舎の大学生にはそんなこと土台無理なので早々に諦め、部活の合宿の都合も考慮して1day~1週間程度のインターンから見繕うことにした。地方の大学に居るだけで入れなくなる差別主義企業なんてこっちから願い下げじゃボケ、とか思ってたような気がする。
この程度の短いインターンだと優遇もクソもないらしいので、とりあえず交通費・宿泊費が出て、何となく入れたら面白そうだな~という企業に適当に応募。たまたま受かった2、3社に参加することに。
インフラの裏側を探検したり、アナウンサー体験をしたり、所有する不動産のスイートルームを見学したり、どれも会社のお金で見学ツアーみたいなことをさせてもらえてたのしかった(小学生)。同時にGD(グループディスカッション)みたいなことも延々やらされたが、どれも学生からマトモな案出ると思ってなさそうな内容ばかりで、ハナから"積極的に参加してる感"だけ適当に醸し出してたらまあまあ良い評価をもらえた。就活は茶番、という八つ当たりが確信に変わりつつあった。
研究で忙しくなり、現実逃避のためポケモン・あつ森に没頭し就活せず。普通の就活生は冬インターンに参加したり、外資・コンサル・マスコミ(民放)の本選考を受けている時期(らしい)。インターンに行った1社の本選考があり、一応受けるも余裕で落ちた。一か月人と喋っていない状態で面接を受けるのはやめたほうがいい。
3月の就活解禁から一か月以上遅れ、そろそろヤバいかもと重い腰を上げる。先に就活を終え就職した高校時代の友人(現役入学、自分は浪人)にアドバイスを貰い、とにかく数を出してみることに。業界を絞らず、適当に行けたらいいなという企業を片っ端からスプレッドシートに並べ、締め切りが近い順に心を無にしてESを投げまくった。ESの内容は一応部活と研究で頑張ったこと(いわゆるガクチカ)に加え、日経とES投稿サイトを検索して出てきたウケがよさそうなワードを散りばめることで、意識高い感じの文章を生成した(よかったのかはわからない)。書類はなんだかんだ半分くらい通り、その後面接一つ進むごとに半分落ち、また面接、という作業を延々とループさせていた。
印象的だった点は2つ。コロナへの対応と、Webテストの無意味っぷり。
コロナについては、各企業の採用担当者さんたちもかなり手探りだったようで、面接中も何を基準に選べばいいのか戸惑っているような雰囲気さえあった。自分はいわゆる大企業ばかり受けていたため(?)ほぼ全てリモートでの面接となったが、明らかに会社側の通信状況が悪く途切れ途切れのまま面接が終わったり(みん就を覗いたら阿鼻叫喚だった)、逆に3次面接が対面だったのに最終面接が急にリモートに変更になったりと、真剣に就活に向き合っていた人はかなり翻弄されてつらかったんじゃないかなと感じた。
2つ目はコロナと全然関係ないが、Webテスト(SPI-Web,玉手箱,TG-Web,CAB,GABみたいなやつ)がガチでしょうもなかった。これらのテスト、端的に言うと答えが出回っていて、その答えを見ながらポチポチするだけでだいたい切り抜けられるゴミみたいな仕組みになっている。先輩秘伝のexcelシートを貰う、とかならまだ良いほうで、なんか『自称リクルート社員を名乗る人物が売る有料回答集付きnote』みたいな魑魅魍魎が平気で跋扈しており、かつその怪しい有料excelシートで普通に答えられてしまう(らしい)。一応意味があるのは試験会場があるSPIのテストセンターくらい、といった有様。自分は答えは使わなかったが、そういう現状があってもなおこれらのテストが選考に使われ、また不正できないようにテスト制作会社側(リクルートキャリア・日本SHL・ヒューマネージ…etc)が改良するわけでも無い理由は、単にやってる感を出すためのプロダクトでしかないから、もしくは単に人事が無能だから、の二択しかないのではと思っている。
そんなこんなで、最初のほうは惨憺たる有様だった面接も回数を重ねるごとに徐々にマシになっていき、6月ごろに第一志望群に入れていた数社から内定をもらった。どれも一度も対面で面接せず、本社を直接見たことすらない企業で、コロナ渦っぽい就職活動だったな~と一瞬思ったがそんなことはどうでもよく、さっさとやめたかった就活を終えることにした。
インターンのところでも書いたが、就活関連サイトの記事(ワンキャリ・就活会議・外資就活とか)では、そもそも地方にいたら到底無理な行動が平気で求められおり、学生を煽って稼ぐゴミアフィサイトはよ死ね潰れろと思っていた、が、実際就活してみるとまともな企業であればその差はある程度認識してくれていて、むしろ地方ならしゃーない的なお目こぼしを得られることのほうが多かった気がする。逆にその下駄を履かせてもらえないのにアクセスの良さも活かせなかった今年の都心の就活生は大変な思いをしたのかもしれない。
よくわからないブラックっぽい企業から無差別爆撃のようなオファーが届くだけだった。優秀な学生にはいい企業からのオファーがあるのかもしれないが、そういう学生は更に高いレベルの企業を求めて普通に選考に応募してるだろうし、気休めの内定が得られる以外の意味はなさそう。そもそもいい企業ならオファーなんてしなくてもいい学生来るやろ。
就活をやればこの就活垢を作っている人たちの動機もわかるかも、と思っていたが最後まで分からなかった。twitterなんて就職にとってノイズでしかないと思うんだけどそうでもない空間があるんだろうか(実際外銀とかコンサル目指してた人にはまあまあ意味あったらしい)。
ちなみに「NNT」でtwitterやyoutubeを検索すると路頭に迷った就活生の亡骸を閲覧できる。自分がたまたま見かけたのは、何故か公園で小声で歌いながらリクルートスーツ姿で踊っている就活生の動画。その次の面接後の動画では、観覧車の中で自分を責めながら泣いていた。なんもかんもリクルートが悪いんや……。
みじめなおもいを吐き出させてほしい。
私が一番しんどいのは、自分がどんなにみじめかを思い知る時だ。
きつい仕事、時にはいのちをおとすかもしれない仕事をを誰かがやらなきゃいけないとき、まず私にその話が降られる。
そして、私と同年代で、性別も一緒の人には、絶対に話が行かないし、もしいったとしても
「何てかわいそうなんだ」「大変でしょう」と声がかけられる。
私にはない。
もし私が第三者でも、私には頼むけど、Nさんには絶対に頼めないなって思っちゃう。
だって、かわいそうだもん。
私ならいいやって思うし、私自身、そういう扱いされて「当然だ」って、ずっと、思って生きてきてた。
私はゴミみたいな人間なので、それくらいの扱いをしてバツを与えないと、生きている価値はないと
なんの疑問も持たず、モノ心をついてから数十年生きてきた。
それっておかしいと、あるタイミングで思ってから、こういう扱いを許さないようにはしてきたけど
やっぱり人間、根底にあるものは変えられないみたいで、こういう扱いを当然のようにしてくる人がいて
私も「なぜ」「おかしい」「こんな扱いは許されない」と、言えないのだった。
そして、みじめになる。
出来なかった自分に、そういう扱いをされている状況に、無性に腹が立って。
洗脳されたいと思う。数々のカルト教団がやってきたノウハウを使って、
誰か私を洗脳してくれないだろうか。
もう私は、自分のことを価値がないと、みじめだと思いたくはない。
しっかり洗浄して、新たな価値観につけこんでほしい。
みじめではないと。
いや…逆に、なぜ自殺しなかったんだろう。
私なら、「自殺していじめたやつらに復讐しよう」と間違いなく考えるが
どうしてあの時と、また考える。
私は、数々の生き物の命を奪い生きている。去年も、昨日も、今日も明日も、この先ずっと、命を奪い続ける。
そして、死にたいと思う。
何もかもから逃げ出して、そしてどうなりたいの?
何もかも、忘れてしまいたい。
子どものころからずっと、みじめだったことや、価値がないと思っていること
ゴミみたいな扱いをされるべきだと思ってきて、実際されていること
親も、兄弟も、好きだった人も、嫌いだった人も、全部、忘れてしまいたい。
しかし全部忘れることって、やっぱり、自殺とほぼ同じことだと思う。
忘れられたところで何なんだろう。その先、何も描けないのに。
何もしたくない。でも、歩みを止めたら、待っているのは死だけだと思う。
なんなんだろう。
導入後
導入後、民主党は2009年のマニフェストで「教員の資質向上のため、教員免許制度を抜本的に見直す。」と謳い鳩山由紀夫内閣へと政権交代を果たしたものの[6]、その後も政策として進展せず、現場では混乱や困惑が起きている。
2010年11月、文部科学省は20府県の教育委員会から受講状況の抽出的な情報収集を行い、2010年8月末から9月の時点で対象教員の6%が講習を終了していない、または受講しておらず、日本全国に換算すると5100人を超える教員の免許更新が行われないとの見積を発表した[7]。
2013年8月8日に施行された免許状更新講習規則の一部を改正する省令により、幼稚園教諭免許状を保有している認可保育所の保育士が、免許状更新講習を受講できるよう、受講資格が拡大された[8]。
2014年、文部科学省の調査によると、2014年3月末に更新ができずに教員免許が失効したのは、全国で58人であった[9]。2014年3月末に免許更新期限を迎えた教員は9万4,118人で、新講習を修了できなかった者は332人(0.4%)で、更新講習を修了できなかった332人のうち、教員免許が失効したのは58人(0.1%)で、残りの274人(0.3%)は失効する前に自主退職をした[9]。免許失効した58人については、更新申請期日を間違えた「うっかり失効」などにより4月1日付で新たな教員免許をもらい直して勤務を続けているのが23人、校長など管理職や学校事務職員など教員免許を必要としない職で勤務しているのが21人、退職が14人となった[9]。自主退職を除くと退職者は全体の0.014%となっている[9]。
グダグダで草
まさか国から「卒業旅行を自粛せよ」とのお達しがくるとは思わなかった。
自分は卒業旅行なら行ってもいいよね?を書いてから旅行を予約して、再来週に行く。
来年から就職すると3月は忙しいかもしれないので、2月中が一般的なタイミングだと思う。楽しんで来ようと思う。
分科会での提言はここに載ってるから読んでみたけど、「卒業旅行」の括りが広すぎるから炎上してるんだと思う。
10人、20人規模の卒業旅行もあれば、3人で行く卒業旅行もある。地方からディズニー、東京から京都に行くような卒業旅行もあれば、岩手から大分に行くような卒業旅行もある。3人で岩手から大分に行く旅行が、リスクになるのだろうか?
なのに、すべて「リスク」と括られて「自粛せよ」と言われるのは、そりゃ理屈が通ってないように見えてしまうだろう。
もちろん、明確な基準を作るのが難しいからこういう言い方になってしまうのだろう。
でも、だからこそ、卒業旅行を計画している大学生は自分で考えたほうがいいと思う。
そのうえで、自己責任で万全の感染対策のもとなら、卒業旅行くらい全ての事情に優先させて行ってもいいはずだ。卒業旅行、自分は絶対に行きます。
地に足がつかない、とはこのことかと思った。
2月の終わり、寒い日のことであった。大学受験の二次試験前期日程の試験を終えた私は、試験会場の大学からバスに乗り、金沢駅のバスロータリーに降り立っていた。バスから降りた時、アスファルトがぐにゃんと歪んだような気がして、最初上手く歩けなかった。地に足がつかない、とはこのことかと思った。
二次試験は、よく解けたという気もするし、ダメだったという気もした。要するに何も分からず、前者であったと自分に言い聞かせるしかなかった。金沢駅の東口をとぼとぼと歩く。前期試験が終わった。そのことへの安堵と、もうこれで受験勉強をしなくていいかもしれないという期待は確かにあって、背中に羽が生えたような気分だった。
しかし、まだ合否は出ていない。もう動かせない結果は、どちらに転ぶか分からないのである。まだ何者にもなれていない、宙ぶらりんの状態は何とも居心地が悪かった。
バスから降りた他の受験生たちが、駅の横にあるスターバックスに流れていった。解放感からか、その足取りはずいぶんと軽い。その気分も分からないことはなかったけど、やはり合否はまだ分からない。そう思うと、どうしても背中に生えた羽を伸ばす気にはならなかった。
正直に告白すると、スタバは敷居が高かったということもある。何もない田舎町からはるばる受験に来た自分にとって、スタバは最上級の憧れの場所であり、それゆえに敷居が高かった。どうやって注文するのだろうと考えたし、店員からドレスコードを求められるのではないかと本気で思っていた。勉強以外のことは、本当に何も知らなかった。
大人しく帰ろうと思って駅で帰りの電車を待つ。次の電車までは、だいぶ時間があった。さすがに時間を持て余したので、駅の中にあるコンビニに入った。
信じてもらえないかもしれないが、当時はコンビニに入って買い物をする事も一つの贅沢であった。受験勉強中はありとあらゆる誘惑を断ち切っていて、コンビニで買い物をすることは自分へのご褒美の意味があった。今考えると生活を締め付けすぎだと思うが、当時は「楽しいことをすると落ちてしまう」という謎の脅迫観念に追い詰められていた気がする。
コンビニで、e-maのど飴のグレープ味を一つだけ買った。電車の中でも食べられるものを、と思って選んだのだと思う。ここで買ったものが「e-maのど飴のグレープ味」であったことは、この後の出来事もあって鮮明に覚えている。
コンビニを出て、e-maのど飴を1つ頬張った。舌でひとなめしたら、「思ったより酸っぱいな」と思った。そして、そう思った次の瞬間、ぶわっと涙が溢れ出た。
何だ、何の涙だこれは。予期していなかった思わぬ出来事に狼狽した。こんな人混みの中で泣いたらかっこ悪い。そう思って、慌ててトイレを探した。トイレを探して、慌てて 個室に駆け込み、便座に座った。
便座に座ったら、一安心でもしたのか、さらに涙が出た。それこそ、e-maのど飴みたいな大粒の涙だった。
合格した嬉し涙でも、落ちた悔し涙でもなく、タイミングとしてはおかしなところだった。今になって思い返すと、ひとまず受験が終わったという安堵と、落ちているかもしれないという不安が混ざり合い、何とか保っていたものが決壊した瞬間だったのだろうか、と思う。そこまで追い詰められていた自分に、泣きながら驚いているもう一人の自分がいた。
これ以上涙が出ないように、と思って、e-maのど飴の丸いケースを左手の五本指で強く握った。強く握りながら、涙が止まるのを待った。
3月の上旬、まだ寒い時だったけれど、長い冬は終わって、一足早い春がやってきた。
年を重ねて、今ではスタバも普通に入れるし、大学受験の記憶はだいぶ薄れてきている。それでも、金沢駅のトイレでe-maのど飴を握りしめたあの日のことは、たぶん一生忘れないのだと思う。
どうして今、こんなことを書いたのかというと、今年の受験生が過酷な環境に置かれているニュースを見たからだ。毎年、受験の時期になるとe-maのど飴のあの甘酸っぱい味を思い出してしんみりとするけれど、今年はそんな生優しいものではない。
「濃厚接触者になって受験ができない」とか、「直前になって試験が中止になった」とか、そんなニュースを見て、まさに胸が潰れそうになる。一体いま、どれほどの出来事が起こっているのか。こんなことはあっていいのか。当事者の苦しみは想像も及ばないけれど、想像しようとしただけで胸が潰れそうになる。
自分のエピソードなんて、とりとめのないものでしかない。あの日、e-maのど飴を握りしめていた自分以上に苦しんでいる受験生が全国中に山ほどいて、今も誰かがトイレの中で泣いているのかもしれない。
緊急事態宣言が延長になって、本当に春はやって来るのかと、そんな気持ちになる。自分が受験生に直接できることは思い浮かばないけれど、あるとしたら、「大人」でいることしかない。大人が馬鹿なことをしてはいけない。無責任なことをしてはいけない。
なぜか年を越した感じも全然ないまま、餅だけでも食うか、というような生活をしてました。
流石に不摂生しすぎだなと思って、ちょっと疎遠だった人たちに連絡をとりました。
友人「ああ、似たような暮らしで運動不足だから太ってきたね。やばいけど外出れないからトレーニングマシーン支給してほしいよな」
ぼく「うんち、かくのジムの月謝くらいほしいよねよね」
父「こっちはまだ感染って感じじゃないんだが、それでも冬は外出るの億劫で体重計壊しちゃいそうだぞ、気をつけるんだぞ」
ぼく「うんこ、まるよね」
そんなこんなで、家で筋トレを始めようとした。
ぼく「スクワットできる?」
腰筋・腿筋「おう、できるぞ。立ちくらみしないように準備運動はしてからな」
ぼく「腕立て伏せできる?」
腕筋・肩筋「うん、すぐプルプルするけど何回かできるよ」
ぼく「そうか、よかった」
ぼく「腹筋できる?」
腹筋「……で………る……」
腹筋「……でn………い…た…」
腹筋「…もち…くい…すg……ダm……」
腹筋「…ごm……まt……」
ぼくの腹にたくさんの障害物があるみたいで、今のところ腹筋と連絡が取れない。
試しに連絡取らずに腹筋やってみたら全然ピクリとも動かなかった。
ヘロドトスという古代ギリシアの人物は『歴史』という書物を著し、これは世界最古の歴史書と言われていますね。偉い人です。
ところであなたは、現在大流行しているコロナウイルスが後世どのように捉えられるか見当がつきますか?
私は全く見当がつきません。というか、正確に言うと私はコロナをテレビが言うような形では恐れていません。
このように申し上げると私を陰謀論者だとか、「コロナは風邪」でおなじみの平塚正幸信者かと誤解される方がいるかもしれないので先に申し上げておくと、そのようなことはございません。昨年の東京都知事選挙では無効票を投じました。
ただし、電車では決してマスクを着けません。昔から喘息だったのでそのせいか、神経過敏的なものなのかわかりませんが(小児科医に相談したこともありますが)はっきりとはわかりませんがもともと呼吸がスムーズでなく、マスクを着けると明らかに周囲の人よりも苦痛を感じているからです。
(ちなみに、飲食店や商業施設等、また仕事や目上の人と会うときはピッタマスクを着用します。)
前置きが長くなりましたが、私はコロナウイルスを昨年春より世間の感染対策からはやや距離をとってニュース等を見ていました。2020年の2〜3月にはコロナウイルスとは何ぞやということについて色々な人と意見を交わし、大体スタンスが固まっていました(これについても話したいことは幾らかありますが…)。
そんな私は「コロナ禍」という言葉を使う方が多くいると思うのですが、それを聞くたびにモヤモヤっとした嫌悪感を覚えるのです。
まぁテレビを始めとしたメディアや偉い先生方、発言力のある方々がこのような言葉を使って2020-2021年の特殊な状況を批評するので一般人もこの言葉を利用するのは理解できるし、また語呂もよく使いやすいとは思うのですが、とにかく腹が立ちます。
その言葉を聞くたびに、「お前は偉いのか?ヘロドトスなのか?」という感情が喉元まで出てくるんですね。
言いませんけど。
つまり、現在進行形の、まぁ多くの人が困っている状況について貴方は何様の目線で批評を下しているのですか?と、感じるのです。
繰り返しますが、コロナウイルスは実際にあると思うし、おそらく人類に対して脅威となる疫病ではあると思います。
しかしその実態としては、ウイルスが悪いというより、現代日本の社会が単純に体制の変更を迫られているという問題に近いのではないかと思うのです。
別にこのようなことを主張したい訳ではないのですが、あまりにも多くの人がコロナウイルスの問題を無神経に扱い過ぎていると思います。特に「コロナ禍」という言葉からはその姿勢の最たるものを感じます。そういうものは後世から振り返られるものではないですか。とりあえず周りに合わせてマスクして帰省を自粛するあなたに、2020-2021年の問題を総括する資格があるのですか。みんな同様に困っているのだから、こういう時こそ一人ひとりにできることをして周りの人に貢献する、っていうのが社会というもんじゃあないんですか。
45歳多重派遣と言っても、噂のGitHubの人ではない。すまんな。。
皆さんはプロジェクトの共有ディレクトリの最下層に”女子大生”という何もないファイルを作ってアクセスログをとっていたのがバレて怒られた事はあるか?私はある。2回。
仕事でとうとうGitHubすら使わずにプログラマ人生を終えてしまった。
レガシーな技術を使いがちな金融プログラマではそこそこ居るのでは無いだろうか。
年収は20代後半からは550万~700万位だった。残業代・退職金は無く交通費は出ない。
所属会社は営業も事務も居ない小さな所帯のフリーの集まりのような所で、会社の運営に必要な金額をある程度毎月納めれば良い会社だった。
仕事がなくなれば自分、もしくは他社員の人脈で仕事をとってくる方式。
フリーで居るよりは仕事を取りやすく、単価も上げやすいので一応会社の所属にしているだけの所だった。
それでもすごく世話になった。
私はやる気が無いプログラマだった。オフの時間にプログラムの勉強をしたことなんて殆どないが30歳、35歳の限界説を越え、45歳まで働けた。
これはそんな元ニートの高卒45歳、多重派遣の底辺プログラマの退職エントリ。
はてなのIT技術者諸氏はオフの日にも日々勉強をしているようで。
◯◯出来る人が居ないか?と聞き回る営業を見ていると多重派遣のSESとはいえ業務時間内に勉強させろと私は思う。
技術の勉強の話になると途端に何プペる?のような、仕事の為の無給勉強時間当たり前のように語られる事がやる気の無い私にはついぞ理解することが出来なかった。
足に鎖でもついてるのかね。私と一緒だね。
45歳で年収300万円多重派遣の彼は問題児なのかもしれないが、私よりはやる気があるプログラマなのではないかと思う。
退職までずっとプログラムを書き、テストをしていた。たまに客に直接要望を聞いて仕様書に落とすこともした。
C/C++・Java・各種Shell・VB/VBA・SQL、UNIX/Linux・Windowsサーバーでなんとなーく仕事をしていた。
プログラムは他の人が書いたプログラムを流用しまくって書いた。
ざっくりな話になるが、私より出来る人はわんさか居て、私より出来ない人・問題児が2割は居た。後者の彼らのおかげで私は仕事があったのだ。あと、東京だからあったのだ。
人並以上の理解をしていたのはLinuxの構造くらい。仕事でカーネル層に潜り込み、デバイスドライバの改造をしなくてはならず、月350時間くらい働いているうちに身についたものだ。
当時居た会社は年俸制という糞システムだったので1円も残業代は出なかったが。
全く知らない技術が使われている新しい現場に上位プロパー会社の営業に売りに出されることはままあった。
現場の人にさも「解ってます!」みたいな面で面接をし、何とか切り抜けることは出来た。このときばかりはいやいやながら上辺だけを勉強した。無給でな。
解っている事でも残業が沢山降ってきそうな場合は「ちょっと私には難しいですね・・・」「「いやー、解らないですね。。」と出来ない振りをする度量もついていた。
仕事は”出来る(都合の良い)いい人”に回ってくるし、仕事をしてもめったに単価を上げてくれないし、切られる時は切られる。
30歳を越えたあたりから必要な時は定時丁度に上がる精神的な技術も身についた。
それと同時にここ10~15年はブラックなIT業界でもようやく過残業を減らそうという機運が増えてきたように思う。
ライブやイベントにも足を運べるようになり、推しに投資が出来るようになった。
おそらくまだ10年はプログラマとしてなんとなく生活出来たのだろうと思う。
「あいつ、そこまで出来はしないけれど居ないと困ることもあるんだよなぁ」位のポジションで。
あるいはもう少しやる気を出し、転職をし、上位層で働くことも出来たのかもしれない。
・そしてその日、”1人日”以上の仕事が割り振られる。残業しても終わらない
・翌朝で何故おわっていないのか?を問い詰められる
・仕事のタスク割り振りが多すぎて終える事は出来ないとお伝えしましたが?と反論
・その状況で、空いている時間にやっておいてくれと新たなタスクが振られる
・空いている時間とは?と聴いてみるが、コンパイルしている1分の時間に少しづつといわれ、そんなの出来るわけ無いですよね?。どこに空いている時間があるか教えて下さい。
と、毎朝そんな問答を繰り返していた。
改善をする気もおきなかった。早く次の現場に行きたいなという事ばかり考えていた。
そして気づいた。この仕事にようやく私は飽きたのだと。
子供も数年前に生まれ、子供が成人するまでこの仕事をするのも耐えられないと。
そんな時に副業のほうを本業にする決意をした。会社を辞め、起業をした。
今は全く別業種の業界で働いている。この先うまくいくかは良くわからない。
3次請け、4次請けの会社に居たので理不尽やパワハラには事欠かなかった。
まだ若手の時、鉄砲玉として使われた事があった。
フロッピーを本番端末のあるセンターに密かに持ち込み、定例メンテナンスの振りをしてシステムを黙って更新するという密命が若手の私と、他社の派遣PGで新人のK君に与えられた。何度も。
かばんの奥にフロッピーを隠し、かばん持ち込み検査で検査員にばれないようにし、潜り込む。メンテナンス用の作業IDを使用して黙ってシステムを更新するというのを繰り返し行った。
今考えると下手すると裁判沙汰なんじゃないだろうか。しかも見つかったら責任を取らされるという。
テンパった彼は入館証ではなく、隠していたフロッピーを検査員に見せつけたのだ。
だが、早朝ということもあり、検査員がほぼ寝ていたので問題なく通れてしまった。
今思うとあの時は首の皮一枚で大丈夫だったんだなと。
大手家電メーカーの工場で仕事をした時、プログラムの仕事なのに作業服をまず”自費”で買わされた。作業服いらねえだろう。
工場内にある窓の無いプレハブ小屋が開発現場だった。人権が無ぇ。ファーウェイの工場にはヨーロッパの街並みが再現されているらしいが。
この現場は電機メーカーのIT子会社D社からE社に投げられ、部屋に私以外だと窓際管理職のD社社員1人とE社の人間しか居なかった。
何故、E社の人間の中に私1人だけ他社の開発要員が入るのか?
入ってすぐに理解した。担当するシステムが1人だけで長く開発していたシステムで、スパゲティすぎて破綻しかけているのだ。
これを開発し続けられればヨシ、破綻したら私の(会社の)せいということにしたいのだ。
入って1週間で営業にコレはダメだと、早く抜けさせてくれと直訴した。
結局抜けるのに4ヶ月かかったが、その間、本当に酷い日々だった。
小さな改修が多く、納期は1週間か2週間毎にやってくる。だが仕様を投げるD社の人が鬱で会社にあまり来ない。他のD社の人に聴いても何も解らないという。
1週間の仕事で金曜日納品なのに、木曜日の夕方に2日酔でやってきた担当者に仕様を聞き出し、金曜日に意地で納品するも、気に入らないところがあったらしく「前担当者よりスキルが低いですね~」と言い放たれた。精神の苦行だろうか。
私の抜けた後、E社の別な人間が担当するも無事破綻しかけているという話は後ほど聞いた。自分のスキルでは本当にギリギリだった。危なかった。
高校卒業後はニートだった。猫と母としか会話をしない2年を過ごした。
その後、大手新聞社とオペレーター派遣会社が共同で作っていた文科省認定ではなく定期の学割も効かない街のパソコンスクールに通った。
教師は二種(基本情報)も持っておらず、業界歴は1年だけで環境変数も理解していなかった。
その学校で多重派遣という底辺で生きる技術者の卵に他の20名と一緒になった。
文科省認定の専門学校の情報処理科では少しマトモに勉強すれば大手SIerや商社の子会社の「何ちゃらソリューション」に入れる事も多い。
アホの一つ覚えのように大手の子会社は「何ちゃらソリューション」なので、「何ちゃらソリューション」というIT会社を見たらセンスの良い経営者が名付けた何処か大手の子会社だと思って差し支えない。あとイノベーションとかな。イノベータとかな。
就職氷河期の真っ最中に地方中核都市で就職をしたのだが、入社直前に東京勤務になった。
会社からは15万円の引っ越し資金だけが支給された。氷河期の3月に転職は出来なかった。
親に敷金礼金4ヶ月分を負担してもらい、親父に秋葉原の石丸電気で家財一式を買って貰った。
SES企業はまず新人教育の当たりハズレががある。ハズレのほうが多い。
派遣法の隙間をついて、たった1人で新人が派遣されてくる事も多い。彼らの大体は苦労を強いられている。
私は運良く同じ会社の人が沢山居る現場に入ったのだが、教育担当が想像を絶するパワハラマンだった。とにかくどんなことにもキレる。
ある日個室に呼び出され「お前は田舎に帰って缶詰工場で働け。なるべく頭の働かなくて良い仕事を選んでくれ。業界にいると迷惑だ」と言われてしまった。
親に学校に通わせて貰い、引っ越し代も払ってもらったのに使い物にならないと言われたときの絶望感は大きかった。
地下鉄の電車がホームに入ってきた時、ホーム下にふと吸い込まれて行きそうになり、寸前でハッとなり鼻先を電車がかすめていった。
知らないおばちゃんに「しっかりして!」と怒られた。都会の人も優しい。
それ以降、他社でも同じチームの新人には丁寧に接していた。私はまだ恵まれていた方なのかもしれないと思うこともままあった。
その家電はTronからLinuxにOSが切り替わり、開発・コンパイル用のソフトウェアのシミュレーターが新規開発となった。
Linuxのカーネルプログラミングが必要となり、日本語の文献もインターネット上の文献も少なく、オライリーの洋書(現在は日本語版もある)を取り寄せて読まざるを得ない状況だった。
英語は全く出来ない&私が作るとなると当然開発は遅れた。
私はカーネルプログラミングなんて当時はしたことが無かったし、集められた人員もLinux上でC言語の仕事をしたことがある。くらいの人員が集められたのだ。
単価が安い人しか使ってはいけないというルールで運用されていたらしい。
苛立った家電メーカーの”部長”が私を広いフロアの大人数の前でこう叱った。
「こいつ全然解ってないじゃないか!!なんでこんなのにやらせているんだ!!」
中国出張で散々おねーちゃんを買った自慢をしていた糞みたいな人間に罵られるのである。
月単価55万で350時間働かされ、残業代は1円も出ずである。誰もフォローをしてくれなかった。
徹夜が3日目に突入した午前3時、役職付きが私のPCの後ろで「まだ出来ないのか?」と15分おきにやってくる。
何とか完成はさせた。恐ろしいことに若かった当時は満足感をそれなりに得ていた。
精神的に色々と凹んでいた時に励ましてくれたのは中国人の同じ派遣の人だった。
大卒の育ちの良い中国人派遣技術者が沢山居たが、彼らは本当に性格がまっすぐだ。彼らが私の中国感を大分良くしてくれた。
(ずっとメッセンジャーばかりやっている連中もいたが)
彼らのような有益な人材が来てくれる時代があと何年あるのだろうか。
私は所属未定のまま倒産した次の日も、土日も何故か働いていた。
自分が働かないと他の人が倒れてしまうと当時は考えていたし、ようやく仕事が出来るようになって謎のやりがいを感じていた。
そして、翌週、中間の会社から流石に所属未定はマズイのでフリーとして契約しましょうと言われたのだが、単価の話なんて当時若造だった私には解らないのである。
結局、300時間以上働く中、残業代無しの45万円固定と言われるまま契約をしたのだが、
当時の私には多い金額に思えていたものの、都内のフリーの技術者としては当然低すぎる金額であった。
忙しい中、アドバイスを貰う余裕もなく、無知のために中間会社の狸親父に低い金額で契約させられたのだった。
みなさんは自分の単価くらいは知っておいたほうが良い。
賢い同じ会社の同僚は失業手当で半年間遊んだか、会社契約と同じ単価でフリーとして契約していた。
余談その2、当時なんとなく興味を惹かれて当時流行っていた日本礼賛本を読んでみた。
国産OSのtronは携帯電話で世界を席巻!!みたいな事が書いてあったが、その本が出ていた頃、携帯電話のOSはLinuxとSymbianで締められていたのを知っていたので興味深く読んだのを覚えている。
他にも
「1次請けが私の単価を上げてくれても中間会社が搾取し、私には全く反映されない話」
「野田がドモホルンリンクルのバイトのように円高を注視し続けた時、円高&オフショアブームで単価が2年で2回減った話」
「中間会社にオフショア開発の失敗の後始末を手伝って欲しいと言われ、現場をインフルで倒れた振りをして休んだ話」
「5000円の著作権フリー音源をシステムに使用するのに数百万かかった話」
「メモリ枯渇エラーが頻発したのに数百万以上のコストをかけて打ち合わせをする虚無の話」
「メモリ初期化エラーが頻発した時に、解決方法としてとんでもない方法を提示され、阻止した話」
「15万円のPCが60万円で導入される仕組み」
「入社初年度の忘年会の一次会が新宿の有名なゲイのショーパブで、他の社員と会話も無く終わった話」
「無呼吸症候群で猛烈な睡魔との戦い、現場で怒られるようになり、睡眠薬で生活リズムを取り返した話」
「大手会社のコンプライアンス啓蒙画像に著作権違反を発見した話」
「キレる、人前でイライラする人とは働きたくない話」
「某銀行の開発子会社の美人率が高い・銀行員の婚姻率の格差社会の話」
などなど考えていたが長くなったので終わり。
多重派遣先は色々なキャリアの人が多い。元ホスト、元キャバ嬢もいれば元医師の中国人、元アニメ会社勤務、元美容師、元寿司職人等の転職組も多い。
以前いたプロジェクトの有名SI企業のPMもSES上がりの元寿司職人だった。
SESは就職の壁が低い。そこを足掛けとして転職し、さらなる転職で大手や大手子会社に転職するのは悪くないキャリアプランの一つなのかもしれない。
SESの会社も玉石混交なのでまずは良いSES会社に入るのは大事だし、多重派遣は改善されてほしいが。
何が書きたかったのか忘れたし飽きた。
業界からやる気の無い45歳が1人減り、業界は少し平和になった。
追記:続編を書きました。
日本人1億2千万人の8割、9600万人にワクチンを打つとして
この全てが稼働すると期待はできないから、そのうちの8割6400がワクチン接種を担当するとしよう
すると病院1つにつき、15000人にワクチンを打つ計算になる
日曜日は休みとして1ヶ月の稼働日24日*4ヶ月で96日をワクチン打つのに使える
1日を8時間+残業2時間として1時間で15人ほど、15分で4人ぐらいに打っていく
夜分に失礼します。中谷です。一昨日のまんがタイムきららオープンオンラインで優勝したことを受けて、今まで・大会中に抱いていた思いを吐露してみようかと思います。気持ち悪い部分が多々あるかと思いますので、閲覧される方は自己責任でお願いします。
~開催まで~
自分でも辟易としているのですが、僕は昨年、アニメ『けいおん!』を視聴してから11年を迎えました。当時の僕は小学5年生。『まんがタイムきらら』に触れてからの期間は人生の半分を占めていることになります。時の流れは末恐ろしいものですね。それ以前もゲームや漫画をちょこちょこと読んではいましたが、いわゆるオタクとしての人生はここから始まりました。そこから現在まで、触れていない時期も多かったものの、『まんがタイムきらら』の作品を変わらず大好きでいました。
中高・大学と環境を変えながら、競技クイズにも出会いながら迎えた昨年の5月、コロナ禍で自分の生活が崩壊している真っ只中に当大会の告知がなされました。当時は「頑張りてぇ~」くらいの軽い気持ちでいたのですが、時が経つにつれて「この大会で優勝したい」という気持ちがどんどん大きくなるのを感じ、次第に「何としても優勝したい」に変わるほどになりました。
この大会に向けて準備するにあたり、まず「どういう人がまんがタイムきららオープンで優勝するのにふさわしいか」を考えました。月並みではありますが、僕は「最もきららの作品に触れている人が勝つ大会であってほしい」という結論に至りました。出題範囲は『まんがタイムきらら』と定められている以上、該当する全ての作品が出題されうる大会であってほしいし、そのような大会でこそ勝ちたいとも思いました。
ただ、当時の自分がその条件を満たしていたかと言うとそうではありませんでした。自分が把握しているきらら漫画の体系はあくまで氷山の一角でしかないだろうと思っていました。兄が買ってきた4年間くらいのキャラット・本誌と幾ばくかの単行本・アニメくらいですしね。なので、僕はきらら漫画をひたすら買っては読むを繰り返すことにしました。その過程の中で、自分が持っている漫画を管理するためにKIRARA MENUを全てリストアップするなど、明らかに常人の道を踏み違えてしまったように思います。
『きららファンタジア』は一時期入れたもののすぐに消してしまいました。基本的にスマホゲームに対してあまりいい印象を抱いていないので......。こと『きららファンタジア』においてのみ、完全に公式サイトの情報頼りで知識を得ました。
おかずさんが開催してくださったきららフリバもありつつ、漫画を読み漁り見ていなかったアニメを見つつしていた11月の頃、大会の延期・オンライン化が告げられました。数日前からCOVID-19の猛威が止まらなかったこともあり、どうあがいても避けられない事態ではあったのですが、心にぽっかりと穴が開いたような空虚感を覚えました。
ひとまず予定していた遠征のための準備を全てキャンセルした後、今後の予定を確認すると、大きな選択が迫っていることに気付きました。(今はめちゃくちゃサボっていますが)現在取り組んでいる勉強・3月に控える学生クイズ大会abcの対策・きららオープンに向けた準備。これら三つが共存しえないということです。
結論から先に言うと、僕は断腸の思いでabcを代償にすることを決めました。タスクを同時並行できないという自身の不器用さも関係するのですが、今勉強を疎かにしてしまうと、もう取り返しのつかないことになる気がしたからです。もちろん1月から改めて勉強し直すのも大変であることは重々承知していますが、「この先のクイズ人生の中で大会で優勝する経験なんて一生来ないかもしれないな」という自分の醜い欲が顔を覗いてきたのです。何より、一番思い入れのあるコンテンツに関する大会をふいにしてしまうと、この先自分自身を許せずに責め続けてしまうような気がしました。
オフラインの開催が夢に潰えたことで下がったモチベーションは、そんなこんなでひとまず漫画を読み続けられるくらいには維持することができました。このあたりの時期から、自分でも説明がつかない焦燥感のようなものが常に付きまとっていたように思います。焦燥感は日に日に増していき、自分のきららの知識に全く自信を持てないまま当日を迎えることとなりました。
~大会当日~
いくら生活習慣が崩壊しているといえど、前日から当日にかけては流石に早寝早起きを心がけました。余った時間は『あんハピ♪』の後半を読み返すなどしていました。そんな中大会の始まりを告げる神田君の声が聞こえてきて、そこで初めて「全身全霊で楽しもう」と意識が切り替わりました。
・1R
ペーパーです。前半20問くらいははうんうんと頷きながら解き進めることが出来たんですが、20番代の前半あたりで躓きました。その後は「これ兄が買ってきていたなぁ」と懐かしんだり、「流石にこれは出ないだろ~」と思っていた問題がバシバシ出題されて昂るなど、様々な感想を抱きつつ終始楽しみながら解いていました。本当にいいペーパーでした......。残りの数分は「淑」をギリギリまで考えてひねり出すなどしていました。三上小又さんの由来は知っていたのですが元となった字までは知らなかったんですよね。終わってみてから初めてわかりますが、解答時間が18分に延びてくれて本当に助かりました。
自分が間違えたのは「『ドージンワーク』」「686枚」「新垣柑菜と新垣陽菜」「3500円」「スカート」「ましろ」「仙人ごはん」の7つ。40番以降の問題もちゃんと打ち返せたことがとても嬉しかったですね。作品の内容について問うている「新垣柑菜と新垣陽菜」と「仙人ごはん」、単純に問題文をちゃんと読まずに解答してしまった「『ドージンワーク』」は取る余地があったのかもしれません。
クイズ人生の中で初めてペーパー1位という名誉に預かったので、この時点である程度報われた気分になりました。
・2R
1位なんて取ったこともないので、当然1位インタビューも初めてでした。自分の声はあまり好きではないし話し下手でもあるので、アーカイブを見返すと恥ずかしくて顔から火が出そうです。
早押しについては、ひとまず分かるものを待ってみようと思っていたら『オリーブ! Believe, "Olive"?』問題と『うさかめコンボ!』問題で押し勝てたので勝ち抜け。どちらも数年前に触れていた漫画で、且つクイズの場で正解することなんてないだろうと諦めきっていたものでもあったので感慨深かったですね。勝ち抜けた後も問題を聞いていると、アニメ化・未アニメ化お構いなしに出題され、年代も広く分布しており、まさしく僕が思い描いていた理想通りの問題群でした。開始十数問でそのことが分かり、この大会を100%楽しみきることが出来るよう準備してきて良かったと心の底から思いました。
・3R
アニメ化・未アニメ化を問わず漫画を沢山読んできたので、未アニメ化のコースが答えていて最も楽しいだろうと判断しました。
蓋を開けてみると、開幕から連続で誤答......。本当に危なかったです。後の方の「『二丁目路地裏探偵奇譚』」は覚え間違いで仕方ないとして、前の方の「赤門大学」はただただ不用意な誤答でしたね。以降は誤答しないように注意を払い、「『リリィ』」「『スイートマジックシンドローム』」「千薪」「『女子大生生活様式』」「『空色スクエア』」を正解して勝ち抜け。先ほどの正解と合わせて、見事に一昔前の漫画しかありませんね。僕が一番好きな漫画である『なでしこドレミソラ』の問題はこれ以降も最後の最後まで自分の手に渡りませんでした。悲しい......。
キャラクタークイズ、普通クイズ、ビジュアルクイズのどれもとても楽しそうでしたね。今の自分だと普通クイズはあまり対応できなかったかもしれないですが。ビジュアルは観戦しながら自分でも解いていたんですが、台詞を問うクイズが悉く分からなくて面白かったですね。色々な漫画を読みたいとの思いを優先させたあまり、それぞれの漫画に対する時間は相対的に減ってしまっていたのかもしれません。まとまった時間があれば好きな作品くらいは読み返したいものですね。
・敗者復活
『きららファンタジア』をやっていないので、2問目で普通に間違えました。後夜祭で読んでくださったときも3択問題は全然正解できなかったので、単に3択問題に弱かっただけかもしれないです。つくづくストレートで準決勝に駒を進められてよかったと思いますね。
・準決勝
ボードクイズということで、一癖も二癖もある問題が出題されました。大会を終えて振り返ると、大会を通して一番危なかったのは準決勝だったように思います。後半10問は分からない問題が多く、もし前半で勝ち抜けられなかったら決勝には進めなかったです。それに前半で運よく正解できた問題も難しい問題が多く、自分の行いの何かしらが欠けていたら正解できなかったものばかりでした。せっかくなので、正解した5問についてそれぞれ所感を書いていこうかと思います。
〇カラーページがそのまま収録
最後に『GA 芸術科アートデザインクラス』の単行本が挙げられていたので、その特徴を書けばいいかなと思いました(多分「カラー絵が多い」みたいなふんわりした答え方をした)。『GA 芸術科アートデザインクラス』のカラーページは芸術についての情報に溢れているので、特に印象に残っている方も多いのではないでしょうか。朧気ではありますが、『夜森の国のソラニ』もカラーページが多かったように記憶していました。
〇「エトワリアのサンタクロース」
「『きららファンタジア』初のイベント「エトワリアのサンタクロース」で報酬として交換することができたキャラクターは、サンタクロースの衣装に身を包んだ誰でしょう?(週刊きららvol.3)」という問題を過去に作っていました。『きららファンタジア』を実際にプレイしてはいないのですが、ポツポツと問題を作っていたら正解に辿り着きました。正に「自作は身を助く」ですね。
〇『わかば*ガール』
今までのきららアニメをまとめていた時、このクールだけやけに多いなぁと驚いた覚えがあります。そのクールに放送された3つの作品全てを覚えているわけではなかったですが、前の二つとは明らかに異質なものを答えに残すだろうとの考えから正解することができました。
〇榎戸駿
ふとした拍子にきらら展のあの映像を作ったのは誰なのか気になって調べていたので、「早押しで眉毛と聞こえたら押そ~」と冗談交じりに思っていました。流石に難しすぎるだろうと当時の僕は自分自身に半ば呆れていましたが、まさか出題されるとは思わなかったです。
きららフリバの時に『ゆるふわ革命』が答えになる問題を聞いた覚えがあったので、答えに「きらり」が含むことは早い段階で分かりました。ただ、シンキングタイムの最後まで『まんがタイムきらり』にするか『まんがタイムきらりMAX』にするかで悩みました。悩みに悩んだ末、本作の掲載誌を信じて後者を選びました。掲載誌を信じて良かった......。正解音を聞いたとき、めちゃくちゃガッツポーズしてしまいましたね。
・決勝
準決勝の問題が難しいものばかりだったので、決勝はどうなるのかと冷や冷やしていました。未アニメ化作品についての知識は他の方に負けないという自負はあったので、難しいにせよ易しいにせよ、基本的にはアニメ化されてない作品を待つスタンスで臨もうと思いました。
最初の数問を聞くうち、2Rの問題とそう変わらず最高の問題群だなと感じました。大好きな作品2つをパラレルで並べた「コラージュ」や数年前に出会った作品(『アクアリウム』『ぷらいまりィずむ!』)など、一つひとつを噛みしめながら答えていました。学校の名前がヒロインの名字と一緒だったことで反応した『恋愛専科』を答えてリーチになった次の問題が、
という問題でした。当日に読んでいた『あんハピ♪』、それも当作品の中で一番好きな人物を答えて優勝することができました。ボタンを押して解答するまでの間、これまできららを読んできた日々が駆け巡り、万感の思いでしたね。
~最後に~
「大会のため」という面もありはしましたが、大会の準備期間に膨大な量のきらら漫画を読むうち、改めて『まんがタイムきらら』という雑誌が大好きなのだと気付かされました。『まんがタイムきらら』は創刊以来、「希望、夢、勇気、ときめきを与える」というコンセプトを変わらず掲げています。初めて『まんがタイムきらら』に触れて以来このコンセプトから力を貰い続けてきましたし、この雑誌が続く限り、これからも僕は『まんがタイムきらら』から希望や夢を貰いながら生きたいと、強く、強く思います。
最後になりましたが、厳しい情勢の中開催まで漕ぎつけてくださったスタッフの皆さん、全ての参加者、そして『まんがタイムきらら』に携わった全ての方々に最大限の感謝を申し上げて筆を置かせていただきます。
昨年増田で「何もねぇと思ってた土地に根を下ろすと決めたのだ」的な文を書いた。
引越しは4月にした。今は家関連だと、チマチマと使わない物を引越し会社のくれた段ボールに詰めつつ、断捨離をする毎日だ。
そんな時、私の相方の宝物を入れた箱を見つけた。
こんな箱は私も持っていて、中学の時分からもらった手紙や年賀状などが詰まっている。
残りの1つ、相方と断捨離を進めつつ年賀状を見てみたら、妹の友人から学生時代にもらったものらしい。
ふーん、と思って目の前で読んでいたら「XXXXと会えなくて寂しい、本当にめちゃくちゃ大好きだから戻ってきたらまた遊ぼう、メールしよう」と書いてあった。
これはこれは。かなり“想われている“ではないか。
ほほー。なるほどなるほど。
相方に声をかけた。「とっても好かれていたんだ?」
「うん。よく一緒に遊んでいたし」
差出人を見た。我が家に妹と共に泊まりにきたことがある人だった。
「付き合わなかかったの?」
「うん、べつに」
「へえ、なんでなんで」
「いいから手を動かして」
それ以上は聞くこともせず、断捨離を進めた。
その日の夜、私は考えにふけっていた。 相方は私より早く寝るのでその隣で、kindleで活字を眺めていたが1文を理解することもなかった。
思えば、相方は優しく(本当は否定する力がない、自分に自信がないだけ)
見た目が良く(歯並びも良くて、清潔感も良く、身長が高すぎず低くもない)
そして他人に依存しやすかった。(これってつまり自立していない人なのかもしれないが)
刺さるヒトには刺さるタイプだよな、と思った。
私が選ばれたのは、たまたま学生時代に席が4年間前後だったことや、
一緒に飲み歩いていたことが、
相方の人生のよきタイミングに合って、 功を奏したのかもしれない。
当時はただの友人と思って深夜の2時に呼び出して酒を飲みに行こうなんてやったりもしたが、
3年の夏とうとう告白はなく、私が折れる形で付き合おうと提案したのだ。
(母に言わせれば、実家に帰っても学校のことを聞くと相方の話が多かったのでいずれ付き合うだろうと思われていたが。)
あの時の自分に今でも心の底から感謝している。 相方がいなければ私は家を買っていなかった。そもそも買えなかった。 仕事一筋に打ち込んで、キャリアアップしたりしなかっただろう。
私の無茶ぶりにいつでも応えて、共に悩み・苦しみ、
本当にただラッキーだったのだろう。
結婚は妥協、と一時期友人にゲラゲラと話していた自分がいたが ブン殴って車の後ろに繋いで5kmくらい引きずってやりたい。
相方は完璧だ。 人間としては完璧ではないかもしれないが、私にとっては完璧だ。 デコとボコがぴったりとハマった、あの感じをいつでもひしひしと感じる。
私は継続が苦手で、1週間にまとめて家事や掃除をする(が、相方が来てから家事をほとんどしなくなってしまった)
代わりに私は辛い作業を軽くする提案をするために相方の作業を見る。(ルンバを買おう、食洗機導入しよう、弁当のおかずは1週間分作り置きしてしまえば朝詰めるだけになるよ、などなど)
…他所から見れば、私はたいそう嫌われ者に写り、吊し上げるだろう。
実際、私自身は私の評価が低い。なんでいまだに相方が結婚したままでいてくれるのかわからない。
もしかしたら、愛などはとっくにかすれているのかもしれないが、慈悲深い相方のことだ。
相方無くしては私は生きられないだろう、と哀愁の眼差しで私といてくれているのかもしれない。
熟年離婚やなんか路線かこれは、と普段から考えながら、 私は少しでも家事をしようとチラッと掃除機をかけたり、食器を洗ったりするのだった。
今日は天気がいいから洗濯も回してやったぞ。 干すのは面倒だから乾燥機だが。
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集II-11所収 ピンチョン「ヴァインランド」
岡地稔「あだ名で読む中世史 ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる」☆
今尾恵介「ふしぎ地名巡り」★
奥野克巳「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」
ピーター・ゴドフリー=スミス「タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源」
テッド・チャン「息吹」★★
ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」☆
イリヤ・ズバルスキー、サミュエル・ハッチンソン「レーニンをミイラにした男」☆
チャールズ・C・マン『1493――世界を変えた大陸間の「交換」』★★★
ジョン・サザーランド「ヒースクリフは殺人犯か? 19世紀小説の34の謎」
東京創元社編集部「年間日本SF傑作選 おうむの夢と操り人形」
高丘哲次「約束の果て―黒と紫の国―」
堀晃ほか「Genesis 一万年の午後 創元日本SFアンソロジー」
水見稜ほか「Genesis 白昼夢通信 (創元日本SFアンソロジー 2) 」
村上春樹「ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」★
サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」。
チョン・ソヨン「となりのヨンヒさん」
「ガラン版千一夜物語 1」★★★
「ガラン版千一夜物語 2」
「ガラン版千一夜物語 3」
「ガラン版千一夜物語 4」
「ガラン版千一夜物語 5」
「ガラン版千一夜物語 6」
ジョン・サザーランド「ジェイン・エアは幸せになれるか?―名作小説のさらなる謎」★★
ジョン・サザーランド「現代小説38の謎 『ユリシーズ』から『ロリータ』まで」
J・P・ホーガン「未来からのホットライン」
ロバート・アーウィン「必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ」★
ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」(光文社)★★★
ジュリアン・バーンズ「フロベールの鸚鵡」
イアン・マクドナルド「黎明の王 白昼の女王」
オルガ・トカルチュク「逃亡派」☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」上巻☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」下巻
住吉雅美「あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン」★★★
ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短篇集」
オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」
エイミー・B・グリーンフィールド『完璧な赤 「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語』
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ4」
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ5」
タクブンジャ「ハバ犬を育てる話」☆
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ6」
ホアン・ミン・トゥオン「神々の時代」★
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ7」
ローデンバック「死都ブリュージュ」
ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」上巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」中巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」下巻
入江亜季「北北西に曇と往け」(一)~(四)
石黒正数「Present for me」
澤江ポンプ「近所の最果て」
カシワイ「光と窓」
月ごとに一番面白かった本を3冊選び、★をつけた。ただし、どうしても入れたかったものは☆をつけた。月ごとの順位なので、たとえばパク・ミンギュにはもっと星をつけたいのだがそれが反映されていない。
数えてみたが、2020年に読んだのは活字149冊、漫画22冊だった。毎月12冊から13冊読んでいると思っていたので、単純計算で150冊を超えると思ったが、ぎりぎり足りなかった。とはいえ、毎月10冊という目標は達成している。
1年を通して見ると、ノンフィクションばかり読む時期や、SFばかり読む時期などが明確に交代していることがわかる。特に、4月から6月はSFとファンタジーがほとんどだったが、8月以降SFを全くと言っていいほど読んでいないし、逆に11月、12月は1冊をのぞいてノンフィクションがない。
また、芥川賞をはじめとした日本の現代文学をほとんど手に取っていない。ベストセラーやエンタメ、ホラーもない。逆に、韓国やタイ、ペルーやチリなど、日米欧以外の海外文学の割合が高い。
意識してきたわけではないが、自分の好むジャンルは科学や歴史のノンフィクション、神話、行ったことのないラテンアメリカやアジアの文学、メタフィクション的であったり奇妙な味がしたりする短篇集、古典、であるようだ。一方で、女性作家の割合は低く、特に日本の現代女性作家をほとんど手に取ってない。一時期は多和田葉子だとか江國香織とかをよく読んでいたので女性作家が嫌いなわけではなく、ヴァージニア・ウルフも好きだし、ハン・ガンも自分の中では大当たりだったので、もう少し割合を増やしてもいいかもしれない(追記。身につまされる話よりも読んでいて気持ちのいい本を読む率も増えた)。
割合の話でいえば、大学時代はもう少し文豪の作品を多く読んでいたように記憶している。それと、いくつからの例外を除き、世間の動きや話題とは遊離したチョイスばかりである。世の中から目を背けているわけではないが、日々の雑事とはまた違う視点に立てたのはありがたかった。新型コロナウイルス関連の記事ばかり読んでいては気がめいってしまう。
今年は少し冊数が少なくなるかもしれないが、引き続き毎日の気晴らしとして、気が向いたものを好きなように読んでいきたい。
以上。
増田が氏のTwitter見ている意味がわからないファンなの?
論外でムカつくからみてないけど2ー3月知ってるだけでこんな感じだったぞ