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はてなキーワード: 属人的とは

2018-11-08

anond:20181108175301

シアワセの定義が、共存共栄からもっと属人的な何かへと変わってしまった時からでしょう。

親であれ子であれ、相手が居ない方が自分がシアワセになれる。そう考え始めた時から親子殺人が起きるようになった。

2018-10-17

「私がエビデンス」は頭が悪すぎて通用しないことが分かったから今度は「属人的」とか言い出したのか

anond:20181017074436

君たちどうでもいいけど属人的って単語の使い方なんか違わない?

anond:20181003130808

phaさんもフツーの男ってことだよね。

私も女だけど、男が作ったセックスフィクションに触れて女は何度もイキまくれるんだなと自分セックスするまでは思ってたもん。

これってすごく属人的感覚だと思うけど、AVみたいにイキ狂ってる女の人って本当に存在するの?(演技じゃなくて本当に感じてる人な)

私は、感じてるフリするのが、相手に対しての礼儀なのかと思ってたよ。

旦那人間としてはいいヤツだけど、私がセックスときつまんなそーにしてると「え。気持ちよくない??」ってすごく気にしてくるから常に演技してるよ。

てか、基本、セックスは演技だと思ってたわ。

旦那は上手だと思うよ。少なくとも痛くないし。

2018-10-14

anond:20181014014059

ゲイは一応女を人として尊重しているイメージ 百合は男を汚物扱いしてるイメージ

上記投稿からこの投稿までに、イメージとか創作物とかの語がない投稿は挟み込まれていないので

イメージとか偏見であるとかは文脈上前提であって、リアルがどうこうには触れていないつもり。

飽くまでそのイメージ個人的属人的ものか否かについての発言

ぶっちゃけ特に何にも続かない派生しない議論というかツリー自分投稿部分)なのに反応言及されるのが不思議で書いてる

2018-10-03

phaさんのニャートさんへのブコメにガッカリした

挿入があると対等になれない これ僕は、男性は達したら終わりだからすぐに達さないように気を張っていないといけないけど、女性は何回でも自由に達せるからいいな、と思っていた

http://b.hatena.ne.jp/entry/366315722/comment/pha

このコメント読んですごくガッカリしてしまった。「女性は何回でも自由に達せるからいいな」などと書いているのがブログSNS読書と遠い属性の人だったらここまでガッカリしなかったんだろうけど、「人生にゆとりを生み出す知の整理術」を出版してるphaさんの認識でもこれなんだなという、非常に属人的なガッカリだった。

私は女性だけど何回でも自由にどころか他人行為で達せたことが一度もない。初ペッティング?が19歳で、初挿入が22歳で、もう28歳になったけど他人行為では一回も。

ほかの女性から「とても痛いから挿入が嫌だけど、彼氏が『挿入しないのは無意味』『挿入しないくらいだったら自慰で良い』と主張して挿入してくる上に『痛そうにされると萎えから痛そうにしないで欲しい』と言われた」と相談されたこともある。感じない、痛い、辛い、しかパートナー男性に話が通じない、って結構シリアスに多くの女性が感じていると思う。それでも女に生まれたらイキ放題でうらやま~的な認識を持っている男性一般にも多くて、ある程度ガッカリ慣れしているところがあったんだけど、phaさんマジか…。

人間には気分の良い情報を集めるというバイアスがかかるから(これは男叩きではなく全人類そういう利己的な部分がある)、目の前の彼女が痛がっているという情報不快不採用排除して、フィクションの女体が無尽蔵に喜んでいる情報は快だから価値観の補強に採用する、ということは当たり前に起こると思う。それで「女に生まれたらイキ放題でうらやま」世界観が強化されていくんだよね。

フィクションではなく「自身が『中の人』として本物の女性身体運用したことがないのに適当に羨ましがらないで欲しいなというのが言いたいというのと。phaさんの過去現在パートナーが感度が良い人ばかりだったかphaさんが上手いかで「女性は何回でも自由に達せるからいいな」と感じる根拠があったとしても、それを男女関係全般みたいな認識持たれるとかなり現実ギャップがあるよというのと。

あと「男性は達したら終わりだからすぐに達さないように気を張っていないといけない」と男性代表されるのもなんだかなと思う。私の彼氏28歳で一晩3回出せるけど「中学の頃は5回いけたのに老けた」と言ってた。身体は同性間であってもかなりの個人差があるのだから自分身体や知人の話という少ないサンプルを男性の/女性の/日本人の/現代人の標準にして、他が無いような口ぶりにはなんだかすごく不愉快になってしまう。

生理が重い女性が「女性生理が重いもの」という言い方をするのに対しても、それ標準じゃないか病院行ったほうがいいよと思うし、生理が軽い女性が重い女性に対して「怠け」みたいな解釈をして冷淡になるのも見ていてすごく不快だ。感度についても、女性男性結構格差があるんだろう。女体にも早漏と遅漏みたいな体質差があるんですよ。あと回数も。体質の多様さを無いものにしないで欲しい。性別乱暴に分類しないでほしい。

いや、こういう性別でひとまとめにする過度な一般化、普通の人はよくやるよ。そんなに悪意もなく呼吸するようにやるよ。「愚かな一部の人」とかではなく多数派がこういう感じだよ。ただこれをさあ、phaさんが、「多様性」「だるい」「圧かける人やだ」みたいな雰囲気で本を出してる人が、色々な人がいるからゆるくやっていこう的な方向で影響力持ってる人が言ったのが本当にガッカリでさぁ…。スターもいっぱい集めてるのがまた…。

2018-09-14

anond:20180914135028

そんなに属人的リアル感を盛り込むなら最初から人間でよくねーかって気付き

2018-08-25

anond:20180825105719

気分/割り込みに影響を受けない属人的にならないフレームワークを作るのがマネージメントです
そのために渡されているのが裁量権であり
職業選択の自由です(どうにもならなきゃ転職)

2018-08-21

https://anond.hatelabo.jp/20180821112639

今回の問題は、ある列車特有のものではないでしょう。

それは決めつけってものじゃないでしょうか。

問題となった対応自体システム原因なのか謎ですし

車掌がへらへら」などの属人的描写もありましたよね。

ちゃんトラブル処理するへらへらしてない別の車掌が巻き込まれてよいものでしょうか?


案内が不適切だったのはありますが、指定席にほかの利用者が座っていたためのトラブルというのは、よくある話だと思います

そこまで話を広げるならそれは「よくある話」ですが

それだともう何を告発したいのかわからないのですが。


問題提起としては、細かすぎる情報不要かと。

あのねえもうはっきり言いますけどねえ

ディテールちゃんとしてない&確認の取れないエピソードそもそも作り話の可能性があるのでちゃんと受け止められないんですよ。

まるまる作り話して構ってもらいたがるくそもいますし、

自分の遭遇したトラブル自分に都合よく歪曲して流して炎上させようとするくそもいますし。



問題提起なので細かすぎる情報不要かと」などというのは

その「問題提起」する側に不当に有利なレギュレーションなんですよ。

つーかあんだって問題提起」される側の身になってごらんなさいよ

ふわふわっとした実話性も怪しいエピソードで「問題提起」されて責められてやってられますか?

何もかもはっきりしない話なのに「JR」って言われたら。


苦情を伝えたり問題解決を求めたりするなら、列車や駅についての情報必要だと思います

ここはJR関係者が見るとはかぎらないわけですし、直接意見を伝える窓口はここではないはずです。

問題解決を求めてないなら何をしたいんですか。

JR叩きの空気扇動たかったんですか。

なら元増田扇動に失敗したんですよ。

話のディテールに不信感を持つ人の方が圧倒的だったので。

疑わしきは罰せずですから私もそういう反応は良かったなと思います

こんなガバガバフワフワの「問題提起」とかい告発扇動される馬鹿がいない、

みんな結構しっかりしている。

2018-08-06

anond:20180806194307

よっしゃ一発で台無しにしてやるぜ

道徳原理属人的価値観一元論で唱えることが出来る

ただしその価値観時間を持つため本質を求め定義することは暫定的であり続け

しかしそれゆえ即応適当である

2018-06-25

創造的な仕事とはなんだろうか

既存ではない価値を生めるような仕事のことかしら?それとも属人的仕事のことかしら?

2018-05-27

「これの作業見積もりですか、作業をする人によってかなり変わってくるので何とも言えないですね… とりあえず私がやるなら3日でしょうか」

と、仕事属人的になっているお前らのせいだよねという雰囲気を出しつつ可能な限り多めの時間ぶち込み、空いた時間ネットサーフィンなどする

2018-04-24

今更語るエマワトソン氏のHeforShe私感

https://togetter.com/li/1135119

http://logmi.jp/23710

この辺りから引用拝借

既存ジェンダーステレオタイプとはかけ離れた立場にある者としての文章である

彼女いない歴=年齢、発達ガイジ、品性下劣の筆者が言うからには間違いない。

エマワトソンの想定する男性像とは異なるかもしれない。この一点についてのみ先にお詫びしておく。)

私が今置かれている立場はまさしく今の愚かな私にふさわしいものである。それは百も承知だ。

日本アメリカではジェンダーロールの重みも違うだろう。

それでも問いたい。

この愚かな人物を救済したのは誰だろうか?

発達障害であることもあいまってか、私には人同士の繋がりや、対人における基本的マナーにすら欠ける人物だった。(これでも学生時代よりはマシなのだ。)

エマワトソン氏のおっしゃる通りに、女性家族に己の弱さと愚かさを見せ続けることを図らずも実践していた。

それでも、直接的に私の発達障害をマシなものにしたのは、良い意味で鈍感であった家族の元で過ごした時間と、薬と、自立支援機関である

フェミニストでもなく、世の不特定多数女性でもなく、私にチャンスをくれたのは、身内と福祉ぐらいのものだった。

まりは、相当恵まれ環境の上で成り立った救いでしかない。

私は最弱に近いことをなんとなく受け入れられたが、私ほど弱くなく、私ほど環境に恵まれていない男性はどう救われるべきなのか?

死後の世界についてはイエスブッダに任せるとしても、弱いが故の激痛は誰が看てくれるのか?

過去の私にも、せめてエマワトソンしずかちゃんのような友人が欲しかった。

バーベキューに誘ってくれるだけでも楽になれただろうし、他者との関係構築が困難なら病院に行ってみれば、と素朴な疑問を言い放ってくれるのも救いの一助になっただろう。

でも違った。

スポーツの成績は最悪、学校勉強もなんとなくの感覚しかわかっておらず、臭くてキモくて近寄りがたい外見の者にそんな都合のいい救いはなかった。

私が救われた所以は、ただそれにやっと気付けたことと、その疑問の解決に出し惜しみしない環境のうちでしか通用しないものだった。

まりにも属人的な救いしかない時、誰であってもきっと絶望を知り嘆くだろう。

これを良く知るはずのフェミニストがこの問題を語っていないからこそ、私は同意しかねる。

性別だけでなく、より身近な貴賤や賢愚にも依らない万人への救いがあることを望むと共に、筆を置くこととする。

2018-04-23

DNSブロッキングっていじめだよな

あいキモいよな、無視しようぜ無視」「へへー、仰せのままに」

って手法、とっても日本的だと思います

・・・・・・ってくらい、属人的世俗に塗れた手法に成り下がってしまった気がする。

2018-04-09

anond:20180318203608

元増田のなかで、「無能」の定義曖昧から論理が飛躍している。素直に「無能」を定義すると、「自分能力不足で目的が達成できない人」というような感じになると思う。目的、は「サンドイッチ検品をする」でも、「東大に入る」でも、「幸せ結婚をする」でもなんでもよい。この場合アルバイト社員無能で良い、なんてこともない。無能とは、自分目的が達成できない人なんだから人間幸福追求権がある限り、無能で良い人なんて誰もいない。もし、無能が「能力不足で他人迷惑をかける人」みたいな定義なのであれば、迷惑をかけているので、批判されるのは自然だ。

元増田最後の方で組織論になっているから、それも少し。人の優劣が組織の優劣に影響するのが良いことかどうかは全く自明ではない。一般に、組織属人的状態から脱出させようとすると、官僚化が進み組織のもの効率が落ちることが多い。

1. 起業

小規模企業大企業を打ち負かすことがあるのは、優秀な中枢の数人の能力を存分に発揮することで、組織や規模の不利を超えることができるから

2.高校序列

一般に、偏差値が高い高校ほど校則がゆるい。きつい校則必要ないので、学生の創意工夫が可能になる。

3.教育システム

日本先生は有能でないことが想定されている。中央集権的に学習指導要領を通じて、時間数および教育内容を規定しているから。

これは、先生能力依存しないである程度の水準の教育を保つことに成功している反面、有能な先生の創意工夫の余地を奪っている。優秀な先生学習指導要領制限を取り払うとどうなるか、というのは、「ずっとわかりやすい」参考書予備校存在でわかる。

2018-01-24

相変わらず属人的批判にかまけて予定立たないので煙草買いに行きます

2018-01-11

anond:20180110192237

リバタリアニズム自由最高ヒャッハーみたいな種類の思想だというのは、左翼右翼ちょっと聞きかじった程度の半端な理解人間による印象操作なんだよ。

ちゃんと調べて、まともな学者の書いた本を読めば、究極に理性的思想だということがわかってくるはず。

北斗の拳みたいな世紀末状態リバタリアニズムの終着、みたいな認識2ちゃんやらの日本ネット上では書かれている事がよくあるけども、とんだ見当違いだよ。

じゃあどっちかというとアナーキズムか、というとそれも違う。アナーキズムだって、反支配ではあるが無秩序を望む思想じゃないし、むしろ調和をめざす非暴力思想だ。

一部のアナーキストが、支配から脱するための暴力革命テロリズムを認めているにすぎない。

話を戻して、リバタリアニズム自由放任表現されるけど、それがややこしくしている。その単語が表すイメージとは次元が違う。

きちっとした法治を是とするのは当然として、その場その場の属人的裁量ではなく洗練された最小限のルールで世の中を究極にシステマティックかつシンプルにしようという考え方。

そうして、自由放任にしても大丈夫、人がどう動こうと失敗しようと必ず救いがあるし報いがある、だから寛容になれる、そういう環境をつくる、という意味での自由放任だ。

そのための最適なルールを、常識に囚われず考え続けることに余念のない人たちがリバタリアン

もともとはリベラルと呼ばれた考え方だけあって、個人人権尊重しようとする考えはしっかり根底にある。

から他人自由侵害することにも特に敏感で、それこそが右翼左翼との違いでもある。

リバタリアニズム的な思考に基づく発言とか政策を切り取ってみると、傲慢や強欲を感じられる事もあるかもしれない。

でもそれは、国家よりもまず個人幸福尊重するからであることがほとんどだ。

長期的視野や全体的視野に立ってみると、国家従属して集団幸福を実現するより、技術進歩に従って個人レベル連携でもうまく機能する社会システムシフトしていったほうが健全だし盤石だし平和的だろうという考えがあるから

そういう感じで、一見突飛な意見も、より良い未来を導くビジョンに繋がっている。

そうではない、「怠惰弱者自己責任から救済する必要がない」だとか「再配分は自発的寄付トリクルダウンで現状でも賄える」みたいな事を言う人は、

かに昔のリバタリアンと呼ばれた人にはそういう人も多かったようだけれども(今でもいないとは言わないが)、もはや現代リバタリアンはそんな強者論理を振りかざす人たちとは違ってきていて、より柔軟で現実的になっている。

でもネットリバタリアニズムを調べて出て来るのは、そういう古臭く悪印象な強者論理ばかりなので、ほとんどの人がそこで学習が止まっている。

リバタリアンとされたミルトン・フリードマンだって、まじめに再配分を考えていて、負の所得税のような今で言うベーシックインカムに繋がる政策を考案したその人であるし。

彼のマネタリズムのようなリバタリアン政策は、あの時代では失敗したけれども、現代そして未来のあらゆるものデータとして数値・属性可視化されるようになった世界では、

金融政策ではないにしろさまざまな分野でリバタリアン的な「裁量よりルール」が有効に働くようになってくるだろう。

リバタリアンと分類されて馬鹿にされる人たちの多くは、一般の人の想像が及ばないくらいの精細な未来人類ビジョンを持っているように感じられる。

その人の専門分野、技術知識によってその推測は本人的には裏打ちされているんだけど、他人からみると理解されない。

「いま」を生きる大衆目線で見ると愚か者の暴論にしか見えず、袋叩きにあうしかないんだけども。それでリバタリアニズム自体もなめられている。

ブコメなんかでも大抵そういう認識の人が目立つ。そういうのを見るとつらい。

もう、別の名前をつけたほうがいい気すらする

2017-12-20

この流れではあちゅうを叩くのは感情で生きるタイプの残念な人

追記

ダメだ。何事にも限度ってものがある。いくら罪を憎んで人を憎まずと言っても、本人が行った悪業とほかの誰かの悪業は別問題と言っても、やはりはあちゅうダメだ。

自業自得コウモリ、嘘つき、媚びを売って利益を得ようとして失敗した結果の逆恨みしか見えなくなってきた。もうこの件にはコメントしない。



仕事で何かやらかした後(数時間後とか翌日とか)にまったくの別件について指摘すると「お前が言うか!?」とか「このタイミングでよく言えるな?反省してないのか?」とか怒られる事がある。

自分の失敗やそれについて反省している事と、別件の直ちに対応しないとマズいことになる問題はまったく別なので本当のところ怒られる意味全然からないのだが社会とはそういうものだと理解して最近はやらないようにしている。

属人的問題であるならば当該個人に対して注意して、その個人反省改善するべきだし、システム的な問題や外部要因の問題、もしくは他の個人に属する問題はそれぞれ別に対応しなければならない。はずだが、感情仕事をする人たちにはわからない。

はあちゅうセクハラ告発した。彼女清廉潔白ではない。しか彼女の日頃の行いと、過去に受けたセクハラは別問題。むしろ過去受けたセクハラ」ではなく岸なんとかって加害者視点で「過去に行ったセクハラ」が存続するのだからそれを問題視すべきなのにそれができない感情で動く大衆にはがっかりする。はあちゅう問題だと思うなら別途対応すればいい。電通の、岸なんとかの、ひいては日本社会セクハラ糾弾するチャンスをわざわざ潰す意味はどこにあるのか。はあちゅう以外のキレイ被害者がもう一人名乗り出ればいいのか?その被害者過去に何か一つでも不適切な行動を取ってたらやはりその被害者を叩くのか?

イジメは良くないがイジメ被害者過去に生き物係をサボってクラスで飼ってるウサギを殺したのだからイジメられるのはしょうがいか

はあちゅう擁護したいのではない。誰が告発したのであれ、誰が被害者であれ、加害者加害者として責任を取るべきだといいたい。

告発者にも問題があるのならヒステリックに叩くのではなく正当に告発なりをすればいいじゃないか

結局多くの人々は安全から石を投げられる対象を探してるだけなのだろう。大変残念な気持ちになる。

2017-09-27

anond:20170927015929

すぐ下に「これほど属人的作品監督を切るリスク過小評価し過ぎだったんじゃないの」と言ってる「カドカワ主体的たつきを切った」論者がいますがな…

いやマジでたつき 切った」とかで検索すれば大量に出てくるよ。

確かニコニコ大百科にも崖から蹴落とすAAと共に「おまえは用済み」みたいなネタが書かれてたし。

https://anond.hatelabo.jp/20170926084702

これほど属人的作品監督を切るリスク過小評価し過ぎだったんじゃないの

カドカワ本営から発表しようが結局は炎上したでしょう

切ったからには軟着陸させる必要があったのに、各方面ケアを怠ったカドカワの落度じゃないのかな

2017-09-08

旦那風邪仕事を休めるのに主婦の私は風邪家事を休めない。男はズルい」みたいな議論がある。

病気仕事がすぐ休める体制というのは、会社属人的ではない業務形態

確立しているということに等しい。

したがって、突然の欠勤がときどきなら許容されるが、ガッツリ何回も休んだら退職

追い込まれ無職になって家族が路頭に迷ってしまうというリスクもあるわけである

奥さん、旦那をいたわってあげてください。

2017-08-30

https://anond.hatelabo.jp/20170830222123

・法定耐用年数と、実際の建物耐久性能は必ずしも比例しない。ローンが付くかどうかは金額と支払い能力担保価値なので、属人的に、物件的に充分ローン付く可能性はある。

リスクは当然高くはなるが、「当たり」のマンションだったら割と儲けものではある。

・ただし畜40年だと耐震的に既存不適格なので、出口に難あり&地震保険火災保険は高くなる。耐震改修工事や大規模改修が済んでればまた別。

償却残が少ない分、税金的な価値は極小化されるので、固定資産税は少なく済む

不動産現物なので、こればっかりは見てみないとなんとも。広尾ガーデンヒルズは築30年以上だが未だにびっくりする値段で売り出されたりする。

2017-07-26

ニセ科学批判ネトウヨが結び付けられるようになったことについて

 最近、ニセ科批判とネトウヨの結びつき、みたいなのについてツイッターでよく見るので、思うところを書いてみることにする。

 先に、俺の立場について書いておくと、もともとニセ科学批判クラスタにいる(た)人間である。以下、いろいろと書き連ねたような事情もあって、最近はニセ科学批判クラスタを批判的に言及することが多くなってきたが、やっぱり世界科学だろう、という思いは変らない。

 余談だが、ニセ科学批判クラスタを批判する人、というのがニセ科学勢力とか、トンデモ勢力というのは意外に成り立たない。そういう連中を自分積極的フォローしてないというのもあるかもしれないが、その手合いはまず自分たちに批判的な人がいることについて詳しく言及すること自体不都合なので、あんまり触れないのではないかとも思う。クラスタの言説に詳しく触れながら批判する人というのは、何だかんだいって「ニセ科学は嫌い」寄りの人間が多いようだ。

 あらかじめ書いておくと、自分見解は、「ニセ科学批判とネトウヨ本来、つながらない」であるしかし、そう言い出す人がけっこういる、というのも理解できないではない。まして、「またネトウヨ連呼厨ガァー!」などと言い出す気にはなれない。なので、どうしてそう思われるようになってしまったのか、といういくつかの自分の思っている理由について書いてみようと思う。

 なお、あくま自分観測範囲ベースなので、それ以上のエビデンス統計的根拠はない。ほしかったら基盤Bでも持って出直してきたら調べてやらんでもない。

 あと、話は基本的ツイッター世界が中心である

3.11以後の動き

 ニセ科学批判とウヨの親和性、という問題が語られるようになったのは、やっぱり3.11以後が決定的である。いちおう、3.11以降について、特に放射能デマをめぐる後始末についていうなら、ニセ科学批判派がおおむね正しかった(細かいとこで間違いや軽口があったのは否定しない)というのは間違いないので、これはどんどん認めていくべきである。そして、その上で、致命的なレッテルを引き寄せる結果となったことについてもそろそろ考えるべきだと思う。

 3.11直後にデマ批判をする人が、今となってはかなり信じがたい形で「ウヨ」と手を結んでいたのは確かだ。これはひとえに、デマの流布をほっておくことが人権問題になりかねない状況だったことによる。一例としては、ゴリゴリ左派左巻健男石井孝明をRTしていたことがあるくらいである。それは、個人的にそこはRTしなくてよかったんじゃないかと思うツイートだったが(別にどうしてもしなきゃいけないRTでもなかった)、しかし当時はそれでも連帯できるところは連帯しないといけない事情だったのも確か。とはいえ、そのRTを見てニセ科学批判派の中にいる自分でも嫌悪感を覚えたので、その外にいて、かつ左派寄りの人がどうとらえたか想像に難くない。

 元々、デマ批判を発信していた人には政治的には左派が多く、その中には、事態が落ち着いた今は左派クラスタのなかへと帰っていった人も少なくない。今となっては、「福島差別」について関心が高いアカウントというのの少なから割合がただのウヨアカウントであり、人権問題危機感を抱いて近づいてきたというよりは単に「ダシにしにきた」ことも明らかになりつつあるのだから、この時期のことについては、ちゃんと後処理をしておくべきではないかと思う。一方で、安易にウヨレッテルを張った側も、そのレッテルについて再検討する必要がある。

多層的な「ニセ科学批判者」

 ニセ科学批判というのは多層的に発信される。最初の発信者、つまり、積極的に資料をあたったり文献をあたって、情報を発信していた人はもちろんいるにしろ、その人たちの話がどう広まっていったかといえば、メディアが広めた場合ももちろんあろうが、ツイッターなどネットではそれを再発信する人によって広まったわけだ。この人たちの中にも濃度がいろいろあって、「なんとなくRTした人」「そういう話を見たら積極的にRTする人」「RTして、自分でもそれをベース意見をいったりする人」「それがさらにバズって積極的ニセ科学情報を集める人」とまあ、いろいろだ。

 こうなると、ニセ科学批判クラスタといっても、もともとの「ニセ科学批判派」の声は流通する情報割合的にはごくわずかということになる。

 俺がやばいと思う層は、じつはこの水増しされた部分であるデマ批判が機能したのはこの部分あってこそなので、水増しという言い方は語弊があるのかもしれないが、しかし、ネトウヨニセ科学批判がむすびつけて論じられることに責任があるのはこの層ではないかとも思う。

 この層、とひとくちにいっても、いくつかある。

(1)善意悪用して、自分イデオロギーをのっける層

 まあこれは文字通りの「ウヨ」層だ。前述の石井孝明とか、池田信夫なんてのもそうだろう。この亜種(1A)としては、ウヨというよりは「左派が憎い」というイデオロギーをかぶせていくケースもある。佐々木俊尚とか、伊藤剛あたりがそうだろうか。そうそう、伊藤剛と昔仲良し今は犬猿の仲唐沢俊一も忘れてはいけない。君たちお仲間だよおめでとう。あるいは、こうやって膨らんだ層を客層にあてこんだ「御用文化人」というケースも亜種(1B)の一つだろう。いちえふの作者なんてのはそうだと思う。最初はけっこうまじめな信念を持って作業員のルポを始めたんじゃないかなー、とは思うのだが。

(2)人を叩くのが好きな層

 言っちゃあ何だが、科学正義であるしかも、ある程度実証が積み重なれば、相対化しようがない正義だ。本当は正義とか正しさなんて一ミリも興味はないのかもしれないが、とにかく人を叩く根拠がほしいならず者にとって、こんな都合のいいものはない。しかも、人権問題としての問題意識までくっついている。人権なんて一ミリも興味がないのかもしれないが、以下同文。

 正義暴走がデンデンという人はネットによく転がっているが、あまりこの点には言及しない、どころかこの正義だけは振りかざすのが大好きだったりもする。彼らの心情は、よくわからない。

(3)理系としての選民思想の持ち主

 一昔前のメディアに流れる文章には、理系に対する嘲笑偏見がいりまじったものというのが結構あった。それを見た理系人が、お前ら哲学で作った飛行機に乗れるのかよ、というような反発を持つのは想像に難くない。俺も昔はそうだったし。それは仕方ないところもあると思う。

 ところが、ネット理系研究者がどっぷりつかっていたり、エンジニアがどっぷりつかっていたりする場なので、そういう人が意外にマスをもてる世界である。それはいいことでもあるんだけど、結果、「理系カルト」のようなものが出来てしまうという面もある。その結果、「文系」をバカにするようなアカウントが出来上がる。昔、科学ネタアニメ談義が話が合うという理由高専生や理系大学生をけっこうフォローしていたのだが、どうもこういう方向に流れていく人が多く、非難がましいツイートが増えた結果リムられたりリムったりブロックされたりが増えた残念な記憶もある。

 これらの人が、放射能デマ批判、さらにはより広いニセ科学批判に群がったわけだ。どれもこれもあまり近づきたくないタイプである

 しかし、本来意味でのウヨはこの中では(1)か、せいぜい(1A)までに限られる。それが全体のうちどれくらいの割合を占めるかというと、あんまり高くないと思われる。おそらく、悪印象のかなりの部分は(2)(3)に起因しているのではないか。(2)と(3)は、本来的にはウヨ思想とは関係がない。しかし(2)はそもそもモラルを欠いている層で、ネットイナゴといわれる集団に近い。そういう人が、ネトウヨ思想親和性を持つのはまあ時間問題である。(3)は正直因果関係を断定しづらいのだが、確かに自分観測範囲では重なる人が多い。理系でもウヨ色の薄い人は理系絶対主義みたいなところには陥らない、みたいな雑な印象がある。

 そうすると、本来関係のない「ウヨ」と「ニセ科学批判」がセットで観測されるということが大量発生する。しかも、(2)(3)は人間性として最悪の、できればブロックしておきたいタイプだ。どこをどういじっても、ニセ科学批判がいい印象を持たれる展開がない。しかも、こういうアカウントに限って、やけにRTされる数が多く、ダメな方向にネットへ広がっていく。

 (この部分追記)「冷笑系」と呼ばれるような集団がともかなり重なっている、というのもいくつかの反応で見かけた。これはもっともだと思う。特に(1A)や(3)あたり。

 後出しじゃんけん承知で言うと、推敲前は言及していたのだけど、定義にやかましい人の怒りが二乗になりそうなのと、話がとりとめもなくなったのでなんとなく端折ってしまった。けれど、ニセ科学批判との関係について考える場合には、「いわゆるネトウヨ」より重要カテゴリーかもしれない。

こじらせびとたちの罪

 ネトウヨ定義というのは曖昧である。むしろ、厳密に定義したところで境界線附近人間大手をふって歩き出すだけなので、ある程度曖昧でいいと思う。ライトノベル定義みたいなものだ。物語シリーズラノベかとか三毛猫ホームズラノベかと言ってる分には意味もあろうが、そこにかこつけて「聖書はラノベでは」とか言い出す奴はつまみ出せばよい。

 しかし、世の中には問題児がいる。自分たちはつまらない理由ネトウヨ扱いされた、だからネトウヨを名乗ってトンチキなことを言い募ってやる!と言わんばかりの連中である。いまどき子供ももう少ししつけられていると思うのだが、そんないい大人がネットにはたくさんいる。被害者意識をこじらせているとしかいいようがない。本人はネトウヨ認定したほうが悪いと思い込んでいるのかもしれないが、申し訳ないが狂人の真似だと言い張って東大路通を走る人間京大生でなければ狂人である京大生でも狂人かもしれない。

 菊池誠氏があんなふうになったのは、一つのきっかけはここにあると思う。しかし、年齢的にも知性的にも社会的立場的にも、責任能力を逃れられる人ではなかろう。自分の不始末は自分でつけていただきたい。きっかけのもう一つの原因(と俺が思ってること)は、次の項で述べる。

 ジャンルは違うけれど、所謂キモくて金のないおっさん」を名乗りたがるネット住民、についても似たようなことが言える。

フィードバックはめぐる

 ツイッターにはRTとかふぁぼという機能がある。ふぁぼはまあいいとして(最近はこれもTLに流れてくるようになったが)、RTは誰が何をRTはしたかが、ある程度分かる。

 RTの基準は人によっていろいろだろうが、まあ第ゼロ近似としては「それに共感するんですね」だろう。直後のツイートで批判的に言及でもしておかないと、そう思われないほうがおかしい、と思う。

 ここでめんどくさいのは、「それに共感するんですね」の「それ」はツイート文章のものであるツイートしてる本人であるか、である。直感的には、前者だろう。後者は雑な見方に映る。ただ、発言属人的に見ない、というのはけっこうなことに見えるが、発言主と合わせて文意判断しない、ただの無責任な態度となることもある。見てる側が、いつも「こいつはどうしようもない奴だな」と認識していれば、それをRTする方も同類とみなされることもある。そんなのおかしい、という人もいようが、そういうものだ。

 さてここで上のニセ科学批判情報の発信の話になる。発信者する側も、自分が発信した情報を受けて賛同し、意見を述べたり非難したりするツイート自分のRTという形で放流するということをよくやる。別に発信者じゃなくてもやると思うからニセ科学批判に集まった人も、さらにそれをやるわけだ。

 ところが、その放流元が「札付き」であった場合、それを「ニセ科学批判に賛同してくれた」という文脈だけで読んでくれる人は、あんまりいない。ごくふつうアカウントなら、はいはい賛同者だね、ということになる。ところがそうじゃない場合問題だ。そりゃあ、ツイート単体ではいいことを言ってるように見えたりするかもしれない。でもそれを、みんな属人的に見ないでくれるだろうな、というのはおめでたい

 でもまあ、そういうことが一度や二度あった、というだけなら、まあどうということもないかもしれない。しかし、これを長く繰り返し続けていくとどうなるか。

 「お前はそういうやつなのか」で離れる人というのは離れられる側にとっても、分かりやすいし素直だ。だが、「お前のRTうぜえわ」で離れる人も出てくる。離れられた側は、もしかしたらなんだか事故にあったつもりになるかもしれない。自分はただ「賛同できるツイートを流しただけなのに」、と。

 それもそうかもしれない。でもそれが繰り返されるうちに、クラスタ自体が、濃縮されてだんだん汚染されていく。そして、やり取りをする相手というのは、本人も気づかないうちに影響を与えていく。フィードバックされちゃうのだ。

 2012年か2013年くらいまでは、きくまこ先生もそこまで変ではなかったが、その後加速するようにヘンな発言が連発されていくのは、こんな感じだったのではないかと考えている。

 ニセ科学批判そのものを凶器として振り回す層というのが出来た結果、その印象がネットイナゴ、あるいはネトウヨと非常に近いものになってしまう。あとは災害が広がるのみだ。子宮がんワクチン水素水、EM菌。本来ならネトウヨと関連付けられる要素なんてないものも、そのスジのアカウントが言及してはバズる、という光景は、「そこ」がイニシアチブを握っている、と認識されることになる。そうなれば、ウヨに批判的な人は近寄りがたくなる。もちろん、もともと発信元として活動していたような人は、自分左派であろうと発信を続けるだろう。でもそこまで中心にいない人は、距離を置くか、あるいはニセ科学批判派の語り口に疑問を持つようになる。

そして深まる左右対立

 このような先鋭化の過程で、本来なら近しいところにいるはずの、歴史修正主義批判や、反知性主義批判(本来意味も、日本独自派生した意味もどっちも含まれる)との溝が深まっていくことになる。めんどくさいことに、これらの集団原発や巨大科学のようなものには批判的で、甚だしい場合放射能デマに一定の親和性がある人もいたりするので、頭が痛い。

 よく、ニセ科学批判クラスタはこれらのニセ社会科学・ニセ人文科学問題には無関心だと言われる。発信する側については実際には必ずしもそうではないアカウントも多いのだが、群がっている層については確かに無関心…… どころか敵意を持っている人が少なくない。理系人が多いので馴染みが薄いし慎重な態度でいる…… というのはなくはないのだろうが、どうもそれだけで済まないところがある。歴史問題法律あたりに目をつけて観察していると、「馴染みが薄いからかかわらない」ではなく嬉々としてトンデモさんを引っ張ってきて何かつぶやいている、という光景を目にして頭を抱えることになる。

 「Aを批判しているのにBを批判しないのはなぜか」はほっといてくれというのは分からないでもない。ただ、それは本当にたまたまのこともあれば、党派性を後ろに秘めてみて見ぬふりをする場合もあるので、けっこう一概には言いにくい論点である状況証拠次第によっては、判断材料として持ちたくなる疑問であるのは確かだ。また、別にこういう「疑問」はニセ科学批判クラスタけが受けるものではなく、左派いちゃもんのように昔から言い立てられてきたことでもあるので、やはり状況しだいでこう問いたくなるのも当然だろう。

 しかしその結果、溝はますます深くなるのである

 こんなことが続いていくうちに、ニセ科学批判クラスタは「身内」に甘い、というような見方もされてくる。そんなことないよ、と言いたいところだが、最近たまにはてブあたりに上がってくるニセ科学批判批判へのブクマコメントなど見ると、妙にニセ科学批判サイドへの批判を矮小化しようとする「ニセ科学批判者」のコメントが見受けられたりして「ああこの人もかあ」という気分になってくる。

経済をめぐる対立

 先日ツイッター問題になっていたのは、これのようだ。mika_berry氏というツイッタラーリフレニセ科学批判とネトウヨのつながりについて言い始めてそれにニセ科学批判派やネトウヨ定義が気になるタイプが反発して少し炎上のようになったらしい。

 経済には明るくないので、具体的なところには踏み込まない。が、ニセ科学批判クラスタ、あるいはもしかしたら理系クラスタまで枠を広げてもいいのかもしれないが、けっこうな割合がいわゆる「リフレ」に近づいたのは確かにそうだなと思う。

 ただしここも距離の違いはけっこうあって、単に「反緊縮」に近づいた人もいれば、はっきり「リフレ」に近づいた人もいる。俺も反緊縮については多分同意すべきなんだろうな、と思う。

 なぜこういう動きが起きたかは分からない。単に、時代的に緊縮はもういい、という風潮だったのかもしれない。反緊縮は数字勘定してイメージやすい「ロジカル」なものからという、もっともらしい理由がつけられるのかもしれない。それはわからないのだが、しかしこの「リフレに近づいた側」の少なからぬ人が、その後決定的にウヨに近づいていくことになる。

 これも理由は分からない。反緊縮には賛同する、という程度の人は、あまりそっちへ動かなかったからだ。アベノミクスなるものがあったからといって、他の論点がいっぱいあるのだから、ウヨに近づく理由にはならないのである。むしろ経済で結果を継続して出せるように安定させるためにこそ、おかしな動きは徹底的に批判すべき、と思うのだが、なぜかそうならない人というのがいた。ニセ科学批判クラスタの外にもそういう人がやはり「なぜか」いて、新たな集団を作るようになる。リフレ経済的に豊かになることを期待するクラスタ、というよりは「政権を応援しマスコミを憎み野党のアラ探しをする」クラスタとなる。経済には明るくないのでよくわからないのだが、アベノミクスのような政策はほっとくだけだと企業が潤うだけだと聞く。こういう人が「再分配を求めるべき」「企業給料をあげよ」というような動きをしたという話を寡聞にして聞かない。本当に経済大事だと思っていたのか、いまいちよくわからないところがある。

おわりに

 昔ながらのニセ科学批判は、党派性から距離を置いているつもりの人が多い。これは「左派が多い」という、上で書いた話とも別に矛盾しない。もちろん、ノンポリもいる。俺だって党派がかるのは大嫌いだ。

 それはいいんだけど、そうありたいと思うこととか、自分たちはそうだと思い込むことは、あんまり何かを担保してくれることではない。

 ここ10年くらいのインターネット歴史は、ノンポリ政治的な層、特にウヨに振り回される歴史だった。

 1970年ごろの学生運動だって、多くは本質的にはノンポリだったという話はよく聞く。でも、左翼運動の迷走についての責任を問われないかといえば、そんなことはないだろう。

 俺が思うのは要するにそういうことだ。ニセ科学批判=ネトウヨというくくりは、なるほど雑だ。だけど、それを一笑に付せる無邪気さは、ちょっと俺には持てない。

(追記しました→https://anond.hatelabo.jp/20170802040735

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