はてなキーワード: ドーピングとは
そもそもの延期発表は2019年だからロシア情勢は直接的に関係ない!って言ってる人がチラホラいるけど、中止に関して関係ないわけがないじゃない
製作全体においてはロシア情勢「だけ」が中止の原因ではないとは思うよ?
・新型コロナ禍での停滞
・大作抱えまくるMAPPAの制作環境とメインスタッフの仕事状況
もともと現実に寄り添う形でフィギュアスケート業界を描く作品で、メインキャラにはロシア選手が2人いるし、劇場版のティザーPVからロシア舞台かつロシア選手の活躍を描く内容であることは明らか
そこにプーチンを支持するフィギュアのロシア人スター選手がいたり、ドーピング問題でフィギュアスケートからロシアが排除されてるという現実がのしかかってくる
後輩とか立場弱いやつをイジりと称して虐めてるだけで、全く面白くない
実際、弱い者イジメ出来ない映画とか誰も興味持ってないし高評価してないしさ
その程度のやつなのに、SNSでの単なるお気持ち表面に応援コメント死ぬほど集まってるのが不思議で仕方ない
そもそもだけど、笑いものにするなら他にいくらでもいると思うんだよな
不正働いてる政治家とか、脱税してる経営者、金稼い出るだけで偉そうなやつ、パワハラ、セクハラ野郎共、賭博してる野球選手、ドーピングやら覚醒剤やってるスポーツ選
クソダサい女遊びして性加害告発されて泣き入れてる大物コメディアンとか、笑いものにするなら最高に面白いじゃん
とあるTikTokで話題になった「会社の飲み会は残業なのか否か」の動画。度々議論になるネタだが、私は残業だと思っていない。
もちろん、状況によって異なる。例えば飲み会に自費で参加しながらも、上司のご機嫌を伺ったり、注文担当だったり、一発芸をやらされるような飲み会であれば残業だと思うし、参加したくない。
しかし、そういった飲み会も淘汰されつつあるんじゃないだろうか。少なくても私の観測範囲ではそういった飲み会に遭遇したのは数十年前に在籍していた会社くらいだ。
もしかしたら、JTCはそういった飲み会が残っているのかもしれない。そういった人たちが飲み会に参加したくないと主張するなら理解できる。
だから「会社の飲み会は残業なのか否か」の議論については状況によると私は思っている。
残業だとは思ってないと主張するものの、普通に飲み会に参加すると、上司の話を聞くことや同僚のつまらない話を聞くこともある。つまらない話を延々と聞くよりもプライベートを充実させたほうがいいと思うと考える人がいるのも理解できる。
まぁでもどうせ君たちのプライベートは大したものじゃないでしょ。TikTok見てたりYouTubeショート見てたり。友達と遊びに行く人もいるんだろうけど、どうせ呑んでカラオケなりボーリングなり行って解散でしょう。もしくはエロ画像見てシコってるか。もうそれはただのルーチンなのよ。
それだったら会社の飲み会に参加して社内での立ち位置を確保して、後にプライベートで大きなことをやったほうが何倍もいいんじゃないかと思う。
人間と会話するのが苦手だという人もいるかもしれない。年収を上げたいんだったら克服したほうがいいと思うけどなぁ。
つまらない話を聞いて自分の中で噛み砕いて、上司や同僚に対してコーチングするのは意外と楽しいもんだ。会話が得意ではない自分が、酒の力を借りて「なんでそう思うんですか?」「◯◯の選択肢とかなかったんですか?」みたいに言えるようになって、自分の会話スキルを向上させられる。関係性も深められる。気持ちよくさせれば、気前よく飲み代を払ってくれるかもしれない。一石三鳥だ。
会話が苦手だと感じるのは、相手の感情を理解しようしたり、話を聞こうとする意思がないからだ。そして会話する回数が少なすぎるんだろう。
相手の話を面白くないと感じているお前も、上司や同僚から見たらお前の話も態度も面白くないと思っているよ。なんなら飲み会に参加しないノリの悪いやつとさえ思っているだろうね。
金曜昼締切の仕事がある。
寝かしつけ後にやるぞ!!と思ってたのに寝落ちして、
23時に夫に起こされて何とか起きるも眠くて眠くて…
一応進めたけど1時にギブアップ
今や一瞬で胃をやられるから、ここぞという時にか使えない
今夜飲むと明日使い物にならない、できれば明日昼間まで体力温存しておきたい
ほんとにさーー
昔なら毎日どれだけコーヒー飲んでも、数日午前様が続いても何の支障もなかったのに、今やこのザマよ
仕事の進行も、本当は木曜に子どもが体調崩す可能性を考慮して今夜やるべきだよね
でも気力がない…できれば昼間にやりたい、夜は眠くてダメだ…
気力も体力もあまりに弱りまくってる
これは加齢のせい?
30代もまだまた余裕だったのに40に入っていきなり崩れたなぁ
ドーピング云々で関連Youtuberが次々動画出して大騒ぎしてるのなんてボディビル界隈だけだよねw
みたいなアホみたいなエントリが注目に入ってるけどさ。
そんなわけねーだろアホが。自分の視野の狭さを誇るな。バカがよ。
1.ボクシング
一番有名どころで行くと、4階級王者でそのうち1階級で4団体統一、2階級で3団体統一したメキシカンビーフことサウル・アルバレス。
彼がドーピングで引っかかった際に「メキシコの牛肉にドーピング薬が含まれていたんだ」と発言し話題に。
世界的にボクシング系Youtuberはこぞって動画を出したし、今でもちょいちょい関連動画が出る。
日本での有名どころだと山中慎介選手を4RでKO勝利したルイス・ネリも試合後のドーピング検査で失格。
日本のボクシング系Youtuberはこぞって動画をアップした。
2.RIZIN
ここ最近で一番ホットなドーピング問題。これ知らん時点でアンテナ低すぎて話にならんわ。
去年の中頃に木村・フィリップ・ミノル選手がドーピング検査の結果アウトに。
半年後、復帰戦の大晦日マッチのためのドーピング検査でもう一回アウトに。
なぜならドーピングが蔓延している一方でアンチドーピング文化が根強いから。
これはつまり湯水のように湧いてくるドーピング違反者を一生みんなでよってたかって叩けるという事だ。
というのも本日、タテノスという愛称で呼ばれていたビルダーのステロイド所持が、彼の所属するボディビル団体のJBBFから発表されたのだ。
お陰で今ボディビル界隈は彼の事で大盛り上がり。
筋トレユーチューバーはもうこぞって関連動画を出しちゃってるの。
他のスポーツではこんな事起きないよね。
同じボディビルでも海外になるとアンチ・アンチドーピング 勢の発言力が強いから面白くならないんだよな。
今回はタテノスくんのおバカなミスが原因というのも相まって祭りになってる。
彼のミスは例外としても、これから馬鹿が倍増すると思うんだよな。
なぜならJBBFでは最近簡易ドーピング検査を実施し始め、陽性者の発見率が格段に高くなったから。
もう既に引っかかった奴が何人もいるという情報すらある。
ワクワクするなぁ。
その時もいっぱい叩かれてたなあ。
その後中島さんはJBBFやめて薬バチバチにキメて勝負する方向に行ったそうだけど、なんかもう色々とすごいよね。薬って怖いね。
でもこの祭りに水をさす奴もいるんだよな。
あのさぁ、これは彼ら馬鹿共の為でもあるんだよ。
二度と戻ってこれないように完膚なきまでに叩かれた方が本人も諦めがつくでしょ。
どうせ罰金の40万円も払わずトンズラするんだから、それ位の報いは甘んじて受けてもらわなくちゃ。
イルミナティだのカバールだのフリーメイソンだの、なんか沢山組織があって世界を支配してるらしい。
世界支配してんなら何でアメリカで闇の政府の対立候補が選挙に出れるようにしとくのかよくわからんが。政治的リーダーの多くが汚染されてる!くらいが限界やろ。
なんか悪い奴らで集まって児童虐待をめちゃくちゃしてるらしい。ほんとに悪い奴らだ。
ここに入って出世したら、バキの徳川光成みたいに、地下闘技場で実力者を戦わせるとかできるのかな。
俺格闘技好きなんだよね。ドーピング打ちまくった怪物がどれだけ強くなるか見てみたい。
成人男性が素手で勝てるのは体重30キロの犬が限界らしいけど、鍛えまくってドーピング打ちまくったフルチン人類ならどこまでいけるのか気になる。
「私はいいけど、他の人が傷つくかも知れないから」論法は好きじゃない。
記事の要旨:
「私はいいけど、他のひとが傷つくかもしれないから」論法は(不当な)説得力のドーピングである。
「○○という表現はリスクがある、こういった属性の人が不快に感じるかもだから」という意見は、(不当な)説得力のドーピングではない(意味がある)。
例として、「私自身はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体はリスクがあるように見える」、
したがって、「私はいいけど、表現自体はリスクがあるように見える」という指摘は、(不当な)説得力のドーピングではない。
そのため、本来適切でない「ハゲの例」を引用してしまっている。
論点:
「ほかの人が傷つくかもしれないから」という論証を行うことで、"説得力の添加"を行っており、それが問題なのだ、という点である。
しかし実は、誰かをハゲと表現することは、「私、あなた、もしくは特定の誰か、もしくは不特定の誰か」を前提するまでもなく、リスクある表現であることがわかっている。
したがって、「私はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体はリスクがあるように見えます」という主張は、
"「私はいいけど」論証による説得力の添加"が行われていないことになる。(どこかの禿げた他人を前提せずとも、ハゲなじりは失礼である。)
なんらかの他人を前提せずとも、ハゲなじりはリスクがあるのだから、
もともとの議論で強調されている「なんらかの他人を規定して"説得力を添加"することの是非」の話を無視した例示となっている。
「ある属性の人が不快に感じるかもしれないから、指摘することには意味がある」
実は、ハゲとなじられることに不快感を覚える人は、「実際に禿げている人」にとどまらない。
「今現実に禿げていない人」であっても、もしくは「禿げているかどうかすらわからない不特定多数の人々」を指す上でも、不快感を覚える可能性はある。(というか、高い。)
すると、「現実に、なんらかの属性(ハゲ)を持っている人が実在するかどうか」すら関係がなく、
したがって、「ある属性の人が不快に感じるかもしれないから、ハゲなじりの不適切性を指摘しますね。」という説明は、
その論証が"「誰かを規定する手法に基づく説得力」の添加が成されていない(ハゲなじりはその属性を持つ対象が実在していなくても成り立つ)"がゆえに、「私はいいけど」論法の擁護になっていない、と言える。
まとめると、
誰かをハゲとなじるのは、特定の誰かであろうが、不特定の誰かであろうが、
また、禿げた何者かが実在するかどうかにすら無関係に、失礼で、リスクある表現である。
これは、「○○論証により、ハゲなじりはリスクがあることが分かる。したがって○○論証は(リスクを論ずる上で)健全な論証である。」と言ってるのと変わらない。
「ディズニーランド論法」、「(私はいいけど)ディズニーランドが好きな人が不快に思うかもしれない表現は慎むべきだろ!」という論法においては、
「不特定の対象」を規定することで、"説得力の添加"を行っており、そのような論証は本来濫用されるべきではない(と元記事は主張する)。
一方、「ハゲなじり論法」、「私はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体にはリスクがあると指摘します」という論法においては、
私はいいけど論法の問題点である"何者かを想定することに基づく説得力の添加"が実質なされておらず、私はいいけど論法の擁護になっていない。