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2021-05-28

自分の曾祖父戦争の話

太平洋戦争から70年以上経った現在戦争経験者は少なくなっているこのごろ。

私の曾祖父戦争経験なのだが、もう曾祖父は私が生まれる前に亡くなったしその息子である祖父も亡くなった。

それ故にもう戦争を伝える世代我が家にはほぼいない。

けれど祖父が伝えてくれた曾祖父武勇伝…が私の中で残っている。

しかしもしかしたら忘れてしまうかもしれないし伝える子供もいないかもしれないのでここに残しておく。なお、本当にその出来事があったのかは私自身疑問に思うこともあるので「へ〜そんなことがあったかもしれないのか〜おもしろ」みたいに流してもらえればと思う。というかむしろ本当にそうだったか検証してもらいたい。

ちなみに曾祖父戦争の途中で日本へ戻ったため終戦時は地元にいたらしい。

①出立日

祖父戦争の割と初期に徴兵された。出立の日、地元の駅ではみんなご存知のあの「バンザイ」が行われ、列車に乗り込んだ。

目的地がそこそこ遠いため、空いた時間がたくさんあったという。そこでいるメンバーカードゲームらしきもので遊んでいたらしい。戦争に行くとは思えない、まるで遠足に行くかのように和気藹々とした車内だったという。

トウモロコシ畑炭火焼き

祖父が配属されたのは中国とある地域だった。陸軍だったので陸地の移動にはトラックが用いられたらしい。

ある日、曾祖父が同期とトラック運転していると一面のとうもろこし畑が目の前に広がった。曾祖父達は喜び、何故か車内にあった炭火焼きを出して勝手とうもろこしを収穫、焼いて食べたらしい。

しばらくした後、様子を見にきた隊長が「お前達何やってるんだ!」と走りながらこちらへ向かってきた。

その瞬間、隊長のいた場所が爆発し、死亡した。

地雷が仕込まれていたらしく、その地雷トラックをこのまま走らせていたら確実に踏んでいた場所にあったという。食欲が命を救っていたのだった。

ちなみにこの他にもトラック地雷を踏んだ事案はあったが曾祖父特に怪我なく生き延びている。

憲兵を殴る

祖父は酒好きな人で、陽気な人であった。そんな酒をよく飲んだ日の晩、門限を過ぎてから隊へ戻ったとき憲兵からかなり厳しく注意された。

しかしここで曾祖父は「うるせえ!」と酔った勢い憲兵をぶん殴った。

もちろん憲兵を殴るなど刑罰に値することである

そのため曾祖父懲罰房に少しの間入ることになってしまった。

普通な素面に戻り、やってしまったと反省することだろう。

しかし曾祖父には人望があった。

大丈夫か」「これを食え」など憲兵の目を盗んで仲間たちが曾祖父のことを心配し、ご飯差し入れしていたのだ。

そして曾祖父懲罰から出るときには、入った時より太っていたという。

④敵と遭遇し逃亡

その日は霧が濃い日であった。隊が霧の中を進軍し、少し休憩に入ることとなった。曾祖父一休みしすでに休憩に入っている仲間のすぐそばで休憩していた。

もう一度言うが、その日は霧が濃い日であった。ちょっとすすんだ先も危ういくらいの。

強風が吹いたのか、霧が少し晴れる。

すると、仲間の姿が映る。自分のようなアジア系の顔立ち、しかし装備している軍服が違う。

なんと、敵も休憩しているところに曾祖父達も休憩してしまったのだ。

突然目の前に現れた敵に、お互い驚く以外なく。

慌てて撤収し、両軍攻撃せず逃げた。

その日、会敵したにも関わらず戦死者はおろか傷病者も出なかったという。

他にも思い出したら追記するかも。

2021-02-24

anond:20210224132656

百合は綺麗だしエロいから良いけどBLキモいから無理

くらいの事を素面で言うキモオタは色んな所で見てきた

2021-01-28

自称50代の男性ゲーム配信してた話

自分ゲーム配信を垂れ流しながら裏でゲームしてたのでコメントできなかったけど

自称50代のオッサンが、ダイの大冒険がやってた頃は子供だったっていう発言違和感を覚えたので

ちょっと調べてみたらこうなった

配信で分かった自称オッサンプロフィール

自称1970年まれ自称オッサン

・声はかなり若い。声だけだと20~30代っぽい

ダイの大冒険の期間

漫画は1989~1996年

・旧アニメは1991~1992年


この自称オッサンが本当に1970年まれで、リアルタイムダイの大冒険に触れてた場合

最短でも19歳の頃になる。もし単行本派だった場合20歳を超えている可能性が高く一般的には大人の部類になるだろう

既に配信を終了していて、1時間ほど裏で垂れ流してた自分感想になるが

声質はどう考えてもオッサンのそれではなくかなり若い人間の声質だった

また、自分ゲームの腕前をマジトーンで加齢のせいにしてたが、上記違和感もあり若い人間しか見えなかった

コメントへの反応がとにかく子供っぽいのも若い印象を持たせていた。気に入らないコメントがあれば「んだゴルァ」と反論するし

何より自称オッサン自分で「俺は厳しくされるといじけちゃう。甘やかしてくれないと」と素面で言ってたとすると、さすがにドン引きである


あと自称オッサン以外の人間でもそうなのだが、自分が出来ないことをなんでも加齢のせいにする人間は非常に腹が立つ

出来ないなら出来ないなりに工夫すればいいではないかゲームなんて工夫して出来るようになった瞬間が一番楽しいのではないか

本当に50代なのか怪しいが、自称オッサンには年齢のせいにしないでゲームぐらいは普通に楽しんでほしいと思う

腕前の優劣を競っているわけでもないのだしグチグチ言わずとも、自分のペースで遊べればそれでいいのではないだろうか

2021-01-27

21歳オタク腐女子喪女彼氏が欲しい。

彼氏が欲しい。

年齢=彼氏いない歴だけど。

私はオタクだし、腐女子だし、肩書き悲惨

彼氏できるわけないだろという感じ。

だけど、彼氏が欲しい。

彼氏が欲しいから、オタクであることは男の子の前で言ったことないし、腐女子であることなんて女の子友達の一部しか知らない。

程度としては、グッズとかも集めないし、創作もしない。形に残らないように電子書籍漫画を集めているくらい。でも3次元オタクなのでアイドル現場に行ったり、2.5次元舞台に行ったりはする。通ったりはしてない。

彼氏が欲しいからってわけではないけど、コスメを見て流行りの買ってみたり、高いブランドカバンを欲しがったり、服を見たりするのが好きだ。月に1〜2万くらいは服とか髪とかコスメかにお金使ってるので、無頓着というわけではないと思う。

高校卒業する時、同級生男の子に「増田仮名)は大学生絶対彼氏できるよ!」と言われた。でも、彼氏はできていない。

大学キラキラしたものだと信じていたけど、人より授業をたくさん取らなきゃいけない状況だったから、週5で夕方まで大学にいたし、家と大学が遠すぎるからサークルにも入らなかった。その結果、出会いがなくなった。

外見は普通だと信じたい。ちょっと整形したいなと思うことはあるけど、リスクを考えたら諦められる程度のブス。彼氏が欲しいから痩せようって思ってはいる。デブは罪。美味しいものを食べるのは生き甲斐から、量を減らしつつリングフィット先生をやっている。

「楽しそうに生きてるよね」とよく言われる。

私は彼氏が欲しいけど、彼氏がいなくても人生がめちゃくちゃ楽しい学歴はないけど、勉強はそこまで嫌いじゃない。就活とか卒論とか嫌だと思うことはあるけど、それ以上に好きなものがたくさんある。恵まれていると自分でも感じている。

家族が大好き。お父さんとお母さんはどうしようもない娘でも大事に育ててくれたし、やりたいようにやりなさいとお金も惜しまず使ってくれた。昔から歯並びがコンプレックスだったか矯正もさせてくれた。旅行にもたくさん連れてってもらった。私はこういう親になりたいと思う。お兄ちゃんも会話は少ないけど、優しい。

友達が大好き。高校友達は連絡全然しないのに時々私を遊びに誘ってくれるし、大学友達は一生の友達でいてくれるような気がするくらい色んなことをしようねと話している。一緒にいるだけでずっと笑っていられる。私はお酒が飲めないけど、「素面で酔ってる」と言われるくらい楽しそうに見えるらしい。

人生楽しい、でも、彼氏が欲しい。

彼氏が欲しい。

オタク辞めたいから。大好きで依存できる存在が近くにいてくれたらどれだけ幸せだろう。彼氏ができたらきっと大好き〜!ってずっと言ってるだろうな。実際の恋愛そんなに甘いものではないと知ってはいるけど、夢は見ていたい。彼氏ができたら世界が変わると本気で思っている。

私の「彼氏欲しい病」は重症だと言われる。

私の友達彼氏いなくても楽しいと思って生きている子ばかりだ。オタクの子もいれば、異性があまり得意ではないからという理由の子もいる。そういう子達からしたら私が異常で、重症

だってちょっと前まではそう思っていた。オタクをしているのが世界幸せで、生き甲斐だった。でも現場コロナでなくなったら一気に現実に戻されてしまった。オタクをやっていても何も残らない。それなら、推しより彼氏が欲しくなった。

子供を育てたい。

年を取るたびに子供が可愛くて仕方ない。電車の中で赤ちゃんや小さい子供を見たら可愛い〜〜!!!ってなる。中高生を見ると若さに対して微笑ましい気持ちになる。

自分も親になりたいと思うことが増えた。私の親は本当によくできた人たちだから、両親のようになれるかはわからないけど、「子育ては大変だけどやっぱり嬉しいよ」と言われて自分子供が欲しくなった。あと、親に孫の顔を見せたい。

子供を育てるためには、子供を産まなきゃいけない。子供を産み育てるためには、結婚しなきゃ難しい。結婚するために、彼氏が欲しい。

私は120歳まで生きたい。

人生楽しいし、死にたくない。死ぬなら人に看取られて死にたい。1人で死にたくない。1人でいるのは嫌だから、今から彼氏が欲しい。

これだけ書いても私には彼氏がいない。

何を間違って生きてしまったのか、本当は自分が1番よくわかっているのだ。

それでも、彼氏が欲しい。

2021-01-05

クソみたいな新卒5年目

中途で入った中小企業でいわゆる「Webエンジニア」をやってるんだけど、新卒から入ったやつが尽くクソすぎ。

5人中まともに言葉使えるのは2人だけ。

残る3人のうち、一人はナチュラル煽り野郎エンジニアとしての実力は世界レベルなのでしょうがないが、口を開けば「昨日富士山登ってそのまま出社しました」みたいなことを言う)。一人は常にだるいめんどいかっこ悪い言ってる中二病スカしデブ巨乳フェチときどき彼女ノロケ自慢してくる、うざい)。もう一人は「人の気持ち考えない俺カッケー」系クズ(常に素面で「何が聞きたいんですか?」みたいな口調)。

まともな奴から転職してクソだけ残ってる。てめーら新卒から許されてるけど他の会社行ったら許されねーからな。いっぺん死ね

2020-12-31

ドチャクソ好みの男

ドチャクソ好みの男(以下ドチャ男)に食われてしまった。

からから声や話し方や言葉遣いなどなど

あらゆるところがドチャクソ好みやねん。

やっぱ好っきゃねん。

キコンやねんけどな。

はい、ここで不快に感じた方は、もう読んではいけません。ごめんなさい。さようなら

叩いても無駄です。


が、最中のことをあんまり憶えてない。もったいね

憶えてないけどもったいねーので思い出しながら書いてみよう。

嘘かもしれない。多分夢だったんだ。


ことの起こりは、友人Pの野郎遺書みたいなLINEを送ってきた夜か。


心配なのもあり、連絡する口実ができたのもあり

共通の友人であるドチャ男にLINE


Pから変なLINE来てない?

明日のPライブのことかな

あ、明日そうだったね。

覗きに行ってみようかな

あ、私も行きたい

じゃ一緒に行きます


(あれ?いきなり会うことになったぞ?)

動揺して動悸がしてあまり眠れなかった。


当日。 突入前に飲みます?とLINE来た

ん?どういうことだ?と思ったもの

それでも良いよ と答え、最寄り駅で待ち合わせ。


ドチャ男は目立つのですぐ見つけて、舞い上がる。

(うっひょーやべーオフライン久しぶりー

 やっぱかっけードチャクソ好みぃー!緊張するーはー!)

とか心の中で叫びつつ、挨拶して

どうしよっかとちょとうろうろしてチェーンの居酒屋へ。


軽く1杯か2杯だと思ってたんだが、最初に4、5杯飲んだよな?

3杯目終わるころ、そろそろ行く?と聞いたら

もう1杯、増田さんと飲むのも滅多にないし

と、延長ありがとうございます

そうだな。2人きりは初めてだよな。


そしてPのいる街へ向かった。

一緒に電車乗るとか緊張するんですけど。

Pに会った話の詳しくは割愛。(スマンP)

なんだかんだ飲んで解散となり、もうベロンベロンベロンになりつつ

帰路につき


今日実はずっと緊張してます

俺もです

そうなんですか

とにかく緊張しすぎて、飲みすぎた。


帰り道も途中まで一緒だった。

もう1杯付き合ってください、と言うので

もちろんオッケーよ、と増田の最寄り駅で降り、トリキへ。



「ずっと言おうと思ってたんだけど」

(なんだなんだ?)と身構えたもの

結婚してるんだよね俺」

「うん。知ってるよ?」

そうなの?知ってた?誰に聞いた?

Pだったかなあ

そうかーあいつかー


この後から記憶がまだらになっている。


ドチャ男くん、終電大丈夫

と言ったような言わなかったような

帰ると思ってたから。


トリキを出たら

キスしていい?とキスされた

ええ?もうしてんじゃんええ?いいの?何してんの?

うっま。キスうまーひえぇビリビリ


送ってくよと言われ、いつのまにか増田宅に着。

あれよあれよと脱がされたようで


一度中断してコンビニ行ったような?

その時ゴム買ったんかな。

そうなのだ増田の家には、ゴムがない。


しかし約●年言うタイミング逃してたことをカミングアウトして

その日になぜそれに反することをする?

なんでやっちゃうんだよ、バカー!!


(トリキのシーンに戻って)

結婚してるんだよね俺。だから、ごめんね」

増田あなたファンです好き好き、とぼんやりはっきり前から言ってた)

「いいえー、今日ありがとう。Pにも会えたし楽しかったね。」

「じゃまたね」

って、バイバイするだろ普通?!


ほんとに手ぇ出されるなんて思ってなかった。

思わないじゃん。あんイケメン

いや見た目だけじゃなくて作品活動もすごい尊敬している人なので

ワイごときまさかなびかないだろうと高を括っていた


酔っぱらってたせいもあるけど、あんなめちゃくちゃいかされたら

そりゃ記憶も飛ぶだろ。

あーもったいないもったいない

せっかくならもっと素面に近い状態でしたかった。


帰ってバタンキューするつもりだったんだ。

いつものひとりで過ごす土曜の夜になるはずだった。



増田さん、中でもいくんだ

俺の周りでそういう人いないよ

などと言ってたけど、そうなんですか (周りって何)

中でいく人は珍しいんだろうか

中でいくほうが良いです


割とSっぽかったな。予想はしてたが。

いや多分両方できる人だろうな。

喋る仕事もしてるほど口が達者な人なので

最中もまー上手いこといじってくるわけだ。

Mなのでビンビンに感じてしまった。

あと本名呼び捨てな。それな

ペンネームを使って活動している時に出会ったので、それで呼ばれている)

ずっちーなー



ドチャ男は行為までドチャクソ好みの男であった。

まいったしまった、いたしてしまった


あれ以来、SNS写真が出てきたり動画が流れてきたりすると

身体が反応してしまうようになった。

タイヘンヘンタイ

2020-12-25

ハチミツに浸されて育った

私はサッカリン12歳まで知らなかった。両親は本当に私を大切にして甘い液体に浸して育ててくれた。

父は私のことをシンプル溺死させようとしている。頭の中の9割以上は蜂蜜のことで占められていると思う。「お父さんはいつも蜂の蜜を吸っているよ」とか素面で言い出すから蜜が出る。

母は「甘味料が入ってなきゃ別に何でもいい」みたいなスタンスで、まるで「蜂蜜蜂蜜である限り愛している」とでも言うような、放任に見えてハチミツ愛が深い。

とにかくとにかく、もうハチミツに浸されて育ったので、私は糖分を精製する努力をしなかった。

ハチャメチャに愛されて育った

私はサンタ12歳まで信じていた。両親は本当に私を大切にして甘やかして愛して育ててくれた。

父は私のことをシンプルに溺愛している。頭の中の9割以上は娘のことを占めていると思う。「お父さんはいつも娘の幸せを願っているよ」とか素面で言い出すから涙が出る。

母は「道を外れた事しなきゃ別に何でもいい」みたいなスタンスで、まるで「私が私である限り愛している」とでも言うような、放任に見えてメチャメチャ愛が深い。

とにかくとにかく、もうハチャメチャに愛されて育ったので、私は人から愛される努力をしなかった。そして半端に頭の出来が良かったので適当に生きても高校生までは特に何も困らなかった。まあ半端なので大学入試まではこなせなかった。

浪人したい。一年頑張るから」と言ったら私を信じてそこそこ投資をして浪人させてくれた。ろくに勉強せず適当な私文へ。

就活めんどくさい。勉強は嫌いじゃないし公務員試験受ける」と言った時も私も信じて予備校に通わせてくれた。完全に舐めてかかった私は面接全落ちした。

そうして大学卒業目前の私は、どこにも拾われないまま学生最後クリスマスを迎えた。

拾われないって就職先だけの問題じゃなくて、「愛されて当然」みたいな態度で生きて来すぎたから私には友達がいない。丸2年LINE使ってないけど何も困ってない。

それでも父と母は家族三人で今年のクリスマスを迎えられた事を喜んでいる。外食してケーキも食べてあとは家族団欒、相変わらず両親はめっちゃ優しいし幸せクリスマスイブ。

だけど、きっと話題にしないだけで二人とも心配している。愛情時間お金たっぷりかけて育てた娘は宙ぶらりんのまま大人になってしまったよ。本当にごめん。

申し訳なくて、たまに涙がだばだば流れてどうしようもない時がある。でも数時間後にはケロッとしてご飯食べてるから救いようがない。

今更どう生き方を変えたらいいのか分からない。両親は私に高望みなんかしてなくて、「自立して安心させてくれたらいい」くらいにしか思ってない。それさえ私には出来ない。

とうとうかけてくれた愛情が重くて辛いだとか最悪な事まで考えている。私が嬉しがってると両親も喜ぶので、ひとまずのんきな顔を見せてヘラヘラしているけど、気を抜くと泣きそう。もう早く楽になりたい。

2020-12-16

anond:20201216123655

なんで素面でもSとMの話はセーフみたいな空気できたんだろな

性癖ど真ん中の話題なのに

2020-12-02

anond:20201202193914

素面で書いてるなら凄いよな。

こんな強固な自意識たこと無い。

2020-11-30

anond:20201130025210

どうなんやろな(素面)

古くなくても性能的に劣る車が上位車に勝つって構図はエンタメとして面白い

その点ではMFゴーストのGT86 vs 世界スポーツカーネタとしては妥当なんだけど

いかんせん半端に頭文字D世界観引き継いでいるのが蛇足すぎるよな

現行86もも初期型出てから10年くらい経つけど

頭文字D当時と違って他メーカーから手頃なスポーツカーが出る時代でもないのも苦しいな

2020-10-16

静岡県知事発言について思うこと

腹の中でどう思ってるかは、正直自由だと思うんだよ

でも、公式発言しちゃまずいでしょ

それくらいの判断能力はなかったのかな

絶対ゴタゴタするの分かってるし、必ず意思表示しないといけない話題でもなかっただろうが

正直どっちに転ぼうが、発言した時点で何かしらのネガティブな印象がつく話題だと思うんだよ

思想がどうより、こういう発言しちゃまずい、と素面判断できなかったことに、失望するわ

雉も鳴かずば撃たれまい

2020-09-29

anond:20200929165859

友達いなくても、漫画よんだり映画みたりすればいいよ。

ちょっと感動しやすくなってるから素面より楽しめるよ。トイレ近くなるし、途中で寝るって問題もでてくるけど。

anond:20200929114535

>酒6本飲んでも素面

 

ここが勘違い。そんな人間はいない。

恐らく「酔う」ということが何なのか元増田にはわかってない。

 

酔うっていうのは意図的に脳の一部を麻痺させる行為なんだけど、真っ先にどこを麻痺させるかっていうと、前頭葉です。感情抑制する能力っていうのを真っ先に麻痺させる。みんなそのために酔っている。

感情抑制能力麻痺すると、例えばちょっとでも楽しい気分になったときに、そのままストレートに楽しくなる。大して面白くもないはずの友達トークでめちゃ笑える。

これが「酒に酔って楽しい状態

あと酒飲みながら映画みたらクソ映画でも案外楽しめるとか。

 

まり人間を楽しくするのは、酒それ自体ではなく、あくまで周囲だ。

酒を6本飲んだけど、映画を見るでもない友達と話すでもない、ただただ座って黙ってると、あたか自分素面のように思えるはずだ。氷が解けて水面になっても、風が吹かなければ波は起きない。

お酒って不味くね?

酒飲めるんだけど、よさがね、わかんないの。

まず、酔えない

缶6本飲んでも酔いが回らず。

素面でした。

つぎ、まずい

においがきっついの。

飲んでみたけども。

甘くもないし、

飲みにくい。

2020-09-13

苦痛の無い自殺方法真剣に考えてみたい。

インターネットは何でも調べられる便利な場所だと、検索しても中々ヒットしない項目がある。

自殺方法である自殺方法について調べると真っ先に相談センターがヒットし、他の項目は出て来ない。

一過性自殺衝動は、気持ちが落ち着いて頭が冷静になれば自然と無くなる物だから、まず自殺を思い留まらせようとする事はきっと正しい。

ただ、常日頃から自殺という選択を考えている人にとって、「とりあえず一旦自殺を思い留まらせればいい」程度の気遣いは何の優しさにもならない。

殺人犯罪であり違法な行いであるが、自殺に関しては自殺した人間処罰する法律は無い。自殺法律の上では違法性の無い全ての人間に許された選択である

自殺話題になると「今から死ぬのに何でわざわざ苦しくない方法を選ぼうとするんだ、どうせ死ぬなら関係ないだろう」と言う人が必ず現れる。もしかしたら現れないかもしれないが。

考えてみてほしい。世の中には自分の力だけではどうしても自然睡眠できないので睡眠導入剤の力を借りたり、お酒を飲んでから寝る人だって居る。死ぬ事は睡眠と似ている。だから死ぬ事を永眠と言うのだろう。

眠るように逝きたいのであれば、可能な限り苦痛とは無縁でありたい。今の状況から解き放たれ楽になるために死にたいのに、何故酷い苦痛を味わってから死ななければならないのだろう。

ここからが本題であるが、苦痛の無い死に方とはどのような物か。自分自殺に関してはド素人も良い所なのでさっぱり分からないが、素人なりに考えてみた。

麻酔であるモルヒネなどで感覚を酔わせて、苦痛を無くしてしまう。その時に命を絶てば苦痛なくあの世に旅立てるのではないだろうか。

ちなみに麻酔はあまり大量に使用とするとそれだけで命に関わり、場合によっては死んでしまう事もあるらしい。麻酔の影響で死んでしまった人は恐らく訳も分からないまま死んでしまったのだろうか。

まあ実際のところ医療関係者でもないと麻酔の入手なんて出来ないだろうし、それも個人で使おうとすれば違法行為になるだろう。法律を犯すのは良くないと思う。

ならこういう方法はどうだろう。睡眠導入剤を沢山飲み、その後お酒を沢山飲む。薬とお酒は飲み合わせが悪いとかでとても体に悪いらしく、実際一緒に飲んでしまったあたり死んでしまった人も多いと聞いた事がある。

これも実際に試した事は無いのでよく分からないけれど、少なくとも素面死ぬよりは楽そうな気がする。お酒酩酊状態になるのだから、痛覚は大分薄れているだろうし寝ている間に死ねるかもしれない。

ただし、もし万が一死ねなかった場合…薬の過剰摂取による酷い副作用によって酷い苦痛一生物後遺症に悩まされるらしい。もしそうなってしまった時の事を考えたら、恐ろしくて自殺も出来ないかもしれない。

やはり人間自然に生き、自然病気になり、自然死ぬのが最も自然なのだろうか。そうかもしれない。そうでないかもしれない。人類がこれから先更なる発展を迎えるなら、苦痛なく自裁出来る手段発明されるべきだと思う。

2020-08-11

anond:20200811091031

正直いうとピエール瀧はあれを素面でやってるからスゲーな狂ってるわって思えてたわけで

クスリに頼ってたと分かって少しだけショックだったわ

2020-08-02

働くって大変なんだよ女にはわからいかもしれないが

って素面でいうやつがいたんだよ

父親って言うんだけど

父親、母に出て行かれてから家事全部わたし押し付けた癖にそう言うことをぬけぬけ口にするから嫌いだった

兄はクズから手伝わないし、弟は障害児だから役に立たなくて(可愛い弟だったが)

現に働いて7年目だけど、へーこんなもんかってぐらい。父は7時に家を出て、16時に帰宅するような仕事で、責任も大して重くなかったから、その程度の仕事マウントをとってきたのかと、今となっては不思議さすらある。仕事柄、他人離婚話にしょっちゅう首を突っ込んでるので父親以上のクズもよく見る。今は絶縁状態で父にもう興味ない。

こないだネットで、「男性仕事をしなくては結婚できないから大変なんだ」と読んで

エェー(゚Д゚)と

そうくるのかと。今時無職結婚したい人など、そうそういないと思うのだが。

まあなんでしょう。特有の大変さがあると主張しなくてはやっていけないんですね。と父のことを思い出した。

わたしは生涯独身で弟の面倒でも見ながらのらりくらり仕事に生きれたら良いなと思っているので、職は失えない。老後の貯蓄も必要だ。いい老人ホームに入りたいと思っている。

かい主語自分人生を「楽でずるい」と括られるのはやはり腹立たしいものだなーと思った。

まあ、パッとしないつまら人生なのは認めるよ。

2020-07-24

死ねないだけで生きてきた

初めて死にたいと思ったのは小学2年生の頃だった。

家のすぐ隣に出来たゴルフ練習場の明かりが眩しくて、眠れない夜が続いた時だ。

死にたい」という明確な気持ちがあったと言うよりは、明日もこのまま寝不足学校に行って、

眠くてぼんやりとしているところを先生に怒られて、というのを続けるぐらいなら、いっそこのまま消えてしまったらいいのにと願っていた。

そうやって暗いイメージが湧き出しては止めることが出来ず、幼少の自分には長すぎる苦痛な夜の時間から抜け出したくて、

ベッドに横になったままできる限り精一杯長く息を止めるのを繰り返し「うっかり窒息死してしまえたら」と子供じみた自殺未遂を試み続けていた。 

次に死にたくなったのは高校2年生の時だった。

高2病とも言われるような、人生を斜に構えて無気力に過ごしては自身無力感に苛まれていた。

次第に学校もやや不登校気味になり、気が付けば「皆が真面目に勉強している中でフラフラ遊んでいる」というレッテルを貼られ、

たまに教室に顔を出そうものならクラスメートだけでなく教員たちから厄介者のような扱いを受けていた。

そんな時、家の薬箱から母親が昔飲んでいたらしい薬局の袋に入った睡眠導入剤を見つけた私は、

「これをたくさん飲んだら死んでしまえるかもしれない」と袋に入っていた束になったシートから錠剤を全て取り出して震える手で飲み干した。

どくんどくんといつもより大きな鼓動を打つ心臓が、自分死ぬかもしれないという不安と緊張と少しの期待のせいなのか、

それとも単純に薬の副作用だったのかは分からないけれど、私は暴れる心臓の音が家族に聞こえないように自室の中で布団に包まっていた。

暗闇の中で止めどなくほろほろと溢れる涙を流しながら、その時を待っていた、そして私の意識は途絶えた。

翌日、私は何事も無かったかのように、いつも起きる時間よりもだいぶ早くに目が覚めた。

遺書も残さず、数少ない仲の良い友人にも何も言わずに突発的に試みた自殺未遂だったけれど、

拍子抜けすると同時に、あれこれ残したりせずにして良かったと安堵していた。

まだ誰も目覚めていないキッチンに行って水を一杯飲んで、違和感を覚えた。

かめるように冷蔵庫に入っていたオレンジジュースを飲む、味覚が無くなっていた。

冷汗が止まらず、ただただ「どうしよう」という言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。

自殺しようとして薬を沢山飲んだら味覚が無くなってしまった」などということを誰かに相談する訳にもいかず、

しばらくは生きた心地がしないまま、味のしない食べ物咀嚼するのはまるで砂や泥を食べている気分で、誰にも気づかれないように胃に押し込むことにひどく苦労した。

結局、三日も経たない内に味覚は元に戻るのだけれど、この時に「次に死ぬなら確実に死ななければいけない」と心に誓ったのだった。

 

次に死にたくなったのは22歳、大学留年した時だった。

真面目な学生では無かったけれど、なんとなく大丈夫だろうと思っていた淡い期待はあっさりと裏切られてしまった。

一応サークルには所属していたけれど、ほとんど活動に参加していなかった私は、文字通り大学一人ぼっちになってしまったのだ。

そんな私の唯一の心の拠り所はSNSの顔も知らない友人たち、その中でもとりわけ"メンヘラ"とカテゴライズされるような人々との交流だった。

最初は寂しさを埋めるためのアイテムだったはずが、尊大希死念慮に苛まれて生きるダメな人たちの存在可視化されることは私の良くない考えを加速させていった。 

あの頃を思い返すと、死にたかった、というよりも、いつ死んでもよかった、というのが正しかった。

私は名前も知らないおかしな人たちと浴びるように酒を飲むことも、サイケデリックな色をした「海外製」とだけ言われた錠剤をスナック菓子のように口へ放り込むことも、

そのまま外に飛び出して狂ったように遊びまわることも、怖いと思うことは何一つなかった

素面でいたくなかった、誰かと過ごしているようで、感覚けが宙に浮かび、幻覚の中を彷徨って倒れこみ、自分を取り囲む影と会話して過ごした。

路上はもちろん、駅の医務室や知らない人の家で目覚めることも日常茶飯事だった。

裸で目覚めて隣で眠る見知らぬ人を起こさないようにベッドを抜け出し、最低限の服と荷物だけ持って逃げ出したこともあった。

 一方で大学がある日は真面目に授業を受けていた。

離脱症状でガタガタと震えながら、倒れないように机に噛り付いて授業を受ける様は正しく狂人だったと思う。

ただ「死のうと思えばいつでも死ねる」ということが確かな心の支えになって、私は人より一年だけ多く掛けて大学卒業することができた。

真っ先に死ぬと思われていた私を残して、大学時代の悪友たちは4人が亡くなり、2人は隔離病棟入院していると風のうわさで聞いた。

 

気がつけば30歳を目前としている、生きてしまった、生き延びてしまった。

私は死ねなかった、自分長所や得意なものというのは思い浮かばないが、死ぬことは特別下手なようだった。

それどころか真っ当に就職して、結婚し、子供にも恵まれた、人は私のこと見て「幸せだね」と言うようになった。

ただそれでも「死にたい」という心の底に燻る感情は、初めて認識した時から今のこの時まで片時も消えてはいなかった。

から私は今夜も、精一杯長く息を止め続ける、「一度ぐらい上手くいきますように」と願って。

死ねないだけで生きてきた

初めて死にたいと思ったのは小学2年生の頃だった。

家のすぐ隣に出来たゴルフ練習場の明かりが眩しくて、眠れない夜が続いた時だ。

死にたい」という明確な気持ちがあったと言うよりは、明日もこのまま寝不足学校に行って、

眠くてぼんやりとしているところを先生に怒られて、というのを続けるぐらいなら、いっそこのまま消えてしまったらいいのにと願っていた。

そうやって暗いイメージが湧き出しては止めることが出来ず、幼少の自分には長すぎる苦痛な夜の時間から抜け出したくて、

ベッドに横になったままできる限り精一杯長く息を止めるのを繰り返し「うっかり窒息死してしまえたら」と子供じみた自殺未遂を試み続けていた。 

次に死にたくなったのは高校2年生の時だった。

高2病とも言われるような、人生を斜に構えて無気力に過ごしては自身無力感に苛まれていた。

次第に学校もやや不登校気味になり、気が付けば「皆が真面目に勉強している中でフラフラ遊んでいる」というレッテルを貼られ、

たまに教室に顔を出そうものならクラスメートだけでなく教員たちから厄介者のような扱いを受けていた。

そんな時、家の薬箱から母親が昔飲んでいたらしい薬局の袋に入った睡眠導入剤を見つけた私は、

「これをたくさん飲んだら死んでしまえるかもしれない」と袋に入っていた束になったシートから錠剤を全て取り出して震える手で飲み干した。

どくんどくんといつもより大きな鼓動を打つ心臓が、自分死ぬかもしれないという不安と緊張と少しの期待のせいなのか、

それとも単純に薬の副作用だったのかは分からないけれど、私は暴れる心臓の音が家族に聞こえないように自室の中で布団に包まっていた。

暗闇の中で止めどなくほろほろと溢れる涙を流しながら、その時を待っていた、そして私の意識は途絶えた。

翌日、私は何事も無かったかのように、いつも起きる時間よりもだいぶ早くに目が覚めた。

遺書も残さず、数少ない仲の良い友人にも何も言わずに突発的に試みた自殺未遂だったけれど、

拍子抜けすると同時に、あれこれ残したりせずにして良かったと安堵していた。

まだ誰も目覚めていないキッチンに行って水を一杯飲んで、違和感を覚えた。

かめるように冷蔵庫に入っていたオレンジジュースを飲む、味覚が無くなっていた。

冷汗が止まらず、ただただ「どうしよう」という言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。

自殺しようとして薬を沢山飲んだら味覚が無くなってしまった」などということを誰かに相談する訳にもいかず、

しばらくは生きた心地がしないまま、味のしない食べ物咀嚼するのはまるで砂や泥を食べている気分で、誰にも気づかれないように胃に押し込むことにひどく苦労した。

結局、三日も経たない内に味覚は元に戻るのだけれど、この時に「次に死ぬなら確実に死ななければいけない」と心に誓ったのだった。

 

次に死にたくなったのは22歳、大学留年した時だった。

真面目な学生では無かったけれど、なんとなく大丈夫だろうと思っていた淡い期待はあっさりと裏切られてしまった。

一応サークルには所属していたけれど、ほとんど活動に参加していなかった私は、文字通り大学一人ぼっちになってしまったのだ。

そんな私の唯一の心の拠り所はSNSの顔も知らない友人たち、その中でもとりわけ"メンヘラ"とカテゴライズされるような人々との交流だった。

最初は寂しさを埋めるためのアイテムだったはずが、尊大希死念慮に苛まれて生きるダメな人たちの存在可視化されることは私の良くない考えを加速させていった。 

あの頃を思い返すと、死にたかった、というよりも、いつ死んでもよかった、というのが正しかった。

私は名前も知らないおかしな人たちと浴びるように酒を飲むことも、サイケデリックな色をした「海外製」とだけ言われた錠剤をスナック菓子のように口へ放り込むことも、

そのまま外に飛び出して狂ったように遊びまわることも、怖いと思うことは何一つなかった

素面でいたくなかった、誰かと過ごしているようで、感覚けが宙に浮かび、幻覚の中を彷徨って倒れこみ、自分を取り囲む影と会話して過ごした。

路上はもちろん、駅の医務室や知らない人の家で目覚めることも日常茶飯事だった。

裸で目覚めて隣で眠る見知らぬ人を起こさないようにベッドを抜け出し、最低限の服と荷物だけ持って逃げ出したこともあった。

 一方で大学がある日は真面目に授業を受けていた。

離脱症状でガタガタと震えながら、倒れないように机に噛り付いて授業を受ける様は正しく狂人だったと思う。

ただ「死のうと思えばいつでも死ねる」ということが確かな心の支えになって、私は人より一年だけ多く掛けて大学卒業することができた。

真っ先に死ぬと思われていた私を残して、大学時代の悪友たちは4人が亡くなり、2人は隔離病棟入院していると風のうわさで聞いた。

 

気がつけば30歳を目前としている、生きてしまった、生き延びてしまった。

私は死ねなかった、自分長所や得意なものというのは思い浮かばないが、死ぬことは特別下手なようだった。

それどころか真っ当に就職して、結婚し、子供にも恵まれた、人は私のこと見て「幸せだね」と言うようになった。

ただそれでも「死にたい」という心の底に燻る感情は、初めて認識した時から今のこの時まで片時も消えてはいなかった。

から私は今夜も、精一杯長く息を止め続ける、「一度ぐらい上手くいきますように」と願って。

2020-07-18

少し酔っ払って帰った夜

猫を撫でてやるといつもよりごろごろ鳴く

大変気持ちよさそうに鳴いてから、にゃーごする

不思議なことに、酔っ払って帰った夜はいつもこうだ

手先の動きが細かくなるのだろうか。

普段より毛先や毛の流れを感じやすくなるような気がする。

ここだな

ここで焦らす

ここでにゃーごからゴロゴロご褒美

そして猫ちん陥落

ここまでいけば最高だけど、なかなかに難しい

自分が酔っている時は、素面の時よりもにゃーご難易度が下がる気がする。気のせいかもしれないけど、全然関係ないわけでもない気もする。でもやっぱり気のせいかもしれない。

はぁ、もうたまらん、もうどうでもいいから、お腹に顔を埋めて寝たい(もちろん、猫が許してくれない)

やめろよって繰り出されるキックがまたいいんよなあ…

はあ、もう、ねこたまらん

2020-07-16

妖怪に遭った話

オカルトではないが私は妖怪の話だと思っている

特定性別や嗜好や趣味なんやかんやを叩く為に書いてはいない

夏に遭った妖怪がおり、未だ夏になると思い出して気分が沈むのでネットの海に流して供養したい、そういう話だよ

オカルト話を期待した人はごめんね



悪魔



趣味を同じくする友人らと遊んだ帰り道、此方を見て悪魔だと罵倒する爺に遭遇した。

一行で済む話なのだが、供養であるのでもう少し語りたい。語るね。


その当時私は二十歳手前くらいの年頃だった。

高校生活は闇色を煮詰めた肥溜めのような暗鬱たる日々だった。要するにカースト底辺のクソ陰キャだった。

しかインターネットを通じて共通趣味を持つ他人と出逢い、親交を得て、なんだ生きるの楽しいじゃん、広いじゃん世界インターネットありがとう、という救済を得てもいた。

インターネットの海は広く、必然的現実世界での住所は遠い事が多く、オフ会となれば一大イベントだった。

少なくとも当時の私にとってはそうだった。

大学には行かず就職をする道を選び、そこで働いて得た給料を握り締め、バスに乗り電車に乗り飛行機に乗り、初めて『友達に会いに行く為のひとり旅』を経験した。

うきうきとわくわくでいっぱいだった。


冒頭に一行で纏めた『趣味を同じくする友人らと遊んだ』というのは、つまるところこの『オフ会』の事だ。


集まった面子と一頻り語り合い、飯を食べ、ショッピングに興じ、おやつを食べ、カラオケで歌い、プリを撮り、オフ会は至極健全に盛り上がり、感極まって泣く程楽しかった。


宿を取っていたので、いや、旅行からまりたいじゃんね。日帰りはやってやれないことはないが、余韻に浸る時間が欲しかろう。欲しかったのだ、私は。

ビジホの一室でひとりゆっくりとこの日を噛み締める為の時間が欲しかった。

泊まっていきなよと言ってくれる面子も居たが、それは畏れ多すぎてできなかった。比喩でなく嬉しさで爆発して死ぬと思った。

じゃあ次に逢う時はうちに泊まってねと言ってくれたその友人に、(また逢えるの!!!!????来てもいいの!!!!!!????)と内心で爆発しながら頷いてハグをして手を振った。


その、帰路だ。


とんでもなく楽しかった、私の青春は今からなんだ、皆やさしくて面白くて素敵な人達だったな、等というような幸せに酔いながら人気のない暗い夜の道をひとり歩いていた、その時。



前方から自転車が走ってくるのが見えた。

幸せに酔いながら歩いていた、とはいえ、そうかそれでは道の端に寄って自転車の通行を妨げないように歩こう、と思う程度には素面だった。

素面だったが、酔ってもいた。


道の端に寄って歩きながらも心は此処にあらず、楽しかった思い出ばかりを反芻していた。

であるからして、自転車を漕いでいるその人物が割と結構な声量で何か言葉を発しているらしいと気が付いたのは、すれ違うまさにその手前だった。


ところでそのオフ会というのは、ゴスロリを愛好する者達の集いであった。

ゴスロリの是非だのなんだのについてはここでは省く。

そして私は自分が着るならばゴシックが好きであった。


初めての友人と初めてのオフ会

しかもその友人らは趣味が同じ。

誰も私の服装嘲笑しない。

それどころか、皆が皆思い思いに目一杯ドレスアップして集う。

加えて、何より、若かった。


要するにこの日の私は勿論どえれぇ気合を入れたコテコテゴシックファッションに身を包んでいたのだ。化粧も然り。

ゴシックとか言われてもよう解らんという場合概念的な魔女想像して頂ければ、それで解釈はふんわりと一致する。


自転車に乗ったその人物はすれ違いざまこう言った。




悪魔!!!!!!!!!!!!




言われた私はこう思った。




魔女ですけど!!!!???)




しかながら見知らぬ爺にすれ違いざま大音量罵倒されるという体験は思い返す限りこれが初めてであった。

まりに驚いたものから足を止めてその爺が去りゆくのをぽかんと見送る格好になってしまったのだが、すれ違い終えて去りゆきながらもまだ尚爺は此方を振り返り振り返り、私を罵倒し続けていた。

否、爺が罵倒していたのは私ではなかった。私を通して何か概念的なもの罵倒し続けていた。


悪魔チリン)、女(チリン)、売女チリン)、悪魔チリリン)、女(チリン)、悪魔チリン)、悪魔チリン)、悪魔チリン……)……


夜の小路罵倒ベル音を響かせながら去ってゆく爺。

通り魔に遭った気分だった。


しかし私は魔女なので、えぇまぁ売女ではないのでそこは否定しますけど悪魔だったり女だったりはしますね…???????????????


という気分でもあった。

けがからなさ過ぎてそういう妖怪なのだと思うことにして正気を保ったのかもしれない。

私という個人罵倒していた訳ではなかったからかもしれない。

元より私の好むファッション一般には受け入れられにくい傾向であることと、虐げに慣れきった高校生活も一因としてあったのかもしれない。


当時の私はこの爺が一体何であるのか全く解らなかったのだ。ただ辛うじて、爺の見た目をしているから爺だということだけは解った。

結果、この爺には妖怪悪魔爺という名がつけられた。私の中で。


この妖怪悪魔爺はそれから数年経った今でも夏のこの時期になると私の心の中に勝手に蘇り、なんとも言えず遣る瀬無い虚無感を齎してはベル音を響かせ去っていく。


嘘だ被害妄想幻覚だなんだと言われるのも辛い気がしたのでこれまで誰にも言わずにいたのだが、例のポテサラ爺が現れたことにより、おそらく同類妖怪であろうこの悪魔爺の話もネットの海に流して供養したく、こうして記事を書いている。


来年からは私の頭の中に勝手に蘇らず、もういい加減成仏してほしい。

2020-06-15

今日、ひっさびさに居酒屋サイゼリアに昼行った。

しかし、今日立場運転手

ビールも無けりゃマグナムも無い。

しか無いなと思い、おつまみメニューはほぼ頼まず、ピザパスタ系の主食メニューのみ。

これはこれでもちろん旨いんだけど、やっぱ物足りないんだよ。

店出る時、ノンアルコール素面だったからか、油の胃もたれ感とかを感じたり、しばらく来ないでも良いかな…って思ったけど、夜呑んでて思い出したらやっぱプロシュート・辛味チキンポップコーンシュリンプエスカルゴモッツァレラトマト辺りでビールマグナム白をキメたいって思ってる。パンチェッタピザとか食べて、〆にイカパスタをキメる。これを1人でやるのが最&高

また行こう。

2020-06-05

anond:20200605051308

追記

眠気から文字を拾っては書き、拾っては書き、素面では考えてないようなことも書いた気がします。

私の地球にはHLなんて言葉は「まだ」ありませんが、HLという言葉が生まれたこともまた男らしさや女らしさのように尊いと思えるようになりました。

毒を吐き切ったのかもしれません。

NLと呼ぶことのエモさもわかってほしいし、HLと呼ぶことのエモさも(あるのであれば)わかりたいです。

ただ、これきのこたけのこなみに分かり合えない気がします。HLはNL共存することはなく、取って代わろうとしていますpixivで両方のタグをつけて好きな方を追えば、そのかわり絶対両方つけようね!って言わない限り認め合うことはできないのかもしれません。

人間は滅ぶべきかもしれません。

おやすみなさい。

2020-05-26

anond:20200525185824

ブスと書いたのはブスという容姿・特徴に言及しただけで別に悪く言ったわけではない。おおうこれ素面で言ってるのか。天才か。

この増田頭悪いっていうか気狂いだな。

注:ここでいう「頭悪い」「気狂い」はあくまでも増田状態客観的記述したものであり、何ら価値判断を含んでおりません。つまり悪口ではありません

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