はてなキーワード: 父権社会とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/76e97329d9e950b9a3b32d23a1595e89e579ad9f
Newjeansをマリトッツォとかなぁぜなぁぜ扱いしているところがまず誤解です。
正直、あたしはニュジが日本の若者に流行ってるかどうは知りませんけど
去年デビューしてからというもの、とっくに世界で評価を得ています。
日本のおじさんが注目したからって廃れるような「ブーム」ではありません。
aox 毛がめっちゃ長いですね
一定期間活動してから次の曲に向けてまた潜伏というのを繰り返します。
その都度、ヘアメイクを次のコンセプトのものへチェンジするので
triggerhappysundaymorning K-POPのアーティストって性的を売りの一つにしてんじゃんよw 単におっさんがキモイって差別したいだけでしょ?いやま、おっさんは当然にキモいのだけれども。
じつは韓国のファンダムは「性的」という部分に関しては繊細なほど敏感で
よく性的な振り付けが問題になって禁止になったりしていました。
Newjeansに関してはデビュー当時、「幼すぎる」と批判がありました。
このENCOUTの記事があえて煽って書いているだけで
発端となったTweetは「特定の人物に向けて言っている」と明言しており
https://twitter.com/suruli/status/1693184305382724028
https://dinvia.diary.to/archives/22104716.html
K-POPのアーティストやファンを見下していた宇野維正なる人物が
「NewJeansサイコぉ~」「NewJeansの3年後を想像したくない(ドヤ)」
と急にマウントを取り始めたためK-POPファンダムが困惑したという一幕があったようです。
そのような前提があっての今回の一連のTweetを「ENCOUT」というイナゴメディアが
いかにもおっさん叩き、新参叩きという感じで煽り立てて書いてしまったというのが現状です。
(勿論、発端となったTweetも決して褒められた表現ではありませんが)
sekiryo おじさんという物に穢れと蔑視を付与して叩いて快感を得てるんだから若い女性に性的な眼差しを向けると主張している事とやってる方向性は同じだよね。「おじさん」の性的消費じゃん。
metaruna 今の世の中で唯一叩いていい存在、それがおじさん。かわいそうランキングが低すぎる。なのにいまだに父権社会とか事実無根のいちゃもんつけられて叩かれる存在、それがおじさん。
dusttrail 子供(最年少は15歳)をエンタメ消費する時点で誰しもが目糞鼻糞ではないの?そんな、「私の消費は良い消費、おじさんの消費は汚い消費」みたいなこと言われても。
したがって、このような「おっさん叩き」と受け取ったコメントは誤解です。
また、以下のような「新参叩き」と受け取ったコメントもすべて誤解です。
doksensei なんというか、全てのファン/オタクはアル中(アルフィーファン)を見習え、と思うな。新規いつでも大歓迎!みたいな懐の広さと柔らかさがある
zubtz5grhc ルールを知らない新規と厄介な古参との対立なんてどのジャンルでもあるある。叩く対象が中高年男性ならば安心して記事出せるし絶賛される。これが女性や若者が対象だったら許されないけれど。
pitti2210 別にJ-POP知らなくてもPerfume聴いていいと思うし、K-POP無視してNewJeans聴いていいと思うけど、おじさん名乗ったり加齢を拒否するのはひたすらキモいと思った。
正直、一K-POPファンとして今回の騒動は迷惑でしかありません。
もっと言えば個人的にはべつにK-POPファンダムなんて無視して
NewJeansだけ聴いててもいいし、そんなもんは自由です。
むしろいままで見下していたものが良かったとき素直に「良い」といえるこの方は
素晴らしいと思いますよ。
napsucks ぱっと見右側の2人が等身大パネルに見えた
だから何だよw
お、おーすとらりあに同名に寿司屋があるんよ。
そこのことだから!
そうなんだよな。認知の歪みというけど、それは果てしなく深く社会に浸透しているから、矯正するとしたらほぼ全ての本は焚書、文革レベルじゃ生温いほどの文明リセットが必要になる。
んで、そこまで徹底的なリセットかましたら人間のよるべは肉体と本能しかなくなって、今よりもっと強固な父権社会になったりしてな。
ラディカルさは理想の言及においてレトリック的に必要かもしれないけど、実際に社会を改変しようとするにあたっての戦術が原理主義一辺倒ではすぐ詰むよね。
それを分からないでやってんのか、分かってても「許せん」という感情が先立って止められないのか知らんが、一言で言うと「下手くそかよ」と思う。
「会社の人間関係の中で女性を廃した男子会を行うと、その男子会の席で会社の何らかの意思決定や合意形成が行われる可能性があり、そこに参加できないということは会社の中の活動で女性が不利になるということなので差別である」ってのが言い分でしょ。
もちろん男性側は「ただの飲み会(あるいは食事会)だよ。会社のことを決めたりしないよ」とは言えるんだけど、それって証明するのが非常に難しい。たとえ会社のことを話さず、笑い話で盛り上がったとしても、それで会社所属の男性の個々人の心理的な距離が縮まり、次に何らかの機会で仕事を任せるとき、女性社員よりもその親しくなった男性社員に任せようとする心理的な影響力がゼロだってのは、証明不可能だ。
もちろん会社内の女性が女子会をやっても、上記の理屈の男女逆転した指摘は出来るんだけど、その点についてはラディフェミの父権社会論によって「男性側から女性側への指摘は無効」ってことになってるんで、男性社会のホモソーシャルだけが一方的に問題である、と。
法的な面で男女同権を推進したリベラル・フェミニズムを越えて、ラディカル・フェミニズムが目指したのは暗黙の圧政を行う父権主義的な保守文化の是正だった。日本的な感覚で言うと、文化ってのはふわっとしたもので責任者が居ないわけだけど、欧米の場合は事情が異なっていて文化の責任者は宗教的な権威、当面の話で言えばローマ法王庁だ。
だからこそ、フェミのある時点のゴールは、法王庁から男女同権を認めてもらうことだったし、LGBTのゴールも法王庁からお墨付きをもらうことだった。日本人からすると奇妙に聞こえるけれど、そこに(当面のではあっても)終着点があるから、権利運動として終わることができた。全員が終わるわけじゃないんだけど、矛を収めるタイミングとでも言うべきものがあったわけだ。
日本には法王庁に相当するような「日本人全体の文化的基調を監督する、お墨付きを与える組織」が、一般的にはない(ことになってる)。だから闘争が終わらないし終結宣言も出せないんだが、唯一それに類似した機関が、東京都青少年健全育成審議会だ。ここは「父権社会がその暗黙裡の搾取精神を持って、あたかも女性が性商品であることを認めるようなみだらな商表現をしてきた」現在を、規制する能力がある組織だ。だから、この審議会で規制を強めれば強めるほど、ラディフェミ的には勝利度があがる。
今は我が国には第二の法王庁があるのだ! 最もこっちの法王庁は女性そのものの権利を保護も推進もしない。(ここではその正しさをとわないが)基本的に表現物を規制するだけだ。しかし、それが日本の学級裁判フェミニズムと最高に相性が良いのだ。ま、そんな東京都青少年健全育成審議会からみても最近規制してるものの多数はBLなんすけどね。
発生当時の時代状況と欧米の文化においては、まあ、意味はあった、のかなあ。そのへんは論者の評価によるけれど俺個人は意味があったと思うよ。
そもそものはなし欧米の文化のベースである一神教(ユダヤ、キリスト、イスラム)において、神は「父なる神」だし、イブはアダムから作られた劣化神造人間だし、ノア(男性)が家父長であり一族のリーダーだと神からはっきり示されてるわけ。つまり、文化の大前提として家父長制=男性優位社会がインストールされてるわけよ。アメリカ南部の教会ではつい最近まで「女性にはテレビとラジオを禁止しておけ、娯楽をあたえると家事をサボるようになる」とかそういう説教を牧師が言ってたとか、まあすげえわけ。
当時はリベラル・フェミニズムはもうすでにあったわけだけど、女性参政権程度じゃ、文化や宗教の制約(つまりは既存社会の慣習)が打破できなくて、そこで、血に飢えた狂戦士みたいなフェミソルジャーを戦線に投入して食い破らなければいつまでも家庭内家事奴隷だろみたいな思惑もあった。宗教的権威に対する挑戦であり、血まみれで戦わなきゃ一歩も前に進めねえので、そこでラディカル・フェミニズムなわけよ。「父権社会によって長い年月をかけて洗脳に近い刷り込みをされた女性は女性自身も気づかぬうちに搾取されてる」「全ては父権社会と権力勾配が悪である」「女性は無給家事労働者とか公的な娼婦として隷属化させられてる」あたりの思想で、「既存の男性主導文化そのものを打倒」しようとしたわけだ。その歴史的経緯を踏まえないと、ラディカル・フェミニズムは理解できないとおもう。
なんつうか、もうこの時点で天照が女神で天鈿女命がおっぱい揺らすとノコノコでてきちゃう日本民族的には理解しがたいのよな。とは言え、「俺には理解し難いんでお前らのやったことは全部無意味で無価値」とはいいたくないんで、だから前述の通り「個人的には意味があったと思うよ」なわけだけど。
だから、そういう状況で戦った女性はそれなりに道理もあれば正義もあったわけ。
上記のような宗教的抑圧の地獄で発達した過激思想を、現代の恵まれた(この恵まれたって言うのに和フェミの皆様方は噛み付くわけだけど、上の記述を見てそれが理解できないのは馬鹿だと思うのでもう話したくない)日本の女性社会において、ラディカル・フェミニズムってのはもう圧倒的に過剰で馬鹿げた思想なわけよ。でも、男性叩きの理論的背景には便利だから、遊び半分でネットのキチガイどもが振り回してるってわけ。
フェミニズムの歴史を学ぶとわかるんだけど、宗教(この場合キリスト教)とすごく密接な関わりがあるんだよね。キリスト教は欧米の生活文化の基盤だし、そのキリスト教は強い父権社会の価値観を持つ宗教だから、つまり欧米社会=父権社会=男性社会であり、それに対する反発と改善の意識がフェミニズムの方向性を決めてきたって構造。
でも日本では、キリスト教の価値観がそこまで民衆のなかで内面化してないから、フェミニズムはどうしても「戦う相手が居ないのでサンドバッグを探してうろつきまわる狂犬」みたいになるんだよ。宗教を持ってないのにそれを防衛するという意味では保守なんだけど、それってやっぱり宗教じゃない。
若干話題が古いけど、こういう対談がある。
「アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈 https://www.huffingtonpost.jp/2014/08/07/anayuki-genron_n_5660493.html
ざっくり要約すると「アナ雪は女性だけで解決してしまい、クリストフはただの業者扱い。男としては疎外感を覚える」というような内容。
>「わざわざ男いらないって強いメッセージを出している。なんでそこまで王子モデルを攻撃しないといけないのかと」
クリストフは王子様じゃないけれど、誠実で素朴ないいやつだ。孤独な変人だけど、仕事と家族を大切にしている。
そこらの王子様モデルよりよほど親しみが持てるし、ありのまま、人間らしく描かれていると思う。
ただ役回りが脇役で、「なんでも解決できるヒーロー」ではないだけだ。
そのクリストフを「業者」と呼んで、アナ雪を男の「排除」「攻撃」と感じる男性の心理っていったい何なんだろう???
◆
個人的に、「アナ雪」は「男いらない」とは言っていないと思う。ただ「ヒーローの男はいらない」と言っているだけだ。アナもエルサも自分たちの問題は自分たちで解決したいし、しなきゃいけない。
ヒーローの男がいると、女は人形みたいなプリンセスとか、救われる村娘Aとか、後列で回復呪文を唱える係とか、とにかく救済されたり、弱者だったり、よくてサポートの役回りを演じさせられる。物語のラストには弱い自分を救ってくれたヒーローと恋に落ちて、結婚するまでが一連の流れだ。まるで舞台装置か優勝トロフィーみたいに。
そういう王道ストーリーを完全に否定するわけじゃないけど、もう古いよねっていうのが今の時代の流れだ。
古い性役割を「抑圧」と呼んで壊そうとするのが昨今のウーマンリブであり、ディズニー作品はそういう社会を反映している。
自分の問題は自分で解決できるのだという確信、主体性を持つこと。
期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧からの解放だと描くこと。
それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。
(私個人としてはアナ雪はそんなに好きじゃなかったけど、こういう社会問題をいち早く取り扱って幼児向けのエンタメにできるディズニーってやっぱすげえなと思う)
◆
そんな感じで「脱プリンセス・ありのままのわたし」運動は着々と進むのに対して、「脱ヒーロー・ありのままのおれ」運動は全然進まないように見える。
こっちの此岸では「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」を火にくべ始めたのに、
あっちの彼岸では「強くて賢くてなんでも解決できるヒーロー像」を街の中心に据えて崇拝し続けているように見える。「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」も現役アイドルだ。
だからそのヒーロー像、プリンセス像を正面から否定してみせた「アナ雪」に、対談の男性たちは反感を覚えたのかもしれない。
男性社会の最高神である「ヒーロー像」を否定することが、まるで「男という性別」への攻撃のように感じられたのかもしれない。
ただ思うのは、脇役のクリストフこそ、「ありのままのおれ像」なのではないかということだ。
確かに、そういう強いヒーロー像を崇拝する男性社会はこれまで人類史で栄華を誇ってきて、結果も出してきた。歴史があるし今も続いている。
だけど、すべての男性がヒーローになれるわけではない。弱い人、賢くない人、色んな事情を持った色んな人がいる。そこを配慮せず弱者を切り捨て、マッチョイズムだけをよしとする社会は公平さに欠け賢くない。
ヒーローの強さだって言っちゃえば暴力だし、そんなのこの21世紀にアナログすぎる。
だから多様性の時代になってるわけだし、弱いものに底上げが必要なんだと思う。アファーマティブアクションってやつ。女性もそうだけど、いわゆる「弱者男性」だってそうだ。誰もが自尊心を持って生きる権利がある。
多くの男女の自尊心を削る「ヒーロー像」「プリンセス像」は一度打ち壊して、火にくべるときが来た。父権社会の解体が、今世界的なムーブメントになっている。
◆
男性はどうも「モテ」に固執してしまうふしがあるようで、女を「モノ」にすれば「男になった」と認められるような悪習がある。
まるで男が自尊心を得るには、女の人権をかすめ取らなきゃいけないみたいな言い方だ。
より多くの美しい女を取得することを自己価値のバロメータとして、他者と比べあい、自分をいじめるみたいな悪癖がある。
女性もそういうことは普通にするけど、男性のそれは比じゃないというか、ちょっと理解の範疇を超えてくる。
そこには生物的な性欲の違いや繁殖欲だけでは説明しきれない、人間的なドロドロとしたもの、文化形成された支配欲や加害欲と入り混じった、「女」への憎悪・悲哀・妄執を感じる。
そういう恋愛観のまま接するからお互いうまくいかなくなる。女からすればそういう男は背後に暴力性がちらついて見えるわけで、嫌悪感や恐怖感が出てくる。性行為と性暴力って全然別のものだと思うのに、相手はしばしば混同しているように見える。
そもそも自尊心や自己肯定感というのは、自分の中で育てるものだ。社会的地位や容姿、「モテ」「非モテ」と関係なく、無根拠に持っていていいものだ。自己価値は異性にアウトソーシングして調達するものではない。
やはり男性も、「ありのままのおれ」になるときだ。「男らしさ」から解放されるときなのだ。
◆
「Metoo」や「女性専用車両」や「女性だけの街」、性犯罪やジェンダーの話題はとにかくネットで炎上しやすい。
そのときの会話の噛み合わなさに、いつも此岸と彼岸の隔たりのことを思う。見えているものが違いすぎると思ってしまう。「女性専用」という言葉や、性犯罪者の告発に怒り狂う男性たちはあまりに不可解で、言葉が通じない恐怖がある。
「すべての男性が性犯罪者ではない。俺を犯罪者扱いするな」というのがよく言われる意見だ(ノットオールメン)。しかしそんなことは自明なわけで、誰も「男全てが性犯罪者だ」なんて言っていない。
なのになぜ自分を「男性」という共通項のみで性犯罪者側に寄せ、「俺への攻撃だ」と思い込んで怒るのだろう? 同じ「善良な市民」という共通項で、被害者女性側に寄せ、性犯罪者に対して怒ることはできないんだろうか?
もちろんそういうことが自然にできている男性もいるが、現状では少数派に思えるのだ。
そういった怒りの背景には内面化された強固なホモソーシャルの価値観や、ミソジニーや、「ヒーロー像」へのコンプレックスがあると思うのだが、ここらへんを掘り下げた男性自身の話はあまり聞かない。
男社会で男であるということは、特権であると同時にプレッシャーでもある。うまくやれればまだいいが、うまくやれない人はやはり苦しい。
男社会ゆえの苦しさを、男社会ゆえの特権でもって、女に加害したり、女に癒されようとしているように見える。そうやって留飲を下げる男性たちは歪んでいるし、やはり何かに呪われているように見える。
脱線したけど、そういったヒーローになれない男性が救われるかどうかは、男性の意識の問題なのだと思う。
「ヒーロー像」を手放すこと。「プリンセス像」を押し付けないこと。
クリストフみたいなキャラクターを否定せず、「ありのままのおれ」を受け入れること。自分と同じように、他者も尊重すること。
旧来の「男らしさ」にとらわれて、自分を大きく見せようとしたり、誰かを貶めないこと。ささやかな自分自身の中に自尊心を見出すこと。
そのへんが大事なんだと思う。
ツイッターの観測範囲だと、そういう呪いを手放して楽になった男の人も散見するようになった。今は過渡期なのかも。
男だ女だって主語デカイ話書いたけどみんな楽になればいいのにな。いや理想論だけど理想のないリベラルって存在価値あんのか? 民主主義だって奴隷の解放だって女性の社会進出だってかつては理想論だったやん??って思う(このへんルトガー・ブレグマン著『隷属なき道』にくわしい)
マイケル・キンメルatTEDWomen 2015
産休制度を拡充すべき→会社は産休でいなくなった人員の代わりを手配すべき→労働者個人の能力に依存しないチーム作りを職場で進めるべきっていうフェミ側の話はよく判るし、「個人能力に依存しないチーム体制」ってのは近代的な職場づくりそのものだとおもうので賛成だ。
でも、それってそのまま(年俸制などの外資的なものを含む)契約社員+派遣社員での職場構築だよな。
正社員+終身雇用+年功序列ってのはフェミの打倒すべき父権社会、男性社会によって維持されてきたシステムなわけだから、フェミニズム的にはそれらの制度も打倒対象にしなければいけないんじゃないのかなあ。そのへんの彼らの言い分ってのはどうなってるんじゃろう?
「男性が悪い」って話じゃないんだよ。それから社会体制の優劣の話でもない。
人類の歴史の大部分において一番重要な能力は個人戦闘能力だったんだよ。夜間安全に眠るにも食料を得るのにも、個人の戦闘能力が担保になっていた。その一点において男性は女性にはるかに優越していた。テクノロジーの進歩によってその前提が崩れたり、また個人戦闘能力によらず食料が入手できるようになったのは、人類の歴史の中でごくごく最近、0.01%以下の期間だよ。
その戦闘能力格差が原因で人類の社会体制の多くは父権社会優勢で男性がイニシアチブをとって形作られてきた。これはだれがどういう主義とかじゃなくてただの事実確認にすぎないわけで。
最近のWebフェミとか大嫌いだけど、この辺の経緯は普通に事実でしょ。そこをごまかして「フェミはだからバカなんだ」とか言っても始まらないよ。
そもそもフェミは強者男性を叩かず弱者男性ばかり叩いてる!ってのが被害妄想から来る事実誤認。フェミは強者男性の方をより強く叩いているのにそれが見えないのか?
たとえば、いま無職の(主婦を含む)女性がどんどん雇用されたとするよね? 男女同権で素晴らしい!
その時、雇用を奪われるのは年収800万円クラスの男性かな? 年収200万円クラスの男性かな?
答えは明らかだと思うよ。コンビニバイトとかの底辺雇用が雇用戦争の主戦場になるんだよ。
フェミニズムはその理念的にも言論的にも父権社会的な強者男性を叩くけれど、それは口先だけで、雇用面では結局弱者男性の職場を奪う。それが悪いとは言わないよ。弱者とはいえ、いままで男性が優位だったのは事実だろうし。
ただフェミニズムの人が「叩いてやりました」と胸を張るほど強者男性は苦痛も問題も感じないよ。路頭に迷うのはパートと雇用市場がかぶった弱者だけ。
本当に事実誤認なのかな?
批判されるべきかどうかじゃなくてただ単純に悪手なんだよ。
フェミニズム的には「今の社会には問題(男性優位)があるんで変更したい」わけ。でも、フェミニズムってのは勢力的には現在小さいんだ。というか、小さいから現在社会はこうなんだ。弱者側なんだよ。
ってことはフェミニズム主張の願いをかなえるためには、他の様々な勢力と協力し合って一時的にでも発言力を増していかなきゃならんわけ。
その時に「フェミニズムは女性の格差問題が専門なので男性弱者問題とか知りませんよ」なんていってたら、それは政治的に悪手だよ。ましてや「男性は今まで言い目見てきたんだしざまあ」とかいったら話まとまらん。
だってどう考えたって「女性だけを救う」よりも「経済的社会的な弱者全てを救う」のほうが優先問題だし、賛同者を集めるのに都合がいい旗だもの。だいたいの話、むしろそっち(格差社会)が今の日本の社会情勢から見れば平等問題の本流であって、フェミは亜流に過ぎない。本流に泥かけてちゃ運動が立ち行かないよ。
フェミニズムがとにかく男にかみついてスカッとしたい狂犬病のたわごとではなく、本当に男女同権を目指す真摯な運動であれば、せめて「男性の中にも不当に搾取される経済弱者がいるのは、父権社会のゆがんだ責任制度がブラック企業などを生んでいるせいです。男女同権運動をはじめとする雇用問題対策に取り組むことによってフェミニズムは格差是正に貢献できます」くらいのことはいうべきなんだよ。それが本心かどうかは別にしてもね。
eirun:弱者男性が主に言ってたのは「ほっといてくれ」だと思うんだが。「フェミの攻撃する脳内男性像に僕らは含まれてないよ」でもある。「女を当てがえ」なんてみたことないぞ。
zyzy:トラバのツリー元くらいは読もう。「弱者男性を放置して無視するからフェミは嫌われる」論の典型をかましているぞ。つまり少なくとも「ほっとくな!」はすぐそこに書かれている。ここの意見はそれが前提。
詳しく書いてみるけれど
1)(日本の狭義の)フェミニズムは「父権社会の歴史とその成果たる現代社会において、男性は女性から搾取をした結果、地位や賃金や待遇(とそれを支える社会文化)を得た。そんな優遇存在である男性どもをぬっ殺して女性に権利を返還せしめよ」みたいなことをいう。
2)1の意見における「男性」という主語は、強者男性も弱者男性も区別をしない。男性だというだけでひとからげに有罪で抹殺対象である。
(なお、zyzyさんのいう「弱者男性を放置する」はこの区別しないで殺すというスタンスだ。「弱者男性がいるという問題から目を背けて男性という主語を大きく運用している」ことが問題であり、その「弱者男性がいるという問題から目を背けている」のを「放置」と表現したわけだが、実際には「男性だったらどんな人であれ放置せずにぬっ殺しに来ている」ので、表現が逆なのだ。ここが誤解のポイントだ)
3)2における大雑把な主語運用に、弱者男性は疑念(とまあ不満)をもつ。「僕らそんなに優遇されてないんで強者男性と一緒にしてほしくねえです」。歴史上どういう経緯があったかはわからないが、現に終身雇用も男性優遇雇用の恩恵も受けてはいず、収入的にも男性の優位とは言えない境遇の男性は存在する。
4)かといって別に「弱者男性だけを選んで」しかも「フェミのひと」が率先して「特別に救ってほしい」わけでもない。
(気遣いを求めているのは性別とは無関係に人権的な扱いでありそれは社会全体への福祉要請ではあれ、フェミだけに特別に頼むつもりはない)
5)じゃフェミに願うのは何かというと「その大雑把な主語運用はやめてくれ」、「ほっといてくれよ」くらいになる。
(この「ほっておいてくれよ」は先の「放置」とは意味合いが違い、「君らが社会敵として敵視している『父権社会の権化』ってのは強者男性なんだから、弱者男性であるおれらは「ほっといてくれよ」。つまり、主語部分を的確に運用してくれよという意味だ)
――こういう議論の展開であったと思うし、弱者男性(と言えるかどうかはわからないが未婚で係累や出会いのない男性)の一人として、事実3~5のように感じている自分がいる。
よくこれだけの事をお認めになったと思います。
そして暴力を振るわれた人間が暴力に恐怖し憎悪するのは殆ど不可避の事であり、
それ自体なんら恥ずべきことではなく、それでも尚己を責めて恥じ入ってしまう事も不可避で、
にも関わらず「考えすぎだ」などと被害当事者に責任転嫁する外野の態度は暴力を加担していると同時にそれ自体が暴力です。
その線において元増田さんはなんら間違ったことを言っていないと思うのですが、
男性が暴力の主体であり女性(自分)は収奪される弱者であるという前提。
元増田さんは、すべての男性は頭が悪いと書いていますが、これは全ての男性は強者であるという意味だと捉えました、違っていたらすみません。
しかしこの発想の行き着く先は一つではないでしょうか? それは暴力による教化の肯定です。
言い換えれば、暴力を、暴力による恐怖を廃絶する為に暴力(男性)に頼ろうという発想。
凡そ父権社会とはそのようなものだったのだろうなと推測致します、曰く「男は強くあらねばならぬ」
でも考えてもみて下さい、暴力に恐怖しない強さを人に求める行為というのは、ちょっと暴力以外の何物でもないでしょう?
それは暴力の被害にあった女性に自己責任を求める態度と相似関係にある発想です。
先述したように「強くなれ(お前は弱い)」という言葉こそが権力を産み出すものであり、それ自体が暴力なんだと思います。
ならどうするか?
幸いな事に、災いな事に、この社会は有形無形の暴力に溢れています。
元増田さんと同様に暴力に傷つき疲れた男性というのは沢山居るはずです。
その人はきっと元増田さんが抱えている暴力への恐怖や嫌悪を当然のことだと言って受け入れてくれる事でしょう。
そしてそう言う他者は多分貴方のすぐ近くにだっているでしょう。
どうぞ良き出会いを。