はてなキーワード: ポップスターとは
ガンギマリ全自動アンチポリコレでこの件でも「あのMVは問題ない。ポリコレガー」してるやべーのはTwitterやはてなでもごく少数みかけるけど、普段アンチポレコレで鳴らしてるぜいも批判、どんびき、みたいな感じで積極的な擁護は少ないのはなぜなんだろう。
一つはアニメやゲームなどのその手の人たちと親和性の高いコンテンツではなく陽キャパリピなポップスターだから。
でも、今までもそういうポップスターが炎上してた時も結構擁護してたよなー。
でも酷さならこれ以上のものも擁護してたこと多いし、本当かなー?とは感じる
三つ目は差別の対象が第三者でも「奴ら」でもなく「我々」だから。
白人に対して有色人種を差別する表象として猿は一般的で、その対象に東アジア人もちろん日本人も含まれる。
第二次世界大戦のプロパガンダで日本人を猿扱いしてるものを見たことある人も多いだろう。あるいは映画『 戦場にかける橋 』などのセリフでも。(そういえばまさに同じ原作者の『猿の惑星』)のリブートの新作が公開されたばかりだ)
去年くらいからの「バーベンハイム」や『アサシンクリード シャドウズ』にもアンチポレコレ勢が批判的なのが多いのもこれだと説明できるな。
四つ目は基本自分の意見がなく風見鶏なのでネットでの反応から自分の反応を決めた。
こういう側面もあるだろうが、そこあたりは場合によっては本人にさえ意識されてないかもしれないのでよく分からない。
まあ実際の所はこれら四つあるいはそれ以外の理由の複合なんだろうけど、どうしたの?
フィナンシャル・タイムズの2024年予想(Courrier Japonより)
月に2件しか読めないケチの無料会員なので、ここにメモしておこうw
【20240718追 記】 半 年くらいたったので、ここで中 間答え合わせしてみるかな...
今んとこ15勝5敗かー、まずまずの勝 率w
「incel」(インヴォランタリー・セリバシー、自主性のない独身)は、自分自身の意志とは関係なく性的・恋愛的なパートナーを持てないと感じる男性を指す。
「Wife guy」は、妻を中心に自分のアイデンティティを構築し、過度に妻をアピールする男性を指す。
ChatGPTに聞いた、過去に「Wife guy」として言及されたことがある有名人の例。
男性が妻に対して過度に依存している、または妻を利用して自分自身の評価を上げようとしているという、皮肉や揶揄が込められている言葉だそう。
「incel」と「Wife guy」の比較論等は、英語圏の評論家やジャーナリスト、ポッドキャスターなどが割と取り上げているようだけど、日本語圏では「incel」しか取り上げられないように感じる。
まず日本語圏では、「Wife guy」という概念の知名度が絶無に近いだろう。「incel」も一般知名度は低いが、弱者男性界隈ではよく知られた言葉だ。「Wife guy」については、知られている界隈が存在しない。
日本語圏がだいたい西欧文化の後追いをしていることを考えると、結婚が人権や義務ではなく自由な人生における個人的達成へとシフトしたことにより、
媒体違いの、名前と見た目がだいたい同じなだけの別キャラと混同された上に。推しの名前は、メタナイト。メタナイツを率い、なんか上にゴチャゴチャした建物みたいなのが乗ってる戦艦ハルバードを所有し、だらくしたプププランドに革命を起こした騎士だ。デデデの配下でもなく、部下はソードナイトとブレイドナイトではなくメタナイツで、星の戦士の生き残りのジジイでもない、甘党で童顔なポップスターの騎士さまだ。
アニメカービィとゲームカービィは何もかも違うし、そもそもメタナイト”卿”もストーカーなんかじゃない。もちろん漫画のカービィも違うし、小説のカービィも。それぞれの媒体で、彼ら登場人物は見た目と名前がだいたい同じなだけの性格もまるっきり別物の赤の他人なのだ。そもそもゲームのメタナイトだったら次代の星の戦士なんか待たず一人で突っ込んで殺されてるわ。ロボプラやってる奴なら確実にそう分かるよな?
メタナイト”卿”が”星の戦士”カービィの近くにいつもいるのは、自分では倒せなかったナイトメアを倒す奇跡の光を、どうか、どうか消えないようにと守っているだけなのだ。なのに。
キュートでプリティーで、でもそれ以上にカッコよくて頼りがいがあって最強な、飯と昼寝と突然現れた困ってるひとのためだけで宇宙を救う。そんな心優しくてフリーダムな、戦う使命なんて一つもない、春風とともにやってきて、いたずら大王を懲らしめる、ちょびっとだけアウトローな若き旅人を『戦う使命を持って生まれてきた幼い星の戦士』と混同する奴らがいる。大抵はメタナイト×カービィの奴ら、もしくはクソにわかのアニメしか知らねぇ野郎ども。そいつらは、メタナイトとメタナイト”卿”はもちろん区別しないし、カービィさんを赤ちゃん扱いする。よく見ろよ、そいつはメタナイトと同じぐらいの大きさの青年だ。メタナイトのことをストーカー扱いなんてネタのつもりか『推しカプの攻めは変態で受けたんはそれに気付かない純粋赤ちゃん〜』芸やりてぇ奴らなクソ野郎しかやらねぇよ。確かにカービィさんは純真無垢だけど、赤ちゃんでもなんでもねぇしキャラを変態犯罪者扱いするのはただのキャラヘイトだ。
なぁ、ストーカーをネタ扱いしてるお前らは分かってるのか?ストーカーはれっきとした犯罪なんだよ。キャラが犯していない犯罪を捏造するなんて行為、どう考えてもキャラヘイトだ。メタナイトが犯した犯罪はクーデターだけだ。卿のほうについては話数多くてわざわざ「車を蹴り落とした」とかまで確認は出来ないがストーカーなんざしてない。
違う世界での出来事を混ぜるのは。他界隈の人がネット上の言説に影響されてメタナイトをストーカーにし、卿と呼び、デデデ大王をクソ野郎にして陛下と呼ぶ。彼らのことをよく知らない人たちに悪影響が及ぶ。ストーカー化をするななんて、一言も言ってない。
ただ、棲み分けをしろ。タグ付けをしろ。捏造で妄想だって認めろ。cp的な思考があるならカップリングモノとして描いてなくても注意書きを付けろ。ストーカー化やアニメカービィがお好きなら、自分たちが探しやすいようにするためにも「ストーカーナイト」やら「メタカビ(アニメ)」か「卿カビ」でも何でもタグを作れ。ミュートさせろ。
「星のカービィ」を愛しているのなら、それだけでいいからやってくれ。
単調なビートというか、反復を繰り返しながらメインのメロディだけをどんどん発展させるアプローチはそれこそジェームスブラウンだかの時代のファンクソウルからポップスに定着してる。
誰でも知ってるマイケルジャクソンの「スリラー」や「スムースクリミナル」もトラックだけ見れば1つのリフレインだけで出来てるし、それ自体は目新しいことでもない。日本でもオザケンの「ラブリー」等、局所的にそういうものがヒットすることはあった。
ただRandBやヒップホップといったブラックミュージックの色合いが強いこのスタイルが、アリアナグランデやジャスティンビーバーといった白人中流層に支持されるポップスターや、J-popのYOASOBIや瑛人のヒット曲に取り入れられたというのは時代の潮目なんだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=tcYodQoapMg
https://www.youtube.com/watch?v=8EJ3zbKTWQ8
ビートが一本調子というのはNiziUやモーニング娘。の新しい曲でも見られる特徴なのでより一層こういうものが主流になっていくのかもしれない。
(反復っていうのはテクノもそうだけど、テクノはミニマルすぎてポップスに転用できる音楽ではない。電気グルーヴにしてもChemical Brothersにしても歌もの要素が大きくなるにつれテクノ本来とはやや趣が変わっていった。)
https://www.youtube.com/watch?v=a6QT0acJFQE
https://www.youtube.com/watch?v=Ty0dkunCvNw
宇野さんが崇拝に近い持ちあげ方してる宇多田ヒカルもかつてからループさせることへの意識が高かった。
First Love時こそ「稀代の歌姫」として売り出そうというレーベルの意向もあってか、ディアンジェロ風の粘っこいドラム等といった当時のトレンドを表面的になぞっただけで、アレンジ面では当時のJ-popとそこまで違いはなかった。しかし「Distance」以降はRandBからの影響が強い宇多田ヒカル本人の意向が反映されだしたのかどんどんアレンジがミニマリスティックになっていった。
注意深く聴けば20年前の「Addicted to you」や「Can you keep a secret?」のころからすでに16ビートをキープしながらコード進行は8小節ほどで完結してしまっていることがわかる。
(このころはジャム&ルイスの手腕によるところも大きいのだろうが)
さらに言えばセルフプロデュースに切り替わってからロンドンに拠点を移すまでの2005~2015年あたりの宇多田ヒカルはいかにも宅録、DTM然とした手作り感あふるる音を時折鳴らしていなかっただろうか。
マスタリング等のポスプロによってある程度計算ずくで仕上げられたものにしても、Keep tryin’のパッドシンセはあの曲にしては音が厚すぎてややアンバランスだし、Kiss & Cryのホーンはモジュレーションであることを隠そうともしていない。しかしながらそんなことは取るに足らないことだった。
あのころはまだDTMそのものが新しくて費用が掛かる手段だったこともあって、宇多田ヒカルの孤高なイメージをより強固なものにしたし、なにより彼女が自宅にこもって自分の感覚だけで作ったものが、ダイレクトに自分のコンポやミニプレイヤーに届いてきたようなあの距離感がファンにとっては痛快だったんじゃないか。
「Ultra Blue」や「Heart station」時特有の浮遊感のあるきついリバーブや密室感のあるピアノの音像は、宇多田ヒカルの心象世界を垣間見ているようだったし、私生活でのラフな顔を晒してくれている様でもあって一つの魅力になっていた。
DTMはこの20年でどんどんハードルが下がっていったし、ネット上での音楽のコミュニティも成熟してきてる。今のアーティストを取り巻く環境ってあの頃の宇多田ヒカル周りの雰囲気とちょっと似てる気がする。ライブはあんまりやってなくてひたすら曲を書いてブログを書いていたのが宇多田ヒカルだった。
米津玄師にしろ須田景凪やヨルシカにしろ、宇多田ヒカルが敷いたものの上に立ってるんじゃないかな。立ってるというか宇多田さんは彼らのようなことを前時代にやりとげてしまったのかもしれない。
宇多田ヒカルの「traveling」は「夜に駆ける」に似ている。4つ打ちでビートに統一感を出している点や、トニックから長七度上(一度下)への移動が含まれる4小節ほどのコードパターンをひたすら繰り返している点、代理和音や経過音でコードに飽きがこないよう細かく配慮していることやフィルインの多さ、歌メロの譜割の細かさ…と共通項は多い。あの頃は幼くて単にかっこいい曲だなと何も考えず聴いていただけだが、当時の宇多田ヒカルはやはり規格外の存在だったんだなと今にして思い知らされる。
https://www.youtube.com/watch?v=x8VYWazR5mE
[disc1]
ロボボもそう・・・。
14 GREEN GREENS(星のカービィ) 1:04 石川淳
15 エントランス(カービィのすいこみ大作戦) 0:40 安藤浩和
17 ボスのテーマ(カービィのすいこみ大作戦) 0:49 安藤浩和
後ろのスネアのずちゃずちゃがすき
01:10~の大サビで後ろのベースが段階的に下がったり上がったりしてるところがめちゃめちゃすき
今作は水の中に入ると音がこもって「!!」ってなった思い出。
29 エコーズエッジ
ダークメタナイトを初めて召喚して嬉しくて連れまわしたステージがここだったので
この曲聞くとダメタを思い出します。一緒にライブセッションしたね・・・。
どうでもいいけどデスボイコーラス一番似合うフレンズはダメタだと思ってます。
ロックバンドっぽい。
聞くとなぜか泣きそうになる。
ひょろひょろした音すき 後ろのティンパニ・・・?がぼんぼこうるさいのがとてもよい
ちょこちょこ入る
42 友と交わるその剣の音 3:03 石川淳
00:44~あたりの後ろの音が剣の鍔迫り合いっぽい音でかっこいい
--------------------------------------------------------------------------------------------
[disc2]
民族音楽っぽくてすき
4 ギャラクシーのかなたまで
10 ぺんぺん草も生えぬ地へ
こればっか言ってる気がするけどピアノがおしゃれ~~。
同じタイトルのボス曲がアレンジされてステージBGMになってるのほかにあったっけ?
とてもあつい。
13 Prayer song to God
三魔官の曲。超好き。
すき~~~~~。64の曲だったっけ?
全体的に不穏な感じが漂ってるのがいいですね。
18 VS.ダークマター
結構平坦な曲で大きな盛り上がりはないのにかっこいい
19 真 コロシアムの戦い
ガッチャガチャしてて好き ギャラクティックナイト戦っぽいやかましさ(ほめてる)
21 ミラクルマター
22 VS.ドロッチェ団
31 夢をかなえるしんでん
多分wiiだと思うんだけどどこのアレンジだっけ・・・。ピアノが本当によい。
00:43~00:56がほんとにいい。最後の下がるところが最高。
36 忘らるる閃光のライトニング
41 友ときずなの戦い2
何が違うんだ?って聞き比べてしまった。
--------------------------------------------------------------------------------------------
[disc3]
どんどんシリアスになっていく~
2 フォルアースに吹く風
めちゃくちゃ好き。ステージ曲で1,2を争う。ノスタルジック~~~
すき~~~~。夢をかなえるしんでん(disc2-31)と聞き比べると同じ曲でもアレンジで全然ちがっておもしろい。
こっちはよりゲーム!!って感じの音作り。
リゾート感がある
スタアラの新規曲はなんで曲調明るいのに微妙に寂しげなんだろう~すき
忙しないベースがよい
00:53~の天空ステージアレンジが沁みる・・・泣きそう・・・
途中の鐘の音がすごく好き。
1週目と2週目の味付けの違いがもうたまらん。
曲ラストの怒涛の入り交じりもすごい。
01:02~01:04のなんかDJっぽい(?)ところすき・・・
いつ聞いても焦る。やだ画面に挟まってしにたくない~~
焦らせてくる曲は緊迫感あってすきです
11 もっとチャレンジステージ(星のカービィ20周年スペシャルコレクション)
14 とびだせ!奥へ手前へボスバトル(デデデ大王のデデデでデンZ)
16 古代の塔ピサーシャ
めっっっっっちゃ好き・・・。スタアラで一番好きかもしれない。
00:57~のメロディがほんとにもうなんか・・・言葉にならないけどすっごい好き。
グリーングリーンズアレンジ全部好き説あるけどこれはほんとに素晴らしい。
誰かこれでMADつくってほしい。
めちゃめちゃすき。
めちゃめちゃめちゃすき。Disc3好きな曲多すぎて困る・・・。
19 伝導電磁式三連砲:D.D.D(星のカービィロボボプラネット)
メタ逆の曲とデデデの曲を混ぜようと考えた安藤さんに感謝しかない。
曲が入れ替わり立ち替わりしてるのが楽しい。
21 遥か、冒険の旅の果てに
もう引き返せない感がよい
大好き
これ64が初出じゃなかったのか!!!丸太で急流下りの印象がつよい。
3は全く未プレイなのではよやりたい・・・。
27 ドロッチェ団のテーマ(星のカービィ参上!ドロッチェ団)
ベースがめちゃめちゃせわしなくて好き。左右に音振ってるから余計・・・。
00:55~、01:16~とかもうほんと落ち着いてくれって感じでよい。
もうほんとすき・・・。なんかメロディがくるっくるしている。
泣く
32 星空のいたずらパニック
えっこれ聞いた覚えない・・・どこ・・・
34 影なる共闘
超かっこいい。星のダークメタナイトやって鏡の大迷宮やりたくなって、
大迷宮プレイし直したら海ステージの曲こんなかっこよかったっけ!!ってなってから
35 ココロノスガタ
マホロア~~~~~~~。
ローア船内の曲すきなのでいっぱいアレンジしてもらって嬉し~。
36 虫ケラが鳴くロカビリー
タランザ~~~・・・;;;;
マイハッピースイーツタイムめちゃくちゃ好きなので嬉しかった。
--------------------------------------------------------------------------------------------
[disc4]
1 彼方、光さえ届かぬ場所へ
↓
↓
2 夢と新緑の残痕地
ぐうかっこいい
グリーングリーンズがこんなにおしゃれになるなんて
00:52~の弦楽器音すき
7 La Follia d'amore
ハイネス様の幻聴が・・・。あと曲には入ってないけどルージュちゃんのアハッて笑い声すき。
00:59~のカタコトカタコトいってるベースがすき
11 組曲:聖羅征く旅人 第一楽章:星砕きの戯れ~第二楽章:胚子の器~第三楽章:哀と渾天の翼~第四楽章:生誕の希望
タイトルが長すぎる
16 ずっと、君を見ていると。
18 あしたはあしたのだいけっせん(カービィのすいこみ大作戦)
うっ初めて聞いた!!めちゃくちゃかっこいい・・・。
すきだ~~~~~~~~!!!いつ聞いても超かっこいい。
21 すべてすいこめ!ビックバン(星のカービィトリプルデラックス)
単体で聞いた時いつもあれこれWiiだっけトリデラだっけ・・・て悩む。
22 桃球発進!ロボボアーマー(星のカービィロボボプラネット)
めちゃめちゃ好き。かっこいいよ~~
23 ぼうけんのはじまり/amiiboスペシャルver.(カービィのすいこみ大作戦)
28 ポップスター:ステージセレクト/スターアライズ アレンジver.
うお~64~~~~
ハァイて幻聴が聞こえる・・・。
[disc1]
ロボボもそう・・・。
14 GREEN GREENS(星のカービィ) 1:04 石川淳
15 エントランス(カービィのすいこみ大作戦) 0:40 安藤浩和
17 ボスのテーマ(カービィのすいこみ大作戦) 0:49 安藤浩和
後ろのスネアのずちゃずちゃがすき
01:10~の大サビで後ろのベースが段階的に下がったり上がったりしてるところがめちゃめちゃすき
今作は水の中に入ると音がこもって「!!」ってなった思い出。
29 エコーズエッジ
ダークメタナイトを初めて召喚して嬉しくて連れまわしたステージがここだったので
この曲聞くとダメタを思い出します。一緒にライブセッションしたね・・・。
どうでもいいけどデスボイコーラス一番似合うフレンズはダメタだと思ってます。
ロックバンドっぽい。
聞くとなぜか泣きそうになる。
ひょろひょろした音すき 後ろのティンパニ・・・?がぼんぼこうるさいのがとてもよい
ちょこちょこ入る
42 友と交わるその剣の音 3:03 石川淳
00:44~あたりの後ろの音が剣の鍔迫り合いっぽい音でかっこいい
--------------------------------------------------------------------------------------------
[disc2]
民族音楽っぽくてすき
4 ギャラクシーのかなたまで
10 ぺんぺん草も生えぬ地へ
こればっか言ってる気がするけどピアノがおしゃれ~~。
同じタイトルのボス曲がアレンジされてステージBGMになってるのほかにあったっけ?
とてもあつい。
13 Prayer song to God
三魔官の曲。超好き。
すき~~~~~。64の曲だったっけ?
全体的に不穏な感じが漂ってるのがいいですね。
18 VS.ダークマター
結構平坦な曲で大きな盛り上がりはないのにかっこいい
19 真 コロシアムの戦い
ガッチャガチャしてて好き ギャラクティックナイト戦っぽいやかましさ(ほめてる)
21 ミラクルマター
22 VS.ドロッチェ団
31 夢をかなえるしんでん
多分wiiだと思うんだけどどこのアレンジだっけ・・・。ピアノが本当によい。
00:43~00:56がほんとにいい。最後の下がるところが最高。
36 忘らるる閃光のライトニング
41 友ときずなの戦い2
何が違うんだ?って聞き比べてしまった。
--------------------------------------------------------------------------------------------
[disc3]
どんどんシリアスになっていく~
2 フォルアースに吹く風
めちゃくちゃ好き。ステージ曲で1,2を争う。ノスタルジック~~~
すき~~~~。夢をかなえるしんでん(disc2-31)と聞き比べると同じ曲でもアレンジで全然ちがっておもしろい。
こっちはよりゲーム!!って感じの音作り。
リゾート感がある
スタアラの新規曲はなんで曲調明るいのに微妙に寂しげなんだろう~すき
忙しないベースがよい
00:53~の天空ステージアレンジが沁みる・・・泣きそう・・・
途中の鐘の音がすごく好き。
1週目と2週目の味付けの違いがもうたまらん。
曲ラストの怒涛の入り交じりもすごい。
01:02~01:04のなんかDJっぽい(?)ところすき・・・
いつ聞いても焦る。やだ画面に挟まってしにたくない~~
焦らせてくる曲は緊迫感あってすきです
11 もっとチャレンジステージ(星のカービィ20周年スペシャルコレクション)
14 とびだせ!奥へ手前へボスバトル(デデデ大王のデデデでデンZ)
16 古代の塔ピサーシャ
めっっっっっちゃ好き・・・。スタアラで一番好きかもしれない。
00:57~のメロディがほんとにもうなんか・・・言葉にならないけどすっごい好き。
グリーングリーンズアレンジ全部好き説あるけどこれはほんとに素晴らしい。
誰かこれでMADつくってほしい。
めちゃめちゃすき。
めちゃめちゃめちゃすき。Disc3好きな曲多すぎて困る・・・。
19 伝導電磁式三連砲:D.D.D(星のカービィロボボプラネット)
メタ逆の曲とデデデの曲を混ぜようと考えた安藤さんに感謝しかない。
曲が入れ替わり立ち替わりしてるのが楽しい。
21 遥か、冒険の旅の果てに
もう引き返せない感がよい
大好き
これ64が初出じゃなかったのか!!!丸太で急流下りの印象がつよい。
3は全く未プレイなのではよやりたい・・・。
27 ドロッチェ団のテーマ(星のカービィ参上!ドロッチェ団)
ベースがめちゃめちゃせわしなくて好き。左右に音振ってるから余計・・・。
00:55~、01:16~とかもうほんと落ち着いてくれって感じでよい。
もうほんとすき・・・。なんかメロディがくるっくるしている。
泣く
32 星空のいたずらパニック
えっこれ聞いた覚えない・・・どこ・・・
34 影なる共闘
超かっこいい。星のダークメタナイトやって鏡の大迷宮やりたくなって、
大迷宮プレイし直したら海ステージの曲こんなかっこよかったっけ!!ってなってから
35 ココロノスガタ
マホロア~~~~~~~。
ローア船内の曲すきなのでいっぱいアレンジしてもらって嬉し~。
36 虫ケラが鳴くロカビリー
タランザ~~~・・・;;;;
マイハッピースイーツタイムめちゃくちゃ好きなので嬉しかった。
--------------------------------------------------------------------------------------------
[disc4]
1 彼方、光さえ届かぬ場所へ
↓
↓
2 夢と新緑の残痕地
ぐうかっこいい
グリーングリーンズがこんなにおしゃれになるなんて
00:52~の弦楽器音すき
7 La Follia d'amore
ハイネス様の幻聴が・・・。あと曲には入ってないけどルージュちゃんのアハッて笑い声すき。
00:59~のカタコトカタコトいってるベースがすき
11 組曲:聖羅征く旅人 第一楽章:星砕きの戯れ~第二楽章:胚子の器~第三楽章:哀と渾天の翼~第四楽章:生誕の希望
タイトルが長すぎる
16 ずっと、君を見ていると。
18 あしたはあしたのだいけっせん(カービィのすいこみ大作戦)
うっ初めて聞いた!!めちゃくちゃかっこいい・・・。
すきだ~~~~~~~~!!!いつ聞いても超かっこいい。
21 すべてすいこめ!ビックバン(星のカービィトリプルデラックス)
単体で聞いた時いつもあれこれWiiだっけトリデラだっけ・・・て悩む。
22 桃球発進!ロボボアーマー(星のカービィロボボプラネット)
めちゃめちゃ好き。かっこいいよ~~
23 ぼうけんのはじまり/amiiboスペシャルver.(カービィのすいこみ大作戦)
28 ポップスター:ステージセレクト/スターアライズ アレンジver.
うお~64~~~~
ハァイて幻聴が聞こえる・・・。
「ヒットの崩壊」(?)っていう本の著者がいうには
ちょっと前までは
webが社会に浸透するに伴いどんどん「島宇宙」化してニッチなコンテンツばかりになると考えられていた。
言われていた通りニッチなコンテンツが成り立つ環境にはなったものの
一方元来メインストリームにいた側はCDという従来型の方法では利益を出さなくなったものの、WEBメディアを使い倒して、かつての、
つまり音楽や映像がネットで行き渡るようになる90年代半ば以前のレベルで社会に影響を与えている。
欧米ではポップスターが配信限定で新曲をリリースすることが相次いでいるそうだ。
これは音楽の話だけどアニメや漫画、ラノベにも通じることじゃないかな
昔からある大手配給会社がツイッターなどネットの力を駆使して近年稀に見るヒットを記録したり
諸事情で殆どテレビ、ラジオで取り上げられない中、web上の活動だけでヒットさせた「この世界の片隅に」が出現した一方、
「知る人ぞ知るオランダ人作家が手がけた全編セリフなしのファンタジー」というニッチな映画を公開し
こういったことは映画でないアニメでも、雑誌でもどんどん起こると思う。
アニメなら、従来通りのやり方で公開される「ラブライブ」や「刀剣乱舞」のようなものと、
web限定公開だったりOVAという形で公開されるけものフレンズやカバネリのようなものに二分され、
漫画雑誌ならジャンプのようなものは残るが、コミックビームに居たような作家はみんなweb主体に移行すると思う。
強い個性を持つが、それ故に不特定多数と共有することが難しいコンテンツ
この二つのどちらかに収まろうとする今では
ドゥビィドウーワ、チャラァラー。
なんて素敵なのかしら!!!
私はいま、
フランスに来ていまーす。
その、フランスでも
フランス北部、パ・ド・カレー県の都市、カレーに華麗に来てまーす。
あの、私ふと思ったんだけど、
どうやって食べるのが正解なのかしら?
スープの方にご飯投入するの?
迷うわ!
スープなの?ご飯なの?
どっちがいいのよ?
迷うわ!
すっこしでも美味しく食べたい!
純情な乙女心!
ねーってば、ねーえ!
どっち?
食券機が相変わらす冴えない、
すっとこどっこいな感じなんだけど
それはいいとして、
ここカレーが美味しいのよね。
私が知ってる秘密のお店よ!
チキンとビーナスのグリーンカレーがパンチがあって美味しいわ!
ほんのりリンゴの味がするような気がするわ。
すいすいすいようび!
今日も頑張りましょう!
差別や偏見と戦いマイノリティだって自由に自分を表現していいんだ
こんなにそれらに配慮した内容が盛り込まれている!いった旨のRTを連日沢山見るようになりました
小さくてかわいいウサギは警察官になれないのか?いやそんな事はない!
決めつけてはいけない!差別はよくない!だって努力すれば夢は叶うのだから!
といった主旨をどうこう言うつもりはまったくない
だがなぜそんな中で、なぜ『肉を食べること』は悪としこれを排除したのだろうか
そこがずっとひっかかっていて、素直に良い映画だった!と言えなくなっている
(世界観の設定上やストーリーの進行上そうせざるを得ないのは理解できるのだけれど)
誰だって望んだものになれる!と謳っておいて肉食獣のそれは奪うのか…と思ってしまって
肉食獣だってただ趣味で殺すのが目的ではなく生きるために肉が必要でそれを食らうのであって
それ自体は悪ではないはずだ
野生に戻ったら凶暴になったと本編で言われていたが
何かを襲う時はそれを食べる必要がある時か自分の身を守る必要がある時だ
むやみやたらと目の前のものを殺すものがイコール肉食獣ではないわけで
差別なんかダメッて言ってるんだ!!ともてはやされている映画が
素晴らしい!と言われていれば言われているほど複雑な心境になる
こんなところを気にしてしまう私の感覚がズレているのかもしれないけど
そりゃあいつ食われるかわからない恐怖と戦っていた草食動物から見たら
捕食者である肉食獣は天敵になるわけだけれども
『狩りをする必要が無くなる』のを仮に利点とするとして
かわりに与えられるものが肉でなく虫などで代用されたものでそれで本当にWin-Winなのか
肉を食べる事はこの先(この理想郷に居を構える限り)永遠に諦めないといけないのか
(昔は食べていたという肉を食べてみたくなった、という理由で
狩りをするために牙が鋭くなったもの
動物の特徴になる部分はおおよそ『狩るため/狩られるのを防ぐため』、
それらの器官ももしかしたらどんどん退化してしまうのではないだろうか
服を着て脳が発達し、特徴のある器官が退化していったらどうなるんだろう
みんな人間になるのかもしれないですね
『ズートピア』はオーウェルの小説『動物農場』のディズニー流のアップデートである。舞台こそ農場という本来動物がいるであろう場所から都市、街に移されて、動物たちの文明化もはるかに進んでいる。また、田舎と都会という多層的な背景を採用し、人間社会の複雑さがさらに反映され、戯画化されている。戯画化で思い出したが、古くから動物を擬人化させて描かれた物語は数多くあり、日本でも代表的なのはその名の通り、『鳥獣戯画』であろう。その中でも『動物農場』がモチーフとされていると断定できるのは、こと権力の逆転が物語の節目として描かれているところだ。さらに、『動物農場』の結末が、「動物主義」という思想を掲げながら搾取的な社会構造が生み出されたのは、人間とほとんど見分けがつかない"2本足で立って歩く豚"であることを考えると、もはや『ズートピア』は『動物農場』の続編的な作品ではないのかと思えるほどだ。
しかし、私が主に取り上げたいのは『ズートピア』と『動物農場』の相違そのものではない。『動物農場』のアップデートであるなら、そもそも『動物農場』という作品が生み出された背景がそうであったように、『ズートピア』もまた同様に"子供向け"に戯画化されたものではない、ということだ。つまり、ある一定のディズニー並びにハリウッド作品を観る際にどうしても想起してしまう"勧善懲悪"とも呼ばれる単純な力関係に留まる作品として論じてしまうのは、この作品が描いている(我々が住む"先進国"社会に酷似した)社会形態のを、グロテスクなものとして描いているという事実を見落としてしまう、ということだ。
「グロテスク」が具体的にどういう性質を指してるかは後に詳しく取り上げるとして、まずは『動物農場』との相似を洗い出そう。『動物農場』では既存の権力の持ち主である人間を打倒しようと農場内の長老である豚が呼びかけた後、その長老と同じ種である豚が主導となり人間の打倒と、権力の奪取を果たす。権力の逆転が描かれた後、そこからさらにその権力が腐敗し、かつての権力の持ち主と酷似していく様を描いている。『ズートピア』でも同様に、権力の持ち主である肉食獣を追放し、草食獣が権力を得る。しかし、その後の社会様相の腐敗として描かれるのは、『動物農場』のそれとは違うものである。この肉食獣が追放される背景は、砂川秀樹が「男色は近代社会化以前には受容されていた」という言説に対する反論として、近代社会以前から否定的に捉える見方があったことを挙げ、それが近代化社会以降にゲイに対する「病理フレーム」が形成されたことの背景にあるという指摘していたケースと酷似している。すなわち、ズートピアという街にあてはめるなら、冒頭の子ども劇において近代化・文明化というものを"進んだもの"とする言説が背景にあるからこそ、その言説が暗に導き出す"野生"というスティグマが、肉食獣という属性に表象として充てられた、というわけだ。草食獣であり小動物であるジュデイが警察官を、肉食獣の子どもが税の査察官を目指すということを、それぞれの属性と"相反するもの"への志向(だからこそ"自由"や"可能性"の提示となる)として挙げられていること自体に、すでにこの世界を形成する言説の中に、後に肉食獣が「病理フレーム」の中に収められることを暗示している。
『ズートピア』と『動物農場』でそれぞれ権力の腐敗の在り方が違うのは、『ズートピア』が主題として据えているのは、差別が未だ存在する社会においての振る舞いであり、また、そうした社会と対峙することの難しさであるからだ。だが一方で『動物農場』と共通しているのは、たとえ既存の社会構造の不当な点を糾弾したものであったとしても、新たに権力に座する者が、特定の属性を以てして社会的地位を不当に貶めたり、あるいはその逆に持ちあげたりすること。つまり、権力の立場にあるものが、いち個体が否応なしに複合的にまとうあらゆる属性の中から任意の属性を持ち出したり、あるいは見出したりして、それを根拠に権力側の良いように用いることそのものが社会の腐敗を招く、と指摘している点にある。こうしたケースは今日の"先進国"社会においても行われている。そのあらゆるケースの中でも、創業者であるウォルト・ディズニーが、かつて「赤狩り」と呼ばれたハリウッドにおける排除運動に加担していたという記憶を持つディズニーにとっては、なおのこと無縁ではないだろう。なぜなら、その赤狩りこそ、『動物農場』が受容されたのと同じ背景の中で起きた現象なのだから。つまり、『動物農場』が、"反スターリニズム、反ソ連"として受容された時代のイデオロギーの中に回収された結果招いた、「赤狩り」という別の形での全体主義化を経た後の問題提起をする為、違った様相の社会の変化を描く必要があったのだ。では、その必要とはいったいどういう形のものなのか。
まず、そもそもの『ズートピア』(原題も"Zootopia")というタイトルから振り返ってみたい。誰もがその語感から、動物園("Zoo")とユートピア("Utopia")を連想するこのタイトルと、それが充てられた都市の姿や本編内で取り上げられている問題とを照らし合わせると、この名前が一種のミスリードを引き起こそうとしていることは誰の目にも明らかだろう。しかし、このユートピアに対するミスリードを行おう、という意図が製作者側にあることを考えると、一方でユートピア思想そのものを全く信じていないであろう、という可能性が高いものとして浮かび上がってくる。つまり、この作品世界はそもそも、主人公にとっての、あるいはそれに感情移入するであろう観客が考える様なユートピアを描こうという意図の下では成り立っていない、と考えることも決してできなくはない。では、それなら反対にディストピアを描こうとしていた、とするのもまた違うだろう。それこそオーウェルが『動物農場』の後に出したディストピア小説『1984年』で問題としているような、監視カメラシステムを駆使した管理社会は決してネガティヴなものとしては描かれていないし、作中で市長と並び権力の象徴として現れる警察だって、最後にはジュディに味方する。ズートピアに張り巡らされている権力構造が、一様に悪しきものに還元されるものとして描かれていないところを見ると、『映画クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』において大人たちが夢中になる昭和の街並みのように、ユートピアを模したディストピアを描いている、とするのものまた違う。では何を志向していたかといえば、ただひたすら身も蓋も無く、我々"先進国"における社会の現在の姿を炙り出すことにこそ本作の力点がおかれていたのではないだろうか。
オーウェルが『動物農場』で描いたようにユートピアへの志向がある種のディストピアを生み出し、また『1984年』でディストピアは一方で誰かにとってのユートピアであることを描いてきたこと、さらに言えば今までのディズニー作品やハリウッド作品が数多く生み出してきた作品へ寄せられた批判を鑑みれば、主人公ないし観客のユートピアを描くことで何かの可能性を見出そうとする、虚構の作家なら誰もが夢見る境地との決別こそが、今のディズニーが走っている地点ではないか、とすら思える。だとするなら、管理化・全体化社会の兆しとして表象される監視カメラとの関係、後半で肉食獣と草食獣とが分断されてしまったと言われる前から存在する、小動物と大型動物との"棲み分け"をあからさまに感じる都市デザイン(マジョリティとマイノリティの形成はマクロでいうところの都市デザイン、ミクロでいうところの建築様式という、物理的な段階からすでに反映されている)、朝礼時には着席を強要しながら、大型動物に合わせて設計されてるが為に、ジュディが座ると署長の顔すら見えないサイズ感の机とイスが、ジュディが"認められた"後も変更は行われず、それどころかジュディとニックに同じイスを共有させること(1人分の席に2人が座らされているのである)や、かつてジュディに偏見としかいいようがない対応をしてきたことに対して何も悪びれもしなければ、むしろジュディに対して冗談を飛ばすほどの親密さを示してみせる警察署長の態度、そして何より権力に対して何も批判的な態度を持てそうにない警察という組織が持つホモソーシャルな性格をあけすけもなく描いているのは、それらに対して作品内で明確な批判が行われないということの薄気味悪さも含めて呈示しているのではないか。
だとするなら、本作が「子供向け」であるが為に、権力に対して批判的な態度を伴っていない、とするのは、少々早計ではないだろうか。確かに、ディズニーは子どもを含めた幅広い年齢層の支持によって成り立っている。しかし、その中には子供と呼ばれる低い年齢層の観客もいれば、それこそ子供の頃からディズニーに触れ続けた高齢の観客だっている。そうした状況の中で、こと任意の年齢層の観客だけ取り出し、それにのみフォーカスをあてようとするのは、作品がもつ性質を見誤ることに繋がるおそれがある。「子ども向け作品だからしょうがない」とするのは、すでに子供の在り方を規定づけるものでしかないのみでなく、未だ巨大資本によって子供たちが社会へ"馴致"されるべきだとすることへの別の形での肯定にも繋がる。しかし一方で、ディズニーが「子供向け作品」の地位に就いていることも、決して無視していいものではない。ならば、なぜディズニーはずっと「子供向け作品」であり続けたかを問わねばなるまい。結論から述べれば、それは「グロテスク」だからである。
これまで述べた「グロテスク」の定義は、マサキチトセが自身の論考のタイトルに用いた『排除と忘却に支えられたグロテスクな世間体政治としての米国主流「LGBT運動」と同性婚推進運動の欺瞞』 http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/23399 に依っているところが少なからずある。しかし、ここで取り上げたい「グロテスク」については、美術的観点からのものである。どういうことかというと、ディズニーがアニメ製作者としての名前を不動のものにしてからずっと追及してきたのは、デザインと動きの"かわいさ"である。"かわいい"とされるものは、その多くが直線的なイメージではなく、曲線的なイメージによって、硬質なものではなく、柔軟なイメージによって構成される。これらの美学の根本を辿れば、動物や植物をあしらった、古代ローマの美術様式の一つである、グロテスク様式に辿り着く。ツイッター上で「モフモフ」と公式アカウントで形容された『ズートピア』を形成する美的様式は、根本からして「グロテスク」なものなのだ。この2つの「グロテスク」がピタリと重なり合うのは言うまでもなく、主人公ジュディの造形や仕草であり、冒頭に警察を夢見る彼女に暴行を働いたキツネ、ギデオンがウサギが(警察官を目指すに値しない)弱者たる徴として挙げた「鼻をヒクヒク」させる動きが、権力関係が決定的に転覆される場面の直前に配置されていることからもわかる。
「かわいい」は弱者の徴である。それ故に、その「かわいい」を極めたディズニーは、今日のアメリカを象徴し、公的な権力からも寵愛を受ける地位を築き上げた。つまり、『ズートピア』は、その地位を利用しつつ、現在のアメリカをはじめとする先進諸国の社会形態の描く"多様性"の脆さと「グロテスク」さを描くことと、またそのヒントや問題は、明白に誰かに取り上げられているわけでなくとも、世界のいたるところにある、この2つを描くことを目論んでいたのではないだろうか。その一例として、コロンビアの女性シンガーであるシャキーラ演じるポップスター・ガゼルのモデルとなっている動物であるブラックバックは、オスにしか角が生えていないこと。つまり、ガゼルはトランスジェンダーのポップスターであるということが、作品内で明確に言及こそほとんどされていないが造形として現れていることから見ても、決して拭い去れるものではないと私は思う。
これ
http://www.huffingtonpost.com/entry/i-love-you-hatsune-miku_55ef16c4e4b002d5c076ca27
とりあえず序盤のあたりだけ訳しておく.
もしポップスターに肉体が必要と考える人がまだいたら,ショックを受けるかもしれない.
何年か前,ヤマハはボーカロイドを開発した.それはコンピュータに合成音声で歌わせるソフトウェアだった.2007年にそのソフトウェアは身体を獲得し,初音ミクと名づけられた.(hot-sue-neigh mi-kooみたいに発音する)青い髪のアニメ風少女で,世界中の生身の人間たち相手にツアーをし,不思議なホログラムで舞台に立ち,彼女のファンによってボーカロイドソフトウェアで書かれた電子音楽を熱唱する.彼女が世に出てから何年も経つ間,何人もの男女のボーカロイドシンガーが加わった.また彼女はいくつかのゲームの主役だ.これらの出来事は本当に奇妙でかつ,マドンナがウェディングドレスでVMAのステージに立って以来の,ポップシーンにおける重要な出来事だろう.
これは21世紀的なアイディアだ.すべてクラウドソースの歌をうたうデジタルポップスターというのは.ミクは舞台の上で足首を捻挫したり声が出なくなったりする心配をする必要もない.まあ魂のない企業産娯楽の現れといえるかもしれない.しかし,彼女はファンが望むからそこにいるのであって,そうなると等式の流れが逆転する.彼らが彼女に音楽を与え,同時にコンサートで応援する.
別の言い方をしよう.もし皆が朝起きて急にミクを嫌いになっていたとすると,コンピューターホログラムは使われなくなるだろう.だけど別に悲しくはない.同じことがTaylor Swiftに起こると,彼女は何年もの間つまらないアルバムをリリースしたあげく,限界に達してDemi Lovatoの二の舞になるだろう.それはとても悲しい.
歌う日本のホログラムが世界中を闊歩してることを信じない人にとっては受け入れづらい話かもしれない.レディガガの前座だってつとめたし(以下メディア展開について略
後半は北米でローカライズ版が発売されたProject Mirai DXの宣伝とローカライズ担当者のインタビュー記事になるので割愛.気になった点を以下に示す.
・ユーザーによって音楽やさまざまなコンテンツが作られていることが注目に値する
・たくさんある曲を適当に聴いていると,一曲くらい自分好みの曲がみつかる
ユーザーによって作られているという点は,最初期のボカロシーンには当てはまるかもしれない.例えばネギもたせたりデフォルメキャラが作られたりしたのはその頃のユーザーの手によるものだ.しかし一旦製作者と視聴者の関係が確立してしまうと,両者の間には埋まらない溝ができた.現在の話をすると製作者の層とボカロのメイン視聴者の層はまったく異なると思う.視聴者は製作者を応援したり,お金を落としたり,ファンアートを描くくらいはできるかもしれないが,自分で製作者と同等の活動をしたりそれを目指したりはしない.ちょっとややこしくなるけど「ボカロソフトのユーザーである曲の製作者」と「曲を視聴するユーザー」に完璧に分かれている.確かにユーザーによって作られているコンテンツと言えなくもないけど,それはファンメイドのコンテンツとは違うように思う.なぜならファンは視聴者側が圧倒的に多いし,製作者はむしろ自分の曲を聴いてもらうため仕方なくボカロを使うという面があるからだ.ファンが直接コンテンツを作るのではなく,製作者を評価するなど間接的な方法でしか関われない.その少々歪な状況が英語圏には伝わってない(別に伝わらなくてもいいと思うが).外国のボカロファンはさすがに異国の奇妙なコンテンツにはまるだけあって熱意はすごく色々なことにトライしてるみたいだけれど,逆に日本にはほとんど伝わってこない.
もう一つの点はひとつの本質に迫っていると思う.ボカロは曲の良し悪しは別としても何万もの歌が動画サイトに登録されている.曲風も製作者の好みによって千差万別で,メインストリームで受け入れられないようなニッチな曲風も多い.たくさん聞けば自分にぴったりの曲を見つけることができるだろう.これはAKBやラブライブで女の子を増やしまくって誰か一人くらいは推しが見つかるだろうという戦略と図らずも同じだ.とはいえ手がかりがないと膨大な時間が必要なので,口コミとかセガのゲームのようなとっかかりが鍵になる.まあ今はネット上のボカロの知名度は高いので,ネットを積極的にやってる人なら一曲二曲は知ってたり,もしくは好きだったりするんじゃないかと思う.敷居の低さとコンテンツの多さは強みとなる.
確かにGorillazは君がリンクした動画でまったく同じことをした.2006年のグラミー賞でも同じことをしようとしたけど,問題があってテレビ用にごまかすことになった.費用がかかりすぎるので同じ形式のコンサートはもうやってない.Musion社から借りている技術も向上してない.
ミクに使われてる技術は全然違うもので,開発元の内製だ(訂正-もともと違う会社と共同開発したようだけど,今はクリプトンが全責任を負っている).その方法はもっとシンプルだしパテントに縛られることもない.一方でミクの3Dアニメーションソフトウェアは無料でファンメイドのものだ.おかげで非公式のファンメイドコンサートが世界中で定期的に行われている.とってもクールだと思う.訳ここまで.
コンサートはやはりお金かかるんだろう.ほうぼうに散らばった曲の版権者,3DCGクリエーション,自分達が主演できるわけでもないバンドの何曲にもわたる練習.オペラとかはもっと収支がひどいみたいだけど,彼らは自分が好きだから赤字でも上演するそうだね.