はてなキーワード: 上島とは
めずらしく我らが箕面市(”みのお”って読むよ)がはてブに挙がってきていたので書いてみよう。完全にn=1の視点なので、他に箕面市在住増田がいたら補足よろしくね。
なお、先に増田の投票行動を明らかにすると、国政では国民民主、府政では大阪維新、市政ではその時々という感じです。前回の市長選では維新候補(=現職)、今回の市長選は非現職に投票しました。
以下、これぐらいの適当感覚で投票している奴もいるよということで政治家の皆様はご参考ください。
各社報道ではそのように書かれていることが多い印象ですが、明確に維新候補を嫌がった結果かと言うと分かりません。
というのは、市議選挙では維新候補が全員当選していて、トップ当選の候補も含めて、比較的皆さん上位でもあるからです。
なので、シンプルに維新以外の候補を欲した結果である、とは言いすぎなんじゃなかろうかとの感覚があります。
もとい、そもそも現職の上島さんが当選した前回選挙を振り返ると、当時から維新を信任した結果だとも言い難いのではと個人的には思います。
前回選挙では、候補者が維新・共産・諸派(この方は兵庫県知事にも立候補されていますね)の三つ巴でした。
お察しのとおり、無党派層からすると、ほぼ選択肢が無い選挙です。箕面は従来転勤族が多く、子育て層の人口も多いと言われているところ(恥ずかしながら詳しく調べたことはないですが)、特段共産党優位の地盤というわけでもありません。
かといって自民支持の保守層中心というわけでもなく、国政の話になりますが民主党の政権交代時には民主党候補が当選していたので、それぐらいに無党派層が中心の郊外都市なんじゃないかと思います。
そして上島さんは箕面市議の出身で、市民に名前と顔も知られているので、この中から1人を選ぶんだったらまあということでみんな投票したんじゃないかなあ(よく行事で来賓として方方に顔を出されていたのでその意味で上島さんを知っている人も多かったと思う)。
結果として8割近くの得票で当選されました。
言い換えると、仮に上島さんが維新候補でなかったとしても(無所属その他で出ていたとしても)、多分同じぐらいの得票率で当選していたと思います。
現職の対抗馬となる候補が出馬しました。多分この一言で終わりそうな気がします。
今回市長選を制した原田さんもまた箕面市議出身で、途中で府議に行かれて……と、経歴としては上島さんと同じです。要は、一定の知名度があるんですね。また、現職より若くて、かつ若すぎない。
そして元自民なので、(議論はあると思いますが)名も知らぬ諸派候補よりは投票もしやすい。このような形で、現職候補以外の受け皿が登場しました。
近時の箕面市をとりまく一大トピックとして、「北大阪急行(北急)の延伸」がありました。大阪の大動脈である地下鉄御堂筋線、と直結している北急が、箕面まで延びてきたんですね。
延びる延びると言われ続けて何十年も延びぬまま、昨年ようやく開通したという運びでした。延伸によって箕面市内に2つの新駅が生まれ、関西ローカルの報道では結構取り上げられたりしました。
この延伸によって箕面はさらに便利になる……という触れ込みだったのですが、いざ開通してみると、逆に不便になっていないか? と感じる状況が生まれました。
その主因がバス路線の再編(ダイヤ変更を含む)です。北急延伸前は、当時に終点兼始発駅であった千里中央と箕面市の各地をつなぐような格好で阪急バスが運行されていたのですが、延伸によってこのあたりの路線再編が行われました。
これによって実質的にバスが減便になった地域があります。北急延伸自体に否定的な方はあまり見ない印象ですが、逆にバスについては不満を漏らす方は多く見られるかなあというところです。(実際、市議会でも取り上げられる程度感です。)
にもかかわらず「このバス路線は利用者が少ないのでこのままだと廃止されます!」みたいなことが書かれたチラシが投函されたり、市の広報誌でも特集されたりで、日常的にバスを利用している身からすると「そんなこと急に言われてもどうしたらええかわからんのやけど」という感覚にはなります。
そもそもバスを運行しているのは民間企業なので、どこまで行政からの投げかけができるのかという話もあります(これは他の地域と同じ問題ですね)。ただ、上島さんも選挙期間中に「阪急へ申し入れをした」「今後改善を図るな」ど訴えておられていたところ、それやったら最初からやっといてほしかったなあとの感想は否めないのではないかというふうに思います。
箕面は面積の半分ぐらいが山で占められていて(畑や田んぼもあるよ)、市としても自然の豊かさをアピールしているのですが、開発等でだんだん減っています。
身近なところでは、一部道路において、車道を狭めて歩道を拡張する工事が行われているのですが、それによってもともと歩道にあった街路樹と植え込みが基本的には撤去されて、アスファルトが広がるみたいな状況になっています。
たしか工事の目的は、自転車通行レーンを確保して、歩行者・自転車利用者の安全を確保するみたいな話だったはずで、実際に歩道が広がった事自体は悪くないと思うのですが、この季節の日中歩くと日陰もないので暑くて仕方なく、殺風景な様子に感傷的にもなります。
端的には、ここまでする必要があったのかなあという感情でしょうか。という感じで、緑をアピールポイントにしているのに、自己矛盾な行動してない? との感覚があります。
といった、実生活上の不満とか不安が積み重なった結果として、それが市長の権限でどうにかなるものなのかそうでないのかはさておき、別の選択肢が求められたんじゃないかなあと思いました(ちなみに上記の点は、原田さんが主張していた箕面の課題に含まれるので、感覚的に同意した市民が多かったのではないか)。ほんならちょうどよく対抗馬候補がいたので投票したと。子育て層や高齢者層ではまた違った感想を抱いているかもしれませんね。
いつも混んでてゆっくりできないんだが
調度よいところない?
タリーズとかスタバじゃなくて、席同士の間に余裕があったり店の雰囲気がファストフード的じゃなかったりで、落ち着けるところを探しているってことだよね。
ttps://maps.app.goo.gl/S8ZC1qmKLC8fbCR8A
UNI COFFEE はジョイナスにもあるけど、こっちは五番街のドンキの通りを抜けた岡野の交差点の方。
寒くない季節ならテイクアウトしてすぐ裏の岡野公園で過ごすのもおすすめ。
PERCH
ttps://maps.app.goo.gl/bo7DwPYg5CXHcnjW9
僕はよく前述の UNI COFFEE を覗いてみて、無理だったらその足でこっちに流れるという道順を辿っている。
roku cafe
ttps://maps.app.goo.gl/LEfgXkou6Yq9zziz9
横浜駅から徒歩7分 / 11:30~21:00(土日 ~22:00)
駅から少し離れていて穴場的だけど、それでもランチタイムはめっちゃ混んでる。
北幸エリアで時間を潰すときはここを狙って行って、満席だったらイアスのそばの上島珈琲を覗いて、そこも無理だったらルノアールに流れる。
GRASSROOTS
ttps://maps.app.goo.gl/zuywSDDD4rdFAXC89
鶴屋町で夕方以降だったらここが一番いい。ダイニングバーだけどカフェ利用でも歓迎してくれる。
喫煙可だけど、天井が広いので非喫煙者でも気にならない。地下だからキャリアによっては電波が入りづらいけど、スタッフに言えばWiFiを教えてもらえる。
えんどう豆
ttps://maps.app.goo.gl/iyhfnrRcuzAD99C19
横浜駅から徒歩5分 / 8:00~19:00(月 13:00~、日 〜18:00)
鶴屋町エリアで GRASSROOTS が空いていなかったらそのまま奥に進んでこちらに。
カウンターに案内されると窮屈だけど、テーブル席が空いていれば◎
ttps://maps.app.goo.gl/Pb1PLcG2yUWND3yB8
東口側だと商業施設内以外の店舗はないと思う。ここもオフィスビルの中なんだけど、席数が多くて比較的空いている。土日休みなのと閉店が早いのが残念。
ただ金港町を抜けるならベイクォーター内のカフェにワンチャンかけたほうがいい説はある。
備考 :
(追記)元増田のトラバでネカフェに関する言及があるけど、横浜駅周辺のネカフェだったら西口のパルナード通り(ドンキのある通り)にある「俺の部屋」っていうところがおすすめ。完全個室で落ち着ける。
上司は怒っていたからその分だけ不幸になって、世界の80億人の幸福・不幸ランキングの順位は落ちたことだろう。
相対的にそれ以外の79億9999万9999人は幸福・不幸ランキングは優位になったことだろう。
さらに、その様子を目の前で見て楽しむことができたオレは79億9999万9999人の中でもかなり幸せな方だったはずだ。
上司はいったい全体何をそんなにもピリピリと怒りっぽくなるんだろうな。
一応管理職だからそれなりに金はもらってるだろうけど、年齢的に取締役はまず無理だからしょせんはオレと同じく労働者という立場だから会社の経営にそこまで必死になることもないのに。
まあでも感謝しなくちゃな。
上司が勝手に怒って幸福・不幸ランキングを自ら下げていて、その無様な醜態をオレに見せるというエンタメを提供してくれるんだからな。
人間怒ると感情的になって、まともな人でも変なことを口走るよな。
具体的なことを書くと特定されるから書かないけど、語句とか口調とかリズムとかその人ならではのオリジナリティにあふれているよな。
そこが作られたお笑いとは違ってていいよな。
お笑いなんて台本に従って作られたものだし、アドリブでもある程度のパターンが決まっているからな。
怒って感情的になった人間は予測不可能だし、笑わそうという意思もない。
『バクマン。』作中で提唱された『シリアスな笑い』ってのが近いと思う。
作者はギャグのつもりでは描いてないけど、シリアスな場面なのに笑えてしまうってやつ。
身近な例だと、葬式で笑ってしまうってのも似たようなものだと思う。
身内の死という悲しい場面で、高い教養を身に着けた僧侶が、鎌倉時代から連綿と伝わるお経や念仏を唱える。
その非日常さと、常人には理解の届かぬ言葉や作法の数々は、作られた笑いをはるかに凌駕するエンターテイメントだ。
人が死んだらなぜかスキンヘッド・モンクが訪問してきて、日本語かどうかもわからぬ言葉でのゲリラライブを強要するんだからな。
駅とかで知らない人から怒鳴られたら誰だって怖いしオレだって怖いよ。
でも怒る人がオレの上司で、知識も教養もあってメチャクチャ仕事のできる人で、普段は優しい人だもん。
そんな人が怒ると感情的になって、普段の理路整然とした言葉遣いや立ち振る舞いからかけ離れたことをしでかすんだからな。
笑いをこらえるのに必死だったよ。
さっき、「具体的なことを書くと特定されるから書かない」って書いたけど、やっぱり書きたくなったからちょっとだけ書く。
出川の定番芸といえば、落とし穴に落とされて「頭おかしいだろ!」と叫ぶこと。
上島なら、熱湯風呂に後ろから突き落とされて「殺す気か!」と叫ぶことだ。
成人男性が上記の言葉を叫んだら大抵は人を怯えさせることになるけど、出川や上島はしゃべり方や所作振る舞いで笑わせてしまよね。
あれに近いけど、上司はその場に応じた臨機応変なアドリブを入れてくるし、その言葉の根底にはオレのためを思ってのことっていう思想もあるんだもん。
面白いに決まってるよ。
亡くなったのはまだ一年程前だったのか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/688590ddec8c5766cbb3d5b21f2280298f4d7612
亡くなった方の事はよく知らなかったが、そんな状態だったとは。
まずい事にこの薬に慣れてくると、いくら飲んでも眠れない。
すると記憶が飛ぶ。
いろんなところに電話したり、色々飲み食いしたり...でも翌朝には覚えていない。
なので鬱症状の人がこの薬を服用して、アルコールを摂取するのは非常に拙い。
拙かったというのが正解だろうか。
後になって思う事が有る、あの薬は慣れると全く効かなくなるから、
処方されても服用しない方が良かった、と。
増田の方達で、睡眠導入剤(メチコバール等)を服用されている方にお願いした。
直ぐに服用を止めた方がいいです。良い事は何もないので。
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。
東京国立博物館(以下トーハク)はこのご時世になる前は年パス(メンバーズパス)を持っていたくらい通っている。
なので下記記事が出る前からトーハクが金銭面で苦労しているのはわかっていた。
https://bunshun.jp/articles/-/59847
入館料等値上げがあったのもやむなしと思っているし、これ以上値上げして裾野が狭まるのも本意では無いだろう。
それは飯事情。
トーハク内のレストランはホテルオークラのものだ。現在休止中の法隆寺宝物館の方もホテルオークラだ。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=124
そしてトーハクは再入場を認めていないので基本館内で飯をどうにかしないといけない。
一応キッチンカーも来ているが日替わりなのでその日の運だ。先日は丼ものと珈琲だった。両方飯にしてくれ。
仮に再入館出来てもあの周辺はいつも並んでるカフェとスタバとあと上島珈琲くらいしかないけどな!
トーハクは本館だけでなく平成館や東洋館も見ようとすると一日あっても時間が足りないボリュームである。
なのに飯が食えないとなると致命的だ。後半は空腹で集中力が低下するだろう。実際低下した。