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はてなキーワード: シンパシーとは

2024-10-06

10/5

私の父親はめちゃくちゃ変な人で、私はよく自分の知り合いにその話をよくする 笑い話として

どう変なのかは長くなるからここには書かない

けど、話を聞いた人が全員私の父親のことを「イカれてる」とか「面白い」って言ってるから多分客観的に見ても本当に変な人なんだとは思う


こないだ知り合いの男性にその話をしたところ、共通の知人にその話が伝わって

そしたら、「〇〇さんのお父さん変わってますよね、実は俺の父親もヤバくて……」みたいな感じでその人に話しかけられて

え、そうなんですか〜って結構テンション上がってしまって

なんでかと言うと、物心ついたときから変わり者な父親に振り回されてきて、それを周りの人と比較することで少し寂しい気持ちがあったか

ちょっとシンパシーみたいなものを感じてしまったんだよね

それで、その人の話をよくよく聞くと、

その人の父親も確かに変な人ではあるんだけど、どちらかというと毒親に近くて

口答えすると殴られた、勉強しないと怒鳴られる、家に遊びに来た友達を殴った、とか

そういう、笑い話のレベルではない昔話をその人に延々と聞かされた

話を聞いている途中から「私のお父さんとはタイプの違う人だな」と思い始めて

その人は昔のエピソードトークを嬉々として語ってくるんだけど

なんか変なスイッチ押しちゃったな……って私はちょっと申し訳なく思いながら聞いてた


それで、最後に「俺は子供まれたら絶対虐待ちゃうから結婚したくない。〇〇さんも子供まれたら殴るでしょ?お父さんみたいにw」

みたいなこと言われた瞬間にめちゃくちゃムカついて

「いや、うちのお父さんは優しかったし私はそんなことしないですよ」って早口で返してしまって

そこからその人とちょっとした口論になった



私もスルーすればよかったものを…と思う気持ちもあるけど、その人の言葉の節々から「お前の父親も俺の親父と同じ嫌な奴なんだろ?」というニュアンスが伝わってきてたか

それを受け入れるのは嫌だな、と思ったか咄嗟に言い返した

言い返したときに、私って結構お父さんのこと好きなんだなと初めて自覚した

かに人のこと殴ることもあるけどそれは余程の理由があってのことだし よく怒るけどよく笑うし 他人には優しいし やること全部豪快だけどみっともないことは絶対しないし


エピソードだけ聞いて家の中での態度とか私との関係性を勝手邪推して馬鹿にするって最悪でしょ

お前のダサい父親と一緒にすんなよ

2024-10-02

anond:20241002114050

やっぱりテロリストシンパシー感じてるやつはまともじゃないな

anond:20241001072105

古い意味でのオタク唐沢俊一シンパシーを覚えるようなやつは、まずいないだろ。

オタク界隈では、せいぜいで「サブカルの人」扱いで、率直に言えば馬鹿にされるか嫌われるかしていた人。

少なくとも、オタクとしての基準で高く評価されているのを見たことは無い。

人間関係トラブルだって、年齢のせいではなく若いから日常茶飯事で、弟からすら共著の連載記事内で公然と批難されていたこともあった。

我々オタク晩年もろくなもんじゃないだろうけど、唐沢俊一を見て「俺たちもああなるかも」と思う要素は無いよ。

2024-09-22

ゆるキャン

今頃読んだんだけど面白いな。まぁ常識的にはあん女子高生たちおらんやろ(いてもあんなに局所集中しないやろ)、とはなるんだけども

あんだけ「みんなで」とはならずに、ソロならソロで、一緒なら一緒で、って感じで、ちょっとしたすれ違い程度でろくに衝突もせずに上手くやれるとか聖人だらけやん。

キャンプ経験はないけど、日が昇る前にツーリング出かけたりはするのでシンパシー感じるシーンも多かった。

関西在住なので地名みてもあまり勘がはたらかないしなんなら読み方も……山梨って群馬に接してるんだっけ?って地図みてしまったわ(接してないけど意外と近い)

2024-09-07

きりみんちゃん、プログラマー卯月軍団・茶競プロerアラサー鬱病という点でかなりシンパシーを感じていたので普通に彼女作れるような人なんだ…と驚いた

それはそうとして熱い湯に漬かってフルーツ牛乳でも飲んで元気出してほしい 遠くからですが応援しています

2024-09-06

公務員1X年目の元ニート40代限界が来ているので「辞める」「精神病になる」「ギブアップする」の三択と向き合っている

ガチ進学校

深海魚

引きこもり

浪人

ニッコマ大学

中退

ニート

年齢制限ギリギリ公務員

1X年務めるも未だに平

平だけどメンタルがそろそろ死にそう ←NOW on NOW

公務員の何が凄いって平でもそこそこ責任のある仕事を「押し付け」て貰えること。

役所に積み上がっている仕事のうち8割は強い責任感が求められる仕事だ。

世の中に責任感が求められない仕事なんて全くないと言っていいだろうが、それでも強い責任感を求められるのはベテランや一部のブルシットぐらいで、その中でも公務員はブルシットかつハイプレッシャーにおいて突出している。

プレッシャーに押しつぶされて人生をのたうち回ったはずの自分が、目先の安定を求めて公務員になったのが紛れもなく失敗だった。


特に何が辛いって35を過ぎたあとの転職先のなさ。

同業他社とも言える他の公務員がその辺りに年齢制限しかけてきて途中入場を完全に断り、同時に他業種が新規参入を断ってくるのも35ぐらいから。

ここまでの間に公務員以外の業界転職しなかった場合は、一生同じ職場で過ごすか、辞めてから「異常に入るのが簡単業界」に潜り込むしかなくなる。

もちろん、「死ぬ」という選択肢もあるにはあるが、それは全てをやりきったあとの話なので今話しても意味がない。

俺は公務員に入るまでの間にあまり人生無駄にしすぎた人間であり、速攻で公務員に見切りをつけた場合は「公務員も◯年しか出来なかった中卒元ニート」として転職市場に飛び込むことになる。

それはマジでヤバイからと踏みとどまっているうちに、結果として今度は年齢制限により行き先を失ってしまった。

俺が今から公務員をやめて入れる業界は本当の3K業界だけだ。

まりビル清掃員、ライン工警備員運送業者、ウーバーイーツといった正真正銘の「受け皿」である

面白みもなければ待遇も良くない業界に行くぐらいなら、つまらなくてプレッシャーまみれでも公務員のほうがまだボーナスぐらいは貰えてマシだとは言える。

だが俺はもう日々のプレッシャーに耐えられるだけの体力がない。

月の残業は平均60時間程度でそこまで絶望的というわけでもないのだが、とにかく毎日仕事苦痛すぎるとそれも耐えられなくなってくる。

仕事自体は、単にやってきた案件を適切な所にばら撒き直すだけの郵便仕分け装置のような立場しかいから超つまらないし、そうしてつながりのあるあらゆる界隈から「お前が完璧仕事をこなさないと困るんだが」と凄い勢いでケチをつけられ続ける。

自分たちが適当にグチャグチャやったあとの後始末をぶん投げいるだけの癖に「速攻で完璧にやるのがお前の役目では?」とやたら強気相手にいつもイライラさせられながら、自分の手にはなんのスキルも身につかないままに誰かの力を借りて片付けてもらう無能手配師として日々を生きている。

組織トップ達が「俺の手柄、これマジで凄い」とアピールするための玩具パーティーを用意するために雑に予算を奪い続けてきたせいで、職場のあらゆる資源が枯渇しており、パソコンFAXさえもボロボロな状況の中で必死にやりくりする日々に泣きそうになる。

それでも頑張っている中で、上から降りてきた仕事をただそのままウォーターフォールさせてはロクに管理もしない上司から「なんで早めに終わらせてないの?」と「なんで残業減らせないの?」をダブルバインド自覚もないままに日々繰り返し聞かされることこそが最大の辛さなのではという気もする。

社会からズレた場所でただ降りてくる仕事ライン工のようにこなし続けてきた人間に、管理分野の仕事なんて務まるはずがないのにそれを押し付け組織問題があるわけだが、このままここであと10年もやっていれば、自分がまさにそのクソったれた管理者となり、自分の役目はこれだとばかりにただ部下への催促を繰り返し忖度をおねだりするだけのゴミになる未来を想起するだけで気が遠くなりそうだ。

俺はもうこの仕事が嫌いすぎる。

こんな無能共が階級社会迎合してロクに組織改革もせずに税金無駄に垂れ流していることも許せないが、それを変えられるだけの力はこんな所でダラダラと人生を潰してきた自分たちカスにはあるはずもない。

致命的な無能として生き続ける日々、その中で無能同士なりのシンパシーがあるでもなく奴隷同士の内輪もめを繰り返して生きていくのは流石にしんどすぎる。

俺はもういい加減辞めたい。

降りたい。

せめて残業を月20時間ぐらいにして欲しい。

というわけで、「辞める」「精神病診断書を貰う」「上司ギブアップを伝える」の三枚のカードを心のなかでいつも睨みつけて働いている。

どの選択肢もそれぞれにデメリットがあり、そして間違いないく一方通行だ。

段階として、まずはギブアップを伝え、それで駄目なら精神科に行き、そして最後に辞めるという順序もあるだろう。

精神科で下手に診断を貰ってしまう前に辞めるという選択もあるし、辞めるために行動を起こすことで環境が変わる可能性もある。

一つ言えるのは、それぞれのデメリットが大きすぎるから何も考えずに同時にやるべきではないってことだろう。

まずはどれか一つだ。

どれを選ぶべきか。

上司ギブアップを伝える」というのは実は何度かやっているが、ただ「もう無理です。仕事減らしてください」と伝えただけであり、それに対して「でもさあ、お前と同い年の人はもっと沢山働いてるのに、自分だけ仕事が少なかったら恥ずかしいよね?」とパワハラまがいの反論を食らうだけだった。

我が職場情報保全意識が高いので職場ICレコーダーを持ち込めないから、上司のこの発言は虚空に消え私の心の中に響くのみというのが虚しさを加速させる。

この職場は、官僚社会は、構成する人間を守ろうとする意思が極めて弱く、構成員は犠牲になるだけの歯車、いや歯車に塗られたグリス、それを磨くためのウェス、ギアを回すためのエンジンにくべられる薪の一束、存在価値など虚無に等しくいらくでも変えの効く消耗品なのだ

許しがたい組織だ。

だが俺のようなニート中卒に人並みの給料を払ってくれそうな職場はここぐらいしか思いつかず、その地位に思わず飛びついたのは俺だ。

地位」によって給料が決まるという今時の言説を真に受けて人生を選んだが、そもそもその話は「地位を選べるような技術を身に着けろ」という話であって、「技術を身につけることを諦めてでも地位にしがみつけ」というのは、短期的にはよくても長期的には袋小路しか待っていないのだろう。

俺はもう無理だ。

うきゃー~~~~^だfだっさfだ!Fdfsfsda!!!!!!!!!!!!資格を取ってビルメンになるんだ~~~~!RFSsっふぁsうわぁぁぁああああああああああうい

と頭がおかしくなりそうなにるのをいつも必死に堪えている。

ビルメンになった先にあるのは、同じように人生を転げ落ちた人間同士の平和な傷の舐め合いなんかじゃない。

下に落ちれば落ちるほどに、底辺階級同士の醜い奪い合いが起きているものだ。

そして、そこでは今以上に「換えの効く人材」としての酷使が待っている。

から安易に逃げ出すべきじゃないんだ。

逃げ出すべきじゃなかったんだ。

「逃げる」という必殺のカードを使うタイミング人生の序盤に持ってきすぎた。

もうこのカードはこれ以上切れない。

俺の人生はどん詰まりだ。

だけど、偶然を信じてもう一度「逃げる」という手を叩きつけ、盤面で何かが起こることに期待しないといけない時が近づいている。

たった60時間残業でも、上司から顧客から理解を得られない環境で働き続けるというのは恐ろしいほどに消耗するんだ。

同僚同士で愚痴り合っているときに感じる「ああ、俺がおかしいんじゃなくて、やっぱり俺達の周りにおかしい奴らがいるだけなんだ」という安心感と、ボーナスを込みで考えれば最低賃金とは比べ物ににならないような給料けが俺を支えている。

間違いなく言えるのは、今俺達の上にふんぞり返って「俺こそがお前達を活かしてやっているのだ」という顔をしているアイツは、俺達の心を降りながら自分の保身をしているだけのカスだってことだ。

そして、上司となるための技術が全く身につかない日々を送っている俺が、もう10年か15年からしたら、あの席に座ってカスとして皆から嫌われて寂しく生きるだろうってことだ。

権力が人を変えるのではなく、権力に近い立場にいる人間押し付けられる席がカスにならなければ生き残れないカスのような役割であることが多いってことなんだろうな。

辛いよ。

下っ端の頃も辛かったし、中堅になった今も辛くて、上に行っても辛いんだ。

ずっと辛い。

ずっと辛いことが分かっているけど、転がり落ちてタクシートラック運転する人生だってきっと同じように辛いのなら、せめて給料ぐらいは安定してそこそこ貰いたい。

嫌な人生だ。

収入が低くてもいいから、自分社会価値提供していると信じられる仕事についたほうがいいんだろうか。

でも、安い給料は心が壊れた時に自分を守ってくれない。

俺の溜め込んだ給料は、税金を払って病院に通い続けても3年ぐらいは俺の命を守ってくれる。

ドン詰まった人生を終えて死ぬまでに3年間あるのと3ヶ月しかないのとでは、やっぱり何かが大いに違うと思うんだよな。

悲しいのは3年ニートしてから社会に戻るって選択をきっと俺は選べないってことだ。

というかな、俺なんかが3年ニートしたあとに社会に戻してもらえる気がしないんだよな。

社会はさ、能力もないのに逃げる人間に厳しいからな。

だって無能である人間にできることは「逃げないこと」ぐらいだから

手に職を身につけることなく、地位にしがみつくことで生き抜こうとした無能の末路がこれだ。

他の無能共は、人生の道を誤らないでくれ。

地位大事だけど、まずは技術だよ。

2024-09-02

やす子は児童養護施設出身ということで24時間マラソンランナーに選ばれましたが、フワちゃん発達障害あたりを抱えた障がい者であることはほぼ確定なのですから、十分マラソンランナーに適任ですよね?

やす子が走る→児童養護施設の人からシンパシー

フワちゃんが走る→障がい者からシンパシー

2024-08-28

産後の恨み一生おじさんへのシンパシーブコメが見逃していること

anond:20240827012946

おじさんへのメッセージ

https://anond.hatelabo.jp/20240828002410

この追加で書かれた文章でおじさん自身も気づいているように、はてなブックマークには恐ろしい呪詛を吐くユーザーがたくさんいる。私も、自分文章を書き、ブコメをつけられるまでは、ヤフコメや5ちゃんねるなんかと比べて、知的水準の高いユーザーが多いコミュニティという印象を持っていた。しかし、いざ自分コメントをつけられ、それを落ち着いて読む立場になってみると、実は、何の知識にも基づかないのに断定口調で述べられるデマ文章曲解に基づいたマウント正義の側に立ったつもりの「良識的」な説教、そして単に悪意に満ちた呪詛の方が多い。

これらのコメントは、大抵は容易に反論できる的外れものだが、はてブはそうできる作りにはなっていない。そして内容にかかわらず、悪意的なコメントに大量に晒されることは非常にストレスフルで、心が傷つく。SNSの適切な使い方としてよく言われる「実際に面と向かって人に言えないことは書かない」という注意があるが、はてブの仕組みは個人に対する炎上が起きにくく、言い逃げがしやすいため、到底人に言えないような底の抜けた罵詈雑言を発する人が少なくない。これらの人たちと建設的な議論をすることは不可能から、今ははてブから離れて気分を入れ替えてほしい。

本題: 多くのブコメが見逃している二点

まず前提として、私はおじさんを一方的擁護するつもりはない。片側から意見なので、都合の悪いことは隠しているかもしれないし、そもそも人間認知バイアスとして、自分行為過大評価し、他人行為過小評価しがちだ。

しかし、ブコメに見られた典型的批判には、不十分な考えに基づくものが二点あり、それを指摘したい。

1. 制約条件の無視

おじさんに対する批判の中には、「おじさんはお金を稼いできただけで、子供の世話という実働には加わっていない。だからサポーターに過ぎないのに、育児に参加したような面をするのはおかしい」というものがあった。しかし、この批判は「生活を維持するにはお金必要で、夫婦の少なくとも一方が働かなくてはならない」という至極自明な制約条件を無視している。働く側が育児の実働に参加しづらくなるのは当然で、お金を稼ぐという方法育児を担っているとみなすの自然ではないだろうか。

2. 主題・貢献の総量の無視

おじさん批判として、以下のような主旨のものも多く見られた。

  • 妊娠中、夜鳴きがひどい時期、子供が騒いでいるとき他人事のようにテレビを見ていた。これらのとても辛い時期に協力しないというのは決定的な裏切りで、ずっと恨まれても仕方がない。
  • これらの時期以外に協力したからといって、育児の美味しいところを楽しんでいるだけ。
  • 仕事よりも乳児の世話の方が辛い。

まず、今回の話を思い出しておくと、おじさんが二十年の育児という共同作業を妻とやり遂げたつもりだったのに、妻から自分の貢献がないように言われたことにショックを受けた、というものだ。つまり主題おじさんが特定過去出来事に対して妻からずっと恨まれても仕方がないのかや特定の時期の育児仕事よりも大変かではなく、おじさんの貢献は「自分が育てたような気持ちになられるのも不愉快だ」と言われるに値するほど小さなものなのかいうことだ。

もちろん、この批判をする人の中には、このことを理解したうえで、おじさんの犯した失敗は極めて重大で巻返し不可能なほど大きな失点で、妻からあのように言われるのも妥当だと考える人いるかもしれない。しかし、これは正しい評価だろうか?おじさんは二十年間、子供を三人育てるに足る稼ぎを得てきたのだ。例えば、三歳児の父で、子供生まれたての頃には育児に非協力的で、最近になってようやく協力し始めたのにイクメンを気取っている人とは訳が違う。この二十年という長い年月の貢献を、重大かもしれないが短い期間のミスでなかったことにしてしまうのは、まともな評価とは私には思えない。

もう少し言うと、乳児の頃の世話が最も大変ということは、裏を返せばある程度子供が成長すれば手間は減るということだ。具体的には、小学生になれば日中の世話はほとんどなくなるだろう。つまり育児要求される労力の量には時期的な波があり、後半は楽になる。だから乳児の世話の方が仕事よりも大変だとしても、それだけで二十年間にわたる家計の支えというコンスタント献身を軽視するのは不当ではないか。貢献を評価するときには、全期間にわたっての総量という観点を持つべきだ。

2024-08-25

anond:20240825130048

自分たちと似たような境遇の土方焼け赤首白クズシンパシーを感じてるとかじゃないかな?

あとは中共ガツンと当たってくれそう、という印象でトランプ推しなんじゃないか

2024-08-23

anond:20240823102923

そもそも日本で今迷惑かけてるクルド人の大半が共産主義なのよ。

クルド人という単位だとトルコではエルドアン大統領の親クルド政策ですでに国会議員にも登用されてるし、

イラクではクルディスタン自治区というクルド人主体自治体存在してる。

しかトルコ国内PKKっていう共産主義の元にクルド人国家建国しようクルディスタン自治区は認めないって政治集団がいて、

これが上記の動きに反発してトルコテロやらかしてる。

で、当然トルコ軍は容赦なく彼らの一族もろとも叩き潰しにくるので彼らの一族日本含めた方々に逃亡してきてるわけ。

例の川口クルド人祭りなんか行くと子供までPKKの旗振ってるんでそれを隠そうともしていない。

実はクルド友好議員連盟というのがあって、

これはかつて頭山満の孫の頭山興助とかあの杉田水脈所属していて、むしろ保守の方がクルドとの結び付きが強かったのだが、

彼らが同調していたのはイラククルディスタン自治区の方。

これは民族主義的なシンパシーを感じたとも考えられるが、裏の目的石油利権への影響力保持と思われる。

クルディスタン自治区は大規模な油田を抱えていてトルコにも輸出してるからね。

保守議員達は昨今の反クルドの風潮を受けて議連からは身を引いてるけど、

よく見ると保守系の中にもとにかく外国人は出てけという排外主義派に隠れて、

共産主義の悪いクルド人」と「彼らに巻き込まれてる善いクルド人」を判別し、分断しようという勢力がいることが分かるはずだ。

2024-08-12

エロ漫画を描き続けた結果、女に嫉妬する化け物になっていた

俺はエロ漫画家だ。

と言っても専業ではない。所謂兼業作家で、エロ漫画イラストを描いている。

アカウントがバレたら本当に生きる糧を失うため割合はボカすが、本業作家業で去年は1300万円程度稼いでいた。それくらいの規模のアマチュアだ。

増田投稿しようと思ったのは、自分感情思考を吐き出せる場所をどこも作っていなかったからだ。俺の過失なのに、本当に申し訳なく思う。

女々しく、醜く、気持ちが悪いと自分でも理解しているが、感情吐露したくてこの日記を書いている。

結論から言う。俺は女創作者やそのファンが許せなくなった。

正確に言うと、女であることを武器にしている女創作者とそれに群がる男たちが許せない。

それは作家業に限らず、配信者やVtuberなど全てにおいてだ。

そして、それに嫉妬している自分自身が何より許せない。

ことの発端は、とある創作アカウントを見つけたことだった。

執筆の休憩がてらX(旧:Twitter)を覗いていると、ひとつのR18系の創作アカウント投稿が目に留まった。所謂ちょっと攻めた性嗜好の開示イラストだった。

その投稿からアカウント本体のページに飛んでみると、本格始動から三カ月程度で、フォロワー数は三桁台。先ほどの投稿フォロワーからすれば十分に伸びていた。

俺はメディア欄を漁り、そのほとんどが一次創作であることに驚いた。

いまどき、一次創作にこだわる奴は馬鹿だ。名を上げたければ二次創作をやったほうが遥かに効率がいい。YouTubeで有名な某絵師もそれを認めているし、推奨している。

からこそ、俺はこのアカウントに好感を持てた。

昔、一桁イイねがザラだった時代に数百のイイねがついたときを思い出した。その時はフォロワー数のエグい有名作家たまたま俺の投稿をリポストしてくれた影響が殆どだったが、それでも、俺の絵が認められたような気がして本当に嬉しかった。今では数百数千のイイねなんて当たり前だ。

から二次創作勝負しないなんて骨のあるやつだと。俺は勝手シンパシーを覚え、応援気持ちを込めて、フォローしてリポストもした。

それから1か月後、件のアカウントが気になり、メディア欄を確認した。

その中にネイルアートを施した色白で細い指の写真があった。

まぁ、分かっていた。描き文字の癖や画面の構成的に、女だろうとは予想していた。

俺は人じゃなくて、作品を観て評価しているのだから、こんな投稿別にどうだっていいはずだった。

不意に、自分の指を見た。ごつごつとした男の指。幼いころの習い事で出来た傷痕。冬場だったからか、少しささくれが目立つ。

俺が同じ投稿をしたらどれくらいの反応が貰える?

なんとなく、その投稿無視した。

俺の中でこと切れたのは、そこからまた1か月後のことだった。

そのとき、俺は1時間くらいかけたカラーラフイラスト投稿していた。

少し手心を加えたカラーラフは労力の割に結構伸びる。フォロワー勝手に完成形を想像、補完し、期待を膨らませる。

すぐさまイイねがつく。いつも通りの伸びだ。いまだに通知欄に溜まる数字を見ると心が高鳴る。この数字は俺の努力に対する報酬だ。

作品が売れるのも嬉しいが、拡散され、俺を知る人間が増えるのはもっと嬉しい。

肯定でも否定でも、コメントがつけば心が躍る。それがアンチでも、無視されるよりよっぽどいい。

通知欄を眺めていると件のアカウントもイイねをつけてくれていた。この前のネイル投稿以来、考えないようにしていたのだが、久々にアカウントを覗いた。

フォロワー数は四桁に達していた。ファンボックスなんかも始めている。いつも通りメディア欄を確認した。

そこには、セーターとスカート姿の首から下の自撮り写真があった。

どこぞのテーマパークに行ってくると、添えられていた。

300イイねくらいついていたか

俺が、それくらいのアカウント規模の時は、300イイねも貰えなかった。

俺は、その300イイねを貰うために、様々な努力を重ねた。

受験勉強に耐え、そこそこの大学に進学した。

学歴はある種のリスクヘッジになると考えていたから。

休みが多く経営の安定している大手メーカー内定を何とか勝ち取った。

安定した生活創作の基盤になると考えていたから。

二次創作はしてはならない。

それは才能のない弱者のやり方だと考えていたから。

創作者は自我を出さない。

消費者作品を求めるのであって作者を求めていないと考えていたから。

それなのに、コイツは生まれ持った性別だけでこんなにも注目されているように思え、心底妬ましくなった。

そして、コイツにとって創作とは人生の一側面に過ぎず、それ以外は幸せで満たされ、煌びやかで充実しているとさえ思えた。

瞬間、今までの人生で抱いた不満や違和感連鎖が始まり、俺の狭い世界は毒で溢れた。

どこもかしこも、脳死で女を持てはやすばかり。

女を強調したコンテンツばかりが伸びている。

卵子に群がる精子が如く、釣られた馬鹿な男たちが挙って金と時間を注ぐ。

自分に才能があると錯覚した女が調子づく。

俺のような男は才能があっても誰も見向きもしない。

結局は男の配下となり生きていくのに、どうしてそんな無慈悲なことをするのか?

大人しくしていろ。

卑怯だ、下劣だ、妬ましい、羨ましい。

全てが俺の妄想なのに、真実のように思えて仕方がなかった。

そして、憎悪と同時に俺は自己認知の歪みにも気がついた。

俺が努力と呼んでいた全ては、創作にとって何の関係がある?

俺が勉学に励んだこと、自身を抑圧することに一体何の関係が?

俺は、世界は常に公正で秩序があり、自身は報われるべき存在の一つである錯覚していた。

自身正当化するため、自分の置かれた現実さえ捻じ曲げながら生きていた。

時間にして数分だったと思う。何か夢を見ていたような気がした。

そして、今までの人生がとんでもなく惨めに思えた。

自分創作人生を顧みる。

エロ漫画家になりたいと思ったのは、学生時代寮生活で貸してもらったペンギンクラブというにエロ漫画雑誌に心を動かされたからだ。

エロ漫画家に憧れるなんて変な話かと思うかもしれないが、モテない男たちが漫画雑誌を片手に賑やかに談笑する様を見て、もし俺の描いた漫画でこんなに楽しいひと時を作れたらどれだけ幸せだろうと思えた。本当に当時はそう思った。

でもいつしか、その目的手段に成り下がっていた。

できない、やらない理由創作押し付け自分人生犠牲にして皆を笑顔にしているのだと本気で思っていた。

結果、エロ漫画を利用してチヤホヤされたいだけの、小さな世界に閉じこもった醜く浅ましいミソジニストに成り果てていた。

疲れても苦しくても、ネームを描き、作品を仕上げていたのは読者のためではなく、肥大化した自己愛をどうにかして慰めたかたからに他ならない。

俺はただ、誰かに認められ、愛されたい人間であることにようやく気がついた。

俺は今でも創作を続けている。もう習慣になってしまっているから。

自分で作った毒が消えない。いまだに女の作るコンテンツ直視できない。

承認欲求をこじらせた無名のうわ言に付き合ってくれてありがとう

2024-08-11

anond:20240810180901

ひとくちに右翼といっても旧来のゴリゴリ教条的なやつから最近参政党や日本保守党ファンみたいなフワフワした空気で動く情緒保守層までいるわけだ。

「旧来のゴリゴリの」が親イスラエルというか、はっきりと反パレスチナなのは不思議という方が不思議ではないだろうか? 重信房子とかテルアビブ空港乱射事件歴史的インパクトに照らせば。

一方の「最近情緒保守層」は妙にトランプを慕っている。アメリカ宗教保守にもどちらかといえばシンパシーを持っているだろう。シオニスト友達の友達友達というわけだ。そこにはやや飛躍があるが、それは本邦ネトウヨの発想が飛躍してると言うより、アメリカ国内でのキリスト教右派シオニズムの結びつきにそもそもギャップを無理やり繋ぐ飛躍があるというべきだろう。


しかし彼ら情緒保守層が何を支持するかの選択誘導してるのは「〇〇が好きだから応援したい!」というプラスインセンティブより強く「✕✕なんかとつるんでるやつはどうせろくでもない」といった負の感情だろう。

そこでは「バカ右翼の考えることはわけがわかりませんなぁ〜」という蔑視の目が重要役割果たしている。

百田とかがテキトーに示した道筋の沿道両脇を和式リベラルが固めてコースを逸れないようにがっちり協力しているのだ。

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福音派シオニズムの結びつきのシリアスさについての理解も肌感覚当方持ち合わせない。それは日本人がキビヤック作法に通じないくら本来アタリメエのことだが、「なんで欧米がああまでユダヤイスラエルキンタマ握られてるのか」不思議に思うならそこは調べないといけないだろうな。とはいえ表面的な記述をなぞっても意味なさげ

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保守というのはリベラルと同様に自称であり僭称であって本来もっと適当呼び方を考えるべきではある

anond:20240810132102

まあ、事実だよな>産業革命まではヨーロッパなんか世界史の傍流たったくせにと思ってる。

なるほどねー。そういう理由かー>産業革命前まではオスマン最強だったことを引きずって、アジアの元盟主みたいな意識と、アジアを抜けてヨーロッパに入りたい意識との間で揺れる。いち早く西欧化した日本に今だにシンパシー

まあ2000年前ですらすでに古代遺跡扱いだったからなあ。盗掘がメインだったりしたし>花形職業観光ガイドという観光立国だが、古代文明への誇りはあんまりない。

2024-08-10

anond:20240809212549

とても面白かったです。

当方結構前ですがエジプトに計2年くらい滞在アラビア語目的留学)、多少アラビア語を話しエジプト人と交流のあった人間ですが、イラン人ペルシャ人)がアラブ人を嫌って見下している感じはわかります。まぁ実際、歴史的に見るとイラン先進文化的な国で、人も繊細な感じがします。

それに比べるとアラブ人イスラーム以降にイケイケで拡大しただけで田舎くさい感じがするし、特にエジプトは「アラブ大阪」という感じでコテコテから水と油かもしれません。言語もまったく違いますしね。

そして多くのエジプト人(もちろんすべてではない)はイラン人シーア派の人を蛇蝎の如く嫌っています無神論者とか共産主義者と同じくらいイメージが悪い感じです。キリスト教徒のことはそんなに嫌っていないし、エジプトには1割くらいコプトの人がいますから、まぁ宗派対立がないとは言いませんが、割と知っているしそれなりに共存しています。(追記当方イスラームへの関心もありアラビア語を学んできたので、イスラームシンパシーがあるのですが、エジプトにいると正直、コプトの人の方が上品で話が通じる確率が高い感じです。ただ、少数派はどこでも品が良い=そうでないと生き残れない、ということかもしれません。ハーリド・アル=ハミーシーの『タクシー』という小説勉強用に訳したりしていたのですが、この中でも、イスラーム的に非常に尊敬できる態度を取っていたタクシー運転手が実はキリスト教徒とわかり、語り手が恥じ入り、多数派エジプト人のだらしなさを嘆く下りがあります

「同じイスラームの中の異端こそが憎い」わけですが、この「全然違うと許せるけど、ちょっと違うと許せない」という感情一般によくあることでしょう。日本韓国だってよそから見たらめちゃくちゃ似ていますが、だからこそ変な悪感情を抱く人たちもいます隣国なんてそんなものかもしれませんね。

ちなみにカイロの町には稀に観光客イラン人もいますが、服装などの違いで一目でわかります特に女性はアップにした髪で後ろを盛り上げて前髪チラッと見せる感じが独特ですよね。顔つきもイランの人はシュッとしている印象。もちろん、嫌っているからといって道を歩いているとボコボコにされる、とかいうことはありません。

エジプトから見た隣国イメージについては、個人的に気になったので結構多くのエジプト人に聞いてみたことがあります

あくま個人観測した範囲ですが、サウジイラクなどの湾岸諸国についてはとりあえず「金持ち」。サウジにはエジプト人が大勢出稼ぎに行っています

エジプト地域大国で、アラブ諸国の中では人口で突出していますが、逆に人間以外なにもないので、サウジにはエジプト人が教職などでたくさん入りました。エジプトには世界最古の大学・アズハルがあります。その教師たちの一部が極端なサラフィー思想サウジに持ち込み、それが後の過激派組織を生む一契機になった、とかも言われています(まぁ色々な要素があると思いますが)。

シリアについては、上品イメージエジプト方言から見るとシリア方言フスハー(正則アラビア語)に近く、なんか「京言葉」みたいな感じがします。時代劇セリフを敢えてシリア方言でやっていることがありますエジプト人はうるさいけど、シリア人は物静かな感じがします。

アルジェリアとかモロッコとか、いわゆるマグリブ地方については全然別世界という感じでよくわかりません。この辺は方言も非常に異なり、エジプト人でもよくわからないようです。湾岸パレスチナシリアあたりの言葉エジプト人的には慣れれば問題ないようですが、マグリブフランスの影響も強く難しいようです(エジプト方言に親しんだ一ポンコツ外国人的には、パレスチナシリアくらいでギリなんかわかる程度、湾岸でもうわからないです)。

ここまではアラブですが、トルコについてはイランのような悪感情は持っていないですが、文明的、支配者層のイメージそもそもエジプトは元々オスマン帝国の版図にありましたし、あの辺りは日本のようにネイション区切りがわかりやすくなく、例えばエジプト人なら「エジプト」「アラブ」「ムスリム」と複合的なアイデンティティのあるものですから、割と連続なのだと思いますトルコ系の血の入った人は沢山いて、トルコ語由来の言葉も多いです。

エジプトに行くと「旦那!」「ミスター!」みたいに呼びかける「バシャ」という言葉をよく聞くと思いますが、これもトルコ語です。ケマル・パシャとかの「バシャ」。アラビア語はPとBを区別しないので(日本人にとってのRとLみたいな)、「バシャ」みたいに発音します。

話がズレますが、イタリアエジプト地中海を挟んで目と鼻の先なので、イタリアとも言語的に被るものがあるようです。アレキサンドリアなんて地中海文化で、大昔はローマ帝国の一部でしたからね。

こういう風に色んな支配者が入れ替わってきた地域歴史を考えても、アラブの拡大があくまイスラームの拡大であったのに対し、イランイランで割と確固としてあり続けていますよね。イスラーム化することでアラブ化した地域と、ムスリムにはなっても自分たち言語文化を維持した人たちがいるのだと思います

anond:20240809212549

俺の独断はこんな。

イラン

ペルシャ人としての誇りの塊。芸術科学技術は全部ペルシャ祖先だと思ってる。アラブ人トルコ人野蛮人だと思ってる。産業革命まではヨーロッパなんか世界史の傍流たったくせにと思ってる。

トルコ

産業革命前まではオスマン最強だったことを引きずって、アジアの元盟主みたいな意識と、アジアを抜けてヨーロッパに入りたい意識との間で揺れる。いち早く西欧化した日本に今だにシンパシーEUに入りたがるけど、ヨーロッパ人も100年経ってもオスマントルコが嫌いでとってつけたような理由で振られ続けてる。

エジプト

花形職業観光ガイドという観光立国だが、古代文明への誇りはあんまりない。当時の民族宗教も違うし。ギリシャ文化ローマ文化シーア派スンニ派文化アップデートを繰り返してるので、過去遺物だけど、ご先祖の誇りかどうかというと微妙メンタルとしてはアラブ人アラブ盟主を目指したかった時期もあるけど、最近は諦めてる。最高学府卒業生観光ガイドするくらいに若者仕事がないってのもあるけど、淡々客観的考古学見地解説してくれる。

イラク

隣国イラントルコが揃ってアラブ系を見下してきてるから気に食わない。アラブ盟主になって一泡吹かせたかったけど、欧米に潰された。

サウジアラビア

アラブの団結を叫ばれていつも困る。連帯しなくてもなんとかなる石油があるので、欧米敵対せずうまくうまくやっていきたいと思ってる。揉め事を起こすイラントルコエジプトカタールイラクレバノンが嫌い。

レバノン

キリスト教国のイメージ。なぜかイスラエルエジプトイランとが喧嘩するたび、なぜかレバノンで戦うからいい迷惑国民がブチ切れてテロ組織応援するようになり、負の連鎖

2024-07-19

anond:20240717024350

コメント質問に答える

スマホじゃなくね?

→色々とぼかして書いてんだよ!



産婦人科行く時にお母さんは何も聞かなかったの?

→うちの両親は典型的な「支配的な父親とそれに従う母親」で、私は父親の行動をなぞって育ったので、母親は余計な事を聞いてこなかった(聞きたそうにはしていた)






売春してるやんけ

→挿入は好きな男としかしていなかった(当時ただ1人だった好きな男に性病うつされて・・もうさ乙女心ブレイキングハート


性病なに?→へルぺす

・儲けで何買った?→化粧品美顔器コンビニで買い食い、服、ゲーム漫画画集フィギュア


文章おっさん→長い事2chねらーだった

現在はまとめとXとこことYoutubに入り浸ってる






もっといろんなエピソードがあるのに、増田だと長文は伸びないから書かなかった


いい男性がたくさんいるのは知ってるよ。でも弱者男性のことがど〜うしても気になっちゃうんだよな

無意識下でシンパシー感じてるのかもなあ



昔こんなものも書いたのでよかったら読んでね

https://anond.hatelabo.jp/20240107224248

2024-06-18

anond:20240617230419

コロンブスについてはSNSをかじってれば、ここ数年の間に海外ではポリコレ側が批判対象として像を撤去しようとしたりする一方、直近では、それに対して反ポリコレ側のバックラッシュの動きも盛り上がり像も記述も昔のままでいいだろ的な流れが大きくなってる、という激しい対立や変化をつかめる。

MVから後者の反ポリコレへのシンパシーを感じる。「歴史偉人ポリコレ見直しなんか必要いから明るくハッピーな未開人への教育描写を詰め込む」という気持ちを。

一方で、逆に「歴史偉人が実際にやってたことってこんなことよ」とわざと植民地主義を強調する作りにして世に伝えるポリコレ的なMVにも見えてくる。

そういう意味で両者のバランスが取れていたMVなのかもしれない。

2024-05-18

anond:20240518094432

オタク女のジャンルによる

同人系とかドールとかハンクラとかアニメゲームを家で楽しんでるインドアオタクはだいたい男オタクと生態一緒だしキャバ嬢シンパシーは抱かない

舞台とかアイドルとかバンギャとかのチケット争奪現場趣味が入ってくると、浪費傾向が出てきて美容ファッションに金を使い出しホス狂や整形インフルエンサーと同じような価値観ライフスタイルになる。そうなると、オタク女とキャバ嬢風俗嬢は昼職で稼げるスキルあるかないかの違いだけだし、昼職で稼いで浪費してるオタク女は、むしろうっすらキャバ嬢風俗嬢を見下してたりする。

2024-05-12

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

2024-05-09

anond:20240509192209

そうなんだ

シンパシー感じると思うわ。多分、読者層

anond:20240509142449

真面目に"ゆきむら。"見た方がいいぞ、その信者言動シンパシー感じるはずだ。っていうかまんま同じだし

アラサーらしいか増田若者じゃなくても安心

anond:20240509142014

自己紹介なんだよなぁ

あと、"ゆきむら。"おすすめです。きっとシンパシー感じるはず

anond:20240509002634

  1. まず、Googleを開きます
  2. 次のワード入力します。 "ゆきむら。"
  3. 出てきた好きなサジェスト選んでください。"炎上" "wiki"
  4. おそらくシンパシー感じるんじゃないかと思います。側から見るとまんま一緒
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