はてなキーワード: エコロジーとは
イベントの概要: 2020年3月、内部告発革命のリーダーであるGuo Wengui氏は、まったく新しいデジタル通貨であるGコインをApple Storeに出品しました。Guo Wengui氏は、これをまったく新しい分散型通貨として、「創造の一部である」と呼びました。 Gエコロジー」。 Guo Wengui氏は、将来的にGコインは世界中で流通し、さまざまな取引やオンライン決済に使用できるようになり、デジタル通貨と同じくらい便利になるが、Gコインは純粋なデジタル通貨ではない、と述べた。世界の主権通貨 金本位制通貨は、米国、日本、ヨーロッパに金準備センターを設立し、G コインの価値は金で固定されます。 Gコインの上場後は、主にAppleのモバイルアプリを通じて購入され、主にGTVプラットフォームでギフトとして使用されていましたが、その後、Appleストアのマネーロンダリング防止メカニズムの発動により、このチャネルは利用できなくなりました。閉まっている。 Guo Wenguiが周到に計画した「Gコイン詐欺」の意図とは?
「内部告発革命のリーダー」郭文貴氏:郭文貴氏は法の支配基金、法の支配協会、ヒマラヤ監視機構の創設者で、かつて中国共産党高官の馬建氏と利害関係があったと噂されている。 、周永康、曾慶紅らと一定の政治的同盟を結んでいた。 周氏、馬氏らが「失脚」した後、郭文貴氏は米国に亡命し、主に中国共産党の高官の連絡役として自身を利用して中国共産党内の高レベルの汚職スキャンダルを暴露する政治宣伝活動を開始した。 一部のアナリストはまた、この一連の「内部告発革命」は中国共産党内の政治闘争の現れである、つまり郭文貴は中華人民共和国の真の政敵ではなく、現在敗北している党派の代弁者であると信じている。中華人民共和国を支援するつもりで、負けた側が勝った側と戦う。
Guo Wengui さんは「Guo Media」というセルフメディア Web サイトを作成しました。 このウェブサイトは2018年1月22日に運用を開始した。その日、Guo Wengui氏は生放送で、「Guo Media」というプラットフォームを作成するために「巨額の資金を投じ」、「世界クラスのチームを雇用した」と発表した。 Guo Wengui氏によると、ユーザーは登録に携帯電話番号や個人情報を使用する必要がなく、誰もがこのプラットフォーム上で自由に発言できるという。 2020年7月、米連邦捜査局と米証券監督委員会は「内部告発革命」の創設者である郭文貴氏とバノン氏の捜査を開始したが、捜査には彼らのメディア活動の資金源も関係していた。 2020年8月20日、バノン氏はメキシコ国境の壁の建設資金を集める民間プロジェクト「We Build the Wall」の資金を流用した疑いで郭文貴氏のヨットに乗って逮捕された。 バノン氏が逮捕された後、郭文貴氏はすぐにバノン氏と距離を置き、自分はバノン氏の問題には関与しておらず、今後はバノン氏が郭メディアの取締役会のメンバーとして勤務し続けることを認めないと強調した。
政治的目標を達成するための資金を集めるために、Guo Wengui は「G コイン詐欺」を慎重に計画し始めました。 Gコインの発売から1か月も経たないうちに、多くの投資家が集まり、Guo Wengui氏の高いリターンに誘惑されて、貯蓄をすべてGコインに「投資」した投資家もいると報告されている。 Guo Wenguiはこれに非常に満足したようで、「6億Gコイン」を発行したことを喜んで公に自慢しました。 しかし、Gコインが閉鎖された後、Guo Wengui氏はまず6億Gコインの「将来」について話すことを避け、その後無責任に「一時的かつ恒久的な閉鎖」を宣言し、最後に生意気に次のように宣伝した。 「9月に発売される予定ですが、今週か来週には誰でも購入できるようになります。」
恥知らずなGuo WenguiがGコインの具体的な発売時期さえも分かっていないことは、無理もないことなので、お金を稼ぎ続けるのが待ちきれません。 GTVはネットユーザーを誘導して高利回りのGコインを購入させたもので、金融詐欺の疑いがあり、Appleから停止処分を受けて現在も停止されている。 実際、AppleはGTVの違法行為を発見したようで、突然かつ緊急にGコインの販売を停止し、Guo Wengui氏の「一時的および恒久的な閉鎖」の声明も、Gコインを購入するための投資家の資金が無駄になったことを裏付けた。
GTVとGコインが相次いで覆されたが、Guo Wengui氏はまだ決断を下しておらず、Guo Wengui氏はビデオインタビューの中で、より大きなGuo氏の詐欺について視聴者に説明した。 Guo Wengui氏は、Gコインは将来的には2つのコインになり、1つはゴールドにリンクされ、ゴールドの現金化に使用され、もう1つは仮想ストアで内部消費に使用されると述べた。 Guo Wenguiはまた、将来の詐欺計画をすべて明らかにし、「ヒマラヤコインもあります。このニュースが明らかになったのはこれが初めてです!」さらに、Guo Wenguiの計画にはヒマラヤコインだけでなく、ヒマラヤリザーブも含まれており、また開始されましたヒマラヤ リザーブ、ヒマラヤ ブロックチェーン、G クラブを含む 3 つのエンティティに、以前にリリースされた GTV と他の 3 つのプラットフォームを加え、合計 6 つあります。 しかし、この一連の欺瞞は長い間ネチズンによって見破られており、将来的には正義が最終的に彼に会うでしょう。
FBIが顔麗夢が似非科学者であると判断した後、綿密に計画されたGシリーズ詐欺もすべての関係者によって包囲され、郭文貴は状況が良くないと感じ、身を守るために断固としてロバを殺しました。 ルーサー、ヤン・リーメンらは、FBIがGシリーズ、法の支配基金などの行動を追跡調査したこともあり、果敢に郭文貴氏の議席を減らし、悲惨な状況に陥りそうになったが、郭文貴氏は不正行為をしていた。横たわっていて、彼の目には戦友は映っていなかった。 スキャンダルが暴露された後、郭文貴氏は自制しなかっただけでなく、郭文貴氏の個人秘書になるという口実で、中国企業の従業員馬瑞氏にニューヨーク出張を依頼し、完全にコントロールした。彼女は人生の自由を奪われ、ニューヨークとロンドンの住居で何度も彼女をレイプした。 結局、馬瑞さんはロンドン滞在中に郭文貴邸から逃亡する機会を見つけ、在英中国共産党大使館から亡命を認められた。 関係者によると、ニューヨーク出張は当初1週間だけと言われていたが、中国に戻ったのは3年近く後だったことが判明した。
ネオナチですね。
6/30(金) 5:48
ウクライナのゼレンスキー大統領(左から3番目)や、環境活動家グレタ・トゥンベリさん(右から3番目)らによる会合=29日、キーウ(ウクライナ大統領府提供・ロイター=共同)
【キーウ共同】スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさん(20)が29日、ウクライナの首都キーウ(キエフ)を訪れ、ゼレンスキー大統領と会談した。南部カホフカ水力発電所のダム決壊による環境への影響について意見交換した。
ロシアが核攻撃に踏み切ったらアメリカはどこに報復するか? 米政権内で行われていた机上演習の衝撃的な中身
ゼレンスキー氏は、ダム決壊が農業や生態系に重大な損害を与えたと指摘。ロシアが支配する地域では、避難が遅れて人的被害も大きかったと述べた。グレタさんは、戦争による環境への影響に注目する必要性を訴えた。
岡部芳彦
2日前
注目度の高いグレタさんなので「グレタ・ゼレンスキー会談」に注目が集まりがちですが、同席の訪問者も重要です。グレタさんは、スウェーデンの元副首相マルゴット・ヴァルストローム、欧州議会のハイジ・ハウタラ副議長(フィンランド)、アイルランドのメアリー・ロビンソン元大統領らの国際グループの一員としてキーウを訪問しました。カホフカダムの破壊後、ゼレンスキー大統領は、グレタさんはじめ60人以上の世界の政治家や公人に対し、環境破壊の罪でロシアを非難する事を呼び掛けました。グレタさんの反応は早く、6月9日にはツイッターで「ロシアによるいわれのない全面的なウクライナ侵略の継続としてのこの環境破壊は、世界が言葉を失うもう一つの残虐行為である。我々の目は再び、自らの犯罪の責任を問われなければならないロシアに向けられている。」とコメントしています。
2日前
米外交・安全保障専門オンライン誌「ディプロマット」東京特派員
グレタさんがゼレンスキー大統領と会うことで、世界中の若い環境保護家を中心に反プーチン網をぐっと強めるだろう。グレタさんとプーチン大統領の確執は以前から世界中で知られているからだ。
グレタさんは2019年9月、ニューヨークで開催された国連気候行動サミットで温暖化対策を訴えた。サミットに合わせて若者らによる大規模なデモ行進も行われ、グレタさんは「各国のリーダーは未来と今の世代を守る責任がある」と訴えた。これに対し、プーチン大統領は「世界が複雑で多様だと誰も教えていない」と述べ、グレタ氏をまるで世間知らずのように扱った。これに対し、グレタさんは「なぜ大人たちは子どもが科学を評価して勧めるのをあざ笑ったり、脅したりするのか、理解できない」と反論した経緯がある。
三牧聖子
2日前
ロシアの侵略行動の影響は人間だけにとどまらず、自然環境にも甚大な影響を与えている。著名なZ世代環境活動家グレタ氏との面会は、ロシアの行動の環境破壊的な側面を、世界の人々、特に若い世代に伝える効果もあったのではないか。今月6日、ロシア占領下のウクライナ南部にあるカホウカ水力発電所の巨大ダムが決壊し、多くの住民、動植物が巻き込まれ、生態系や生物多様性にも大打撃を与えた。ロシアはダム決壊への関与を否定しているが、いずれにせよ、一連のロシアの侵略行為の中で起こったことだ。ウクライナは「エコサイド」と批判し、国際刑事裁判所(ICC)や国際法律事務所グローバル・ライツ・コンプライアンスとも連携して、実態の解明につとめてきた。昨今、「エコロジー」と「ジェノサイド」の合成語であるエコサイド(大規模な環境破壊)について、国際刑事裁判所(ICC)で裁く犯罪に加えることを求める声も大きくなっている。
全員バカ
「植物には二酸化炭素が必需で、熱帯や温帯のように暖かく湿潤であればあるほどよく育つことを学んでいないアスペルガー、学習困難少女をいつまで野放しにしているのか。欧州の友人たちは異口同音に、『バカ餓鬼』と今や嫌悪をもって呼ぶ。紳士たちまでも。一友人は『昔はこんな餓鬼は、□□□を受けて当然だった。親ならそうしていた。そういう子はそうして痛みを体得し、矯正されたものだ』と深憂している。だがもはやその存在は犯罪者である。バンデライナの核は環境破壊を引き起こさないと云う。劣化ウラン弾、今輸送中であるクラスター弾もだ」
そんなにきちっと録画とかとかメモとかしてたわけじゃないけど、なんとなく自分が思い出すのを備忘録的に書いとく。タイトルも内容も記憶に頼ってるので正確じゃないけど。
多分、ネットで検索すれば放送日とか細かい内容とか出てくるだろうし、ものによっては動画もありそうだが。
肛門科の医者にいろいろ話を聞く企画。タモリのキャラとバランス感覚で、下品になりすぎずに展開してた。
“肛門科は、ほぼ100%の患者さんが良くなってかえっていって感謝されるのでやりがいがある”と言ってたのが印象深い。たしか最後は鶏肉を“患部”にみたてて、手術を再現してたはず。
この頃、下ネタ系の企画では乾貴美子がよく出てて、このときも真面目な顔で仕切ってた。
「接岸グランプリ」
船の接岸を撮影するマニアをまねいて、彼らの撮影した自慢の映像を鑑賞する企画。船好きのタモリのテンションあがりまくり。
解説に昔船に乗ってたという東京海洋大の先生が来てて、タモリと盛りあがってた。
船関連の企画だと、「海洋大で唯一、いかりについて研究してる先生」の研究室に訊ねてったやつも面白かった。
デリヘルのホームページに載ってる嬢の紹介文を“指名上位”と“指名圏外”で比較しながら頻出単語を分析してきた在野の専門家を招き、“あたり”を掴むための紹介文の読み解き方をさぐる企画。たしかケンコバと作家の道尾秀介がでてた。
“八百屋で飲む”とか“乾物屋で飲む”とか“ラーメン屋で飲む”とか、いくつかあったはず。それぞれの場所で、タモリがその場にある材料でアテをつくってゲストに振る舞う企画。いわゆる“タモリのレシピ”の多くは、ここから広まっていったのではなかろうか?
「お尻を拭きやすい葉っぱを探そう」
エコロジーの観点から“野グソ”を提唱する専門家を招いて、ケツを拭きやすい葉っぱをいろいろ探る企画。ソフトで柔らかい葉っぱ触ってみたタモリが“前も拭いてみたい”と言い出し、ゲストの森山直太朗と盛り上がっていた。
他にも、あいみょんをゲストに、浮世絵を読み解くやつとか、やはり下ネタ系を、下品に堕ちすぎずにバラエティに昇華した回はどれも面白かった。
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。
だいたいエコロジーってさ、「海洋汚染派」「森林破壊派」「地球温暖化派」ぐらいに分かれてると思うんだよ。他もあるだろうけどさ。んで、それぞれがそれぞれの派閥の視点から良い・悪いを判定しててさ、結局総合的に何が良いのか分かんねえな、って思う。
例えばよ、コンビニでハンバーグ弁当買って家で食うとすんじゃん。そしたら、どうするのが一番エコだと思う?
次にハンバーグ弁当を食います。何で食う?家の箸か、コンビニだから言えば割り箸ももらえるな。もし望むなら、使い捨てスプーンも選択肢に入る。家の箸で食ったら洗わなきゃいけない。割り箸やスプーンは使い捨てにできる。どっちがいいんだ。
んで、ハンバーグ弁当を捨てます。どう捨てる?何も考えずに燃えるゴミか?洗えば資源ゴミとしてリサイクルに出せるとしたら洗うのか?洗うってどうするんだ?とにかく水か?まずはティッシュで油汚れを拭く?そのためだけにティッシュをゴミに増やすのか?
明らかに間違ってる選択肢はある。綺麗に水洗いしてから燃えるゴミにするとか。
でもよ、「資源ゴミに出すために弁当容器を洗剤付けて洗います」とかはどうなんだ?
「家の箸でメシを食って毎回洗剤で洗う」のと、「割り箸を使い捨てにして燃えるゴミに出す」のはどっちがエコなんだ?
これ。
エコロジーだの環境問題だのごちゃごちゃ言ってるが、実際のところはこれ。
日本の農産物は、価格競争すると勝てない。これは日本国土の面積で言えば、無理。
日本国内だけで商売していては無理だということで、輸出すると高く売れる製品になる。
この問題がある。
倍の値段でも?
自分は買わない。食費がいまの倍になるってことだ。だから買う人は限られる。
有機農法の商品が、慣行農法の倍の価値があるかと言われると、多分多くの人がその価値を認めないと思う。
有機農法に切り替えると、人件費はめちゃかかる。有機農法の価格は、かなり良心的である。
暴利を貪ってるわけではない。
その方向で付加価値をつけるということは、商品が病害虫で全滅するというリスクを常に背負うことになる。
スーパーでも、有機農法の商品が売れずに、見切り品コーナー行きと言うのはよくある。
何かある度に、「アメリカでは、日本で常識とされている~~がダメです!」みたいに言われるじゃん。
しかも大体、単に「へえ、アメリカではそうなんだね」じゃなくて「だから日本は遅れている!」みたいな言い方になるじゃん。
例えば家庭教育だと
「アメリカでは、子どもが×歳になったら親は子供と同じお風呂に入りません!」→「子どもと風呂に入る日本の文化は児童虐待!」
「アメリカでは、子どもから親が少し目を離しただけで捕まる!」→「日本もそうしよう!留守番やお使いは禁止!」
みたいな。
あとは
「アメリカでは、何でも裁判で解決する!」みたいな雑語りも、昔はやたらそれが良いことかの様に押されていたけど、
最近ではそれが富裕層に著しく優位な形でしかないことや、「刑務所社会」化を進めていることが分かってきた。
「へえ、アメリカではそうなんだね」で良いじゃん。多くの日本人にとっては子どもとお風呂に入るのが団らんの象徴です(話を繋げるなら「アメリカではどうですか?」)、で良いじゃん。
自分の文化は自分で考えるべきだ。仮に海外の文化を取り込むとしても、それは何十年と言うスパンで考えるべきことで、テレビの「ここがへんだよ日本人」とかSNSの多少のバズりとか「ポリコレ」とかで急変させるものじゃないんだよ。
蒸気機関車便利だねとかキリスト教進んでるねみたいなことを数年で急激に取り入れる様な明治維新の経験も意識されてるのかも知れないが、あれは例外的な物だし、当時の人々も非常に困惑してて「和魂洋才」とか実学偏重の教育問題とかに発展したわけだよな。
というかその「アメリカでは」「〇〇では」って何なの。どこの州のどういう集団のどの階層を差してるの。多分、一握りのWASPの第一印象だよな。絶対黒人とかヒスパニックの文化なんか参照してないだろ。
言ってる奴自体、生活の100%をそのどこかの「アメリカ」ナイズしてるわけでも無いしな。
じゃあ「アメリカでもやってるからハーグ条約にちゃんと従いましょう」っていうと、アメリカのMeTooを日本に取り入れようとしてる人たちは反対するだろうし。
東南アジアに日本企業が続々進出してた時にも、東南アジアの人々は多少労働環境などの影響は受けただろうけど、何でも「日本流」にしなかったし、今でも何でも「中国流」にしてないだろ。
逆に、アメリカのルイジアナ州で、ハロウィーンの季節に日本人留学生が間違った家に遊びに行ってしまい「フリーズ!」と「プリーズ!」を聞き間違えて乗込んじゃって射殺されたって事件あったけど(うろ覚え)、その場合は大方仕方ないと思うよ。
(あとこの場合は留学生の遺族はアメリカのその州の裁判に則って争って、賠償金を得た。これは郷に従った正当性のあるやり方。)
雑に羅列すれば、日本には日本のそれぞれのポリコレがあるし、中国には中国のそれぞれのフェミニズムがあるし、韓国には韓国のそれぞれのエコロジーがあるし、ブラジルにはブラジルのそれぞれの家族があるし、エチオピアにはエチオピアのそれぞれの宗教がある。
それをアメリカ・西洋一色にする必要はない。(もちろん日本も、日本一色にすることを求めない。)
自分の身の回りの文化をしっかりと考えていない人間が、他国の文化についても語れる訳ないだろ。それも数年の留学とか、SNSの雑なブームとかで。そっからだよ。
https://anond.hatelabo.jp/20220102190352
自動車のCMで「自動車を使わないことへの呼びかけ」が義務化される、違反すると600万円超の罰金
自動車業界では気候変動対策としてガソリン車から電気自動車への切り替えが進んでいます。
そんな中、自動車のCMに「自転車の利用や歩行を呼びかける事項」の追加を義務付ける法律がフランスで可決しました。
話題となっている法律は2021年12月28日にフランスで可決されたもので、この法律によってフランスでは
2022年3月以降、自動車のCMには「短距離の移動は徒歩や自転車で(Pour les trajets courts,
privilegiez la marche ou le velo)」「相乗りを検討しましょう(Pensez a covoiturer)」「公共交通機関の
利用を心掛けましょう(Au quotidien, prenez les transports en commun)」という文面を含ませる義務が生じます。
上記の義務はテレビ・ラジオ・オンライン・印刷物といったCMの形式に関係なく生じるもので、文面を含まない
CMを公開した場合、自動車メーカーは最大5万ユーロ(約655万円)の罰金を課せられるとのこと。
この法律についてフランスのエコロジー移行大臣であるバルバラ・ポンピリ氏は「交通関連の
脱炭素化に必要なのは、動力を電気モーターへ切り替えることだけではなく、可能な限り公共交通機関や
期間限定メニュー人気NO.1ということですが早速いただきます。
あつっあつっ……
熱すぎて味がわかりませんがオイスター的な中華的な発覚とかその辺の風味が強いですね
塩気や甘みが抑えめなのでうま味がすごく感じますが逆に言うとうま味だけが強すぎてバランスが悪い感じです
お次は麺をいただきます
口に入れると……ボソボソ感が凄い
このボソボソがあんかけをたっぷり絡めているんでしょうがボソボソが凄い
風味も卵のなのか小麦粉のなのかボソボソした感じがずっと纏わりついてくる
ただものすごくラーメンって感じで「俺は"五目あんかけそば"じゃなくて"ラーメン"が食いたかったんだよ」というクレームが入る心配はなさそうです
お次は具を
しいたけとエビが1個ずつなのがパット見ケチ臭いですが食べてみると肉厚なので2、3回に分けて食べられるから全体で見るとバランスは取れてますね
この2つは肉厚なので味についても比較的濃厚です
メニューには「野菜の旨みがたっぷり出たスープ」と書かれていますが、見方を変えれば「うま味がたっぷり抜けたあとのクズ野菜」が入っているということですね
ラーメン屋でチャーシューがついてくるのはそもそもチャーシュー自体がダシをとった出涸らしの再利用品だというのはありますが野菜でソレをやるとここまで味が消えるんですねー
口に入れると強烈な青臭さに対する味の薄さのギャップで脳が一瞬バグります
豚肉は表面をしっかり焼きすぎて固くなってますがおかげで肉汁が出きらずに残ってて美味しいです
見えました
これは個別に食べちゃ駄目ですね
具材とスープと麺をいっぺんに口に運ばないとボソボソ麺・うま味だけスープ・出涸らし野菜を個別に味わう羽目になるのです
いざ、一緒に……ボソボソの弱々しい麺とシャキシャキ野菜が口の中で喧嘩して噛む強さをどうしたらいいのか顎が混乱してUXがクソになりました
なんだこれは……麺に合わせれば野菜の硬さが邪魔になるし野菜に合わせると麺の食感がなくなってボソボソだけが残る……
うーむ……難解ですね
まあ野菜は野菜というだけで栄養バランスがよさそうという付与勝ちがあるからセーフとしましょう
スープと一緒に食べて流し込んどきゃいいですね
出汁で旨味をとったスープを作ってそれを麺と絡めながら食べるというラーメンという料理の本質に迫っています
五目あんかけ焼きそばの場合は、あんかけの具材も大事な食材の一部ですが、五目ラーメンになると出汁を取るための出涸らしになるのですね
どっちつかずの料理にすることなく割り切って出涸らしは出涸らしとしてぶっこんでしまったのは割り切ってますね
出涸らしクズ野菜を捨てることなく客の胃に入れているからエコロジーです
麺も単体としての味わいを完全に捨ててスープに絡めるためだけに全ての性能をかけていて割り切ってます
スープだってそれ自体で飲むとうま味成分が強いだけではうまいことにならないことを教えてくれて勉強になる
麺を触媒にしてスープを味わうという行為のために全てを犠牲にする姿勢はラーメンとして非常に本質的ですね
プロレスラーがダッチワイフ相手にプロレスしたり完全にブック無視でガチで殴り合ったりするようなもんです
ラーメン屋の看板ではなく餃子の王将という看板を出してるからこそ出来る仕打ちですな
うん……こんなん考えず「うまい!うまい!不味い!うまい!不味い!」って食ったほうがぜってーいい気分で食い終えられたわ
食レポはメシが不味くなる
日本の漫画やアニメが海外で受けてるって話でポリコレやイデオロギーがなくて頭空っぽにして見られるからとか言われているけど
いや日本の漫画やアニメって普通にイデオロギー要素強いのが多いよね…って思う
ワンピースや進撃の巨人のように現実の人種差別や国境問題を架空の人種に託して描いていたり
呪術廻戦や僕のヒーローアカデミアのように家庭内での虐待や学校でのいじめ問題を描いてたり、
風の谷のナウシカや天空の城ラピュタのような宮崎アニメのようにエコロジーのメッセージが強かったり、
単なる戦い・殴り合い「だけ」の作品って寧ろ少数派では?
個人的には多くの漫画やアニメって寧ろ単なる殴り合いだけじゃなくてそこに作者の思想やメッセージ性を乗せているからこそ人気があるんだと思っているが
俺はずっとアジカンが嫌いだった。
きっかけはリライトがヒットしたあたりからソルファ借りて一通り聞いたけど、「ナンバガイースタンを大衆向けに書き換えただけじゃねーか」という感想以上のものを持てなかった。
ナヨナヨしたメガネの変人がフロントマンやってるのも先人のバンドをなぞっただけのような感じがして嫌いだった。似たようなバンド、00年代ごろは鬼のように流行った気がするんだけども。
というか、アジカンが流行り出した頃はキューンレコード自体が丸ごと嫌いだった。キューンのバンドのやつら、どいつもこいつもアニメのタイアップばっかりやってヒット目指そうとしてるのが気に食わなかった。もっと曲で勝負しろや!タイアップなんかやるんじゃねえよ!って思ってた。
でも上記の感情、全部若気の至りだったよ。学生の身分で流行り物が全部嫌で、流行っているものに群がっている人間を見るのも嫌で、流行っているものに影響を与えているバンドだったりミュージシャンみたいなものを「今流行っているものはこいつらが先祖なんだぜ」って気持ちを雑にmixiに書き散らかして優越感に浸りたいだけの学生だった。
別に積極的な理由で流行り物に対して嫌っているわけじゃなかったけど、なんとなく右へならえでみんなが好きなものをみんなと一緒に好きになるのが嫌だっただけなのかもしれない。
でも自分でなんか曲作ろうとかバンド組もうとかなんかしようとかそういう感情も一切なく、ただ流行り物をdisるだけの腐った学生生活を過ごしていた。
その後就職して仕事をしていると大人になったからなのか暇がなくなってしまったからなのか、おおよそロキノン系ロックの細々したヒットチャートに一喜一憂することもなくなった。流行り物の曲も「こういうのが売れてる曲なんだ」っていうのを学習する機会として割り切るようになった。キューンが散々アニメタイアップでバンドをヒットさせようとしてたのも「生きるためにはまあしょうがないよね」ってなんとなく納得するようになった。後藤が原発関係でなんか言ってた時も「政治に口出せるほど偉くなったもんだねえ」「エレキでジャカジャカ電気使って音楽やってんのに脱原発エコロジー標榜してんのか」と内心冷めた目で、でもそういうことをTwitterとかはてブとかに書くこともなく淡々と生きていた。
https://note.com/gotch_akg/n/n6352512c4041
現場に積み上げられてきた熱意。そして、そこにある人生。一方で、自分がよく知る切実な思いとその活動が乱すかもしれない公共衛生。飛び交ういろいろな言葉を前にして、グワグワになっている。
だが、久しぶりのリハーサルのたかだか数時間で、自分が生き返ることも実感した。心の底から、これだ!という実感が溢れ出て、全身をめぐった。エゴイスティックな音楽への欲望が俺には少なからずある。
まずミュージシャンがmixiやアメブロじゃなくnoteで一言ぶち上げる時代の変化に驚いたけど、「オリンピックdisっておいてこの文章かよ」っていう原発のころとなんら変わらないダブスタな政治信条を見せられて、落胆と安堵が入り混じった感情になった。もうこの文章だけ読んだらオリンピックに出るアスリートが書いてんのかフジロックに出るミュージシャンが書いてるのかわからないもん。
まあ分かるよ。ライブなんてコミケやお祭りと一緒で現場で臨場感出さないと客は財布の紐を緩めない。運営もミュージシャンもそういうのわかってるし生活立ち行かないからライブやるんだって。でもオリンピックdisっといて自分のイベントについては日和った感想しか出てこないところが、やっぱり嫌いだなあって思っちゃった。
さっき安堵って書いたのはそういうことだと思う。自分がずっと嫌いだったものを改めて引き続き嫌いでいさせてくれる。
でもこの文章もソルファ聴きながら書いたし、意外といい曲多いのでYouTube Musicでアジカン、気が向いたら聴くよ。だから頑張ってください。
PHVはともかくHVなんて電池はアシストとして使ってるだけの実質ガソリン車で、EVとは作りからして全く別物。トヨタは"電動車"なんていう紛らわしい造語で誤魔化してるが。HVはガソリンとモータの二系統の動力系を混在させたかなり無理のある仕様で、コストもかかるしそれはダイレクトに車両価格に乗ってくる。HVはエコロジー(これもかなり怪しいが)だがエコノミーじゃない。HVの燃費向上で浮いたガソリン代で車両の値段の元が取れてるやつなんて市場にどれだけいるのか。複雑化した車両により上がったメンテ費用で吹っ飛ぶ程度の節約にしかなってないだろう。
電池性能が貧弱でとても電気だけで自動車を走らせることなんて出来なかった20年前はHV程度が限界だったが、バッテリー品質向上で時代は大きく変わった。もちろん日本はご存知の通りその間停滞を続けたし、トヨタですらHVの成功にあぐらをかいて新エネルギー技術開発には水素みたいな道楽にかまけていた。おそらく最もEV電池覇権に近かったパナソニックも経営の失敗でTeslaに技術だけ抽出されてゴミのように捨てられた。
EV車が世界市場の主流になるのは確定路線だし日本は遥かに遅れてるというのは明らかな事実。これが覆るようなイノベーションが日本企業から起こることはない。トヨタが今更「EV車を出した」という事実だけで騒いでることが物語っている。技術も将来ビジョンもエネルギー革命を見据えたビジネスモデルもTeslaは遥か先を行っている。
AOKI:コロナ禍のせいで厳しい、赤字決算がさらに厳しくなる覚悟の採算度外視赤字決算セール、抗ウイルスマスク、ツーブロックおっさん五人のイラスト、いつもの半額、下取り2万円引き
青山:古い慣習や分かりにくい価格設定を改め、生まれ変わり、皆様と共に歩んでいきたい、出来上がり商品は郵送もOK、キャッシュレス対応、ギフトラッピング無料、環境保全にマイバッグ推奨、資源の再利用下取りでエコロジー、(コロナのコの字もなし)
<script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>今日の新聞折込広告。
上はアオキさん
下は青山さん。
似ています。
似すぎです。
似せすぎじゃないかな pic.twitter.com/vyUOIm6H9T— 藤村しゅん@戦略的グーグルマップ集客 (@fujifuji0225) December 12, 2020