はてなキーワード: 相俟ってとは
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。
アメリカ人の友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議な結婚式に出たのよ」「それ、日本の標準的結婚式です…」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479
これはつまり「ブライダル業界の結婚式」だが、なんでこうなったのか?。
今主流のこういう結婚式の始まりは1970年代なんだが、その元は60年代にある。
日本のイエ制度は明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家と天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフトと国家有機体論の合体だ。
戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカが自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。
それで戦後も時代が下り生活レベルが向上すると段々と生活や人生上の自由が増大化していった。
イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子や次男以下も生き方が制限された。
長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合は勘当されて死ねと言われる。
次男以下は中学(尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。
こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者は会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーとかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である。
女子は妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良である。そもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族が村八分になる。
商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合いの相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。
戦後生まれの団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。
でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。
例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。
なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆきの深夜ラジオに送られて来たリスナーのハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである。
つまり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。
「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。
勉強を頑張って東京の大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。
集団就職に参加する。
一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳の年齢制限をクリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。
そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である。
一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放のテーゼだ。
人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきである。ロマンチックラブイデオロギーだ。
そういう訳で沢山のフォークソングで自由恋愛が称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争の挫折も相俟って現状肯定、恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。
有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペルで結婚式を挙げよう、というもの。
チャペルはキリスト教会の礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション系大学の礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求を惹起する歌だ。
もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会で結婚式を挙げました、という歌詞。
こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション系大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。
ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。
でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。
なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一に西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式、仏式でないから」だ。神式、仏式にはイエの因習の表象をまとっていた。
今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼで権威的なものを好むというテイストもあるだろう。
でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式は意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである。
「花嫁は夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。
それ以前の結婚式は仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。
それは「祝言(しゅうげん)として能の演目『高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である。
https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU
これをこの調子で仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。
これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。
ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭りの町内会名や祭りの神輿や山車の提灯なんかで出てきたりする。
でも昔は結婚式では「必ず」高砂の祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主が兵庫県の高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区の住吉大社の老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。
まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。
この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人が高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。
関東大震災で下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋、世田谷、杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村の人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。
でもその後字面が年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。
会場が教会だったり披露宴でフォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式に保守的な人らは憤慨していた。
どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴を批判したり、親戚のオヤジがマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。
しかし芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるから「ブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教式結婚式を提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。
ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しかし教会での式よりは断然高い。
だから団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコで新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。
だから「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味が社会から消えても形式と業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルやひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からのサブカルチャー的解放の意味があるんじゃないの」と言えばよい。
それとは別にやっぱあの形式の結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会も中途半端で教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。
仕事柄、シェアオフィスを良く利用する。今までは ZXY(ジザイ)や H1T(エイチワンティー)が多かったのだが、WeWork の拠点をいくつか体験することが出来たので感想を書いてみる。なお、東京の WeWork のみである。
WeWork を使ったことない人のために解説しておくと、ここは上に挙げた ZXY のような純然たるシェアオフィスとは違い、レンタルオフィスとしての機能も併せ持っている。増田はラウンジ(一番広い部屋で様々な利用客がいる)しか入ってないので感想もそれについてのものだ。
ラウンジでは水・お湯・コーヒー・紅茶・牛乳・豆乳が飲み放題。コーヒーは容器に入ったブレンドと別にエスプレッソマシンが必ず置いてある。拠点によって違うがストリーマーかタカムラのものであり、味はある程度保証されている。17 時以降はビールも提供され、これも飲み放題となっている(増田は下戸なので飲んでない)。その他お菓子やカップヌードルなどを施設内で買うことも出来る。
営業時間は基本的に平日 8:30~18:00 だが、一部拠点のみ夜遅くや休日も開いている。なお、レンタルオフィス契約をすれば 24 時間 365 日入れるようになるみたい。
ZXY などを利用していたことから分かるように、増田は IT 系だがどちらかと言うと堅い職種である。オシャレな服装で Macbook 持ってドヤりながらウェーイwwwってやってる人達(本当にそんなのいるのか?)には偏見があるので、そこは割り引いて見てくれ。
アクセス ★★★★★
ウェーイwww度 ★★★★★
設備 ★★★★★
眺望 ★★★★★
いきなりスゴい。ここにはチャラい奴とバンドマンしかいないんじゃないか(偏見)。本当にこういう人達いたんだ……。
とはいえみんな仕事しているのは確かで、ウェーイwwwとかやってるわけではない。ソファーでくつろぎながらイヤホン付けてドヤ顔英語ミーティングしている人が複数いる。「WeWork」と言って外の人が連想するもの、それがここにはある。
設備の充実度は素晴らしい。他の拠点にもある有料の飲食物とは別に、専用のカフェ店舗がラウンジ内にある。コーヒーしか頼んでないがなかなか美味しくて値段は安い。軽食もオーダー出来るようだが「低糖質!野菜たっぷり!1000 円以上!」なものばかりで食指が動かない。ビールも当然供給されており、親会社が入居しているためか、ベイスターズビールが飲める。
オフィス自体の規模はおそらく日本の WeWork の中で最大のものだろう。出来たばかりの渋谷スクランブルスクエアの 37 階~45 階に位置しており、各階に他の拠点と同等、39 階には他よりドデカいラウンジがある。当然席数は多いはずだが常に混雑しており、専用アプリで予約出来る席数が前日にゼロになることもしばしば。ここほど混雑しているのは GINZA SIX の WeWork くらいだろう。
高階にあるため眺望は圧倒的に良い。ラウンジの窓からは渋谷ヒカリエの屋上が下に見えて驚く。遥か向こうには丸の内や品川の海までが見えるが、残念ながら富士山の見える側はレンタルオフィスなので入れなかった。
アクセス ★★★★
ウェイ度 ★★★★
設備 ★★★★
眺望 ★★★★★
新宿駅から直結というのが謳い文句だが、高島屋のさらに南側なのでそれなりに歩く。その代わり目の前が新宿御苑という立地のため眺望は素晴らしく、渋谷と同じく星 5 つを付けた。
ビルにはスタバも入っておりブルーボトルコーヒーも至近にある。コーヒー好きには良い立地だ。ラウンジも広くて快適だが、渋谷ほどではないとはいえ混雑しており、電源のある広い机は常に取り合いである。
今回訪問した中ではここと渋谷のみが 18 時以降も開いている。東京の真ん中でこれだけ美しい景色を眺めながら、就業後もビール片手にのんびり出来るのは素晴らしい(但し増田は下戸)。
アクセス ★★★
ウェイ度 ★★
設備 ★★
眺望 ★
細く縦に長いビルなせいか狭い。ラウンジも机が並んでいるだけで WeWork っぽさがない。その分利用客も大人しめで、オフィス街で良く見る風貌の人が多い。立地もマスコミ系や士業の事務所が多い場所なのでそれが影響しているのだろう。お昼時は普通にコンビニおにぎりなどを食べている人を見掛けたが、これは渋谷 WeWork などのオシャレ空間ではなかなか見られない。
眺望は WeWork には珍しく悪い。窓の外には良さそうな景色が広がっているのに、ベランダに出ることが出来ないため良く分からない。ラウンジの狭さも相俟って、通常のシェアオフィスを利用しているような閉塞感があった。
アクセス ★★★
ウェイ度 ★★
設備 ★★★
眺望 ★★
ここも WeWork っぽくない立地だが、ラウンジは広く使い易い。さすが古書とカレーで有名な神保町、美味しいランチには事欠かず、有名なカフェが多い点も増田的にはポイントが高い。
こちらが心配になるほど空いており、ゆったり過ごせて利用客としては満足度が高い拠点である。神保町駅自体の使い勝手が悪く、駅からも多少歩くことになるのが勿体無い。
アクセス ★★★
ウェイ度 ★
設備 ★★★
眺望 ★★★★
官庁街のすぐ側だけあって利用客にも背広の人が多い。シャツにジーンズという増田はかなり浮いていた。入り口も WeWork のカードでは入れず、受付で名刺を出して一時カードを発行して貰う必要がある。ビル自体は駅近で至便だが、この点で星 1 つ減点した。
立派なビルだけあって、ラウンジの広さは申し分無くゆったり過ごせる。逆に言えば広さの割りに利用客が少ないということであり、WeWork というイメージとは合わない立地から敬遠されているのではなかろうか。眺めもまあまあいいので普段遣いとしては良い場所だと感じた。難点は繁華街までちょっと距離があるのでランチに不自由するくらい。
アクセス ★★★
ウェイ度 ★★★
設備 ★★
眺望 ★★
名前からは分からないが最寄駅は五反田。この辺も意外と IT 系の若い企業が多く、利用客にも短パン&T シャツの人を見る。
目の前を山手線と埼京線が走るので、防音とはいえ結構やかましい。ラウンジは狭いが混雑率も低く、騒音さえ気にならなければ使い易いと感じた。駅からはちょっと歩くが繁華街が近いのは良い。
アクセス ★★★★
ウェイ度 ★★★★
設備 ★★★★
眺望 ★★★
渋谷ほどではないがここもバンドマンが多い(偏見)。ラウンジもまあまあ広く、渋谷ほどの混雑も無いので使い易い。この辺は青山と言ってもだいぶ落ち着いた地域のため、意外とランチには苦労しなかった。
ラウンジは 6 階にありそれほど高階ではないが、駅(最寄は外苑前)からの距離が近く、ビルの入り口からのアクセスも悪くない。バランスの良い WeWork である。
アクセス ★★★★
ウェイ度 ★★★
設備 ★★
眺望 ★
ラウンジは 1 階で外の景色も見えず、眺望は四谷と同じく星 1 つなのだが、意外にも閉塞感は少ない。ここは一棟全てが WeWork となっているので、効率的な間取りになっているのだろう。その代わりに(?)施設をコロナウイルスのワクチン接種会場としても提供しているようで、入り口から入る際は WeWork のカードをぶら下げてないと間違われる。
目の前に東京ミッドタウンのある、オシャレ街ど真ん中ではあるのに利用客は大人しめ。混雑度も低い。この辺も意外と安い店が多く(ミッドタウンに入ってはいけない)、普段使いに適した WeWork である。
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以上、今まで行けた場所だけレビューしてみた。ちなみに個人的には乃木坂がお気に入りである。点は辛めに付けたが肩肘張らずに落ち着いて使える良さがある。点数自体は高く付けたが、渋谷のあの雰囲気はやっぱり落ち着かない。しかし観光地としてゲストを呼ぶ分には確実に喜んで貰えるだろう。一度は行っておくべきである。
小学校高学年の頃、
と発言をした。
「どうしてそんなことをするの?」
と聞き、わたしは
「睨んでいません。
元々こういう目つきです」
と答えた。
教室内や校庭で目で追ったりするくらいの…
恋と呼ぶには足らないほどの、ほんの少しの好意。
自分ではただみつめていたつもりだったのだ。
え?なんで?睨む…?誰が誰を??
頭の中はハテナでいっぱい。
遅れて理解した。
ああ、
わたしは"みつめていた"つもりだったけれど
彼には"睨んでいる"ようにみえたのか、と。
どちらかというと男勝りだった当時のわたしは
男子と遊ぶことも多かったし、
言葉遣いなんかも男っぽかったと思う。
喜怒哀楽は激しい方かもしれない。
(それは今でもそうなのだけど。)
切れ長の一重でちょっとつり目。
そして元々ほんの少し口角が下がり気味の口。
それが相俟って
ただぼーっとしているだけで
「怒ってるの?」「機嫌悪いの?」
とよく聞かれたし、
「初対面は怖い人だと思ってた」
と言われることも多かった。
それでもさすがに想定外だった。
好意を持って見ていたはずでも、
悪意として受け取られることもあるのだと。
幼いながらにものすごく衝撃だった。
後々その学級会のことは
自分の中で笑い話にできてると思っていた。
そんなこともあったね、と。
先日、
と。
誰とは言わなかったけれど
事務方の誰か、らしい。
他の人に八つ当たりみたいになって迷惑をかけることがないように、
事務所に最低限の挨拶だけして誰とも目も合わさずサッと帰ることがたまにあるのだけれど。
だから周りも触らぬ神になんとやらで放っておいてくれる。
でもそれ以外のときは
つもりだった。
もちろん誰かを睨むなんてとんでもない。
職場で揉め事なんて面倒でしかないのでそんなことするはずもない。
でも、そう言われてしまった。
「誰も睨んでいません。
元々こういう目つきです。」
言いながらどうしようもなく泣きたくなった。
そのあと仕事が終わるまで、
なんなら終わって家に帰っている途中でも、
家に着いたら涙が溢れて止まらなくなった。
あの日のことが
思ったよりもトラウマになっていたんだと
今になって気付くとは思わなかった。
もちろん、大の大人が機嫌が悪いことを
自業自得、それもそうだと思う。
それでも悲しかった。
好意云々のところは違えど、
睨んでいるつもりがないのに睨んでいるようにまた思われてしまった。
わたしは何も成長していないのだ、と。
落ち込んだらとことん堕ちてしまって
いつもなら割と寝たら忘れるタチなのに
ものすごく引きずっている。
あまりに内容が恥ずかしすぎて
落ち込んでいる理由が誰にも話せず
でもどこかに吐き出さないとやりきれなかったのでここに書かせてもらうことにした。
こんなよくわからない文章を最後まで読む人もいないと思うけれど、
お目汚し失礼しましたm(_ _)m
自分が言ったことを親が覚えていないのだ。適当に聞き流して相槌だけ打っていたのならまだしも、しっかりと会話として成立し「じゃあお母さんがやっておくね」と言ったことが為されていない。行動を起こしていないことではなく、「やる」と言ったことを覚えていない、ましてや「そんな約束した覚えはない、自分に都合のいい嘘をついてるんでしょ」と責任転嫁してくるそのことがとにかく腹立たしかった。私たちは確かに2001年1月16日にその話をしたというのに!!!(約束の内容は実に子供らしい取り留めのない話なので割愛する)
あまりいい親ではなかったのでそういうものなのだろうかとも思うが、家庭から出ても「自分が何度も言ったことを相手は覚えていない」という事態に遭遇する。流石に幼少期よりは歳を重ねていたので地団駄踏んで怒ることこそなかったが、「この話5回したよ」「もう4回聞いた」「2回も言わないでもわかる」というような台詞は何度吐いたかわからない。その言葉を投げかけられた友人たちが不快になっていたであろうことは大人になってから理解し、反省した。
中学以降は自分が小動物的容姿なのも相俟って、わざと抜けたことを言ってはいじられ、ペットのように可愛がられるというそこそこの立場で過ごしていた。
どうせ理解してもらえないのなら、自分から話題を振るよりも他人の話にカービィみたいに相槌を打っていればいいのだ。「ほょ〜?」とか言えるのは若さゆえの特権。
だから大学で一番楽しかったことは、「バカのふりをしないでいい」ということだったな、と最近思い出す。
大学でできた友達はみんな外山滋比古もクィア理論も御館の乱も当然の教養として知っていた。全員が全員その道のオタクや研究者ほどの知識があるわけではないけれど、受験勉強で触る程度の知識は当然みんな持っていた。喋る前にいちいち前知識の説明をしないで済むということがこんなに楽だなんて知らなかった。
専攻は本当に楽しかったし、充実した4年間だった。
当時バイトは知り合いの紹介で事務をやっていたけれど、その知り合いを含めほとんどの人が高卒で、大学に進学した同世代よりも先に社会に出ていることを誇りに思っているような人たちばかりだった。
実際、自分が大学でのんべんだらりと『西瓜糖の日々』なんか読んでる間にも実務経験を積んで自力でお金を稼いでいた人たちのことをすごいと思う。
初めて任された業務について先輩に質問をしていたら、「大学行ってまで何学んでんだかw」と笑われたことがある。
「少なくともこの会社の顧客リストのコピーの方法ではないですし、他人にそういうことを言わないような教養ですかね」と口に出すのはなんとか堪えた。
自分には確かに中卒・高卒の人たちが築いてきたキャリアも考えもわからないけれど、彼らも大学生・大卒の人間の学んでいることを知らないのに何故こうも馬鹿にして下に見るのだろうか。
「大学に行ける」という選択肢を持てた立場の傲慢なのかな、とは思いつつ、それでもやっぱり自分が愛した学問を理解もせず見下していた彼らのことは苦手だ。
ちなみに上司にセクハラとパワハラとモラハラをされたので勤務時間内に「今からバイト辞めます」と宣言して辞めた。時給はちゃんとその時間までで出ていた。
『勉強できる子卑屈化社会』という本があるそうで、まだ機会がなくて読めてはいないのだけれど、タイトルや書評だけで深く頷いてしまった。
自分が同年代の平均より知能指数が高いであろうことは自覚しているけれど、それがあたかも嫌味なことであるかのように扱われ、出身大学を尋ねられたら「あ、一応○大です」と「一応」をつけなければいけない気がする。
スポーツ得意とか、料理が上手とか、そういうノリで言っちゃダメなの?「僕は頭がいいです」って。
あと一つ言っておくけど、「本当に頭の良い人なら頭が悪い人にもわかりやすい話ができる」っていう論調やめてくれねーか。
あれわざわざお前のレベルに合わせて話の知能指数下げてるから情報取りこぼしてるんだよ。
そもそもその「本当に頭の良い人」とやらに一方的に負担を強いて喜んでるのマジで何なの?お前もちゃんと原文で理解する努力をしてくれ
私が使う行き先の電車は少しして動き出したけど、丁度乗り換えで降りたホームの反対側で、線路からの引き上げ作業が行われていた
私達に気付いた救助の人が、こちらに向けて青いテントのような幕を展開して目隠しをした
私も気になってつい見てしまっていた
たまたま私の進行方向と、救助の人たちがブルーシートやその他の青い目隠しで取り囲んでゆっくり進む方向が同じだった
駅を出てペデストリアンデッキの上から丁度見えるところに救急車が止まっていて、そこに運び込まれるのを見ていた
担架に紺色のシートのようなものが張ってあって、その下から脚が突き出ていた
片足にニューバランスのグレーのスニーカーを履き、もう片足は紺色の長い靴下だけだった
隣の女性二人組が「まだ若そうなのにねぇ」と喋っているのが耳に入った
脚は、スニーカーを履いた方は普通に担架に仰向けになった時の向きになっていたが、もう片方はなんだか不自然な形に向いていた
Twitterには、女性がバラバラになったとか、飛び込んだのは女子中学生だったとか、そんな本当かどうか分からないことが書かれていた
ワイがああなってた予定も余裕であったしなぁ
ワイもニューバランス履くしな、てか今正に履いてるし
グレーのニューバランスを履いた脚から目が離せなくなり、救急車の中に仕舞われるまでずっと見続けていた
救急車に運び込まれる際、救助の人のうちの一人が、拡声器で「下がってください!モラルですよ!」と救急車に近付いてくる野次馬に向けて叫んでいた、あの叫んでいた人はどんな気分だっただろうか
私の目の前でスマホのカメラで動画を撮ろうとしていた人、普通に若い太めの女性で、リクルートスーツ姿だった
こういう人も採用されたりするのか
私はというと、自分で撮影こそしないものの、Twitterに何かしらの動画や画像がないか探し回っていた
同じ穴の狢どころか、自分で手を汚さない分、より悪質かもしれないと思った
結局飛び込んだのか落ちたのか、男性なのか女性なのかすらも分からなかった
丁度今月ニューバランスのスニーカーを新調したところだけど、グレーも検討していたんだよな
今後買うことはないかもしれない
職場の外で仕事の用事をしなければならない日だったから、ただごとでない雰囲気の駅の中で、何とか電車が動くことを祈って用事に間に合わせないといけないという使命感も相俟って、妙に高揚してしまい、気分が悪かった
私の仕事が人を助ける仕事だから余計に、変な使命感に駆られる状態になってしまった
これまで幾度と無く自殺を考え、実際に二度未遂して蘇生させられている身としては他人事ではなかった
電車への飛び込みも選択肢の中にあった、もっと楽な方法を知ったからやらなかっただけだ
もしやったら、自分もこんな風に大勢の野次馬の餌食になりながら運ばれるんだなぁと思った
寝る前に吐き出したかったのでここに書いた
突然ですがみなさん「自分の容姿」ってどれくらい気にしてますか?
①とても気にする
②まあまあ気にする
③ふつうに気にする
④あまり気にしてない
⑤ほとんど気にしてない
⑥全然気にしてない
⑦全然気にしていないわけではないが気にしているわけでもない(よくわからない)
等々、個々人のレベルで色々だと思うのですが、
私は上記①~⑦で言うと②、まーそこそこ気にしてますね、女だしね。ってことでアラサー女子一般的な「作りこみ」は多少行っている。
具体的に言うと年齢を意識した派手ではないが堅実なメイク、流行をそこそこ意識した年相応に見えるレベル(金額的にも)の服装、美容院は少なくとも2ヶ月に1回、ネイルはこまめに塗り替える(金に余裕があればサロンに行く)、体型維持(筆者は標準体重である)、美容脱毛、(見た目由来の)健康を意識・・・などなど。
それらは⑥あたりの容姿を気にしていない(し特に何もしない)人からすれば「へ~色々やってて大変だね~」レベルかもしれないし、③~①の人からすれば「そんなのみんな当たり前にやってることじゃん?」程度かもしれない。
しかし中学・高校とエスカレーター式の女子高かつ当時運動部なのも相俟って容姿にまったく気を使わないがゆえにゴリラだった私は、(まあ当時は当時で楽だったし楽しかったが)、男女共学の大学に進学して周囲の同年代の女子と比較して自分のあまりのあまりぶりに慄き、二十歳そこそこからようやく「自分の容姿」というものに気を使い始め、髪を伸ばしてみたり露出を増やして筋肉質の体を無理やりスタイルが良いように見せてみたり(痛い)ファッション雑誌を読んだり服やメイクを研究したりして粛々とゴリラ→女化をはかった。当初こそ自他共に「女のコスプレ」感が強かったと思うが、幸いそれが功を奏して(?)大学では初めて彼氏が出来たり友人にも恵まれて楽しく過ごすことができた。前置きが長くなったが、そんな私は今でも「自分という人間に女という皮を被せて生きている感」があるのである。自分磨きは楽しいが元の顔が平凡(というかうっすら不細工だとさえ思う)なのでいくら磨いたところで程度はとっくにしれている。「女であることの皮」がルーチンと化した毎日、もちろんメイクやネイルや美容諸々がダルくなる日もある。多々ある。しかし、大学進学時の「女がいる!!!」感の衝撃とゴリラである自分への劣等感を思い出すと、もうあの頃の自分には戻れないし絶対に戻りたくないのである。以上が主に自分が(おそらく人よりも)容姿を気にする理由だ。
私は人から自分がどう見られているかが気になる。かつて自分はゴリラだったという自負があるので、きちんと女に見えているのかが気になる。女性の目からも男性の目からも、である。
ここでやっとタイトルに触れるが、自分の容姿が人にどう見られているかが気になるということをネットやなんかで打ち明けると、「誰もあなたのことなんか見てませんよw」という自意識過剰ですよ的な指摘が飛んでくるのだが、大抵それを言ってくるのは男性である。
そこでふと思った。道行く男性は道行く女性が容姿ジャッジされるのと同じ位の頻度で、容姿ジャッジされているのだろうか?と。ちなみに私の高校時代のゴリラエピソードを挙げると、私はスカートの下ジャージの制服姿(自分でも女子中学生かよと思うがw)で一人で電車に乗っていると、近くにいた男子高校生の群れから「女ゴリラw」と言われたことがある。一瞬空耳かと思い声がした方向をチラっと見ると、男子高校生の群れが私の顔を見てニヤついていた。その時はかなり落ち込んだが、高校時代はポジティブ女ばかりに囲まれて謎に自分もポジティブだった私は、学校行って部活して飯食って寝る、を何度か繰り返したらそのことはいつのまにか忘れていた。そして昨今よく耳にする「容姿ジャッジ」という言葉から記憶をたぐった次第である。
私が思うに、あまりに奇抜な格好や見た目をしているのではない限り、男は他人の男の容姿など特に見ていない、そして女は元々、道行く男を(意識的にも無意識的にも)特に見ていない。イケメンとか不細工とか以前に、道を歩いてる赤の他人の男の容姿になんて別に興味がないのである。私は男よりも同性に対しての「美人!」や「スタイルいい!」のほうが多いくらいだ。(ちなみにそれは好意的な時しか発動しない)もちろんすれ違う女の容姿ジャッジばかりしている男ばかりなわけがないだろうし、逆に男に対して日常的に?容姿ジャッジしている女だっているとは思うが。
男→男 どうでもいい
女→男 どうでもいい
の式が成り立つならば、男性による「誰もあなたのことなんて見てませんよw」というセリフは、奇しくも自分が男側だから誰にも気にされないのだ(気にされにくい)ということを証明してしまっているのでないだろうか。
そこで私は「あえて(心の中で)道行く男性の容姿ジャッジをしてみる日」というのを作ってみた。
心身ともにゆとりがある日、主に通勤時に不特定多数の男性の中でぱっと視界に入った男性の「見た目」を0.5秒くらいでジャッジするのである。(もちろん決してジロジロ見たりはしない。即断即決、一度見たら振り返らない。)
結果を先に言うと「世の中の男ってほとんど不細工じゃねーかwww」でした。
0.5秒でも判断できるほど洗練されたイケメンなんてほとんどいない。皆無と言っていい。
同時に己の精神の醜さが知れましたね。「(ぶっさwww)」「(ハゲとるやないかww)」「(・・・(冷静になって)この人この姿でよく外に出れるな・・・)(自分だったら出れない・・・)」とかね。暴言のオンパレードですよ。特に中年男性。日本の業が凝縮されたかのような顔面群。
もちろん、あえて容姿ジャッジしようとしなければしないですよこんなこと。どうでもいいですから。そして別にそんなことをしても面白可笑しいわけではないので(やってる時はw飛ばしてますがw)、1回やって、二度とやってません。
でも最中、マイナスジャッジを付けた男性で、この人がもしこの姿で女バージョンだったら「許されない」んだろうなあ・・・なんて思ってしまったのでした。
あと、ほとんどの女が日常的に男の容姿ジャッジをするようになったら、男の全体的な容姿レベルって上がるのかなあ・・・とか思ったり。主観なので主語デカで行きますが、(都内です)「なんでその格好で外出た!?w」級の男ってたまにいますよね・・・奇抜という意味ではなく、衛生的な意味で。それに比べると女はほとんどが身奇麗にしてる気がします。
この文章は「容姿ジャッジをやめよう」という主旨で書いているわけでも「容姿ジャッジをしよう」と言いたいわけでもありません。
小さい頃は父が好きだった。多分母よりも好きだった。
何かと父に懐いていて、趣味も漫画やアニメ好きだった父から多大な影響を受けた。今でもガンダムとか好きだ。
でも、大きくなるにつれ次第に父のことを素直に好きと言えなくなった。
そうなった経緯を何となく身バレ防止のフェイク込みで書いていく。
中学生くらいまではなんの躊躇いもなく父が好きだった。
仕事で帰りが遅い日が多かったけど、家にいる時は積極的に遊んでくれた。
本も読んでくれたし、外にも連れてってくれた。色んなことを教えてくれたし、母に内緒でお小遣いをくれたりおかしを買ってくれたりもした。
私が中学に上がるくらいの頃から父は自宅で仕事をするようになり、日中も家にいるので、学校から帰れば父がいるのが当たり前の生活になった。
裕福ではないけれど、それなりの暮らしができる程度の一般家庭だった。と思っていた。
高校の時くらいだったかな。ふと、父が仕事で使っているパソコンを見てしまった時があった。
父の仕事場に、父になんか用があって呼びに行った時だった。その時父はなんかちょっとした買い物かなんかに出ていて、ちょうど離籍していた。
仕事場に入ると、父の姿はなく、パソコンの画面だけが煌々と点いていた。
そのパソコンの画面にちらりと目をやった時、メールの画面が開かれていた。
人のメールボックスを勝手に見るのはいけないことだ。そんなことはわかっていたけれど、あの父が普段仕事でどんなやり取りをしているのかが気になり、送信済みメールボックスを開いてしまった。
そしたら真面目そうな事務的なメールに混じって、「〇〇ちゃんへ」みたいな、確実に女の人に向けて書かれたっぽい親しげな件名があることに気付いた。
ここまで来たら、もう止められなかった。見ない方が幸せだってわかってたのに、好奇心とかなんかそういう気持ちに抗えなかった。
そこには、もう細かい文面は忘れたけど、今でいういわゆる「勘違いおじさん」的な内容の分が書かれていた。あまりの衝撃に全文は読まずにすぐ閉じたから、詳しくは覚えてないけど。
もう、なんて言ったらいいのかな。ショックだし恥ずかしいし、いや勝手に見た私も悪いけど、もうとにかく鳥肌立つほど嫌悪感を覚えた。
だって、おそらく20代くらいの女の子に向けて、妻子持ちのオッサンがデレデレしたメールを打ってる。「また会おうね♡」とか書かれている。もうそれだけでキモいのに、それが自分の父親だなんて。生理的に無理。
でもまさか母親や兄妹には相談できないし、友達にも言えないし。その日を境に、私は父との接し方がぎこちなくなっていった。もう素直に父のことを好きとは言えなくなっていった。
そしてちょうどその頃くらいだったかな。子どもながらに薄々と、ウチの家計ヤバそうだな?と思うようになっていった。
父と母が、たびたび家計のことで言い合うようになっていた。どうも、電気代水道代通信費等、様々な支払いが滞りがちらしい。実際、私が大学に入るころには、通信費の支払いがちょいちょい滞って、月の初めにケータイが使えなくなるということがたびたび起こっていた(ケータイ代は家族分まとめて父が支払っていた)。
母もパート仕事に出ていたけど、それでも足りないくらいに父の事業が上手くいかなくなっていたっぽかった。詳しいことは何も知らない。父も仕事や稼ぎに関しては多くを語らなかったし、そも私がまだ子どものカテゴリーに入っていたから、そんな相談もされるわけがなかった。
競馬にハマっていたというか、諸々足りない分のお金を手っ取り早く競馬で得ようとしていたようだった。それで余計に多くの金を失って、どんどん負のスパイラルに落ちていったようだった。今思えばの話だが。
それで決定的に「この人ダメだ」と思ったのが、ある日父にお小遣いを貰いに行った時だった。
友達の遊びに行く予定を立てていたのだが、その時に自分の財布の中身が若干心もとなく、ちょっとだけ融資してもらおうと思って父のところに行ったのだ。
「三千円くらい貸してもらえるとありがたいんだけど。バイト代入ったら返すから。」
そう言った私に、父は振り返りもせずに言った。
もうその瞬間から、私はその人を、親と思えなくなってしまった。
家計の状態をろくに知らずに、無邪気にお小遣いをせびった私も悪かった。もっとバイトに精を出したり、無駄遣いしないようにしてればよかった。
でもそれ以前に、娘に金を強請られて、競馬で稼ごうとするその姿勢がもう私には耐えられなかった。
「そんなお金なら要らない」と言い放ち、その日はそのまま出かけた。
友達にもこんなことは言えないし、親兄弟にも言いたくないし、メールの件の不信感も相俟ってもう父に対する信頼はすっかり無くなってしまっていた。
その後、父は結局借金が嵩み自己破産となり、母とは離婚し、今は離れて暮らしている。
私も数年前から仕事を始めると同時に家を出て、今は一人暮らしをしている。
そうなるまでにも色々あった。多額の借金が明るみになる直前には、私に万単位のお金を貸してくれと頼んできたこともあった。私がコツコツ貯めていた500円玉貯金が私の留守中に半分くらい持っていかれたこともあった。これらは未だに返してもらっていない。
なんだろうな。こんな形で嫌いになりたくなかったな。私も、職場の人たちが父親談義している中に、笑顔で入っていって、自分の父親はいい人なんだと胸を張って言いたかったな。
私が小さかった頃の父は大好きだった。それは本当だ。色んな事実を、知らなきゃよかった。
「隠し事はナシね」なんて綺麗ごとを言うつもりはない。でも、それなら隠し通してほしかった。私(たち)に失望させないでほしかった。大好きなお父さんのままでいて欲しかった。
お父さんと今でも何の蟠りもなく仲良くできてたら、今でも「もうすぐGレコ劇場版やるやん!見に行く?」みたいなLINEを送り合う仲だったりしたのかな、と寂しく思う時もある。
婚活パーティーのハズレに辟易して街コンで女の子ナンパするようにしたら心が癒された話をしようと思ったんですけど、なんかもうこの一文だけで完結してしまったので婚活パーティーに参加する男について愚痴を吐きます。
お前人のこと言えるのかよ、と思うでしょう。
実際面と向かって言ったわけじゃねーし匿名だからこそ吐き出すんだよ許してくれよ。ちゃんとパーティー中は相手がどんな奴でも会話を途切れさせないよう愛想良く振る舞ってるよ。身内で愚痴るには話題が話題だし恥ずかしいんだよ。許せ。
パーティー中とかパーティー後とか構わず、思い出したままつらつらと書いてるよ。
見た目はそのへんのオッサンという、わたしの恋愛(結婚)対象の見た目ではなかったが人並み。たぶん中の下~下の中レベル。37歳とか38歳とかで、年収200とか250とか?
その時点でぅゎぁ…それもう年収空欄でもええんやで…ってなったけど、とりあえずオッサンが就くには見慣れない職業なので掘り下げる。
結論から言うと1時間3000円とかのマッサージ師でした。りらくるとかの。マッサージ屋行かんから解らん。でもそういう認識をした。
ハナから『マッサージ師』って書けばいいのに。ツッコミ所として会話のとっかかりを仕掛けたのかと思いきや膨らますこともなくさらっと「皆さんツッコまれるけど、まあ要するにマッサージ師ですね(ドヤ」で終わったし。
トークタイム2回あるパーティーだったけど、2回目で「マッチングの第一希望あなたにします」とか言われても圏外の見た目にドヤが相俟って嫌悪感しかねーわ。せめてツッコミ所作るならツッコミから上手く会話を膨らませるスキルを持ってくれ。
見た目からして神経質な理系男って感じの、ガリガリで眼鏡でギョロ目で吃音気味で…という、まあ、お察し。
ずーーーーーーっとパタパタパタパタ扇子で自分扇いでやんのこいつ。アラフォー手前の年齢でするか?婚活パーティーだぞ?初対面の異性と会話してんだぞ?いくら圏外だとしても失礼過ぎんぞ????
トークタイム→中間発表→トークタイム→マッチング、の流れで、中間発表の際同じテーブルだった男。
中間発表って「自分に好意を抱いている相手が解るようになっています」ってやつじゃないですか。そのパーティーでは赤丸がついてたら~だったんすよ。
司会がその説明をして、自分のカードを見た男、「え?赤丸?え??あれ???」ってずーーーっと独り言してんの。そのうち司会のところに行って問い合わせ。「赤丸ないんですけど」とか言われても司会困るって…。婚活パーティー参加したら無条件で異性から好意を抱かれるわけじゃねーよ…。見た目のことは言わんけどせめてプロフィールカード有りの初対面で3分だか5分だかぐらいは会話できるようにスキル磨くのが先だよ…。1:1トークタイムで沈黙を作らないよう頑張る勢のわたしですら振った話題全部叩き切られるし会話振ってこないし馬鹿馬鹿しくなったよ。
休憩兼ねての中間発表中に退室して戻ってこなかった…と思いきや、いつの間にか戻ってきてた模様。居たよ。逆になんで戻ってきたんだよ。
「明日からまた(外国)に戻る」「2~3ヶ月に1回、1週間ぐらいは戻ってくる」「(外国)に永住するつもり」ってお前何のために参加してんの?何のつもりで参加してんの???マッチングアプリでも使ったら?それか現地で外人でも日本人でも探したら?日本で日本人と出会って結婚したいなら見合いしたら????
そもそもアラフォー後半の海外在住って時点で詰んでるんじゃねーの…?日本で日本人と出会って結婚したいなら日本に住んでる間にさっさと相手探しときゃ良かったのにね。
読めないことはないけど、欄いっぱいどころか枠線も罫線も無視した荒ぶる文字。
欄内に収まってても読めないレベルの男もそこそこ居る。人に見せる文字なんだから丁寧に書け。
ピンポイントに刺さるなら一気に親密感を得られるものの、基本的に一個も知らねーわ…とかすりもしない諸刃の剣。
造詣が深いわけではないからわたしが知らないだけかもしれないけれど、せめてバンドなら『○○の主題歌で~』とか、作家なら『ドラマ/映画化した~』とか言えるレベルか、内容は知らないが名前に聞き覚えは有る程度に知名度のあるものも入れてくれ。メジャーかインディーズかすらあやふやなバンドを欄内みちみちに書かれても時間吸われるだけだわ。
と、言っていいものか。なんかゴテゴテしたドクロとか十字架とかハートとか蔦?茨?とかのゴツめのシルバーアクセ。ネックレスとか指輪。もうおまえ三十路なんやからそういうのは卒業しなさい。ベルトのバックルとかあまり目に付かない小物ぐらいならかろうじて許せるけど、ちょいポチャに普通の顔や髪型でクロムハーツ(仮)の十字架ネックレスとかドン引きですよ。そういうのを付けたいならそういう髪型とか体型になってからにしてくれ。
性別は違うけれど、ゴスロリすっぴん素眉毛女を見かけたときのウヘェ感。
セックスが、というわけではなく。
マッチング後のお茶なり後日なりの1回目のデート()あたりでのド率直なヤリモクアピールしてくるやつはもうお前風俗かマッチングアプリ行け。それかパーティー中に言え。マッチング希望出さねえから。出会いを無駄にされた感半端ないし、「脱がせやすそうな服だね」とか「ホテル行く?」とか純粋に気持ち悪い。
ヤリモク滅べとかではなく互いに棲み分けしようぜ。ヤリモクでも別にいいけどもうちょっと上手くやれよこんな馬鹿に魅力感じた自分が悲しくなってくるから。
「今は○○県に住んでるけど、長男だし結婚したら××市(=向こうの実家のある市=わたしの居住地)に住む予定ですよ」って、さも「俺と結婚したらお前の地元近くに住むぜ!遠くに引っ越す必要ないぜ!俺の通勤時間は延びるけどお前のためだぜ!」ってプラスポイントみたいに言ってたんだけど、…ねえ?
見た目は頑張っても中の下、収入も中の中だし、実家が資産家とか云々があったとしても、結婚を前提とした出会いの初対面異性に言うことじゃねーだろ…。そういうつもりなら上手く隠さないと誰も引っかからんだろ…。
……参加資格、社会人じゃなかったっけ???っていうか次の職場どころか職種も決めずに仕事辞めるんだ???へえ。…へえ。結婚してからも次を決めずに辞めそう(偏見)
本当に辞めてくれ。平日休みだから同じ平日休みを探すために平日昼間に参加してるんだよ。っていうか有給使って婚活パーティーってどうなの感半端ない。休日にやってくれ。
定時ダッシュしないとこの時間のここに居ることが出来ないって、普通に考えたら仕事帰りデートとか出来るけど、お前、県外の人間だよな。片道2時間弱つったよな。定時ダッシュして一時帰宅してそのまま電車乗って参加しなきゃいけない理由あんの?休みの日にゆっくり他の予定もあわせて都会に出たら?
「連勤に入ると家に寝に帰るどころか職場にずっと泊まり込みッスねー」って何のアピール?ミサワ?デスマで缶詰とか欠員が出て穴埋めのためにとかならまだしもデフォ泊まり込みって何のためにアピールすんの?結婚どころか交際する余裕すらなくね?何のために婚活パーティー参加してんの?徹夜明けでパーティー参加して寝ずにまた夜勤行くとか言うならこの時間家で寝てたら?
そんな感じでノーマッチングっていうかそもそも希望空白で出すことが多すぎて疲れた。最低限のはずの『他人を不愉快にさせない見た目と言動』すら備えてない男が複数存在してることにびっくりして驚いて驚天動地だよ。「彼女居たことあります?」って聞くまでもないような男がどうして数千円も払って参加しようと思ってしまうのか不思議で仕方ない。ドブに捨てるだけだからジムにでも通うか貯蓄した方がいいと思うよ。
逆に女性は最低限整ってる人しか見てない。個室だと同性を観察する機会は少ないし会話する機会に至ってはほぼないけれど、パーティー後のエレベーター待ちだとかに軽く愚痴を吐きあったり感想を交わしたりは普通に出来る。「お疲れさまでしたー」「アラフォーばっかでしたね笑」とかレベルだけど。街コン系だと同性はずっと面子固定だから良く喋れる。そして男の居ないタイミングとかでちょっとずつ親密になりLINE交換とか出来る。
バブル崩壊を認識してるなら、オタクの収入もまた減ってることに着目しなきゃならないと思うよ
そして何なら1983年から放映されていたキャプ翼アニメを考えると、放映当時10才だった者が就職するのは約10年後の1993年頃
1993年と言えば就職氷河期と言われる時代へ突入する頃であり、キャプ翼世代が成人する時代は日本って不景気なんだよ
もちろんキャプ翼世代よりも10才上の働き盛り世代も倒産やリストラに遭ってしまったり、減給などもあり、オタクだって収入が減っているんだ。キャプ翼世代は減収どころか就職できてない可能性がある
つまり、日韓FIFAワールドカップの時代の牽引力のある成人したオタク世代は荒んでることが予測できて、そこに上手く嫌韓思想が仮想敵として機能したと考えて良いと思う
最近花火大会の話をよく聞く、忙しいし誘うような相手もいないから行っていないんだけども
毎年一回は行ってるし見るのも屋台もとても楽しいんだけど、それと同時に悲しくて、寂しくて涙が出てしまうからつらい 別にトラウマとかがあるわけじゃなくてなんとなく物悲しいだけ
夏の風物詩のはずなのに夏の楽しい時間の終わり、儚さを感じる たぶん一瞬開いて消える刹那的な感じがなせる業なんだと思う 現実に戻らなきゃいけない虚無感も相俟って
周りに聞いても花火は綺麗なもの、楽しいものという認識しかないみたいで自分がおかしいんじゃないかと
でも連歌とかで秋の季語だったりするらしいし、お盆の送り火を思わせるものもあって 一部なりとも同じ感覚を持っている人もいるのかもね
地元の同級生(女)が、1年専門学校に通って秘書検定2級に合格しました〜!とfacebookに近況報告していた。え、あのホームラン級のバカでも受かる検定ってどんなもんじゃろ、とふと思い、ブックマークからGoogleを選択しクリック。因みにどれ位バカかというと、中学生のころ、英会話の授業でアメリカ人の先生に将来の夢を聞かれ、「セーラームーン!」と元気よく答えたまでは良いものの、What is "Sailor Moon"?と聞かれて、後ろの席の僕に「ねぇねぇセーラームーンって英語で何て言うの?」と聞く程度のバカである。そんな彼女が1年掛けて合格したという秘書検定2級。キーボードを叩き検索窓に文字を入力しながらふと思う。ところで、そもそもこういう資格は秘書になる前から勉強するものなんだろうか、と。「私、将来えらいシャッチョさんの秘書になりたい!」などと考えて専門学校に入学したのだろうか。秘書というのはあくまで営業、人事、総務といったポジションの名前であり、目指してなるようなものでは無いのではないか。そもそもセーラームーンになる夢は諦めたのか?表示された検索結果をぼうっと眺めながら、改めて彼女の動機について考える。何せセーラームーンを目指していた女だ。彼女の残念なオツムなら「シャッチョさんの秘書って大体赤いフレームのメガネ掛けててタイトなスーツ着てて超セクシーじゃん!」くらいの軽いコスプレ感覚で勉強を始めたのかもしれない。ただ、何れにせよ合格によって彼女が成長を実感し、何かを成し遂げる事の悦びを感じたならそれで良いではないか。因みに彼女であるが、脳みそは小さいものの躰つきに関しては妙に艶かしく、特に乳のデカさは特筆に値する。決して美人ではないが頼めばヤラせてくれそうなチャラい雰囲気も相俟って、フリーで入ったヘルスで出てきたら翌日以降暫く余韻で白飯が食える程度にはエロい。自分の好みで言えば、ああいうオツム足りてない感じのチャラい女が、赤いフレームの眼鏡、タイトなスーツの秘書風コスプレで「シャッチョさん、お疲れでしょう?」なんて言ってニッコリとイチモツのコリを優しくほぐしてくれればミラクルロマンス。月の光に導かれ何度も(店に電話して)めぐり合いたい。コスプレと言えば、バカそうな女だしなんかハロウィンとかガッチリやってそうなので普通にセーラームーンのコスプレも似合うと思う。ここまで書いて気づいたが、きっとご両親に「秘書の専門学校に行きたい」と打ち明けた時も、アメリカ人英語教師にセーラームーンとは何か尋ねられたあの時も、彼女は将来の職業について本能的に向き不向きを感じ取っていたのかもしれない。それに比べ自分はどうだ?やりたい事も自己分析も曖昧なまま、手当たり次第面接して漸く拾って貰えた会社で、これが本当にやりたい事なのかといつも自問自答しながらPCと睨み合う日々。彼女の自由な生き方は僕ら同世代にとって正にスター、もといムーンなのかもしれない。今では素直に彼女の夢を心から応援してあげたい。これから一生懸命就職活動して、理想のシャッチョさんを探し、じっくりと経験を積んで、立派なセーラー戦士になって欲しいと心から願っている。因みに秘書検定について調べたけど、何だこのクソみたいな資格就職活動に有利だと真面目に信じてる奴は須らくバカだと思いました。
絵師って安く買い叩かれ過ぎなんだよなぁ
単価1万円とかお小遣いみたいな報酬にしたソシャゲ業界が一番悪い。
その次にアニメグッズの企画販売会社、ここも単価が安すぎて駄目。
しかも有名絵師を使わずPixivとかのちょっと名の知れたアマチュア絵師に頼むから
かなり買い叩かれてる印象。
更に自治体も安く買い叩く。
この前絵師に5千円という子供の小遣いレベルの報酬が当り前になってるという知人の話を聞き草も生えなかった。
こいつら絵師を何だと思ってるんだ。
有名アニメ会社の基本給が13万円って話を聞いてから、元々絵に対する価値観が低すぎるんだろうと思えてならない。
人が酷使される状況も相俟って、実は日本人は絵に対して生産性の高い物だから安く買い叩いても需要がある分
より酷使できると考えてるのかもしらん。
ともかく、世の中の絵師に対する評価の低さはゲーム業界ならびにアニメ業界、絵師業界全体の質の低下を招くかもしれない。
まぁ楽しめた。全26話の内、8話までで戦国編が終わったのが評価できた。これをかたらないとなぜハルが魔法少女になったか充分に語り得ず、かといって原作があれだけの分量を費やした戦国編である。バランスをどう取るか気がかりだったが、ここは制作指揮を執った田町ボラギノール監督の『ぱらりんぴっく!』以来の豊富な経験が十二分に活かされた結果と言えるだろう。ただし、平塚為広と大谷刑部との絡みは安直に過ぎると思う。田町ボラギノール監督がかつて制作した『都立尾久の原公園のたたかい!』のキャラ「パシフィック種村」と「パラリンピック吉岡」との情愛の構造のトレースであり、なんらの新規性がないにも拘わらず、人気を得るための安直な策と思しい。この構造は為広と刑部との間に何らの検討も経ずトレースされた。これらはもう受け手が嘗められているとしか思えない。「お前らはこれで楽しいんだろ? え? ほれほれ」という馬立コーラック監督の意図がすけすけである。ここは助監督の木村氏にも頑張ってほしかったが、最近は岐阜県揖斐川郡にある自分の農場の管理が忙しいらしい。
9話から最終話にかけてが原作の通称「大正SF編」に該当する。アニメ第1期で語られた明治41年の初デート。これがハルを魔法少女として目覚めさせる直接の経験になったわけだが、そもそも成美女子英語学校時代の勉学や課外授業と言った、争乱に巻き込まれる以前の牧歌的な部分こそがアニメ第一期の醍醐味かつ要旨であった。「大正SF編」では田町監督が好むスチームパンクの要領を原作に累加し、ハルの激動たる活動を描いた。これが本作。もうおわかりかと思うが私は「第1部のノリが良かった! なにこのノリ! 付いていけないよ!」という意見に真っ向から反対したい。第1期が文学への淡い目覚めであり、その後当然闘争への情熱が生まれてくるのは原作を読んでいれば自明なわけで、1期のノリが変わるのは当然だ。作品とハルの生涯を見渡せばこれは当然のはず。昨今のアニメのノリにたまたま第1期がたまたま、たまたまである。合致したに過ぎない。最近のアニメに絆されてるんじゃねえよ。ばーか。
「大正SF」編では後述するが声優の田端エリザベスの演技が相俟って、独特のケミカルさを醸成していた。一般に「大正ロマン」+「スチームパンク」はかなり親和性がありSF界でも常套手段とも言える組み合わせである。ここに長い歴史を持つ魔法少女モノを組み込もうとしたとき田町ボラギノール氏にとっては、師匠である大谷江戸仕草氏の影響を受けたことが役に立ったと私はにらんでいる。60年代の草創期に活躍した大谷江戸仕草氏の功績は今更贅言する必要性も(とくにこの増田界隈では)なかろうが、特に「ハル」の一連の成果には、氏のアニメにおける第三作目「モリソン号じけん!」がかなり直接に関係しているように思える。あまり界隈でもこの指摘はなされていないと思うので、まあ皆さんには自明と思いますが一応・・・。
さっきも書いたけど上中里マリアンヌの演技最高ー! もう大好き。主人公のハルの魅力を充分に発揮しているうえに、かわいい陰獣の「ウンゲツィーファー」も彼女がやってるんだぜ。もうたまらんうー。せーの! 「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」
恋人役「燕尾服仮面」こと奥村の声優西荻窪松庵の演技もまた良かった。松庵の思想上の師である都立家政ドトールの1932年ベルリンでの演技を彷彿とさせるシーンがあった。おわかりかと思うけど19話の例のシーンね。
友人の市川房枝役の声優保谷ビアンキも妖艶な演技が光った。市川房枝って公式でも眼鏡がずれているんだけれど(wikipediaでも見てほしい)、それをアニメでも反映させていて、保谷はその眼鏡がずれているという演技をしているところが印象に残りました。最近揖斐川郡でハウス栽培やっているそうです。岐阜の。っていうか俺あんま声優詳しくねーや。
正直残念だったのが魔法詠唱シーンの作画だ。ハルが本を開いて中空に浮かせて詠唱するというお決まりのシーン。ここに全く気合いが入っていない。ハルが水晶槍の呪文をパージしてマテリアルタスク化するロマネスク技を出したシーンあっただろ。12話だったか? あそこで監督や、あるいは原作者の十返舎一九も多分想定していたことだと思うが、あそこのモチーフは一般にイメージされるフェミニズムの観点からだけでは捉えられない。このアニメを見る際には岩波の『日本のフェミニズム』全編を通読してからにしたほうが望ましいと半分冗談でwikiに書かれているけれど、これは実際マジだとおもう。あのシーンではむしろ参政権の獲得と戦争との関係がクローズアップされているのであって、フェミニズムへの外的要因(ここでは太平洋戦争・・・というか総力戦体制というべきか。この辺りは突っ込むと難しいからこれ以上は無理だー誰か解説してくれ。)が問題なわけだ。で、あの作画である。作画誰かは知らないけれどそういう文脈が必ずしも現場に伝わらなかったのではないか。25話のハルが友人の奥むめおの101才の誕生日をタイムワープして祝うシーン。これも輻輳するフェミニズムのイメージに作画が全くついて行っていない印象を受ける。ここも、参政権から出発し、翼賛体制との関わりから、さらに高度経済成長を経てバブルという消費社会を経験しかつ男女雇用機会均等法が出たあと、というハルの至らなかった(生きられなかった時代の)地平を魔法で見に行く、というのが大魔法の骨子になっていたと思う。これにたいしてあの70年代初期を思わせる「リブ」で作画されちゃあ適わねえ。ハルまだいきてんじゃねーか。
結局ハルは原作では婚約者からもらった指輪をマレーシアのビナツボ火山に捨てに行ったわけだ。いわゆる夫婦別姓という現代的問題を魔法でどう解決するのかが楽しみです。文句も沢山書きましたが、基本的にこのシリーズには期待しています。制作会社の「オベリスク護国寺」の益々のご発展を祈っています。
横浜生まれ東京住まい、20代会社員。先日有休がとれたので、ふと思い立って人生初の函館旅行に行ってきた。親しい人を誘っての気楽な二人旅だ。
楽しかったこと、残念に思ったこと、多々あったので書いてみる。長いよー。
で、しみじみ思ったんだけど、函館って結構近いのな。は~るばるきたぜは~こだって~!というフレーズがあまりにも有名なのでもっと遠いイメージだった。案外気軽に行けるんだなぁ、と目からウロコが落ちた。
だって、飛行機乗って1時間20分で着くんだもん。めちゃくちゃ早い。しかも、飛行場が市街地から車で20分程度とアクセスが良く、超便利。そう、函館ってコンパクトな街なんだよな。関東平野のど真ん中に住む身としては山も海も温泉も非日常なので自宅のすぐそばにそういったものがある環境というのは羨ましい。
JR函館駅でシャトルバスをおり、その駅前のあまりの茫漠とした様子に衝撃を受けた。
土曜の昼だったが、ほとんど人影がない。駅舎は新しくて立派だし駅前ロータリーも広く、周辺には大きなビルやホテルが林立していて、ハードが整っているだけに主役となる人間がいなくてまったく賑わっていないのがなんだか異様な感じ。ロータリーを囲む唯一の店らしい店といえば小さなサンクスだけだし。
自分の住む関東の某ベッドタウンは、知名度は低く駅も小規模で周辺にも函館駅ほど大きなビルやホテルが林立している訳ではない。でも、駅前には複数のコンビニや飲食店、フィットネスジム、銀行、パチンコ屋、スーパー、病院、学習塾がそろっていて人通りが絶えない。チェーン店と地元資本の小型店が競合し、学生や主婦やおっさんやじいちゃんばあちゃんがワラワラ路上を歩いていたりスイスイ自転車で進んでいる。
地方は車社会と聞く。だからJR函館駅の駅前はこんなに人影が見えないのか? みんな車で移動していて歩かない? でもそれにしたって人いなさすぎじゃないか? 別に山奥とかじゃなくて、街の中なんだからさ。
夜にも駅周辺を通りかかった。そしたら20時台だというのにしーんと静まり返っていて真っ暗なんだよ。うちの地元じゃ23時レベルの閑寂さ。普通、土曜の夜といったらどの繁華街も賑わう時間帯だろうに、大門地区もほとんどの店のシャッターが下りていてポツンポツンと小規模なお店がやっているだけだった。観光客としてお金を落とす気満々で夜の函館に繰り出したのに、静まり返っていてお金を落としたいと思える場所がないんだわ。
あまりにも異様に感じたので、その場でスマホで函館についてぐぐってみたら、「2014年に市域全域が過疎地域指定された」という情報を得た。ドーナツ化現象の典型的な例だ、とも。
函館って過疎地だったのか! そんなのるるぶに書いてなかったよ!
どおりで、函館駅周辺をウロウロしているのは観光客ばかりで地元民の姿はなかなか見えないはずだ。函館朝市行ってみても観光客だけだったし、その客足自体も少なかったし(これは行った日時が良くなかったのかもしれんが)。値段も安くないわ、客引きの口上が胡散臭いわ強引だわで怖かったんだけど、やっぱり地元民が買いに来ないから観光客頼みになってしまい、少ない客を逃すまいと必死になってるんだろうな。
気を取り直して良かった函館観光について書いてみる。夜景が有名だが、今回一番気に入ったのは晴れた日の早朝に行った八幡坂からの眺めだった。この坂は観光で訪れたい坂の名所ベスト1に輝いた坂なんだそうな。海へと伸びる真っ直ぐな広い道で、そして坂の上から見える海の青さが実に鮮やかで、晴空の青さと相俟って素晴らしい景観だ。ああ、やっぱり港町って良いなぁ!凄く良い!と思わされる。これは嬉しい驚きだったな。
余談ながら、なぜこんなにも函館の坂の道幅が広く直線なのかというと、何度も大火に見舞われた歴史を踏まえて火除けを意図しているのだそうだ。ブラタモリの函館の回を見たとき知った。
八幡坂を登って右に折れると、大三坂とぶつかる十字路がある。この十字路、面白いよ。4つの角のうち3つが、
とそれぞれ宗派の違うキリスト教系教会の敷地となっているんだ。
ちなみに、十字路には面していないけれど、近くには日本基督教団函館教会(プロテスタント)や船魂神社、東本願寺函館別院などもある。なんじゃこの宗教激戦区!
我々が件の十字路付近を歩いていたのは日曜日の10時頃だったんだけど、突然十字路の方から「ガランゴロンガランゴロン」と元気の良い鐘の音が辺り一帯に鳴り響いた。
「あ、教会の鐘だね」「三つの教会のうちのどこのだろうね」と同行者と話しながら歩いていると、「ガランゴロン」の鐘の音は数分程度で止み、すぐ後に今度は落ち着いた「ゴーンゴーンゴーンゴーン」という違う鐘が聞こえてきた。
どちらの音も「今から日曜礼拝やるよ!信者の皆さんは教会にいらっしゃい!」という合図の鐘なんだろうけど、何しろ3つも教会が隣接しているのであえて違う鐘の鳴らし方をして各々の信者に伝えていえうんだろうな。
自分は特に信仰は持っていないが、旅の同行者は日本人には珍しく成人洗礼をしているガチのカトリック教徒で、「せっかくだから函館のミサにぜひ行きたい」と言い出した。時間に余裕はあったので一緒に元町教会の日曜礼拝に出席してみることになった。
同行者からはミサの間の注意点として①携帯の電源は必ず切っておく②信者じゃないので「アーメン」は言わない③信者じゃないので十字は切らない④信者じゃないので聖体拝領は望まず神父からは「祝福」を受ける、の4点は気をつけてほしい、と言われた。
元町教会の中に入って世話役さんのような方に旅行者だがミサに参加したい旨を伝えると、普段はどこの教会に通っているのか等あれこれ気さくに話しかけてくれ、ミサの最中も「今歌っているのは聖歌集〇〇ページですよ」等と親切に教えてくれた。さらにミサの後には全員の前で同行者を「本日は東京の〇〇教会所属の〇〇さんが来てくれました」と紹介までしてくれた。ありがたいことだ。
その際、我々の他にも「京都の〇〇教会からは~」「福岡の〇〇教会からは~」「シンガポールの〇〇教会からは~」と紹介されてる人たちがおり、国内外から観光で来函したカトリック教徒が多数ミサに参加していたのだとわかった。
同行者曰く、こういう風にわざわざ紹介する習慣は他のカトリック教会にはないそうな。「さすが港町。オープンだな~」と他所者を受け入れることに慣れている様子に感心していた。一方で、女性信徒がみんな頭に白いベールを被っていることにも驚いたようで「都内のいつも通っている教会ではベールを被っている人はもうあまりいないんだよね」と言っていた。
カトリック教会の場合、信者でなくてもミサに参加することは拒まれない。しかし、キリスト教信仰に興味のない観光客は単なる物見遊山のつもりで参加すると気がひけると思う。やはりミサというのは信徒の真摯な祈りの場だからね。教会内部は淡い水色のアーチが連なるデザインの天井で、ミサに参加しなくても建築を見るだけで充分信者以外も楽しめる。信徒や信仰に興味のある人の場合は、歓迎してくれるので行ってみるのも良いだろう。同行者は大変満足したようだった。
函館でキリスト教文化というと元町の教会群だけではなく修道院も有名だ。トラピスチヌ女子修道院にも行ってきた。通常の見学者が入れるエリアは非常に限られており内部には入れないし、修道女も出てこない。しかし開放されている前庭は隅々まで掃除が行き届いて美しかった。展示物はボリュームは少ないものの中身は色々と興味深かった。
このトラピスチヌ修道院の修道女は広大な内部で自給自足の生活を送り、基本的に外部との接触は断つそうだ。はー、凄いなー、現代日本にそういう生活をしている人がいるとはとしみじみ感じ入っていたら、近くにいた観光客のおっさんが「ドローン飛ばして内部の様子を撮ってみたいわー、ガッハッハ」と下品な声で笑っていてげんなりした。きもい。痴漢かよ。今後、本当にそういうことやりだす奴がいたら嫌だな。
まぁ、自分も、ここの前庭を見学しているとき以下のコピペを思い出してしまい、ぐふふふふwwwwwと1人込みあがる笑いをかみ殺していたので、下品さではあまりひとのことは言えないが。
524 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:36:24 ID:/3DgV0R00
めちゃくちゃうまい
15歳~18歳くらいの修道女見習いたちが素手でこねて作っていると聞いた
527 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:47:21 ID:m6sYxkhI0
>>524
ここでクッキーは作ってないはず
528 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:49:42 ID:/3DgV0R00
もう二度と食わない
トラピスチヌ修道院の近くに牧場がある。タクシーの運転手さんに「入場料無料だし、函館牛乳の会社がやっているところだから」と勧められて寄ることにした。函館牛乳の会社と言われても正直ピンとこないが、地元ではブランドなのだろう。牧場では牛が見れた。周辺は北海道っぽい広々とした畑が広がっていて景観もいい。野外の牧場の売店でバニラのソフトクリームを食べてみたら大変美味だった。北海道のソフト!牧場のソフト!というシチュエーションがより美味しく感じさせたのかもしれないが、美味いものは美味いのだ。
ホテルの朝食バイキングも良かった。今回泊まったのは函館国際ホテルなんだが、ここは「朝食のおいしいホテル2015日本全国第5位」なんだとか。実際美味くて満腹になるまで食べた。イクラとか甘海老とか海鮮盛り放題なのが嬉しい。米も粒がたっていてツヤツヤで美味くて感動。あと、じゃがバターも美味かったな。あの芋なんだろ?独特のネッチョリ感があって甘かった。バターの塩気と組み合わさって、口の中が幸せになる。「空き部屋があったので」と部屋も自動的にランクアップしてくれていたし、サービスにも満足だ。
ホテルの徒歩圏内に「まるかつ水産」という回転寿司屋があったので昼食を取りに行った。ネタは新鮮でやっぱり美味い。ただ値段は観光地価格だわな。
北海道土産は色々充実しているので試食しながらあれこれ選ぶのも楽しい。職場へのお土産用に買うのはもちろん、自分用にも色々買ったわ。白い恋人ウマー!ロイズのポテチチップチョコレートウマー!とうきびチョコウマー!カリカリまだあるウマー!チーズオムレットウマー!!
函館のお洒落スポットとしてどのガイドブックにも載っているのが金森赤レンガ倉庫。外観は大きくて迫力もあって異国情緒もあり良かった。少し色あせたレンガが歴史を感じさせるし、夜のライトアップされた姿はロマンチックで綺麗だ。写真映えするスポットだと思う。
でも肝心のテナントショップがちょっと惜しいな。1棟丸ごと使って北海道の土産物屋をドドン!と大容量で販売している棟があるのは観光客には便利なのでありがたいが、その他の棟には小さな店がゴチャゴチャ雑多に入っていて清潔感がないし、しかも何処でも買えるような、函館の匂いどころか北海道っぽさの欠片もない、わけのわからん雑貨屋とか多くてしょぼい。やたら安っぽいプラスチックのテカテカした感じの商品ばっかり置いている雑貨屋もあったが、あれは修学旅行の小中学生向けなんだろうか??
ぶっちゃけ、地元のイオンの方がまともな店が入っていて楽しめる気がしたわ……
結構中国やら韓国やら外国人が多かったんだけど、わざわざ海外から来てくれた人はあのテナントのラインナップにはちょっとがっかりしたんじゃなかろうか、と函館人でもないのに勝手に申し訳なく思ってしまった。
もうちょっと赤レンガの中は洗練されたお洒落な空間になるといいと思うんだけどな。
函館といえば、陸繋島というあの特徴的な地形があげられると思う。まるで女性の腰のような見事なくびれ。
で、今回我々はあのくびれの正体を勘違いしていた、と気付いた。つまり、あのくびれを北海道の尻尾みたいに突き出ている渡島半島のことだと思っていたんだ。馬鹿だよねw 我ながらこんな酷い勘違いを30年弱もしていたなんて凄いビビったw
このことに気付いたのは、ロープウェイで函館山に上って展望台から函館の街を一望した時だ。本当は夜景を見たかったんだけど、その日の夜は天気予報が芳しくなかったので晴れていた昼間のうちに展望台に上ったのだった。澄み切った水色の空の下、青い海も見えて、市街地の一つ一つの建物も肉眼ではっきり見えて、五稜郭と函館山のこんもりとした緑も見えて、とても綺麗な眺望だったので満足している。