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2022-05-20

anond:20220520015935

そうなんか?会社採用していた心理カウンセラー

一応有資格採用(臨床心理士精神保健福祉士産業カウンセラー)だったみたいやが

資格者でもハズレはハズレらしいぞ

 

しか会社で使ったカウンセラーの人はあたりだった

会社と戦うつもりだったのでなんかいい感じの言葉取れないかな?とカウンセラーの人が不利になるような言質を取ろうとしたけど

それは人事に・・・それは人事に・・・でかわされた

自分はだいぶ失礼な態度だったと思うけど、カウンセラーの人はキレなかったか不快感全然表に出さなかったよ

めっちゃプロフェッショナル

 

あの態度がすべての場面で貫けるなら出世営業も余裕やろ

心理カウンセラー」は占い師みたいなもんなんだけど

なぜか臨床心理士より世間的に信頼されている

しか無資格心理カウンセラーがなぜか臨床心理士ディスることもかなりあり

もうわけがからない

2022-05-16

anond:20220516200702

相談したいタイプの人も相談してほしいタイプもどちらも「満たされない人間」だからな。

相談されたい奴は、相談されることによって自分価値確認したいの。そんな奴に相談して悩みが解決するわけない。

頼るなら素直にプロ心理士を頼れ。怪しい民間資格のやつじゃなく、臨床心理士認定心理士資格もったやつな。

2022-05-13

いのちの電話」にかかってくるのは自殺相談とは限らないらしいよ

いのちの電話」が話題になっていたので少し。

以前、知人が「いのちの電話」の相談員をやっていて、内部事情を多少聞く機会があった。「いのちの電話」の相談員無償どころか持ち出しのボランティアで、それが可能主婦とか年金生活者とかが多数を占めるというのはその通り。それゆえに相談員側に世間知らず的な傾向があり、来談者との感覚のずれが生じやすいというのもそうだろうと思う。その知人も私から見てそういうところはあり、真面目で善意の人ではあるのだが、そのずれによって無自覚相手を刺激していた可能性はある。

しかし補足しておくと、「いのちの電話」の研修臨床心理学プロ基本的カウンセリング技術をかなりみっちり教えていていて、真面目にそれを守っている限りさほど無茶な対応をする相談員にはならないように思えた。「一方的説教」というようなのは当然やってはいけないこととして教えられている。知人は慣れないうちはとにかく相槌だけ打って聴き続けろと教えられたそうだ。「○○なんです」と言われれば、「○○なんですね」と返すようなのが基本。自分意見を押しつけるような応答は禁じられている。とはいえ相談員も慣れてくると自我が出てきたり、後に書くような来談者側の問題もあって、相手圧力を感じさせるような応答をする場合もあるだろう。

医師カウンセラーでもそうだが、こういう人間がやることにはどうしても当たり外れや相性の問題がある。「いのちの電話」のボランティア無償であるべきかにはいろいろ意見があるだろうが、有償にすることで相談員の質及び来談者の満足度が飛躍的に上がるかは個人的には疑問である有償で高度な資格を持つはずの医師臨床心理士にも「ひどい対応をされた」という不満の声はよく聞くからだ。

で、ここからが本題なのだが、「いのちの電話」と聞いて相談員自殺相談の深刻な電話ばかり受けていると思うのはどうも違うらしいよ、ということ。「いのちの電話」の回線がいつもつながらないというのも、自殺相談で埋まっているわけでは全くないらしい。

では何が多いかというと、知人が言っていたのは、女性の声と聞くと「テレフォンセックス」を始めたがる常連最初は一応「死にたいんです」などと言ったりするらしいが、間もなく「ところでどんな下着を着ていらっしゃいますか」「パンツは何色でしょうか」などと言いだす。この手の電話は非常に多いそうで、相談員側にもマニュアル的なものがあってなるべく早く切り上げるよう誘導するのだが、相談員の側からガチャ切りするわけにもいかないのでしばらくは付き合わざるを得ないようだ。

女性とみると性的な話を始める常連来談者というのは「いのちの電話」に限らずよくいるらしい。別の電話相談を受けていた別の知人も「あー、いるいる」と言っていた。企業コールセンターで働いていたりしても経験するのだろう。ちなみにそういう常連男性の声と判断すると一瞬で切ることが多いが、そもそも電話相談員コールセンター係に女性が多いので、何度かかけ直せばすぐ女性が出てしまう。

知人が頻繁に相談員をしていた頃はダイヤルQ2というもの流行っていたのだが、その頃の常連の一人はダイヤルQ2でいつも生活費を使い果たしてしまうので、家族からいのちの電話ならタダだからそっちにかけろ」(!)と言い含められていたそうだ。「いのちの電話」は確かに無料で、通常の電話料金すらいらない。

こういう事例は生活困窮者を「いのちの電話」が間接的に救っていると言えなくもないのだが、外部の人がイメージする「自殺防止のボランティア」とは少し違うのではないだろうか。相談員には守秘義務があるので具体的な相談内容はほとんど聞いたことがないが、典型的いかにも自殺相談というようなものは頻度としてはかなり低いとのことだった。しかし、一見ただの愚痴であったり、さらにはセクハラであったりするような内容の電話でも、「いのちの電話」に吐き出すことでバランスを保っている人が一定数いるのであれば、それは「いのちの電話」の目的に適っているようにも思う。

いのちの電話」の相談員はさぞメンタルをやられるだろうと言う時、今にも死にそうな人から自殺相談想像している人が多いだろう。しかし実際の現場はそのイメージとはかなり違って、メンタルをやられるとすれば常連のしつこいセクハラやひたすら堂々巡りする愚痴に付き合い続ける消耗が大きいかもしれない、というのが知人から断片的に事情を聞いての感想だった。

2022-04-22

社労士を使わずADHDのみで障害厚生年金3級給付が決定した

https://anond.hatelabo.jp/20200410224728

上記増田を書いたものです。

前職の年収が340万円、障害者雇用になるにあたり、呈示額を320万円として、

だいたい残業時間が月20時間だと聞いていたか残業代でカバーできるかと思っていたら、

実際は配慮されまくり業務量で残業がほぼなく、また、一般雇用のように役職がついて年収が上がる見込みも少ないっぽいので、障害厚生年金申請した。

ネット(というか主に5ちゃんねるメンタルヘルス板)では、

社労士なしの申し込みでうつなどの二次障害なしのADHDは、申請受理されにくいというのが定説だが、

増田は無事支給につながったので、ここに増田なりに気をつけたポイントを記しておく。

主治医には普段から自分の困りごとを言語化して伝えておくことが大事

障害厚生年金申請時には診断書必要となるが、そこで、障害認定日ごろの状況を医師に詳しく書いてもらう必要がある。

丁寧な医師であれば、診断書の記入にあたり別途ヒアリングをしてくれるかもしれないが、そこまで時間を取ってくれる人は稀かと思うので、

普段の診察で困りごとを言語化して伝え、カルテにそれを記載しておいてもらうことが重要だと思われる。

病歴・就労状況等申立書は大変だがなるべく詳しく書く

A3の用紙に手書きする形で提出したが、ADHD場合は急になるものではなく、生まれつきの脳機能問題であるため、幼少期から履歴必要である

めちゃくちゃ面倒くさかったが、受給につながるために手を抜いてはいけないとおもい、

・幼少期

小学校

中学校

高校

大学

就職

心療内科受診

の7つのパートにわけて、ADHDによって起きた様々なエピソードを列挙した。

パートを分けるにあたって用紙が足りなかったため、申立書(続紙)を使用した。

もし親との関係が良好な人は、自身の幼少期に何か定型発達児と比べて変わったところがなかったか尋ねたり、当時の成績表などを見せてもらうとよいかもしれない。

増田の具体的なエピソードとしては、

・中高の夏休みの宿題は最終日に徹夜をして終わらせていたこ

大学下宿時にダンボールゴミを出せずベランダに退去するまで放置していたこ

仕事によるストレスによりポスティングされたチラシを捨てられずためていたこ

などがある。

また、上記の申立書に加えてA4の別紙をWord作成印刷し添付した。

ここには、日常生活で困っていることを列挙した。

ピックアップすると下記のようなことである

・初めて行くお店や場所勝手がわからず、会計の順番を抜かしてしまうことがあること

・買ったばかりの数万円する靴を電車座席の下に忘れてきてしまたこ

・口頭で言われたことを覚えていることが難しいため、事務職必須とされる電話対応が苦手なこと

心理検査を受ける

診断される際にWAISなどの心理検査を受ける人も多いと思うが、増田場合簡単チェックシートに加え、日常の困りごとを訴えた結果診断に至ったため、心理検査を受けたことがなかった。

ただ、障害厚生年金診断書を書くに当たって医師より心理検査必要とのことだったので、違う医療機関にてWAIS-Ⅳを受けることになった。

検査は数時間有給休暇を取って臨む必要があったが、いざ出てきた検査結果や臨床心理士コメントを読むと、

より自分の発達特性俯瞰的に見られるようになったため、これは障害厚生年金申請の有無関係なしに受けてよかったなと感じた。

上記のような準備を行い、申請から2ヶ月後に無事支給決定の連絡が来た。

社労士に頼むお金は勿体無いけれど、ADHDだけでは通らないときいているし……と不安な方も、増田のような例があると知って勇気を出してみてほしい。

2022-04-15

フェミニズムが傷を抱えた人間セラピーになることについて

前書き

現代日本フェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピー看板のような機能を持っていると言える。

弱者が慰め合える駆け込み寺、いわばフェミニス堂があること自体は良いことだ。

エンパワメントシスターフッドという精神性・関係性を重視した言葉最近人気なのもその一環かもしれないし、そこまで前向きな気持ちになれないからとにかく苦しみや怒りを吐き出させてくれという層だって駆け込み寺には居場所がある。

だが、「セラピーとしてのフェミニズム」と「学問言論としてのフェミニズム」が分離されていないために、言論としてのフェミニズム信頼度が著しく弱まっている。

セラピー面も学問言論面もひと固まりからフェミニストはメンヘラだとか、他人幸せを許せないだとか、ミサンドリストセックスヘイタージェンダークレーマーだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。

私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていることを批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。

追記:↑ここで私の精神疾患に言及したのは、私も議論の場で当事者性を武器として使おうという態度でよくなかった。反省する。)


本稿で主張するのは、「冷静な研究者としての立場」と「傷つき怒れる当事者としての立場」は、兼任すると問題が生まれるのでどちらか片方だけの立場に立つべきだ、ということだ。

たとえ学位免許を持っていても、冷静になれない話題については傷が治っていない当事者から理論議論を使いこなせる研究者ではなくあくまで苦しむ当事者個人として発言した方が良い。

本論前に、何がOKで何がNGかおおざっぱに切り分けておこう。

冷静なフェミニズム研究者が、「困った女性のための駆け込み寺やセラピーの場や、肯定しあえる関係必要だよね」という学問理論を組み立てる。
冷静なフェミニズム研究者もしくは心理医療専門家が、セラピーの場の最低限の安全が保たれるように監督をする。
セラピーに集まる傷ついた人たちが、フェミニズム用語理論武装したり、怨恨を吐き出したり、過激むちゃくちゃな主張をする。(なぜなら、セラピー的な場では、ひどい発言原則許されるべきだから。ただし、それをそのまま社会への要求として広めるべきではない)

×
まだ傷が深く残っていて冷静な振る舞いができない人間研究者としての発言力を得て、本来患者としてすべき主張を研究者立場でする。
×
傷の残っている研究者セラピー監督役をやり、セラピー患者同調してしま患者内面吐露検討・洗練せずそのまま社会にぶつける。
×
研究者同士でも肯定しあえないと傷が痛んで耐えられないので、アカデミックであるべき関係を仲良しグループにする。




本論

フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感あい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。

当事者自体は、様々な依存症障害事故被害者などについて行われており、有用セラピーと言っていい。

だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。

要するに、当事者として治療を受けるべき傷を抱えたままの人間が、セラピスト役もやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。

全てのフェミニストが病んでいると言っているわけではない。

だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。


普通当事者会やセラピーは、福祉医療心理専門家によって研究理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。

傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復必要な心の解放だ。

それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。

客観的専門家当事者たちの感情吐露分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。

から普通健全当事者セラピーは、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者ヤバいことを主張していても研究者評価が下がることもない。研究者監督しているか当事者同士の会話が先鋭化するエコーチェンバーも防げる。当事者要求研究者が整理したうえで一般社会に伝えるので、外部の一般人当事者過激すぎる主張を直に聞かされて悪感情を持つこともない。

全てが完全に徹底されているわけではないが、それでも、当事者セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、ある程度は弊害抑制ができている。

しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者監督者、研究者区切り曖昧になりやすいので、普通当事者セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。

たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張し、議論や説得において言い方ってのは大事だろと反論されるのをよく見るが、あれも、内輪の癒しセラピー的な感覚と対外交議論感覚がごちゃまぜになっているせいだ。

「私はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシング(言い方警察)するな」、という話なら真っ当である

「私は冷静を保ち、言い方や内容にしっかり気を使うから議論として発言を真面目に聞いてくれ」、というのも真っ当である

だがそれを同時にやろうとする、「自分セラピー的に感情をぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれ」というのは無法な要求だ。

せめて、セラピー監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。

なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである


当事者研究者の分離は、簡単なことではないとは思う。

特に精神思想分野ではそうだ。

臨床心理士カウンセラー看護師助産師になりたがる人間はしばしば自分が精神不安定を抱えているというのは、統計はともかく実体験としてはよく聞く話である

博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物保護したがるだろう。

だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。

しろ愛護派の過激な主張の角を取って一般社会的に可能動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者自分のところで一度止めて丸め社会に伝える、当事者会に対する医療福祉関係者の立場と近い。

から臨床心理士動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。


ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた当事者と近かったり同一人物だったりするせいで、冷静な監督者のいないまま野良セラピー的な語りあいを続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるがそのまま社会要求するには妥当性に欠ける内容が研究者学問立場から主張されてしまっている。

フェミニストはメンヘラだとか他人幸せを許せないだとかミサンドリストセックスヘイターだとか言われてしまうのはこのせいだ。

それにもかかわらずフェミニズム大義名分世界中で力があり、フェミニストの要求の内容を精査して妥当性十分の時は応じますという態度は悪だと指弾されるのが、本当に良くない。

ここで断言しておくが、メンヘラも、他人幸せを許せない人も、ミサンドリストミソジニストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。

過激思想トラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。

ただし、その好き勝手発言暴言あくまで傷つき冷静さを欠いた人の胡乱な言動として生暖かく聞き流されている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。

弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままで妥当性が低いので、客観的研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。

フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ当事者発言をそのまま重用したり、著名な研究者が「冷静さを保つために私の当事者としての感情一時的に抑えよう」という努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である

辛すぎて悲鳴を上げざるをえない当事者と、冷静で他者対話可能研究者弁別は、完璧でなくとも努力する価値がある。できたぶんだけ弊害が減るはずだ。




おまけの具体例 朝日新聞運営の『かがみよかがみ』について

一つ、わかりやすい事例を挙げる。

フェミニズムジェンダー学周辺で、セラピー機能学問言論機能が混在することの弊害を私がはっきり感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である

読者投稿エッセイメインコンテンツとするWebサイトだ。

「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けている。

18~29歳の女性からエッセイ募集して、編集部がチェックして載せている。著名人契約コラムニストの連載もある。

そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストTwitter検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)

二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割にはてはで話題になる回数は少ない気がする。はてなとは読者層が違うのだろう。

上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008

フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941

これの上の記事に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、ここから辿れる記事類を読み、フェミニズムセラピー言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。

上野千鶴子座談会セックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティ雰囲気について(下)|滝薫

https://note.com/hannnahkuku0819/n/n6514127ed85a

私はこれを読んだ時、伊藤編集長があらゆる批判に応じないのもわかる、といっそ清々しささえ覚える形で納得してしまった。「セーファープレイス」を構築しようとして、内部を守っているのではないかと思った。

(略)

『かがみよかがみ』を必要としている利用者はいる。それはわかっている。私も、エッセイ投稿した後の”共感”と”褒め合い”によって自信がついた一人であることは変えようがない事実である。その価値を認めていても、『かがみよかがみ』の未来に不穏さを感じてしまう。

『かがみよかがみ』が目指すのは、あくま女性自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定感である

それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。

若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のSlackか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である

フェミニズムジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくま自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。

エッセイ投稿年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイ愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者本音を慮って、微妙理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。

投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるかである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そのタイプの人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。

伊藤あかり編集長モットーらしい「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」とも合致する態度だ。

傷ついた若い女性のために、正しさではなく自己肯定感爆上げを目的とした当事者セラピーの場があること自体は、良いと思う。

だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネット広告され、上野千鶴子石川優実企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者ジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。

なのに、そこが曖昧に混ざった立場で『かがみよかがみ』の文章は発表され続けている。

から『かがみよかがみ』の記事批判されたのである

そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。



まとめ

最後にもう一度まとめる。

傷ついた当事者同士が慰め合うセラピー看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。

現在日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。

心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者が、ある程度重なってしまっている。

この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。



追記。本稿は3か月ほど前に増田に投げたが無反応だったものの再投稿である。)

2022-02-27

僕もWAISを受けた

ハルサンエントリーを見て自分も同時期にWAIS4を受けてたのでレポ。

ちなみにアラフォー男性

大学生の頃から心療内科に通い、すでに18年。

ちょっと早いがメンヘル成人式を迎えたと言うことで

主治医発達障害検査を受けたいと伝えた。

主治医は「んー」とカルテを見返しって

「今からの予約だとちょっと先になるけどいい?」と言った。

もちろん了承。

今までの人生うまくいかないことがいろいろあったが一番問題なのは就業だ。

仕事が続かず、最短は二ヶ月程度。最長でも一年半。

正社員経験はなく、バイト契約社員自営業派遣社員転々としてきた。

小田急サラダ油事件ニュースを見ていて「容疑者仕事転々とし」のところで、自分も当てはまってるなって思った。

大阪心療内科ガソリン放火事件は、孤独に苛まれたら自分もこうなるかもって人ごとじゃなかった。

仕事を辞めると3年くらいはぐったりしてしま

次への行動に出れず空白期間もかなりある

親を頼ってなんとか生きてきたが、もうすぐ限界がくる。

本題に戻る。

僕の場合はWAIS4とロールシャッハテストの2回に分けて行われた。

臨床心理士?の方と一対一でいろんなテストをやったが、

正直に言うとどれも楽しかった。

クイズ番組に参加しているような感覚で「やってやるぜ!」って挑めた。

それなりに手応えもあったし、これで「発達障害」って言われたら逆に困るなーって思いながら一回目が終了。

その日はめちゃくちゃ疲れたので泥のように寝た。

二回目はロールシャッハテストで、まずこの検査ってまだ現役なんだって驚いた。

十枚の絵を見て何に見えるか答えて、二周目になぜそう見えたかを答える。

wikipediaを見て知ったんだけど、心理テストありがちな

「こう答えたらこういう性格って判断されるんだろう」っていう

予想が立ちにくいのが今でも活用されている理由らしい。

実際、自分の答えがどういう理屈で結果につながったのかさっぱりわからない。

そこから二週間ほどたって結果発表

やっぱりというかなんというか発達障害というほどではなかったが

つの指標のうち「処理速度」という項目だけが明らかに低かった。

検査後にめちゃくちゃ疲れて眠ってしまったとか

異常に疲れやす理由が分かった気がした。

今でも「処理速度」というものあんまり理解できていないのだが

ガソリンタンクの容量とか燃費のようなものだろうか。

僕は燃費も悪いし容量も少ないのにアクセルベタ踏みしかできないって感じだろうか。

全体としては「処理速度」の数値が他の数値と20~30程度の差があるだけ。

総合数値では平均的。

それでこんなにうまくいかないの?って驚きはあるが

納得感の方が強いし、簡単にいえば腑に落ちた。

今後、苦手を避けて得意を生かせるかどうかかなり不安はあるが

苦手なことがはっきりしただけで少しマシに取り組める気がする。

「生きづらい」ってワード流行っているが自分でそう思ったことは一度もない。

ただ「うまくやれなかった」っていう喪失感があるだけ。

結局主治医発達障害ともアスペルガーとも診断せず

結構差が出たね〜」の一言で終わった。

ちなみに保険が効いたので5000円くらいで受けられた。

自立支援があればもっと安くなると思う。

2022-01-26

危うくクズになるところだった

うつで長期休職したのち、会社から復職の条件として提示されたのが、

会社契約している復職支援施設半年間通うことだった。

そこに勤める臨床心理士がYさんだった。

施設プログラムは、うつの再発を防ぐことに主眼が置かれたもので、

認知行動療法対人関係療法などを通して自己を見つめなおし、

認知の歪みやクセをコントロールする、的な内容だった。

Yさんは歳は30過ぎ、小顔ですらりと手足が長く、

体操をやっていたというのもなるほどなスタイルだった。

お子さんが一人いる既婚者だが、見た目は歳より若く見えた。

数か月してお互いのこともよく知りあったころ、

個別面談中にYさんのほうから仕事上の悩みを打ち明けてきた。

今にして思えばYさんのこの行動はプロとしてはいかがなものかということになるのだろうが、

年上で会話の引き出しが多い私はYさんの周りにはいないタイプで、頼りになるのだと。

そういうことを繰り返しているうちに私は、屈託なく頼ってくるYさんに好意を持つようになっていた。

復職プログラムも終わりに近づいたある日、呼吸法により自律神経をリラックスさせることを実践していた時だった。

少し離れたマットの上にYさんと並んで横になって、BGMに合わせてYさんが「鼻から大きく息を吸って~、ゆっくりと口から吐いて~」と何度も繰り返し、

ゆったりとした時間が流れていた。ふとYさんの声が止まり、どうしたのかなと思い目を開けてYさんの方を見ると、だまったままじっと私を見つめていた。

増田さん、もうすぐ卒業ですね」とだけいうと、また長い沈黙とともにただ私のほうを見ていた。

私は衝動的にYさんに近づいた。唇か重なる直前に、Yさんは人差し指を唇ノの前に立てて、

ゆっくりと首を振った。たまらなく愛しいその顔を覗きながら、ダメなの?と聞いた。

やっぱりだめですよ。私は何とも言えないもやもやと、胸が張り裂けそうな思いの両方を押し殺して、

それからの数日間を何事もなかったように施設に通った。

その後私は無事復職した。復職後のフォローアップとして定期的にYさんと面談があるのだが、

会社人間も同席するため、個人的な話は全くできない。6か月後の最終面談コロナの影響で実施されずうやむやになり、

その後Yさんに会う口実もなく、1年経った。

相変わらず吹っ切れない思いを引きずっていた私は、意を決して施設電話した。

コロナが落ち着いてきたので、最終面談で言おうと思っていたお礼をどうしても伝えたい。

度会って欲しいと。Yさんの返事は施設会議室でならOKとのことだった。

私は別に何のプランもなく、とにかくYさんに会いたいという思いだった。

会議室に通されて、Yさんと二人きりになると、直ぐにそれまでの社交辞令的な話をやめて、

Yさんにどうしても伝えたい気持ちがあると切り出した。

Yさんはあの時と同じように何も言わず人差し指を唇の前に立てて、首をゆっくり振った。

目を真っ赤にし、涙をぽろぽろ流しながら、それをぬぐうこともせず、ゆっくりと首を振り続けた。

私は何も告げずに施設を去った。これでいいのだ。決して報われない関係になるだけなのだから

最近ようやく吹っ切れてきたので、増田で吐き出させてもらった。

2022-01-16

anond:20220114133403

読んで、元増田氏はすごい人だと思った。

努力を続け、結果が出ていて、思索をして纏まった文章化ができて、

自分ができることと不得意なことを見つめられていて、何を希望しているのかも見えている(ように見える)。

褒められるために勉強をした、それは全く不自然だと思わないし、誰だって褒められれば嬉しくてモチベーションになるでしょう。

子供が、「親や周囲の関心を引くためだけに勉強しちゃ駄目だ。もっと自分の為に自分がしたい勉強をしなくては」なんて

考えられるとは想像し難い。

与えられた環境下で最大限の成果を出せているように思える。

やらずに後悔するよりやって後悔のほうがいい

なんて知った風な口きいたりはできないけれど、

でも自分が関心を持っていることとか得意なこと楽しいことが、仕事に生かせたらと思うよね。

残念ながらたいていの人にとっては難しいことだろうけれど

元増田にはたくさんの可能性、選択肢があると思う。

コミュニケーション能力だとかは、本やワークショップ等々学ぶ教材がいっぱいあるんだし

臨床心理士看護師等の対人職向けの講座があるくらいなんだもん。

リアルが充実していれば自然に身につくものだなんて考えないで、これから得ていけば問題ない筈。多分。

沢山の"できる"ことを持っているんだから自信をもってほしい。


なんて、抽象的で実践的でない励ましばかりでごめんなさい

そういえば思ったんだけど、この一生懸命書いた文章、きっと未来で大きな意味をもちそう。

数か月後、数年後に読み返したとき

「あー、あの頃の自分はこういう考えをもっていたな。この点は変わったしこの点は今も変わらないな」

なんて、俯瞰できそう。

自分気持ち、考えを文章化して残すことって価値があるように思う

2022-01-14

フェミニズムが傷を抱えた人間セラピーになることについて

前書き

現代日本フェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピー看板のような機能を持っていると言える。

エンパワメントとかシスターフッドという言葉が好まれるのもその一環と考えらえるし、そんな前向きな所まで至らない、まず苦しみや怒りを吐き出させてくれという層もいるだろう。

弱者にとって慰め合う場があるのは良いことなのだが、セラピーとしてのフェミニズムと、学問言論としてのフェミニズムが分離されていないために、言論としての信頼度は弱まってしまう。

それが、フェミニストメンヘラだとか他人幸せを許せないだとかミサンドリストセックスヘイターだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。

私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていること自体批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。


冷静な研究者と、傷ついている当事者は、兼任しようとすると問題が生まれやすいのでどちらか片方だけの立場に立つべなのだ

それぞれ、何がOKで何がNGか切り分けておこう。

〇 冷静なフェミニズム研究者が、「困った女性のための駆け込み寺やセラピーの場や、肯定しあえる関係必要だよね」という学問理論を組み立てるのはOK

〇 セラピーに集まる傷ついた人たちが、フェミニズム用語理論武装することも、武装しつつ過激な主張をするのもOK。(セラピー的な場の発言は、過激なことや邪悪なことも原則許されるべきである。その反面、そのまま社会への要求として世の中に伝えるべきではない)

× 自分に傷が深く残っていて冷静な振る舞いができない人間が、研究者としての発言力を得て、セラピー患者としてするべきな過激主張を研究者立場でしたり、他のセラピー患者内面吐露ちゃん検討せず世の中にぶつけたり、学者同士でも肯定しあう関係じゃないと耐えられなかったり、そういうのはNG


本論

フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感あい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。

当事者自体は、様々な依存症障害事故被害者などについて行われており、有用セラピーと言っていい。

だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。

要するに、患者セラピストもやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。

全てのフェミニストが病んでいると言っているわけではない。

だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。


普通当事者会やセラピーは、福祉医療臨床心理士といった専門家によって研究理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。

傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復必要な心の解放だ。

それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。

客観的専門家当事者たちの感情吐露分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。

から、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者ヤバいことを主張していても研究者研究分野の評価が下がることもない。研究者監督しているか当事者同士の会話が過激化するエコーチェンバーも防げる。外部の一般人当事者の無茶な話を直に聞かされて、振り回されて悪感情を持つこともない。

これらの全てが完全に徹底されてはいないが、それでも、当事者セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、様々な弊害抑制はできている。

しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者監督者、研究者、全てが一体になりやすいので、普通当事者セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。

たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張し、議論や説得において言い方ってのは大事だろと反論されるのをよく見るが、あれも、セラピー的な場と議論の場がごちゃまぜになっているせいだ。

はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシングするな、というなら真っ当である

言い方や内容にしっかり気を使うから議論として発言を真面目に聞いてくれ、というのも真っ当である

だがそれを同時にやらせてくれ、自分セラピー的にぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれというのは無法な要求だ。

せめて、セラピー監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。

なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである


当事者研究者の分離は、簡単なことではないとは思う。

特に精神思想分野ではそうだ。

臨床心理士カウンセラーになりたがる若者はしばしば自分精神不安定を抱えているというのは、統計はないが実体験としてはよく聞く話である

博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物保護したがるだろう。

だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。

しろ、愛後派の過激な主張の角を取って一般社会的に妥当で持続性のある動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者自分のところで一度止めて丸め社会に伝える、当事者会に対する医療福祉関係者の立場と近い。

から臨床心理士動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。


ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた患者当事者と近かったり同一人物だったりして、監督者のいないまま野良セラピー的な語り合いをし続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるが社会妥当性の薄い発言みたいなもの研究者学問立場から主張されてしまっている。

フェミニストメンヘラだとか他人幸せを許せないだとかミサンドリストセックスヘイターだとか言われるのはそのせいだ。

ここで断言しておくが、メンヘラも、他人幸せを許せない人も、ミサンドリストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。

過激思想トラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。

ただし、その発言あくまで傷つき冷静さを欠いた人の発言として生暖かく見られている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままで妥当性が低いので、客観的研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。

フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ発言をそのまま重用したり、著名な研究者自分当事者性を切り離して冷静さを保つ努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である




おまけ 朝日新聞運営の『かがみよかがみ』について

一つ、わかりやすい事例を挙げる。

私がフェミニズムジェンダー学のセラピー機能と、学問言論機能の混在の弊害をわかりやすく感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である

「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けているサイトだ。

コンテンツとしては、エッセイ投稿サイトである

18~29歳の女性からエッセイ募集して、編集部がチェックして載せている。著名人契約コラムニストの連載もある。

そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストTwitter検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)

二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割に回数は少ない気がする。特にはてなとは読者層が違うのだろう。

上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008

フェミニストでも、守られたい。フェミニストから、守りたい | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941

これの上の方に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、ここから辿れる記事類を読み、フェミニズムセラピー言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。

上野千鶴子座談会セックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティ雰囲気について(下)|滝薫

https://note.com/hannnahkuku0819/n/n6514127ed85a

『かがみよかがみ』が目指すのは、あくま女性自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定感である

それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。

若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のスラックか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である

フェミニズムジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくま自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。

エッセイ投稿年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイ愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者本音を慮って、微妙理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。

投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるかである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そう言う人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。

編集長伊藤あかりさんのツイッターbioには"「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」という感じ。"と書かれているのだから

この世に、傷ついた若い女性のための当事者セラピーの場があること自体は、良いと思う。

だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネット広告され、上野千鶴子石川優実企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者ジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。

なのに、そこが曖昧に混ざった立場文章が発表され続けている。

から『かがみよかがみ』の記事批判されたのである

そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。



まとめ

最後にもう一度まとめる。

傷ついた当事者同士が慰め合うセラピー看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。

現在日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。

心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者も、ある程度重なってしまっている。

この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。

2021-12-27

精神科の正しいかかり方

精神科心療内科臨床心理士カウンセリング民間カウンセラー産業保健師渡り歩いて悟ったことがある。

当方双極性障害もちの看護師だが、精神科で処方される薬はなんせ「死ねる」薬が多い。

だいぶ処方がマイルドになってきたにせよ。

そして「いっぱい飲んだら死ねるかしら」という輩が後を絶たない。

どんな薬にも致死量はあるだろうが、例えば循環器や泌尿器科で出される薬を飲んで死のうとした、

という話を聞かない。

向精神薬しろ麻薬しろ、脳に作用する薬には強い規制がかかっている。

ドラッグストアで購入できる薬も、以前は処方薬であったものがどんどん増えているし、

病院慣れしている人間にとってはありがたいことだ。

しかし、向精神薬だけは別である。最も弱い安定剤でさえ市販はされていない。

薬をもらうためだけに精神科診療内科に通っている、

を内服は多めにもらって自己調整している、という人も実に多い。

つまるところ、精神科心療内科は「ヤバいブツ販売する場所なのだ

加えてこれらの病院には大きな役割がある。

仕事を辞める際、多重労働人間関係の辛さが原因だったとして、

でもパワハラ労災にするまででもない、というケースがある。

こうした場合精神科で「抑うつ」「適応障害」などなんでもいいので診断書をもらい、

退職後に離職票診断書を持ってハローワークに行くと、

失業保険給付要件が緩和される場合がある。

この場合会社へは一身上の都合とだけ伝えておき、退職理由会社と争う必要はない。

形のない労災パワハラ会社に認めさせるのはほぼ不可能だけれども。

辞めるまでいかなくとも、「明日から2週間ぐらい仕事いけません」のような診断書はわりとさっくり出してもらえる。

精神科心療内科への通院歴はスティグマにもなりうるが、自分の身を救うこともある。

ヤバいブツを7割引きで販売してくれるところ」「身を守るお札を書いてくれるところ」と割り切って、

賢く利用するのがよい。

クリニックではなく大きな精神病院には良い臨床心理士がいたりするが、

そういった人の援助を受けられるのは、取り返しのつかないほど心を壊した後だ。

残念だけど。

精神科の正しいかかり方

精神科心療内科臨床心理士カウンセリング民間カウンセラー産業保健師渡り歩いて悟ったことがある。

当方双極性障害もちの看護師だが、精神科で処方される薬はなんせ「死ねる」薬が多い。

だいぶ処方がマイルドになってきたにせよ。

そして「いっぱい飲んだら死ねるかしら」という輩が後を絶たない。

どんな薬にも致死量はあるだろうが、例えば循環器や泌尿器科で出される薬を飲んで死のうとした、

という話を聞かない。

向精神薬しろ麻薬しろ、脳に作用する薬には強い規制がかかっている。

ドラッグストアで購入できる薬も、以前は処方薬であったものがどんどん増えているし、

病院慣れしている人間にとってはありがたいことだ。

しかし、向精神薬だけは別である。最も弱い安定剤でさえ市販はされていない。

薬をもらうためだけに精神科診療内科に通っている、

を内服は多めにもらって自己調整している、という人も実に多い。

つまるところ、精神科心療内科は「ヤバいブツ販売する場所なのだ

加えてこれらの病院には大きな役割がある。

仕事を辞める際、多重労働人間関係の辛さが原因だったとして、

でもパワハラ労災にするまででもない、というケースがある。

こうした場合精神科で「抑うつ」「適応障害」などなんでもいいので診断書をもらい、

退職後に離職票診断書を持ってハローワークに行くと、

失業保険給付要件が緩和される場合がある。

この場合会社へは一身上の都合とだけ伝えておき、退職理由会社と争う必要はない。

形のない労災パワハラ会社に認めさせるのはほぼ不可能だけれども。

辞めるまでいかなくとも、「明日から2週間ぐらい仕事いけません」のような診断書はわりとさっくり出してもらえる。

精神科心療内科への通院歴はスティグマにもなりうるが、自分の身を救うこともある。

ヤバいブツを7割引きで販売してくれるところ」「身を守るお札を書いてくれるところ」と割り切って、

賢く利用するのがよい。

クリニックではなく大きな精神病院には良い臨床心理士がいたりするが、

そういった人の援助を受けられるのは、取り返しのつかないほど心を壊した後だ。

残念だけど。

2021-12-25

anond:20211225174528

生育歴ヒアリングしてWAISっていう心理検査受けてそれの結果でわかる

大人子供検査内容微妙に違うらしい

臨床心理士呼んでする検査から保健きかないし1万2千〜5千円かかる

病院によっては受けたいんですけどって言って予約してすぐ受けられる場合もあるけど半年待ちとかの場合もある

2021-12-22

臨床心理士試験合格してた

高卒でアロママッサージ仕事してて

心と体が繋がってるということをすごく実感したり

お客さまにマッサージはもちろん話を聞いてもらいに来てるって言ってもらったりがきっかけで

仕事しながら放送大学心理学学び始めて気づいたら臨床心理士試験受けてた

院含めて6年かかったけど達成感凄い

でもこれから仕事どうしようかな

なんにも決めてないけど頑張ろう

2021-11-08

カウンセラーは人柄?知識

臨床心理士やってる

巷では野良カウンセラーというかよく分からない資格取って(取ってない場合もある)あやふや知識のままカウンセリングをやってる人がたくさんいるらしい

それはいいんだよ まああんまよくないけど

絶対まじめにやってる人もたくさんいるしね

俺がびっくりするのはカウンセラーの実績や知識よりも「その人が苦労してきたか」っていうことを重視する人がめちゃくちゃいるということ

「机の上で勉強してきたおぼっちゃまお嬢ちゃまに苦悩がわかるはずない」「同じように傷付いてきた人がいい」みたいな

一般的感覚で言うとそうなのかもしれないけど

どう考えてもきちんと勉強してる方がいいよ

自分の抱えてた不幸を全面に押し出し活動してる人は自分が救われたから今度は人を救いたいみたいな気持ちを強く持ってて

救う自分というステータスに救われる、みたいなとこあるし

最終的に自分を救えるのは自分自身だけなんだけどね

しっかり話を聞いてくれるちゃん勉強してる人に頼んだ方がいいよ

2021-09-07

臨床心理士さんへ

私は精神疾患発達障害があり、今までの人生で何人かの臨床心理士さんにお世話になってきた。

臨床心理士のここがすごい

○話の聞き方が神さま

優しい

相槌がうまい

急かさな

穏やか

発達障害特性ゆえになかなか言葉がまとまらない時も、こちらが言いたいことを整理して復唱してくれる

○顔つきが優しい

今まで会った臨床心理士で怖そうな顔の人は見たことない。穏やか〜な顔つき。人の心理を覗く仕事からか、物静かそうな思慮深い雰囲気の人が多い。

心理検査の時と心理検査結果を説明する時のギャップ

心理検査の時は、面接官のように真面目なお顔をされて厳格に検査を進めるのに、その結果を伝える際はフランクで話しやす雰囲気になる。使い分け方が上手だなぁと思う。

たとえそれがお仕事とはいえ、私のような障害がある人間をも優しく導いてくださる臨床心理士という支援者がいてとても救われています

臨床心理士という仕事をしてくれてありがとう

いつも助けてくれてありがとう

しんどい時はむりせず、患者さんを大切にするようにご自身も大切にされてください。

通院先が変わったり、転勤で会えなかったりで、直接伝えられないので、ここに記しました。

すべての臨床心理士さんに幸多からんことを。

はてな記法が分からず、読みづらくてすみません

2021-09-03

anond:20210903092258

多分今の世の中の需要に合ってるからだと思うよ

精神病から回復を目指すなら臨床心理士の方がいいけど

軽いメンヘラとか誰でもいいから話聞いてほしいっていうなら民間カウンセラーでいいからね

というかちょっとした悩みだったら後者の方がいい

2021-08-18

anond:20210818233257

悩みの種類によるけど

お気持ちクリニックかかっているなら、そこに相談

大学なり学校に在学中なら、相談室に行く

臨床心理士は実習もいる資格だし、安心してもいいと思う

仮に変な人なら行かなくておk

ともかく増田が良いように

きょうだい児の相談したいんだけど

検索すると出てくる臨床心理士とかの人たちへの相談って実際どんなもんなんだろう?見た目スピリチュアル感のある人が多くてまともな相談ができるのか不安になる。

2021-08-11

anond:20210811141545

それだけ臨床心理士がいい仕事してるってことやろうねぇ

anond:20210811134541

臨床心理士っていうのは別にアドバイスとかしてくれる仕事じゃないからね。

アドバイスとは異なり、カウンセラーがクライエントに対して明確な解決策を直ちに提示することは原則的にない。これは、カウンセリングという場においてクライエントが自らに向き合い、その作業を通じて新しい理解洞察自発的にたどり着き、最終的にカウンセリング終結した後には、カウンセリングにおける経験を生かしてクライエントが実生活問題や悩みに主体的に相対して行けるように導くことが、カウンセリング目的であると同時にカウンセラーの役目であるためであり、心理カウンセリングの際は大切にされる原則である

2021-08-09

anond:20210809002454

DSMー5の基準ってのは従うと「知的水準」を疑われるようなものとは知らんかったわ、すまんな。

でもそんなのを基準臨床心理士指定大学院教育とかも行われてるもんなんよ。世の中そんなもん。

2021-07-11

anond:20210711104335

資格商法って主催者向けの文句だよね。マッチポンプみたいな。

でも公的資格でもうさんくさいのあるよね。臨床心理士とか英検とか。

正直いって、以前から英検文科省主催資格商法くさいとおもってる。大学受験にほんのちょっと役立つだけで大学留学ならTOEFL、社会人になったら経産省のTOEICだもんなぁ。

臨床心理士はどうみてもヒトの話をしっかり聞くのに向いてないヒトでもなぜか受かってるイメージがある。

ユーチューバーはみてません。漫画とおなじでそういう夢を与える仕事なんだろうしいいんじゃないでしょうか

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