はてなキーワード: 父の日とは
何かきっかけがあったわけではないが、ふと思い出してしまったので書く。
子どもがまだ幼稚園に通っていた頃、父の日あたりに父兄参観のようなものがあった。親子で一緒になにか紙工作みたいなものを作りましょうというやつだ。正直、知らない人がたくさんいる空間は苦手なのだが、子どもも楽しみにしていることだし、せっかくの機会だからと行くことにした。結論から言うと、僕はその催しを台無しにして、子どもを深く傷つけることになる。
当日、まずは親子で教室へ集まりクラスごとにかんたんな朝の会をする。基本的には園児一人につき保護者の参加は1名までとなっていたが元々広くもない教室はすでに満員御礼となっていた。
朝の会のあと、なぜか園児全員でグラウンドに集まり園長先生のお話を聞く時間があった。園児たちはグラウンドに並び、保護者達は端の方でそれを見守る。そう、そこまでは別になんの問題もなかった。問題はその直後に起きたのだ。
「それではお父さんお母さんと一緒にもう一度教室に戻りましょう」
司会の先生が告げた途端にワッと散開するおよそ200人の全園児とその保護者たち。右に左に移動する人、人、人。あっという間に僕は我が子を見失った。
ひとまず建物入り口の辺りに立って、自分の子どもを探す。周りには仲良く手を繋いで教室へ向かう園児と保護者たち。この時点では僕は、自分の子どもも僕を探しているに違いないと信じて疑わなかった。だってさっき先生が言ったばかりだ。保護者と"一緒に"教室へ戻りましょう、と。グラウンドからは人が減っていく。我が子はいない。まだ見つけられない。焦りが募る。どこか物陰で遊んでしまっているのか。もしかして何かを間違えて園の外に出てしまったのではないか。いやさすがにそんなことはないか。頭の中でぐるぐるといろいろなことを考える。
そして気がつくと、外にはもうほとんど人がいなくなっていた。先生たちが遠目にチラチラと見てくる視線が痛い。あの人大丈夫かな、不審者だったりしないかな、そんな声が聞こえてくるようだ。恥ずかしさと戸惑いと、とにかく頭の中はもうパニックだった。どうすれば良いのか、もうわからない。
念のためと思いながら園舎に入り、階段を上がった先の教室へ向かう。果たして我が子はそこにいた。廊下でひとり、鼻歌を歌いながら何事もなかったように遊んでいた。
「なんでひとりで行っちゃうの?」
極力怒りを抑えた(つもりの)声で子どもに問う。子どもは黙り込んで答えない。何が問題だったのかわかっていないような様子だった。この時点ですでに他の子たちは保護者とワイワイ楽しそうに作業を始めている。僕がいつまでも外で子どもを探している間に今日やることの説明などは終わってしまったらしい。当然、教室内にはもう我々が入り込めそうなスペースなど残っていない。
保護者と一緒に行ってって言われてたよね?なんで勝手にいなくなっちゃうの?パパ何もわからないんだよ?このあとどうするの?そんなようなことをまくし立てた気がする。子どもはうつむき、答えは返ってこない。周りのチラチラと様子を伺うような視線だけが突き刺さる。恥ずかしい、いたたまれない、どうして自分はこんなところでずっと晒し者のような扱いを受けているのか。このあとどうすれば良いのか。何もわからない。そして僕は「もう知らない」とだけ告げて子どもを置き去りにして家に帰ったのだ。最低だということは百も承知。子どもの泣き叫ぶ声が聞こえたがしかし、それに構えるような余裕はもうなかった。
その後のことは詳しくは知らない。幼稚園から徒歩3分の距離にある自宅に帰り、驚いた妻が慌てて幼稚園に向かって後を引き継いでくれたこと、泣きじゃくる子どもに先生がつきっきりでいてくれたということだけは聞いた気がする。
あれから6,7年が経った。今でもこうやって思い出して自己嫌悪で気分が沈む。妻が上手くフォローしてくれたこともあり、謝って仲直りをしたものの、おそらく子どもにもこの件は嫌な記憶の上位として残り続けることだろう。
あのとき一体どうするのがベストだったのか。おそらく「最初から行かない」ことが唯一の正解だったのだろうと思う。当時の僕には誰の助けもない中であの状況を上手く立ち回ることは到底できなかった。でも行かないという選択肢を選ぶこともまた少なからず子どもを傷つけることになっただろう。だから結局のところはわからない。
これを読んだ人には世の中にはこんなクソ親エピソードがあるってことをぜひ反面教師にしてほしい。僕みたいにこの先一生後悔し続けるような失敗を避けられるなら、それがきっと一番だから。
父親の年収はおれが高校の時単身赴任手当が出て最高で1000万、母親はおれが小4まで月8万くらいのパート、俺が大学出るまでは月18万くらいで契約社員してた
姉が1人、小学校の時はおれは水泳、書道、姉はピアノと書道、おれは小学校4年から塾通い(月謝1.7万とかだったと思う、中学はもう少し高いと思うけど忘れた)2人とも私立大学だけど実家通い、学費は全部出してくれた、あと免許取るお金も出してくれた
小学校の小遣いは学年×100円、中学は学年×1000円、高校は5000〜7000円
社会人になってからは一人暮らしで特に家にお金は入れてない、父の日、母の日には5000円、誕生日は1万円くらいのプレゼントあげてる
あと還暦とかそう言う節目は姉と10万ずつくらい出して温泉旅館とかで祝ってる
実家は俺が小学校1年の時に買った郊外の1戸建て、車は国産の普通のセダンだった
外食はほとんどなくて、ブランド物とか高いものもあんまりない家だった
中学までは年1回くらい国内の家族旅行、盆正月はそれぞれの実家に帰ってた
家が金持ちと感じたことは全然なかったけど、不自由もなかった、まさに昭和の中流家庭だと思うけど、これでも太いって言う?親ガチャで言ったらBくらいだよな
世の中の輝いている人々を見ると、皆友達の誕生日を全て覚えてその日の0時にお祝いを送るし、旅行に行ったら必ずお土産を配るし、友人間のトラブルをなあなあにせず、母の日や父の日には心のこもったプレゼントをする。
それらは全くもって素晴らしいことだ。しかしそれを踏まえて自分の行動を見てみると少しばかり心が痛む。友達の誕生日の8割をそもそも知らず、知っている人のうち半分はその日の22時に気づく。お土産は安価なのを買うだけ買って結局タイミングを逃して配るのを諦める。母の日も父の日も定型文のメッセージ1通でおしまい。なんて薄情な奴だ。
言い訳をすると、いや、情は人並み程度には持っているはずなのだ。恥(とも言えない、自分でも何かわからないもの)や忘れっぽい性格が城壁となって、その情を僕の心の中に閉じ込めているだけなのだ。どちらも物心のついた時から存在しているのでいくら危機感を持とうが治しようがない。これを「薄情」や「怠惰」等々にごく自然に繋げられてしまう世界サイドにも責任があるのではないか。しっかり気持ちを伝えなきゃ、今度は忘れないようにしよう、と1番思っているのは自分なのに。
スーパーの似顔絵というと大体母の日父の日敬老の日に親や祖父母の絵描いてるやつだと思うが、そこでエセピカチュウがずらっと並ぶって??
親をピカチュウだと思ってる子供が山ほどいる地域なの?どんな異世界だそれ??
逆に「ピカチュウを描くコンテスト」だとしたら(そんなのやってるの見た事ないが)それは任天堂の許可取った上でやってるだろうし…
でなきゃ塗り絵か?子供向けの暇つぶし用として塗り絵用意してて塗ったものを飾ってる店ってあるけど、
それもその店の公式のものならそれを作った時点で当然許可取ってるはず
市販のものを勝手に使ってるんだったら普通に著作権違反だけど(田舎の個人店とかなら見逃されてるような所はあるだろうが、本来は違反)
ここ数年、15年前に離別した父親に連絡を取るべきかどうか定期的に悩んでいる。
両親の離婚に絡んだ話で周囲の人には話すのもはばかられ、誰にも相談できないのでよかったら聞いてほしい。
ここへ投稿するのは初めてなので、読みにくいところがあったらごめんなさい。
※昼頃に投稿したんですが間違えて消してしまい、迷ったのですがせっかく書いたので上げ直しました。すみません。
・父:70歳。生死含め現在は何をしているか不明。離婚当時は大手企業部長。激務で平日はほぼ顔を合わせることはなかったが、私は割と父に懐いていた。おとなしいオタクタイプだが時々激昂することがあった。
・母:65歳。飲食業正社員。離婚当時は専業主婦。父がほとんど家にいないため、家のことは全て母が仕切っていた。普段は天然でのほほんとしているが、かなりの気分屋。教育ママで過保護だったが、私が社会人になってからの関係は良好。
・私:アラサー女。私大卒業後、社会人をしている。昨年結婚。離婚当時は高校生。
両親は15年前に離婚した。
父は仕事が忙しく、物心ついてから一緒に家族旅行に出かけた記憶もない。大手企業で出世していたため、比較的裕福な生活は送らせてもらっていた。
夫婦仲はあまり良くなかったようで、表立って喧嘩するところはほとんど見たことがなかったが仲が良さそうに見えることもなく、父がいない時に母から父の陰口を聞かされることも時々あった。
けれど、オタクタイプの父と私は気が合うところもあり、一緒に海外ドラマのDVDを深夜まで見たり、カメラを買いに連れて行ってもらったりと、私個人は父に懐いていたし父のことは割と好きだった。
逆に、教育熱心で過保護でわがままで時々ヒステリックな母に対しては委縮してしまうことも多く、学生の頃は母の言いなりになっていた私はむしろ母のほうが苦手だった。
母は度々熟年離婚するつもりと言っていたが、当時の私はまさか本当に離婚するとは思っていなかった。
事が起こったのは私が高校1年生だった頃のように思う。
夜中に両親が大声で言い争うことが増え、母が父の陰口を言うことが増えた。
ある日、「お父さん不倫してるみたい」と母が言い出した。
父の車にあった口紅のついたペットボトルを見せられたり、母が突き止めた不倫相手の職業などを聞かされたり、不倫相手の家を見に行くという母に一緒に車で連れて行かれたり、「2人のことはお母さんが守るからね」と母に泣かれたりした。
結局、母いわく「早く離婚しないと共有財産を使い込むと脅された。早く離婚したかったから不倫の話は出さなかった」とのことで、詳細は分からないがとにかく離婚となった。
正直、当時は母がいちいちこういったことを話してくるのでそのたびに傷ついていたし、不倫して私たちを捨てる父を心底憎んでいたし、辛い現実から逃げたかったのであまり関わらないようにしていた。
父が出て行った日のことも全く覚えていない。
父がいなくなってからは、私は受験で荒れていたし、弟は不登校になるしで大変だった。
父が出て行ってからは、3度だけ連絡があった。
1度目は、父が出て行った年の私の誕生日に誕生日カードと図書券が届いた。私を捨てたくせに今さら何なんだと思い、特にお礼は言わなかった。
2度目は、私が大学に合格したときに、おめでとうとメールが来た。その時も、父を殺したいくらい憎んでいたので無視した。
3度目は、大学3年生のときに母と大喧嘩をしたときに私からメールをした。実家を出たいからお金が欲しいと連絡して、父は心配する返信をしてくれた。結局母とは和解して、父には特に連絡しなかったように思う。
その後、いつ頃か忘れたが父から母あてに間違いメールがあり、どうやら再婚したようだった。
母から見せられたそれは再婚相手の連れ子あてのメールだったようで「父の日のプレゼントをありがとう」という内容だった。
それで本当に、父はもう私の父ではなくなったのだなと思った。
父のことは関わりが少ないながらも好きだった。
けれど、母の言うことを鵜呑みにして「父は私たちを捨てた」と思っていたし、好きだったからこそ裏切られて辛いし自分がかわいそうだと思っていた。
精一杯育ててくれた母には勿論感謝しているが、自分が大人になってから、夫婦としての母は未熟だったのだろうなと感じることも増えたし、離婚したくなる気持ちも分かるようになった。
そして、母の一方的な言い分だけを信じ、父からの精一杯の連絡もことごとく無視していた自分はなんて愚かだったのだろうと後悔するようになった。
正直、父のことを思うと未だに複雑な感情がわき上がってきて泣きそうになる。
母との関係は現在良好ではあるけれど、調停の内容も離婚の条件も一切知らないし、私のなかでは未だに離婚の話題はタブーなので聞くこともためらわれる。(母はあっけらかんとしており、私も気にしていないと思っているようだが…)
母からは、私が父に連絡を取るのは私の自由だと以前から言われている。
昨年に結婚もしたので、その報告もしたい。
その一方で、母の言っていたことが本当だったらどうしようと思いや、父は私のことなどもう忘れてしまっていて、連絡などしたら逆に迷惑なのではないかという思いもある。
自分に冷たくしてきた実子より、新しい家庭の方が大切なのは当然だと思うので。
連絡は取ろうと思えば取れる。Facebokで検索したら本人が出てきたし、それで連絡が取れなくても戸籍を辿ればいいだけだ。
このまま父が死んだら後悔すると思う一方で、もう傷つきたくない。
ここ数年ずっと悩み続けている。
イオンで父の日の江口寿史のイラストあったけど悲しい所に飾ってあった
母の日は華やかな所にあったのに pic.twitter.com/pnT1LSxd0K— seed ベビメタおじさん (@taneda7802) May 31, 2023
これか
@oxibaraxo
@sietti
@sitara_sin
@bomesodays
@bunchoudou
@tacco_0318
@shima_tntn
みんな病んでるなあ
@REDDRM_CampGS
コレはイカンですよ・・・。
勿論男の娘、何だよね・・・?
それ自体は否定しない、が、その裏で深く悩みを抱えるパパの存在を忘れないでほしい。
そういったレッテル貼りが横行している。
実際そんな人もいるのかもしれない。が、社会的に育児への積極参加などが後押しされた結果
当事者でない人が想像するよりも多くのパパが家庭に育児に奔走していると思う。
私自身、フルタイムで家計を支える仕事をしながら、掃除に料理、弁当作りに子供の送迎、土日は子供を遊びに連れ出すなど、全力で家事育児をやっている。
それでもパパは前述のレッテルがあるので、ちょっと愚痴でも零そうものなら
「家事もしないで」「ママはもっと大変」と四方八方から撃たれてしまう。
ワイドショーでも同じように父親批判。CMではパパ臭いが平気に扱われ、パパの周りは「パパを批判するコンテンツ」でいっぱいです。
一部の人にとってSNSは愚痴のはけ口になっている側面がありますが、
インターネット掲示板やSNSなどではこの手のレッテル貼りは顕著なので、うかつな発言はできません。
私自身の体験からの話になりますが、カウンセラーや自治体の育児相談も同じです。
必ず「家事はされていますか?育児は協力していますか?」から会話がはじまりますし
ひどいときには「家事・育児はやっていないもの」と決めつけたアドバイスをされることがあります。
ガルちゃんやママスタといったコミュニティもなく、頑張るパパには逃げ道がないのです。
でも子供の笑顔が癒しになるでしょう?と言われることもあります。
その通りです。ですが、いつもそうとは限りません。
子供は時に残酷です。結局はママが大好きな子供が多いのです。これは本能によるものだと思います。
どれだけ頑張っても、どれだけ尽くしても「パパはやだ。ママがいい。」と泣き叫ぶイヤイヤ期になると
こうして苦しみながらも、パパは仕事にも邁進しなければいけません。
いくら女性の社会進出が後押しされていたとしても、いくらイクメンが推奨されていても
家庭の主たる収入源がパパの仕事に依存されている現状が変わっていません。
こういうと女性も頑張っている!という意見があるのですが、もちろんその通りな側面がある一方
「家計の主たる収入を30年等の長期間支える責任」が甘く見られているという現実もあります。
いざピンチとなれば辞められる役割ではなく、また将来を見越して収入増を狙う出世やキャリア形成も必要な仕事と、「余裕を生むための、家計を支援する仕事」は苦労がまるで違います。
将来を見越して嫌なこともしなければならない、勉強もしなければならない、チームや組織の責任も背負わなければいけない…たくさんの義務や責任が多くのパパにのしかかっています。
そのうえ、昨今はアファマティブアクションの結果、こうした努力が出世に結びつかず、女性優遇の出世環境すら生まれています。当然女性の社会進出のことを考えれば必要な措置であることはわかりますし
女性の中にはこうした責任を背負って仕事されている方がたくさんいらっしゃるのはわかっていますが
あくまでパパの目線から見ると、仕事のつらさは変わらず、何なら重く、悲観的なものになっています。
こうした苦しみはパパだけではなく、ママにも似たようなものは当然あると思います。
ママの苦しみは、女性の苦しみを含めた形で、社会的な合意が形成されており、少しずつ改善が進んでいるように思えます。(牛歩ですが)
一方、パパの苦しみはほとんど話題になりません。改善が進むどころか、女性/ママへの改善のあおりを受けて何なら悪化しているとすらいえます。
ここまでまとめてみると・・・
・どれだけ尽くしても子供のイヤイヤ期には「パパいやだ、ママがいい」と泣き叫ばれ
それでも頑張っているパパにもっと注目して支援が行われる社会になってほしいとおもいます。
もしあなたの家庭に頑張っているパパがいるのであれば、労わってあげてほしいのです。
ことにふれ愛情を伝えてほしいのです。セックスレスも解消すべきですが、それはなくとも愛と感謝を伝えてほしいのです。
父の日や記念日を無視したり、適当な処理をしないでほしいのです。
頑張っているパパはママを、家族を愛しているから頑張れるのです。ぜひ、愛を伝えてあげてほしいです。
同じように頑張っているパパは、ママをもっと愛して、愛を伝える努力をすべきです。
当たり前の話ですがママも大変なのです。何ができている、できていないとかではなく
ただただ愛することと、愛を伝えることが大事です。
ぜひ、お願いします。
この前、久しぶりに家族で集まって、たまにはいいだろうということでちょっとお酒なんかも飲んだりしてたんだけど、20代後半にさしかかる子が、ぽつっと「正直生まれたことについては親を恨んでいる」というようなことを言った。
育ててくれたことには感謝してるけど、生まれたことが最悪なので、完全に帳消しで、総合したらマイナスだ、と。
ケンカしたとかではなく、和やかな雰囲気の中で、なんなら「怒らないでね」という前置きもつけての発言だったからこそ、本当に本心なんだろうという感じがした。
本人がヘラヘラしてすぐに話題を変えたし、掘り下げるのが怖かったから、理由とかその辺についてはあまり聞いていない。でも、普段から社会が嫌だとか資本主義が嫌いだとかそういうことを言っているから、多分そういう、人生全体・社会全体に対する不満が根本にあるんじゃないかと個人的には思う。
あまり手のかからない賢い子だった。親元にいる間に大きな問題はなかったし、家を出ていった後だってそれなりの会社に就職して、顔はまだ見てないけどパートナーもいるらしいし、うまくやっていると思っていた。
正直驚いたし、堪えた。
考えてみれば、優しい子なんだけど、父の日とか母の日とか、そういう親孝行が絡むイベントについては、まったく何もされたことがない。まあ、今の世の中そういうものなのかもしれないけど、もしかしてそういうことなのかなと思ってしまう。返すべき恩がないから何もしない、ってことなのかな。
愛情を注ぎつつ、過干渉になりすぎないように……と、いろいろ思って育ててきたつもりだったけど、ダメだったんだなと思う。育ててくれたことには感謝していると言われたのと、別に致命的に仲が決裂しているわけではないというのは救いだけど、どうしても、「総合したらマイナス」だったんだよな、と思う。
何を言っても身勝手になる気がして、何も言えない。何も言い返せない。ただ辛い。どうしたらよかったんだろうなと思う。というか、生まなければよかったんだろうな。本人にそう言われてしまったら、それはもう、そうなんだろうと思う。
数年前から講師として技術を教えることもしているんだけど、同業者よりも「試験勉強で疲れている恋人にやってあげたい」「母の日や父の日にプレゼントにしたい」など、一般の方がマッサージを学びにきてくれることが多い。
それを海外の友達に話すと、ぜひ自分にも教えて欲しいと言われたので動画に簡単な字幕を入れて送った。
数日後、「家族にやったけど、すごく喜んでもらえたよ!」「お金払うから、この動画を友達にも送ってもいい?」と言ってもらえた。
そしてその友達の友達の方からもお礼のメッセージをわりとたくさんいただいた。
少数かもしれないけど、大切な人にマッサージしてあげたい人っているんだなーと思った。
一応、私は英語中国語スペイン語がちょっとできるので、暇な時にYouTubeとかに簡単にできるマッサージ講座のような動画をあげようかなと考えた。
でもある考えが頭を巡りうーん…となった。
それは、アジア人女性=マッサージが得意みたいな差別・偏見・イメージを助長させてしまうのではないか?ということ。
もちろん自分なんかの動画がめちゃくちゃ拡散されるとは思ってないけど、見た人にネガティブな印象を与えてしまうのではと悩む。「こういう奴のせいでアジア人女性がバカにされるんだよ」とか。
海外の人どころか日本人にも「マッサージってエロいやつですか?」と普通に言われることめちゃくちゃあるので…
どうすればできるだけ偏見を撒き散らすことを防いで純粋にやり方のみを教えられるか、もしいいやり方(対処法?)を思いつく人がいたら教えていただけると助かります。
木曜か金曜の朝、夢を見た。
今もある父の机の棚に、父の日記があった。
あ、あるわ、と思って手に取り、ぱらぱらとめくって見た。
ずっと無かったはずなのにな。
父はすでに亡くなっている。
もう30年ほど経つかな。
父の日記は、亡くなった後少しして、ある日、実際に見た。
亡くなる少し前は崩れた字で書きなぐっていて、ああ、心病んでいたのかもしれない、と思っていた。
ざっと見て、その時はなんだかとても全部見る気になれなくて、すぐにその棚に戻していた。
その後また見ようと思ったら、もう無かった。
母が処分したのかもしれない。
最近その母と言い合いをした。
くだらないことで喧嘩をする。
数日、お互いになんだか気まずい風になっていた。
そして、夢にその日記が出てきた。
父は自殺した。
私は学生で県外にいた。
母が帰宅すると、2階の梁で首を吊っていたと、誰かから聞いた。
今の私の年齢は、あの時の父の年齢に近くなってきた。
あの時の母の年齢にも。
今の自分だったら、パートナーの自殺を受け止められるだろうか?
いないけどさ。
その夢から目覚めて、ああ、私くらいの歳で自殺しちゃったんだ、と思った。
まだまだやん、こんな歳、まだまだやん。
やり直しきくやん。
もうやり直しきかん、と思っちゃったわけ?
そんなにやりきってたん?
うせやろ?
帰ってきたら、何十年か一緒におったつれあいが首を吊ってる、、、
でも、あり得んくらいの感情のほとばしりがあったんじゃなかろうか、とは思う。
少しだけ、優しくしてやろうと思った。