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はてなキーワード: 厄介者とは

2019-05-07

anond:20190507105958

そういう前提ならたしかにね。

てかビッグマウス系は全般的迷惑

モデルレベルの異性と多数つきあいたい(類似年収○億になりたい、新しいクルマがほしい)けど自分努力したくないしリスクは一切取りたくない、お前がもってこいや」みたいな人はふつうヤクザっぽい態度と表現できるし納得だね、

いくら卑屈な皮をかぶせてもよく聞き出していくと高望み。結局言ってる内容は高慢ちきなプライドを満たせってこと

普通と称して普通じゃないものを求めてる世間厄介者

2019-04-17

プロが感じる各カメラユーザーの印象

デジイチに限る。

キヤノン:保守的。車はトヨタ。家は積水ハウス無難が落ち着く。

ニコン:頑固者。産地にこだわる。右翼が多い。プライドが高い。

ソニー:革新的。新しいものにすぐ飛びつく。浪費家。ソニー自体愛着はないが、俺色々わかってるでしょう臭が強い。

ペンタックス:登山が好き。もしくは初心者低所得者。「レンズの味」など曖昧表現ごまかす。

オリンパス:女性の8割はまずこれを買う。ガチ勢は貧弱ジジイ貧乏人。プロや鳥屋がサブ機として利用。層が広すぎて特徴がない。

パナソニック:コンデジがパナだったユーザーが多数を占める。それ以外は変人4Kに目がない。ハイエンドユーザー厄介者が少ない。

フジフィルム:懐古的。家具はアイアンが好き。フジの色という言葉で全てを片付けたがる。

その他:狂信的な変人理系メガネをかけている。声が小さい。もしくはコレクター

2019-04-15

きな子壁紙鶴瓶さんだった

きな子スマフォ操作してるのがチラッと見えてしまった。

するとホーム画面の壁紙と思われるもの鶴瓶さんだった。

実際にはよく見えてないけどあれは多分鶴瓶さんで間違い無いと思う。

鶴瓶さん好きなんだろうか。

どう受け止めたらいいのか分からない。

面白くて好きなのか、知り合いなのか。

からなすぎて気になって仕方がない。

でもホーム画面のことは知らないていで行かないと不自然だ。

ストレートに「壁紙鶴瓶さんだよね」と聞いては、スマフォを覗き見する厄介者になってしまう。

自然な流れで鶴瓶さんの話題に持っていくのどうしたらいいんだ。

天然ミネラル麦茶とかだとちょっと直接的すぎるか。

4つか5つくらいクッションしないと何か知ってるのかと勘ぐられてしまう。

でもある程度は直接的に鶴瓶のことを聞かないと、恥ずかしさとかで本当のことを言ってくれない可能性もある。

万が一鶴瓶さんじゃなかった時、好きじゃなかった時のリスクも考えると持っていき方難しいなあ。

2019-04-09

anond:20190409045845

人間動物迷惑をかける点ですが、フウチョウたちが「確かにヒトのおかげで助かったケモノもいるが、ヒトが不用意に近づいたばかりに、迷惑するケモノもいたかもしれんぞ」と明確に問いかけてるんですよね。これに対するアンサーは必要であり「テーマとして昇華していない程度の示唆」で終わらせるのは無理があります

しかに。フレンズの選定や居心地の悪さ、フウチョウの問いかけも含めると、制作意図があったのは反論しようがないです。ならば、それをテーマに絡めることを諦めたというのはどうでしょう。ここ最近の界隈の雰囲気を見ると、けもフレ1でさえ信者とまで言われるほどの熱心なファンに「へーきへーきフレンズで得意なこと違うから」「のけものはいない」のような世界観を教える事はできなかったわけじゃないですか。結果論ですが、船長ワカバが休んでれば赤い木の騒動なんて起こらなかったのに、それを作ってるたつき監督自身が過労気味なわけじゃないですか。物語を使って視聴者特定の行動を促すというのは実は無理なのではないでしょうか。おっしゃったアイデアにあったようにキュルルちゃん人類の罪を贖罪してしまえば、見ている方はスッキリした気分になってしまって何か教訓を得ることはないということです。制作サイドに人間が歪めた動物について考えてほしいという善意があって、それをエンタメ物語に乗せて実現させるための方法として、示唆で止めておく手段を選んだ。いかがでしょう。

俺は、ビーストは死んでないと思います。そこにけもフレ2の作劇の方針がみてとれる気がするのです。個人的にはビースト周りのドラマはなかなかに心揺すられました。パークの重鎮のかばんさんさえ”アイツ”よわばりする厄介者イエイヌを追い詰めサーバル撃退されたけど、スケッチブックの集合絵に入れてあげた。「解りあえなかったとしても、解ろうとするのは別にいいじゃん」、ボートに現れたビーストから逃げることを促されてもこのまま行くと言い切る。キュルルちゃんの思いが言葉だけじゃなく行動になるまでに固まる。それでビーストが大暴れするので気持ちいいわけです。このドラマ普通に決着させようとすると、うーんたとえば、瓦礫の中にビーストを探したが見つからず、足跡がパークに続いてくのを見て「いつかまた会おう」とひとりごちる、とかになるでしょうか。でもそうせずに瓦礫に埋もれて消える描写にした。ホテルメンバーの救済のために尺が足らなかったのかもしれませんが、俺は刮目してみていたので気づいていました。ホテル屋上のあの位置は頭上に障害物はなく、瓦礫に埋もれたのはカメラのほうだと。つまり誤解させる演出になっているわけです。多くの視聴者初見で、ああビースト死んだのか可愛そうやな、とおもってSNS悲鳴を流します。それで解析班が動いて「ビースト死んでなかった!」という記事ホットになる。木村監督は交代時に、けもフレ1の魅力は散りばめられた伏線、のようなことをおっしゃってたと思いますネット考察版が動くことを期待して放映後に爆発する仕掛けを組んだというわけです。エンタメ作劇的には王道ではないでしょうが、このような狙いがあったのでは。

俺はけもフレ1・2・ケムリクサすべてで、伏線や回収、世界観の開示などを目を皿のようにしてさがし、それに理屈をつけるような見方をしています。それで楽しめていますけもフレ2では話の途中に掛け合い漫才みたいなのが頻繁に入ってくるので、その部分もニコニコながら見ていました。確かにドラマとして登場人物紆余曲折が一つのテーマ収束していく様はあまりけもフレ2にはないですが、その部分に多くを期待しない鑑賞スタイルには合っているような気がします。

何話か見返したのですが「キュルルの手がかりの絵が尽きた」ことが描かれたシーン

一話の最後スケッチブックをめくり千切られたページを目にするシーンがあります。状況的にあそこでは手がかりを見つけるために捲っていたのであのページが最後になることはキュルルちゃんは判っていたと思いますホテルでリョコウバトに集合絵を渡すときに、観覧車の次のページに集合絵を描いていて、その次が白紙であることが一瞬見えます

キュルル自体の魅力が損なわれ、作品自体への評価が下がります

キュルルちゃん立場から見て、イエイヌ価値観尊重してああ言ってあげる、というのは悲劇トリガーには観念的にはなっていますが、無責任・悪意のある行動には思えないです。カラカルが介抱していて危機的状況から開放されて安心しているという状況です。みため年齢的に見ても致し方ないかと。キュルルちゃんは魅力的なキャラクターとして描かれていてそれは成功していると思っています。この扱いで好感度が下がる合理的理由はないでしょう。

強敵との戦いをどう盛り上げるか、逆転を、どう印象づけるかの工夫がありますフレンズセルリアンとの戦いは、あまりそうした工夫がなく、盛り上がらなかったです。それなら誰かが「野生解放!」と叫んだほうがわかりやすいでしょう。

けもフレ1では仲間に呼びかけるために、野生解放宣言していますけもフレ2の該当の戦闘ではそのタイミングで一対一だったので言う必要がなかったのもあると思います。突然漫画演出になるのはリアリティが下がって興ざめするので、盛り上がるためだけに叫ぶのは良い方針ではないと存じますしかし確かにセルリアンとの戦闘けもフレ2全体で退屈な仕上がりになっている印象は否めないです。制作なりに「優しい世界」を目指した結果ではと考えています戦闘けもフレ1に比してもピンチ感は少なくなりました。見返したときに緊張感が高くならないようにあえて戦闘テンションを抑えたということです。最終戦での野生解放が叫ばれなかったのを考えていたんですが、する必要がなかったというのが答えだと思いますホテルメンバーが囲まれたのがおそらく最大の危機的状況ですが、そのときにおいてもホテルに現れるペパプを妄想していました。いよいよとなれば解放する気だったのでしょうが、ペパプ本物が登場して救われる流れになります

最終話評価は、それまでの1~11話の評価と切り離せないものですので。視聴者に信用されるために、制作者側は信用を積み重ねる必要がありますが、そこがうまくいってないわけです。

セルリアン集合シーンはけもフレ1の名シーンほどの決めカットではないです。先に申し上げたとおり、あの状況ではああいう絵にしざるを得ない、共通性を見出すのは無理矢理のこじつけですよ。信用がないと言うより、悪意があると信用されていた、というほうが実態に近いと思います監督交代騒動のツケを支払わせるために問題表現を探したというこです。たしか結果的には新体制が信頼を積み上げることに失敗した、というのは同意します。しかしその責任制作側にあったとまでは言い切れないです。ところで、けもフレ1でたつき監督が序盤で信頼を積み上げるような何かをしていたか、というのはずっと考えていました。一話で退屈と断じて切り捨てたという視聴者はよくいるし、伏線-回収のループを重ねていけば意味のあるシーンを作れる作家だとわからせることができるけど、そういうのってしてましたっけ?

キュルルのおうちが、見付からなかったことに、消化不良があります。次に、キュルルが「おうち」を諦めるに至る過程曖昧なので、ドラマが盛り上がりません。

けもフレ2では現実的な厳しさを書いたのではないでしょうか。けもフレ1へのアンチテーゼというか、ご都合主義的ではない、よりリアル世界観フレンズ同士の親切心を浮き立たせたかった。一話を見てパーク内にキュルルちゃんのおうちがあるような気はしないわけです。家族の元に帰ってENDは想定しにくい。案の定見つからない。イエイヌは救われない。ビーストはどうしようもない。でもそれぞれに現実的な進展が与えられるわけです。エンタメ文法でみるとドラマとしては盛り上がりに欠けるでしょうがスッキリとしない視聴感がビターな感じはあると思いますケムリクサでの最終話EDの、りりが救われた風の描写は俺に、感動したけどこれ結局お話に過ぎなかったんだな、という思いを与え、肩透かしでした。

ところで、けもフレ1のテーマは何だったのでしょう。かばちゃん成長物語と捉えると、1話では彼女は頼りないですが、11・12話で存在感を見せつけたという感じであまり変化がない。ミライさんのフレンズ生存理由になったり細かい伏線の繋がりは合ったのはわかります。それぞれの話でドラマが見事だったのも異論ないです。でも全体としてのドラマどうでしょうケムリクサは逆に全体としての物語性が強いです。けもフレ2は両方のフレーバーを持っている。その話での起承転結と「おうちテーマ」のための全体の流れが合わせて練られている。イエイヌが”おうちにお帰り”といって拒絶されるのは全体のために必要だけど、イエイヌ回単体ではキュルルちゃんサーバルカラカルの在り方を見せられて自分との違いを見て挫折して去る、くらいでよいわけです。ただ各話においてフワッと見ているだけではドラマとして盛り上がりに欠ける、というのは改善余地は合ったかもしれませんね。

批評として使うなら、定義必要になるでしょう。

いえ、今はまだ固まっていない段階です。その正体をつかめない段階で用語意味を固定してしまうと先へ進むことができなくなるでしょう。必要ときにその都度「この作品のこの部分は優しい世界か?」「優しい世界とはなんだ?」を繰り返して意味を掘り進めていくべきです。

スギスを狙ったのなら、作品の出来とは別にマーケティングミスです。そういうのは事前に告知して心の準備をさせるのが良いかと。

絵柄が大きく変わっていることは初見でわかりますSNSで憤慨しているファン監督交代騒動は耳にしていたはずです。ファン必要以上にセンシティブになり、前と寸分違わず同じもの要求した、そのように見ていますけもフレ2も最初からスギスしていたわけでなく、センちゃんアルマーさんの実態ジャングルメンバーなど、段階を追っての開示になっているとは思います(話がずれるかもしれませんが、「危険きわまりない溝ができています!」は、好き嫌い分かれるネタを初っ端から突っ込んできたな、と思いました)。

付録

スギスした作品はギスギスした作品で楽しめる人も、癒やし系作品の続編として出されると「思ったのと違う」ってなりますよね。ラーメン屋いったらサンドイッチが出てきたみたいなもんで。

面白いので http://blog.livedoor.jp/fukukan2009/archives/52307013.html 及びその次の記事より引用します。

別の場所コメントでは「カレーを頼んだのにXXXが出てきた」といっている人もいました。俺は「カレーハヤシライスビーフシチュー」くらいの印象です。

2019-03-30

最近オタクの先鋭化はやはりラノベ元凶なのでは?

このまとめを見た。

【またお前らか】『なんでここに先生が!?』のブースツイートに、いつもの連中がイチャモン付けに来た。 - Togetter

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1331836

このおっぱい展示を擁護してる人を見るとある共通点に気づく。それはラノベオタクばかりということだ。

最近社会学VSオタクという構図になってきているが、同時にほとんどの場合社会学VSラノベオタクでもある。

なぜラノベオタクラノベという人文・社会科学産物を超好意的に嗜んでいながら反文学部的なスタンスなのかは興味深い話題でもある。

ひとつの仮説として考えたのは、ラノベオタクは人文・社会科学系の専門書を大して読んでいないということだ(多くの人は理系なのだろう)。そして彼らはラノベや彼らが「一般小説」と読んでいる類の大衆文学ばかり読んでいるということ。

彼らは人文・社会科学産物であるラノベを大量に読んでいながらも、その文脈理解しないままただ漫然とストーリーを楽しんでいるということになる。

これでは人格の涵養など望めないし、ネトウヨ感性のまま年を取っても仕方がないのかもしれない。

ラノベオタクたちは「俺たちは賢い」「他のやつらはバカ」というスタンスが基本になっている。

とても自信に満ち溢れているように見える。

彼らは自分は「読書家」だから知的人間だと思っているのだろう。

彼らが読んでいるのはたかが「小説」にすぎないのだが、しかし「小説」も「本」には違いない。

「本を読んでいる=賢い」というような思い込みがあるのではないか

ラノベオタクたちの高慢さ、傲慢さを見るとそういったものを感じる。

彼らを観察していると、年齢の割に教養のなさ(雑学的な浅い知識だけは豊富)、バランス感覚のなさ、他者への配慮のなさ、といったものをすごく感じる。

深い理解に基づく知識のなさや教養の欠落などは大した問題ではない。問題なのはラノベオタクたちが社会の中で厄介者化していることだ。彼らは被害者意識がとてつもなく強く、他者への攻撃性が高い、ということは外から観察している人にはよく見えていることだろう。

いい大人なら社会というのは人と人との衝突(それも陳腐な衝突だ)が日常的に起きるということを知っている。主義主義思想思想、思惑と思惑、そういったものは衝突するものだ。

彼らが絶対原理として掲げる「表現の自由」だが、もちろんこれも他の主義思想との衝突は避けられない。どんなもの絶対不可侵はいられない。それが社会というものだ。絶対安全圏などない。ここは永遠安寧の天国ではない。

だが、ラノベオタクたちにはこういったことがわからない。社会とは他者との関わりあいだということが理解できない。教条主義に陥っているラノベオタクたちは結果的文字通り「信者」のようなものと化す。したがって、思考は粗雑になり、「正義オタクVS悪のフェミ」という安易な構図・構造でっちあげられるに至る。ここには「対話」「相互理解への意志」といったものはない。

表現規制への反対」これは大いに理解するし共感もする。ただし、攻撃的だったり刺激的・煽情的表現はつねに他の主義思想と衝突することにもなる。だからそこで「対話」が必要になる。議論をして社会の中で落とし所を見つけていくことになる。もちろん一方的排除であっては絶対にいけないし、かといって完全な許容にもならないだろう。

社会の中で生きるということは自分を全肯定されることでもなければ全否定されることでもない。こういったバランス感覚ラノベオタクには欠けているように見える。とてもナイーブで0か100かという思考になっている。彼らには「中間」の状態理解できないのかもしれない。

あるいは溢れる想像力が「中間から「極端」への推移を瞬時に見越してしまって危険信号を受信するのかもしれない。

だがそれこそが教養のなさというものであり、現実の複雑性を理解していない証拠ともいえる。極めて幼稚な思考といっていいだろう。幼稚な想像力に溢れる彼らには大人想像力がない。

ここまでいろいろ書いてはみたが、ラノベオタクには何を言っても無駄だろうということも感じている。

したがって、社会ラノベオタクという厄介者をどう取り扱っていくのかという問題になってくる。

今回書いたようにオタク一方的排除であってはいけない。オタクにも生存権を与えなければならない。ただ、オタク表現社会規範と衝突することが極めて多い。

からゾーニング」という話になってくる。

しかオタクは「ゾーニング」を「表現規制」と言い換えて反発している。

さあどうしたものか。

2019-03-29

最近オタクの先鋭化はやはりラノベ元凶なのでは?

このまとめを見た。

【またお前らか】『なんでここに先生が!?』のブースツイートに、いつもの連中がイチャモン付けに来た。 - Togetter

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1331836

このおっぱい展示を擁護してる人を見るとある共通点に気づく。それはラノベオタクばかりということだ。

最近社会学VSオタクという構図になってきているが、同時にほとんどの場合社会学VSラノベオタクでもある。

なぜラノベオタクラノベという人文・社会科学産物を超好意的に嗜んでいながら反文学部的なスタンスなのかは興味深い話題でもある。

ひとつの仮説として考えたのは、ラノベオタクは人文・社会科学系の専門書を大して読んでいないということだ(多くの人は理系なのだろう)。そして彼らはラノベや彼らが「一般小説」と読んでいる類の大衆文学ばかり読んでいるということ。

彼らは人文・社会科学産物であるラノベを大量に読んでいながらも、その文脈理解しないままただ漫然とストーリーを楽しんでいるということになる。

これでは人格の涵養など望めないし、ネトウヨ感性のまま年を取っても仕方がないのかもしれない。

ラノベオタクたちは「俺たちは賢い」「他のやつらはバカ」というスタンスが基本になっている。

とても自信に満ち溢れているように見える。

彼らは自分は「読書家」だから知的人間だと思っているのだろう。

彼らが読んでいるのはたかが「小説」にすぎないのだが、しかし「小説」も「本」には違いない。

「本を読んでいる=賢い」というような思い込みがあるのではないか

ラノベオタクたちの高慢さ、傲慢さを見るとそういったものを感じる。

彼らを観察していると、年齢の割に教養のなさ(雑学的な浅い知識だけは豊富)、バランス感覚のなさ、他者への配慮のなさ、といったものをすごく感じる。

深い理解に基づく知識のなさや教養の欠落などは大した問題ではない。問題なのはラノベオタクたちが社会の中で厄介者化していることだ。彼らは被害者意識がとてつもなく強く、他者への攻撃性が高い、ということは外から観察している人にはよく見えていることだろう。

いい大人なら社会というのは人と人との衝突(それも陳腐な衝突だ)が日常的に起きるということを知っている。主義主義思想思想、思惑と思惑、そういったものは衝突するものだ。

彼らが絶対原理として掲げる「表現の自由」だが、もちろんこれも他の主義思想との衝突は避けられない。どんなもの絶対不可侵はいられない。それが社会というものだ。絶対安全圏などない。ここは永遠安寧の天国ではない。

だが、ラノベオタクたちにはこういったことがわからない。社会とは他者との関わりあいだということが理解できない。教条主義に陥っているラノベオタクたちは結果的文字通り「信者」のようなものと化す。したがって、思考は粗雑になり、「正義オタクVS悪のフェミ」という安易な構図・構造でっちあげられるに至る。ここには「対話」「相互理解への意志」といったものはない。

表現規制への反対」これは大いに理解するし共感もする。ただし、攻撃的だったり刺激的・煽情的表現はつねに他の主義思想と衝突することにもなる。だからそこで「対話」が必要になる。議論をして社会の中で落とし所を見つけていくことになる。もちろん一方的排除であっては絶対にいけないし、かといって完全な許容にもならないだろう。

社会の中で生きるということは自分を全肯定されることでもなければ全否定されることでもない。こういったバランス感覚ラノベオタクには欠けているように見える。とてもナイーブで0か100かという思考になっている。彼らには「中間」の状態理解できないのかもしれない。

あるいは溢れる想像力が「中間から「極端」への推移を瞬時に見越してしまって危険信号を受信するのかもしれない。

だがそれこそが教養のなさというものであり、現実の複雑性を理解していない証拠ともいえる。極めて幼稚な思考といっていいだろう。幼稚な想像力に溢れる彼らには大人想像力がない。

ここまでいろいろ書いてはみたが、ラノベオタクには何を言っても無駄だろうということも感じている。

したがって、社会ラノベオタクという厄介者をどう取り扱っていくのかという問題になってくる。

今回書いたようにオタク一方的排除であってはいけない。オタクにも生存権を与えなければならない。ただ、オタク表現社会規範と衝突することが極めて多い。

からゾーニング」という話になってくる。

しかオタクは「ゾーニング」を「表現規制」と言い換えて反発している。

さあどうしたものか。

2019-03-04

anond:20190304225505

死にたくないから無条件降伏したんだろ

宮城事件徹底抗戦呼びかけた少佐厄介者扱いされて自殺した

戦う気の軍部なんてものが本当にいたのか怪しい話だ

2019-02-24

anond:20190223232959

いやいや。ルールを曲げてまで口説くような奴らは「精神的に問題をかかえた人」の範疇だろ。

早晩失職して金持ちという利点すらなくなる厄介者に違いない。口説かれたところで迷惑なだけ。

まあ、フードコート店員口説く銀行員ぐらいなら許されるだろうが。

2019-02-07

レンタルさん2019年2月モノローグ1

今までの俺の戦いは何だったんだよ!?

数ヶ月前の俺以上の腐夢ヘイト感情を抱くものを目撃してしまったため

動揺状態だ…

昨年ダイナミックコードが2017年5ch年間ワースト賞すら栄誉ある勲章とする様な厄介者となってしま

全国のツタヤに入荷

これが俺の18年の腐夢コンテンツへの憎しみにブーストをかけたのだ。

18春放送組は腐夢枠はコナンゼロペルソナアカ三期だけで十分だったのに

ニルアドよついろバトラーズされ竜とかが一気に入荷されてきた。

これが「腐夢コンテンツは悪い文明」みたいな感情を一気に暴走させる原因になった

動揺してる俺でも潜在的には腐夢コンテンツへの反感は動いている

抱かれたい男の全国のレンタルビデオ店への入荷に極めて否定的感情があることをすでに見抜かれているか今も自分で気づかないうちに

今期の腐夢関連(Bプロモブ以外)の全国レンタル屋入荷に対して恐怖の感情を持っているからだ

それだけ18春放送の腐夢コンテンツ入荷の件が心に深い傷を負わせたということなのだから

ゼロ年代の俺は腐へのヘイト疑問視してた

だがその反腐感情未来への警告だった

その腐ヘイトを受け入れなかった先があの18春、17秋のダイナミックコード、同年春の喧嘩番長乙女だったとしたら俺はもっと先見性に気づくべきだった

俺は98年にもサブカルチャー業界や界隈にとってよろしくない選択をしてしまったのだ

ドラクエ7キャラデザ発表時に疑問を抱いてしまたこ

ドラゴンボールZ全盛期からかけ離れてることへの批判学校の連中からもあった

続く

2000年

ドラクエ7リアタイ時、

「いい男…」だと感じてたキーファの途中離脱

その件への不満から8への要望男性パーティーキャラ構成についてのことを書いたがその要望は俺にとって黒歴史ものだった!!

昨年ドラクエ8の実況動画を見てライブチャットヤンガストロデおちょくる様な書き込みがあり怒りを覚えた

PS四半世紀の歴史上でトップ10に入る真の漢のうちの一人を愚弄するとかなんということだ

業界レンタル屋への腐夢コンテンツ入荷奨励へのカウンターとして

昨夏からザブングルを尊ぶようになった

スパロボへの再登場と日本でのBD発売を望むぐらいに…

なろう系についても16年に警告してた者がいた

当時問題提起を怠ったことがスマホ百錬かいう最強無双もの映像化されるということに繋がってしまったのだから

感情のまま動いて理想の世界標榜してら人は満足するのだろうか…

答えはNoだ

BS1117春夏の改編期まで空き枠に「この男子…」シリーズばっかり放送して

BS11放送ショート放送しなかった事が俺の腐夢コンテンツへの反感の始まりだった

だがGジェネ新作発表での一部の宇宙世紀信者は行きすぎた発言をした

イナイレ台頭期に宇宙世紀信者どもは一体何をしてくれた?

アニメージュグランプリイナイレに喰われるのを傍観して

ガンダムUC組織票投じることをしなかったのだ!

当時の腐夢に対して威光を示すチャンスだったのに

今では俺はメージュのグラやランキングなど放棄したわ

もしきららファンタジア

ダイナミックコードやバトラーズ、ニルアド等腐夢コンテンツのメインキャラを敵ボスとして登場させたら

俺は空しく感じるね。

宇宙世紀キャラで種やWキャラ叩きのめしたいみたいな奴と同じ穴のムジナになることを拒否するね

そんなコラボイベント行われたら俺はイベント不参加だわ、

こんな歪んだことして満足感得ても悲しみが増えるだけだからだよ。

だけど鉄血40話以降の展開がトラウマになったケースが多数確認されていることも否定出来ない

スパロボDDマジンガーZERO追加参戦を要望する意見

そのマジンガーZEROでJTCトラストアリアンロッド艦隊に闘いを挑みたいという意見が何処かにあったとか(´・ω・`)

2019-01-24

anond:20190124081753

これらのジャンルけがちゃんとなされていない理由ひとつとして

そもそもネット歴史を振り返るときに言われるような

スレイヤーズとかオーフェンが当時人気ラノベとしてオタクの支持を得ていたみたいな話が完全なる偽史であって

リアルタイムではオタク(コミケで本は出てたし全てのオタクがそうだったというのは主語が大きすぎかもしれない。すまん。)にはバカにされてて全く相手にされていなかったからというのがあるんだよね

じゃあどういう人達が売上を支えていたのかというと同時に流行っていたドラゴンクエストとかファイナルファンタジーが好きで

別にオタク文化とか大して詳しくないしコミケに行ったりもしないけどなんとなく剣とか魔法とか出て来るファンタジー世界が好きで

似たようなコンテンツをなんとなく消費していたっていうすごく漠然としたどちらかというとゲームファンみたいな人達だったと思う

保守本流オタクから厄介者としてバカにされていたという意味では今でいうラブライバーみたいなポジションに近い

2019-01-04

人間恐怖症のワイにアドバイスくれ

いろいろあってワイ自身含め人間邪悪存在しか思えんのだが、人間の善い部分を教えてほしい。

 

そもそも出世に無縁な日本全土のはぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク問題児、鼻つまみ者、厄介者、ただの異端児、そういった人間の集まりであろうこの場で出された意見なら信憑性があると思うので。

2018-12-30

anond:20181230012055

挫折して連帯協調をまなんでくれるか、

挫折せずそのまま飛んでいける天才ならいいんだが

挫折してないと自分を騙し続けている子供が一番厄介

増田厄介者の溜まり

2018-11-28

anond:20181128151007

マミー(包帯まきの傷病者)トラックで、そのもの「一線から逆向きに、しか安全第一護送される」って意味で「厄介者」的なニュアンスだと察したが。

2018-10-20

anond:20181020170126

妊婦うつすと云々以前に、妊婦以外にうつしたって迷惑感染症である事に代わりはないわけで

インフルエンザワクチンを打たない奴がバイオテロを目論む厄介者扱いされるのと同じように

風疹ワクチンを打たない奴もバイオテロを目論む厄介者扱いになるのは当然だろうよ。

たとえインフルエンザにかかっているのに出勤し職場インフルエンザを撒き散らした人であっても、麻疹にかかっているのに飛行機に乗り日本各地に麻疹をばら撒いた人であっても、そして風疹感染して妊婦に近寄ったことで胎児先天性風疹症候群にしてしまった人であっても、その人たちは被害者であり、絶対加害者ではない。

いや、普通に全員加害者から

ワクチンを打っていたけれど免疫力がつかずに感染してしまったとか、何らかの持病がありワクチンを打てなかったとかってなら仕方ないが

意図的ワクチンを打っていなかったのなら加害者だろ。

2018-10-18

他人迷惑はかけたくないが他人に過大なリソースを使わせるのはすでに厄介者なのか

2018-10-11

違う部署仕事は受けてはならない

親切心のつもりで…なんて言う厄介者がいる。

仕事の処理を知ってるなら、ありがとうで済むが、知らないでただ受け付けたというのは迷惑しかならない。

順番待ちもいるのに、優先で受けるみたいな事を言ってしまう奴は無能に近い。

無能は淘汰されるべき

2018-09-21

anond:20180921151739

LGBT嫌悪理解できない気持ち尊重されるべきだけど、それは内心においてのみだと思う。

”好きではないというやつは好きではない”と表明することはそれ自体が誰かを攻撃することだということを理解した方がいい。

差別から差別する”というのは差別主義者の常套句

攻撃されたらそれに対して反発するのは当たり前のことではないんですか?

ましてや、LGBTというのは社会の中でノイジーマイノリティであることは明確なのに、サイレントマジョリティである異性愛者が”差別から差別する”といわれるのは非常に不公平

もし差別される側が反発をやめたら、そのまま弾圧されるだけになってしまう。

性的指向選択できるものでは無いということは証明されてない。”たまたま”産まれながらに同性愛者だった人”が大体”社会ではノイジーマイノリティになっただけ。

LGBT差別するなという方々は、もし自分マジョリティ扱いされる弱者だったら?(LGBT以外の性的指向/嗜好や肌の色(白人)やKKOなど)ということを一度でも考えたことがあるんでしょうか?


結局のところ。全部裏返しにできる。

今まで平和暮らしてきた健常者の社会に入り込もうという異分子が健常者の違和感差別扱いとは厚かましい。

しかLGBTは健常者の趣味仕事を奪い、また望みがかなわないと自殺して訴訟を起こす厄介者

しろお前らが健常者差別をやめろ。

2018-09-20

はてなは他のSNS掲示板に比べて濃縮されたイキリオタクが多いように“見える”

大衆化されてきたとはいえはてなはいまだにかなり偏ったコミュニティと言えるだろう。

はてなユーザー全体から見れば少数派になるのかもしれないが、200人のラノベ大好きイキリオタクブックマークすることで、どんなものでもはてなの人気記事に押し上げることができる。

はてなノイジーマイノリティが目立ちやす構造になっている。イキリオタクネット中毒なのでよく発言するし、一日中ネットをやっていたり活動的であるということもある。ユーザー数に比べて、人気記事ブックマーク数が少ないため、どうしてもノイジーマイノリティが目立ってしまう。たった200人のイキリオタクでも、力を合わせれば人気記事に押し上げることができ、自分たち多数派であるような主張が簡単にできてしまう。

ラノベを読むイキリオタクというのは中学校では1クラスに2、3人程度、高校では1、2人いるかどうか。大学以降はその割合さらに減るだろう。

しかネット、とくにはてなではそのイキリオタクが集合して一大勢力となっている。

現実社会では群れを成すことができないイキリオタクたちがネット社会では一大勢力となって、カルト化し、厄介な暴力集団となっている。

彼らの理屈はめちゃくちゃで、現実社会では「こいつ頭おかしい」とまったく相手にされることがない。しかネットではその頭おかしいイキリオタクが一大勢力となっているため、まるでまともな一つの意見であるかのように取り扱われ、いちいち議論になったり炎上したりする。

これはほんとに非生産的なことで、ネット社会の損失だ。しょうもないことで多くの人の時間を奪っている。現実社会でまともな人間はいちいちイキリオタク戯言になど構わない。そんなものコストを費やす価値はどこにもまったく存在しないからだ。

いろんな場所を見てきたが、ネット上でもとくにはてなはイキリオタクとしての精鋭部隊が集まっているように思う。その社会性のなさは圧倒的で、おそらく自分弱者だと信じて疑わないのも、人生がうまく行ってないからだろう。彼らの人生悲惨なのは事実であり、決して被害妄想などではないのだ。

ラノベを読むイキリオタクという反社会的厄介者をどう取り扱っていくか、これから問題になっていくだろう。

2018-09-14

anond:20180914102203

政治からすると京都議定書に従おうとしない火力偏重傾向の高い厄介者CO2排出の劣等生の中部電

原発停止してみたら電力融通の砦になるから世の中何がどう転ぶかわからん

2018-09-13

オリンピックって無くなるんじゃね?

日本けが冷めてるのかと思ったが

ここ最近オリンピックは本当に厄介者扱いされつつあるんじゃないか

スポーツ人気にあぐらをかいているが、今後どうなるだろうか

2018-09-10

anond:20180910134806

オタクって下劣常識がなく、インターネット社会になって現れた新しい厄介者であり日本の癌なんだよな。

オタク自体が癌なわけじゃない。常識を知らないオタクが癌なんだ。

そもそもそんな区別で良いなら、SNSバカなことをやっている一般人も癌だし、元増田もこんな所でほざいてるだけの日本の癌扱いになる。

【一部を見て、全体を評価する】のは違う。

それをやった時点で癌の仲間になる。

オタクってほんとにリンチが好きだよな

すでに燃えてるところに出向いて、「どれ、俺様も一太刀浴びせてやるか」ってオタクばかり。

すでに周りをオタクに囲まれ一方的ボコボコにされてる相手に対して、ちょうどいい、自分も加勢してやろうっていう考えになるのって控えめに言って(←この言い方がオタクは好き)ゴミクズだ。

完全にいじめっ子思考パターンだし、それを反省する様子もない。

そのくせオタク差別をやめろーなどと言っていて、被害者意識は強い。

オタクって下劣常識がなく、インターネット社会になって現れた新しい厄介者であり日本の癌なんだよな。

2018-08-01

ぷよぷよ!!クエスト」はぷよぷよシリーズ堕落させた?

自分コンパイルセガわずぷよぷよ魔導物語シリーズが好きな高校生だ。

しかし、どうしても「ぷよぷよ!!クエスト」を楽しむことができない。

なぜなら、このぷよクエが、本家ぷよぷよシリーズクオリティが下がったきっかけのように思えてしまうからである

そして今、ぷよぷよ、というシリーズは堕ちるところまで堕ちてしまったのだろうか、と感じている。

以下、ぷよぷよクロニクルネタバレを含みます



自分は元々、小学生頃にぷよ!15thやぷよ7を遊び、中学生頃に昔の事をネットで見て、シリーズファンになった人間だ。

ファンになった当初はぷよ!!20thとぷよテトの間の時期だった。

当然ながら、その時の最新作は20th。

すでにプレイしてはいものの、改めてその作品いかに凄かったか、という実感がわいた。

この「ぷよぷよ!!20th anniversary」というゲームは、冗談抜きでぷよぷよシリーズとしてはトップボリュームクオリティだと思っている。

思い出補正じゃないかと言われるかもしれないが、骨頂抜きにしてもそう思う。

セガぷよの絵柄が今のスタイルになった初めての作品であり、イラストも1番整ってて良い(未だにこの作品アートワーク公式の随所で使われてたりする。それこそぷよクエの☆3、4など)。

多くのルールに多くのキャラクター、多くのストーリー

特にストーリーキャラクター描写に関しては、個人的にこの作品から現在に続く"基準"を作り上げたと感じている。

この作品シナリオライターは、魔導物語含めた過去作を把握した上でストーリーを書いたらしく、今までの描写総合し、改めてキャラクター達はこの作品で再構築されたのではないか(もちろん不満点などもあるが、それまでどこかフワフワしていたキャラクター性を一気に濃厚なものにしたという功績はとても大きいのでは)。

とあるところで"最高傑作"と言われていたのを見たことがあるが、それにふさわしいと思う。

…と、ベタ褒めをしてしまったが、それぐらいこの作品自分の中で素晴らしいものなのである

そしてこの20thの系列にあたるドラマCDも発売されていた。

今までそう言うたぐいのものは買ったことがなかったのだが、自分はこのぷよぷよというシリーズキャラクターストーリーの魅力をより感じていたこから、正直財布には厳しかったが購入することにした。

自分所謂魔導キャラアルルコンパイル時代からキャラが好きだったので、彼女らがメインのvol.1を買った。

結論から言うと、とても面白かった。

20thと同じライターによって、それもゲームに比べると少し高めの年齢(おそらく中高生以上)を対象に書かれたというそ物語は、正直ゲームより聞きやすかった(セリフを読むスピードゆっくりでなくなっているからだろうか)。

また、当時自分特定カップリングに興味を持っていたので、供給にもなり得るシーンもあった(しかあくまでもフワッと匂わせる程度で、基本的キャラクター関係が変わる事は無い)事もあり、さら満足度が高かった。

そんな事もあって、次回作は記念作ではないだろうからボリューム等は落ちるかもしれないが、とても期待できると思っていたのだ。

ところで、少し時系列が前に戻るが、ぷよぷよシリーズにハマりたての頃、ドラマCDを買う前に「ぷよぷよ!!クエスト」が発表され、リリースされた。

発表された当初、自分は大いに喜んでいた。

特にパズル"RPG"という単語は、魔導物語を知った自分にはとても魅力的だった。

たとえパズルと書いていようとも、RPGとなればキャラクターが戦い、ストーリーがある!パズルというある種平等(実際には性能差はあるが)な性能でなく、各キャラクター個性のある性能がつけられる!…そう思っていたのだ。

今思えば、それは空回りする期待である事がわかるのだが。

ただ結果として、そのような事は決してなかった事、そしてゲームシステムが運の要素が強い上に"ぷよぷよ"の技術があまり反映されないゲーム性は自分にとって"期待はずれ"だった。

さらに、自分はこのぷよクエという"スマホアプリ"に大いに期待を抱いていた。

ぷよぷよというジャンルは、マイナーではないが、メジャーでもない、という微妙立ち位置である

それはセガ特に15th以降の"子供向け路線"も原因しているだろうか、とも思えるが。

ただパズドラがすでにヒットしていた時代スマホアプリという"これから時代が来る"であろう舞台ぷよぷよが出てきた事が嬉しかった。

記憶では、スマホに参入したゲームシリーズはまだ少なかったはずだ。

そして、これでぷよぷよシリーズ知名度が上がり、人気作品になるんじゃないか、と。

しかし、この期待も見事にはずれてしまう事はまた後で言及する。

ただ、このように不満な点はあったものの、まだこの頃はパプリスや妖精はいものオリキャラに溢れていた、というほどではなかったし、アルルはいないものの、他の魔導キャラが復活してきたり…という事もあって、好意的に見る事ができてはいた。

そして、20thの次回作ぷよテトが発表された。

あのテトリスとのコラボなら、さらプレイしてくれる人が増えるんじゃないか

まり評判が良くなかった7の後の20thはクオリティに反して数字を残せなかったらしいが、あの20thの後の作品なら、今度は…とまた期待した。

さらに、シナリオライターは20th、ドラマCDを手がけた人が続投するとも知って、安心感も覚えた。

実際に発売されると、1番気になったのは"ゲームとしての遊びやすさ"が失われていた事である

このぷよテト、起動してメニュー画面を出したのだが、それが20thまでと大きく変わっている。

具体的に説明するとなると長くなる上、適切に表現できるかわからないので、結論から言うが、無駄な動きが多くて使いづらい。

15th〜20thのメニュー画面は実にシンプルで、

ひとりで、みんなで、Wi-Fi…など文字の書いてあるアイコンが並んでいて、ポンポン進むのだが、ぷよテトのメニュー無駄な画面効果スライドがあって、なんとなくモタモタする。

その他にも、

3DSではCOMとの4人対戦ができない。

VSの次にメインであろうルールスワップが余裕で処理落ちする。

前作は実質30キャラいたのに減っている。

連鎖カットバリエーションが実質7以下。

…などなど、20thの時にはなかった不満点がいくつか出てきた。

ただ、メニューの動きのモッサリ感以外はぷよぷよテトリスという違うパズルゲームを2つ搭載しているせいもあるのかな、と個人的には思っていた。

ストーリーも、全員がストーリーを持っていた20th、つまりお祭り作品と違い、1本道なので出番の偏りはしょうがないのかな、と思っていたし、

自分としてはりんごメインだった事も、おかしいとは思わなかった。

なぜなら一応3人とも出ているとはいえ、本来ならばアルルアミティりんご、と主人公バトンタッチされているイメージだったかである

"ぷよぷよの"お祭り作品でもないし、一応最新の主人公であるりんごがメインである事に、違和感は感じなかった。

ただ、確か当時の購入特典がぷよクエにおけるアルルカードだった事は本編と違うのでは?と疑問に思った。

これで本編もアルルが中心なら納得いくのだが、いくらアルルが人気であろうと、ここはりんごを出すべきじゃないか、と。

ただストーリー自体普通に安定して楽しむ事ができた。

ライターさんが設定を考えたというテトリス側のキャラは、これで終わらせるのはもったいないとも思った。

ぷよテトから数ヶ月後、つばさ文庫での小説が発売された。

これの作者も20thからライターさんだった。

よって安定したキャラクターで、ドラマCDに近いストーリーを楽しめるシリーズになっていった。

また、ゲーム本編でサタンエコロという厄介者相手をするアルルりんごに対し、少しストーリー上で目立ちにくくなってきていたアミティ主人公に捉えたのも、バランスとしていいと思った(また、その2人を見る語り手としても適しているようにも思える)。

第1弾こそフィーバーキャラばかりだったが、その後いろいろなキャラが登場した。

しかし、メインがどうしても3A…アルルアミティりんごなので、普段からこの3人は"いつも"一緒にいる事になっている。

個人的には"急に"そうなった感じがしたので、小説版だから、と思っていたかった。

このぷよテトからぷよクロへの間は、小説ドラマCDがボソボソと出ていたものの、公式のメインはもっぱらぷよクエだった。

この頃になると、ぷよクエはもはや「誰だお前」の巣窟と化していた。

イベントキャラだと言われて堂々登場する知らないキャラ達。に対して、どんどん影の薄くなっていくぷよぷよキャラ達。

この頃になると自分はそんなぷよクエにはとっくに呆れていた。

自分がやりたいのは"ぷよぷよ"のアプリであって、知らないキャラクターだらけのアプリじゃない、と。

ぷよぷよパズルが全てではなく、キャラクター達にも魅力があり、その両方があるからこそ面白ゲームなんだ、と考えているからだ。

そして"ぷよぷよ"シリーズ生放送ぷよクエの話ばかり、という状況にも疑問が浮かぶ

いくら本家ぷよぷよがそんなポンポン出せるものじゃなくて、アプリは常に動いているものだとしても、"ぷよぷよシリーズ"としての本家蔑ろにされているのではないかと思うぐらいにぷよクエだらけだった。

それも知らない、ストーリーすらないキャラばかり。

自分含め、本家の"新作はまだか"という声が度々上がっていた。

さらに極端、いやむしろ的外れな「ライト向け」志向がどんどん進められていった。

25周年のアニバーサリーブックは驚きの薄さ。

版権問題上、コンパイル時代情報が少なくなってしまったとしてもそれは仕方ないと思うが、それにしても薄い。

自分は様子見をしていたが、情報によると裏話や裏設定などの記載はなく、ただ当たり前の基本設定の事しか書いていない。

それをわざわざいい値段で買う気にはなれなかった。

144ページで3700円ほどでその程度の内容はあまりにも馬鹿馬鹿しい。

(参考程度に、200ページ超えの復刻版魔導大全が定価3700円である

その内容の薄さで満足できるのは本当にライト…いや、ライトユーザーですら薄く感じるのではないだろうか。

25周年なのに新作は出ないのか出ないのかと思っていると、そこで「ぷよぷよクロニクル」の情報が出てきた。

3D化されていたのは驚いたが、出来が悪いわけでもなく、今まで停止絵を動かしていたのが、滑らかに動くのだと思うと楽しみだった。

そしてジャンルが「パズルRPG」。

一瞬、ぷよクエ移植なんていう、本家を食い潰す策をやってくるんじゃないかと思いましたが、そんな事はなく、本家ぷよぷよRPGをするという。

コンパイル最後の「ぷよBOX」にも「ぷよぷよクエスト」という、戦闘ぷよぷよ、というモードを思い出したりもした。

マップを走り回ったりと、かなりRPGっぽく、同時にストーリーにも気合が入れられるんじゃないか、とも思って期待した。

それに、20thと同じ、記念作である

ファミ通レビュー8×4=32を記録。

今度こそ…と。

しかし、それは甘かった。

というか、期待なんてするべきじゃなかったのだ。

蓋を開けてみると、ぷよテトの悪かった部分をほぼ受け継ぎ、仮にもDS用に開発された20thから進化した部分がほとんどない、という完全劣化

RPGモードは大々的に推しておきながらあまりボリューム不足。

雑魚戦闘のだるさ、マップの仕掛けのだるさ。

そもそもシステム自体だるい

ゲーム性としてはほぼ死んでいたと言っても過言ではない。

いくらパズルの処理をしながらとはいえ、2人対戦なら動くカットインが、4人対戦では停止絵。

そして前作から続く謎のキャラクター24人縛り…

そんな感じでも、自分は新作である、新しいストーリーが来た、というモチベーションRPGモードクリアした。

それからすぐは、達成感や満足感はあった。

…のだが、それも一時の話。

時間が経ち、冷静になるにつれて、このゲームいか問題か、実感するようになった。

上に挙げたシステム面はもちろん、ストーリーにも大いに問題があったのである

実は、今作のストーリーについて、プレイから不安は感じていた。

20thからライターさんの反応が無かったのである

一応、発売年の始めの小説(第4弾)も書いていたから、もうある程度固定してくれたのか、と思っていた

その一方、ぷよクエ側にも漫才デモ的な会話が導入され、それは明らかに違う人が書いているだろう事、上記小説と同時期に発売されたドラマCDvol.6は違う人が書いた話があるらしく、その上全体を通すと以前ほど面白くなかった事から不安も感じていた。

その悪い予感は的中してしまった。

念のため、自分の目で確かめたが、このゲームスタッフロールで、シナリオに20thからの人の名前は無く、違う人の名前があった。

ここまで言うと、その後続の人に失礼かな、とも思うのだが、明らかにシナリオの質が下がってしまっていた。

わかりやすものでいえば、新キャラアリィを描ききれておらず、薄っぺらキャラクターになってしまっていた事。

"勇者"として宣伝されたアルルに20th以降アミティとの差別化から描写されていた勇ましさが全然ない事。

アリィ以外のキャラクターまでも薄くなっていた事。

↑に関連して、「いつも通り」ばかりを意識したのか、キャラクターの行動があまりにも単純化していた事。

特にこの件に対しては、ドラコことドラコケンタウロスに驚いた。

"美少女コンテスト"にこだわる彼女であるが、流石に

ラスボス突入直前に美少女コンテスト発言」はあまりにもストーリー無視がひどかった。

彼女別にこれまでの話を何も聞いていなかった、というわけではないのに、だ。

また、作中で登場する"アイウエ状態"に関しても説明は一切無し。

その後の展開からして、

"本来変態ではないのに言い間違いのせいでヘンタイと呼ばれてしまう"シェゾを本物の変態にするための描写にも思えてしまう。

また、アミティが、率直に言うと"いやらしい"想像をするキャラにもされている。

これは一部の例だが、キャラクター単純化、時には無駄に"おバカ化"し、酷ければ一種キャラ崩壊を起こしている。

一応、過去小ネタを拾っていたり、少なくとも20th以降の安定した"雰囲気は"受け継がれていたのは良かったのだが、こうして全体を見ると良かったとはとてもじゃないが言えない。

そもそもアルル勇者であった意味が全くもってない。

サタン絡み程度なら別に"アルル勇者"だということを強調する必要もない。

また、主役はアルルのはずが、またりんご達の出番が多すぎ、という批判を見た。

そもそもりんご達がぷよぷよシリーズにおいていらない、という意見もいくつか見たが、ここまで来るとそのりんご達が可哀想である

自分キャラクター自体が悪いのではなく、あまりにも公式りんご達7キャラの扱いが下手なのが悪い、と感じるからだ。

ストーリーに関しては、ぷよクロ発売から半年後のアリィが登場する小説が追い打ちをかけた。

この小説は20thからライターさんが書いたものだが、いくらゲーム小説という違いがあるとはいえ、

物語としては小説版の方がしっかりしている。

アリィというキャラクターゲームとは設定が違うものの、描かれている。

それもぷよクロは例の子供向け志向が過剰になって、セリフの読み上げも遅くてたまらないが、一応、一応子供以上の人もプレイすることが考えられているのだろう。

小説児童文庫…一応本当に子供向けに絞ったストーリーの方が納得できるとはどういう事なのだろうか。

また小説版はあくまでもアミティが主役のシリーズなので、勇者アミティオリジナルストーリーとなっているが、つまりは"アルル勇者"であったゲームぷよクロの補足にもならない。

そして、ストーリーの質が明ら このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2018-07-31

窪田順生の文章まじやばくね?

http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1807/31/news053_2.html

なんというひどい文章だ。

もともと日本人というのは、よその国の人よりも嫉妬深いのである

これはなにも筆者がフィーリングで述べたことではない。お札にもなっているほど、近代日本最大の啓蒙家がそうおっしゃっているのだ。

そう、福沢諭吉である

学校の授業でも必ず習う「学問のすゝめ」のなかで、福沢諭吉人間が生きていくうえでもっとも害となるのは「怨望(えんぼう)」とした。これは、他人と比べて自分を不満に思い、自分を高めずに他人を引きずり下ろそうという陰湿な心でここから猜疑や恐怖、卑劣が生じるとした。要は、「嫉妬である

 そして、この「怨望」の分かりやすい例として、「大名御殿女中」をあげた。ドラマ映画になった『大奥』を思い浮かべていただければ分かるが、「御殿」のなかで殿様にかわいがられた女中というのは、周囲からすさまじい「いじめ」に合う。私よりブスのくせになんであの女が。どうせ汚い手をつかって取り入ったのに決まっている。剛力さんが女性たちからボロカスに言われるのとまったく同じ構造だ。

 そして、注目すべきは福沢諭吉がこのような日本人の「怨望カルチャー」を以下のように総括していることだ。

 「試みに英亜諸国の有様と我日本の有様とを比較して、その人間交際において孰かよく彼の御殿の如きを脱したるやと問う者あらば、余輩は今の日本を目して全く御殿に異ならずというには非ざれども、その境界を去るの遠近を論ずれば、日本はなおこれに近く、英亜諸国はこれを去ること遠しと言わざるを得ず」(岩波文庫 P120)

 なんのこっちゃという人のために要約すると、日本人はよその国と比べて嫉妬深いと言っているのだ。

もうちょっとわかりやすく抜き出すと。

もともと日本人というのは、よその国の人よりも嫉妬深いのである

これはなにも筆者がフィーリングで述べたことではない。近代日本最大の啓蒙家がそうおっしゃっているのだ。そう、福沢諭吉である

学問のすゝめ」のなかで福沢諭吉人間が生きていくうえでもっとも害となるのは「怨望(えんぼう)」とした。これは、他人と比べて自分を不満に思い、自分を高めずに他人を引きずり下ろそうという陰湿な心でここから猜疑や恐怖、卑劣が生じるとした。要は、「嫉妬である。そして、この「怨望」の分かりやすい例として、「大名御殿女中」をあげた。

そして、注目すべきは福沢諭吉がこのような日本人の「怨望カルチャー」を以下のように総括していることだ。

「試みに英亜諸国の有様と我日本の有様とを比較して、その人間交際において孰かよく彼の御殿の如きを脱したるやと問う者あらば、余輩は今の日本を目して全く御殿に異ならずというには非ざれども、その境界を去るの遠近を論ずれば、日本はなおこれに近く、英亜諸国はこれを去ること遠しと言わざるを得ず」(岩波文庫 P120)

なんのこっちゃという人のために要約すると、日本人はよその国と比べて嫉妬深いと言っているのだ。

ちょっとひどすぎませんかね。

なんのこっちゃという人のために要約すると、

日本人嫉妬深い。これは福沢諭吉も言っている。

福沢諭吉はこう書いている。ムニャムニャ。

・これは要約すると、日本人はよその国と比べて嫉妬深いと言っているのだ。

二行目から説明にまったく意味が無い!

というかこの人全体的に文章無駄が多すぎ!!!!!

しかも何だよこの文章

これはなにも筆者がフィーリングで述べたことではない。お札にもなっているほど、近代日本最大の啓蒙家がそうおっしゃっているのだ。

他にも、筆者の独りよがり記述が多すぎる。文章書き手として余計な記述が多すぎる。

よくわからんクレーマーもどきの読者を想定しているのだろうけれど、そっちばかり向いていて、興味がある人にとって非常に読みにくいし

なによりもそういうこころあたりが無い人間からしたら、厄介者されて不快なのである

「ここまで読んだら不快になった、謝罪しろ!」「そんなに日本が嫌なら今すぐ日本から出ていけ!」といった怒りの声が飛んできそうだが

「そんなの福沢諭吉妄想だろ! 日本人ほど他人に優してく、寛容な心をもつ民族世界を見渡してもそういないぞ!」という怒りの反論が聞こえてきそうだが

理論武装をするのは立派なことだが、その武装をいちいちひけらかすのはチンピラっぽいのである

読者に威圧感を与えながら文章書くなよ。



読者に合わせる努力が無さ過ぎる。

内容についてはあえてスルーするが、まず文章がひどいと読む気なくすから! 読んでも不愉快な気分で読んでるとわけもなく否定したくなるから

頼むからもうちょっとまともな文章書いて!おねがい

2018-07-13

anond:20180713091929

巨人全国的な人気があるけど、阪神はそうではないからなぁ。

厄介者押し付け合いになります

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