はてなキーワード: フランス料理とは
厳密にいえば1泊2万円の夕食がオーナーによるコース料理だった。
前菜がウニのプリンになんとかジュレが乗っかっていて、それを見た時僕の中のネット民達が「草」と嘲笑していたが、食べてみてその美味さに涙ぐんでしまい、次のわけのわからない名前の料理や、メインの肉も、今まで食べてきた料理とは次元が違うものだった。
そんなわけで冬のボーナスで1人2、3万円位のコース料理を都内で食べようと考えているが、どの店を選んでいいのか絶賛悩んでいる。
ぶっちゃっけイタリア料理でもフランス料理でもなんでもいいが、失敗だけはしたくない。
でも2万円以上出して不味い料理を出す店なんてあるのか…?
舌に合わないはあるだろうけど。
前にフランス料理屋で出たムール貝のバター焼きだか蒸しだかがえらい美味かった記憶がある。モンサンミッシェルのやつだとか言ってた。
おれは加熱したホタテの貝柱を覗いて貝嫌いだけど、それは例外的に美味しく感じられた。
今日ファミレスでなんとなくムール貝の酒蒸しが目に留まった。ふと以前のことを思い出して、前に知った貝殻を使って身をつまみ出す小技もやってみたくなったんで頼んでみた。
一口食ってこれは違うと思った。以前は感じなかったはずの、おれの嫌いな貝特有の内臓っぽさが強い。あと貝殻からなんか釣り場の臭いがする。調理でそれらがいい塩梅になってる感じもない。
味覚には明確な優劣がある。高いものは手間がかかり希少であり、概して高い。口にすれば好き嫌いを超えて誰もを唸らせる「本物」がこの世には存在する。
おれはそういう美味しんぼ的世界観は採用せずに生きてるけど、ちょっとブレそうになった。エスカルゴも興味あるけどサイゼでファーストコンタクトを迎えるのはやめとこ。
まあ巷で気軽に食えるムール貝が偽物だなんて事はないだろうし、おれの嫌いな部分とてムール貝のアイデンティティの一つなんだろうと思う。それが逆に好みなんだという人もいるのだろうし、そこだけを除去して「本物」だなんて呼ぶのも違う。ムール貝とはそういうもんなのかもしれない。
おれはやはり貝が嫌いなんだと思った。
東京のカスヤローどもが、「アテクシ、美術館とライヴのない生活は無理でしてよ!」とか抜かしてんのを見ると、なんかスゲ〜ムカつくので、じゃあ家の周りに美術館がねえこの俺が、キサマより美術や音楽に詳しくなったるわ!という気持ちをもってのことです
やり方については詳述しねえ
詳しくは言えねえけど、ある海外人気の高い大型SNS(って言ったらもう分かりそうだけど…)で、美術とか食とか旅行とか写真みたいな、そういう徳の高いコミュニティ(5chでいうところの板みたいなものがメインのSNSなので、タイムラインを個人ではなくジャンルで作ることになる)をまとめたフィードを作って、それを毎日みる
カザフスタンの旅行写真とか、デトロイトスタイル・ピザとか、マックスフィールド・パリッシュの絵とか、Coq au vinっつうカッコいい上にうまそうなフランス料理とか、そういうものの知識が毎日流し込まれる
マックスフィールド・パリッシュの絵なんか、実際結構気に入った 名前を覚えるくらいに気に入った
冬の風景画の、明朝の深い青色の空の感じが非常に「わかる」感じで、大変よろしい
こういう風景、実際に目にして感動して、あとで見返そうと思って写真にとっても、ぜんぜん感動を切り取れないんだよな
絵で味わえるのはホントにありがてえ
今日見た中だと、秘密ですよ、Alex Colvilleという人のPacificって絵、これがマジで超カッコよかった
オーシャンビューの、開放的で生活感のない部屋で、上半身裸の男が気だるげに海を見ている、のを後ろから見ているって絵なんだけど、なんといっても手前の机にぽつんと置かれた拳銃が目を惹く
この銃はなんなのか、既に使われたのか、これから使うのか?男は何者なのか?何を思っているのか?
男の方から上がフレームアウトしていて、表情なんかがまったく伺えないのもシブい
この絵にインスピレーションを受けた映画があるっていうのも頷ける話だ これはカッコいいよ
いい絵を見ましたねえ!
実際、旅先で美術館行っても、あーこれモネなんだあ、モネって誰だっけ?マネと関係あるんだっけ?とか思って、ただ見たって事実に満足してしまって、画家のこととか個別の絵のエピソードなんて全然覚えないことが多い
まあそれはそれで贅沢なことで、非常に文化的であることは否定できねえが、しかし、東京野郎がそうしている間に俺は俺の組み上げた電子美術館で文化資本を積み上げていくぞ
そんで、東京から来たんスよ、とのたまう野郎のTシャツを見て言うんですよ、「あれ?この絵ってコルヴィルの"パシフィック"じゃないですか!カッコいいですよねえ」とかってさあ!「えっ…ああ、このシャツですか?へー…そんな名前の絵なんだ、気にしてなかった」「あら、そうなんですか?残念、マイケル・マン監督がお好きだったりするのかなと思ったんですけど!」
ウゼー 書いてて嫌になってきた
こんな瞬間は訪れなくていいんだけど、しかし、カードとして切れるものが増えるのは嬉しい
カードとして切るっつうのはなにもマウントを取るだけのことじゃねえ 適当に行った美術館で偶然見かけた絵の青色に見覚えがあって、これはパリッシュ・ブルーなんじゃねえの?!と思って作者名を見たら実際にそうで、ヨッシャ〜とか小声で言って、だれに共有するでもなく、ただマスクの下でニヤつきながら観光を続行、そういう瞬間に俺のもつカードは確かに切られているということになる
東京人の定義が金満家的に秀でた資本力だとすれば、「東京人な買い方」とはどういうものなのでしょうか?
また、東京人が必ずしも金満家であるとは限らないが、東京人はほぼ東京でしか買わないという意味で金満家と言えるというようなことを閃いたのですが、その場合金満家でない東京人は金満家に比べて商品やその内容、あるいは理解できる買い手が高級、金満家の方はカネにあかせて買い占める下衆というということになってしまうのでしょうか?
このようなことを言っている人がいました。
「「東京人」「けったくそわるい地方差別者」は似ていますが、「東京人」であってもとくに差別的にコメントしていなければ、「けったくそわるい地方差別者」とは言いません。
たとえばフランス料理とかイングリッシュ・ガーデンについて、ものすごく詳しく書かれてはいるけれど、著者が学者ではなく書き方も学術的でないような場合です。」ヨクワカンネーナー
この文章にならっていうなら、たとえば(フランス)料理のレシピ・製法についてけったくそわるい地方差別者の体裁で書くことは可能なのかということです。
もちろん元増田のエントリへの反応など差別臭を正義感的な立場で捉えることはできるでしょう。
でも一流のレスバトル人同士で情報を共有する方法として「差別的に書かれる」というのは共有することができるのかが疑問です。
そこにはきっと東京人だからこそ納得できる経験的な記述や精神論的なけったくそわるい気構えも書かれていると思うのですが、少なくともこれらはどうやっても東京人以外には書きようがないものな気がするのです。また全体として紳士的に書いても、私のイメージとしてはいたずらに小難しくさせるだけであって、かえって地方在住者にとってのけったくそわるい東京人の本質を伝えることの妨げににしかならないように思えるのです。
改めて質問ですが、「東京人でありながら紳士的に書く」とは具体的にどのような書き方なのでしょうか?一流の料理のレシピ製法などといった類の題材にも馴染みうるフォーマットなのでしょうか?またありとあらゆる分野において、金満家ではないが詳しく書かれたものより、学術的に詳しく書かれたものの方が高度な内容ということになるのでしょうか?
料理人もそうですが職人の世界において、いかに真髄に近いものが書かれているかということに高度かどうかの基準を置くなら、必ずしも学術的な書き方のほうがそうでない書き方よりも真髄に近いものを伝えられるとは思えないのです。ナニユウトルカモウワカラヘンデー
学術書の定義が学術的に書かれた本だとすれば、「学術的な書き方」とはどういうものなのでしょうか?
また、専門書が必ずしも学術書であるとは限らないが、学術書はほぼ専門家しか読まないという意味で専門書と言えるというようなことを聞いたのですが、その場合学術書でない専門書は学術書に比べて書き手やその内容、あるいは理解できる読者が低級、学術書の方が高度というということになってしまうのでしょうか?
このようなことを言っている人がいました。
「「専門書」「学術書」は似ていますが、「専門書」であってもとくに学術的に書かれていなければ、「学術書」とは言いません。
たとえばフランス料理とかイングリッシュ・ガーデンについて、ものすごく詳しく書かれてはいるけれど、著者が学者ではなく書き方も学術的でないような場合です。」
この文章にならっていうなら、たとえば(フランス)料理のレシピ・製法について学術書の体裁で書くことは可能なのかということです。
もちろんメイラード反応など料理を化学的な立場で捉えることはできるでしょう。
でも一流の料理人同士で情報を共有する方法として「学術的に書かれる」というのは想定することができるのかが疑問です。
そこにはきっと料理人だからこそ納得できる経験的な記述や精神論的な気構えも書かれていると思うのですが、少なくともこれらはどうやっても学術的には書きようがないものな気がするのです。また全体として学術的に書いても、私のイメージとしてはいたずらに小難しくさせるだけであって、かえって両人にとっての料理の本質を伝えることの妨げににしかならないように思えるのです。
改めて質問ですが、「学術的に書く」とは具体的にどのような書き方なのでしょうか?一流の料理のレシピ製法などといった類の題材にも馴染みうるフォーマットなのでしょうか?またありとあらゆる分野において、学術的ではないが詳しく書かれたものより、学術的に詳しく書かれたものの方が高度な内容ということになるのでしょうか?
料理人もそうですが職人の世界において、いかに真髄に近いものが書かれているかということに高度かどうかの基準を置くなら、必ずしも学術的な書き方のほうがそうでない書き方よりも真髄に近いものを伝えられるとは思えないのです。
なるほどフランス料理には多種多様の味付けがあるのかもしれない。もしかしたら知能が高いのかもしれない。
なぜだろうか?そもそも出汁とはうま味を与える調味料であって、フランス人はうま味をついに発見できなかった。すなわち、和食では6味の配合を変えることで味付けをしている。これに対しフランス料理では5味となる。普段の料理をする中で、たとえば塩味調味料を全く使わないで料理することが想像すらできないように、うま味だけを除くということも想像できない。フランス料理は、うま味調味料ナシという制限の中で頭を使ってうまく工夫していると言えなくもないが、いかんせん彼らの味覚には欠陥があるのだから、彼らの作るものもまた欠陥をもつ。三つ星レストランよりも吉牛の方がしばしばうまいのは、文字通り別次元の存在だからなのだ。
中国ではうま味を加えるために、出汁の代わりに味の素を使うようになっている。味の素はコスパ最高だから、躊躇なく味の素を使う中華料理は、出汁一辺倒の和食よりも知能が高いかもしれない。
父が死んだ。葬式もした。
喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。
父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである。
父は1940年代生まれの日本人男性である。出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎町である。
6番目の息子である。工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。
(おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライである。いじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)
工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学系メーカーに就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。
職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学の化学科に進学した。
学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である。
趣味は登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生でもっともイケイケだった時代かもしれない)
そこで一学年年上にあたる女性と出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人で笑顔が気さくだった。
怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。
話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。
1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎の大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。
父は卒業後化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社の腰かけ事務職」をして寿退社。初任給で洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。
二人は親へ挨拶をすませ神前式で結婚式をあげた。新婚旅行(国内)ではパンタロンにネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。
1970年代。m市の社宅に二人暮らしで妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行も出産も一応カラーだ)
夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。
(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)
二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このときは増田も母実家に連れていかれた。
このころ叔父が浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父はマンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田に学研の漫画の植物百科を買ってくれた。
三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)
というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許か論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。
というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。
だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。
(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人の男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコも容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)
そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、
そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスがアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。
とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。
まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。
そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計し現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。
(このへんで、のこり全部の西にいる親類から「東京の叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博やディズニーランド、成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)
お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。
そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親と喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、
母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。
子供が「いやもう自分は大人だから口出しをするな、するなら人生の最後まで口出しする覚悟をしろ。恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、
父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。
その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。
子供を教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである。教育となったら教育だけをするのだ。
「もういいから子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。
しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。
庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。
父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。
(ほかにもファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らし」イメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。
今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。
学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)
母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。
ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。
父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。
幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。
郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス(建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。
手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。
そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。
ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。
母にとっては子供は庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。
母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。
Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。
母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。
「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、
それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当な理由がつけられ、反省書となった。
反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。
まるで自首後の犯人に動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。
この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。
あるときなど増田が呼び出されて母と東京のカフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである。
どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。
増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。
ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときょときょとしながら口をはさむ隙を探す。
やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。
カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときにニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである。
増田は遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである。
理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。
後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしはケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!
父は平謝りするしかなかったらしい。
でもその場で諭そうにも耳も悪い。
「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。
もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである。
補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。
それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。
子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。
でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田ら子供たちに直接説得も試みた。
ところが増田も子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯(業務用)に電話をかけることがつづいたのである。
運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。
このことは増田に子供の送迎がいらなくなりガラケーとアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときにブロックは解除した)が
半ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟や増田の伴侶に「増田ちゃんがわたしをブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。
父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。
父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。
酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。
母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである。
ほかにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。
なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。
途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院や介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。
父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。
母親の認識は古くて「介護=認知症=施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、
父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。
まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在はチバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。
母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田にドライに告げたので増田は市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。
実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。
父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。
頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。
ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人で介護をうけることにして解決となった。
他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。
ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。
コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、
ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。
母はユーチューブをおぼえた。
コロナワクチンはふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である。
増田の残りの二人の兄弟も子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。
そうして2*年の闘病、*年の介護認定と酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。
母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田は葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。
父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式の相談のあとにも爆発した。
かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快な事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、
母はいますぐ資金をすべて自分の口座に動かそうというのである。
それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。
今すぐにでもATMにいってお金をおろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたから葬式費用ではない。)
なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単だからのぞんでいたんでしょう。
下手だと分かったうえで読んでいた場合ならまだ問題ないのだが、下手だとかつゆも思わず夢中で読んでしまっていた物に対して下手と書いてあるときがやばい。
下手な絵をまるで上手い絵を見ているかのように鑑賞してしまうようなことっていうのは恥ずべきことなんじゃないかと思うからだ。目が人より劣っているというか。
これって恥ずかしいことなのかと知恵袋で訊いたとき「身の丈に合った漫画を読めばいい」という回答があってグサッと来た。
やっぱ漫画あるいは絵には確かな上手さ下手さという点での上下があって、そして消費する側には上手さ下手さを見極める能力としての上下があるっていうのを「身の丈」って言葉が象徴しているように思える。
自分が「ああこいつ味音痴だから安い物食わせとけばいい」って言われるような存在なんだとしたらやはりショックを受ける。
自分の持論は矛盾めいているが、上手下手の上下がある一方で、何を上手か下手かとみなすかの受け手の受け取り方に上下は無い、と思ってる。
数学で言えば公理ごとに数の大小関係は定まるが、公理が変わればその大小関係は変わり得るもので、しかもその公理間に上下はないって感じか。
でもやっぱりこんなのは自分の目が肥えてないという事実に目を背ける方便のように感じてならない。
逆転裁判3のまずいフランス料理を食ったイトノコのように、「下手」というレビューを見て、いわれてみればそうだなと納得することも確かにある。
ただ最近とかだとなろうのコミカライズには自分には絵が似たり寄ったりに感じるものが多く、そのなかで自分が読んだ作品のうち片や一方には絵が上手いといったレビューがついてる傾向があって、片や一方には下手といったレビューがついてる傾向があるのを見つけたことがある場合なんかでは、何が違うっていうんだろうってしっくり来ない気持ちが強くなる。
下手と判断する根拠を並べ立ててるレビューもあるが、やっぱりしっくり来ないことがあるというか、善意に受け取ろうにも、それっぽく言って煙に巻いてるだけじゃねみたいに思うのがせいぜいなことがある。どうしてもそのレビューと首っ引きで漫画を読んでみるとかしても、レビューの通りである、レビューの通りにしか評価できないかどうかってことについては腑に落ちなくなるというか。パースのようなものなら定量的に評価できるかもしれないが、具体的にパースが何cm狂ってるみたいなのを図解付きで言ってるレビューにはさすがにあまりお目にかからないし。
そもそも絵の上手下手は多分アカデッミックな意味で定義規定されるものだと思うけど、こういうのは多分商業においては人に良く評価されるための、創作者が志すべき道標のようなものであって、目的ではないと思う。
目的はあくまで漫画を楽しく読んでもらえることにあるのであって、アカデミックな視点で見ればろくに絵の基礎を積んでないような漫画であっても、ある人に刺さってしまったなら、それが味音痴みたいな人間として取るに足らない存在だったとしても、そういう人がたくさんいる社会においてなら結局その漫画は売れてしまうし、結果オーライでしかないと思うし、誰も損してないと思うというか。
炎柱にぐるぐるまつわりついて「一生ついて行きます兄貴ぃ」とか言ってた三馬鹿の一コマは明らかに味だとか擁護できない下手さだと言ってる人がいるが、別に個人的にはギャグの一コマとして受け取ってた自分としては当時読んでた時全く下手とかみたいなことは思わなかったなーって。