はてなキーワード: 鉄棒とは
日経新聞が買い物難民を「自宅からスーパーやコンビニまで500m以上あり車の利用が困難な65歳以上の人」としていたがそのくらいは歩けばいいのでは? - Togetter
それも長時間
俺は庭の草抜きだけでへばるんだが、草抜いたり緑の鉄棒刺したり種巻いたりいろいろやってる
今の65歳以上の年代はネットに疎くて家でゴロゴロしててもやること無いからな
しょっちゅう動いてる
動けなくなるのはだいたい70後半からだ
田舎のじじばばは畑で野菜作るだけじゃなくて、山に入って山菜も取ってくるからな
今の時期ならたけのことか蕨とかな
都民は美術館に山菜の展示がなかったから存在も旬の時期も知らないかもしれないけどな
雑草一つとっても季節の移り変わりが楽しめるってもんだろう
住宅街を歩いても天気のいい日は庭いじりする人がいるからどんなことやってるのかなーと横目で観れるし
雨が降れば雨音も楽しめる
だいたい田舎暮らしで「車通りが多い道」と「徒歩に向いた道」の区別もつかないなんてありえるかよ
店がある通りなんて一部だろうが
人口1万人あたりの死亡者数でもうちの市より東京の◯◯区や横浜とかの方が数値高いからな
可処分所得も見ずに「地方も金がかかる。都会と変わらないー」とか
美術館の数は長野県が一番なのに「文化資本!美術館!!」しか言わねーし
どーこにも老人に優しい要素ないぞ東京は
https://www.hs.fi/kaupunki/art-2000002771532.html
これは体育の男女別学を訴える記事で、女子はスパッツもいればレオタードもいる。
レオタードが今でもみられるのはハンガリーくらいだと思っていたので興味深い。
https://www.iltalehti.fi/suomi100/a/201701172200055114
この記事の冒頭では50年代の体操クラスの女性が、ブルマーかごく短い短パンをはいているのを確認できる。
https://www.finna.fi/Record/musketti.M012:HK19731119:4401
こちらはフィンランドのアーカイブを横断的に検索できるサイトのようである。
https://www.finna.fi/Record/urheilumuseo.167079351879600?sid=4061847380
ショーツ型の紺色ブルマーが1970年代に使われていた明確な証拠だ。
https://skjalasafn.is/fragangur_mynda
ここのアイスランドのアーカイブでは体育の写真は見つからなかった。
今のところ、ジャージとは違う格好で見つけられているのはこちらのアイススケートの授業の写真だ。
https://www.visir.is/g/2012704179945/f/f/skodanir
レオタードみたいで同世代の子はドキドキしないんだろうかと感じる。
とはいえ、ワイセツだと騒ぐやつの心のほうが汚れているのではないかとも思う面もないではない。
どんな格好をしようと当人の勝手であり、それに余計な評価をする方がおかしいというのは、一つの強い哲学ではある。だが、逆に言えばブルマを強制してはいけないってことでもある。
https://www.vikubladid.is/is/frettir/mikill-adstodumunur-a-milli-skola
しかし、こういうバレエみたいな恰好で鉄棒をやっているのを見ると、アイスランドについては謎が一つ増えた気もする。
続きはトラバに。
揶揄のつもりだろうが、すげぇ外している
日本語が読めていない
中身がなくっても対象が好きにはなれるし
情熱も維持できる
問題なのは、対象に関連する事象で自分に中身があるかのように「誤魔化そう」とする場合
他人からの賞賛や、仲間と語らう居場所、そういうのを、対象物を手にすることで得ていた場合
それらで充足を得られていたのに、対象物が好きだから充足していたのだと勘違いする人間がいる
逆上がりをすげぇって言ってもらえるのは小学校低学年くらいだが
大人になってもそれを好きで居て、体操を趣味としている事は出来る
他人から褒められたから、みたいな理由で「好き」だったものに気付かずに大人になる空っぽ人間が大変多いんだよ
そうすると、中学生になったら鉄棒が詰まらなくなった、あんなのが楽しいのは小学生だけw、みたいな勘違い君を産んでしまう
家族は夫一人、未就学児の息子一人、今現在はフルタイムで働いている。
ずっと子どもなんて欲しくなくて、結婚しても欲しくなくて、夫と二人であちこち旅行に行ったり美味しいものを食べたり、楽しく暮らしていた。
子どもがいてもいいかもな、と思ったのは三十代になってから、就職した時からすごく良くしてくれていた上司が倒れて、ふと、このままずっと同じようには暮らしていけないんだなと気づいた時だった。三十代になって年齢的なこともあったんだと思う。先のことを考えた。あと四十年、五十年、生きられるとして、このままどうやってやり過ごして行けばいいんだろう? このまま楽しく暮らしていくことはできると思う。だけど、変わらないことを願いながら生きるにはこの先があまりにも長い。そう思って子どものことを考えた。そしてそう、夫と話をしたら、ちょうど夫も似たようなことを考えているところだった。
そしてなんやかんやで子どもが生まれて、本当に、幸い、運よく元気にすくすく育っている。歩いているのを横で見ているだけで、びっくりするほど掛け値なしに可愛い。
もちろん、心配なことはいっぱいある。この先の日本で大人になるこの子は、大変だと思う。まあ、自分たちの世代くらいまでいなくなったら楽になるかもと楽観的に思ったりもする。ままならないこともたくさんある。喧嘩なんかしたこともなかった夫と喧嘩することもある。保育園に通わせはじめて、自分が「学校」が大嫌いだったことも思い出した。友達の誘いを断るしかなくて、気を遣われているなと思うことがある。大好きだった仕事でも迷惑かけている。風邪ひくことも増えた。自由に辛い物も食べられない。旅行も好き勝手は行けない。
だけど、私は、子どもがいてよかった。
子どもと一緒に道を歩く。保育園の帰りに公園に行く。生えている草を見る。だんごむしを探す。一緒に鉄棒をする。ベランダで星を数える。家で子どもの好きな食べ物を作る。スーパーでたくさん牛乳を買う。どうしても、時折、自分の子供の頃のことを重ねあわせる。母親のことを思い出す。父親のことを思い出す。子供の頃好きだった本のページ。つまみ食いしたご飯。長靴で泥濘を歩く感覚。母親を呼ぶ自分の声。ずっと忘れていたそういうことを一つ一つ思い出すたびに、震える。驚きと、そしてたぶん嬉しいのだと思う。自分は親から、たくさんのものを貰っていたと、やっと気づけた気がする。これは辛い人には辛いことだと思う。だけど私にはとても大事な気づきだった。
十代の頃に読んだドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟の一節を思い出した。
何かよい思い出、とくに子ども時代の、両親といっしょに暮らした時代の思い出ほど、その後の一生にとって大切で、力強くて、健全で、有益なものはないのです。(中略)自分たちが生きていくなかで、そうした思い出をたくさんあつめれば、人は一生、救われるのです。もしも、自分たちの心に、たとえひとつでもよい思い出が残っていれば、いつかはそれがぼくらを救ってくれるのです。
思春期に拗らせていた私と同じように、息子も生まれてこなければよかったと思う日が来るかもしれない。私も子どもの反抗期に泣くかも。大っ嫌いだと言われるかも。何にせよ、ずっと心配し続けるのかもしれない。夫だって同じだ。どうしたってきっと私も最後は一人で死ぬ。
そう言えば、阿佐ヶ谷姉妹の「私たちにとって仕事は思い出作り」という言葉が好きだった。
勝手に言葉を広げてしまうが、生きることも全部思い出作りだとするならば。
私は子供ができたことで、きっとこの先もこの瞬間を思い出して生きていけるだろうと思うことがたくさんできた。夫と息子が笑い合っている写真を何度も見ている。こうした思い出をたくさん集めて、この先も、私は救われるんだと思う。