あんまり覚えてないんだけど、俺は幼年期に同居してる父方の祖母によく外に連れてって貰い、都内のあちこちに連れて行って貰っていたらしい。
年子の弟もいたので、嫁の負担を減らしてあげる心算もあったのだろう。
俺が一つ覚えているのは、祖母と電車に乗って出かけ改札を出かけた時の事だ。祖母が一人で先に改札を抜けてスタスタと先に行ってしまった事があった。「おばあちゃん!」と呼びかけても振り向きもせず、切符の概念も把握も改札のシステムもわからない俺はどうすればいいかわからなかったので、そのまま改札を突っ切り祖母に追いついた。
他にもあちこち連れて行って貰った記憶はあるが、楽しかった記憶というのは正直あまりない。辛かったのか、行きたくなかったのかもよく覚えてない。
俺は愛想だけは良かったので、あちこち祖母について行くお婆ちゃん好きなおばあちゃんっ子だと言われていたので「俺はおばあちゃん好きなおばあちゃん子なのか〜」と当時は刷り込まれていたが、気づいた時には祖母のことはどちらかと言えば好きではなかった。同居家族としての割切りと諦念があった。こういう事を言うのもあれだが、正直に言って尊敬できる所を探すほうが難しかった。俺が歳を重ね、比較対象となる大人が増えていく度に、祖母のデリカシーの無さや常識の無さ、相手の気持ちに立って考える事が出来ない思慮の無さや軽薄さ、衝動で動く計画性の無さ、被害妄想に由来する攻撃性の高さ、感情の起伏の激しさなどが浮き彫りになって行き、悪い所ばかり目につくようになった。
俺は母方の祖母が寡黙で勤勉で優しくて好きだったし、母方の祖父は村一番の頑固者で難しい人だったが尊敬できる所もちゃんとあった。父方の祖母が好きではなくなったのはいつからなんだろう。小さい頃はよく出かけてたよな……とぼんやりと思うことはあったが、正直どうでも良かったのであんまり考えた事も無かった。
そんな祖母もボケだした。実の親なのにノータッチな父(休みの日は酒のんでヤニ食って寝てるだけなので祖母からの呼びかけもガン無視、家のことは何一つやらない)と、ボケは甘えだと思ってる弟(祖母の呼びかけに対しても「なにいってんのかわけわかんねえよ」と足蹴にし、家のことは何一つやらない)は我関せず。母はパートをしながらわけのわからんことを言い続ける祖母の世話をしていて顔色を一つ変えず明るく振る舞っていたが、俺はこのままでは母が潰れると思い、実家に戻って祖母の世話の手伝いをする事にした。祖母は要介護1になっていた。「実母の世話もしない旦那なんて見切りつけてさっさと離婚しても誰も文句言わんよ。カフカの変身みたいにお母さんが居なくなったら残された家族がしっかりしだすかもよ」なんて言いながら、母の溜まりに溜まった愚痴を聞いていた。
そんな中で、母から俺が子供の頃に祖母に外につれてかれていた話を聞かされた。
祖母は俺を人混みに連れて行って、俺を撒いて泣きながら祖母を探す俺を隠れて見る趣味があったらしい。泣きながら「おばあちゃんどこ」と探し回る俺が可愛くてしょうがなかったらしい。母がそれを知った経緯は、父と母と俺の三人で出かけた時に、父が母を連れて俺を撒いて泣いて親を探す光景を母に見せたことがあったそうだ。母は大激怒したらしい。後に祖母も全く同じ事をしていたと知って唖然としたそうだ。
俺はその話を聞いて、改札で俺を置いて先に行く祖母の記憶が、今までの曖昧な感覚が、全てが繋がった気がした。そうか、俺はどこかのタイミングで祖母が嫌いになったんじゃなくて、もともと祖母が好きじゃなかったのか。おばあちゃん子という刷り込みが、小さい頃あちこち出かけていたおぼろげな記憶が、俺の判断を鈍らせていた。なんなら父への不信感や信頼が皆無な事までも繋がった。