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2019-04-16

とりあえずご主人様が欲しい

彼氏がいるけど肉体関係はおろかキスすらしたことがない。というかもう今年に入ってから会ってない。もしかして:もう彼氏じゃない

幼稚園に入る前に変質者に性的イタズラされたせい?で性癖が歪んだ。たぶんそう。きっとここが原因。違ったら泣ける。

よく人に怒られる想像をする。些細なことから怒って当然のことまでいろいろ考える。この人は怒鳴ったらどんな感じかな…と想像する。怒鳴られるのは好きじゃない(はず)けど怒鳴られてる自分想像すると心が弾む。

抗うつ剤にどっぷり浸かっているせいなのか、自分でも驚くほどマグロ気持ちいいのきの字も沸いてこない。うーん異物感!みたいな。歴代彼氏には悪いことをした。でも行為自体は好きな気がする。たぶん。

顔とか尻とかひっぱたかれたい。あわよくば首とか締めて欲しい。あと縛って欲しい。跡とか残ったら最高じゃん!理不尽に責め立てられたい。身も心も疲れ切った行為後にオラッ最後ありがとうございましただろって追い打ちかけられたい。50過ぎた性欲だけは旺盛なモブおじさんに好きなように扱われたい。

書いたらすっきりした。とりあえずご主人様が欲しい。

2019-04-11

anond:20190411135145

ここからは参考文献程度で、urlばかりたくさんでコメント少なめなんだが大丈夫だろうか??

https://item.rakuten.co.jp/book/14796325/ ツイッターで健常の人にもおすすめされていた。

https://books.rakuten.co.jp/rb/15433910/ 借金玉は有名ブロガー。 この二冊とも細かい生活ノウハウ大人版。自立できた場合には役に立つがうちの場合はまだうつ病が治っていないので全部は必要がない。ただ、カレンダーの使い方などは家族で工夫するようになった。

https://item.rakuten.co.jp/book/11476781/ 当人体験談だが、ちょっとつらすぎたし読んでもイマイチどうすれば改善につながるかがわからない(わかりにくい?)本だったので通読できず放置手元にないのでまちがってた。医者がわりと根幹をなす解釈を教えてくれてたと思う。とりあえず通読はしたはずだ・・

https://books.rakuten.co.jp/rb/11721907/ アスペルガー漫画家さん。子供のころから結構わかる症状が出てる方だったのでうちとは違いが大きく(職業漫画家をえらばれている)やはりあまり参考にならない。

 

https://www.amazon.co.jp/dp/B01N9SHVRJ/ うつぬけ、有名 この本でおすすめされていたのが↓

https://www.amazon.co.jp/dp/B01HTJ5WDE/ 自分うつ病をなおした精神科医 

うつ治療の指針にはなったが、全部ではなく、雰囲気を掴む感じ。生活全般をゆるやかに立て直すつもりでないと結局は治らないんだなと。

 

以上です

 

 

追記

わたしのーためにーあらそわーないでー (増田へ)

追記

結局5年くらい「病人の親」をやっているので以前必死に買い集めて読んだ本は中身をかなり忘れていてすみません

役所の人や学校先生がたと会ったり話したり、特に精神科医先生になんども同じことを尋ねて答えてもらったです。

別の病気解釈できるので別の医者にもいくつもつれていってます

(たとえば甲状腺ホルモン異常によるうつ状態もあるので、

そちらの検査医者の指示で数度うけてます

 

それと、本人とも「結論方針だけを話させる」「どうしたいのかだけを聞く」のではなく

元気のあるときをつかまえて、世界への感じ方を中心にゆっくり話をして、

いつでも相談に乗れるくらいに相手理解しておかないとですね。

その状態からだと本人が最終的に絶対ぶつかる壁だが今はまだ気がついていない障害

いち早くフラグ立てしてなんとか避けるように言い聞かせられます

そういうので、本当になんとかここまできたとおもいます

 

(知らないのならしょうがないですが、一度痛い目にあったことを

二度目は用心して避ける要領の良さがASの子たちには全くないように思います

思い切りがよいとか度胸があるとか正義感があるとか誤解されがちですが、

そうではなくびっくりするくらい全く予想ができない。

例えばミニスカートを履いて混雑する列車にのったら痴漢にあってわあわあ泣くくらいイヤだった。

忘れたころにまた電車で出かけるという。

ならどうすればいいと思う?と本人にたずねると本人なりに考えても

ミニスカートではなくホットパンツならいいはずだ、

くらいのトンチンカン結論を導いてしまう感じです。

絶対にそれは優先度が違うんだと言い聞かせるのに親として苦慮します。

あなたものすごく泣いて旅行中止になったじゃないですかと。

絶対旅行成功させたいならまずその時間帯のその電車にのプランもやめとけば、

指定席とればと。

それで余分に必要になるお金は親が出すことになるけど、

子供の側ではまずその必要お金を考えついて親にねだるということを

全く想定もできないわけです。(お金には敏感すぎ、社会状況には鈍感すぎ)

 

過敏と鈍感のまざりぐあいおかしすぎるし、

うつ病普通人生経験がつめていないのでもっとおかしい。

予想最高気温が一桁でもシャツ1枚で

でかけそうになるのは最近は繰り返し失敗したのでようやく改善されてきました。

一事が万事そういう感じ。

 

一病息災といいますが、

誰に見せても優秀といわれてそれを自分で信じてしまって

一人でつっぱしろうとしていた子供が、一度折れたことで

他人よりゆっくり成長するんだなと今は思っています

うつ病が軽くなったから言えることですけどね

未成年のため薬がのめず、うつ病の重いまま放置するしかない時期には

本当に一日16時間くらいいびきかいて寝る、ただのマネキン人形のようでした。

抗うつ剤は本当に日常を取り戻すのに役に立ちました)

奇妙で自分とは全く違う娘の本質

うけいれつつ仲良くなれた気がします。

 

以上

2019-03-29

こうして自分マイクロソフト本社に入った(波乱万丈編)

最近googleに入った話がはやっているので便乗してマイクロソフト本社に入った話をしてみる。

君はだれ?

性別:男、京大 情報修士(大学では飲食バイトマージャンバイク・飲みに勤しみあまり勉強せず)

やった事(時系列順・箇条書き)

暗黒時代
リハビリ就活
入社

結論っぽいもの

  • 暗黒時代は何度も自殺を考えたが、腹をくくればなんとかなる場合もあるようだ
  • どうせ人生めちゃくちゃだしと腹をくくって外資系一本に絞ったのがよかった
  • 博士課程で留学生とつるんでいたのがよかった。おかげで英語を話すことに抵抗が少し減った
  • 研究で食っていくのは無理と早めに見切りをつけたのがよかった(バイトとか家でandroidやら地デジをハックしていたのが役に立った?)
  • 貧しい時は飲食バイトで覚えた卵料理が役に立った
  • 色々書いてると余裕で本一冊になりそうなので、そのうち書籍化を狙ってブログでも書いていく・・かも??

2019-03-24

anond:20190324010535

ああ、「やるじゃない」の人か

あの人抗うつ剤?キメてるシーンあるよな

2019-03-18

2019年アニメBD入作

かぐや様は告らせたい

 

ここまで面白いラブコメは久々

圧倒的にアホらしいイチャイチャギャグが最高である

原作全部読んでしまった

ウルトラロマンティックまで見たいのでBDは買う

 

私に天使が舞い降りた

 

見る抗うつ剤、見る酸素ピエール瀧必要だったもの by ニコ動

キャラデザを見ると一見ロリコンアニメ風だが、実際は百合姫であり

あの感情妹萌えというか娘萌えな気がする

でも何気に一番かわいいのは主人公のみゃー姉(女子大生)だと思ってる

尊い 尊い

 

ケムリクサ

 

非常に完成された作品

アニメというのは基本いくつかのストーリー繋ぎ合わせたようなものが基本だと思う

この作品のように、一個のストーリーで完結していて、丁寧に旋律を紡ぐような描き方をするアニメ映画以外では珍しい

今後何十年かの一つのルートが見えた感じがした

また、背景や音楽がそれだけでコンテンツに成っていると思う

額に飾る方法最近考えている

 

 

所感:最近3巻構成が多いね。買い忘れたりするからありがたい。

2019-02-27

うつになって1年経った

1年前、業務量がキャパティを超えたようで、会社電車で涙が出てくるようになってしまった。

夫の勧めで病院に行ったら、抑うつ状態と診断された。

そのまま診断書をもらって、数か月休職することにした。

休職期間はあっという間だったが、一人で旅行に行ったり、映画をたくさん観たり、ゆっくり休むことができた。


復職には少し不安があったが、同僚はみんなおかえり、と温かく迎えてくれた。

戻ってきてくれて嬉しい、と泣いてくれる後輩もいた。

上司からは、今まで業務量が多すぎたこと、私一人に業務を任せきりになっていたことを謝罪され、

これから業務量を調整すること、増員することを約束してもらった。


それから1年経った。

同じ職種メンバーもたくさん増え、業務量も適切になり、定時で帰れる日も増えた。

たまに他部署の無茶な要求に悩んだり嫌になるときもあるけど、仕事をやり終えたら過剰なほど感謝されるし達成感もある。

同僚と切磋琢磨して良い成果物ができたときは手を取り合って喜ぶし、その後ランチでいつもより美味しいものを食べたりするし、

少し疲れたコーヒー仲間とのんびりコーヒーを買いに行って、それぞれの担当プロジェクトについて愚痴ったり褒め合ったりする。

通勤時間苦痛だし、仕事自体楽しいかと言われると怪しいけど、職場楽しいと自信をもって言える。


ただ、それなのに、どうしても、体調が良くならない。

8時間×5日間、フルで会社に行けた週がほとんどない。週のどこかで、必ずと言っていいほど遅刻、早退、もしくは全休してしまう。

(一応出社・退勤時間は決まってはいるが、一度休職しているからか、ほとんど怒られない。むしろ無理しないで、と心配される。)

症状はそのときによって全然違う。動悸、頭痛、ひどい疲労感、眩暈吐き気、腹痛。


薬は毎日欠かさず飲んでいる。

初期は抗うつ剤を飲んでいたが、効きすぎなのか副作用なのか、より不調になることのほうが多かったので、

医師判断で、副作用が少ないという漢方薬をずっと処方されて飲み続けている。


最近また大きな不調の波が来ていて、しばらく会社を休んでいる。

私がやりたいと言って始まった大きな案件リリースが控えていて、休んでる場合じゃないのに。

心が休まらいから見てはいけないと思いつつも、職場チャットルームを覗いてしまい、

おそらく私がいないせいで溜まっている仕事を、後輩が残業して処理してくれているのが分かって、本当に申し訳なくて泣けてくる。

私はこんなにも職場が好きで、同僚に会いたくて、会社に行きたいのに。体が言うことを聞いてくれない。悔しくて仕方がない。



もうこれ以上会社や同僚に迷惑かけられない。2度目の休職はない。1年前のことがトラウマで、きっと心がこの職場を嫌がってるんだ。辞めるしかない。

いや、転職しても体調が良くなるって保障はどこにもない。何よりこんなにいい人たちに恵まれてる職場なんてもうこの先巡り合えない。絶対辞めたくない。

この二つが頭の中をずっとぐるぐるしていて、結論が出せないまま毎日が過ぎていく。


うつになって1年経ったけど、もうそろそろ元気になりたい。

から努力は苦手だけど、努力でどうにかなる方法があったら、今なら何でもできる気がする。

2019-02-14

陰鬱さは晴れない。

憂鬱気持ちというものはそうそう晴れない。

毒親、いや毒家族というものからなんとか逃れてみたもののいつも何かしらの強迫観念はつきまとう。

例えばカーテンがほんの少し埃っぽいことに対しカビが撒き散らされているのではと恐怖してみたり。

大切で唯一確かだと言える持ち物がカビで傷んでしまったらどうしようとかそんな事を考えたり。

数少ない友達よりもこの一冊が大切なのだと感じる自分すら嫌で、でもやはりそれは大切だ。

抗うつ剤を飲んで家事をしようとしても動機がして動けないなんてこともある。

休日は無理に出かけずにのんびりと掃除をしている。少なくともここには私を邪魔するものや嫌味を浴びせる人はいないのだ。

それでも一つでも失敗したら取り返しがつかないのでは?という強迫観念にどうしてもとらわれてしまう。

それでも以前よりはマシになったとは思う。

結構コミュ障吃音もちょこちょこでる私が生活費ガチャ代欲しさに営業職についてみたが案外なんとかなった。

長くコミュニティを維持するのは非常に苦痛だけれどその場限りなら案外なんとかなるのだ。でも期待はされたくないのだ。その場にいるのを許容されるぐらいがいい。

辛いことは忘れてしまえばいい。

それは仕事の間だけだから

でもそうやって仕事をして稼いで大好きなゲームをしているが、ああどうしたらいいんだろうか何か何かい方法はないのかと不安がタールのようにこびりついて離れない。

正常な幸せな家庭は存在する。その事実を度々確認するたびにとても辛い気持ちになるのだ。

あぁ、私がこの地区の近くで実家暮らしを楽しくしていたのならきっと今以上に楽しく遊んでいたのだろう。

もし、もし、あそこで生まれていなければもっと違う人生だっただろう。

周りにもっと助けを求められる環境があったならばもっと違う人生だっただろうなどと。

大学にはとりあえず行くものからと気楽に(努力をして、勉強をして)人生を歩めたらとそんな夢想をしては内臓が引き裂かれるような思いになる。

そんなものは与えられなかった。与えられたかもしれないがそれは選ばなかった。今も選べるかもしれないがそれでもやはり選べないのだ。

ではそれは最初から手に入れられなかったものだろうか?

いやその時手に入れることが重要で後からそれを手に入れても意味がないのだ。

時間に付随する価値というのが大切でそれは巻き戻し願望だ。巻き戻したところで何も変わらないならそれやはり無意味だろう。

人はそうそう救われない。完全な救いがあるとすればきっと死ぬ時だろうとそう願っている。

2019-01-07

anond:20190107183029

逆の可能性もあるからな。

抗うつ剤が効きにくい人は小児期のトラウマ記憶に残しやすい人だって意味かもな。

別にどっちにしろまり救いにはならんけど。

2018-12-12

サインバルタという抗うつ剤を飲んだ

脳が強制的に前向きになるように仕向けられている感覚というか自覚がある。

マイナス思考になりそうなときもなんとなく大丈夫みたいな状態が維持できる。

俺はもうダメなんじゃ無いのかと元々思っていたことを考えなくさせる仕組みに不安になるもののそれすら大丈夫という気持ちになるようにすぐに気分が安定する。

ただ問題点が1つ。

性欲がほぼない状態になったこと。

それまで鬱の症状が強かった時もエロい

のには反応していたがそれがほぼない。

なんだかそれが気持ちが悪い感じだ。

2018-11-29

がんばったんだけど

すごくしたい仕事に就きたくて30にして転職をした。

距離引越しを伴う転職だったか結構自分的には大冒険だった。


それから3年、いや4年?もう今計算が上手に出来ないな

いよいよ「もうダメかも」の瀬戸際にいる。

(詳細は割愛する)


「辞めたい」気持ちと「向いてない」気持ち

あんなにがんばって転職したのに辞めちゃうのかよ」という気持ち

全部がずっとごちゃごちゃになっていて、春先にはいろいろあって2週間の休職をした。


その時点でたぶん社長には「もうダメだこいつ」と思われたのだと思う。

この「思われたのだと思う」という実感がさら自分から力を奪っていく。



特技だと思っていたことがなにも出来なくなってしまった。

例えば、ひとに何かを説明すること、なにかを作ること。

社長を前にすると出さなきゃいけない言葉が出てこない。

作ろうと思ったものが思い出せない。(ざっくり言うとものを作る仕事なのでこれはもう完全にダメ


そして単純作業でも細かなミスが増えた。どうしてかわからない。

読めていた、確認できていたと思っていた文章が読めていなかった。これもどうしてだかわからない。


もともとひどかった生理前の気の落ち込みが制御できないレベルになった。

イライラというよりは希死念慮。これは通院して抗うつ剤を飲んでいる。


たぶん、たぶん………生理前かんけいなくもう、

鬱なかんじなんだよな、と思いながら、

辞めて休んで次の仕事を探す自信がない。気力がない。

したいことが見つからないし、逆算して仕事にむすびつく得意なことも今はできなくなっている。






でもそれでは生きていかれない。

生きていかれないよなあ……


この4年なんだったんだろう。なんだったんだろうな、

がんばったんだけどな

がんばるなと言われることもつらい。

なぜなら私はがんばることが嫌いではないからだ。


ももう今、努力を向ける対象も、行動するための力も、なんもなくなって宙ぶらりんだ。


30代半ばの女が宙ぶらりんでどうしたらいいんだろうな。

しんじゃいたいな

2018-11-28

ベジタリアンになって思ったこ

ベジタリアンになった

別に思想信条宗教的なナニカではない

以前からメンタルクリニックには通院していたのだが、定期的に採血をする

で、これ以上デブると色々とマズイぞ、と脅かされ、しかたなくデブの原因となっている抗うつ剤を抜いた

そうしたらメンタル悪化して食欲が落ちた

ここまでは予定通りである体重も週に1kgは減り続けた、ブラボーBMI値も25を切った、なんとか正常値の範囲である

で、ここでやっと表題の話である

食欲が落ちたのは結構ことなのだが、肉・魚を体が受け付けなくなった

食べられるのはせいぜい野菜煮物漬物納豆白飯といったところ

それすら食べたくなくて、週の半分は夕飯がカロリーメイトゼリーである

困ったのが外食である

選択肢がない、ほぼゼロ

ファストフードは言うに及ばず、大戸屋系でもゼロ

コンビニでも食べられるものはあまりない

ダイエット中だから炭水化物も食べたくない

からってサラダだけってのも辛い、温かいもの食べたい

仕方ないかおにぎり一個だけ食べたりする、糖質摂りたくねえなあ、と思いつつ

あとはザバスミルクプロテインで腹をふくらかすくらいか

ベジタリアンパイセンに伺いたいんですが、外食どうしてますか?

2018-10-26

アニメ精神安定剤

って、冗談めかして言ってた気がするけど

最近洒落になってない

見る抗うつ剤

 

もっと見る抗うつ剤って言うジャンル増えればいいのに(アニメ以外)

2018-10-19

適応障害休職になった男のリハビリ日記1

前段の話

大手SIerの半研究開発職/半SEみたいなポジション仕事していた者です。

一応昨年度の新卒で入ってますが、業界は初めてではなく大学時代も細々ベンチャーで開発職したり、フリーSEしてました。

今の会社入社すると同時に結婚して、今は妻と2人暮らしです。

ただ妻はいわゆるボーダーで、パニック障害持ちでうつ病と少々厄介でした。

そんな感じの背景のある人間です。

本題

ある日、酷い頭痛発熱、全身の極端な倦怠感、強い動悸に襲われました。数日経っても改善せず病院に行きましたが病理的な原因は不明です(やや数字には出ていたのですがそもそも数日間食欲もなく水分もろくに取っていなかったので…)。

その後もあれよあれよと言う間に色々な検査を受けて最後精神科で掲題の診断に。

実は精神的な問題には心当たりがありません。会社も決してブラックではなく、もちろん妻のことは大変でしたがそれでもなんとか。強いて言えば妻は働ける状態ではなかったので、お金の面がじわじわ不安になってきた程度です。

それでも、事実として身体に症状が現れ、夜は眠れず、朝起きれば意味もなく(良い歳して)泣いて…。

あと自殺念慮というやつが私には今ひとつ分かっていなかったのですが分かったかもしれません。死にたいと思っているつもりはないのですが、自分電車に飛び込む映像、首を吊る映像ベランダから飛び降り映像…こういったものが繰り返し頭をよぎる(あるいは脳内再生していた)状態でした。

うつ病の妻を持っていたので、この手のことには詳しいつもりでいたのです。しかし、自分のこととなると意外と分からないものなのでしょうか。

自分も今でこそ、そんな風に客観的に書ける余裕がありますがその当日は「休職だけは勘弁だ」とか「死んでもいつも通りの生活する」などと騒いでいたそうで…(笑)

夕方比較調子が良いのと、セパゾンを飲んでるのが効いているのかなぁ…今は落ち着いて書けますね。

ごめんなさい、結論がまだでした。

休職1ヶ月を申し渡されました。

これが本題です。

休職1ヶ月のリアルは、主治医曰く

3割が復帰、3割がさらに延長、3割が今の仕事生活からドロップアウトといった感じらしいです。

私は復帰の3割に入れることを願い、行動しようと思います

適応障害と診断され、1ヶ月の休職になった会社員が本当に1ヶ月で復活するアーカイブとなれば良いかもしれない。あるいは、その難しさに挫折して違う道や、時間をかけた戦いに戦術変更するアーカイブとなっても良いかもしれない。

いずれにせよ、予想外の病に抗う匿名ブロガー不定期な日記をここに残していくことにします。

そして、最後自身方針を是非はともかく残すことにします。

薬物的な方針
行動とかの方針

薬物的方針主治医とも色々相談した上で…眠れないときアルコールで寝てしまうよりは…ということに。

SSRISNRIは相性問題も難しいですし、急性期の抑うつには難しいので一旦は無しで合意しました。

行動の方針はもう実行してますが…これは次の日記で。

具体的には会いたい人で、その上で会ってくれるという人には積極的に会って行くことにしました。あと大学時代研究室に少し、お世話になって勉強も。

今回の日記はそういった前置きの話で置いておきましょうか。

から本当の本当に日記になると思います

ちなみに次の日記には、大学時代お世話になった全然畑違いの先生に会いに行く話だと思います

今回のはここまで。

2018-10-17

anond:20181017205129

そこまできたら抗うつ剤きいている間に筋トレしたほうが早そう

2018-10-14

ピンクリボンなんか糞くらえだ

二十代後半で乳がんが見つかった。

乳腺症のひどい胸をしていて、二次性徴が見られるころからずっと胸が痛かった。

からしこりがあるのも普通だった。

二十代半ばをすぎたこから何となく胸全体が柔らかくなった気がしていたけれど、

よく触ると固い部分があるからやっぱり自分の胸はこういう胸なんだと思った。

巨乳にあこがれて、理想Eカップだったけれど、長い間Cカップだった。

がんが見つかる2,3年前に下着屋さんで測ってもらったらDカップになっていた。

Dカップも小さくはない部類だなとのんきに考えてはいたけれど、

しこりが大きくなってきているのは薄々感づいていた。

私は医療系の国家資格を持っている。

きちんとした専門の大学に行き、大学院にも通った。

大学院の同期と後輩で海外旅行へ行った。

自然乳がんの話になり、乳がん肉まんの中に梅干しタネが入っているみたいな触り心地らしいよ、と、年上の同期が言った。

肉まんの中に梅干しタネ入ってるのなんか触ったことないですよね~、と、呑気なフリをしていつもの通りおちゃらけて私は返事した。

実は私の胸にもしこりがあるんですよ~、触ってみます?と、いつも通りの雰囲気で、しかし内心焦って続けた。

のしこりは、想像の中にある肉まんの中の梅干しタネに触り心地がそっくりだった。

彼女たちは触らず、微笑みながら言った。

帰国したら検査してみなよー、安心するよ。」

帰国して約一か月、土曜日トイレぼんやりしながら、そういえば、と思い出した。

スマホ検索して、土曜日受診できる病院電話を掛けた。

何となく人気らしい病院を選んだ。院長が講演活動なんかもやっているらしい。

電話がつながったものの、案の定、初めての患者は一か月くらい診てもらえないと応答した女性は言う。

しこりがあるようなら、うちじゃなくても良いんで、一刻も早く診てもらってください」

まりにも真剣な声だった。電話で問い合わせただけの相手に言うにはあまりにも真剣だった。

予約がとれなければ面倒だからやめとこう、そう考えていた私に次の病院電話をかけさせるには十分すぎる熱量だった。

仕方なく次の病院に連絡をしたら、その日のうちに検査ができた。

マンモグラフィーは痛いものだと健診で受けたことある友人から聞いていた。

それにしても痛すぎるのではないか

それまでの人生、私は自分が痛みに強いのだと思って生きてきた。根拠があるわけではないのだけれど。

しこりのある胸を挟まれた時、あまりの痛みに体が震えて、冷や汗が出た。

検査技師のお姉さんに肩を抱かれて、一旦休憩しようかとベッドに座らされたときパニックになりそうだった。

こんなに痛い検査が侵襲性のない検査とされているのがおかしい、どうかしている、

痛みを我慢できなくて恥ずかしい、情けない、あまり働かない脳みそを使ってぼんやり考えた。

しこりの少ない胸を検査された時も痛かった。だけども反対側より随分と楽に思えた。

自分名前を呼ばれて診察室に入った時に、お医者さんからかけられた第一声は「大丈夫?」だった。

大丈夫ではなかった。血の気が引くとはこういうことをいうのかとしみじみと考えた。

若い女性にはマンモグラフィーよりも、エコーが良い。

そういう知識は持っていた。普通会社員として働いてはいるけれど、学校で習った。

エコーでお医者さんが見せてくれたしこりは、もこもこしたクリームパンのような形をしていた。

医者さんは、難しい顔をしている。モデルのように美しい女医さんだ。

良性の腫瘍の表面はつるりとして、悪性の腫瘍デコボコしている。

そういうことも学校で習った。

その後二か所の細胞診をした。帰りに次回受診の予約をした。

これがもしも何ともなければ、がん保険に入ろう。

いつも私は自分のことを病人にしたがってしまう。

から大丈夫だ、言い聞かせるように胸の中で何度もつぶやいた。

それでも不安がぬぐえない。どう考えても悪性の要素しかない。

医師の友人に連絡をとった。

友人はマンモグラフィー読影の講習を受けたばかりだから何でも聞いてくれといつになく自信にあふれていて、

安心させようと、大丈夫大丈夫と返してくれた。

エコーがこうで、というと、段々と友人の返信に元気がなくなってきた。

最終的には検査結果を待とう、としか言ってくれなくなった。

当時、転勤になったばかりで、それまでとは全く別の職種コンバートされていた。

それまでは暇で仕方なかったのだけれど、打って変わって忙しく

新しい職場単身赴任おっさんばかりで、慣れない環境に日々翻弄されるばかりだった。

残業中、ふと個人携帯に着信がある。

登録していない番号に胸騒ぎがする。折り返すと病院に繋がり、すぐにお医者さんへと代わった。

電話細胞診の結果を言うことはできない。でも詳細に検査がしたいので予約時間を変更してほしい。

結果を言うことができないも何も、それは告知のようなものではないのか。

人生を揺るがすほどの言葉を、私は残業中に、会社非常階段で受け取った。

診察室で細胞診の結果を見た。

まり詳しくはないけれど、学校で見たことのあるような悪い顔をした細胞が並んでいた。

検査施設からつけられたコメントにも『陽性』と記載がある。

確定診断のための検査は、もはや簡単な手術だ。

バコラ生検といって、皮膚を切って漫画のような太い針をした注射器のようなもの組織を吸い上げる。

局所麻酔を打つ。痛みがありますよ、なんてお医者さんは言ったけれど、マンモグラフィーの方がよっぽど痛い。

検査をしてくれた個人病院ではなく、大学病院へそのまま紹介状が書かれた。

色々な説明を受けた。

詳細な検査なしにはわからないけれども推定されるステージ予後タイプによる治療方法の違いや色々。

がんのサイズは3cmあったので、ステージⅡ以上は確定だと、悲しい顔で告げられた。

先生、すぐ治りますか」お医者さんにバカみたいな質問をした。

「うん、すぐに元気になるからね」お医者さんは、今思えばとんでもない嘘つきだった。

大学病院での検査の結果、私はホルモンレセプター陽性、HER2タンパク陽性だった。

簡単にいうと、乳がん治療薬に対して感受性が良いか治療やすタイプだ。予後も非常に良い。

その時は、結果に対して良いことだと感じた。

しかしそれが不幸なこととだと後々思い知る。

術前に二種類の抗がん剤をし、術後に放射線治療ホルモン療法をする。

卵巣の保護とがんの発育を防止するために女性ホルモンを止める注射を打ち

抗がん剤を入れるタイミング分子標的薬の点滴もする。

手術は、温存できそうであれば乳房は温存、シリコンは30年で入れ替える必要があるからおすすめはされなかったので

自分脂肪筋肉移植する方法選択した。

術中にすべてが終わる、同時再建となる。

私の乳がん治療効果が出やすい。出やすいということは、可能な限りの治療法をすべてやってしまうということだ。

予後が良いことと、元気に余生を送ることは違う。

若いから体力がある、回復が早い、とあまり知識のない周りは言う。

抗がん剤は元気な細胞ダメージを与える薬だ。

元々同い年の友人と比較しても筋肉痛になりやす新陳代謝の良かった私に副作用はてきめんに出た。

2,3回の抗がん剤でがんは柔らかくなり、一種類目の抗がん剤を終えるころには触れることさえできなくなった。

それでも、標準治療という、乳がんに決められた治療は命に関わる副作用でもない限り続けられる。

薬を検索して出てくる副作用は大抵踏み抜いた。

感染症にだけは気を付けていたので治療は滞りなく続いた。

味覚障害にならなかったことで体重はどんどん増えていってしまった。

がん=痩せる、は乳がんには当てはまらない。

病気ストレスでどんどん食べる。抗がん剤副作用吐き気がおさまれば、

副作用止めのステロイドのせいで食欲がとどまることを知らない。

ハゲデブ、年頃の女性にとって最悪の状態になる。

乳がんです、と職場に言えば早期と言った覚えもないのに早期のがんの扱いをされる。

実際に早期の分類ではあるものの、どうせ早期なんだろ、と軽くみられるのは納得いかない。

普通に接してやっている、と面と向かって言われたこともある。

咳が止まらない風邪おっさんが、俺もガンかな、と独り言を言う。

今考えれば職場環境は最低だった。

病人扱いはしない、と言われたけれど、仕事は当たり前に1人分用意されていて

懇願しないと手伝ってもらえない。

離れて暮らす家族も、会社を休むな金を貯めろとしか言わない。

確定診断の前、がんかもしれないと連絡したらいつもお前は私たちを驚かせてばかりだとなじられた。

そのあとに、あんたが落ち込んでると思って、と電話をかけてきた母に優しさは感じたけれど

最終的にはがんは自業自得だと罵られて終わった。

突然健康容姿を奪われてしまって、なおかつ職場家族理解が伴わない、そうなると当然頭がおかしくなる。

抗うつ剤睡眠導入剤が追加された。

手術はうまくいった。乳首も残せた。傷跡も自分ではそれほどは気にならない。

少しずつ萎縮しているようで、元々がん抜きにしても健側の乳房より大分おおきめだった乳房がかなり小さ目になっている。

今計測してもCカップいかもしれない。

それでも医療機関で新しいスタッフ出会うたびにきれいだと褒められる。

執刀医がその分野での大権威だったことは幸いだった。

分子標的剤とホルモン療法は副作用のため途中で終了。

術後4年とそろそろ半年がくるが今はがんのためには何もしていない。

時期的にはそろそろ寛解といっていい。

しかし体に残るダメージは癒えない。

手術痕はきれいなものの、剥がれた背中筋肉や、弄り回されて傷ついた神経は軽い疲れや天候不順で大いに痛む。

ホルモン療法のせいで腱鞘炎がひどく、手術もした。

この手術がうまくいっていないようで周辺のスジがひどく痛むし、こうしてキーボードを打っていても

薬指や小指のあたりに力が入らない。

抗がん剤で傷ついた手の表面の神経はいまだに感覚が怪しく、ざらざらした布を撫でると奇妙な不快感を覚える。

足も不意に菜箸でつつかれるような痛みを覚えるときがある。

ついでに、おそらく不妊症になってしまっている。

私は元々婦人科系のホルモン疾患があって、ピルを飲まなければ日常生活を送ることすら困難だった。

しかし、ホルモンがエサになるタイプのがんだから使用することができない。

倦怠感、睡眠障害PMS自律神経失調症気象病

ホルモンの乱れ、心身に蓄積したダメージ、見た目が元気そのものからこそ理解されないタイプの不調を抱えている。

こんな体調だし、あまり弱みを他人に見せることが好きではないか彼氏はいない。

そもそもいたこともないので作り方もわからない。

太ってしまったものの、髪の毛は生えてきているし、我ながら顔は普通レベルには整っている方だと思う。

だけれど、結婚して、子供を産んで、ということは私には夢物語だ。

人生で一番色恋にうつつを抜かさなければならない5年間私はひたすらに体調が悪くて自分の世話さえままならない。

がんそのものでは死なないかもしれない。

がんが連れてきた不調によっては死に至ってしまうかもしれない。

かに抗がん剤はつらかった。

幾度も孤独な夜を越え、みじめさと苦しさと痛みに、毛のない頭を抱えてもだえ苦しんだ。

粘膜が弱って、鼻が蛇口になったのかと思うほどの量の鼻血が出たこともあった。

ホルモン療法を始めてすぐはひどい鬱状態に陥り、首を吊りたい欲求を抑えることに必死になった。

それと比べれば瞬間最大風速は今の方がぬるい。

でも、終わりもないし先が見えない。

次にがんができたら、そう、一度でもがんを体験したことのある人間なら頻度はともかく頭に浮かぶだろう考え。

私は次にがんができても積極的治療はしない。

できれば死にたい

お酒たばこもしないので、非難される要素はあまりない。

病気で死んだとなれば、外聞も悪くない。

ピンクリボン活動が声高に叫ばれている。

何もなくて、安心を得る人もいる、見つけて、切って、はいおしまい。で済む人もいる。

でもそうでもない人もたくさんいることだろう。

死ぬよりつらい地獄に引き込まれることもあるだろう。

こういう地獄があるんだよ、と説明することも大事だと思う。

地獄入り口になるかもしれない責任を持つべきだ。

ピンクリボンなんて、かわいらしいイメージではよくない。

そもそも私は乳がん検診適用の35才より若くに自分病院にかかったか

まり恩恵を受けてはいない。

がんサバイバーがエネルギッシュな姿をさらすことは勇気を与えるかもしれない

でもサバイバーがエネルギッシュにならなければいけないという無言のプレッシャーがある。

現に、私の母は新聞で見た乳がん患者はこんなに元気なのに、あんはいつまで病人気取りなんだと叱責してきた。

元気がある人しか声を上げないのだもの

元気がない人にも声を上げさせてほしい。

下手にがんが見つかるとこういう辛い思いをして、死ねずに生きる羽目になる。

からそれでも生にしがみつきたい人だけが検診をする覚悟を持てと。

やさぐれて、どうしようもなくて、地の底を這いずり回って泥水すするような気持ち毎日を送る羽目になるぞ。

末期で見つかっていれば、大事な人にありがとうと、嫌いな人へ呪詛を伝えて心軽く天国だか地獄へ行けていただろうに。

病気になる前よりずっとずっと性格が悪くなってしまって悲しい。

長い長い、そろそろ自分乳がん患者と呼ぶのにためらってしま三十路女の独り言

追記(10.15)

たくさんの方に愚痴に付き合っていただけたことに、少し気分がすっきりしました。長くてすみません

Amazonの欲しいものリスト!?公開したら物をいただけるの!?さもしい私は飛びつきそうになりましたが、三十路レディなので澄ました顔で見ない振りができます

お肉食べたい!不眠改善のために良い寝具欲しい!楽して痩せるダイエット器具

物欲は止まることを知りませんが、あなたの周りの少し元気がない人に美味しいご飯おやつをごちそうしてあげて下さい。

回り回っていつか私がご相伴に預かることになるかもしれません。

◆母のこと◆

クソ!母親が!!うちひしがれている娘に!!!そんなことを言うだなんて!!!と、当時発狂しそうに悲しんだんですけど、母も恐かったんでしょう。

恐がりなんです、恐がってる自分を受け入れられなくて、私に当たることしか出来なかったんだと思います

今も、私が一刻も早く普通に戻れることを期待しています。私の体調が悪いこと、気持ちの落ち込みがあること、すべてを気の持ちようで片付けようとしています

私は、母の中では病人であってはならないのです。あって欲しくないのです。

からと言って、娘に言って良いことと悪いことの区別がついていない理由にはなりませんが。

母は、母なりに私に愛情を持っていることだけは誤解されたくなくて追記しました。

内弁慶で臆病なおばさんなんです。

ちなみに、近親者で乳がんは父方の祖母(60代発症)だけで、姉も、おばや従姉妹、その他男性、他に誰も乳がん患者はおりません。

遺伝性のものではなさそうなので、単純に運が悪かったのです。

職場について◆

国家資格は取得しているものの、勤めている会社ではその資格を使ったお仕事はしていません。

ですので、デリカシーのないおっさんらもあんまり医療知識がないです。

とは言え、どう考えても非情対応をされたことは間違いありません。

もっと貶してください。

叩いて下さい。

あの頃耐えて笑っていた私が報われます

今は優しい人達の多い職場に転勤しています仕事にも人にも恵まれています

泥水をすすりすぎて、濾過した雨水うめぇ水道水最高!って言っている状態なのかもしれません。

分子標的薬で心不全症状がガンガン乳がんだけに)出ていた最中引越しを伴う辞令を出した会社には多少わだかまりはあるものの、結果オーライ職場環境は確実に改善されています

それでも体が辛いものは辛い。

ピンクリボンへの八つ当たり

そうなんです、八つ当たりなんです。

わかっているんです。

気軽に乳がん検診に行こう、それで簡単処置で助かる命がある、それは尊いことなんです。

ファッション感覚ピンクリボン、ウェーイ!としている女子が妬ましいんです。

ウェーイしている女子いるからこそ気軽に検診が出来る、それが本来目的なんでしょう。

ただ、若年性乳がんって、乳がん全体のほんの数%なんです。貧乏くじ引いてしまった感が否めないんです。

元々ちょいちょいツイてなかった私が、こんな所でもツイてなかったかー、と。

妬ましく思っても許して下さい。

ネルギッシュに闘病体験を語って、良い感じの活動をしている先輩サバイバーを見て、そうはなれない(なりたい訳でもないけれど)不定愁訴しんどいんです。

残っている後遺症のようなもの障害レベルではなくて、1個1個は誰しもが抱えている何らかの不調なのかもしれません。

不調の数が多すぎて、歯車がガタガタで、支える気力も尽き果てた状態が今の私です

ぶっ飛ばさせて、レッドリボン軍だか、クリボーだか、びっくらぽんだかのアイツを。匿名のこの場でくらい。面と向かっては、きっと吐き出せないので。

優しい言葉ありがとう、長い愚痴に付き合ってくれてありがとう

嵐のような感情の発露は鍵付きのTwitterだけで行っていました。

初めて書き散らしたこの場で、思いもよらずたくさんの方に見ていただけて、嬉しく思います。 

大好きなアーティスト懇願して(服の上から)触って貰ったことあるので、本体の私は乳のせいで地獄のクソ煮込みをわんこそばで注ぎ込まれている割に、乳だけは世界で1番幸せ者かもしれません。

欲しいものリスト我慢するので、私と彼が結ばれる結末を祈って下さい。

2018-10-09

底辺YouTuber兼任ブロガーの1日

月の収益20万弱~30万

ジャンルメンタルヘルス心理学ライフスタイル、それに関連した商品紹介

7:00

起床、朝食(卵かけご飯プロテイン入り牛乳)、抗うつ剤をのむ

7:30~8:00

人気の少ないうちに散歩

8:00

食器洗い洗濯掃除機をかける

8:30

ニュースSNSブログ動画コメント再生数、アクセス数をチェック。前向きなツイートをする。

9:30~12:00

前日に構成を考えた動画を撮る。合間に飯(麺類

12:00~12:30

会社員学生の昼休憩に合わせてTwitterInstagram更新

12:30~16:00

動画編集

16:00~18:00

ブログを書く。動画ブログは18時までに投稿できるようにする。

18:00

ブログ動画投稿。それに合わせてTwitterInstagram更新

19:00

ファミレスで飯食った後、Kindle読書

20:30

帰宅してテレビ動画観ながら筋トレ風呂

21:30

バズを狙ったツイートをする、Instagramストーリー更新

22:00~24:00

ネットサーフィン情報収集、翌日のブログの下書き、動画構成考える

24:00

睡眠薬を飲んで寝る

2018-10-08

おひとりさま三連休

三連休本日が最終日。

皆さまどのような連休を過ごされたでしょうか。

 

私は日用品の買い物など最低限の活動にとどめて、

ほぼ引きこもっていました。

 

今年の連休はいつもそんな感じでした。

もう出かける気力がないのです。カラダが重いのです。

 

かと言って連休中ずっと寝ていれば疲れが取れるかと言うと、

そんな事もないのです。いつも疲れてダルいのです。

 

40代独身一人暮らし。絵に描いたような おひとりさま です。

私のような人種日本の将来を危うくさせているのです。

 

決して収入は高くありませんが、なんせ欲が年々枯れて行くので

普通に暮らしているとお金が余ります

 

貯金は一応は老後のためと思ってますが、投資するでも無く塩漬けです。

 

一人で暮らしているとお金生命なのは確かなのですが、

本当に困った時はお金もあまり役に立ちません。

 

やっぱり必要なのは人の繋がりです。

 

私は日頃は家と会社の往復。

地元に知人はおらず両親は他界

兄弟もおらず親戚は遠方で暮らしています

自分の身に何か起きたら、即、死です。

 

こんなムリゲーライフを送っていれば気力もなくなります

最近、鬱っぽいです。

 

過去にも抗うつ剤を服用していた時期があったので分かるのですが、

これが長く続くとヤバイです。

心のバネが伸びきってしまます

 

何とかしたいのですが、気持ちけが焦って足が動きません。

何をすれば良いのか分かりません。

 

人と会うきっかけで一番手っ取り早いのはお酒だと思うのですが、

私は下戸なのでそれも出来ません。

 

飲めないので飲み会にも行きませんので、

ますます公私ともに孤立が深まっています

 

ああ、どこかにコーヒードーナッツ

かに話せる相手はいないのでしょうか。

 

そんなわけで無駄寿命を消費した三連休でした。

明日からまた孤独を紛らわせる為に会社に行きます

ご静聴ありがとうございました。

 

2018-09-14

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。

母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。

後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。

とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。

幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。

周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園先生からこっぴどく怒られた覚えがある。

書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。

小学校に上がってから記憶ほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。

唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。

うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。

和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」

当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。

けっこう対立してる組織だったのね。

対立組織に属する夫婦、すごい。

私は熱心で信仰深かったかというと、それの真逆だった。

親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。

当然親からは殴られた。それでも反抗した。

そして家族の中で一番信仰深かったのは母だった。

父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。

三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。

でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。

「お前が信心深くないから家庭が上手くいかない。」

「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」

父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。

言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。

母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。

その伝言を父に伝えても、特に私に当たったりなどは無かった。

そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁飛び降りコンボを使って未遂を起こした。

ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。

首にあてがった包丁感覚は今でも覚えている。

その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。

私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。

母は号泣していた。

この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。

あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」

いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。

そういう事件中学に上がるまでに二回ほどあった。

ショックを受けた母はどんどん宗教にのめり込んだ。

中学に上がってから記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。

唯一携帯電話を持っている友人が私の家族電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。

寒い寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。

両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教集会に行っていたらしい。

私の状態さらに悪くなっていて、意識が途切れ途切れだった。

そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。

翌日、小児科医師が私の様子を見に来た。

蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いねハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」

思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。

あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。

「目の下のクマもすごいね、週にどれくらい寝てるの?」

「…二時間くらい。」

「何とかしたいと思う?」

私は静かにうなずいた。

その日から私の精神疾患に対して、具体的な治療が始まった。

私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。

治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。

治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。

鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。

精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。

そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試指定校推薦を受けることが出来た。

ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。

高校合格した時、母の言葉を未だに覚えている。

「お母さんの信心が届いたおかげよ。」

この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。

不思議なことに落胆はしなかった。

あきらめていたんだと思う。

高校楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。

高2の春休みが終わる頃に、自転車日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。

夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。

国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。

東の空が明るくなった。

夜明けだ。

夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?

そう思って反対側を見るとまだ夜だった。

月と太陽が同時に見えた。

その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。

けっこうな時間泣いて、家に帰った。

この時は特に家族から怒られることは無かった。

そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休み最後に、小児神経科主治医判断により治療がひと段落した。

不眠は改善し、リストカット癖も消えていたからだ。

希死念慮だけは消えてなかった。

主治医見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。

実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。

大学入試指定校推薦理系私立短大を受けて、合格した。

大学はかなり白熱した環境だったので研究学業にのめり込んだ。

2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社就職した。

仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。

そして、就職してから数か月後に精神疾患を再発した。

今度の病名は統合失調症

そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。

統失治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。

しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。

そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境引越しをした。

その日から今日までの1年の間に色々なことがあった。

引っ越した月に友達付き合いが続いていた元恋人自死

病名が統合失調症から統合失調感情障害になった。

そこから半年後に父が癌で余命半年の宣告を受け。

自分自身も体調がすぐれないので、実家に戻ってきた。

そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人自死

私が実家引っ越しから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤放射線治療、本人努力甲斐があって腫瘍が消えた。

これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。

あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。

そして現在に至る。

今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。

しかしたら時系列おかしくなっているかもしれない。

疲れてめんどくさいので、推敲はしないでアップします。

人生いろいろあるよねってお話でした。

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます

お互い、人生を良い旅にしていきましょう。

2018-08-08

anond:20180808235101

パキシルって抗うつ剤を飲んでた頃は、薬の副作用で性欲も感情の起伏もほとんど無くなってましたで

発達障害境界性人格障害の誤診

発達とボーダーは誤診されやすいのだろうか?

私はADHD(多動優勢)の診断を受けてストラテラを貰っている。

しかに頭のもやが晴れて不注意も少なくなったような気がする。

ただ感情不安定さは治らなかった。

しろ1回辛いことがあって泣きわめくほど落ち込んだらそのまま1週間2週間は抑うつ状態が続いて辛い。

薬を飲んでいなければ1日で感情が復帰する。

ストラテラは元々抗うつ剤から落ち着くよって言われてるのにこのへんにはめっぽう効かなかったのだ。

薬飲んでも治らない、問題解決しても勝手に誤解して凹んで泣きわめく。

これはADHDでなくて性格が悪いだけ、ひょっとすると境界性人格障害なのではないか自分で疑った。

衝動

感情

攻撃

・過度の理想化とこきおろし

・試し行為

・0か1かで物を考える

などなど… 心当たりがもろもろあった。

しろ絵に書いたようなボーダーっぷりを発揮している。

ADHD判断をされたのはこの中の衝動的、感情攻撃であるとこが特徴として被ってただけなのではないか

でもこういうのって医者にどう伝えたらいいんだろう。

「私実はボーダーかもしれません!」って自分から言うバカいないよなあ。

でもいよいよ限界迎えてきたし昨日「あんた本当におかしいよ理解できない、普通じゃない」「頭いかれてる」って職場で言われたか死ぬか直すかしたいんだよね。

生きてるだけで迷惑とはまさにボーダーのことだ。

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