はてなキーワード: コントラストとは
【ボツ原稿供養〜昔話と中華ポータブルオーディオ(前編)〜の続き】
この派手を通り越した大げさなチューニングにこれはもしや?と思って映像作品へ手を出した。視聴するのはTVアニメ「機動戦士ガンダム 水星の魔女」の前日譚「PROLOGUE」。
これはもう優勝だ。キャラクターのセリフはよく通り、流れるBGMもシーンを盛り上げ、戦闘は大迫力!耳と心に響くラストシーンまで一気に観てしまい「もうヤメロよ・・・こんなの卑怯だろ・・・」と制作陣へ恨みつらみを吐き捨てた。
続いての視聴はTVアニメ「リコリス・リコイル」から「第2話 The more the merrier」。
銃撃戦が繰り広げられる第2話では発砲音や金属音などのキレの良い効果音はBA型が担当し、深く沈む重低音はDD型が担当することで見事に演出を支え、時おり見られるキャラクター同士のコミカルな掛け合いも耳のそばでしっかりと聴かせてくれた。
筆者は普段パソコンで動画視聴する際はDTMにも使っているYAMAHAのアクティブモニタースピーカー「MSP3A」を使って観ているのだが、もうZASはアニメ用イヤホンにしても良いのではないかと本気で検討をはじめている。
欠点はと言えば、その大げさな鳴りだろう。
原音忠実信者が聴けばあまりの脚色に気持ちの悪さを覚えるかも知れない。しかしやはり得手不得手の問題であって「俺は大人しい音楽なんて聴かねぇんだぜ!」と言う人にZASは最高のコスパを発揮するイヤホンになるかも知れない。
筆者は前述しているようにDTM小僧であったため、いわゆるリスニングよりもモニター的なサウンドを好む傾向にある。もしかしたらMDR-CD900STを長年使い続けているせいかも知れないが。
現在所有しているモニターヘッドフォンは前述したSONY「MDR-CD900ST」、Shure「SRH840A」、YAMAHA「HPH-MT8」、AKG「K701(初代 / いわゆる澪フォン)」、SENNHEISER「HD25(初代)」、beyerdynamic「DT990 Pro(250Ω)」というモニターヘッドフォンマニアかのような様相になっているが、筆者も気が付いたらこうなっていたので仕方がない。
筆者はふと思う中華イヤホンのモニターサウンドを聴いてみたい。
何ならたぶん一番のお気に入りになる可能性だってあると。
そこで色々ググって見つけ出したのがCVJの「Mirror」だ。
CVJはTRNとの関係性が取り沙汰される事実上のサブブランドではないか?と言われている、ちょうどKZに対するCCAのような存在だ。
届いて箱出しで早速聴いてみると、これまでの中華イヤホンとは明らかに違ったサウンドだ。そもそも派手なドンシャリじゃない。
ドライバー構成はBA型が片側2基でLR両側計4基、DD型が片側1基でLR両側計2基、全体計8基の多連装ハイブリッド構成だ。
これが7,000円前後で買えるわけだが今までの中華イヤホンのスペックからはあまり驚きのない。感覚が麻痺しているが20年前からするとあり得ない価格を実現している中華ポータブルオーディオの世界はすごい。
嘘を言っても仕方がないのでハッキリと言おう。Mirrorはステージモニターイヤホンだ。
筆者が想定していたスタジオモニターイヤホンではなくミュージシャンなどが大音響のステージ上でパフォーマンスをする際にバックバンドや自身の声を確認するために利用するステージモニターイヤホン。DTMなどで音の確認へ利用するスタジオモニターイヤホンではなくだ。
競合するのはまさに代表格Shure「SE215」「SE215 SPE-A」、そしてSONY「MDR-EX800ST」、audio-technica「ATH-E70」あたり。
鳴りの傾向は名は体をあらわすか如くの鏡面的なフラットだが、DD型を採用しいるためかスタジオモニター基準で考えると少々低音域が前へ出ている。
実際に比較した聴感上はステージモニターとしても低音域が少々強調されリスニングにも合うとして人気を博すSE215 SPE-Aよりも低音域が深い。
ただもしかしたら機械計測などをするとSE215 SPE-Aとほぼ同等の可能性も捨てきれず、これは高音域から中音域をBA型が担当しているため聴感のコントラストから低音域が強調されて聴こえているのかも知れない。
そもそもステージモニターイヤホンはスタジオモニターイヤホンなどよりも低音域が強調されがちで、これは音楽を演奏する際にリズム隊の音をよく聴くためのチューニングとなっており低音域が強調されていることは別にデメリットではない。
必要とされてそうなっており、SE215から派生した更に低音域強調版のSE215 SPE-Aも特にHIPHOPシーンなどで低音域が足りないと要望があり生まれたものだ。
そう考えるとSE215 SPE-Aよりも輪をかけて低音域がほんの少し前へ出ている気がするMirrorは、中華イヤホンの派手な鳴りの傾向から考えて派手な鳴りが好まれる中華市場を想定したチューニングなのかも知れない。
ただ我々日本人日本市場のDTMerからするとステージモニターであっても余計なチューニングと言わざるを得ず、ハイレスポンスでタイト、音の分解能、粒立ちの良い優れた高音域〜中音域があるのに勿体無いなと思ってしまう。
せっかく買ったので色々と活用方法を模索したのだがコレだわ!むしろ唯一無二じゃないか!?と評価できる活用方法を発見したのでお伝えしたい。
CVJ Mirrorはモニターイヤホンとして活用するのではなく、マスタリングイヤホンとして活用すべきなんだ。
何を言っているのか?と言えば音楽制作には大まかにレコーディング・ミキシング・マスタリングという段階がある(細分化するともっとある)。
いわゆるスタジオモニターが活用されるのは主にレコーディングやミキシングの段階であり、音声メディアとして納品する前段階のマスタリングでは消費者の視聴環境を考えて一般消費者向けのスピーカーヘッドホン・イヤホンで音を確認する場合があるのだ。
実際にプロミュージシャンの中にはApple「AirPods」や「iPhone(のスピーカー)」をマスタリング用と言う人も居て、プロミュージシャンだからと言って弩級の機材を最終段階まで使って納品しているわけではないのだ(もちろん最終段階まで目が飛び出るような価格の機材を使って納品する人も居る。その辺はこだわりの方向性の違い)。
このMirrorはステージモニターとしても少々低音域が強調され気味だが、とは言っても間違いなくドンシャリではないフラット傾向な鳴り。
モニター系でなければリスニング系でもない何だかちょうど中間の鳴りをしているMirrorの用途を考えるならばバラバラな視聴環境である消費者の平均値を取るためのマスタリングイヤホンとして絶妙な立ち位置にあったのだ。
消費者にはSONY「WF-1000XM4」ユーザーが居れば、Beats「Beats Fit Pro」ユーザーも居るだろう。有線イヤホンや中華イヤホンユーザーだって居るはずだ。
そこで役立つのがMirror。フラットな鳴りと高い分解能を持ち、消費者が好む低音域もしっかりと演出する。
例えば音楽制作が趣味でなくともYoutubeなどの動画投稿でも視聴者の環境の平均値を取って聞きやすくするという用途にも向く。
耳に刺さりがちなサ行発音などMirrorで刺されば他の視聴者の環境でも刺さる可能性が高いと予測できるわけだ。
ではMirrorに欠点はないのか?と言えばある。
ここまで推しておいて難だが最大の欠点は「日本で売ってない」んだな。
正確に言えば日本で正規流通しておらず直ぐ入手しようと思えば筆者のような好事家から中古で購入するか、時間がかかっても良いならばAliExpressを利用することでしか日本で入手するのは不可能。
消費者からウケの悪いフラットな音質傾向のイヤホンを全世界で展開しにくかったというのは理解できる話であり、確実に良い製品でありながら日本国内ではある種プレミアムな存在になっているMirrorはおそらく今後もまともに評価されることがない。
騙されても良いからマスタリング用として欲しい人は是非ともチャレンジして欲しい。
これはイヤホンではなく、イヤホンやヘッドホンを駆動するためのアンプ、いわゆるヘッドホンアンプと呼ばれるもので、KA3はD/Aコンバーター内臓のUSB DACヘッドホンアンプだ。価格は1万円ちょっと。
昨今のスマートフォンはイヤホンジャックが廃されていることが増えてきており、有線イヤホンなどを活用しようと思うとUSB-CコネクタやLightningコネクタを経由して有線イヤホンを接続する必要がある。
KA3はそんな現状の需要へ応える製品であり、筐体サイズも成人男性の親指ほどの大きさという小型でかつ十分な性能を持った製品だ。筆箱や化粧ポーチにも収まるサイズ感は特筆に値する。
この手のUSB DACヘッドホンアンプは本体とケーブルと一体型のものが多い中、KA3本体にUSB-Cコネクタを持っており、利用中のスマートフォンがiPhoneだろうがAndroid OS端末だろうが変換ケーブルなどを介さず気にせず利用することができるのは嬉しいポイント(付属品にLightningケーブルが含まれておらずUSB-Cケーブルのみ含まれているので注意)。
実際のところスマートフォンだけではなくUSB-Cを備えるデバイスならばラップトップ端末だろうがタブレット端末だろうが利用できるのも良いポイントだろう。
特にギターを趣味としている者ならば知っていることだがアンプというものは音量を上げれば歪む。
それもまた味と言えば味だし、真空管アンプなんてのは歪みこそが旨味なのだと言うような製品。人間は何ともテキトーだ。
ただ何でもかんでも歪ませるのはどうなのか?原音忠実こそ至高!と言う意見も当然のようにあり、そういう観点から見ると大半のスマートフォンへ搭載されるオペアンプは音量変化による歪みの変化幅は相当に大きい。
と言うかアンプにもレスポンスというものがあり、命令された音の強弱大小の変化にスマートフォンのオペアンプが追従しないというのは普通にあることだ。
筆者はイヤホンジャックを持つ格安中華スマートフォンを所有しているが、この中華スマートフォンのオペアンプはまぁヒドイ。音量の変化幅が大きい高速なEDMなんか鳴らすとオペアンプがまったく追従しておらず音量を上げれば歪みまくって割れ、ド素人でも子供でも判別でき、オペアンプが暴れていると言って良いレベル。ドン・キホーテで鳴っている呼び込み君のほうが良いオペアンプを積んでることを確信するほどだ。
まぁ音質なんて最初から期待してなかったのでピコーンと通知音さえ聞こえれば別に良いっちゃ良いんだけれども。
比較すること自体がおこがましいがKA3は例えそれがハイエンドスマートフォンと比較しても非常に品質の良いと断言できるオペアンプを積んでいる。
試しに筆者が所有するUSBオーディオインターフェースミキサーYAMAHAの「MG10」と比較してみよう。YAMAHAのMGシリーズミキサーは綺麗に鳴らしすぎてつまらないと言われるほど歪みの少ない発音が特徴で、味付けのない音源ソース本来へ非常に近い音が出る。
MG10へCVJ Mirrorを接続し、前述でも登場している様々な音源ソースを再生・試聴した後にKA3でも同様に再生・試聴する。
この小さな筐体から驚くほど低ノイズでクリアな音が鳴る。普通にスマートフォンでの音楽制作に使えるレベルで音色の変化がない。ヘッドホンアンプのレビューでは暖かみが出ただの高音域の煌めきが増しただの艶やかだのと言うレビューが散見するがKA3に関してはそういうのが筆者の耳には一切ない。艶ってなんなんだ。
ただただCVJ Mirrorとはこういうイヤホンなんだと忠実に鳴らす、それがKA3というヘッドホンアンプだ。
レスポンスはどうなのかと音楽制作用スマートフォン向けDAWのRoland「Zenbeats」で試してみる。ZenbeatsにはRolandの銘機「TR-808」由来のステップシーケンサーが内蔵されており聴感上のレスポンスチェックに便利だ。
BPM200というハードコアなドラムラインを作成し、ピッチをリアルタイムでわざとグチャグチャにイジり倒してみる。更には人間には不可能である超高速な乱高下を実現するためLFOをピッチへアサイン。
音楽的にはどうであれ無茶な変調にも機敏にKA3は応えてくれた。
もうスマートフォンで使うお手軽ヘッドホンアンプはFiiO KA3で十二分すぎると太鼓判を捺そう。
もちろん上を見ればキリはない。ハイエンドなヘッドホンアンプやMG10と比較すると出力が違いすぎるし便利機能も少ない。
iOSユーザーへ残念な話をするならばユーティリティアプリがAndroid OS向けにしか提供されておらず細かな設定が出来ない(ユーティリティアプリは別に必須ではない。挿せば鳴るのがKA3の良いところ)。
しかし結局のところイヤホンジャックが無くなったスマートフォンでほんの少しまともなオペアンプ使いたいよねという需要に応えるための製品なので上を目指したい人はそういうの使えば良いだけなのだ。
「でも有線イヤホンは結局ケーブルがわずらわしいよね」という意見もあろう。ごもっともだ。
じゃあ無線化したら良いじゃない。
実はここまで紹介した中華イヤホンはすべてケーブル交換、いわゆる「リケーブル」可能なイヤホンなのだ。
ただケーブルのコネクタにも規格がありCVJ Mirrorは「CIEM 2pin」で、それ以外は「QDC」という規格だ
KZの「AZ09」は主にQDCへ対応したイヤホンを無線化できるレシーバーで価格は約3,000円だ。桁を読み違えないでほしい3万円ではなく3千円。激安すぎるだろう?
例えば低音マニア向け・アニメ試聴にもと紹介した同社のZASと一緒に買っても1万5千円あればお釣りが来る。
AZ09の秀逸な点はイヤホンをAZ09に接続したまま、AZ09の充電ケースへ収納できる点だ。比較的大きめなハウジング筐体を持つイヤホンでも収納できるのでコレは便利だと言わざる得ない。
そして「安かろう悪かろうなんじゃないか?」と言いたくなるのもわかるが、・・・まぁ正直言って流石にアタリハズレがある。
小ハズレだと音楽を流せば気にならない程度のノイズが常に小さく乗る。大ハズレだとBluetooth接続がかなり不安定(混雑空間だと少々安定感が悪いのは仕様)。
ただ3,000円なので大ハズレを引けば買い直せば良いし、無線イヤホンの宿命として長期間使用すると必ずバッテリーがダメになり結局いつかは買い直すはめになるので個人的にはそこまで問題視してない。どうせ3,000円だし。
ちなみに「AZ09 Pro」というのもある。価格は約5,000円。
違いはと言えば対応コーデックにaptXが加わっているのが主な違いで、無印AZ09はSBCとAACのみではあるがiOSではaprXは使えないので多くの人は価格も安い無印AZ09で良いと思う。まぁ筆者はAZ09 Pro使ってるんだけど。
ここまで昔話と中華ポータブルオーディオを長々書き連ねたのだが、あまりにも長過ぎるということで自分の中ではボツなのだ。
でもせっかく書いたし供養しようと思って増田へ投稿してしまった。
中華イヤホン有識者センパイは色々と言いたくなるだろうことは予測できるので言いたいように言ってくれて構わないッス。
「BA型じゃなくて今は平面駆動型が」とか「磁力補助駆動静電型も良いよ」とか「僕は、水月雨ちゃん!」とか色々と語って欲しい。
気になったオススメをマジで買うので。自分がオススメしたものを買って貰えるのってやっぱり嬉しいよねっていう。
中華ポータブルオーディオがすごい。
有識者に言わせれば、それこそ「何を今さら」な話題だと思うが、2000年代日本国内で興きたポータブルオーディオブームから数えて二十数年離れていた筆者からすると今の中華ポータブルオーディオは本当にすごい。
ここでさっそく筆者の年代を挙げれば現在30代であり、青春の10代を振り返れば「iPod」が登場し、日本国内で大きなシェアを持っていた「MiniDisk(MD)」が徐々に斜陽化していっていた。
筆者も例に漏れずMDプレイヤー、そしていわゆるiPodに代表されるMP3などを中心に扱った「シリコンオーディオプレイヤー」という遍歴を辿る。
ただ、筆者と同年代であり同時期に青春時代を過ごした者であるならば、Webメディアで語られるポータブルオーディオの歴史とは些か違った遍歴を歩んだという者も少なくないのではないか?(※HDD搭載iPodは厳密にはシリコンオーディオプレイヤーではない)
世の成人したアーリーアダプターたち(主にApple系コミュニティの人たち)がiPodへ熱狂するそのとき、日本で青春時代を過ごした我々が熱狂したのは「Playstation Portable(PSP)」だったのだ。
もしかしたら年代が10歳前後離れているだけで当時のPSPの勢いを肌で感じることは難しかったかも知れない。
一部の成人ゲーマーなどは「モンスターハンターポータブル」あたりでPSPを頻繁に持ち出していた可能性はあるが、実はそのときの学生世代の間ではPSPはiPodと肩を並べ、用途によってはiPodを凌駕するポータブルデジタルメディアプレイヤーとして運用がなされていたと聞くと驚く人も居るかも知れない。
何せ「当時のPSPはゲームソフトを持っていないのにPSP本体は所持していたという女子学生が存在した」くらいなのだ。
これは当時のiPodでは起き得ないことであり、陰鬱としたオタクというイメージが現在のオタクのイメージへ転換していく過渡期の中でPSPは少なからず影響を与えたハードウェアとして記録していく必要があるように思う。
筆者と同世代のオタクであれば「2ちゃんねるニュー速VIP」ブームを経て、YoutubeからのBANや動画の違法アップロード祭りなど古今東西どう考えてもアウトな「ニコニコ動画」のローンチなどを経験したと思うが、怒られ叱られ叩かれ裁かれ逮捕者を出しながらも独自と言って良い文化を形成できた。
当時の動画の違法アップロードで一番の被害者であった角川書店とドワンゴが今では同じ会社になるとは時代の変化とは恐ろしいものだ。
そういった独自の文化の中心にあったのは「東方」「アイマス」「ボカロ」のいわゆる「ニコニコ三大ジャンル」ではあるが、それらとほぼ同時期に萌芽するのが「歌ってみた」「踊ってみた」である。
そして歌ってみた、踊ってみたの興隆を後押しするのが「涼宮ハルヒの憂鬱」であり「ハレ晴レユカイ」なのだ。
先に挙げたPSPが当時の若い世代に支持された理由がMP3のほか、大画面でMP4動画を再生できたからで、しかもPSPの動画プレイヤー機能はコマ戻しコマ送りが物理ボタンで可能だったこともあり、特に踊ってみたジャンルで練習するためのハードウェアとして選択された。
更にPSPには別売のRCA(赤白黄)変換ケーブルによってPSPの画面をTVなどのディスプレイモニターへ出力することも可能で、アニソンや電波ソング、ボカロソング、ゲームソング、同人ソングなどの配信が乏しかったカラオケ店へPSPを持ち込んでカラオケ機材へPSPを接続しカラオケ配信楽曲以外を歌うという手法が現れた。
これへ呼応するように登場したのが勝手に字幕を付けてカラオケ用動画とする「ニコカラ」だ。
特にアニソンやゲームソングでは無許可で版権素材を活用した高クオリティで手のこんだニコカラ動画も存在しており、JOYSOUNDがその需要に気付くまで人気を博していた。
稀に「なぜあんなにPSPが売れているのかわからない。モンハンだけじゃ説明付かない」というガジェット好きが居るが、ニコニコ動画を中心としたサブカルという背景があり前述したように「当時のPSPはゲームソフトを持っていないのにPSP本体は所持していたという女子学生が存在した」ほど売れていたのだ。
PSPは当時のSONYが夢想したマルチメディア戦略の中でほんの一部界隈(ほぼサブカル界隈)でだけ成功を収めていた事実は周知されておくべきだろう(UMDやPSP Goとかで失敗してるけど)。
そしてその需要をiPod Touch、iPhoneが奪っていくというのは知られたとおりだ。
多くの人々が音を聴くようになれば良い音質で聴きたいという需要が生まれるのは必然。
iPod登場当初その付属イヤホンの品質の低さが取り沙汰され、MD Walkman派やアジア系ポータブルオーディオプレイヤー派から揶揄されるたびApple信者が「あのイヤホンは音が鳴るか確認するためのオマケ。欧米ではそれが普通。付属品にまでケチ付けるのは日本人だけ」などと言い訳し擁護していたらAppleが競合他社と同等品質まで付属イヤホンの品質を引き上げるというお家芸の梯子外しがあったこともあり、その煽り合いが起きた前後で音の良いイヤホンへ注目が集まり始めた。
最初期に評価されたのはバランスドアーマチュア(BA)型ドライバー本家本元であるEtymotic Researchからリリースされていた「ER-4」だった。
BA型ドライバーは従来のダイナミック型ドライバー(DD)と比較して小型軽量に製造することが可能で、音を発生させる振動板の質量も小さかったため慣性の法則的に非常に反応が良く、iPod付属イヤホンの低品質さも相まって高い評価を受けることになる。
続いて注目されたのがマイクで有名なShureの「E5c」だ。
こちらもBA型ドライバーを何と2基も搭載したリッチなモデルで、BA型ドライバーはその構造上音域が狭くなりがちなのを高音域〜中音域用と中音域〜低音域用に2基とすることで欠点をカバーした製品だった。
更にER-4は現在主流の耳栓型イヤーチップとは形状が違う長めのイヤーチップを採用していたこともあり装着者を選ぶ傾向にあったが、E5cはSONYが売り出して大流行を果たす現在主流の形のイヤーチップを採用しており広い範囲の装着者をカバーできた。
しかしこれら評価の高いイヤホンは学生の懐には大変厳しいという問題があった。
ER-4は約4万円、E5cに至っては約6万円でとてもとても学生には手が出ない高級品であり、着メロの打ち込みから端を発したDTM小僧だった筆者はなけなしのお年玉をはたいて有名ミュージシャンがレコーディングでよく装着しているヘッドホンSONYの「MDR-CD900ST」を約2万円で購入し愛用していた(ちなみにこのMDR-CD900STは修理しながら今でも現役)。
しかし流石にいつでもどこでもMDR-CD900STを常用というのは辛くあり、当時評価の高かったSONYのイヤホン「MDR-EX90SL」を常用するようになる。価格は約1万円。
しかしMDR-EX90SLはBA型ではなく従来どおりのDD型、無論MDR-EX90SLには評価されるだけの音質があり十分に満足していたのだが、BA型イヤホンへの想いは募るばかりであった。
それから二十数年、社会人としてもそこそこ経験を積み、ちょっと頑張ればBA型イヤホンも買えるようになりBA型イヤホンをいくつか購入した後にポータブルオーディオからは距離を置いていたが、何故かふと近年話題の中華ポータブルオーディオへ興味を持った。
調べてみると本当にすごい。技術の進歩と大量生産により当時憧れだったBA型イヤホンが当時のMDR-EX90SLと同等価格どころか下回る価格で販売されているではないか。
これはもう実際に入手して試してみる他ないとさっそく動いた。
最初に入手したのがKZの「AS16 Pro」で、これは以前に「AS16」というイヤホンがありブラッシュアップして登場した製品。価格は約1万円。
AS16 Proはこの記事を懐かしく読んでいて今まで中華ポータブルオーディオへ触れてこなかった読者は驚くはずだ。
なにせAS16 ProはBA型ドライバーを搭載しているが、その搭載数は片側8基、LR両側で合計16基というとんでもない搭載数を誇っている。
これが約1万円で買えるのが中華ポータブルオーディオの世界。
その音の傾向はBA型ドライバーのみを多連装しているだけあり全音域がハイレスポンス、機敏に発声し無駄な余韻なく消音する。音と音がよく分離しており違いをはっきりと聴き分けることができる。
低音域と高音域が少々強調された弱ドンシャリ型のチューニングがなされていて現代のイヤホンでは派手な鳴りが好まれる傾向にありAS16 Proも例に漏れず弱ドンシャリの派手な鳴りだ。
ハイレスポンスで音の分離感が良いと言っても音楽制作用のMDR-CD900STのような分析的な鳴りではない元気でエネルギッシュ、タイトなサウンドの多い電子音楽を聴きたくなる鳴りだ。
ただ逆に言えばレスポンスの良さは空間表現の苦手さにも繋がっており、MDR-CD900STでは継続する余韻がブツ切りするかのように消えてしまうことがあるのは気になった。
ホールの残響感も音楽の一部と捉えるようなオーケストラなどは少々苦手な音楽ジャンルと言って良いだろう。
本当に鳴りがハイレスポンス&タイトなので筆者はボカロソングが多数収録されるリズムゲーム「プロジェクトセカイ」や、電子音楽も多数収録される定番の「アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ(デレステ)」、なぜサ終してしまうのか「東方ダンマクカグラ」をプレイし、思った通りリズム隊がよく聴こえる事を確認。
現代のポピュラー音楽リスニングに、リズムゲーム用のイヤホンとしてAS16 Proは非常にオススメだ。
ハイレスポンスなBA型ドライバーだが欠点がないわけではない。
その構造上の制約でBAドライバー単体ごとの音域が狭くなりがちで結果としてBA型ドライバー複数基を多連装することで欠点をカバーしているのだが、音というものは低音域ほど大きく空気を動かす必要がある。
小型軽量のBA型ドライバーは小型軽量であるが故に低音域になればなるほど鳴らすのが苦手という制約を持っており、非常にタイトな低音域を持つが深く沈むような表現が不得意なのだ。
それをAS16 ProとMDR-CD900STの比較でしっかりと認識した筆者が次に手に入れたのがTRNの「VX Pro」だ。
AS16 Proと同様に片側8基、LR両側計16基のBA型を多連装しつつ、従来のDD型を片側1基、両側2基を搭載する、全ドライバー18基ハイブリッド多連装という化物スペックなイヤホンである。
このスペックでVX Proも価格は約1万円。とんでもない価格破壊。
VX Proは高音域から中音域にかけてまで非常にハイレスポンスでありながら、低音域を担当するDD型のお陰で低音が発音する際に大きく空気を動かせてAS16 Proと比較して低音域がよく沈む。
耳が従来のDD型に慣れているというのもあるだろうが、この低音域の感覚は非常に好ましく、万人へAS16 Proとどちらをオススメするか?と言われると筆者はVX Proを推す。
AS16 Proのハキハキとしたタイトな低音域を好む人も少なくはないだろうが、迫力ある豊かな低音域のほうが万人に好まれる傾向があるのは確かだ。
VX Proも現代イヤホンらしく鳴りは派手、高音域と低音域が少々強調された音楽的な弱ドンシャリ型のチューニング。
キラキラと分離感のある高音域と、しっかりと空間を感じられる低音域はあらゆる現代ポピュラー音楽を聴きたい衝動に駆られる。
昔話も絡めて話しているのだからココは様々な楽器音が飛び交って音域も広い「ALI PROJECT」はどうだろうか?もちろん最初に再生するのは「禁じられた遊び」「聖少女領域」だ。
音楽制作でミキシング経験がある者ならばわかるだろうが、別々の楽器であっても担当音域が被ると両方とも目立ちにくくなってしまうことがある。
例えばそれが現代ポピュラー音楽では重要なボーカルと、そのボーカルを支えるバックで流れる楽器の音域が被るとボーカルも聴こえにくくなってしまう。ミュージシャンはそれを経験則的に知っているのでミキシングの時点でイコライジングして聴感上のバランスを取る。
それと同様にミュージシャンが例えイコライジングしていても音域の分離感が悪いイヤホンだと各々の大事な要素が被ってしまい聴こえにくくなるのだが、VX Proはそれがほとんど無い。
ボーカルはボーカル、ブラスはブラス、ストリングスはストリングスとしっかりと"書き分け"ており、オーケストラサウンドをフューチャーしたプログレッシブロックALI PROJECTが誇るバックバンドを聴かせつつ、宝野アリカの表現力のあるボーカルを損なうことがない。
特にDD型によるベースラインの深さは特筆に値する。底がしっかりしているおかげでALI PROJECT全体の音楽が世界観が明確になる。単に目立つ派手な高音域ばかり推せば良いわけではないのだ。低音域の支えによる相対的なコントラストが輝くような高音域を演出するのだとVX Proは教えてくれる。
欠点がないわけでない。
やはりDD型の宿命か、タイトさが求められたときフルBA型構成であるAS16 Proの歯切れの良さが勝る。まさに得手不得手の問題だ。
同時に2つ紹介しているのはKZの「ZAS」とCCAの「CA16 Pro」はハウジング筐体デザインが違うだけの姉妹製品だから。CCAはKZのサブブランドのような立ち位置であるらしい。
実際に購入する場合はハウジング筐体デザインの違いや販売価格を吟味して購入すると良いだろう。
ちなみに1万円以下8千円前後くらいの価格の安さも魅力だ。
筆者が購入したのはKZのZAS。
箱出しで早速聴いてみたが何と音がスッカスカ。事前のレビュー調査では低音域が非常に豊かであると触れ込みだったのだが・・・。
実はZASには罠がありZASの性能を十分に発揮するには付属のイヤーチップが低品質過ぎる。これも多くのレビューで触れられているので筆者も先人の導きによって神奈川県所在の株式会社Finalが販売しているイヤーチップ「TYPE E オールサイズ」を別途購入した。
ZASの優れたコストパフォーマンスがサードパーティイヤーチップを別途購入することで少々損なわれるのは口惜しいが、自身に合ったイヤーチップのサイズ感を調べるきっかけにはなったので良しとする。
Final TYPE Eイヤーチップへ交換し再度ZASで聴いてみると派手を通り越した大げさと言って良いチューニングだ!事前のレビューで読んだ通り低音域は前へ出ており深く深く沈んでいく。
ZASのドライバー構成はBA型が片側7基でLR両側計14基、DD型が片側1基でLR両側計2基、合わせて16基ハイブリッド多連装構成で当然ながら低音域はDD型が担当し、BA型が高音域〜中音域を担当するという仕様だ。
前述した通り、もう本当に低音域がすごい。
試しにTVアニメ「アイドルマスター XENOGLOSSIA」のオープニング曲「微熱S.O.S!!」を聴いてみる。
冒頭一発目から入る超重低音が特徴で、曲中もキックやベースが非常に目立つのだがZASで聴くともうブルンブルンだ。
BA型よりも大きく重いDD型の振動板がこれでもかと震えているのが感じられ、そのせいで耳たぶも一緒に振動してるんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。これは笑うしか無い!
続いてはアニメ「魔法先生ネギま!」からオープニング曲「ハッピー☆マテリアル」だ。
冒頭のバスキック三連打が気持ちよく、そして低音域だけど思われがちなZASだが14基のBA型がタイトにハキハキと高音域〜中音域を発音し、豊かな低音域を更に深めてくれるように感じた。ZASは低音マニアへ是非とも奨めたくなる非常に面白いチューニングになっている。
L知ってるか、カルフォルニアという州を。北にはシリコンバレーがあって南にはハリウッドがあるんだ。
シリコンバレーではポリコレが大人気だ。気軽に正義アピールができるので浅はかな人間に大ウケしている。Masterブランチが差別だと叫びながら良い学区に我先にと住みたがる。米国の公立校は学区で金を出し学区で教育内容も決めるので悪い学区に住んだらそれだけで将来に悪影響が及ぶ。Blacklistが差別だと声高に叫びながらgated communityに住みセグリゲーションの恩恵を受ける。サンフランシスコはドラッグ中毒のホームレスにまみれ薬局の棚には鍵がかけられている。950ドルまでは万引きしても捕まえられないので白昼堂々と万引きが行われている。
ハリウッドでもポリコレは留まるところを知らない。有色人種の声優は有色人種がやるべきなど意味不明な正義を撒き散らしながらも本質的な問題解決には一切興味がない。シリコンバレーの浅はかな経営者と同じく浅はかなパフォーマンスにすぎない。ビバリーヒルズから一歩出るとそこには大量のテントが張られている。そのコントラストは非常に美しい。ハリウッドがあるロサンゼルスは温暖な気候であることもありホームレスの数は全米でトップだ。
ポリコレは害悪だ。ポリコレに精を出す者も同罪だ。Masterブランチが差別だから変えろだのBlacklist/Whitelistが差別だから変えろだのMaster bedroomを言い換えろだのそんなことに時間とエネルギーを割いている人々は全員舌を噛んで死ぬべきなのだ。
「便通が来ちゃってピンチ!」
ユニットバスでシャワーを浴びている最中、急に催したためこのような独り言が口をついて出た。
話を戻す。口をついて出た独り言だが、妙に小気味よい。もう一度口に出す。
「便通が、来ちゃってピンチ。」
分かった。七五調だ。
便意を我慢しつつ体を洗った後の歯磨きまで完結させてからバスタブを出るか、シャワーを切り上げバスタブを出て排便→歯磨きの順にするか。
迷いながらも、おれは名句のきざしを無駄にはしない。この5-7の後にどんな5をつけてやろうかと、脳内のバンクから言葉を探し出す。
「蝉の声」。岩に染み入るあのやつだ。
「便通が 来ちゃってピンチ 蝉の声」
うん。状況にふさわしくない便意に焦るおれの事情とは無関係に、ただ鳴く蝉。
有名句の結句を考えなしにくっつけただけにしては、悪くない詩情が出たではないか。
一方で、俳句の形にしてみると「名句のきざし」などと感じたフレーズにも粗が目立つ。
・「ピンチ」って言っちゃうのがなんか良くない。感情は前面に出さず想像させるぐらいがよいと何かで読んだしおれもそう思う。
「マフラーの巻き方悩む十七歳」というのを見たときに「悩んでんのね、ふーん」で感想が終わった時のような物足りなさ。余白がない、というか。
便意は限界だ。すでに歯磨きに移行していたが判断は完全に誤りであった。シャワーを止め、歯ブラシを咥えたまま体を拭き、そのまま全裸でバスタブ隣の便器に着座する。ユニットバス便利だ。
滝のような便を排出するとともにクリアになった頭で、おれは推敲する。
・ピンチと言い切るかわりに、状況説明にとどめて余白を残そう。「風呂場での 急な便通 蝉の声」
・便通もダメだ。だいいち体言止め→体言止めはなんか芸がない。「風呂場での 急な便意や 蝉の声」
・切れ字使うとぐっと俳句っぽいな。と思うと「急な」が気になる。コテコテに古風にしたれ。「風呂場での にわか便意や 蝉の声」
・「での」。散文の会話っぽくてイヤ。「風呂場にて 急な便意や」…
・「にて」も違うな、「にて」を受けるのは動詞でなければ。やっぱり「◯◯の」は崩せん。
・「お風呂場の にわか便意や 蝉の声」。「お風呂場」は子どもっぽいなあ。まあ便意を俳句にしようなんて思う時点で子どもっぽいから似つかわしいか。かえって。
じゃあ「お風呂場の にわか便意や 蝉の声」で決まりってことでいいかな。排便と歯磨きを同時に終える慌ただしさの中で、おれの推敲にも終わりが見えてきた。
しかし、ユニットバスを出て下着を着るにおよび、閃きが頭を襲う。
風呂桶。
古風だな。いい。この「風呂桶」に引きずられるように、句の形が全部変わった。
なんかこう、切れ字はすごいな。
「卑小な人間=にわか便意と、悠久たる自然=蝉の声の対比」がテーマだったはずが、
ここに切れ字が来ると、その対立を風呂桶がすべて包み込むような印象になってくる。
便通が来ちゃってピンチ!の切迫感は完全に失われたなあ。ただ風呂桶がでっかく見えてまた違った味わい。
ううむ。
どっちがいいかなあ。
↑でも切迫感は減ってる感じするしなあ。↓だな。
翔太(かなた)はいつも友達の輪の真ん中にいる陽キャで、陽(あきら)は特進クラスに所属する秀才で単独行動を好む陰キャである。彼らは同じ高校に通う同学年だということしか共通点がないが、なぜかすれ違いざまによく目が合う。
そんな二人はある日の昼休み、屋上に続く階段の踊場で出会った。いつもそこで一人で過ごす陽の隣は何故か居心地がよく、翔太は昼休みごとに入り浸るようになる。
翔太が急に行方をくらますようになったことに彼の友人達は不審に思いはじめる。一方で、陽は翔太には言えない秘密を抱えていて……。
こういう少女漫画系学園恋愛物語を読むことは、自分は一生ないんでないかと思ったのだが、そう思いつつも今年に入ってから『君の膵臓を食べたい』とか『コクリコ坂から』とか読んどるやんけ、ならBLでも読めない訳がない! と急に気分が変わったので読んでみた。なお、本作は全くエロがない。
登場人物の喋りがYouTubeとかで見る今時の若者そのものだが、日常の過ごし方が二十数年前の学生とあまり変わってない感じなのが驚き。今時の高校生も放課後にカラオケなんて行ったりするの……私の住んでる辺りのカラオケボックスなんか、疫病とか関係なく軒並み潰れましたが……。
屋上への出入口に続く階段の踊場で二人が出会うなどという、いっけなーい! 遅刻遅刻! とパンくわえて走ってたら曲がり角でイケメンと側面衝突したくらいの伝説的ベタさからのスタートで、そこからベタが幾重にも畳みかけて来るのだが、こうもベタを貫いていると一周回って目新しく感じた。まあ、ベタな展開の漫画って実例を挙げよと言われると案外出てこない、まぼろしだったりするからなあ。でもはい、「屋上への出入口に続く階段の踊場で二人が出会う」作品はこちらでございます。もしも、そんな作品本当にあるの? と誰かが言ったら『コントラスト』とこれからは自信を持って答えられる。
約300ページの長編なんだけど、背景の描き込みが少ないのと、ストーリーや設定がベタベタなのとで、余計なことに目が行ったり考え込んだりさせられないので、さくさくと読み進められるし、登場人物の心理描写に集中できる。
主人公二人のキャラが定番ながらも厚みがあってよかった。陽の方はちょっと詰め込み過ぎではないかとも思ったけど。主人公二人ともそれぞれ複雑な思いを抱えていて、それで互いや周囲の人達と齟齬を生んだりもするけど、思いやりで人間関係が回転していて、なんとも優しい世界観。あまり棘がないのが今時って感じかなあ。
広沢大河は高校入学と同時に演劇部への入部を決めた。彼の夢はヒーローになることで、日本一のビッグな俳優を目指しているのだ。
そして演劇部の催物を見学に行った大河は、舞台上で踊っていた美少女「マリア様」に一目惚れをしてしまう。
勢いでマリア様に告白したもののあっさり断られた大河。彼はめげずに入部を志望し演劇部の門戸を叩く。ところがそこへ現れたマリア様は男子の制服を着ていて……。
またもエロの無い学園もの。ファンシーな表紙とは違い、中身はどえらくパワフルな少年漫画系。あまりにも勢いがすごくて唖然としてしまった。情熱が爆発している! なんだこれ……こんなBL見たことがない……。あとなんか演劇部の顧問がすごくパニー(どうぶつの森シリーズの)じゃん……。
若さとパワー漲ってるなぁ、と思ったら出版当時、作者はやはり二十歳少し手前くらいだったのだそうで、さもありなん。画力といい構成力といいとんでもない逸材だなあ、ストーリーはだいぶ荒いけど。すごい、将来に期待……と思ったら、PEYO先生こと江口公生先生は23歳の若さで夭折されたとのこと。悲しい。
3ヶ月位前の投稿でこれを探している人が居るのを見つけた。自分もほぼ同じ条件で探しに探しまくったので一応回答をおいておく
ちなむとアプライド&アラビア数字インデックスで1~12まで振ってある腕時計はマジで殆ど無く、あったとしてもコストがかかるからか高級時計が殆ど
○ デザインもシンプルで優れている。だってポルトギーゼの丸パクリだもの
○ スモールセコンド無しのやつとかクロノグラフ付きのやつとか自動巻き機械式のやつとか色々有る
✕ ベゼルが薄い
○ ベゼルが厚い
✕ ベゼルが薄い
○ ベゼルが極厚
✕ 悪趣味
✕ みやすさを求めてアラビア数字時計を探している人に勧めていい代物ではない
○ ベゼルが極厚
✕ 買えるもんなら買ってみろ
舞台は江戸時代の下町、猫が一番威張っている長屋、通称「鯖猫長屋」。猫描き絵師の拾楽は、故あってオスの美三毛猫のサバとともに細々と暮らしていた。
ある日、鯖猫長屋に一人の若い女性が越してきた。彼女の名はお智。独り身の若い女の独居なんて胡散臭いと、長屋の女達はざわつく一方、男衆はお智の美貌にそわそわ。ところがやはり、お智は厄介な事情を抱えていたようで、ひと悶着起きるのだった!
江戸時代小説を読むのなんてたぶん人生初なので、知らない単語が沢山あって、ググりの手が止まらない。そんなに長い小説ではないのに、読了まですごく時間がかかってしまった。でも、ここまで調べたんだから、もう江戸時代小説どんと来いや! って感じだな。問題は、私の記憶力が物凄く悪いってことだけど。
長屋に表と裏があるなんて知らなかった。時代劇に出てくる貧乏長屋は「裏長屋」なんだな。なるほど。
江戸時代ハートフル人情物かと思って読み始めたら、なんか思ってたんと微妙に違った。猫のサバのいばりん坊具合が想像の斜め上を言っていた。飼い主の拾楽に対するあしらいが杜撰でどS。つよい。そして猫なのに何でも解りすぎぃ。リアル寄りかと思ったら幽霊は出てくるし、拾楽はただのうらなりかと思ったらなかなかのチートぶりだし、成田屋の旦那は存在自体の浮世離れ感がすごい。
ふつうに下町人情が挟まってきつつ、ハートフル人情物とは思えない少年漫画的な活劇シーンがあったり、まあ退屈はしなかった。
登場人物のかけ合いがメインで、情景描写はほぼ死んでるぶん、知らない単語が頻出するとはいえ、頭をパァにして楽しめた。
人気シリーズだったらしく、図書館に文庫本が10巻までずらりと並んでいたから、後で続刊を読んでみよう。
今回はたまたま急展開な作品が多かった。そして人気作のいくつかが連載再開されて豪華な感じだが、全部で11作品しか載っていない……。私がこの雑誌を買い始めてそんなに長く経っていないけれど、今までで一番掲載作品が少なくないか? 大丈夫なのかCanna……。
前々回から主人公のアポロもフィーもそれぞれ人知れず悶々と悩むばかりなので、ちょっとストーリーが中弛んでいる印象かも。その前の話(2巻収録分)がかなり盛り上がっていたので、落差が激しいというか。(単行本でまとめて読むぶんには気にならないほどの弛み感かもしれないが)
で、やっと二人が劇的って訳でもなくベタに再会したのだが……、おや、なんだか道を外し始めたぞ。それはやっちゃダメなんじゃなかろうかという事をフィーが思いつき、窮状に陥って元気のなかったアポロがずるずると引き込まれてしまった。
テンションダウンしたところからこの流れは、楽しんで読めるかどうか微妙だ。共感力とモラルガン無視力を試されつつあるのかもしれない。じつに不安だけど続きが気になる。
うーん、第一印象よりは悪くない。でもいいとも思えんなあ。雑誌で推し作品のついでに読むぶんにはいいが、前情報無しで単行本を買って読んだら、膝から崩れ落ちそう。バンドマンBLが好きなら他をあたった方がいいと思う。『ギヴン』とか。
グループ交際回。すっごい、王道の少女漫画だなぁ。毎回読んでそう思う気がするのだが、王道過ぎてさっぱり記憶に残らないので、第1話どんなんだったっけと思って読み返した。王道の第1話だった。王道から一歩たりとも道を外したくない少女漫画好きの人にはおすすめできる、たぶん。
前回までずっと、ドロドロな昼ドラみたいな鬱展開が続いていたので、主人公の悠生が可哀想過ぎて読むのが辛かったのだが……。
うひょーー!! ついに悠生がブチキレたwwwwww しかも、ぷっつんした時の心の中の第一声が、
「くっっ……さいな」
(※攻めの恭悟が他所のΩの匂いをぷんぷんさせて帰宅したので)
って最高wwwww
キレにキレて反撃に出たところで次回に続く。頑張れ悠生ちゃんwwwww
しかし、悠生のモノローグで、元々自分はこういうキャラじゃなかったなどとあり、えっそうだったっけ? と思って第1話を再読。すると、子供時代の悠生は確かに成績優秀スポーツ万能で自信に満ち溢れていたようなのだが、第1話冒頭、恭悟と婚約した時にはすでに、昔の面影など全く残っていないほど暗いしもべ的なキャラになっていた、とのこと。恭悟は自信満々時代の悠生に惚れ込んで、多額の結納金を積んでまで悠生を手入れたのだが?
あれれぇ、これってもしかして、ハッピーエンドの予感じゃない???
はぁ、ネコチャンは癒し……のはずなのだが、今回はピリピリ回。いまぢの元同級生女子がほづつみを陥れた性悪サイコ女だと判明し、温厚ないまぢがガチギレ。こわい。しかし、ネコのサンの正体が宇宙人であることが何ら関係ない感じの展開で盛り上がってしまうのか? それはなんか微妙だ。
あぁ……私の最推し作品……。どうやら次回が最終回の模様。学生時代回想回、温泉回、頑張ってほにゃらら回と、エモーショナルな話が続いていて、主人公の佐田がゾンビで間宮がマッドサイエンティストだということを危うく忘れかけそうになっていたところ、今回は冒頭からふつうにに二人で殺人を犯していた。
めっちゃ突き付けられてからの急展開きた。本当にこの漫画、次回で終わってしまうの……?
学生時代回想回の盛り上がりがあまりにも凄かったために、最終回が尻切れとんぼになったらやだなとビクビクものでもある。しかも今回のラスト、すごい引きが強いし。どんな最終回になるのかなあ。佐田と間宮が実にいいキャラをしているので、終わってしまうのは残念なんだけど。
思ってたんと違うー! 全然ハードボイルドじゃないー! と衝撃を受けてから、もう7話も過ぎてしまった。今回も絵柄がハードボイルドな恋愛漫画だった。すごくほのぼのとしていた。今回のCannaは全体的に不穏展開が多めの中、この漫画だけがほっこりしている。まさかこれに癒される日がくるとはね……。
これもまた衝撃の展開。手に汗握っちゃうな……。ネコ耳獣人達がただのネコ耳獣人ではなかったと、初めて知った。
かなり久しぶりの本誌再登場。ちなみに、『石橋防衛隊(個人)』の方はpixiv漫画で無料で読めるはず。
今回も某衛大ネタ盛りだくさんというか、もはや某大が舞台のBLというよりは某大漫画となっている気が。今回も国分寺榛名は頑張っていた!
私は至極興味がないのだが、このシリーズは商業BL漫画の中ではとても人気がある。何故そんなに人気なのか、読んでもいまいちわからないのだが、少女漫画の王道みたいなところがよいのだろうか。
今回も私にはわからないが、これが人気なのか……と思って読了。
あれ? なんか一つ足りないような? と思ったら硯遼先生の『MADK』が休載だった。次が最終回らしい。
次回は『コントラスト』のitz先生の新連載が始まるらしい。『コントラスト』もすごく人気のある作品だ。まあ好みではないがわからなくもない。確かpixiv漫画で無料で読めるはず。『スリーピングデッド』が終わって『MADK』も終わるとなれば、新連載が1、2本始まっただけでは間に合わないと思うが。誰か推し作家さんの連載が始まらないかなー。
ちょっと可愛いけど可愛すぎないメガネモヤシおじさんが家で使っててもギリギリセーフなくらいの配色のやつで1万以下で買えるやつ
E-Whiteのケースに合う3トーンか2トーンの小洒落た配色がよくて、今んとこ気になってるのがosume sakuraかdalgonaあたり
どっちかというと後者の方が落ち着いてていいかな、でも未発売だし、前者はR2待ちでいつ入手できるか分からんやつだけど
アルファベット部分は白系かパステルくらいの薄い色つきのがいい(逆にここが濃くモディファイア部分が淡色でもいいが)
刻印は真っ黒じゃなくて多少色ついてたほうが好ましいな、XDAプロファイルによくあるど真ん中印字みたいなのも可
視認性は気にしないからごん太より細字の方がいいが、無字がいけるほど玄人ではない
プロファイルも気にはしないが今のがOEMだからそれ以外だとより好ましいかなくらい
素材はPBTでもABSでもいいが、厚みがあることと、Dye-Subなら印字がキー間でズレてたり滲みすぎてたり珍妙なフォントだったりしない程度の品質は欲しい
In-stockなやつだとPolyCaps Corn PBTなんかも好みだがもうちょっと落ち着いててもいいな
あとはTai-Hao Shell Sand Beachあたりか…? 印字が黄ばみすぎてて統一感ないのがちょっとアレだ
BoWにアクセントキー数個添えるって手も考えたがBoW自体が個人的にハイコントラストすぎてダサいと思うのでちょっとないかな
アクセントキーも派手すぎて目立つ色は手元見るたびにギョっとしそうで避けたい
Keychron Q1にひっそり追加されてるカラバリMint Greenのキーキャップだけ売ってくれればそれもかなりアリなんだがなー
AliExpressでGMKクローンを買うという手もなくはないんだが、なんかアレな気がしてアレよ
2月24日の昼間はそれでもちきりになった。
この文書が面白いのは信憑性ではない。むしろ、いま起きていることがちゃんと過不足なくそのまま表現されているという印象だ。
私は一般の人間でただウクライナ戦争に興味を持っただけだが、わたしの目から見たこの戦争のポイントを書き残してみたいと思った。
現在の諸国の指導者の中でも、プーチンはキャラがトップクラスに立っているほうだ。
ウラでは、プーチンという権力にとって邪魔な人間がバンバン消えている。
事実がどうということはおくとしても、明暗のコントラストというだけでもすごい。
しかし、対するウクライナのゼレンスキー大統領のキャラも、ぽっと出にしては立ちすぎている。
ゼレンスキーは、テレビドラマで大統領役をやって好評を博し、そのイメージのまま大統領選挙に出たら通ってしまったという経歴だ。
しかもそのコメディアンであったときの持ちネタのことも散々話題になっている。
そのうえで、大統領として首都キエフに残って戦い続けるという姿勢を堅持していることから支持率も爆上がりしているらしい。
そりゃあそうだろうな、という気分である。
いや、まったくキャラが立っている。
プーチンというデフェンディングチャンピオンと、挑戦者ゼレンスキーの戦いという観点からするととてもいい勝負だと言わざるを得ない。
もうその時点で目が離せない。
この対決で例えば普通の指導者を失脚させるという場合には、よく、スキャンダルのようなものを引っ張り出してきてどうにかするということがある。
プーチンはもう20年もトップにあるので、あらかたスキャンダルのようなものは出尽くしてしまっているし、そのうえで、余計なものは洗い出されて消されている。
対するゼレンスキーは、Twitterでも散々話題になっているが、そもそもが、テレビに出て壇上で男性自身でピアノを弾くという、ある意味ノーガード戦法フル・モンティ戦術で立っている。
これを見て、内心で楽しまないひとというのはやはり人間として「どうか?」と思う。
ロシアが他国に攻め込むということはもう言い古されたことだが重大すぎる意味を持っている。
議決で拒否権を行使すると他のどれだけの国が賛成していたとしても否決される。
国連安保理で意思表示をしましょう、という議決があって、200近い国のほぼ全部が賛成しても、たった1国、常任理事国がNOと言ったらNOなのだ。
それがロシアだ。
ロシアは常任理事国だから拒否権を行使するだろうとみんな思ったし実際にそうなった。
ただ、今回の戦争で、この仕組みにも、ちゃんとフェイルセーフがあることがわかって勉強になった。
つまり、緊急会合という、常任理事国の拒否権の及ばない形で、国連として意思表示ができる仕組みがあり、ちゃんとそれが発動したことは、よく考えられているなあと思った。
これはとても意味がある。
国連はロシアの行動を公式に戦争と認めたということにほかならない。
明治維新で言えば、菊の御紋、錦の御旗だ。
こうなれば本人がどれだけ「特殊軍事作戦だ」と言い張ろうと、戦争は戦争だ。
アメリカは第二次世界大戦のあと、何度も他国に軍を派遣しているが、朝鮮戦争以後の戦争でペイしたのは湾岸戦争である。
つまり、安保理が動かないことにはどんな国も動きたくないのである。
そういう、世界の安全保障に対して大きすぎる責任を負っている安保理常任理事国が、よもや侵略戦争をおっぱじめるなんて思いもしないことがおきたというわけだ。
侵略戦争というのはつまり、他の国の領土をぶんどろうということである。
日本の首相も「武力による現状の変更」と繰り返しているが、そういうことだ。
G7の会合で首相が、ロシアが核兵器を行使することをちらつかせることに対し、自分の地盤である広島を持ち出して、反対の意思を表明したのはなかなかいいなあと思った。
結局ウクライナの戦争というのはNATOの話なので、日本としては関係ないのだが、まあ、そういう形で「核兵器は許さん!」と息巻いてもふつうならドッチラケになる。でも、ホームタウンが広島ということになると意味が随分変わってくる。
だから議論がどう変わるかということは一切ないけれど、「ああ、このひとはそういう強いお気持ちがあるのね」というのは伝わるだろう。
ヨーロッパの軍事連合体のNATOはロシアの拡大の可能性に対して身構えるなか、一気に大きな動きがあった。
歴史からすれば「まさか」ということがいくつも積み上がってコピペまとめになっていっている。
いくつかあるが「ドイツが軍拡を表明するレベル」「スイスが中立を破って経済制裁に加わるレベル」というものだ。
ドイツが作った車を売る。
まわりの国はドイツに働きに行って車を作る。
ただ、その都度イキってしまって空気読めなくて調子乗って、それで戦争おっぱじめてボコボコにされるというパターンだった。
今回は満を持して、連合国側に入った。これがアツい。
背景となったことで重要なのはロシアが、SDGsという国連の枠組みを追い風にして、他の欧州諸国に対して自分たちの輸出するエネルギー・資源に依存するように仕向けていった流れがある。
グレタ・トゥーンベリなんかに対してプーチンはずいぶん肩を持っていた。
いまにしてみるとなるほどと理解できる。
SDGsから石炭を回避して、天然ガスにしたいという世界というか特にEU・欧州の流れを、資源大国であるロシアは歓迎していたのだ。
展開としてひときわ興味を引くのは、その超大国ロシアに攻め込まれた小国ウクライナが、意外にも持ちこたえてしまったことだった。
ウクライナを攻略せんと投入された戦車は、道路をなんと64キロも埋めつくしているという。
なんという数の大軍だろうか。
その戦車は、なにをしているかというと、1週間以上待機している。
なぜ道路しか通れないかといえば、ウクライナの平原は現在の時期、雪解けのために泥濘になってしまっている。
この泥濘はいかな戦車といえど突入するやいなや沈んでしまい、行動不能に陥る。
しかもそのタンクローリーは、ウクライナ軍に狙い撃ちされてあえなく喪失してしまった。
なんだよ、このコントみたいな展開は。
戦車だけでなく、投入された兵士たちも練度が浅く、すぐに戦線を離脱しているというウクライナ側の発表も続いている。
それを鵜呑みにするのではない。
アルファブロガーのfinalventは、この戦争の基軸を、クリミアとアゾフ海の保全だろうJK、とYoutubeで言っていた。
これは3週間経った時点でもいちおう一定の見通しとしてはまだ成立してはいる。
彼以外でも、ロシアの動きとしては(ウクライナの)「北では雑、南は緻密」という見方が広がっているようだ。
北が雑と言っても、もう流石に北も飽和してきている。
総攻撃まで時間の問題だろうというのはペンタゴンも言い始めている。
やはり露助の物量はすさまじいので、おおかたのひとが予想したように、ロシアは悪虐街道を爆走中である。
しかもその悪虐を全部ウクライナ側のやったことだと主張している。
どうやらマンションに地対空ミサイルが突っ込んだのはウクライナ側らしいとも言う。ただ、街の広場に巡航ミサイルが突っ込んだのはロシアのものだともいう。
大事なのは、そうした主張・発表の整合性を、政権の中枢や、大本営発表だけでなく、駐日大使あたりまで全部整合性を取るように徹底している。
もちろん、古来、大使・外交官という存在は、リモートかつオフラインの状態でありながらも、自国が駆動している根本の論理を考え詰めて、どんな状況を突きつけられても、その場で取り繕えるような論理の訓練をしているのだということは、例えば佐藤優が書いていたように思う。
もっとも佐藤優はこの事変のさなかで随分、親プーチン的な姿勢を批判されているが。
専門家としてTwitterでながく生息していたミリオタのひとが有識者としてメディアに出ずっぱりになっているのも面白い。
そのハンドルネームが「丸の内OL(27)」だったり「コスメ女子@美容垢」だったりしてネタになることも華を添えている。
いまは「人」だ。
ただ、彼を中心とした専門家たちも結局ほんとうにどうして起きたのか、何が起きているのか、これからどうなるのかということはわからないでいる。
わからないでいるのであれば何も考えなくていいいかといえば、そうではない。
事実として、現在進行系で、ひとは確実に死んでいるということがわかる。
これは重大である。
米国は、ロシアが侵攻するまでの意思決定をかなりの精度で把握した上で、それをおおっぴらにすることで、かえって侵攻を抑止しようとしたと言われている。
そういうわけで、わたし自身は、基本的に情勢を、ペンタゴンの分析を軸に見ていくのがいいと思っている。
ともあれ、現状では何もわからないままだ。
だから、開戦1週間はずっとこのウクライナの話題を追いかけてしまった。
しかし、1週間をすぎたあたりから、戦況が膠着から、どんどんウクライナ市民の被害が拡大していくなかで、冷静に恐怖が高まってきた。
どう考えても落ち目の国のロシアだが、資源と核を握り続けている分、他の国は手を出せない。
そういう、暗い、なんというか耐え難いビジョンを前に、正気を保つというのはそれ自体が困難な挑戦だ。
さて、笑い話ではないところとして、この事例は、顔貌がよく似たひとびととの実力行使のうらで生じうる破壊工作がどのように起きていくかという現在進行系の事例であることだ。
そうした、個々の情報がリアルタイムで出てくることに対して、どう反応するかということを自分で鍛える絶好の機会である、ということだ。
これは日本にとっても決して見逃してはいけない瞬間であると思う。
似た顔、似た容姿、深い断絶の関係から、潜入してくる存在にどう対処するかという格好の事例となるだろう。
特にSNS、つまりリアルタイムで情報端末に全世界のひとびとがつながっている状態で発生した戦争ということで、乱れ飛ぶナラティブが、ロシアもウクライナ側もすごい。
陰謀論はかまびすしい。
この二週間で、いろいろなプーチン擁護やウクライナ陰謀論が出てきた。
それがロシアから出てくるならわかるが、ぜんぜん関係ない日本のタレント評論家勢がそうしたことをタレ流しているらしいことが伝わってくる。
肩を持たないまでも、「両論併記」のようなことをいう。
本稿はどちらが正しいかを論じるわけではないけれども、私は西側主流派の見解をいちおう沿って考えているので、そうした見方を、両論併記まで含めて、ある程度の陰謀論として遇する。
ここで言いたいのは、陰謀論というのは、「認知的不協和の否認」として出現するのだなということがハッキリわかったということだ。
あと、歴史を除く人文の研究者らしきひとがTwitterとかにでてきて「いまこそ思想の研究が大事なんだ」と絶叫する例が流れてきたりした。
そりゃないだろ、と思う。
せいぜい役に立つとしたら、人間の社会性にビルトインされたバイアスをときほぐす、社会心理学のような取り組みにとどまるだろう。
つらつらと書いてきたが、おおっぴらに書けないことばかりなので、増田に上げる。
まず、「コロナに飽きた」ということからして、オモテでは書きづらい。
医者だからといってまともじゃないのもいっぱいいるが、医者だからといってちゃんと考えられるわけでもない。
私がコロナについて知りたいのはもっとどうして発症するのかとか、どうして死ぬのかとか、そうしたメカニズム面でのことだった。
私は確かに館林ルイの偽者でしたけれど、ご主人様は女性として生きていたころから好きでした。
だからたまにはご主人様が美空として生きていた頃の姿も見たいのです。
双子でも成長につれ微妙に顔つきが異なっていくように私の姿とご主人様のスーツの中の女としての姿は微妙に違うはずです。
その唯一無二のありのままのご主人様の女性としての姿も愛でたいのです。
私が他の女とレズセックスをするようになってしまってもいいのですか。
その肉体が着脱可能なスーツと考えてみるといろんなプレイが思い浮かぶのです。
たとえば背中が開くようになっているはずなのですが、そうしてぱっくり見えた背中とスーツとのコントラストを楽しんだり、あなたの女としての身体が放つ蒸れと体臭を今すぐ嗅いでみたりしたいのです。
今の私は美空そのものでその体臭とかもご主人様の女性としての肉体が発するものと同じはずなのでしょうが、やっぱりいくら好きな人の体臭でも一度それに成り代わってしまっては、自分で自分を嗅ぐということに興奮することには限界があるのです。
小難しい言い方になってしまいますが自己ではない客体というか、自分の身体とは異なるものとして「美空」の匂いを嗅いで見たいのです。それは当然赤の他人に美空のスーツを着てもらうとかではなく、あらゆる意味でご主人様の女としてのもともとの身体が相応しい。
妥協案もあります。せめて顔の部分だけでもスーツを脱いでみてくれませんか。男性の肉体に不釣合いな可愛らしいご主人様の顔というのもまた想像するだけで悶えて来るのです。男女としてのセックスではなくたまにはそんなプレイも楽しんでみたいのです。
せっかくもともとは可愛らしい女性の姿で生まれて来たのですから、たまにはその可憐な顔も見せてください。その愛のあるまなざしやサドな表情は女性としての顔であってもいささかも魅力を失うものではありません。それどころかその顔のみの魅力というものも私は見出しているのです。
昔の職場で、Windowsの画面がいわゆるハイコントラストになっている人がいた。
「〇〇さんの画面はハイコントラストなんですね」と上司に言ったところ、「うん、そういう理由は考えないでいいから」と言われた。
はあ?ハイコントラスト使ってますね、って言っただけなのだが・・・
馬鹿でもないかぎり色覚障害とかそういう知識は常識としてあるはずで、中卒みたいにそんなことでいじったり叫んだりするわけねえだろ。
「それを話題にすること自体がタブー」みたいな扱いは障碍者に対しても失礼だろ。
バイト女子をナンパした客をストーカーして自宅までついていくみたいな事件起こすんだろうな、と思った。
ハイコントラストの社員もバイト女子もお前の家族じゃねえよ豚。
文学者・文芸者としては超一流だった。都知事の会見での回答なども文学者っぽかった。
そういう点では宮崎駿監督も同じ匂いを感じる。絵描き・映像監督と政治家で違うけども、根本は文学者だと思う。
文学や新聞がメディアの中心でなくなった以上、こういう人はもう現れないだろうなあ。
石原慎太郎氏、自作を語る『わが人生の時の時』、死の影と生の充実
「こんなにいろいろ体験した物書きはいない。ある意味、ぜいたくな人生だと思うよ」と話す石原慎太郎さん(酒巻俊介撮影)
DSC_3468『わが人生の時の時』
政界を引退して4年余りが過ぎた石原慎太郎さん(86)はサッカーにヨットにダイビングに、とさまざまなスポーツに熱中してきた。そんな“肉体派”作家の身体と感性が鮮やかに結晶したのが、平成が始まって間もなく刊行された自伝的掌編集『わが人生の時の時』(平成2年)。かけがえのない時の断片を乾いた筆致でつづった40の掌編は死と隣り合わせにある生の輝きを静かにうたいあげる。(聞き手 海老沢類)
この本は不思議なきっかけでね、大江健三郎のおかげなんですよ。テレビ局の依頼で反核運動が盛んだった西ドイツ(当時)に取材に行ったら、同じ目的で来ていた大江と会った。ベルリンの壁の前で僕は覚えたてのスキューバダイビングの話を彼にしたんです。この本に書いたオキノエラブウナギという猛毒をもった不思議なウミヘビと遭遇した体験を語って「海の底は全然違う宇宙で、いろんな発見があるんだ」と。大江はやけに感心して「石原さん、そういう話、絶対書きとめておいた方がいいですよ」と言う。
思えば、僕は他の作家にはない体験をしてきたし、いろんな人と出会って面白い話も聞いてきた。人生を記録として残そうとしたんです。書きながら人生を感じ直したよね、強烈に。
《収録された40編の多くが海での体験談。知人の遭難や自身の大けが、巨大な生物との遭遇などが回想される。弟の俳優・裕次郎さんとの別れや霊の存在を示唆するような不思議な出来事、戦時の日常も描かれる》
僕は肉体派だからね。肉体を使った行為というのはその裏側に必ず死の影がある。スキューバダイビングでも随分怖い目に遭ったし、遭難にも立ち合った。避けようもない落雷をヨットの甲板上で目にする「落雷」という一編があるけれど、あのときはコンパスがクルクル回るのが気持ち悪かったね。
ただ僕はね、恐怖は人間が味わう一番の感動だと思う。恐怖が通り過ぎた後には安息があるし、たった今過ぎていった凝縮された時間の充実をも感じる。死とのコントラストの中での生の味わいは深いですよ。死は人間にとって最後の未知だから興味がある。この掌編群はいわば、いつ死ぬのかな、という緊張の中でとらえた生と死のフラグメント(断片)なんです。
戦時の体験も書きました。横須賀から出航する前、家族と最後の別れをする将校の姿とかね。僕らをかわいがって膝の上に乗せて頭をなでてくれた青年将校が死んでいく。その妻が葬式で何も入っていない骨壺を抱いている…。戦争の不条理や残酷さは僕の中に鬱積して、国家への愛着、そしてアメリカに対する反発となった。盛田昭夫さん(ソニー元会長)との共著『「NO」と言える日本』(元年)もそういうものが潜在意識にあって書いたんです。
《26年、衆議院議員を最後に政界を引退。精力的に執筆を続け、田中角栄元首相の生涯を一人称でつづった『天才』(28年)は大ベストセラーに。現在も文芸誌に小説を連載する》
随分危ないこともやってきたと思うけれど、僕はそれはそれでとてもエンジョイしてきた。自分をつき動かすのは結局、人生に対する好奇心なんだよね。
ライフワークが一つあってね。仏教徒だから法華経を現代語に訳そうと思っている。法華経は非常に哲学的で、存在や時間について深く考えさせる。今は道半ばだけれど死ぬまでに完成したい。
やっぱり小説が一番面白いよ。政治家同士のだまし合いなんか、最も薄っぺらいね。僕は作家だしヨットマンですよ、ずっと。でも時化(しけ)たレースではさすがにもう乗れないな。
◇
『わが人生の時の時』 文芸誌「新潮」の平成元年10、11月号に掲載。翌2年に新潮社から単行本が刊行され、後に文庫化された。『石原愼太郎の文学』(全10巻、文芸春秋)の第8巻に、エッセー『わが人生の時の会話』とともに収められている。
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〈いしはら・しんたろう〉昭和7年、神戸市生まれ。一橋大在学中の30年に「太陽の季節」でデビューし、翌年に同作で芥川賞。『化石の森』で芸術選奨文部大臣賞、『生還』で平林たい子文学賞。43年に参議院議員に当選。後に衆議院に移り環境庁長官、運輸相などを歴任。平成11年から24年まで東京都知事を務めた。
あの画面のコントラストうっすいうっすい見づらいヤツなー!!(苦笑)
最近の少年/少女少年漫画の話題にあやかって。少年少女というか、男性・女性漫画家の話だが。
https://somethingorange.biz/archives/8717
このブログを見て、そういや清水玲子読みたいんだったと思い出し「秘密」を購入した。
で、読んでいて感じたのが標題の件である。あ、秘密はとても面白かったです。全巻一気に買いました。ご紹介ありがとうございます。
本題。
ジャンル問わず少なからず漫画を読んできたが、男性漫画家の描く子供、ないし子供絡みの物語は大なり小なり希望を感じさせる。子供絡みだけは「守られている」。悲惨な事件でも子供だけは無事であったり、痛ましい結果に終わっても最後は多少の救いが残されている。ことが多い。気がする。統計取ったわけじゃないけど。どことなく前向きに終わるというかね。
一方で女性漫画家の場合は、希望も描かれるし絶望も描かれる。そしてその強度、コントラストがとにかく強い。子供への愛情を表現するコマは、まるで神の子を授かったかのような神々しい光を放つ(清水玲子を含む一部の漫画家の場合、同時に酷く生々しい印象も受けるのが凄い)。対して、子供を喪失した際の憎悪や悲しみは、コントラストに強いとされる有機ELテレビ(最近買った)でも表現できない黒だ。前なんか一切向かない。後ろも向かない。どこにも向かわない陰だけが描写される。
男性漫画家は子供に対して希望・絶望の軸で展開するのに対し、女性漫画家の場合は愛・憎で展開する、というのが自分としてはしっくりする理解かも知れない。
私も最近子を持ったが、妻と私では大分、我が子への愛の形が異なる気がする。もちろんそこに優劣はないけれど、こういう差異を感じさせてくれる表現に出会えるのが、少女漫画・少年漫画というジャンル分けのメリットなのかもね、と感じた次第です。
「アンソロジー」っていうけど同人誌ではなく、商業BL雑誌。雑誌の雰囲気は少年漫画・青年漫画風味でストーリー重視・エロ少なめ……らしい。BLにしては、ということかも。ちなみに出版社はフランス書院。だからといってハーレクイン的なラブロマンス色があるわけではないけど。
古代中国のような世界観。「鴆」という鳥の獣人みたいな生物を飼育するのが一種の金持ちの道楽となっている。鴆は食べ物によって羽根の色が変わる。鴆のオーナー達は鴆の羽根色を競わせるのだ。鴆を飼育する人のことを「鴆飼(ジェンスー)」と呼ぶ。
本作のカップリングは、ティェンラン(鴆であり鴆飼でもある)×リュイ(人間の若者で盗賊)。
私は途中から読んだので全体のストーリーをいまいちわかっていないんだけど、今回のお話は、なんかリュイが昔の盗賊仲間を売って逆襲されそうになってるとこらしい。
手練のプロ作家の作品! って感じですごく読みやすい。絵も綺麗。ストーリーはたぶん感動とか衝撃というよりは「無難な感じ」だ。アートだ。熱烈に惹かれるというよりはコレクション欲をかきたてられるというか。単行本出たら買おうかなぁー。
大人気BL小説家・凪良ゆう先生の同名小説が原作。主人公はゲイ男性を専門に狙う詐欺師。パパ活のようなことをしては男から金を巻き上げている。
そもそも凪良先生は物語で読ませる作家というよりは文体で読ませる作家。そういう作家さんの作品を原作としても、やっぱり最大の魅力「地の文」が消えてしまうので、なんだかなぁーと。
漫画を描いた人は人気のBL漫画家らしいけど、別に……うん。繊細な画面とかなんとか宣伝されているのを見たけど、私は画面が白いなとしか思わない。でも面白そうではある、原作小説が。まあ、小説のメディアミックスっていうのは、大体引き算だよなぁ。
高校生主人公の学園もの。特に秀でた所のない佑征が、幼なじみで何でも小器用にこなしてしまう天才肌の樹を好きだけど好きと言えずに悶々としたりツンツンしたりする。少女漫画風味隠れゲイの苦悩話。カプの左右不明。今回は子供時代の回想メイン。
よくある話だなと。でも月並少女漫画みたいな作風の漫画は意外と求められているもだろうか。去年は『コントラスト』(itz)がヒットしていたことだし。たぶん、好きな人は好きなんだろう。
獣医師が知り合いの親切なおばちゃんに頼まれて、町外れに蟄居している少年を診察しに行く。少年は全身の皮膚が鱗化して角まで生えるという奇病に罹っている。獣医師はなんとか少年を診察しようとするが、少年は人間不審を拗らせており、患部を見せることすらしたがらない。診察するのしないので揉めている最中。
自称宇宙からの侵略者で人語を操る猫が、穂堤(ほづつみ)と今市(いまぢ)と犬のチャヅケの住む家に転がり込んでくる。その日常。今回はほづつみといまぢが致している所を宇宙猫のサンが覗き見して、なんだかんだ揉める。なお、サンは宇宙猫だけれど、虚を衝かれたかのような顔つきをしている訳ではない。
ああ、オチはやっぱりそうなるんだ……w
オメガバース設定作品。αだったはずの主人公・悠生は何故かバース性がΩに転換してしまう。成績優秀で親の期待に添えていたはずが、一転して無能の産むだけが取り柄の人扱いに。そして悠生は彼を見初めた男・恭悟に金で買われてしまう。以来、悠生は恭悟に服従状態。恭悟は悠生の心からの笑顔が見たくて、有名進学高校への転入を勧めるが……。
ちょっと昔の男女格差をごりごりに風刺したような内容で、精神にかなりクる。『82年生まれ キム・ジヨン』みたいに、細かいところで心をポキポキ折ってくるような。そしてレディコミみたいにねちねちドロドロしてる。
攻めでαの恭悟が無自覚に強者の傲慢から悠生に復学を勧めておきつつ、嫉妬に駆られてあっさりと梯子を外す、その態度の豹変がとてもリアルだ。もうやめて、それはただのDVよ!
はぁ、つらい……。つい読んじゃったけど、私はこういう類の悲愴感をBLには求めていないかなとも思う。
もはや男女カップリングではここまで時代錯誤なネタは迂闊に描けないから、オメガバース設定が表現の駆け込み寺みたいな役を果たしているのかなという気もする。
戦闘用サイボーグのイーサンが生身の人間のミハイルに恋をしちゃう話。
普通に恋愛してるなぁ……。連載開始当初は、なんかもっとこうシビアでストーリー重視のハードボイルドが始まるのかなと思ったら全然。かわいいミハイルにイーサンが惚れてしまい油液が飛ぶ(←言葉通りの意味)BLだった。
一回ミハイルが死にそうになったくらいで、特別な事件が起こる訳でもない。もっぱらイーサンが「これが恋……?」と動揺しているだけである。だが正直、あまり萌えはないかな。そういえば、ミハイルってイーサンのこと好きなの?
サイコパス過ぎて人の世には居場所のないマコトちゃんが、悪魔Jを召喚して魔界に行き、悪魔に生まれ変わって無双する話?
悪魔は人に名前を忘れられると消えてしまうらしく、マコトはJが孤立するよう根回しをし、彼を弱体化させる。今回は久しぶりにマコトがJのもとを訪問するところ。
連載の半分も読んでいないせいでストーリーや登場人物の関係性をいまいち把握出来ていないという私の個人的事情を差っ引いても、何を言っているのかよくわからない台詞がいくつかあるような?
とにかく、マコトとJによる激しい心理戦が繰り広げられていることだけはわかった。愛憎が入り交じるというよりかは愛情表現がおかしい二人なのか。
旅人のオルは城塞都市ペルオテに着くやいなや荷物を盗まれ、無一文の身元不明人なってしまう。そんな彼は娼館の下働きとなり、娼夫・アコニとなんかあれな感じになる。
ストーリーがよく分からないので、1話の試し読み数ページを読んでやっとオルの境遇を理解した。この人が主人公だったのか……。てっきりアコニさんが主人公なのかと。今回もまあよく分からないけど、ねこみみ獣人達は娼館にいる方がマシみたいな設定なのだろうか?
主人公でアルバイトの子が勤め先のオーナーに惚れて、そのオーナーって人が胡散臭いレベルのスパダリなのだが、主人公と付き合っているのかいないのか微妙なセフレ関係っぽい付き合いをするから主人公が病んじゃって、でもスパダリはスパダリパワー全開で主人公をよしよしいい子いい子してくれるって話。
ありがとうベルガモット&サニーデイありがとう! タイトルだけはなんか好きだった!!
高校教師の佐田は見た目性格ともに非の打ち所のないイケメンで、同僚や生徒からの人気が高い。そんな彼はある夜、不慮の事故に遭う。次に目を覚ました時には手術台の上で、科学者の間宮が側についていた。間宮によれば、佐田は一度死んだところを間宮の手によって蘇生させられたが、ゾンビのようなものとして生まれ変わったのだという。
間宮家で始まる、ゾンビと猿のような人間とリアル猿の、二人と一匹暮らし。
思いがけず萌えとラブに全力投球な本作。第1話のシリアスでダークな雰囲気から行き着いたのがここなの? たのしい大人の修学旅行なの!? 唐突なようでいて自然な流れで旅行して、ちょっと揉めたり仲直りしたりお互いに理解を深め合ったり、でも片想いは片想いのままだったり、心理描写がすごい。リアル。
これまでの朝田ねむい先生の作品は恋愛色の薄い作品が多かったのだけれども、まさかゾンビ物で究極のラブストーリーを描いてしまうとは。
https://anond.hatelabo.jp/20220113151632
すまんけど、私は表紙見ただけで回れ右だな。エロ売り作家は基本読まない。いうてBLなんかエロばっかりじゃないかいと言われるかもしれないし、実際エロばっかりなのだが、表紙であからさまに「ある種のエロしかないです」と主張してるような作品は、読んでも気分悪くなるので読まないです。
めちゃくちゃかわいい。
育ってきて更にかわいくなっていて、案の定スマホのアルバムがすごいことになっている。
良いカメラ買っても使いこなしたり、写真を見るためにデータ移したりするのが面倒なので、もっぱらスマで撮っている。
可愛すぎるからカメラの性能の良いスマホにしようと思ってiPhoneを買った。タピオカカメラが2つついてるやつ。
ふと気がついたのだが、よく笑うようになった天使のような2ヶ月の娘は、私がiPhone越しに娘を見ているときも全力で笑っている。
なんなら私よりiPhoneに向かって笑っている。
どうやら娘は、
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↑こういう丸い点が2つあるものに対してニコニコしているようだ。
私にニコニコ。ミッフィーにもニコニコ。そのノリでiPhoneのデュアルレンズにもニコニコしてくれているらしい。
これって世間の皆さんは既に知っているのかな?あまり知られていなければ色んな人に伝えたい。
iPhoneは高いし、そのうち点が2つ以外に顔やらカメラを認識してニコニコするようになるとは思うけど、めちゃくちゃ可愛い笑顔の写真がたくさん撮れるなら安い買い物だ。
ちなみに、私のiPhoneは明るい緑色なので、はっきひ見えやすいが、夫のiPhoneは同じデュアルレンズでも本体も黒なので、コントラストが薄いからかあんまり効果がないように感じる。
まあ、iPhoneじゃなくてもレンズが2つ?あって目みたいになってればいいのかな?
ちなみに、トリプルレンズとかたくさんあるやつはどうなんだろう?赤ちゃんは顔っぽかったら笑うのだとすれば、多すぎると逆効果なのかな。