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2020-09-09

anond:20200908100247

元増田的には『少女少年』はダメなんだよねりなちゃじゃないから。掲載誌(小学館学年誌)の対象年齢はりなちゃと同等だけど。

シリーズちゃお移籍したら女主人公にされちゃったしね。

2020-01-14

エロ漫画女の子って乳がんにならなそう

おっぱい描写が上手な作家

https://anond.hatelabo.jp/20200114175822

この増田読んでてこんなこと考えたことあったなーって思い出したっていうか今でも思ってるんだけど

私は漫画好きが高じて色んなジャンルを読むようになった人間少女少年青年レディースはもとよりエロ漫画からBL漫画まであれこれ多読乱読を重ねて生きてきたんだけど

数年前のある日胸にしこりが触ることに気がついてすわ乳がんでは、と思い恐ろしくて気が気でなくなった

本当にそうだったらどうしようと思うと病院に行くのも二の足を踏んで、まあ結局は行ったんだけれども

検査して結果を待つ間病気になったあとのことや治療の事を考えすぎて不安でどうしようもなくなって漫画を読んで気を紛らわそうとして色々ぱらぱらめくったとき

いつもみたいにエロ漫画も見ていつもの女の子のきれいでむっちりつるんとした張りのある胸見てああーエロ漫画女の子病気にならなそうでいいな、

乳がんにならなそうでいいな…ってふっと思っちゃってその考えが止まらなくなっちゃってなんかつらくなってエロ漫画全然読めなくなっちゃった

女の子が不幸になる系とか妊娠する系とかグロ系とか好んで読んでたらそんなことないって思ったかもだしまた違った感想を持ったのかもしれないけどとにかくエロ漫画の中の女の子

「それだけ」の存在でいつも健康そうで幸せそうにセックスできてこんなに生々しいものを描いてるのに肉体がない感じで

現実のつらいことなんか全然なさそうな感じに描かれてるような気になってつらくなって読めなくなった

しばらくして思いつめすぎて死にそうになりながら検査結果聞きに行ってそのときは結局大丈夫ですっっっごいほっとしてマジで泣いた

しばらくはずっと不安定だったけどだんだん安心してきたらまたエロ漫画読めるようになってあの不安だった時にぽっと浮かんできたあの考えについて反芻したりして

漫画漫画として読めなくなるほど参っててバカみたいだったなあ、と思うのと同時に

あのとき思ったことにはエロ漫画というものについての何がしかの真理みたいなことが含まれてるような気もした

あんなにも生々しいけれども現実にはリアルセックスとは違っている理想化されたなにか完璧もの世界

そこに不幸や現実や生身の肉体の持つ不合理さ不便さ、病気等の変化などの片鱗がないからこそ安心して読める世界というか、

現実がそうでないからこそそれが必要エロ漫画ってあっていいんだよなー、漫画の中の女の子健康なことっていいことだ…って思ってなんか妙に安心して

この数年はきちんと乳がん検診に通いながら楽しいエロ漫画含む漫画ライフを送ってる うまくち醤油さん、いいよね… 

2019-12-10

少しイキッたことを言わせてもらえるなら、

関西弁でも、キモオタでも、ブクマ10超えは達成できる」っていうこと増田を始めようとしてる少女少年に伝えたかったんです。

2019-01-26

女装TS漫画面白いのある?

今まで読んだ本

  1. ストップ!ひばりくん!!
  2. 艶姿純情娘
  3. 少年アリス
  4. 少女少年
  5. 男のち女時々!?
  6. らんま1/2
  7. ふたばチェンジ

元々女装TSじゃなくても、話の途中に女装したりTSする作品でもいいんだけど。

追記:教えてもらった作品は、片っ端から読んでみることにする。ありがとう

2018-06-25

幸色のワンルーム』について、弁護士太田啓子氏の記事に思うこと

幸色のワンルーム』(以下、「幸色」)放送中止騒動について、弁護士太田啓子氏の記事を読んで思ったこと。

この日記は、以下の記事を読んでの感想である。筆者が、他所での議論ほとんど追えていないことについては、ご容赦願いたい。

幸色のワンルーム放送中止批判の嵐……弁護士太田啓子氏が「誘拐肯定」の意味を語る

http://www.cyzowoman.com/2018/06/post_190588_1.html

以下では、当該記事の内容について適宜要約し、筆者なりの疑問点を整理していく。

【元記事の要約①】「幸色」放送中止への批判として、『ルパン三世』や『名探偵コナン』は放送中止にならないのに、なぜ「幸色」だけが、というものがある。この批判に対して、太田氏は、現実における殺人犯誘拐犯の認知の違いを説明することで応答している。すなわち、殺人犯自身行為殺人である認識している一方で、誘拐犯はその限りではない、という。また、この認識の違いは、これらの犯罪行為を受け止める側の人々の認識の違いと並行している。

→<①への疑問>太田の応答は、“現実における殺人犯自己行為殺人である認識しており、それを受け止める側の人々もそうなのだから殺人にまつわる番組放送したところで問題はない」というものであり、確かにルパン」や「コナン」が放送中止にならない理由説明しようとはしている(内容の是非は置いておいて)。しかし、この議論から導き出せるのは、せいぜい“誘拐テーマ殺人よりも注意して放送すべきである”程度のところまでであり、副題の「なぜ殺人OKで、誘拐NGなのか」はミスリーディングである

【元記事の要約②】太田氏いわく、『幸色のワンルーム』は、加害者一部の人事件に抱いたであろう妄想作品にしたものであり、「実在被害者に対する中傷のものだと思う」という。

→<②への疑問>言いがかりに過ぎない。

【元記事の要約③】太田氏は、ドラマ公式SNSの“盗撮ハッシュタグ”に触れた後、「公共電波に乗せるのは、表現者社会的責任を伴い、おかし社会規範を作ることに寄与することは、やはりやってはいけないと考えます」と述べる。

→<③への疑問>“盗撮ハッシュタグ”に眉を顰める気持ち、そして“公共電波に乗る表現には社会的責任が伴う”、という点には同意できる。ただ、もっと議論されるべきは、“「幸色」の表現者が十分な社会的責任果たしていない、と言えるのかどうか”という点である問題は、瑕疵の有無ではなく、その大きさなである太田氏の記事では、この点についてあたか自明のことであるかのようにほとんど触れられておらず(太田氏が、別の場所議論しておられるのであれば、申し訳ない)、実際問題、この点についてほとんど議論がなされないまま放送中止が早々に決定されてしまった。

【元記事の要約④】誘拐被害者は「助けを求めなかったからといって、誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない」。しかし、今の日本社会では「女性被害を訴える声を歪曲して捉える空気が強すぎる。このような空気社会の中で、『女児誘拐したが実はその女児はその「誘拐」を喜んでいた』という言説を肯定的に描くことは、女児誘拐についてのそのような歪んだ認知肯定し強化することにならないでしょうか。」

→<④への疑問>まず、「助けを求めなかったからといって、誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない」についてだが、“必ずしもあり得ない”という意味なら同意できるが、“絶対にあり得ない”という前提であるならば、疑問である。“人間が何を望んでいて何を望んでいないかはっきりとひとつに決定できる”という素朴すぎる人間観は置いておいて、実際のところ、実親から虐待から逃れるための緊急の避難が、結果として誘拐事件というかたちをとってしまうケースはままあるように思われるからである(筆者は、それを肯定している訳ではない)。ただ、「誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない(というのが常識になるべきだ)」という太田氏の見解は、客観的事実認識というよりはむしろ弁護士としての倫理を加味したものであるように思われるし、そのこと自体に対しては、筆者は敬意を表する。次に、「女児誘拐についてのそのような歪んだ認知肯定し強化することにならないでしょうか」であるが、これに対しては、“それは本当なのか、本当ならどれほどのものなのか”“それは果たして放送中止に足る理由なのか”という二つの疑問が浮かぶ。前者の疑問は、そのままの意味で、「幸色」の放送によって“歪んだ認知の強化”が本当に起こるのか、起こるとしてそれはどれほどの強化なのか(微々たるものではないか)、という疑問である。また、後者の“それは果たして放送中止に足る理由なのか”という疑問は、もし「幸色」によって引き起こされる“強化”が微々たるものであるならば、それは「幸色」の表現者が果たすべき社会的責任範疇を超えているのではないか、という疑問であるそもそも社会というのは、何かひとつドラマによって大きく変わったりするようなものではないだろう。もしそういうことがあったとすれば、それは社会のなかで変化への準備が潜在的に進んでおり、作品最後の一押しになったということにすぎない。そうだとすれば、個々の表現に過敏に反応する態度は、社会本質的領域から目を背けた盲目的な“水際作戦”であり、また作品への“責任押し付け”になりかねないようにも思われる。

【元記事の要約⑤】表現の自由は「公共空間で何をやってもいい権利ではない」。『表現の自由への弾圧』という批判的外れであり、太田氏は、公共空間のあり方や、社会規範の作り方の話をしているのだという。

→<⑤への疑問>表現の自由は「公共空間で何をやってもいい権利ではない」、という点については同意であるしかし、繰り返しになるが、もっと大事論点は“「幸色」は本当に許されない表現なのか”ということであり、元記事では、その点について一方的議論しかなされていないように見える。放送中止批判している人々も、太田氏と同様に、「公共空間のあり方や、社会規範の作り方の話をしている」ことは明白であり、「『表現の自由への弾圧』という批判的外れ」という応答は、それこそ的外れ揚げ足取りではないか

【筆者の意見とまとめ】

 「幸色」放送中止騒動について、筆者が問題視しているのは、公的権力による弾圧ではなく、むしろ私的検閲>と呼べるようなものである公的検閲によって作品発禁になった、という過程ではなく(すなわち、行為主体の種類の問題ではなく)、あるイデオロギーによって「幸色」が放送中止に至った、という実際的な結果に注目しなくてはならない。元記事には「作品が“世間にどう受け取られるか”を熟考することも重要とあるが、「幸色」を放送中止に至らしめた“世間”とは、決して“世間一般”のことなどではなく、特定イデオロギーをもった少数の人々にすぎない。少数の人々から批判テレビ局が過敏に反応し、“本当に許されない表現なのか”を議論する機会が十分に設けられないまま、放送中止の決定が下される。“事実上は”の次元では、特定イデオロギーによる“世間”を無視した検閲が行われているのである。それが果たして公共空間のあり方」として正しいのだろうか?

 ここまで筆者は、「幸色」の表現瑕疵はそれほどまでに大きいのだろうか、という疑問を発してきたが、一方で、「幸色」の表現にはプラスの面もたくさん存在するだろう。生きづらさを抱える少女少年希望を与える(例えそれが幻想にすぎないとしても)ことはもちろんのこと、適切にテロップを入れるなどすれば、虐待問題への啓発にもつながる。そんな大きなことを言わなくても、普段何気なく接してる表現いかに我々の人生を豊かにしているか、考えるまでもないだろう。表現瑕疵ばかり取り立てるのではなく、“望ましい表現”か“許されない表現”かの二分法に訴えるのでもなく、光る部分にも目を向けていくべきではないだろうか。“100%良いもの表現)”というのは、それが人間の営みにおいてほとんど存在しないということもあって、薬にも毒にもならない(ただ筆者は、そんな“何の役にも立たない”ような表現にも、発表の機会が与えらるよう願いたい)。

 「幸色」は、本当に“許されない表現”だったのだろうか。そして、<私的検閲>が事実機能している現在の状況は、果たして公共空間公共表現の場として、望ましいものであると言えるのだろうか。

2017-12-11

anond:20171211124021

まあAKBだのジャニーズだのの美少女美少年消費ブームも終わるといいんですけどね本当ならば

メディア原因説を取ってよいのであれば

少子化の原因にメディア経由での少女少年消費ブームを挙げてもいいんですけどね我々はそろそろ

2007-06-13

[]男性お薦めする少女マンガまとめ(仮)

なんかいっぱい出てるみたいだけど、だれかまとめてPLEASE!(一段落した頃に)
http://anond.hatelabo.jp/20070613213558

ある程度まとまってきたと思うので、とりあえず仮まとめをつくってみた。あんまり量が多くなってから一気にするのもめんどいしね。

とりあえず、出版社作家、作品別で。作家名だけあげてる人もいたけど作品がないのとか寂しいので、こっちの判断で1つは作品名をリストしてみた。なんか文句とかあったらトラックバックでよろしく。抜け落しとかあったら、困るしね。

条件

条件は1.絵柄がかわいらしいこと 2.主人公少女は活発な性格 3.陰鬱な物語でないこと(身内が死んだりしないこと)。
http://anond.hatelabo.jp/20070613193035

集英社

白泉社

小学館

講談社

 
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