はてなキーワード: まぼろしとは
性春パンクってうらやましすぎて聴いていられなかった。童貞という存在や概念がうらやましい。わたしには一生なれない。処女って、童貞みたいなエンタメ性ないじゃん。べつにエンタメ性で勝負してるわけではないと思うけど。いつか絶対捨ててやる的なロマンが、処女にはない。
一生涯処女を貫くパンクロッカーが世界中の処女を救うという構図が見えない。パンクロック界のソレって、むしろヤリマンに集約されていてわたしは置いてけぼりになってしまう。処女の惨めさって生々しすぎてネタにならない。一生涯処女ってのが、ファンタジーとしてではなくリアルな人間の生き様を描く芸術のテーマとして成立してるのを見たことがな・・・いや、そういえばコンビニ人間は、本当に素晴らしかったな。
女にとっての童貞的ワードとして処女を使うと、なんか色々余計な付加価値みたいなのがついてじゃまになる。処女信仰とかでなく、処女が処女として処女を表現する性春パンクがない。だからわたしは童貞になりたい。
性春パンクでよく表現される、あの娘はあの男と毎晩セックスして喘いでるとか、あの娘を想って一日に何回もオナニーに耽るみたいな虚像としての「あの娘」に対する嫉妬や絶望にやられてしまう。あまりにも蚊帳の外すぎる。童貞にも「あの娘」にもなれないわたし自身に対する憎悪というか自己嫌悪に苛まれる。グラビアアイドルとかクラスのかわいい女子とか、本意・不本意は置いといて異性に対して容姿をウリにして生きてくことが可能なヤツほど銀杏BOYZ好きをここぞとばかりにアピるので落ち込む。生きづらさの理由に「現在進行形の処女」がないのならわたしの想像に及ばないくらい高尚な体験をしているはずなのに、それでもなお音楽で救われたがる神経が理解できない。
銀杏BOYZを聴くたびに「わたしはまぼろしなの」の「わたし」に感情移入できるような一生涯処女の苦悩とは無縁の客観的に見て顔のかわいい女がチラつく。顔のかわいい女が銀杏BOYZ好きだというだけで一目おかれるという価値観がこの世には存在する。自分の無価値さを突きつけられる。
性春パンクってうらやましすぎて聴いていられなかった。童貞にだけ許された救済措置が心底羨ましかったから、童貞になりたかった。
結局こんにちの混乱は、「政治的な意見を自信をもって発言する模範的な市民になりましょう」という、極めてうさんくさい学級委員長的規範めいたものから発せられていると言えるでしょう。
例えば政治学のせの字も知らない人々がこの風潮をうけたときまず何をするでしょうか。
GoogleやTwitter、YouTubeで話題のキーワードを検索し、ある程度の注目を集めているようである刺激的な「新常識」を目にするのです。なるほどそれらの「新常識」をめぐって、多くの人々が賛成と反対の意見を交わしているのを彼らは目の当たりにします。
なかにはテレビに出ている有名人や、なんとなく肩書きの堅い大学の先生もいるようです。
自分も早くたくさんの知識を吸収して話に追いつきたい、周りの人間よりも一歩賢い人間として自信をつけたいという、学校のお勉強以外ではじめて学びを得ることの楽しさや知的好奇心を発見した彼ら。次第にどこかのコミュニティめいたものに所属するようになり、仲間意識や自尊心も形成されていくことでしょう。
いったい彼らのどこを責められるでしょうか。
彼らは真面目な努力家で仲間思いの、社会や国を良くしたいという立派な目標をもった模範的な市民そのものです。
少しばかり学問の体系についての知識が足りないだけで、日々ひたすら誠実に新たな知識を探し自身の成長を求めているのです。たまに批判者に対して汚い言葉を使ったりもしてしまいますが、日本の文豪たちがユーモラスに罵り合っていたエピソードがあなたたちに人気であることを彼らは何度も目にしています。
で、こんにちの混乱を収めるために何が必要となるでしょうか。上のプロセスを踏まえていくつか挙げてみましょう。
・学問の体系が少しだけ身につくような挑戦の機会を義務教育中に与える
・インターネットには嘘と悪意がはびこっていることを知らしめる
・労働や趣味に打ち込むことで日常生活から充実感を得られるような社会構造にする
なんだかありきたりで見たことのある意見ばかりですね。最初の一つは除くとしても、どれも教育的で正しい、凡庸でつまらない意見に言い換え可能です。
ただ、これらの実現には相当の期間と多大な努力が必要となることは間違いありません。
この手間を避けて強引に混乱をなかったことにしようとするから、インテリたちは真面目な彼らを小馬鹿にする書き込みをするのです。いや、小馬鹿にする書き込みしかできないと言ってよいでしょう。
彼らもまた、一分野での成功を願い努力する才能をたまたま得られただけの人々なのです。政治や社会についてまともに勉強する余力がないので、なんとなく賢そうな社会学者の小言に同調しつつ、業界内の空気読みにふけっている賃金労働者に過ぎません。
ではこんにちの混乱を収める方法はもはや存在しえないのでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。われわれは2つの可能性を無視してきました。
ひとつは、よくわからない観念は一掃し平静を取り戻した心で、日常と少しの非日常を真面目に生きる伝統感を獲得することです。これは、各自が自分の人生を一回きりのものとしてなるべく味わい尽くすように努め、それに多少のまぼろしを混ぜ合わせて一体感を作り出す、保守的な社会を目指すものとなるでしょう。
もうひとつは、すべての意見を外部のシステムに依存し、ひたすら物質的な世界に満足できる身体を社会的に創りあげ、民主主義を脱皮することです。これは、政治機構や巨大IT企業にイデオロギーを一任し、それに従うだけで正しさが付与される、内と外の善悪の熱気を帯びた合理的な共同体を目指すものとなるでしょう。
私はトム・クルーズが好きだ。
今回は先日海外旅行へ行った際に、飛行機の中でようやっと観れた最新作についてのレビューをば。。
……ではなく。笑
これは、一人暮らしのための物件を決めるべく不動産屋に訪れたときの目に見えぬ敵との仁義なき闘いの記録である。
時は2月も終わりを迎えるころ。
というわけで、浮足だった田舎者の私は新居を契約するため意気揚々と不動産屋の扉を叩いた。実際には自動ドアだったので叩く間もなく開いたわけであるが。
恥ずかしながら、私は生まれてこのかた一人暮らしを経験してこなかった“一人暮らしビギナー”である。
大学も割と遠かったが、
入学して間もなく、1限に出るには5時半起きしなければならないし、終電は22時ジャストだから飲み会も1次会で帰宅という苦行に過去の自分を呪うことになるのだが。
なぁにが、「通っちゃえ☆」だ。このド阿呆。
と、まあそんな訳で
『田舎者、家を借りるってよ。』
である。
時刻は11:00。
と期待を胸に抱いていた。
「あ、ここ、いいですね。駅近いし。」
…
「もう申し込み入っちゃってるみたいでした。」
「ここは安いし良さそう」
…
「じゃあここ!ちょっと遠いけど綺麗」
…
「まだ入居中なので内見できないみたいです…」
せっかくボンビーガールで予習してきたし、部屋探しの醍醐味と言っても過言ではないのに、そもそも内見できる物件が見つからないという事態。
「僕らどんだけ日頃の行い悪いんすかね~ワハハ」
なんて担当さんも若干投げやりになってきました。
この時点で時刻は13:00を回ったところ。
もうことごとく空振りで終わっているので、ついに管理会社への確認の電話で枕詞が
になった担当さん。
つらい。
もうパソコン画面の何たらコーポとか建物の名前がゲシュタルト崩壊し始めたころ。
「え、ここ良くないですか?」
「ほんとですね。確認してみましょう」
…
「内見、できるみたいです!!」
ついに!内見できる部屋見つかりました!!
もう部屋決まったレベルの喜びだったんですが、冷静に考えてください。まだ、内見です。
とまあ、2軒ほど内見できるところを見つけていざ出発。
1軒目。
もう外観が好き。
この時点でさっき店舗で死んだ魚の目でパソコン画面を見ていた田舎者と同一人物とは思えないほどテンションが上がっている。
部屋に入った瞬間、
「え~すごい!」
「すごい!凄い!スゴイ!SUGOI!!すg…」
この時点で「もうここにする!」と心は決まっていたけれど、とりあえず2軒目へ。
ほとんど覚えていないが、
「「ワハハ」」
(やっと決まったよ、長かったなこいつ…早く終わらせてお昼たーべよ☆)
とでも言いたそうな安堵の表情を浮かべて
と再度電話を。
もうあの部屋で始まる一人暮らしライフに思いを馳せつつ書類にペンを走らせる私。
担当さんが戻ってきた。
「あの…」
「内見してる間に、申し込み入っちゃったみたいです…」
「…へ?」
Oh...
あの高揚感は?
社会の酸いも甘いもともに乗り越えると誓ったはずの私の部屋は??
憧れは、憧れのままの方が成就するより幸せなこともあるということですね…
イーサン・ハントも驚愕の不可能ミッション。目に見えぬ敵の存在を知ったところで、部屋探し1日目、終了です。
仁義なき戦いは続く…
「ヨハネの黙示録」によれば、コロナウイルスは5ヶ月でおさまるらしいです。
8:11この星の名は「苦よもぎ」と言い、水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ。
チェルノブイリとは「苦よもぎ」のことだったのはよく知られている。この苦よもぎの続きが第9章。
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9:1第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に、底知れぬ所の穴を開くかぎが与えられた。
12月ごろから、ベテルギウスが暗くなっている。第五の使いというのは、オリンピックのことだね。
9:3その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が、彼らに与えられた。
9:4彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、言い渡された。
神を信じない人たちとは、中国や日本を含めた東洋の人たちのことです。韓国のコロナを広げた新興宗教はキリスト教だけど、異端。
9:5彼らは、人間を殺すことはしないで、五か月のあいだ苦しめることだけが許された。彼らの与える苦痛は、人がさそりにさされる時のような苦痛であった。
9:6その時には、人々は死を求めても与えられず、死にたいと願っても、死は逃げて行くのである。
致死性が高くないコロナウイルスのことだ。
9:7
これらのいなごは、出陣の用意のととのえられた馬によく似ており、その頭には金の冠のようなものをつけ、その顔は人間の顔のようであり、
9:8
また、そのかみの毛は女のかみのようであり、その歯はししの歯のようであった。
9:9
また、鉄の胸当のような胸当をつけており、その羽の音は、馬に引かれて戦場に急ぐ多くの戦車の響きのようであった。
9:10
その上、さそりのような尾と針とを持っている。その尾には、五か月のあいだ人間をそこなう力がある。
9:11彼らは、底知れぬ所の使を王にいただいており、その名をヘブル語でアバドンと言い、ギリシヤ語ではアポルオンと言う。
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ちなみに、これはコロナウイルスの騒ぎの次に起こること。
9:12第一のわざわいは、過ぎ去った。見よ、この後、なお二つのわざわいが来る。
9:13第六の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、一つの声が、神のみまえにある金の祭壇の四つの角から出て、
9:14ラッパを持っている第六の御使にこう呼びかけるのを、わたしは聞いた。「大ユウフラテ川のほとりにつながれている四人の御使を、解いてやれ」。
9:15すると、その時、その日、その月、その年に備えておかれた四人の御使が、人間の三分の一を殺すために、解き放たれた。
9:17そして、まぼろしの中で、それらの馬とそれに乗っている者たちとを見ると、乗っている者たちは、火の色と青玉色と硫黄の色の胸当をつけていた。そして、それらの馬の頭はししの頭のようであって、その口から火と煙と硫黄とが、出ていた。
音楽がとにかくよい。ファミコンは特にベースがかっこよいマシン。あと大人になって気がついたけどボタンを押して「ふっふっふふふふっ」って上昇する感じはピンボールっぽい。
2.ジーザス(PC88)
今思うと紙芝居なんだけど各キャラのバックグラウンドの多様さやへんてこなミニゲームとかめちゃくちゃ楽しかった。あとパソコン用モニタは緻密でテレビゲームとは全く違った質感があった。
3.街(やったのはプレイステーション)
なんつーかそのままあのときの渋谷がパックされてる。モナコもうない。
普通にたんたんとクリアしてたんだけどエンディングで泣いた。ゲーム自体けっこう難しくて「プレーヤーがうまくなる」=「画面の奥の少年・少女が心の壁を乗り越える」になってるってクリアして気がついた。
なんてことないギャルゲーだけど関東大震災や災害のニュースを聞くとあやめさんを思い出す。
はじめてゲーセンてクリアしたシューティング、1年くらいかかった。どんだけ下手な人でもパターンを組めば2週目にいけると思う。あんまりに下手なもんで「わざと死ぬ」パターンを作った。
自分にとっては難しかったので半年くらいかかった、下手な人間にとってつらいのは攻略法が通用しないところだ。エスプガルーダ2は「こんなに困難な思いをさせた兄妹にまた戦いをさせるのか」と思ってしまって何回か触ったけどやる気がなくなった。これも誰もがクリアできるやつ。
これまでロックをメインに聞いてた人間がR&BやHIP-HOPに流れさせた。視界にぐらんぐらんするエフェクトが常にかかっていて美しい。これも「街」のように時代をパックしてる。サンアンドレアスはマップが広すぎ(で海に落ちても死なない)、それ以降はいろんな動きがもっさりしすぎ、なにより音楽が3分くらいで終わってしまいラジオ局が増えたぶん同じ曲に遭遇しすぎでドライブに向かなすぎ、でいまいち。
未だに謎なのだがなんでパッドでドリフトしたときのグリップ感が伝わるのか、ほんと不思議だ。
これも一年くらいかかった。クリアするために安全策をとるとスコアが稼げない、稼ぐとエクステンドが入るので死ねる、ということで必然的に稼ぐ。自分はこつこつ下手用パターンを作ってクリアした、、、のだけどすぐにyoutubeのハイスコアパターンをコピーしたひとに抜かれた。このゲームはハイスコアが記録され続けるので悲しい。
以上です。
仲の良い友達だったら、その人と親しい分だけ相手を知ることになり、その人の良いところも悪いところも含めて愛せるものだけれど
友達だった人のことがキライになっちゃって、友達と思えなくなっちゃった。だからその人は私の中では「元友人」カテゴリに入ってる。
元友人にとっては私は友達だから、接触してくるけどなんかその私の扱いの気安さがウザく感じて
そういう気持ちを抱かせる人だから、私はその人のことを元友人カテゴリに入れちゃったんだよね。当たり前だけど。
幸い元友人と物理的距離ができたから疎遠になれてホッとしている。
ただ、横の繋がりがあるものだから元友人とは縁をきっておらず、ソレナリの関係を築いている。
ラブファントムみたいに二人でひとつになれちゃうことを気持ちいいと思ううちに少しのズレも許せないせこい人間になってたの?
欲しい気持ちが成長し過ぎて愛することを忘れて万能の君のまぼろしを僕の中に作ってたの?
そういうことなの?
自分は相手のことを大切にしてたつもりだったけど「身内だから」「親しい関係だから」って私がぞんざいな扱いをされちゃったら
私はもう無理なんだよ。
わたしはそれまで、いわゆるデビュー組のオタクをしていたから、彼らの後ろで踊っていた自分と同い年かそれより少し若いくらいの男の子たちに興味なんて最初は一切無かった。
YouTubeにジャニーズJr.チャンネルというものが公式に存在していて、そこでコンスタントに動画を配信していると知った時の衝撃は大きかった。だって、わたしが今まで応援してきたアイドルは、少しでもネットに載ろうものなら灰色に塗りつぶされていて、その顔が笑っているのかどうかさえ分からなかったのだ。それなのに彼らは液晶の向こう側で確かに動いていて、その笑い声は何よりもクリアに聞こえた。
気が付けばわたしは、あるひとりのジュニアに夢中になっていた。彼はジュニア内で結成されたグループに所属していた。この文章に出てくる情報でわたしの言う"彼"がどこのグループの誰を指しているのか見当がつく人は多いと思う。それくらいには知名度があるし、パフォーマンスで言えばその他のデビュー組と比べても見劣りしないであろう圧倒的な華があった。
そんな彼らの単独ツアーが決定した。キャパ2000人程度の会場を押さえてのホールツアーだった。もちろんチケットは激戦。わたしは呆気なく落選した。全て。悲しかったけど、半年後にデビュー組のライブも決まっていたし、その時はまあ仕方がない、縁がなかったと割り切った。だけど正直、その頃わたしの熱はデビュー組からそのジュニアに大きく傾いていて、ツアーの開始が近付いてくるにつれて行きたい気持ちはどんどん増していく。チケット流通センターを覗けば、定価の何倍にも跳ね上がったチケットが大量に売られていた。別に払えない値段では無かったけれど、定価1万円もしないチケットをこの値段で買い取ったら、それはもう何か一線を超えてしまうような気がした。そうしているうちにもどんどん売り切れていくチケットを毎日のように確認して、ついにツアー初日の幕は切って落とされた。
ここまで踏みとどまったのだ、もう後はオーラスまで辛抱強く耐えるだけだと思った。だけど、初日の公演が終わった晩にTwitterで公演のセトリが流れてきた。これ以上、見ないでおこうという考えはうっすら頭の端にあるのだけど、少し知ってしまったのだ、そしたら全部知りたくなる。自らサーチすればどんどん手に入る情報は見れば見るほど辛くなるだけだった。その中で彼とハイタッチしたという内容のレポがあった。それを見た瞬間、もう、居ても立っても居られなくなって、ぽろぽろと泣いた。
すぐに次の公演のチケットを購入するべく、Twitterから様々なチケット売買サイトまで探し回った。相変わらず可愛げのない金額が提示されていたけれど、いい歳した大人がたかが140字の文字列を見て泣いたのだ、もう理由はそれだけで十分だと思った。そうして、わたしはチケットを譲り受けることとなった。
代金は会場での手渡しを指定された。当日、初対面の女の子に家賃みたいな金額を封筒に入れて差し出した時は、流石にちょっと冷静な部分が顔を出して、自分に呆れた。座席は会場入りするまで分からなかったけど、とにかくこの公演に入ることが出来ればそれで良かった。ところが、いざチケット発券して座席を確認すると、最前列から数えて5本の指に入るほどの前列だった。目と鼻の先にステージがあった。デビュー組では、まず有り得ないであろう狭いそのステージで、これから彼が歌って踊るのだと思うとひどく手が震えた。半ば呆然としているうちに開演時刻が迫ってきて、周りに倣っていそいそとペンライトを点灯する。わたしのペンライトは彼の色に煌々と輝いていた。
暗転、彼らが登場した瞬間、割れんばかりの歓声で会場が包まれた。センターに立って真っ直ぐ前を見つめて歌う彼は、誰よりもかっこよかった。彼だけをずっとずっと見つめていた。客席に降りる演出が多かったから、1メートル先に他メンが立つこともあったけど、それに目もくれず何メートルも離れた3階席で歌う彼の方を見上げていた。
衣装のビジューがスポットライトを浴びて輝いて、それに身を包んだ彼があんまり綺麗だから、まぼろしなんじゃないかと思ったけれど、彼の白い肌から透ける鼻の先の赤が確かにその体に血が通っていることを証明していた。やさしい歌声も振りの大きい踊りも窮屈そうにはしゃぐ姿も、何もかもわたしの好きな彼そのものだった。彼が笑うと私も笑ったけど、それと同じくらい泣きそうだった。
あっという間に時間は過ぎて、アンコールを迎えたとき、彼は下手側から客席へ降りた。わたしの席は上手側だっから一生懸命、彼を目で追っていたら、上手側の通路を通って彼がステージの方へ戻ってきた。あんなにハイタッチが羨ましくて、どうか指一本でいいから触れてみたいと思っていたのに、いざとなると尻込みしてしまって、恐る恐る手を伸ばした。
そして、彼に触れた。
正確には、触れた、と思う。
トンッとわたしの手のひらに当たったのが彼自身だったのか、彼に触れようと無数に伸ばされたうちの手のひとつだったのか、正直分からなかった。だけど、やっぱり触れたんだと思う。それでいい。腹の底から愛おしいと思った。
公演が終わったあとは、どうしても落ち着かなくてアテもなく街を一人で歩いた。駅の喫煙所でタバコ吸いながら、彼がすぐ隣を通った瞬間のことを思い出そうとしたけど、ぼやけた記憶しか残っていなかった。でもなぜか彼に伝う汗だけは鮮明に覚えていた。死ぬまで忘れたくないと本気で思った。そのためなら、例えばわたしの寿命が短くなったとしても全然いいや。タバコを吸い終わる直前、ちょっとだけ泣いた。
わたしは彼の背中を追って、いつの間にかもう後戻り出来ないくらい随分と遠くまで来てしまったんだと思う。ジャニーズに限らず何かに熱狂している人間なんて程度はあれど、みんなちょっとずつ狂ってる。その中でどんどん冷静さが摩耗していくんだろう。現に高いお金を払ってチケットを買ったこと、今はちっとも後悔していない。なんならこれ以上ないってくらいだ。馬鹿だよね。でもさあ、彼の肌の色がすごくすごく綺麗でね。わたし、あんなに美しい色を生まれて初めて見たんだよ。
この増田、そうとう考えて書いてるなと思う。
あるいは欲求のままに書いたのであっても、その欲求は普段から研ぎ澄まされていたものであり、良く練られ良く思考された欲求と思う。
以下に順を追ってみて行こう。
今回のメンツの内、身体に直接触れている女性陣のなかで、増田から直接顔を見ることができるのは本田翼に限られる。
ご存じの通り、本田翼は屈託のない笑顔が素敵な、硬めの役柄も柔らかめの役柄もこなせる可愛らしく美しい女性だ。
そんな本田翼が、おそらく明け透けな笑顔で「あんたバカ?」と言いながら踏んでいる。
もしかしたら笑顔が可愛い女性が真顔になっている、というギャップを愉しんでいるのかもしれない。
増田はその顔を見たいのだ。とにかく、顔が見えるということがこの場合の本田翼の役割だ。
そして、踏んでいる。踏んでいるのだ。何を踏んでいるかはここでは解らない。だが、確かに踏んでいる。
本田翼の脚を皆さん見たことあるだろうか。最近ではラインモバイルのCMなんかでお目にかかったことも多かっただろう。
モデルやっていただけあって白くて奇麗なわけだが、ややもすればネットでは「太い」とか揶揄される。
だが、これがちょうどいい、と増田は考えているに違いない。俺もそう思う。全然太くないから。アクセス稼ぎのネットの焚きつけには辟易しておる。
身長が近い同世代をそろえてきた。大原優乃は他のメンツと比べると格が落ちるのではないかと気をもむ諸賢もおろう。
だが考えてみてほしい。ここでは筆者の主眼はむっちりとした太ももやその他身体との接触にある。
そして如上の通り身体性のバランスの問題がある。どっちかが極端に大きかったり小さかったりするのが、増田の快楽にノイズとなって差し込まれるのだろう。
たとえばヘッドホンで音楽を聴いていて右だけ音量が大きいような、そうした事態を避けたいわけだ。
ここでも脚の果たす役割は大きい。増田の身体の上から押さえこむような、両脚からの力がかかるはずだ。
また筆者は二人の胸部への関心も失わない。腕四の字の先、引っ張られた両腕は二人の胸元へもたらされる。
第一の趣旨である脚への嘱望に止まらない意欲に、理想の構築の確からしさがある。
こうした構成を為すためには、実際には大原優乃の果たす役割は大きい。
頸を足で締める役には広瀬すずが選ばれた。
2015年、佐々木希に替わって広瀬すずがロッテのFit'sのCMで、可愛らしい制服姿で美脚を披露して以来、体感二年に一回くらいのペースで広瀬すずが制服姿で全力ダッシュする的な場面のある映画が製作されている。太すぎず細すぎない、太ももからふくらはぎ、足首に掛けてメリハリのある健康的な脚(俺は特にふくらはぎが良いなぁと思う)。
顔面で愉しむのはそうしたタイプの脚が望ましいのだろう。ふわり、と脂肪が多いと可動性が狭くなるし、締める、という営為がぼやけてしまう。
程良く引き締まった脚だからこそ堪能できる物理的な余地があるのだろう。
永野の役割は、こんな増田を見て幻滅する、というところにある。
精神的な部分に依拠した欲望を、増田は永野に対して抱いていることがわかる。
色白ですらりとしている。連続テレビ小説やモバイルのCMなんかでも見ることができよう。
足部なんかも色っぽい。
暗転後の女性? 陣は、しっかりと前半部の要素を受けた構成になっている。
IKKOのすごさは各種のドキュメンタリーを見てほしい。そんな人物が、増田のシチュエーションを暗転させる。
アジャコングについてはフェイスペイントを施してリングで戦った点に注目したい。増田は本田翼の顔を見られる位置にあった。やはり、踏みつけている顔、というのが《本田―アジャライン》のテーマになるのだろう。
北斗晶と安藤なつ。どちらもパワフルな女性だ。レスラーの北斗はもちろん、安藤も行ってQなどでそのパワフルさで笑いを摂る場面がある。ここも橋本と大原と好対照だ。柔らかな衝撃の裏返しのパワフルな関節技。ここでは腕ひしぎによる重圧こそがテーマとなっていよう。
北斗と安藤に対して、非戦闘員であるマツコ・デラックスは何ゆえにここに配置されたのか? やはり、顔への脚締めは純粋な圧迫だけではないのだ。脚の質感や長さ、筋肉と脂肪のバランス。首四の字は脚を堪能するために配備されている。広瀬と対置されるマツコのおかげで、私たちは増田の首四の字における主眼を明確にできる。
ゆりやんはバラエティで見ていて思うのだが、自分の仕事ってものを解って振る舞っている。増田もそれを解っている。だからああなるわけだが、永野が思わずドン引きするのと対称的に、ゆりやんは作為的に「美味しい」行為を選択しうる心理的余裕がある。ここに対称のエッジを研ぐ増田の真意があるのではなかろうか。
いかがだっただろうか? この増田、ふざけているように見えて、どっしりとした構成を以て増田に投稿していると看取される。
そのテーマは脚にある。何となく、この増田の嗜好が見えてこよう。本田や広瀬、あるいは永野みたいな脚が好みなんだけれども、場合によっては橋本や大原のような柔らかそうな脚も良い。その場合の理想としての腕ひしぎ。そして反転後の人選も、しっかりとベクトルを逆向きにできている。
天然で書いていても、狙って書いていたのだとしても、いずれも良く思考されている。すごいなぁと思う。