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はてなキーワード: 親の期待とは

2019-02-09

外的価値評価されるの辛い

自己愛性人格障害Wiki見てたら、自分かと思った。

毒親に養育された子供は、親の期待を満たすために頑張る。

勉強が出来るとか、見た目が良くなる、とか。

しかし、それらは全て相対的価値なので、どこまでやっても満たされる事がない。

故に、常に劣等感を感じ、完璧主義になり、いつまでも幸せになれない。

それに気づいたのは、子供や妻がモタモタするのを見て、すごくイライラしてしまった時。

自分は、家族に対してすら、外的価値価値判断をしてしまっていた。

自転車に乗れる、とか、家事効率的にこなせる、とか、生産性が高いかいか、でしか

認めていなかった。

そういえば、自分に対しても常にそういう判断をしていた。太っているのは醜い、だから大好きな甘いものは食べずにダイエットしなきゃ、とか

男で30を超えていたら、年収はいくら以上ないとダメだ、もっと仕事頑張らなきゃとか、賢くないといけない、本をもっと読まなきゃ、とか。

そうでなければ、生きる資格はない、などの外的価値での判断を常にしていた。

なので、生きていてもちっとも楽しくなかった。常にもっともっととなり、満たされない。

穴のあいた船で、常に水を掻き出しているような状況で、焦りしか感じてこなかった。

少し成功して、他人からすごいね、とか言われても、壁はどんどん高くなり、評価が下がると

自分の全てを否定された気がして、ものすごく傷ついて、何日も気分が落ち込む。

このままではいくらお金持ちになっても、いくら見た目が良くなっても、ずっと不幸のままだ、と

思ったので、この習慣を変えようと思う。

まずは、家族はもちろん、会社の同僚、自分の周りにいる人々を、外的価値で測るのを意識的に止めるようにした。

こいつ仕事できねーな、とか、資料作るの遅すぎ、とか、あいつは太っててみっともない、とか

40こえてるくせに年収低すぎだろ、とか、そういう相対的価値他人判断するのを止める。

また、相対的価値観で判断するような人が寄ってきたら、離れるようにする。

昔、学生時代にも、「お前は人を能力が高い、低いでしか判断しない寂しい人間だ」と言われた事があったが

20年以上経ってから初めてその意味理解できたような気がした。

2019-01-10

真面目に通学し始めるまでの話

うっかり進学校的なアレに入学してしまったのがすべての間違いだった。弟が壊滅的に勉強が苦手なのでまだマシと思えていたのもある。

高1の1学期末、数学試験で3点を取った。勉強へのやる気が消えた。

それからというもの全く勉強せず、高校2年に上がってから半年ほどは、オトナに話すとそれはまあ叱られそうな生活を送ってきた。




1学期は、これでもかと言うほど学校をサボった。3日行って1日サボる。そんな生活を3週間続けると、担任に呼び出され進級に響くから体調不良その他の理由がない限りはなるべく来なさいとお達しがあった。

その時1年間で何日休むと進級できないのか、と行った旨の数字を聞き、私は即座に脳内でそれを3で割った。

月に3回は休んでも進級に響かないという結果だったため、5月中旬からはしばらく毎月3回休むことにした。



親には学校を休むことを言っていなかった。

部屋の窓の鍵を開け、わざと遅刻する時間に家を出、親に遅刻連絡を入れてもらう。こうなると私の勝ちだ。

学校遅刻連絡を入れた生徒が欠席しても電話を掛けてこないことは、数年前酷い生理痛遅刻連絡を入れ、結局体調が優れず休んだ経験からすでにわかっていた。

両親が仕事に行って家を出たであろう時間帰宅し、自転車を親戚が住んでいる近所のアパート駐輪場にこっそり置く。

部屋の窓から家に入って靴箱に靴をしまい、哲学書を読み、父親本棚から経営指南書を拝借して読み、日本史教科書を開いては眺め、日本史問題集を解いては資料集を開く。

数学の成績は中学一年のころから壊滅的だったので、時折チャート式問題集を開いて何問か解いて、分からないのでうんざりして本棚泉鏡花全集に手を伸ばしたりしていた。

夕方普通に学校に行って帰っても親が帰るのは私の帰宅後だったこともあり、アパート駐輪場から自転車を回収し何事もなかったかのように帰宅する。

完璧計画であった。

自転車で通っていても、ふと、学校ではないどこかに行きたくなることがあった。

駅の公衆電話から腹痛が酷く自転車を押して向かっている、遅刻するかもしれないという旨の電話を入れる。

事務員さんが頷き、電話を切ると、制服ジャケットの裏ポケットに入れたスマートフォンを取り出してマップアプリを開いてはあれこれ考える。

空港に行って飛び立ってゆく飛行機を見て、展望所のすぐ近くのテーブル数学問題集を開いて空を眺めつつ問題と格闘した日もあった。

海に行って、靴下を鞄にしまい、ひとしきり波と戯れたあと小さなハンカチ必死に足を拭いた日もあった。

小学生の頃親しかった友人と秘密基地を作って遊んだ山に登ると、ため池が作られていて秘密基地があった場所には行けず、立入禁止看板の前で住んでいる市内を一望しながら体操座りで弁当を食べた日もあった。

毎日が最高に楽しかった。学校の友人らとカラオケに行ったり自撮りをしたり、恋の話をしたりアイドルの話をしたりなんて小指の先にも満たないしょうもないものに思えた。

それこそ高1の夏休み、ふと思い立って某中国四国連絡橋を単身歩いて渡り海を挟んだ隣県に行った時と同じくらい楽しかった(ちなみに高1夏、私は自県まで残り3kmを残してポカリスエット4本が底をつき海の上で死にかけた)。

月に3回のこの楽しみが、わたしを生かしてくれているように思えた。それこそ「行きたくなくなったら学校休もう」って決めた日以前の検索履歴には「首 吊り方 苦しくない」だとか「飛び降り 何階以上」とかい言葉散見されていたので。


しかし、この自分的にはなんとも素敵で素晴らしい日々のことを友人に話すと、それはもう極度の批判を浴びた。こんなに楽しいのに。

友人は勉強ばかりして、親の期待に応えることばかり考えてコドモゴコロだとか冒険心だとかを忘れてしまったのではないかと訝しんだ。

じぶんの楽しい思い出が否定されるのは嫌だったので、それ以降だれにもこの日々のことは言わなかった。



夏休みになると、大学受験を見据えて塾に入ることを親に勧められた。

県下ではまあそこそこの、毎年何名か東大合格者も輩出しているような学校に通っているからか、周囲がわたしを置いて受験モードに入るのがやたらと早かった。

大学受験と言われても、それまで進路なんて考えたこともなかった。彼氏いないし。コイビトと同じところに行きたいとかいあるある進路選択方法も、選択肢が存在しないのだから選びようがなかったのだ。

最終的に塾には通うことにした。初回体験授業の講師イケメンで、軽い気持ちで授業後アンケートにまた受けたいと書いてしまったのがいけなかった。布団の中で後悔して、今年の夏は一人でどこまで行こうかと考え気をそらしていた。

しかし、何回か通ううちに気が変わった。友人皆が大手塾に通う中、私はマンツーマン型の小ぢんまりとした場所だったので、周りに私を知る者はほとんどいなかったのが救いだった。

塾で分からないところは基礎の基礎だと薄々感づいていようが分からないとごね、分かったらこれでもかと喜ぶ(時々声がでかくてブースの外に聞こえると窘められた)。


夏も過ぎ二学期中間試験も終えた10月ごろ、仲良くなった塾講師に、件の日々の話をしてみることにした。この人はやたらと毒舌だが顔はいいので、何を言われても許せる自信があった。顔はいいので。

講義講義の間の休み時間の間に雑談のノリで喋った。学校サボって空港とか海とか行ったことあるんよね、マジでしかった。ホンマはアカンけど。

塾講師の反応は予想と違っていた。返ってきた言葉は「絶対勉強ばっかしとったよりええと思うで〜」「アホやなとは思うけどええとも思う なんも考えてなさそうで」という完全に私をアホとみなした上での肯定だった。


よく分からないがムチャクチャに嬉しかった。それはもうムチャクチャに嬉しかった。この人にはアホな所を堂々と、それこそ正弦定理余弦定理から2次方程式の解の公式までこれでもかと意味わからん何これと聞きまくっていたので、アホ呼ばわりされることがなぜか誇らしかった。

小学校中学校の頃は何もせずとも常に成績はトップだった。高校でも文系科目がまあそこそこできたおかげで順位は真ん中より少し下、成績を上げなさいとは言われるが面と向かってお前アホやなと言われる機会はこれまでの人生一度もなかった。いや影では言われてたかもしれないが。


「やろ〜!? いや自分でもやばいなとは思うけどなんか楽しかったんよね…冒険しとるみたいで…」と返すと、授業開始のチャイムが鳴った。


私は学校を休むのをやめた。

受験勉強、がんばります

2019-01-02

東大までの受験の思い出

私は、中学受験御三家に入り大学受験を経て東大入学した。

中学受験

動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。

小学校東京郊外私立に通った。いわゆる東京私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスひとつしかなかった。

私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいしかの子好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。

五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任先生相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生一言だけで私は世界が広がった気がした。

学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。

好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家第一志望となった。

塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生塾長奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。

塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。

大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったかお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリ偏差値をいつも取っていた。

そんなこんなで中学受験第一志望の受験日は2月1日受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼ学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任塾長言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。

手ごたえはあった。得意科目算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク

大学受験

東大受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。

はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践たかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。

私が中学の頃に父は長年勤めた会社早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。

幸い有数の進学校には通っていたので、目標東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。

ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間けが過ぎていった。

願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である

余談だが、父は学生紛争東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。

結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験合格者平均を大きく下回っていた。二次試験数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。

大学受験2】

浪人した。親の期待と、自分の意地だけだった。

東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。

私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。

就職浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。

浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。

後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。

この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議二次試験過去問も解けるようになった。

結果からいうと、私は当時の前期日程試験不合格だったが、後期日程で理科一類合格した。

前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要試験が少なく、私の場合はほぼ英語数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。

試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ち試験を終えた。

結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。

こうして私の受験は終わった。

最後に】

小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。

受験競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較しか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分選択からしかまれなかった。

正月受験生たちに、あけましておめでとう

2018-12-12

anond:20181212190709

IMAKITA

https://www.qhapaq.org/imakita/

両親は厳しかった 学校の成績以外何も認めてくれない人間だった 。

そんな両親の期待に応えようと真面目に生きてきただけなのに何かを見失ってしまった 。

しかしそれさえも最近疑っている もしかたらこ目標は俺のものではなくて、両親の恣意が俺に干渉してきただけなのかもしれない と 。

結局 他人必要としていたのは「勉強のできる俺」だった 何の取り柄もない俺が勉強“まで”できなくなってしまったら今度こそ誰から必要とされなくなる 。

両親は俺にどうして欲しかったのかな。

死にます

今年で高校1年生 そろそろ限界が来ている

両親は厳しかった 学校の成績以外何も認めてくれない人間だった

そんな両親の期待に応えようと真面目に生きてきただけなのに何かを見失ってしまった

勉強ができて得した事なんてなかった 万年クラスに1人はいガリ勉ポジションで人から尊敬されたり必要とされることなんてほとんどなかった

好きな女の子にも振られた というか1度も恋愛成就した試しがなかった ブサイク根暗ガリ勉より明るいスポーツマンの方がイケてるからだ そんなん当たり前だよな

将来の夢は法曹だった 法律に興味があったからだ

しかしそれさえも最近疑っている もしかたらこ目標は俺のものではなくて、両親の恣意が俺に干渉してきただけなのかもしれない と

自分気持ちに自信が全く持てなくなってしまった

結局 他人必要としていたのは「勉強のできる俺」だった 何の取り柄もない俺が勉強“まで”できなくなってしまったら今度こそ誰から必要とされなくなる

自分意思とか存在価値とか そういうものを考える度に気が狂いそうになった 何回もリスカしたし家出もした この間は自殺未遂をした

それでも両親は泣くばかりで何の対応もしてくれなかった



俺、いい大学に入って幸せ人生送るために勉強してきたんだよな

俺より勉強してないやつもいっぱいいる、偏差値が低いやつもいっぱいいる でもきっと幸せなのは多分そいつらの方なんだよな つくづくそう思う

幸せって何なんだろうな 感情とかやりたいこととか押し殺して 自殺未遂までしてようやっと得られる大層な物だとは思えないんだけどな

両親は俺にどうして欲しかったのかな

.

2018-10-16

早くいなくなった方がいいだろうけども

下の兄弟自閉症で、健常者であった私は両親から凄く期待をされていた。親の悩みを聞き、兄弟の面倒も見て、家事も手伝い、そんな日々が続いていった。

そんな私が発達障害と判明したのは、うつ病になってからだ。それまでは、行動が少し変な健常者として、苦労しながらも過ごしてきていた。

本当に、両親の期待を裏切ってしまって申し訳ないと感じる。「早く結婚を」「子供を」と言われてきていたのに、うつ病になって発達障害と判明して、全て裏切ってしまった。

期待をさせてごめんなさい。

けれども、自分はとても楽になった。期待されなくなって、無茶な要求も少なくなって、心底安心している自分もいる。

最低だって分かってはいる。

私にかけた労力や金銭時間や苦労、その事を考えると、こんな役に立たない奴は早々にいなくなった方が良いだろうというのも分かってはいる。ネット民障害者へ「はやくしね」と書いているのも納得だ。

けれども、死ぬ事ができなかった。うつ病希死念慮持ちで、首を吊ろうと何回もしたけど、上手くいかなかった。川に行っても飛び降りることもできなかった。

死ぬ事も生きる事も上手くできないなんて、私はなんて不器用なんだろうか。それでも、今は私は幸せに過ごしている。

これからも、この後悔と申し訳なさを抱えて、しばらく生きていくんだろう。役立たずだと後ろ指をさされながらも、自分幸せを信じて生きていくんだろう。

死ななくてごめんなさい。

それでも私は生きていきたいのです。

2018-08-23

めちゃくちゃ恵まれ環境で育った

友達が言ってた

おれは文句ない環境で育ったか言い訳出来なかった

から今があるし僻まれたりはしたくない

おれもそうだけど飲みの場でついつい口にしてしま

貧乏だったから、親の期待が重荷で、おれバカから

言い訳が出来る心地良さから、いつから悲劇主人公の道を選び、自ら辛い境遇選択してしま

なんだか子供じみた考えの自分に恥ずかしくなってしまって、少し大人になろう、そう思って熟女モノのエロ本を捨てた

2018-06-23

性欲を捨てろ

性欲なんてものがあるからまらないトラブルを起こすんだから性欲なんて捨てちまえ

子どもだって自分遺伝子を引き継いでいる必要も無いだろう

そもそもお前は親の期待通りに育ったと胸を張って言えるのか?

2018-06-15

anond:20180613112708

子供がどーしようもない事例の全てが親のせいとは限らないが、本件の場合全面的に親のせいな可能性が高いんじゃないかなぁと私は思う。

引きこもりの人の生まれ持った、社会適応し難い性質が少なからず影響しているとしても。

要は親の期待が過剰だったんだろう。

引きこもりの人がよちよち歩きかそれ以前から、この月齢ではあれが出来てないとダメ、これが出来てないとダメっていう強迫観念に駆られて育てて来ちゃったんじゃないの?

今もアラサー男子たるもの一人前に会社に勤めて結婚もし、孫の一人や二人こさえてくれるのが普通だと、思ってるんじゃないの?その親達。

つうか、そう思ってなかったら取引先の会社社員まで動員して息子を外界に引っ張り出そうとは思わないよね。

アラサー引きこもり男に必要なのは叱咤激励の類いでも社会強者になれそな職の資格でもない。無条件の承認、ただ生きている事自体への祝福、そういうものだ。お父さんお母さんにとって掛け値なしの宝物だという事だ。

2018-06-11

諦めが肝心だと分かっても納得できない

から1ヵ月後、婚姻届を出す予定だった。

ただ、両家顔合わせが済んでいない。

顔合わせしようと求めても応じない。

3ヶ月経過したけど、喪に服したいから祝い事は無理らしい。

1年。今から1年は無理。「気持ちが伴わないか行きたくない」ということも言われた。

40過ぎの人が「今年ゎ無理」という「ゎ」を多用しながら打ってきた。

色んな意味でガックリ来た。

溝を深めたくないのであれば、婚姻来年にすべきってのも分かる。

私の親は「今年」と決めていた。同棲から1年程度で結婚すべきと条件をつけていた。

親も「もうそろそろか」と思っていた矢先、顔合わせすら無理という結論に至った。

私の両親は悲しいだろう。そして、彼親は違う意味で悲しいんだろう。

顔合わせって祝い事か……?

両家でご飯食べるだけなのに? もしや、外食も行かない、古いしきたりの家か?

でも、お墓も持ってなかったし、仏教でも何教でも無かった。

気持ちは分かるんだけど、こちらの気持ちを踏みにじっているのは分かるのだろうか。

申し訳ないんだけど」の一言も何もなく「無理」と却下され、さらには

「お祝い事できる気分じゃないから」で終わらせる。

そんなにお気持ちお察ししないといけない??

私と、私の両親の期待を踏みにじっているのに、一番の被害者面して楽しい?

こちらの祖母も亡くなっているけど?(祖母希望は私が早く結婚することだった)

悔しい。どうにもならないし、どうにかなる問題でも無いから悔しい。

ムカツク

彼に当たったって仕方ないけど、彼にキレてケンカもした。

彼が彼母に言ったところでどうしようもないという結果は分かってるけど、

私自身の気持ちもどうしようもなく、抑えられなかった。

イラつきすぎて昨日死にたくなった。本当は死にたくないけど首絞めたりした。

痛くないのであれば、消えたいとも思った。

単にストレスが溜まって爆発しそうなんだろうけど。

あー、何もかも嫌だ。

今度仕事休もうかな。

2018-05-28

anond:20180528015552

老人ホームに入れるタイミングがわからない。

今では最初から老人ホームに入れておけば良かったと思うが、自分で出来る、自分がやらなければ、兄弟で助け合えばできるだろう。そう思ってしまったんだよな。

実際は兄弟の助けなんてほとんどなかったけど。

これは親の期待通りの職につけなかった自分への罪なのだろうか。ならば最後まで看るべきなんじゃないか。なんて思ったりもする。そんなわけないのにね。

老人ホームでの悲惨ニュースを聞いたりすると、なかなか踏み切れないんだよな。

2018-05-16

親の前で自殺未遂した話

親の前でマンションベランダから飛び降りようとした。

軽く勢いをつけて手すりに登ろうとしたけど、泣きすぎで力が入らなくてうまくいかなかった。

三回目のジャンプで親に手を引っ張られてよろよろと室内にころげこんだ。未遂未遂くらいで終わってしまった。

希死念慮は昔からあった。小学生の頃からずっと。その度に「読んでいるシリーズ新刊が読めなくなるのは残念だから」とかなんとか理由をつけて先延ばしにしてきた。

リストカットしたことがない。しようとしたことはあるけれど。小説で「手首を切ってもうまく死ねない」と読んだことがあったし、うっかり生き残ったら跡を誤魔化すのが大変そうだと思っていた。

高校生の頃、クラスメイトの今から思えばちょっとメンヘラ中二病が入った子と「どうしてもっと前に死んでおかなかったんだろうって思うよね、早く死にたい」と意気投合したことがある。私は表面的には今日明日ハッピーです、という体をとっていたので、その数分間が私の学校生活で唯一希死念慮を表に出せた経験になる。

正直17歳くらいで自分死ぬんだろうなと思っていた。酒が飲めないうちに死ぬのは惜しいなとも。

大学に入った直後高校時代よりも楽しく、開放的で、死にたいと思うことは少なくなった気はする。

それも居酒屋ホテルバイト疲弊するまでの間だったが。無能力感でバイト帰りに川を見て、「ここから飛び込んだら深さがないから頭から飛び込んでどこかに打って気絶して溺死かな」と考える日が続いた。

まりにも仕事ができなかったのでADHDを疑い、通院が始まる。ADHDではないものの極度のあがり症と診断され、通院し続けるようになった。

その後いろいろあって至る現在就職活動ストレス買いで作った借金を親に詰られ、死のうと思った。

ベランダから見る地上には全く恐怖を抱かなかった。履いていたスリッパを放るように脱いでしまったので揃えてから決行しようと思っているうちに止められた。

親にはずっと死にたいと思っていたことを泣きながら話した。親はピントのずれた返ししかしなかった。

自分の無価値感についても話したし、期待に添えない子供でごめんなさいと繰り返した。「そんな期待なんかしていない」と言われた。

飛び出すように家を出て、半日考えた。

私は「価値がない子供でもいいから生きていてほしい」と言われたかった。「死のうとなんてするな」と言って欲しかった。

親の期待やら何やらから逃れたくて、自分が親の思い通りに動く人形じゃないと証明したくて親が嫌がるとわかっているオタク趣味に夢中になったのかもしれない。でも結局逃れられなかった。親はそれを「正しい」方向にしようとし、私を「正しくない」と糾弾し続けた。

事実借金してまで買い物をするのは異常なのだとわかっている。でも止められなかった。自分の無価値から目をそらしたかった。

でも逃げさせてくれなかった。大学自主休講したこと就活を(私はそれなりに頑張っているつもりだが)頑張っていないこと、大学に行く時だけ電車に乗ると吐き気がすること(実際は楽しいことがあった後でも吐き気がするし、大学自体に恐怖心を抱いて家から出られなくなり、それを治療していたこともわかっているはずである)。

私はもう耐えられない。生きていくことに耐えられない。親に生きてくれと言われたら生きるつもりなんて、何でもかんでも親に依存しているのだろうか。でも親にさえ生きてくれと言われなかったらどうしたらいいのだろう。私にはもう、死なない努力をする精神力が残っていない。

カウンセリングにでもかかれば変わるだろうか。今更もう何もかもどうでもいい。

これから私は身辺整理をする。親が望む通りに物を減らして片付けをし、部屋を綺麗にする。

無駄遣いをせず私がしてしまった借金を返し、3〜50万くらいの現金を作っておく。

葬式に来て欲しい人のリストアップをする。遺書を書く。

それが終わったらなるべく迷惑をかけない形で命を終えようと思う。

1年もあれば準備には十分かなと見積もっている。それまでに生きる気力が沸くようなことがあればその時考え直す。

簡単な賭けだ。十分な金を稼ぐまでに生きる気力が沸くかどうかの賭け。

考えてわかったのは「やっぱりもっと早くこの決断を下すべきだった」ということ。

せめて大学に通う前に決断していれば、私大の決して安くはない学費を親に浪費させずに済んだのに。そのお金で老後資金の足しにできただろうにと思ってしまう。

お父さんお母さん、お金時間を私みたいな不良品に使わせちゃってごめんなさい。

ももうすこしで、マイナス100をプラスにはできないけど、マイナス50くらいにはできるように頑張ってバイトするからね。

私の生涯最後一年くらい、苦労や心配をかけないで済むように、私頑張るから

2018-05-04

ソープ童貞を捨てた話

ソープに行け」と言われたわけではないけど、25歳でソープランドに初めて行った。

そこで「童貞」を捨ててきた。つまり相手の膣に自分ペニスをいれた。

僕の今までの性体験の総決算だったと思う。おおげさに聞こえるかもしれないけど。

というわけで、まずその日のできごとについて書きたい。

はじめてのソープについて

近くのソープを調べてサイトまでいったものの、迷いに迷い、でも今やらなかったらいつやるんだ、と勢いでようやく送信ボタンを押した。10分くらいして電話がかかってきた。女衒っぽい?声音だった。電話が切れるとなにかふっきれてしまい、今まで何を悩んでいたんだという気持ちになった。

値段は思っていたよりかなり高かった(3万くらい)。というか料金表の見方がよくわからない。70分のコースにして、午前中だと安くなるというのでGWの早朝にぶっこんだ。もっと安いヘルスとかあったはずだが、事務的に「射精処理」されるのも困るのでやむをえないということにした。

起床して、風呂に入り、ひげを剃り、むだ毛を剃り、爪を切り、歯を磨き、髪を整えて香水を軽くかける。そこまで準備するかよと思うかもしれないが、人前に出る以上引け目を感じたくなかった。服は迷ったが、「男っぽく」しようと黒と白でまとめて、フェイピアスをつけた。耳飾りをつけるとちょっと自信がつくので。

はじめてソープ街を歩いた。店の前に立っている呼び込みの人がこわい。どすの利いた声で「どうぞ」と言ってくる。世間の人はこれで入ろうと思うのだろうか。道に迷って、店に電話をかけて、やっと中に入ることができた。店内はなんというか…照明のうす暗いけどキラキラした雰囲気カラオケボックスに似ている?かも。

待合室は席が仕切られており、雑誌や大きなテレビがおいてある。金正恩うつっていた。水着姿の女性写真が出され、指名料2000円で選べるといわれた。もちろん店にまかせた。反応に困ってしまって、「みんなきれいですよ」とか言った。お茶おしぼりが出てきた。これだけお金を払うとサービスがよくなるのだ。

それなりにリラックスできたはずだったが、奥に通されて嬢と会ったときは緊張した。というかひたすら緊張しっぱなしだった。階段を上るとき腕に手をまわしてくれるけど、雰囲気にうまくついていけない。「こういうお店は初めてなので」と言い訳する。

部屋に入ると、お風呂があって、ベッドがあって、冷蔵庫があった。ラブホみたいだ。嬢が服を脱がせてくれる。僕は小柄で痩せているので裸になるとますます子どもっぽくなり、ますます自信がなくなり、ということで、そうそうに売り専で働いていたことを切り出してしまった。

ここまで読んで、なにが童貞じゃと思った人が多いと思うが、そのとおりです。男とならそれなりにセックスしてきました。しかし僕は男とセックスができるだけで、どちらかというと異性愛男性に分類されると思う。膣と肛門はなにか違うような気がする。

もちろんマンコに入れて童貞を捨てたなら、アナルに入れたときは何を捨てたのか、オナホに入れたときは何を捨てたのかという突っ込みがあるだろう。そういう難しいことは僕にはわかりません。

突然のカミングアウトにも嬢は冷静で、というかちょっと興味を持ってくれた。よかった。嬢もこの店で働き始めたのは最近で、その前は前立腺開発とかいろいろやっていたという。そうと知っていればシャワ浣もやってくるんだった。

ソープでどんなことをするか興味があるので、お任せするからひととおりやってくださいとお願いした。ということでまずお風呂に入り、マットでローションプレイというかマッサージっぽいことをして、ベッドでキスして、フェラして、セックスしてもらった。完璧サービスでした。パイズリもキスフェラセックスも上手で、コンドームを口に含んでフェラをするように伸ばしてつけるのには感動した。コンドームで中断してしまう間をどうもたせるか困ることが多かったのだが、こういう方法があるのか。

特にフェラは上手だったのでその話をする。僕もフェラはずいぶんやってきたけど、いか射精させるかを考えて、つばを多めに、カリへの刺激を強めに、亀頭を強く吸って、ずっと口だと疲れるから根元を手でしごいて、相手を上目づかいに見る。あと、動きが単調だと飽きる気がするのでときどきたまたまの裏や蟻の門渡りをなでる。まあ、こんな感じである

嬢のフェラは手をあまり使わず、舌使いも優しく、しめつけて射精させようとする感じがまったくなかった。あたたかもので包まれているという感じだった。くわえるまえに睾丸や根元を舐めるのが丁寧だった。

あと、僕はくちゅくちゅ音を出すようにするんですが、嬢は蕎麦を吸うみたいなずっずっという音を出すようにしていた。こういう音の方が受けるんだろうか?

ということで嬢のフェラをほめちぎる。「男の方が自分もついてる分上手なのでは?」と当然の質問を受ける。オナニーとかけっこう強く握るし、激しくこするので、それと同じようにやってしまうのではないかと思った。

はいえ全体的に緊張しっぱなしで、ちゃんと勃つようにと2日オナ禁してきたのだが、いろいろ話し込んだこともありフェラときくらいしか勃たなかった。とうぜん射精もできなかった。まあでもいちおう膣の中に入れたので、童貞は捨てたのではないか。もうよくわからん

途中で、初めて売り専仕事をしたときに途中で萎えしまたことを思い出した。あれはきつかった。動揺した。今回はお金を払う側でよかった…。

はいえ、相手が勃たないとうまくサービスできているかからなくて嬢はしんどかっただろう。僕もお客さんが勃たなかったら焦る。ちんこを思い通りに勃たせたり萎えさせたりすることが、なぜこんなに難しいのか。まだ経験が足りないのかもしれない。それにもう一度行ったらふつうに勃つ気がする。行かないけど。

名刺はもらわなかったが、楽しかたことは伝えたし、アンケートもいろいろほめておいた。アンケートもそうだが全体的に、男が女を買って性的奉仕させる空間だということは伝わってきた。お風呂があってマットがあってベッドがあるのだから本質的には異性愛男性リラックスして射精する場なのだろうが、エンターテインメントとしても楽しめるほどの「男らしさ」が僕にはなかった。

…たぶん、今までの話は読者の予想をいろいろ裏切ったと思う。そこでこれから、男体持ちの僕のめくるめくセックス遍歴について、けっこう書きます。おつきあいください。

はじめての恋愛について

僕がはじめて女性と性関係をもったのは22歳の大学四年生ときだった。

同い年の女性告白された。

その女性とは学園祭で知り合った。あるサークルたまたま哲学の話になった。僕は哲学は多少身に覚えがある。なにしろ論理哲学論考中学生から読んでいた。その話をした。その人は小学生から論理哲学論考を読んでいた。なんじゃそりゃ。僕たちはウィトゲンシュタイン推しで気が合い、あとでgoogle:哲学宗教日記を貸してもらったりした。

そのあとデートに誘われた。街角喫茶店お茶をした。そのころの僕はいろいろ精神的にきつくて、大学の授業にずっとでていなかった。留年も確定して、そのことを両親にこっぴどくなじられていた。そんな話を少ししたと思う。その人も家庭のなかの問題がいろいろたいへんだと話していた。僕の両親もおせっかいだが、それと比較しても過度に束縛的だと思った。親の期待する「大人の女性」になれないことをその人は気に病んでいた。

しばらくして、その人からメールが来た。大事要件だという。その人に会うと、他の人にあまり聞かれたくないから僕の下宿に行きたいというので、そうした。たいして片づけもしていない薄汚い部屋に入って、そこでその人は僕に告白した。とても劇的で、すごく大胆で勇気のある告白だったと思う。

その頃の僕は全ての牛が黒くなるほどのブラック夜勤バイトを週4で入れ、頭がまともに働くときSTAP細胞真相究明に熱中していた。自分は忙しいんだ、こんなに大変なんだ、ふつう大学生とは違うんだ、と思い込むために必死だった。

典型的非モテだったと思うけど、僕はその苦しみを異性に向けず、そういう興味をひた隠しにしていた(周りからオナニーなんかしなさそうと言われるタイプ)。もちろん女性自分の部屋に招くというのが「どういうこと」なのかわかっていなかった。その人が告白しなければ、ウィトゲンシュタインの話でもして指一本ふれずに帰したと思う。この心境は、恋人で一発逆転を狙うタイプの人には理解してもらえないかもしれない。

そのあとふたり散歩して、人気のない公園で夜が更けるまで話し込んだ。僕が提案して、別れ際にキスをした。「唇を奪ってほしい」というので、僕から口づけした。そのとき相手の唇がぬれていたのと、いきなり勃起しかけことに驚いて、あわてて(軽く突き飛ばすような感じで)唇を離した。キスに動揺して勃起までしたことを気づかれたくなかった。

後日、その人がふたたび下宿に来た。とはいえ、僕はコンドームの用意もなく、セックスについての具体的なイメージもできていなかった。

僕もそれなりに性教育を受けて、コンドームの付け方や性感染症のことを知識としては知っていた(男子校だったこともあり、保健体育の教師ディルドにコンドームをつける実演までさせた)。それでもどうしていいかからなかった。主体的に取り組まなければどんな知識もうわすべりになる。それはセックスも同じだ。

上半身だけ服を脱いでベッドに入った。そのとき、その人はパニックになり、ふとんをかぶって部屋の隅でうずくまってしまった。僕は落ち着いてほしいと真剣にお願いした。その人は小学生の時ひどい性暴力を受けたことを話してくれた。あまりの衝撃に僕は声を上げて泣いた。お前が泣くのかよ、と思うかもしれないが…。

その一方で、僕もネット女性エロ画像動画を何時間検索することがあるし、セックスへの興味を押さえられない衝動というのがわかる。僕は自分にそんな(女性を辱める)汚い欲望があることをオナニーを始めたときから気に病んでいたが、なくそうともがいてもなくすことができずにこの歳になっていた。その欲望をどこかで肯定できたら…と思っていた。でもやはり許されないのかと思った。

その日から上半身だけ裸で抱き合うのが暗黙の了解になった。キスしてお互いの身体をなめたり噛んだりし合う「だけ」だったけど、文字通りいつまでも続いてほしい素敵な経験だった。その人はときおり、まんこちんこをいれるセックスができないこと、「傷物」の体であることを気にして申し訳なさそうにしていた。ペッティングだけで僕はオナニーする必要がないほど性的に満足していたので、それを気に病む必要はまったくなかったのだが。そのことを伝えればよかったのに、僕は好奇心から一度下まで脱いでいいかどうか聞いてしまった(もちろん拒否された)。

結局、その人とは別れることになった。僕なりに整理すると、一番の要因は僕が結婚に対して本気にならなかったからだと思う。その人は僕が立ち直り、大学卒業することを期待していた。僕はやっぱり大学に行けずバイトを止められず、その人の頼みで試験には出たものの2単位しか取得できなかった。

しかも、僕は「彼女」の存在を公にすることができず、両親はおろか友達にさえも、というかだれにも切り出せず、彼女のいない人が招待される「ぼっちクリスマス会」すら断れなかった。ひどい話だ。

結婚に対して前向きに努力してほしいという彼女要求に僕はどんどん防衛的になっていき、敵意さえ感じさせることがあったかもしれない。そのひとは僕に見切りをつけ、別れ話を切り出した。僕は強がって「わかった」と応じたものの、一週間食事がのどを通らないほどショックを受けた。遠ざかって行く彼女の夢を何度も見た。

…そして、別れてから半年以上たったのに、その人の誕生日メールをして、電話をかけてしまった(もちろん出なかった)。

バンクロフトgoogle:別れる? それともやり直す? カップル関係に悩む女性のためのガイドを読むと、その人の決断が正しかたことがわかる。僕は二人の将来について責任のある態度をとらなかった。それにしても、その人は自分から告白し性関係に負い目さえ感じながら、別れることをよく自分の力で決めることができたと思う。

つづきます

2018-04-09

まじで大学院生やっていくの大丈夫か俺

これはB4の秋のときから今のM1ときまでずっとなんですけど、実験が思うように行かなかったのとか、いろいろあって精神的にちょっときつい感じが続いてるんですね。

そもそも自分研究というものに向いてない気が秋の時点でうっすらしてたんですけど、もう周りの人間そして親の期待によってほとんど何も考えずに院試を受けるわけです。そして受かる。他のところではどうだかわからないですけどうちの内部進学の場合院試の時点で研究室を決めるので、そういえば院試の時点ではこの研究室でもっとやっていきたいと思ってましたよ、B4の夏の時点でその後2年半ずっと同じところにいることが決まっちゃうわけです。

院試受かったーの時点でもう大学院行くしかないじゃないですかもっというと大学院進学■割の学科自分研究に向いてないということを院試の時期というか就活開始の時期以前に気づいてなかったら終了じゃないですか。

自分で言うのもなんですけど具体的な短期目標を達成するのは比較的得意で(だから入試とか資格とかホイホイとパスしてしまう)、つまり研究とはその逆ですからそりゃあ苦手ですよね。これを自覚するのが本当に本当に遅かった。

はいえ何も対策してないわけではなくて、増田で(登場人物みんなハッピーな、だれも傷つかない優しい)嘘松書いて沢山ブクマ頂いて承認欲求満たしたり、運動したり(瞑・菜はぼちぼち)、太陽の光浴びたりはしてます。 優しい嘘松本当に良くて、ブコメは優しい気持ちで溢れてるし、優しい話を読むことで自分自身優しい気持ちになれます

はいえこういうことやって心が落ち着くのも一時的ものですけどね。研究室に入るたびにすべてがリセットされて苦しくなる。これは周りに指摘されるまで気づかなかったのですが、最近本当に呼吸が苦しいかのように息が荒いらしいです。

今の所どうにか突然涙流したりとかそういうところまでは行ってないです(鬱になると突然涙が出てくるらしいですね(ネット医療情報を信用するな)。)。研究室以外の場所、自宅やバイト先やカウンセリング先生の前では全く普通の人でいられるので本当に研究室さえどうにかなればどうにかなるんですけど、どうにもならないですね。あと2年どうやっていこうかな。

2018-03-20

就活始まったばかりの大学生ですが

長所がなんにもありません。真面目に考えてみたけど短所しかない。情けなさすぎて早速死にたくなってきました。

思い返せば私は子供の頃から他の人に比べて突出したものとか、特別な才能やセンスとか、そういうものがなんにもない子だったからせめていかなる時も真面目に誠実に取り組むこと、一生懸命努力する事を大切にしてきました。

でも、それって誰にでも出来ることなんですよね。努力なんてみんなが出来てあたりまえのことじゃないですか。最近その事に気付いてしまって、というかこんな簡単なことに今まで気づけなかったという方が正しいですよね、本当に今更になって自分馬鹿だったなって思うんです。努力家で真面目で偉いねえって言われることを、褒められてると勘違いして満足してたけど、それってほかに私にすごいところがないから頑張ってて偉いって無理やり肯定してくれてただけだったかもしれないのに。

その代わり大学生活の中で頑張ったことといえば資格取得、これは本当に努力したって自信持って言えるぐらい勉強頑張りました。もちろんひとつといわずいろいろ挑戦しました。漢検英検TOEIC日商簿記FEAP…正直、これだけ頑張ったんだから絶対評価して貰えるって思ってました。甘えてました。けど、それだって他人と比べて恥ずかしくない?って考えたら微妙だなって気付いてしまいました。別にすごくも何ともない、普通のことを必死に私頑張りました!ってアピールしてるだけなんじゃないかって思うとわざわざ書けるほど偉いことじゃないかも知れない…ってなるんです。

だいいち、本当はわかってるんですよ、結局人間としての価値で負けている私みたいな奴はきっと資格頑張ろうが何をどうしようがダメなんですよね。たぶん私は資格を取ることでみんなと同じレベルに立ててる、周りと比べて劣ってないって思い込みたかっただけなんだと思います。アホですよね。

というか就活っていざ始まってみるとこんなに自分が嫌いになるんですね。初めて知りました。

このままいくときっと親の期待にも応えられないし、それ以前に奨学金も返さないといけないか卒業までに就職先みつけないと借金地獄絶望しかない状態になるのは予想できてるんですけど、本当どうなるんでしょうかね。就活失敗したら人生終わるって親や周りからずっと言われてて、絶対にそうならないようにしなきゃいけないというのに既にこのざまですからね。いい加減自分ゴミみたいな人間過ぎて何もかも嫌になってきました。クズですよね。本当死んだほうがいいかもしれない。

周りからはこれから自信持っていかないとだめだよって指摘されてしまいましたけど、でも仕方ないじゃないですか。私には本当に長所がなにもないって思い知ったところなのにこれ以上何をどう自信を持てと?って話ですから

2018-03-08

お絵描き練習中こーすけ氏について

TwitterYoutube小学生の頃からイラストをアップしている「お絵描き練習中こーすけ」(OekakiKosuke)という子が居るんだけど、彼の技量は模写もそうでないものも非常に高く、ツイートによると中1にして美術系の大学予備校に通っているらしい。

たぶん同年代の子で彼に憧れている絵描きは非常に多いだろう。

ただ、俺は結構長い間彼を見てきているから思うんだが、彼のご父兄は、やや彼をデザインし過ぎでは無いだろうか?

彼が小学生時代Youtubeクラスメイトと共に撮影した紹介動画などを見た時は、とても子供思いの良い親だと思った。

だけどTwitterにおける言動の丁寧さ、非の打ち所の無い文章構成をずっと眺めているうちに、(彼は意識していないだろうが)彼の言動の4割以上が親に支配されているはずだと疑わずはいられなくなった。

ネットを何が何でも取り上げる親に比べたら素晴らしい親だ。だけど、単にパターナリズム以外の目論みで彼の発言を(高度な技術を以て)コントロールしてはいないだろうか?

彼がTwitterフォローしている相手が0人なのはパターナリズムだと好意的解釈するとしても、あのプロフィールを含めた一連の言動だけはどう見ても親の強い意志が介在している。あるいは親の顔色を常に窺って行動している子供のそれにしか俺は見えないのだ。

今は親の喜ぶ顔が見たくて行動しているところもあるだろうから、誰も損はしていない。

だけど俺は彼がいつの日か主体性を強く持つようになり真にやりたい事を見つけたその時、それが親の期待にそぐわない何かであった時、つらい気持ちになると思うんだ。下手すれば壊れてしまう。

重要なのは彼が今絵の大学を目指しているという点だ。親もそれを本気で応援しているということも見ていて良く分かる。

彼が目指している道は、彼の親が今やっている事からは縁遠い精神が求められる世界だと俺は思う。

今すぐにと言いたいところだけど、せめて高校生ぐらいになったら好きにやらせてあげて欲しい。我が子のやることに対してすべてを肯定してあげて欲しい。

(現状でも全てを肯定する「言動」は取っているだろうが、そういうことじゃなくて。)

2018-01-30

俺は、EXILEを許さない俺を許せない

弟の話をしようか


すみません調子ノリました。させてください弟の話。もうほんとまじで頼むから

増田、この前は聞いてくれてありがとう存在してくれてほんまありがとう増田。圧倒的感謝だよ。増田以外に頼れるやつがいないんだよ俺みたいなのには。

これはあれ、EXILE TAKAHIROをねえちゃんと呼ぶ弟がいる俺のあれです。真偽をどうこういいたい気持ちはわかるし何て言われても構わないって言うか正直圧倒的多数がこれを嘘だと言えば俺のこの目の前の現実も嘘になるんじゃないかと思うので嘘説を支持して。お願い。俺の分まで嘘だと言って。

anone。

結論我が家がとうとう破局をむかえました。みたいな、なんか今そんな感じの地獄にいる。

ここが地獄刮目して見ろ。見てくださいお願いしま

事の発端をどこに求めればいいのかはわからないが、まあ恐らくは弟がファンミに行けてしまった(2回くらいは行ってた、たぶん)ことが大きいのではないかと俺は思います

1回目のファンミ参加の後、弟は2年は付き合ってた彼女と別れた。たぶんこの前のにも書いた気がするけど。

理由はもちろんあれです。

お姉ちゃんのことが好きだから

彼女のことももちろん好きだけど、彼女お姉ちゃんを天秤にかけたときお姉ちゃんをとってしまうから、とかそんな感じの理由だったと思う。真面目かよ。後、なんかこれはちょっとプライベートな話だけどあれが機能不全になった、かもしれないとかで、そういうのも含めて別れた。と別れた後に聞かされた。いわゆる事後報告って奴。

そのときの俺の気持ち想像してみてほしい。正直夢だと思ったよ。だってこっちは今まで結婚視野にいれてる相手だって聞かされて会わされてきたわけで。弟が向こうに挨拶に行ったのかは知らないけど、うちには挨拶にって彼女を連れてきたりしてたわけで。なのに別れるってあい正気じゃないんじゃないかな。ぐらいは普通に思った。

しか彼女さんと2、3回くらいしか会ったことはない俺からすると、めっちゃうまくいってる感じしてたし。

お互いのことなんか好きなんだなぁってオーラが出てて、俺は、リア充乙!とか思いながらやけにしょっぱい彼女手土産ケーキ食べたりしてたんだよ。どこのケーキ屋のケーキか聞いときゃよかった。あのチョコケーキもう二度と食えないんだろうな。

でもまあ、当人である弟が別れたくて別れた以上、しかもかなりさっぱりした顔をしてたから俺としてはあんまり色々言えもせず、でそのときは終わって。終わっちゃいけなかったんだけど、終わって。

問題はここからだった。

その彼女がうちの母親に泣きついたのだ。

なんと弟は別れ話をするとき、別れよう。くらいしか言わなかった、らしい。

それで納得できるか、っていったら彼女さんは無理だった。まあ普通に考えると大学で2年以上付き合ってうまくいってて家族の紹介までされてた彼氏にある日いきなり別れようって、しかもなんの説明もなしに言われても納得できないよね人間だもの。俺も無理だと思う。彼女できたことないけど。

それで、彼女さんと仲がよかったらしいうちの母親は怒り狂って弟につめよって、なんとか復縁させようとした。うちは男兄弟から母親的にはなんか彼女さんははやくも娘も同然、って気分だったらしい。理想の息子理想娘。最高の気分だったんだろうな。

それで一月くらい諦めず毎日だってネチネチネチネチしつこく言った母親にさすがの温厚で優しい弟もブチ切れた。

俺だったらそんなことされた日には仕事以外引きこもってでも逃げまわる。なのに、弟はいい奴だからゴミ捨てとか家事とか色々してたこともあって母親と顔を突き合わせること多かったし、1ヶ月は正直めっちゃ耐えたなって感じだ。

ブチ切れた弟は、なんか、もう、すごかったらしい。筆舌に尽くしがたいとはこの事だと思う。

うちの両親は体面大好き人間から高校は有名進学校!で大学も国公立会社は一流大手!!みたいな、それいつの時代人間だよみたいな価値観の人たちでまあ俺はものの見事に失敗したんだけど、弟はその期待に見事応えてきてて、だけど鬱憤はやっぱり溜まってたらしい。当たり前か。

就職したら家を出ること、結婚する気はもう一生ないから孫は諦めてほしいということ、だから彼女とよりを戻すつもりもないし、そのことで親子の縁を切ってくれても別に構わない俺には姉ちゃんがいるから。

だいたいこれぐらいを母親にぶちまけたという弟は、次の日には家からいなくなってた。荷物も、あいほとんど持ち出してた。元から綺麗好きだったし荷物まとめてても正直誰も気づかないから、計画的反抗だったのかもしれない。

弟がどこに行ったのか俺は知らない。というかわからない。弟の交遊関係に詳しくない俺にはちょっと難しすぎます

俺はちょうどそのとき仕事デスマーチなうだったこともあってこの現場には居合わせられなかった。いたのは父親母親と弟だけだ。だから俺は弟とまともにお話しできてない。顔も合わせられなかった。

それに、後から父親に聞いて事の次第をやっと知ったので正直今でも現実味あんまりない。LINEは、してたんだけど、俺経由で母親が連絡してきそうで嫌だから、と断りを入れられた上で今はブロックされてるから、連絡もろくに取れずにいる。たぶん元気にしてるんじゃないかとは思うんだけど、思うだけだ。

母親はなんとか弟と連絡を取ろうとしていて、だからまあ俺のLINEブロックした弟はめっちゃしかったわけなんだけど、でも連絡がとれないからか八つ当たりがすごい。家にいるのは期待外れの俺だし。父親はそんな母親放置することで弟のことからも目を反らしてるし。家にもあんまり帰ってこないし。俺はというと明日仕事だし、明後日仕事

弟一人いなくなっただけでうちはぐちゃぐちゃになった。惨状がと参上って感じで目も当てらんない。

でもそれって当たり前のことなんだなって思う。弟は、すごかった。すごい奴だった。弟がいたから、今までうちは表面上は何の問題もないような顔してやってこれてた。だけどそれで、俺は弟にどれだけの負担をかけてたんだろう。

から兄的な呼び方で呼ばれたことがあんまりなくて、だからまあ正直言うと、だからお姉ちゃんって呼び方ででも弟に言ってもらえるTAKAHIRO嫉妬してあんもの書いて、でも、弟が俺のこと兄として見てなくても普通ことなんだよなそれってって、ようやく思えるようになった。遅いか。遅すぎか。今思えば今まで弟のこと庇ったり助けてやったりできた覚えがないし、むしろいつも俺の方が助けてもらってきたし。

からEXILEを許さない、なんてあのときはああ言ったけど俺は俺が、自分のことが一番許せない。

しろこれさあTAKAHIROさんには感謝しなきゃなんだよな。

俺は長男なのにこれまで何にもうまくやれなくて頭も悪くて親が言うように進学することも就職することもできなくて、なのに弟は親の期待っていう重たいものに俺の分までずっと耐えて応えてきてくれて、その辛さとか苦しさとかを癒してくれたのがきっとTAKAHIROさんだったんだろうな。だから俺は弟のお兄ちゃんになれなかったしTAKAHIROさんはあいつのお姉ちゃんになれる。羨ましいよ俺は。お姉ちゃんでもいいからなんか弟のためにしてやれる人間になりたかった。まあいっつも口だけ野郎からこんなことになってるんですけど。

なので、なのでまあ俺がちゃんと弟が頼れたり甘えたりできるような人間だったら、弟はこんなにならなかったんじゃないか、とかなんとか思うわけなんですよ。今となってはもう思うだけですけど。それしかできないじゃん。後の祭じゃん、これもう全部。


これさあ俺どうしたらよかったんだろ。どうしたら正解だったんだろ。

増田はどう思う?

あとさ、来季アニメなんかオススメある?来季じゃなくてもいいや。今季ポプテピ見てんだけど、できれば現実逃避に向いてる奴。母親のブチキレ無視できそうなの。






追伸

弟へ

しかしたらお前が見てくれるんじゃないかちょっとだけラッキーに期待して書くけど、

今までいいお兄ちゃんになれなくてごめん。まあ今度のことくらいは兄貴面させてくれ。親父と母さんのことはこっちでなんとかうまくやるから安心しろそれからLINEはまだブロックしてた方がいいと思う。母さん俺のスマホここ最近ずっと狙ってるから。諦めてほしいよな。

でもまあそのうち、飯行こうな。就職祝いもできてないしさ。

後、ハイローの新しい映画とかあったらそのときはまた一緒見に行きたいなって思ってるよ、俺は。映画感想話してるときのお前、めっちゃ楽しそうだったし。いい映画だったし。

それと、次お前に会うときのためにEXILEを少しは履修しておこうと思います

俺は大丈夫。なんとかなる。

からお前はもう、自由に走れ。琥珀さんみたいに。

インフル風邪にだけはまじで気をつけて。





追記

ハイローは全部一応見ました。俺はロッキーと尊龍さんと琥珀さんとスモーキーが好きです。

2018-01-17

anond:20180116233825

自逆風自慢、というのはたぶん、「謙遜してる」つもりなのかもしれません。

日本では、奥さんの事を、愚妻とまでいったりします。

読んで字のごとく愚かな妻だけれど、これは自分の伴侶=奥さんとなった人を本気で貶めているわけではありません。

婚姻した時点で、夫婦や親子は身内なので、身内は他人に話すとき、下げて話すのが良しとされています

これは年長の方になればなるほど、そういう表現をなさいます

たとえば、社外から電話で、自分上司あてだったとします。その場合は「○○は席を外しております」などと言います

上司でも自社の人間については、役付きも敬称をつけない。それと同じ感覚です。

「外に対して内をへりくだる」と表記されている小町があったのでリンクしますね。

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2016/0621/766839.htm

ですので、もう結婚して籍を入れたカップルは、自分パートナーについて、この「身内=へりくだる表現」をします。

お子が生まれたら、どんなに内心天使と思っていても、夜泣きが大変ですよーとか言われたりするでしょう。

出来がいい子供でも、近所の方の前で褒めてくれず、むしろ良くないかのように言われるのは、「身内=へりくだる表現」です。

それはそんな事思ってもいないのですが、過剰な謙遜が、良しとされる不思議因習ではあります

幼少時にそういう表現をされて、自分親の期待に応えていないなどと思うのは、実は違う場合もあります

話を戻しますと、愚痴のように思える言葉も、ただの「身内=へりくだる表現」であり、

まぁ幸せぶりを見せつけるのも上品じゃないので、嫉妬されないようにという気持ちもあるのかもしれないですが、

愚痴に思えるような内容の話も、真に受けないでもいいかもしれません。

本当に愚痴&不満があるなら暗い表情でしょうし、そのあたりは個々の見極めかなぁ。

2017-10-18

anond:20171018195711

残念だが親には子供育児する義務がある。親が義務を負う以上、子も同様に義務を負うべきだという思考だ。

何を言うのも自由だが、君は大学もまともに通学出来なかった。それは本来なら普通に出来る事だ。卒業するまでご両親にどれほどの苦労があったか

君にはそういう想像力が欠けている。そして、自分が上手く行かなかった理由一方的に両親に押し付けてるだけだ。

金銭的に無理なら、出来る範囲独立したら良い。それも出来ずに親の財布を頼るなら、そんな物は負け犬の遠吠えだ。

何か一つでも両親に勝てる事があったか?まともな道に進もうと思った事は?両親の期待裏切り続けた結果が君だよ。

君に対して諦観の念を抱いてるのは君だけじゃない。誰より両親が君に失望している。当たり前だ。大学教育を受けるのにどれだけのお金が掛かると思ってるんだ?

同じ額を他人に費やして中退されたらどう思う?こんなとこで無駄口叩いてないで、ご両親にお金を返済しろよ。甘えるな

2017-09-16

子供の頃から両親に認めてもらえなかった話。

私の最終学歴専門学校卒で今は看護師をしている。頭は悪かった。一方で弟はよくできていた。そんなもんだから弟と比較されて過ごしていた記憶しかない。

弟は県内一の進学校に通っていた。両親もそこ出身。私だけが例外。亜種。

そもそも小学校の頃から勉強にはつまづいていたし、だから親にはもう諦められていた感もあった。10歳程度で親の期待には答えられないことがわかった。バカに生まれると苦労するのである

まぁ勉強できないからやりたくなくなるわけで、成績もよくない。当然ですがそのほかに身を立てられるようなスキルもなかったので、勉強するしかなかった。今でも「芸術とか運動とか、そういう才能あるの?あるんだったら文句言わないけど、そうじゃないでしょ。なんで勉強すらできないの」と言われたことをよく覚えている。正論なので当然文句は言えない。

なんとか高校普通レベルのとこに入った。友達がいないわけではなかったので学校生活には問題無し。だがやっぱり家庭がネック。中学生の弟と当時の成績を比べられるわで。まぁ自分たちの行かせたくない学校に金払うのもばかばしかったんだと思う。学費などは文句を言われた。色々あって進路を決める時期になった。もはや国立大学には行けそうにない頭の出来だったし、医療福祉関係には中学の頃から興味があったので看護専門学校に行こうと思った。お願いだから専門学校とかはやめてくれと言われたが、なんとか行かせてもらった。そしてバカなりに学校卒業し、県内では結構大きい総合病院への就職が決まった。たぶん名前を言えばすぐわかるくらいって感じの。この頃から両親の態度は激変した。ようやく自分を認めてくれるようになったのだ。いいところに就職したね、と。一時期はどうなるか不安だったけど本当に良かった、と。嬉しかった。ものすごく嬉しかった。

何年かして弟も就職することになった。弟の就職先はテレビ局だった。進学校から偏差値の高い大学へ行き、テレビ局である。だが、ここで順調にいっていた弟の評価は一気に下がることになる。両親に言わせればテレビ斜陽産業だとかなんとかであんまり面白くなさそうなのである

ちょっと弟にマウント取れたような気もした。性格悪いと言われそうだが、弟にも評価されない悔しさでも味わってもらえればいいな、とか思ったのである

この間、休みに帰ってきた弟に話を聞いた。ちょっとかわいそうだな、くらいの気持ちで話を聞いた。なんかADのような仕事をしているらしい。新人お笑い芸人のこともさん付けで呼んでいるところが業界人の自慢話っぽかったけど、基本的には楽しそうだった。自分面白いことに携わっているという自信があるし、視聴者からのご意見でも高評価を得ているということがなによりも嬉しいらしい。一方、自分はどうかというと楽しく仕事をするとかそういう感覚がなかった。患者さんからありがとうと言われてもなんか信用できなかった。

楽しそうに話す弟に思い切って、両親のことを聞いてみた。弟は親のことは全然気にしていなかったらしい。というか両親のことを気にしたことがないとも言った。そうだった。弟は両親に事細かく言われたことがなかった。そもそも学校の成績も良かったし、進学の度に文句を言われた自分とは大違い。そういう部分で苦労なんかしていない人間だった。

自分勉強に対する苦手意識が大きく残っていたし、今でもそれで勉強不足で恥をかくこともある。就職先でしか褒められなかったことも自分の自信につながらない。たぶん、今の病院をやめてしまうようなことがあれば両親は自分のことを、またボロカスにするに違いない。子供の頃の、自分に戻るだけなのだ。弟は今どこへでもいける。今更何か言われても自信が揺らぐことなんてないんだろう。まぁそんなことに気づいたところでこれからどうしようかと思ってもどうしようもない話なので。

2017-09-09

父親を殴り返した増田

https://anond.hatelabo.jp/20170907000932

に対する的外れブコメの多さに絶望した。

機能不全家庭に育った人間葛藤や苦しみを結局は理解できない人間のほうが多いのだな、と。

コミコの「傷だらけの悪魔」で「常に親の期待に応え続けるために努力することでしかから愛情を得られない長女」の描写が生々しすぎて吐きそうになった。

自分努力も振り返ってみるとそのような努力であった。

うちの父親は、昔会社連続無断欠勤して精神科受診させられ、なにがしかの病名がついたと聞いているが本人がそれを受け入れずなんの治療も受けていない。

数十年前で精神医療がまだまだ未発達な時代なので今とは事情が違うけれども。

会話が成立しない(何を話していても自分の思い描いているストーリーから外れると激高して暴れまわる)人で、暴力もあった。

母は父にひたすら従いご機嫌を取り、そして子ども達をそれに付き合わせる人だった。

家庭内で父の暴挙に対して「それはおかしい」と声を挙げる者がいると、みな保身のために寄ってたかってそいつを叩く。

自然と、父以外の全員が日和見主義になる。

そういう家庭で育った。

おかしいと思ったことにはおかしいと言っていい」と父自身はよくわたしたちに話して聞かせていた。

おそらくそれは世間不条理に対して(彼にとってはさぞ「不条理」の多い世の中だったことだろう)の自身経験から出たことばなのだろうが、それを家庭内で実行しても父は怒り狂い、他の家族も誰も耳を傾けようとしないのだった。

家庭内での人間関係というのはそのまま世界観につながるのだなとつくづくわかるのだが、家庭内不公平感とか理不尽さを日常的に味わっていると、外の世界でも「公平に扱われなかった」「相手の言うことの筋が通っていない」ということに敏感になる。

そういう苦しみから自分を守りたくて、他者自分コントロール下に置いて、自分に対してストレスをかけてくるような行為を事前に阻止しようとするようになる。

そうすると結局、自分も同じことを繰り返しているのだと気づく。

ここ数年は親と距離を置くことで思いだす頻度は減ったが、それでもこういうちょっとしたきっかけで思いだす。

結局今の自分の生きづらさとかただ存在しているだけで感じる罪悪感とか息苦しさとかも、もともとは親子関係に由来するものなんだろうと思うと生きるのしんどいなと思う。

こういう話に対して「まあでも親子なんだし、話せばわかるって」なんていうコメントをつけようものなら、はてなでは嘲笑されるだけだろう。

なのに、冒頭の増田についているあまり的外れブコメの数々は一体何なのだろうか。

無理解レベルとしては同じだと思う。

冒頭の増田は「暴力連鎖する」という事実のものを伝えているのであり、「暴力もケースバイケース」なんて甘っちょろいことを言っているわけではないのだ。

増田に対する「息子から同じことをされるよ」なんていう呪い言葉あんなにスターを集めているなんて、本当に泣きそうになった。

ひどい。

まりにもひどい。

お前ら、何にもわかってない。

何にも。

2017-07-21

親という存在について

俺は一人っ子で周りにいたのは両親とその親戚のみ

勿論古くからの旧友もいるが、実家暮らしているとなるとやはり長い時間会っているのは家族の方だ

小さい頃からいろんなところに連れて行ってもらっていたり、習い事もいろいろやっていたりしていた

だが、それは自分意思で動いていたわけではない

全て親による憶測と考えで「これならできるんじゃないか」という思いでやってきた

ただクラシックギターの弦を遊んでいただけで1週間後何故かギター教室に通うことになったり、サッカークラブを辞めて運動不足になったことが原因でやりたくもなかった剣道クラブに入らされたりと

「いったい自分は何をやっているんだろうか」と思ったことは数多くあった

これは親のエゴなのかそれともその親の期待に応えようとしているのか、そこには「自分自身」という感覚存在しなかった

なんとなく自分学校に通ったり、そういった習い事をする全ての原因は親の意見を優先して聞いてきたからなのかもしれない

初めてアルバイト履歴書といった大事書類作成する際も「間違っていると相手に失礼だから見せなさい」と言ってきたことがあった

俺はその意見を反対し「親がそんなところまで干渉してきたらどこがいけなかったのか分からなくなるだろ!」と返した

最近だと就活にまで親と同伴する姿もあるらしい

個人的にはそういうのはあまり流行ってほしくない

22歳にもなってどうして母親が自立しようとしている息子の横についてくるのか理解できない

しかしたら兄弟のいる世帯が減って、一人っ子世帯が増えた影響がここにも少なから関係していると思ってる

これから何十年と生きていくのは若い人達であり、上の世代あくまでそういった人達サポート的な立場であるべきだ

2017-06-14

英才教育(笑)を受けさせられた子供の末路

はいわゆる英才教育を受けさせられた。

3歳くらいか能力開発系の幼児教室に通い、小学校入学前までに小学校学習内容を一通り勉強させられた。

大量暗記の訓練もさせられ、6歳で円周率を100桁まで覚えた。

しかし割り算の仕組みがどうしても理解できず、7歳のとき教室を辞めた。

両親は大した職業に就いているわけではなく、娘である私に英才教育を施す必要など無かった。

が、父も母も相当な学歴コンプレックスを抱えていたのだろう、私の成績や進路選択に異常なほど執着していたのだった。

公立小学校入学し数年経ち、私は私立中学を受験することが決まった。

勿論私の意思ではなかった。

私は友達と同じ公立中学校に進学したかったが、選択権など無かったのだ。

しかし幼い頃の幼児教室通いは意味など無かったようで、私の学力は芳しくなかった。

しか現実を見ようとしない母親によって私は無理矢理倍率4倍の一流私立中学を受験させられたが、当然のように不合格となったため、結局第3志望の田舎女子校に進学が決まった。

滑り止めで入学した学校だったが、その中でも私の成績はあまり良くなかった。

せいぜい良くて中の上、運が悪いと赤点も取った。

母親はそんな私をどう思っていたのか知らないが、きっとかなり失望していたのだろう。

今まで母親の期待は重荷になるだけだったが、全く期待されなくなるとそれもそれで辛いということを実感した。

母親の望みを叶える道具」をお役御免となった私は段々やさぐれていった。

試験勉強などほとんどしなくなり、せっかく入った部活を3ヶ月で辞め(退部届は親の印鑑を持ち出して捺印して提出した)、終いには援助交際にまで手を出したのだった。

最後の二つは親の教育との関係性は薄いが、現在の私の落ちぶれ方を示すには丁度良いので敢えて書いた。

私が言いたかったことはなにか。

一つ目は、子供親の期待を叶える道具でないということ。

二つ目は、お金をかけて教育たからといってエリートになる訳では無いこと。

どうか、これだけは全国の親御さんに知っていてほしいと思う。


お父さんお母さん、今まで育ててくれてありがとう

私はもうすぐ15回目の誕生日を迎えます

この前の中間テスト数学の点数は45点でした。

2017-06-11

俺を生かす社会の何か

今朝、あるメールが届いていた。

社会貢献度の高いあなたしかできない、価値のある仕事…」

そんなメールの冒頭を読んだだけで、そのメールゴミ箱に捨てた。

俺はもうこの先一生を生きるのに十分な社会貢献度を稼いだ。働く必要はどこにもない。

それに、俺はもう働きたくはない。何故なら、俺の職業は『チャレンジド』だったからだ。

20xx年、日本社会保障破綻した。増え続ける社会保障費に対して財源を確保することが困難になり、抜本的な改革を求められた。その改革の結果が、社会貢献度制である

社会貢献度制と聞くといったい何を指しているのかはよくわからないが、要約すると、命に価値をつける制度である社会貢献度が高い人間にはその貢献度に応じて医療費扶助ベーシックインカムなどの社会保障を行うが、社会貢献度が低い人間にはそれらを行わない。

社会に貢献しない人材死ねと遠回りに言う制度なのである

この制度の何より醜悪な点は、社会貢献度を計るのに、「投票」を導入した点にある。投票国民義務になった。投票対象は、すべての日本国籍を持つもの

投票期間はひと月ごとに区切られ、一人が持つ票はひと月につき10票。この票を使い切らないと、使わなかった票の分だけ自分社会貢献度が下がる。そして、投票結果に納税額学生であれば学校の成績)をかけたもの社会貢献度になる。

この社会貢献度は積算され、例えば、人から認められつつ働いてきてある日ガンになり働けなくなった人には、今まで積算されてきた社会貢献度に応じて医療費扶助が受けられるようになっている。

しかしこの制度は当然、障害を持つ人など『社会的弱者』と呼ばれる人々に対して非常に厳しいものになっている。彼らは生き残り戦略として互いに票を入れ合うが、ただでさえ医療費が人より多くかかる彼らにとっては焼け石に水と言っていい。そして、彼らは自分の命にかかるコストを支払えずに死んでいく。

一方でこの制度は、豊かな早期リタイヤ者も生み出した。若い頃に社会貢献度を稼いでおけば、その後仕事をしなくてもベーシックインカムをはじめとした十分な社会保障を受けて生きていけるのだ。

俺は重度の身体障害者だ。同時に、早期リタイヤができるほど社会貢献度を稼いだ人間でもある。

俺の両親は障害を持つ俺が生まれた時にこう考えたという。この子を生かすにはアイドルにする他ない、と。

そうした考えを持った両親の元、俺は幼い頃から障害を持っているけど頑張って生きている人』つまり、『チャレンジド』の役をテレビをはじめさまざまな舞台で演じることになった。

俺には、俺に勇気をもらったと称する人々からの票が集まった。

両親の考えは当たり、俺はこうして生きている。

だが、俺は俺の仕事が嫌だった。俺は俺にできる当たり前のことをやっているだけなのに、「そんな体なのにすごい!感動しました!」と賛辞が寄せられることも、いつまでたっても奇異な視線で見られることも、何もかもが嫌だった。

しかし、『チャレンジ』を止めるわけにはいかなかった。何もかもがお膳立てされた世界で、俺に振られた役割から外れることが怖かった。そして、両親の期待を裏切るのが怖かった。

そんな生活を続けて、この先一生を生きるのに十分な社会貢献度を稼いだ時、俺は躊躇なくリタイヤの道を選んだ。その時両親は、初めて俺に「すまなかった」と言ってくれた。

この奇妙な社会貢献制に今の俺は生かされている。だが、俺は社会の何に貢献したのだろう?社会の何が俺が生きることを許しているのだろう?

それを理解したくない。

なぜなら、俺の命と今日にも医療費を支払えずに死んでいく命と、両者には何の差もないはずだからだ。なのに、俺の方だけ生かしてくれる社会に巣食った何かがいる。

その正体は、間違いなく醜悪で、とんでもなく恐ろしいものだろう。

その正体を知った時、俺は自分の命を投げ出さずにいられるのか、自信がない。

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