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はてなキーワード: オーバーラップとは

2021-06-04

ニュージーランドにおける教育について

ニュージーランド教育個性尊重した自由スタイルだということでこれを絶賛する日本人がとにかく多いのだが、個人的にはこの国の教育は、少数のできる子供と驚くほどに学力の低い大多数の子供を量産し、この大多数の子供たちはひたすら頭の回転が鈍く、機転を利かせることもできず、教科書通りにしかできない、しか自己主張だけは異常にするようになる。主張が見当違いであってもお構いなしだ。こういった駄々っ子のような大人を量産するニュージーランド教育システム果たして日本人理想なのか、ということを今回は書く。また、日本人教育スタイルとの相性の悪さについても書いていく。

ニュージーランドでは、初等教育では「みんなで集まっていろいろなアクティティをしながらいろいろと学んでいく」というスタイルをとっており、時間割というもの存在していない(教員の間では何かしらあるとは思うが)。そのため、子どもたちの文房具はすべて学校で預かっており(これについては忘れ物がなくなるのでいいと思う)、子どもカバンの中は基本的には弁当水筒おやつしか入っていない。あとは男子場合はなぜか拾ってきた石や枝が入っていることもある。

算数についてはなぜか2+2とか4+4みたいな式ばかりをやってテストはしていないようだ。そのため子供たちにとって足し算は2+2や4+4であり、5+3や8+2ではなくなるという不思議現象が起こる。1の塊が10個集まってというような教え方をしているようには見えない。みんなでテレビ番組を見てそれについてどう思うかの意見を述べるとか、プレゼンテーションをやることもあるので、人前で話す度胸のようなものはついていく。

学校にはデジタルデバイスが完備されており、子どもたちは思い思いに絵をかいたり、ゲームをやったり、本を読んだりしているのだが、これもいつしか「それだけ」になっていく。要は読み書きと変なそろばんの使い方以外は「これだけ」という子供になっていく。日本学校では子供たちが好むと好まざるとにかかわらず一通りの教科をやるし、宿題も出る。いろいろなことも覚えなくてはならない。ニュージーランド教育ではそういった物事を覚えるよりもものすごく浅いレベルで「こういうものがある」くらいで終わっているように見えるが、この結果、掛け算九九もできない大人が量産されていく。掛け算九九すらもできないことがいいことか悪いことかは各人の思いがあるだろうが、私はかなりまずいと思っている。

中等教育に行くと子供たちは選択授業を行うようになる。この選択制というのが日本人とすこぶる相性が悪いと思う。日本人は「中学校から選択制なんて進んでいる!子供たちの個性に合わせた教育!」と大絶賛するようだが、子どもたちの個性などガン無視社会の肥やしを育てている一面があることにあまり気づいていないのかもしれない。

ここでニュージーランド教育制度について少し書いておくと、ニュージーランドは「今年何がしたいか」ではなく「去年何をしたか」を重視する。なので例えば今年は数学をやって、来年音楽をやるというような好奇心に基づいた選択を続けると、最終的に「1年生のまま卒業した子供」になっていく。もちろん大学に進学することはできない。

これは、各科目ごとに設定されたレベルによる。例えばレベル2の科目を選択するには、その科目のレベル1をクリアしていること、という条件が設定されている。なので、いきなりレベル2になることはできない(学校によっては試験をやってパスしたら認める程度の柔軟性はあるようだが)。そして、高校年次に入ると、この「前提条件」が複雑になる。物理を取るのであれば、数学レベルいくつ以上、科学レベルいくつ以上を良好な成績(meritやexcellent)でパスしていることというようになっていく。これの意味するところは、「中学校になったら子供たちは将来の進路をある程度決めておかなくてはならない」ということだ。この目標に合わせた授業選択、というもの理解できないと単に個性尊重されて終わることになる。

例えば中学校の年次では「将来機械工になりたいのでそのための選択をする」とやって起き、高校1年次で「難しすぎた、進路変更したい」というときものすごい困難が子供たちを襲うことになる。例えば、配管や大工といったある程度関係がある進路であれば、多少差分を埋めることで進路変更ができたりそのままスイッチすることもできるが、例えば、ペットテイマーになるとしたらもう不可能差分を埋めるためのすさまじい努力必要になる。そのためニュージーランドでは20歳くらいまで高校生をやることも珍しくない。

ニュージーランドでは、高校までは義務教育だが、日本でいう高校の年次からは進学するかどうかを選択することができ、中学校までの課程で終わる子供たちが多い。彼らに聞くと「学校意味を感じなくなった、社会に出てしまったほうが早いと思ったから」という人がちらほらいるのだが、これはニュージーランドの硬直した教育制度が影響しているようにも見える。

一方日本ではどうだろうか?

自分達が行く高校は割とぎりぎりまで保留できるし、高校でも科目は幅広い。理系文系選択が2年生になって始まるが、オーバーラップする部分も大きい。

大学も結局受験の時まで自分たちがどれだけ努力してきたかしかない。どの科目を選択たか、ということは問われない。現実的に考えて自分偏差値と照らして入れそうか、しかない。

試験に受かりさえすればそれでいい、社会に出るときもそうで、学歴と全く関係ない仕事を選ぶこともできる。大学在学中に趣味で何かをやってきてそれを仕事にしたいと考える自由日本にはあるし、日本人はそれを前提にするので、この「中学校に入るころにはある程度の方向性を決め、高校に入ったら確定的に学んでいく」というスタイル理解できないかもしれない。理解できないがゆえに「個性尊重の素晴らしい教育スタイル」というように見えるかもしれないが、個人的には日本のそれよりも地獄感が高い。中学校に入った時点で10か年計画を立てろと言われるのだから

就職活動をしていると「この学部出てないならダメ」と言われ、大学受験をすると「これらの科目をパスしていないかダメ」と言われ、高校では「前年にこの科目をパスしてないかダメ」といわれるのだ。これがニュージーランド教育システムだ。

次に、なんでニュージーランド人がこうも石頭なのかというと、この教育制度のせいで「深く考えるよりは試験パスする」ということを重視するからではないかと思っている。ニュージーランドでは毎年行われるNCEAという試験合格し続けないと大学に行くことはできない。そのため、何か一つの科目を恐ろしいレベルで数年間突き詰めるということはできないし、趣味として何か別のことをやって知見を広めるということもできない。選択授業であるがゆえに、その科目の試験もそれなりに難しいらしいからだ。効率よく勉強できるとか、お金があって塾や家庭教師を雇える、学校に多額の寄付金を支払って充実した学校に通うことができる富裕層の子供はその限りではないが。

また、数学では電卓使用許可される。「計算間違いで減点される日本数学不条理すぎ!ニュージーランドは素晴らしい!」という人もよく見かけるが、日本数学教育は「問題理解して、間違えないように計算する」ことが求められるが、ニュージーランドでは「問題理解してそれに合わせて正しく電卓を利用する」が求められる。初等教育では足し算は2+2や4+4であるというのは要はここにあると思う。電卓を正しく使えれば足し算は間違えようがない。

これの恐ろしさは「電卓がなければ計算がまるっきりできない」ということだ。つまり電気のないところに住むことはできない。日本人の中にはたまにものすごい田舎に住むようなことをする人がいるが、これは「電気がなくてもどうにかなる程度の知識スキル自然に身についたものとしてある、多少の計算は手と頭でどうにかできる」ということでもある。西洋人のやるアウトドアアクティティが異様に近代的なのもこれが理由かもしれない。

よく言われるのが「西洋人はお釣り計算ができない」というものだ。

例えば$15.20会計に対して$25.20を支払った場合店員の反応は$5.20を突き返してお釣りを$4.80返してくるか、意味が分からなくてしばらく固まる。レジ会計を打つ前に支払いが間に合うと、$5.20を突き返してきて$20レジを打つか、まれにいるその通りにレジを打った店員はお釣り$10になることに感動する。日本人はこの計算が一瞬でできる。

また、ニュージーランド人は自分で考えるよりはガイドラインに従うことを選ぶ。そしてガイドラインの間に落ち込んだ事象はすべて無視される。子供の時からとにかくルール通りに動くことが要求されるからだし、のちにどんな問題が起ころうとも「自分ルールに従っている!」というためだろう。たとえ問題に気づいていてもスコープ外なら無視ができる。だが自分たちに火の粉が降りかかると容赦しない。ひたすら人のせいにし続ける、自己主張をする。交通ルールを破って怒られても平気で逆切れする。こういう人々を量産するのがニュージーランドといってもいいかもしれない。

そういうわけなので、自分の子供が将来について13歳くらいか戦略的に考えられ、家庭にもある程度のお金がある、給料の良い仕事に就けるのであれば、子ども人生が有利に転がるかもしれないが、ニュージーランド移住する人にそういう人はなかなかいないと思うので、やはりニュージーランドへの移住お勧めしない。

2021-06-03

映画ドラマを観て「わかんなかった」という感想が増えた理由』と

映画ドラマを観て「わかんなかった」という感想が増えた理由』という記事について、

どうせ現代ビジネスで書くようなライターにとって対岸の火事から無責任なこと書いてんだろうなと思って読み始めたら、

エウレカセブン脚本家佐藤大氏がインタビューに答えてて驚いた。

自分は熱心とまで言うほどじゃないけど新作映画が出たら劇場に行く程度にはエウレカファンで、

特にANEMONEは面白かったから割とハイエボ3にも期待してたんだけど、このインタビューにはかなり腹が立った。

エウレカってTV版は名作と言われてる割にポケ虹やAOは冷ややかな目で見られていて(なおこの2作に佐藤氏は関わっていない)、

それって端的に言えば分かりにくい上に面白くないからなワケじゃん。

でも佐藤氏は記事内で

”『多少おもしろくなくなってもいいから、わかりやすくしてくれ』というオーダーなら、筋が通っているので聞きますけど”とか言ってて、

「良し悪しが分からん客に合わせてレベルを下げます」って言い放ってるかのような傲慢さを感じたのよ。

ANEMONEは細部はなんだかよく分からんが展開はTV版とのオーバーラップも込みでエモい!みたいな作品で、

とにかくTVからついてきてくれるファンに対してレベルを落とさずに難解だけど面白ものを作ろうっていう時代に逆行する矜持があるものと思ってたのに、

それが実は細部の良し悪しじゃ客は評価不能からとにかくラストのエモさの一点突破でなんとかしようっていう技巧的な発想で作られたんじゃないかって疑念が湧いてきた。

仮に後者だとしたらこんな視聴者馬鹿にした態度で作ってたのかってめちゃくちゃ腹立つんだよな。

エウレカなんてポストエヴァ難解な作品を作っとけば売れた難解さバブル時代の寵児じゃねーか。

そうやってチヤホヤされてたのが時代向きが変わってウケなくなったら客が幼稚化しただの泣き言言いやがって。

で、佐藤氏は同じ現代ビジネス連続した別記事では、

”もしリテラシーの低い視聴者が『逃げ恥』の背景にあるテーマを十分に汲み取れなかったとしても、排除された気分にはなりません。ドラマちゃんと楽しめる。そういうふうに、脚本が書かれているんです”

と言って、作品の作り方自体を変えなきゃいけないというようなことを言ってるんだけど、

TV版は名作と言われてる割にはハイエボが全然一般ウケしてないエウレカ脚本家がそれ言う?みたいな気持ちになった。

こうなるとリテラシーの低い視聴者排除された気持ちにせずにドラマを楽しめるように作っているであろうハイエボ3EUREKAがどんな作品になってるか楽しみだね。

ANEMONE同様にラストのエモさで一点突破する作品だったら、EUREKAだけじゃなくANEMONEまで見る目変わっちゃうわ。

しかもそれがまたまた一般ウケせずに固定ファンけが語る作品になってたら目も当てられん・・・・・・

いや、そういう邪念をもって映画館に行くことになるのが一番悲しいよね。もう純粋作品を楽しもうって気持ちEUREKAを見れないことが。

憤懣やるかたない。作り手側が客を評価するようなことは言わないでくれ。

2021-05-24

anond:20210524173844

たか運動会のために国民を見殺すやつが首相になると誰が想像したであろうか。

しかし、あの時すでにその種はまかれていた。時を経てそれが蔓延ったのだ。

今の日本の姿は少し前の香港オーバーラップする。

2021-03-17

アニメ作出たけど推しが金蔓にされてて辛い

推しは白い髪のミステリアス少年キャラでここではN.K.としておく

厳密にいうと髪は真っ白ではなくてそれも良い

もともと作品自体はあまり知らなくて、ネットでふと見た推し最初気持ち悪いと思っていたけどそのうち興味が湧いて

気がついたときには推しのためだけに作品の履修を心に決めていた

ネタバレをいろいろ見てしまっていたことは悔やんだけどそれでもなお新鮮な驚きがあった

主人公くんが異様な状況で驚き慌てているところに優しく現れる推し

推しの謎の好意を受ける主人公君に場所代わってほしいと思ったのは一度や二度ではない

しか主人公君と推し関係性や美しい対称性を考えているうちにそこは主人公君の場所なんだと納得して代わってほしいとは思わなくなった

ネタバレ見て知っていたが推しの本性はアレだから二人の蜜月は長くなかった

主人公君に怒りをぶつけられても平然としている推し

推しはある目的のために一人でこっそり入った謎の部屋であの世界の真実を知ってしまっていたのだ

手が固定された磔になって腹に神話の槍を刺されてる白い体の衝撃

他人の手で殺されることを選択するに至る覚悟最初戸惑ったがそのうち深く納得した

いかにも超常の力を使ったのもミステリアスな感じで良かった

結局主人公君にとって推しはどういう存在だったのだろうか

この出会い運命性が気に入った

しか推し適当に客寄せに使われ始めた

グッズの出し方が露骨だったのはまだいい

許しがたいのはシリーズ5作目(リメイクなどは抜きで数えている。3作目といった方がいいか?)なにあれ

性格も違うし顔もおかしい別人のくせに尺を取るな

希望は残っているよ、どんな時にもね」推しはそんなこと言わない

他のキャラもいろいろおかしかったからとても正史とは認めたくない

私以外のファンの人にもやはりおかしい、駄作と言われていた

N.K.••• ナギちゃん

常人には理解できないことばかり言ってて主人公君を好きな理由もよくわからないナギちゃん

白い髪白い肌に白い半袖シャツ

シンジくんの少年らしい声と心地よくオーバーラップする人外っぽい喋り方のナギちゃん

オモチャにしやがった公式野郎絶対に許さな

ついでに

例のセリフi love youとi like youのどちらが良いかで揉めてたけど私はどちらも同じくらい間違い派

2021-03-02

はてブオープニングテーマ

赤く光る icon badge

届かぬ思いは blue

ページの裏にかきとめる…my heart!

タイトルロゴ挿入〉

(1user!)無口なキミにだけ

(2users!)ダジャレで埋めるメロディ

(3users!)きっと出会える top page on Hot entry

いつかその手に光るshining stars

色とりどりの星を胸に

青い鳥も 胸騒ぎ つれてくるよ 空騒ぎ

解像度の低いアイコンが次々オーバーラップ

深呼吸して…Hatena Bookmark

2021-02-11

森の爺さんが女性差別的な発言したことについて、

そりゃ80過ぎた爺さんがちょっとばかり女性差別的な考えを持ってるなんて普通じゃないのかと思う

新しい世代の人は、女性差別許さん、女性差別のない世界を作っていく。でも全然良いんだけど、

爺さんにまで意識改革を求めてる社会ちょっと異常だよね

女性差別的な世界観と、男女平等的な世界観が少しばかりこの世の中でオーバーラップしてる時期があっても良いじゃないかと思うんだけど、

それは許さん、今生きてる人間は老若男女問わず意識改革を急げって狂ってるね

女性差別的な世界観の人間存在も認めつつ、緩やかに寿命フェイドアウトしていく軟着陸的な運用が何でできないんだろうね

2021-01-24

[]1月23日

ご飯

朝:なし。昼:うどん、天かす、梅干しオクララップサラダ。夜:豚肉白菜人参エノキおじや(ごはんたまご海苔梅干し)

調子

むきゅーはややー。お仕事おやすみん。

お昼寝めっちゃした。疲れてるのかなあ。

散歩行きたいけど雨なので行けない。明日も雨の予報なので洗濯物が悩ましい。

グラブル

水六竜したり、水プシュケー連戦したり。

水六竜、かなり苦手だ。

ただ土は武器キャラともに成長の余地賢者依存してるからすぐすぐに打てる手があんまりないなあ。(神石にするとか終末五凸みたいな極論は抜きね)

予兆解除用のソリッズ、予兆解除出来なかった用のサラ、何でも屋のマキラ。このメンツで苦戦するようじゃやっぱ僕のPSだよなあ。

Newスーパーマリオブラザーズ(3DSDS互換)

5の城まで。

劇場版ポケットモンスターココ

面白かった! 露骨に泣かせにかかるベタが多そうで怖かったけど、まさにそのベタにどハマりして泣きながら見てた。

擬似家族ものに弱いのでそりゃもう泣きました。

ルードとココが本当の家族になっていき、そして前向きないい意味での別れに繋がっていくのは、サンムーンのあれやこれやを踏まえているようでもあって、ポケモン25年続くコンテンツとして親目線を取り入れてるってだけじゃない流れも少し感じたり。

この前向きな別れというか若者は旅をせよって価値観は、首藤剛志さんのポケモン感と終わらないコンテンツとしてのポケモンとの折衷案を模索しているようにも感じる。

首藤剛志さんはポケモン自体からの決別のようなものを書くべきだと思っていたみたいですけど、ここまで日本はおろか世界に浸透したコンテンツになると、それも逆に不自然で、良い距離感を持ってずっと付き合っていきたいなと思わせられるような映画を見ている人の気持ちと、ココのそれがオーバーラップするようで、良い映画だったんじゃないかな。

みんなの物語に続いて、サトシピカチュウは主役というよりはレジェンド枠のようなココを導く先輩キャラだったのも面白かった。

特にサトシの口からのパパのエピソードは珍しく興味深かった。これも家族ものからこそのシーンで印象的。

悪ポケ好き観点だと、主役のザルードは当然として。

主役を嫌う難しい役をやってたコノハナが良かったな。超ダンといい、コノハナは難しい役が似合うなあ。タネボーを抱える優しいシーンもあったりで好き。

同じ森の仲間のゴロンダスカンプーはチョイ役とはいえ存在感はあったかな。スカンプーのオナラのところ笑い声も聞こえて子供向けに面白いシーンだったのかな。

モブでは、フォクスライニューラジヘッドを見つけられた。

あとこれはしょうがないんだけど、マスクをしながら映画を見るとメガネが曇ってスクリーンが見辛くなるんだよね。

なのでちょっとモブキャラがワチャワチャするシーンでは眼鏡を拭いたりしてたので、だいぶ見逃しがあったと思う。

2021-01-06

anond:20210106132027

iPhoneAndroid一種タイリングだしな。

ただまあ、オーバーラップもないと正直不便だと思う。

個人的には、オーバーラップタイリングを併用して、作業によって表示するタイリングレイアウトを一発で切り替えられるUIが便利だと思って、実践してる。

から、PowerToysではまだ役不足なんだよね。

Windows PowertoysのWindowを配置する機能

https://smhn.info/202101-how-to-use-microsoft-windows-powertoys

からオーバーラップウインドウUIとして間違ってる。タイリングが正しい」と言ってるけど賛同されたことはほとんどない。

パワートイズの、ウインドウを隙間もなく重ねもしないで並べる機能が重宝がられてるのを見ると、やっぱ俺のほうが正しいという思いを強めるけど、理解できる人間って少ないんだろうな。

天才孤独だわ。

2020-12-04

東京まれ東京育ちの若者東京市部に住んで死ぬほど辛い話

当方30代、南青山に生まれ南青山に育った。

渋谷区一人暮らししていたが、祖父はいくつか不動産を持っており、その1つを生前贈与されたので住むようになった。場所はほぼ埼玉東京の某市。

が、引っ越しして1年ほどたって耐えられなくなってきた。本当につらいし、東京市部を心の底から舐めていた。都心生活できることのすばらしさを舐めていた。住環境というもの過小評価していた。

俺と同じように代々東京で、ずっと東京生活していて、でも都心家賃は高いか市部生活も悪くないかもと考えている都民は多いと思う。そいつらに全力で警告したい。

ぼんやりした理由市部引っ越しするな。

東京生活に飽きたか田舎生活してみたい、は絶対後悔する

から見える畑・畑・畑

幼い頃からスーパー東京野菜というのが売られているのを見ていたし、親に練馬では大根を作っているという話を聞いていた。しかし、実際自分の目で東京の畑を見たことがなかった。厳密にいえば、新幹線自動車に乗っているときに窓から見ていたことはあっただろう。しかし、それがほんとうに東京であることを意識したことはなかった。

実家の裏手には某美術館庭園一人暮らしの家からは某公園があったので自分の部屋から小さい森みたいなものは見えていた。自然から疎外されて育ってきてはいないはずなのだが、いま外に見えるのは洒落た庭ではなく畑である。同じ植物でも庭園と畑の決定的違いがある。食べるための作物か、鑑賞のためだけにつくられた緑か、という点だ。

その差は小さいようでかなり大きい。畑をメンテナンスしているのはしがない農家のオジサンだ。聞こえてくる音は見た目を整えるチェーンソーではなく、収穫するためのトラクターだ。

生きるために必要であるとはいえ、そのプリミティブな行為自分生活圏内にあるということは大層居心地が悪い。

空が広い

東京に空が無いと誰かが言っていたが、たしかに俺が生まれた街にはない(昔は青山も今ほど高いビルがなかったからもう少し空は広かったが)。しかし、市部にはある。高さ制限用途制限があるわけではないのに、高い建物がない。

ふつう広い方が落ち着くのではないかと思うだろう。どっこい、そうではない。俺にとって、都心ビルは圧迫ではなく受容なのだ。そのそびえるコンクリートガラスに守られて生きてきた。しかし、市部にはビルがない。落ち着かない。ダイナミックに変化する空の脅威に直接晒されているような感覚になる。これも大層居心地が悪い。

23区だって東京なんだから大して差はないだろ、という勘違い

都内23区外、いや、都心とそれ以外は天と地ほどの差がある。電車新宿まで40分?普段行く場所新宿だけならいいが、丸の内にも赤坂にも恵比寿にも品川にも上野にも行く用事はあるだろう。うまい店、気の利いたものを売ってる店、友人宅etc..

それらに行こうとすると、片道1時間は平気でかかる。バーに行くことも、カフェに行くことも、フレンチに行くことも、ブティックに行くことも、本屋に行くことも、美術展に行くことも、コンサートに行くこともかなり腰が重くなる。

いや市部にも、うまい店気の利いた店は確かにある。あるのだが選択肢がないのだ。その店が休みだったら代わりの場所に行くこともできないし、気分によって切り替えることもできない。あ、時間できたしあそこ行こうかな、というのもできない。

ただし、通販都内扱いされるので不便なことはない。

寂れた風景

市部には畑しかない訳ではない。むしろ畑は割合的には小さく、それ以外は画一的な戸建て住宅と古びた団地老朽化した遊具を備える公園がある。その風景は悲しいほどに寂れている。古びた団地には本当に気が滅入る。かつて大勢若い親たちとその子供が暮らし栄華を極めた団地だが、今は高齢者しか住んでいない。ひび割れコンクリートを補修した跡と、その前を歩く老人の皺がオーバーラップする。終焉目前の団地1階の商店の色褪せた看板を見ると、俺の心の色を奪っていくような感覚になる。

自転車多いが道は狭い

東京に住んでいた頃にも自転車はいた。主には送り迎えするお母さんたちだ。しかし、市部自転車の半分は老人たちだ。チェーンは錆びつきキーキー音が鳴り、よろよろとハンドルを握るおじいさん、おばあさんたちだ。あとは通学の中高生ヘルメットこそ被っていないもの都内ではあまり見かけない「自転車通学」。田舎しかないと思っていたものが、市部にもあった。もちろんお母さんたちも自転車に乗っている。そのお母さんたちが来ているダウンはモンクレールではなくユニクロだ。そして自転車の総数自体都内に比べて断然多い。それは歩くのがとても窮屈だということだ。

メインの国道も狭いし、路地もっと狭い。246の歩道より狭いんじゃないかという道を、よぼよぼの自転車と元気な通学自転車が駆け抜けていき、その間を自動車が通っている。田舎都心ほど道が広い訳でもないのに通行量はそこそこある。こんな滅茶苦茶な道は市部しかないのではないか

東京実家に戻ってさらに実感

ちょっとした用事実家に1週間ほど戻ったことがある。その時感じたのは住むなら都内だ、ということだ。

ジャンパーだけ羽織ってスマホさえ持って外に出れば、パスモも持たずとも、カフェ本屋ブティックも何でもある。身なりのひどいおじさんもいないし、余裕のなさそうな顔で自転車を漕ぐお母さんを見ることもない。農作業している老人を見ることもない。

田舎者には「でも自然がないじゃないか」と言われそうだが、少し足を延ばせば明治神宮があるので、緑に囲まれることができる。都心には、代々木公園でなくとも新宿御苑、皇居前広場上野公園芝公園など実は緑に触れられる場所は多い。本格的な自然ではないが、木に囲まれたすこし湿った空気を吸うことくらいはできる。

 

 

今住んでいる家を賃貸に出して引っ越せばいい話ではあるし、実際そうしようとしている最中なのだが、都内に住んでる都内育ちの同志に同じ思いをしてほしくない。相続たからといって、気軽に市部にいくのはよしたほうがいい。どうか、貴重な人生時間無駄にしないようにしてほしい。

2020-11-22

https://anond.hatelabo.jp/20201120003706

俺はな……アニメ漫画しかアイドルマスターシンデレラガールズを見てないんだ。

スマートフォンゲーム機も持ってないんでな。

(パソコンでも出来るといえば出来るけどさ。)

その範囲内でしかオーバーラップしないので久川凪の存在感を感じてないの。

2020-10-26

anond:20201026043323

実在するのだろうか

おそらくアニメ漫画カルチャー内におけるミームと化した概念なのだろう

いじりやすいし使いやす人材が集まるんで便利、という創作上の事情現実オーバーラップしてオカ研の実在性を押し上げているのだ

2020-10-15

[]10月14日

ご飯

朝:なし。昼:海鮮丼。ネバネバサラダ。夜:人参大根玉ねぎシメジと溶き卵のコンソメスープフライドチキン。間食:ブルボンのプチシリーズクッキー

調子

むきゅーはややー。お仕事はそれなりー。

今日散歩おやすみ

○プリコネ

初日ルナの塔登りきる快楽がプリコネで一番気持ち良い。

ただ今回のEXクソむずかった。多分、ユイランクとかストーリー解放ボーナスとかその辺の細かいところが重要になってるんだと思う。

グラブル

ドバの周回。いやーソロ団が無理して遊ぶコンテンツじゃないな。天星器は取りきりたいけど、うーむ。

○ワーフリ

シナリオイベント妖怪図鑑編纂記」を読んだので感想を書きます

毎回のことだけど、シナリオタイトル出るところが素敵すぎて一気に引き込まれた。今回は「紅葉」が映える絵で、ドット絵郷愁と相まっててしゅきしゅきだ。

ドット絵での物語の魅せ方を磨きつづてるワーフリならではの絵作りの気持ちよさが映えるところなので、ここは毎回褒めたい。

お話は、和の国(でいいのかな?)を舞台にしたガールミーツガールもの

絵の才能はあるが新米リョウキと、絵にまつわる謎の力のせいで絵を描くのを怖がっているクグイの二人が主役なのだけど、まずこの二人の性格対照的なのに根っこの芯は同じという構図が大好き。

ワーフリの女性同士の関係を書いたシナリオは、ステラディアバレッタラヴなどがありましたけど、また違った魅せ方がされてて素敵でした。

二人が絵を好きでそれを磨くもの同士でかつ、互いの絵が大好きな関係からこその物語になっていて、メインシナリオで再来訪は難しいだろうけど、何度もイベントシナリオでこのエピソードが見たいなあ。

特に今回の加入キャラでもあるクグイの方が、リョウキに対して絵の先輩だし妖怪と戦う力も持ってるのに精神的には未熟で引っ張ってもらうところが好き。

シナリオ後半、リョウキが「描くことに理由必要なら、私がなるよ」と啖呵を切るシーンなんかは大量スクショしまくりました。(グラブルでいうルリアノート的なの欲しいなあ)

物語構造としては、強い力を持ちながら悩むクグイと、力はないけどまっすぐひたすらに進むリョウキの二人の関係が主なのだけど、ここに未だ何も持たないことがキーワードアルクステラ関係オーバーラップするシーンもあったりして、ワーフリの積み重ねも活かしたいいシナリオだった。

ベストシーンはクグイの「生意気な後輩に、先輩の意地を見せなければなりません。そのために…… 返してもらいます。絵が好きだっていう、気持ちを!」です。

毎回、シナリオイベントはこういう決めシーンから逆算したような丁寧さがあって、今回もバシッと決まってて最高だった。

マナサ六層解放とか超級武器などゲーム的なアップデートも気になりますが、やっぱり僕がワーフリを遊ぶのはシナリオなんだなあと再認識できました。

2020-09-08

anond:20200907150222

自分勝手感覚だけど仕事やめてそういう風になってしまう人って多分日本人の8割ぐらい。

まり日本人の大半。だけど残り1~2割はそうならないと思う。

一部界隈で話題になっているダイヤモンドZAIの最新号に取り上げられているアーリーリタイアした人は全員1~2割に属する人。

AIの取り上げた11人(だったかな?)のこと読んでてもどこか「平均的な日本人」ではない感じがする人たちばかあり。

この8割と残り2割というのは、「サラリーマン」という職業に適正のある人、ない人とほぼオーバーラップしている。

よく思うけど日本人って意外と「サラリーマン」って職業に適正のある人が多い。

2020-08-22

anond:20200822112015

個性から仕方がない、には自分で何とかするべきという考えがオーバーラップするから反発を生むんだろう

KKOって大雑把にくくられ過ぎなのに罵倒になってるように思われてるのが不思議だ。

最初のKはいろんな要素があるだろうから置いておいて、次のKは氷河期とかがあるし、自己責任として責めるのはおかしいだろう。

最後のOは年を取って生きていられたらどの男性もいずれおっさんになるのであって、自分より年が下の女性でもババアだのいつも罵ったり嫌がらせするような糞男でもなければおっさん罵倒するのはおかしいという気がする。

KKOはどこにでも現れるって、殊更お化けみたいに言わなくていいと思う。

悪行の言い訳免罪符に使っているのなら別だが。

2020-08-08

anond:20200808090851

はてなユーザーオーバーラップしてるはずの嫌儲ですら、男尊女卑ペット嫌いだけは空気のように容認されてるから

まあはてなみたいな場所があってもいいんじゃね

2020-05-19

第一次世界大戦が始まったとき

誰もが戦争はすぐに終わると楽観的に考えられていたとか。(有名な「クリスマスまでには帰れる!」だね)

けど結果は史実の通り、終結までに4年かかった。

少しだけ今の状況とオーバーラップするように思えてしまうのは考えすぎか (後から考えたら、実はまだまだ序章だったりして)。

2020-04-29

9月に入学式をやることになると

甲子園みたいな夏の大会なんて3年生はどうするんだ?

夏が終わってから進路のアレコレを始動するというサイクルが壊れると思うんだが。

あと、入学式残暑厳しい時期にやるってキツイっつーか、卒業式夏休み前になって君が代斉唱終戦記念日の先取り状態になるっつーか、終戦卒業オーバーラップして、何だかいろいろ取り返しが付かない感じになる気がする。

2020-03-01

どこまで真実かわならないけどFFの失敗プロジェクトっぷりを見聞きすると、時代に取り残されたガバナンスのヤバさを感じる。

あと擁護勢がサポとオーバーラップする独特な雰囲気で、ペイドな人たちが頑張ってる感じで気持ち悪い。

2020-01-23

anond:20200123155759

しかに、売春適法はいいがたい。法律用語での売春あきらかに違法だな。

他方一般用語でいう売春がどこまで法律用語売春オーバーラップしていてるかは疑問の余地がある。人によっては性風俗売春とみなしてもおかしくはない。

 

ただ、法律用語での売春はおっしゃるように、罰則が極めてないに等しいだけで違法だな。

2020-01-20

一蘭が美味しい

という層とココ壱好きはオーバーラップしてそう。いや不味くはないんだけど。

2019-12-22

個人情報保護委員会も、公取委に言ってくれ……これ位。

公取委個人情報保護委員会とは別にオンラインサービス規制提案して、「サービスの対価として自らに関連するデータ提供する消費者」とか言い出してるけど、EUでも似たようなことが起きてたらしい。

欧州委員会オンラインサービス規制のための新しい指令を起草して、そこで「消費者サービスの対価を個人データで支払う……」とか書いてしまった。これに対し、欧州データ保護監督機関が「何すんじゃワレェ!」したのが以下の見解である

EDPS Opinion 4/2017

https://edps.europa.eu/sites/edp/files/publication/17-03-14_opinion_digital_content_en.pdf

EDPSはデータ駆動経済について、EUの成長のために重要であること、デジタル単一市場戦略として唱道されるデジタル環境において抜きんでていることを認めております消費者法とデータ保護法とが共同し相補しあう関係にあることは私たちが一貫して論じてきたところであります。ですから、「デジタル商品」の提供を受ける条件としてデータ差し出すことを要求される消費者保護を強化するために、デジタルコンテンツ供給にかかる契約に関する特有の側面にかかる2015年12月の委員会指令プロポーザル意図しているところを、私たちは支持しております

しかしながら、この指令のある側面は問題はらものです。というのも、これが適用可能なのはデジタルコンテンツのために価額が支払われる場合だけではなく、デジタルコンテンツ金銭以外の個人データその他何らかのデータの形での反対給付と引き換えに供給される場合にも適用可能からです。EDPSは、人々が金銭を支払うのと同じように自分達のデータを支払えるという考え方を導入するような規定を新たに定めることのないよう警告いたします。個人データ保護を受ける権利のような基本権は、単なる消費者利益に縮められるものではありませんし、単なるお値打ち品のように個人データを捉えることはできません。

最近採択されたデータ保護フレームワーク(以下「GDPR」といいます)は、未だ完全には適用可能でなく、新しい e-Privacy 制度は今も審議中でございます。ですからEUとしては、立法者が協議されている入念なバランスをひっくり返すようなプロポーザルは、何であれ避けるべきものです。イニシアティブの重複は、デジタル単一市場統一性意図せずとも損ない、規制断片化と法的不確実性をもたらすことになりかねません。デジタル経済における個人データ使用規制する措置として、EUGDPR適用することをEDPSは推奨いたします。

「反対給付としてのデータ」という概念……このプロポーザルでは未定義のままです……は、所与のトランザクションにおけるデータの正しい機能について混乱を引き起こす恐れがございます。この点で供給から明瞭な情報がないため、さらに難しいことになるでしょう。それゆえ私たちは、この問題解決する一助として、EU競争法におけるサービス定義を一考することをお勧めしますが、その地域範囲定義するうえでGDPRの用いている規定が役立つかもしれません。

見解では、このプロポーザルGDPRとどのように影響し合うことになりうるか検証いたします。

第一に、データ保護制度に基づく「個人データ」の定義が広範であるため、その効果により、この提案指令の対象となるデータが全て GDPRに基づく「個人データ」とみなされることは十分にありえます

第二に、(個人データの)取扱いが発生する厳密な条件はGDPR指定済みであり、この提案指令に基づく修正や追加を必要としておりません。このプロポーザルは反対給付としてデータを用いることを正当とみなしているようですが、GDPRでは、例えば、(本人の)同意有効性を検査し、デジタル取引文脈において(同意が)自由意思に基づくとみなしうるか決定するための、新たな条件を一式用意してございます

最後に、消費者に与えるものとして提案されている契約終了時に供給からデータを取得する権利供給者がデータ使用を控える義務は、GDPRに基づくアクセス及びポータビリティ権やデータコントローラデータ使用を控える義務オーバーラップしている可能性があります。このことで、適用する制度について意図しない混乱をもたらすことになりえます

EDPS Opinion 8/2018

https://edps.europa.eu/sites/edp/files/publication/18-10-05_opinion_consumer_law_en.pdf

見解は、EU消費者保護規則のより良い執行近代化に関する指令のプロポーザルと、消費者集団的利益保護のための代表訴訟に関する指令のプロポーザルからなる「消費者のための新しい取引」と題する立法パッケージに関するEDPSの立ち位置を概説しています

EDPSは、目標において最近近代化されたデータ保護フレームワークと密接した領域で、既存規則近代化しようという同委員会意図を歓迎します。EDPSは、個人データの大規模な収集収益化、およびターゲットコンテンツを介した人々の注意の操作依存するデジタルサービスの主要なビジネスモデルが提す課題対応するために、現在消費者法におけるギャップを埋める必要性を認識しています。 これは、消費者法を改善して、個人デジタル市場の強力な企業との間で拡大している不均衡と不公平是正する、またとない機会です。

特にEDPSは、指令2011/83 / EU範囲を拡大して、金銭的な価格にて提供されないサービスを受ける消費者が、同指令が提供する保護フレームワーク恩恵を受けることができるようにする意図を支持いたしますが、それはこのようなサービス今日経済的な現実ニーズを反映しているからです。

このプロポーザルでは、EDPS Opinion 4/2017の推奨事項を考慮して、「反対給付」という用語使用や、消費者によるデジタルコンテンツサプライヤーへのデータ提供が「積極的」か「受動的」か区別することを控えています。ただしEDPSは、プロポーザルで想定されている新しい定義により、消費者お金で支払うのではなく、個人データで「支払う」ことができるデジタルコンテンツまたはデジタルサービス提供に関する契約概念が導入されることに懸念を示しています。この新しいアプローチは、「反対給付」という用語使用したり、個人データ提供価格の支払いを類推したりすることで生ずる問題解決していません。特に、このアプローチは、個人データを単なる経済資産とみなしているために、データ保護の基本権としての性格を十分に考慮していないものとなっています

GDPRでは既に、デジタル環境にて個人データの処理が行われ得る状況に関するバランスを既に定めています。 このプロポーザルで、GDPRで定める個人データを完全に保護するとのEUコミットメント矛盾するやり方で解釈される可能性のあるアプローチを促すようなことは避けるべきです。データ保護法の原則を損なう危険を冒すことなく幅広い消費者保護提供するために、電子商取引指令における「サービス」の広範な定義や、GDPR地域範囲定義する規定、もしくデジタルコンテンツプロポーザルに関する理事会一般アプローチの第3条(1)などに基づくアプローチ代替することが考えられます

したがいまして、EDPSは、「有形媒体では提供されないデジタルコンテンツ供給に関する契約」や「デジタルサービス契約」の定義にて個人データを参照することを何であれ控えていただくことを推奨し、その代わりとして、次のような契約の考え方に依拠することを提案します。 それは、「消費者への支払いが必要かどうかに関係なく」特定デジタルコンテンツまたはデジタルサービスを売り手が消費者提供または提供することを約束するというものです。

その後

きちんと追えていないが、「EU消費者保護規則のより良い執行近代化に関する指令」は、昨月末に採択されたようで、前文に「digital services provided in exchange for personal data」という表現が残ったものの、個人データについては「GDPRに従う」とのことで落ち着いた様である

https://eur-lex.europa.eu/eli/dir/2019/2161/oj

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