はてなキーワード: なすびとは
「思ってた顔と違った」
コンビニでアルバイトをしていた高校生時代、考えが古風ですぐ子供産めって行ってくる、苦手なオーナーがいた
ある日出勤した直後に突然、マスクを外せと言われて
私は自分の顔が醜い自覚があるから、外すのが怖くて、すぐには外さなかった
でも、促してくるから渋々外した
「なんか…思ってた顔と違った」
と言った
その言葉を聞いた瞬間、ずーんと、心臓になにか負荷をかけられたような感覚に陥った
家に帰ってから顔がぐしゃぐしゃになるくらい泣いた
私がブスじゃなかったら、そんなこと言われなかったのに
どうしてブスに生まれちゃったのかな
どうして可愛く生まれなかったのかな
自分の容姿のことを考えないようにしていたのに、その事しか考えられなくなって
1年経った今も忘れられない
生まれつき顔がぶくぶくしていて、それがコンプレックスであると、自覚していた
それから輪郭が気になって仕方なくて、小顔ローラーや、小顔矯正や、小顔マッサージ、一通りやったが、全く小さくならなかったし、過度な小顔マッサージで口内を傷つけお粥しか食べられなくなった時期もあったため、両親にやりすぎだと叱られやめた
20歳になったらお肉が落ちてくるよって周りの言葉を信じていたけど、未だに顔はパンパンの70キロのデブのままだった
1年前にバイト代を必死に貯めて打ったボトックスも、あまり変化がなく効果が切れた
半年前、あの時は悪かった
姉に言われた
何も響かなかったし
今更謝られても、何も感じなくて
顔も見たくなかった
振袖の予約は全くしていないし、この顔で、生涯残る成人式の前撮りなんて撮りたくない
なんなら、20歳になる前に顔グッシャグシャにして、亡くなりたい
1978年生まれだけど、バラエティー番組視聴禁止の家庭で育ったので友人から話を聞くだけだったのでなすびの惨状はほぼ知らなかった。
懸賞生活と聞いても「なるほど。懸賞で米とか当ててるのか。切手代とかどうしてるんだろ?」くらいしか思わなかった。
というか今でもよく理解していない。
ちなみにバラエティー番組視聴禁止だったので当然クラスの友人とは話が合わなかった。
小学生の頃はマモーとかミモーとか、ウッチャンナンチャンとか言われてもサッパリ分からなかった…
もっとも自転車も買って貰えなかったから友人の行動に着いていけずにわりとぼっちだったな…
今思うとわりと毒親家庭だったな…(パチスロに負けた腹いせに親父は殴ってくるし)
バラエティー番組を楽しむ素養が幼少期にできてないせいか、社会人になって北海道出身の友人が見せてくれた「水曜どうでしょう」も何が面白いのかさっぱりわからなかった。
大泉洋(当時は知らなかったが、後に真田丸に出てきて俳優として認識した)に無茶振りして振り回すという印象なんだけど、20年後のコンプラでまた海外から叩かれるんじゃない?
どちらにしろ「水曜どうでしょう」を楽しむ同期の輪に入れなかったのは、小学生の頃と同じ疎外感があったな。
そして社会人になるとジャンプの話題で繋ぐことができないのである。
職場での話を円滑にするにはバラエティー番組、野球、ドラマあたりはやっぱり便利なんだなぁ、と社会人になって知った。
野球は、幼少期にアニメが観たいけどナイターが見たい親父が許してくれなくて泣いてたら「うるせー!」と殴られて家から追い出された過去が多々あるせいで大嫌いなっているので見ない。
ドラマは刑事モノと時代劇は見てたけど、社会人になって見なくなった。
なので、わりと詰んでた。
結局ネットで知り合った同じ漫画好きとオフ会を含めて交流したお陰で友人ゼロという悲劇は回避できたんだけどね。
やっぱりインターネットは私にとって救いだった。
職場も転職して関わる人が変わったことで、仕事に関係する話とか、近所の飲食店の話とか当たり障りのないものでコミュニケーションはある程度取れるからわりと何とかなってる。
とはいえ、やはりバラエティー番組視聴禁止の家庭育ちっていうのはわりと人生のデバフとして効いていると思っていたんだけど、
はてブでの見苦しいコンプラ意識のなすりつけあいをしているのを見ていると、視聴したことがないというのも、割りと有りなのかもしれない、と思えるようになりました。
少なくとも電波少年のなすびの懸賞生活については、視聴者の責任を問うのは無理筋じゃないかね
だってあんなの当時視聴していた誰もがヤラセだと思っていただろうし、
逆に本当だと思って批判する人がいたら「ヤラセに決まっているのに信じちゃってるのー?ピュアだねー」と嘲笑われたに決まっている。
・その時間にテレビをつけてれば見る、くらいの感じで電波少年を見ていた
・懸賞生活は特別好きな企画ではなかったが、かと言って嫌いでもなく、流れれば楽しく見ていた
・ヤラセだ!とかは思っていなかった
・とは言え、危険に見えて一定の安全性は保った上で放送してるんだろうな、テレビなんだから、と思っていた
・なすびは、しんどさと人気やお金とを秤にかけて、本人なりに納得した上で出演していると思っていた
・だからしんどく見えても、本人がそれでいいんだから、まあいいんだろうと思っていた
こんな感じ。当時の私はそれほど難しいことを考えず見ていた。作り手がどうだとか演者がどうとか、その背景には特に関心がなく、それでもある程度当人たちは納得して出演しているのだろうし、事故や死人が出ては困るからそこそこちゃんと安全には考慮した上で当然進めてるんでしょ、くらいの感覚。
空からカエルが降ってくるシーンについては、出エジプト記からの引用だと報道されたことがあったが、監督は当時その事を知らなかった。実際には、超常現象研究家のチャールズ・フォートの本からインスパイアされたものだと語っている。劇中でもスタンリーの勉強部屋に、フォートの著作「Wild Talents」が登場する。[4]
ずっと前者のほうだと思ってたわ
だからキリスト教的背景わかんないからつまんなかったんだとおもてたけど違ったのか
トムクルーズがブリーフはいてださい男やってるのがめずらしいってことばっか喧伝されてた気がする当時は
深夜にマグノリアってかいてあって期待してみたらマグノリアの花たちっつー全然別の映画でつまんなくてがっかりしたのおぼえてるわ
そのあとなすびの記事からとぅるまんショーのウィキペディア読んで、脚本の人のウィキペディアみたらガタカの人と同じっての知ってへーってなった
ガタかのウィキペディアのあらすじ充実しすぎててもうあらすじだけ読んで満足しちまったわ
おっさんおばさんはYoutuberを最初に見た時、電波少年を思い出したんじゃないかな
当時でも最悪な番組の一つとして見られていたと思うけど
電波少年にも2種類あって、ただ大人にちょっかいを出す悪ふざけ系の企画(特に松村が多かった)と
苦行の果てに感動とカタルシスに至るみたいな、プロジェクト系の企画があって
懸賞金、ヒッチハイク2個目(朋友)、鉄棒少女、箱男、東大一直線とか、いろいろあったが
基本的に
・強引で無謀な長期の挑戦
・最後は挑戦を達成して感動的になる
こういうの、他の番組でもやろうとした形跡があるんだけど
どう考えてもコンプラ的、人道的、法的に厳しいし、じゃあ手を緩めて甘くすると感動に至らないか、軋轢や苦難を生むためにヤラセが入ったりして上手くいかないんだよね
水曜日のダウンタウンとかYoutuberでようやく復活してきた感があった
特にYoutuberの方はね、自分たちでやってるし、責任が個人単位なので、えげつない無茶ができるし、長時間の動画にもできるから上手くコンテンツにできてる
Vtuberとかも、何十時間の耐久配信とかで地獄企画をすると結構バズるから、やっぱコンテンツとしては旨味が大きいんだろうなと思う
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もっとも、番組後半ではヒッチハイクも世界中行き尽くして行くところがなくなり、企画のマンネリ化や、なすびのような人材も出なくなるなど、人気に次第に陰りが見え始めることとなる。長期にわたる看板企画が終了する一方で、新しい企画も多数作られるものの相次いで短期で終了という状況が続いた。また本番組のみならず、テレビバラエティ番組というジャンル自体における、企画・演出の過激化への視聴者からの風当たりも増してゆき、番組末期でも15%以上の視聴率を保っていたが、2002年9月29日に番組終了の運びとなった。
本日は世界ヘモフォリアデー、日本においてはハローワークの日、なすび記念日、五平もち記念日、恐竜の日となっております。
過去は少年保護デーなどもありましたが、今は司法保護記念日と統合されて9月13日に更生保護記念日として残ることになりました。
少年と書くからわかりづらいだけで少女も含めて少年と呼んでいたのでしょうが、まぁそこら辺は司法が性別を問わないってところに由来してるのかもしれません。
せめて若い世代には面倒をかけたくないなぁなんて歳を取ってから思うものですが
信じられないぐらい面倒をかけていたりするのが現実問題だったりします。
だからそこはもう腹を括って、やれること、手の届くことしか出来ないと思って後は面倒をかける範囲をなるべく狭くするしかないんでしょう。
いつか見た悪い大人達のように迷惑をかけてるのか世話をしてるのかわからない状態でニヤニヤ生きられるのもアリなのかもしれませんが
まぁそこは好きなようにやりましょう。
ということで本日は【持ちつ持たれつよいか】でいきたいと思います。
持ちつ持たれつよいか!持ちつ持たれつヨシ!