はてなキーワード: 住職とは
スプラトゥーン3で通知が来ていてお便りが来ていたの。
フレンドはいるけど来る者拒まず、
申請が来たら何となく登録してフレンドにしていた全く知らない人なのよね。
早速部屋にいってみたんだけど、
開催者の親と私の2人だけ。
おれとおまえと大五郎か!ってぐらいそれでもおれとおまえと大五郎って3人も登場しているというのに閑散としていたそのバトルのルームは
結局私たち2人で対戦したの。
要は
さらに噛み砕いて言うと
ウイメンかも知れないけど便宜上ここはヒューマンとしておくんだけど、
いいわ!
私はゲーミングチェアーに座っていた足を高く組み替え勝負に挑むことにしたの!
手口は見えているけどそこが可愛いわね。
私と五分で張る気でいるなら受けてあげるわ!
上等よ!
会場は向こうが決めているのかしらランダムなのかしら?
油断一切できないしないように最初っからぶっ飛ばして行く私の得意なブキでぶちかましてあげたのよ。
次は私の18番!いや32番いや!256番!のセブンファイブオーライダーカスタム!
もしかしたら立ち回りで勝つる!と思って
次にプロモデラー!
バラエティーに富み飛びまくった私の次の得意なブキのジェットスター!
相手は1人しかいないので撃ち放ったらたくさん塗れるんじゃね?って作戦が功を4重奏で奏で奏して勝利!
プロモデラーで挑んだナプラー遺跡で負けたのみが悔しくてトータルはキル数では負けていたけれど
なんとか5勝もぎ取ったわ!
相手はちびっ子か大人か分からないけど初タイマン勝負は圧勝ね!
でもさー
なんか回線落ちで通常バトルでまさかの1対1になったことが1回あったけど、
こんなことができる対戦方式があって知らなかったわ。
正直相手は知らない人で誰だか分からないから最初からぶっ飛ばして行ったの正解ね。
いまイキフンで諸行無常っつってるだけだから正しい用法と用量を守って諸行無常して欲しいわ!
私に挑んできた相手には気の毒だけど容赦しないわよ!
塗って勝てば良いのよ。
いやー実に気分がいいものね。
もしかしたら私より弱かったのかも知れないけどそれは分からないわ。
でも
むこうが挑んできたのよ!望むところの有栖川よ!
塗ればいいのよ塗れば!
泣いてないんだから!
涙の数だけ強くなるとか言わないから!
どこまで対戦するのか終わり時が分からなかったけど
向こうが退散して回戦切ったみたいだから
私が勝利でいいわよね!
たまにはこういうこともあるもんなの、
引き続き対戦者募集しているわ。
うふふ。
あ!これ考えようによっては親子丼的なサンドイッチなのかも!って
今気付いたわ!
そう言うことだったのね。
1分ごとに3回に分けてお湯を入れて、
お茶っ葉には触らない方がいいみたい。
ちなみに
大きな耐熱容器のカップで作っているから最近は急須では淹れてないのよ、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今日のランチは、ちょっと変わった場所で素敵な出会いがあったわ。なんと、お寺なんだけど、他力本願寺でランチが提供されているのよ。しかもね、住職の息子さんがなんと2の4乗、つまり16つ星の付いたヨーロッパの一流のレストランで修業されたんだって!
そんなすごい経歴を持つ彼が作る精進料理を堪能できるなんて、感激しちゃったわ。ヨーロッパ仕込みの技術と日本の伝統的な精進料理が見事に融合されていて、まさに美味の極致!味の極楽!
その中でもね、一番感動したのが、ヨーロッパ仕込みのふろふき大根だったのよ。これがまた絶品でね、柔らかくて、甘みがじゅわっと口の中に広がるの。何度も食べたいくらい美味しかったわ。
こんな素晴らしい料理を食べられる場所がお寺だなんて、思ってもみなかったわ。他力本願寺でのこの素敵なランチに感動しちゃった水野曜子だけど、これからも美味しいものを求めて、新しい発見を楽しみたいわね。今日のランチで、また一つ素晴らしい体験ができて嬉しいわ。
https://anond.hatelabo.jp/20221121085518
あっというまに、2週間が経ってしまった。
忌引で仕事を休んだりしたのでまあ周りも知っていることなんだけど、あんまり気を遣われたくなくて、でも誰かに聞いてほしいのでつらつらと書く。おじいちゃんは本当に最後までマイペースだったし、面白い人だった話を、どうか暇な人は読んでいってほしい。
突然つれあいをなくしたおばあちゃんは、久々に孫であるわたしの顔を見て笑ってくれだけど、足取りがおぼつかなくて、ただでさえちっちゃい(身長、145センチしかない)身体がますます小さくみえた。「おじいちゃん、座敷にいるから会ってあげて」と言われたので向かう。布団に、顔にかけられた白い布。それを見たらぐっと目が熱くなった。布を取ると、眠ってるみたいなおじいちゃんの顔。この家で夕ご飯を食べると、おじいちゃんはお酒を飲んで、その後一緒にテレビを見てるといびきをかきながらうたた寝をしてしまう。そんな時の顔だった。声をかけたら起きてくれそうなのに冷たかった。
その日の夜、おじいちゃんの家でお通夜をした。数人だけど親戚も来るということで、玄関を掃いておこうと、箒を探しに納屋に入ると、使いかけの肥料や、明らかに「まあどうせ明日も使うしここら辺に置いておくか」って感じで適当に置いたらしい鍬、何日に白菜を収穫するとか来年の作付をメモしていたホワイトボードがあって、ああ、おじいちゃんにとってもこれは急なことだったんだなとぼんやりと思った。
枕経に来た菩提寺の住職さんは、わたしとそう歳の変わらない、若いひとだった。お経をあげてもらい、納棺をする。旅支度をさせて、花をいれて、孫全員(私含め6人いる)の手紙をいれ、お気に入りだったシャツをいれ……その過程で、ずっとぼんやりしていた祖母が棺に取り縋って泣き出した。まだ祖父が死んだ実感が薄かったわたしも、さすがにその姿を直視できなくて目を逸らしたとき、視界の端で住職さんがしきりに鼻をすすったり、マスクを直すふりをして目元を拭ってるのが見えた。なんでも、婿養子として今の寺に来た時に、ちょうど祖父が檀家の総代をしていて、祖父はそれこそ孫と歳の変わらない若い彼のことを気にかけて可愛がっていたらしい(親戚談)。きっと仏門に入った人にとって、通夜も葬儀も日常茶飯事だろうに、その人がそんな感情に呑まれるくらい、祖父は面倒見のいい人だったらしい。妹や従妹もその住職さんが泣いているのを見たらしく、後々孫の間で「もしかしたら他所にも孫みたいな人が他にもいるのかもね」なんて話した。
その翌日は友引で、葬儀は次の日に延ばし、火葬だけを行った。この日もおじいちゃんはなかなかやらかしてくれた。おじいちゃんを乗せた霊柩車が家を出る時は、集落中の人(ガチの限界集落である)が見送りにぞろぞろと集まって、見送ってくれた。ちょっと壮観だった。
本来こういう時は霊柩車の後ろに、参列者を乗せたマイクロバスがついてみんなで火葬場に行くものだと思う(というかわたしが経験した葬式ってそういうのしかない)んだけど、コロナ禍だし、あとあんまりにも急すぎて来れる人も少なかった(田舎だし、みんなお年寄りなので、足が確保できないと来れないのだ)ので、うちや叔母の家の車3台に分乗して、火葬場に向かった。
しかし、せいぜいどんなに安全運転しても20分くらいで着くはずの火葬場になかなかつかない。道中の信号がうまいこと全部赤で引っかかるのだ。わたしの母は三姉妹の長女で、まだ心ここに在らずな状態の祖母と連名で喪主をしていたため霊柩車に乗っていたが、わたしが「おじいちゃん、よっぽど行きたくないんだな……」と言うと父は「だろうな……」と深く頷いていた。
30分以上かけて火葬場に着いた。そこからはさすがの祖父にももうどうにもできず(?)あっという間で、その後2時間もしないうちに、祖父は骨になった。若い頃(といってもわたしが見た記憶があるのでめっちゃ若いわけではない)に建築業についていて、屋根から落ちて骨折した時に手術していれたボルトがしっかり焼け残っててびっくりした。手先、足先の細かい骨は、年齢もあってさすがに……だったが、大腿骨や肩の骨はがっちりしていた。祖父はこの年齢では背の高い人だった(たぶん170センチ越えてた。祖母と並ぶと身長差がすごかった)のに、結局のところ、最後には母が抱えられるサイズの骨壷におさまった。「こんなに小さくなっちゃうんだね」と母がつぶやいた時は、なんで言っていいのかわからなかった。
帰りはそんな祖父を抱えた母もうちの車に乗って、また3台の車で祖父の家に帰った。霊柩車で来る時に通った道を避けて帰る、ってのは全国共通の風習なのかな……?だから、来る時よりは少し遠回りになる……はずだった。でも20分で帰れた。なんせ信号、全部青。骨壷を渡された時の母の顔はさすがに見ていられなかったけど、祖父の家の屋根が見えてきた時に母は、「帰りはあっという間だったね……」と困ったような笑みを浮かべていた。おじいちゃん、どんだけおうち好きだったんだよ……。
家族葬だったけど、焼香をしにたくさんの人が来てくれていた。みんな、新聞のお悔やみ欄で見てとるものもとりあえず大慌てで……って感じで来てくれていた。「入院してたのか?!聞いてないぞ!」と言う人もいた。病院には1泊しかしてない、本当に急だったということを何遍も説明する母は、最後のほうはさすがに疲弊していた。ちなみにこの日は大雨だった。無口な従弟がぼそりと「未練あり過ぎだろうが」と言っていた。それな、と返した。
式自体は身内だけで行って、このご時世だから会食は無しで折り詰めを持って帰ってもらい、また骨と、遺影と、白木の位牌と一緒に祖父の家に帰った。
とりあえず自分達も折り詰めを食べながら、母は葬儀屋と四十九日の日程をつめ、その後も墓石屋や位牌の手配、この後家に直接弔問に来てくれる人への対応の打ち合わせを叔母たち(と、まだどこか虚ろな顔をした祖母)がやっている時、まだ細々とやることは残ってはいるがひとまずは一通り終わったね、お疲れ様だったね、という空気が流れつつあった。
でも、ここで終わらないのがおじいちゃんだった。突然この家の固定電話が鳴った。
母が電話を取ると、相手は伯父(父の兄。他県で父方祖母と一緒に住んでいる)だった。葬儀に花を出してくれたり香典も出してくれたから、今日が葬儀だったことはわかっていたはずだし、なんだか様子がおかしい。泣いてるのか笑ってるのかわからない声で喋っていた(母談)らしく、何かあったのか母が(たぶん疲れもあって)少し強い口調で問うた。その返事は、
だそうだ。
祖父は交友関係は広いがそれぞれ相手にマメな人だった。うちの父方の親戚に対しても、季節の果物や特産品なんかを折々に送っていた(向こうからもよくお返しも来ていた)。この時期は林檎(ほぼ出身地がバレるな……)を、他県の親戚や知り合いに毎年毎年手配して贈っていて、それが、葬儀をやって当の本人を極楽浄土に送ろうとしていたっていうのに、それがちょうど終わったタイミングで相手に届いた、ということらしい。……それは普段無口な伯父さんも、反応に困っただろう。「○○さんからの最後の贈り物だから美味しくいただく。冬にはこっちから蜜柑を送るからよろしく」ということで電話が終わり、私たちは大きく溜息をついた。「たぶん、この調子だともう何軒か送ってそうだなぁ……」とみんなで笑い合った。
さすがにちょっとしんどかった。
あまりにも急すぎた。呆然とした祖母を見るのが辛かったし、その祖母の代わりに喪主の仕事を引き受けるためにずっと張り詰めた顔をしていた母を見ているのも胸が痛かった。出来ることしか手伝えなかったけど、母から葬儀が終わった後に「あんたら(私や弟妹)がすぐ飛んできてくれて本当に助かった」と言われた時の弱々しさが心配で、結局今いる自分の家に戻って来れたのは11/25だった。
だけど、そうして過ごす中にも、ふと思い出す祖父の話(孫相手に遊びにムキになったり、高校生の叔母が夜遊びしてぶっ飛ばされた話だったり)や、こうして亡くなった後にもなんだか面白いことをしてくれるおじいちゃんのことを話せる相手は、なかなかいない。
でも、顔を知らなくて、こんな長文をここまで読んでくれる人に、ちょっとでも聞いてもらえたらなんだか心持ちが楽になる気がして、あと、悲しいだけではないって気持ちになれると思ったので、こうして文章にしてみた。
読んでくれて、おじいちゃんのことを知ってくれて、ありがとう。
余談。
わたしが今の家に戻る前日、仏具屋に母と行って、位牌のカタログをもらって祖母の家に行った。その後数日、祖母はカタログを見て、あと母が撮っていった店頭にあった位牌の写真も見て、散々悩んだけど、そのお店で一番よく出回る、スタンダードなものを選んだらしい。「それでいいの?」と母が訊いたら、「わたしが死んだ時は、お父さん(祖父のこと)とお揃いの位牌にしてほしいから。これならすぐお揃い作ってもらえるでしょ」と言ったそうな。お揃いの位牌。ちょっとパワーワードだな、なんて思った。でもさぁおばあちゃん、そんな早くいったらおじいちゃんたぶん額に青筋立ててめっちゃ怒るから、もう少し一緒にいてほしいな。お正月には会いに行くからさ。
しかもはてな記法を適切に使いこなしているし、『ブクマをもらって、ただ承認欲求を満たしたいだけ』と増田投稿常連者しか使わないような言い回しを使っている。
決定的なのは『発達障害』という増田常駐者や増田ブクマカが好む設定で、他者を見下した文章が大半を占めていることだ。
その文章に、住職ならではの知見や見識は一切垣間見ることができない。
おそらくはお気持ち増田でブクマ稼ぎを趣味にしている人が書き上げた創作文章だろう
最近増田では統一教会問題をきっかけに宗教が話題になっているので、宗教をテーマにして文章を書いたらバズると判断したのだろう。
昨今、テレビやネットで「宗教」が悪い意味でクローズアップされることが多いので、
多少なりとりも宗教に関わっている人間として思っていることをとりとめもなく書いてみる。
このエントリは「宗教を信じろ」とか言うつもりは無いし、何か提言をするわけでもない。
目的はなんだ、と聞かれたら愚痴や相談に近いのかもしれないし、
ブクマをもらって、ただ承認欲求を満たしたいだけなのかもしれない。
そして自分は俗にいう「寺の後継ぎ」であった。
〇〇平和連合とか××学会とかでは無く、大手宗派のフツーの田舎寺の生まれで、社会人を経てから東北のとある寺を継いでいる。
真面目にやっているつもりではいるが、カツカツ状態でお寺を運営している一応の「宗教の運営サイド」である。
僧侶として不適切な表現があるかも知れないが思うことをリアルに書いてみようと思う。
こういうネット論調に対して、別に否定はしない。実際にそういう人は目立つし、まぁ多いんだろうな、と思う。
たぶんお金のある環境で何不自由なく育ち、社会にも揉まれずに、資格だけ取って親の跡を継いでるのだから。
悪く言ってしまえば、中小企業の無能ボンボン2世社長みたいなイメージなんだろうか。(もちろん厳しい修行は経ている)
一方で、もちろん真面目なお坊さんもいるし、先代住職の後をきちんと継ごうと頑張っている若い子もいる。聖者かよ、ってレベルの住職もいる。
特に、小さいお寺で住職だけじゃ食べていけない比較的若めな人ほど、副業をやりながら、
きちんと社会と関わりを持っているからマトモな感覚を持っていると個人的には感じる。
やはり前者の「クズ」とネットで呼ばれる方はでかい寺のボンボンドラ息子が多いんじゃないかな。
センス悪い真っ赤なBMW乗り回して、キャバクラ行ってるような生臭坊主。そんなネット上で揶揄されるイメージとそこまでかけ離れて無いと思う。
ただ宗教法人の本部側、もしくはお檀家さん側から見て、1番ヤバいのはこういうタイプがやっている寺ではないと思う。
彼らにはまだ、人とコミニュケーションを取れる、という立派な能力があるからだ。
結論から言えば、前述のようなテンプレ的なクソ坊主(以下テク坊とする)よりヤバいのは、
発達障害の方が継いでいる寺なんじゃないかと個人的に思っている。
※発達障害の方自体をどうこう言うつもりは全くないし、彼らに社会のケアは必要だと思うし、本題から逸れるので置いておく。
そもそも「寺の跡を継ぐ」だいたいのパターンとして寺生まれの子が高校卒業後に専門の大学に入って資格を取り、寺に戻るルートが多い。
しかし彼らは陽キャなテク坊とは違う。大学時代にテク坊が親の金でクラブで遊び呆けている一方で、
人とマトモなコミュニケーショが取れない、文字がすらすら読めない、簡単なことが覚えられない、優先順位がつけられない、何度同じことを注意されてもできない、大学に来なくなりがち等、
見ているとこんな子がいるのかとびっくりしてしまう程だ。
発達障害のエピソードなんかは他のエントリでも言及されている通り。
別に彼らを馬鹿にしたりとか、彼らのやばいエピソードを列挙・紹介したりとか、そういう目的では無いので詳細は省く。
そして、もちろん彼らは悪い子ではない。
高校を出たての18歳で、地方から単身、大学のある都市に出てきて彼らなりに努力しているのだと思う。
本来なら「彼らにもできること」を職業として、何かしらのケアや気遣いを受けながら生きていくのだと思う。
しかし彼らは(親の意思であれ)お坊さんになる道を選んでしまったのである。
お坊さんという仕事は、言ってみればイチ法人の社長みたいなものだ。
お檀家さんや地域の方とコミュニケーションは必須だし、当然一定のタスク処理能力もいる。
人の生き死ににも関わる仕事なのでイレギュラーな対応も多々起きる、体力のいる仕事だ。
テク坊は生臭坊主かもしれないけど、寺が回っているなら一応やることはやっているはずなのだ。
また、ひと昔はお坊さんになるのにも、一定の選別は行われていたのではないか、と思う。
しかし今は少子化も進み、在家から出家する人も減ったろうし、そもそも職業として倍率が減っている。
なので、どんな子であろうと、なんとかして跡を継いでもらわないと、田舎なんかだと寺自体が潰れてしまうかもしれないのだ。
宗教法人の本部側からしてもそれは避けたいし、何より坊さんを養成する大学側も継いでくれる彼らを見捨てるわけにはいかない。
昔と比べて志望者は減り、入試の倍率はほぼ1倍に近い、いわゆるFランで、入学後も彼らを(大学とは思えないほどに)サポートする。
優しく、とても優しくお坊さんになるまで見守ってあげるのだ。
そうして見事生き残ってしまうのである。(もちろん修行から逃げてしまう子もいる)
もう一度言うが、発達障害の彼らをどうこう言う気は無い。
ただ彼らの能力的におそらく無理であろう、さらに寺の住職という少し特殊な職業に就いてしまう、就かされてしまうそんな構造がヤバいと思う。
想像してみてほしい。自分の家族や親戚が亡くなった時に来たお坊さんが、ほぼコミュニケーションが取れず、小さな声でボソボソと下手くそなお経を読んでいる光景を。
いや、そもそも予定を覚えられず来ないかもしれない。彼らにとっても、ご遺族にとっても最悪だと思う。
言い過ぎだろうと思う人もいるかもしれないが、彼らを見ると本当にあり得ると思う。
一般的な仕事であれば、当然そんな人に需要はなくなるし、潰れて当然だろう。
だから冒頭のネットの論調のように、坊主が嫌われてるのも分かるし、自分が在家の生まれだったら不要と思うかもしれない。
でも自分は寺の生まれで、亡くなった先代に反抗してた時期はありつつも、結局継ぐことを選んでしまった。
これからの宗教法人の行く末を不安に思っているだけで無力な一僧侶だ。
あえて言いたいことがあるとすれば、
住職としゃべってみてやばいと思ったら菩提寺を変えてみた方がいいかもしれない。
[B! 宗教] 財政難の京都市で「寺社から税金取るべき」の声 戸惑う宗教界、市の見解は(京都新聞) - Yahoo!ニュース
別に京都特有でもない。田舎でもちょっとした人口密集地なら普通に高級車や外車に乗っている。
仏教が拝金主義だったのは室町以後も同じ。むしろ檀家制度の後の方がひどい。
仏教僧の戒律に肉食妻帯禁止があったと思うんですが…坊主は戒律くらい守ってから、色々主張しようぜ。 - scluge のブックマーク / はてなブックマーク
戒律重視は上座部仏教。日本仏教は全て大乗仏教であり、解釈改憲の如き屁理屈で破戒を推し進めてきた長い歴史がある。日本の坊主に「戒律を守れ」と言うと長い弁明がスラスラと出てくるか、もしくは「あなたの仏教理解が足りない」で一蹴される。
仏教史を勉強すると最終的に「日本仏教は仏教ではない」という辛い事実に突き当たる。誠実に勉強した坊主ほど御高説を垂れることができなくなるジレンマ。
「衣食」は分かるが「住職」の面倒を見るって何のことだかすごく悩んだけど俺が読み間違えてただけだった
先週末、父親の納骨をしてきた。雪が続いたので天候を心配していたが、幸い晴れて、少し暖かく感じるくらいだった。
お寺の講堂で法要をした後、ご住職と俺たち家族は骨壷を持ってお墓へ歩いていった。骨壷は意外と軽かったが、少し雪が残っているため落とさないよう慎重に歩いた。
お墓に着き、ご住職がお経をあげ始めた。するとその時、あれだけ晴れていたのに急に天気が悪くなり、雨が降り始めた。しかも結構な豪雨だ。俺は慌てて折りたたみ傘を出してご住職に傘をさした。妻も母も折りたたみ傘を持っていたため各自傘をさした。
「急に雨が降るなんて…」
俺がそうこぼすと、ご住職はこう尋ねた。
「お父様は頑固な人だったんじゃないですか?」
「!!」
確かにその通りだった。肝臓を悪くして医者に止められているのにお酒を飲み、肺がんになっているのにタバコを吸っていた。誰が止めても聞かなかった。今まさに、父親はお墓に入るのを嫌がって雨を降らしているのではないか?いやしかし、そんなことがあり得るのか?
雨は止みそうもなく、降り続ける。仕方ないので、傘をさしながらお経を唱えてもらった。
そしてお墓の蓋を開け、骨壷をそっと入れた。するとどうだろう、さっきまであんなに降っていた雨がさっと止み、晴れ間が見えてきたのだ。
「晴れてきましたね」
俺がそう言うと、
「きっとお墓の中に入ったので、ホッとされたのでしょう」
とご住職は言った。
いやいや、まさか、そんなことあるのか?俺はあまり信心深い方ではないし、お経も納骨も儀式的なものだと思っていた。しかし確かに納骨直前に雨が降り、納骨すると雨が止んだ。ご住職も父が頑固なことを言い当てた。それらが全て偶然であると片付けることもできる。しかしこの一連の出来事によって、そういう世界もあるのではないかと少し感じた。
今まで俺を育ててくれた父。そして闘病生活に苦しんだ父。本当に大変だったと思う。ありがとう。今後はゆっくりあの世で休んでもらいたい。
私凄いアビリティーを身に付けちゃったかも知れないファイナルファンタジーVな世界観なんだけど、
そ!それは!
な!なんと!
こないだ久しぶりに同級生と会って
私がお店をマッチングアプリで予約したんだけど、
私も行ってみたいなとつねつね中のつねつね思っていたお店をせっかくだからそのお友だちをダシにして
2人だったら私はどこでも行けるの。
ってな勢いで行ってみることにしたのよ。
ただ初見のお店は1人で入店する勇気を持ち合わせていない確率が100パーセントで
それこそ
自分がよく足繁く通うお店には得意気に飛び込み前転で入店できるというのに、
初めてのお店にはなかなか足繁くことができないのよね。
そんで、
そのお友だちと一緒に行ったお店が私も
サイコロで決めたお店だったので、
最初にジャガイモとか芋系のものを食べてしまったらお腹が膨れてしまうでお馴染みのシャレオツなランチバイキングだと思っていたお店が、
うわ!お肉なのね!
ってその日はあいにくお肉の日だったのでキャンペーンやってたのよね。
ランチ焼き肉バイキングコースは初めての来店の人にも優しくて、
案内してくれた給仕さんが
ヤフオクを迅速丁寧に発送してくれる丁寧だけの成分を抽出して濃度を高めたような丁寧さで、
本当に初めての私たちにも丁寧に教えてくれたの。
30分・90分・120分・180分と
なんだかゾクフーのコースみたいだけど
私はたっぷりベシャリができるかなとお友だちと思ったので180分コースにしたの。
お肉もやっぱり肉の日だったのかしらキャンペーンで美味しく焼けて、
網は交換してくれないという盲点があるところが玉に瑕で
そこは何となくセコいなーと思いつつ
持て余してしまうかと思っていた180分もあっと言う間で過ぎてしまって
いろいろと焼くのに飽きたところに
いろいろとまた心にグッとくるスイーツも3種類しかなかったけど
全部ときめいたからときめき度は100パーセントってことでいいんじゃない?
スイーツも抹茶寺住職考案の抹茶寺ミスが美味しくて絶品中の絶品だったわ。
なかなか焼き肉食べ放題バイキングもやるわね!って思ったのよ。
レヴェルが上がったワケなのよ。
一人で立ち向かって戦うにしては戦力が弱すぎたので
危うく焼き肉屋のあのバーナーのコンロの火力に押されるところだったわ!
今度から気を付けないといけないのは、
一旦コンロの火を切ってしまったら再点火オプション料金だってそこも抜け目ない商魂たくましいところだし
周りを見渡してみたら手慣れたベテランのお客さんたちは
チャッカマンをちゃっかり持ってきているというなるほど納得な
焼き肉屋さんに行くときの三種の神器のあと二つは適当に思い付かないぐらい大事なアイテムの一つであることは間違いないようね。
私もチャッカマンをしっかり持って行かないとトゥナイト!って今夜も行くのかよ!っていかないけど
これもまた一つ利口になったわよ。
人生に例えがちだけど
備えよ常にって言うほどやっぱり焼き肉屋さんは人生が詰まっているのよ。
もう全く同級生なので、
ターンが来たら食べるという、
あの焼き肉の御奉行さんさいない焼き肉オブ奉行がいたら本当に面倒くさい焼き肉の会になるから、
本当に全部の焼き肉をタイムアクティブバトルにしたらいいのよ!って思うわ。
しかも焼きつつ焼けたお肉をお皿に盛られつつ
しかも良い話をしているから話をしている最中はお肉が食べれないという
延々とお肉を食べるターンは来ないシステムのバトルの焼き肉ってあるじゃない。
なんだか焼き肉食べに言ったのになんか食べた気がしないガッたりする感じの戦果になるじゃない。
何しに行ったのかしら?って
無駄にルービーを空にしたカウントだけがむなしく上がるだけなのよ。
今度は私一人で挑むつもりだから
1人でも勝てるかな!って今から装備をしっかりしていきたいところなのよね。
そう!
チャッカマンの装備は忘れないようにって。
うふふ。
牛乳もちゃんと飲まないとって思ってもあれ結構キャロリー高いから
低脂乳の美味しいやつにしてもいいかもね。
普通のホッツ白湯ウォーラーにスライスレモンとレモン果汁を入れるの
このレモン1個にはレモン1個分のビタミンCがたっぷり入ってるからね!
甘くしたかったらハチミツを少し8リットルほど入れるといいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
パラパラチャーハンだと思って作って美味しい美味しいって自分で作って美味しく食べていた文字通り自作自演のチャーハンだったんだけど、
もしかしてだけど、
私はチャーハン炒め作りは極めたからもうお店で食べる必要は無いわ!って意気揚々にヨーヨー片手にもう片手にはビー玉のお京のごとくビー玉を指と指の間に4つ挟みつつヨーヨーの技で東京タワーや犬の散歩という技を連続で繰り出す勢いで自作自演のチャーハンを楽しんでいたの。
でもふとお店チャーハンを食して感じて食べてみる私のシックスセンスつまり第六感とでも言えるのかしら?
シックスセンスというか。
ガンダムのアニメで閃いたときになるピキキキリーンって音が鳴ったの。
つまりこのタイプのしっとりとして且つパラパラとして且つ玉子もふんわり炒り玉子具合のニュータイプでしっとりふんわりとした全体的に優しさに包まれた
松任谷由実さんの優しさに包まれてを優しさの半分でできているバファリンで包んでしまいそうなほど
薬局屋さんにいくと、
バファリンを買おうとしたら店員さんにジェネリックバファリンありますよ!ってお安くてお求めやすくて買いやすいという三拍子揃った牛丼界の早い安い美味いをペキカンにもちそなえた牛丼のような製薬界のジェネリックバファリンをオススメしてくれたの。
果たしてそのジェネリックバファリンの半分は優しさなのか?って一度検証して欲しいと思うのだけどどこかのテレビ番組でやってくれないかな?ってなかなかいいテーマだと思わない?
そういった感じで総じて一言で言っても過言ではないほど
お店で食べたチャーハンはしっとりとしてひっそりとたたずむお店にふさわしくふっくらとしたふくよかな、
そう豊かなるチャーハンだったの。
つまりド・ストレートな且つド・ベタな大草原の葡萄の味で例えるのよ。
2ページ目はね、
海の潮風の風を受けて育った葡萄の味で微かに塩味を感じるワインのようなチャーハンって
言われかねないほど、
チャーハンソムリエは「塩味」って書いて「えんみ」って言いがちなほど、
ちょっと塩加減にこだわっているのかもしれないわね。
トルコの塩かけシェフがブルジョアにぼったくった料金で料理を振る舞ったのとはワケが違うわ。
たぶん私の今まで作ってきて最強に美味しいと思って止まない箸が止まらないチャーハンを
これは世界で最古の砂漠「ナミブ砂漠」でそんな環境でもたくましく生きている爬虫類の味がするって言われたら泣いてしまうわ。
私のチャーハンがナミブ砂漠で暮らしているトカゲの味がするって!!!???
な、なんだってー!ってMMRのメンバーが全員口を揃えて言いそうだし
逆にトカゲ味のチャーハンって珍味珍しがられたら大ヒット間違いなし!ってやかましいわーい!
でもそうトカゲ味って言われたら悲しいわね。
そう今まで私が作ってきたナミブ砂漠のトカゲ味のチャーハンが最強に美味しいと思っていたのが、
実は極意・奥義!匠の技のパラパラチャーハン!って思っていたのが
パサパサチャーハンだったって。
チャーハン師匠の弟子の名前が匠って言うぐらいややこしいと思うんだけど
匠の技を見せてやれ!って言うんだけど、
名前の方の匠なのか本当に技が極まった技のことを匠と言ってるのかややこしいどっちかもはや分からない匠のその加減がいいのかもしれないわ。
でさー、
気付いていたのよ私。
私の作るチャーハンって実はなんかしっとりが足りないな!って事を
ふとケーブルテレビの本場中国の24時間ずっと中華鍋を降り続けていてチャーハンを作り続けているでお馴染みのチャイナチャーハンチャンネル24を見ていたら、
見たいたらよ!
仕上げに鍋肌に水だったっけ?お湯だったっけ?それを少量ぶっかけて湯気を発生させて、
チャーハンにしっとりとした潤いを与えていたモイスチャーなシーンを私は見逃さなかったわ!
そこで合点がいったわけなの。
ためしてガッテンならそこでガッテンガッテンって言うガッデムって言うのは蝶野選手の方なんだけど、
だから山瀬まみさんがガッテン卒業したのは残念だったわねって。
あーそう言うことかーって
言われたとおり地球で最古と言われる砂漠ナミブ砂漠のトカゲの味がするってことなのね。
私はチャーハンにモイスチャー成分を足すべく、
鍋肌に仕上げに潤いを足す加湿を怠ったばかりに
その地球で最古と言われる砂漠ナミブ砂漠のトカゲの味がするチャーハンの味だって言われるのよね。
私はそんなナミブ砂漠のトカゲの味がするチャーハンを中華鍋ごと窓から放り捨てて、
もっともっともっと256倍に強まったモイスチャーなチャーハンを目指すことにしたの。
でもさ、
本当にナミブ砂漠の麓の街の中華屋さんに実際にあるナミブ砂漠産のトカゲチャーハンがあったら、
それはそれでナミブ砂漠のトカゲの味がするチャーハンだってことなのよね?
そう言われると、
私はそのナミブ砂漠の麓の街にある中華屋さんの本館を越えた別館!といえるほど
ナミブ砂漠のトカゲの味のするチャーハンで作れていたってことに現地でも味が通用するかも知れないわ!
はい!おまち!ナミブ砂漠のトカゲ味のチャーハンいっちょうあがりだよ!
た、大将!親指チャーハンに入ってる!ってところまでやってこそがセットだからね!
でも逆に言うと
ナミブ砂漠のトカゲの味がするチャーハンって言って謳って売り出せば、
ナミブ砂漠の麓の街の出身の人にはグッと心に突き刺さるふるさとの味なのかも知れないわね。
それはそれで涙がちょちょぎれるハートウォーミングなホッツな話題だわ。
さすがにナミブ砂漠のトカゲ味が売りのチャーハンのお店を出そうとは思わないわよ。
お後がよろしいようだわ。
うふふ。
玉子御三家が勢ぞろいした贅沢でもあるけれどもう少しわんぱくさには欠けるリッチテイストのサンドイッチよ。
たまにはお店を変えてみるのも妙案ね。
妙餡寺の住職がおっしゃってたわ。
あんまり緑茶より麦茶の方がなんいかよくない成分が少ないとのことで、
本当はホッツ緑茶の方がいいんだけど
買ってこなくちゃ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
最終章ではありますがまだやるべきことが残っているので第1篇となるでしょう。
- 母親の介護から逃げてから、その後 anond:20210322144223
- 母が精神病棟に入院した anond:20210403022555
以前に語ったとおり、母親は病気で自活が不可能となり父親による老老介護を受けた後に精神病棟に入りました。その後は体調不良のたびに転院を繰り返し、最後は実家からほど近い病院で息を引き取りました。最期を看取ることはできませんでした。そもそも職場から2時間近くかかりますし一報があった時点ですでに危篤状態でした。
その少し前から体調不良が続きいつ旅立ってもおかしくない状態でした。でもコロナにより面会はかなりの制限がついていたので、病院からほど近い父でも最期を看取ることは難しかったのとこと。特に第5波の現在ではまともに病院に入れることすら怪しいのですが。
母親に関しての良い記憶は殆どありません。私が子供の頃から彼女の周囲はストレスと負の感情が渦巻いていました。あらゆることに怒鳴り散らし厄介事を量産します。隣人、宅配業者や取引先とのトラブルは枚挙にいとまがありません。家族の中にあっても暴力と暴言は絶えず、幼いときから母親は嫌悪と畏怖の対象でした。常に誰かしらを敵に回すことでしか自分を保てず、最後は泣きわめいて八つ当たりを繰り返す人でした。機械音痴だったのが救いでしょう。彼女はスマホやPCどころか自身のケータイ電話すらもっていませんでした。仮にスマホを扱えたとしたらツイッターやらでどんなことを書いたかわかりません。
そんな母も亡くなりました。
一番最後に家族が聞いた言葉は「来てくれてありがとう」だったそうです。数すくない面会の中で唯一話せたのはそれだけだったとか。そもそも、4月以降の入院生活の多くで彼女は心を閉ざしていたようです。閉鎖病棟という空間が耐えられなかったのかもしれません。彼女自身が介護状態になってから父への依存がマックスになっていたこともあり、父に会えず家族の顔を見れない寂しさが彼女を内向的にしていったのでしょう。だから面会時に言葉を話したことに周りの看護師が驚いた、と聞きます。おしゃべりだった母親がおとなしく心を閉ざすということはよほど病院の生活が心を折るに充分だったに違いありません。
父はそれを後悔しているようです。
葬儀は直葬でした。リーズナブルで早いというそれだけの理由でしたがコロナ禍では最善の方法だと思います。母親の親戚縁者数名と私の家族だけで執り行いました。
葬式自体は何度か経験があるものの、直葬は初めてです。住職もなく火葬場に直接集まって遺体を焼いて納骨するだけというもので、移動時間を除けば1時間半で終わりました。
従来型のように通夜と告別式を執り行うことが悪いとは思いません。故人を悼む人の多さや気持ちの整理をつけるために必要な儀式もありますから。
高くとも50万せず、極めて簡易的でスピーディ。遺族の負担が本当に少ないのです。
なぜ喪主が大勢の人の前で挨拶をしなければならないのか。多くの時間とお金をかけて悲しみと疲れをふくらませる必要があるのか。ほとんど交流のない親戚や会社の人々に頭を下げなければいけないのか。お坊さんの固いお話。。。
それらをすべて省くだけでここまで楽になれるのかと感動しました。いままでの葬式は何だったのでしょう。
コロナは多くのものを奪いましたが、葬式に対する考えを改める機会をくれたことだけはメリットと受け取っています。
さて、旅立ちのあと家族と合流していくつかわかったことがあります。
母親はいくつか不動産を持っているのですが、その一つが少々どころかかなり厄介な物件だということ。保険嫌いだったのにいくつか保険に入っていたこと。預貯金はそこそこあるのですが、額よりその中身についてここで書くことが憚られるものであること。デパートの預け金が結構な額になること。そして、母親が成人後に殆ど健康診断等を受けていなかったということ。
母親が病院を嫌っているのはわかっていましたが、健康診断そのものをまともにしていないのは驚きです。歯もぼろぼろだったので長く歯医者にも行っていなかったのでしょう。
思えば母親の数々の病気は、去年の夏に倒れてからようやくわかったものですばかりです。糖尿病やガンなど、本当は健康診断で発覚するものばかりです。少なくとも献血でいいからしておけばなんらかの予兆を見て取れたかもしれません。
恐らく長いあいだ健康上の不安を抱えていたと思います。でもそれを認めずに騙し騙し過ごしていた結果がこれです。
さらに病気がわかっても頑なに医者を信用せずかなり説得が難しかったと聞きます。
自分の家族が崩壊寸前だった記憶が強いがために、幸せな家族という存在が実感できないのが本音です。配偶者の実家にお邪魔したとき、リビングに家族との写真が所狭しに飾ってあったのはかなり印象的でした。そうやって家族と記念写真を撮って飾っておく習慣が失われた家庭でしたから。実家で目につく写真といえば、唯一仏間くらいにしかありません。本当は以前にもありましたが引越しの際に殆どなくなってしまいました。
今一番不甲斐ないのは、遺産や死後の手続きの諸々を実家の家族に任せっきりだということでしょうか。でも多くがオートメーション化されているのでかなり手続きは簡単とのこと。いい時代ですね。
遺産の整理がついたら第2編を書くかもしれません。