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はてなキーワード: 思念とは

2018-12-09

ガンダムNTあるいは福井ガンダムに対する主立った批判反論について

やあ (´・ω・`)

ようこそ、ズィージオンの泡沫拠点みたいな腐った地獄の底へ。このヘリウム3サービスから、まず飲んで落ち着いて欲しい。

機動戦士ガンダムNTは見てくれたかな? 機動戦士ガンダムUCは? それはよかった。

うん、まるで中立的タイトルをしておいて、実は福井信者側の一方的エントリなんだ。済まない。仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。

でも、このスレタイを見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない「ああ、こいつ富野信者中立的立場ナラティブ見に行ったのかな?と思って開いたブログ普通に福井こきおろしててゲルググのトサカに来た可哀想なやつなんだな」みたいなものを感じてくれたと思う。

殺伐としたガノタ界隈で、そういう気持ちを忘れないで欲しい(もっとサツバツとしてんじゃねーか)

そう思って、この増田を立てたんだ。

(といっても真面目に多くの人に読んでもらいたいわけではないというか、書いているうちに気持ちが落ち着いてしまったため、増田に投げ捨てているというほうが正しいかも)


Q1:ガンダムどうしてこんなオカルトになってしまうん?

A1:富野ガンダムのZから逆シャア(あと一応Vも)がバリバリオカルトだったんやで。またナラティブの話の筋は「富野ガンダムの一時期のオカルトは一体なんやったんや?」と問う側面もある。


Q2:シャアの反乱からF91までの30年間大きな戦争はなかったのに、福井サンライズ勝手戦争だらけにしようとしよる

A2a:マフティー20年前首都テロを仕掛けたんですけど戦争カウントされませんでした」

A2b:オールズモビル「我々はここ数年で二回戦争をやりましたがカウントされませんでした」

A2c:時期は違うけど参考までにデラーズ「観艦式潰してコロニー落としたんですけど後者事故扱いされました」

A2d:というように「大きな戦争」の基準ガバガバすぎるため、正直割と大丈夫だと思う(おい)。もちろんマフティー動乱は戦争というには小さすぎるのでテロ扱いだろうが、言い換えるとそれぐらいの規模ならよいということになってしまうし、とにかくオールズモビル戦役の扱いが際どい。


Q3:サイコフレームやらNT流行らなくなったのはF91までに大きな戦争がなかったんでNT概念が風化したからや、なんでそこ踏みにじって「サイコフレーム封印の切欠になる事件が〜」とか言い出すんねん

A3a:隕石一個動かすレベル現象を、”愚”民どもが30年ずっと解析も模倣もせず放置して風化ってのはやっぱ厳しい気がするんですがそれは(小並感)

A3b:あとこれは反論というよりこじつけなのだが、「市井では廃れたが各軍、各企業の一部では密かにNT研究は続いていた」という(それ自体福井以前からある)解釈を重視すると、意外とUCナラティブ問題ない気はする(強引小並感)。結局ユニコーン無双は一部の局地戦で発生したに過ぎず、多くの一般市民が(正確に真相を)目撃した事例ではないから、市井NT神話衰退を食い止めてはいないのではないか。もちろん一部報道や(宇宙世紀内の)オタク共がユニコーン存在活躍にある程度は触れているとは思われるし、その結果噂程度に真相が広まってもいようが、世間にどこまでインパクトがあったかというと微妙であろう。たぶん宇宙世紀内のミリオタ共も「サイコフレームがそんなイデオンみたいな力出す訳ないだろwww 架空戦記www」「っせーなじゃあこのアクシズどうやって動かしたんだよテメェ!!」って言い合って、周囲からキモがられてるに違いない


Q4:なんかダ・ヴィンチインタビューで「F91以降ニュータイプはいない」とか意味不明なこと言ってるで福井

A4a:お前さっきQ3で自分で風化言うてたやんけ!!!(ごめんなさいこれはちょっと言いたかっただけです)

A4b:批判側の典型的まとめサイト意図的誤読。当該のインタビュー普通に読めば「世間的にNT存在に関する話題ほとんど消え去った」であって「NT能力を持つ人間がいない」ではないのは明白。

A4c:ただこれはもう福井擁護ではなく余談になってしまうのだが、もともとNT論は「ジェリドはどうなんやジェリドは」「サイキッカーってなんやねん、NTちゃうんか」みたいな謎もあって割とガバい。そのためマジでF91以降NTおらんやんって暴言も全く通らないわけではないような(通すのが良いわけではないにせよ)。「カミーユ級を(真の)NT言うんならシーブックは(レベル高低的にも健全的にも)NTとは言わへん」「ウッソはNTというよりスペシャルやないんか?」みたいな過激意見もなくはないし(F91時代はみんな一種NTなんや!っていう人見たときは流石に度肝抜かれてしまいましたが……∀時代の話じゃなくて……?)


Q5:新訳Zで肉体を持った健やかなNT像が示されたのに、福井はまだそんなところにいるの?

A5a:「まだそんなところにいるの?」ではなく「そんなところを無視すると、新訳ファが拉致されて強化人間にされるんよ」という悪意の問題

実を言うとナラティブ批判するために新訳Zを持ち出すのは、福井を憎むあまり富野の最新動向を無視することになるので富野信者は気をつけた方がいい。というのも、新訳Zは「肉体と生活を傷つけられ、健やかさを奪われた人々はどうすればいいのか」という視点を欠いた、ゆとりNT論あるいは富裕層NT論となっているため。「シロッコみたいな傷つけるやつ片付けよう」だけで止まっており、「手遅れ」や「傷つけるのは特定悪人ではなく社会構造」といったケースに対応しているとは言い難い。富野本人はGレコですでにこの課題あるいはそれ以降に挑戦している(厳密には∀の時点で萌芽はあるし、もっといえば強化人間はもともとそうだったわけだが、では新訳でのフォウとロザミィの扱いはなんだったのか)。「人を家畜のように扱ってはいけない」とは言うが、ナラティブには手遅れで家畜にされてしまった人達物語という側面もある。

余談だが、このあたりはAGEオルフェンズ、AOZ黒兎の火星組にも通底する部分があり興味深い。三者が上手にやっているかというのは議論あるにせよ、である。また新訳Zにある意味隣接しているはずのクロボン系もまた、この生活貧困問題には新訳Zより常に切り込んでいる。

A3b:またこれはちょっと勘違いされているケースが多いかもしれないのだが、厳密に言うと福井側も肉体の放棄を手放しで賞賛している(できている)わけではなく、「遠い未来にある姿としてはそうなんやけど、いま無理してそれになろうとするのはアカンで」という風に言っている。ナラティブはまさにこの無理に関する話であったことと、先達としてバナージが結局肉体に戻って来たことに注意されたし(特に原作ではカミーユの真似して体貸そうとしたら幽霊disられてやめる、というくだりがあり分かりやすい)。


Q6:長谷川クロボンNTry

A6a:よく引き合いに出されるクロボン系列であるが、実はUCナラティブと言っていること自体はそこまで乖離してなかったりする(『しかもっと長い長い年月をかけて、いつか人は”NT”に進化するでしょう』)。どちらかというと現存するNTに対し周辺技術含めての評価(長谷川「現NTなんか山道12km歩くだけやん」福井サイコフレーム使えば1000km歩けるで。めっちゃ危険やけど」)と、目の前の困難に立ち向かう際のスタンス差(福井「例え戦争連発を止めることができなくても、今ここで人間が止めようと努力して、未来に祈ることは無駄ではないんやで。そのことを証明するためにちょこっと1000km歩く危険デモンストレーションもしとこ」長谷川「今ここで戦争連発をせめて100年だけでもガチ止めるべきだし、そのために人間努力のみならず結果を出すべきなんや。1000km歩く危険デモンストレーションは——どうか手をお貸しにならないで——決着は0〜12km歩く人間達だけでなんとかせなあかん」)が対立の主である

から実は、福井長谷川は確かに対立軸にあるものの、それは同じ棒の両端だと考えた方が良い。無論そこで右がいい左がいいという対立は大きいにせよ。黒歴史という自己責任人災に対して祈るしかなかった人々を見捨てないのが福井、手近な資材で立ち向かうよう人々を陣頭指揮するのが長谷川、という乱暴な要約でいいかもしれない。(黒富野人災はお前らのせいだ!と丁寧に説明し、白富野人災だけではない人の魅力を描き、Gレコ富野は「そういや白だと魅力描くのに専念し過ぎた、人災の具体的な説明対処はまだやる余地あるな」という境地)

A6b:すみません反論になってませんねこれ……。具体的に人々救済のために奔走する長谷川クロボンの方が面白い好きだという意見は多いにあると思う。

A6C:これも反論でなく補足だが、幽霊ネタ長谷川ガンダムでも時々やっており、「富野ガンダムを真面目にリスペクトすると割とオカルトに向き合ってしまう」というのは割と福井長谷川とも共通してそう。(向き合い方の問題ではあるにせよ)


Q7:サイコフレーム光速移動なんやねん

A7:エンジェルハイロゥも分解後光速移動してるからええんちゃうか(小説版)


Q8:サイコフレーム時間操作なんやねん

A8:根拠出典はアムロララァの「人はいつか時間さえ支配することができるさ」やろ(まぁさすがにここで怒る気持ちはわかる)


Q9:サイコミュ技術そんな凄いんならエンジェルハイロゥのあの中途半端な性能なんやねん

A9a:いやあれとんでもない性能でしょ(小並感)

A9b:眠らせるだけやなくてもっと気合い入った洗脳や全滅できるやろ、という意味ならば、クロボン幽霊の「もともと暴動鎮圧用だった」ので(あとで高性能化したとはいえ)設計レベルではそこまで気合い入った威力設定してないんじゃないか、っていう感もある


Q10:話してんのは幽霊やない、残留思念や!

A10a:ごめんなさい、これはちょっとトピ主が用語理解ちゃんとできていなくって「幽霊残留思念なにが違うんや……?」ってなってます。単にあの世がないとか鳥に輪廻転生はしないとかい意味なのだろうか。

A10b:自律思考する魂ではなく、死亡時点の意志キャッシュデータである、という意味なのかもしれないが、これはこれで意味のある差なのかどうかちょっとからない(強いAI弱いAIの差みたいな感じ?)

A10c:たぶん本気ではなくネタだと思うのだが「NT洞察力で相手思考完璧洞察しているだけ(残留思念は受信側脳内残留説)」という話を見かけたことがあって、ええ……「(脳内)ララァはいつでも会い(妄想)に行けるから」は辛すぎるんちゃうか……?とドン引きしたことはある。ゲームオタクゲイナー君でさえ恋した相手NPCではなく生身の女だったというのに。


Q11:閃ハサまで福井担当すんのは嫌

A11a:ごめんそれはトピ主もちょっと思った。

A11b:一応現時点だと、サイコフレーム封印事件云々はUC2の方メインで、閃ハサは流石にそっちには(一部設定を繋ぎやすくするだけで)持っていかないのではないかとは思っているが……。

A11c:そもそも福井以前にベルチルと映画ちゃうやん問題小説の内容そのまんま映画にできるんか(できたとしてもアニメとしてテンポおもしろいのか)問題どうするんだろうか。ベルチル問題はあえて原作ママンにして「別に映画ともそこまで乖離しとらんやろ?」とか厚顔無恥フルアーマーしていいと思うんだが、無理だろうか。


Q12:人の褌でスモー取ってるのが許せん!

A12a:逆に富野はもう古い褌脱いで次のステージ行ってる(繰り返すが新訳Zよりもっと先行ってるんで注意)からそっち追えばいいやんけ、と簡単に思っているのだが、そうはいかないだろうか。

A12b:かつて「ペンタゴナは永野にくれてやった」という富野発言があったらしいが(ソース不明)、同じように「宇宙世紀前半は福井に、後半は長谷川にくれてやった(あるいは積極的にくれてやったわけではないが好き勝手にやってろ)」と、サンライズバンダイ経営層だけでなく富野本人が思ってそう……というのはうがちすぎか。


Q13:せめてパラレルしろ

A13a:現状だとしてもあまり意味がないのでは?(時系列的に直接重複するパラレル作品がないと、大抵のガノタからパラレルいうてもシリアル解釈不可能やないやん」程度に思われてしま危険性が高いため。つまり原作オリジンとはちょっと状況が違う)

A13b:上記には、結局パラレルにしてもUC2自体F91に繋ぐ気があるためという側面もある。ZZをばっさり斬り捨てた新訳Zという前例もあるにはあるが、あまり斬り捨てていくとその亡霊を背負った外伝が出てきて話をさらにややこしくしてしまうので注意は必要だぞ(なんせUCの背後にいるものの一部は、まさにそのZZの亡霊である)


Q14:サイコフレーム封印したのになんでF91に積んでるんや

A14a:条約は破る物。(割と冗談抜きで、南極条約ガン無視NBC兵器抱え込むような宇宙世紀人たちが封印を守るとは思えない。もちろんUC2で示されるであろう危機に瀕して「使いすぎはやめよう」にはなるのだろうが、「適量や代替(ネオサイコミュ)ならいいよね!」という麻薬みたいな思考回路に落ち着くのではないか)

A14b:あとF91サイコフレーム搭載はホンマ公式なんかな、ってのちょっと気になるんですよね。最近曖昧になってきたみたいな話もあるのと、そもそも初出ソース(寡聞にして知らないのですがどこでしたっけ)からしてうっかり無断で書いちゃった程度なのではないかという気もしている。EB大図鑑には書いてなかったはず(こういう文脈でEBをソースにするのは普通は鼻で笑われるところなのだが、やっぱ現在も隠然とした影響力は残っているのと、F91時代はむしろ割とオフィシャルに食い込み気味だったという事情もあり、一応参考として挙げても怒られないと思う)


まだまだ左右どちらも色々あると思いますが、本トピはここまでということで。君も自分だけのガノタ憎悪を育てよう!!(育てるな)

2018-12-08

やがて君になる」が一粒で5度美味しいアニメだった

 以下ただの妄想。誰にも聞いてもらえることのなかった残留思念を供養するために投げる。

 「やがて君になる」が面白すぎる。テーマ自体アニメで見るのは珍しいとはいえ問題はそこではない。とりあえず直近の8話、9話。10話はこれから見る。

 8話アバンに出てくるアジサイ。6話、7話と侑→燈子、沙弥香→燈子、燈子→侑あたりが分かって本作が三角関係を描いている印象が強くなったんだけど、そこでこのアジサイのやりとり。アバン最後に燈子→沙弥香、Aパート最後に沙弥香→侑、そしてBパート最後のほうで侑→燈子という構成も美しいし、かつ誰も質問に答えていない。三角関係隠喩として非常に強烈な演出だなぁ、って。

 この回における侑とさやかファストフード店におけるやり取りもそうだけど、緩やかな雰囲気に包まれた会話なのに少し緊張感があるっていう空気が好き。ほいで音楽が穏やかなんだもん。最高にやばいのがBパートの雨宿り。もう侑がめちゃくちゃ感情を表に出していて、それに気づいた燈子が一気に冷たい顔になる(これまでと全く逆)のに、音楽はいもの曲のまま、表面上は二人の関係に明確な差異がなさそうに見える(けど本心は…っていう)演出最高。劇伴が「怒り」「悲しみ」みたいな感情表現するタイプの曲だったらこんな使い方はできなかっただろうに、どういう発注をしたのかすごく気になる。強いて言えば「美しい」みたいな感じだろうか。槙くんを演じる市川太一くんは各話のああいうシーンを「エロ峠」って呼んでたので、エロ峠で。音楽プロデューサーの若林豪はやっぱりすごい人。

 あと8話は特に侑を演じる高田憂希の(感情が乗った)セリフがすごく刺さっててエモかった。「…嬉しかった。」と「分けてほしい。」良くない?絵のお芝居もめっちゃ好きで、2話の「ずるい」とか8話の「嬉しいって(ry」なんか目だけでお芝居してるやん。目だけでお芝居て。ハイライト虹彩とかを駆使して感情表現するのすげー良い。良くない?一般的に「キャラの目が大きい=感情表現が豊か」という意味があるけど、キャラデザが非常に良く出来てるなぁって何度も思った。パットゆるふわ?なデザインで、今期ならべるままくらいゆるいアニメなのかな?って思わせる割にちゃんと動かすし、性的な部分を引き算したデザインなのにエロいシーンはエロく映える。例えばキスするシーンなんかそのままのキャラデザに全く合わないくらい唇がツヤツヤしてて生々しいんだけど、そのときだけ鼻から上を映さないことで整合性担保してるとか。うっま!演出うっま!

 そして侑の心が大きく動く9話。久々に槙くんと侑のやりとりがあったけど、めっちゃ良かった。1話にあった、キラキラしてる友達二人に対して暗闇の中にいる主人公の心の距離を「水中にいる主人公」で表現してたけど、一方9話でのシーンは槙くんが一緒に水中にいるところとか。ニコニコ動画に「1話と比べて陽の光が侑に届いてる。水深が浅くなってるのかな」という指摘が合ってドキッとした。槙くんめっちゃ良いよね。

 コレまで侑は行動に対して心情が伴っていないことをモノローグで語っていて、ずっとモノローグのほうが本音みたいな演出だったのに、走る燈子を見ててで心が大きく動いたシーンは逆に引き算になってて、どんどん風景から燈子以外が消えていく、かつモノローグもない。言葉よりも侑の心情を雄弁に語っているシーン最高だった。そして最後のシーンのモノローグ(5話Bパートの「心臓が…選んでくれたら良いのに」との対比になってるのね)は本心乖離していくっていう。しかも9話のエロからBGMが違うんだよね。音楽プロデューサーの若林豪はやっぱりすごい人。

 挿入歌OPポチってしまった。歌ってる安月名莉子のデビューシングルだってEDめっちゃ良いんだけど、作曲本多友紀/作詞中村彼方ってどっかで見たなぁって思ってたら「少女歌劇 レヴュースタァライト」のOPコンビなのね(劇中歌もいくつか担当)。

 それにしても9話のサブタイが最高すぎる。「位置について/号砲は聞こえない」って。「号砲は聞こえない」は「位置について」に対応していて、「よーいどん(ただし、号砲は聞こえない)」という意味なのだろうけど、リレーのシーンで侑がゴールの号砲に気づかなかったという意味の他にも「恋の始まりによーいどんは無いんだよ」っていうのもあるんだろうと考えると、侑の「好きがわからない」ということが「誰かを好きになっている事に気づかない」という、(心情の説明ではなく)心情変化の演出にしてるのがめっちゃ好き。6話、7話のサブタイといい、考えた人は天才だと思う。原作ママなのかな?だとしたら作者天才だ。

 ほんと観るたび面白さが見つかるアニメって中々出会えないので、一粒で5度美味しい本作に出会えてよかったわ。依然として百合には性的な興味を持たないけど、思春期特有葛藤を描く題材として百合を選んだ本作のことを好きにならずにはいられない。円盤買うかー。

2018-10-30

最近再生回数を気にするのが疲れた

中身もなにもタイトル通りなのだが、最近再生回数を気にするのがつかれた。再生回数だけではない、アクティブユーザー数、イベント参加人数、累計イベントポイントイベントランキングファンクラブ登録者数、等々。ありとあらゆる数字と向き合うとこに疲れた。私は疲弊している。何故こんなに数字に追い立てられなければならないのか。それは私がなかなか数字の出ないコンテンツ応援しているかである女性向けアイドル育成ソシャゲ比較的人気のないキャラクター、なかなか表に出してもらえないジャニーズアイドル、なかなか数字のでないジャニーズJr.。私の好きなもの全て、「もっと数字が出れば」と言われている。私はそれがすごく辛い。

そもそも私は性格ルーチンワークがとことん苦手である毎日カバンを変えるし、毎日異なる系統の服を来て、毎日違う業務になるように調整して生活し、毎日違う道で帰り、毎日違うアニメを見て寝る。そういう性格の私が毎日同じゲームログインして、毎日同じ動画再生して毎日同じようにアイドルを好きと言い続けるのは到底無理な話である。だけど数字を求める人たちはそれをよしとしてくれない。毎日ログインしないと所属チームからは外され、ゲームアイテム経験値がたまら永遠に弱いまま。毎日動画再生しないと怠慢と言われ毎日同じアイドルの話をしないとリムられる。そういうところでオタクをしている。あまりの性のあわなさにそろそろ疲弊してきた。

数字が全てという社会の仕組みは単純でよくできているとは思う。しかしまぁまぁ生きてきた人生の中で数字の多いものに惹かれたことがない私には数字が全てと言われる社会はどうにも納得できずにはいる。もう何もかもめんどくさいので固有名詞を出すけど、私にはあんスタとキンプリSixTONESは1ミリも心の琴線に触れないのでコレが数字を獲得してそのジャンル代表のように捉えられると????????となってしますのだ。まったくわからないので。しか数字によってある種市民権のようなものを得たコンテンツはでかい顔してでかい顔してる。数字がとれているので。そして数字がとれていないコンテンツファンは「数字を詰めば同じ扱いをしてもらえる」と思う。だから数字固執する。数字のとれるコンテンツこそ優で数字のとれないモノは劣なのか。私は自分の好きなもののみが優でそれ以外は無なので何も思わないけど。その世間事実自分価値観がグワングワンにズレて、あまつさえ数字を取ろうとしない私を遠回しに批判されるようなことになれば私は疲れてしまう。私のエリアに入ってこないで、と。

自分価値観世間の目がズレている。要はそういう話だ。でも、数字のとれないコンテンツのものを劣あるいは弱と決めつけてほしくないなと私は思う。数字に関わろうとしないオタクも許容してほしいと思う。ファンならこうであるべき、ファンからガンバロウは、多分違う。100人ファンがいれば100人思念があるのだ。それでも、母数が大きくなれば大きくなるほど思念は大きくなり、多数派が相違のように収束する。でもさ、でもね?個が個である限りどれだけ大きくなろうと個の思念集合体であることには変わらないと思うんだ。だから強要は良くないしそれが原因で仲違いするようなことがあっては良くないなとも思う。最近はそればっかりが心配になってしまう。

いろいろ書いたけど、数字を出すには数字が出るだけの理由があると思うし数字がとれるコンテンツを大々的に取り上げたいのもわかる。わたし食べログ3.5以上の店しか行かないし。だから自分の好きな子たちも数字が取れるようなアイドルになってほしいとも思う。でもそのためにオタク同士でギスギスしないでとも思う。

なんだろうね、世の中みんなジャスティン・ビーバーに見つかれば良いんじゃないかな。

2018-09-29

anond:20180929092454

女体化してスケベな服着てるのは人々の思念がそうなってるからなの?

2018-08-20

anond:20180820040656

かなり拙くて分かりづらいけど前バイオメガについて書いた増田があるからまずURL貼っとく。

https://anond.hatelabo.jp/20160124183345

僕が思うにデビューからシドニアまでの弐瓶作品で起こることは作品が違えど同一世界の出来事だと捉えている。そしてBLAME!世界シドニア世界はがっつり分断されている、まるで違う。

過程のうえでBLAME!で描かれていたような世界が滅びシドニア世界が生まれターニングポイントがあって、それを描写したのがバイオメガなんだと思う。

先の増田で書いたようにバイオメガはしぶとく生き延び世界支配しようとするガウナの脅威や、庚造一の旧態依然とした態度と新世界様相を対比することでなお強調される、合成人間という存在の拠り所のなさ、そして一貫して人間味を感じさせないアンチヒーローであった弐瓶作品主人公が復物主の世界転送後は唯一人間らしい存在となる関係性の逆転などが見受けられる。メタ的に捉えればバイオメガ後半は舞台をがらりと変えることで自らの作風を逆説的に洗い出す作業だったのかもしれない。

バイオメガシドニアの前日譚だと僕は思っている。復物主の発芽に伴う地球での人類文明崩壊によりシャトル避難したものの成れの果てがシドニアに出てくる人々だと。

そしてフニペーロと造一の共闘やフニペーロとニアルディの対峙する様はシドニアストーリー示唆している、というかシドニアデモストレーション意味合いがあったように見える。(加えて言えばABARAで描きたかったものBLAME!世界ハルマゲドンかもしれない、するとその点でバイオメガ前半のデモ版といえるのではないか。)

ガウナの復物主ももとは何らかの思念体でそこに植物に近い驚異的な力を持った肉体が付与された生き物なのだろう。

ニアルディが復物主に融合しようとしたり吸収されたりしたのはニアルディが思念束という相手意識に入り込める能力を持っていたからで、思念体を乗っ取れば自由自在という目論見が逆に自分相手に乗っ取られてしまったというわけだ。

シドニアでエナ星白やつむぎが誕生できるのも、シドニアに出てくる人型生物植物に近い肉体を持っていて、ガウナとの肉体の親和性の高さから思念を共有することが可能だったってことなんじゃないだろうか。

バイオメガの大筋はDRFという世界征服を狙う悪徳企業の討伐で、世界が復物主の物になっても幅をきかせているDRFボスニアルディ(とそれを吸収して操る復物主)」を復物主の子であるフニペーロの力で倒すというオチなのね、多分そう。復物主とフニペーロは同じものから出来ているから融和した。造一との旅でフニペーロは強くなってたから復物主の思念体が飲み込まれて消えた。僕はそういうことにしている。

なんにせよ僕が確信するのはバイオメガを描いたからこそ、弐瓶勉はシドニア以降のスタイルに移行できたのではないだろうかということだ。

とりとめのない妄言になってしまって申し訳ない。

2018-07-30

anond:20180729014659

別に全文読まずに批判してもいいんじゃないかな。的外れで若干アホに見られるけど。

もちろん、はてなー賢明なみなさんは少なくともこの部分は読んでいるはずですよね。

 リベラルメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽ものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育目的のはず。「生きづらさ」を行政解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。

 例えば、子育て支援子供ができなカップルへの不妊治療税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分がありますしかし、LGBTカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政LGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

ただ、はてなーの中には次のような才能をお持ちの方がいらっしゃるようです。

そんな豊かな才能をお持ちのはてなーのみなさんがコチラになります

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/yumi_suginami/status/1023061159501426688

2018-07-20

anond:20180720180641

霊体というのが思念(なんだそれ)により可視化されるものだとするなら、死んだ瞬間に自己認識していた自己光学モデルが場に記録されるんだろ。

もしくは周囲の物体に反射した光から光学モデルが造られるのかもしれない。

いずれにしても着衣や乗り物などが一緒に霊体化されるのは割と自然なのではないか

2018-07-12

anond:20180712154511

「死んだ人の迷惑も考えろ!」

お供え物にこもった思念霊界転送するのにも霊力がかかるんだぞ!」

ってことかな?

2018-06-10

佐久間まゆ」を好きになってしまうことは、ズルい。

これは俺が自分自身への戒めとして考えたことであって、

全てのP達への侮辱批判の類では一切ないが、

佐久間まゆ」を好きになってしまうことは、ズルい。

彼女は”一目惚れ”と”運命”を理由に、すべてを投げ出して俺達の元へ来た。

そう、そんな理由で俺達を愛してくれるのだ

一途に、献身的に、盲目的に、ひたすらと。

俺達は何も考えられなくなって、瞬く間に彼女に惹かれてしまう。

底なしの泥濘だ。足を取られたら急激に沈む。

もがく気すら起きずに沈み続ける。恐らくは恍惚に。

さて、俺達はどうしてこんなにも彼女に惹かれてしまうのだろう?

彼女の魅力を一言で表すなら、”無償の愛”だ。

彼女盲目的に俺達のことが好きだ、愛してくれている。

から俺達がどんな外道だろうと、歪んだ性癖の持ち主だろうと、

精神疾患を患って無職ヒモになろうと…とにかくなんであろうと、

持ち前の無償の愛で受容し、肯定し、愛してくれる。

例え彼女にとってどれだけ悲しいことを俺達がしようと、

最後には許し、愛してくれる。

これは母性共依存などとは似て非なる、別次元の愛だろう。

極端に狂った愛とも言える(愛は肥大化すると狂う傾向にある)。

けれども、彼女真剣に狂った愛をやってのける。

だが、なぜこれほどまでに彼女は俺達を愛してくれるのだろうか。

常人が人を愛する上では何らかの理由必要だ。

価値観の一致、一定期間の付き合い、魅力がある、信頼関係出産した我が子…etc.

しかし、「佐久間まゆ」が俺達を愛する理由は”一目惚れ”と”運命”だ。

そんなものはハッキリ言って、人を愛する理由とは言えない。

いや、仮にそれを理由に人を好きになったり愛したりしたとしても、

これ程までに無償の愛を捧げ続けられる人間がいるだろうか。

ここが重要点だ。

彼女は明確な理由がないまま、即座に、必ず愛してくれる。

俺達が現実世界でどんな人間であろうと、決して蔑んだりせず、必ず愛してくれる。

気づきだろうか。

佐久間まゆ」は現実存在しない。

社会学校、家庭、あらゆるところで虐げられ、愛に渇望した人間達が生み出した存在だ。

決して否定しない、そのままを肯定し、受容し、無条件に甘美な愛を捧げてくれる…

そんな存在を求める人間が沢山いたんだ。

その思念バンダイナムコ天啓として下った。

そう、それが愛の具現化「佐久間まゆ」の正体だ。

から佐久間まゆ」を好きになってしまうことは、ズルい。

これほどの愛は、そんなに簡単に手に入るものではないから。

愛を愛してしまうと、一生、抜け出すことはできない。

2018-05-29

anond:20180529084514

相手の見えない会話を「迷惑」と感じる人がいるので、クレームを付けるめんどくさい人たちも一定数出てくるのは必然

ならば「お客様神様文化の本邦でこれに対応する人を配置する費用を考えるなら、もうルールとして禁止しよう(自由なんて知ったことか)という人も一定数いる。

以上を踏まえてこの問題解決はなかなか難しい。

思念伝達できる機械の開発が切に待たれる。

2018-05-20

増田哲学 Ver 0.1.3

知と力は共にあった。力とは即ち、新であり「真」なるものを創り出する源である。知と力が光を空を次元時間をそして

それらを構成する万物「真」としたのだ。そして力の源は思念でありその思念本質はあらゆる源と創造によって生じた

あらゆる個における相互補完への渇望である

2018-05-15

防○対策っておかしくね?

防犯対策、防寒対策とかテレビでよく使ってるけど、防犯ってそれだけで犯罪を防ぐっていう意味から防犯対策って逆の意味になってないか

泥棒目線でセ○ム対策みたいな。

あ、安全対策もそうだ。

事故対策とかならわかるけど、安全に対して策を練ってどうするのかと。

なんかアタマ悪そうだから絶対使わないようにしてるけど、こんなこと考えてるのは自分だけなんだろうか。

追記

意外と同意というか同じようなこと思ってる人いるんだね。

やっぱり誤用だとは思うのだけど、浸透してるからいいじゃん的な言い分もわかる。

でも、誤用を堂々としてると「あれ?この人アホなのかな?それともネタ?指摘してあげるべき?」という余計な思念が生まれるので、基本は正しい日本語を正しく使うことはとても重要かと思う。

敷居が高い」とか典型的な例だね。

2018-05-14

自分思考思念哲学、想いその他はきちんとアウトプットしないとだめだと思った。

文章で流すだけでいいから、外に。

じゃないとその考えが正しかったとしても、頭の中で腐って発酵して、当初思った形でなくなってしまうと思う。

2018-05-12

大至急】#metoo案件です

会社上司・同僚・後輩の男性たちの「セクハラ思念」はどうにかなりませんか?

本当に困っています

大至急の、#metoo 案件です

「Hカップだと肩こるから、胸を持っててあげようか」とか

「ぼい~んと、頭を挟んでもらえないかな」とか

飲み会になるともっとひどくて

「一回だけ、一回だけ」とか

「揉むだけでいいから」とか

わざと胸にぶつかってきたり

胸の谷間に小銭落としたりとか

ときにはどさくさに揉まれたりもしてたんです。

ところが、昨年秋、社員セクハラ教育が行われてから

それまでのセクハラが嘘のようにピタリとなくなったんです

安心したのもつかの間、以前に増して

男性社員視線が私の胸に突き刺さるようになりました。

そして、すぐに、男性社員セクハラの念が頭の中に

届くようになったんです。

いや、はっきりと聞こえるんです。

それも、もっともっとヒドイ言葉で。

ピンク色の乳首をナメナメしちゃうぞ)とか

今日巨乳姉妹ちゃんたちは、元気だね。もみもみもみ)とか

(ああ、おれのチ○ポコはさみて~)とか

嘘じゃないんです。本当です。

この文章も、泣きながらトイレで打ってます。本当です!

女性上司にも相談しました。

女性の同僚にも相談しました。

でも、誰も聞いてくれません。

ひどいことに、女性たちからも、

「かわいそ~」(はいはいはい)とか

「大変だよね」(自慢乙W)とか

「男ってひどいよね」(揉ませろ乳牛が! ほれほれ)とか

もう、うんざりです。思念死ねです。

立○民主党の方とか、共○党の方とか

セクハラ思念 禁止!」とか

セクハラ思念 反対!」とか

私と一緒に戦ってくれませんでしょうか。

日本死ね」の山○○○○さんが味方になってくれると嬉しいです。

セクハラ思念死ね」って。

ちなみに私は、Cカップの男性です。ホ○ではありません。

2018-05-11

大至急】#metoo案件です

会社上司・同僚・後輩の男性たちの「セクハラ思念」はどうにかなりませんか?

本当に困っています

大至急の、#metoo 案件です

「Hカップだと肩こるから、胸を持っててあげようか」とか

「ぼい~んと、頭を挟んでもらえないかな」とか

飲み会になるともっとひどくて

「一回だけ、一回だけ」とか

「揉むだけでいいから」とか

わざと胸にぶつかってきたり

胸の谷間に小銭落としたりとか

ときにはどさくさに揉まれたりもしてたんです。

ところが、昨年秋、社員セクハラ教育が行われてから

それまでのセクハラが嘘のようにピタリとなくなったんです

安心したのもつかの間、以前に増して

男性社員視線が私の胸に突き刺さるようになりました。

そして、すぐに、男性社員セクハラの念が頭の中に

届くようになったんです。

いや、はっきりと聞こえるんです。

それも、もっともっとヒドイ言葉で。

ピンク色の乳首をナメナメしちゃうぞ)とか

今日巨乳姉妹ちゃんたちは、元気だね。もみもみもみ)とか

(ああ、おれのチ○ポコはさみて~)とか

嘘じゃないんです。本当です。

この文章も、泣きながらトイレで打ってます。本当です!

女性上司にも相談しました。

女性の同僚にも相談しました。

でも、誰も聞いてくれません。

ひどいことに、女性たちからも、

「かわいそ~」(はいはいはい)とか

「大変だよね」(自慢乙W)とか

「男ってひどいよね」(揉ませろ乳牛が! ほれほれ)とか

もう、うんざりです。思念死ねです。

立○民主党の方とか、共○党の方とか

セクハラ思念 禁止!」とか

セクハラ思念 反対!」とか

私と一緒に戦ってくれませんでしょうか。

日本死ね」の山○○○○さんが味方になってくれると嬉しいです。

セクハラ思念死ね」って。

ちなみに私は、Cカップの男性です。ホ○ではありません。

2018-02-22

最近、頭が痛かった

最近、頭が痛くってさ、早退したり、休日は家でずっとベッドの中で寝ていた。

せいぜい、休みの日に家を出るっていったら、歩いて徒歩5分のコンビニ弁当を買うぐらい。いつもおにぎりサラダを買っている。あわせて300円にもならない食事。そんなことはどうでもいいか

でさ、流石にずっと寝てるから、することが無くて困ってんの。まあ、最近テレビを点けてオリンピックをダラダラ見てるぐらいかな。オリンピックは良いよな。一日中ずっとやってるし。CMも無いから。せいぜい、他の国同士の団体競技をもう少し見たいって思うぐらい。

それがここ数週間の俺の休日

仕事の日はもっと辛い。

ガンガン痛い頭の痛みやときどき現れるふわふわした気分を抑えながら、データ入力をするのが俺の仕事だ。単純作業だけど、正確性が求められるのでこの状態だとかなりキツイぶっちゃけ俺じゃなくても誰でもできる仕事だ。だから、俺が不能だと分かったら、さっさとクビにするだろうな。会社の中で死んだりでもしたらメーワクだから

こんな状態毎日続いていたんだが、どうやら、俺はいわゆる残留思念に取り憑かれているらしい。

説明は難しいが、こう、急に分かった感じがするんだ。パズルピースが嵌ったような気分。もしくは数学概念理解できたような。

とにかく、俺には残留思念のせいでこんな状態になっている。

昨日、快挙と言っていいと思うのだが、残留思念対話することに成功した。対話というより通信のほうがいいかもしれない。よくマンガとかで出てくる「こいつ、直接脳内に……!」みたいなアレ。あれは読者が日本語ベース理解しようとするから日本語で書かれているけど、実際に言語でやり取りはしていない。ぼんやりと分かるようになるぐらい。残留思念は無口だ。これは俺の場合だけどな。

その残留思念通信してわかったのだが、俺に残留思念を送りつけたのが、仕事場所で俺の隣りにいる横田らしいんだ。

横田は勤勉だし、性格も良いから、頭が痛いとぼやく俺のことをいつも心配してくれる。もちろん、他の同僚たちにも気を配る優等生だ。仕事もよくできるので周りの評価も高い。

そんな横田がなぜ、と思ったのが最初感想だ。そこで、横田残留思念を送ってきたのか理由通信した。

しかし、残留思念にも分からなかった。いくら残留思念でも、創造主の頭までは侵入できないのかもしれない。

仕方が無いので、今日出勤してきたときに俺の残留思念の一部を横田に送りつけてみた。ちょっと横田の脳に触れる感じ。

すると、面白いことが起こった。

残留思念の一部が横田の脳に攻撃すると、そこからどんどん別の残留思念が出てくるんだ。耳、鼻や口とか穴の中から出てくるんだ。というか、俺は残留思念を感知できるようになった。

俺の会社では毎日朝礼があって、部長の朝の挨拶の間でもずっと横田残留思念を垂れ流しにしていた。心なしか横田の影が薄くなっているような。でも、みんな横田異変には気づいていない。

おそるおそる、俺は横田に気分が悪そうに見えるが大丈夫かと尋ねてみた。

横田は一目俺を睨んだだけでなにも言わなかった。誰が残留思念を送ってきたのか分かったのかもしれない。

朝礼が終わると、横田はすぐにトイレに向かった。俺もこっそりついていった。

トイレの個室で横田は小さくうめき声を上げた後に、声は止んでしまった。

その後、俺は横田を見ていない。

休みを過ぎても横田は帰ってこなかった。

横田の隣の席の横横田と話していると、ある核心的事実がわかった。

横田は体のほとんどが残留思念でできているってことだ。

なぜそれがわかったって?

横田残留思念に取り憑かれているからだよ。

いったん、残留思念に取り憑かれると空気中を漂う他の残留思念が体に集まりやすくなるようだ。体の許容量を超える残留思念が溜まるとそいつ消滅する。

横田もすでに許容量の半分ぐらいがすでに侵されている。

ふつうは、残留思念が集まるといっても1思念1ヶ月ぐらいのペースぐらいが平均みたいだが、横田は異常なスピード残留思念が集まってしまったと教えてくれた。きっと、社内外問わず広い交流をしていたからに違いない。

残留思念が多すぎるとふとした拍子に残留思念漏れ出てしまうことがあるらしい。それが俺の中に入ってきてしまったというのが横横田の仮説だ。

では、どうすれば残留思念を追い出せるのかと聞いてみたが、それがわからないと返ってきただけだった。一方的に溜まっていくだけで今のところ防ぎようがない。

今は1思念だけなのでまだまだ許容量までには十分余裕がある。

しかし、いずれは自分の体が残留思念でいっぱいになってしまうだろう。

気がつけばここ数週間の頭痛は治まっていたが、別の頭痛の種が発芽してしまった。

2018-01-16

新たな文章練習法について

 文章サボり過ぎている。頑張ろう。

 文章トレーニングのための新機軸練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字共通している単語を書きまくるというものである赤ちゃんあんこアンダンテアスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当単語を書きまくっている内に――つまり無秩序単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。


 例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。


 ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。


 そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。


 例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。」

 やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまり文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ適当文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章価値根本存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナル文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。

 というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれカフェイン効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分

 あいうえおあんこアンダンテ、秋、憧れ、有馬記念阿久津主税八段(将棋棋士)。


 以上の文章文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。


 ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒー純粋作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェイン所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。

 基本的に俺という人間人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワ運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実存在するのであれば全国の小説家廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病存在するのだとすれば全国の作家及びキーボード日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。


 こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェイン所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。

 しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間心理的ハードル技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードル心理的ハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。

 ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプ人間なのだ俺は。つまり自分心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまタイプ人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり自分が書いた文章最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分心理的技術ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェイン所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタ楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。


 ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティングハイ的な状態になっているのだ。それがカフェイン所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェイン摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。


 ところでアレですよ、最近「なろう小説」というもの流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。

 この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界主人公稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説ジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトル作品推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。

 で、俺が言いたいのはそういう稀有面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字文章生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間ゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたか西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインブースト心理的技術ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピートリピート。繰り返すことが人間心理的ハードル技術的なハードルを下げ、人間効果的な文章トレーニング提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。

2018-01-09

anond:20180109080943

精神世界存在するよ。

思念波っていうのかな、人間の心の力って目には見えないけどあるんですよ。

例えば、なんか胸騒ぎがすると思ったら嫌なことが起こったとかあるでしょ?

あれは精神世界からメッセージなんだよね、「気をつけなさい」っていう。

別に信じなくてもいいけど、そういう態度だといつか困る時が来るよ。

2017-12-04

けもフレと関連した事件から見えた私

わたしは夢を持ったことがない。おそらくない。あるとしたら、物心つく前の、幼少期のほんの思い付きくらいだろう。

わたしは親の敷いたレールに乗せられて、さすがに順風満帆とは言わないでも、成長した。

成長した私は、鬱になった。わたしアダルトチルドレンで、両親はいわゆる毒親だった。

はいえ、それはもうどうしようもないことなので、本題に移りたい。

わたし経験哲学というものがすきだ。にわか仕込みではあるが。

なぜなら、わたしは「われ思うゆえにわれあり」という文言が大嫌いだったからだ。

この問答に終わりはなくて、結局なんらかの「真理」めいた『目標』が必要になる。

それが嫌だった。夢のないわたしはその『目標』が持てなかった。

から経験哲学に傾いた。あるいは、この言葉を使うのは間違いかもしれない。

なによりにわか仕込みなのだから。とはいえ、便利だからこの言葉を使うことを許してほしい。

経験哲学においては、「わたし」とはわたしについてのあらゆる経験が「わたし」を作る。

わたし」を見る瞳、「わたし」を想う誰かの思念。そういったものが、「わたし」という存在肯定する。

まりは。

『みんながいるから「わたし」がいる』のである

そういう論理で、わたしは生きてきて、わたしを作るほかのひとを愛していた。

そして「けものフレンズ」に出会った。

けものフレンズ」は優しい世界だった。

じゃぱりぱーくにいるのに理由はいらない。なぜならそこはみんなの家であるから

じゃぱりぱーくにいるのに目標はいらない。なぜならそこには家族いるから。

フレンズフレンズ肯定し、家族として愛し合う。助け合う。

それはわたし理想で、わたしのハマった経験哲学もどき体現した世界だった。

きっとこの作品を見れば、みんなもっと優しく生きられると確信した。

けれど、現実は違った。

わたしはすぐに目を背けるようになったから、子細は知らない。

誰かしらのエゴで、「けものフレンズ」の世界にはもはや陽が射さなくなった。

ことの原因を作ったエゴの持ち主にも、猜疑心に踊らされているファンにも、悲しみさえ覚えた。

こんな優しい世界を潰し、その上その世界が教えてくれたものすら忘れてしまっていることが、悔しかった。

けれど、いまになって思えば、こんな事件が起きなくても、怒りに飲まれファンでさえも。

けものフレンズ」のことなんて忘れて、同じことを繰り返していくんだろうなぁ、と。

作品が人に与える影響力なんで、ほんのちっぽけなものしかないと思ってしまった。

今だから言おう。

わたしは「けものフレンズ」を見て、こんな優しい物語を作りたいという夢を持てた。

それがかなわないのであれば、せめても誰かを助けられる仕事に就きたいと思う。

けものフレンズ」のちっぽけな影響力は、けれどわたしには届いた。

から今度は、私が届けたいと思う。

2017-11-12

anond:20171112024439

そもそもこの世のうちいくらかは人間粘着質な残留思念で出来ているので我々は寝逃げするのだろういずれにせよ増田でお前が日記の中心になることは是からも無いことは我々粘着ドリブラーストレス発散粘着によって規定されているの

2017-09-26

anond:20170926145908

それを防ぐためにトップ経営思念で枠を作り

それにはみ出す、違反する人間を追い出すことに正当性を持たせないといけない

役員たちの仕事会社が不健全にならないようにする管理者としての役目がある

だのに、役員を猿大将にするからおかしなことになる

そして役員を選んだのもトップ責任

 

まり究極的に言えばカドカワトップ意向組織意向

日本ダメなのは決定権が最終的に誰に集約してるのかをハッキリ認識しないこと

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