はてなキーワード: 麻布とは
「タワマン文学」って、Xで垂れ流して一見実話かのように見せ掛けるからバズるのであって
最初からフィクションとして出されていたら作者の偏った思想を一方的に聴かされてるも同じで何の面白味もないと思うんだが
こういうものが持て囃されて直木賞を取るようなら、ますます時代は自分に合わなくなったんだなーって感じ。
歳を取るとエンタメがつまらなくなると言われているの、よく分かる。
かといって今更子供を産んで「2周目の人生」を生きるなんて出来ないので、つまらないと思いつつもダラダラ生きるしかないんだけど。
“タワマン文学” 麻布競馬場さんが描くZ世代の本音とは | NHK | WEB特集
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240716/k10014512681000.html
パリピ孔明に「民草」という言葉が出てきて、 おそらく意味としては 「何の才能もなく平凡だが、毎日を一生懸命に生きてる人々」 みたいな意味なのだろうが、 最近、どうもこの言葉に嵌ってる。
http://blog.livedoor.jp/advantagehigai/archives/66112831.html
という記事を見つけたのだが、ここでは開成と麻布の対比として、 仮に両方とも、10の努力をすると100点をとれるとすると、 開成生は12の努力をして120点をとりにいこうとするが、 一方で麻布生は8の努力をして100点を狙う省エネ戦法で行くのかというと それどころか3の努力で80点を取りに行く精神性があると書いてある。 だから麻布生はトップ(国王)になれないのだ、ということだ。
これは中学受験にも問題があり、 麻布の入試は明確に、3の努力によって80点をとれる子を選抜している。 麻布の入試はよく、対策不能と言われるが、 そういう、ゴリゴリに努力したとてとれない問題を出すことによって、 超地頭キッズを選抜しているのだ。 偏差値では足りてたけど、落ちたという場合、 それはたぶん、地頭が足りなかったのだ。
麻布生はまさに「民草」とは真逆にある存在だ。 それ故に、おれは民草という言葉にハマってるのだと思う。 民草は、12の努力をしても30点しかとれない人たちのことだろう。 ガイジすぎて笑ってしまう。 まさに草だ。
さて、民草という言葉に最近おれが突然ハマり始めたもう1つの理由はおそらく、 最近になってようやく民草というものの存在に気づいてしまったからだと思う。 何を言ってるかというと、おれは民草の存在を最近まで感じたことがなかった。
おれが通った幼稚園は少し特殊で、その中でもよく遊んでいた子に TくんとNくんがいるが、ともに早稲田と慶応に進学したと聞く。
小学校は公立だが、今思い返すと、「あきらは特別だから」と先生に言われていて、 その時は何のことかわからなかったが、今思うとそういうことだったのだろう。
おれの親は早期教育に反対していて、3年生になるまでは家庭学習は一切しなかった。 そのため、学校の成績はそれほど良くはなく、この前たまたま押入れの中から当時の成績表を見たが、 それはまぁ、ひどいものだった。
3年になると家庭学習も多少やりはじめ、そうすると成績が一瞬でトップクラスになり、 秋には地元の最難関中学受験塾に合格してしまった。 ここの塾に入るための試験はかなり難しく、かなりの子が国立や私立の小学校か、 あるいは低学年向けの講座でゴリゴリに仕上げてきた子だった。 一方でおれは学校の勉強ではトップクラスだったものの 中学受験の勉強はしてなかったので不利だったが、 試験中にすべてその場のノリで解いた。 問題はパズルのようなものが多く、そもそも麻布栄光向きの子を 選抜するための試験だったので、それもおれには向いていたのだと思う。
入塾してからも一気に成績を伸ばし、 4年の秋には四谷大塚の組分けテストがあったが、 ここでも無事C会員に合格。 C会員の世界だと半分くらいは御三家に合格するから、 ざっくりいうとこの時点で麻布や栄光に行けることはほぼ確定した。 その後もそれなりに勉強はしたが、陸上部のキャプテンとして陸上大会に出場したり、 自らミニ四駆部を立ち上げたり、デジモンの転売業をやってボロ儲けしたり、 3以上の努力はしなかった。
結局、無事に麻布中学に進学し、超地頭キッズたちと楽しく6年間過ごした。 その後の大学受験は、高3の時に受けた鼻の手術がまずくエンプティノーズになったために残念ながら破綻したが、 あれがなければやっぱり3の努力で東工大に進学してたと思う。 おれは、東工大で一番になり、MITに交換留学することが夢だったのだ(英語だけはそれなりにやり準一級までとってたのはこのため)。 結局その後京大に行ったが、 やはり民草とは程遠い世界だった。
新卒で入った日立製作所も、周りには修士以上が応募条件なので、 やはりここでも民草には会えなかった。 実のところ、それ以降の職場でも、特殊な場合を除くと全員修士以上だった。
民草に出会ったのはようやく最近のことだ。 修士号もないやつがエンジニアリングをやるということが おれにはどういうことなのかさっぱりわからないのだが、 とにかく、民草学歴であっても、自分なりに創意工夫してエンジニアリングっぽいことをしてる 人たちがこの世には存在するということがようやくわかってきた。
まぁ、存在することはわかったとしても、 どうして彼らが自殺しないのかがよくわからないのだけど。 何が楽しくて生きてるの?
ユニークな立ち位置にあるラーメン屋。 ゆずのいい香りがラーメンとよく合う。もはや語る必要はないだろう。
暑いときに入店。冷やし系のラーメンを注文するも温度ムラもありぬるくて話にならない。これが常態化してるなら優良誤認と言っていいと思う。問題が従業員にあるのか商品開発にあるのかはわかりかねるが、味付き牛肉がとにかくぬるかったので豚の冷しゃぶに変えるなど温度を下げる方向で商品開発すべきだろう。
あったかいラーメンが食べたくなる頃合いになったらもう一度来店しようと思う。味の善し悪しはまあ特に気にならないのでこっちなら問題なく食べられるはずだ。
しょうゆ豚骨を久しく食べておらず懐かしさすら感じる美味しいラーメン。久しぶりだったので鼻腔を突く獣臭さに驚くものの、久しぶりのとんこつラーメンは美味でした。
魚介だしの効いた人気店。毎日使う魚が変わる。ラーメンの後に食べる焼きおにぎりがいい。スープにほぐして〆る。個人的にはみょうがの薬味が大変良かった。
ホタテのダシを取っているラーメン屋。入店時からホタテの香りがすごい。うまかった。
現代的な内装外装と味わいが程よいラーメン屋。オススメはつけ麺。でも私は醤油が一番いい。二郎とか家系を敬遠してる人には特にオススメ。
味玉とチャーシューとメンマとネギと三つ葉のオーソドックス、鳥と昆布のスープ、全粒粉入り麺がうまい「そうそう これでいいんだよ」をアップデートしたかのようなラーメン。デイリーユースですすれるしつこくなくもたれることもない味が良い。
別日にて再来店。今度は塩を注文する。チャーシューと小ねぎと岩のりのバランスがよく、柚子の皮もひと切れ入っていて風味も良い。トッピングでのりを頼んだが5枚80円は今どきなかなかのコスパ。
しいて欠点を言えば大盛りは量が多くて良いのだがスープの量とのバランスが崩れて食べ終わる頃にはほとんどスープが残っていない状況になる(麺が伸びたわけではない)これは食事中麺をほぐしづらくスープも絡みづらいということ。原因はどんぶりの形状である(というと大抵のラーメンヲタクならわかるだろう)から、おとなしく並を頼むのがいいだろう。
関東エリア全体で見ても頭2つくらい抜けてる旨さ。記帳製かつ短時間営業なので土日祝で確実に食べるなら開店1時間前には待機する覚悟を持つべし。リターンは余りあるので安心してほしい。平日も待機列はできてるけどあまり待たなくてもいい、しかしそれでも早めに食べに来ることをオススメしたい。
オーソドックスなしょうゆと塩ラーメンを提供している。店の並ぶ通りの雰囲気から楽しめる立地であり、そこから提供されるあっさりとした口当たりのラーメンはふらっと立ち寄るにはちょうどいい。
小手指駅前通りに位置する味噌ラーメンと中華そばを主体とするラーメン店。味噌と言っても強烈なThe・ミソというものではなく、まろやかで角がなくはっきりとした指向性の味を持たないもののそこに通底する味噌の奥深い味わいはこれもまた味噌ラーメンの系譜なのだなあと思わせるには十分である。余談だがここの立地は過去に花月嵐も入居していたことがあり、ここ10年で数店舗ラーメン店で入れ替わってきている。
麺屋幸生に向かう途中ミスドのある丁字路(以前はここに西友の旗艦店である小手指店があったが惜しまれながらも閉店した)を左折し、直進するとファミリーマートのある交差点にぶつかる。ここを右折しファミリーマート沿いに進むと1分もしないで到着する穴場ラーメン店。魚介系、自家製麺、ほろほろチャーシューで旨いのは確定だが、ここのラーメンもハッキリとした塩味を感じさせず、どこかさっぱりとした食後感があってたいへんおいしい。
所沢駅を出てプロペ通りを直進した先にある旧ダイエーそばにある。ここの店もあっさりした味わいのしょうゆラーメンと鳥白湯ラーメンを提供している。オススメは鳥白湯。
wakatte.TVというYoutubeチャンネルがある。 おれがもっとも好きなチャンネルだ。 Youtubeチャンネルはどれも面白くないが、 wakatte.TVだけは面白い。
wakatte.TVとはどんなチャンネルかというと、 街中で学歴を聞いて、それをバカにするチャンネルだ。 正確にいうと、 見知らぬ人に出身大学の偏差値を聞いて、 それを元にした企画をするチャンネルだ。
学歴ブラックジャック: 偏差値の10の桁を使ってブラックジャックをする
学歴ボーリング: ボーリングがよくわからないのでよくわからないが、偏差値でボーリングをする
学歴ゴルフ: 箱から質問を引いて、それにより学歴を当てる。3打でパー
天国と地獄ゲーム: 高校と大学の偏差値の落差の大きい方を引いた方が勝ち
学歴エンジェルフォール: 男と女の学歴差が出来るだけ大きいカップルを引いた方が勝ち
キャンパス調査: 地方大学に行ってその大学の人を低学歴やなーとバカにする。これは面白いので、もっと色々な大学に行ってほしい。灘と開成に行ったのだから麻布にも行ってくれ
説検証: 高学歴ほど童貞が多いとか、法政の人に第一志望はいないとか、ありそうな説を検証する
街中で学歴を聞いて、 京大中退の狂人高田ふーみんが「そんなFラン大学によう行けるな。恥ずかしくないのか」とバカにして、 早稲田出身のポンコツびーやまが「ヤメロオマエ」と突っ込むのがパターンだ。 このヤメロオマエはなかなか癖になるツッコミで、視聴者であるはずのおれも、 ヤメロオマエと突っ込むようになってきた。偏差値の高いツッコミだ。 中国でリンチされてた時に生まれていたら面白かった。
正直にいって趣味の悪い番組だと思う。 誰しもが自分が誇れる大学に行ってるわけではないのに、 なんや知らんメガネの曇ったデブにFランだ高卒だとバカにされ、 自分だけならばまだ良いかも知れないが、自分の彼氏や彼女の学歴をバカにされることもある。 ふーみんが今のいままで五体満足なのが信じられない番組だ。 ふつうは、手が出るところだろう。 しかし逆にいうと、学歴をバカにされて一緒にはははと笑っていられるような芯のない人間だから しょうもない大学に行ってるんだと言うことは出来るから、 もしかしてそういうことも見越して、意外に安全な企画になってるのかも知れない。
wakatte.TVのすごいところは何かというと、 偏差値という数値に対して、新しい見方を与えたという点だとおれは思う。 偏差値を他人と比較したことは誰でもあると思うが、まさか 10の桁を使って加算する人間が現れるとは思わなかった。 これを許すと、この汎用的なただの数値を利用して無限に企画を作ることが出来てしまう。 waktte.TVのコンセプトを考えた人間は天才的だ。
しかしおれは、偏差値に対して別の解釈を与えた人間をもう一人知っている。 ルシファーだ。 ルシファーは、偏差値を足し算するほど奇抜ではないが、 偏差値や学歴という概念を学校以外のものにも応用した偉人だ。 さきほどおれは、偏差値の高いツッコミだと言ったが、これもルシファーの手法を真似たにすぎない。 彼は他にも、料理に対して学歴を聞いたりすることもある。 共感覚というのがあるが、彼の場合は、あらゆるものが学歴に見えているのだろう。
もし、wakatte.TVとこのルシファーが共演することがあったら、相当面白いはずだ。 共演によって、偏差値に対して新しい解釈が生まれるかも知れない。ヤメロオマエ!
おれは今、こどおじをしている。 反ワク活動の結果社会から排斥されてしまい、 もう自活して生きることが経済的に不可能になったからだ。 しかしおれは反ワクを辞めない。 それがおれの生き方だからだ。
麻布高校の同級生が、40歳になったということで集まってパーティをするらしい。 食堂を貸し切って。 麻布高校の卒業生には強い母校愛がある。 みんなで思い出の校舎に集まって、今の状況を語り合うのはきっと素晴らしい日になるだろうと思うが、 おれは不参加に投票した。 第一に、おれは底辺の者でありこどおじであり、他のエリート同級生たちに合わせる顔がないから。 第二に、おれの反ワク活動をいじられる可能性があるから。また逆に、気を使わせたくもない。 第三に、ワクチニストが多すぎるから。
しかし、ふと考えると、もしかしたら今回会っておかないと もう一生会えなくなるやつもいるんじゃないかという気がしている。 一番大きなファクターはワクチンによるファだが、 仮にそれを抜きにして議論しても、 めちゃくちゃざっくりいうと、300人の同級生は統計的にいえばこれから1年に1人弱くらいの 勢いで死んでいく。
そもそも、統計的にいえばそもそも40歳になるまで生きられる確率すらたったの98%しかなく、 2%は死んでいる。300人の同級生でいえば6人は死んでいることになる。 とりわけ、麻布高校の出身者は知能が高い人間が多いから、おれのように社会に順応出来ず、 シャカハメされた結果自殺というパティーンや、 エリートサラリーマンになった結果ストレスで体を壊すとかも少なくないのではなかろうか。 おれが知らないだけで、死んだやつはいるかもしれない。
ワクチンに関しては、意外なことに打ってるやつが大半なのだが、 海外出張や海外での活動があるから打ったというケースがかなりある。 この点については、底辺の者で救われたと思う。 日本に戻ってくるためには3回接種が必要だったから、 駐在エリートになんかになってたらワクチンして IgG4がハネて確定で免ファされてた。 ワクチンのことも考えると今後、麻布の同級生はこれからかなりの率で死んでいくのではないかと思い、 やはり参加しておくべきかとも思ったが、 頭の弱いやつに反ワクをいじられたら喧嘩になってしまうのでやっぱやめた。 おれは今日、ベンチプレス102.5kgを5回した。
ところで、最近は自殺のことをよく考えるようになった。 理由は、もうこの世界に興味がないからだ。 この世界のことはもうよくわかってしまった。 この世界で大事なことは2つある。 1つは、お金持ちの家に生まれることだ。 経済的な成功に限っていえば99パーセントは生まれで決まっていると思う。 日本は、その他大勢の人間にとっては共産主義に等しい。 もう1つは、IQ100に生まれることだ。 社会においては、大部分であることが正義になる。 そのことはワクチンでよくわかった。 ワクチンの正しさや誤りなど、誰も気にしていないのだ。 ワクチンをみんなで打つことがもっとも大事なのであって、 ワクチンの危険性を見抜いてしまうような賢い人間は 社会不適合と見なされてしまう。 とてもおかしなことだが、これは事実だ。
あまりに馬鹿馬鹿しく、生きる気がうせた。 おれがテレビを見たくない理由は、知的障害者を見たくないからだ。 醜くて頭が悪そうな顔を見ると、吐きそうになる。
子供でもいれば、子供が育つまでは泥水をすすってでも生きようとでも思うのかも知れないが、 おれには子供はいないし、今すぐに近くの森に行って首を吊ったとて、 親が悲しむくらいで、それ以上のことは何も起きない。
しかし、あと2年くらいは様子を見てみようかと思っている。 ワクチン薬害がゴリゴリにハネてきたからだ。 今日も村島未悠という若い女が、体調不良で当面休養というニュースがあった。 ワクチンだろう。スパイクタンパクはエストロゲン受容体を結合することがわかっている。 だから乳癌、子宮癌、白血病が増えているのだ。 女ホルがかなり高い女だから、きっとスパタンにファックされたのだろう。
こんなのもあった。よしよし。
間違いなくワクチン薬害は若年化してきており、今後数年で国民のかなりの数がファされる可能性は十分にある。 おれは、6000万人死亡を予想しているが、確度としては5割以上はある。 そうならないためには、免ファされた場合でも時間が経つと回復するという楽観的な仮説が成り立つことが必要なのだが、 今起こってることは明らかにそれを示していない。 むしろ、免ファは確実に進行している。
IQが80-120しかない知的障害者はワクチンの毒性を見抜けないから打つ。 裕福な家にたまたま生まれた人間やたまたま事業がハネて金持ちになっただけの人間は 自分のポジションを守るために必ず打つ。 だから、ワクチン薬害がハネれば、この国はおれにとってパラダイスみたいな国になる。 ワクチン頼むぞ!!!差せ!!!!!差せ!!!!!!
おれは、知的障害病の患者だ。高2の時に発症し、 それから今まで約20年間、ずっと苦しみ続けてきた。
知的障害病の主な症状は、その名のとおり、知能の低下だ。 またそれに付随して、精神状態の悪化、健康の悪化も引き起こす。 恐ろしい病気だ。 真の病名や治療法については、いつか話すことがあるかも知れないが、 約束は出来ない。
知能の低下についていうと、 まずIQを推定で50ほど下げる。 主に障害される能力は、ワーキングメモリーと単純記憶であり、 これは受験的な能力に直結する。 これがおれが大学受験と競技プログラミングで失敗した理由だ。 もちろん、精神と健康の悪化による影響も大きかった。
この病気になった時点で、東大受験は諦めざるを得なかった。 記憶力と計算力がなくなったからだ。 今思うと、 中学から好きでやってた英語は強かったので そこまで悲観することもなかったかも知れないが、 国語で明らかに不利になることを考えると、 断念せざるを得なかった。
おれにはもともと膨大なワーキングメモリがある。 最近では、これが算数のトレーニング法として認知されているようだが、 おれが中学受験の時にやっていたのは、問題を頭の中で解く遊びだ。 なぜこんなことをしていたかというと、囲碁や将棋では頭の中で考えるのに、 算数だけは紙に書いて考えるというのでは、 考えるの意味が矛盾すると考えていたからだ。 最後まで解法を読み切り、それから答案に着手する。 自分でどう考えたかもわからないほどに 一瞬で読み切った時には脳の中に電撃が走るような感覚があり、これが快感であったことを覚えている。
この状況で、 とにかく出来るだけ勉強せずに行ける大学といえば、 東工大か、あるいは京大くらいしかなかった。 それより下の大学に行くくらいならば、死んだ方がましだという考えだった。 韓国にはSKY or dieという考えがあるらしいが、 これを日本に言い換えると東京一工 or dieとなるだろう。 そういえば最近、アジアンドキュメンタリーというところが出してる 「SKYに届け!韓国受験戦争」という映画を見たが、かなり面白かった。 行ったことはないが、韓国は面白い国だと聞く。
ところで、人はなぜ、自身の不幸を感じるのだろう? 残念ながら、知的障害病のおれよりも頭が悪い人間は死ぬほどたくさんいるのだが、 なぜ、彼らは幸せそうなのだろうか? 思うに、人は自身の望まぬ人生を生きなければならないと感じた時、不幸になる。 彼らは生まれてからずっと馬鹿なので、今が馬鹿であっても不幸にならない。 一方でおれは、天才だったものが病気によって馬鹿になったので、不幸になる。 こういう理屈だろう。 この意味で、病気は確実に人を不幸にする。
絶望の中、人生を呪い、親を恨み、何度死のうと思ったことか。 しかし、将来的に治療法が見つかることを信じて、なんとか耐えてきた。 容姿が良い方のため、女性関係を持つこともいくらかはあった。 これには精神的に支えられたと思う。 女にはどうやら、男を支える効果がある。 逆も真なのだろうか。 うまく出来たものだ。
まぁなんとか命からがら京大に入ることは出来て、 その頃には、あるいは京都の気候が少し合ってたのかも知れないが、 多少は自身の病をコントロールする術を覚えた。
わかったことは、どうやらこの病には波があり、良い時もあれば悪い時もある。 自身のスケジュールを柔軟に管理し、 調子が良い時に集中して成果を出せば、 平均的には人並みにすることは出来る。 こういう考えで、今まで生きてきた。 独身や仕事のスタイル含め、おれが完全な自由を好むのは、 そもそもおれが麻布京大スーパーフリーダムガンダムであることも関係するが、 そうでないと自身の生活が破綻してしまうからというのも大きい。
こうした自分の考えもあり、 また相手側の考えもあっただろう。 結婚を逃してきた。
おれは、おれの人生をめちゃくちゃにしたこの病を治す必要がある。 もちろん、外科的手術には何度もトライした。 しかし、すべて失敗した。
明日、おれは最後の戦いに望む。 これで最後にしたいという思いがある。
自信はある。 医学のタイムスパンの中では 比較的新しめの理論に基づく手術であり、 2010年頃から臨床研究報告がいくつか出されているが、 これらのうちめぼしいものは大体目を通し、理屈に関しては大体理解した。 おそらく、ベクトルとしては正しいだろう。
外科手術というのは本当に恐ろしいものだ。 今回は相当な侵襲ダメージが見込まれ、動けない時期がしばらく続くはずだ。 筋トレなども、いつ再開出来るか見込みすら立たない。 手術自体も、事故は常に起こりうる。 静脈穿刺で神経を傷つけて手が麻痺したという事例もあったようだ。 また、全身麻酔中に死ぬこともある。 途中覚醒というのも起こり得る。 もちろん、手技自体にミスがあって後遺症が残ることもある。 ノーリスクの手術はあり得ない。 ブラックジャックですら、手術は賭けだと言っているのだ。
怖いが、やるしかない。やるか、死ぬか。 マックスか、死か。 この考えを持つことが重要だ。
手術は成功する。 おれは知的障害病を克服する。 そしたらやってみたいことがたくさんある。 自身の抑圧されていた頭脳を解放してチャレンジしたいこともある。
もちろん、結婚もしてみたい。 出来るだろうか。 とりあえず、今夜は子供の名前を考えながら 明日に備えてぐっすり眠ろうと思う。
大学生のインターンを騙してイベント運営して荒稼ぎしてる反社のフロント企業に籍をおいてたことあるけど
反社も当時はとにかく羽振りがよくて
給料は30万程度だったが取引先に打ち合わせに行くたびに上司がランチ代として10万くれたから手取りは80超えてて、一個千円の凝ったいなり寿司をおやつにパクパク食ってた
幹部が月イチくらいでガールズバーの女子大生を金で集めて乱交パーティー開いてた
近所のバーで芸能人が暴れたらしいって噂が流れたことがあったけど、ニュースみたら海老蔵で笑った
潰れそうな私大にうちの母体が金貸してたから、無理矢理ホームページリニューアルの案件をとりつけて
もともと俺の知らん言語で書かれてた大規模システムを適当にワードプレスで作り変えて学生を困らせた上に3000万ぼったくった
イベント会場で半グレと抗争になって、デカいハンマー持った半グレの構成員を上司がランドローバーで轢き飛ばした
土日もずっと仕事してて睡眠時間4時間くらいだったけど満足だったし楽しかった
今思うと感性ぶっ壊れてたな
普通のエンタメではまったく心が動かなくなって友達との付き合いも全部なくなった
その会社が解散したのと、結婚することになったので普通の企業に転職したが
それから3年くらいは久しぶりに異世界から帰ってきたみたいで日本社会に馴染めなかった
毎日ただ頼まれた仕事をこなして、効率の悪い業務も慣習だからと受け入れて
すごく少ないお金ですごくつまらないものを買って死なないように生きるだけの生活があまりにくだらないと感じた
でもアドレナリン漬けだった脳が回復して刺激を求めなくなるとこれでいいんだと思うようになった
金にならない趣味も本気で楽しめるようになった
少しずつ感性が周りの人間と合うようになって少ないながら友人も出来た