2019-01-02

東大までの受験の思い出

私は、中学受験御三家に入り大学受験を経て東大入学した。

中学受験

動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。

小学校東京郊外私立に通った。いわゆる東京私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスひとつしかなかった。

私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいしかの子好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。

五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任先生相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生一言だけで私は世界が広がった気がした。

学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。

好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家第一志望となった。

塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生塾長奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。

塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。

大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったかお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリ偏差値をいつも取っていた。

そんなこんなで中学受験第一志望の受験日は2月1日受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼ学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任塾長言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。

手ごたえはあった。得意科目算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク

大学受験

東大受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。

はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践たかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。

私が中学の頃に父は長年勤めた会社早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。

幸い有数の進学校には通っていたので、目標東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。

ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間けが過ぎていった。

願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である

余談だが、父は学生紛争東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。

結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験合格者平均を大きく下回っていた。二次試験数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。

大学受験2】

浪人した。親の期待と、自分の意地だけだった。

東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。

私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。

就職浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。

浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。

後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。

この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議二次試験過去問も解けるようになった。

結果からいうと、私は当時の前期日程試験不合格だったが、後期日程で理科一類合格した。

前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要試験が少なく、私の場合はほぼ英語数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。

試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ち試験を終えた。

結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。

こうして私の受験は終わった。

最後に】

小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。

受験競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較しか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分選択からしかまれなかった。

正月受験生たちに、あけましておめでとう

  • anond:20190102063518

    "実際に私も周囲の人間や環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分の選択からしか生まれなかった。" anond:20190102063518 自分も心の底から同じことを感じている。...

  • https://anond.hatelabo.jp/20190102133135

    https://anond.hatelabo.jp/20190102063518 こういう受験した人がそのあとどういう生き方してるのか気になる

  • 東大受験の思い出(文系おっさん篇)

    https://anond.hatelabo.jp/20190102063518 触発されるところがありました。増田にも、コメントにも。 家庭環境など 百姓家の倅です。3人兄弟の長男。比較的小さいころから「下がつかえているか...

  • 京大までの受験の思い出

    https://anond.hatelabo.jp/20190102063518 読んだらわたしも書きたくなったので書く。もう10年以上前の話ではある。 元増田と違い中学受験や私立とは無縁で、片田舎の公立中学、公立高校を卒業...

    • anond:20190102174908

      京大総人を目指してる浪人生です。 増田の文章を読んでとても勇気が湧きました、ありがとう。あと少しだけど頑張ります。

    • 名大までの受験の思い出

      https://anond.hatelabo.jp/20190102174908 東大京大と来たら他の大学も続かなきゃ、と思ったので書く。 頭が良くて、かっこよくて、たぶん好きだった人が名大に入った。自分もその大学で学んで...

    • 京大受験までの思い出

      https://anond.hatelabo.jp/20190102174908 自分のことを思い出した。 もう20年前の話。 親の仕事の都合で引っ越しの多い幼少時代だった。そのせいか内向的で、休み時間には教室に置いてある児童...

  • 大学までの受験の思い出

    …って、よくそんないちいち憶えてるね。 ワタシも京大だけど、受験の時のことなんかほとんど憶えてない。そんなどうでもいいこと細かく憶えてるのってちょっとキモチワルイ。 体育...

    • anond:20190102233735

      ワイも京大やが高校大学は楽しいことなかったから全然記憶にないな

      • anond:20190102234206

        辛かったなら逆に覚えてるはず

        • anond:20190102234400

          横田だが、辛すぎると忘れるらしい。 解離性健忘といってだな。

      • anond:20190102234206

        友達いなかったのか? いればそれだけで高校生活なんか楽しいことだらけだろう。

        • anond:20190102234440

          いなかったやで 部活サークルバイトもしてなかったやで

          • anond:20190102234639

            きっと高校時代の楽しかった思い出と引き換えに合格を手に入れたんだよ。 記憶を悪魔に売ってしまっただけで、増田は本当はリア充な高校時代を過ごしてたにちがいない。。

  • 理三受験の思い出

    anond:20190102063518 こういうの書きたくなるね。自分が頑張ったことは思い入れがある。 微妙に書くところ間違えたので投稿しなおした。 ・小学生 関西の田舎の町立小学校に通っていた。...

    • anond:20190103031755

      正直、めちゃ無茶のめちゃに苦労して、寝る間も惜しんで勉強して二浪三浪して医者になりましたって人より こういう人の方が知識的な信頼は置ける。 人間性はわからないけど…

      • anond:20190103230317

        親からもらえるもので自頭の良さが最高のプレゼントだなあ 容姿と違って努力扱いされて尊敬されるし 年収にしたって600だから中間層以上だ

  • 受験失敗の思い出

    https://anond.hatelabo.jp/20190102063518 https://anond.hatelabo.jp/20190102203653 彼らとは全く違う、良い思い出なんか一切ない失敗談。 時代ごとに語る事なんて全然ないね。進学系の中学・高校に入ってた...

  • 北大までの受験の思い出

    https://anond.hatelabo.jp/20190102063518 こういった大学の話になると、全く登場しないことで(自分の中だけで)お馴染みの北海道大学。きっと旧帝大の中では人権が与えられていないので遠慮...

  • 京大までの受験の思い出(失敗編)

    https://anond.hatelabo.jp/20190102063518 https://anond.hatelabo.jp/20190102174908 ダメだった身で恐縮だけど、見てたら俺も自分語りしたくなったので。 【中学受験】 小学校は首都圏某県の公立に通っ...

  • anond:20190102063518

    北大の人がいたので懐かしくなって自分も書いてみたが、どうやら消してしまったらしい。勿体ない。 だがまぁ見かけたので僕も自分語りなどしてみようと思う。もう20年は前の話なの...

  • anond:20190102063518

    面白そうなので私も書いてみようか。東日本の公立学校出身→東大理Ⅰのケース。 ・家庭環境 電車は通っている、程度の田舎町。父は高校教諭、母は学校の事務員、同居する伯母は小...

  • 大学 3年次編入試験の思い出

    anond:20190102063518 anond:20190102174908 anond:20190103131014 高校時代 同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。 県下一、とい...

    • anond:20190104135120

      高専かと思ったら違った

    • anond:20190104135120

      専門学校から大学への編入っておもしろいな。

    • anond:20190104135120

      専門学校から編入ね?文系か?文系でも大学は出ておいた方がいいよね

    • anond:20190104135120

      専門→理系学部編入というルートが恐らくない。 あるっぽい 2015年度には、同学院から初の理系学部への編入学実績もあり、文理両方の進路選択を考えることもできる。 http://www.sanke...

  • 理一受験までの思い出

    anond:20190102063518 一連の体験談を読んでると生真面目な感じの人が多い気がするけど、東大って割とゆるふわで入ってきてる人も多いと思うのよね。なので、自分の例も書いてみる。 小...

  • 京大受験の思い出

    anond:20190102063518 なんか盛り上がってるので参加させてくれ。 [基本スペック] ややADHD気味で人の話に集中できない。図形脳で言語スキル(特に会話)が弱い。 親は両方中卒で無口、兄貴...

記事への反応(ブックマークコメント)

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん