見終わった感想としては、一度見れば十分で、もう見返すことはないと思った
正直に言うと、これだけ売れている映画を高評価できない自分が悔しくもある
確かに、背景は美麗でリバーサルフィルム(今の若者は知ってますか?)のような発色が印象的だった
他の作画は流石劇場版というだけあって、きめ細かな絵面に見とれたよ
あまり、いい言葉が思いつかないんだけど構図の見せ方も奥行きがあって開放感と爽快感は感じたね
映画全体が「滝君の三葉の2人が出会うためだけのストーリー」という感じがして、それ以外の彗星も過去を書き換えることもすべて添え物のような感じがして盛り上がれなかった
それなのになぜか躍動感が足りない、「軽い」と感じてしまう
今更だと思うかもしれないが、このアニメをみてどこを愉しめばよいのか教えてほしいと強く願う
ところで、口かみ酒エロいね、すっごーいエロいね、どう見ても精子だよね
そんで、瀧くんが3年後しに口かみ酒を飲むのは凄くフェティシズムだね
あと、後半のシーンで三葉が髪をバッサリと切ってそれから頭に赤いリボンを巻いたシーンがありましたね
あの髪型+リボン+制服の組み合わせが最近のアニメで見た気がする
あー思い出せない、思い出せない
確かロボットアニメだったような
客に店を選択する自由があるのと同様に、店も客を選ぶ自由がある。
発達障害を持ち出すんなら、それを配慮する店を選択すれば良いだけの話
「ウチの子は発達障害!だから騒いでも仕方ない!!」ってのはどうだろうね。
店側が危惧してんのは、発達障害の子供が周りの客に迷惑をかけることで客足が途絶えてしまうこと。
男性経験夫一人、年齢差も同じぐらいで親近感沸いたので私の経験を。
産後は、産まれたばかりの赤ちゃんを置いて何てことをしてるんだろうという罪悪感とか、最中に赤ちゃんが泣き出して中断されたりとか、しっかりとした母親にならなきゃいけないって必死だったりして、セックス楽しめなかった。
自分や、人間として自立してる夫より、自分が常に見てなきゃ死ぬかもしれない赤ちゃんのほうが最重要になってるから。
だから、そろそろ卒乳しても大丈夫、次の子供が出来ても大丈夫って状態になったら気持ちよくなったよ。
私は二年かかった。
生理が一年以上戻らなかったし、まず身体が無理だったんだと思う。それくらいまではよく寝てる子供の心音確認したりしてビクビクしてたしね。
まだ痛むとか、生理が再開してないとか安定してないとか、卒乳しても大丈夫なくらい成長してないとか、状態の違いはあるかも知れないけど、参考になれば幸いです。
見てないけど、まあ子供いらんわってなるよね。
なんでみんなそこまで子供欲しがるんだろうね。よくやるわ。理解できない。
こんなこともあろうかと、典型的な反論に対する回答を前にまとめておいた。
というわけで、件のウェブCM見てみました。ちなみに見た時点ではどの批評も感想も読んでないです。
で、見てみたのですが、あまりにも居心地の悪いCMでびっくりしました。
出社前に暗い顔でゴミ捨てに行くお父さん。そんなお父さんに、何かのもののついでのようにケーキやらプレゼントやらを頼むお母さん。お父さんをコマかなんかみたいにしか思ってなさそうなお母さんの姿をみて、この時点で相当居心地悪い。
で、子供のケーキやプレゼントを持っているのに飲みに行ってしまうお父さん。これも見てて後の修羅場を想像してしまい、陰鬱な気持ちになる。お母さんもあれだけどお父さんもあれだな、って感じ。
で、想像通りお母さんは怒る怒る。で、お父さんはお風呂に逃げてしまう。
そしてお父さんはお風呂で、洗い流そうと一言。風呂上がりのお父さんはお母さんに謝り、お母さんもなぜかそれだけで許してしまい、息子も招いて一家団欒が始まる。
……、いや、意味不明。
どの登場人物に共感すればいいのかわからなかったし、そもそもこれがイメージ広告として世に出てること自体に疑問がわく。
お父さんが自分と自分の父を対比させているところも意味がわからなかった。
でも、中途半端でもある。お母さんは夫に対する思いやりも敬意も持ってなさそうなキャラで、この点ではお父さんに同情心が湧く。
けれども、だからと言ってお母さんとのコミュニケーションを諦めてしまっているお父さんにも、子供が拗ねているだけでしかない印象しか持てない。
主要登場人物の二人のどちらにも共感できないまま、お父さんは洗い流すという逃げの一手を打ちますます共感できなくなり、その逃げの一手でしかない謝罪で夫を許すお母さんの心情も全くわからなくなる。
そして最後にはこれの何がポジティブなイメージを連想させるのかという点において広告としての価値すら行方不明になっていく。
で、軽くこのCMの批判記事と擁護記事を見て回ってきて、どちらの派閥のいうこともそういう見方もできるという程度にはわかるものの、批判派の女性VS擁護派の男性のような構造になっているところは理解できない。
というわけで個人的には、このCMはどうにも稚拙な作であり、これを使って男女論社会論などを語ろうとは思えない、というのが結論となります。
例えば。格ゲーをやってるとして、自分の格ゲーレベルが千代田区内のゲーセンで優勝できるレベルだったとしよう。
いつも相手にしたい人は一回戦で敗退するような人とやり合いたいと思うだろうか。たぶん、23区の優勝者と対戦したいと思うだろうし、
EVOやカプコンカップで優勝したいと思うだろう。
格下の奴と一緒にやり合いたいとは思わないと思う。
ブログ著者は多分日頃の不満を書き連ねたい程度の思いで書いたのだと思う。
でも採用や人事権を持っている方なら、強者じゃない段位取得していない人を
どうやって門下生として受け入れ育てていくかを考えて欲しい。
先ごろの記事で、コナミを追い出された小島氏が「企業はリーダーを育てる組織」と言い切り、「リーダーになれない奴は締め出される」とバッサリ語っている。
弱肉強食の世の中だからそれは自然の出来事だと思うし、このことを否定するつもりはない。
しかし。
事あるごとに弱肉強食の話ばかりで成績が悪いものは退職しろ、出ていけ、生きる権利無し!といった言い方が多く辟易する。
分からないことがあったら聞けという割に聞きに行けばggrksで切り落とす。それでは育つものも育たない。
あることが切っ掛けで急に成長する人も世の中にはけっこういる。
貴方がたは自分の会社が、自分自身が良ければそれでいいと言っているのと変わらない。
確かに糞政治家、バカ官僚しかいないこの国の将来を考えるのは馬鹿げたことなのだろう。
「ノブレス・オブリージュ」というフランスの格言がある。
発達障害まで想定してないのは仕方がないし、店の雰囲気を考えて迷惑になるようなお客はお断りしたいってのは仕方がない。
要は「お客様は神様」だとしても、「どんな行為でも受け入れる訳じゃありませんよ」ってのを明文化してるようなもの。
「最近、客に媚びる店が多いなか、ドンと玄関先にこんなに張り紙をしてるこの店が好きだ」
「躾が全くできていない騒々しい子供さん」というのはどうやって判断するのだろう。うちの子の場合、発達障害でどうしても騒がしくなってしまうことがある。赤ちゃんでなくても、成長しても完全にはおとなしくはならない。こういう障害児は「騒々しい子供さん」とみなされて、この店主に追い出されてしまうのだろうか。公共交通機関でも、周囲から冷たい視線を感じる日も多く、普段から「躾が全くできていない」と思われているのだろう。
障害者のことなど一言も言っていない、などと反論する方もあろうが、見た目は全く分かりませんからね。身長が極端に高いわけでも低いわけでも、顔立ちが変わっているわけでも、臭いがするわけでもない。障害児の集まりに行ったって、保護者の目から見ても、みんな一見普通。でも騒いでしまう。
発達障害は、保護者の努力で症状が改善する場合もある。ただし、障害の程度が重い場合にはそれにも限度がある。そのようなお子さんをお持ちの保護者の方は、外食・外出などしてはいけないのだろうか。声を出してしまう、立ち上がったり動き出してしまう子供は、障害だろうがなんだろうが、親の責任で静かにさせよとのことなのだろうか。もちろん障害の程度にもよるので、怒鳴り散らしたり他のお客さんに危害を加えてしまうような場合は保護者が控えるべきだろう。ただ、元になったtweetの反応を見てもほとんどの方が障害者のことを想定せずに共感されているのは心配だ。
ある一定の年月が経つと急に美味しく食べられたりする物もあるから悲しむものでもないし、よく食えるね〜くらいなら笑って流せる。が、単純に偏食の人と一緒に食事に行く時は店選びなどに気を遣うので面倒くさい
仕事でちょっと疲れてて一人で家飲みしてたんだが、酔いが冷めたときの絶望感がすごい。
明日も仕事なのに風呂もまだ入ってなければ、何やってたんだろうって気持ちと、人と楽しく飲むことは一生ないのかもしれないという虚無感。
カラオケ行ってふううううとか言いながら、盛り上がるやつもう一回したい。
自分は偏食が激しい。
詳しくは書かないが一般的な料理によく使われるような食材でも食べられないものが多い。
「食べられない」というのは飲み込もうとするとえずく、最悪後で吐いてしまうレベルの「食べられない」だ。
特にアレルギー等といった診断は受けていないが、幼少期からずっとそう。
別段甘やかされたとも厳しくされたとも思っていない。
母親は料理が好きだったので食卓に並ぶ食材のレパートリーは豊富だったし、
基本的に料理を残すのはやはりNGだったので嫌いな食材があっても頑張って食べていた。
ただ、母親の方も嫌々食べているのを見るのは辛かったらしく、
中学に上がる頃には自分の分の食事からは特定の食材だけ予め抜かれるようになった。
この時点で頑張って苦手なものを食べ続けることを辞めなければ、
ちなみに離乳食の段階で色々なものを食べさせるのが重要という説もあるが
ある時は「頑張って克服しよう」と言われ、
どうにか数ヶ月ほど食べ続けたこともあったが、全く克服出来なかったので諦めた。
色々と思い悩んでいたんだけど、最近になって、食事の好き嫌いってそこまで悪いことなんだろうか?と思う。
よく偏食の人間に対する意見として「わがまま」というのがある。
食事にありつけるのは有り難いことであるという前提がまずあって、
自分も流石に飢餓状態であれば目の前にあるのが苦手な食材であっても迷わず齧りつくと思う。
こういう都合の良さが「わがまま」なんだろうということは、理解できる。
要するに、食物に対する不誠実さ。感謝の足りなさ。
食べ物がいつでも手に入る恵まれた環境で育った生っちょろい贅沢な若者の意見だけど、
味覚って、視力とか、嗅覚とか、聴力に並ぶほど千差万別なもので、
目が悪くても、耳が悪くても「親の教育が悪い」という人は偏食に比べたらあまりいないだろう。
(たまにいるんだろうけど)
味覚に関することだけ、家庭環境の否定、人格の否定が当たり前になってくるの、結構辛いと思う。
好き嫌いのない人が羨ましい。
人が美味しいと思っているものに対して平気で
「それ嫌い」「よく食べられるね」という言葉を投げつける人が
結構いるっていうのもあると思う。