はてなキーワード: 問題集とは
資格取得を目指す系の学部だとまずはここから始まることが多い。
理系の大学でも、1,2年などの基礎的な科目は何があってもこれかなあ。
これは修士(大学院の博士前期課程)以上ならこれ。ただしたくさんなんて書けないので、「ちゃんと書く」の方じゃないかな。
ただ、修士課程ではない普通の大学生も、卒論のために研究活動の真似事をやるので、それを自分で調べて、どうやって「答えが無い」事を調べてまとめていくかと言うやり方を学ぶ事になる。
ならないですね。こう言う勘違いしてるアホいるけど。
ゼミナールはあくまでも続けている研究行為の進捗会議みたいな役割である事が多いのでは。
足りません。大抵の大学の授業は、授業の3倍以上の自習をすることを前提にカリキュラムが組まれている(と言う建前)になっています。ちゃんと自習しましょうね。
これは「大学生という身分が使えるのは4年しかないが、バイトはその後でもできるだろ」と言う意味だと思います。
色々な説はあるだろうけど「教科書にない専門的な事を自分で調べ自分で学ぶ方法」がメインじゃなかろうか。
あるいはもう一歩進んで、「大学生」って看板を使って色々とやってみることまでいければよい。例えば若手の社会人がそれなりに名が通った人に話を聞きたいとか言っても門前払いだが、大学生だとスッと受け入れてくれたりすることがある。
地方国立大とかだと結構看板がバカにできなくて、いろんな事ができるから、それを最大限利用することもできたらいいんだろうと思うけど、まぁ卒業してから気付くよねそういうのw
自分語りすまん。
中卒で漢検2級をほぼ満点で一発合格した者だけど、普段からよく本を読んでいたせいなのか、2級がカバーしている常用漢字の範囲は元から身についていて、自分の弱点を把握して潰していくみたいな感じだった。
試験会場では2級対策の本を何冊も持ってきて読んでる人たちが大勢いて周りが全員優秀な人たちに見えてビビった。
けど合格率30%程度だから、あそこにいた優秀そうに見えた人たちの大半が落ちたってことだよな。
平均的な知能しかない中卒に負けるってどういうことだよ。
そんなわけで、常用漢字の範囲しか出題されず、一般教養と呼ぶに相応しい2級は大体なんとかなる。
あの検定の真のやばさは準1級以上から始まると思ってる。未知の日本語と遭遇することへの戸惑いを乗り越えることと、あとは純粋に暗記力と根気が試されるからだ。
自分は死ぬまでに1級取りたいなと思いつつ、取れないままかもしれない。だって準1級と1級は実用性皆無で自己満足でしかないんだもの。
書店で問題集を買ってきて、ふたりで一緒に、なるべく毎日、その問題集の1単元ずつやっている。
60~70問くらいの問題をウンウン言いながら解き、大学ノートに答えを書きつけ、終わったら交換して互いに採点しあう。
検定を受検して級をとろうとは特に考えていない。単に大人として一般教養をかためておこうよ、それくらいの動機。
そもそも夫婦ともに机に向かってお勉強をすることじたいン十年ぶりなので新鮮。
「あー! ここまで出かかってるんだけど!」
「読めるけど書けない!」
「点、つくんだっけつかないんだっけ?」「ここ突き抜けるんだっけ?」
「こんな部首知るか!」
「ほんとは書けるんだよー!ど忘れなんだよー!」
みたいにキャーキャー騒ぎながらクイズ感覚、ゲーム感覚で楽しんでいる。
ひとりでやったらたぶん全然おもしろくないと思う。ふたりでワイワイやるから楽しめている。
※恥ずかしいので級は明かさない。少なくとも準1級や1級ではない。
受験した皆様、お疲れ様でした。自己採点の結果はいかがでしょうか。
今年は例年より優しかったみたいですね。
さて、本題。
毎年この時期になると私にとって嫌な思い出がよみがえる時期でもあります。
宅建の受験体験記って、学歴はあまりないけど、頑張って合格しました!
とか、こうやって3ヵ月独学で合格しました!みたいな内容が多いと思うので、私のような例はある意味珍しいんじゃないかと思います。
まぁ失敗談なんてわざわざ残そうと思わないってのがあるでしょうけど何かの参考になれば。
私が宅建試験を受けたのは〇年前、理由は当時、自宅の購入の話を進めており、営業と打ち合わせをする機会が多かったから。
なので、自分も勉強して知識があった方が何かといいんじゃないか、っていう軽い理由からだった。
確か、その時が春先ぐらいだったので、言っても試験までは半年あるし、それなりの学校(都の西北方面)出ていた自負もあった。
メジャーな資格で、独学用の教材も充実してるから有名な参考書を買って勉強すれば、なんとかなるだろうっていう気軽な感じだったように思う。
(合格した暁には営業さんに実は私宅建取りましてね。とか言って驚かせてやろう、みたいなことも当時内心思っていた。今思い返すと恥ずかしくて穴があったら入りたい・・・)
で、早速本屋に行き大手予備校が出版している参考書と問題集を購入。
ただ、会社勤めもしているので試験勉強と言っても、平日は寝る前にテキスト読んだりっていうレベルのことしかしてなかった。
それでもほぼ毎日勉強するようにして、ゴールデンウイークも明けたころには、テキスト理解できたわけじゃないが問題集も取り掛かった。
が、勿論最初は9割以上解けない。
でもめげずに何周かして夏の終わりごろには8割は解けるようになって、それなりにいけんじゃね?ってなっていった。
このころには久しぶりに自主的に勉強することの楽しさや充実感、みたいなものも味わっていたように思う。
順調かと思われた秋口に過去問に手を付け始めたところで一気に奈落の底に落ちることになる。
問題集が過去問準拠なんだから、問題集解ければ過去問もいけるはず、と思って臨んだ過去問がさっぱり解けない。
問うてる本質は問題集と同じなのかもしれないが、聞き方を少し捻られただけでさっぱり解答できないのだ。
つまりそれは問題集を暗記していただけで理解していなかった、ということなんだろうと今にして思う。
が、もう時間も残されてない。かなり焦ったが過去問10年分を5回はやって40点ぐらいはとれるようにはなった。
あとは当日の問題の相性でなんとかならんかな、と運を天に任せて試験日に突入。
終って家で自己採点してから後の事はあんまり覚えてない。あまりにショックを受けすぎて。
・・・というのが一連の顛末。翌日教材一式は処分したことは覚えている。それから一度も受験はしていない。
宅建ごとき一ヶ月で、とか一週間で受かるとか言う人がいますが、本当であるならその人は相当秀才です。
ですが、宅建試験はちゃんと努力すれば合格する試験で、才能はいらないと聞く。
受験生は働きながら受ける人ばかりだと思いますし、当然スタートラインは皆が平等ではない。
それでも受かる人は受かっている。
私は一回で受けることをやめてしまった結果、「高学歴なのに宅建に落ちた人」になってしまいました。
家族しか受験のことを言ってなかったのが不幸中の幸いでしたが、もし職場に言っていたら、あいつ○○大卒なのに宅建落ちたのか、っていう評価に絶対なっていたはずです。
これは宅建受けたことない人、宅建を良く知らない人もそう言うと思われます。
つまり、世間的には宅建はそれぐらいの難易度と思われてるっていうことです。
いやいや、落ちたとしても勉強したことは財産だよ、っていう意見ももちろんですが、期待値が大きかった人にとってはあてはまりません。落ちたっていう事実だけが残ります。
これを解消するには再度受けて合格するしかないわけですが、残念ながら私は気力が持ちませんでした。
そして何年たってもずっとこのことを自分の中で引きずってます。
どんなに社内で仕事のことで難しいことを言っても、頭の中で「でも宅建は落ちたんでしょ」っていう囁きが聞こえます。もう病気ですね。
こうなってしまうぐらいなら一回も受けない方がマシすらあります。
今なぜ数年経って振り替えろうと思ったか。
それは会社のよく知る後輩が受験して合格の見込みっていうのを聞いたから。
後輩は決して高学歴ではない。
でも、仕事で一生懸命努力が出来る、周りからの信頼も篤い好人物だ。
きっと仕事と同じようにコツコツと宅建の知識も積み上げたのでしょう。
なぜだかわからないが、その一報を聞いて、私も来年やってみようかな、とふと思い、その気持ちを忘れないうちにここに記すことにした次第。
数Aの問題集を買ってきてひたすら解きまくれば分かるようになるぞ。
私は平成11年から19年の間に警察官だったわけではなく問題集をたくさん買って問題を解いていただけですのでその頃は面白かったのですが延岡警察署の警官からあれは練習でこれは
本番と言われたときに確かに練習だと思いますがあれの田んぼの中で警官が出現して、2名くらいで腕を完全につかんで、もう1名がパトカーに誘導するっていうんですかねそれがLemma &
Inductionだと思いますが、あれは人権を侵害しない範囲内でやるので、東京の方ではinductionだけでやる警官もいますが、下坂行雄が、警官が出てくること自体が驚愕的であるといったときに
その話に全然興味がなくてその被疑者を警察署に任意同行する際に用いられる技術としてそれがあるだけで私はその、数学に似た技術しか興味がないんですが、だから、警察官なんか全然
見てなくてその技術だけを見ているわけですが、inductionは完全無欠な手段で、Lemmaも完全無欠な手段になるので、本官が自転車を蹴ったと言ったときの他に腕をつかんで確保する行為
ですかね、これしか面白いところがないわけでですが しかし多分そんなことを書いている一般書籍はどこにも売っていないし、警察官が任意同行の際に用いる技術についてその解答を公表している
本などないと思いますよ。なぜかというと東京大学文科一類に受かるのに、入試問題でそういう完全無欠な技術を用いないと満点にならない問題とか出ないので
小説を書くというのは、いわば、現実に在る問題に対してソリューションを提示するということであるのだから、小説を読む=ソリューションを知ることからはなかなか生まれない。
それよりはまず、問題集を読むところから始めないといけない。数学の問題はあんなに短いのに、それに対して書かれる解答は相当に長いだろう。
あれが小説のイメージなんだよ。短い問題に対する解答を長々と書き記したくなる意欲。公式の活用はレトリック。計算力はストーリー。そういったものこそが、小説を書く人が最初持つべきイメージなんだよ。
もちろん、問題を解くためには公式を覚える必要があるだろう。解答を多数見て知ることだってあるだろう。
しかし、それらは自分で解答を書く能力になかなか繋がらない。そのためには、やはり自力で簡単な問題から解いていかないといけない。
つまり、文章の書き方を覚えたり、他の小説を見て知ることはそれくらいの意味しかないということなんだよ。
それよりは、問題を探すこと。そして解くこと。
それらの繰り返しによって、数学のあんなに長い解答が自らの手で生み出せるようになる。同じ意味で、小説もだんだんと長く書けるようになっていくだろう。
だから、小説を書き切るイメージが掴めない人は、受験数学の感覚が手がかりになるんじゃないのかな。
何らかの問題が設定されていて、そこに知ってる公式を当てはめたり、手始めになんか計算を進めたりして、「なんか解けそう!」という感覚に繋げていく、そういうような感覚が小説を紡いでいくんじゃないのかな。
ここで私が参考にしたのは、東京都知事の小池百合子が書いたことにした、東京都審査員の見解であり、地方自治法245条の4 第1項は、課長通知の法の処理基準として、生活保護法に関する問答集というものがあり、厚生労働省の課長通知として生活保護法63条に関する技術的な助言を受けて、問答形式により、明らかにするものであり、法の具体的な運用などについて、妥当性が認められていると解されているものである。
(1) 処分庁が 保護を開始したのは、 平成30年3月29日である。
(2) 処分庁が、年金金額の変更を認めたために、保護費変更処分決定通知書を送付したのは、平成30年12月1日である
(3) しかし、 令和元年12月25日に、処分庁は、 (2)の保護変更決定通知書において、障碍者加算額が漏れていた
ことが判明した (なお、それが事実かどうかについては争いがある )
(4) 令和2年2月10日に、 処分庁は、 過支給額を、 法63条によって返還する決定をした。
(5) 2月17日に、受給者は、 処分に対する取り消し請求をした。
(6) 3月26日、 処分庁( なお処分庁とは、 東京都板橋区蓮根 にある 事務所である) は、 自立更生免除
第4・1・(3)・ウ の検討が不十分だから、処分を取り消し、ケース診断会議を開催し、受給者から聞き取りを実施した。
なお、 3月26日においてケース診断会議を開催したと言っているが、記録されていないため、平成29年東京地裁判決の
内容から、実施機関敗訴の可能性が濃厚であり、結果は厳しい、と記録されている。
(7) 令和2年10月1日に、さらに、ケース診断会議を開催し、自立更生免除について、次のように決定した。
延岡市に一時帰省するための費用 同一世帯でなおかつ母親が危篤に陥っている事実がないので、第4・1(2)・イ
第7・2・(7)・ア・コ (いずれも自立更生免除に関する事務次官通知、課長通知、局長通知、問題集の内容) に該当し
ないので 払えない
居宅清掃費用 などについては、領収証の提出があれば、認めることとする。
(8) 令和2年10月21日の 聞き取りで、 2019年11月17日の居宅清掃費用、60500円の領収証はないということ
だった
11がつ18日の聞き取りで、 パソコン購入費用、 18040円を認め、これぶんだけを、自立更生免除として認めた。
その結果を、 次の処分通知書となった。
96800円から、 18040円を差し引いた、78540円の返還を求める。
(10) 令和3年1月18日に、 これに対する審査請求を提起した。
法令の定め
割愛し、 自立更生免除とは、 平成24年7月23日社援保発0723第1号の課長通知1・(1)・4において述べられた
自立更生のためにやむをえないこととして支払われた金員であり、地域住民との均衡を考慮し、社会通念上容認される
という技術的着想であり、 これに対する問題集が、 地方自治法245条の4第1項に定められている。
ここで、東京地裁平成29年1月の判決では、上の自立更生免除を検討する際にはケース診断会議を開催していなければならず、さらに開催するだけでなく、受給者の病状などについて、十分に具体的に検討してからでないと、社会通念上著しく不善なものであって取り消しを免れないといった判示内容になっている。
ところで私はこれに関して興味もなく、本件がどうなってもいいのでこれ以上何もしないが、上記の添削や検討についてこれを実施していたのは、 処分庁の保護第6係の岩崎係長であり
医療ケース診断会議を開催したのは地区担当員の中谷とそこに出席した7名の係長のざーちゃんと、健康係長と所長である。
ところで気になるのは、本件処分庁は、蓮根に存在するが、これはいわゆる福祉事務所と呼ばれるものであり、他方、この福祉事務所を管轄する警察署は、志村警察署と認められる。
本件の論点は、本件処分庁は、背後で東京都と連携し、これだけの検討や添削を実施しているのに対して、志村警察署ではこれと同じようなことをしている形跡が認定できない。