はてなキーワード: 10月30日とは
大好きだったアイドルマスターミリオンライブ!というゲームコンテンツが今日の正午に終了した。
去年の10月30日(サービス終了が発表された日)からずっと時が止まっているような気持ちでいる。今でもまだ納得できないし受け入れられない。本当に大好きなゲームだった。ミリオンライブのどういうところがどのくらい好きなのかについては語りきれないので割愛するけど、ミリオンライブがきっかけで内向的だった自分にプライベートでも遊びに誘えるような友達も出来た。ミリオンライブのいろいろなものが作用して、一緒に自分も大きく成長できたと思えた。そのくらい自分の中でミリオンライブはとても大きな存在だ。
Twitterのトレンドには #ありがとうミリオンライブ のタグがランクインし、ツイートが何件も投稿される。
タイムラインを見ていたら、ふと目に付いたツイートがあった。まぁざっくばらんに言うと
"ミリオンライブのこと全然わからないけどなんか今すごくつらい。お疲れ様でした"
そんな内容のツイートだった。
呟いていたのは、他事務所のPだった。
偲ぶ気持ちを否定する権利が自分にはないのは重々承知だが、それでもモヤモヤしてしまう。無責任な安い同情で私の大好きなコンテンツを気持ちよくなるための道具にした奴らのことをこれからも自分は忘れないだろう。おわり
言葉が足りなかったみたいなので追記
自分の中のミリオンライブはこれからもgree版ミリオンライブだけなので地球最後の日という表現を使いました
>断言する 一年後にはもう違うゲームにうつつぬかしてるよお前 もうあずにゃんに会えないんだな・・・→ちょwww大正野球娘きたー!!これは期待!!のコピペと同じで
コンテンツに執着して変な方向に拗らせるくらいならコピペみたいになったほうがマシだと今回のことで学習したよ 自分もそうなれたらなと思う
>IP生きてて新作も出てるのに何腑抜けたこと言ってるの? たかが1サービス終了で地球最後とか、お前の方が自己憐憫で気持ちよくなるための道具にしてるだけだろ。本当にクローズしたIPのファンの気持ちがお前に!(血涙
悲しみの尺度が人それぞれ違うのは当たり前のことだからお前より俺の方が辛いフガフガって話しなら他所でしてね
いつでも自分にできる精一杯の課金でコンテンツを応援してきたけどその結果がサービス終了だったのでそれを言われちゃうともう何も言えない
10年間、ずっとニコ厨を続けてきた。現在もプレミアム会員だ。
しかし、最近のニコニコはあまりにも使いにくい。プレミアム会員なのに動画読み込みがピタリと止まって動かない。再生途中にシークすればシークポイントで固まる。生放送は追い出される。正直言ってプレミアム会員であるメリットがほとんどない。
少しネットで探るだけで、同じような意見をわんさかと見ることができる。みんな我慢ならなくなったのか、ついに今年プレミアム会員数が減少に転じてしまった。
ニコニコ唯一の強みと言ってもいい動画コメント、その数もどんどん下がり続けていると聞く。コメント数は最盛期の25%程度にまで落ち込んでいるという。
このままではニコニコは早ければ来年にも立ち行かなくなるだろう。誰の目にも明らかだ。
こういうニコニコ衰退が見え始めたタイミングでの、新バージョン(く)の発表告知。
ユーザーはみんな「ニコニコは尻に火がついて重い腰を上げざるを得なくなった」と思ったに違いない。そして「画質、重さ、完全解決」という、大風呂敷広げすぎに思えるブチ上げにもある程度の期待を寄せたと思う。「今度のニコニコはもしかして本気なんじゃないか」と。だって、それをしないとニコニコは競合他社に潰されるんだから。
ニコニコ運営はもともと人をバカにしたような態度を取る事を是としてきた感がある。動画投稿者やユーザーに目線を合わせているつもりなのか、ノリが大学サークルなのだ。「俺らすげえ面白いだろ?こっち来いよ」という戦略である。ここ数年まではそのノリが受けた。しかしこれは、ユーザーが許容しなければただの殿様商売にすぎない。
はっきり言って、ニコニコ運営のやることはまったく面白くない。面白かったのは動画投稿者でありエスプリのきいたコメントであり、ニコニコはそれを横取りしてきただけだ。「後押し」じゃない。「横取り」だ。
この「面白いことやってやろう」の危機感のなさが最悪の形で露見したのが11月28日の(く)の発表会だった。まず、自身が定めた10月30日の期限を守らず、期限が過ぎた後で突然の1か月近い発表延期の告知。この時点でかなりのユーザーがニコニコを見限った。我慢して待ったユーザーが見せつけられたのは、うすら寒いゲームやら生放送のエフェクト紹介に終始し、しかもそれを激重の新サービス上で限定公開で行うという、最悪のお遊戯会。新バージョンリリースはさらに延期の2月28日。さんざん延期したにもかかわらず「画質、重さの解決」への答えはなかった。ユーザーの怒りは頂点に達し、圧倒的な数の悪評がネットにあふれ、プレミアム退会者が続出。
ニコニコ運営はこれを予見できなかったのか?たぶんできなかったんだろう。内輪で受ける面白さにしか興味がなかったニコニコには。
さすがにこの状況に危機感を感じたのか、ニコニコ運営は11月30日に謝罪文を掲げた。そこには、画質、重さが解決できなかったお詫びと、来年1月までに画質を向上させる(投稿動画は1080p、生放送は720p)約束などが記載されていた。12月3日に予定されていたニコキャスの発表は当然中止。
この謝罪文を見て、あれっ?と感じた。内容が真実なら、2か月で画質向上できることになる。「新バージョンは2月28日から」という発表はいったい何だったのか?思いがけない批判殺到にビビった運営が、エンジニアを馬車馬のように働かせて強引に画質を向上させることにしたのか?それはドワンゴが今までやってきた行き当たりばったりの機能拡張と何ら変わらない対応なんじゃないのか?モヤモヤだけが残った。そう思った人も多かったようだ。
そんな中、ドワンゴ取締役の栗田穣崇氏が「ユーザーの意見をちゃんと聞く」とツイッターでつぶやき始めた。以後、栗田氏が矢面に立っていく。
この時、ニコニコで面白い動画を見つけた。百花繚乱氏というニコニコでも名の売れたユーザーが発表会放送を見ながら厳しいツッコミを入れるというもの。彼の指摘はかなり的確なもの多かったので、見入った。百花繚乱氏はニコニコ公式イベントなどにも多数参加しているそうで、ニコニコの事情にも詳しいようだった。
栗田氏のもとにはたくさんの意見が行ったらしい。それに感激したからかどうかは知らないが、栗田氏主導で12月12日にユーザーとの意見交換会が開かれることになった。意見交換会はドワンゴ本社オフィスから生放送、エンジニアの鈴木氏とユーザー代表の百花繚乱氏も同席、時間は2、3時間、一般プレミアムともに追い出しなし、コメントを徹底的に拾う方針と、かなりユーザーに配慮したものになった。この放送を生で実際に見たが、最初の栗田氏のお詫び会見はかなり覚悟の見えるものだったと思う。以降、生粋のエンジニアらしく誠実に技術面の説明をする鈴木氏、なるべくユーザー意見を拾おうと努める百花繚乱氏、対話重視を強調する栗田氏、ともにそれなりに好印象を与える放送だった。これを好感して翌日のカドカワの株価も上がったという。
ニコニコ運営は頑張っている。サーバ増強も、システム移行も、着々と進めている。1080p動画対応は12月11日から始まり、画質に関しても、前倒しで進めている。そういう放送だった。
ニコニコ動画は変わったのか?いや、どうだろう。
「やります、やってます、もっと告知します。いつできるかは、また知らせます」と栗田氏は繰り返していた。まあ、要するに、何もかもこれから、ということなんだろう。様子を見るしかない。
それよりも、栗田氏が放送冒頭で驚くべきことを言っていた。「川上は運営責任者を降板、自分が運営責任者となる」と。こんな大事なこと、口頭で一言で発表するようなものなのか?そもそも運営責任者とは何なのか?会長という立場は運営に責任を持つものではないのか?栗田氏が会長の意見をすっ飛ばして何でもできるのか?そのあたりの説明が何もなかった。
あの悪夢の発表会の時、ニコファーレ壇上には3人の登壇者がいた。一人は最悪の発表をした川上会長、二人目は夏野剛取締役、そして三人目は今回「運営責任者」とやらになった栗田氏だ。つまり、栗田氏は川上会長とともに糞みたいな(く)を描いてきた張本人ではないのか?
意見交換会に川上会長の姿はなかった。それは不満だが仕方ない。それより気になったのが、川上会長を悪の独裁者よろしくさんざん叩きまくり「川上が降りたから問題解決」的な空気を演出していたことだ。栗田氏は発表会で川上会長とともにいたのに、意見交換会で川上会長を叩きまくる手のひら返しはあんまりじゃないのか?あまりの露骨な川上叩きに、栗田氏と川上会長が八百長プロレスしてるだけなんじゃないかと勘繰ってしまいたくなる。百花繚乱氏もツッコミに精彩を欠き、川上パージ放送の空気づくりに一役買っていたように思う。途中から百花繚乱氏が率先してコメントに回答していくという、「あんた運営の側なの?」的なおかしな状況になっていた。
自分が思うに、ニコニコの病巣は川上会長だけじゃない。こんな状態でユーザーの意見だけ際限なく吸い上げる態度だけ見せられても、不安が募るばっかりだ。
栗田氏が言うには、これからもどんどんユーザーの意見を聞き、取り入れるらしい。でも、八方美人はユーザーの欲求ハードルをどんどん上げる。エンジニアに無茶なしわ寄せのないようにしてほしい。ユーザーが望んでいるのは「まずやるべき事をやれ」ただ一点なのだから。
意見交換会の翌日、ニコニコ動画を見てみた。重さは相変わらずだ。そして、なんと動画検索結果に強制的に検索とまったく関係ない広告動画が表示されるようになっていた。栗田氏は「ランキングの広告汚染を何とかする」と言っていたが、検索結果は広告汚染してもいいと考えてるのか?
これは完全な誤報です。他社の記者たちが「記事にするなら、本人に事実を確認した方がいいのでないか」と口々に言ったそうですが、私や事務所に確認はありませんでした。
辻元清美の発言を報道するとき、いちいち辻元本人に取材する必要はない。信頼できる情報元を取材し、辻元の該当発言があったという裏取りができれば、事実として報道するには十分なのだ。
例えば過去に、安倍首相の「撃ち方やめ」発言が紛糾したことがある。このとき問題となった答弁は、2014年10月30日の衆議院予算委員会におけるものだ。
安倍首相(以下、安倍):今日の朝日新聞ですかね。「撃ち方止め」と私が言ったと。そういう報道がありました。これは捏造です。
※議場から笑い声
「朝日新聞は安倍政権を倒すことを社是としている」と。かつて主筆がしゃべったと。こういうことでございますが、これはブリーフをした萩生田議員に聞いていただければ明らかでありまして、私に確認すれば、すぐわかることです。私が言ったかどうか。親しい朝日新聞記者がいるんですから。一回も残念ながら問い合わせがないまま、私が言ってもいない発言が出ているので、大変驚いたところでございます。
朝日新聞は安倍首相が「撃ち方やめ」発言をしたと報じ、民主党の枝野幸男が国会でその真偽を首相に問いただした。首相本人はこれを朝日新聞による「捏造」だと否認した。
安倍首相の答弁は、朝日新聞は自分のところへ取材に来ていない、だから同発言は朝日新聞の捏造報道であるというものだった。しかし実際は朝日新聞以外のマスコミ各社がそろって「撃ち方やめ」発言を報じていたことで、安倍首相のこの国会答弁は野党から非難されることになる。
どうやらマスコミ各社の取材源は萩生田光一議員であり、各社はそこからの伝聞に基づいて報道していたらしい。首相側近である萩生田が安倍と面会し、その直後に「撃ち方やめ」を首相発言として記者に伝えたのだとすれば、これは信頼に足る情報だ。マスコミ各社がこれを事実という扱いで報道することに問題はない。
しかし、結局この「撃ち方やめ」発言があったか無かったか、事実はウヤムヤになってしまった。首相が該当発言する現場を見ていた記者はおらず、首相本人はこの発言を否認し続けたからである。こうなると必然的に、萩生田がうっかり馬鹿なミスをして、安倍首相が語っていない発言をさも存在したかのように記者に伝えたということになる。
安倍首相がこの筋書きを採用した以上、萩生田には腹を切らせるのが道理だが、とくに厳しい処分はなく、萩生田が陳謝するだけという形で事態は収束した。
私はこのときの苦々しい記憶があるので、今回の件で辻元清美を許せずにいる。本人のところに直接取材にこい、さもなければ産経新聞はデマだぞという恫喝は、安倍首相が2014年にやったことと同じなのである。
しかも「飲み会自粛令」は産経以外のメディア、東京新聞がほぼ同じ内容を報じているのであって、これも2014年の出来事とかぶっている。「撃ち方やめ」発言のときは、マスコミ各社がそろって同じ内容を報じる中、なぜか朝日新聞の記事だけが「捏造」呼ばわりされてバッシングを受けた。今回の産経新聞は東京新聞と足並みを揃えているにもかかわらず、なぜか産経新聞の方だけがバッシングを受ける状況になってしまっている。
2017年10月30日GREE版モバマスことグリマスのコンテンツが終了することが発表された。
グリマス終了の報は即座にインターネットを飛び回り、Twitterではトレンドに載るほど話題を集めた。
私のTwitterのTLでも話題になっており、「かなしい」「今からでもグリマスを見てキャラクターの事を知ってほしい」「待って無理しんどい」など様々な感情が流れていった。
私はグリマスPではないので「諸行無常」くらいの感想しか持てなかったのだが、そのうち「知らせ聞いた時即座に誰がログインしてるか確認した」「デレマスに移っていったやつに悲しまれたくない」「デレカスは黙ってろ」みたいなツイートも出てきて「こわいな~とづまりすとこ」と考えながらブロックボタンをポチポチ押していった。あんまりTLで怖いといっても今は感傷的になってるだろうし波風立てたくないのでこっちに書きました。ラーメン出来たのでこの辺で終わり
将棋界。叡王戦の不戦勝が遅刻によるものかどうかは知らんが、前々から時間にルーズだなというのは感じてはいた。教室の開始時間が遅れたりとか。時間を守るのは社会人として最低限のルール。どんなにその道のスペシャリストだろうと、時間守れないのは二流三流に見えてしまう。#将棋— ようすけサンタマリア (@yosukekun182cm) 2016年10月30日
ニコ生上の久保九段への激辛なメッセージ。支持します。10代20代の人ならまだしも、40代のベテランがやる失敗じゃあない。上へいけばいくほどまわりが見る眼が厳しくなるのはあたりまえ。#将棋— ようすけサンタマリア (@yosukekun182cm) 2016年10月30日
ついさっき、こんなエントリーを見かけた。
私は淫夢を憎んでいる - はてな匿名ダイアリー
これは1年半ほど前に書かれた文章で、当時はまだ淫夢コンテンツが隆盛の頃である。それが今更になってTwitterで密かな話題となっていた。この文章を見た瞬間に「俺も持論を展開したい!」と子供染みた高揚感に襲われたので、一つ、書いてみる事にした。
その持論とはパンクロックと淫夢が根底では同じ現象であるというものだ。ただ、それを解説する為には、まず淫夢というコンテンツそのものについて考えなければならない。
ここで指すところの“真夏の夜の淫夢(以下、淫夢と呼称)”とは、2001年にコートコーポレーションから発売された「BABYLON STAGE34 真夏の夜の淫夢」とその他関連したゲイポルノビデオの内容を大手インターネット動画サイト「ニコニコ動画」に転載した一連のコンテンツである。そもそもは、プロ野球選手の多田野数人氏がこのビデオに出演したとされるスキャンダルが2002年の夏頃に週刊誌やインターネット等で報じられ、それを面白がった2ちゃんねるのユーザーがこれを「ネタ」とした事に始まる。要するに、このコンテンツはかなり息の長いものであり、その歴史は14年にも及ぶ事になる。
一方で、淫夢が日本に於けるインターネット文化のメインストリームに飛び出してきたのはごく最近である。例えば、ニコニコ動画で流行を発生される端緒となったMAD動画である「霊夢 so クッキー☆」が投稿されたのが2010年10月30日のことだ。流行の原因はひとえに萌え文化に食い込んだ事にある。当時流行していた東方Projectに乗っかり、馬鹿にするような形で、淫夢は知名度を上げた。そしてこの動画で淫夢要素として登場したのが通称「野獣先輩(役名:田所浩二)」である。最初にこの動画を見ると恐怖と嫌悪感を覚えることだろう。最初はアニメキャラのMADなのに、動画後半でガタイの良い野性的な男が突然喘ぎだすのだ。インパクトは大きいが、初めてこの動画で淫夢に触れた人間は到底笑う事ができないだろう。
そう、冒頭のエントリーでも言われていたように、淫夢のコンテンツは「人を遠ざけること」を以て成立していた。そして、同時に人気のコンテンツに対して「喧嘩を売る」ことも淫夢を支える原動力となっていた。ところで、冒頭のエントリーでは「理解されることを嫌う」という部分に主軸が置かれていたが、「風評被害」などの全方位爆撃と言われるような無差別の迷惑行為が行われる原因には余り言及されていない。そもそも、意味もなく「風評被害」を撒き散らしてコンテンツを占領する事は、淫夢の大きな特徴の一つである。しかしこれを単に「定型文を楽しみたいがため」であると考えるのは早計である。このような無差別の破壊行為を行う危険分子には一つ記憶がある。それは1970年代後半のロンドンパンクである。
パンクロックと言われて皆さんは何を想像するだろうか。まずもってハードコアなロックを想像する人が大多数であると思う。次にセックスピストルズを連想する人が多いだろう。ここでイギー・ポップを想像された方は私と趣味が合うので、酒でも飲み交わしたいところだ。それはさておき、パンクロックというのは至極曖昧な分類である。結論を言えばハードでメタルなロックは特にパンクではない。パンクロックとは、超絶技巧に進化しすぎたロックに対する反骨として、若者たちが楽器を取って破壊的な演奏をしたことに始まる。パンクロックは常に若者と共にあった。その中でもロンドンパンクとセックスピストルズはパンクの代名詞的に語られる事が多い。そして、今回淫夢のムーブメントと対比して語るのも、ロンドンパンクであり、セックスピストルズである。
パンクロックの特徴の一つとして、演奏が適当で、歌も酷く、歌詞は過激、という部分がある。最早そこに芸術性などなく、ただ単調な破壊行為のみが残る。そういう音楽である。そして、ロンドンパンク全盛期(のみならずパンクの曲)の歌詞を聞けば分かるが、その内容は全方位爆撃という言葉に等しい。そしてそれが流行した背景には当時の社会情勢があった。1960年代以降のイギリスと言えば「英国病(もしくは"Sick man of Europe")」と呼ばれる長い停滞の時代にあった。特に1970年代後半は労組の賃上げ交渉のために社会機能が混乱に陥り、それが更に深刻な影響をイギリス全体に与えていた。
淫夢の流行の端緒となったのは「霊夢 so クッキー☆」であるとの持論を先程展開したが、それでも淫夢がアングラの文化である事に変わりは無かった。淫夢が一般的にも受け入れられるようになったのは2013年か2014年ごろの事である。2014年の冬には女子中高生の流行語として「微レ存」(“微粒子レベルで存在している”という内容の淫夢用語)が取り上げられているなど、ある程度社会に影響を及ぼす立場に淫夢というコンテンツが進展している事が分かる。
参考:「Ameba」が2014年「JCJK流行語ランキング」発表 流行語1位は「ダメよ~ダメダメ」、「かまちょ」「KS」など新しいJCJK語も上位に 流行っていたモノ・コト1位は「壁ドン」
https://www.cyberagent.co.jp/news/press/detail/id=9551&season=2014&category=ameba
さて、2010年から2014年の間に何があったかと言えば、2010年ごろから尖閣諸島の問題が表面化し、更にGDPでは日中の順位が逆転、対中関係は政治的にも国民感情的にも急激な悪化の一途を辿った。2011年には東日本大震災とそれに伴う原発事故が起こり、それ以来日本社会に大きな影を落とした。2011年から2012年に掛けては円高が続き、日本経済は大きな不況に陥った。そもそもバブル崩壊以後の日本経済は停滞を続け、災害リスク、政治不信など、社会情勢はとても良好とは言えなかった。要するに、日本は英国病と何ら変わらない状況に陥っていた。(もしくは今も陥っている。)
当たり前だが、人間はそういう状況で不満を溜め込むものである。淫夢はそういった不満の捌け口となる「パンク的」なコンテンツとして、この頃から急激に勢力を伸ばしていった。淫夢というコンテンツが「人を遠ざける」事を絶対の掟とするのは、この攻撃的な性質と表裏一体である。そして、今度は「攻撃する事」そのものが淫夢の価値として利用されるようになった。
ニコニコ動画に於ける淫夢というコンテンツの裏にはニコニコ動画の運営に対する反骨精神が常に見え隠れしている。例えば「ニコニコ本社爆破シリーズ」や「ニコファーレ」を淫夢動画で占領するなどといった行為にそれは顕著である。ニコニコ動画では卑猥な動画は削除されるようになっている。淫夢を題材にした動画もそういった理由で削除される事が多く、「ホモコースト」と呼称されている。ここでのニコニコ動画の運営はある意味既得権益層として扱われている。そして、淫夢というコンテンツに集った人間を抑制する「大人」として常に反骨の対象となっている。この構造はロンドンパンクでも同じだった。有名なセックスピストルズも契約を中途破棄した大手レコードレーベルのEMIに対して中傷を加えるような楽曲『EMI』を制作し発売している。
かつては純粋に同性愛者に対する侮蔑の意味から成り立っていたコンテンツも、近年では方向性が変わり、日本社会全体に対する皮肉や激しい中傷が込められたものとなっている。
ロンドンパンクは一瞬にして終焉を迎えた事で知られている。例えばセックスピストルズはアメリカツアー中に解散し、それからロンドンのパンクブームは急激に終息へと向かった。結局はバンドメンバーの喧嘩別れなのだが、一般的には「セックスピストルズが時代に果たした役割は終わっていたから」と解説される事が多い。これは何を示すのか。
淫夢に目を移してみよう。2010年頃、ニコニコ動画で淫夢が流行りだしたとき、流入してきたのは所謂「はぐれ者」のような人間だった。彼らは「人に理解されない」という事を自覚している。そこでそれを逆手に取って、「絶対に理解されないコンテンツ」で活動する事にしたのだ。淫夢が隆盛すると、淫夢という荒削りだったコンテンツにも多くの優秀なクリエイターが参入してきた。彼らもまた社会のはぐれ者だったが、その技術力によって淫夢というコンテンツはニコニコ動画の中で確実に育っていった。そしてすぐにも一般的な人間にも受け入れられるコンテンツへと淫夢は成長した。
近年のアニメ文化にも同じ現象が見られる。元々深夜帯のアニメは「はぐれ者」の為のコンテンツだった。しかし、深夜アニメのコンテンツとしての成長とともに、十分一般大衆に受け入れられるようになってきた。しかし一方でそれは“古参”のオタクと新たにアニメを視聴し始めた人間の間に溝を生む事になった。近頃では、社会的に弱者というよりは立場の強い者でもアニメを見るようになったので、そういった人間の行動がオタクの内輪で問題になる事も多くなってきた。(ラブライブに関する騒動など。)
淫夢でもこれと同じ事が、より急激なスピードで起こった。淫夢は大衆化が進み過ぎて、比較的容易に理解されるコンテンツとなってしまった。動画のコメントにも「掟」を破るようなものが出てくる。また、淫夢動画自体も攻撃する側からされる側へと変化していった。そうなると、過激な作品を作る意味もなくなっていく。淫夢に関連する動画を作っていたユーザーは更に先鋭化した動画へと転向するか、もしくは全く違うコンテンツに乗り換える事を余儀なくされた。もちろん、動画を作る人間が残されたユーザーに居なかった訳ではないが、理解しがたい価値感から生まれる笑いを作り上げる事は難しくなった。現在の淫夢では、無意味な誹謗中傷を繰り返すタイプのコンテンツと、「現場監督」などの更に理解しがたいコンテンツへと興味が進展している。一方でコアな視聴者層の流出も止まらず、最盛期にはニコニコランキングのその他カテゴリ10位以内を常に占拠していたが、今では半分にも満たないことが多くなった。
セックスピストルズの解散理由であるところの「役割が終わった」とは、言い換えれば過激な事をしても面白くなくなったということである。自分自身がメインストリームに近づいてしまった事により、メインストリームに対する攻撃を加える事が最早できなくなった時点で、ロンドンパンクや現在の淫夢というコンテンツが終焉や衰退へと向かう事は規定路線であったということである。
攻撃的で人間を遠ざけるようなコンテンツは何も淫夢だけではない。2ちゃんねるの「なんでも実況板J」発のコンテンツには類似した攻撃性、特殊性を持ったコンテンツが多く存在している。一つは野球選手を題材としたカッスレなどの誹謗中傷を行うコンテンツである。もう一つは聞いた人も多いと思うが唐澤貴洋弁護士に対する一連の誹謗中傷である。どちらも淫夢より更に先鋭的であり、社会に与える影響もコンテンツの規模に比して大きい。後者は特に爆破予告やGoogleMapの書き換え騒動などで、社会に対して影響を与え始めている。
そしていずれも淫夢のコンテンツに集っていた人間とユーザー層が被っているという事が重要である。そして、これから淫夢と同様に勃興していく可能性を秘めている。それはつまり、淫夢というコンテンツはもしかするとこれから起こる日本社会全体に対する反抗的なムーブメントの始まりに過ぎないかもしれないということだ。淫夢というコンテンツは「因縁を付けて他のコンテンツを占領する」という重要な特性を発現し、それが日本のアングラなインターネット文化に与えた影響は大きい。
パンクロックが「タブーを無視した過激な表現」という点で後の様々なコンテンツに影響を与えたように、もはや淫夢というコンテンツが日本の文化に与える影響は無視できないものとなっている。冒頭の記事で「ニコニコ動画を滅亡させるもの」として記述されていた淫夢は、果ては日本を一種の意味で「壊す」コンテンツとしての役割を担う可能性がある。淫夢はニコニコ動画であり、日本でもあるのだ。つまるところ、今起きている淫夢というコンテンツの拡散はこのコンテンツに特有の事象ではなく、もっと巨大な社会的情勢の要請から来るものであるという事だ。
では、我々は次に何をすべきか。社会を食い潰しながら、次々と勃興しては衰退する攻撃的なコンテンツを前に、それをどうするべきか。淫夢の風評被害を広める人間が悪い訳ではない。唐澤貴洋に殺害予告をする人間が悪い訳でもない。そしてパンクロックを演奏した人間が悪い訳でもなかった。彼らに対して批判を加える前に、彼らに対して何ができるのかを考えてみてほしい。
シリア内戦は、いくつかの大国を巻き込んで展開してきた。バッシャール・アル・アサド大統領と、彼に反対する多数の反政府勢力、いずれかを支援したり、敵対したりといった形で。
10月30日に、ウィーン会議に参加する関係各国は、シリアでの停戦への道を開くための9項目からなる計画案に同意した。しかし、アサド大統領の処遇に関しては意見の分裂が続いている。
ここでは鍵を握る国々の立ち位置を示していこう:
(画像:ロシアは過去数十年にわたって、シリアの最も強固な同盟国の1つである)
ロシアは、シリア大統領バッシャール・アル・アサドにとって最も重要な後援者である。シリアでの権益をロシアが維持するためには、政権の存続は決定的な意味を持つ。
このため、国連安全保障理事会でアサド大統領を避難する決議案をロシアは阻止しつづけている。また、国際的な批判にもかかわらず、シリア軍に武器を供給し続けている。
ロシアはシリアのタルトゥース港に海軍施設を保持している。この基地はロシアが地中海に持つ唯一の基地であり、黒海艦隊が使用している。また、アサド大統領が属するアラウィー派の中心地であるラタキアにも空軍基地を置いている。
2015年9月、ロシアは反政府軍への空爆を開始した。ISと「すべてのテロリスト」を攻撃目標とすると宣言している。これについて、西側諸国に支援された反政府勢力は、ロシアから攻撃を受けていると報告している。
にもかかわらず、ウラジミール・プーチン・ロシア大統領大統領は、内戦を終わらせるには政治解決しかないと言っている。
(画像:米国はアサド大統領をシリアの将来の政権から排除することを求めている)
米国は、シリアで大規模に行われてきた残虐行為に対する責任者としてアサド大統領を非難しており、その退陣を絶対条件としている。
しかし、戦争を終わらせて、暫定政権を樹立するためには、和平交渉が必要とも認めている。
米国はシリアの主要反体制派の連合体(シリア国民連合)を支援し、穏健派の反政府勢力に対しては、限定的な軍事援助を行っている。
2014年9月、米国は有志国連合としてIS及び他のイスラム過激派に対する空爆を開始した。
しかし、アサド政権軍を手助けするような攻撃は避けている。また、政権軍と反政府勢力との戦闘に介入することも避けている。
このため、5000人のシリア人を反政府軍として訓練して武装させ、ISとの地上戦に投入するという計画は、わずかな成果しか上げられず失敗した。
(画像:サウジアラビアは、シリアの反政府勢力のうちのいくつかに軍事・経済援助を与えている)
スンニ派に属するこの王国は、アサド大統領は内戦終結後の政権に留まることはありえないと明言している。つまり、暫定政権へと権力を委譲するか、あるいは実力で排除されねばならないと。
何グループかの反政府勢力に対して、サウジ政府は軍事・経済援助を与えている。その対象にはイスラム主義を唱えるグループも含まれている。
また、シリア政府軍の爆撃から民間人を守るために、飛行禁止空域を設定するべきだとも主張している。
2013年にアサド政権軍が化学兵器をシリアで使用したが、オバマ政権は軍事介入を避けた。サウジの指導者達はこの決定に強く反発した。
その後、ISの支配地拡大と、それがサウジ国内の少数派に与える影響を警戒して、サウジ指導部は米国主導の有志国連合の一員となり、ISに対する航空攻撃に参加することに同意した。
(画像:トルコはシリアでの反政府蜂起が始まって以来、アサド退陣を求めている)
トルコ政府はシリアでの反政府蜂起が始まったときから一貫してアサド大統領を批判し続けている。
レジェプ・タイップ・エルドアン大統領は、「350,000人を死に追いやった独裁者を受け入れろ」とシリア国民に求めるのは不可能だと述べている。
トルコはシリアの反政府運動の重要な支持者であり、また、およそ200万人におよぶ難民を受け入れるという難題も抱えている。
反政府勢力の戦闘員や武器、それに避難民の国内通過を認めるというトルコ政府の方針は、結果として諸外国のジハード主義者がISに加わる手助けにもなった。
トルコは2015年7月にISによる攻撃を受けた後で、シリアのISを攻撃する有志国連合が国内の空軍基地を使用することを認めた。
しかし、トルコは、有志国連合がクルド人民防衛隊(YPG)を支援していることには批判的である。トルコとEUと米国はトルコのクルディスタン労働者党(PKK)をテロ組織と認定しているが、YPGはその流れをくむ組織なのだ。
(画像:イラン人指揮官が、反政府軍と戦うシリア政府軍を支援している)
シーア派の地域大国、イランは、アサド大統領とそのアラウィー派が支配する政府を支援するため、年間数十億ドルを費やしているとされる。これには軍事顧問団の派遣、武器援助、資金提供、石油の供給などが含まれる。
イランにとって、アサド大統領は、アラブ世界におけるもっとも緊密な同盟者である。イランがレバノンのシーア派武装組織(ヒズボラ)に武器を送る際、シリアは重要な中継拠点となっている。
それだけでなく、イランはヒズボラへの影響力を使って、シリア西部でアサド派の勢力を支援するためにヒズボラの戦闘員を送り込んだとも考えられている。
イランおよびイラクから送り込まれてきた民兵は、シーア派の聖地を守るためにシリア軍部隊と共同して戦っていると主張している。
http://www.nishinippon.co.jp/flash/f_kyushu/article/101609
で、今が異常なのかどうなのか分かるだろ、マスコミは
で、最近焼けたやつは治せるのか、いくら必要になるか、治そうとしてるやつはいるのか報道しろよ
韓国人が神社の木にマッチをあてる遊びだの流行ってるし、靖国に放火未遂いくらでもあるし、なんとかしないと神社全て焼かれるぞ。
昨年の火事でこんだけある
4月10日 東京都高尾市 千代田稲荷大明神の拝殿全焼 賽銭箱が空で逆上し放火された
5月1日 東京都三鷹市 井の頭公園内の親之井稲荷尊神社から出火
「こうやって、ブロガー同士を戦わせるんです。」
『はてな村オンライン』の基礎的なシステムを開発したといわれ、かつては『株式会社・グレー』に所属していたこともあるという。(株)はてな村オンラインを訪問し、このような大物にインタビューできたのは幸運だった。
淀みなくミスターは語る。
はてな村オンラインには、ブロガー同士を険悪にするようなフィーチャーは組み込まれていない。肝心なのは、ブロガー同士がソーシャルに繋がること、お互いのidを個体認識しあいながら、ブログ-ハイク-ブックマーク-スターという一連の階層構造のなかで反復的なコミュニケーションが可能であること。ただそれだけでブロガー達は戦うのだという。
「はてな村オンラインは素晴らしい。新時代のネットワークゲームです。」
ブロガーのなかには孤独に日記を書き綴るタイプもいる。だが、それを遙かに上回る「名声欲やPVに飢えたブロガー」「揉め事を愛しているブロガー」が存在しているので、彼らに競合的なメディアをあてがえば、おのずと闘争に満ちた闘技場ができあがる。しかも、はてな村オンラインの階層構造は、安全な場所からネットバトルをウォッチしたがるプレイヤーに天井桟敷を用意している。メタの高みから石や空き缶を投げつけやすい構造になっているのだ。“ブクマカー”と呼ばれる、天井桟敷専門なプレイヤーも多い。
ところが、ミスターに言わせれば“ブクマカー”は無敵の捕食者ではなく、むしろ食物連鎖の生産者……餌なのだという。
「こちらをご覧下さい。」
ミスターが見せてくれたのは、はてな村オンラインのアカウントアイコンが並んだ表だった。はてな村オンラインの常連なら必ず知っていそうなidが、ずらりと並んでいる。観たこともないパラメータが記されていた。左から順番に、威信値、カルマ、正統性、ブラックスター、被非表示。首を傾げる私に、ミスターはこう言った。
「はてな村オンラインには隠しパラメータがあって、ゲーム世界で何を語り、何に言及したのかによってパラメータが上下します。“ブクマカー”は、いつも高いところにいるからプレイヤーが油断しやすい。パラメータがすぐに汚れてしまう。」
確かに。指し示された“ブクマカー”の幾つかは、パラメータが真っ赤になっていた。ブラックスターを山のように積み上げ、数十人から非表示にされている宿業のアカウントもいた。ミスターによると、プレイヤーの数%は“ブクマカー廃人”になってしまうらしい。しかし、そんな廃人に存在意義はあるのか?インターネットに悪意をまき散らして憚らない彼らは、さっさとBANすべき存在ではないのか?
「こちらのディスプレイを観て下さい。たった今、『あざなえるなわのごとし』がブクマカーに誹謗されましたね。誹謗したのは、この、ブラックスター三百個を貰っている廃人ブクマカーです。彼のアカウントの威信値とカルマが悪化しました。でもそれだけじゃありません。誹謗された『あざなえるなわのごとし』の威信値とカルマが、かなり良くなりました。他のブクマカーのパラメータも少しだけ良くなった。つまり……」
「つまり、廃人アカウントがやらかすたびに、廃人以外のアカウントのバリューが増えるんですよ。何回でも。」
「増えたバリューは、廃人自身がBANされても、はてな村オンラインを退会しても消えません。もちろんSPAMや法に触れるアカウントは取り締まりの対象ですが、平凡な廃人は、はてな村オンラインに新しいバリューを提供する生産者なのです。そのとき対になって生まれる負のバリューは、廃人自身が抱えてくれ、退会すれば消えていく。もちろん、真っ赤なパラメータを抱えたままでバリューを産み出し続けることだってできる。ブクマ御大尽の廃人達は、はてな村オンラインのバリューの源泉なんですよ。」
ミスターの言っていることが、さっぱり理解できない。それともこれが“グレー・脅威のメカニズム”というやつか。めまいを覚えてソファにもたれた私に、ミスターは誇らしげな表情を浮かべながら、一枚のプリント用紙をよこした。
「今日はどうもありがとうございました。おみやげです。はてな村オンラインを、これからも宜しくお願いします。」
値千金との誉れ高い“はてなのお茶”を呑んで一息ついた私は、ヨロヨロと立ち上がり、ミスターに渡された紙に視線を落とした。
褒められないアカウントとの評判です。
・8月4日、小規模な戦いとなった「ナゼコロ戦争」は4日間続きました。我がアカウントは威信値を失いました。
・8月17日、痛み分けに終わった「第一次 アニオタ-●●●●戦争」の結果、現状を維持することができました。
・9月1日、id:●●●●は英断を下し、はてなブックマークプラスを申し込みました。
・9月6日、id:●●●●は英断を下し、はてなブラックスターを購入しました。
・9月20日、7日間続いた「はしご戦争」に参戦した結果、我がアカウントは予期せぬ攻撃を受けました。非モテ、ライフハック、および恋愛の中核プロヴィンスを失いました。
・9月29日、id:●●●●は情報商材の助言に従い、googleアドセンスの申し込みを決定しました。
・10月7日、悲惨な結末を迎えた「第二次 モヒカン-●●●●戦争」は3日間続きました。我がアカウントは敗北を喫しました。ITの中核プロヴィンスを失いました。
・10月13日、正義の戦いとなった「承認欲求戦争」は4日間続きました。我がアカウントは大勝利をおさめました。心理、ライフハックの中核プロヴィンスを得ました。
・10月30日、血塗られた戦いとなった「ベーシックインカム戦争」は7日間続きました。我がアカウントは威信値を失いました。
・11月5日、id:●●●●は英断を下し、はてなブラックスターを購入しました。
・11月9日、愚かな戦いとなった「第四次 アニオタ-●●●●戦争」は4日間続きました。我がアカウントは大敗北を喫しました。心理、ライフハック、オタク論の中核プロヴィンスを失いました。
・12月1日、凄惨な戦いとなった「第十五次 はてな村例大祭」は3日3晩続きました。我がアカウントは致命的な打撃を受けました。ブログ論の中核プロヴィンスを失いました。我がアカウントはプライベートモードに移行しました。
これはひどい。過ぎし日のブログライフを思い出し、私は再びめまいに見舞われた。私のようなプレイヤーは、ゲームシステムに織り込み済みの存在だったのだ。
HMJM ハマジム 10th Anniversary Nights - イベント | UPLINK
この日上映されたのは
『大橋仁 そこにすわろうとおもう メイキング 』(2013年/24分)
『ドキュメント 安達かおる~ジーザス栗と栗鼠スーパースター琥珀うたの舞台裏から』(2013年/60分)
という松尾監督が友人や師匠など近い存在の男性を撮った非AV作品3本。3本目の安達監督のドキュメントがAVの撮影現場を舞台にしている為、18禁イベントだったのですが、女性客も結構いらっしゃってました。
最初に松尾監督が登場。軽くこの日の進行を説明(豊田さんのが終わったら休憩を挟みますよ、みたいな感じ)してから上映開始。
『豊田道倫 映像集3』はそのタイトル通り、豊田道倫氏の色々なライブ映像を1つに纏めた作品。1と2はDVDとしてリリースされているのですが、3は映画館やイベントでの上映のみでソフト化されていません。
この作品が一番最初に公開されたのは2010年10月30日の豊田道倫新宿4DAYS最終日で、その時は『豊田道倫 映像集 Ⅲ 新宿Poo上映版 』というタイトルでした。
その後、2011年2月26日に池袋ロサという映画館で行われたMOOSIC LABというイベントの3日目(#3:豊田道倫映像集/実験の夜、発見のロサ。)に『豊田道倫 映像集3-MOOSIC LAB Version-』が、そして2011年のゴールデンウィークに広島と大阪で『豊田道倫 映像集3 地方上映版』、2012年の7月3日に神戸の元町映画館、8月13日に渋谷アップリンクで『豊田道倫 映像集3 無題(new version 84分)』が上映されました。
新宿Poo版、ロサ版、地方上映版、そして2012年の無題と一応同じ作品という事になっておりますが、編集が物凄く変わっていて、「え?あの日のライブは丸々カット?」「前見た時のラストシーンの後に見た事ないシーンがめっちゃ追加されてる!」という感じなので上映される度に見に行ってます。Poo、ロサ、大阪で3日連続、去年のアップリンクに続き今回で見るの7回目。多分全部のバージョンコンプしてるはず。
この日上映されたのは去年神戸と渋谷で上映されたのと同じ『豊田道倫 映像集3 無題』。…のはずなんだけど、最後のクレジットに2013って出てたんだよなぁ。それが気になってる。もしかしたらちょっと編集し直してたのかもしれない。けど前に見てから1年以上経ってる&ちょっとずつ違うのを何回も見てるので、正直どこが違うのか、もしくは全然変わってなかったのか解んなかったっす。。。(全部の版を見に行ってる意味が無いw)
最後のトークコーナーでもちょっと触れられてたのですが、今までは豊田さんが出演するイベントでかかる事が多かったので豊田さんのファンの方が見に来られてたのですが、今回は豊田さんも出ないし、この作品ではない作品目当てのお客さんも結構居たので今までの上映とはお客さんの受け止め方がちょっと違った感じ。最前列のど真ん中に座ってたグループが途中で席を立って戻って来なかったり携帯を弄っていたりと完全に飽きていた様子。確かに豊田さんのような音楽は刺さらない人には全く刺さらないからなぁ。実はこの日、私は友人と一緒に見に行ってたのですが、そういやその友人は豊田さんみたいな音楽全然興味なさそうだというのに途中で気付いてヒヤヒヤしてたのですが、後で聞いたらまぁ何となく楽しめた、みたいな事を言ってくれてたのでホッとしました。
休憩を挟んで2本目の『大橋仁 そこにすわろうとおもう メイキング 』。今回のイベントはこの作品目当ての女性客の方が多かったようですね。自分の全財産をはたき、男女300人による大乱交を作り上げ、その様子を撮影した写真家・大橋仁氏の3冊目の写真集『そこにすわろうとおもう』の撮影現場のメイキング映像。この乱交シーンを作り上げる為にHMJMが協力していたという事で松尾監督がメイキングを撮影されたようです。
この映像は2013年4月14日に原宿VACANTで行われたこの写真集のトークショーと、9月10日に渋谷WWWで行われた大橋仁写真集『そこにすわろうとおもう』刊行記念 大橋仁×七尾旅人 ~百人組手番外編・写音真楽~というイベントで上映されました。私はVACANTで見たのですが大入り満員、WWWの方も満員で見れなかった人もいたとの事(というか今回一緒に行った友人が当日券に希望を託して会場まで行ったのですが入れずに帰った中の1人でした)。
大乱交シーンの撮影の様子を中心に構成されていて、東京郊外の駅前に沢山の男女が集合し、バスに乗せられスタジオ入り→休憩無しの過酷な撮影に挑む様子が映像に収められておりました。途中で体調を崩してリタイアする女性の様子が映し出された後にしかし男性陣でリタイアする者はいなかった、という様な説明テロップが出たりしててちょっと面白かったw
写真家として活躍して得た数千万円の貯金をはたいて写真集を作る大橋氏の撮影中の気迫はカメラを通してもしっかり伝わってきました。終演後、ロビーにこの写真集が置いてあったので急ぎ足でざーっと見たのですが、頭の中にあるイメージというか妄想を数千万円のお金をかけて作品に「せざるを得ない」という彼の業のような物を感じました。23000円という価格も納得の出来。でも買って家に置いてちょくちょく見たりするにはパワーが強すぎるというか。ナンカ色々な物が吸い取られそうな。とか書くと買わない言い訳みたいっすね。そうじゃなくてホントそれくらいの力がある写真集だと思います。ちなみに、写真集の中身についてちょっと書きますと、乱交シーン以外のページもいっぱいあって、そこに大橋氏がたまたま発見してしまった首吊り自殺の遺体の写真なんかもあったりします。
そのまま続けて3本目の『ドキュメント 安達かおる~ジーザス栗と栗鼠スーパースター琥珀うたの舞台裏から』が上映されました。
こちらの作品は松尾監督の古巣、V&Rプランニングの看板シリーズ・ジーザス栗と栗鼠スーパースターが10数年ぶりに復活するという事で、その撮影の様子をドキュメント作品にした物。ジーザス栗と栗鼠スーパースター琥珀うたのDVDに本編とセットで収録されて販売されております。
今回はメイキングのみの上映だったのですが、こうやってメイキングだけ見ると本編見てなかったら意味解らんシーンあるなぁと(最後の方の終わり方とか)一緒に行った友人の反応が気になってたのですが、後で聞いたらその辺は特に気にならなかったようで良かったです。
大掛かりなAVの撮影現場の様子自体が物珍しくて面白いってのもありますが、安達監督も面白いですね。この日上映された3作品の中ではこの作品のみ普通にDVDで買えるので興味を持たれた方は買ってみて下さい。HMJMファンの方向けミニ情報としては、ジャケのうたちゃんの後ろに立ってる男性陣に梁井監督とKENSAKU監督が混じってらっしゃいますよー。メイキングの中でもちょこちょこ映りこんでらっしゃるので探してみましょう。
上映後、トークコーナー。実は予定としてはこのトークコーナーに琥珀うたちゃんが登場するというお話もあったようですが、前のお仕事が長引いてしまって間に合わなくて出演出来なかったとの事。代わりにバクシーシ山下監督とカンパニー松尾監督のお二人によるトーク。山下監督はジー栗にメインカメラとして参加してらっしゃったのでその時のお話など。時間が遅くなってしまっているという事もあって10分ちょっとくらいの短い時間でした。
ジー栗はDVD持ってるし、大橋さんのも4月に見たし、豊田さんのに関しては7回目だし、という事で腰をすえて細かい所を見ていく感じで見たのですが、楽しかったです。特に豊田さんの映像集はアップリンクの前の方の席で見るのがちょうどエエ感じですわ。今後もちょくちょく上映して欲しいです。あと、大橋さんのはそれ目当てで来てたお客さんも多かったのでまた何かの機会に上映されたらいいのになぁ。願わくばもうちょっと長い時間のバージョンで。
この次の日のイベントにも行きました→
HMJM 10th Anniversary Nights Vol.2『ハマジムだよ!全員集合 ~主要監督と共に振り返るハマジムの10年』というイベントに行って来ました。
以下転載
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つらくても、音楽ゲームの人生を過ごしていた。音楽ゲームのおかげで、音楽が更に好きになって、作曲もそれをきっかけに始めた。
正直、かなりBEMANI音楽ゲームに恵まれた。さようならって言いたくない。BEMANIがオレの人生を変わった。人々と出会って、人生の理を体験して、そして音楽がオレの中の一番高い位置を定めた。
何回も何回も、KONAMIがやっちゃったことが、オレみたいなBEMANI信者を傷つけ、絶望させ、そして諦めたくなってた。が、結局なんだかんだの理由を見つけて、自分を説得して、ゲームを引き続いて好きになることにした。
たとえポップンが2作間(TUNE STREET、FANTASIA)稼働してなくても、たとえ未だにe-amusement gateの使用がかなり不便としても、たとえ今回のKAC2013に海外の待遇がどんなにひどくても、たとえKONAMI公式と香港の代理がどんなにプレイヤーに冷たくても、たとえKONAMIのアーティストさんとプロデューサーさんがどんなに働かされてネタ尽きになっても、BEMANI信者達はまだ希望を持って、きっとこれから楽しくなるよと、いろんな意見を提出し、ゲームを支えるように動力した。
この音楽ゲーム界において、オレはさまざまなでき事があった。海外のプレイヤー達をつながって、コミュニティを作った。自分なりの面白いやり方を宣伝し、日本のプレイヤーまで感染させた。ポップンを復活させるために、意見書を直接にサウンドディレクターであるwacさんに渡して、果たして海外がポップンSunny Parkを遊ぶことができた。BEMANIゲームの愛と努力といえば、オレは少なくはないはず。
しかし、ある事情があって、もうBEMANIゲームが好きになれなくなった。KONAMIが、ほんのすこしの決定をして、オレの夢を破壊した。
それは先日、10月30日のこと。8月に行われた、サンボルフロアの自由研究コンテストにで、オレが一員としているチームが、KONAMIから本収録通知きて、契約書をサインしてKONAMIに送った。
だがしかし、10日30日に、公式ページが結果を発表したところ、オレのチームが入ってない。リーダーからメッセージが来て、楽曲が不採用になりましたとのこと。
そう。その理由で不採用に。ルールにはっきり記載してない理由で。
ルールの最初にあった、「参加者の資格は、日本国内在住の方のみ」ってもちろん知ってる。しかし共同制作者についての制限は一切記載されてない。
それより、すでに韓国とアメリカ在住のアーティストがサンボルに参加している。チーム内の話し合って推測した結果は、申し込む人が日本在住であれば大丈夫だと。それに基いて、チームの一員として、このコンテストを参加した。
もちろん結果はご覧の通り。不採用。
ちょっと昔話だけど。10年ぐらい前、プレステで家庭用のダンレボとギタフリをちょっと遊んで、そして9年前ごろからキーマニを触れ、合わせて10年以上BEMANI音ゲーを遊んだ。キーマニとギタドラの楽曲の影響を受けて、15歳ごろから作曲を始めた。だんだん成熟になって、音楽ゲーム以外の分野でも曲を作ってみた。
もしかしたら、いつか、オレの曲がこんなすばらしい音楽ゲームにも収録させ、楽しい曲と楽しい譜面をみんなに遊ばせるのかな、と思っていた。これは、音楽ゲームプレイヤーとクリエーターとしてのほんのすこしの夢だった。それを叶えるために努力していた。
最初からキーボードから五線譜を入力し、そしてFLStudioを使い始め、音楽ゲームに楽曲が収録され、自分のアルバムを作り、ゲーム音楽をいろいろ作った。すべて実際の行動で自分の作品の品質を証明させ、聞く方に楽しませるためだった。
BEMANIにも3回投稿したが、すべて落選した。毎回でも出した作品を聞き直して、進歩を目指し、今度もっと素晴らしい曲を作れるようにがんばった。
音楽ゲームの楽しさを知るため、何年間も研究して、名無しのガキから海外の音ゲー代表の一員になった。3回でも公式大会に出た。日本、台湾、中国、アメリカなど、いろんな国のプレイヤー方と話し合って、各地の音楽ゲーム文化とプレイヤーの実力を理解し、音楽ゲームプレイヤーがほしいもの、そして楽しんでいることは一体なんなのかをたくさん聞いた。
ついにBEMANIアーティストと直接に話す機会があった。彼らの世界はいったいどんなものなのかを知りたい。そして自分の夢への正しい方向を見つけたい。
KACA2011のギタフリ部門に優勝して、AOU2012に行くことになった。バックステージに、dj TAKAさんと話した。もちろんBEMANIに曲出したいって話をした。そしてdj TAKAさんは、これからIIDX17のリミックスコンテストみたい、いろんな公募をやるつもりなので、どんどん参加してください、って励んでくれた。審査担当のdj TAKAさんがいうから説得力あるかと信じて、いつか参加できるじゃないかな、と思ってた。
そして、2012年4月に、SDVX FLOORが開設した。2013年4月、海外のSDVXも稼働し始めた。今は2013年11月で、もう一年半経った。海外のプレイヤーはまだSDVX FLOORを参加することができない。
2013年5月に、台湾のBEMANI座談会を参加した。台湾の関係者がオレの友達で、ポップンについての意見をその場で述べようと誘った。もちろんポップンだけではなく、すべてのBEMANIゲームについての意見も考えた。SDVX FLOORを海外にも対応させるの話ももちろん。
そして座談会に来たBEMANIの方は、おおたPさんだった。そこで、海外はいつFLOORに投稿することができるか、とおおたPさんに言った。「日本人のフリにして参加したほうが早いですね」と答えた。ほぼBEMANIの最高責任者かつプロデューサーである方から教えてくれたので、信じてた。ずっとこの日を待っていた。
しかし、コンテストは何回も行われたけど、応募資格はまだ日本在住のプレイヤーのみ。
今回、日本のアーティスト4人とチーム名義で、自由研究コンテストを参加した。事前はもちろんちゃんとルールを読んで、過去も海外在住のアーティストが参戦した作品も収録されてることを確認して、参加することになった。ついに、時が来た。あと一歩で夢が叶う。本当に最後の一歩だった。
10月のはじめ頃に、仮採用通知がリーダーに来た。約1週間前、KONAMIからもらった契約書をサインして、回送した。10月28日、こっちから送った書類が届いてると確認した。
2日後(10月30日)、公式ページに掲載された当選者リストには、チームの名義がなかった。同時に、スカイプからリーダーのメッセージが来て、公式からメールによると、
「弊社宛に確認書及びデータを拝受し確認させていただきましたところ、共同製作者の方が日本国外に在住されていることが確認できました。(中略)応募資格がない方がご参加されているが確認できましたため、この度は大変残念ではございますが採用を取り消しとさせていただく運びとなりましたのでご連絡いたします。」
「外国在住者立入禁止」のドアがいきなりしまって、その一歩を踏み出すことができなかった。実力が足りないのわけではなくて、ただただオレが日本に住んでいないだけだ。
チーム全員もパニックになって、対処方法を考えた。リーダーは早速KONAMI側と交渉したけど、当日には何も変わらなかった。翌日にはKONAMIからの連絡がなかった。
この文を書いてる時点(11月1日)には、もうKONAMIに希望を一切持ってない。
もうBEMANIゲームを遊ぶ理由がなかった。騙されたかも?dj TAKAさんに、おおたPさんに、KONAMIの人に。
多分、海外の人は全然目に入らないだろうか?日本人だけで十分だ、と。
これからはもうBEMANIゲームから思い出を作ることができないだろう。ゲームのクオリティがだんだん不評になって、コストダウンがまるまるになって、新しい遊び方とか考えず、連動イベントで貢がせる気が満々に。尊敬していたアーティストさんも、この1、2年間に曲作り過ぎで、もう印象に残る衝撃な楽曲がなかなか作れなくなった。ゲームの面からでも、音楽の面からでも、BEMANIが昔みたいな魅力が、音楽ゲーム業界においての代表役が、もうなくなった。
オレにとっては、今はBEMANIから引退するタイミングだから、落下式音楽ゲームの世界からしばらく離れて、世界各地の音楽ゲームを楽しもうと思う。これからも音楽ゲームを愛してる。音楽自体も愛してる。音楽ゲーム風の曲も作る。ただ、他のメディアを通して、音楽ゲームとゲーム音楽を楽しみたいのだ。
以上。これからもみんなのちからで、音楽ゲームの世界を支えるように。
平成25年11月1日
左側通行なんだから、運転者から見て左、対向車が右に来るように避けろ
道路交通法第63条の4 国家公安委員会告示「交通の方法に関する教則」
http://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku/kyousoku/index.htm
第3章 第2節 の 2の (10)
(10) 歩道でほかの自転車と行き違うときは、速度を落としながら安全な間隔を保ち、歩行者に十分注意して、対向する自転車を右に見ながらよけるようにしましよう。
対向する自転車が右に来るように避けるんだから、ハンドルは左に切れ。
歩道の最右側を左側に通行。
順走行だから 逆走行だから ではなく、どちらに向かって走っていても常に左にハンドルをきるって教えないとだめ。
簡単に覚えられるルールを複雑に教えるな。
狙いすぎの表題ですいません。これは「オスプレイの件でオブイェクトJSF氏に反論したらコメント削除&アク禁」http://anond.hatelabo.jp/20120712011448の続きです。ですので、そちらからお読みいただければ幸いです。長文ですが、せめて.3までは。
「だが、あんな長文読む時間がない!」方用の産業:『日頃他人にはやたらと厳しいオブイェクトJSFが、自身の管理ポリシーに反するコメント削除&アク禁。姑息なNGワードも判明。あとは彼の内容に乏しいオスプレイ擁護記事への寸評と、JSFの黒歴史「メルトダウンとかおきるわけないでしょう」』
・「コピペ連投」が理由なら、規制&強制H付与だけのはず。なのになぜ消す?しかも短いほうだけを?
・百歩譲って「記事に無関係」が理由だとしても、それなら他にも消されるべきコメントは山ほどある
・それに、「削除したらそれを明記する」とあるのにしていないのが致命的
実は、JSFはこのアク禁の一件に関しては、以下のツイート2つ以外は黙して語らず。増田には一切反論せずシカトする模様だ。ただし、何食わぬ顔で今日もせっせとオスプレイ擁護を続けている。なんとも図太い神経だと思うが、まあ何しろ原発の件であれだけ恥をかいても懲りないのだから、常人の感覚で彼を見てもしょうがないのかもしれない。
軍オタなんて卑しい存在なんだからな。 / “オスプレイの件でオブイェクトJSF氏に反論したらコメント削除&アク禁” http://htn.to/JN5d2H https://twitter.com/y_mat2009/status/223218570056826880
http://bit.ly/Ny5jQX baatarism氏がこの私怨丸出しツィートをRTしてますが、なんかあったのかな @obiekt_JP さんと。https://twitter.com/hayohater/status/223292841810608129
@hayohater 何度か日銀陰謀論や財務省陰謀論に苦言を呈したくらいですね。あとブログの規制は反論コメントだからではなくコピー&ペーストの連投を続けていたからです。コピペ連投者への規制は以前にもやってます。https://twitter.com/obiekt_JP/status/223366799507456000
基本的に私のブログのコメント欄は1.商業宣伝と記事内容2.無関係な話 3.長文コピペ連投を続けてる場合を規制しています。反論が規制されたと言ってる人は大抵2か3です。長文コピペ連投の規制は何年か前もやってます。https://twitter.com/obiekt_JP/status/223422861010939906
で、彼は「長文コピペ連投」だから「規制」した、と書いている。ん?私が先の増田に挙げたJSF氏の管理ポリシーには、そんなことは書いてなかった。で、再度調べた。「コメント欄」だけでなく「長文コピペ」「コピペ連投」などでブログ内検索すると、他に3つのエントリが引っかかった。先の3つと合わせて以下の6エントリ。
http://obiekt.seesaa.net/article/120144841.html http://obiekt.seesaa.net/article/133736708.html
http://obiekt.seesaa.net/article/139079503.html http://obiekt.seesaa.net/article/142857552.html
http://obiekt.seesaa.net/article/146147664.html http://obiekt.seesaa.net/article/167737856.html
しかしこれらをすべて見直しても、「長文コピペは削除」とは書いてない。これ以外に最新鋭のコメント欄管理ポリシーがあるのか?右肩の「ブログ説明」にも何も書いてないし、これ以外はないと判断した。
「2010年04月10日 大量の空白改行を用いた投稿への規制」より抜粋。
なおコメント内容については一切手を付けません…これまで当ブログのコメント欄では「記事内容と無関係な宣伝書き込み」のみを削除対象とし、記事内容に関係のある話ならば異論反論であろうと削除した事は一度もありません。またその他の、数十分間に何十連投もする行為や、異常な量の空白改行を用いる行為については、削除や投稿制限では無い適切な対応処理を取らせて頂きます。
○記事と無関係な書き込み→削除処理(削除した事を明記)
6本の中で最新のエントリ「2010年10月30日 iswebライトの本館消滅のお知らせとコメント欄の今後の対応」より抜粋。
今後はルール違反書き込みを行った者は書き込み停止の規制(一定期間後に解除)を行います。その上で記事違い投稿は「削除処理」 、空白改行は「空白1行残して詰める」、フレーズ繰り返しは「1行残してカット」、巨大AAは「削除処理」、短時間多重投稿は「強制HN付与」とします…記事違い投稿でなければ異論反論であろうと削除はありません。
いちいち納得できる管理ポリシーだ。耳に痛い反論であっても、発言の機会は必ず保障するという基本理念。この通りに管理するなら、まことに立派なことだ。
しかし、現実は全く違っていた。ツイートのように「長文コピペ連投」だとするなら、その処理は「強制HN付与」だけのはずだ(そもそも大した連投ですらない)。だが、その処理はなされず、短文の5-7だけを削除してしまった。しかも、削除したことも明記されてない。
で、百歩譲って、7のみが「記事内容に関係ない」に抵触、ならまあ納得はする。しかし、5-6は2-4のコメントに関連しているし、そもそも彼の姑息なNGワード設定がなければ必要なかったものだ。
仮に5-7が『いや、やっぱり「記事と無関係な書き込み」により削除』だったとしよう。では、当該エントリの後ろのほうの、こういうくだらないコメントはどうなる?
17. >>16
彼等は自分達にとって都合の悪い事は決して見ません
隅金擁護している時点で明らかですし
Posted by 名無しОбъект at 2012年07月11日 15:18:42
19. >>18
Posted by 名無しОбъект at 2012年07月11日 15:22:20
28. どこぞで「僕チンの書き込みが削除された ムッキー」とかふぁびょってるやつがいるようだが
主が絶対にそんなことをする人ではないことは
世間はみんな知ってる
Posted by 名無しОбъект at 2012年07月13日 01:00:47
29.単に長文コピペ連投を続けたから規制されたってだけのオチらしい。只の荒らしじゃん。
Posted by 名無しОбъект at 2012年07月13日 01:30:58
それはすべて完全に否定されてるからな
Posted by 名無しОбъект at 2012年07月13日 01:36:05
31.嘘でなかったら頭の病気だろうね
Posted by 名無しОбъект at 2012年07月13日 01:41:58
32.>>17
なんだ、
要するに連中は放射脳の同類ってことね
いかにも「信者」の典型的なコメントだ。余談だが、これらのコメントって、実はJSFに非常に失礼と言うか、彼が傷つくセリフをさらっと吐いているのだよな。彼らによると、「主(JSF)は断じて検閲・アク禁はしない」だそうだ。私のスクショは捏造だ、とでも言うのだろうか。未だにこんなレベルの連中に期待され続けるというのも、大変なことではある。無能な味方は有能な敵より恐ろしい。その点はJSFに同情する。
で、これらは表題の「オスプレイの風圧と排気」といかなる関係が?5-7を消すぐらいなら、当然、これらも削除基準に抵触するはずだ。というか、JSFブログのコメント欄は、どの記事でもこうしたなんら生産的価値のないコメントが大半を占めているし、これぐらいの脱線ではいちいち消してはいないだろう。
5-7は、少なくともこれらのコメントよりは有益な情報が含まれているはずだ。ブログを訪れた普通の客にとって、だが。しかし、JSFにとっては、絶対に消さねばならなかった、というのは良く分かる。そりゃ、今まで隠してきたことが露見するのは気分のいいもんじゃない。
で、繰り返すが、「削除した事を明記してない」ことが致命的だ。やはり、あらゆる観点から見ても、JSF自身が定めた管理ポリシーに合致してない。
繰り返すが、JSFのブログは、往時に比べればコメント量は激減したが、まだそれなりにコメントはつくし、管理もそれなりに大変なのは理解する。だが、建前上は大きなことを言っておいて、実態がこれではただの詐欺でしかない。
以下はほんの一例に過ぎない。
言論封殺に懸念しておきながら自分への反論を封殺した元空将・佐藤守の致命的な矛盾http://obiekt.seesaa.net/article/109245787.html『「自由を守る」と称し、たった二つの反論トラックバックを消して言論弾圧を行うその姿勢は、自己陶酔の世界に浸りたいという愚かな欲求の発露以外の何物でもないでしょう』
批判トラックバックを削除した元空将・佐藤守の稚拙な言い訳http://obiekt.seesaa.net/article/109283539.html
プロとしての矜持を作家・大石英司はどう思っているのかhttp://obiekt.seesaa.net/article/115965827.html「相変わらず手当たり次第にコメント削除とアクセス禁止を連発されてるんですね…事前警告も事後通告も何も無く処理されて…」
JSFは初動対応を決定的に間違えた。不祥事を隠蔽しようとしてヤブヘビになったあれやこれやの企業や団体と同じように。雪印、ミートホープ、そして大津市教育委員会…いずれも、事件そのものというより、むしろそれを隠蔽しようとしたことこそが、壮絶炎上への引き金になった。
JSFが掲げていた名目上の寛大なコメント欄管理ポリシーは、管理者の度量の広さや高い知識・見識を示すものではなく、JSFの肥大化した自尊心・自己愛・自惚れを反映したものでしかない。ただの虚構だ。能力と看板が釣り合っていない。確たる財源もないくせに「○○○○反対!△△△△すれば財源はある!」とか言ってる(言っていた)政党と同じだ。だから、今回のような事案が起きると、こそこそと隠蔽をはかるしか方法がなかった。
JSFは、まずは上記コメント欄のようなバカ信者と手を切るべきだ。朱に交われば赤くなる。Twitterは、自分が意識せず、普通に使っているだけで、似た意見の者だけで群れるムラ社会が構築されやすいメディアだ。そして、JSFのように年がら年中、居丈高にケンカを売りまくれば、相手や観戦者はドン引きし、ますます耳に痛い意見は届かなくなる。
これからは、ブログを書く前に、JSF自身が、一度ざっとオブイェクトスレを見ておいた方がいい。たいへんつらいことだが、けっこうためになることも書いてあるから。JSFの信者は、スネークとして失格だ。スレにも、数は少ないとはいえ、信者は来て書き込んでいる(ほとんどがスパムに近いが)。ROM専を含めればもっといるはずだが、その誰一人として、JSFに「批判ではあるけど、これは知っておかないとヤバいでっせ」と忠告する者がいなかった。もし一人でも普通レベルの情報分析力と危機感を持ったスネークがいれば、JSF自身は今回こんな恥をかかずに済んだのだ。
これは、信者があまりにも「無能な働き者」すぎからどうしようもない、という面もある。が、それは先にも言ったように、「JSFに忠告したら、多分彼は機嫌を損ねるし…」と躊躇させてしまうJSF自身にも原因がある。その意味では、ボスとしての魅力にも欠けている。というか、そういうボスだからこそ、その程度のショッカー隊員しか残ってないのだが。
だから、最後にJSFに提案する。いっそのこと、Twitterアカウントを一度削除し、一から出直すのだ。そうすれば、無能な働き者どもともばっさり縁が切れるし、悪評もリセットされる。そして、新たな気持ちで前に進めるだろう。
同じく心機一転・新しい道を選んだ某大立者に倣って、新アカウント名は『オスプレイの安全が第一』がお勧めだ。オスプレイ命の君にピッタリだし、今なら話題性も抜群。ちょっとかわいいボケキャラでツイートすれば、なに、フォロワー500ぐらいはすぐにつくだろう。
(7/15昼:一部てにをはの誤記修正・強調表示などを見直した)
A Sister’s Eulogy for Steve Jobs
貧しかったので、そして父はシリアからの移民だと教えられていたので、
父については、オマル・シャリフのような人ではないかと想像していました。
裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。
のちに面会したとき、私は、父は理想に燃える革命家で、アラブの新世界を導く人だったのだと、
だから転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。
私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。
二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。
25歳になってその人に出会いました。
それが兄でした。
他の作家志望者3人と一緒に、クローゼット並の大きさの事務所で小さな雑誌の仕事をしていました。
その弁護士は、上司に健康保険をねだるような、カリフォルニアの中流階級の娘である私に、
「裕福で、著名で、あなたのお兄さんである人物の代理人だ」と名乗りました。
同僚編集者たちは騒然となりました。
それでも私は大好きなディケンズの小説の筋書きに放り込まれたようでした。
弁護士は兄の名を伝えるのを拒み、同僚たちは賭けを始めました。
一番人気の候補は、ジョン・トラボルタ。
私が密かに期待していたのはヘンリー・ジェイムズの後継者、
何の苦もなく優れた作品を生み出す、自分より才能のある作家でした。
初めて会ったとき、スティーブは私と同じ年格好で、ジーンズを履いていました。
オマル・シャリフよりもハンサムな、アラブかユダヤの顔立ちでした。
偶然にも二人ともそうするのが好きでした。
何を話したのかはあまり覚えていませんが、
とにかく友達にしようと思えるような人だと感じたのは覚えています。
私はまだオリヴェッティのタイプライターを使っていましたから。
コンピュータを一台、初めて買おうかと思っているとスティーブに言いました。
Cromemcoという名前でした。
彼は、恐ろしく美しいものを作ろうとしていると言いました。
これから、スティーブから学んだことをいくつかお伝えしたいと思います。
彼の充実した人生。
彼の病気。
彼の死。
彼は頑張って働きました。
毎日働きました。
彼は散漫の対極のような人でした。
彼は、たとえ失敗に終わるとしても、頑張ることを恥とはしませんでした。
スティーブのように聡明な人が挑戦を恥じないのであれば、私も恥じる必要はないのかもしれません。
彼はシリコンバレーの指導者500人が現職大統領を迎えるディナーのことを話してくれました。
彼は傷つきましたが、 NeXT に行って働きました。毎日働きました。
スティーブにとって最高の価値は、新規性ではなく、美しさでした。
彼は流行や小道具を好みませんでした。
自分と同世代の人が好きでした。
「ファッションとは、美しく見えるがのちに醜くなるもの。芸術とは、最初醜く見えるがのちに美しくなるもの」
スティーブはいつも、のちに美しくなるようにしようとしていました。
彼は誤解を受けるのを恐れませんでした。
パーティに招かれなかった彼は、三台目か四台目の同じ黒いスポーツカーで NeXT に通い、
あるプラットフォームを、チームとともに静かに作っていました。
それは、ティム・バーナーズ・リーがのちに、
ワールドワイドウェブを動かすプログラムのために使われることになるものでした。
愛について話す時間の長さにかけては、スティーブは女の子並でした。
愛は彼にとってこの上ない美徳であり、最高の神でした。
「独身なのか? うちの妹とディナーはどうだい?」と声をかけました。
彼がローリンと出会った日にかけてきた電話を、今でも思い出します。
「こんなに美しくて、頭がよくて、こんな犬を飼っている人なんだけど、結婚するつもりだよ」
リードが生まれて以来、彼は止まることなく家族に愛情を注ぎ続けました。
彼はどの子にとっても実の父親でした。
リサの彼氏と、エリンの旅行と、スカートの長さと、イヴの愛馬についてやきもきしていました。
リードの卒業パーティに出席した人はみな、リードとスティーブのゆっくりとしたダンスを忘れられないでしょう。
ローリンに対する変わることのない愛が彼を生き延びさせました。
私は今も、そのことを学ぼうとしています。
彼はそのことで孤独を感じていました。
私が知るかぎり、彼の選択のほとんどは自分のまわりに巡らされた壁を壊すためのものでした。
ロスアルトスから来た中流の男が、ニュージャージーから来た中流の女に恋をする。
二人にとって、リサとリードとエリンとイヴを普通の子供として育てることは重要でした。
スティーブとローリンが一緒になったことが分かってから何年間ものあいだ、
夕食は芝生で食べていましたし、食事が野菜一種類だけだったこともありました。
一種類の野菜をたくさん。
一種類だけです。
旬の野菜。
簡単な調理。
若き億万長者でありながら、スティーブはいつも私を迎えに空港まで来てくれました。
ジーンズを履いて待っていてくれました。
「お父さんは会議中ですが、お呼びしたほうがいいですか?」と答えてくれました。
リードが毎年ハロウィンに魔女のかっこうをしたがったときには、
何年もかかりました。
同じころ建設されていた Pixar のビルはその半分の時間で完成しました。
パロアルトの家の中はどこもそんなかんじでした。
ただし、これが重要なところなのですが、その家は最初の時点ですばらしい家でした。
彼が成功を満喫しなかったというわけではありません。
何桁分か控えめではありましたが、十分満喫していていました。
その店で最高の自転車が買えるんだと自覚するのが大好きだと話していました。
そして実際、買いました。
スティーブは学びつづけるのが好きでした。
彼はある日、育ち方が違っていれば自分は数学者になっていたかもしれない、と言いました。
彼は大学について尊敬を込めて語り、スタンフォードのキャンパスを歩くのが好きでした。
最後の数年間、彼はマーク・ロスコの絵画の本を研究していました。
未来のAppleのキャンパスの壁に何があれば皆を刺激できるだろうと考えていました。
スティーブは物好きなところがありました。
イギリスと中国のバラの栽培の歴史を知り、デビッド・オースティンにお気に入りのバラがあるCEOが他にいるでしょうか?
彼はいくつものポケットにいっぱいのサプライズを持っていました。
たとえ二十年間人並み外れて近しく寄り添ったあとであっても、
きっとローリンにはこれから発見するものがあるだろうと思います。
彼が愛した歌、彼が切り抜いたポエム。
彼とは一日おきくらいに話をしていたのですが、
ニューヨークタイムズを開いて会社の特許の特集をみたとき、
こんなによくできた階段のスケッチがあったのかと驚きうれしくなりました。
四人の子と、妻と、私たちみなに囲まれて、スティーブは楽しい人生を送りました。
そしてスティーブが病気になり、私たちは彼の人生が狭い場所に圧縮されていくのを見ました。
彼は京都で手打ちそばを見つけました。
もうできませんでした。
最後には、日々の喜び、たとえばおいしい桃ですら、彼を楽しませることはできませんでした。
多くのものが失われてもなお、多くのものが残っているということでした。
兄が椅子を使って、ふたたび歩けるようになるための練習をしていたことを思い出します。
彼は肝臓移植をしたあと、一日一度、椅子の背に手を乗せ、支えにするには細すぎる足を使って立ち上がりました。
メンフィス病院の廊下で、椅子を押してナースステーションまで行って、
そこで座って一休みして、
引き返してまた歩きました。
ローリンはひざまづいて彼の目を覗きました。
彼は目を見開いて、唇を引き締めました。
彼は挑戦しました。
いつもいつも挑戦しました。
その試みの中心には愛がありました。
彼はとても直情的な人でした。
その恐ろしい時節、私は、スティーブが自分のために痛みをこらえていたのではないことを知りました。
家族を連れて世界を回り、退職したときにローリンと乗るために造っていた船の進水式。
病気になっても、彼の好み、彼の決意、彼の判断力はそのままでした。
看護婦67人を試し、優しい心があり全幅の信頼をおけると分かった三人をそばにおきました。
スティーブが慢性の肺炎を悪化させたとき、医師はすべてを、氷をも禁じました。
スティーブは普段割り込んだり自分の名前にものを言わせたりすることを嫌っていましたが、
このときだけは、少し特別な扱いをしてほしいと言いました。
「これが特別治療だよ」と私は伝えました。
彼は私のほうを向いて、「もう少し特別にしてほしい」と言いました。
挿管されて喋ることができなかったとき、彼はメモ帳を頼みました。
そしてiPadを病院のベッドに備え付けるための装置のスケッチを描きました。
妻が部屋に入って来るたび、笑みが戻るのが分かりました。
こちらを見上げて、お願いだから、と。
彼が言いたかったのは、医師の禁を破って氷を持ってきてほしいということでした。
私たちは自分が何年生きられるか知りません。
彼はプロジェクトを立ち上げ、それを完了させるようAppleにいる同僚に約束させました。
オランダの造船業者は、豪華なステンレス製の竜骨を組み、板を張るのを待っていました。
私の結婚式でそうしてくれたように、彼女たちと並んで花道に立ちたかったことでしょう。
物語の途中で。
たくさんの物語の途中で。
ガン宣告のあと何年も生きた人についてこう言うのは正しくないかもしれませんが、
スティーブの死は私たちにとって突然でした。
二人の兄弟の死から私が学んだのは、決め手はその人のあり方だということでした。
どんな生き方をしたかが、どんな死に方をするかを決めるのです。
火曜日の朝、彼はパロアルトに早く来てほしいと電話をかけてきました。
声には熱と愛情がこもっていました。
同時に、それは動き出した乗り物に荷物が引っかかってしまったかのようでした。
申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに、
私たちをおいて旅に出つつあるときのようでした。
「待って。行きます。空港にタクシーで行くから。きっと着くから」
「間に合わないかもしれないから、今のうちに言っておきたいんだ」
視線をそらすことができないかのように、子供たちの目を覗き込んでいました。
昼2時まで、彼の妻は彼を支えてAppleの人と話させることができました。
そのあと、彼はもう起きていられないということがはっきりしました。
呼吸が変わりました。
つらそうに、やっとの思いで息をしていました。
彼がまた歩みを数え、より遠くへ進もうとしているのが分かりました。
これが私が学んだことです。
死がスティーブに訪れたのではありません。
彼が死を成し遂げたのです。
彼はさよならを言い、すまないと言いました。
約束したように一緒に年をとることができなくて、本当にすまない、と。
そして、もっと良い場所へ行くんだと言いました。
フィッシャー医師はその夜を越せるかどうかは五分五分だと言いました。
彼はその夜を越しました。
ローリンはベッドの横に寄り添って、息が長く途切れるたびに彼を引き寄せました。
彼女と私が互いに目を交わすと、彼は深く吐き、息が戻りました。
やらなければならないことでした。
その呼吸は困難な旅路、急峻な山道を思わせました。
山を登っているようでした。
その意志、その使命感、その強さと同時に、
美術家として理想を信じ、のちの美しさを信じる心がありました。
その数時間前に出た言葉が、スティーブの最期の言葉になりました。
船出の前、
彼は妹のパティを見て、
そして皆の肩の向こうを見ました。
匿名であってもこんな事を書くのは恥ずかしいが、自分にとってとても大きな事件だったし、
はてな匿名ダイアリーは恥ずかしい文章ばかりだし、何より思いを外に吐き出したいので書く。
何人分かインターネット上で検索してみたら一人の元同級生のブログが見付かった。
それでも確かに中学生当時の可愛い顔を成長させた様な可愛いらしさが有った。
その人は家柄と経歴と育ちがまず凄い。祖父の代から家族全員が音楽好きで、女子高出身で音大の大学院を出て、
普段はフルート奏者だが男子校でのフルート講師や絵のモデルをやっている。
しかも一日12時間フルートの練習をこなす事もあり、人柄もキャピキャピした派手さが無く
犬好きで犬を見かけるとつい撫でてしまう、というぶりっ子と言われかねない可愛らしさを自然体で有している。
家の写真やフルートを有したり音大の大学院に進む点からは富裕層である事が伺える。
『何だよこの化物じみた完成度。誰が作者の漫画の登場人物なんだよ。男子生徒はこの先生に絶対惚れるだろ』
と突っ込みを入れたくなる。
正に物語に出てくる様なお嬢様そのもので、ブログを読み進めていく内に俺はうっかり惚れてしまった。
中学校時代は可愛い女子生徒だな程度にしか思っていなかったのだが、
まさかこんなに漫画みたいな人だとは、俺が今になってこんな形で惚れる事になるとは思いも寄らなかった。
ブログを読んで情報を得てはその人が自分の彼女になった妄想をする様になった。
街に出ても、今擦れ違ったのはあの人かも、公園に行けばあの人に会えるかも、と想ったり、
今迄していた自分が金持ちに成る妄想にその人を嫁として組み込んで、
嫉妬したり相思相愛になったり盲目的に恋したり離婚したり死に別れたりと
危ない。このままじゃいずれ現実と妄想の区別が付かなくなって本当にストーカーになりかねない、
■ところが今日、その人のブログを久し振りに見たら入籍の報告が書いてあった。
妄想の源泉が尽きてしまった。それも一番起きて欲しくなかった抗い様の無いはっきりした形で。
絵に描いた餅が破れた。砂絵が掻き消された気分だ。
あまりに早過ぎる。せめて後半年位は僅かな希望を、夢に浸らせて欲しかった。
可愛い子なんだから彼氏が居ても不思議ではないなと思っていたのだがそれでも悔しい。
まさかこんな事がという信じられない気持ちだ。残念だし間違いであって欲しいと思う。
なんでよりにもよって俺が好きになったこの人なんだと。
ブログに2~3度書かれた結婚への憧れも彼氏を前提にしたものだったのか。
300本近くの記事に彼氏を匂わせる文章は一つも無かったから、単なる遠い憧れとして捉えているのだと思っていた。
■これからはどうしよう。こんな事実を知ってしまっては妄想を楽しむ気も起きない。
俺も使い始めようかと考えていたがその必要も無くなってしまった。
何をどうしよう。心の宛て所を見失ってしまった。
その人の名前で検索すると検索結果の一番に入籍の報告が出ていて心が痛い。「いいよ、もう知ってるから出さないでよ」と思ってしまう。
結婚相談所の広告も見る度に入籍の話を思い出して憎い。地震後に彼氏との結婚を考える女性が増えた、という報道も今思い返せば憎い。
地震さえなければ入籍なんか無かったのか、一縷の望みが消えなかったのか、と考えてしまう。
ただ、その結婚相手が自分以外の中学校の同級生でなかったのは微かな救いだった。
若しそうだとしたら折角の機会を無駄にしたという理由で後悔はより強くなっていたから、そうでないのは良かった。
よくよく考えれば、漫画に出て来る様なしっかりした人なんだから婚期を無為に伸ばしたりせずちゃんと人生設計を立てて
職業柄いつもドレスを着ているし結婚式への参加も多いが、ウェディングドレスに新鮮味を感じたりするんだろうか。俺が着せてあげたかった。
もうすぐ誕生日だが、実家で過ごす最後の誕生日になるかも知れないから彼氏や家族と何か特別なお祝いをするんだろうか。
何故か一度書かれた同い年の従姉妹の結婚式についての記事が消されている。
ブログは個人的な日記ではなくファンの閲覧を前提しており、記事も仕事絡みが大半で私的な内容は少ない。
固定ファンが記事のほぼ全てにコメントを付けているしつまらないコメントであれ返信も細目に行い欠かしていない。
どう考えても一般人ではなく小さなアイドルとしてのブログだと言った方が正しい。
俺は『立派な元同級生』に惚れたつもりだったが、その実単に『アイドル』に惚れてしまっていたのだろうか。
いやしかし、ブログという文字情報や仕事としての振る舞いを理由に惚れるのも含めて恋愛と呼ぶ気もする。
■俺の記憶に有るあの人の声と笑顔を独り占めさせて貰えるのも、
何か小さな冗談を言い合ったりふざけてじゃれあったり愛だ好きだを語ったり
二人の人生について悩み合ったり頼ったりする相手、『人生の伴侶』も決して俺ではなく彼氏なんだろう。
俺には何の相談も無しに大切な事を決定し、どんどん幸せになっていき、勝手に自分の人生を生きて満喫するんだろう。
俺はといえば、これからも何か有る度にこの人の事を思い出してブログを読んでみては、
旦那との日常や妊娠、出産、子供の成長話やこの人自身の立身出世振りにやきもきして自分で自分を苦しめるんだろうか。
そういえば、俺の誕生日に書かれたブログ記事には当たり前だが何も特別な事は書かれていなかった。こんな事がいちいち空しい。
嫌われたり疎まれても構わないからこの思いの一片でもあの人に伝わって欲しい。
今日ブログを全部読み終わったらあの人の家の凡その位置が分かってしまった。
中学校の同級生だから同じ学区の範囲内に住んでいるのは当たり前だが、憧れの人がこんな近くに住んでいたとは思っていなかった。
グーグルストリートビューで自宅写真を探すが見付からなかった。
久し振りに大きな地震が起きた。あの人もこの地震に揺られたのだろうか。
同じ体験が出来たと思うとこんな事でも嬉しいが、こういう共通体験を話し合う機会は一生無いのだと思うと虚ろな気分になる。
あの人の自宅が在りそうだと目星をつけた所を周る。いよいよストーカーの様になってしまっているが、
この辺りには別の理由で一度来てみようと思っていたのでそれを自分への言い訳にする。
それにしても、あの人は果たしてこんな所に住んでいたのか。
あの人と同じ体験を僅かでも積み重ねられてより理解を深められた事は何となく嬉しいが、
市内にこんな所が在ったのか、という驚きの方があの人への興味を上回ってしまう。
あの人の誕生日だ。今日も自宅の在りそうな周辺を周るが、全く見付けられない事もあって公園で遊んでいる方が楽しい。
あちこちに普段しない遠出をした事も働いてか、漸く最近になってあの人への思いが薄くなってきた。
恋人が居ないという事は妄想上の恋人であっても寂しいが、やっと恋人の妄想をする以前の状態を思い出してきた。
もう『他人』なのだから普通に適当に幸せになればいいんじゃないか、という他人事な投げ遣りな気持ちであの人の事を考えたりする。
あの人のブログの更新分を読むと、入籍した前後に既に引っ越していたらしい。
自宅の近所をうろついて擦れ違う事が出来れば、一目見る事が出来れば、と思っていたがブログを読み終わるのが遅過ぎた。
もう完全に機を逃した。一生擦れ違いもしないだろう。
結婚式は今日行われるらしい。何の問題すら無く順調に準備が進んでいる。
俺と彼女の無縁っぷりに改めて感心するばかり。俺の悩みは何の障害にもならずにスイスイ自分の道を進んで行っている。
俺の存在に気付いてもらうにはもう超自然的な何かに祈る他無いな。
妄想の中のあの人は俺の子供を二人産んでいつまでも若々しいままでよく俺を叱ってくれた筈だが、
そんな昔の出来事を思い返して現実と比較してどうのこうの考えると、馬鹿らしい上に自分が辛い。
数年内には子供が産まれるのだろう。彼氏の名字を冠した子供が。俺の知らないどこかの土地で幸せな子育てをするんだろう。
その頃にはもう未練なんて無くなっているだろうが、自分が置いて行かれている気持ちを味わう様な気がする。
もう結婚式を終えて初夜を迎えたんだろうか。二人で裸で抱き合ったまま寝たんだろうか。我乍ら気持ち悪いがつい考えてしまう。
もう名字も変わっている筈だ。妄想しようにもあの人の名前すら不明になってしまった。
次の22日は『いい夫婦の日』だ。実際いい夫婦になるんだろう。
次のクリスマスはやっぱり仕事なんだろうか。それとも新しい家族の為に休むのだろうか。
消し切れない雑多な思いを書き出す事で何とか解消したい。
13時頃あの人の自宅が隣に在るらしい公園に行くと、真っ赤な晴れ着姿の女と袴姿の男がカメラマンに撮影されていた。
まさかあの人なのか、と思って顔を確認するとあの人よりも若い20代前半の全然違う顔の女性だった。
あの人と擦れ違える可能性は無くなった訳だし、もうこの公園に来るのは暫く止めよう。
あの人は大阪で結婚式を挙げて今は海外で新婚旅行中らしい。結婚式の写真を見るととても様になっていて嫉妬も何も湧かない。
ブーケも投げたらしい。本当に出来の良い人だ。
運命の背中 | |
英題 | The Back of Destiny |
監督 | 出山知樹 |
出演者 | 出先拓也 大林舞 伊原武文 竹元恵美子 他 |
美術 | 恩田敏夫 |
音楽 | 新垣隆 |
製作 | 出山ひさ子 |
上映時間 | 40分 |
製作年 | 2009年 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
予告編 | |
ハッシュタグ | #unmeinosenaka #back_of_destiny |
運命の背中 ― The Back of Destiny ― |
snip)「見るに当たって参考文献などあれば」…とご質問いただきましたが、監督としては出来れば頭をまっさらにして見ていただきたいそうです。決して難しい内容ではないので肩の力を抜いてご覧ください。
http://twitter.com/unmeinosenaka/status/69409574981087232 (2011/5/14 23:31)
うんめいのせなか unmeinosenaka the back of destiny 上映会 試写会 映画 出山知樹 NHK アナウンサー でーやん #nhk_deyama
lastupdate20171107203700
281 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 13:08:17 ID:aWOVewpN
122 名前: ノイズc(北海道) [sage] 投稿日: 2009/10/25(日) 07:41:59.56 ID:TNzfQtf/
2009年10月26日(月)午後2:00~午後2:50(50分)総合/デジタル総合/BS2/ラジオ第1
問い合わせ http://www.nhk.or.jp/css/
283 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 13:09:19 ID:KM3tdyr/
»281
インターネット中継はやるんですよね。
にこにこでみてみたいな
285 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 13:11:15 ID:K9Dfcaop
»281
なんか都合のいいのだけTVで流して
悪いのは、報道しないとか
どこの北朝鮮なんだろっておもうなあ・・・
301 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 13:21:39 ID:z4a49eAV
»281
鳩山由紀夫所信表明演説・各党代表質問:代表質問をカットして演説だけNHKで生中継
政権交代すげーw
316 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 13:35:20 ID:DjaCXZ1x
»281
»301
なんでこんなに差があるんだ?
【据え置き】
【携帯】
※発売日はすべて日本国内の発売日
※http://anond.hatelabo.jp/20090406014202を受けて、ネオジオポケットを追加
※http://anond.hatelabo.jp/20090406022111を受けて、スーパーカセットビジョンを追加