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はてなキーワード: 時間とは

2024-03-19

カップ麺って結構面倒じゃない?

よく手軽な食事の例としてカップ麺が挙げられるけれど、言う程手軽で簡単かあ?って思う

だってカップ麺って

わざわざお湯を沸かして

カップ麺の蓋を開けて

調味料の袋を開けて調味料を入れて

お湯を注いで

蓋をして重しをして

決められた時間を待って

…という結構な手間がかかるじゃん

これならおにぎり菓子パンゼリー飲料なんかの方が手間がかからなくて楽だと思うんだけど

コロナ流行して良かったこ

失業保険受給者デカい会場に集めて

3時間ぐらい給付のしおりを朗読されるだけの説明会が無くなってまだ復活してないこと

マジで面倒だからやめてくれてよかった

anond:20240319193604

こう言うのがない

正社員募集

学歴職歴不問

勤務時間9時〜17

完全週休二日制(祝日休み)、お盆休み正月休みあり

残業なし

月収100万円

夏期、冬期、期末賞与あり

通勤手当あり

作業内容

Excelデータ打ち込み

こんな感じの募集があればいいのに

anond:20240319192607

円安じゃなくてドル高だと言った時には叩かれたものだったが、実際に円が戻すと叩いた奴らは居なくなった

147円付近まで下落した時に保有していたドルを円に両替して正解だった

ターミナルレートにめどが立ってきたのが大きく、財務省の介入は時間稼ぎとして評価されるべき

YCCを0.25%引き上げた反応としては過剰といえるレベルサプライズとして効いた面は有るにしろ、年初の1ドル115円から最大150円までの推移は異常だった証左かも。133円は一時的円高とか言ってたバカ駆逐されるか。

からアメリカインフレ率次第だったので、それが落ち着いたならそりゃじきに円高になっていくよ。当時騒いでた人って円安になってから円安だって知った人で、継続して経済ニュース見てない人でしょ

32年ぶりの円安と大騒ぎしていたidはこういう時どこに行ってるんだろうな…ほとんどがアベガーだけど。

金利通貨は、利上げという追加燃料がくべられ続けないと"減価"するというのが金利平価説の教えるところであって、米国の利上げがまもなく天井と見られたら当然こういう動きになるよね。

FRBが早ければ年内にも利上げを停止する(予想ほど米金利が上がらない)というのが大きい。というか春先から円安狼狽していたメディア特に朝日毎日東京新聞)は扇動目的報道しているのか?

大丈夫、どんなに説明してもはてな民債券利回りも実質金利意味理解しないし、小難しい話より「日本売り」という安直な話にしたい勢力だらけなので他国事情を話しても無駄です

この円安が、金利差と戦争による一過性のものしかないのは解りきってたことじゃん。俺は常にそう書いてきた。日本の国力がー!とかほざいてたバカ共は、今度は円高国内産業が!と真逆の主張始めるんだろ?


俺は知ったかぶりはてなブックマーカーを許さねえ!!!!!!!!!!!!!!!

知ったかぶり死ねぇぇいいい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

食べ放題の件、TRPGの「マンチキン」を思い出す

より正確に言うと「和マンチ」のほう

マンチキン | ニコニコ大百科

日本にこの言葉が輸入された際、ルール上"GM裁量に任せる"ようなシステムの穴をつき、ルールブックを読み込んだことによる理論武装世間一般の「常識」を利用して、無理やり有利な方向に持っていくようなプレイヤーを指す言葉としても使われるようになった。

(例えば、両腕を切断する大怪我を負った者を変身魔法でヒトデやプラナリアに変え、それの触手が元通りになった頃に魔法を解くことで遥かにローコストで両腕を取り戻させることができるだろう、など。)

こうしたプレイヤーを、原義のマンチキン区別して「和マンチ」という。

往々にして、思いもよらない方法を取るためにセッションをぶち壊しにしてしまうことがあり、ある意味では原義の「洋マンチ」以上に厄介な存在であると言える。和マンチは"公式ルール"という後ろ盾を持っている為、そのプレイ否定することは容易ではないからだ。

ルールの穴をついて自分意見を通し利益を得ようとする点が似ている

しかし、焼肉食べ放題の件と異なる箇所はいくつもあるが……、

例えば、TRPGはおおむね「GMの決定は全てに優先する」というゴールデンルール存在する

例えば、TRPGルールブックにはおおむね「(GM含め※重要)全員が楽しい時間を過ごすことが目的です」のようなことが書いてある

しかしこの世界TRPGセッションではない

悲しいね

TRPGを楽しく遊ぶコツとして「気心知れた相手だけでプレイする」というものがある

しかしこの世界は(当たり前のことだが)気心知れた相手だけ存在するわけではない

悲しいね

   延岡消防長は、いかにその外観上、さぼっているのではないかのようにみえとはいえども人間であり、食事や排便をしているとは思われるがその現場をみたことのある者は誰もいない

   消防長夜勤をしなければならず、夜間も常駐している。いつごろ自宅に帰っているのか、いつ頃ねているのか、 何時間寝ているのか、何を食べているのかなどは、全く不明である

  時間帯や一定形式にはまった時間の中でみているときは、83-152の自宅を、このかたちの中でみているとも言えなくはないが、延岡なんぞバカしかいないようなところで

  自宅をそういうふうに見ている者は想像できない上、仮に、ここを自宅としたとしても、誰も住んでいない空き家のような感じであり

    うちの母親存在する場所を、警察が見ているような形の中で見たことはないし、そんなことをしようとしたら、オカン光殺法で殺されるので、うちの1階に降りたときにそういう風にみたことはない。

   あるときに、この形の中で動くと、犯罪者悪魔が動かしているテクノロジー恩恵を受け得られないともいえないが・・・  富美山南区において、そのような状態になることは

  極めて難しいと言わざるを得ない。

朝ご飯はひとりで食べたい

日曜の朝、珍しく私よりも早くに起きていた恋人ソーセージスクランブルエッグフライパンで焼いてつくってくれた。

普段朝ご飯を食べない彼と朝から食卓を囲むのはとても稀少だ。

 

せっかくなので、私は冷蔵庫に余っていたアスパラガスを焼き、ついでに食パントースターでチンした。

卵の黄色ソーセージ茶色ケチャップの赤、アスパラの緑、パンの白……非常に代表的理想的朝ご飯ができたではないか

「準備してくれてありがとうね、いただきます」そう言い合って食べたブレックファーストは、非常においしかった。

 

たまにはこういうのもいいね。そう思いつつも、心のどこかで「かー!朝ご飯はやっぱ一人で食いてえな」とも思っていた。

平日の彼は出勤が早いので、私が朝ご飯を食べる頃にはもう家にいない。

私は彼を見送った後、野菜キノコを刻んでドレッシング手作りしてサラダっぽくして食べる。

そして「はい栄養補給終わり、あとはフリータイム」とコーヒー菓子パンなどの甘味ゴリゴリ食べる。これが私のモーニングルーティンだ。

食べながら24時間チャージ系のアプリ漫画スマホでダラダラと見て、ボリボお菓子を食べて、のんびり洗いモノをしてテレワーク開始。

これが平日の私。誰もいないので食べ方も何にも気にしない。お母さんに小さい頃「これ」と言われるような食べ方だってちゃう

彼のいない朝は私にとって、非常に下品でだらしなくて、最高に自由な一人時なのだ

 

別に彼がいて同じことをしても、例えば朝からお菓子ダラダラ食べてても、まあ彼なら許容してくれるだろう。

 

でも、なんかやっぱり、「ひとりでダラーーーっと品なく過ごす」と「彼といるときに人に見せられないような状態でダラダラする」というのはちょっと違うと思う。

一人暮らしをしていたときと同じように、誰の目も気にせず、親の「これ」もなく、過ごせる平日の朝ご飯時間が、私は好きなのだ

 

でも、一人暮らしに戻りたいとも別に思わない。誰かといる時間も、誰ともいない時間も、どっちも楽しめる今の生活は非常に気に入っている。

ただ、素敵な朝ご飯ふたりで食べながら、「カー!スマホアプリ見て下品にくいてー!」ともちょっと思ってしまったなって話。

 

変なの。夜ご飯を彼と食べられない日は「彼と食べたいな」と思うのに。変なの。

明日晩ご飯空豆ご飯の予定だ。彼が「おいしい」と言って食べる顔を見るのが楽しみだ。

諦めてMIDIキーボードで打ち込むことにした

https://on.soundcloud.com/s7kW3RiXjNMSpHL19

コード進行メロディー適当に弾いたりマウスポチポチしただけだけど、自分の下手なギターとか生音よりスッキリした感じがする

歌詞適当だけど、就職氷河期ネタにするなら、ちゃんとしたの書いてみたいなあ

こんなんで一曲完成するんだろうか…😔

まあ、今の段階ではワークフローを完成させるというか、作品を作るのではなくて、どういう工程を経るか、みたいなのを完成させたいので、

まずはギター中心で考えてみたんだけど、やっぱりなんか汚い

ピアノはまったく弾けないのだけど、よくよく考えてみたら当たり前なんだけど、いわゆるハ長調でほぼ白鍵盤のダイトニックコードで打ち込んで、

ピアノロールで上下にずらせば、調は自由に変えられるんだよな、当たり前だけど

問題は、MIDIキーボード入力したときに、幅が0の音が混じってしまっていることがあって、それを確認しながら取り除くのがめんどくさい

でも、取り除かないと、ボーカル文言に影響が出てしまって、つまりデフォルトであるラの時間幅0の音が入ってしまうので、

歌詞人生と書いてあるはずなのに、りんせいと読んでしまった段階で気が付いたり、ちょっとつらい…

最初の目論見としては、ギタージャーン!で曲にしてしまって、SynthVに適当に歌わせて終わり!みたいな甘い考えだったのだけど、

まあ、ギター環境自体貧乏で貧弱なのもあるのだけど、昨年の年末に即席で全部揃えた感じだしね…

しかし、ギターの生音よりピアノロールの方が圧倒的に後加工しやす

色々な理由から、というか貧乏からギターアンプシミュレーターソフトウェアじゃなくて、ハードウェアのを使ってて、それをラインオーディオインターフェースで読ませてるので、

まりギターの音の後加工はまったくできない、音量は変えられるけど、音色はもう変えられない、

ガレージバンドだったら、いいディストーション入ってたと思うんだけど、Studio Oneのは標準はショボい感じがする

しかし、DAWは金がかかるんだなあ、DAW本体買ったら終わりじゃなくて、やれドラムだ、やれベースだ、やれ打ち込みでも生音みたいなギターができるだわ、

あー、ドラムどうすればいいんだ、よくわからんFL Studioドラムマシン、標準なの?は結構簡単にできそうだったなあ

パーカッションキーボードで打つのつらいし、ピアノロールもつらいし、

働き方改革が始まったら、当直後の明けは午後休みになるかもって噂を前に聞いていたけど、うちの病院は宿日直許可を取ったか特に変わらないらしい。

宿日直許可っていうのは「この当直は寝当直だから休みとしてカウントしていいよ」っていう許可のことらしいけど、今の当直は救急車とwalk inの患者を合わせて5-10人くらい見て、病棟当直も兼ねてるから病棟急変も呼ばれるし、断るとしても救急から電話で起こされる。寝れても2-3時間ずつくらい。

それで翌朝も手術とか外来とかをやってる。週6勤務+月3回の当直+月1回の日当直。

今思えば、2022年の冬頃に提出させられた紙が宿日直許可を取るための勤務実態調査だったのであろうと思う。

よくわかってなくて普通に書いて出したら「書き直してください」って言われて、受け取ってもらえなかったので仕方なく白紙で出した。あれが諸悪の根源だったんだなと思う。

これでもうちの当直は内科当直としては緩いほうだから地方かには多分もっとヤバい宿日直許可たくさんありそう

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

anond:20240319165333

バスとか電車で騒いでるガキがいるが名札を見るそして名札の学校電話をかけて○年○組の○○君が○○の時間バス停で騒いでいて迷惑でしたと苦情を言う

録音もしておき証拠も残す

ガキを教育しない親も学校教育者も許さん

注意しないバス運転手も許さん

電車場合運転手が見られるわけじゃないので運転手は許す

anond:20240319153923

地方都市は中心区画に各ジャンルの大型店舗が全部そろってるから、その周辺駅で降りれば後は徒歩圏内ですべての用が済むのが楽だった

東京は大型店舗利用しようとしたらあれはあそこの駅これはそっちの駅これは向こうの町みたいになって

しょぼい小規模店舗で諦めるか毎回移動時間と移動費をかけるかで面倒くさかった

子育てこんな金かかるの???

子ども産んでみてびっくりしてる。

ミルクオムツもこんな高いの?

ミルクなんか子どもがこんな勢いで飲むなんて、大きい缶もこんなにどんどんなくなっていくなんて知らなかったよ。

子どもを迎えるための準備品もいちいち高かったと感じた。細かいものも次から次へたくさん必要になって買い足してる気持ち

あと予期せぬ出費として、タクシー台や大人の食費もこんなに増えるとは思わなかった。子どもの世話のために消費した、時間、体力、気力を補うための出費がすごく増えてる。

子ども可愛いよ?最高。産まれてきてくれてありがとう。これから大事責任持って育てます

でもうちは二人目は無理かもしれない。少子化進むわけだわ。

anond:20240319122016

まだこれやってんの?馬鹿なの?

店側が

上限金額決める

時間上限決める

などの対応で決着つけれるだろ

デブ責任追わせるのは店側の努力不足

からう奴はフリードリンクも水で我慢してろ

anond:20240319150819

喫茶店オーナーは、時間単価の高いメニューを頼んでもらったほうがありがたいと思ってるし、

調理スタッフは、この糞忙しい朝の時間帯にやめてくれよって思ってるし、

給仕可愛いスタッフは、早くモーニング時間終わらないかなって思ってるよ。

自分障害が原因で他人迷惑をかけたときに「ありがとう(負い目なし)(言うだけ無料)」は無理だと思うよ

俺は病気トイレに行く頻度が他人よりかなり多い

特にトイレがない場所に行く必要があると不安からお腹バグる

具体的にはトイレに行けない試験を受ける場合受験前1時間の間にトイレ10回くらい行くし、そうでなくても1日10回以上トイレに行く

なので他人と行動しているときに「すまんトイレ行ってくる」がめちゃくちゃ発生する

まあトイレなんかみんな行くんだが、トイレ行った10分後にまた「すまんトイレ行ってくる」が発生したりする

このときの俺の感情は「待ってくれてありがとう(負い目なし)(言うだけ無料)」ではない

というかこのシチュエーション「ありがとう」は言わない

「ごめんなさい」は言う

「待たせてごめんなさい」もいうし「意味わからんくらいトイレいってごめんなさい」の気持ちもあるし、「俺じゃなければこんな面倒な思いさせなくて済んだのにな」の気持ちもある

そもそも俺はこのシチュエーションが嫌いなのでなるべく他人と行動をしないようにしている

からそもそもごめんなさいを言う頻度が少ないので、耐えられる

でも他人迷惑をかけている自覚はある(そんなこと感じる必要はないですよ、みたいな話はあるだろうが、「なるほど〜じゃあ平気でいよっと」とはならない)(だってみんな迷惑かけられると怒るじゃない?)(俺も外でタバコ吸ってるやつがいると「くせーな」って思う)

俺は俺の病気を俺のせいだとは思っていないが、俺のせいではない病気のせいで俺はいつも他人迷惑をかけなければならない

これは「ありがとう」を言いたくないという文章ではなく、そこにストレスはありますよ、ということを説明するための文章である

政治のこと虫みたいに嫌う友達

仲いい友達政治の話無理ってよく言ってて、わかる〜嫌だよね〜って私も言ってたんだけど、なんかそこに認識のズレがありそうな気がしてきた

昨日ぐらいに駅前共産党議員?人?が街頭演説みたいなのしてて(岸田政権は駄目だみたいなやつ)、

特に何も気にせずにスルーしたんだけど、一緒にいた友達は「嫌ああああぁ!!!!wwwキモいキモいキモい!!!ww鳥肌立つ!!!」ってめっちゃ騒いでドン引きしてて

えっそんな言うか?って逆に私がちょっと引いてしまって

その2、3時間後に今度はなんかよくわからない右翼っぽい団体街宣車が走ってるのを見て

その友達はまたキモい〜〜!って一騒ぎしてたんだよね

ヤバイ人たちだね〜って私は合わせといたんだけど

どうも、その友達の言う「政治無理」は、虫とか見たときの「無理」に近いみたいで

私の感じてる「政治無理」は計算苦手とか地図読むの苦手とか、そういう得意不得意の無理、難しいから考えるの嫌だね、ってことだから

かなり開きがあることが分かった

友達政治的なものがもう全部無理で目に入った瞬間にああ気持ち悪い!って思っちゃうらしくて

流石に私もそこまでではない

というか、政治が虫と同列に来る人もいるんだと驚いた

そんなことある??そこまでいく??

私がそこまで行ってないだけで、政治無理って言ってる人の中にはこのレベルの人いっぱいいるの??

じゃあニュースとか見るの辛いだろうなって思ったけど、その子ニュースにめちゃくちゃ普段から疎くてさ あーだから見ないのか?って気が付いた

攻殻機動隊とかガンダムとか私がすすめてもあんまりきじゃないって言ってたのも、作品にうっすら政治的なものを感じてたから?

この世界の片隅にとか見に行ったときも、主人公可愛いだけの映画って言ってたもんね

でもプーチン面白画像とか昔集めてた気がするんだけど それはいけるの?プーチン政治カウントに入ってない?

度会った時聞きたいけどどんどん謎深まるよ〜

穏便に生きてるだけで倫理観自体ふわふわから切欠があったら飛び込んでるかもしれない

先生とか先輩に目を付けられて学校生活送りづらくなると色々面倒だろうな」が

校則違反してでも派手な格好とかオシャレしたい」を上回ってたか学生時代何もしなかった

成人してからもずっとこの波風立てないスタイルメンタルで生きてる

その先に起こる面倒臭さとか自分時間を取られることを想像してげんなりしてしまうから

それを天秤にかけてまで犯罪したいとか思わない

ただそれを上回るほどの衝動が沸いたら躊躇なく飛び込んでしまいそうなくらいには

倫理観ふわふわで地に足ついてない自覚とこれまで穏やかに生きてきた反動がありそうだなとは思うから

これからも何事も起こらず穏便に生きてある程度経ったらすっと消えたい

何のために生きてるかは分からんけど今はとりあえずバナナチップス美味しい

チョコようかん食べたいんだけど備蓄用で注文殺到してるのか在庫切ればっかりで注文できない

こうやって何か考えててもおやつに負けるくらいだからたぶんこの先も大丈夫そうだ

きっとこれからも穏便に生きてどこかの瞬間にすっといなくなれる

子供が産めなくなる云々の記載は要るか?

ていうかそういう報道をされたらますます加害欲から幼児レイプしたがる男は増えそう

ひよこ@🗺️海外田舎

@Hoikushikaigai1

報道すべきだと思う。海外幼児レイプされた時の新聞記事を読んだら「内蔵の損傷、現場は血だらけ、将来子供が産めるかどうか分からない...」と書かれていて、両親と近所に住む人達の怒りのコメントもすごかった。日本人の私はこの記事を読むまで、被害状況を考えたこともなかったし知らなかった。

引用

重度知的障害mico被害者の会

@jpmancomicoande

·

20時間

病院勤めだった立場から言うとレイプされた6歳未満の女児ってわりといて内臓の損傷もすごいしずっと泣き叫んでたりその後数年以内に亡くなる子がほんと多いんだけどそういうことって報道されないよね。

https://twitter.com/Hoikushikaigai1/status/1769861386861937124

平日の日中電話で「今お時間大丈夫ですか?」

いいわけねえだろ

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