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はてなキーワード: 一般大衆とは

2019-10-13

一般大衆現代アートを正しく理解していないかもしれない」ってのと

「俺には現代アート理解できない!」

ってのは少なくとも文言上は違う意味だと思うのだけど

なぜ「理解してない人」だけが一般大衆理解できないことへの危惧を述べるのだと思われるのだろうか、純粋に疑問に思う。

自分理解してさえいればよいという考えの人だけではないかもしれないのに。

2019-10-12

アートに関するよくある勘違い

表現不自由騒動きっかけなのか、最近アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。

とりあえずポリティカルなことや特定展覧会人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違い淡々と正してみる。

文章が読めない人向けに繰り返すが、別に表現不自由展」など特定展覧会作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート芸術」に対する先入観について語っている。


自費でやれ?

基本的に、人間芸術で食っていけないという前提がある。

前史時代から現代に至るまで、金銭作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれ芸術作品芸術はいない。

「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。

パトロン

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族王族庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家。かなりの数の美術作品メディチ家庇護のもと、もしくは依頼で作られている。

モーツァルトのようにフリー音楽家に転身した例もあるにはあるが、彼ですら転身後、晩年は困窮していた。それどころか、主な収入源はやはり貴族などに委嘱されて作った楽曲によるものだそうだ。

現代だと、欧米では自らの作品を売り込んでファンドを得る、ほとんどビジネスマンみたいなアーティストが多い。ビシッとしたスーツに身を包み、自らの作品に新たな価値付けをして売り込む姿は、ベンチャー起業家のそれと変わらない。

政府

こちらは王政封建制より後の政治体制下の芸術に対する補助。大まかに分けると、プロパガンダ芸術と、政治思想のない(あるいは薄い)経済的補助がある。

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政治思想とは一定距離を置いた経済的補助で、一番大規模かつ有名なのはアメリカが1930〜40年代に行った「連邦美術計画」だ。ニューディール政策の一環として、政府が数千人から1万人単位アーティストを雇い、パブリックアート制作などをさせるというぶっ飛んだ規模の政策である

因みに「連邦美術計画」の効果は凄まじいもので、その後巨匠と呼ばれることになるようなアーティストを多数輩出し(ポロックベン・シャーンなど)、抽象表現主義などのアメリカ発の芸術運動バンバン興った。

それまでヨーロッパ中心だったアートシーンは、この時代前後を境にアメリカに移ることになった。さらに因むと、未だにアートシーンの中心はアメリカである。その市場規模は、世界アート市場の5割弱を占め、日本円にするとおよそ3~4兆円。しかも年々拡大し続けている(参考までに、日本美術市場は2,000億円強 / 中国は1.5兆円弱)。

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一方、プロパガンダ芸術で有名なのはソ連ナチスなど。政府意向政治思想に沿った作品を、政府が補助して制作させるというもの。作られた作品政府思想を広める宣伝ツールとして使われることが多い。

上述した政治思想とは一定距離を置いた経済的補助とは違い、題材やテーマなどは厳密に決められており、メディチ家などのパトロンの元での芸術活動に少し近いかもしれない。

ただ、これらの政府体制下で作られたプロパガンダ芸術は、今のところ芸術としてはあまり評価はされていない。

あくま個人的見解だが、プロパガンダ芸術はその性質大衆向けにならざるを得なく、どうしても前時代的なものになってしまうのが要因かと思われる。 ※ グラフィックデザインなど、一部評価されている分野もある。

なお、これらの国では、現代アート前衛芸術は「退廃芸術」として弾圧対象となっていたことも言及しておく。弾圧されたアーティストアメリカ渡り祖国に残ったアーティストを横目に名声を得たという例はかなり多い。


政治色をもつ作品芸術ではない ?

上述のようにプロパガンダ芸術にあまり価値が見出されていない現状を考えると、一見正しい意見に思える。

だが「20世紀代表する作品の一つ」とまで言われる、ピカソの「ゲルニカ」をはじめ、政治的なアティテュードを有する芸術作品は意外と多い。

現代であれば例えばバンクシーは思いっき政治的な作品で知られるが、今やアートシーンにはなくてはならない存在だ。

文学音楽映画だって政治的な意味合いが強い作品はたくさんある。

政治色をもつ作品アートじゃない」という言説は、「ジョン・レノンの"イマジン"は政治的なメッセージがあるから音楽じゃない」と言ってるのに等しいのだ。


大衆に受け入れられないもの芸術ではない?

しろ現在享受されている芸術作品で、大衆向けに作られたものはあまり多くはない。

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチなどに代表されるような近代以前の巨匠たちは、先述の通り貴族王族むけに作品を作っていた。そもそも一般大衆向けの芸術ではない。

時代大衆向け芸術だと、例えば音楽では吟遊詩人酒場で歌うリュート曲とかがあるが、現代でも聞かれているかといえばNOである。もちろん、歌舞伎ケルト音楽など、現代まで残っている大衆芸術もあるにはあるが、近代以前の大衆芸術ほとんどは淘汰されている。

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現在大衆に受け入れられるアーティストでいえば、おばちゃんが大好きなモネは発表当時ヘタクソだの何だの批判されまくったし、今や知らない者はいないゴッホはご存知の通り作品が1枚も売れないまま精神を病んで死んだ。ストラヴィンスキージョン・ケージなどは、初演で暴動間際になったこだってある。

これらの例から、むしろ後世に残る作品は、同時代に生きた大衆感覚からはかけ離れていたことが分かる。でも、モネは今や企画展花形だし、ストラヴィンスキーバレエ曲の定番だし、ゴッホの絵を見ては「俺の方がうまい」とか宣うおっさん美術館の風物詩だ。どの分野に関してもそうだが、専門性が高くなればなるほど、大衆感覚はあてにならなくなる。自分感覚と相容れない現代美術作品を「こんなの芸術じゃない」と一蹴することは自由だが、それらの作品は100年後にはもしかしたら現代におけるモネのように広く受け入れられているかもしれないのだ。

かつて相対性理論が発表当時「完全に理解できるのは世界で数人しかいない」と言われていたのに、(専攻科にもよるが)現在では大学で習うのと似ている。これまでの価値観をひっくり返すような価値のあるものは、常人には理解できず、時間をかけて少しずつ受け入れられていくものなのだ

グリーンバーグ論文

この問題については、未だ現代美術に大きな影響を与えているグリーンバーグという美術評論家のおっさんが書いた「アヴァンギャルドキッチュ」っていう論文が分かりやすい。

この論文は、日本語訳もされているし、原文はインターネットでも読めるが、大衆感覚芸術作品価値乖離について論じている。要するに、「大衆迎合し消費される美術」と「前衛的な美術」ならば、後者の方が価値があるっていう内容だ。

80年前の論文なのだが、芸術分野では未だに影響力が大きい教科書の一つ。とても短く、すぐ読み終わるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。


不快作品公序良俗に反する作品芸術ではない?

作品の題材として「裸の女性」というのは時代を問わずポピュラーだが、19世紀までは神話聖書出来事以外で裸体を描くことは不道徳とされた。端的にいえば、不快であり、公序良俗に反するとされた。

実際、マネによって描かれた「草上の昼食」や、裸体の売春婦を描いたとされる「オランピア」は発表当時大問題になった。「現実女性の裸を描くなんて、淫猥である不道徳まりない!下品メスゴリラを描きやがって!こんなのはアートではない!」というわけだ。

しかし、どちらの作品も今やマネ代表作。オルセー美術館に収蔵されていて、後の時代芸術からオマージュ対象とされるような絵画として扱われている。

一例を取り上げただけだが、時代を問わず同じような現象枚挙に遑がない。


写真みたいに写実的に描けている作品は素晴らしい?

簡単にいえば、写真実用化された時に「じゃあ写真でいいじゃん」ってなった。「写真絵画は違う」という考えに立脚し、ある時点でそれぞれ全く別の路線を歩むことにしたのだ。

で、モネみたいに空気感を描く作家や、セザンヌピカソみたいに多視点的にものを捉えて一枚の絵に表現する作家が登場した。これらの手法写真では(簡単には)表現できない。要は「写真じゃなくて、絵画からこそできる表現」というものが重視されていくようになった。

そして「じゃあ絵画価値ってどこにあるの?本質って何?」って突き詰めていった結果、「絵の具じゃね?」という話になり登場したのがポロックなどの抽象表現主義。「コンセプトじゃね?」という話になり登場したのがコンセプチュアル・アート特に後者現代美術への影響は色濃い。

もちろん、写真のようにリアル作品価値がないわけじゃなく、スーパーリアリズムのような動きもあった。ただ、20世紀以降のほとんどの芸術家は、「写真みたいにリアルであるかどうかとは別の土俵表現をしていることは知っておいてほしい。アーティストにとって「写真みたいリアルですごい」というのは必ずしも褒め言葉ではないのだ。


終わり

分かりやすさを第一に書いたので、表現が正確ではないところもあるし、時代的に前後したり乖離していたりもするが、だいたいこんな感じ。

文章中でも少し触れたが、アメリカ中国欧州比較すると日本美術市場はかなりちっぽけだ。国内アートがよりよく理解され、シーンが活性化することは、大きなマネーが動く「市場」を生み出すことにも繋がる。先述の「連邦美術計画」などは、政府美術に注ぎ込んだ「補助」に対して、「年間3兆円強のマネーが動く市場」という計り知れないくらい大きい対価をもたらした。アートにはそんな力があるし、前衛を受け入れる懐を自ら作り出したからこそ、現在アメリカ立ち位置がある。兆規模の市場から得られる税収は、控えめに言ってもバカにできないはずだ。

アートの受容と活性化は、普段アートに触れない人にも価値がある。少しでもみんなのアートに対する誤解が解けることを願ってやまない。

2019-08-03

声優が再び落ち目時代

アニメ映画に金が投入されるごとに、どんどんプロ声優立場は低くなっている。

近年のアニメ映画が顕著だが、プロ声優を主役にする傾向はほぼみられなくなった。

何らかのTVアニメの続編だったり、監督の辣腕をふるえるような低予算独自アニメくらいしかプロが表に出てくることはない。

邦画ドラマ世界ではずっと当たり前だったけど、それがアニメ業界に入ってきた形だ。

そして徐々にプロが脇役に押しやられるたびに、「プロ声優は声の演技しかできない半人前」というレッテルが貼られるようになっているに感じる。主役を盛り上げる名脇役としてではなく、それしかできないか声優をしているという過去価値観の再燃だ。アニメが身近なカルチャーになってきたことで、オタクの一文化としての声優という職業というより、臭い演技をする変な声を使う人になってしまっている。

身近にも、プロ声優より素人の下手な演技が好きという人はいるのではないだろうか?オタクにとっての棒読みは、一般大衆にとっての自然の演技なのだ。明瞭快活なアニメ声より、ボソボソと滑舌の悪い素人地声のほうが受け入れやすいのだ。

2019-08-02

anond:20190802063258

まず俺の立場を書いておくが、俺は韓国を見限ってはいない。韓国人の知人も何人かいて、彼らは虫ケラでも何でもない、立派な人間だ。ただし、その他ならぬ韓国人達が、実は韓国を見限っている。私の知人は皆国を出ていて、今住んでいる国に馴染んでいて、韓国人、特に韓国在住の韓国人との接触を避ける傾向がある。

これを見るに、「韓国」と一口に言っても、その指すものひとつじゃないんだな、と思うわけだ。民族としての韓国国家としての韓国文化形態としての韓国伝統としての韓国……という具合。だから、それを十把一絡げに「韓国」という言葉のもとに総括することは俺にはできない。

ただし、特にスポーツでは様々な問題が吹き出ているよな。サッカー元増田が書いている例だけでなく、今現在C・ロナウドの欠場騒動ちょっと前にもパンダカップ騒動、と、まあ揉め事ネタの尽きることがない。俺はモータースポーツが好きなんだが、F1韓国GPの一件などは忘れられない。宿舎の確保がデタラメだった結果、各チームのスタッフや有名なモータジャーナリストまでラブホに泊まらされたり、水捌けの悪いスリッピーな路面、うねったストレートを 300km/h 以上で走らされたり、発火したエンジンに粉末消火器ぶっかけられたり……まあ酷かった。運営サイドが、開催権料のみならず、問題が発生した後の違約金まで値切り倒していたのも後から分かったんだったっけ。

知人とこういうことの話になることもあるんだが、彼らが重い口を開いて言うのは「根拠なきプライドが高く、しかもいわゆる恨の思想とそのプライドペアになっているのが問題」ってこと。「プライドを守る為なのかソフト対応が苦手」「プライドを脅かされると今度は恨を持ち出して被害者の顔をして抗議する」これが諸悪の根源だというわけ。

しかも、恨の思想というのが、ある抑圧対象と被抑圧対象を前提としていて、各々の対象が一括りとして扱われることが問題だという。彼らはプライドに酔っているときは抑圧対象、それを脅かされると被抑圧対象立場を取るわけだが、いずれの場合もその集団における一体感が過剰に要求される。ほら、韓国の街頭でインタビュー取ると、そこらを歩いている一般大衆国家民族背負ってるようなコメントが出てくるじゃん。あれは、その一体感を冒さないようにという社会的抑圧が強く強くはたらいてるからだ、というのさ。

まあ、この辺りを越えていかなければ、この先も色々揉めるんだろうと思うんだが、俺の感覚では、富裕層や高い教育を受けた人々はここから出ていくことを望むようになりつつあるし、若い子達も解放されつつあるように思う。まだ時間はかかると思うけどね。

2019-08-01

anond:20190729210011

一般大衆なんて「俺は可哀想な女を助けてやったヒーローだ」みたいな安っぽいストーリー自分を同一化できるほど単純で、何も考えてないバカしかいない。頭よくなると、そういう動物みたいに生きてるような人間とは話が通じなくなってくる。

2019-07-27

うなぎ食べようかな。。。。

食べたくなってくる。。。

あん記事書くんじゃなかったなぁ。。。

絶滅危惧種なの知ってて食べるひとの存在を知って、意識すると

食べたくなるなる。。。

うなぎそんなに旨かったっけな???

どうしよう。。。

はてな民うなぎアレルギーが恒例だけど、私は食べる」

ブクマカの、なんという執念。。。

うなぎって、そんなにそんなに美味しかったっけ。。。。

まあ絶滅危惧種ってことは、将来的に食べられなくなる可能性が高いか

いまのうちに食べちゃおっていう考え方もまあ、下劣ではあるれどもまあ

アリなのかな???ひとって、一般大衆って結局そんなもんよね???

あああああああああああああああああああああああああああああああああ

スーパーに行ったらうなぎ買っちゃいそう!!!!!!!!!!!!!!

いいよね????食べていいよね???

いやでも、そんなに旨かったっけ。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ねえ、そんなにうなぎっておいしいもんかな???

肉の方が良くないか???

久しく食べてないから味忘れた

2019-07-21

anond:20190721064140

俺は「アルバイト芸人は法的に立場が違う」という趣旨のことは言ったけど、「違反してる」なんて最初から問題にしてないぞ?勝手誤読して「大風呂敷」だと思ったとはお前だろ?読解力ないね

そもそも元増田問題にしてるのは、一般大衆批判したりしなかったりする理由だろ。「勘違い」が何なのか知らないが、別に法律違反してなくても、一般大衆批判するのは自由だろ。

お前は法律違反してない奴は、批判しちゃいけないと思っているのか?奴隷か何かなの?

吉本労基法には違反してないと思うよ。最初から業務委託契約からね。下請法とかでも、力関係を利用して不当な契約を結ばせるのを規制する法律はあるから吉本が完全に合法かは疑問があるけどね。

ただ、重要なのはそこじゃない。宮迫が今後テレビに出られるかどうかだ。これは力関係の話だし、テレビ局側も一般大衆感情を見て得な方を選ぶだろう。

別に法律違反したことがあろうがなかろうが、テレビに出すか出さないかテレビ局が大衆感情を見て決める事。

から一般大衆感情論が、今回の件では本質的重要なんだよ。元増田の疑問点は、そこを突いていたから深堀りする価値があったわけ。

2019-07-19

きょうの逸材

鈴木雄介 Suzuki Yuusuke

@suzukiyuusuke3

今日までアニメはある種の人々(一般オタクと呼ばれる)の信仰対象になっていた。それは新興宗教だった。以前、あるアニメをみろとそういう人達に奨められ、なんとか苦労して全話みてみた上で、おもに美術批評言語を使って率直に批評したところ、その種の狂信者から大変しつこく誹謗中傷された。

それで私は気づいた。アニメは或る一部の人々にとっての正真正銘宗教なのだと。信者の中に批評言語は持ち込まれない慣行になっている。だから私がちょっとしたきっかけ(アマゾンプライムビデオに入ってみた)で一時的にひきずりこまれたその業界中では、同調か全拒否どちらかしかできないのだった。

アニメ手塚治虫ディズニー辺りから流行しだした新たな映画形式といえるだろうが、その商業芸術が主な客にしているのは一般大衆の中でも子供や、特に幼稚な大人である宮崎駿でさえ子供向けを前提にしていたから、総じて知的障害に近い社会不適合者を大勢ひきつける結果になるのは必然だった。

私が何とか苦労してあるアニメを全編みてみたのは、そのアニメファンネット上で制作陣を執拗脅迫していたのを知っていたからだ。アニオタによる猟奇的事件引き起こしている作品とは何かを確かめてみたのだ。結果はひたすら幼稚な中身で、反社会的知的障害ボーダー層を煽っていたのだった。

京アニ作品は1度もみたことがないから中身については何もいえないのだが、昨今アニメとりまく状況は嘗てのものとは全然様変わりしている。それは上述のよう反社会的精神遅滞に近い人々が大勢新興宗教として崇める対象になっているという点で、過去アニメ界とはまるで質が違うのである

アップルCEOティムクック氏が京アニに同情の様なツイートをしていて私はこの事件について知ったのだが、彼はアイフォンの主要な顧客である日本人全体の中でも、京都に新たな店舗を設置したところなどから現代アニメ界をとりま社会病理をまったく無視して単なるテロとして扱っていると思う。

他の大衆娯楽、たとえば(これも京都本社がある任天堂に縁が深いが)テレビゲームとか、映画とか、漫画小説みたいなものアニメが「サブカルチャー」として近い位置づけにあるのは確かだが、現時点のアニメはほぼ深夜テレビなどで提供される無料の娯楽で、いってみれば下流の慰み物なのである

村上隆氏はアニメの無教養(Lowbrow)な性質を、知的文脈操作欧米美術史に皮肉位置づけで乗せることで有名になった。端的にいうとアメリカのポップアーティスト漫画に素材をとったのを日本ネタで流用したのだが、一時的に彼の援護的唱道者だった東浩紀氏らも、アニメ公民権を与えた原因だ。

なにがいいたいか日本政府が麻生大臣や、東氏に親しい猪瀬都知事が在籍していた時期に、クールブリタニアを表層的に猿真似した文化政策であるクールジャパンでアニメにお墨つきを与えたのは、間接的に東京圏スーパーフラッターが影響している。要はアニメの暗黒面は意図的無視されていたのだ。

アニメは「わかりやすく」「子供に愛されており」「みなが大好きな」「誰にとっても望ましい」「外国人にも大人気で」「日本文化象徴」といった凄まじい厚化粧で美化されてしまった。背後には労働集約的手描きの不合理な制作過酷長時間労働地獄があり、知的ボーダーの客層による退廃があった。

たとえば同人誌という分類がある。二次創作という名目アニメキャラに、変態性欲の性行為をさせる独自制作漫画アニメ作品販売するとんでもない退廃主義世界が、東京コミックマーケットを中心に勃興していた。石原都知事時代には一部は18禁化されたが、堂々と非実在児童の性を含んでいる。

美術史の中ではバルテュスを筆頭に、その種の児童性愛表現や、ギリシア美術とか江戸春画などに由来した変態性欲的なエロス表現は多かれ少なかれ容認されている。つまり同人誌サブカル派生物として、未来では昭和平成・令和期の主に東京での大衆芸術の姿と歴史化されてはいるだろう。

京都中世、「上方」と称し、大衆蔑視の高踏的な文化傾向を自認していた。が上述の任天堂や今回被害にあった京アニはそうではない。京都府民の一部は東京文化を自らとりこみ、多かれ少なかれ低俗大衆芸術販売しはじめた。これは質的変容でもあるし、アニオタによる炎上事件伏線にもなっている。

サブカルなるもの低俗で無教養一般大衆相手に客商売するところに発生した。しかアニメは単なる売り上げの為ますます大衆の中で最も愚かな者」を最大公約数の客層にしようと幼児退行じみた卑俗化を極めていった。その極点に起きたのが某アニメ制作陣への脅迫事件や今回のガチ炎上事件なのだ

今日アニオタと呼ばれる人々には、おそらく東京キー局によるテレビニュースコメンテーターが訳知り顔でいいそうな「犯罪者予備軍」といった客層が確かにまれている。それは例えば高IQ知識人とかハイカルチャーの客層(日本ではほぼ絶滅しているが)に比べてより多めに含まれているだろう。

なぜなら、上に述べたとおり、東京京都アニメなるものは金儲けを目的に、できるだけ量的に俗受けする為、どんどんと卑近表現に自らを変質させていったからだ。要は、下流相手に客商売しているので、当然ながら犯罪者反社会的知的ボーダーの部類もアニメファンには含まれしまうことになる。

なぜ彼ら下流的な知的ボーダー層に昨今のアニメ宗教とみなされているかだが、私のみたかぎり、彼らは知識社会全然ついていけていない。当然ながら幼稚極まりない娯楽作品しか理解できない。資本主義の手順に従い広告費やグッズ販売などを目的に次々流される深夜アニメが彼らのたまりなのだ

ニコニコ動画は、今では国際レベルビリビリ動画にお株を奪われたが、嘗ても今もこのアニオタ層と極めて親近していた。2chねらー誘引した西村博之氏らが匿名コメント機能をつけたので、名誉どころか恥も外聞もない反社会的犯罪者との境界例にとって極めて居心地のよい居場所になったからだった。

もう一つ、注目すべき事件があった。悠仁親王アニメエヴァンゲリオン』内で引用された、ロンギヌスの槍とほぼ同じピンク色に塗った二股刃物で、或る被疑者脅迫した事件だ。この槍は神学上、磔刑後のイエスを突いて聖性を否定した遺物とされており、王権神授説の否定意識した事件だったろう。

アニメオタクそもそもが、虚構現実と多かれ少なかれ混同し易い脳の性質の持ち主が大半であろう。さもなくば作り話にいつまでも夢中になるわけもない。いわゆる偶像崇拝禁忌という私徳が弱い人達といいかえてもいい。この点では、ポケモンGO等を禁止した一部のイスラム法学者正見を述べている。

そして虚構現実混同し易い脳は、一般子供の時点でそうなり易いのが経験的に明らかなかぎり、いわゆる精神年齢の低い人々により多くみられるはずだ。つまりアニオタは単に批評言語が拙いだけではなく、アニメ内で表現された思想宗教的に鵜呑みにしがちで、かつ知的ボーターも相当混じっている。

から、多かれ少なかれ類似の退廃がみられる他のサブカル(例えば小説とかも)含め、一切近づかないことにした。その内部にいる人々は特定宗教信者とほぼ類似エコーチェンバー残響室)内にいると自覚し、サブカル批判を進んで行うのが賢明だ。

https://twitter.com/suzukiyuusuke3/status/1151922241971478528

2019/07/19

アニオタ炎上

現実アニメ混同発狂偶像崇拝悪しきアニオタ

金儲け俗受けアニメ流布しつつオタク炎上悪しき京都

中華思想自文化中心差別していなか蔑視の悪しき京都

国内外うろつくアニメオタクらが偶像崇拝広め媚び売る

同調圧力加えアニオタの下衆な妄想流布し炎上

https://yuusukesuzuki.blogspot.com/

2019-06-07

綾波系の最強って誰?

ギャラクシーエンジェルヴァニラだと思う。

長門有希一般大衆向け、ファミリー向けって感じ。

綾波レイ自体概念を作ったオリジナルというだけで戦闘力は低い。

そう考えるとやっぱヴァニラだな。声がかないみかだし。

2019-05-30

女子(e)スポーツ選手容姿差別されやす理由

理由は2つあると思う

1つ目はスポーツにおいて女子スポーツというのは男子スポーツの「劣化版」として見られるから

勘違いしないで欲しいけど女性男性と比べ人間として劣っているというわけじゃない

ただ、身体的な強さでは平均的に男性が優位であることを否定する人間はいないと思う

サッカーバレーのように(男子比較し)フィジカル制限があることにより戦略性が高まり面白くなるスポーツもあるけれど

そこに面白さを感じるためにはある程度目が肥えている必要があるので、大半の素人にとっては男子スポーツの方が派手で面白

オリンピックパラリンピック関係に近いかもしれない

そしてこれは環境的な問題なのか、身体的な問題なのかはわからないが、将棋囲碁等のマインドスポーツに関しても「女流」とつくと格段にレベルが落ちる

なので特にそのスポーツに対して知識経験があるわけではない一般大衆があえて「女子スポーツ」を観るときは、その実力以上の(容姿などの)付加価値を求めてる場合が多い

なぜなら単純に強いプレイヤーを見たければ男子スポーツを観ればいいだけなのだから

もう一つは「嫉妬」だ

他のスポーツと違い男女混合で競い合うゲーマー界隈には「姫ブ」なんて言葉がある

ブーストの略でLoLなどのチームプレイ前提のゲームでよく上がる言葉

「本人には大した実力はないのにオタサーの姫のように女慣れしてない(ゲームが上手い)男オタクを囲って勝ち上がっていく行為」のことだ

まり自分より弱いくせにちょっと見た目がいいとか声がかわいいってだけで勝ち上がれてズルい」ということだ

実際に明らかに姫ブで勝ち上がってる人間もいるにはいるが

今までそれなりの実力を発揮してきたプレイヤー容姿や声が表に出た途端

「どうせこいつも姫ブだろ」と批判されることが結構ある

ちなみにこういった批判男性からもあるのだが、(自分が女だからかもしれないが、少なくとも自分観測範囲では)女性から批判の方が多い

他にもいろいろあるけれどe-Sportsにおいて女子プレイヤー容姿言及される理由基本的にはこの2つだろう

ちなみに男子プレイヤーについては理由は異なり

男性ホモソーシャル体育会系ノリ(軽い肉体的、精神暴力は「かわいがり」の範疇のような価値観)が根源にあると思われる

2019-05-29

anond:20190529123810

有名人は少ない共通点気持ちを決めつけてくる一般大衆がいっぱいわくから気の毒だわ

2019-05-27

anond:20190527115028

法律というのは国家社会痴漢維持のため確固として存在するものだが、

一般大衆道徳」などというのは各個人脳内しか存在しない。

自分の思う「道徳から乖離した法律から守らない、というのは腐ったアナーキスト戯言にすぎない

anond:20190527114727

法律というもの国家治安維持の為のものしかないが、一般大衆道徳とあまりに解離すると誰も守らなくなるため、ある程度道徳に合わせる必要はある

しか法律道徳を合わせるべきだと主張するのは、国家に魂を売り渡した腐ったファシズム理論しかない

2019-05-23

[]

久々にこっちで雑感。

ツイッターとかの明示されたアカウントで語るには取り扱いに困る、そんな話をしたかったのが理由。「お前は敵がつくりてぇの?」って聞かれたら、作りたくもないし、作る意義もないからね。とはいえ、やっぱり語りたくなる。今回の『青のフラッグ』の44話には、そういったパワーがある。

各々に考えがあり、理由がある。そこに普遍的な是非を求めることの危うさ。

いやあ、ほんと。本作は漫画という媒体で、どこまで多元的な考え、人格描写するつもりなんだっていう。面白いかっていわれると、愉快ではないんだけれども。安楽椅子状態での会話がメインって絵的には面白みが薄い。どうしてもセリフばっかりになるし、読者側にエネルギーを要する。しかも本作はスッキリしない。わかりやすく間違っている人間に対して、正しいことを言って溜飲を下げるだとか、そういった明瞭な快活さを与えてくれないのでストレスたまる。それでも評価せざるを得ない話ってこと。

本作は各々が自分なりの考えを持っていて、そこに明確な是非を要求すべきじゃないってのを逐一訴える。今回の女子高生二人の言い分も間違ってはないんだよね。むしろ現代社会の通念上は、正しい寄りの考えと言ってもいい。じゃああの丸刈り君は偏狭性差別者で、“普通じゃない、間違っている人間”なのかっていうと「ちょっと待った」ってなるわけ。私も同性に痴漢されたことはあるからからなくもない。そういった経験から来る嫌悪感普遍的な通念では拭い去れない。読者の中には今回の話を読んでなお、あの丸刈り君をただのクソ野朗で終わらせる人もいるだろうけれども、作中ではそれこそ狭量ではないかと指摘しているようだった。

安易善悪二元論の懐疑。ああいった問題で、正しいだとか間違っているだとかの線引きで考えたり、分かりやす悪者を作り出すことの危うさを作者は知っているんだと思う。作劇として見た場合言語化しすぎてて読み味も良くないんだけれども、本作はそういうのを妥協したくないんだろうなあ。『鈴木先生』を思い出す。大衆が受け入れがたい、スッと入ってこないであろう考え方を大げさに、だけど真っ向から長々と語る。

「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」は名言でも正論でもない。

「好きって感情はいいけど、嫌いって感情ダメ」みたいなセリフが劇中に出てきて、私は「うげえ、また“ツギハギ論”かよ」って思った。「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」。『ツギハギ漂流作家』という漫画打ち切り間際に描いたあのセリフ。あの漫画顛末を踏まえた場合逆ギレじみた言い分に近い。けれども、なんだかセリフだけ一人歩きしてしまって名言になった。なってしまった。だから私は“ツギハギ論”って呼んでいる。実際このセリフ安易引用する人間の主張にはツギハギ感があるので、その点でも“ツギハギ論”って呼び方は適格だと個人的に思ってる。

で、ちょっとウンザリしたところで、「好きって感情は良い感情、嫌いって感情は悪い感情って考えは雑すぎる」といった指摘が入る。ああ、そこも言語化ちゃうだっていう。もう完全に私はこの作品に踊らされている。「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」の歪さを分かってる。あのセリフが憚って10年以上も経っているのに、まだあれを正論だと思っている人がたくさんいる。あれが大した理屈じゃないことは、好き嫌いについて向き合っているのなら自ずと分かるはず。けれども、好きなもの他人に嫌いだって言って欲しくないという自己保身のために、あのセリフを都合よく使う人は後を絶たない。

好きという感情肯定する以上、嫌いという感情肯定しなきゃ辻褄が合わない。まあ、肯定否定個人感情によるところも大きいので、各々がどういうスタンスをとるかまでは是非を問えないけれども。そのせいで、意見の不一致による衝突は出てくるし、それを避けたいのも人間本能だしね。だからだって、こういう話は後腐れのないところで書く。とはいえ感想書きは、結局この“好き嫌い”を様々な言葉で紡ぐ表現手法の一つなわけで。好き嫌いのものを、片方だけ是としたり、有耶無耶にしたりすると評論としてはむしろ信頼できない。

とはいえ、これを完全に理解するには面倒くさすぎる。

そんなわけで評価はしているけれども、本作はかったるい。言語化しすぎというか、野暮ったいセリフ選びも多い。セリフの少ない場面とかはすごくエモいだけに尚更そう感じる。エンタメという枠組みで見たとき、あれは愉快な描き方ではないし、上手い描き方でもない。「悪役が何かエグいことをやっている」だとか、そういう“エンタメ的には良い不愉快さ”みたいな意味ですらなく。飲み物なしでビスケット食っているみたいな感覚

例えば、同サイトで読めるのだと、『さよならミニスカート』は分かりやすい。あれは良くも悪くも複雑じゃない。いや、人によってはあれでも余剰過ぎるくらい複雑かもしれないけれども、訴えていること自体はすごくシンプルなんだよ、あれは。基礎的なジェンダー規範を取り扱って、それをテーマにしている作品。様々なマンガで、以前から脈々と語られてきたジェンダー論をメインに、現代の人たちに刺さるようドラマティックにリブートしている。だから陳腐とまではいわないけれども、やや表層的ではあると思う。ああいったテーマを多側面的に考えたことのない、一般大衆向け。それ故に刺さりやすいし、読み味も良い。『青のフラッグ』もウケてはいるけれども、作者が想定しているであろう理解力の読者はそこまで多くないと思う。

その点で『さよならミニスカート』は多くの読者に色んな意味で優しい。まあ、テーマ的に何かすごいことをやってる~みたいに持てはやしだしたら危ないと思うけれども。『サウスパーク』とかで登場する、ソーシャルアジェンダに踊らされた大人たちみたいになってしまう。「私たちはそういうのに理解があるよ」といったスタンスゴリ押すことに一切疑問を持たない、実際のところ無理解人間。「社会正義から」、「一般の善良な考えだから」といった、誰かがあらかじめ作っておいた前提で理屈を紡ぎ出す。だから一見すると尤もらしいんだけれども、ちょっと小突かれただけで論理破綻してしまう。

とはいえ、そういった指摘をフィクション世界でわざわざ言語化しても、ほとんどの人はそこまで様々な視点から物事を考えないので伝わりにくい。一般社会の善良そうな考えで生きれば支障はまずないから、考える必要がない。むしろ考えすぎて自我袋小路に入ってしまうこともあるからちょっと無思慮なくらいが丁度良いまである。色々考えていたとしても、個々人の規範一般社会規範をすり合わせる他ないから。『青のフラッグ』のセリフからとるなら「お前は敵がつくりてぇの?」となる。私は御免こうむるし、多くの人も「そんなつもりはない」と言うはず。自覚しているか、実際の行動と矛盾しているってパターンは多いけれども。敵味方っていう構図の作り方が、そもそも履き違えているのを大体の人は分かっている。前提を共有をしていなければ主張の押し付け合いにしかならないし、かといって論理ゲーム本質から遠ざかっている。

そんな感じで、私の中でもまとまっていないので、ここで雑感は終了。ここまで語っておいてなんだけど、こういう特定作品を基に社会論をアレコレ語るのは、どこぞのサブカルくそ野朗みたいで我ながらアレだと思ってる。自分ツイッターじゃあ、絶対こんなこと呟けない。あれこれ考えてしまうから吐き出して解消したいだけで、漫画もっと気楽に楽しみたい派。ぶっちゃけ私は『むとうさとう』レベルの軽いノリでジェンダー取り扱ってる漫画の方が好きだ。

2019-05-17

anond:20190517172905

というこれなんだよ。子供問題起こしたら親が全部悪いという考えを一般大衆多数派が持っていること。これが子供を作らないほうが安全理由

2019-05-14

残念ですが、小室圭氏と秋篠宮家の結婚は成立します。

自民党政権意向

政権支持基盤保守的女系天皇への布石になりかねない女性宮家を望んでいない為、どのような形であれ女性宮家容認される事態は避けたいはずです。

しかし、現状何もしなければ世論は賛成のままです。皇位継承問題一般に広く理解されているとは言い難い上、フェミニズム男女共同参画など女性が関わる問題議論一般的に「面倒くさい」ことから男性消極的賛成、または反対しづらい空気感を何らかの形で自己利益誘導するために賛成し、女性はただ賛成するだけで得なので盲目的に賛成する。産経FNN合同世論調査の女性宮家「賛成」64%はこのような世相を反映したものかと思います

政治的理由で反対するような層は絶対数が少ないので世論を反対へと傾ける為には、極端に言えば女性が関わる議題に女性自身が盲目的に反対する、不自然状態必要です。

その試みの一つが今話題になっている「圭殿下」「圭さま」に関する報道ではないでしょうか。

小室氏の兵器

メディア営利企業なので数字が取れない、売れない記事番組は作りません。小室氏に関わる連日の報道から小室氏は稼げる美味しいネタである事は確かで、これらの報道には昼の情報バラエティ番組女性週刊誌等、「女性視聴者層を重視している傾向が見られます。そしてメディアの大多数は小室氏を否定的に扱い、秋篠宮家が納采の儀は行えないと発言した程度に女性を含めた一般大衆にこの結婚に反対する世論が既に形成されているのが現状と言えるかと思います

このような状況の中で小室氏は女性宮家問題単純化する為の鍵で、既に形成された世論を「結婚反対」から女性宮家反対」へと変質させる、触媒としての影響力があるのではないでしょうか?

「あの小室が『圭殿下』『圭さま』になる」という切り口で女性宮家問題を世に問えば女性を含めた一般大衆の世論女性宮家反対へと傾ける、現政権意向は達成できます

世論追い風政権と足並みが揃っていればメディア皇室タブー瀬戸際まで収益化でき、利害も一致しています

異能力者「KK」

小室氏が試験に落ちるなど更に悪材料が増えるケースなども想定できますが、ここでは小室氏がメディア上で得た特殊立ち位置が彼に有利に働きます

これまでの事例から宮内庁財閥や旧華族家系華族企業後ろ盾がある守谷慧氏のような人物に、その後ろ盾皇室タブーを最大限活かした清廉潔白な「無菌室」路線の、よく言えば特化、悪く言えば一辺倒のメディア戦略を用いる組織と言えるかと思います

後ろ盾が無い小室氏のような厳密な意味での一般人はただでさえ扱い慣れていない「異例」で、身辺調査などを減らした秋篠宮家のリベラル方針とも相容れず、早々にメディア対策崩壊しました。

が、「異例」であるがゆえに幸か不幸か、彼は現在トランプ大統領と同じく醜聞のしきい値がない、いわばヒール役のような立ち位置を獲得した特殊状態にあります

そこで問題となるのはこのしきい値を最終的に決めるのが他の誰でもない秋篠宮家のみである事です。

秋篠宮家と小魚

仮に秋篠宮家がしきい値を、司法試験当落に設定したとしましょう。

この期に及んで長女の結婚問題撤回する事は皇位継承順に関わる子息の教育方針、ひいては秋篠宮の「家の在り方」の間違いを公式に表明することを意味します。

そこまで直接・確定・破滅的な選択肢を「試験に落ちた」程度で採る可能性はどれほどでしょうか?

チリが積もるとは言っても、メディアが血眼になってようやく見つけた「国立音大附属小時代同級生が受けたいじめの話」程度ならいくらあっても今更問題になりません。

秋篠宮家にとって小室氏を切り離すことは小魚を三枚におろそうとするような自殺行為で、彼は既に秋篠宮家の一員と言っても過言ではないのが実情です。

彼が犯罪など破滅的な事態を自ら引き起こさない限り、「撤回」は選択肢にすら挙がらないのではないでしょうか。

そして結婚

報道を追っていると、一見納采の儀は行えない」「経済的自立」「国民の祝福」など様々な意向や条件が示されているかように見えますが、これらはどれ一つとして秋篠宮家が公式に表明した事ではなく、何者かを経由した二次的なソース、伝聞の類でしかありません。

試験に落ちた程度なら「再試験を待ちつつ日系企業法務部に籍をおいて働く」ではどうでしょうか?

結婚撤回」で負けを認める、ただこれさえしなければ現実はいくらでも根回しが可能です。菊の御紋で照らせば黒は白になります

長くなりましたが今後の予想としては、「女性宮家反対」世論を強化・維持したい意向忖度したメディアが「悪感情を抱かせつつも致命的ではない」内容で好感度一定以上上がらないような報道を定期的に続けて、現政権小室氏の弁護士試験結果が出るまで2年程度の期間で皇位継承に関わる問題解決全般に当たるものと思われます

何らかの形で女性宮家不成立が確実視された暁に副次的な結果として「圭殿下よりマシ」な皇籍離脱から結婚、辺りになるんじゃないかと思います

どうでもいい話

小室氏がメディアにもたらし続ける経済効果も実績に含めれば、SPの警備費用程度は既に社会に貢献していると言えるのではないでしょうか。持参金分もカバーできているかもしれません。誰か暇な人居たら数字を出してください。

2019-05-10

大津事故から見る「マスゴミ批判の風潮

先日、大津市散歩中の保育園児の列に自動車が突っ込む事故が発生した。この保育園記者会見のようすから報道への批判が高まっている。

事件と会見の詳しい内容はもう各自ニュース記事を見ていただきたい。

このような被害者への過熱報道や無遠慮な態度をめぐってマスメディアが「マスゴミ」と揶揄される事態は頻繁に起きている。少し前にはジャニーズグループ嵐の活動休止会見でも、記者が「無責任ではないか」と質問を投げかけたことに怒りの声が集まった。

SNS上でみられる批判の内容のほとんどは、現場にいる記者に対して「良いニュース写真を得たいあまり良心を失っている」と指摘するものだ。しかし、記者はいったい何のためにこのような人道に反しているとも思える行動をするのだろうか? 「お金になるから」と多くの人は答えるだろう。ではどうして被害者の悲しむ姿がお金になるのか。

それは「閲覧数が増えるから」に他ならない。マスコミ情報を売る仕事であるのだから、当然、たくさんの人が見たがる情報積極的記事にする。過熱報道批判する声はもう何年も何十年も前から絶えることがないにもかかわらず、彼らは被害者被害者遺族への取材を一向に辞めない。誰にも求められていないのに、人々のニーズ無視してまでこのような記事を書き続けるほどマスコミも愚かではないだろう。ということはやはり、これらの記事は「求められている」のだ。

おそらくきちんと考えれば、説明するまでもなく誰でも分かる理屈だろう。しか最近マスゴミマスゴミと騒ぎ立てる人々を見ているとどうもこのことを忘れているように思えてならない。もちろん、「いくら稼げるからって良心に反していいわけがない」という主張は尤もである。ただ、SNS上でみられる批判の多くからはまるで記者自身被害者の悲しみを見たがっている、とでも言うようなニュアンスが感じられる。先の嵐の会見の場合でも、記者自身が「無責任だ」と感じているためにそう発言したわけではないと個人的には思う。(ファンを除く)一般大衆が薄ぼんやりと抱くであろう疑問。彼らは直接話ができる立場としてそれを代弁しているに過ぎないのではないだろうか?

一番最初にあるのは大衆需要であり、マスコミは望まれるとおり供給を与える。どちらが悪かという問題でもない。ただそういう形でうまく歯車がかみ合った結果、今回の園長先生のように泣かなければならない人が生まれしまう。これはシステムだ。「極悪非道記者」や「極悪非道編集長」というドラマのように分かりやすい巨悪が存在するわけではない(だいたい最近ドラマにすらそんな明確な悪はいない)。

きっと多くの人は、その事実をはっきり意識しないにしろなんとなくは理解しているはずだ。だがそれを認める前に、心のどこかが声を上げる。

「じゃあこの怒りをいったい誰にぶつければいいんだ」。

需要がなくなればこんな痛ましい過熱取材報道もなくなるかもしれない。だがその需要とは? 「ついついセンセーショナル記事を読んでしまう」程度の人々は本当に弾劾されなければならないほどの悪なのか。私は被害者の苦しみを糧として制作された記事を読むのが好きですなんて主張する人はいないはずだし、そもそもそれ程の自覚もないだろう。

から誰に怒ればいいのか分からない。なんとなくこんな報道が間違っているということだけはわかっても、その正体までは考えつかない。

そういうとき、ぱっと目について直接的に悪を為しているように見えるのは現場記者なのである

繰り返すが、彼らにまったく罪がないとは言わない。この文章を書いたのはマスコミ擁護するためではない。しかし、考えてほしいのだ。ものごとの本質とは何なのかを。

2019-04-07

anond:20190407134845

アンケートや、参加型の何かに反応するのはやっぱりヲタクなのでは?

一般大衆は、意見がないならば、満足しているってことなんでしょう。

2019-03-08

anond:20190308231652

どれも評価高くないような……といったら文学プロパーに失礼かもしれんが、一般大衆感覚で言うと。

2019-02-14

anond:20190214162755

オタクについて書いたのは単に前の増田オタクについて書いていたからですね

一般大衆との差で言えば助けないだけでなくおもちゃになりそうなものネットおもちゃにして遊ぶのはオタク人達特有のやり方があると思います

2019-01-23

anond:20190123130016

馬鹿は左右どっちにもいるけど

一般大衆を見下すようなスタンス欲望が見えまくるのは明らかに左派の方に多い

左派揶揄する右派自称が「普通の日本人」なのもそれを象徴してる

右派自分を「普通」と任じていて

左派自分を一段上と思ってる

2018-12-12

Wake Up, Girls!」が失敗したたった一つの理由

それは、主役の選定である

プロジェクトが産声を上げた時から主役は悪評の多いアニメ監督であった。

アニメは、7人の女の子を主役にしたアイドル物語であった筈なのに。

当時の宣伝の1文目には必ず、監督名前が書かれていた。

オーディションで選ばれた7人の声優ユニット活動してもなお、監督名前が一番先にあった。

イベント毎には必ずと言っていいほど、監督が出演した。(アニメが進行中にも関わらず)

初の声優陣の番組タイトルには、出ていないのに監督名前が入っていた。

ファンが開催した同人イベントにも、監督が来た。

結果としてアニメよりも声優ユニットよりも「監督」をアイドルに据えたプロジェクトは、作画崩壊話題と共に炎上して失敗した。

復興補助金まで使ったのにも関わらず、商業的に失敗した。

一般大衆には、アニメを通して40代男性監督アイドルよりも演じている7人の女性声優アイドルの方が見たかったみたいだ。

アニメが終わってから気づいた。

その後、問題の多かった監督降板させ声優ユニットプロジェクトの主役に据えた。

広まった悪評を排して成功へ導こうと再起を図った。

が、マイナスからスタートは難しく道半ばでタイムアップ判断されてしまった。

悪評もまた評なりと始めたプロジェクトは、結局は多くの人にとって無関心への移行という最悪な結末で幕を閉じた。

たらればは無いが、もし初めから選定が変わっていたら明るい未来WUGが見られていたのかも知れない。

(「生みの親だろ」という話は一方的立場からしか上がってこず、それなら「親」のアニメを作ったら良かったのでは?と思う。)

2018-11-24

芸術という名の森

田舎でI wanna beしていた私は、一念発起して上京してからある程度の年数が過ぎた。

ひょんなことからとある芸術分野において創作活動を始めたのだが、その世界で見た事を部分的ながらも、

知っている方にとってはごく当たり前な事を書くことになる。

美術学校・藝大・専門学校における教師の質

残念ながら独学した方がマシな人しかいないので、正直名刺交換しんどい学生にとっては雲の上の人に見えるだろうけれど、

その内実は、企業とのつながりの為に出向した人間や、付き合いで取れた章典を引っ提げて人に教えている人が多い。

単純に考えればわかる事だが、才能も教えがいのない、カリキュラムも決まっていて、小金だけ持っている学生ルーチンでサラリー貰いながら教える仕事は、

最前線創作活動をし、名誉と金をもぎ取る人たちにとって、悪夢以外の何物でもないのである

これらの仕事として行う為の技術を学ぶ場としては機能しているし、OBOG就職先のネットワークは色々な点でメリットになるが、

それ以上の事は期待しても難しい。

定期的に何処かの美大教授怠惰であると抗議を挙げる学生がいるが、そもそも怠惰から美大教授をやっているとは考えなかったのだろうか?

パワハラ(というか優位的地位濫用)・セクハラ(というか強制わいせつ

そんな世界産業として成立していないとかいう人がいるが、労働者向けの用語に直すと括弧のにようになる。

どの世界でもある事だし、性善説社会は回っていない。自己権利を主張しない奴は「私の価値ゼロ円で使い放題です」と言っているのと同義から

優位的地位に居る奴に、いいように使われるのがオチであるセクハラ最近マシになったが、元々女にモテない奴が、

女に対して優位的立場行使できるようになると、気持ち悪い性欲の捨て場として使うようになるので、まあ気を付けてほしい。

・出来賞レース

言葉として、「10年に一人の逸材!」とかあるが、ではその方が受賞する賞年度を除く9年はどうかというと、

そこそこの落としどころで納得できる才能か、関係者の付き合いで賞を取らせることになる。

特に学校関係で受賞する方は、1020年先も活動できるような底の深さを作る間もなく、その余裕もない形でヨイショされるので、

憐憫眼差しで見てしまうのだが、本人にとっては今を生きているのだから仕方がない。ゴールは学校先生である

画廊関係の推薦も、よくよく思うと、その年の決算までに効率的に稼げそうな方を選んでいるフシもあるので、画廊を選ぶのも運である

そもそも大人しく金持ちの家に置く物や建具に細工をしていればまだいいが、fine artを名乗って売る以上、

その日暮らしのルンペンであり、狙った特定の層にウケる創作物を作るしかないのだが、

世界日本除く)は芸術作品の売買や輸出入における関税を極端に低くしているので、金持ち合法的脱税投機により成り立っている側面もある。

サラリー貰っている一般大衆とは考え方が違って当たり前で、そもそもそのような世界に居られない人間の逃げ場のような側面もあるので、

世間通念とずれた人間が多いのは仕方がないところである芸能含めて言い方が悪いがヤクザ世界である。信じられるのは己のみで、

己を信じられない奴は他社に食われる荒野世界に立っている。

個人的私見だが、ヤクザと聞くと皆さんが思い浮かべるのは悪いイメージだが、疑似家族制度や仁義義理の考えは、武士社会のもじりである

政治家財閥構成する方々の閨閥等の理論と、ヤクザ構成する方々の理論は、実はとても近い。

才能と己が全てである

2018-11-09

anond:20181109203608

お祭りって。

一般大衆ガス抜きとして機能しているので

それがなくなったら、しんどくならないのかな。

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