「造船業」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 造船業とは

2018-12-02

韓国政府韓国司法の異常性

こんな、話があります

2007年12月韓国大山港で、船舶衝突による最大規模の石油流出事故が起きた。

これが「ヘーベイ・スピリット原油流出事故」だ。

この裁判韓国司法は、国民感情を優先し「韓国サムスン船団の過失」を

インド船の責任」と罪をインド側になすりつけた。

その異常判決に対し、英国ロイズ保険を初め世界中保険会社が激怒

「今後、韓国船舶保険対象にしない、又、韓国水域向けの保険も受けない」と通告

これにより、韓国海外向け運輸船舶は無保険運用となり、世界中の港が

受け入れを嫌った。

結果、韓国海運業破綻・・・

同時期、外国から韓国造船業への注文がピタリと止まった。

少なくとも、海運、造船の2つの業界が壊滅し韓国経済に大打撃を与えた。

これから先、この2つの業界が復活することはないだろう。

2018-03-04

https://anond.hatelabo.jp/20180301221340

もし圧力容器屋が無断で8mmを4.7mmに削ることをやらかしたら、もう業界仕事できない気がしま

衰退しているらしい造船業も流石にこんなことは起こさないか・・・

大企業やらかしているので日本工業全体が不安です

2017-06-21

父親日本会議メンバーなのだ

そこそこおおきめの造船業のところで経営者をやっていて、よく口にするのが日本技術力の劣位の話で、

が決定的に日本欧米に劣っている、という話をよくしている。この点を解決できれば日本は再び米国戦争を挑むことが出来ると父は考えているが、実際には今後欧米との差は開く一方だろうとも考えている。

こういう考え方の人が日本会議に付き合ってられるのも不思議な話だといつも思っている。

2016-09-21

建築業社会保険加入推進の話

来年から社会保険加入してない人達は、現場に入れないってあれ。

人が一気にごそっと減るよ・・足りないし若い人入って来ないって言ってるのに。

社会保険入れない鳶職人達がごっそり。

もちろん他の防水やってる人や補修してる人達も、入れないとかあるよ?

でも一番減るのは鳶職

国民年金どころか、健康保険さえ入ってない人達ばっかりなのに。

というか、社会保険費を払わなければ生活出来た。

その程度の賃金しか貰ってないのにさ。

払える訳ないじゃん。

既に社員にしない・一人親方保険入れない人間は、切る方向で進んでる。

30人派遣してたところが、10人以下で報告してきてる。

どーすんの?現場止まるよ?

確かに五年前から、入れって連絡は来てたけどさ。

結局どうなの?人が足りなかったら、入ってなくても入れるの?

って皆で噂してただけで、実際動かなかった。

大手建設会社だってなにもしなかった。

大手に値引しろって言われて、最初に消えるの法定福利費だし。

第一さ、一般企業で働けないか建設業で働いてるのに、どうしたらいいのか分かるわけないじゃん。

一番困るのはゼネコンだろうし、別の業種に流れる人が増えるかもしれないし

場合によってはいいのかもしれないけどさ。

腕のいい職人が消えるか奪い合いになるぞ。

最近話題になってた造船業みたいに、もう技術無い人ばかりになるんだろうなって暗い予感しかしない。

来年から新築されるマンションビル買う人達覚悟した方がいいと思う。

不具合施工ミス一気に増えるかもよ?

年金の確保したいんだろうけど、これほんとにどーすんの?

2015-12-26

三菱重工客船工事遅れについて漏れ現場の声

以下の二つの記事を踏まえての匿名掲示板から漏れ伝わる現場の状況を備忘録も兼ねて引用しておこうと思う。

三菱重工、3度目の客船納入延期 米カーニバル系向け

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ25HNS_V21C15A2TJC000/

客船建造の遅れ回復へ 三菱重工必死総力戦

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO86769480U5A510C1000000/

■倍増の4000人を投入 事務所からの移動時間も短縮


ニュース速報 長崎版 第19面

868 :ななしばい:2015/11/16(月) 22:51:16 ID:HzivZ05k0

客船建造はノウハウがある欧州の造船所が主だからなぁ

国内の船会社発注すればいいと思うけど、採算が取れないとみて20年前の船を改装してお茶を濁すくらいだし

造船自体斜陽産業みたいなもんだし先は長くないだろうね

869 :ななしばい:2015/11/16(月) 23:09:01 ID:ps4B1NIc0

建造中の客船には

仕事しないでボーッとしてるだけの人間がいかに多いか

作業者は居るが、人を集めればいいってものじゃない

870 :ななしばい:2015/11/17(火) 00:18:25 ID:HOAnvA2w0

>>869

外国から職人を呼び寄せたはいいが、言葉が通じくて指示が出せず途方に暮れている

という話を聞いたことがある。

通訳くらいちゃんと用意しとけよと言いたい。

871 :ななしばい:2015/11/17(火) 01:47:06 ID:DEI2VSq.0

外人就労ビザで来てる人たちだからみんな一応のスキルは持ってる。でないと就労ビザなんて簡単に降りない。

問題日本中からかき集めた素人作業員経験カスだらけ。暇さえあれば船室内で隠れてスマホゲームやってる。

こんなカス何百人集めても船は出来上がらんって。

もう問題が山積し過ぎて三菱も細かいところに全く目が届いてない。

もう現場カオスだよ。

872 :ななしばい:2015/11/17(火) 03:06:02 ID:cqqyJlls0

今の三菱てんやわんや

新型ガス船も設計どうりの燃費出ず、契約上2番船3番船と作り続けて行かないといけないのに

豪華客船に人を取られて資源探査船も工期遅れ、人を集めるも派遣ゴミクズ集団で使い物にならない

しかも、海外技術者とは言葉も通じず、作業が進まず、残業続出!

大波止バイク置き場は夜遅くまで三菱バカが占拠中

12月に延期した納期も守れないのは当然の事、もちろんまたまた特別損益を百億単位で出すのは内緒の話w

赤字覚悟で豪華客船2隻受注したのは受注主が6隻建造計画があったか

でも、あまり三菱の能無しっぷりに飽きれて、船主のアイーダ欧州に残りの4隻すべて取られちゃった

職人を育てず、見よう見まねの経費削減して派遣アウトソーシングばっかするからこうなるんだよw自業自得

造船総合スレ その14

63 :NASAしさん:2014/08/25(月) 20:09:55.50

三菱重工クルーズ客船建造から撤退を計画=独紙

http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPL3N0QV2T820140825

67 :NASAしさん:2014/09/05(金) 08:34:24.20

>>63

これ本当か?うちの会社三菱長崎に何名かやってて

客船の配線工事やってるがそんなうわさ聞いてないっていうが

ただ工事は遅々として進まんが

629 :NASAしさん:2015/12/23(水) 11:18:36.34

かい仕上げが残っていて、年内無理かもーー大本営発表みたいになってきましたね

http://blog.livedoor.jp/centimenta/archives/50826027.html#comments

2. 作業員C 2015年12月23日 01:12

何度も言ってます

1番船、2番船共に、素人作業員が悪の始まりです。

配管、配線も終わった部屋に防熱をする為のピン打ちで、配管や配線を傷つけ、やり直し。

間違えた配線や配管をし、やり直し。

不注意から簡単に防げる災害を起こし、作業効率が下がる新しいルールを作り、

毎日会議では、休憩が長い、喫煙所が汚い、帰りが早いと小学校でも言われない情けない内容の連絡。

監督検査基準検査官次第で見る所が違い過ぎて混乱。。

もう飽き飽きです(笑)

どんな素人でも、居れば給料を貰える。

三菱の昔からシステムです。

丘の現場みたいに、頑張った人が儲かる。

素人仕事が出来ない人は給料が安い。

当たり前のシステムを、そろそろ始めるべきでは??

634 :NASAしさん:2015/12/24(木) 15:38:47.06

元々、造船業自体技術者技能者も減少してんのに人集めよう思ったら必要以上にボロが集まるんは偉いさんやったらわかるんとちゃう

639 :NASAしさん:2015/12/24(木) 21:54:58.60

>>634

造船業経験の人も大量に来てるぜ~

新卒で三ヶ月の研修受けただけの技術派遣とか

むろん船の用語を一切知らないレベルなので、来てくれてもまったく負担軽減にならない

bulb plate を valve混同、大混乱を招いたり…

わろけてくる

【造船】もはや風前の灯? 三菱重工の失敗で日本の豪華客船建造喪失危機

206 : sage[] 投稿日:2015/11/17(火) 00:18:05.51

>>1 現場で働いてる者だけど・・・

・重工トップ曖昧設計契約

設計不具合有りまくり

・重工社員二次三次業者に丸投げで現場の事は解りませんし、上から命令を伝えるだけ。

・重工社員は仕切れないので、現場同士で話し合うも我先現場

・配管、内装しようにも物がありません。

納期が詰まってきて、上の手さえ入れればと云う感じの現場レベルの低さ。

・不良外国作業員の我儘さと、制御できてなさ。

現場必要な物が無くなる不思議

今、2番船にかかってるが、現状変わってませんwww

ニュース速報長崎版の書き込みがすごい

11月の時点でその後の発表と同様のことを暴露してる。

今度の年度末までの期限に間に合うのか本当に不安になるなこりゃ。

2011-10-31

からスティーブ・ジョブスへの弔辞

A Sister’s Eulogy for Steve Jobs

モナ・シンプソン (Mona Simpson)

2011年10月30日

私は母子家庭一人っ子として育てられました。

しかったので、そして父はシリアから移民だと教えられていたので、

父については、オマル・シャリフのような人ではないか想像していました。

裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。

のちに面会したとき、私は、父は理想燃える革命家で、アラブ新世界を導く人だったのだと、

から転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。

私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。

二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。

25歳になってその人に出会いました。

それが兄でした。

私は当時、ニューヨーク処女作を書こうとしていました。

他の作家志望者3人と一緒に、クローゼット並の大きさの事務所で小さな雑誌仕事をしていました。

ある日、弁護士が私に電話をかけてきました。

その弁護士は、上司健康保険をねだるような、カリフォルニア中流階級の娘である私に、

「裕福で、著名で、あなたのお兄さんである人物の代理人だ」と名乗りました。

同僚編集者たちは騒然となりました。

時は1985年、そこは新興文芸雑誌の事務所、

それでも私は大好きなディケンズ小説の筋書きに放り込まれたようでした。

弁護士は兄の名を伝えるのを拒み、同僚たちは賭けを始めました。

一番人気の候補は、ジョン・トラボルタ

私が密かに期待していたのはヘンリー・ジェイムズ後継者

何の苦もなく優れた作品を生み出す、自分より才能のある作家でした。

初めて会ったときスティーブは私と同じ年格好で、ジーンズを履いていました。

オマル・シャリフよりもハンサムな、アラブユダヤの顔立ちでした。

私たちは長い散歩しました。

偶然にも二人ともそうするのが好きでした。

何を話したのかはあまり覚えていませんが、

とにかく友達にしようと思えるような人だと感じたのは覚えています

彼はコンピュータ企業で働いていると言いました。

コンピュータのことはあまり知りませんでした。

私はまだオリヴェッティのタイプライターを使っていましたから。

コンピュータを一台、初めて買おうかと思っているとスティーブに言いました。

Cromemcoという名前でした。

スティーブは、そのときまで待ったのは良かったと言いました。

彼は、恐ろしく美しいものを作ろうとしていると言いました。

これからスティーブから学んだことをいくつかお伝えしたいと思います

つの期間、合計27年間に渡って、私は彼を知っています

期間を区切るのは年数ではなく、生き様です

彼の充実した人生

彼の病気

彼の死。

スティーブ自分の愛するもの仕事しました。

彼は頑張って働きました。

毎日働きました。

とても単純ですが、本当のことです

彼は散漫の対極のような人でした。

彼は、たとえ失敗に終わるとしても、頑張ることを恥とはしませんでした。

スティーブのように聡明な人が挑戦を恥じないのであれば、私も恥じる必要はないのかもしれません。

彼はAppleを追い出されて、つらい時期を過ごしました。

彼はシリコンバレー指導者500人が現職大統領を迎えるディナーのことを話してくれました。

スティーブはそこに招待されなかったのです

彼は傷つきましたが、 NeXT に行って働きました。毎日働きました。

スティーブにとって最高の価値は、新規性ではなく、美しさでした。

イノベーターにしては珍しく、スティーブは物事に忠実でした。

シャツが気に入れば、同じものを百枚注文しました。

パロアルトの家には、黒いコットンのタートルネックが、

おそらくこの教会にいる全員分はあると思います

彼は流行や小道具を好みませんでした。

自分と同世代の人が好きでした。

彼の美学はこういう言葉を思い起こさせます

ファッションとは、美しく見えるがのちに醜くなるもの芸術とは、最初醜く見えるがのちに美しくなるもの

スティーブはいつも、のちに美しくなるようにしようとしていました。

彼は誤解を受けるのを恐れませんでした。

パーティに招かれなかった彼は、三台目か四台目の同じ黒いスポーツカーNeXT に通い、

あるプラットフォームを、チームとともに静かに作っていました。

それは、ティム・バーナーズ・リーがのちに、

ワールドワイドウェブを動かすプログラムのために使われることになるものでした。

愛について話す時間の長さにかけては、スティーブ女の子並でした。

愛は彼にとってこの上ない美徳であり、最高の神でした。

はいつも、一緒に働く人々の恋愛生活を気にしていました。

女性が気に入るかもしれない男性を見つけると、

独身なのか? うちの妹とディナーはどうだい?」と声をかけました。

彼がローリン出会った日にかけてきた電話を、今でも思い出します。

「こんなに美しくて、頭がよくて、こんな犬を飼っている人なんだけど、結婚するつもりだよ」

リードが生まれて以来、彼は止まることなく家族愛情を注ぎ続けました。

彼はどの子にとっても実の父親でした。

リサの彼氏と、エリン旅行と、スカートの長さと、イヴの愛馬についてやきもきしていました。

リード卒業パーティに出席した人はみな、リードスティーブゆっくりとしたダンスを忘れられないでしょう。

ローリンに対する変わることのない愛が彼を生き延びさせました。

はいつでも、どこでも発露するものだと彼は信じていました。

スティーブ皮肉や冷笑や悲観とは無縁でした。

私は今も、そのことを学ぼうとしています

スティーブは若くして成功した人でした。

彼はそのことで孤独を感じていました。

私が知るかぎり、彼の選択のほとんどは自分のまわりに巡らされた壁を壊すためのものでした。

ロスアルトから来た中流の男が、ニュージャージーから来た中流の女に恋をする。

二人にとって、リサとリードエリンイヴ普通の子供として育てることは重要でした。

彼らの家には押し付けがましい美術品などはありませんでした。

スティーブとローリンが一緒になったことが分かってから何年間ものあいだ、

夕食は芝生で食べていましたし、食事が野菜一種類だけだったこともありました。

一種類の野菜をたくさん。

一種類だけです

ブロッコリー

旬の野菜

簡単な調理。

とれたてのハーブなど、適切なものを適切なだけ。

若き億万長者でありながら、スティーブはいつも私を迎えに空港まで来てくれました。

ジーンズを履いて待っていてくれました。

家族会社電話をしたときには、秘書のリネッタが

「お父さんは会議ですが、お呼びしたほうがいいですか?」と答えてくれました。

リードが毎年ハロウィン魔女のかっこうをしたがったときには、

スティーブ、ローリンエリンイヴ魔女になりました。

彼らはキッチン改装に取りかかったことがあります

何年もかかりました。

そのあいガレージでホットプレートを使って料理しました。

同じころ建設されていた Pixarビルはその半分の時間で完成しました。

パロアルトの家の中はどこもそんなかんじでした。

バスルームは古いままでした。

ただし、これが重要なところなのですが、その家は最初の時点ですばらしい家でした。

スティーブは目利きでしたから。

彼が成功を満喫しなかったというわけではありません。

何桁分か控えめではありましたが、十分満喫していていました。

パロアルト自転車屋に行って店内を眺めて、

その店で最高の自転車が買えるんだと自覚するのが大好きだと話していました。

そして実際、買いました。

スティーブ謙虚でした。

スティーブは学びつづけるのが好きでした。

彼はある日、育ち方が違っていれば自分数学者になっていたかもしれない、と言いました。

彼は大学について尊敬を込めて語り、スタンフォードキャンパスを歩くのが好きでした。

最後の数年間、彼はマーク・ロスコ絵画の本を研究していました。

それまで知らなかった美術家を知ってから

未来Appleキャンパスの壁に何があれば皆を刺激できるだろうと考えていました。

スティーブは物好きなところがありました。

イギリス中国のバラの栽培の歴史を知り、デビッドオースティンにお気に入りのバラがあるCEOが他にいるでしょうか?

はいくつものポケットにいっぱいのサプライズを持っていました。

たとえ二十年間人並み外れて近しく寄り添ったあとであっても、

きっとローリンにはこれから発見するものがあるだろうと思います

彼が愛した歌、彼が切り抜いたポエム

彼とは一日おきくらいに話をしていたのですが、

ニューヨークタイムズを開いて会社特許の特集をみたとき

こんなによくできた階段のスケッチがあったのかと驚きうれしくなりました。

四人の子と、妻と、私たちみなに囲まれて、スティーブ楽しい人生を送りました。

彼は幸福大事しました。

そしてスティーブ病気になり、私たちは彼の人生が狭い場所に圧縮されていくのを見ました。

それまで彼は、パリ散歩するのが好きでした。

彼は京都で手打ちそばを見つけました。

スキーでなめらかに滑降しました。

ドタドタとクロスカントリーしました。

もうできませんでした。

最後には、日々の喜び、たとえばおいしい桃ですら、彼を楽しませることはできませんでした。

ですが、私が驚くと同時に彼の病気から学んだことは、

多くのものが失われてもなお、多くのものが残っているということでした。

兄が椅子を使って、ふたたび歩けるようになるための練習をしていたことを思い出します。

彼は肝臓移植をしたあと、一日一度、椅子の背に手を乗せ、支えにするには細すぎる足を使って立ち上がりました。

メンフィス病院廊下で、椅子を押してナースステーションまで行って、

そこで座って一休みして、

引き返してまた歩きました。

彼は毎日歩みを数え、毎日より遠くまで進みました。

ローリンはひざまづいて彼の目を覗きました。

あなたならできる」と彼女が言うと、

彼は目を見開いて、唇を引き締めました。

彼は挑戦しました。

いつもいつも挑戦しました。

その試みの中心には愛がありました。

彼はとても直情的な人でした。

その恐ろしい時節、私は、スティーブ自分のために痛みをこらえていたのではないことを知りました。

目標をさだめていたのです

息子リードの高校卒業エリン京都旅行

家族を連れて世界を回り、退職したときにローリンと乗るために造っていた船の進水式。

病気になっても、彼の好み、彼の決意、彼の判断力はそのままでした。

看護婦67人を試し、優しい心があり全幅の信頼をおけると分かった三人をそばにおきました。

トレイシー、アルチュロ、エラムです

スティーブが慢性の肺炎を悪化させたとき医師はすべてを、氷をも禁じました。

私たちは標準的なICUユニットにいました。

スティーブは普段割り込んだり自分名前ものを言わせたりすることを嫌っていましたが、

このときだけは、少し特別な扱いをしてほしいと言いました。

「これが特別治療だよ」と私は伝えました。

彼は私のほうを向いて、「もう少し特別にしてほしい」と言いました。

挿管されて喋ることができなかったとき、彼はメモ帳を頼みました。

そしてiPad病院のベッドに備え付けるための装置のスケッチを描きました。

新しい液晶X線装置設計しました。

特別さが足りないと言ってユニットをもう一度描き直しました。

妻が部屋に入って来るたび、笑みが戻るのが分かりました。

一生のお願いから、頼む、と彼はメモ帳に書きました。

こちらを見上げて、お願いだから、と。

彼が言いたかったのは、医師の禁を破って氷を持ってきてほしいということでした。

私たちは自分が何年生きられるか知りません。

スティーブ健康だったころには、その最後の数年にも、

彼はプロジェクトを立ち上げ、それを完了させるようAppleにいる同僚に約束させました。

オランダ造船業者は、豪華なステンレス製の竜骨を組み、板を張るのを待っていました。

三人の娘はまだ結婚していませんし、二人はまだ女の子です

私の結婚式でそうしてくれたように、彼女たちと並んで花道に立ちたかったことでしょう。

私たちはみな、最後には、途中で死にます

物語の途中で。

たくさんの物語の途中で。

ガン宣告のあと何年も生きた人についてこう言うのは正しくないかもしれませんが、

スティーブの死は私たちにとって突然でした。

二人の兄弟の死から私が学んだのは、決め手はその人のあり方だということでした。

どんな生き方をしたかが、どんな死に方をするかを決めるのです

火曜日の朝、彼はパロアルトに早く来てほしいと電話をかけてきました。

声には熱と愛情がこもっていました。

同時に、それは動き出した乗り物に荷物が引っかかってしまたかのようでした。

申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに、

私たちをおいて旅に出つつあるときのようでした。

彼がさよならを言おうとしたとき私は引き止めました。

「待って。行きます空港タクシーで行くから。きっと着くから

「間に合わないかもしれないから、今のうちに言っておきたいんだ」

着いたとき、彼はローリン冗談を言い合っていました。

毎日一緒に暮らしてきた夫婦のように。

視線をそらすことができないかのように、子供たちの目を覗き込んでいました。

昼2時まで、彼の妻は彼を支えてAppleの人と話させることができました。

そのあと、彼はもう起きていられないということがはっきりしました。

呼吸が変わりました。

つらそうに、やっとの思いで息をしていました。

彼がまた歩みを数え、より遠くへ進もうとしているのが分かりました。

これが私が学んだことです

彼はこのときにも努力していたのです

死がスティーブに訪れたのではありません。

彼が死を成し遂げたのです

彼はさよならを言い、すまないと言いました。

約束したように一緒に年をとることができなくて、本当にすまない、と。

そして、もっと良い場所へ行くんだと言いました。

フィッシャー医師はその夜を越せるかどうかは五分五分だと言いました。

彼はその夜を越しました。

ローリンはベッドの横に寄り添って、息が長く途切れるたびに彼を引き寄せました。

彼女と私が互いに目を交わすと、彼は深く吐き、息が戻りました。

やらなければならないことでした。

はいまだに、厳しいハンサムな顔立ちをしていました。

絶対主義ロマンチストの顔立ちをしていました。

その呼吸は困難な旅路、急峻な山道を思わせました。

山を登っているようでした。

その意志、その使命感、その強さと同時に、

そこにはスティーブ不思議を求める心、

美術家として理想を信じ、のちの美しさを信じる心がありました。

その数時間前に出た言葉が、スティーブ最期言葉になりました。

それは三度繰り返す単音節言葉でした。

船出の前、

彼は妹のパティを見て、

子供たちをゆっくり見て、

人生の伴侶ローリンを見て、

そして皆の肩の向こうを見ました。

スティーブ最期言葉は次の通りです

OH WOW. OH WOW. OH WOW.

2010-06-29

書評 A・Gフランク 「リオリエント」(藤原書店

著者はドイツアメリカ人原著の刊行は1998年で、世界中専門家の間に論争を巻き起こした。

本書におけるメッセージは、冒頭書き出しの1文に凝縮されている。

本書において私は、既存のヨーロッパ中心的な歴史叙述および社会理論グローバル学的パースペクティブを用いて転覆しようと思う

西欧先進国アジア発展途上国」という、我々が慣れ親しんだ世界の図式は、たかだかここ200年程度のことに過ぎない。西欧諸国はむしろほとんどの期間を通じて世界の傍流にあった。本書において、著者はこのことを繰り返し強調する。

 フランクは、まず1400~1800年の交易データを検討し、次のようなことをインプリケーションとして述べている(2章)。

 最大の経済大国中国だった。中国は絹織物、陶磁器水銀、茶の生産などで圧倒的な輸出競争力を誇っていた(全地域に対して貿易黒字)。インドも負けてはおらず、綿織物という輸出産業があった。東南アジアも同様、香料や胡椒があった。一方で、ヨーロッパアジアに対してほとんど何一つ輸出競争力を誇る製品をもち得なかった状態で、一貫して貿易赤字を計上していた。その結果、欧州から中国などアジア諸国への銀(貨幣)の流出が常態化していた。しかもこの銀も、もともとはアメリカ産のものを奴隷貿易でぶんどってきた物だから(当時、銀の主要産地といえばアメリカ大陸日本ぐらいしかない)、ヨーロッパ自体は、実は世界交易について何ら価値創出に寄与しなかったともいえる。

 また、大航海時代以降、海上ルートユーラシア大陸の隊商交易にすぐさまとってかわられたという主張も、誤りとして退けられる。アフリカ周航のルートは陸上輸送とくらべて決してコストが安かったわけではなく、ポルトガル喜望峰周りの交易も短期間しか続かなかった。(223p)

 定量的には複数の歴史家の推計を引き合いに、アジア諸国の生産性の高さにも言及する。曰く「アジアは1750年において、依然として世界人口の66%未満であったが、世界生産の80%を生産していた。つまりアジア欧州アフリカアメリカよりも生産性が高かったことが示唆される」(p305)

 科学技術についても、近世以降は西欧アジアを優越していたという”常識”を西欧中心主義の誤謬だと批判する。例えば、当時の「ハイテク産業」でもあった造船業中国の船は、ヨーロッパよりずっと数が多く、かつ大規模で、長期り輸送が可能な代物だった(342p)。印刷業も、中国世界のどこよりも早く木版印刷を開始し、1500年代の早くには5色刷りの技術存在し、日本朝鮮技術を輸出していた。

 そうにもかかわらず、「世界経済の中心国が16世紀はポルトガルで17世紀にオランダに移り18世紀にイギリスに映った」などという、まるでヨーロッパ人によって一貫して支配されていたかのような馬鹿な議論(ウォーラーステインの「近代世界システム論」])がまかり通っている。しかし「1688年に、アジア間の交易ボリュームは、いつかのインドの港からだけでも、すべてのヨーロッパ交易を合算した交易よりも10倍も大きかったのである」(p320)

 であるならば、なぜ近代以降の世界経済をの主役はアジアではなくヨーロッパだったのか。この点についてフランクは6章で100ページにわたる議論を展開しているが、正直ピンとこなかった。その骨子は「アジア景気循環的な衰退期がたまたま西欧の勃興期と重なった」というもの。まさかここで「コンドラチェフの波」を引き合いに出すとは思わなかった。これはひどい

その他、素人目に見て反射的に気になったのは4つ。

1.「一人当たり生産性近代までアジア西欧だった」という記述について。これの反証となるようなデータは俺でもすぐ見つかる(例えばアンガス・マディソンの推計「The World Economy」)。むしろ地域間の一人当たり生産性は、まだ優劣に決着がついていないとするのがおそらく妥当なところではないか。

2.貿易収支の考察について。1400~1800年までの2章の部分、「中国はどの国に対しても貿易黒字だった。その背景には圧倒的な輸出競争力があった」と著者は言い切っているが、ここもまた留保が必要だろう。中国貿易保護策の影響はどうだったのか。そもそも、中国がそれだけ例外的な貿易黒字を確保していたのならば、中国マクロ的な貯蓄率はかなり高かったといえるだろうが、その辺は、当時の中国史の中で言及はされているのだろうか。

3.フランクはまた「アメリカ豊富な銀資源搾取してアジア世界交易に割り込んだだけ。ヨーロッパ人自体に富の増大をもたらすようなものは何もなかった」と強調する。これも逆差別の感がある。資源や強力な輸出産業はなくてもヨーロッパ人は知恵を絞って自分のところに富を惹き寄せた、という解釈もできる。「ビジネスの仕組み」を考案した彼らの力については、それ自体十分競争優位になっている気がするがどうだろうか。

4・「オリエント地域にあるヨーロッパの支配地域インドにあるイギリスの所領など)を考慮にいれても2章の結果はロバストか。

5. では、近代以前のヨーロッパにおいて、オリエントに(経済力軍事力、知識等で)負けているという認識はどれほどあったのか。NOならばそれはなぜ?YESならば、彼らはその状況をどういった風に克服しようとしたのだろうか。


http://twitter.com/zaway/status/17259932271

2010-05-25

まおゆう勇者

詐欺にひっかからないよう気を付けた方がいいと思った。

 

「低金利なのは仕方ない、とあきらめていませんか?

 それは固定観念に囚われてるだけです!

 見てくださいこデータを、我々の提唱する新しい経済学に基づいた

 投資をすれば毎月30~40%の利益があるんですよ!」

 

たぶんそのデータは嘘だ。

 

 

中世ヨーロッパモデルと言っても、話の都合に合わせてやたらと実効性のある大同盟組んでるらしいから単純な比較はできないけれども。

あのレベル文明で軍需景気、それが無くなったら経済崩壊?

鉄鋼や造船業界だけ近代レベルだったんだろうか。

きっとドワーフが築いた文明だったに違いない。

 

男らしいゲルマン野郎どもなら、三圃式農業だけでも十分人口増やせるぜ!

ペスト百年戦争には負けるがな!

2009-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20090127080446

もう少し現実に即した書き方なら

給料が安いままでも、国自体は十分に豊かになる。

仕事がある」ってのは「豊か」ってことなんだぜ。

生活水準が上がるってのは、何も今までより良いモノを食うとかって事でもなくて、

ビール飲めるようになったり、娯楽に金が使えるようになったり。

そうして関連企業に少ないながらでもお金が落ちれば、潤う。

漁業でも鉄工業でも造船業でも、工場周りの街が栄えるのは、給料が高い人が居るからじゃない。

給料が安くても、働いてる人が沢山いるから。

2008-02-05

私が見た産業格差

私的偏見が大盛りではあるのですが、私の見た産業格差を書く。

評価の単位は、現在最先端を行く業界が何年前に通り過ぎたという時間軸。

ずばり結論から書くと以下。

現在最先端:病院医療

上より3年前:車・電機製造・IT関連

上より3年前:重機製造

上より6年前:土木林業建築

上より6年前:造船業

業界平均値で比べればこんな感じ。(食品業界平均値がわからないので外しました)

病院の産業レベルから最下位を比べれば18年の時間差。

具体例をあげれば、病院医療は、大病院から個人病院までカルテ、医療事務電子化が進んでいるが、土木林業建築業はいまだに受発注はFAXが主流だし、造船業に至ってはFAXすら怪しい。

ちなみ私は、電機製造業医療業界にちょくっと触れた後、重機製造で造船業の現状を知り、なぜか今は某大手建築業にいたりするから、様々な格差を目の当たりにすることができた。

そして今居る会社では、5,6年も昔に電機製造業界では常識とされた業務環境を今頃になって数百万もかけて作っていたりする。タダで作れるようなものに。そして、担当者は「業界の最先端ですよ!」とかって目を輝かせている。

まぁここまで書いておいてなにが言いたいかというと、産業レベルの高い業種にはまだまだ商売の手を広げることができる「土木林業建築業・造船業」というものがあります。

てわけで、誰か建築業界を助けてケスタ!

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん