はてなキーワード: 武者修行とは
NHK教育テレビの理想的本箱 君だけのブックガイドを眺めていたら、驚くべき発言に衝突した。
小澤征爾さんのボクの音楽武者修行を紹介していたのだが、そこで、
「ヨーロッパから帰ってきた後の小沢さんは不遇の時期を過ごし再度海外にいった。このころについて小沢さん自体未熟だったといっている」、
みたいなことをいっていました。
おそらくは不遇といっているのはN響が関わった事件のようなことを言っているのではないかと思います。
確かに小沢氏自体がそういっているのですが、しかし、それは振り返ってのことだし、ましてやNHKはなんの反省もないのか、
さすが国営放送だけのことはあると。
歴史を捏造するとはまさにこのこと。NHKの立場からきちんとN響事件は総括すべきであると思われます。
もちろんこれはN響だけの問題ではなくNHK自体の問題も含めてということです。N響に対してのガバナンスということではいまだにどうなんでしょうか?
そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。
旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所や食べ物を入念にチェックする。
現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動、最近では、インバウンドで来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。
映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。
旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。
日常との差異の体験やよその世界とちょっとだけ繋がったりできたことの証明と自己顕示が欲しいのだ。
その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したことを証明するうえでとても重要。
このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、
現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。
さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、
東海道五十三次の時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。
日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。
ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。
そんな男性の立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。
それは、旅先で一時的に体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。
旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。
「おもいでぽろぽろ」というジブリの高畑勲監督の映画(1991)がある。
都会育ちのOL女性が田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、
この映画の場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、
いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをアジア、アフリカ、中南米でしばしばみてきた。
かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。
「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば
海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。
また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップの意向が高いのに対し、女性は男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。
男性は女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、
だが!しかし、、、、
果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。
それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。
まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本は男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。
突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。
瀬戸内海の小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。
「あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」
当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、
ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟が必要だった。
アウェイといえば、ドラマ「おしん」(1983年)。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。
そこでは、さらにもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイで過酷な人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつで小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性の共感を呼んだ作品だった。
孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、このドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが、過去を振り返るために原点である山形への旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。
アウェイな世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。(補記:特におしんの夫は軍組織に尽くし、結果として多くの命を亡くした責任を感じて自殺したという筋書きだが、拠り所となる国家、軍などのホームベースが敗戦により瓦解したことのショックが実際のところの引き金だろう。)
「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じる女性のエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性に文化的に育まれたものなのかもしれない。
昨今では、結婚を就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。
一方で、男性は芯がないくせに保守的で臆病だ。外の世界を渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリ、ホームグラウンドにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなものを男性社会そのものが仕組みとしてもっていた。だからその範囲でしか外に出歩かないのだ。ふるさとの家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。逆に成功を収めれば、故郷側が自分をほめてくれる。【故郷に錦を飾る】というのは男性的な価値観だ。
女性はというと、嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界。
「嫁ぐ」という習慣、因習、宿命から生まれた、抑圧されてきた女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。
山崎ハコの「望郷」で歌われる故郷は、帰る家もない、戻るに戻れない場所としてうたわれた。これは失敗すれば帰って慰めてくれ、成功すれば褒めてくれる男性の故郷観とは対照的だ。これはなかなかパラドックスだと思った。
翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイな世界に飛び込むという意味で
かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟が必要だということだ。
若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命が現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分の覚悟や能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。
嫁ぎ先である日本社会、日本人男性に漠然と失望している場合、希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイな世界で生きる宿命ならば、
いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚が深層心理にあるのではないかと妄想する。
一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というものが概念として存在していた時代は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀の話だ。
かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。
「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」
この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイな世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。
なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、ホームから温かい視線を旅人である自分に向け続けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテンの寅さんとほぼ同じ世界観だ。ボヘミアンを気取って出て行っても、いざとなったらただいまといって帰れる場所がある。
そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。
民俗学者の宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人を考察した文章のなかで、そうした旅人が
地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域の活性化に寄与する機能を果たしていたことを、
世間師という言葉で表現した。フーテンの寅さんのことを考えていたら、そんなことも思い出した。
世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。
嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会でリーダーシップをとっていかなければならない男性の潜在的な意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。
かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。
男の旅というのは、ちまちましたもので火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからあまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルのマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。
しかし、この四半世紀、女性の社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性が模索する時代になった。
テレビドラマも、90年代以降、女性の社会進出を反映して、トレンディドラマに代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストランで食事する、みたいなシーンが増えた。
東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマの世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。
しかし、現実の女性の社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性の役割が押し付けられていたのが現実だ。その現実を90年代のドラマ「ショムニ」でよく表現されていたように思う。
しかし、さらに時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。「おもいでぽろぽろ」の主人公の少女時代(1970年代)は、都会の夏休みのラジオ体操に二人しか参加していないほど、ふるさと=田舎をそもそも持たない世帯が少なかった。今では想像もできない光景だ。
中長期的には東京一極集中のトレンドは変わらないものの、それは不動産価格のトレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省が必要な人というのは減っているのではないか。首都圏の人は首都圏で世代を重ねるし、地方の人は地方で価値を見出し、仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方(ふるさと、ホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。
そうなると、都会の人間が地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。
その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、(都会で活躍するキャリア)女性の理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。
一昨年のドラマ「ファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業をテーマに女性の自画像を模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。
「ファーストペンギン」のように地方移住をテーマにした作品は、アウェイな環境で女性のポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。
そんなことをおもった。そもそもの旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性の人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。
とりとめもないメモです。
上記の書きなぐりをAIが次のように要約したので感心した。ここまで断言できないからゴチャゴチャ書いてたのに。
旅行好きの女性の特徴と男女差
旅行好きの人々は、事前に訪問地の情報をチェックし、SNSでの共有を楽しむ傾向がある。これは、日常からの脱却と、新しい体験への憧れを表している。特に女性は、旅先での関係性を持続させることに価値を見出すことが多いようだ。
歴史的に見ても、男女間で旅行に対するアプローチに大きな違いはないものの、女性はより積極的に新しい環境や文化に飛び込む傾向があると言える。これは、社会的な役割や期待に対する反応として、女性が自己実現のために旅行を利用していることを示唆している。
一方で、男性はより保守的で、旅行を通じて得た経験を故郷に持ち帰り、地域社会に貢献する傾向がある。これは、男性が社会的なリーダーシップを担う役割を果たすことが期待されているためかもしれない。
故郷と都会の関係性の変化
現代の日本では、故郷と都会の間の伝統的な絆が薄れつつある。かつては、人々は故郷を離れて都会で働き、定期的に帰省することで地方とのつながりを保っていた。しかし、今では都会で生まれ育った世代が増え、地方への帰属意識が低下している。これにより、都会の人々が地方に求める価値は、失われつつある関係性そのものになっている。
この変化は、地方と都会の間の人口流動の安定化を示しており、それぞれの地域で価値を見出し、生活を築く傾向が強まっている。結果として、地方への憧れや関係性の再構築は、新たな形での自己探求や社会的な動きに影響を与えている。これは、女性が旅行を通じて自己実現や自己探求を行う動機に影響を与えていると考えられる。
旅行は、日常からの一時的な脱却を提供し、新しい環境や文化に触れる機会を与える。特に女性にとっては、旅行が自分の居場所を見つける手段となり、故郷とは異なるアイデンティティを探求するプラットフォームになることがある。
青年向け漫画の編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである。
働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくまで編集プロダクションである。出版社と編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請けと下請けだ。出版社が出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品そのものを作って、編プロは雑誌本体を作って、その制作過程で印刷所やデザイン事務所といった専門集団と関係することになる。
イマイチな説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社が施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。
自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社のひとつ。そういうアナロジーだ。
出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営と制作現場の間にあるような仕事は、出版社の社員が直接することもあれば、編プロが出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。
前者の例だと、マガジン、サンデー、チャンピオンなどだ。コンビニや書店にほぼ必ず置いてあるレベルの漫画誌。大手出版社に総合職コースで入社した人が、(編集、取材、制作、資材、宣伝、マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門のひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。
後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロが出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体は大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌の関係。
ほかの長文増田の記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字数制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくまで自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。
その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係(追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんのコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生の作品を読んだ。
その後、編集部の責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生の担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。
A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。
弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。
画力が抜群だった。小学校や中学校で、学習ノートにフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。
難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。
A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているかは微妙だった。
子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。
私という人間は、具体例で物事を説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URL:https://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントがきっかけで元ネタを知ることになった。
あの時のA先生のイラストは、ベルセルクのセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコがファルネーゼを抱きかかえて、
「申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」
と言うシーンの模写だった。
さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。
その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。
内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌の亜流の「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナル、スピリッツ、スペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、
「なぜうちの編集部に見せなかった?」
という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合は玉虫色の返事があるだけだったりする。
話を戻そう。この時の自分は、編集部の自分のデスクのあたりでA先生の次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。
自分としては、A先生のマンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派の少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。
うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。
「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなたの判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」
要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則は一般の会社と変わらない。
その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつとクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。
その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。
「この作品はいい意味で重たいね。ちょっと考える時間がほしい」
と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店でご飯をおごっている。
A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生にご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生が幸福だと、自分も幸福だと思えた。A先生が漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。
ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分とA先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分のことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。
持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶があやしい。
実際、B先生の作品は面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品が雑誌に掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。
絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人が情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクターの台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。
光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。
私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。
それで、テーブルではこういうやりとりをした。
私「イイ作品だと思います。特に、セリフ回しにセンスを感じます。掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」
B「ありがとうございます」
私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」
編「私よりもほかの人がいいと思います。もっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で
私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)
編「難しいです」
私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)
編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」
私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)
B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」
私「後日連絡しますね。必ずしますから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」
B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」
私「なんとかしてみます」
作品そのものと、作家プロフィールと、付属資料のコピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビルの入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。
持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。
最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしまう可能性がある。あれも、実際は諌山先生は門前払いではなく、週刊少年ジャンプの担当が付くか付かないかの微妙なラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体の公的な飲み会で囁かれていた。
B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部のトップを交えてB先生の原稿のコピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。
その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社のプロパー社員。いわゆる総合職である。
最初は、私に選択権があった。B先生の担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。
A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。
私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。
今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生の担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。
以後のB先生は、例の持込漫画のブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイケドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなくスターダムに上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。
上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力とシナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazonの第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。
今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品をコンビニで立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。
2024年現在、私は東京を離れて田舎で暮らしている。地元の町役場にUターン就職して、実家の農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。
実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者からの指導があった。
それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動をスタートした。
A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。
入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。
もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。
若い頃から編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。
もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。
ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたのフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOLが高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある。人生は運試しである。
https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/15af8adfa3ee2d4970cbc0caef25b2820c190b44
この記事に付いてるブクマに、実質ヨガしか趣味がないから残りの人生楽しく生きられるのか心配というコメントがあった。
でもヨガが趣味って詳しく聞いてみると瞑想全般をだったりするし、この世界奥が深いから一概にすぐ飽きそうとか言えんよな。
イスラエルのハラリ教授は毎日2時間ヴィパッサナー瞑想してるらしい。あんなもん2時間も出来ねーよ。よくやるよな。
あと体を使う趣味っていうのはとても良いと思う。ボディビルみたいに減量しないから不健康でもないし。(っていうか昨日のジュラシックカップ観た?超面白かったよね。自分の推しビルダーの阿部ロイは予選落ちだったけどこの1年武者修行と思われる異常な大会出場数だったからしゃーない。来年こそが阿部ロイの本領発揮だ。)
ブッダも瞑想して悟りを開いたと主張してるし、念能力の習得にも必要になってくるはずだ。奥が浅そうなものほど奥が深かったりするんだと思う。
女性リスナーだけど、女が言うかわいいは男が言うエロいと本当に同義。
それはそれとして、プロeスポーツ選手ならその状況は可哀想だけど、そうでもなくVTuberや自身をキャラクター化したビジネス展開をしている(ゲームの腕だけをすごいと言われる環境には行けていない)時点で、そう言われるのはある程度仕方のないことと言える。お前の人気はそれ(女で言うエロ)ありきだろ、としか思えない。
女体だけに人気があるからほぼ裸で(能力的には需要のない)ピアノを弾く女が出てきたように、男体だけにも人気があるから女に媚びを売りながら(能力的には需要のない)ゲームをする男も出てきたというだけの話。
そういうのを見る度に、男を押し出した商売しておきながら腹が決まってない、自分の立場を分かってないと思ってしまう。
EXILEの人がライブで「俺はアイドルじゃなくてダンサーなんだよ」って言った件でも、じゃあLDH辞めて誰も自分のこと知らない環境でダンス武者修行でもしに行けよ、自分の顔面を売るようなタレント仕事してる場合じゃないだろ、と思う。
いやー、けっこう真面目にアドバイスしてるのよ?
研究者だからって結婚してない人、子供いない人が多いかと言えば、別にそんなことない
確かに多くの研究者が、博士号取った後に海外でポスドクしてる(大体20代の終わりから30代)
そういう人たち、海外行く前のタイミングで結婚して、一緒に海外に行くパターンも多いです
で、海外で子供産んで育ててる(もちろん帰国後出産パターンもある)
「うちの子は英語圏で幼稚園まで過ごしてたのに、まったく英語話せないよ〜」なんて、研究者あるあるネタですね
なので、本気で結婚したい、子供を産みたいと思うのであれば、今のうちに籍を入れてしまい
それで断られるようなら、まあ決定的にライフプランが異なるので、無理ですね。次行きましょう
あと彼氏さんについて、他の増田も言ってますが、特定の大学の特定のポストが取れそうなんて、かなり楽観的ですね...
基本的に、競争力の高いまともな大学ほど、公募は公正です(そのはず...)
いくらその研究室のOBだろうと、より業績の強い人が来たら、その人にポストは渡りますからね
まあ、めちゃくちゃ狭い特殊な分野の研究室で、その筋の専門家がその研究室からしか誕生しない、みたいなケースもある...かもしれない
じゃあ一方で彼氏さんの今後の研究者人生が暗いのか、というと、そんなことはないと思います
ちゃんと海外に武者修行に行って、しっかり業績残せれば、日本で食いっぱぐれることはないんじゃないでしょうか
メジャーな分野で研究してるなら、関連する科研費とかプロジェクトつきの研究員(or特任助教or准教授)があるでしょうし、
そんなのやりながら、専任助教、准教授...などとステップアップしていくのは、それなりに現実的に思えます
それこそ、ドロップして企業行ってもいいですしね。良い待遇で雇われるのではないでしょうか
「引っ越し多すぎ!」というのは研究者の奥様からよく聞く愚痴です。それは覚悟してください
でも、食い詰めているという話はあまり聞きません
(もちろん、独立して研究者できるレベルの人材が私企業に行けば、2倍3倍の年収になるんですけどね...)
まとめると、双方が納得できるならさっさと結婚して良いと思います
それが決断できないなら、別れたほうがお互いのためです
「プリキュア」「ワンピース」など、東映アニメーション4作品の通常放送再開が発表 「お待たせをして申し訳ございません」
https://animeanime.jp/article/2022/04/06/68680.html
約十年前、曇りだったあの日。新卒で入った会社で人材営業をする日々に疲弊していた頃、新宿駅構内で、あるエンタメ企業の求人ポスターを見かけた。
アニメを作る仕事をしたことはなかったが、興味を感じて応募したところ、あれよあれよという間に内定をいただいた。役員面接はパスだった。
それからの私は、『アニメを作る仕事』に邁進する日々を過ごすことになる。長い時間だった。毎日が修業だった。
数年前、無理がたたって病院送りになった。心も体も限界だったのだ。大したレベルではないが後遺症も残った。退院後も結局、心身の調子は回復しなかった。
それで、退職を申し出て、東京から遠く離れた田舎に帰った(のんのんびよりの聖地が近くにある)。今はお堅い仕事に就いている。
十分な時間が過ぎた。そろそろ、当時を振り返ってもよいのではないか。あの日々への整理を付けられるはずだ。今から、エンタメ企業のアニメ部門で○年の時を過ごした男の話をする。
この記事で述べたいのは、シンプルに2点(5/4 以前はシンプリーでした。ブクマでご指摘いただきありがとうございます)。エンターテイメント業界で働いて面白かったことと、つまらなかったことだ。直情的に言うと、『心と体の奥底から感動できたこと』と、『エンタメ業界のほの暗いところ(要するに、こいつらマジでクソだなと思ったこと)』だ。どちらもけっこうな数がある。
それでは、さっそく説明していく。
子どもの頃はアニメが好きだった。一番ハマったのは、『魔法陣グルグル』だった気がする。衛星放送では『白鯨伝説』やCLAMP作品を見ていた。
だが、小学校生活の終わり頃から学習塾に通うようになり、夕方以降にやっているアニメを見れなくなった。中学で勉強漬けの日々を過ごしていた私は、いつの間にやらアニメのことを一切忘れてしまった。
いや、違う。大学の時は、深夜にやっているアニメをたまに見ていた。「コードギアス」「DARKER THAN BLACK -黒の契約者-」「蟲師」「夏目友人帳」あたりは確実に見ていた。
人材営業の会社で働くようになってからは、金曜日の深夜に自宅に帰った時、疲れ切った頭でテレビを点けて「こんなアニメあったっけ」と、ボンヤリした気分で視聴することがあった。
私はたぶん、アニメが好きだったんだろう。なぜ見なくなったのかと言えば、十分楽しめるだけの精神的余裕がなかったからだ。ならばいっそ、見ない方がいい。中途半端に楽しむのは嫌だ。中学生になった時も、そんな動機でアニメを一切見なくなったのだ。きっと。
そんな私が、アニメーション作品などを作る会社(以下「弊社」という。)に入社した後は、これまたどっぷりと『世界』に浸かることになった。入社から退職まで人事異動はなく、ずっとアニメ製作部門だった。
最初の頃は、アニメ雑誌のインタビュー記事に出るようなプロデューサーその他の足もとで働いた。雑用はもちろんのこと、小さい企画を考案したり、経理その他の事務や、各関係者とのスケジュール調整などを担っていた。ホワイトカラーに毛が生えたような業務内容だ。
ところで、人生で一番最初に携わったアニメは、某少女コミックでそこそこ人気を博した作品だった。タイトルは言わないが、雰囲気は『隣の怪物くん』に似ている。私が入社する半年前から企画が始まっており、当初の担当者から引継ぎを受けた。携わったといっても、スタッフロールに名前が載るわけでもない端役としてだが。実際、大したことはしなかった。やはりホワイトカラーの枠内に納まる仕事だ。
しかし、これは実際に私の世界を拡げてくれた。方々の兵が集まる企画会議に、必要とあらば関係各所を訪問して説得交渉にあたり、お金の雲行きが怪しくなればどうにかやり繰りをする(ダメなら追加出資か企画削減)。ごく稀に、スタジオ等の収録現場では声優の本気と、半面その悲哀を目の当たりにし(ここらへんは後述)、成功した作品の打ち上げ会では、自分達が作った数字を眺めて溜飲を下げる。
長い月日が経って、エンタメ業界に慣れてきた頃だと、新作の立ち上げに、利害関係者間の調整(交渉)に、プロジェクト全体の損益見通しの皮算用に、イベントの企画運営に、ホームページの管理に……とにかく、アニメを見ない日はなかった。
面白かったのは、いろんな業界の人に会えることだ。クリエイターには当然会えるし、経営者にも会えるし、事務屋とも話をするし、現場労働で身を焦がす人も間近で観られる。特に印象に残っているのは、漫画家と声優だ。アニメーターとは、あまり交流の機会がなかった……。
とあるアニメの原作者が一番印象に残っている。つまりは作品の神だ。例の人と呼ばせていただく。
例の人は、ほかの漫画家とは一線を画していた。私がいっぱしに携わったと公言できるアニメは計20本近くになるのだが、その半数は漫画原作である。私達は、最低でも一度は彼ら彼女ら(作品の神)の姿を拝むことになる。機会は少ないが。
原作とシナリオを変える時には事前に伺いを立てるし(ex.某鬼狩りアニメの敵役の台詞である「禍福は糾える縄の如しだろ~」は改変が検討されたらしい。彼が難しい言葉を知っている境遇ではないため)、重要な放送回だと制作現場に来てもらうし、打ち上げその他のパーティーがあれば楽しんでもらえるように最大限配慮する。
自作がアニメ化されるレベルの漫画家や小説家というのは、揃いも揃って個性派だ。めちゃくちゃに大騒ぎをする人もいれば、ひたすら黙って沈思黙考の人もいれば、なんかもう色々とはっちゃける人もいれば、欲望丸出しで悪い意味で子どもみたいな人もいれば、一般企業でも通用しそうな思考や行動の持ち主もいる。
例の人は、漫画家として優れているだけでなく、人格も見識も申し分なかった。落ち着いた性格で、人柄がよくて、教養もあった。話のやり取りすべてが学びに繋がり、励みになった。初めて会った時の吾峠呼世晴さんは、とにかく、これまで出会った数多の創造者の中で抜きん出ていた。
普通、ラスボスの人格の根底を太平洋戦争末期の日本の政治指導者(所謂ファシスト)に置くなど、誰が考えつくだろうか。私は、鬼舞辻無惨の例の粛清の場面を読んだ時、丸山真男の「現代政治の思想と行動」が真っ先に頭に浮かんだ。あの時、脳に痺れを感じたのを覚えている。
この類の書物を読んで、無惨様のキャラクターを作ったのは間違いないのだ。自らを善とするためであれば、どんな言辞をも取り入れ、どんな諫言も亡きものにする。
例として、あの粛清の時に魘夢が助かったのは、「無惨様を肯定したから」だ。「下弦の鬼を解体する」というトップが決めた戦略方針が、たったの一言で撤回された――常なる無謬性がファシズムの基本である。
あの時、「無惨様のキャラ付けは旧日本軍を意識したのですか」と聞いておけばよかった。残りの人生で聞くことができる機会は二度とない。無念だ。
しかも彼等はみな、何物か見えざる力に駆り立てられ、失敗の恐しさにわななきながら目をつぶって突き進んだのである。彼等は戦争を欲したかといえば然りであり、彼等は戦争を避けようとしたかといえばこれまた然りということになる。戦争を欲したにも拘らず戦争を避けようとし、戦争を避けようとしたにも拘らず戦争の道を敢て選んだのが事の実相であった。政治権力のあらゆる非計画性と非組織性にも拘らずそれはまぎれもなく戦争へと方向づけられていた。
この業界で働いていて、「この感じ、苦手だな」「マジでクソだな」と感じたことは当然ある。字数の関係もあるが、何点かに分けて述べていく。声優の悲哀とか、人間の嫉妬やねたみの話になる。
TVアニメ「CUE!」 [Amazon prime video]
https://www.amazon.co.jp/dp/B09PNVWC8S
まだ新人だった頃、先輩(兼上司)に連れられて現場を見ることがあった。現場というのは、アニメ制作会社とか、編集スタジオとか、音声の収録現場などだ。
そのためだけに現場に行くのではなく、何かの機会のついでに現場作業の見学を申し出るのだ。それで、不思議に思って聞いたことがある。
「(私達は)技術的なことはわからないのに、どうして現場に行くんですか?」
と。それに対して、彼はこう言っていたはずだ。
「確かに分からない。仮に、目の前で手抜きをされたとしても見抜けないだろう。でも、企画側である俺達が現場に行くことで、『あなたの仕事を見ている』というメッセージを伝えることができる。俺達はこの作品に熱をもっていて、いいコンテンツを作れる未来を目指してる。そういう想いを行動で伝えるんだ」
みたいな回答だった。
これは今の私が大事にしていることでもある。要は、発注側が受注側の実仕事をどこまで見るべきかという話だ。今現在の私は、受注側の失敗が社会的に許されない類の仕事をしている。転職後に大きな失敗をしでかさなかったのは、あの先輩のお陰だ。
さて。私が二十代後半の頃だ。例の先輩と一緒に、声優がいる収録現場に初めて音連れたのは。スタジオに入ってしばらく進むと、小ホールみたいな広い空間(座椅子が並んでいる待合スペース。十数人はいた。ほぼ声優+マネージャー)に出た。その奥に、マイクが並んでいる部屋が映った。木目調で温もりを感じる、しっとりとした空間なのだが、当時の私に予想できるはずもなく。カラオケみたいだなー、とテキトーに想念していた。
私と先輩が小ホールに入るなり、セミフォーマルな恰好の何人かが寄ってきて、隣にいる先輩に挨拶していた。私も混ぜてもらい、名刺を交換した。
雑談が終わって斜め後ろを振り向くと、女の子と淑女が1人ずつ、あとは男の子が1人、まごつくように並んで私を見ていた――人生で初めて見た声優だった。後で知ったが、攻めのある挨拶活動で知られる声優事務所だった。
ひとりずつ私達の前に出てきて、「~~と申します。(簡単な自己紹介)よろしくお願いいたします!」と、ハキハキした声でアピールをやってのけた。そのうちの淑女は、私の着ていた衣服(お気に入りのやつ)と指輪を褒めるとともに、香水をつけていることを見抜いた(やるな……と感じた)。男の子は謎の一発ギャグを仕掛けてきたのを覚えている。
※かなり昔のことだが、内容は一応伏せる。当日記では、声優個人の名前を出すことはない。
私も「よろしくお願いします」と返したものの、微妙な気分になった。たとえ私がどれだけ昇進しようと、彼女たちのキャスティングに関わる可能性は皆無だからだ。まったくゼロではないが……。
例えば、アナウンサーになりたい女子大生は、いろんなイベントにコンパニオンとして参加することで武者修行をするわけだろう。それらのイベントでは、今後関わり合いになる人だろうと、これっきりの人だろうと、あの子達は全力で挨拶活動をしていた。熱意は感じるのだが、やはり私には引っかかるものがある。
こんなことを思っている時点で、私はそういう職業には縁がないのかもしれない。今、私は『効率』という観点で物を考えた。あの声優の子が私に挨拶をしても報われる可能性はないのに、と考えた。夢中になっている人間は効率のことは考えない。やれることをすべてやる。それだけだ。
何かに心をとらえられ、たちまち熱中してしまうのは、謎にみちた不思議なことだが、それは子どももおとなと変わらない。そういう情熱のとりこになってしまった者にはどうしてなのか説明することができないし、そういう経験をしたことのない者には理解することができない。山の頂を征服することに命を賭ける者がいるが、なぜそんなことをするのか、だれ一人、その当人さえもほんとうに説明することはできないものだ。
はてしない物語(1982) 上田 真而子 (翻訳), 佐藤 真理子 (翻訳), Michael Ende (原著) P.17
あの子達は本気だった。報われようが報われまいが、声優として活躍すると決めたからには、生き残るために何でもやる。上でURLを貼ったアマゾンのレビューにもあるが、声優は堅気の仕事ではない。勝った負けたで全部決まる。精一杯頑張っても生き残れる保証はない。選ばれた者だけが生き残る――余談だが、あの時の淑女と男の子は今でも活躍している。女の子はだめだった。
さて。淑女と男の子は、実力があるうえに、礼儀正しく、サービス精神も豊富だった。それが生き残った理由だ。しかし、声優全般が行う営業活動には後ろ暗いものも当然ある。5ちゃんねるとかで、たまにアニメ業界の出身者がスレッドを立てて降臨することがあるだろう。
それで、やり取りの中で、誰かが「枕営業ってあるの?」と質問をする。スレ主は「そんなのないよ」「聞いたことない」と応えるのが定番だ。
これは、私個人の日記だ。この際だからはっきり言う。枕営業をしている声優はいるし、やらさせている声優もいる。重要なフォローをさせてもらうが、芸能界の表舞台――ひとつの契約で何百万もの金が動く――に比べれば圧倒的に数は少ない。声優関係のギャラというのは、例えば女性タレントが出るCM撮影や、青年誌のグラビアや、全国各所での公演活動と比べても相当に廉価だ。1回の収録につき数万円以内で呼べてしまう。表舞台に比べると利権は少ない。
それでも、そういうことはある。パターンは簡単に分けて2つ。いっぱしの声優になりたい、もしくは声優であり続けたい者が、キャスティング権がありそうな人に近づいて配役を得ようとする。
スタジオでの雑談や、小さい贈り物や、二人きりでの食事くらいで留めておけばいいものを、一線を超えてしまう場合もある。私が30才を過ぎた頃、例の収録現場で、声優に「よかったらご飯行きましょう」などと声をかけられたことがある(最終的な内訳:男性が2人、女性が5人)。
その際、はっきりと「ごめんね。私にキャスティング権はないんだ」と答えた場合、彼ら彼女らを傷つけてしまう可能性が高い。いや、はっきりいって『侮辱』である。なので断り方が難しかった。「帰って社内会議があるので」みたいな返答をしていた。
これはまだいい。声優個人or事務所の意思の問題だ。「あの役がほしい」とどうしても思っていて、そのためなら何でもやるという覚悟と責任さえあれば、枕営業は罪ではないと私個人は感じる。「この業界は堅気じゃない」とはそういうことだ。
(追記)正直に言うと、私の妻が声優だった頃に食事に行ったことがある。私から誘ったので上の内訳には入れていない。
以上、「この感じ、苦手だな」と思ったことを述べた。以下に語るのは「マジでクソだな」と思ったことになる。すなわち、個人が望んでいる保証のない枕営業のことだ。アニメ業界に限ったことではなく、エンタメ業界には先日話題になった映画監督のような『畜生』が何人もいる。結果を出している人間の一部がやりたい放題やっているのだ。
まだエンタメ業界にいた頃、そんな人間に捕まったと思われる(主に女性)声優の話を聞くたびに胸が痛くなった。このような話題が、どうして私などの塵芥の耳に届いているのか……? そう考えると、さらに心が抉られる思いがした。
おそらくは、やった本人または関係者が面白がって吹聴している。私のところまで噂が届くということは、そういうことだ。いろんな声優の姿が脳裏をよぎった。「あの子は大丈夫だろうか」といらぬ心配をしてしまうほど、当時の私には『噂』がグッサリと刺さった。
さて。エンタメ業界に恩があるのも事実だ。下種な話題はこれくらいに留めておこう。気が付けば字数がない。前後に分けることにする。
【後編】
今でもこのエントリは間違っていないと思ってるけど、まさか1年も経たずサービス終了するとは全く思ってなかった。
前回のエントリでも言及しているようにディライトワークスには期待してなかったものの悪い方向へ想像をはるかに超えてくるとは・・・。
なぜアイリス(初代花組)をイベントで登場させなかったのか?
個人的にはこれが最大の敗因だと思っている。
サクラ革命には初代花組アイリスとキャラが被りまくっている金髪ロリの玉野アンジェリカ(通称アンジュ)が登場していて、2020年12月28日から「サムライアンジュの九州武者修行」というアンジュ中心のイベントを開催していた。なぜアンジュなのか?誰の需要なのか?
スマホゲーってユーザを大量獲得するスタートダッシュを決めなければサービス存続が危うくなることは小学生すら気付いていそうな定説だけれど、なぜかサクラ革命運営チームはその選択をしなかった。
それどころか事前登録30万人突破で声優起用を約束していたVTuber「白上フブキ」「宝鐘マリン」のキャラ実装も一向にせず、結局は実装取り止めとなった(大変申し訳無いが筆者は「白上フブキ」「宝鐘マリン」の両名を詳しく知らない)。
金髪ロリイベントがアンジュじゃなくてアイリスだったら筆者世代のサクラ大戦ファンによる支持でワンチャンあったかも知れないし、人気のVTuberを早期に実装できていたら若い子ウケしたかも知れない。理由はよくわからんがサクラ革命運営チームはなぜか話題になりやすいキャラを出し渋っていたのだった。
そして同キャラの性能違いが追加されたけど、これもプレイヤーからすると萎える要素だったかも知れない。
せっかく育てたお気に入りキャラも後に実装されるであろう同キャラ性能違い実装によって古くなってしまう可能性があるので如何なものだろう。まぁそういうスマホゲー多いけどね。
ディライトワークスとセガを決心させたのは間違いなくウマ娘プリティーダービーで、いやねもうサイゲームスさん面白いゲーム作るのうまいよね。めっちゃ面白いもんウマ娘。
システムは基本的にパワプロだけど筆者世代には刺さる刺さる!シナリオも良いよねぇ!
これFGO ARCADEにも影響が出てくるんじゃないかな?って不安になるんだけど、セガはウマ娘のIPを取り込んでウマ娘アーケードやったら良いんじゃない?競馬アーケードやってるんだしさ。
いやぁホント完敗ですよ。ディライトワークスとセガの関係者には熱い感謝とともにお疲れ様と言いたい。俺はサクラ革命が好きだったぜ!
これに懲りずサクラ大戦シリーズのゲーム出してくれよな!
魔法使いと副店長を読んだ。泣くわ、こんな話。物語における光と影の対比が終始絶妙で鮮やかな物語だった。
作者の越谷オサムは、似たような話として陽だまりの彼女を書いているけど、それより今作の方が面白かった。
冒頭、単身赴任中の中年男性のアパートに、見習い魔法使いのアリスが飛び込んでくる。続く、出会いのあれこれを描写した一連の流れは少々ありきたりで、事実を受け入れられない主人公の葛藤がわずらわしく感じられた。けれど、そこを乗り越えてからはするすると話にのめり込めたし、何度か目頭が熱くなった。
魔法界では落ちこぼれで、言動がいちいち幼稚すぎるアリス。武者修行のために、人間界にホームステイしに来た彼女が何者であるのかは早々に想像ができたし、物語の中盤では呆気なく明かされてしまう。けれども、それゆえに終盤での精神的な成長や、彼女が触れ合った人々との関係性が生きてくる。現代の社会が抱えている影を絶えず漂わせているキャラクターがいるからこそ、彼女が起こす魔法の数々がまばゆく映るお話だった。
エピローグには物悲しい雰囲気が静かに広がっていたように感じられたけれど、同時にこれからの人々の幸せを願う希望に満ちた終わり方でもあったと思う。
テレビとかで取材行く温泉宿の飯、あんまうまくなさそうなんだよなあ。
料理人もさ、有名ホテルのコックというのはハクがついてる感じだけど、有名温泉宿のコックとかは聞かないし、有名温泉宿で武者修行というのもあんまり聞かないし。
温泉入って浴衣でうまい飯を食うというのが夢だけど、飯がまずそうで。金持ちの行くような会員制のとこは料理メチャウマなんかな。それでも帝国ホテルのルームサービスでレストランから取り寄せて食ったほうがやっぱ旨いよね?
もちろん、地元の食材特に魚の取れる地域は民宿レベルですんげー舌が溶けるような刺し身出すところとかあるけど。そこテレビ有料の安宿なんだよな。有名温泉でゆったりじゃない。
https://www.amazon.co.jp/dp/4828207015
ここの目次には書いてないけど、
ってあるのよ。
5の内容は、愛というボールを振りかぶって投げようとしている男性は、あなたに受け止めてほしい。
彼らは投げたいのだから、とにかく黙って受け取ること。
エスコートされたらそれに乗ること。
荷物持ってやると言ってもらえたら、その差し出された手を取ること。
デートのお店を予約したり、重い荷物は自分で持たずに男性にしてもらうこと。
そして、ありがとう!と言う。
みたいなことが書いてあるよ。
謙虚が悪だとは書いてないけど、目次だけ見た時はちょっとギョッとした。
頭でっかちな女子におススメと書いてあったので買ってみたんだけど、私はあんまり響かなかった。
頭脳派向けって紹介されてたから、エビデンスとか、数値とか、実験結果が書いてあると思ってたんだけど、そうでもなかった。
参考文献もあまり無かったし。
アマゾンは絶賛しているレビューが多いから、そこそこ効果はあるのかも?
ちなみに著者のブログね。
https://ameblo.jp/mari-ny/entry-12451754415.html
つい先日のことだ。パラパラと大粒の雪が降る夜、高そうな中華料理屋の奥にそいつが座っていた。
ダボダボの服に、ふてぶてしい座り方、室内だというのにかぶったままのニット帽子、帽子からこぼれるくしゃくしゃの髪。
まるで窪塚洋介だ。だからこれからそいつのことをクボヅカと呼ぶ。
クボヅカは、僕を見るなりこういった。
「けいちゃん(仮称)かーwwはっじめましてーーwww」
先に断わっておくが、僕はシスコンではない。
まぁ確かに一般的に見ると美人なほうであったし、同級生からも紹介しろ紹介しろとうるさく声をかけられるような姉であった。
しかしなんといっても性格が最悪。気が強くて乱暴でがさつで、幼いころから喧嘩ばかりしてた。
また思春期になると顕著になったお互いの差、リア充な姉と文学オタクな僕の馬が合うはずもなく、ある時期を境に家庭内ではほとんど会話していなかった。
それに僕は25歳で姉が27歳、そりゃまぁ結婚する歳だし、姉が結婚することに驚いているわけでもないし、ましてや兄弟を取られたなんて感傷で批判しているわけじゃない。ただ、ただクボヅカが家族の一員になることが嫌なだけだ。
だって考えて見てくれ。
初対面の義弟をちゃん付けで呼ぶだろうか?
ハッピーwwだとかピースwwだとかそんな頭の悪そうな単語を会話に混ぜるなんてあり得るだろうか?
僕の印象はほんと最悪だった。美容師だかなんだか知らないけど、礼儀知らずな奴だなと思った。
だから同じようにうちの親、特に父なんかはきっと印象最悪だろう。
そう思って、両親に目をやったら、少し緊張しながらも始終ニコニコしていた。
ウソだろ。信じられない。相手の無礼をなじり、不機嫌そうな対応でもいいのに。
クボヅカは楽しそうに偉そうに、自分の生い立ちや仕事のことを語った。
高校卒業後俳優目指して東京に行き、劇団で大道具スタッフ兼演者をしていたこと。
そこで英語を覚えたこと。
だから会話についつい英語を入れてしまうこと。アメリカで見たり聞いたりしたこと。
店のコンセプトは80年代風のクラシカルな感じを少しモダンにしたい等々。
よくもまぁ自分のことをそこまでペラペラ語れるもんだなと、口数の少ない僕はいつも以上に黙って聞いていた。
自分のことを雄弁に上から目線で話す、僕はこういうやつが大嫌いだ。
自分を大きく見せたい、承認してもらいたい、そんな願望が丸見えだからだ。
そんな僕とは対照的に父も母もクボヅカの大変楽しそうに興味深そうに話を聞いてた。
そんなもんなのかね、イマドキの顔合わせっていうのは。もっと緊張感があるもんだと思っていた。
父よ、美容師だからって気を使う必要はない。帽子を外せって怒ったっていいんだよ。
「けいちゃんもさー。いろいろあると思うんだけど、まぁ仕事なんてなんとかなるって!俺なんて……(以下自分語り)」
何を偉そうに、いったい僕の何がわかるっていうんだ。
仕事を辞め、公務員試験も落ちて、転職活動中の僕のいったい何を知ってるというんだ。
こうやって中華料理屋では始終イライラしていたわけだけども、この後、クボヅカに対する僕の印象がガラッと変わる出来事が起きた。
それは会食後、オープン準備中だというクボヅカの店に行った時のことだ。
小さなエレベーターしかなく、両家が乗るには二回に分ける必要があった。ぎゅうぎゅうのエレベーターを抜けたところ、
「オープンザドアーww」
そう言いながらクボヅカはお店のドアを開けた。
そこで店内の様子を見た僕は思わず息を呑んだ。
柔らかい間接照明が適度に置かれていて、冬の寒い夜に見たにもかかわらず、とても暖かい気がした。
金属部分が露出しないように全部木枠などをはめており、エアコンにもしっかりと木製のカバーがはめられていた。
床こそコンクリートの打ちっぱなしだったが、冷たい印象を与えないようにか半分だけアイボリー色のペンキが塗られていた。まだ作業途中のようだ。
水道の配管やシャワー台の設置は業者に頼んだようだけど、それ以外は全部自分で大工のように板を切りくぎを打ち、作ったとクボヅカは誇らしげに語った。
「もともと企業の事務室だったところを作り変えたから、いろいろ手間かかったわww絨毯はがすのに一週間はかかったww」
こんな手間のかかりそうなことを一人で黙々とやったのか。
丁寧に一つづ、鏡やテーブル、エアコンの木枠まで自分で作ったのか。
一週間も床をはがす作業をあきらめずに行ったのか。
クボヅカのあの偉そうな上から目線の態度も実はこういう地道な努力から裏打ちされたものかもしれない。
そう思うと、なんだかクボヅカに親近感を覚えた。
全然違うタイプの人間かと思ったけど、もしかしたら仲良くなれるかもしれない。むしろ尊敬できるかもしれない。
僕は今まで見た目で決めつけていたことを恥ずかしく思った。
クボヅカは、換気換気―wwといって美容室の窓を開けた。冷たい冬の空気が入ってきた。
僕はクボヅカに話しかけようと思った。もっとこちらから話しかけて仲良くなろう、そう思った矢先、クボヅカは窓の外を見てこういった。
だめだ、折り合えない、クボヅカはクボヅカだった。リア充はビックバンしろ!
やはり心の底からそう思った。
ろくに女性との会話歴もない。
1年ほど前の事だ。
がんばってアプローチをかけたのだが、うまくいかなかった。
釣り合うはずもなかったのだ。
そこから必死の武者修行。オシャレ道の達人になるべくまずは金を集める。金!金!
必死で貯めた金でアウトレットモールを巡り、なるだけ個性的なそれでいてオシャレな服を買いあさった。
1年後、社交辞令だろうが、複数の人から「今日の増田さんはおしゃれですね。」といわれるくらいにはなった。
そこそこ見栄えが良くなってきたからか、新卒向けの採用サイトに載せる若手社員の写真のモデルにも選ばれた。
この時点で、容姿に関しては問題ないレベルになったと判断した。
休日に、地方で面白そうなイベントやお祭りがあると、夜行バスで出かけてついでにその近辺を観光して回った。
地理に詳しくなったのおかげで、初対面の人の話す出身地ネタが大体わかるようになって、うち解けやすくなったのだ。
こうした一連の積み重ねを経て、俺は確かに人生経験が豊かになった。
で、結局彼女と付き合えたのか?
これもきっと何かの勉強なんだ。
なあそうだろ?
私はよくライブに一人で行くので、話しかけてもらったらうれしいです。誰かと話したいなーって時は男女問わず一人の人に話しかけるときもあります。でもなんつうかこう人と話したくない日もあるので、そんな日は開演直前までイヤホンしてたり本読んだりしてるので察してくれると有難いです。スマホいじってたり、ボーっと空を見てたり、公演のパンフレット見てたら話しかけていいと思いますよ。
話しかけやすいのはライブ前だと思う。始まる時間を聞いたり、ドリンクもらう場所を聞いたり、グッズ買う場所とか話しかける事務的なトピックスがいっぱいあるから。事務的な要件から話しかけてくれるとかなりほっとする。私だけかもしれないけど、「良くライブとかくるんですか」とか「友達になりたいです」っていきなり言われると、「えっ何何」ってかなり身構えてしまうので、事務的な質問して反応がよかったら、「このバンド結構前から好きなんですか~?」とか公演にまつわる話からつなげてったらいいと思う。
でもブコメにもあったように、そこで微妙な空気になると、ライブ中ずっと気まずいというのもわかる。終演後でも「終演後でもグッズって買えますかね?」とか話しかけるきっかけは無きにしも非ずだと思う。ただ終電早い人やその後予定ある人もいるから、乗り気じゃなかったり帰りたい雰囲気だしてたら、引き留めないほうがいいかも。
お酒入ってると、拒絶されるリスクはぐんと減ると思う。だからお酒飲んでる率の高いクラブとかフェスのほうが、ハードルは一気に下がる。クラブは苦手でも、デイパーティとかバンドの人がやってるイベントは比較的クラブっぽくないイベントのことも多いので、武者修行には最適かも。
頑張ってください。応援してます。
今、45のおっさんです。25年前の自分に対してだと思って、書いてみます。
(1)まず、どこの大学に行きたいのか?決めよう。
「なぜ高校2年生のころは、この大学に行きたかったのだろう。」
※どこでもいいと、いうのであれば、とりあえず、今通っている
高校の過去数年間のうち、卒業生実績から上位5個ぐらいを対象とすればいい。
(この時点では、まだ候補)
おっさんの場合には、親は中卒で、誰も何も教えてくれなかった。せいぜい年に1人浪人して、
あるきっかけで、ある大学をターゲットにして、結果的に、現役でそれに受かった(旧帝大は滑り止めぐらいにした)
本を20冊ぐらい親に買ってもらって、「勉強の仕方」(どういった参考書をつかって、どのような勉強をするか?)
を勉強した。
(3)目的を再確認する。
目的は、「頭が良くなること」でも無く、「勉強ができること」でも無く、
上位で入る必要はなく、ギリでいいから入り込んでしまえばいい。
今、大きな人生の目標が無いのであれば、目標の設定後は、1年後にまた考えればいい。
長い人生、1年ぐらい誤差だ。
大学を選び間違えることもあるかもしれない。当然ながら、
大学に入った後の「貴方の人生」なんて、(親以外の)他人は誰も真剣に考えてくれない。
大学勉強の過程で、「勉強が楽しい」と感じられるのに「変わった」であれば、
それは嬉しい副作用だが、それも将来考えて下さい。
よく就活で、出身大学が問われるけれども、これは「親のしつけ・教育」「地頭の良さ」
「目標に対して真面目にコツコツ努力できる」ことの総合力を見るには都合が
いいからだと考えている。
話は変わりますが、「幸せ」とは何か?という質問があったとします。
何か食べにいく場合でも、「ファーストフード」の店「しか」選べない人と、
お金があれば、購入物の選択肢が増えて幸せと見なせることが多いですが、
代わりに時間を失うと、それは(行動)選択肢が減ってしまい、不幸せという解釈です。
Fランクの大学に行くよりも、上のグレードの方が、貴方の人生の選択肢は
もちろん、人生万事塞翁が馬のため、保障はしませんけれども。。。
最近は、弁護士や歯医者さんなども収入が減って大変だそうです。
それでも自分で職業を「選べる」だけまだ「幸せ」なんだと思います。
貴方の人生の選択肢を増やすために、1年間「だけ」真面目に勉強してみては?
(4)ひたすら過去問を解く。
現在2年生で、3年生の範囲は?となるかもしれないけれども、それは関係ない。
わからなければ、模範解答を丸暗記するぐらいまでやりこむ。
手に入る限りの過去問をやっていると、「どのジャンル」が出て、
今回は、(どの大学でも受かる)ジェネラリストを目指しているのでなくて、
ある大学に受かるスペシャリストを目指しているから、「出ないジャンル」の
勉強は、ばっさりと切り捨てる。
それは「リスク」として割り切る。
今まで真面目に勉強してこないんで、それなりの価値をつかもうとしているので、
ある程度の「リスク」を抱えるのは当然だと思う。
もしかしたら、次年度のテストは、過去問とは、関係のないジャンルが初めて出る
かもしれない。それは「不運」としてあきらめる。(=実力無い分、リスクを背負っている)
および(問題には出なかった過去問の周辺知識)を把握する。
※(導入の無い)答えの丸暗記は当然NG。
あくまでも答えの導入方法を理解して、または設問内容を把握できて、
厳しいこと書くと、その英語の問題集って、試験に受かるのに役立つ?
そういったことは余力がある人がやればいい、または余力ができてからいい。
まずは、「大学に合格する」という目標を定めて、具体的に、「何が試験に出て」、
「何が試験にでない」のかを把握すること。
「試験に出ない」ことは、現在の目標「大学に合格する」からすると、
※一般的な受験勉強は、教養にはなるし、自分のポテンシャルアップには
繋がるけれども、それはまた別の目的。
そういった「不純」な目的は、大学に受かる実力をつけた後に考えればいい。
大人の世界での、困難なプロジェクト管理におけるコツは、目標から逆算して計算して、期限を区切ること。
決して、現状から、コツコツつみあげるようなことはしない(できるのであれば、それは
目標の再確認をすると、今の目標は「大学に受かること(=Fランクにはいきたくない)」。
そのために、「勉強する範囲を精査する」(試験に出ない範囲は勉強しない)
そのために、「過去問を解く」そして、「現在の自分の実力」と「目標」
そして、その「差異」をいつまでに埋めるのか?の「期限」の設定を行います。
ここまでくれば、「てか何やったらいいのか分かんねえよorz」には、
なっていないはずです。
例えば、来年前半に、物理に、90日割くとします。過去問を3回繰り返すとします。
90日=60日(初回)+15日(復習)+15日(復習)。初回分は、60日。
仮に(計算しやすいように)120問だとしたら、1日2問づつ、確実に理解・把握していく。
感じで、大学入学という漠然とした目標から、目先の数時間レベルの具体的行動まで
落とし込んでいきます。
※お父様が筑波大学ならば、それなりに地位の方だと思うので、
大人がやるスケジュール「管理」の方法は相談しましょう。自分で全てをやる必要は無いです。
最悪、答えは理解できなくとも、時間の限り、「写経」するだけでもいいです。
私も同じ回答を何度も、(参考書みずに書けるぐらいまで)書き写しました。
あとは、本番で、数字・記号を変えるだけで、最悪、頭で覚えていなくても
「手が覚えてくれています」のでなんとかなるケースも多かった気がします。
(このご時世、受験の範囲で、高校生が、世界で初めてひらめくような
ことは、ほぼ無くて、既に、誰かが考えています)
数ヶ月後、一通り、過去問が解ける状態になったら、またここで、質問すればいいと思います。
誰か親切な人が答えてくれるでしょう。
まず、インターネットが無かった。今、空気のようにあるインターネットが
非常にうらやましい。
田舎だった。当然、学校の先生も、高度な大学の入試についてこれない。
(これは先生の能力の問題ではなくて、その他大勢の生徒のレベルに合わせるため)
おっさんの高校生(2年生2月)の行動力は、自画自賛になるけれども、
今でも褒めてあげたいぐらい。
(A)まずは、合格体験記を20冊ぐらい読みあさり、効率的な勉強の方法を調査。
※合格体験記を見て、自分なりのコペルニクス的転回は、「できない問題は捨てて良い」
ということ。田舎の学校では、そんなことは教えてくれず、目の前のことは
がんばってやりましょう」という概念が変わりました。
(C)我が家は貧乏だったので、「予備校に行かせて」とは言えないし、
そもそも予備校までも遠かった。
(参考書代金と、模試の代金は、貧乏ながらも出してもらえました)
「3ヶ月に1~2回の試験を受ける人」と「3ヶ月で20回試験を受ける人」
とでは、駄目出しされる回数が圧倒的に違うから、修正ポイントも早く気づきやすいし、
ジャンルが違う模試は、厳密には無意味だけれども、周りの受験生の雰囲気などにも
早くなれることができました。
>てか何やったらいいのか分かんねえよorz
「親が模試の費用を払ってくれている。少なくとも、費用分の元を取りたい」
と考えられるのであれば、模試をうければ、「3時間以上の濃厚な時間」を勉強できる。
時間内は、必死で考えるから、印象にも残る。試験後に、気になることは自分で調べたり、
先生(しつこいが、学校の先生に聞くのはタダでできる)に聞いたりして、同じ問題には
対応できるようにするだけでも、レベルが変わってくると思います。
試験で悪い点を取り慣れていなければ、自分も頑張らなきゃと思うようになると思う。
(勉強しようとう環境に、当時のおっさんは、自分を追い込んだ)
スポーツに例えると、武者修行(道場破り)にいって、週1でコテンパンに
やられて帰り、翌週までにまずかったところを調整。再度、やられにいく感じでした。
(少なくとも、同じパターンではやらなれないようにした)
頑張るのは、1年間だけだから、
睡眠時間+学校の時間(通勤時間)+2時間以外(基本的生活時間)は、
全て勉強するつもりだったら、なんとかなるかも?
生活は親が面倒みてくれていると思いますので、一生のうち1年間だけは、
狂ったように勉強してみるのも、いい経験になるのではと思います。
大人になると、「勉強だけすればいい」という贅沢な時間は持てなくなります。
1日8時間寝るのであれば、それは残りの16時間のためを充実させるための
必要経費です。
そもそも、最初から、1日16時間、さらに基本生活時間の2時間を除くと、
残りの14時間を効率的に生きること。それは、「本を読むスピードを上げましょう。
問題を解くための手を早く動しましょう」のような基本動作のスピードアップと
いう意味ではありません。
今の自分にとって、「必要なこと」「不要なこと」を見定めて、「不要なこと」を
やらない勇気を持つということです。
25年前の自分宛のつもりで書いてみました。
<追記>
おっさんは、元質問者に書いたつもり向けだったのですが、ここまで読まれるとは思いませんでした。
(1)実力者(上位10%)
(2)中間層(上位30%)
(3)残り(他)
(1)の人は、普通に王道を歩めばよくて、今回、おっさんが書いたような
おっさんは、「(3)残り」の人が、「(2)中間層」にどうやって勝つか?を書いたつもりでした。
(3)の人達は、まず(1)の人には勝てません。どのジャンルにも「天才」と呼ばれる人がいます。
勝つことは考えていません。
(3)の人達が、実力をごまかして、(2)の人達に勝つ(かもしれない)方法を書いたつもりでいました。
(2)の人達は、大学受験では、n校受験などして、それなりにリスクを分散をしています。
(3)の人達は、普通に実力勝負をすると(2)の人達に負けます。
当然ですが、(3)の人が追いつこうと思う間に、(2)の人も前にすすみますから、差を
縮めるのは大変です。
(3)の人達が、(2)の人達に勝つためには、リスクを背負うしか無い。具体的には、
それでも勝てそうになければ、更にリスクを背負う(フィールドをより絞り込む)ことに
なるでしょうし、余力があれば、リスクを分散化(フィールドを広げる)すればいい。
過去問というのは、自分が勝てる場を探す作業。おっさんの受験は25年前で情報古いですが、
実力無い人が、とりあえず、「この戦いに勝てばいい」の方法を書いたつもりでした。
もちろん、後のことなんて考えていません。
おっさんの書いている方法は、当然ながら、真の実力はつきませんし、
でも、「まったく勝ち目の無い戦い」よりは、マシとは思います。