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2018-01-03

魚介類LINE

私は最近タコとよくLINEでやりとりをしているのだが

何気なく「悩みとか無いんですか?」と聞いたら

「強いて言えば、寿命が短いことですかね」と返ってきた。

聞いてみると、タコという種族は長くても3年生きられればいい方だということだった。

「だからいまを生きるっていうか、刹那的生き方してるヤツが多いですよ。俺も、もう2歳過ぎてるんで、いつ寿命が来るか分からないんですよね。」

と言っていた。あまり深刻そうな感じではないのが不思議だったが、タコ世界ではそれが普通なのだから、彼らなりに納得しているところがあるのだろうと思った。

このタコも、だいぶ積極的生き方をしているようだった。

私は、デートに誘われたのである

「今度一緒にランチ行きません?オススメイタリアンを知ってるんです。」

いきなりそう言われて、困ってしまった。私はこういうお誘いには慣れていないのである

初めのうちは断るつもりでいた。

しかし、何気なく「ちなみにオススメメニューは何ですか?」

と聞いたところ「イカスミパスタです」と返ってきたので、俄然興味が湧いた。

やはりタコとイカは犬猿の仲なのだろうか。

私はイカスミパスタを親の仇のように食べるタコ想像した。これは会うしかないと思った。

私の仕事の都合から、会うのは一ヶ月後の休日と決まった。

「じゃあ来月、とても楽しみにしてますね!」

私はタコに返事をした。

ふと、はたして一ヶ月後もこのタコは生きているのだろうか、という疑問が頭に浮かんだ。

もう長くないと自分で言っていたし、その間に寿命がくる可能性もあるのではないか

そうなると悲しいと思った。

既読は、まだついていない。

2016-08-07

今回の件で広島平和記念公園改名検討するべき

http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujiiryo/20160806-00060801/

意見大勢をみると、広島平和記念公園目的広島で亡くなった無辜の民の鎮魂や慰霊をおこなうための

施設であり、利用者は遺族および原爆悲劇を哀しむ心を持つ人でなくてはならないということのようです。

それであれば原爆追悼所とでも名前を変えたらどうでしょうか。

過去被害にあった人たちを悼み、安らかに眠ることを願うことは平和を記念する行為ひとつに該当すると思います

71年経って今なお犠牲者哀悼の意を捧げるのみというのであれば、それは平和を記念する行為にあたるのでしょうか。

万人に開かれた公園として、平和を祈る場所として平和記念公園という名前を掲げているのであれば、

いまを生きるあらゆる人と向き合い、過去に起きた悲劇を知り、これから平和について考える機会を持ってもらう必要があると思います

平和を望むはずの側が「この人は入っていい」「この人は駄目」という区別をする行為は、平和を願う主体者が自ら新たな争いの種を生み出すという

重大な平和に反する行為だといえます

(どんなに小さな行為だとしてもです。)

また例年、平和記念式典で首長が過ちを繰り返さず、核なき世界平和を求めるという声明を出すことが恒例となっています

上述の状況からこれは犠牲者や遺族の心を癒やすための有名無実の口上にすぎないということのようですので、

平和記念式典という名称もまた広島慰霊式典とでも名前を変えるべきでしょう。

今回のポケモンGoの一件は単なる企業経済活動であって、一方的相手方が始めたことだとしても、

平和を求めるのであれば平和的に向き合う必要があるのだと思います

奪われた十数万人の命の重みに対し、それを忘れず悼む心を持ち続けることは人として尊い行為であり尊重されるべきであると思いますが、

71年という時間もまた重く、平和過去悲劇や、マナールール理解していない人に対して排除区別論理適用するのであれば

平和という旗印を掲げ続けた一世紀にも迫る年月の間、一体何を祈り、何を考えていたのかという甚だ疑問が残ります

2016-02-18

皆が絶賛するけど好きじゃない映画

ファイトクラブ

格好いいけど色々ありえないだろ

グラン・トリノ

いかにもな展開で興ざめ。何故かドライビング・ミス・デイジー思い出した。

17歳のカルテロスト・イン・トランスレーション、あの頃ペニーレイン

女だけ見てろ

キル・ビルジャンゴ 繋がれざる者

キル・ビル以降のタランティーノってつまらなくはないが、フーン程度で終わってしまう。俺だけ? (デス・プルーフは最高

グッド・ウィルハンティング/旅立ち

ただの厨二病映画で感動するとか、、

いまを生きる

いまを生きるどころか自殺したロビン・ウィリアムズ

マッドマックス

面白かったけど、皆のテンション高すぎてひいてしま

他なんかある?

追記

id:nomitori

頑固者が心開くところと、車に関わっているところかな。

2013-12-10

かぐや姫の物語を見てきた

ブログがへんなのにハッキングされてこわれてしまったので場所借ります

 

高畑勲監督かぐや姫の物語」見てきた。

本当に素晴らしかった。

 

人間生命

生とよみがえり

ジブリ集大成だと思った。

 

くやしくてたまらなかったり

すべてをぶちこわしにしたくなったり

もう楽しすぎて何もおぼえていなかったり

大切なことが分かったときはもう時間がなかったり

そういうすべてが過ぎていくあっというまの一生

たった三時間でそのすべてがわーっとあらわれる。

 

ツイッターでもだいたい「良かった」と言ってた。

プリクラアイコンの人もアニメアイコンの人も

脱原発って書いて日の丸つけてる人も

やっぱよかったんだなあと思った。

 

地井さんの代役を三宅裕司さんがやってるとか

現代を生きる女の一人として共感したとか

おおかみこどもに似てたとか(どこがだ)

そういうのもタイムラインにけっこうあった。

いままでだったらそういう書きこみを見て

なんか映画の外に出たがってるなあとか思い

ちょっとケチをつけたくなってたと思う。

 

宮崎駿監督の「風立ちぬ」のときとかは

ちょうど父親くらいの年齢の人たちが

宮崎駿ゼロ戦を賛美した」とか

書いてるの見てしまいすごく嫌だった。

 

すごいスピード世界が変わっていく時代

結果的特攻の道具を作ってしまった天才

人間として撮るっていう覚悟のある話なのに

しかも撮ってるとき地震があったんだよ)

ただ叩きやすい杭があるから叩いているだけ

ものすごく残念でなんだこいつらとか思った。

 

エンリコフェルミの顔に落書きでもして

脱原発やってなさいよとか激おこだった。

 

でも「かぐや姫の物語」はそうならなかった。

いろんな人が今もなおいろんな状況にあって

その中で「かぐや姫」を見たんだなと思えた。

 

捨丸にいちゃんという重要な登場人物がいて

彼の台詞に「だからなんだ!」みたいのがあり

「だからなんだ!」の力強さが本当にすごくて

 

結果どうなるってのが分かっていたとしても

「だからなんだ!」というのでいまを生きる

将来がどうだってかまわない、一番好きな今を

必死で握りしめて生きろ!というのがわーっと

最後まで伝わってきて今も書いてて涙が出て

しまうくらいすごかった。ほんとよかった。

 

やや微妙感想を書いてる人たちの中には

絶対友だちになれない人とかいると思うけど

(あっちからもお断りだっていうだろうけど)

でも全員がかぐや姫のようにわーっと輝いて

「だからなんだ!」の力にひっぱりあげられ

月になんて帰りたくないと泣きまくってでも

生きることにしがみついたらいいと思った。

 

1つ1つはぐちゃぐちゃ汚いかもしれないけど

それぞれ命をばーっと燃やして死んでいく

一生って本当にきれいだなあと思った。

 

かぐや姫はほんとに良い映画だったし

ひとつ日本映画歴史をつくったと思う。

 

アリエッティ」が素晴らしかったので

ジブリもそろそろ世代交代なのかなあ

と思っていたこともあったけど

風立ちぬ」「かぐや姫」の2本で

スタジオジブリグランドフィナーレを

迎えてつぎの世代バトンを渡した

のかもしれないなあと思えた。

 

高畑さんは本当の遺作になるかもなあと思った。

最後天才的な仕事を残して去るというのは

かっこよすぎてずるいなあと思った。

今度お手紙でも書こうかな。

 

いい映画本当にありがとうございました

2012-04-10

黙って読めやこの15冊(大学新入生向け)

やぁやぁ、ご入学おめでとう。

TOKYO怖いなぁだの、そろそろせっくすしたいなぁだの、友達できるかなぁだの、

各自思うところはあるだろうが、そういう不安に対してオトナがドヤ顔で語るエントリ

塵芥のごとくはてな村には存在するし、私は粛々と本を挙げようと思う。

ま、やる気ある人だけ読んでくれればいい。

思うところあってわざと理系は外しました。

あといわゆる古典も抜いています

何故か?私が想定している読者がいきなり古典を読めるほどの知性があるとは思えないからです。

上にある本のあとなら接続できるものもあるし、大学のセンセの指導の下で読むならいいんじゃないかな。

「ここに挙げとかねーと一生かじることがねぇだろうな」って分野とか、

教科書で体系的に順番に学んでいて「なんで俺こんなんやってんだろ」とかわけ分からなくならんうちに

色々概観できるもの、そういう観点でチョイスしたつもりです。

そんじゃーね!

2011-10-01

テレビ局なんて入らなければ良かった

現在30歳手前、数年前にテレビ局へ中途で転職した。

色々な所で語られているほど華やかな場所ではなかったが

少なくとも給料は2倍になった(以前は手取り20を切っていた)。

マスコミはみんな1000万プレーヤーなんてのはバブル期以来の幻想なんだけど

それでも額面で自分の父親を上回るほど、立派な仕事をしているとは思えなかった。


兎に角、僕は子供の頃からの憧れだったテレビ局で働くことになった。

そして今、言いようのない閉塞感と絶望に打ちひしがれている。


時代を覆う閉塞感、いまを生きる方なら少なからず共有出来るものだと思う。

バブル崩壊後、右肩下がりの時世を過ごしてきた僕も同様、

表現し難い恐怖感、いや、得体のしれない魔物ぼんやりとした不安」が常について回った。

直接の危害がすぐに及ぶ訳ではない、けれど穏やかに沈んでいく日常が怖かったのだ。

在りきたりな言い方すると「沈みゆく船に乗り合わせた不幸」とでも表せるのだろうか、

常に「何か」からいかけられている様な恐怖がいつも隣り合わせにあった。


僕は父子家庭で育った。

そんなに賢くはなかったけど、要領がよかったので中学受験をすることになった。

一志望の麻布中学不合格、けれどそれなりに名の知れた進学校に進学した。

中高と奨学金を借りながら進学し

東大受験するも失敗、早稲田へと進んだ。

就職活動ではテレビ局を志望したが不合格

いわゆる下請けの関連会社ブラック丸出しな日々を送った。

そして数年後、テレビ中途採用に応募し

今に至ることになる。

こんな奴に何が分かるんだと怒られてしまうかもしれない。

お前は日々の生活に困ったこともないじゃないか、とか

今はブラック企業への就職すら困難なんだよ、とか。

かつて生活保護貰っていたこともあるけど、それでもやはり今の僕は恵まれていると思う。

(実際現在給与だって、自覚するくらい貰いすぎだ)

ただ、精神的には今の状況の方がずっとキツイんだ。

子供の頃も学生時代も前職にしても

常にアタマの中には「もう少しマシな日常があるんじゃないか」との思いがあった。

何というか、今日よりステキ明日があるのではと幻想を抱いていた。

けれど現在職場転職してきて、その可能性も閉じてしまったのだ。

これ以上の環境もそうは無いだろうと気づいてしまったのだ。

結局こんなもんかよ、との理解は想像以上にキツいものだったんだ。

よりよい未来、それが夢とイコールになるのかは分からないけど

夢すらも描けなくなったとき絶望の波は一気に押し寄せてくる。

現実を知って夢を打ち砕かれるくらいなら、テレビ局なんて入らなければ良かった。

僕は今、ホンキでそう思っているのだ。

(追記)

沢山のコメントtweet等有難うございます

どなたかが仰られていましたが、別に主語は「テレビ局」でなくても良くって

それこそ「起業する」だろうが「モテる」だろうがそこは本質でないと言うか…

具体性を敢えてなくしたのも、もうちょっと普遍的な悩みというか

現実を再認識して夢が閉じてしまうこと、それが一番キツかった」

ということを書いてみたかったんです

「その先に目標がない」というご意見も多数頂きました。

的を射ているというか…ただ自己擁護になってしまうんだけど

そんなに先の先まで夢や目標を描ける人ってこの世の中にどれくらいいるんだろうか?

少なくとも僕には、テレビ局面白いコンテンツを手がける

そんな在り来りな夢を描くのが精一杯でした。

2009-10-04

青春したいよ

青春だの童貞だので盛り上がってる場合じゃない。

俺も青春したかった。

 

幸い非童貞だし、甘酸っぱい中学時代の思い出もあるし、大学時代彼女と楽しく過ごしたけど、

高校がスコーンと抜けてる。

3年間あったはずだけど記憶に残ってることなんてわずか。

 

あれほど無条件でキラキラしてる無敵な期間って無いよなー。

 

こんな気持ちの原因か結果か分からないけど最近読んだ本

 

来週は久しぶりに「いまを生きる」を借りて見よう

2009-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20090301034255

生きる意味がわからない、というのは時々ある。何のために生きていくのか、時に空虚に感じることさえある。

意味は人それぞれで一概にこうだとは言い切れないが、自己実現と義務という種別で考えるとこんなのがあるだろう。

1.義務的意味合い

・妻子あるビジネスマンなら、家族を養うためとかの義務的役割を全うすることになる。

・両親が病気とかなら、養うための義務を伴うこともある。

2.自己実現意味合い

・何か達成したいことがあって、いまを生きる

たとえば、広く皆の生活が便利になるようなもの、人のためになるもの、自分の興味がわくものをやるために、日々、目標に向かっていく、とか。

自分の場合、ITを使ったサービスを広く社会に提供して、それを使って貰うことで、感謝され、自分もそれなりにいい生活もでき、、というのを望んでいる。

長期的には、たくさんお金を稼ぎすぎてしまい、使い切れなくなったら、、社会貢献活動なんかもしたいね。

そういうのってないかな。たとえば、自分が楽しめるもの、やっていてうれしいもの、そんなのを仕事趣味にしていると思う。

高校大学での生活をする上で、そういう体験とかで、自分が何をすると楽しいのか、どんなことが向いているのか、とかだんだんわかってくると思う。

もちろん、就職難でやりたいことができないこともあるだろう。でも、そうなるようにはどうしたらいいのか、考えてみる、行動してみる、とかやり方は

いくらでもあるはず。

疲れたときは休むのですよ。疲れたときの休みをとる期間も必要です。

また、新しいことを思いつくかも知れないし、死に急ぐことも無かろう、と思う。

いま、これといって、自分もないけど、、ま、次なにか面白いことがあるだろう、と思って何と為しにゆったりとやっている、というのもあるね。

焦ることもない。

自分なりの生き方で楽しめばいいんでないかな。

2008-10-27

書く仏像になれ

どれだけ書けるか心許無いけれど、よいものをたくさん読んで、先人からも、いまを生きる人たちやいま目の前で起こってることからも影響を受け更新し続けて、とにかく書いて、書いて、どこかに向かって進んでいかなくては。そして、いつかなるべき最終形態は、例の、書く仏像(よくわかんないけどなんかすごい感じの)だ。

http://www.tsogen.co.jp/web_m/sakuraba0809_2.html

http://anond.hatelabo.jp/20081027160514元増田に。

 
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